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はてなキーワード: 所謂とは

2019-08-22

筋トレダイエットブーム違和感

金色ジム事務員してます

アニメ公共放送体操のおかげでジムの会員は増え、鍛える人も多くなってきて、嬉しいことに仕事でてんてこ舞いです

でも、我々は知っています。この中から残るのはほんの数%、大半は1年以内で消え、その内の半分は半年で消えます

筋トレダイエット効果って数カ月で出てきますが、みんなの想像する姿(NIGHT HEADの弟ほどじゃないけど、所謂腹筋が割れて引き締まった身体)になるには1年近くはかかります

もちろん食事も気を使い、ピンポイント目標に向けた某ザップ的な方法をすれば短期間で達成はできますが、維持がべらぼうに難しいのと、土台があっての方法なので肥満の人がやるよりはマッチョが追い込む為にやるのがベストです

ほんとね、夢見すぎ。週2~3回筋トレしてプロテイン飲んでなれるわけ無いじゃん。超回復とか聞きかじった知識言うのもいいけど、マッチョになりたきゃ土台作らなきゃ。だったら毎日やろうよ。強度は凄くなくていいか

あとさ、SNSとかで流れるじゃん。1日何回×3、これをやるだけで全身が引きしまるって。効果あるかもしれないけど、ガチ毎日やらなきゃ意味ないぞ。1日でもサボると比例的に効果消えるぞ。スクワットは万能だけど、無理して重いダンベル持って痛めるくらいなら他のことやろうよ

そもそもさ、みんな痩せたいの?マッチョになりたいの?

本気だったらあれこれ行かない理由わずジム毎日来るよね。毎日来れる場所登録したり、来れるスケジュールを組むよね。しない人は結局なりたくないんだよ。でも世間デブ不寛容すぎなんだよね

かに健康に影響出るくらいのデブ痩せるべきだけど、健康的に問題ないけど見た目がちょっと醜いってレベルなら無理しなくていいよ。傍から見てもやりたくないオーラ出てるから個人的には電車のシート1.5人分取らない人ならOKでしょ。肘が当たるの嫌とか汗臭いのが~って言う人は自分の面と香水匂いでも確認すれば?

BMIとか体脂肪率とかそういうのは病気になりそうなデブが気にすべきで、LDHみたいな体脂肪が少なくてレモンサワーが飲めれば最強みたいな低学歴馬鹿に騙されずに、適度に身体と付き合ってよ

ほんと、健康維持じゃなくてマッチョ希望の人が増えて、それが痛めて来なくなるのが多い。そりゃ職場的には良いカモだけど、それで筋トレ運動が嫌いになったり後遺症残るような痛め方だったら悲しいからね

あと女性は適度に肉あったほうが良いよ。肉がなきゃ乳は増えないし支えられないぞ。ブラ取ったら富永一朗ババアみたいな乳で良ければ止めないけど

2019-08-19

anond:20190819205812

そもそも職場趣味言う必要なくない?

よっぽど個人的に仲が良い人が出来たなら別だけど

言うとしても所謂履歴書に書ける趣味」止まりであって、履歴書に書けないようなものは言わないだろ。

anond:20190819200303

まあ本来的な語義を考えると「恋愛工学視点計画すること」を「恋愛工学」と呼ぶべきなんだろうけど、

所謂恋愛工学」というのは藤沢数希教祖とする一種宗教を指す言葉からそういうのとは違うよ。

anond:20190819195040

「"性欲"と呼ばれているものを分解した結果、生理的欲求としての所謂"性欲"とは異なる何らかの現象が見えてきた」というのは事実としては面白いけど、

北原みのり牧野雅子クィアとかセクマイには疎くて「世の中には正しい"性欲"と間違った"性欲"が存在する。間違った"性欲"を撲滅しよう」って方向に行きがちだから注意して話聞く必要があるよね。

都内在住マウント

都内勤務だが、東京(主に23区内)に住むのが嫌だ。

嫌いな理由と言われるとまあ、家賃の高さだとか人の多さだとかお上りさんが多いだとか、

そんな感じで物理的にも思想的にも東京在住に憧れは無い。

私自身もともと大阪で生まれ育ち、大阪市内に住み通勤についても30分以内の環境生活しており

から郊外都市生活する事に特別拘りがあったわけではない。

そして今は埼玉に住んでいる。

そういう訳で上京から10年経った今でも埼玉から都内へ通っている。

埼玉と言ってもJR延線で且つ終電に関しても京浜東北線のお陰で随分遅い。

普通に生活に困らない程度の施設店舗があり交通網に至っては地方都市に比べ充実している方だと思う。

当初は通勤時間に関して多少長く感じたが「住めば都」という言葉通り、

特に苦痛に感じることはなく、むしろ居心地の良さすら感じている。

兎も角は今の所非常に満足しているわけである

本題に入りたいと思う。

先日複数会社を交えた懇親会のようなものがあった。

見知りから初めましての方まで出席する会合だ。

会話も自己紹介的な当たり障りのないものが多い。

出身とか、連休何してたとか、表面的な会社の話とか。

私も出身を聞かれた後、それで今は何処にお住まいで?という感じで話が振られた。

住んでいる場所を答えると、えー遠いですね、とか地味だとか、

まあそんな憧れる場所でも無いのでそんなもんだよな、と思い聞いていた。

会話の1人が、なんで都内に住まないんですか?と振ってきたので

まあ、通えます家賃も勿体ないのでと返答した。

すると何故かそいつは明らかにマウントに取りに来ている感じの喋り方をしてきた。

へー凄いですねーと言いつつ、そんな住んでいる場所を気にするんだなーと思いながら会話を流していた。

そしてこの話の滑稽なところは、

このマウント野郎東北出身所謂お上りで都内のタワマンに住んでいる事をステータスにしており、

一方埼玉在住の私は別に自分が住んでいる場所プライドも拘りも無いという、

そもそも話の温度が違うのに鼻息荒くマウントを取ろうとしているという何の面白みも無い会話だという事だ。

別に収入やらステータスで住む場所を決めろと言っているわけではない、頑張ってタワマンに住んでいるという事は

非常に大事モチベーションだと思うが、それで謎の優越感を持って人を批判するなという事である

(余談だが会社間の懇親会という事で相手所属会社もわかり収入的にも予測がつく、

 本人はマウント取りのつもりが相手にとって非常に滑稽に見える事もあるわけで・・・

上京してきて良く思うのが、何故東京に住んでいる地方出身者は住んでいる場所マウントを取るのかという事だ。

そして奴らには愛が無い。

そういう訳で上京して10年経つが、東京に住むのが嫌になった。

関西に住んでいる奴が滋賀県民を馬鹿にした時に「琵琶湖の水止めるぞ」といったような愛のあるマウント合戦を心から願う。

2019-08-18

の子供達は遺伝子的に超優秀だ

規範解体されてほぼ完全な自由恋愛市場の中の優良株同士がくっついて生まれ子供達だから遺伝子的に超優秀なんだな。

お見合い結婚が息づいてた時代や男女共に結婚圧力が強かった時代雑魚遺伝子同士の子供が沢山生まれた。

でも今はそういう圧力存在しない時代なので優秀な遺伝子を持つ者同士が結婚して子供を作る。

からの子供は容姿能力遺伝子的に優秀で経済的にも恵まれて育ってる子が多い。

一方で子供貧困が取り沙汰されるように、貧困の中に育つ子供達も一定存在するわけだが、そういう子供達の親はいわゆるDQNが多いんだと思う。

遺伝子的に優秀じゃなくてもDQN遺伝子を持つ者同士は互いに惹かれ合い子を成してしまう。

これはいつの時代にも不変の法則なんだと思う。

DQNはあらゆる時代に偏在し容易に子を成してきた。そしてDQNは子沢山なので国民教育水準が低く多くのDQNを抱える発展途上国では労働力の基盤になってきた。つまりDQNがいないと国家は発展しない。

ただ国家経済発展を遂げ先進国家になると国民教育水準も高まりDQN率が漸減していき、DQNは少数派になるわけだ。

とにかくこのように現代の子供達は大別すると「遺伝子的に優秀な子供達」と「DQN遺伝子を持つ子供達」の2グループに分類できると思う。

もちろん「遺伝子的に優秀じゃない子供達」もいるにはいる。しかし数はそれほど多くはないと思う。

の子供達の親は所謂ワープア同士が経済合理性を求めて結婚して、結果的に子を成したパターンが多いと思う。

でも結婚圧力存在しない現代ではこの様な一群はあくまで少数派で、殆どワープアは「理想相手じゃないなら独身でいいや」と考え遺伝子を遺さず死滅するのだろう。アーメン

これから日本少子高齢化で大変困難な時代を歩むことになるわけだけど、今の子供達は遺伝子的に極めて優秀なのでなんとかなるんじゃねーかな。知らねーけど。

腐向けアニメいくら円盤売れようがネット上でこれっぽっちも話題にならない現象

ダサいんだよな

けものフレンズとかゆるキャンとかオタク界隈席巻しまくったけど腐向けアニメって全然そんなことないじゃん

コレって所謂「駄サイクル」ってやつでは?

2019-08-16

anond:20180701174941

しかし、その説明だと、タダ(無料)で何人もの男に性交をさせる所謂「させこ」「やりマン」が、売春と違って何故違法とされていないのかが説明できないね

もし売春違法化される理由不当廉売であるのなら、料金の設定さえ適切であれば合法扱いされるはずだし、「させこ」「やりマン行為売春行為よりも違法性が高いものとされるハズだが、実際にはそうなっていない。

性欲はないが恋愛感情はあるのがAセクで性欲もなければ恋愛感情もないのがノンセクだという認識で生きてきたが違うのか?

あれ、性欲はあるが恋愛感情がないのがAセクだっけ?

わからん、この辺の分類わからーーん

性欲はあるが所謂普通の性行為への嫌悪を拗らせた結果のリョナラー結構見るけどあれはどういう分類なんだろう

ないならあいつらも分類してやれ性的指向業界

2019-08-15

anond:20190725222656

元増田だよ!!!(言ってみたかった)

初めて海に行ってきたよ。だからどうしたって感じの文章だけど、もし自分みたいに海行ったことないのにツレがなんくるないさー系であまり詳しく教えてくれず不安になってるひとが来年以降にでも読んでくれたら嬉しいなって…今年はもう海水浴の季節終わっちゃったしね…。


こまかいこと

海水浴場までは車移動

増田は女だけどTPO的に許されるならスッピンで居たいタイプだし近所の買い物どころかゴミ捨て程度でがっつりフルメイクする人はすげーなって思う。右に倣えで普段から日焼け止めやら日傘やら使ってるけど別に焼けてもそれはそれで気にしないタイプ

増田所謂「とくに何も入ってないはずなのに鞄がパンパン」かつ「不要ものは何一つとして持ってないはずなのに荷物が多い」人種。ツレは財布とケータイだけ持って平気で出かけるタイプ人種。むしろ財布さえありゃ近場ならどうにかなるだろ系の人種

増田は海ほぼ未経験物心つく前に行ったかもしれないレベルのうっすらした記憶しか残ってない)だし、プールもほぼ未経験スク水公営プールとか親に連れてって貰って近場のちょっと広い屋内プールに行った経験がある記憶はあるよ、レベル)。水着スク水しか知らないよ???ってかんじ。

・以上を含めてツレに必要ものを聞いたところ「水着日焼け止め、あとシャンプー。靴は要るけど要らないスニーカーとかでいいよ」程度の答えしか貰えなかった。

海の家に車を停めて荷物も預かって貰って、最後にそこでシャワーを浴びて帰ってきたよ。駐車代1000円とクローク(?)+シャワーで800円?だったかな?

もちもの

砂浜に持って行ったもの(使ったもの

水着(半袖ラッシュガード付き)+マリンシューズ

ビニールの鞄(百均で売ってる全面透明のやつ)

日焼け止めスーパーウォータープルーフどうこうとかで海水浴向けっぽいやつ)

クーラーボックスに保冷用の氷とペットボトル(氷入れた魔法瓶をコップ代わりにしたらすごく冷たくておいしかった)

レジャーシート(遠足でお弁当食べる用みたいなやつ)

フェイスタオル

浮き輪(1000円だか500円だかで借りた!貸借品だから持ち歩いてたけどじゃまだった…百均でも売ってるしそれ買っていっても良かったかも…でも持って帰ってもゴミからなあ…)


砂浜に持って行かなかったもの

シャンプー

フェイスタオル(砂浜に持って行ったのと別に2枚)(シャワー後に拭く用と肩に掛ける用)

・財布スマホとかの貴重品



持って行った方が良かったもの

ふつうウェットティッシュクール洗顔シートは持って行ってたけど水99%とかのほうがよかった…)

パラソル(ツレの家にあるものをあえて持って行かなかったのでレンタルするのもなんだかなあ…ってかんじだった)

スコップとかバケツとか(いい年して砂遊びが楽しかった)

・車のフロントガラスの遮光のやつ(名前解らない…帰りに乗ろうとしてすごかった(こなみ))

・やわらかい保冷剤(日焼け後のクールダウン用に、やわらかくてひんやりしたものが欲しかった)

タオルケット(日除け。パラソルあったら不要だと思うけど、水分補給と休憩で海からあがったとき直射日光の痛さ熱さに対する鎧が欲しかった)

・目薬(海水、意外と、しみる)

ビニール袋(余るだろぐらいの数持って行った方が良かった)(脱いだ水着を入ってた袋に入れたのにパンパンなっちゃった


持って行かなくても良かったもの必要なかったもの

絆創膏(使わなかった)(けど、怪我をしたらないと不便だろうから…車に積んでるぐらいで持ち歩かなくても良かったかなあ…)

お金ふつうビニールポーチ?小物入れ?にチャック袋で500円玉6枚入れてネックストラップつけて首からさげてた)(あくま自分たちの仲では、だけど、ひとりひとつ持つ必要はなかった)(浸水はしなかった)

クロックス(泳ぎにくい!靴ズレしそうだから早々にマリンシューズに履き替えた)(帰りし靴下履くの面倒だったので割と重宝はした)

・ゴーグル(ツレが持ってきてたけどなんとなく使わなかった)

ラッシュガード(長袖パーカー)(割と熱心に日焼け止め塗ってたのに焼けたし必要必要なんだろうけど、どうも着衣水泳感があって結局ほぼ着なかった)(馴染みのないものから積極的に着ようとしなかったのもある)

ペディキュア(素足で歩くと思ってたのにずっとマリンシューズ履きっぱなしだった…)

2019-08-14

極限ライフハック

夏コミ3日目、入場前に東通路に誘導されたんです。所謂忘れられた民です。

大人しく待機してたんですが、10時もとうに過ぎた頃、遠からず見える通路を歩く人波を見ながら、こちらは少しも動けず。

灼熱地獄に倒れる参加者、走るスタッフ、なんかおかしくね?という空気の中、まったく唐突嫌韓話を始めた人がおりまして。

独り声高にありきたりな話を1セット、立て板に水で話した後、もとのテンションに戻って同行の友人と普通に雑談してたので、ああこれが「3分憎悪」かと。実際見たのは初めてでしたが、案外効果あるもんですね。

個人的には「3分ネコ大好き」とかの方が共感できます。犬でもいいですよ。

2019-08-13

anond:20190813152729

まあ所謂GAFA個人情報収集して云々戦略の一環みたいな話がありそうだなあと思うよな

労働者権利向上」が労働者の首を絞める

働き方改革」や「最低時給の上昇」、「有給休暇取得の義務化」等で労働者権利向上が叫ばれる昨今だけど、この風潮を労働者が手放しで喜んでいることにどうも違和感を感じる。

それ、結局労働者の首絞めてない?

労働者権利があがればあがるほど労働者雇用するリスクは増える。

その時経営者は何を考えるだろう。

当然、労働者を雇う際より会社にとって利益になる労働者を厳選する筈だ。

労働者一人一人にかかるコストが上昇するなら、当然労働者一人一人が上げなければいけない利益も上昇する。

それができない労働者を、経営者は雇うわけにはいかない。

今それができている労働者の中にも、今後労働者権利が向上し続ければ、自身が上げている利益自身にかかるコストが逆転してしま労働者が出現するだろう。

そうなれば経営者はその労働者をクビにするしかない。

また、そういった負債が増え続ければ、そもそも会社事業自体が経ち行かなくなる。

まり倒産だ。

するとどうなるか?

街に失業者が溢れかえってしまう。

そしてそのように自身にかかるコスト分の利益もあげられない者達は、当然再就職もままならない。

まあ「俺は利益上げてるし。無能いくらその辺でのたれ死のうとどうでもいいわ」みたいな人もいるだろう。

だが、現実人間はいくら職を失い再就職もできなかろうと、ゲームNPCのようにスーッと消えてくれるわけではない。

所謂世間を騒がしている「無敵の人」が大量に出来上がる。

治安はどんどんと悪くなっていくだろうね。

ていうかそもそもスキルあるけど現状に不満がある労働者なら、会社に掛け合って待遇改善して貰うか転職すればいいだけの話なんだよな。

わざわざ政策無能待遇底上げしたってしょうがねえじゃん。

そんなことしてるからマトモな経営者はどんどん苦しくなって廃業していき、なんとか法の抜け道を探しているブラック企業が横行するんだろうが、アホか。

無能にも働ける場所があった方がいいんだよ。

現状無能いくら働こうが得るものが少な過ぎて実質無敵の人状態っていうのは問題だけどね。

ただ十把一絡げに底上げすれば解決するってもんでもないでしょ。

2019-08-12

anond:20190807005604

俺も似たような状況にある。在日3世クォーターかもしれない。

かもしれないというのは、確固たる証拠がないからで親には聞けていない

親子ともども国籍日本で、一般的な家庭で日本人として育てられた。

自分が生まれときには祖父の一人は既に亡くなっていて、残りの3人の祖父母は物心つくまで健在だった。

3人の祖父母は疑いようのない日本人であった。

自分もしかして在日なのかもと思い始めたのは、社会人になってからだ。

面と向かってあなた在日ですかと言われたことはない。ただ、周りの反応や扱いが、この人は在日なのではと思われてるような感じが度々あった。

違和感を感じてなぜそう思われるのか考えてみると、たしか名前がそういうニュアンスを含んでいるように思えるし、身体的特徴も暗示しているような気がしてきた。

親に聞けていないのは、もし仮にそうだったとしたら親はこれまで隠してきているわけで、今更そのことを明らかにしても自分は多少スッキリするかもしれないが、そのリスクを冒すほどのメリットを感じられないし、勇気が出ない。

このことで一番困っているのは、会社などで所謂嫌韓自称するような人(会社という半分(?)公の場でそういう信条をどうどうという時点で相当アレな人という気がするが)が、悪意を持って接してくる点である

そういう人から面と向かって在日なのかと問われたことはないのだが、そう思っている節があり、皮肉や悪意を感じるときがある。ちなみに会社には在日ではなく明確に外国人籍の社員もいるのだが。

面と向かって問われれば否定したり、対応したりできる部分もあるのだが、勝手にそう判断されてそういう扱いを受けてしまうと議論コミュニケーションが発生しないのでとても居心地が悪いし、コントロールしようがない。

自分はこの話を結婚する前に妻にだけは相談したことがある。妻にも、自分そうかもしれないという確度でしか話せていないが、反応としては「そうなんだ〜」という以上のものはなかった。内心ではどういう思いがあったのかは推し量ることはできないが、ともかく否定はされなかったのでほっとした。

正直、自分出自に関してはコントロールしようがなく、今更どうにも変えられるものではない。

ただ、これを起因として生きづらさがあり、今後増していくのであれば、それを納得感を持って受け入れることは難しい。

30年くらい前は中韓は良くも悪くも日本の中でそれほど存在感がなかったと自分人生では感じているが、今は中韓日本の中で悪目立ちしている。

まだ、自分ポジション中韓側に持つことができれば救いがあるかもしれないが、一般的日本教育を受け日本的な価値観を持つ自分としては、基本的日本の側に身を置いている。

日本の側に身を置いているが、日本の側から相手側だと思われると、立つ瀬がないのである

そして、自分の身も心配だが、自分には子供がおり、子供が将来同じような目か、それ以上にひどい目にあうことは絶対に避けたい。

日本の側の身を置いてはいるが、今の日本の状況は決してよくないと思うし、2~30年後の将来は経済知的レベルモラル環境などの点で今より良くなっているとは思えない。

最後、少し話が脱線してしまったが、まぁ、どこにも吐露しようのないもの排出たかったし、同じような境遇の人がいるのであれば状況を共有したかったというところです。

2019-08-08

あいちトリエンナーレについて

話題になっているあいちトリエンナーレについて個人的に思うことが色々あったので書こうと思う。細かいことを話して特定されると普通に死ぬのでぼかすが、一応運営ボランティアとして展示に参加している。

クソ長い。

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表現不自由展・その後」について

最初に断っておくと、今話題になっている「表現不自由展・その後」についてだが、私はぶっちゃけ見ていない。今となっては炎上が勃発した時点で見に行っておくべきだったと後悔しているのだが、いやだってまさか3日で終わるとは思わねえもん。

と、いうのも事前のボランティア研修とかで「表現不自由展・その後」に注目している人は私の知る限りほぼ皆無だったからだ。一応警備対応とかの事情説明は受けたがそれについて「楽しみだ」とか「心配だ」とか言っている人は居なかった。別に目を逸らしていたとか重大性を認識していなかったとかではなく、ちゃん理由もある。

他の人は知らないが、個人的には「表現不自由展・その後」については「色んな理由で各地の展示会から撤去された作品を集めてみました」くらいの認識だった。面白そうな企画だ、地獄デスマッチ感がある。しかし確かに面白そうだが、言ってしまえばそれだけなのだ

話が変わるが我々ボランティア研修で何をやっているかと言うと、作品知識を蓄えるのではなく、自身感性に従って自由に鑑賞する、所謂対話型鑑賞とかVTS(定義微妙に違うのだが)と呼ばれているもの実践している。具体的にどんな感じかというと、背景知識はほぼなしで作品を見て

「すごく煌びやかで綺麗、幸せカップルの絵に見える」

「画面は綺麗だけど、人物の顔が悲しそう、破局予兆しているのでは?」

関係ないけど雲の形が昨日食べたたこ焼きに似てる」

などとそれぞれの感性経験に基づいて解釈を語りあうのだ。これが結構楽しい。例えるなら深夜のファミレスオタクが集まってエヴァ最終回について語り合っている状態に近い。割と何分でもやっていられる。

だがそういった観点から見ると、「表現不自由展・その後」があまり魅力的でないことは分かってもらえると思う。「近代化」、「ジェンダー」、「作家自身の半生」、トリエンナーレには複雑なテーマを持った鑑賞しがいのある作品が沢山出品されている。「表現不自由展・その後」は企画としては面白いがある意味企画落ち」なのだ。事前に具体的な作品内容が分からなかったというのもあるが、それ以上掘り下げようがない。寧ろ中止になった今の方が色々語れる。

そんなわけで「表現不自由展・その後」がここまでの話題になったのはかなり意外だったし、多くの人にとってあいちトリエンナーレ第一印象がそれになってしまったのは少し残念でもある。

慰安婦像インパクトコンテクスト

さて「表現不自由展・その後」の中でも特によく燃えていたのが慰安婦昭和天皇絡みの展示だと思う。政治的インパクト抜群だからだ。だがここまで千字くらい駄文を読まされて大分心と頭が冷え切っているところだと思うので、少し冷静に展示のコンテクストについても考えて欲しい。

表現不自由展・その後」は「あちこちの展示会で撤去されたやつを集めて展示する」というコンセプトで行われている。よってこの企画で展示されているのは慰安婦像それ自体ではなく、あくまで「どっかから撤去された慰安婦像なのだ

ソウル日本大使館前慰安婦像が設置されたときメディアはこぞって大使館慰安婦像が一緒に映った映像放送したと思うが、あの報道に対して「不快から映すな」と怒った人は居ただろうか。まあ居なくはなかったかもしれないが、多分映さない方がもっと怒られるだろう。怒らないのはそれが「大使館の前に慰安婦像が設置されたという報道」だとコンテクストも含めて理解しているからだ(勿論どちらの場合制作サイドの意図別にあるのだが)。

今回の展示ではそこのコンテクストおざなりにされたまま、日本に実物の慰安婦像が展示されているというインパクトと、SNS上の断片的な情報事態が拡大してしまった感がある。

また若干話が大きくなるが、余裕があったら歴史的コンテクストについても一度考えてみて欲しい。慰安婦像というと直ぐに反日というイメージに結びつけがちだが、何故そう思うのか。

そもそも慰安婦なんて居なかったと考えている人からすれば一応理屈は通っている、悪意のある捏造ということになるからだ。

しかし、詳細については諸説あるが、そういうもの存在したということだけについては歴史的資料も揃っているし、両国見解も一致している。つまるところ歴史に認められているのだ。

負の歴史を展示し続けることは未来に生きるだれかにとっての悪意になるのか、日本を始め第二次世界大戦に関わった各国には慰霊碑モニュメントがある、ドイツカンボジアには国内虐殺記憶するモニュメントがある、それを見て不快になる人はいるだろうし、寧ろ不快になるべきなのかもしれないが、ならそれらは排除されるべき悪意なのか、そもそも悪意は無条件に「悪」なのか。

場所によって反応も変わる、オバマ広島原爆資料館に行ったが、アメリカスミソニアンエノラ・ゲイ展示をやろうとしたとき退役軍人たちからバッシングが来た。そういった反応の違いは展示の意味、ひいては歴史意味に影響を与え得るのか、得ないのか。

そして誰の、誰に対する悪意なのか、人の属性は一つでないし必ずしもはっきり分類出来る訳でもない、あなたが引いた「味方」と「敵」の線など気にも留めず他人は好き勝手踏み越えて生きる。例えば、韓国人男性日本女性慰安婦について議論しているとして、彼らは一体どの立場にいるのか、そこに存在する先入観は何か。

話が大分概念的になってしまったが、何が言いたかたかというと、コンテクストというのはそれだけ膨大で複雑なのだ

勿論コンテクストには政治だってまれる。慰安婦像純粋歴史的モニュメントというより政治的に使われているのは明らかだし、恐らくそれは大半の日本人のせいではないので、あん一触即発もの見たくも聞きたくもない、というのは分かるし別に普段はそれで構わないと思う。

ただ死ぬほど暇なときにでも少し考えてみて欲しい。メディア報道を見ていると日韓政治的同意が得られれば慰安婦像撤去されていると考えている人もいるようだが、その必然性はない、だって歴史に認められているから。というかそれで撤去されたらマジで純粋プロパガンダだったって言っているようなものからやめろ。

像はコンテクストの中で存在し続けるし、今回の展示もそのコンテクストの一部である

批判するにせよ擁護するにせよそこに対する考察がなければそれはインパクトに押された感情任せでしかないだろう。

それでも慰安婦像許せないし完全に撤去したいんだけどっていう人はどうすればいいかって?そこも歴史に学ぼう。

アメリカコロンブスとかリー将軍の像が次々撤去されているのはニュースで聞いた人もいるだろう。時代の変化とともに歴史観は書き換わる。虐殺奴隷制擁護者としての側面が評価され、彼らは英雄ではなくなった。もはや歴史に認められていないから像だって撤去される。

個人的には英雄として評価されていた歴史も含め展示するのも面白いんじゃないかとも思うが、少なくとも公共の場モニュメントとしてはふさわしくないと判断されているのだ。

まり慰安婦像撤去したいのなら何らかの方法歴史観を書き換えれば良い。そして歴史学の徒は全力で戦って阻止すれば良い。

トリエンナーレ側の対応について

トリエンナーレ運営が「表現不自由展・その後」の公開を取りやめたことについて、ネット上では様々な意見が飛び交っている。これについては「脅迫に屈した」とか「作家許可をとっていなかった」とか確かに色々と問題がある気はするのだが、津田総監督大村知事が会見で言っていた「安全管理上の問題」という観点からは正直仕方がないと思っている。

第一に展示施設自体問題だ。あいちトリエンナーレには複数の会場があり、「表現不自由展・その後」が展示されていたのは愛知県文化センターの8階、所謂「県美」だ。関係者の名誉のために言っておくが、日本災害が多いだけあって美術館博物館といった文化施設安全管理にはそれなりに注意が払われている。耐震設備に水害対策防火設備さらには盗難破壊防止のための監視員監視カメラが多くの施設で導入されている。

しかテロ大人数による襲撃までは対応出来ないというのが現実だろう。海外博物館ではそういった事態も想定して手荷物検査などを実施しているところもあるが、日本でそれをやるのは割に合わないと言わざるを得ない。

第二に運営側の問題最初に言っておくがあいちトリエンナーレのような文化事業というのは基本的にクソクソ&クソ金がない。

かに税金から拠出予算10億は大金だ、これだけあれば50回くらい安心して老後を過ごせる。しかしそれでアーティスト100人くらい呼んで75日間展示会をやれと言われたら難易度ルナティックだ(他に寄付金とかもあるので実際の予算規模はもっと大きいはずだが)。

よって私も含めた運営スタッフの多くはクオカード1枚で半日働くボランティアである。加えて事前に結構勉強もしないといけないし、当然交通費とかも出ない。

これだけ聞くと何が悲しくてそんな苦行をとか思われるかも知れないが、最初に言った通り美術館とか博物館とかも含めて文化事業は取り敢えず金がないので、もうそういう人たちがいないとほぼ成り立たないのだ。そこで講習会とかバックヤード体験を餌にこじらせ教養オタクたちをボランティアとして釣っている、というか釣られている(※個人の感想です)。言っていて悲しくなるし話が逸れるのでそこら辺は省くが、つまるところ何が言いたいかというと、テロとか起きると我々はタダ働きの挙句何も出来ずやられる。勘弁して欲しい。

最後に若干抽象的な話になるのだが、良くも悪くもあいちトリエンナーレは寄せ集めというのがある。

運営側の細かい事情は知らないが、直前までどんな作品が出るか分からなかったりしたので、少なくとも運営作家が一体となって特定テーマに沿った展示を作るという感じではないと思う。恐らく「情の時代」とかいぼんやりしたコンセプトに基づいて作家を招待して展示スペースを用意している感じだ。

表現不自由展・その後」だって別に運営企画した訳ではなく、かつて行われた「表現不自由展」を招待しただけだ。

展示施設職員に至ってはそれを公務員業務として受け入れているだけである

よって、運営の中心スタッフ、末端のボランティアスタッフ施設や関連団体スタッフさら作家間で一人一人が一つ一つの作品に全て賛同しているとかそんなことはあり得ない。まあそれはある程度の規模の組織では当然のことだと思うし、そうでなければ大規模で多様性のある展示会なんて開けないだろう。なので断っておきたいが、会場とかSNS関係者に絡んで「トリエンナーレ見解」とやらを聞き出そうとしてもそんなものはない、せめて総監督に聞いてくれ。

そんな緩い結束でつながっている人々を「脅迫に屈しない覚悟」に巻き込むのは正直言って無理がある。

それらを踏まえてトリエンナーレ運営対応はある程度仕方なかったとは思うのだが、しかしそうせざるを得ない状況には大きな問題がある。

表現自由について

先述の通り、施設組織問題テロ脅迫対応することは出来ないし、安全上の問題を考えると「表現不自由展・その後」の展示中止は仕方ない側面もあると思う。

しかし考えてもみて欲しい、そもそも武器とかガソリン持った奴相手に対抗できる団体個人がこの国にどれだけいるのだ、極真空手総本山とかか?結構大企業だって本気で襲撃されたら対応出来ないことの方が多いだろう、必然的にそれを仄めかす脅迫の時点で相手側の要求を飲まざるを得なくなる。

暴力による権利への挑戦に対しては個人レベルでなく、社会全体として対抗しなければならないし、行政側には憲法に基づいてその義務がある。

最初特定されたら困るから匿名意見すると書いたが、そもそも身の危険を感じて発現を躊躇しなければならない状況自体おかしいのだ(勿論それとは別に自衛はするが)。

また、津田総監督が会見によると脅迫と並んでまずかったのが「電話」らしい。

抗議の電話でまず事務局回線パンク、結果つながらなかった人たちが県美や文化センターに掛け、何の対策もしていない職員罵声を浴びせられる、しか公共施設なので切らずに対応しないといけないという事態になったらしい。所謂電突」と呼ばれるものだ。

ネット炎上とともに話題になることの多い電突は、市民による集団的抗議の形態とも見做せるが、一方でインターネットという新興メディアによるメディアスクラムともとれる、特にやられる方からすればそうだろう。

かに組織には説明責任がある、取材報道自由もある。けどそれが対象となる人々の生活を過度に制限するようになればそれは権利が守られている状態とは言えないし、何かしらの法にも触れそうなのだが、恐らく相手不特定多数ということで対策が難しいのだろう。スクラムを仕掛けた側を罰しろとかではなく、対象となった側を守る為の社会整備は必要だと思う(と、ずっと前から言われている気はするのだが…)。

誤解しないで欲しいが、ここでいいたいのは抗議をするなということではない。

表現自由というのは反論されない権利などではない、ただやり方の問題だ。

話がまた大きくなるが、個人的にはどれだけ平和主義を語っても「戦い」なんてものはなくならないと思っている。政治も、経済も、受験も、スポーツも、婚活も、創作も、結局は「戦い」なのだ、ただそれをいか物理的な暴力を伴わず決められたルール範囲内でやるかが、人類が積み上げてきた理性とか法治とか文明指標なのだと思う。

抗議は存分にやればいい、カウンターとなるアート作成しても良いし、ネットに長文を書き込んでも良い、署名デモでも良い。そして表現自由と言っても万能ではない、脅迫罪、威力業務妨害罪侮辱罪、名誉毀損罪、プライバシー権著作権憲法に定められた公共の福祉概念に基づいてそれを規制する法律なんてごまんとある。そのうちの何かに抵触してそうなら訴訟という手もある。ただやるからには全て合法的にやれというだけの話だ。

pixivで気に食わねえ解釈を見つけたら自分解釈を倍の質と量で投稿して相手の筆を折るのが仁義というものだろう。すまない今のは完全に個人意見から忘れてくれ。

じゃあこの場合どうしたらいいのか。

少し話が飛ぶが比較のため「コンビニエロ本問題」について話させて欲しい。「コンビニエロ本問題」とは女性客などからの抗議を受けてコンビニから18禁の本が撤去されている事態のことだ。あれを表現自由と結び付けて語る人もいるが、私はそうではないと思っている。

何故ならあくまコンビニ民間営利団体からだ。コンビニ業界に詳しい訳ではないので話半分に聞いて欲しいのだが、もしコンビニ側が「エロ本撤去しないとタピオカを積んだトラックで突っ込む」とか脅迫を受けているならば、それは許すべからざる犯罪だ、しかし多分そうではないだろう。

抗議が原因と言われているが、恐らくより正確には「エロ本絡みの抗議や客足減退に対してエロ本の売り上げが割に合わない」が原因なのだと思う。

コンビニ18禁本を最後に買ったのはいつだろう、正直質はともかく量と利便性ネットの方が格段に上だと思う。正確な売り上げは知らないが、エロ本だけで月々1兆円くらい純利益が出ているなら、あの容赦のないコンビニ業界Permalink | 記事への反応(15) | 22:16

anond:20190808112108

グリザイアの果実アニメ(に限らずエロゲ原作アニメ全般そうだけど)、ゲーム内容に忠実ってわけでもないぞよ。


グリザイアシリーズちょっと複雑なゲームのつくりしてて、


果実複数ルート式の所謂ギャルゲー

迷宮シングルルートノベルゲー)

楽園シングルルートノベルゲー)


って感じ。

果実は超長いキャラ紹介みたいなもん。アニメ果実は各ルートのおいしいところだけ拾ってる感じかな。


ファントムトリガーはvol1-6くらいまで出てるけど、全部シングルルートノベルゲー。

各話キャラクターにフォーカスしたほぼ一話完結型だから、こっちのほうがとっつきやすい。

欠点はまだ終わってないこと。

2019-08-07

何故あいちトリエンナーレはここまで社会の関心を持つようになったのか?

報道や各種メディア個人が様々な媒体で伝えているこの事柄に対して、私個人のごく私的見解など、どうしようもない話の一部になるのだろうけれど、つらつら書いてみようと思う。

検閲

今回発生した問題検閲問題ではない。現在紙面やネットで騒いでいる検閲という問題は、当事者の手を離れた部外者による場外乱闘であった。扇情的な展示に対して、権力を扱う不用意な政治家が、自制せず権利侵害する発言を行ったことは大問題であるが、ここまでくるともはや展示云々ではなく、国家自治体による権利侵害(の実行又は脅迫)という、大事問題だが、別方向の問題として切り離して考えるべきで、後述する問題を覆い隠してしまうことになる。展示を取りやめたのは、大量の抗議や脅迫犯罪予告により、芸術祭にかかわる方々の安全を確保できなくなったという状況に陥り、該当展示の実行委員会(実行キュレーター)の同意なしで中止に至ったという顛末理解している。

税金使用したイベントについて

芸術市場が大きい欧米諸国に対し、日本国は元々芸術品の売買に対して諸国のような減税優遇措置をとっておらず、バブル期を除き、民間ギャラリーを経由した売買や、流通操作伝統工芸品を大型百貨店の展示場で、国内のみ通用する相場販売する程度であったが、バブル期90年代の大型公共投資連続からハード面での地域振興策資金コンプライアンスの両面で実行が不可能になった自治体における「少額で、短期間で既存インフラ活用でき負担が少なく、運が良ければ国際的知名度を上げることができる。」ツールとして、この10雨後の筍のように芸術祭が乱立する事態となった。そこでは、ノウハウのない自治体が、自称地域文化担い手である新聞社に丸投げ、そこからコネ採用された力のないキュレーターは、自身の貧弱なコネクションで囲い込んだ微妙作家しか呼べず、投下した税金の割に貧相な芸術祭になった場合自治体が運悪く山師に金を預けてしまい、多額の不適切支出泣き寝入りになった場合。など皆さんが思っている以上に税金使用したイベントにはトラブルが多い。税金が投入されるイベントは前提条件として・補助金申請等の手続煩雑・大小の自主規制や、地域ルールに縛られる・税金が原資なので、疲弊した財務状況の自治体では開催不能批判を招く場合がある。税金芸術より生活政策資金が回されるのは当然である所詮流行りの水物なのだが、皆さんが思っているより所謂コスパの良い地域振興策なのでなくならないだろう。

表現の自由

今回の問題では、アートと異なる展示がなされているという意見が多く出ているが、大きく表現の自由と括られる中でも、その自由の元に「どの媒体で」「どのような手段で」「どの程度の深度で」、成果物として表現しているかは人それぞれ、所属する社会により異なるという点。またアート政治と不可分であるが、極端な扇情アジ)を行わなくとも、その行為そもそも自由行使しなければ表現できない、自由平和な状況でなければ創作活動はできず、人の創造性を発揮できない点が大前提であり、自由の中で個々人が世界との関わりの中で何らかの美醜混じった真理を見つけ、それを昇華したのがアートとすると、今も表に出ない問題の一つ、表現の自由行使する媒体手段の衝突という背景が見えてくる。

新聞社や論壇を中心とするジャーナリズムは、文字を用い、抽象化している諸概念文章化し、権利自由を、守り、啓蒙し、扇情したりするわけだが、小説などと異なり「直感的に察する/察させる」機能は弱く、相手文字化、文脈という論理化してしまった問題に対し、「同意するか」「同意しないか」の二者択一を求めてしまう。そして問題となった展示は、実行委員会の多くが学者又はジャーナリズム出身という状況で、同じ表現の自由でも、性質が異なる表現を行ったことが原因にあり、一般市民が考える「アート」とイコールにならなかった。「これはアートではない」という声である表現はしているが、アートではないと。

ステートメント芸術、或いはキャプション芸術と呼ばれるもの

アーティストと名乗る作家にも問題がある、この「ステートメント芸術」と揶揄される表現は、業界に詳しくなれば詳しくなるほど根深く、呪いともいえる。

アートという行為物質/空間/映像/音楽意図が伝わるよう、意識特定ベクトルへ向けるよう誘導し、表現しなければならない所なのだが、その実力がない作家の中に、延々とそれらしい説明文を付けて意味づけする行為や、文脈という補助要素を主要素に持って来て、実態だけを見ても理解不能となる。そのような作家は大体退場していくのだが、言葉が主戦場ジャーナリズム界隈と親和性が高いので、変な形で融合してしまうことがある。

文脈を追うのが現代アートだ」という解釈誕生である。一面では事実だが、全てではない。

ビジネス世界でこの行為を言い換えた表現としては「ストーリー」という言葉がある、そしてこれを最大限活用した米国企業セラノスの末路は多くの人を巻き込み凄惨ものであった。

・何が問題だったのか

監督芸術キュレーター経験がなく、自身の分野であるジャーナリズム文脈解釈した表現を、芸術祭ねじ込んだ為、酷く食傷を起こしてしまった。

食傷を起こしてしまった後の対応が、構造理解している人の不足で収まっていない。

食傷を起こした理由は長々と書いた。経緯として自分たち表現の自由最前線で、他の作家は何も考えていない。ように捉えられてしまキュレーション自由世界におけるジャーナリズム優越性)をしてしまったのが原因にあると考える。結果、津田氏がFM番組発言したように「自分一人ならナイフで刺されてもいい覚悟だが、関係のない人を闘争に巻き込んでしまった」という発言につながっている。

表現自由であるから闘争を持ち込むなとは言えないが、徹底的なゾーニングと仕掛(言語化できている主張表現に容易にアクセスできる導線を作る)ことが必要であった。言語化できている(と思われる)主張表現に対して、実態が追い付いていなかったのではないだろうか。

不特定多数威圧行為は、少数で行う創作活動にとって凶悪暴力であり、過去も多々あり、これからもなくならない。すべての事柄に寛容な社会など来ないし、永遠に付き合わなければならない。

②をわざわざ書いたのが、今回の騒動で最も被害を受けている、他の参加作家に対して謝罪対策を行っているのかよくわからない状況だからである

・誰が最も被害を受けたのか

昨日声明文を出さざる得ない状況に追い込まれた、他の参加作家である。それぞれの表現を深化させて今日を迎えているが、キュレーターバランスを取らず、独自プレイヤーとして創作活動我田引水した結果。必要のない状況で、自身作品を見てもらうという重要事柄を達成されないまま原理原則論確認や主張を行わされたのは、イベント主催者として責任が重大である表現の自由大事だと言うに決まっている。また、作品撤収せざる得ない状況に追い込まれ海外から参加者に対して、展示機会を奪った結果になった事も忘れてならない。マスコミが何をキーヴィジュアルとして記事にするか理解して、扇情的人形を配置しているのは明白で、記事を見た輩が抵抗/抗議を通り越して、挑発解釈してしまった訳である撤収した2人は、必要のない場面で・積極的日本側の行為に抗議を行う・無視した場合自国内で起きている扇情的民族主義の標的になることを避ける。2者択一判断に迫られた。

昨日声明に協賛したのは参加作家全員でないだろう、検閲を受けたわけでもない、こういうキュレーターミスによる騒動に対してのスタンス作家ごとに異なるのは当然である

・なぜここまで注目が集まったのか

芸術本質的生活必需品とは言えない。生活環境が改善し、可処分所得余暇がある状況下で初めて人は関心を持つようになる。今の日本問題は起きているが、ネットで百家争鳴する位この国は文化的に成熟しており、得体の知らない世界に関わりを持ちたい気持になったのは素晴らしいと思う。物事の全ては飛び込んでこそ妙が分かる。威圧脅迫はださく醜悪である。そしてアートはこんな長文も飛び越えて一瞬であなた感性に突き刺さる力を持っている。

はてな民老害化ヤバない?

「ロスジェネにつながりはいらない」赤木智弘さんが語る唯一の救済策 - withnews(ウィズニュース)

これについてるブコメ老害感ヤバない?

人気ブコメ要約すると

「今の若者は恵まれている。俺ら時代は大変だった。なのでもっと俺らを敬い、支えろ」

ってお手本みたいな「老害」じゃん

「今の日本社会があるのは戦後高度成長期を支えたワシらのおかげ。なので老人を尊敬年金保険介護負担をして当然」

って言ってるのと同じか、それ以上に質悪いわ

俺はリーマン直撃世代の30代なので、所謂ロスジェネ」でも、「恵まれ若者」でもないけどさすがにドン引きだわ

多分こいつら自分老害化してることに気づいてねえんだろうなあ

こうやって人は自分が嫌っていたはずの「老害」になっていくのか

2019-08-05

anond:20190805100238

堀井って二次創作所謂原作破壊とか全然気にしないもんな

原作者はファンが思うほど原作に拘りや愛着がない」ってのを地で行ってる

anond:20190805095030

中途採用でも大体同業種で異動してるだけやん

所謂普通会社員」の「自分常識世界常識だと思ってる度」は酷いと思う

自分世界以外の事はろくに知らない癖に

自分世界常識知らない奴=非常識、だと思い込んでる感じ

2019-08-03

育った町

 この暑い日に何故歯医者へ行かねばならないのかと、二日酔いで重くなった体を起こし歯磨きを終えたところで昨日風呂にも入らずに寝たことを思い出したが、どうせ汗だくになって診療所へ入るのだとこじつけたような理由を言い聞かせ外へ出た。

 私の家は坂の一番上にあり、緩やかとも急な坂とも言えない道を下り続けて通りに出ると歯医者はある。

 普段通勤で駅へ向かう方向とは真逆にあたるこの道は、何ヶ月ぶりかに歩く道だった。

 途中、私の初恋相手が住むレンガの家があり、通り過ぎると小学校が見えてくる。小学校の向かいにあった豪邸はなくなっており更地となっていた。その隣には山一つを土地で所有している屋敷とでも呼べばいいのか家があり、家そのものは山の上にあるのだが、斜面は緑地公園のように4,5本大きな木が植えられた庭となっている。その庭の周りはフェンスで囲われており、子供の頃は大きな犬が3匹走り回っていたが、確かその家の主である爺さんが飼い犬を放したいが為のものだったようで、爺さんが亡くなる頃には犬も居なくなり、今では雑木林と化している。

 さらに下ると右手にやや細長い土地に家があり、先日母が売りに出されたチラシを見てあの家だよと話していたのを覚えている。3億だかするらしい。手入れがされなくなったからかチラホラと垣根が溢れて中が見えるようになっていた。

 坂の終わりにくると70度はあるだろうと思える斜面の山、というより崖があり、自転車なんかじゃまず登れない山の頂上にこれまた見たことない豪邸が建っていた。まるでハリウッド映画でみるようなプール付きかとも思えるその豪邸を見て私は、ありゃ10億だなと暑さで掠れた声で呟いた。

 歯医者に着いて診察券を渡し待っていると名前を呼ばれた。今日は何も悪いところを直しに来たのではない。先日ビールを飲んで感じたことのない痛みが起き訪ねたら、詰め物が取れていたとかですぐに解決し、そのついでで歯磨き指導を頂けるとの事だった。

 担当してくれた人は綺麗なギャルだった。この診療所を好いている理由はこれが理由でもある。院長が今でも学会でそこそこ活躍されていたらしい人で有ることと、やたらと丁寧な作業説明をしてくれることと、スタッフ仕事もできる若くて綺麗な女性であることだ。いや、やはり最後のは聞かなかったことにしてくれ。

 高圧洗浄とフロスと歯磨き指導を頂いたことで私の口の中は血の海となっていた。お礼を言い、野口を2枚渡しお釣りを受け取って外へ出た。

 時刻は12時前になろうとしていた。

 何を食べようかと、うどんか、いや蕎麦も良いと思い、少しばかり歩くが蕎麦屋に行こうと決めた。

 その蕎麦屋は私が高校時代アルバイトで世話になったお店だ。夏休みのこの時期もガスコンロの前に立ち味噌煮込みうどんを作っていたのを覚えている。その当時一番長く共に働き世話になった社員さんが今ではそのお店で店長をしていると、今年はじめに地元友達と飲んだときに知った。

 滋賀出身のその人は関西弁でよく喋るプレイボーイで、私が大学へ行くため辞めた頃、フロアの方に手を出し無事子を授かったという顛末である

 バイト仲間でもあったその地元友達は、口を揃えて子供ができてから当時のキレはなくなったと弄っているが、私は子供ができてからの彼を全く知らないでいた。

 そんな事を歩きながら思い出していると途中で家族葬の小さな葬儀場が出来ているのに気づいた。こんなところに葬儀場かと思ったが、私が育ったこの町は所謂住宅地であり、私が大人になった年月から住んでいる人たちはみな60を過ぎたお年寄りばかりになっていた。

 戦略的にはあっているなと関心をして、不謹慎ながら賑わうだろうなと思った。

 蕎麦屋につくと12時前から5組ほど待ちが出ていた。私が子供の頃から変わらない。このお店は土日に必ず混むのだ。タブレットで人数を入力した後に番号札を受け取ってしばらく待っていると葬儀を終えた御一行様が予約をしていた者ですがと入ってきた。なるほど葬儀を終えたら御膳を食べに蕎麦屋に来ることにもなるか。また不謹慎ながらこの店も団体客には困らなそうだななんて考えた。

 奥の方から聞き覚えのある声がする。いつ声を掛けようかなどと考えていたが、予約の御一行様がいるのであれば忙しくて座敷部屋から出てくることはないだろうとわかった。そのあたりは2,3年働いていたので分かる。

 席が空いたので案内を受けた。メニューを見ると夏ということもあり鰻があった。そういえば今年は鰻を食べてないなと思ったが、値段をみて素直に辞めておいた。当初の目的通りざる蕎麦天ぷらがあるもの選択して食した。

 お金を払い店を出て来た道を戻ることにした。結局予約客に忙しくこちらには顔を出すことはなかった。今日はそういう日なのだろう。ラインを知っているので美味しかったと送ろうかと思ったがそれもなにやら気持ち悪いと気が引けた。今度地元のやつらが集まったとき、平日の夜が良いだろう。暇になる9時くらいに行って茶化してみよう。

 家の前の駐車スペースで水遊びをしていた兄弟が居た。ラジオを聞きながらバイクを磨いていたおじさんとそれを眺める犬がいた。虫取りをしに行く小学生が走っていた。高校生が先輩の悪口を言いながらバス停へ歩いていた。

 変わる景色と変わらないものがある。私はこの町が好きなのだと思う。

 たまには散歩も悪くない。だがその散歩ももう少し涼しくなってからまたしたいと思う。この暑さには敵わない。

 私が葬儀場に運ばれては元も子もないのだから

2019-08-01

いやさ、今回の件で公式から出た注意喚起、あれ主にお前に対して言ってるからね?何他人事みたいなツラで拡散希望〜!とかやってんだよ

自分の事棚に上げて何言ってんの?

「俺が現場に居ないと推しが寂しがる」とか本気で思ってるの?

まあお前は確かに所謂トップオタだよ、だからって公式から特別扱いされて当たり前とか思うな。ありえないから。

しろお前のせいで公式推し迷惑してて、同担が白い目で見られるから今回の件なんだろ?

ほんと害悪現場来んな

2019-07-31

男は女に奢ろうとするべき

婚活パーティで知り合った男性食事に行った。彼は割り勘のつもりでいて、私もそれをよしとして割り勘した。なのに次のデートの誘いがくる。奢る価値すらないのだと示したんじゃないの?」

っていうブログだかまとめだかを少し前に見たんだけど、ふと思い出してそうだよなあって改めて納得した。読み返そうとしても見つからいから似たような話として自分語りする。

増田女だけど『男が奢るべき』とは思ってない。むしろ恋愛関係でなくとも意味なく奢られるのは気持ち悪いし、奢りもしたくない。誕生日から、とか、上司が部下に、とか、何かのお礼に、とか、そういうのだったらありがたくご馳走になるし、逆の立場だとしても奢る。

ただ、1円単位の割り勘をしたい!対等でいたい!というわけでもない。たとえば会計が2345円なら「細かいのある?」「145円ならあるよ」「こっちは200円あるから1145円ちょうだい」ぐらいの緩さでいいと思う。会計時に「10円ある?(ちょうだい)」とかは別に気にしない。その辺は持ちつ持たれつでいいと思う。

その記事(仮)を読んだとき、ちょうど婚活パーティカップリングした男性食事をした翌日とかその辺だったと思う。

正直、所謂フィーリングがあわない』と言うような気疲れはあった。会話もこちらがふってばかり。YESかNOの返事のみでそこから会話も膨らまない。YESかNOで答えられない質問をしても似たような感じ。

会計は勿論というと変な感じだけど各自精算。「奢ります」「いえ自分で出します」とかのやりとりもなく、互いに各自精算が当たり前という雰囲気と流れだった。

人見知りするたちなのだろうか、もしかしてカップリングしたものの彼にとって私はそこまで気を使おうと思わない相手なのだろうか。なんて考えつつも解散して、その夜は連絡なし。

フェードアウトしていくつもりなんだろうな、とこちらもそのつもりでいたのに、翌日に「今度の休み○○に行きませんか」との誘い。え?なんで?しか思わないよね。

今まで男女の仲に発展すること前提で知り合った男性カップリング相手だとか、友達の紹介だとか)は、少なくとも初回は奢ろうとする意思表示・多めに出そうとする意思表示があったなあ。逆にその前提がない男性(私の友達へ恋心を抱いている、だとか)は割り勘(各自精算)が当たり前だったなあ、と、記事(仮)を読みながら思い出した。そして「え?なんで?」の理由がなんとなく解ってすっきりした。

奢りじゃないなら会いたくない、奢るつもりもないケチな男と付き合いたくない、ってわけじゃない。でも、奢ろうとする意思表示必要だなあって思う。

からしたら「奢ろうとする意思がある=恋愛対象と見られている」と認識できるし、男としてもそうアピール出来る。

男としても、そうアピールした結果実際に奢る形となればその女は奢られて平気な女だと認識できるし、奢らない形となればその女は奢られたくない女だと認識できる。

「割り勘するような甲斐性のない男と思われたくない」って男性でも「奢りが当たり前って思う女はちょっと…」って男性でも、初手でこの試し行為をする価値はあると思う。

最初から割り勘(各自精算)が当たり前の流れだと、奢られて当たり前の女は「奢るつもりないとかケチくさいからナシだな」と思う。たぶん。そんな女じゃないのでよく解らんけど、きっと。

でも、この試し行為をすることにより、奢ったとしても「奢るよ」の後に当然のように「ありがとうございます」か、割り勘を主張した後の「ありがとうございます」か、の見極めが出来る。ケチくさいと思う女は前者だと思うけど、猫被って1回は断るとかのテクニックを使ったとしても、奢りを断ったという言質はとれるしね。

結局人間関係なんて相性なんだから絶対に奢りたい人なら奢られることに抵抗のない人とくっつけばいいし、絶対に奢りたくない人なら奢られたくない人とくっつけばいい。どっちでもいいなら相手に合わせればいい。


なんだかうまく纏まらない。

Tさんも「男は好印象を与えたいなら奢れ!」って言ってた気がするし、実際そうだと思う。ノリが悪いし奢ろうとする素振りもない(=恋愛関係に発展させようとする意思が見えない)のに次の約束を取り付けようとされて困惑したもの

とりあえず、奢るという行為だけでなくそプロセスでも相手を値踏み出来るんだよ。絶対奢りたくないマンでも初回のお茶なら精々数百円なんだし言うだけ言ってみなよ、絶対奢らせたい女だったらそこで判断して切り捨てて次に行った方が早めの損切り出来るよ、オススメだよ的な感じのことを言いたかった…ん、だと思う。

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