はてなキーワード: 狼少女とは
原作未読。
以下ネタバレあり注意。
とりあえずこれ。
「スマホは?」
なんでスマホ持ってないの?
中学生でしょ?
携帯ゲーム機は持ち込んでるのに。
あと、半年以上みんなで過ごしたら、話噛み合わなくて気付くんじゃないの?
テレビとかYouTubeとかTikTokの話とかするだろう普通?
不学校の話もせず、家庭の話もせず、何話してたんだ?
謎すぎる。
あと、狼の少女。
芦田愛菜の演技がキツいのもあるけど、なんであんな上から目線なの?
どういう立場なの?偉いの?
どうやってそんな能力手に入れたの?
「時間が過ぎたら狼に食われることになってる」とか、狼少女の上に誰かいるの?神?
原作読めばわかるの?
いきなりバツ印が墓標とか言われたり、手に集まったり階段出てきたりするのも、意味不明。
狼に食われない限り、謎解き不可能だったのでは?
なんで君らいるの?狼に食われたんじゃなかったの?
とにかくあらゆる設定がガバガバで、感動が薄れた。
ルーズソックスの時代ってポケベルなの?携帯じゃないの?とか。知らんけど。
よかったところ。
あれをよく乗り超えたよなって思うし、泣きそうになった。
現代的な問題を扱ってるし、学生や過去にそういうトラウマ持ってる人には刺さるだろうなって感じた。
ただ、なんか全体的に古くない?
絵とか、演出とか。
構図も単調だし、動きもぎこちない。
前半がだるく、終盤に謎解き集め過ぎて、ちょっとバランスが悪い。
それならもう少し前半スピード上げてほしい。飽きる。
でも伏線はそれなりに回収してて、そういう細かい部分を気にしなければ良作だと思う。
原作読んでみるのもいいのかな。
100点満点の82点。惜しい。リメイクしてほしい。
岡田麿里監督の作品は見たことがなかったが、「あの花」が名作であることは知っていたし
チェンソーマンを見てMAPPAに興味を持っていたので、渾身の劇場作品であるこの作品を見に行こうと思った。
とは言えあまりヒットしている雰囲気はなく、ネットをふわっと見る限り絶賛している人はあまりおらず、
見どころはあるが問題も多い、というような感想が多数なのであまり期待はしてなかった。
鑑賞した結果、見どころはあるが問題が多すぎるのであまり乗れないな、という感想を抱いた。
絵作りは全体的に申し分なく、やりたかったこともわかるし作者の持ち味もわかるが、そこに至るまでに問題が多すぎる。
順に思い出しながら問題点を突っ込んでいく。
◾️冒頭いきなりギャグが滑っている
冒頭、中学生男子が狭いこたつに4人入ってワチャワチャと勉強しているというほのぼのシーンから幕を開ける。
4人組の中のお調子者が、こたつの中で屁をこき、大騒ぎしながら窓を開ける、というのが
中学生日記レベルのテンプレギャグであり、中年男性である自分が見てこの4人に親しみを持つことはできないな、と感じたが、
まあギャグが大事な作品ではないのでこんなものだろう。全然許容範囲である。
窓を開けると工場が爆発し世界に異変が起こる。時間が止まり、同じ1日を繰り返す田舎街に閉じ込められることになる。
異変が起こった時に、視聴者と同じ現実世界に生きていたはずの主人公たちがどのようにその異変を認識し受け入れていくか、
という過程を描くことで視聴者も状況を受け入れやすくなるものだが、この作品はいきなり違和感を突きつけてくる。
登場人物たちが異変をすでに受け入れており、諦念に塗れた奇妙な終わらない日常生活を続けているのだ。
徐々に明らかになることだが、時間が止まってから十年以上が経過していたのだ。
かなり挑戦的なストーリーテーリングだが、あまり成功しているとは言えない。
十年以上も外界と隔絶され肉体が変化せず、同じ1日を繰り返しているというのは相当な極限状況である。
田舎町とはいえ数千〜数万人はいるであろう街の人達が、そのような極限状況に置かれているようには見えない。
最初の数年は外界に出ようとしたり、ループから抜け出そうとチャレンジした人達がいて、
彼らが失敗したのを見て人々が諦めて日常を続けることにした、という経緯なのだと思う。
そのような経緯が描かれることはなく、この無茶な状況を説明するのは「自分確認票」とかいうものを人々が
毎日書かされているという設定である。演出的にもこれを毎日書いていることがかなり重要になってくる。
「いつの日か時間が再び動き出した時に、自分が変化し過ぎていると不具合が起こるかもしれないので、自分が昨日と変わっていないことを毎日確認しましょう」
ということらしいのだが、その根拠はなんとなく事情がわかっている風の言動をしている変わり者の神主がそう言ってるから、
この映画の問題点の半分ぐらいはこいつの責任であると言えるだろう。予告編を見るだけで違和感を覚えると思うが、
映画のリアリティラインにそぐわない、いかにもアニメ的なエキセントリックなキャラである。
この突飛なキャラを映画に馴染ませるために、妙にリアルな小物感を感じさせる演技が端々に入るところは面白い。
「こんな奴が現実にいたら絶対に近寄りたくないな」と思わせてくれる。
芝居がかった大仰な喋り方をした後にボソボソと独り言を言ったりするところがやばい奴感のリアリティを高めている。
最大の問題は、街の中でも変わり者として爪弾きにされていたこの男が、世界設定の根幹を握っていることである。
背後にある神道的な神秘設定の描写が非常に薄く、単なる変人の妄言が街を支配しているように見えてしまう。
小物感がリアルに強調されればされるほど、世界観が薄っぺらく見えるという問題。
こいつが単なる変人ではなく、世界の鍵を握るだけの力を持っている描写がもう少し必要だったのではないか。
十年以上自分が変わらないように毎日確認票を書かされている20代中盤の主人公たちの気持ちに感情移入するのは難しい。
街から出られないとはいえ人生経験は十数年分重ねていて、車の運転などもできるようになっているのだ。
肉体が変わらないからなのかメンタルは中学生のままで、意味もなく高い所から飛び降りたり首締めごっこをしたり、
上履きを隠したり、パンチラやブルマー姿を見て喜んだり、わざとパンツを見せてからかったり、みずみずしく痛々しい恋をしたり、
いかにも中学生な行為を続けている。どういう精神状態なのか想像がつかず、共感できない。
物語上の都合のいいところだけ成長して、中学生として見せたい部分は成長しない。随分とご都合主義の設定である。
作者の見せたい都合に引き込む演出の力量が足りていない。
女の子みたいに見える主人公。女みたいと言われるのは嫌いじゃないが男が好きなわけじゃない。
なかなか魅力的な設定だが、そこがそれ以上掘り下げられることはない。そのほかにもフェティッシュの要素がいくつも
散りばめられているがただ作者がやりたかっただけでキャラの魅力につながっていかないことは残念である。
肝試しに地味な女の子と一緒にトンネルに入ったらいきなり告白される、というシーンはこの映画で唯一笑えたシーンだったのだが、
からかわれて傷ついた女の子は心にヒビが入り、そのまま消滅してしまうという全く笑えない結末になってしまう。
実は時間が止まっているというのは神主らが仕組んだ嘘で、主人公たちは聖なる山と工場が生み出した幻だったのだ!
様々な設定の綻びも、不可解な登場人物の心理も、幻だったのなら仕方がない。すべて作者の胸先三寸である。
世界観のペラペラ感がティッシュぐらいの厚みになってしまう。絵的にも、あちこちがひび割れて今にも砕け散りそうになっている。
そこで唯一興味を繋ぎ止めてくれるのが、幻の世界で唯一実在の存在である、未来から迷い込んできた主人公たちの娘である。
濃厚なファーストキスを実の娘に偶然見られるという気まずいだけのシーンを経て、
この娘を現実界に送り返すというミッションが確定してから物語は俄かに力を取り戻し、
監督の確かな力量によって大きな盛り上がりが描かれる。
しかし、そこに至るまでのキャラと世界観の積み上げが非常に脆弱であるために、自分は置いていかれている感がしてまるで乗れなかった。
バックトゥザ・フューチャー的なカーアクションで無茶なアクションを繰り広げるものの、
まあ危なそうに見えるけど所詮は幻だし、どーにでもなるだろ・・・と思うとあんまりハラハラしない。
「幻だって生きているんだ!今を楽しんでもいいんだ!」と言われても、「・・はあ。」としか思わないのである。
最後まで出てこないので調べてみたところ、この話の原型になった、監督が以前作ろうとしていた物語に出てくる嘘つき少女と狼少女の名前らしい。
つまり睦実と五実のことを指している。監督の内部の問題でしかないので心底どうでもいい。
五実が10年間言語すら教えられずに育ったのも、「狼に育てられた少女」をやりたかった名残というだけで、設定的に特に意味はないということだけはわかった。
いや無理あるでしょその設定・・・
◾️どうすればよかったか
いやどうしようもなくね?「実は全部幻でした!」というオチに物語として説得力持たせるのは無理だよ!と最初は思ったが、
閉じ込めれた幻としての主人公たちをメタファーとして捉えるなら、共感を誘うような中学生あるある描写は抑え、
閉じ込められた違和感、脱出しようと足掻く姿を押し出した方が良かったのではないか。
「狼に育てられた少女」をやりたいのなら、五実と神機狼の関わりをもっと描くべきだった。
神機狼と佐上の関わりも、もっと神秘的に描いていれば世界観に厚みが出たと思う。
神道っぽい儀式をやるシーンが新海誠作品によくあるけど、ああいうの大事だよね。
突然失踪して終盤急に日記が発見される父親もその辺りの設定に絡められたのでは。
佐上の周囲に腰巾着みたいな面白キャラを配置して浮きすぎた佐上のクッションにするのもいいかもしれない。
原作未読。
主題歌が優里くんなので観ることにした。
以下ネタバレあり注意。
とりあえずこれ。
「スマホは?」
なんでスマホ持ってないの?
中学生でしょ?
携帯ゲーム機は持ち込んでるのに。
あと、半年以上みんなで過ごしたら、話噛み合わなくて気付くんじゃないの?
テレビとかYouTubeとかTikTokの話とかするだろう普通?
不学校の話もせず、家庭の話もせず、何話してたんだ?
謎すぎる。
あと、狼の少女。
芦田愛菜の演技がキツいのもあるけど、なんであんな上から目線なの?
どういう立場なの?偉いの?
どうやってそんな能力手に入れたの?
「時間が過ぎたら狼に食われることになってる」とか、狼少女の上に誰かいるの?神?
原作読めばわかるの?
いきなりバツ印が墓標とか言われたり、手に集まったり階段出てきたりするのも、意味不明。
狼に食われない限り、謎解き不可能だったのでは?
なんで君らいるの?狼に食われたんじゃなかったの?
とにかくあらゆる設定がガバガバで、感動が薄れた。
ルーズソックスの時代ってポケベルなの?携帯じゃないの?とか。知らんけど。
よかったところ。
あれをよく乗り超えたよなって思うし、泣きそうになった。
現代的な問題を扱ってるし、学生や過去にそういうトラウマ持ってる人には刺さるだろうなって感じた。
ただ、なんか全体的に古くない?
絵とか、演出とか。
構図も単調だし、動きもぎこちない。
前半がだるく、終盤に謎解き集め過ぎて、ちょっとバランスが悪い。
それならもう少し前半スピード上げてほしい。飽きる。
でも伏線はそれなりに回収してて、そういう細かい部分を気にしなければ良作だと思う。
原作読んでみるのもいいのかな。
あとはやっぱり優里くんの歌が最高だった。これだけはファン目線で申し訳ないが、映画のエンディングに合っててよかった。
100点満点の82点。惜しい。リメイクしてほしい。
1日目の食事:朝トースト+コーヒー/昼はご飯+昨日の残りのなめこ味噌汁(納豆が好きなのに近所のスーパーでは軒並み売り切れ中)/夜はレトルトのカレー+レタス。
タンパク質と野菜不足が気になって、とりあえずスーパーで冷凍青汁を買ってみた。あとサボっていたプロテインも飲むの再開。
1Kなので起床→ふとんからガバッと出てベッド横のテーブルのパソコンを起動し、朝食のパンとコーヒーを準備しつつ仕事開始(この間1分かからず、ただし通勤時よりも寝坊)
寒がりなのでこの時期、光熱費がバカにならんなという気がする。手当は出してくれるそうだけど些少だ。
昼前だけどまだパジャマ。
これまで習慣のなかった日報を書くのが面倒。
一日中、ご飯のことばかりを考えている。次何作ろう?ってのと(作ったというレベルではないが)、お腹減ったというのと。
「ガラスの仮面」で北島マヤが狼少女の役作りのために狼として生活をしていたときの心境。獣に戻った感じ。
炊事を始め、長年サボっていた家事を多少やり始める。
表現の自由で、現実と虚構の区別はつくと言ってるけど、個人的には全くつかないと言わざるを得ない。
現実と虚構は区別がつくという理由に「物語における殺人シーンを見て殺人をする人はいない」という話が出る。
しかし、人を殺したいって、ハードルが高い。物理的ハードルが高い。ヒヨコを殺すのとはわけがちがう。
人間をうっかり殺すなんてことはかなり難しい。
人を殺したいと思いながら生きている人間自体が異常だし、教育において人を殺してはいけないというのは前提条件だ。
そもそも、人を殺すには動機が必要だ。よほど憎んでいるか、殺人という行為に興味を持つか。
現実と虚構の区別が難しい、と思う理由は、創作物語における人間の反応だ。
たとえば、悪役女優を演じる方は、日本において悪役女優ばかり演じる傾向がある。
役がハマる、というのもあるだろうが、本来、いろんな役ができてこそ俳優だろう。
ある俳優がヤクザを演じれば、どの番組に出てもヤクザにしか見えないなんて言う話もある。
極めつけは、悪役女優を演じると、あなたが嫌いだという苦情の手紙や電話を受けるという話だった。
そのキャラクターが死ぬと、たくさんの人がショックを受けたり、もしくは体調を悪くしたりする。
そのキャラクターが、生きていない存在しないにもかかわらず、だ。
そして、その漫画でも、キャラクターに誕生日が設定されている。
あと、子供向けのテレビでいえば、よくクレヨンしんちゃんが挙げられた。
あれは、真似がしやすい。
きっと、あの真似をする子供に困ったお母さんも多いだろう。
だけど、すぐに注意できるし、怒ることができる。
よほどでない限り、親のほうが影響力は上だろう。
それに、学校という場所に出れば、衆目にさらされるし、いつまでもやる行為であるとは思えない。
もっともらしい嘘は、人をだませる。現実に近い虚構だって存在するのだ。
たくさんの嘘が毎日のように拡散されている中で、それが真実か嘘か、いちいち検証しないだろう。
狼少女の話を信じている人も多いが、嘘だった、という話もあった。
そう、私たちは身近でも、たくさん騙されている。
そして、いま、やり玉に挙げられているのはアダルトビデオである。
「AV見て妊婦腹パンするやつはいない」「強姦するやつはいない」と、男性はこぞっていう。
だが、AVを見て、パイずりはやるのだという。だけど加害はしない、という。
なぜなら、AV見て腹パンする、強姦するやつで名乗りを上げるバカはまずいないからだ。
暴力をふるうことは人を殺すことよりはハードルが低く、真似しやすい。
暴力をふるう人間には、暴力をふるってはいけないという規範は存在しない。
暴力が悪いことじゃない人間に、暴力はダメだというのは非常に難しい。
そう、ここで問題になるのは、暴力がダメだという規範を持っていない人間が、件のAVを見た場合である。
少なくとも、妊婦は殴ってもいい、強姦を許される世界は存在する、と勘違いしてもおかしくないと思う。
私たちの内心は自由だ。しかし、他者への加害は秩序を乱し、他者の人権や尊厳を著しく侵害する。
AV女優たちが、何を思って、どうして、その業界にいるのかわからない。
私にはひとつ気になることがある。
一度、AV女優の集まるバラエティ番組を見たことがあるのだが、ザーメンをぶっかけられる女優が、ザーメンが本気で嫌いだと、言っていたことだ。
その本気で嫌がる表情がいいので、撮り続けるのだと監督は言った。
それでも、彼女は、AV女優をやめないのだ。理由はわからないし、ここでの問題ではない。
しかし、ザーメンをぶっかけられた時の表情が虚構ではない。現実なのである。
設定すべては嘘でも、現実がそこに横たわっている。
あれらの中には盗撮されたものも混じっている。静止画も同じだ。
それは本当に、誰かの尊厳を踏みにじられずにとられた表現なのか。
そして、彼氏彼女のような間柄でも、強姦のようなセックスをされたという女性は少なくない。
男性は、意外と他人と性の話はしないと思う。セックスするときにゴムするか、なんて、たぶん聞く人のほうが少ないんじゃないか。
自分は加害しないから表現は守られるべき、なんていうのは無責任なように感じる。
知らないこと、わからないこと、断定しようのないこと。
決め付けとか以前に、そんなもの狼少女でもない限り無理だろw