いや、「男らしさ」「女らしさ」なんてくだらない!解放されよう!
…と主張してる方々が、一体どの程度のレベルでくだらない!と叫んでるのかは私には分からんが。
一体どの程度のレベルで「男らしさ」「女らしさ」の脱却を望んでいるのだろうか?
①「男らしさ女らしさなんてくだらない!ある程度のしょうがない男らしさ女らしさってヤツは存在するから認識しておいた方がいいね!」
②「男らしさ女らしさはパーペキにダメ!なるたけ排除していくべき!」
のどっちなのか?或いはどっち寄りなのか?
①ならまあ個人的には得心が行く。
要するに「男らしさ女らしさにこだわるなんてくだらないが、かと言って男らしさ女らしさが重要な場面はある」
…というバランス感覚良くした方がいいって話。
だが②ならええっって思っちゃうし、ついていけない。
いやだって、どんな綺麗事言っても「社会の荒波」に対処するために「男らしさ」「女らしさ」が重要な局面てあるじゃん。
そんで「男らしさ」「女らしさ」を発揮できずに落ちこぼれしまっても、綺麗事言う人らが救済の手を差し伸べてくれるわけじゃないんだし。
男らしさを発揮できなくてキモくて金のないおっさんになっても、自己責任と自助努力で這い上がらなきゃいけないんだし。
まさか俺を保守主義者とかセクシストとかレッテル貼ったりしないよね?
あくまでリベラルな価値観の上で”ある程度”は男らしさ女らしさは重要って言いたいの。
人生の局面において「男らしさ」「女らしさ」がくだらない、と思ったときはかなぐり捨てればいい。
だがいつどんないかなる時でも「男らしさ」「女らしさ」は必要ない、なんて思ってたら必要な局面で落ちこぼれる。
そして、繰り返すが、落ちこぼれても、綺麗事言う人らが救済の手を差し伸べてくれるわけじゃない。
結局今求められる現代的しぐさってのは
『男らしさ女らしさにこだわるのなんてくだらない
だが男らしさ女らしさなんて全く必要ない、なんて考えてるとバカを見る』
…じゃないのか?