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2023-10-29

将棋界のゾルラークといえば先手必勝の角換わり腰掛け木村定跡

角換わり腰掛け木村定跡は角換わり腰掛け銀を一度終わらせ、そして半世紀にもおよぶ角換わり腰掛け銀の発展を方向づけた歴史的な定跡である

発見者は実力制名人黎明期において圧倒的な実力を誇った"常勝名人"木村義雄十四世名人

その木村40代を迎えて、棋士人生下り坂に差し掛かった頃である自身を脅かす有力な若手などそうはいない。しかし次代のトップ棋士達は確実に頭角を表してきた。関東塚田正夫。そして関西升田幸三大山康晴木村が第6期名人戦で塚田正夫に痛恨の敗北を喫したあとに完成させた定跡だそうだ。西暦にして1947年ごろか。

そもそも角換わり腰掛け銀とは、お互いに大駒である角を持ち合い、準備万端の攻撃態勢を築きガンを付け合った後、相手死ぬまでボッコボコに殴り合うという戦法である個人見解です)。

その過激思想がウケたのか当時流行最先端の戦法になっていた。もちろん名人戦でも指される。そして木村名人を失冠した。再起を賭けて死に物狂いで研究したであろう木村が編み出したのが、先手必勝の角換わり腰掛け木村定跡である。角換わり腰掛け銀で同型(▲5八金▲2八飛の形)のまま進行し、▲8八玉△2二玉と互いに玉を囲い合うと、後手は何をどう最善を尽くしても絶対に負ける。

すでに新聞棋戦全盛の時代だ。必勝定跡を隠す手立てはなく、指せば先手が勝つと分かった木村定跡はすぐにプロ将棋から消えた。当たり前の話である。なので角換わり腰掛け銀は以後、木村定跡を避けて逆に攻勢に出たい後手とそれに対応する先手、という図式になる。▲8八玉△2二玉と進めば負けるのだから、▲8八玉の後に後手が攻めたらどうなる?どうも先手悪いようだ。ならその前に先手が攻めたらどうなる(升田流)?半世紀にわたる未解決問題富岡流によって解決された。やはり先手必勝だ。後手はもっと前に変化しないといけない。あるいは!同型のまま進行するのがダメなら、序盤で後手から角交換したらどうだ(後手番一手損角換わり)?▲8八玉△2二玉の時点で同型にならず、後手有望かもしれない!先手がそもそも腰掛け銀を回避してくるところが辛いけどね。

ゾルラークは広く流行し誰でも使える基本的魔法になったそうだ。この点は将棋界と違うね。必勝戦法は必勝なのだから誰も指さなくなる。いわゆる×新手一生○新手一勝だ。しかし知らなければ落とし穴に嵌る。将棋界におけるゾルラークは大なり小なりそういうものだ。決して表舞台には表れないが、水面下では激しい研究合戦が繰り広げられている。そこに織り込まれていく。

2023年現在で角換わり腰掛け銀同型といえば▲4八金▲2一飛の形である木村定跡はもちろんだが、▲5八金▲2八飛の角換わり腰掛け自体AIにより不安定な形と評価され、指されなくなった。イマドキの奨励会員は木村定跡を知らないかもしれない。AIプロも指さないからね。将棋AIはとうの昔に、人間棋譜を読むような非効率学習を行っていない。ゾルラークとして水面下で棋士常識であったはずの木村定跡は、今では本当にただの廃れた定跡なのかもしれない。

2020-08-29

anond:20200829134729

まず将棋界には強烈な「若手信仰」がある。

中学生棋士」に代表される「プロになった年齢が低いほど天才だ」という信仰

そして、それは概ね正しい。

その最新の証明藤井聡太だ。

将棋界には数十年ごとに「その時代覇者」とも言うべき大棋士が生まれている(木村義雄大山康晴中原誠羽生善治…)。

藤井聡太はその後継者位置を確保した。

現時点で既に藤井聡太は他の棋士よりも圧倒的に強い。

渡辺豊島・永瀬の三強と比べても頭ひとつ抜けている(豊島には四連敗中だが次にやれば勝てるだろう)。

その強さに対して、将棋ファンは単純に畏怖している。

その才能を尊崇し、新たな覇者誕生を祝福している。

が、それと「藤井聡太という棋士個人ファンか」というのは別の話。

そりゃ興行的に言えば「いつも同じ棋士が勝つ」「自分の贔屓の棋士がボロ負けする」なんてつまんないよ。

新たな歴史目撃者としての高揚と、古い歴史が塗り替えられるのを見る哀愁、どっちが強いかは人それぞれです。

2020-07-22

anond:20200719012111

レジェンド順位戦S級

S級1組

永世三冠以上

S級2組

永世かつタイトル20期以上

S級3組

永世称号保持者

S級4組

タイトル5期以上

カッコが付いている人は稼働していた時代が違いすぎて単純に比較できない人

S級奨励会

あと何期かでS級4組に昇格する現役棋士

タイトル戦3期で竜王戦のみ現役となっている桐山清澄九段事実上不可能なのでここに入れない。年齢や近年の実績から豊島と天彦以外は4組昇格厳しい。

藤井聡太は挑戦中の王位本戦トーナメントに残っている竜王ダッシュ三冠になれば今年中にS級奨励会に入会、更に来年これらを防衛するか王将叡王王座のいずれかを奪取でタイトル2年目でS級4組に昇格。羽生善治ですらS級4組は4年かかっているのに(それでも充分化物)!

2020-07-19

anond:20200718001048

ナンバーツーの系譜に名を連ねる渡辺明が、次代のナンバーワンの台頭によって久々に注目されている。

長年の将棋ファン的には、歴史必然というか、ついに渡辺明にもこのときが来たな、という感想を持つ。

将棋界というのは不思議なところで、いつの次代も絶対的ナンバーワンが存在する。

圧倒的な棋力で他の棋士を寄せ付けず、2、30年君臨し、次代のナンバーワンに禅譲する。

次代のナンバーワンはデビュー時点で文字通りのトップレベルの棋力を備え(*1)、また2、30年棋界に君臨する。

"常勝将軍"木村義雄(*2)、"巨星"大山康晴(*3)、"棋界の太陽"中原誠(*4)、"永世七冠"羽生善治、そしておそらくは藤井聡太だ。

ナンバーワンがいるならナンバーツーもいる。

中には全盛期にナンバーワンに勝てなかっただけみたいな棋士もいる。

ナンバーツーに誰を入れるかは2ch将棋板でも議論になるところだが、升田幸三(*5)、米長邦雄(*6)、谷川浩司(*7)、渡辺明は間違いない。

これに加藤一二三(*8)、佐藤康光(*9)、森内俊之(*10)あたりを入れるか、あるいはもっと色々な棋士が含まれるか、そもそもナンバーツーと言えるほど絶対的棋士谷川だけ、2番手集団で十分、以下略

絶対的ナンバーワンには必然的に記録がついてくる。

印象的なエピソードが数多あっても、決して色褪せない圧倒的な数字には及ばない。

逆に言うと、ナンバーツーも記憶には残る。

しろ万年2位の悲喜こもごもにこそ、心動かされるのが人の性ではなかろうか。

俺はそういうエピソードが好きだ。

木村義雄名人に糞と言い放った升田幸三。そのくせ陣屋事件引き起こし升田幸三。(*11)

大山いじめられ続け(と中原にまで言われる)、大山が衰えてやっと短い全盛期を迎え、中原と互角にやりあい名人も奪った加藤一二三。(*12)

二十歳そこそこの森下卓に頭を下げてまで自らの将棋を鍛え直し、49歳にして中原を下し名人位についた米長(*13)。

7番勝負最中阪神大震災被災し、関西将棋ファンの期待を一身に背負った王将戦羽生六冠王の挑戦を退けた谷川(*14)。

羽生と初代永世竜王をかけて戦い、棋界初の三連敗四連勝で竜王を守りきった渡辺明(*15)。

そして藤井聡太の初戴冠において、カメラを背負う側となった渡辺明

渡辺明は常々、記憶より記録に残る棋士になりたいと語る。

何より重要なのはタイトル獲得数、と語る。

一方で、羽生さんは本当にすごい、と語る。

自身ナンバーワンに連なる存在でないことを自覚し、自分羽生藤井聡太の間の棋士だ、と、悟ったようなことを語る。

そして、あまり語ってはいないが、名人に対するこだわりは絶対にあると思う。

渡辺明棋士の割にまともっぽい人だ。

三浦冤罪事件を起こしたクソ野郎だ。

ただまあ棋士なんて常識が無い人間ばかりなので、それはそれでいいんじゃないですかね。

渡辺明が悲願の名人を獲り、そして藤井聡太の挑戦を受けたりしたら、クッソ盛り上がるだろうな。

脚注

1. デビュー時点でトップレベル

谷川渡辺明プロ入直後の成績は中原羽生藤井聡太と比べると劣る。当時のトップレベルから少し(渡辺明大分?)落ちるようだ。

2. 木村義雄

名人8期(現役晩年まで名人しかタイトルが無かった)、十四世名人

十三名人関根金次郎の弟子。十二世名人小野五平や坂田(阪田)三吉から指導を受けたらしい。

3. 大山康晴

タイトル通算80期、十五世名人、他に永世称号4つ。

木見金治郎九段門下。

本文では中原デビュー後すぐにトップ棋士の座を譲った風に書いているが、中原誠に勝てなかっただけで他の棋士には変わらず勝ちまくっていた。

中原デビュー後の10年間は大山中原時代と言っていいだろう。

4. 中原誠

タイトル通算64期、十六世名人、他に永世称号4つ。

高柳敏夫名誉九段門下。

5. 升田幸三

タイトル通算7期、実力制第四代名人

木見金治郎九段門下、大山兄弟子。

6. 米長邦雄

タイトル通算19期、永世棋聖、。

佐瀬勇次名誉九段門下。膝に扇子を突き立て肘を乗せるスタイル木村王位ら一部の佐瀬門下に受け継がれている。

7. 谷川浩司

タイトル通算27期、十七世名人資格保持者。

8. 加藤一二三

タイトル通算8期。

永世称号が無いのに、何故か実力制第六代名人とは呼ばれない。

9. 佐藤康光

タイトル通算13期、永世棋聖資格保持者。現将棋連盟会長

10. 森内俊之

タイトル通算12期、十八世名人資格保持者、永世名人(名人通算5期)を羽生より先にとった。

11. 陣屋事件

第1期王将戦(木村義雄名人対升田)は升田の4勝1敗で王将獲得となったが、第6局が木村名人の香落ちで行われることになっていた。

当時の王将戦はそういう難しい規則だった。

升田は対局場である陣屋旅館まで来るも結局対局を拒否し、大騒動に発展する。

真相不明。升田は自身の子供のころからの夢「名人香車を引いて勝つ」と名人侮辱するかのような香落ち対局の間で葛藤し、このような行為に至ったのではないかとか言われている。

棋士総会より一任された木村義雄裁定により、升田の処分はお咎め無しとなった。

ちなみに大山王将(名人)との第5期王将戦では升田は香落ち上手も指して勝った(http://www.ne.jp/asahi/yaston/shogi/osyo/osyosen/05/osyo05.htm)。

12. 加藤一二三名人

翌年21歳の谷川に奪取された(史上最年少名人)。谷川によると、「加藤先生には申し訳ないが、名人中原先生であって欲しかった」。

13. 米長名人

名人就位式で「来年あいつ(羽生)が獲りに来る」と予言し、翌年本当に羽生に奪取された。

14. 谷川王将

翌年羽生は六冠を保持したまま再び挑戦者に名乗りを上げ、さすがの谷川もついに土俵を割る。寝癖の七冠王誕生時にカメラを背負った。

15. 第21期竜王戦七番勝負

当時渡辺明竜王連続4期、羽生通算6期であった。羽生が卓越した大局観を見せつけた第1局、渡辺明が激戦を制した第4局、第7局が名高い。

でも渡辺明は他タイトルは挑戦もろくにできないまま永世竜王になったため、当時の将棋ファン評価微妙な感じだったように思う。

その他

ナンバーワンの系譜なんてホントのところは偶然の産物しかないと思うし、当たり前だが将棋神様はいないし選ばれた人間けが名人になれる訳じゃないと思うけど、現実にそういうことが起きると人間はなんか運命的なものを感じて面白がるよね、ってだけの話。

2016-10-16

http://anond.hatelabo.jp/20161013181442

同様の例としては皆無。それはそうで、負けても対局料が手に入るのにそれをみすみす捨てる馬鹿はいない。

ただ、寝坊スケジュール管理ミスといった過失による対局放棄はある。

近年の例で言うと、2010年郷田真隆九段(現・王将タイトル通算6期の超一流棋士9月に公開対局での二歩話題になった)が寝坊竜王戦の予選を不戦敗になった。

この際の郷田に対する処分は1.対局料の不払い、2.竜王戦参稼手当100万円の半額を返納、3.ファンへの奉仕活動1日 だった。

類似の例としては、日本将棋連盟の分裂寸前にまで至った「陣屋事件」というのがある。

1952年2月に行われたタイトル戦の王将戦第6局で、挑戦者升田幸三八段が会場となった神奈川県弦巻温泉旅館陣屋」に到着したが、「玄関ベルを押したが誰も出てこなかった」ことに腹を立てた、と言って対局を拒否、第6局が不開催になったということがある(ただし当時陣屋玄関ベルはついておらず、これは枡田の虚言。これをきっかけに陣屋は、玄関に呼び出しのための陣太鼓を置くようになって、陣屋名物となっている。また升田は陣屋に向かわず秦野温泉の別の旅館に籠って対局を促しに来た関係者にも会っているので、過失ではなく明確な故意による対局拒否)。

事の真相は明らかになってないが、将棋界の間ではまず間違いなく以下の理由だったと言われている。

王将戦は当時から現在に至るまで七番勝負で四勝先取したほうが勝ちというシステムだが、この当時はどちらかが四勝以上してもさら継続する、というシステムだった。そして決着がついた後の対局は、シリーズに勝ったほうが負けた方に対して自分の駒(香車)を落とすハンデをつけて指すことになっていた。このシリーズは第5局までに升田が木村義雄名人に4勝1敗で勝利を決めており、この第6局は升田が木村に対して香車を落とすことになっていた。

名人というタイトルの重みは現在でも特別だが、この当時はそれにも増して大きいものだった。単に将棋界最強というだけではない、ある種の宗教的権威があるものと言っていい。その名人が、対戦相手香車を落としてもらうなどということは、名人品格を著しく傷つけるもので、いかルールはいえ誰も見たくない(この感覚は、羽生善治がコンピュータ将棋に角を落としてもらって対局する、という場面を想像してもらえばいいかと思う。対局に関係ない第三者でさえ屈辱を感じるというようなものだ)。もちろん王将戦が始まる前、この事態は当然予想されていて、香車を落とすことに強く反対していたのが升田、一方で「名人が第7局を迎える前にシリーズに負けることはない」と言ったのが当の木村義雄名人で、木村の一声で沙汰止みになってしまった(昔から今に至るまで、将棋界というのは将棋の強い側の声が通るのだ。そして当の本人がこのようにその報いを受けてしまう)。升田は「将棋を守る」ために、バレバレの嘘をついて対局を拒否したのだろう、と思われている。

真意はさておき、タイトル戦を故意にすっぽかしたことには変わりないからこれは一大事で、当初将棋連盟は升田を一年間の出場停止処分にしようとした。これは現代の目から見ても重さとしては妥当だと思う。ただ、日本将棋連盟関東関西将棋指しの団体が合一してできたという経緯があり、東西対立まではいかずとも派閥意識というのは当時強かった。関西棋士である升田への処分に対しては関西棋士たちが反発し、すわ東西分裂か?という事態になった。最終的には木村名人の一存に委ねられ、升田は一切お咎めなし、という結末になった。

今回の一件で「平成陣屋事件」という感想が一部のファンから出てきたのはこういう歴史があったから。

2016-07-08

将棋歴史を見ると

木村義雄時代(1937〜1952)

大山康晴時代(1953〜1972)

中原誠時代(1973〜1992)

羽生善治時代(1993〜2012)

という感じでだいたい20年で区切っていけるわけですね。

そして2013年に何が起きたかというと、あの第二回電王戦なんですよ。

というわけで、

コンピュータ将棋時代2013〜)

です。

さて、2033年には何があるのでしょうか?

 
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