はてなキーワード: 気概とは
政界、特に自民党は言わずもがな、民間企業の役員も総じて責任を取らない。
日本語に責任なんて言葉が存在しているのが不思議になるほどだ。
戦時中も責任ある立場の人間が失敗しまくって誰も責任取らずに逃げ回ってたんだっけ。
日本人のこの異常なまでに責任取らない気質はDNAレベルで存在している。
権限を人を持たせたら多くの選択肢と可能性が生まれる。つまり、より優秀な人にこそ、この権限を与える必要がある。
でもさあ、責任取る気概のない人間がどうやって質の高い仕事ができるって言うんだい?
その結果、安倍政権を例にあげると、政策も失敗に失敗を重ねて、やることっていったら増税くらいだ。まあバカを民主主義で選んでるんだから日本人の「責任」でもあるけど。
この場合、否が応でも国民は責任を取らされてるんだよね、皮肉にも。
この社会的持続可能性の消し飛んだ日本で海外逃亡できなきゃ、この国で生きていくしか選択肢がないんだ。
でもさあ、度重なる増税と保証の削減、年金も期待できないから既に2000万貯めろだの宣言されているわけで、今の50代で貯金ない人達さあ(さらに若い人ももちろん含めて)、あんたら死ぬまで働くことを覚悟したほうがいいよ、でもしょうがないよね、民主主義で利権と保身にしか興味のない愛国心ゼロの自民党を選び続けているんだから。
責任を痛感してるって100回以上発言してたけど、一度も取ったことないよな。あそこまでバカだと責任って言葉すら知らないんじゃないかと疑ってるけど。
今更少子化対策しようとしてるけど、移民をいくら入れたって、出生率が改善したって、回復可能性の臨界点はとっくに過ぎてしまいどうあがいても改善は不可能。そんなになるまで利権、利権へと税金をばらまいてたわけだ、自民党は。
もし責任を取れるんだったら取ってほしいよ。
リクスゼロで政治家やってるから、やりたい放題。責任取らないで政治家やってたら国も崩壊するわ、民間企業だって日産や東芝みたいに潰れそうになるわ。
というか、そもそも俺が質問したのはシマウマ先生の教育スタイルについてではない。
生徒が自分の意図を理解していないと嘆く割に、あっちも生徒を理解できていないじゃないか。
「先生、代数学の意義についても結構ですが、それで丸印をつけてくれるテストを俺はやっていません」
俺は彼のコンテクストを真似つつ、改めて本題に対する答えを要求した。
「計算式だけ書いてテストで100点取れるならば、解答用紙なんて資源の無駄でしょう。先生を環境主義者だと思ったことはありませんが、少なくとも浪費家ではない。そう思いたいです」
この意趣返しは予想以上に効いたようで、シマウマ先生は得意の言い回しを介さず答えた。
「あの時のマスダには覇気があった。明らかに答えられる自信に満ちて、教師を出し抜こうという強かさも垣間見えた。私の授業はやる気がない生徒に釘を刺し、学ぼうとする姿勢と考える力を研ぎ澄まさせる。その必要がない生徒に、わざわざ労力を課さない」
彼の挙げた理由は実際のところ誤解で、俺にはそんな気概も意図もなかったのだが、重要なのは“彼にはそう見えた”という点だ。
行動の模倣に意識が向きすぎて、俺はあの時あったような無気力さ、倦怠感まで再現できていなかった。
それが周りにも何となく伝わっていたんだ。
「あと……」
とどのつまり、後付けでそれっぽいことを言ってはきたが、実際は大した理由がないってことらしい。
尋ねた際の過敏な反応にも納得がいく。
回りくどさを好む彼からすれば、大した理由もない選択に答えを求められるのは煩わしかったのだろう。
しかし、そんな単純な理由にこそ、根源的な手がかりは隠されている。
「昨日、昨日か……なるほど!」
この検証で見落としていた要素も、気づいてみれば単純だ。
俺は昨日の出来事を再現することにばかり固執していたが、一昨日のことを、ひいては過去の出来事を過小評価していた。
こうなってくると、より徹底して遡る必要がでてくる。
俺は少し高揚した。
考えなければいけないことは増えたが、分からないままじゃなかったからだ。
美魔女を目指す必要はないけど、ある程度手をかけておかないと、ここまで差が出るのかと。。
例えば
ゆるっとしたおばさん服を着ない
アラフォー以上はまず艶。
パサパサなロングなら潔く切ればいいのに
顔の手入れ
20代の頃に教わって、毎日習慣になっていた、フェイスマッサージの成果を今実感してる
若い頃から、そして今もだけど、美容にお金をかけるほど、リッチではない。
ネイルサロンも高い美容液、高級ブランドの服やバッグなどとはずっと無縁。
肌や髪などの素材を大事に手入れ。
ドラッグストア勤務時代、出会った美容部員さんの多くがそう話してたのを実感。
その一瞬を豪華にいるか、そこそこを長くキープするか?は、個人の自由だけど。
お子さんを産んで、子育てが大変で、自分に構ってられないお母さんはもちろん仕方ない。
ただ、同窓会で会ったのが、独身メンバーだったから、おばさん化にはがっかりした。
自分のことだけ考えてればいいのに、その自分を放棄して、どうする。
当時あんなに鏡見まくってたのに、今は見てないの?
なんかただ悲しかったわ。
同じく結婚はもう諦めてるけど、自分までは放棄したくないかな。
まだ40にもなってないんだよ。
とりあえず、お金をかけなくてもできる
https://twitter.com/neko_alex_nk/status/1301991601460277248?s=21
ネコは基本的に好きだしその辺で見かけるとちょっと声をかけたりしてしまうくらいなんだが、一方で安楽に暮らして全肯定されている姿を見るとかなり強い怒りが腹の中をかけめぐることがある。
時間になったら自動給餌器の前に行って、ゴロゴロしながらエサが出てくるのを待つ。出てきたら食う。食ったらまた寝る。そんなことをやってるのを見て飼い主は「かわいい」「かしこい」「えらい」。
俺だってそのくらいできらあ!
なんだったらもっと遥かに高度なことができるぞ。時計を見て時間の概念を理解できるから時間ピッタリに給餌器の前に行ける。一切こぼさずに食える。食い終わった後皿を洗うこともできる。なんなら機械なんて用意してくれなくても、食材さえあれば勝手になんか作って食うことすら可能だ。
どうして俺はペットじゃないんだ?
ネコとかイヌとかトカゲとかなんでもいいけど、やつらはとにかくずるいよ。何もやってないのにまったく責められず、むしろ責任感すら覚えられながら世話をされる。俺だって人間の勝手な都合でこの世に生み出されたかわいそうな動物なのに、当の生産者は「いい大人なんだから自分で稼げ」の一点張りで、責任を最後まで果たそうって気概がまったくない。小学生じゃねえんだから、マトモに世話できない動物を飼い始めるなよな。
つか、金持ちがペット飼ってるのムカつくなあ〜。イヌとかネコのほうが貧困国の子供より大事です!って宣言だよなアレ。たけえ金出して動物を家の中で飼育することのほうが、その金を途上国に寄付して貧しい子供を救うより良いです!っていうことだよな。
まあそりゃそうだし、俺も金持ちならそうするだろうと思うんだが、ならせめてそういう顔をして欲しいよな。動物にも優しいんです〜じゃなくてさあ!貧民はどうでもいい、俺の余剰な金は愛玩動物を手元に置くのに使う、貧乏人の醜いガキは死ね!ワハハ!って姿勢を貫いてくれよ。
ペットって最悪だよ〜
整体とか言った方が正確なんだけど、この世で1番エロいと思う。
なんでこんなに好きなんだろなあ
状況を理解してないって言うのが特に好きなのかもしれない。無知モノとか白痴モノとかロリモノもそういう点で好きだから。
主婦もJKもギャルも口調は色々だけど絶対に言う「これもマッサージですか」、良い。マッサージなわけないだろ。
あと男優がサービス業の従事者として女の人をちゃんと気持ちよくさせようとしている姿勢が好き。
気持ちよくさせよう!っていう気概と見栄えからローション大目に使うのも良い。
「子供の貧困」じゃなくて親が貧困なんだよな よって貧困な親がいなくなれば貧困家庭で苦しむ子供はいなくなる ハイ論破
今の世の中、どう考えても貧乏人が子供作りつつ楽しく生きられる状況ではない
斜陽の衰退国家で先進国らしい暮らしをしながら子育てなんて無理無理 諦めて夫婦なり独りなりで生きればよろしい 絶対その方が楽しいぜ
顔も概してキモいし、見てて本当にイヤ disgusting! 産むな・作るな・増えるな
小学校のクラスメイト、貧乏人なのに5人兄弟(あるいは5人兄弟だから貧乏人?)で、全員ネズミみたいな馬鹿面してて本当に不快だった マジの下等生物って感じで、見てると人間の矜恃が揺らぐ
貧乏人が、苦労するってことは容易に想像できるだろうに子供を作り、その上ネットで愚痴を書かないでくれませんか?
なんのために脳味噌つけてんだ?未来予想みたいな機能はないんですかね ちょっとは考えよう!キミの収入と労働形態で子供を元気よく育てられるかな??育てられないよねえ!
ガキ系の議論(騒音、ベビーカー、育休…)みんな余裕なくてイヤ
裕福な人間だけが悠々と子育てしてる世の中だったら議論もクソもないから多分もっと快適に生きられる
金持ちだけで年間1万人くらいだけ子供作ってエリート校で蠱毒やって全員死ね そういう気概で行かないか?
でももう遅くね?崖から落ちることは確定してるならせっかくだから爽快さをとるべき、ガツンとやって人口100万人減の景色を見ようよ
でも生殖したらお前も苦しいしお前のガキも将来の奴隷階層なんだぜ 革命しかない 産むな
貧乏人が・ガキを・作るな
これだけで全ては解決さ
将来苦しむ次世代が全員金持ちの鼻持ちならないガキだったらすげー痛快じゃね?
ここでバカの貧乏人が生殖欲求に負けてガキをポコポコ産むと、苦しむ次世代の中でも持つもの持たざるものが出てくるわけ
金持ちに任せよう!子供の親は全員エリート!そういう社会がいいんだよお
俺は見たいんだよそういう景色が
今で言う最高峰の私立みたいな家庭の経済力平均値が、そのまんまあまねくガキの家庭経済力の平均になるわけ
でさあ!塾行きまくってクソ勉強しまくった天上人みたいなガキでもマトモな大学行けなくなんの!なぜなら、全員エリートだから!
下から崩そうぜえ
足蹴にできる下々がいるからやつらは上位でいられるんです 我々にできることは、やつらの下にいることをやめることだ 上に行こうってんじゃないぞ Cease to exist! 消え去るのが弱者の美学よん
頼みましたよ
話題のファンの熱量のやつで、また行けない地方在住者と金のない学生は黙っとけって意見がぶちあがってるじゃん
こういう意見は賛同者多いけど普通に頭悪いというか短慮というか視野が狭くない?
上京して都内に住めばいいじゃん。学生でもバイトして金稼げばいいじゃん。みたいなアホアホ意見が正論だと思ってるのもめんどい
いや私もバイト代貯めて上京して聖地から歩いて行ける距離に住んでるけど
今貴方がハマってるジャンルが都内じゃなくて沖縄でしかイベントをやらなくなったらちゃんと沖縄に住んで全通するの?いやしないでしょ。
でも地方在住者の中には都内はこれくらい距離ある人普通にいるよ。
推しを推すための生活の基盤のベストな状態なんて人それぞれだということに気づこ
あとにわががどうのこうのと言うけど全てのオタクが全てのイベントに全力でお金使うのはすぐ息切れするでしょ。猿でもわかる。
ガチ勢以外にも少量のお金しか使わないファンもいた方が長生きするよ。
あと地方云々についてはファンの声をエゴサした公式が全部決めることだからただの要望にわざわざキレる必要ないし。
それと金のない学生は喋んな。みたいな意見も見るけど、今金のない学生は10年後には金を持つ社会人になる可能性大なので目の敵にしないでほしい。
セーラームーンだってあの時子供だった子が大人になってグッズ買い漁ってるじゃん。
それに今私が全通してグッズ全種2個ずつトレブロ上限買って推しを支えることができても、突然の事故や病気で今までできていたことが難しくなるかもしれない。そうでなくても10年後は推しから卒業してる人が多そう。
そうなった時にかつて中高生だった何人かは大人になって稼いだお金で推しを支えてくれるようになってるかもしれない。
今全力で推せなくても未来でいっぱい推してくれるかもしれない。
学生の頃たった1回行けた舞台に囚われたまま大人になったらきっとたくさんお金つかうようになるよ。
ファンがファン育てるくらいの気概でいる方が長い目で見て推しのためになる。宝塚とかまさにそんなシステムじゃん。
つまりなにが言いたいかと言うと、地方住みや学生に必要以上にキレてるオタク、10年後も20年後も今の推しを推す予定ないでしょ。
「治らない」という病気の語彙を用いることが適当かをさておき、自分の中で「女嫌い」がもはや一つのテーゼとしてあらゆる判断の場面で幅をきかせてくる。どのような言動を取るか、といった直接の状況から、なんらかの創作物に対する評価まで、全てを男性的・女性的に分類し、女性的なものへの称揚があればそれだけで正直ウッとくる。(まあこれ自体は別に珍しい話ではないはずだ。元々性二元論から出てきた価値判断だろう。全てに男性的・女性的という分類がなされるのであれば、男性の中のある性質が女性的であることもあり、逆もまた然りということになるので結構事態は複雑になる)
とりあえず上野千鶴子なんか読んで素直に啓蒙される女が理解できない。「女嫌い」の仕組みを解明されたくらいで、その論理を自分を肯定するために援用できるようなその女性らしい逞しさ。自分の中で女嫌いはもっとパブロフの犬のごとく根底に根ざす反射といって差し支えないもので、例えば最も凡庸な例を挙げれば「あっ感情的になっているぞ、女性的だ、きついきつい」というように。それが馬鹿げていますよと言われたところで矯正不可能な域にある。
そしてこの反射にある一定の信頼を自分でも置いている。結局市民未満のところから出発した性にとって最も困難となるのは、利他を身に付けることなのではないか。「泣いてはいけない」「女の子を泣かせてはいけない」「自立しろ」というように叩き込まれる機会なく甘やかされて幼少期を過ごす女。共同体が温存する性差の特権だけはシレッと享受しながら平等の為に連帯したりする近代の女。
匿名ダイアリーだからこそ自分語り(なる女性的行為)を多少せねばズルいだろう。自分の女嫌いの始まりは、ピンクのもの持ちたくない、男子とサッカーしてたい、女同士のおしゃべりができないだとかしょうもない些末な好みの問題もあったが、決定的だったのは男教師から軽めの体罰をくらった時だった。顔を引っ張られてたまたま元々皮膚が弱かった部分から出血して、女クラスメイト複数人がメチャクチャ自分を庇ってくれた。ありがたくはあったが、その無邪気な連帯に引いた。男子への体罰は問題化されないにも拘らず、私の為だけに教師がタジタジになっているのだ。なんだこの二重三重な屈辱は。勘弁してほしかった(体罰は今程でないにせよそこそこ問題化されていた時代だったが、そこに今回触れるつもりはない。私が男子から嫌がらせを受けたという発端が女子達の擁護点だったが、結局双方ふざけて追いかけっこ状態となり、配膳中だったこともあり両成敗された流れなので、当時の校風と状況から鑑みてある程度公正な処罰だったと思える)。男子とつるんでも平等に扱われることは絶対にない。仮にどんなに「リベラル」な箱庭を作って篭ろうと、文脈は平等を許さない。
アンチフェミ男性とつるんで、いかに女が劣った存在であるか聞かされ続けることにーーそして劣っていることを知っている、マシな劣った存在であるという自意識を育てることにーー抑鬱的な安寧を見出していた時期もあったが、そうやって自虐までも他者に委ねることこそ「メンヘラ」なる女性的性質だと気付きやめた。そもそも女嫌いの男や、男嫌いの女というものは、自分の身体を憎悪から遠い安全圏に置ける時点で信用ならないところがある。やるんなら己に対する加害者としての憎悪から始めるくらいの気概が要るだろう。
マジで、勘弁してくれ。本当はジェンダーの話なんかしたくない(その為に増田に来たのだが)。にも拘らず社会生活を送る上で、例えば酒席で脱げと冗談を言われたり、「女の子には難しかったかな?」と話を振られたりする度に、「女だから不当に損をした!」というなんのひねりもない想念が立ち上がって来てしまうことがある。たまたま「脱げ」という語彙が用いられただけで、下品な冗談は女以外でも全ての固有の身体を持ちうる人間が晒されるものであるし、たまたま「女の子には難しかったかな?」という語彙が用いられただけで、他者から舐められうることは女に限らない。それよりも「女だからフェミニストで当然ですよね?」とすり寄ってくるフェミニスト(男女問わない)をかわすことの方が、いまや困難にして価値があるはずなのだ。少なくとも自分にとっては。
しかしフェミニズムに逆張りした時に、そこに立ち現れてくるイメージは吐き気を催す前近代的女である。なんてことだ。「女」という要素さえあれば私は近代も前近代も全て憎むことができる。では私にとって「女」とは何なのか。おい、お前フェミニストみたいなこと言っとるぞ。やめろやめろ、やめだ。
彼女とはおおよそ息が合うし、価値観も似ていて、今までで一番理想に近い性格をしている。
ただ唯一合わないと思っていることは、彼女の顔だ。
ブスだ。
付き合って数年。
彼女の容姿だけが悩みだ。他は許容範囲なのに、それだけはどうしてもキツい。
顔の大きさとか、鼻の低さとか…化粧ではリカバリー出来ない(彼女は化粧品も好きなのだが、如何せん奇麗にはならない)。
僕は彼女で致せない。
何時ぞやの枕を濡らしたときも、彼女の気持ちよさそうな顔は、僕にとって悪夢のようだった。
余りにも失礼だが、ほかの女の顔やエッチなシーンを考えるほかなかった。
元カノに振られて、傷心だった頃の僕を救ってくれた彼女には感謝しかない。
ただそこから惰性で付き合い始めたのは間違いだった。
軽い気持ちで付き合ったつもりが、あっちは本気になってしまった。
彼女と街をふら付いていると、いつの間にか周りのカップルばかり見ている。
すごい美人だ…
エッチな体してんな…
ーーなどと考えていると、
この付き合いも自分相応だと思って付き合った。
それに、何人か付き合った彼女の中でも、いい容姿を持った女の子はそこまで居なかった。
しかし、だからこそ容姿の良い子と付き合いたいという感情がより際立ってしまう。
このまま結婚すると、僕は間違いなくほかの女の子にアプローチされたとき浮気してしまう。
マッチングアプリを使って知らない女を捕まえたいとも思わないし、
彼女に悲しい思いをさせたくないとも思う。
正直こんな話ネット上にいくらでも転がってるし、まあ馬鹿な男がいたもんだという話で構わないのだが、
”性格にステータス全振りの女と付き合うということは、逃げ場を失うということだ”
そしてたまには「私のことすき?」と当たり前のことを聞いてくる。
決して「ブスでキツイ」とは言えない。
だから固唾を呑んで言う。
「そうだね」と。
何らかのイデオロギー闘争に身を投じる人は、自分自身の問題を世界の問題として錯覚したがっている。
だから陰謀論者は騙されているというより、だまされにいっている。
もっともこうした人は世の中に対して深い悲しみや憤懣やるかたない思いを抱いてることが多く、それを許容しない世界の構造に問題がまったくないとは思えない。そもそもまずもって今ある世界のほうが正しく、個人の思いが間違っているから人生がうまく行かないのだ、という言説そのものが生存者バイアスに基づく暴力でしかない。個人が完全に間違っているケースもあろうが、陰謀論にはそうした人々の世界に対する恨みをガス抜きする受け皿としての役割があり、それが反社会的行為に駆り立てる原動力となっている。彼らがテロリズムを起こしてイスラム国でも建国しようという気概があるならまだ概念としてマシだが(あくまで今の社会を最大最高と評価しない場合)、ピザ屋を襲撃する程度のテロに留まっているのは全くエネルギーの無駄という他ない。
ちなみに下の方のトラバには右翼の陰謀論者が多いと述べている人がいるが、ある意味当然だ。本質的には低学歴や高学歴の問題ではなく、社会的に不当な立場に押し込められた人や、社会をコントロールする側にない人たちが多いからだ。彼らは上記の理由によって人生に風穴を開けたいと思いこんでいる。平たく言うと奇跡を望んでいる。だから時としてこうした人達は災害を望んだりする。そこから人生が逆転するかも知れないという思いがあるからだ。
陰謀論にハマる人たちは、特に騙されやすいわけではない。カタストロフィー的な薄暗い希望を持つために、自ら騙されているのだ。
正直オープンワールドゲーを多くプレイしたわけではないが、ゴーストオブツシマが完全にアサクリだときいてオープンワールドという表現方法の限界を感じた。オープンワールドは古い例えではロマンシング・サガのような世界構築であり、大きなフラグ以外は非常に散漫な展開が続く。
緊張したメインミッションの途中でいきなり長時間の鹿の狩りを入れたりもできる。いってしまえば締まりがない。一方で一本道RPGで有名なファイナルファンタジーのようにしてしまうと、今度はプレイヤーの遊ぶ幅が狭まってしまい、後半まで延々とチュートリアルをやらされている気分に陥る。この点で古いRPGには見習う点がある。ファミコン時代のドラクエやFFは大きな中間点のフラグを用意して、そこそこ歩き回れるフィールドを開放する。この、全開放でなく中途で少しづつ開放するというやり方がいい。広がりすぎて散漫にならず、もどかしさもほどほどあるので、例えばとれないアイテムがあっても後で回収してやる、という気概も生まれる。オープンワールドではこうならない。オープンワールドは腕さえあればゴリ押しプレイも可能で、現時点では回収不可能、という仕組みを使いにくい。
中途オープンの中で比較的わかりやすいのがダークソウルシリーズだ。ダークソウルは区画が明確に分けられていて、どこまでも広がる世界という広大さをあえて見せないようにしている。このために限られたルートをいかに攻略するかが大切で、しかし攻略パターンはそれほど画一化されていない。世界はやがて広がってゆくが、広がるにしたがって今まで開けなかった扉などが開けるようになってくる。このの仕組みは過去のRPGを踏襲している。しかしこれで良いと思う。なんでもできて全てに触れるという状況は虱潰しクリアを強制させ、ある人はうんざりし、ある人はコンプをやめてしまう。
オープンワールドはストーリー進行と相性が悪い。一本の繋がったシナリオと何でもできることは噛み合わない。しかし一定の区画で区切って、その中を箱庭として遊んでもらう分にはシナリオが破綻することにはならない。シナリオの破綻はなく攻略手法はオープンライクで、かつそこそこのもどかしさがある、これがフィールドマップの存在するゲームの最適解だと思う。
終戦の日は、Y君の命日です。
高校時代の同級生Y君とは、それほど親しくありませんでした。同級生とは言っても、三年間で同じクラスだったのは一年生の時だけでした。その後は、時折廊下などで会った時に軽く話をし、稀にメールをする程度の仲でした。
Y君は、予備校の友人と二人で海水浴場に行って事故に遭ったそうです。酷く天気の悪い日で、彼らの他に誰も泳いでいなかったと伝え聴いています。それ以上Y君の死の理由は誰も話しません。みな察しがついているからです。
しかし、僕は彼の死の理由と向き合う必要があります。悼むだけでは足りないほどの仕打ちを、僕は彼にしてきました。
Y君と最初に話したのは、高校入学初日です。僕らの高校は、マンモス私立高校で、大概は公立高校の受験に失敗した人間が行く学校でした。お世辞にも賢い学校とは言えません。それでも、それなりの生徒を集めて、特進クラスが二クラス編成されます。僕らのクラスはその一つでした。
入学式からしばらくは、みな口々にどこの高校に落ちてこの学校に来たのかを話していました。例によってY君も学区一番の難関公立高校に落ちたそうです。最も、僕らの高校の進学クラスの大半は、その高校か、県下トップの公立高校を落ちてきた人間でした。
はじめは出席番号の近い者同士で輪になるものです。彼と僕の出席番号は二番違いでした。ゴールデンウィークに入る頃には友情の再編成が済み、僕らは別々の交友グループに加わって行きました。
端から見ていて、グループの中のY君の地位は極めて低かったと記憶しています。彼らのグループはみなテニス部でした。Y君はいつもいじられる役回りを演じていました。自分から話を切り出しても「調子乗るなよ」という言葉を掛けられている様子をよく見かけました。
入学式が終わってすぐに、実力試験を受けさせられます。Y君の試験結果がどうであったか僕は知りません。少なくとも、僕より上ではなかったことは確かです。学年トップ十人は公表され、僕は四位でした。
第一志望でこの高校に進んだ僕は、周囲から奇異の目で見られていました。ただ一人、Y君だけは、周囲と少し違う反応をしていたのでよく覚えています。Y君の同じ中学校で、学区トップ校合格間違いなしと言われて落ちた二人を、僕は下しました。そのことをY君は自分のことのように喜んでいました。
その時の僕にはまだ、そんな理由で勉強をはじめようと思う理由を理解できませんでした。彼にとって高校はどのような意味をもった場なのかと怪訝に思いました。今になって思えば、不本意に入学した学校について、明るく思える理由を見つけられた日だったのでしょう。
とは言っても、その後Y君が試験のライバルとなることはありませんでした。二年生からは、進学クラスの文系理系とで別れてしまい、一緒になることはありませんでした。英語の授業だけは進学クラス二クラス合同で、レベルごとの三グループに別れて開かれていたが、ついに一緒になることはありませんでした。二年間、Y君は成績下位クラスから上がって来ませんでした。
交友グループが完全に別れてからも、僕はたまにY君と話す機会がありました。というのも通学に使う電車の駅が同じだったのです。そうかと言って一緒に通う約束をするような仲でもありませんでした。遭えば多少話をするといった具合でした。Y君はよく話しかけてきましたが、僕から何か話しかけたという記憶はあまりありません。
彼の家はごく近所でしたが彼の家に遊びに行ったことはありません。詳細な場所も知らず、団地の名前で知っているだけでした。僕は中学卒業後にこの街に引っ越してきたので、同じ中学校の出身というわけでもありません。彼が普段通学路にしていた道が、僕の部屋の窓から見えます。しかし、駅との直線距離上に住んでいる人と思っているだけでした。
Y君はテニス部に入部していました。中学から続けていたと聴いています。しかし、同じクラスのテニス部員から伝え聞くかぎり、部の中での実力ははじめから下位だったそうです。Y君は小柄で、先も細く、よく中学生のようだとからかわれていました。
Y君と同じグループのテニス部員は、高校二年にあがるまでに部活を辞めてしまいました。部員の層は厚くないものの、後輩にも実力で追い抜かれ、Y君は引退まで団体戦のメンバーに入ることはなかったそうです。
ときに一年生の頃にY君と同じ班だったM君は強豪のサッカー部員でした。髪を染めピアスをしていたM君は、Y君に対していつも高圧的な態度をとり、掃除当番を押し付けて、誰よりも早く部活の練習に行き、後にレギュラーの座を得ていました。少なくともY君はそのような気概を持ち合わせてはいないように見えました。
僕らの通った高校には、進学クラスを中心とした三泊四日の受験勉強合宿がありました。合宿中は山のように課題を出されました。ホテルに着いて早々、会議室に籠ってひたすらに特別授業を聴かされました。それが終われば翌日までに解いてこいとプリントを大量に渡されました。まともに取り組んで解き切れる量ではなく、教師もその事を知った上で出していた節がありました。それでも僕らは、教師の鼻を明かしてやろうと思って夜を徹して問題を解いていました。
Y君は、ちょっと問題を解いては周りに話しかけていました。「どこまで進んだ?」「この問題どう解くの?」と。そして周囲が邪魔そうな顔をすると自虐的に謝った後、「よし、俺も集中する」と宣言して問題に取り組み、三十分と保たずに振り出しに戻るのでした。
高校二年の頃、しばしば僕はY君のクラスでごく親しい友人と受験勉強のノウハウや、進行状況について情報交換をしていました。そこに、部活が休みになってY君が加わったことが何度かあります。
Y君が、自分の勉強について詳細を語ったことはありませんでした。自分より成績の良い人間の発言には同意をし、自分と「同等程度以下」と思っている人間の発言にはあまり信用していないような素振りをしていました。しかし、前者が後者の発言に賛同すると、途端に賛同し出す、風見鶏な態度で話に加わっていました。
僕らはみな自分に合わせて勉強のスタイルを組み立てていました。Y君には、そのような節はなく、彼の尊敬する誰かの勉強の仕方を真似しているだけでした。正確には、真似している「つもり」なだけでした。
僕がセンター試験模試で九割をマークした時、Y君が英語の勉強内容について尋ねてきました。その頃僕は学校で配られた基礎的な問題集で文法問題を毎日大量にこなしていました。ケアレスミスを減らしつつ長文問題に十分な時間を確保するためでした。自宅学習を英語の長文に充てられるよう、学校での細切れの時間は文法を勉強していた方が都合よかったのです。
そのような事情は告げず、学校で配られた問題集を解いているとだけ告げると、Y君は基礎的な問題集にずっと取り組んでいました。かなり後になってから知ったことですが、Y君は毎度の模試では長文問題で大量失点を繰り返していました。長文を読む訓練からはじめるべきだったのに、同じ文法の問題集に何周も取り組み続けていたのです。その後も彼は模試の度に取り組んでいる問題集を尋ねに来ましたが、僕は同じ問題集だと答え続けていました。
時を同じくして学年上位の人間が「単語力が足りない。」と言ってハイレベルな英単語帳に噛りつくと、Y君はそれを無条件に肯定し、同じ単語帳に取り組み出しました。
学年上位の彼女の場合、元から基礎的な語彙力・単語力がしっかりあり、それに支えられて文法問題を解きこなし、身に付けた語彙・文法で長文を読み解き、総合的な英語力を身に着けた後に、日々取り組む実践問題の中で単語力の不足を感じていたのでした。Y君は、そのような事情を知る由もありません。
すべての教科の勉強がこのような具合で、Y君の受験勉強は日々、一貫しないものになっていきました。誰かが「基礎をしっかりしないといけない」と言えば同意をし、しばらく基礎的な勉強を繰り返し、また誰かが「基礎ばかりで実践レベルの問題が解けない」と言えば、応用問題を解き始めました。Y君は、自分の実力を冷静にみて勉強する習慣がなかったのです。
試験が終わっても模試が終わっても、Y君はいつも「次で挽回する」とだけ言って答案用紙を二つ折りにして閉まってしまい、自分が何を間違えたのか何が不足しているのか反省をしているようには見えませんでした。僕らは答案を見せ合い、点数をひけらかし合い、同時に何を間違えたのかも見られ、ときには馬鹿にされ、それを恥じ、次には同じ過ちをしまいと心に誓ったのです。そして口々、「次の試験では負けない」と言い合うのでした。
Y君は、ただひたすらに成績上位の級友に勉強方法・勉強内容を尋ね、それを真似してみるだけでした。あるいは、それで成績の落ちた級友に反省点を尋ねてみるだけでした。自分の頭を使って、自分に必要な勉強をして成績を上げようという姿勢が見られませんでした。
高校二年の秋頃から、学年トップ十人の常連の内で、制服に細工をするのが流行りました。理科実験室から拝借してきた薬品で五円玉や五十円玉を磨き上げ、ブレザーの左胸にある校章の裏に挟むのです。すると鳥をあしらった校章が後光の差したように見えます。上位三人が五円玉を、残り七人が五十円玉をはさみ、模試のたびに奪い合うのです。
事情を知らぬ者が見れば、何のこともない遊びです。どんなにかよく言っても「お洒落」程度のことです。何も知らないでY君がそれを真似して校章に五円玉を挟んでいたのを、僕らは影でクスクスと笑いました。自分の手で掴む喜びを知らないで、努力する苦しみを知らないで、努力した者の成果にだけ憧れるY君の態度を、僕らは気づき、そして内心侮蔑の眼差しで見ていました。鈍い色の五円玉が、それを象徴しているように思えたのです。
勉強をしたからテストの結果が伴うのだという自信が、僕らの中にありました。また、勉強していないから全国模試で他校の人間に負けるのだと悔しがっていました。進学クラスの同志とともに学内順位で一喜一憂するのは全国模試で泣くほど悔しい思いをした腹癒せであり、本懐はみな志望校への合格でした。
正直に言えば、僕は心底彼を見下していました。大した進学校でもない私立高校の成績上位だけを見て、「◯◯君、勉強できるもんね」と言えてしまうY君の姿勢を、僕は内心唾棄すべき存在だと思うようになっていました。
僕は、努力の方向性を間違える人間は愚か者だと思っていました。そして努力すらしようとしない人間を軽蔑していました。他の何もかも投げ打って練習に取り組むわけでもなく実りのない部活動にただ漫然と時間を費やすY君の姿勢は、まさに軽蔑の対象でした。「三年の夏に部活を引退したら、本格的に受験勉強をする」というY君の弁に至っては、この時点でもう勝負はついていると僕は思いましたが、哀れな奴だと思うことにして黙っていました。
当時進学クラスの上位面々にしても、実際には大した学力は持ち合わせていませんでした。勉強すればするほど募る不安を振り払うべく、ビックマウスで自分を鼓舞させ、歯を食いしばって受験勉強に打ち込んでいたのです。
みな手の内を知っているから言い合えた言葉がありました。「普通クラスの連中が努力して行くような大学だから、日東駒専は滑り止め」「明青立法中はセンター利用入試で一学部二学部抑えて、あとは試験慣れ」「本命は早慶、国公立大学」
Y君が目指したのも、早慶の文系学部でした。折りに触れ志望学部を聞いた時に「受かったらいいなぁ」という言い方をしていたので、どこまで本気で受験していたのか分かりません。また彼が将来どういう職業に就きたくてその大学を目指したのかも知りません。いずれにしても、当時のY君の実力からすれば、合格は絶望的なので記念受験だったと思います。
日本で双璧をためす有名私立大学どころか、当時のY君は本気で日東駒専を第一志望にして対策を組んで然るべき成績でした。それにも関わらず、十分な対策をしていなかったのでしょう。そのレベルの大学を「滑り止め」として受験し、行き場がなく浪人が決まりました。
先にテニス部を辞めたある級友は、有名私立大学に合格しました。Y君から学業面で「同等程度以下」と思われていましたが、彼は初めからY君より成績は良く、そして努力の甲斐あって志望校に合格しました。Y君が、センター利用試験で抑えるつもりだったレベルの大学です。
高校の卒業式で、Y君は自宅浪人をするつもりだと話していました。図書館で勉強している方が集中できるからだと本人は話していました。それを聴いて、受験勉強のやり方を根本から間違えているのだから予備校に通わなければY君は同じ失敗するだろうと、僕は思っていました。
僕も浪人が決まっており、同じ境遇の友人らと、どこの予備校に行くか、予備校が始まるまでどう過ごすか情報交換をしていました。しかし、僕は、彼と同じ予備校に通うのは自分の精神衛生に悪いと思い、誘いませんでした。
僕は気心が知れた戦友二人と予備校生活を送りました。定期的に他の予備校に通っている元同級生とも食事に繰り出し、情報交換とリフレッシュをしていました。時には勉強会を開き、時には悪い遊びに繰り出し、予備校生活を満喫しました。僕はY君に対して意図的に声をかけませんでした。
Y君が亡くなった後、彼がどのような浪人生活一年目を送ったのか、聴いて回っても誰も知りませんでした。分かっているのは結果だけです。一年後の再戦にY君は敗れました。彼が受かったのは、日東駒専の文系学部一つでした。浪人してそんな大学行けないと、二浪することを決めたそうです。Y君と伴に最後までテニス部にいた普通クラス出身者が、予備校生活の後に地元国立大学の教育学部に合格したのも少なからず影響があったと思います。
Y君の二浪目については、僅かながらに噂が流れていました。僕らが通った予備校とは別の大手予備校に通ったと聴いています。そしてそれはY君の両親の望みだったという話です。しかしそれ以上のことは誰も知りませんでした。
Y君は、限りなく記念受験に近いであろう第一志望の早稲田大学に落ちました。それでも、今度は明青立法中レベルの大学に手応えを感じていたそうです。高校時代の担任教師の元には、今度は大丈夫そうだとメールが来たそうです。滑り止めに受けた日東駒専の合格は決まっていました。
しかし受かった手応えを感じていた青山学院大学は、不合格だったそうです。その結果が判明した時、既に日東駒専の手続き期日は過ぎていたそうです。二浪して予備校に通い、親に負担を掛けたくない気持ちが働いたのでしょう、Y君は日東駒専の入学一時金を払わなかったそうです。
かくしてY君は三浪目が決まりました。その頃のことは、Y君の級友何人かが打ち明けられていました。「一浪、二浪までは変換できるけど、三浪って、ケータイで変換できないんだね」Y君からある友人に宛てられた最後のメールには、そう書かれていたそうです。
苦しさは後に喜びがあると知っているから耐えられるものです。喜びのために経験する苦しさと、苦しさの後にある喜びとは、価値が全く異なります。失敗の先に成功を掴んだ人間だけが、成功を評価できます。しかし成功を掴めない人間には、そのような言葉は無力です。苦しさの中でも特に失敗は辛く、とても重ねていられるものではありません。
三浪目の夏、Y君は、予備校の友人と二人で海に行き、事故に遭ったことになっています。酷く天気の悪い日で、盆過ぎの海水浴場には彼らの他に誰もいなかったと伝え聴いています。
同行したのが同じ予備校の友人であるのかは分かりません。しかしその新聞を調べてみると、天気予報では、県内は午前曇、午後から雨となっていました。海水浴に出かける天気ではありません。実際の天気を調べてみても、前日から曇り、実際に曇のち雨だったようです。
二人は遊泳禁止柵を超えて、外へ外へと泳いでいったそうです。友人はしばらくして怖くなり引き返し、Y君のことを警察に通報したそうです。海上保安庁と警察が捜索したものの、Y君が発見されたのはそれから二日後のことでした。
沖に流されて生還した人の体験談を、折りに触れ読んでみました。だんだんと手足の感覚が無くなって行き、全身が重く感じられ、乾きと苦しさと絶望のあまりに、自ら沈もうとしても身体は死を受け入れず、数時間に渡って浮かんでいると言います。その間、Y君は何を思ったのでしょう。
暗く塩辛い海の底に引きずり込まれるまでの数時間、海に来たことを後悔するのでしょうか。自らの力の無さを恨むのでしょうか。早くから勉強しなかったことを悔やむのでしょうか。時代を恨むのでしょうか。日本社会を恨むのでしょうか。
人生の遠回りを許さない日本の空気に、Y君は命を奪われました、一体誰が仇をとってくれるのでしょうか――僕はそう思うことで、Y君の死は、自分の責任ではないと思い込もうとして来ました。そんな綺麗事では済みません。彼を死に追いやったのは僕らです。
彼の学業上の相談に乗らなかったのは、彼が気楽に、好きなことをしていたことに対する妬みです。彼が、僕の思う独善的な「努力」をしないことについて、快く思っていなかったからです。「努力」などと呼んでいいものではありません。自分の味わった苦しみを人も味わえばいいという意識は、酷い嫉妬心に過ぎません。
彼が学業面で悪循環に陥っていると知りながら、僕ら「成績上位者」を誤解していることと知りながら、僕らが手の内を明かさなかったのは不当な仕打ちです。Y君は、級友の受験勉強という、励まされる理由にも自信を持つ理由にもならないものを盲信していました。そして、僕らはそのことの具合の悪さに気づいていながら放置し、影で嘲笑っていました。僕らはY君の話を聞ける関係にあったのに、聞かずに見殺しにしました。
こうまで酷い仕打ちをして、どうして彼の死を受け止めて来られなかったのでしょう。
今なお、僕は「僕ら」でないと責任を背負えない弱い人間です。そんな僕にも毎年夏は訪れます。しかし、今に自分一人、罪の念を免れたいがために記憶を上塗りし、忘れ去ってしまうことでしょう。あるいは、もうそれは始まっているのかも知れません。
実家にある、かつての僕の部屋からは、一車線しかない県道が望めます。Y君が三年間、高校に通うために歩いた道です。なんの変哲もなく、田んぼと林に囲まれた田舎の風景です。僕が彼から奪ってしまったものの一つです。
文化を守りたいという気概があって言ってるかもしれないけどその人が物を作ってる立場でなければ野次馬だといえる
馬鹿じゃねぇの
この手のお外持ち出し案件ってなんでこう「教える気がない」んだろうな
矢継ぎ早に知ってることを捲し立ててるだけで共通認識を確立しようって腹もなければ要点だけ伝えようって気概も感じられない。
ただ「ほらwこんなことしてるやつがいるwwデュフッデュフッ証拠はこちらw面白いでしょ?w味わい深いwコポォ」
これだけ
ヲチ界隈ってこんなばっかり
って思う時ないですか。そもそも「輝いている」と感じる事は個人の主観によるところが大きいと思うので漠然とし過ぎてますよね。
でも知名度に限らず大体のアイドルは言いますよね、「輝きたい」って。とあるアイドルアニメの劇場版では「限られた時間の中で、精一杯輝こうとするスクールアイドルが好き」と、製作陣が作品を通して伝えたいであろう主題を、主人公が分かりやすく視聴者にそのまま言葉にして教えてくれました。二次も三次もどいつもこいつもとりあえず輝きたいらしいのです。
冒頭に戻りますが、私が無闇矢鱈に輝いてくれるなよ、と思う理由は単純に自分がしんどいからです。ものすごく主観的。いいんです、アイドルが輝いてると感じるのも主観によるのだからこの気持ちもきっと同根なのでしょう、知らんけど。
最近主にツイフェミ界隈で「強い女」だとか「エンパワメント」なんて言葉をよく見ます。女性の立場を向上させるためには、今までの大半の女性がしてきたような生き方ではどうやらいけないらしい。さて、女性たる私も社会に出て中堅と呼ばれる立場になってきた。人生設計をしながら、それに沿った働き方をしていかなければいけません。結婚、出産、産休からの職場復帰etc。なんだか世の中で嫌われやすいコースです。それについての議論はきっと終わりがないでしょう。会社にもよるし、夫婦関係にもよるし。それぞれの成功パターンと失敗パターン言い合っても水掛け論ですよね。現状では制度とそれを運用する人たちの良識に懸けるしかないと思います。
「世界を革命する力を!」と私の大好きなアニメの主人公がいつも叫んでいましたが、とても私にはこの現状を変える運動をしようとも思いません。強い女ではないので。そもそも私には関係のない話だし。
そう、関係ないんですよね。結婚もそれにまつわるエトセトラも全部関係ないんです。
だって私レズビアンですから。とりあえずね、一生懸命仕事して生きていくしかないんですよ。そうして中堅になったら気付くのです。あれ、一人でなんとか生きていけるかもね、と。
その瞬間に恋愛はタバコと同じただの嗜好品になります。吸いたきゃ吸えばいいよ、他人の迷惑にならないように気をつけて。
世の中の大半は恋愛の延長上の結婚でしょうか、それとも生存戦略としての結婚?どんな生き方でも私は責めるつもりはありません。男女格差も尊卑も知ったこっちゃない。うちはうち、よそはよそってお母さんが言ってましたから。自己責任論は家庭から始まってるんです。
一生懸命仕事して、休日には、体はボロボロだけどたまに趣味を楽しんでリフレッシュする。それだけの事なんですけど、それが積み重なると新しい役割が科せられ、いや課せられます。
それは「女性としての理想の労働モデル」です。「このままずっと頑張って!」と言う幹部もいれば「うち産休もあるからね」なんて言う幹部もいるわけです。賢しらな人からは「名誉男性」なんて言われてしまう事もあるようだ。私レズだけど男性になりたいわけじゃないし、女性に嫌われるのも勘弁だ。しかし男性ってついてるのに女性に嫌われるって不思議ですよね。男性も不憫な気がしてくる。
それはさておき、とりあえず見えない大きな動きが働いていて、私を何かしら掲げたいらしい。
ようするにあれです、輝いて生きる事を半ば強制されつつあるのです。輝く生き方を選ぶ権利があるなら輝かずに生きる選択肢もあって然るべきです。だけど会社を辞める勇気もなければ、女性をエンパワメントするような存在になる気概なんて私にはこれっぽっちもありません。
そんな私は、大好きなアイドルが輝いている時に思うのです。
アイドルよ、これ以上輝いてるくれるな、と。
相当程度の低いでは仮定ではあるけれど
そうやって各議員が集まった状態で国会議事堂を爆破するなり毒物を散布するなりして
首相・各省庁大臣・自民や公明など現状与党に与する人物は一人残らずお陀仏だし
こういった状況で、日頃からアベを倒せと発言し「#アベを殺せ」といったハッシュタグを流布する人々はどういった発言をするだろうか?
アベから解放された、国民の民意によって正しく天誅が為されたと歓喜するだろうか?
少なくとも腐敗政治は脱却し、自民の党意も根絶されたのだから彼らの理想は叶っている
死に逃げした、責任追及が出来なくなったと憤る人はいこそすれ、喜ばしいことだとは思うのだけれど。
その上で「我々がやりました」と犯行声明を挙げ、そして速やかに逮捕される人物が出てきたならば。
彼らはその人物を英雄視し祭り上げるだろうか?減刑を求める、デモを起こすなどのアクションを行うだろうか?
SNSという安全地帯から抜け出さず、届かない石をひたすらに放り続けている左翼には到底できない真似事であるし、
かといって愉快犯や内部犯にしてもそんな気概のあるものはいない。
海外からわざわざ日本を狙って破壊工作を行う人物・団体なんて論外である。
女性差別だとか、男から女への性犯罪だとか、そういう男尊女卑構造の一端として紹介される情報は子供のころから散々入ってくる。
それが長年蓄積され、男としての罪悪感は少しずつ刷り込まれる。
ネットに触れると、それが顕著になる。
「女は基本的に男が嫌い」
「男は性犯罪者予備軍」
自分だって性犯罪者には腸が煮えくり返るような思いなのに、そんなものと、男というだけで同一視されることは耐えられない。
でもトータルで見ると女性のほうがよほど理不尽な目に遭うこともわかっている自分もいて、ある程度しょうがないと思うしかなかった。
身内やネットの見える範囲での女性蔑視的な発言を批判するぐらいが精々だ。
社会的な運動に参加するような気概もない、自分は自分で人生に余裕がない。
だからせめて、女性には自分から好意は抱かないようにしようと、明確に考えないまでも、そういう心理状況だったんだと思う。
助力はできなくとも、せめて「自分に好かれる絶望」を与えることだけは避けたかった。
そういう人生を送ってると、「なんで彼女作らないの?」とか、「同性愛なの?」なんてのはさんざん聞かれた。
自分は加害者属性だからです、などと言えるワケもなく、ヘラヘラして誤魔化した。
女性に好意を示さないことがよほど奇異に見えるのかもしれないが、それは「自分に好かれる絶望」の可能性を否定する何の根拠でもなかった。
身体的な性被害にも遭ったけど、男が女に性被害だと訴えるなんて、「かわいそう」なので、あり得なかった。
その後、色々あって幸運にもある程度救われることにはなるんだが、それでも自分が先行して女性に好意を示すことは、今後一生無いと思う。
たとえ自分の10000倍女性を救って生きているであろう人間だって、時に「男」として一括りに罪を負わせられる。
「お前を責めているワケじゃない」なんて声には今更何も感じない。
そんなものより、今まで降り積もってきた色々な言葉が胸に重く残っている。
病気なのかもしれない。でもそんな病気みたいな人間が醸成される環境が確かにある。
それでも、それが本当に男尊女卑の撤廃の過程に必要なものなら、と思うところもあった。
ただ、このところ、似たような男性の苦しみが吐露されると、決まってぶつけられ支持される文句があって、どうにも耐えられなくなってきた。
というやつだ。
彼らこそ、選んで生まれたわけでもない男であるというだけで、人間である前に「男」として見られ、罪を負わせられてきたのに??
…何が言いたいのかわからなくなってきたけど、一個だけ。
属性全体への呪詛というものは当然、大半の罪もない人間にぶつかり傷付けることになる。
せめて、それぐらいは覚悟して投げかけるべきだと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20200801135722
https://anond.hatelabo.jp/20200802180856
酷すぎる。脱ヲタファッションが流行った時から1㍉も進歩していない。
それは魚屋で「その魚を買え」って指差してるだけだから。魚の釣り方、選び方になってない。
俺はいわゆるフェミは嫌いだが、「好きな服を着てるだけで、オマエの為じゃねえ」っつって、オッサンを引っ叩いたミスコンの出場者みたいな話は割と好きだ。
好きな服を好きなように着ることで、「男の欲情を刺激する格好なんだから触っても良い」とかバカなのはわかんだから「チー牛食ってるみたいな服っすね」とか発言するやつもやっぱバカなんだよ。
だから、「ヲタクっぽい格好を如何に短期間にやめられるか」という方向性の話は全てゴミ
その上で「たぶんそれが唯一の原因じゃないのはわかってるが、そもそもファッションがわからんから、人並みになって相手に好かれたい」みたいな動機は全肯定されるべき。
価値基準を他人に委ねるとジソンシンがーとか言われるが、ソイツは別にオマエが困ったときに部屋にこもってて心配してくれるような存在じゃないから無視して良い。
百歩譲っても、隠ヲタになるべき。周りから引かれない為に、プリキュア好きは会社では黙ってます、という話ならわかる。
今やるべきなのは、「深夜アニメを見てないような話ができるようになる」ことではなく「相手がテレビの話をしたときに深夜アニメ以外の話題が出せるようになること」なんだよ。
なにかの拍子に、「聖☆おにいさんなら読んでる!」と言われたときに「大同人物語はないとして、HELLSINGは知ってるだろ…いや、ドリフターズならOKか?」じゃねーだろ。ヒラコーから離れろ。
「あをによし、それもよしならアリか、きのう何食べた?は踏み込み過ぎか?」という発想になれるようにジャンルを開拓しておくべき。
ゴリッゴリのMarvel好きに「今期のドラマなら私の家政夫ナギサさんを見ておけばOK」とか言わんだろ。致死量超えるぞ。
TBSのドラマがクソだって言ってるわけじゃねえよ?物事には順序ってものがあるだろってことだよ。
来期のドラマは何基準で見るんだよ。全部1話みて切るみたいな高度なことができんのか?
「結局TBSとフジのドラマ見てんじゃねーか」みたいに落ち着いたとしても、アプローチの仕方でその後が変わる。
マネキン指差して丸買いとかバカジャネーノ。服買う習慣無いやつが店員にそれ頼む勇気があると思ってんのか。
その後「……えっと、インナーのサイズ、普段はチェストとウエストのサイズはいくつをお選びですか?」とか聞かれて詰むぞ。多分その店には二度と行けない。
試行錯誤や蓄積、如何にそのジャンルを自分なりに楽しめるようになるかって部分がゴッソリ抜けてんだよ。興味がない視聴は単なる苦行。
じゃあどうすんだって言われたら、試行錯誤するしかないし、入り口は概ねその分野に詳しそうなヤツのから拾うんだよ。
ファッションは、「相手に伝わる情報」という部分まで還元できる。
よく、※ただイケとかキアヌが着てればみたいに言うのはそこがわかってない。
ちょっと古い話で恐縮だが、仮面ライダービルドに出てた前川泰之(コーヒーショップのマスター)は、元モデルだけあって立ち居振る舞いがキマってるんだよ。
あれは顔の造形が、ではなくて、顔の造形も含めて表情や背筋の伸ばし方、歩き方振り向き方全部含めて相手に伝わる情報だからだよ。それに服装も当然入る。
だから、短期的には「相手に伝わる情報のうち、根本的なところ」を取り繕いつつ、ジャンルそのものを開拓するしかない。具体例は男に絞るが
身だしなみは何よりもコストとして手間と時間がかかる。逆に言えば、何も考えずにそれだけしてれば良い。
コンバースを買って履くんじゃないんだよ。コンバースを買って、それを常に新品同様に保ち続ける努力をするんだよ。
その心構えがあって初めて「コンバース お手入れ」ってワードでググれるようになるんだよ。ドラマ名じゃなくて、月9や火ドラって枠の話からしないと。
例えば https://converse.co.jp/maintenance/13307/ の通りにやったら「次の日なに履くんだよ……あ、2足以上いるのかマジか……」って自分で気がつくようになるだろ。
マジで疑問なんだが、ヲタファッションから脱ヲタファッションになっても、一張羅来てる状態なら変わんねえよ?
いままでジャケット買ったこともないやつがいきなり着るのは気恥ずかしいだろうし最初間違いなく失敗するのはわかるよ?
ただな、やるべきことは、ジャンルを自分なりに楽しめるようになることなんであって、死んだ目でユニクロ無地Tを買い続けてもキツイだけだよ?
だから例えば、ゾゾのランキングを眺めて、自分の顔や体型と似てるやつの服をユニクロで探して再現しようとする、とかなんだよ。
https://zozo.jp/coordinate/ranking/
オマエラにも多分経験あると思うんだが、解像度は経験の蓄積で上がるんだよ。分解能が上がると言っても良い。
今ゲームが全部ファミコンに見えてる状態なら何をする?やっぱファミ通買って読むところからだろうよ。
同じように、メンズノンノ(MEN'S NON-NO)を買うとこからやってみようよ。今同じに見えているものも違うんだよ。
メンズナックルは長らくネタにされてるけどさ、嫌じゃんアイマスのセリフがイジられる文脈でスポーツバーとかで笑われてたらさ。
偽装するならせめても相手の文化には敬意を払う気概はいると思うんだよ俺は。だからメンズナックルも買って読むべきだと俺は思う。その服を指名買いする必要は無いと思うが。
ファッションは「相手に伝わる情報」なので、清潔感(清潔&相手から清潔に見えること)とは何か調べながら新品を保ち続ける努力をすること。
その結果が、ユニクロの感動パンツと感動ジャケットを店員にサイズのおすすめを聞きながら買って、無地の白Tを着てコンバース履くことに落ち着いても良いんだよ。
わかるよ、メンズノンノを読み、寝る前にコンバースに消しゴムをかけ、出かける前にエージーデオ24を脇にかける時にふとよぎる、これであってんのか?ってのは。
それで良いんだよ。清潔でいて損することはない。その上で、楽しみ方を探すんだよ。
(まあ、今は出かける時間を最小限で済ませて良い絶好の機会だから、こういう時に試行錯誤すんだよ。近所のコンビニ行く前に、身につけるもの全てのメンテを済ませてから出かける訓練にするんだよ)