はてなキーワード: 自助努力とは
保守主義が「家族」の価値を重視するとか、国家主義が人口を維持したがるのは分かるんだけど、リベラルが子育て支援を訴えている理由が分からない。
子供を生むかどうかが個人の自由なのだとすれば、社会はいっさい手助けするべきではない。
人がふつうの趣味や遊び方をするとき、社会はその自由を保障するけど、手助けをしてあげないことと同じだ。なぜ子育てだけは特別扱いなのか?
例えば「東京に保育園を増やすべき」というのも、意味が分からない。
東京でマイカーを所有したければ、相当な高収入が必要になるわけだが、それが負担できない人はマイカーをあきらめる。もしくは、マイカーを持ちやすい地方に引っ越すのが妥当だ。
女が子供をほしがるときもそれと同じで、自分か夫が多額の金を支払ってベビーシッターを雇うか、保育園の充実した地方にひっこせばいい。
もちろん、「マイカーを所有することより子育てする方がすばらしい。社会がそれを支援するのは当然だ」という意見もあるだろうが、それは保守主義や国家主義の考え方である。
リベラルによると、物事のすばらしさを決めるのは伝統・国益ではなく、人それぞれに異なる個人の価値観だ。そこには多様性があるのだから、政府が一律に優遇・冷遇してはならないはずである。
もし「子育て支援」に何らかの正当性があるとすれば、子供の人権ということになるけれども、それも根拠としては弱い。
育児能力がない者が子供を産んだ場合、児童養護施設にあずけるのと同様に、経済力がない者もそうするべきだ。
子供が生まれてきてしまった以上、その人権は守られなければならないが、「家族がそろって暮らすのが幸せだ」という価値観は保守主義に過ぎる。わざわざ親の手元で育てなくても、児童養護施設を充実させて、子供はそこでしっかり育てればいい。
現状の「子育て支援」は子供を支援することではなく、文字通り、子育てする親を支援するという方式を取っている。それは家族の形成・維持を助ける政策なのである。
ここで極端な事例をだすと、「キモくて金のないおっさん」問題があるだろう。
リベラルはキモくて金のないおっさんに対し、妻子を持つために自助努力するか、諦念して孤独に生きることをすすめる。べつにそれはそれでよいのだが、その場合、子育て中の親を支援することにも根拠がなくなってしまうのではないか?
https://anond.hatelabo.jp/20171021145831
追記
当然ながら我々の現実世界には、純粋なリベラル思想の持ち主はごく少数で、いくらか保守主義や国家主義の要素を取り入れている。
その意味では矛盾はないし、中途半端なポジションになってしまうのはやむをえない。
私は運輸系の企業で働いている。
運輸系というと昨今のトラックの運転手や船員の高齢化、人手不足問題や
残業未払い、休みの少なさ、過剰な労働時間という話題には事欠かない業界だ。
そんなななかで私の勤めるこの会社は定時で帰れて有給やボーナスもしっかりでる俗に言うホワイト企業である。
だがしかし、当社のホワイト環境というものは下請け企業のブラック労働によって成し遂げられているのだ。
具体的に言うと当社は元請けという立場であり自分で運ぶことももちろんするが
そこからさらに下請け企業へ仕事を割り振り手数料を頂いて利益を得ている。
なぜかというと詳しくは言わないが下請け企業は我が社からの仕事がないと立ち行かないし
それを良いことに必要最低限の運転資金がなんとか残る具合で調整し残りを当社が搾り取っているわけだ。
こんなことが許されるのかと若手の社員からは異論があるが現在の良好な福利厚生や給与は全てこれで成り立っているのだから表立っては誰も言えない。
これから何かが起きそうな気もするがその時が起こるまで当社はこの搾取体質をやめはしないだろう。
よくブラック企業に自助努力やそれが出来ないなら潰すことを是とする意見があるが
このような下を犠牲にする企業が存在する限りブラック企業はなくなることはないと思う。
割れ窓理論とは、1982年にアメリカの心理学者、ジョージ・ケリングが考案した理論である。「建物の窓が壊れているのを放置すると、誰も注意を払っていないという象徴になり、やがて他の窓もまもなく全て壊される」との考え方からこの名がある。
日本における様々な社会問題は、いじめ問題や貧困による問題などを見ていく限り、小さな問題が大きな問題につながっているケースが多い。例えば貧困の問題は、福祉システムや税金システムの不備という小さな問題が平均所得の下落を引き起こし、最終的に絶対的貧困者の生活苦や体感的貧困率の増加に繋がっている。
例えば日本の三大疾病のひとつである癌は、初期の段階で放置しているとやがて少しずつ悪化し、最終的には生命の危険に至る。だから、どこの保健機関も「癌は早期発見し早期に治療せよ」というのがスローガンになっている。
では、割れ窓理論が実際にどのように活用されてきたのか?一番有名なものはニューヨーク市の治安改善である。1980年代に治安の危機を感じた当時のニューヨーク市は軽犯罪を徹底的に取り締まることを徹底した。最初は強い反発もあったが、次第に軽犯罪の取締りの強化に伴い中規模犯罪や大規模犯罪の発生件数が減少し、現在ではニューヨーク市はアメリカでもっとも治安のよい都市に位置付けられるようになった。ニューヨーク市の成功事例を受けて、日本でも7大都市圏を中心に軽犯罪減少キャンペーンが展開され、現在は犯罪件数は毎年のように過去最少を記録するようになっている。
ブラック企業や貧困がまかり通るようになったのは、富や労働力の再分配が不十分であることが原因である。富の再分配とは、税制の改造や富裕層の自助努力によって富の一部を貧困層や中流に分け与えることを指す。すなわち、消費税のシステムを日用品や公共インフラには非課税にし、贅沢品にはなるべく高い消費税(10%程度が望ましい)を課すように改善することや、脱税の取締りの強化を行わなければならない。もちろんこれは政治家や官僚のモラルが善良であることを前提としている。
ブラック企業に関しては、人事が体力・メンタル的に仕事面で合わない人間を採用しないようにする、労働力を最適化する、長時間労働を抑制する賃金システムにするといった複雑な改善が必要になってくるだろう。それ以前にゆとり世代やさとり世代といったメンタルやモラルに欠陥のある人間に対する啓発や再教育なども必要となるが…
現在ホットな話題になっているのがまさにこれだろう。人種差別や歴史修正主義や反知性主義の台頭を野放しにしてきた結果が現在の安倍政権であり、欧米における右傾化がある。これに対しては人種差別や歴史修正主義や反知性主義に対して知識層が批判・非難し続けることで鎮圧させることが重要だ。
2017年9月8日に東京京橋のtwitter本社前におけるデモが話題になったが、まさにこれも割れ窓理論に基づく運動である。SNSにおけるヘイトスピーチに対する粛清行為は、ニューヨークの場合における軽犯罪の取り締まりに相当する。これを政治の場面でも活用すべきではないかと思う。
現在の日本人には鉄道=迷惑施設というイメージが定着しており、そのためか鉄道趣味も1990年代や2000年代に比べてかなり下火になっている。鉄道利用者のモラルの低下も叫ばれているが、この大元の問題はインフラの老朽化などにあるのではないか。
地震対策や鉄道の故障やトラブルによる定時率低下が叫ばれるようになってから、人身事故(鉄道自殺)や痴漢犯罪が社会問題化されるようになった。解りやすくいえば、安全対策や防災対策が不十分の、老朽化した鉄道車両や鉄道施設が野放しにされることにより、鉄道会社が注意を払っていないと認識した悪徳利用者が鉄道自殺や痴漢行為を引き起こしている。
この問題については、完全な結果を出すことは難しいのかもしれない。何せ日本は世界的に見ても珍しい、鉄道会社が都市企業化かつ多様化している国だ。しかし、大幅な改善は可能であろう。きちんとホームドアを設置する、監視カメラを設置する、鉄道インフラを更新する…こういった地道な努力をすればよい。
氷河期世代やゆとり世代やさとり世代の台頭以降、日本人の低能ぶりが露見する自体が多発している。学力の低下、政治意識の低下、娯楽中毒…挙げていけばきりがない。
彼らに対する対策は学力、政治意識、適度に娯楽と向き合うことの大切さや大変さを学校等で学ばせることにある。日本人は学習能力の高い人種であるといわれているので、人種性に合わせた教育を行えばよい。もちろん、違う人種に対してはその人種に合った教育法で教えさせるべきだ。
日本人の国民性の問題に対する反応を見ている限り、自分達の問題という意識は全く無いと、言ってるだけだったら、国民全員が不良になってしまえばいい。もちろんこれをリアルでいえば大騒ぎになるだろう。
ここからが本題なのだが、要は、例えばアメリカは市民啓発もそうだし、街中に駐車場や地下鉄の広告スペースとかにも「割れ窓をなくしましょう」って全く関係無い広告にそんなことまで書いてあったりとか、あと些細な迷惑行為をなくしたりとか、駐車違反を排除ということをもう既にしてるわけではないか。
本当に大人としての責任という意識であれば、もっと本気でやらないとダメだろう。
例えば、1970年代にアメリカで学力低下が問題になったと。その時に国民は教育システムを変えるべきだと言い張ったわけではないか。それに大統領までもが心を動かされたと。そういう状況なのに、日本は自分のところの社会問題について話をする時に「個人の問題でわれわれは無関係です」と言うだけで、そんなのはもう勝ち負けはっきりしてしまったのではないかって話なのよ。
だから、本当に国民の精神の荒れはダメだと思うんだったらそれなりの攻め方があるだろうと。最近、「道徳自警団」と言われるような人たちがいる。ネットでストレス発散する暇があって、私に国民の道徳の問題のことを言うんだったら街中にでも行ってすぐやってくれよ、アクションを起こしてくれよと思うよ、そこまでのことを言うんだったら。
本当は今非寛容政策なんてしたって何も旨みは無いんだから自助努力での自然解決というのが一番いいと思う。
でも、そこまで社会について熱い思いがあるんだったら、パトロールでもしてきれいにしてくれと思う。ということを言いたかった。
若者の安易な自殺などの所謂モラルハザードなんて考えてないだろう。だって、もっとひどいことを言えば、練習船の乗組員が訓練に疲れたというので、スマホで連絡を取った後に突然自殺した。
こんなもの、新聞は記事を通じて戒めを込めて怒るべきなんだよ。(死者に失礼だが)若者に。
というのは、もっと前に民間企業の過労死問題において「公務員が過労死ラインを超える労働で平気でいられる」という風に報道したら、過労を生き延びた人(若者を含めて)たちが怒って、若者と論争できると。この時、中高年はちゃんと言えてるんだよ。言えて論争してるんだよ。今度、このような自殺が起きたときには、これは怒るべきなのにどの知識人も遠慮がちで言わない。
そうだね。勇気を持って安易な自殺を非難すべき。じゃないと「前向きな検討」ありきという、まさにこれは日本人の右傾化の問題も一緒、安易な自殺の問題や国民の民度低下も一緒なんだよ。結局やることをやってないんだよ。
「男らしさなんてくだらない!解放されようよ!」とかリベラルやフェミの方々は仰るけれど、
現状の社会においてまず「生活のために労働する」ために、「男らしさ」ってものすごい重要じゃん。
労働の場で「男らしさ」を発揮できない男は、落ちぶれて詰んでいく。
無論「男らしさ」が配慮されないような職場環境もあるのだろうが、
そこに入れる門戸は非常に狭いし、入るための条件は厳しい。
「いやそうは言っても男らしさを捨てたら食っていけないじゃないですか?どうすりゃいいんですか?」というシンプルな苦悶を垂らしても
「知るかボケ!自助努力と自己責任で何とかしろ!」…としか返ってこないのでどうしようもない。
だから「男らしさなんてくだらない!解放されようよ!」なんて言われても、
「現状は男らしさを求められるかも知らんが、将来的に男らしさが求められることはなくなる」とか言うのかもしれんが
それは一体いつ?いつ来るの?ねえねえ?
何年何月何時何分何十秒?
それを待ってる内に苦しみ喘ぐことの保障は誰がしてくれるの?
結局「自助努力と自己責任で何とかする」の結果末「男らしさを捨てない」という選択しかないじゃんか。
それをすてるなんてとんでもないって感じだ。
人間全てが人間らしく暮らせる、救われるべきであるという近代社会の前提がフィクションだからだ。
この前提は共産主義陣営と対峙した自由主義陣営が作り出した、苦肉の策でしかない。
そもそもが、現代日本の生活保護やワープアの生活が、中世の人間から見れば中流以上の生活だ。
衣食住が極端な例外を除き一応保証され、医療機関は誰でも受診出来る、テレビやネットなどの娯楽があり、外を歩いても殴られたり罵声を浴びせられる事はほぼ無い。
中世の最底辺は生存すら危うかった。現代でも中東やアフリカでその片鱗を見る事が出来る。
中世の最底辺を現代に連れてきて生活保護を与えれば、涙を流して喜ぶだろう。
少し前までは、日本の生活保護を受けるためにブローカーに金を払って手配してもらう貧困層が存在していた。(今も少し居る)
今はアジア各国が成長しているので、出稼ぎも生活保護目当ても随分減った。
日本の生活保護水準が極端に落ちた訳でも無いのに、各国が豊かになった事でそうなったのだ。
人の知恵と努力は確実に進歩してきた。昔は有った大規模な飢饉も現代ではほぼ駆逐された。
着るものや住む所も、戦争さえ無ければほぼ確保されるようになった。
しかし、最低ラインと平均が上昇しても格差が解消される事はない。
人には能力や出自や出身地に差が有る。その差を埋める事は現実的に不可能。
共産主義的に子供は国の子とやれば出来るかもしれないが、それでも能力の差は埋めがたい。
人間は社会的な生き物なので、他人との比較の中でしか生きられない。
メシが食えない人と食える人が居れば、食える側は優越感を持ち食えない側は劣等感を感じる。
衣食住が満ちても娯楽や持ち物一つで優劣を感じる。それが人間です。
どれだけ生活が改善されても、自分の社会的立場を気にする生き物、それが人間です。
ここで格差の根拠としてよく挙げられる相対的貧困率について見てみよう。
ある国や地域の大多数よりも貧しい相対的貧困者の全人口に占める比率。→絶対的貧困率 →貧困率
[補説]OECD(経済協力開発機構)では、等価可処分所得(世帯の可処分所得を世帯人数の平方根で割って算出)が全人口の中央値の半分未満の世帯員を相対的貧困者としている。相対的貧困率は、単純な購買力よりも国内の所得格差に注目する指標であるため、日本など比較的豊かな先進国でも高い割合が示される。平成24年(2012)の日本の貧困線は122万円、相対的貧困率は16.1パーセント(平成25年国民生活基礎調査より)。
一定以上(最低レベルと言っても良い)の知性が有ればわかるだろうが、この定義だと永遠に貧困は無くならない。
平均が上がれば中央値も上がる。中央値が上がれば貧困線も上がる。
どうやっても解決出来ないのだ。多少の緩和は出来るが、解消しようとすれば収入にキャップかけて超えた分は全部取り上げないと無理。
そして、貧困線122万円を12ヶ月で割ると10万少々だが、この収入を得て満足な人居ますか?
少なくとも現在の雇用状況だと、週5日働ける健常者なら簡単に稼ぎ出せる金額のはずです。(750円×8時間×22日で13.2万、チョイ残業で15万超え)
貧困線にかかるのは国民年金もらってる老人と、何らかの事情でフルタイム働けない人だけです。
そして制度上、貧困線にかかってる人は生活保護の受給資格があります。(門前払いや申請自体しない無知な人は居ますが)
政治に出来る事は限られている。
衣食住を保証した上で、有効求人倍率を1以上に保ち、意欲とある程度の能力が有る者に無償で教育するくらいしかない。
それでも浮き上がれない者は、残念ながら救いようが無いのだ。政治には全体を持ち上げる力は有っても、個人を持ち上げる力は無い。
そしてキモくて金の無いオバサン、オッサンにとってはとても残念なお知らせだが、日本では上記が達成されつつ有る。
貧困線に引っかかれば生活保護が貰える、職安では職業訓練のメニューが豊富に有り、無償で受けられる学問やカルチャースクールにも事欠かない。
キモオバ、キモオジの最後の砦である「社会が悪い、政治が悪い、世の中が悪い」は、実は的外れ。単純にあなたに能力が無く、現代社会であなたに価値が無いのだ。
冒頭で、人間全てが人間らしく暮らせる、救われるべきであるという近代社会の前提はフィクションと述べた。
しかし努力してきた先人により、そのフィクションが現実になりつつ有る。
するとまぁ、皆さんは様々な言い訳を考える訳です。努力できるのも才能とかね。
昔は賢くても家の事情で進学を諦めざるを得ない人が「かわいそうな人」だった。
今では努力出来ない人が「かわいそうな人」扱いですよ。要するに、努力出来るレベルの人は救い終わったのです。
キモくて金の無いオバサン、オジサンは、人類の進歩が生み出した徒花なのでしょうかね。
昔は道端で野垂れ死にしてた存在が、多少は注目されるようになったのですから。
恐らくキモくて金の無いオバサン、オジサンは、ご自身で問題を解決する能力は皆無でしょう。
今しばらく人類の進歩を待って、他人が解決してくれるのを待つくらいしか方法は無いと思います。
幸いな事に、日本人なら生存はほぼ保証されています。生き延びるだけなら余程の不運か寿命でもなければ大丈夫でしょう。
https://anond.hatelabo.jp/20170729142613
追記
キモくて金の無い人を象徴するブコメがついたのでご紹介したい。
この人は週に何度も透析を受ける患者と、キモくて金の無い人を同一視してるんだなと。
もう少し踏み込めば、キモくて金の無い自分を、透析を受けて命をつないでいる患者と同じくらい社会が面倒見ろと言ってるわけですよ。
キモくて金のない人を救うのは福祉の問題とおっしゃっていますが、本気でバカじゃないのかなと思います。
福祉というのは、親が居ない子供とか、育児と仕事を一人で両立しないと暮らせない母子or父子家庭や、様々な疾患や障害を持つ方々や働けない老人の命を繋ぐモノですよ。
同胞の命は出来るだけ守るというのは、近代以前から続いてきた人間の不文律です。それとキモい上に無能で社会の役に建てず金も持ってない人に対する施策を同一視するなんて、頭がイっちゃってるとしか思えません。
その考え方がキモいんですよね。生まれつきキモいのではなく、それなりに長い人生で培ってきた考え方がキモいのです。
まぁそれでも、賢くて優しい多数の人によって、職業訓練中の給付だの、無料の学ぶ場だのが着々と整備されてるわけですよ。
それらを活かす事もせず、自助努力するほどの頭も無い人をですね、一般人程度にまで引き上げるのは無理ですわ。
西成ドヤに住んでるオッサンオバサンをまっとうな社会人にするくらいの無理ゲーですわ。
他人が自分を助けて当然みたいな思考、一般人は3歳で卒業するんですよ。
中身3歳児のまま40になってしかもキモくて金が無くて役に立たない人を誰が助けようと思いますかね?
どうやったら自分が大切にされるべき存在だと思えるのか、頭の中を覗いてみたいです。
まぁそれでも世の中の賢くて優しい人は、君みたいなキモくて金の無い人も助けようと頑張ってるよ。
自分ではどうにか出来ないだろうから、他人がなんとかしてくれるまで生存する事に注力しとけ。
自尊心のみチョモランマのように高く、能力が一切追いついていないご様子が伺えて、持論を後押しして頂いている気持ちです。
キモいのは運動して引き締めれば女性でも5割以上、男性は9割以上解決します
ダイエットはアンダーカロリーを保って運動すれば誰でも痩せますので、能力や出自は一切関係ありません。やるかやらないかのみです。
でもキモくて金の無い人はやらんのですよ。キモくて金の無い自分に対する愛はチョモランマでも、目の前の簡単な砂山すら登ろうとはしない。
ブコメやトラバで暴れるヒマが有るなら、スクワット100回くらいしとけ。休みながらなら誰でも出来るだろ。でもキモくて金の無い人はやらんのだろうけどね。
フェス限ヒロインガチャ(通常の2倍の石10個で回せる期間限定ガチャ)について、公式生放送で山本大介プロデューサーが全キャラ
究極進化するとおよそ3ヶ月にわたって繰り返し宣言してガチャを煽ったにもかかわらず、実際に究極進化したのは一部キャラのみで
更に山本大介プロデューサーが「あれは言い間違いでした許して」とユーザーの怒りに火を付け優良誤認の返金騒動へと発展。
https://twitter.com/DaikeYamamoto/status/835385151957827584
3月になり一転して全キャラを通常進化から究極進化に変更(ただし性能据え置き)、進化に使った分のアイテム等の返還で幕引きを
図った案件だったが、ようやくお役所の方で仕事が終わって時間差コラボが発動した。
通常進化はレベルキャップまで経験値を重ねなければ進化できないが究極進化はレベル1からでも可能なので消費者庁では優良誤認と
判断したのかもしれない。しかし、通常進化の場合は更に将来に究極進化でのパワーアップを残しているとも考えられ、性能据え置き
のままで通常→究極となったのはユーザーにとっても重ねて不幸な結果となった。
また、この程度で(一部)ユーザーが大きくアクションを起こすのはパズドラ運営・山本大介Pが長期間の運営の間にユーザーからの
不満を溜め込んでおり何かあれば簡単に着火炎上してしまうためである。ゲーム運営の長期化にあたっては社員個人のスタンドプレー
が業績に影響しないような仕組みにじよ目のつけどころがおシャまんべ。((時事ネタ解説追記:ユーザーとツイッター担当との距離感の例として、にじよめちゃん、シャープ公式の片方、まんべくんを挙げた。))
実施回数 | 日程 |
第1弾 | 2016.11/7(月)メンテ後~11/20(日)23:59 |
第2弾 | 2017.2/13(月)0:00〜2/26(日)23:59 |
第3弾 | 2017.5/22(月)0:00~6/4(日)23:59 |
生放送「ヒロインガチャキャラ全部究極進化」発言(消費者庁PDFより)該当の生放送過去分は再生禁止済
2016.11/30 | 山本大介プロデューサー生放送発言 |
2016.12/25 | 山本大介プロデューサー生放送発言 |
2017.2/20 | 山本大介プロデューサー生放送発言 |
同日 | 生放送スライド(※注記あり) |
(小さい※で通常進化含むとの表記があるが、スライドにはヒロインガチャキャラ以外も表示されており、この※一つでこれまで
全部究極進化と明言されてきたヒロインガチャキャラが通常進化になるのも許されるというのはガンホーに都合が良すぎる)
テレビ報道でも問題のアレとして映し出されるフリップが出た2/20の生放送。パズドラ5周年記念の生放送は2/19(日)開始だったが
55体究極進化の発表はその翌日。遅くなったのは、AppStoreでの返金申請期限が90日以内であり第1弾ガチャから90日経過させる
消費者庁案件ということで、すわガチャ確率か、と思ってワクワクしたみんな、ヒロインガチャとか訳わからん話ですまねえな。
ガンホーはオンゲ業界団体JOGAの主要企業ながら、ガイドラインの隙をついて全部当たりだから確率表示はしませんという屁理屈で
いまだに確率は不明のまま。また進出先の中国では確率表示義務の法律ができるとわかるとすぐさま撤退した。ガチャイベントでの
超絶↑3UPなども具体的にどういう確率かはユーザーが確認できない。JOGAのガイドラインも「オンラインゲーム安心宣言」も有名
無実化している。
おりしも、パチンコの方では釘調整の禁止や出玉の下方修正など規制が強まっている。業界内での自浄作用・自助努力が働かなけ
れば埼玉県警がお願いに行くかもしれないし、巻頭カラーに使う出版社への抗議の声が高まるかもしれない。((時事ネタ解説追記:性犯罪事件を受けてクジラックスに埼玉県警がお願いという法的根拠のない圧力をかけた件、ジャンプゆらぎ荘のお色気巻頭カラーにクレームがあがった件。時事ネタを入れると書いた本人も思い出せなくなるので脚注追記している。脚注記法がうまく使えない。))
覚醒セレスの初回発表時に、進化に同じガチャキャラを消費するとしたことがユーザーの反発を招き、撤回された。同じキャラを
重ねる事の何が問題なのか宝具5たくさん揃えているマスターには理解しがたいだろう。このときまでは進化にはダンジョンドロップ
の進化合成用モンスターを使用しており、無料で最後まであそべちまうんだ、を地でいっていた。そこへ同キャラ複数引くだけでなく
消費してしまう進化形態の登場は、同じパーティーに同じ英霊を複数入れられるパズドラではユーザーの拒否感が大きく、コンプ
ガチャに抵触するのではないかなど痛くもないビール腹((プレモルうまし))を探られることになった。同一重ねはコンプガチャには当たらない。
同じガチャキャラを複数引いたユーザーへのサービス、という言い訳が後に覚醒というシステムや売却モンポとなり潜在覚醒や
またコンプガチャはキャラ単体の進化素材という形ではなく、特定キャラの組み合わせでパーティーが効率的に回るようにして
ヘビーユーザーがテンプレパーティーを揃えるためにガチャを回すという形に洗練された。
期間限定クリスマスガチャにおいて新登場キャラのサンタジーニャが、通常ジーニャと同名スキルでありながら通常版15ターンの
ところ11ターンで発動可能として公式ページに掲載されていた。排出されたサンタジーニャのスキルは通常ジーニャと同じ性能で
あり気がついた一部ユーザーが優良誤認だから返金しろと騒いだ。
(※サンタジーニャ・通常ジーニャとも性能目当てで使ったりガチャ回したりするような環境ではなかった)
ガンホーは誤りを認め補償を発表したが、その内容が不公平感あふれるもので火に油を注いだ。
「クリスマスガチャでサンタジーニャが的中したユーザーに対して期間中に消費した石を全部返還」
当たらなかった奴は客じゃねえと全ユーザーに喧嘩を売ってしまい、その後補償内容を変更。
「期間中にクリスマスガチャを引いた全ユーザーにガチャ1回分の石返還」
全部返還の発言はガチャ期間中のことであり返還されるからとガチャに全ツッパしたユーザーのヘイトを買った。
Googleに対して返金請求をし返ってきたユーザーもいたようである。Appleは渋いらしい。
「数グループによる2重チェックを徹底するなど、製作物に対する社内の管理・ 検証体制…」
しかしその後もケアレスミスが繰り返され、運営とユーザーで二重のチェックの意味などと揶揄される。
スクエニのスマホゲー、FFクリスタルディフェンダーズ(FFCD)とのコラボで新キャラ曲芸士が登場するも、簡単なパズル要件で
49倍という当時としては破格の攻撃力でユーザーを驚かせ、さらにFFCDには曲芸士が居ないことで二重にビックリだよ。
バランスブレイカーいわゆる壊れキャラを期間限定のコラボキャラで実装したことに対するユーザーの反発が大きく、ガンホー公式
がバランスとか問題ないしちゃんと計算してる角度とかと表明することになった。
当時のユーザーはパズドラのゆるやかなインフレ状態を好ましく感じており、曲芸士以降の加速度的なインフレ傾向を考えると
確かにここがターニングポイントだった。
山本大介PもFFCD側の担当者スクエニのハタケイスケ氏((時事ネタ解説追記:又吉と同時受賞した芥川賞作家とは別人。))も、ユーザーは強いキャラを望むけれどもゲームバランスこそが重要だから
軽率に強キャラ出すわけにはいかない旨の発言をしていたのだが。
オワドラが言われ始めたのはこの頃、長い長い黄金の黄昏の始まりである。
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1603/01/news139.html
<コラ>ボキャラでした。後に修正。リーダースキルの名称で良かったよ。まどか衣装のチアリーダー((時事ネタ解説追記:アイマスのパリーグコラボで西武ライオンズではなくアメフトの三菱ライオンズのチア衣装になっていた件。コラボ相手に資料請求せず適当にググって仕上げるとアカンことになる事例。))じゃなくて助かったな石田。
ぶっ壊れとして騒動になった曲芸士は7倍×7倍で49倍リーダーだった。その直後から曲芸士の闇属性対策がされたダンジョンが
続々登場。曲芸士のバランスは問題ないとの公式発言を実証するために実装された同系統リーダースキルのティフォン・ガディウス
は曲芸士に及ばない性能のため今に至るまで陽の目を見ていない。パズドラにストーリーという名のポエムが導入され、その主人公
の2人だったが低性能不人気キャラのためにストーリー自体もぐだぐだのうやむやになってしまった。
究極進化の上を行く覚醒進化、転生進化の実装。ガチャキャラの売却で得られるモンスターポイントで買える強キャラ。Appleに
よるゲーム外コード禁止令による雑誌付録コードAndroid専用化。メダル商法。期間限定コラボキャラの当たりが環境トップ級。
ガチャ石2倍ガチャの広まり。ポケモンGoの影でひっそりと実装されたレーダーといつまで経っても消えないW。進化素材の進化素材
の進化素材集め。2人3人マルチ実装でネトゲでフレンドを引き止める辞めにくい構造。
現在の環境トップはヨグ=ソトースの18倍×18倍=324倍。神話もあらかた消費してクトゥルフに手を出す羽目になった。
なお最新実装の神は日本の造化三神。あんなん逸話も何もないのによくやるね。
曲芸士と現在のインフレは、パズドラ?昔やってたよ的な人へのランドマーク的な状況把握として載せた。また、ゲームの長期運営
においてインフレ傾向の管理と、ユーザー心理の掌握が重要であることの例として挙げた。かつては詫び石いっぱいくれるポカポカ
運営として名を馳せた王者パズドラが悪い文明に染まる特異点。廃ゲーマーを基準としたゲームの複雑化はSTG・格ゲー的ユーザー人口
の減少を招くが、だからと言ってハタ式コンボで540万出ましたとお手軽にしてもヘイトを稼ぐアンビバレンツ。
週末の書店。
プログラミングコーナーに行くと、いつもうんざりした気分になる。
何故ってこんなに入門書が溢れかえっているのに、何一つとして入門者向けの本が無いからだ。
日本の書籍小売の総本山、神保町は三省堂書店の棚の端から端まで見た所で、ビギナー向けの本などありはしない。
なぜなら、入門書を謳っている本のコードはほとんどが動かないコードだからだ。
入門書だと言うのに、ページを割くべきところに文章やイラストを割かない本が多すぎる。
例えばポインタ、コンストラクタ、インスタンス、カプセル化…それぞれの概念。
イラストの入門書だってそうだ。「入門」と書いてあるからといって、開いてみればデッサンや形のとり方を教える本などありはしない。
そう、日本の入門書とは「元々デキる人がリメディアルとして持っておく本」のことであり、「ビギナー向けのウェルカム本」ではないのである。
だからといって、誰もがpythonの専門家になる胎教を受けて産まれるわけではないし、誰もが10代で写真と見まごうスケッチを描けるわけではない。
では、その「デキる人」は誰に教わったのか?やはりデキる人たちや、海外の入門書を車座になって読んで学習したのである。
しかし、その「始祖・デキる人」がヒーローの時代とは、今とは複雑度合いも、求められるものも違う。
今は学生であっても、ある程度の高度な成果(ここでは、ネットで発表したものがネットニュースでバズった経験や、学会で評価された経験のこと)があって始めて企業の受験票でしかない。
なぜ入門者向けの本がないのか?
習うより慣れろ。仕事は見て盗め。教えられるのを待っているな。・・・
自分より出来ないやつに教えるのが大嫌いなのだ。(入門書の著者ですらそうなのだ!)
上にあるように、ある程度デキる人でないと、その手の会社には認められない。
だからといって、大学教育で手ほどきを受けられるわけではない。これもある程度デキる人向けなのだ。
では、書籍で自助努力を、となっても、文頭にあるように、入門書向けの本など無く。
では、デキる人はどこにいる?これもやはり雲の上の大学にしかいない・・・
今はネットがある?これも難しい。
知恵袋や、teratailであっても、初心者に与えられる答えは「ググレカス」のみ。
では、ネットにジャストな回答があるか?といえば・・・ない。基本的には公式リファレンスのコピーや、動かないコードしかない。
デキる人は、デキない人の気持がわからない。何がわからないのかわからない。
だからあいつらがわからないのは、あいつらが勉強不足だから、と考える。
わからないのは、あいつらの自己責任だ。だから初心者は嫌なんだ。となる。
適性を測っている、という見方もある。
しかし、適性というものは基本的にやらなければわからないもので、やる前の教育から放棄しているのは適性を測るというより、
日本人の初心者軽視、というか教育軽視は今に始まったことではない。
「失敗の本質」でもそれは指摘されている。ということは戦時から既に教育嫌いなのだ。
職場でもそう。教えられるのを待っているな、と言っておいて、いざ聞きに行けば「常識でわかるだろ」「ネットで調べて」「リファレンスマニュアル調べて」
学校でもそうだ。
授業の勉強も予習が前提。では授業ではより高度な話をするのか?しない。教師我流の演習である。
演習するだけならば、家や図書館で黒本や赤本を解いていたほうがマシじゃないか!
学校教育ですらこうだ。
1(同性でも可)日常的に腹を割って話せる友人がいない
の二点ということでしょうか。
どちらについても、ベースとなる「出会い総数」「外交的になれる元気」については、残業の少ない会社に見を置くことで強化できるかと思います。サルでも生きているっていい言葉ですね。サルの猿人関係はそれなりに厳しそうですが。
上記1については、過去を振り返り、「なぜか交流がなくなった仲の良い友人」を頭に描き、どうしたらその付き合いが継続できたのかを考えます。「日常的に交流できる」と「腹を割って話せる」の2条件が重なる出会いを自然発生で望むのは確率が低いので、自助努力で改善できる交流の仕方に注力して維持する、という話です。この先「腹を割って話せる」と感じられる出会いがあったら、関係の長期継続のためにこのコツを思い出してください。
上記2については、もしかすると「好みのタイプの女性が好きそうな人間タイプではない」という事態になってはいませんか。買い物大好きだけど断捨離女子が好き。ゲーマーだけど山ガールが好き。甘えん坊だけど自立した女性が好き。相手のマーケットにご自身がインできていない可能性をお考えください。ありのままの姿見せて何も恐れないのは自由ですが、現代日本では、まずは外的な属性から人となりを評価されることが多いです。我を貫いてそれを好きになってくれそうな人を探すのか(ブランディング)、相手に合わせて我を編集するか(マーケティング)、どちらも可能なので一度チェックをお願いします。
コンテンツだけでなく、全てにおいてそうだ。
自助努力を煽り、危機感、焦燥感をかき立て、何となく「このままだとダメだ」と思わせる情報が、既に飽和状態だ。
何者かになれたネットの向こう側の人と、自分との現実の差が、容赦なく突きつけられる世の中。
本来はそこまで肩肘を張らなくても生きていける世の中だったはずなのに、それにかじりつくさまは全力疾走の後のように息を切らし、もう窒息寸前だ。
企業の求人の理想も高くなり、「コミニュケーション能力があり、好奇心を持って仕事に当たり、自立し、かつアウトプットの質が高い人間」などと、自社に限らず通用する人材を求人票にのたまう。
また、結婚しなくても居心地の良い世になった。不倫、セフレ、一晩限りの関係、マッチングアプリ、風俗の評判。
性がより簡単に手に入ることで、異性も同じように簡単に消費されていく。
お笑い芸人の一発屋、Instagram、twitterなど、
コンテンツも早く消費されるようになった。
ネタバレ、コントの動画は競うようにアップされ、誰かが面白いと言ったものは瞬く間に共有される。
比較的大きな買い物は、ネットの評判を確認し、実店舗で見て買い物をする。
結果、売れ線のものだけが残り、買い物の理想がコモディティ化してきた。
吐いて捨てるほどの情報を、自分の思うとおりに選び取っていく内に、すべての理想が高くなった。
商品の製造、性の魅力、コンテンツも、今後は減点がなく、プラスアルファのものが必要だ。
自分が能動的に選び取ったネットの情報は、本来砂粒の如きものにも関わらず、いつまでも続く砂浜のように感じられる。
http://www.asahi.com/articles/ASK6864KJK68ONFB01H.html
http://www.jsvetsci.jp/pdf/20170608iken.pdf
http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg15527.html?t=156&a=1
15分48秒ぐらいから
まだその意見書てのを見てないんですけども、そもそも獣医学部の新設という半世紀ぶりの岩盤規制改革に挑戦しているわけでありますから、規制に守られてる側と規制改革しようとする側との間で見解が対立することは当然だと思います。
せめて見てから言ってあげて
なお続き
ただし、既存の、これは国会答弁で言っておりますが、既存の十六獣医師養成系大学等でも、OIE、国際獣疫事務局の動向を踏まえて、近年国際通用性の観点から、モデルコアカリキュラムの実施に取り組んでおり、私同様、日本の獣医学部を世界に誇れる獣医学部にしたいという思い、方向性は一緒ではないかと思っております
ただ、私が根拠として挙げたのは毎年英国の評価機関であります、クアクアレリ・シモンズ社が世界獣医学系大学ランキングトップ50を公表しておりまして、その2017年版を見ますと、我が国からは東京大学、ただ一校が34位に入っているのみという状況であります
一方でですね、アメリカは18校、イギリスは7校、G8以外の国からも、オーストラリア4校、オランダ、ベルギー、スペイン、ブラジル各二校がランクインしているわけでありまして、この点から見て、我が国の獣医学教育の評価は国際的に必ずしも高くないんじゃないじゃないかというのが、私の感じであります
また、国家戦略特区の委員の皆さん方からもですね、獣医学の治験、実験動物を用いた臨床研究などが期待される創薬分野において、日本が遅れをとっていること、それから再生医療分野の臨床研究の促進に必要な中大型動物の管理育成等のための人材が現在明らかに不足している一方、獣医学系人材の質量両面での充実を図ることの必要性などが指摘されております
これらを踏まえて、日本の獣医学部の質は、低下していると発言したものでありまして、今治市への獣医学部新設により、国際的にも通用する獣医師の養成が重点的に図られることを強く期待するとともに新規参入を契機に既存十六獣医学部等の質の向上がさらに加速することを期待しているところであります
獣医学会は、ランキングの背景に目を向けてくれって言ってるんだよ
しかしながら、大学ランキングの低迷の背景にある最大の要因として、教育・研究の根本的な基盤となる教員数、支援スタッフ数に、日本と他国との間で極めて大きな差があることを指摘しなければなりません。
日本の獣医学教育改善運動のなかで、教員数の増員は常に根源的な課題であり続けました。日本の大学の認証評価機関である(公財)大学基準協会は、平成9年以来、「獣医学教育組織の専任教員数は、学生入学定員数を30~120名とした場合、68~77名以上とする」という基準を提示しています(平成28年改訂)。
しかし、現実には、1校あたりの専任教員数は25名~60名程度であり、国内の獣医大学で単独でこの基準を達成しているところはありません。対して欧米諸国の獣医学部は小規模校でも100名以上、大規模校では300名を優に超える教員、さらにほぼ同数の支援スタッフが教育と研究に従事しています。
こうした欧米との格差を解消するために、前述のような共同教育課程の設置、あるいは各大学の自助努力や国の一時的財政支援によって教員や支援スタッフの増員が行われました。
しかし、その数はわずかに過ぎず、現状の取り組みでは限界があります。もう一歩進んだ大学の組織改革と、国や自治体、民間からの持続的な財政支援が不可欠です。
この1年ほど、ずっと悩み続けている。
気付けば三十路をとうに過ぎ、不惑に至るのも時間の問題だ。これまで全く女性というものに興味のなかった自分ですら、日々衰えていく肉体と精神を自覚し、周囲との"違い"を認識したとき、焦燥に駆られるのだから神は残酷だ。
婚活は下調べだけで諦めた。他人と競い、他人と比較されるストレスもさることながら結局は自助努力が全てであり、素養のある者は上手く渡り歩き、無いものはただただ搾取される構図に絶望しか抱けなかった。世の中に美味しい話なんてあるわけが無いのだ。
人はいう、底辺であることを受け入れてさっさと風俗にでも行けと。
確かにそれは鬱屈したコンプレックスと肥大化していく性欲の解消には手頃なのだろう。
口説かずに抱く女はうまいか?と疑問を抱いたことすら忘れて呑まれていくに違いない。
きっと肌は絹糸の如く繊細で、唇は朝露に濡れた白百合のように潤い、胸は桜を散らす春風のように暖かく柔らかいのだ。労せずに結果だけを得られるのだから世の中は上手くできている。
生殖を目的としない、ただの自慰行為に過ぎない。胸に抱いた妄想で為すのと本質的には何も変わらない。
そんな紛い物に一体何の意味があるのか。
だけどそれでも私は、本物が欲しいと思う。
一体何が本物なのかもわからないし、そもそも他人を遠ざけることでしか他人を見ることができない自分がどの口で、とも思う。
誰にも求められず誰かを求めることもできなかった自分に残された、きっとこれが最後の一線なのだ。これだけはただ、守りたいと願う。
程度の差はあると思うが、日本の8割が崩壊家庭って言われてるからな。お前が感じてる「不公平」に該当する人間は、お前の思ってるより多いと思うぜ。
幼少期の生育環境がその後の性格形成に大きく影響して、性格形成に失敗した人ほど幸福な人生を送ることが難しいことは知ってるわ。生きてきた人生、どうしようもなかった過去を恨んで、全責任を過去になすりつけたい気持ちはわからんでもない。
でもな、遅く見積もっても25歳越えたらその後の人生の責任は、全部自分で背負え。それ以降は不幸も幸福も、全部お前自身の責任。
性格形成に失敗して歪みきった信念を治す方法なんか、幾らでもあるわ。コストをかけた上で自助努力を惜しまない覚悟があるんならっていう前提条件つきだが。
そうでなくとも、幼い頃の悲惨な生育環境がバネになって何もかも手に入れた人だっている。
不公平をかざしていいのは大人になるまで。スタートの条件はみんなバラバラって意味では不公平かもしれんが、いつまでも恨み辛みにしがみついてたら、一生幸せになんてなれんわ。
あれは発破かけてるんや。
ってだけの話。
例えばフェミニストじゃない女性がなぜ積極的にマッチョを持ち上げるのかと言えば、自分を救ってくれるからなんだよね。
いわゆる甲斐性ってやつ。
大雑把に人間を分類すると
マッチョ男性、マッチョじゃない男性、フェミニスト女性、フェミニストじゃない女性
になるんだけど、フェミニスト女性は味方がフェミニスト女性しかいない。
男性にはそれなりのポストを与えるし、女性は結婚して生活の保障を与える。
ところがフェミニスト女性は持っていても溜め込んで一切他者に与えようとしない(これが新自由主義とフェミニストが親和性があるとしばしば言われる由縁。自力で這い上がって来いと再分配を否定する
それどころかマッチョ男性から普通の女性と一緒になって甲斐性なる物を貰おうとしてる(←正直これが一番まずいと思う。それどころかマッチョじゃない男性叩いとるやんけw
これ以上先に進むなら女性自身が与える側にならなければならない。
ほとんどゲーム理論の様相を呈してるけどまぁざっくり言うとこういうことだよね。
と値踏みしてる状況。
でも最近のフェミニスト女性は根本的にネオリベ的で自助努力を促すばっかりなのでついていけない。
このままついていけば最終的に切り捨てられて自殺するのが明らかだから。
集団自殺は誰もしたくないわな。
どうも男性と違って女性には無能な男性と恋愛関係に持っていくのは女性の動物的本能から難しいようだ。
男性は女性に比べてブサイク死ねといいながら金を払う動物的特徴がある。
なのでフェミニスト女性はせめて金を吐き出しまくるとか、非童貞を組織の長として引っ張っていく気概が必要だと思う(女性のリーダーになるだけじゃ駄目よ。フェミニストじゃない女性はマッチョ男性とフェミニスト女性を比較してマッチョ男性につくから
http://anond.hatelabo.jp/20170325134552
基本的に日本国内の「弱者」の話のようだけど、海外でも同じです。
援助機関は「困難な状況の中でけなげに働く(勉強する)途上国の子供たち」を押し出して支援を集めようとする。
ただ、実際その親にあってしまうと、まさに「視野が狭く向上心がなく他人の足を引っ張ることしか頭にない」人達であったりする。
支援をしろと際限なく要求する(自助努力はしない)、支援をしないなら悪評を広めるぞと脅す、自分で将来こうしていきたいというビジョンもないし努力もしない。
「日本は豊かな国だから働かなくても生活保護で暮らせるんだろう」と初めから働く気がない人もいる。
難民でも何でもないのに、書類を偽造し、嘘をついて難民のビザを得て日本で暮らす人もいる。
日本人との間に半ば強引に子供を作って配偶者ビザを得る人もいる(本国に別の配偶者がいることが後から判明することもある)。
そういう人ばかりではないけれど、こういうタイプは確実にいる。
こういう人たちが日本に来てもきっと同じことをするだろうと思うと移民受け入れはどうかと思う。
ただ、中には本当にけなげに頑張っている人もいる。懸命に努力をしている人もいる。社会の構造が構造で、努力してもその環境から抜け出せず、外に出たいと思う人たちもいる。のほほんと恵まれた環境で生まれ育って、まともに就職せず、居心地のいい親のところを離れられない日本の中の上層よりずっと見込みはあるだろうなと思う人もいる。だから移民政策は難しい。
「かわいそうな途上国の人たちと結婚してあげて救ってあげる」のは個人としてはあまりに荷が重いし、本当にそれで状況が良くなるとも限らない。
いや、「男らしさ」「女らしさ」なんてくだらない!解放されよう!
…と主張してる方々が、一体どの程度のレベルでくだらない!と叫んでるのかは私には分からんが。
一体どの程度のレベルで「男らしさ」「女らしさ」の脱却を望んでいるのだろうか?
①「男らしさ女らしさなんてくだらない!ある程度のしょうがない男らしさ女らしさってヤツは存在するから認識しておいた方がいいね!」
②「男らしさ女らしさはパーペキにダメ!なるたけ排除していくべき!」
のどっちなのか?或いはどっち寄りなのか?
①ならまあ個人的には得心が行く。
要するに「男らしさ女らしさにこだわるなんてくだらないが、かと言って男らしさ女らしさが重要な場面はある」
…というバランス感覚良くした方がいいって話。
だが②ならええっって思っちゃうし、ついていけない。
いやだって、どんな綺麗事言っても「社会の荒波」に対処するために「男らしさ」「女らしさ」が重要な局面てあるじゃん。
そんで「男らしさ」「女らしさ」を発揮できずに落ちこぼれしまっても、綺麗事言う人らが救済の手を差し伸べてくれるわけじゃないんだし。
男らしさを発揮できなくてキモくて金のないおっさんになっても、自己責任と自助努力で這い上がらなきゃいけないんだし。
まさか俺を保守主義者とかセクシストとかレッテル貼ったりしないよね?
あくまでリベラルな価値観の上で”ある程度”は男らしさ女らしさは重要って言いたいの。
人生の局面において「男らしさ」「女らしさ」がくだらない、と思ったときはかなぐり捨てればいい。
だがいつどんないかなる時でも「男らしさ」「女らしさ」は必要ない、なんて思ってたら必要な局面で落ちこぼれる。
そして、繰り返すが、落ちこぼれても、綺麗事言う人らが救済の手を差し伸べてくれるわけじゃない。
結局今求められる現代的しぐさってのは
『男らしさ女らしさにこだわるのなんてくだらない
だが男らしさ女らしさなんて全く必要ない、なんて考えてるとバカを見る』
…じゃないのか?