はてなキーワード: 自助努力とは
仕事というか「労働して金を得る」という行為に関して男らしさは非常に重要要素であるし、
「男らしさを捨てたらホームレスになるしかないんじゃね?」という不安が付き纏う。
「男らしさを捨てて解放されよう」なんて綺麗事としか思えない。
要するに「男らしさを捨てたらサバイブできなくなるじゃないですか。どうすればいいんですか?」という疑念を抱いてしまうのだが、
それに関して綺麗事言う人がどう返すかと言うと「知るかボケ!こちとらてめーをお世話する役目なんぞない!自己判断と自助努力でなんとかしろ!」
結局現世においてサバイブできないのだから、ほとんどの男は男らしさに固執せざるを得ない。
綺麗事言う人らが救済の手を差し伸べてくれるわけでもないから。
そりゃあなた方が男らしくない男を救う義務なんてありゃしないけど、
それならこっちはこっちで男らしさを捨てる義務も別段無いし。
マスコミ批判ってのは、批判者に「あるべきマスコミの姿」が当然あるわけだ。
マスコミのあるべき姿ってのはあるのかね。
マスコミの歴史的経緯や、その影響力に鑑みて、何かしらの使命が導かれるのだろうか。
研究者なら格別、マスゴミと日々マスコミを罵っている人々は、その点明確になっているのだろうか。
放送法4条にしても、その形式的な文言だけでなく、実質的な趣旨からの比較衡量を経た解釈を志向できているだろうか。
自分にとって都合の良いマスコミ像を前提としてはいないだろうか。
影響力が大きいのであるから、恣意的な運用は許されないというのは分かる。
それなら、マスコミの自助努力を促すだけでなく、自分たちでマスコミの評価機関NPOでも創設すればいい。
偉そうなやつを叩きたいだけだよなぁ……
リベラルとかポリコレの方々が綺麗事言ってもさぁ、「処世術」の範囲内として「男らしさ」「女らしさ」が重要な所はあるよなぁ?
実際、仕事や恋愛の場面で「男らしさ」を発揮できなかった男は、キモくて金のないおっさんとして落ちぶれてるじゃん。
そんで、綺麗事言う人らが、別段落ちぶれた人らに救済の手を差し伸べてくれるわけじゃあない。
いや別に、絶対に男は男らしく女は女らしくしろ!みたいに、ガッチリガチガチの保守主義者みたいなことを言う気はない。
セクシャルマイノリティな人らの存在を否定する気もない。
ただ「柔軟に考えた方がいい」と言いたいの。
「男らしさ女らしさにこだわるのはくだらない。だがその一方で、男らしさ女らしさは全く無価値と思ってたら馬鹿を見る」…と。
人生で「男らしさ女らしさ」がくだらないと思える場面が来たら捨てればいい。
だが、杓子定規にピュアーに行住坐臥いついかなる時でも「男らしさ女らしさなんてくだらねえ!」と思ってたら馬鹿を見るんじゃね、と。
そして、繰り返すけど、綺麗事を抜かす連中の言うことを信じた末に、自らが何らかの不利益を被ったとしても、別にそいつらが救済の手を差し伸べてくれるわけじゃない。
ここ最近、素人なりに思うことが一つあるんだけど、ネットにおける問題の多くは法律の改正で対応するのが一番じゃないのかね。
確かに、実際に法律の改正を行うのは難しいのでしょう。しかし、それが最も実効性がある手段だと思うんだよな。
なんというか、ジャスラックやDeNAの批判も大事だけど、そんな民間の自助努力に任せても仕方ないし、議員や官僚に働きかける方が良いよね。
まぁ、そんな活動をしている人はちゃんといるんだろうし、官僚もなんか考えてるんだろうけど。
素朴に思ったけど、俺何も社会についてわかってないなぁと切なくなった。、はてなの人はこれくらい常識な感じがするわ。
下手なこと言ったらあれでしょ、説教されんでしょ。
化粧が嫌いだった.
より正確に言えば大人の女性は化粧をするものだという社会通念が嫌いだった.
第一に,化粧をしていない人間の顔をそこまで醜いとは思えない.
そうであるのにまるで化粧をしていないことをとても悪いことのように扱う風潮が嫌いだった.
思うに人間の顔というのは誰も皆適度に崩れているもので,そこには面白さがあると感じる.
大前提として人間の顔はそれほど美しいものではないように思う.
美しいものを見たいと望むなら,人間の顔を見たり人間の顔を無理やりそう作り変えたりするよりも,他のものを見た方がよほど効率的だ.
人間の脳のつくりは面白くて,人間の顔を見る(相貌認識)ときはたとえば風景な無機物を見ているときとは異なる活性化の仕方をするのだ.
話がずれた.
雑誌モデルなどについてはどうだろう.
確かに彼らは美しいような顔をしている.
彼らは化粧をしているからこそ美しいのではなく,そもそもの顔のバランスの問題だと思われる.
彼らを見て彼らのようにありたい,彼らをまねしたいというのは変な風潮だ.
彼らは芸術品だ.
相貌認識をする対象ではなく鑑賞物,たとえば絵画や壺のような存在だ.
人間の顔はどれも面白いが,万人に好かれる最大公約数的な美貌というのはあり,それは突き詰めていけばごく平凡な顔立ちになるだという話を読んだことがある.
そういうひとが一般的に美人だと認識され,掘り出されて芸能人やモデルなどになっているわけだ.
おかげで誰もみな顔がよく似ている(おかげでわたしは芸能人の名前を覚えられない).
化粧とは己の顔の特徴(それはいろんなものがあるだろうが)を消し,平均的美貌へと近づける行為であり,彼らをまねしたい,彼らのようになりたいと考えることだ.
芸術品になりたいわけでもあるまいし.
猿真似のようにみな同じ顔立ちをしているさまははっきりいって気色が悪い.
第二に,そういった風潮を納得してしまうためには,自分自身の価値観や美意識を大衆側に捻じ曲げなければならない.
それは非常に体力のいる作業だし,強い虚無感を感じる.
マットな肌や整った形の眉や,バシバシのまつ毛やチークの入った頬.
そういったものを「自分にとっても魅力的で,価値のあるものだ」と思いこまなければならない.
その上で,どうすればそういう要素の自分の顔面に再現できるかを学習し,実践しなければならない.
それは考えるだけでも憂鬱なことだが,一般的にそういうものが「良し」とされている以上,化粧文化(あるいは女性社会)に自分も「一緒にあ~そぼ」と仲間に入れてほしいと望むのなら,そんな甘えたことは言ってはいられない.
生意気は死だ.
思考停止をして,スポンジのように「良し」とされているものを吸収していかなければならぬ.
そうしていると,次第に自分にもそういった価値観が芽生えていく.
それは努力の成果であるが,一方で,自分がかつて憎んでいた存在に自分自身が成り果てているさまにひどく落胆させられる.
それが大人になるということだとしても.
第三に,特にスキンケアについて,はっきり言って胡散臭いからだ.
薬事法を逸脱してはならないがために生まれたあやふやな表現の数々.
コラーゲン,ヒアルロン酸,プラセンタ,保湿,スキンケア,基礎化粧品! ああ基礎化粧品! 大抵の基礎化粧品には,「保湿成分がある」以外の価値はない.
当たり前だ.
人体に積極的な薬効成分が含まれていればそれは医薬品になってしまう.
なので保湿はメリットがある.
ただそれだけの話.
「睡眠はきっちり摂りましょう」みたいな話だ.
たとえばひどいアトピーであったり,乾燥肌であったり,ニキビだったり,化粧をするしない以前の何らかの肌環境の破綻が起こっている場合,自助努力の効果ははたかが知れているのだ(それでもてきめんに効く場合もあるんだろうが).
そうであるのにそういった人々を「中傷してもいい」という風潮が強くある.
「化粧をしていないものには死を.
肌が荒れている? 生ぬるい.
このインターネット女性社会コスメ部門では勝者ばかりが可視化され敗者は暗がりへと追いやられる.
「わたしはこうしたら効いたのであなたもするべきだ」というのも.
思うのだが,そういった人々は,そういった「商品」を試さずとも,ひょっとしたら改善していたのではないか? あるいは「商品です」と偽って砂糖水を毎日顔に塗るだけで,全ての問題が改善したのではないか? 圧倒的な対照群の欠如.
しかたのない話だ.
肌というのは人体で最も大きな臓器だし,現在のようなつるつるの肌色の形態をとるようになってからの歴史は存外短いのだから.
分かっていないことの方が多い.
結局,何が正しいか最適解を見つけるのは現代社会では困難なのだ.
なので個々人が試行錯誤をするしかないし,それすら無駄なことも多い.
「救われぬ」状態が少なからず存在する以上,社会が求めるボーダーはもっと低くあるべき,いやボーダーなんて設定するべきではないのだ.
なのにひとに不安に付け込んで,不安をあおって,高い買い物をさせる空気がまかり通っている.
それが基礎化粧品だ.
社会悪だ.
吐き気がする.
使用前と使用後の顔写真,明らかに照明の当たり方が違うじゃないか!
そんなわけであるからずっと化粧が嫌いだったが思うにそれは世間が嫌いなくせに世間体を意識してしまう自分自身の矮小さへの憤りだった.
そうと気付いてからは世間体ではなく自分自身が価値あるもの,好きだと思うものを意識して大切にするようにした.
重要なのは自分に適度に自信を持つことで,そうすれば無理に他人に合わせたり,あるいはしゃにむに他人を否定しなくても,自己の同一性を維持することができる.
それは心の平穏に繋がった.
他人を称賛することもできる.
そうすると化粧をすることも以前ほど嫌いではなくなった.
化粧をした自分の顔は好きだ.
周回遅れでスタートして,必死に追いかけるのは,とても疲れる行為だった.
熱意はたかが知れている.
そろそろ平衡点なのかもしれないと思う.
無理をしたって仕方がないのだ.
だいたいなにか目的があるわけでもない.
わたしはわたし自身の幸せのために,背伸びをして今どきの女性のふりをするのをそろそろ諦めるべきだろう.
ファッションなどもそうだ.
化粧が嫌いだった.より正確に言えば大人の女性は化粧をするものだという社会通念が嫌いだった.理由はいろいろある.第一に,化粧をしていない人間の顔をそこまで醜いとは思えない.そうであるのにまるで化粧をしていないことをとても悪いことのように扱う風潮が嫌いだった.思うに人間の顔というのは誰も皆適度に崩れているもので,そこには面白さがあると感じる.大前提として人間の顔はそれほど美しいものではないように思う.美しいものを見たいと望むなら,人間の顔を見たり人間の顔を無理やりそう作り変えたりするよりも,他のものを見た方がよほど効率的だ.人間の脳のつくりは面白くて,人間の顔を見る(相貌認識)ときはたとえば風景な無機物を見ているときとは異なる活性化の仕方をするのだ.顔というのは社会活動に必須なアイコンだからだ.だから人間の顔は美しくはないが面白い.話がずれた.雑誌モデルなどについてはどうだろう.確かに彼らは美しいような顔をしている.彼らは化粧をしているからこそ美しいのではなく,そもそもの顔のバランスの問題だと思われる.彼らを見て彼らのようにありたい,彼らをまねしたいというのは変な風潮だ.彼らは芸術品だ.相貌認識をする対象ではなく鑑賞物,たとえば絵画や壺のような存在だ.人間の顔はどれも面白いが,万人に好かれる最大公約数的な美貌というのはあり,それは突き詰めていけばごく平凡な顔立ちになるだという話を読んだことがある.そういうひとが一般的に美人だと認識され,掘り出されて芸能人やモデルなどになっているわけだ.おかげで誰もみな顔がよく似ている(おかげでわたしは芸能人の名前を覚えられない).化粧とは己の顔の特徴(それはいろんなものがあるだろうが)を消し,平均的美貌へと近づける行為であり,彼らをまねしたい,彼らのようになりたいと考えることだ.それは相貌認識の理屈に合わないので納得できない.芸術品になりたいわけでもあるまいし.猿真似のようにみな同じ顔立ちをしているさまははっきりいって気色が悪い.第二に,そういった風潮を納得してしまうためには,自分自身の価値観や美意識を大衆側に捻じ曲げなければならない.それが面倒くさくて,とびきり惨めな気分になるから嫌なのだ.それは非常に体力のいる作業だし,強い虚無感を感じる.マットな肌や整った形の眉や,バシバシのまつ毛やチークの入った頬.そういったものを「自分にとっても魅力的で,価値のあるものだ」と思いこまなければならない.その上で,どうすればそういう要素の自分の顔面に再現できるかを学習し,実践しなければならない.それは考えるだけでも憂鬱なことだが,一般的にそういうものが「良し」とされている以上,化粧文化(あるいは女性社会)に自分も「一緒にあ~そぼ」と仲間に入れてほしいと望むのなら,そんな甘えたことは言ってはいられない.生意気は死だ.思考停止をして,スポンジのように「良し」とされているものを吸収していかなければならぬ.そうしていると,次第に自分にもそういった価値観が芽生えていく.それは努力の成果であるが,一方で,自分がかつて憎んでいた存在に自分自身が成り果てているさまにひどく落胆させられる.それが大人になるということだとしても.第三に,特にスキンケアについて,はっきり言って胡散臭いからだ.蔓延る似非科学.薬事法を逸脱してはならないがために生まれたあやふやな表現の数々.コラーゲン,ヒアルロン酸,プラセンタ,保湿,スキンケア,基礎化粧品! ああ基礎化粧品! 大抵の基礎化粧品には,「保湿成分がある」以外の価値はない.当たり前だ.人体に積極的な薬効成分が含まれていればそれは医薬品になってしまう.乾燥していることは肌には負担だ.なので保湿はメリットがある.ただそれだけの話.「睡眠はきっちり摂りましょう」みたいな話だ.たとえばひどいアトピーであったり,乾燥肌であったり,ニキビだったり,化粧をするしない以前の何らかの肌環境の破綻が起こっている場合,自助努力の効果ははたかが知れているのだ(それでもてきめんに効く場合もあるんだろうが).そうであるのにそういった人々を「中傷してもいい」という風潮が強くある.「化粧をしていないものには死を.肌が荒れている? 生ぬるい.それはあなたの努力不足だ」.このインターネット女性社会コスメ部門では勝者ばかりが可視化され敗者は暗がりへと追いやられる.とんだ生存バイアスだ.「この商品が効きました」というレビューがある.「わたしはこうしたら効いたのであなたもするべきだ」というのも.思うのだが,そういった人々は,そういった「商品」を試さずとも,ひょっとしたら改善していたのではないか? あるいは「商品です」と偽って砂糖水を毎日顔に塗るだけで,全ての問題が改善したのではないか? 圧倒的な対照群の欠如.しかたのない話だ.肌というのは人体で最も大きな臓器だし,現在のようなつるつるの肌色の形態をとるようになってからの歴史は存外短いのだから.分かっていないことの方が多い.結局,何が正しいか最適解を見つけるのは現代社会では困難なのだ.なので個々人が試行錯誤をするしかないし,それすら無駄なことも多い.「救われぬ」状態が少なからず存在する以上,社会が求めるボーダーはもっと低くあるべき,いやボーダーなんて設定するべきではないのだ.なのにひとに不安に付け込んで,不安をあおって,高い買い物をさせる空気がまかり通っている.それが基礎化粧品だ.カルト宗教じみている.社会悪だ.吐き気がする.使用前と使用後の顔写真,明らかに照明の当たり方が違うじゃないか!
そんなわけであるからずっと化粧が嫌いだったが思うにそれは世間が嫌いなくせに世間体を意識してしまう自分自身の矮小さへの憤りだった.そうと気付いてからは世間体ではなく自分自身が価値あるもの,好きだと思うものを意識して大切にするようにした.重要なのは自分に適度に自信を持つことで,そうすれば無理に他人に合わせたり,あるいはしゃにむに他人を否定しなくても,自己の同一性を維持することができる.それは心の平穏に繋がった.他人を称賛することもできる.そうすると化粧をすることも以前ほど嫌いではなくなった.化粧をした自分の顔は好きだ.スポンジのように様々な知識を収集した.こうして自分のコンプレックスは一度終わりを告げたに見えた.
けれど問題は,技術が稚拙であるということだ.周回遅れでスタートして,必死に追いかけるのは,とても疲れる行為だった.熱意はたかが知れている.そろそろ平衡点なのかもしれないと思う.無理をしたって仕方がないのだ.だいたいなにか目的があるわけでもない.わたしはわたし自身の幸せのために,背伸びをして今どきの女性のふりをするのをそろそろ諦めるべきだろう.ファッションなどもそうだ.女性社会は以前ほど嫌いではなくなったが,化粧は技術が難しいし金がかかるし手も汚れるので,やはりめんどくさいなあと思う.一周回ってこういう結論にたどりついた人間がいてもよいのだ,と思うことにしている.
発達障碍みたいな男とヒステリーな女を結婚させて不幸な機能不全家族を量産
生まれたくなかったのに生まれてしまっただけなのに自己責任だとか自助努力とか理不尽なこと言われる
だいたい日本って名前の由来自体が中国にとっての客体というポジションだからこんな国は一生脇役モブキャラみたいなもん
HENTAI BUKKAKE KAROSHI KAMIKAZE HARAKIRI HIKIKOMORIしか代表的なものがない
アジア侵略するわハンセン病隔離政策もやるわ袴田冤罪事件やるわでこんな国の人間は悪魔に等しい
魚を乱獲したり捕鯨やったり象牙や違法伐採木材輸入したり犬猫殺処分多かったり動物実験規制緩いのも許せない
自分は反戦主義じゃないので早く第三次世界大戦を始めてもらいたい
つまりこの国に対しての情などない
国は、派遣切りされた30歳無職を本気で殺しにかかってきている件。
http://blog.gyakushu.net/entry/30death
二つを読んで思ったこと。
そりゃ、批判が集まるよね。
どうなりたかったか、ひとっつも書かずに、「企業勤めに展望が見えない」とかいう薄っぺらな理由で自由業になっておいて、「国は~」とかちゃんチャラおかしいわ。
悪くても、サラリーマンになれ。
おまえ、「漫画家」とか「小説家」とか「芸人」に国がやさしいとか思ってんのか?
昨今の「派遣」と呼ばれれば弱者で、国に文句言えるって風潮、なくならねぇかなぁ。
勘違いばっかり生んでる気がするよ。
恋愛離れ恋愛離れと嘆く割に、じゃあどうすりゃいいのさ、となると
『知るかボケ!自己責任と自助努力でなんとかしろ!』…こんなんで恋愛離れが改善するわけないと思うんだが
恋愛上手な人にとっては「恋愛なんて普通に生きてたら普通にできるだろ」とおっしゃるけど
それが大マチガイなんだと思うよ
だってさぁ、「何すりゃいいか」分からないんだよ、恋愛できない人間にとっては
レールが要るんだよ、レールが
そしてレールが無いならじゃあ恋愛はいいや、としかならんのだよ
そこらの書籍やネットで溢れてるアドバイスとかじゃなくてレールが!もっと公的で強固なレールが!!!!!!!
日本の雇用は極端に二分されている。正規雇用と非正規雇用だ。正規雇用は雇用の継続が保証されている。そして、社会保障費を企業が負担している。一方の非正規雇用は、雇用の継続が保証されていない。また、社会保障費は国が負担しているが、特に年金の分野においてその貧弱さが指摘されている。
そして、日本の労働者は雇用コストを下げようという動きに対して無力である。正規雇用者は長時間労働で雇用コストを下げられてしまう。残業代がつく場合でも、社会保障費は一定なので長時間労働することで雇用コストが下がるのだ。非正規雇用者はそもそもの雇用コストが低い。
そうやって正規雇用でも長時間労働をさせられた結果病んでしまったり、そもそも非正規雇用のまま時を経てしまったりして使い潰されてしまった人はどうなるのか?社会保障が充実し、安定した雇用が保証される正規雇用への道は閉ざされてしまうのである。
まず、正規雇用は高コスト人材だということが挙げられる。雇用者は正規雇用した人に支払う給料とほぼ同じだけの社会保障費を負担しなければならない。
また、正規雇用は高リスク人材だということも挙げられる。仕事が出来なくても、そう簡単には解雇できない。
なので、一度新卒正社員というルートからドロップアウトしてしまうと、「危険人材」として避けられてしまうのだ。
これは国の法制度上そうなっているので、経営者の努力だけでどうにかなる限界を超えている。むしろ、その法制度の中で経営者が努力した結果、正規雇用と非正規雇用の二分化が生まれてしまった。
では、どのようなルールがあれば正規雇用のハードルが下がるのか?
まず、雇用者にとっての低コスト、低リスクは、裏を返すと労働者にとっての高コスト、高リスクになる。社会保障費を企業が負担することなく、また雇用の安定が保証されないからだ。
しかし、正規雇用が雇用者にとって高コスト高リスクのまま現状維持されても、今の二分化社会は打破できない。
そして雇用者にとっての高コスト低リスクは最も避けるべきである。高いコストを支払ってでも得たい人材は労働者の中のほんの一握りであり、それであってもすぐに解雇できてしまうのであれば今以上の労働者サバイバルゲームが待っているだろう。
考えるべきことは、労働者にとっては生活の安定が第一であり、最も求めるものは雇用の安定であるということだ。
なので、正規雇用のコストを下げ、雇用の保障は現状のままが労働者の最適解だと思われる。
企業が負担する正規雇用のコストとして大きいには、社会保障費の負担だ。ここを改革しなければ正規雇用のコストを下げることは出来ない。
では、誰が社会保障費を負担するべきだろうか?国か、企業か、労働者か?
まず、労働者を見ていこう。
労働者が社会保障費を負担する理由として、自分の面倒は自分で見るべきであるという自助努力が挙げられる。だが、これを実施してしまうと、アメリカのように医療が崩壊してしまう。これは労働者としては辛いとしか言いようがない。
では、企業はどうだろうか?
今までは、労働者の社会保障費を負担することは企業の福利厚生の一部であると見なされ、企業が社会保障費を負担してきた。だが、そのことは企業の収益には何の利ももたらさない。むしろ足かせである。失われた20年までの社会は成長社会だったから、その足かせが大きな負担にならずに済んでいただけだ。
そうすると、国しかないのか?
だが、国の財源も有限である。現状の社会保障費だけでも辛いのに、企業が負担してきた分まではとても背負えない。しかし、労働者の社会保障費はこれから生きていき納税する若い世代を支えるものなのだということは付け加えておきたい。
例えば、企業が社会保障費を一旦負担するとして、その負担に応じて減税をするという形で、国と企業の間で社会保障費を分担するなどの仕組みはできないだろうか?
あるいは、個人の社会保障費の掛け率に応じて減税という手段で、国と個人の間で社会保障費を分担するなどの方法は取れないのか?
日本の労働市場の二分化を嘆くだけではなく、こうした議論を起こすことによってなんとか良い道を見つけていきたい。
国は政治家と企業人だけのものではない。我々国民のものなのだ。ひとりひとりが考え、声を上げることは決して無駄ではないのだから。
っていう人たちって、なんで素直に官民総出で見合い婚とか出会いのサポート体制が必要って発想にならないんだろう。
あ、俺がここで攻撃しているのは、はてブとかにいるフェミ姉御じゃなくて、60代以降を中心とする老害世代ね。
奴らってどういうわけか非モテは自己責任っていうところから全くブレないの。
別に学がなくたって、非モテの増加→未婚率の増加→少子化の助長が一線でつながっているってわかるでしょ。
とにかく何でもいいから未婚率下げて少子化を食い止めようって発想があんまり出てこない。
どうして老人世代まで「そこまで面倒みなければならないのか」って考えてるのがわからない。
今の高齢夫婦なんて半数近くが見合い婚でしょ。それって大多数が非モテ男女ってことでしょ。
でも、当時の見合いって完全に地域や親族なんかの自助努力で完遂してるから、
見合い婚の当事者たちも「国が携わることじゃない」って思ってるのかもね。
でも、今は地域社会も血縁社会も瀕死状態だから、国や営利企業の協力が不可欠なんだよなあ。
「出会い→恋愛→結婚は市場原理の実力主義で達成すべきだ。低スペは死ね。
でも、結婚したら市場原理は緩和して国がサポート(保育園とか)してね(ハート)」
っておかしいでしょ。最初から最後までサポートすればいいじゃん。
なんで富裕層にだけ年金支給しよう、みたいな謎の逆福祉的発想になるんだろう。
もう対策諦めて人口縮小社会に適応していこうって意見が出るならわかるよ。自分もそれが良いとおもう。
長引く消費低迷とか見ていると、もう普通の人たちすら
少子化=経済縮小を前提として生きていこうとしているんじゃないかしら。
単純に言って、みんなが結婚していた時代って非モテが自己責任じゃなかったんだよ。
本人が嫌がっても無理やり結婚させられた。だから、老人たちには非モテが理解できない。
でも、今は非モテが自己責任になった時代だし、結婚を無理強いできないんだから、
もう少子化対策なんてできないってことだよ。
http://toyokeizai.net/articles/-/134801
件の貧困JKが年をとるとこうなるかもしれないという事例の一つのようにも思えますね。
さて、この37歳嘱託司書さんですが、年収204万円、月の手取り133,442円だそうです。
一見低収入にも見えますが、嘱託の司書は月14日勤務で実働6時間だそうです。
という事は休憩1時間として拘束時間は1ヶ月98時間です。ちなみに8時間勤務休憩1時間22日勤務で拘束時間は198時間。
すなわち、他人の半分しか働かずに貧困だと言ってる状態ですね。
1ヶ月は8時間睡眠としても480時間有るのですが、2割働いて8割サボリって、それ働いてるって言いますかね?
1ヶ月100時間の残業をしながら、手取りはたった25万円。これ、残業代を誤魔化されているか、自分の残業時間も数えられないかのどちらかじゃないですかね?
そして体を壊して実家に帰り、図書館の嘱託職員になったそうですね。
実家から図書館に勤めていた頃は、手取り12万円の貧乏だった。
貧乏ながら好きな本を買う、買い物する、友達と遊ぶ、休日に問題意識のある障害者分野のボランティアに行く、ということはできた。
ここでもアホである。問題意識のある障害者分野のボランティア(笑)
たかが自分の給料もまともに取れない人間がボランティア。それでも百歩譲ってずっと続けるなら良い。
しかし、余裕が無くなれば止める程度のお遊び気分でそんな所に踏み込んで、気がついたら自分の時間とお金は無くなっているではシャレにならない。
泳げもしない人間が、溺れている者を助けられる訳が無い。
学生運動で「今日戦わない者が明日戦うと言っても信じない」とか言ってたバカと同類である。弱者の間は運動に加わらず力を蓄えた者の方が圧倒的に正しい。
そして、手取り12万で遊び歩いてた間、実家に金入れたんですかね?実家暮らし中って普通10万ぐらい入れますよね?
そしてこんな事も言う
「結婚すれば、生活が変わるみたいなことはよく言われていますが、非正規で低収入な自分にまったく自信がないし、誰かが見初めてくれるとはとても思えない。
まず「見初めてくれる」という感覚がオカシイ。お前が行けよ。塔に閉じ込められてるお姫様じゃねーんだぞ、お前は37歳の世間的には「オバサン」だ。
この人、決定的に稼ぐ能力や時間軸を把握して積み上げていく能力が欠けている。
ならば、真面目だけが取り柄のブサメン、キモメン、グロメンでも我慢して、又は年上と結婚して、2人で年収200万×2をやれば良い。
30後半~40以上である程度金持ってて未婚の人間は、間違いなく人間的に問題が有るので、貧乏人狙い以外はダメだろうからね。
30後半で栄養状態も悪そうだから、もう出産は望み薄だろう。運良く?子宝に恵まれたとしても、世帯年収400万有れば1人なら育てられる。
結婚はある程度ギャンブルにはなるが、一人では詰んでいる状態なので贅沢は言えない。
ここまで詰まれた自分が悪いのだから、そのへんは何とかするしかない。
そしてこんな事も言ってる。
東京から札幌まで、エア・ドゥなら便を選べば往復2万もかからないが、それも出せないらしい。
が、忘れてはいけない。この人は1ヶ月98時間しか拘束されていないのだ。居酒屋バイト3時間×10日も入れれば毎月余裕で帰れます。
この人は月に98時間だけ真面目に働けば、すべて上手くいって楽に生活できるようになるべきとでも考えているのだろうか?
金が多少なりとも有る間はボランティアで浪費して、無くなればボランティアをやめてボーっとしてるだけ。
このオバサンがこの先生きていく為には、真面目で体が丈夫な男を捕まえて共働きするしか無い。
たかがこの程度の計算も出来ない馬鹿に、またもはてサの皆さんは金を入れろとおっしゃる。
その金、あなた方が出してくれるんですかね?
自分で稼ぐ余地アリアリな健常者、自覚が無いかもしれないが一般人から見ればサボリとしか言いようが無い人まで、税金入れて助けろと?
頭が悪いクセに、手も動かさず気も使わずただ嘆いている者に、我々の血税を使えと?
僕はお断りですね。司書切られたら居酒屋バイトして、それも務まらなくなったら皿洗いやトイレ掃除でもすれば良い。
または、実家帰ってどこかに勤めれば良い。今は人手不足だから、職業選ばなきゃ月手取り10数万くらいは取れるだろ。
アンタの居るそこ、そこがお前のデッドエンドだ。
文句言わずに余生を過ごせ。まぁ文句言う資格は元々無いけどな。
あ、タイトルでわかるかと思いますが、「貧乏人は金の使い方がおかしい」の増田です。
何かブコメで見当違いの事書いてる人が居たので一応ね。
http://anond.hatelabo.jp/20160820004448
嘱託は副業禁止ってドヤ顔で書いてる人、アホじゃないですかね。
市の嘱託なら、地域をまたげば良いだけだろ。公務員で金が欲しいからバイトしてる人間なんて腐るほど居るわ。
決まりです~~ってお前は中学生のクラス委員か。決まりで死ねって書いてたら死ぬのかよw
死ぬは言い過ぎにしても、じゃあ契約時に契約書に書いてある通りの仕事と報酬と期間で文句を言う筋合いは無いって話になるぞ。
そもそもが、嘱託図書館司書37歳のオバサンは1ヶ月98時間しか働いてないんだろ。
人の半分しか働かないクセに貧困ですと言うバカに「怠け者」以外のどんな呼び名が有るんですかね?
ちなみに100時間残業で心が病んだという指摘は的外れだ。実家に帰って仕事とは別にボランティアして遊ぶほど元気だったのだからな。
貧乏人から抜け出したいなら、せめて1ヶ月22日8時間労働はやれよ。一般的な収入取って生活している労働者は、ほぼ全員がそうしている。
はてサのバカは出来もしない事を簡単に書いたり口に出したりするから、いつまでも実現しないんだよ。
お前らみたいな金のブラックホールに、いくらつぎ込んでも無駄なの。予算確定させたければ、一生人間牧場にでも放り込むしか無い。
自助努力しないバカ全員に文化的な生活させるなんて、世界中の金集めたって無理だよ。
文化的生活の水準は常に上がり続ける。最終的には個人でクルーザーやジェット持てないのは差別だと言い出すのが人間だ。
まぁバカには「人に言う前に自分でやれ」と言っておく。ちなみに俺は増田に書いてる以上の事やってから言ってるからな。
図書館司書が専門的な大事な仕事だと言う人たちへ。図書館司書の仕事がそんなに大事なら、利用者が入場料金払えばすぐに貧困から脱出ですよ。
1年で20万人来たとして1回500円払えば1億、給料に上乗せする形で出してやれば、嘱託を年収500万にするのは容易い。
はてサの胡散臭い所は、とても重要な仕事だから守れと言うだけで、自分が金を払おうとは絶対にしない事ですね。
そして文化人(笑)や文化を大事にしろと言って受益する側の人間は、大して税金も払わねえんだよな。それなのに非正規から取り上げた税金で文化施設を維持しろと叫ぶ。
要は、身体的なハンディについて、本人が努力してどうにかする(それこそメガネのような補助具から、義手義足、車いすなど)という考え方がある一方で、「バリアフリー」って考え方もあるじゃないですか。社会の方がバリアとなっている関門を積極的に下げることで、ハンディがハンディではなくなるという考え方。階段の横にはエレベーターを設置しましょう、とか。つまり社会全体でハンディの一部を背負うという考え方がある。
では、精神的なハンディについては、どうなんだろうなと。本人の自助努力(カウンセリング、投薬治療なども含め)が全てなんでしょうか。知的なハンディについては、社会福祉の一貫で社会が負担を一部肩代わりすることもされるけれども、精神的に多大な問題を引き起こしそうなハンディ…境界性人格障害だとかサイコパスとか、そこまでいかなくてもADHD、アスペルガー症候群、そういったハンディに対して社会はどれだけ負担をしているのか、するべきなのかとちょっと思ったということです。そのせいで問題が起きたとして、それは100%本人に責任を帰すべきなのでしょうか?
前者の場合、社会が「一部を負担する」という関わり方ができるのに、後者の場合は、責任能力の「有無」みたいな、0か1かという極端な判断のされ方をする。でも、ハンディってそういうものじゃないということがだいぶ分かってきた現代において、精神的なハンディに対する法の在り方は時代に即しているんだろうか、と思ったわけです。
女性陣に誤解されている節がありまくる。
酔わせてセックスに持ち込めば勝ち、なんてやり方は
およそ普通の男の女性の口説き方とはかけ離れているにも関わらず、
ほぼ確実にそうしたことが書かれているという残念な現状。
だって、そういう恋愛本は普通じゃない出会いを前提にしているから、
普通の男が普通に出会い、普通に付き合って普通に結婚するような話は、
商業ベースに乗りにくい退屈な話なので、人目に触れる機会がない。
そもそも、普通の恋愛は偶然性に支配されるところが多いから、再現性がない。
自助努力を貫徹すると、残念ながらナンパ的な方向に向かわざるを得ない。
こうして非モテ男達は何か大きな誤解をし続けてまま、
貧困問題は底辺の金持ちへの嫉妬。清貧に甘んじて生きろ。これで解決。
労働問題は厚遇される高スキルを持ち得なかった低スキルの無能が悪い。高スキルの人間と同じ待遇を望むのは誤り。嫉妬するな。ポリスでも無能は奴隷として奴隷の才能を持って生まれてきたのだ。これで解決。
孤独死問題は孤独死するような交流を持てない人間が悪い。遺族は賃貸なら家主に金払えよ。ほったらかしたお前らが悪いんだから。
介護問題は被介護者を動物の様に扱うことで解決。被介護者虐待には何も問題はない。畜生以下の認識のものをそれ以上に扱うことは不当。パーソン論に則って処分してもよいくらいだ。
年金問題は年金を当てにして金を貯めなかった馬鹿が悪い。金持ちに嫉妬するな。国に文句を言うな。
学歴社会問題は能力のない奴が吠えてるだけ。能力がないのが悪い。嫉妬するな。
人権問題はマイノリティが黙れば解決する。健常者に嫉妬するな。
社会が責任を取る必要はない。堕落した弱者は嫉妬して吠えることしかできない。切り捨てて何も問題はない。
全体意思がそれを望んでいる。
若年層の投票率低下はその証だ。
某年某月某日居酒屋某々
A「はい、それでは第一回『「悪い人じゃないんだけど…」の後に続く言葉を考える会』の開催を宣言します。」
B「このしょうもない会をナンバリングして今後の開催を予定する、その心意気は認めるよ。」
C「すでに帰りたい。」
A「『だけど』が示すように、「悪い人じゃないんだけど」とは反対の意味を表す言葉が続くのは間違いありませんね。」
B「総合評価で観れば悪い人ではないけど、個別評価では悪い点があるというニュアンスだと思う。『スポーツは得意だけど、サッカーは苦手』みたいなイメージ。」
C「悪い人じゃないんだけど、九九がおぼつかない。」
B「もっと口に出しにくい言葉かも。たとえば『悪い人じゃないんだけど、少し空気の読めないところがあってチームワークを乱しているところがあるけど、本人は一生懸命だし、悪意は全くないから、直して欲しくても、本人に言いづらい』とか。」
C「点々にこめられた意味が闇過ぎる。」
A「Bさんの意見は良い線いってそうだけど、ちょっと長いしネガティブすぎて、この研究結果を学会で発表しても、誰も幸せにしないと思う。」
B「そこは否定しないよ。でもどうするの?」
A「ポジティブに言い換えましょう。欠点があるということは、そこを改善すれば、もっと素敵な人になれる、つまり伸びしろがあるということ。こちらから言い辛いということは、本人の自助努力に任せたいということ。Bさんの説をポジティブに言い換えれば、『悪い人じゃないんだけど、コミュニケーションに伸びしろがあるから、今後の更なる飛躍に期待したい』になります。」
B・C「ポジティブ!」
A「結論が出たところで、閉会とさせていただきたいんだけど…。」
B「だけど…?」
A「今月お小遣いピンチなので、今日は、二人のおごりってことで!」
B・C「悪い人そのものだ…。」