はてなキーワード: 担当さんとは
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なので書く。
まず「当たり屋対策」で必須なのは、それを想定しておくことだ。
想定しておけば、その時自分が取るべき行動もわかる。
もちろん、これは俺1人の経験に過ぎない。
あれは3年ほど前。
朝の出勤時間帯。
俺は車を走らせていた。
俺は一時停止線で車を止めた。
左右を見て、車を何台かやりすごし、進もうとしたときだ。
左側面に中年男が立っているのに気が付いた。
そいつは車のすげー近くに立っていて、運転席をガン見していた。
俺は「何事!?」と思い、ウインドを下げて「どうした?」と聞いた。
するとそいつは、「ぶつけられた」と言いやがった。
「はぁ!?動いてねーよ」と俺は言った。
そいつは「ぶつけられた」と繰り返した。
俺は「頭のおかしな奴だ」と思った。
でもこのまま去っては、ひき逃げになる可能性もあるとも思った。
俺は路肩に車を止めた。
俺はその時「こいつは当たり屋だ」と思った。
状況も、痛がり方も不自然すぎた。
俺は「金が欲しいのか?」と言いそうになったが、その言葉を飲み込み、110番した。
お互い無言だった。
俺の頭は、「どうしようか?」とフル回転していた。
しかし、こんな状況想定していなかったため、なんも思いつかない。
警察は数分でやってきた。
警察官は「一応、傷を見せてください」と聞いた。
そんなやり取りの後、現場検証が進められた。
俺は当たってない。
一時停止線で止まっている時に、横から現れた。
と、主張した。
俺の車が停止線で止まり、他の車を何台かやり過ごした後、俺の「どうした?」という音声が入っていた。
全く写っていなかった。
完全に死角だった。
そこで俺は「車を見てほしい。傷なんてまったくない」と主張した。
俺の車はまだピカピカの新車かつ、洗車したばかりだったから、傷一つない。
俺は「あれほど痛がるのだから、それなりに衝撃があったはず。傷が無いのはおかしい」とも主張した。
警察官は困った顔をしながらも「確かに傷はないが、ぶつかってないのを証明できるわけではない。相手がぶつかったと言う以上、一応事故扱いになる」と言ってきた。
続けて「ただおっしゃる通り、当たり屋の可能性もある。だから必ず保険会社を通して交渉してください」と。
保険会社に全て任せようと思った。
そんな不穏な空気を感じたのか。
警察官は「本当に呼ぶのか?」と聞いた。
中年男は「呼んでくれ」といった。
警察官は「どこの病院に行くかは、我々が関知できないし、交通事故でそんな指定はできない」と答えた。
今思えば、ここが大きな間違いだったと思う。
俺はすきを見て、保険会社に連絡した。
担当さんは状況をすぐに察してくれ、「全てこちらで対応します。なのでお客様は一切対応しないでください。お金の請求があっても応じないでください。お詫びのあいさつに行くのも不要です」といった。
俺は「全てお任せします」と伝えた。
連絡先を交換した。
ホームページには「交通事故に強い弁護士なら、○○にお任せ!!!」と書かれていた。
俺の警戒心はマックスになった。
俺は「保険会社に全て任せた。そっちに請求してくれ」と答えた。
中年男は「保険会社は信用できない。もし保険会社が払わない時は、お前が払え」と言ってきた。
俺は「「保険会社に全て任せた」と答えた。
そんなやり取りが10分ほど続いた。
俺は面倒になり「もう帰る」と言った。
ぶん殴りたかった。
その後、保険会社の担当さんから電話があり、「こちらですべて対応します。相手と連絡を取らないでください。電話がかかってきても出ないでください」と念押しされた。
免許は4点減点だった。
ただしゴールド免許は失われ、タイミング的に青色6年が確定した。
音沙汰はさっぱりなく、俺は事故をすっかり忘れていた。
そんな時に、1本の電話がかかってきた。
中年男は「保険会社が金を払わない。お前が払え。約束しただろ」と言ってきた。
俺は「全て保険会社に任せている」と答えた。
そんなやり取りが10分ほど続き。
保険会社としては、それを払うわけにはいかず、難航していると。
「もし中年男から電話がかかってきても、出ないでください」と念押しされた。
もちろん俺は出なかった。
中年男が夜中に自宅まで来た。
家族は大変怖がっていた。
そりゃそうだ。
保険会社に連絡をした。
弁護士を立てることになった。
弁護士先生は「私が代理人になった。今後の連絡は私にせよ。当人、保険会社には連絡するな」という旨の書類を中年男に郵送した。
そのたびに弁護士から「代理人弁護士に連絡せよ」と、中年男に警告してもらったがまるで効果が無かった。
しかも中年男は、次第にエスカレートしていき、俺ではなく、家族に接触するようになってきた。
さらには夜中にハガキを直接郵便受けに入れたり、家や車の写真を撮っていったり、ストーカーのようになっていった。
家族はおびえていた。
しかし俺が「交通事故の相手が・・・・」と言った瞬間、警察官は「それはねー、うちらでは対処できないですわー!」と畳み込んできた。
俺の話なんて聞こうともしない。
裁判をすることになった。
すぐに裁判できないのは、裁判になるとまっとうな事故被害者が泣きを見るため、まずは調停で話し合え、という裁判所の見解があるようだ。
調停に先立ち、弁護士は、中年男の保険履歴を、自賠責団体に問い合わせた。
するとやはりと言っていいのか、中年男は何度も事故を繰り返し、総額1000万近い保険料が支払われていた。
これによりこちらの主張は「中年男は事故を故意に起こした可能性が高い。だから一切の金は払わない」となった。
中年男は出てこないと思われていた。
中年男の主張は「こっちは被害者。迷惑している。早く金を払え」の一点張りだった。
調停委員から、過去の保険履歴を問われても、「今回とは何の関係もない」の一点張りだった。
話し合いには平行線だった。
さらに中年男は、裁判官から「代理人がいる以上、直接の連絡はするな」と言われても、「それには従えない、これからも直接請求する」の一点張りだった。
こうして調停は不調となった。
民事裁判になった。
これは判決までに通常1年以上かかるらしい。
家凸のたびに110番したが、何の解決にもならなかった。
というのも被害請求の家凸は、法的に認められており、警察が介入できないから。
また、この時に来た警察官に、保険金詐欺の被害届を出せるか聞いてみたが、難しいとの回答だった。
詐欺は立証するのが難しく、おそらく今回のケースではダメだろうと。
これは運よく、こちらの訴えが認められた。
一応、「仮処分」という名前だったが、時効は無く、半永久的に続くらしい。
ちなみに今回は「運よく」こちらの訴えが認められた。
これは「ふつうの民事問題で、接見禁止が出るのはレアケース」という意味である。
被害の請求は、法的に認められており、その権利を害する可能性があるため、ふつうは認められない。
ただ今回は中年男の異質さが際立ち、接見禁止もやむえなしとなったようだ。
だがこれから違う。
次に来たら、大いに罵倒して怒りをぶちまけてやろうと思っている。
ただ残念ながら、この命令が出て以降、中年男の嫌がらせはぴたりとやんだ。
さて肝心の裁判は今まだ争い中だ。
進展があったと言えば、中年男の手口が分った点だ。
裁判中、いくつかの保険会社に中年男の資料を開示してもらった。
そこには過去の悪行が色々と書かれていた。
手口はどれも一緒。
すべて停止中の車に横からぶつかっていた。
俺と同じく、何人かは「ぶつかってない」と主張していたが、保険金が出ている以上、事故処理されたのだろう。
そして中年男は、保険会社から支払いを拒まれた後、家凸、会社凸、習い事先凸を繰り返していた。
そして被害者が恐れをなし、保険会社が渋々支払うという手口だった。
保険会社の資料は、客対応のやり取りが細かく書かれており、「○○様は悔しいとおっしゃられていたが、もう関わりたくないともおっしゃられており、解決金の支払いに動くことにした」という記載もあった。
他にも似たような記載がいくつもあった。
こうしたことから、保険会社としては、客(車側)が「払ってほしい」と言えば、払わざるを得ない感じのようだ。
つまり当たり屋から見れば、車側に「払ってほしい」と言わせればいいのである。
あと不自然に思ったのは、中年男が「半年ごと」に事故を繰り返していた点である。
これは半年以上の通院は、保険会社の審査が厳しくなり、慰謝料を取るのが難しいからだそうだ。
あと気が付いたのは「出勤時間帯」ばかりだった点。
中年男は、勤め人である(健康保険証に勤務先が書かれていた)。
おそらく労災やら、病休などがかかわっているのだろうか?
通院に関しては、まずはクリニックを数回受診。
診断は「異常はまったくないが、本人が痛がっている」と。
その後なじみの接骨院へ。
という流れがばかりだった。
それなのに、なぜか会社を休んで通院したことになっている(慰謝料の請求書)
あと気が付いたのは被害者が「高齢者または、女性ばかり」という点だ。
「弱そうな人」を狙っていたのだろう。
ちょっと脅せば、すぐに金を払うような。
ちなみに俺は30代かつ、男であり、見た目も仕事も車もガテン系であり、対象にはならなさそうである。
何故俺を狙ったのかはわからないが、その後のゴタゴタを見る限り、おそらく誤算であっただろう。
これはどうも、世間体を気にしているようだ。
「裁判をしている=悪」「詐欺師に金を払った=頼りない」といったイメージがあるからだろうか。
それとも、こうした悪質な当たり屋がいるからこそ、成り立つ商売でもあるのだろうか。
俺は保険会社の担当さんに「被害届を出したい」と何度も言ったが、「社内で相談する→今回は見送ることに・・・」のコンボばかりだった。
担当さん曰く「警察は、被害届を受け取ってくれるかもしれないが、たぶん捜査はしてくれない。詐欺事件を立証するのが難しいと知っているから」と。
==========当たり屋対策のまとめ==========
俺にとっては、事故処理という孤独な戦いの中、数少ない仲間(味方)でもあった。
あと、「怪しい」と思ったら、事故調書にサインしてはいけない。
保険会社は事故に強い弁護士を知っているから、スマホで選ぶより確実だし、ぼったくられる心配もない。
俺はこれを心底悔やんでいる。
あとしゃべるな。
こうした輩は必ず録音している。
何か約束すると、あとで面倒なことになる。
俺は「全て保険会社に任せている」「弁護士に任せている」の一点張りだった。
謝ってすらいない。
それでも中年男は、俺が「すべて責任を取ります」「保険会社が払わなくても全額払います」と言ったと、口頭弁論で主張しやがった。
当然そんな証拠はないため、こちらが反論するでもなく、スルーされていたが。
しゃべるほどに、都合よく切り取られる恐れがあるから。
「全て保険会社に任せている」という魔法の言葉を使っておけばいい。
裁判で使うことになる。
家凸した証拠を必ず残せ。
こういうのが積み重なって、相手の異常性を客観的に示すことができる。
ちなみに防犯カメラで夜撮影した映像は、怪しさが倍増するので、「こいつはやばいやつだ!」という印象を高めることができ有効である。
あと、専門家を雇え。
金はかかるが確実である。
提出する口頭弁論用の資料も、こちらの主張に反論するだけで、中身はまったくない。
心証も悪いようで、中立のはずの裁判官もなぜかこちら寄りに話を進めてくれる。
最後に。
誠意をもって対応すること。
関わってくれる保険会社、弁護士、警察官、裁判所の人達、家族、近所の人達に対しての誠意だ。
この誠意を守っていれば、悪い方向に行くことは決してない。
「俺は間違ったことを絶対にしていない!」「それをみんなが認めてくれている!」という自信が、心の支えにもなる。
この支えこそが、ぶれない心となり、当たり屋への毅然とした態度になる。
裁判中に他の被害者の方の連絡先が分かったので、連名の被害届を段取り中。
警察には嫌な思いもさせられたが、その後も何度か相談している。
でもこんなクズに食い物にされ、バカにされ、なめられたままじゃ気が済まない。
徹底的にやる予定。
一方的な批判だけでなく対話のできる誰かに返事頂けるまで投稿します
不登校児の人生と身体障害者の教諭の体裁、優先されるべきはどちらなんですか
もうだいぶ経ちますが、いじめを苦に登校できなくなりそうなった子が通うところとして特別支援学校へ通いました
見学の面談時に担当者から併設された精神科も通院することで医療と連携してサポートしますと言われたので
それを信じて中学3年間通いました、最後の2年間片足の不自由な身障者の担当教諭が私の担当になりました
その教諭とは1年生の頃からよく関わっていたのでそれもあって決められました
その学校で1番関わったのはその人で、私はいじめのことを話したくとも場面緘黙になっていて話せたのも関わり慣れたその担当くらいで、少しずつ伝えていたつもりでした
担当は○○さんはいい子、○○さんは分かってる、そんなに苦しんでるんだからこれ以上苦しむ必要はないなど言われたり、時々旅行のお見上げを貰ったりしました
3年間通って私自身に何か病名がつくことはありませんでした、私は卒業してから自分は健常者なんだ、全く問題ないんだ、と必死に進学先で頑張りました、家庭内の問題や自分自身の問題誰にも話せず、頼れず、押し潰される一方でした
メモや日記に記してそれを誰かに教えればわかるでしょうけどそれもできない問題を抱えてました
私はこの文章の半分も当時自分のことを言葉にして書けませんでした、作文の時間は常に居残りで、
しぶしぶ先生が来週までと言っても書けないまま時が過ぎてその科目の期間が終わるといった具合でした
書きたくても書きたくても他の人がするふうにどうしてもペンが進まずしばらく酩酊状態のようになりました
高校の担任にも話そうとしたりしましたが高校では他の生徒の相手をしなければならずとても時間を割いて話を聞く人なんていませんでした
ましてや精神の話なんて専門じゃない相手に話してはダメだからと人に言われたり躊躇したりで話せるほど慣れるまでに至りませんでした
高校も卒業になり家庭内の問題も更に重圧を増し、半年後押し潰されました
別の病院に通おうともしましたが短くて2週間、もしくは1、2ヶ月の1回5〜10分の間に問診で応えるなんてとても無理で
時間だけが過ぎ診断もつかず、他人から健常者なのに怠けてる情けない人間として過ごすしかありませんでした
ずっと思っていた疑問が一つあり、やっと聞くくらいのことはできるようになったので特別支援学校の元担当に連絡をして聞きました、私が伝えていた私の生きづらさ当時担当医にちゃんと伝えてくれていたんですか?
返ってきたのは一体どうしちゃったの?ちゃんと自分で問題なくよくできたいい子だったのに、など
質問に答える様子なく、そのようなことはなかったという回答でした
メールで数回、「メールだとよくわからない、伝達の齟齬が生まれる」というので直接支援学校で私が1人向こうが元担当と別の教員の2人での中話すことに元担当「久しぶりじゃない。立派になって。一体どうしたの?何のこと言ってるのか意味がわからないよ。あんなに元気でいい子だったのに。」別の教員「元担当は親御さんが今年病気して大変で、元担当さんも今年大病して大変なんだよ。あんまり責めないの」などと言って同じようにはぐらかされて逆にこちらが悪いかのように言われました
許せませんでした、こんなことが続いてるということは同じような苦しみを後輩たちも味わってるであろうこと考えただけで殺意がわきました
それでその元担当に一通送りました
そのような卑怯な真似を直ちにやめないなら「お前の首切断して職員室に投げ込んでやる」と
今思えば当たり前ですが元担当が警察を呼び脅迫したということでうちに6、7名来ました、最寄りの署で事情聴取、1時間もしないうちに当時通っていた精神科の閉鎖病棟へ入れられました
その入院中色々な人に口々に何度も言われました「あの先生の何が悪いんだ、何も悪くない、優しい先生じゃないか」
担当医には「他の患者があと詰まってて早く退院して欲しいんだよねー」いつまで入院続くんですか聞くと「私が大丈夫だと判断したら出します」少しでも担当教諭の件でこちらの言い分を言えば「それだと退院は難しいな」と
スタッフ全員にもその元担当教諭のことを言おうものなら鍵を閉めて出るということを半年以上続けられました
それを考えることをただただ否定され、許せないことは許せないまま、黙ってなければまたぶち込むという対応をされました
人生の殆どがかかってる問題なので誰かまともに返事頂けるまで投稿します
不登校児の人生と身体障害者の教諭の体裁、優先されるべきはどちらなんですか
もうだいぶ経ちますが、いじめを苦に登校できなくなりそうなった子が通うところとして特別支援学校へ通いました
見学の面談時に担当者から併設された精神科も通院することで医療と連携してサポートしますと言われたので
それを信じて中学3年間通いました、最後の2年間片足の不自由な身障者の担当教諭が私の担当になりました
その教諭とは1年生の頃からよく関わっていたのでそれもあって決められました
その学校で1番関わったのはその人で、私はいじめのことを話したくとも場面緘黙になっていて話せたのも関わり慣れたその担当くらいで、少しずつ伝えていたつもりでした
担当は○○さんはいい子、○○さんは分かってる、そんなに苦しんでるんだからこれ以上苦しむ必要はないなど言われたり、時々旅行のお見上げを貰ったりしました
3年間通って私自身に何か病名がつくことはありませんでした、私は卒業してから自分は健常者なんだ、全く問題ないんだ、と必死に進学先で頑張りました、家庭内の問題や自分自身の問題誰にも話せず、頼れず、押し潰される一方でした
メモや日記に記してそれを誰かに教えればわかるでしょうけどそれもできない問題を抱えてました
私はこの文章の半分も当時自分のことを言葉にして書けませんでした、作文の時間は常に居残りで、
しぶしぶ先生が来週までと言っても書けないまま時が過ぎてその科目の期間が終わるといった具合でした
書きたくても書きたくても他の人がするふうにどうしてもペンが進まずしばらく酩酊状態のようになりました
高校の担任にも話そうとしたりしましたが高校では他の生徒の相手をしなければならずとても時間を割いて話を聞く人なんていませんでした
ましてや精神の話なんて専門じゃない相手に話してはダメだからと人に言われたり躊躇したりで話せるほど慣れるまでに至りませんでした
高校も卒業になり家庭内の問題も更に重圧を増し、半年後押し潰されました
別の病院に通おうともしましたが短くて2週間、もしくは1、2ヶ月の1回5〜10分の間に問診で応えるなんてとても無理で
時間だけが過ぎ診断もつかず、他人から健常者なのに怠けてる情けない人間として過ごすしかありませんでした
ずっと思っていた疑問が一つあり、やっと聞くくらいのことはできるようになったので特別支援学校の元担当に連絡をして聞きました、私が伝えていた私の生きづらさ当時担当医にちゃんと伝えてくれていたんですか?
返ってきたのは一体どうしちゃったの?ちゃんと自分で問題なくよくできたいい子だったのに、など
質問に答える様子なく、そのようなことはなかったという回答でした
メールで数回、「メールだとよくわからない、伝達の齟齬が生まれる」というので直接支援学校で私が1人向こうが元担当と別の教員の2人での中話すことに元担当「久しぶりじゃない。立派になって。一体どうしたの?何のこと言ってるのか意味がわからないよ。あんなに元気でいい子だったのに。」別の教員「元担当は親御さんが今年病気して大変で、元担当さんも今年大病して大変なんだよ。あんまり責めないの」などと言って同じようにはぐらかされて逆にこちらが悪いかのように言われました
許せませんでした、こんなことが続いてるということは同じような苦しみを後輩たちも味わってるであろうこと考えただけで殺意がわきました
それでその元担当に一通送りました
そのような卑怯な真似を直ちにやめないなら「お前の首切断して職員室に投げ込んでやる」と
今思えば当たり前ですが元担当が警察を呼び脅迫したということでうちに6、7名来ました、最寄りの署で事情聴取、1時間もしないうちに当時通っていた精神科の閉鎖病棟へ入れられました
その入院中色々な人に口々に何度も言われました「あの先生の何が悪いんだ、何も悪くない、優しい先生じゃないか」
担当医には「他の患者があと詰まってて早く退院して欲しいんだよねー」いつまで入院続くんですか聞くと「私が大丈夫だと判断したら出します」少しでも担当教諭の件でこちらの言い分を言えば「それだと退院は難しいな」と
スタッフ全員にもその元担当教諭のことを言おうものなら鍵を閉めて出るということを半年以上続けられました
それを考えることをただただ否定され、許せないことは許せないまま、黙ってなければまたぶち込むという対応をされました
読み取れない点は質問して下さい、どこか書いてないからウソと決め付けないで下さい
こういう状況に陥った人がいることに意見下さい
もうだいぶ経ちますが、いじめを苦に登校できなくなりそうなった子が通うところとして特別支援学校へ通いました
見学の面談時に担当者から併設された精神科も通院することで医療と連携してサポートしますと言われたので
それを信じて中学3年間通いました、最後の2年間片足の不自由な身障者の担当教諭が私の担当になりました
その教諭とは1年生の頃からよく関わっていたのでそれもあって決められました
その学校で1番関わったのはその人で、私はいじめのことを話したくとも場面緘黙になっていて話せたのも関わり慣れたその担当くらいで、少しずつ伝えていたつもりでした
担当は○○さんはいい子、○○さんは分かってる、そんなに苦しんでるんだからこれ以上苦しむ必要はないなど言われたり、時々旅行のお見上げを貰ったりしました
3年間通って私自身に何か病名がつくことはありませんでした、私は卒業してから自分は健常者なんだ、全く問題ないんだ、と必死に進学先で頑張りました、家庭内の問題や自分自身の問題誰にも話せず、頼れず、押し潰される一方でした
メモや日記に記してそれを誰かに教えればわかるでしょうけどそれもできない問題を抱えてました
私はこの文章の半分も当時自分のことを言葉にして書けませんでした、作文の時間は常に居残りで、
しぶしぶ先生が来週までと言っても書けないまま時が過ぎてその科目の期間が終わるといった具合でした
書きたくても書きたくても他の人がするふうにどうしてもペンが進まずしばらく酩酊状態のようになりました
高校の担任にも話そうとしたりしましたが高校では他の生徒の相手をしなければならずとても時間を割いて話を聞く人なんていませんでした
ましてや精神の話なんて専門じゃない相手に話してはダメだからと人に言われたり躊躇したりで話せるほど慣れるまでに至りませんでした
高校も卒業になり家庭内の問題も更に重圧を増し、半年後押し潰されました
別の病院に通おうともしましたが短くて2週間、もしくは1、2ヶ月の1回5〜10分の間に問診で応えるなんてとても無理で
時間だけが過ぎ診断もつかず、他人から健常者なのに怠けてる情けない人間として過ごすしかありませんでした
ずっと思っていた疑問が一つあり、やっと聞くくらいのことはできるようになったので特別支援学校の元担当に連絡をして聞きました、私が伝えていた私の生きづらさ当時担当医にちゃんと伝えてくれていたんですか?
返ってきたのは一体どうしちゃったの?ちゃんと自分で問題なくよくできたいい子だったのに、など
質問に答える様子なく、そのようなことはなかったという回答でした
メールで数回、「メールだとよくわからない、伝達の齟齬が生まれる」というので直接支援学校で私が1人向こうが元担当と別の教員の2人での中話すことに元担当「久しぶりじゃない。立派になって。一体どうしたの?何のこと言ってるのか意味がわからないよ。あんなに元気でいい子だったのに。」別の教員「元担当は親御さんが今年病気して大変で、元担当さんも今年大病して大変なんだよ。あんまり責めないの」などと言って同じようにはぐらかされて逆にこちらが悪いかのように言われました
許せませんでした、こんなことが続いてるということは同じような苦しみを後輩たちも味わってるであろうこと考えただけで殺意がわきました
それでその元担当に一通送りました
そのような卑怯な真似を直ちにやめないなら「お前の首切断して職員室に投げ込んでやる」と
今思えば当たり前ですが元担当が警察を呼び脅迫したということでうちに6、7名来ました、最寄りの署で事情聴取、1時間もしないうちに当時通っていた精神科の閉鎖病棟へ入れられました
その入院中色々な人に口々に何度も言われました「あの先生の何が悪いんだ、何も悪くない、優しい先生じゃないか」
担当医には「他の患者があと詰まってて早く退院して欲しいんだよねー」いつまで入院続くんですか聞くと「私が大丈夫だと判断したら出します」少しでも担当教諭の件でこちらの言い分を言えば「それだと退院は難しいな」と
スタッフ全員にもその元担当教諭のことを言おうものなら鍵を閉めて出るということを半年以上続けられました
それを考えることをただただ否定され、許せないことは許せないまま、黙ってなければまたぶち込むという対応をされました
読み取れない点は質問して下さい、どこか書いてないからウソと決め付けないで下さい
こういう状況に陥った人がいることに意見下さい
もうだいぶ経ちますが、いじめを苦に登校できなくなりそうなった子が通うところとして特別支援学校へ通いました
見学の面談時に担当者から併設された精神科も通院することで医療と連携してサポートしますと言われたので
それを信じて中学3年間通いました、最後の2年間片足の不自由な身障者の担当教諭が私の担当になりました
その教諭とは1年生の頃からよく関わっていたのでそれもあって決められました
その学校で1番関わったのはその人で、私はいじめのことを話したくとも場面緘黙になっていて話せたのも関わり慣れたその担当くらいで、少しずつ伝えていたつもりでした
担当は○○さんはいい子、○○さんは分かってる、そんなに苦しんでるんだからこれ以上苦しむ必要はないなど言われたり、時々旅行のお見上げを貰ったりしました
3年間通って私自身に何か病名がつくことはありませんでした、私は卒業してから自分は健常者なんだ、全く問題ないんだ、と必死に進学先で頑張りました、家庭内の問題や自分自身の問題誰にも話せず、頼れず、押し潰される一方でした
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私はこの文章の半分も当時自分のことを言葉にして書けませんでした、作文の時間は常に居残りで、
しぶしぶ先生が来週までと言っても書けないまま時が過ぎてその科目の期間が終わるといった具合でした
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高校の担任にも話そうとしたりしましたが高校では他の生徒の相手をしなければならずとても時間を割いて話を聞く人なんていませんでした
ましてや精神の話なんて専門じゃない相手に話してはダメだからと人に言われたり躊躇したりで話せるほど慣れるまでに至りませんでした
高校も卒業になり家庭内の問題も更に重圧を増し、半年後押し潰されました
別の病院に通おうともしましたが短くて2週間、もしくは1、2ヶ月の1回5〜10分の間に問診で応えるなんてとても無理で
時間だけが過ぎ診断もつかず、他人から健常者なのに怠けてる情けない人間として過ごすしかありませんでした
ずっと思っていた疑問が一つあり、やっと聞くくらいのことはできるようになったので特別支援学校の元担当に連絡をして聞きました、私が伝えていた私の生きづらさ当時担当医にちゃんと伝えてくれていたんですか?
返ってきたのは一体どうしちゃったの?ちゃんと自分で問題なくよくできたいい子だったのに、など
質問に答える様子なく、そのようなことはなかったという回答でした
メールで数回、「メールだとよくわからない、伝達の齟齬が生まれる」というので直接支援学校で私が1人向こうが元担当と別の教員の2人での中話すことに元担当「久しぶりじゃない。立派になって。一体どうしたの?何のこと言ってるのか意味がわからないよ。あんなに元気でいい子だったのに。」別の教員「元担当は親御さんが今年病気して大変で、元担当さんも今年大病して大変なんだよ。あんまり責めないの」などと言って同じようにはぐらかされて逆にこちらが悪いかのように言われました
許せませんでした、こんなことが続いてるということは同じような苦しみを後輩たちも味わってるであろうこと考えただけで殺意がわきました
それでその元担当に一通送りました
そのような卑怯な真似を直ちにやめないなら「お前の首切断して職員室に投げ込んでやる」と
今思えば当たり前ですが元担当が警察を呼び脅迫したということでうちに6、7名来ました、最寄りの署で事情聴取、1時間もしないうちに当時通っていた精神科の閉鎖病棟へ入れられました
その入院中色々な人に口々に何度も言われました「あの先生の何が悪いんだ、何も悪くない、優しい先生じゃないか」
担当医には「他の患者があと詰まってて早く退院して欲しいんだよねー」いつまで入院続くんですか聞くと「私が大丈夫だと判断したら出します」少しでも担当教諭の件でこちらの言い分を言えば「それだと退院は難しいな」と
スタッフ全員にもその元担当教諭のことを言おうものなら鍵を閉めて出るということを半年以上続けられました
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もうだいぶ経ちますが、いじめを苦に登校できなくなりそうなった子が通うところとして特別支援学校へ通いました
見学の面談時に担当者から併設された精神科も通院することで医療と連携してサポートしますと言われたので
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その教諭とは1年生の頃からよく関わっていたのでそれもあって決められました
その学校で1番関わったのはその人で、私はいじめのことを話したくとも場面緘黙になっていて話せたのも関わり慣れたその担当くらいで、少しずつ伝えていたつもりでした
担当は○○さんはいい子、○○さんは分かってる、そんなに苦しんでるんだからこれ以上苦しむ必要はないなど言われたり、時々旅行のお見上げを貰ったりしました
3年間通って私自身に何か病名がつくことはありませんでした、私は卒業してから自分は健常者なんだ、全く問題ないんだ、と必死に進学先で頑張りました、家庭内の問題や自分自身の問題誰にも話せず、頼れず、押し潰される一方でした
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高校も卒業になり家庭内の問題も更に重圧を増し、半年後押し潰されました
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返ってきたのは一体どうしちゃったの?ちゃんと自分で問題なくよくできたいい子だったのに、など
質問に答える様子なく、そのようなことはなかったという回答でした
メールで数回、「メールだとよくわからない、伝達の齟齬が生まれる」というので直接支援学校で私が1人向こうが元担当と別の教員の2人での中話すことに元担当「久しぶりじゃない。立派になって。一体どうしたの?何のこと言ってるのか意味がわからないよ。あんなに元気でいい子だったのに。」別の教員「元担当は親御さんが今年病気して大変で、元担当さんも今年大病して大変なんだよ。あんまり責めないの」などと言って同じようにはぐらかされて逆にこちらが悪いかのように言われました
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それでその元担当に一通送りました
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今思えば当たり前ですが元担当が警察を呼び脅迫したということでうちに6、7名来ました、最寄りの署で事情聴取、1時間もしないうちに当時通っていた精神科の閉鎖病棟へ入れられました
その入院中色々な人に口々に何度も言われました「あの先生の何が悪いんだ、何も悪くない、優しい先生じゃないか」
担当医には「他の患者があと詰まってて早く退院して欲しいんだよねー」いつまで入院続くんですか聞くと「私が大丈夫だと判断したら出します」少しでも担当教諭の件でこちらの言い分を言えば「それだと退院は難しいな」と
スタッフ全員にもその元担当教諭のことを言おうものなら鍵を閉めて出るということを半年以上続けられました
それを考えることをただただ否定され、許せないことは許せないまま、黙ってなければまたぶち込むという対応をされました
もうだいぶ経ちますが、いじめを苦に登校できなくなりそうなった子が通うところとして特別支援学校へ通いました
見学の面談時に担当者から併設された精神科も通院することで医療と連携してサポートしますと言われたので
それを信じて中学3年間通いました、最後の2年間片足の不自由な身障者の担当教諭が私の担当になりました
その教諭とは1年生の頃からよく関わっていたのでそれもあって決められました
その学校で1番関わったのはその人で、私はいじめのことを話したくとも場面緘黙になっていて話せたのも関わり慣れたその担当くらいで、少しずつ伝えていたつもりでした
担当は○○さんはいい子、○○さんは分かってる、そんなに苦しんでるんだからこれ以上苦しむ必要はないなど言われたり、時々旅行のお見上げを貰ったりしました
3年間通って私自身に何か病名がつくことはありませんでした、私は卒業してから自分は健常者なんだ、全く問題ないんだ、と必死に進学先で頑張りました、家庭内の問題や自分自身の問題誰にも話せず、頼れず、押し潰される一方でした
メモや日記に記してそれを誰かに教えればわかるでしょうけどそれもできない問題を抱えてました
私はこの文章の半分も当時自分のことを言葉にして書けませんでした、作文の時間は常に居残りで、
しぶしぶ先生が来週までと言っても書けないまま時が過ぎてその科目の期間が終わるといった具合でした
書きたくても書きたくても他の人がするふうにどうしてもペンが進まずしばらく酩酊状態のようになりました
高校の担任にも話そうとしたりしましたが高校では他の生徒の相手をしなければならずとても時間を割いて話を聞く人なんていませんでした
ましてや精神の話なんて専門じゃない相手に話してはダメだからと人に言われたり躊躇したりで話せるほど慣れるまでに至りませんでした
高校も卒業になり家庭内の問題も更に重圧を増し、半年後押し潰されました
別の病院に通おうともしましたが短くて2週間、もしくは1、2ヶ月の1回5〜10分の間に問診で応えるなんてとても無理で
時間だけが過ぎ診断もつかず、他人から健常者なのに怠けてる情けない人間として過ごすしかありませんでした
ずっと思っていた疑問が一つあり、やっと聞くくらいのことはできるようになったので特別支援学校の元担当に連絡をして聞きました、私が伝えていた私の生きづらさ当時担当医にちゃんと伝えてくれていたんですか?
返ってきたのは一体どうしちゃったの?ちゃんと自分で問題なくよくできたいい子だったのに、など
質問に答える様子なく、そのようなことはなかったという回答でした
メールで数回、「メールだとよくわからない、伝達の齟齬が生まれる」というので直接支援学校で私が1人向こうが元担当と別の教員の2人での中話すことに元担当「久しぶりじゃない。立派になって。一体どうしたの?何のこと言ってるのか意味がわからないよ。あんなに元気でいい子だったのに。」別の教員「元担当は親御さんが今年病気して大変で、元担当さんも今年大病して大変なんだよ。あんまり責めないの」などと言って同じようにはぐらかされて逆にこちらが悪いかのように言われました
許せませんでした、こんなことが続いてるということは同じような苦しみを後輩たちも味わってるであろうこと考えただけで殺意がわきました
それでその元担当に一通送りました
そのような卑怯な真似を直ちにやめないなら「お前の首切断して職員室に投げ込んでやる」と
今思えば当たり前ですが元担当が警察を呼び脅迫したということでうちに6、7名来ました、最寄りの署で事情聴取、1時間もしないうちに当時通っていた精神科の閉鎖病棟へ入れられました
その入院中色々な人に口々に何度も言われました「あの先生の何が悪いんだ、何も悪くない、優しい先生じゃないか」
担当医には「他の患者があと詰まってて早く退院して欲しいんだよねー」いつまで入院続くんですか聞くと「私が大丈夫だと判断したら出します」少しでも担当教諭の件でこちらの言い分を言えば「それだと退院は難しいな」と
スタッフ全員にもその元担当教諭のことを言おうものなら鍵を閉めて出るということを半年以上続けられました
それを考えることをただただ否定され、許せないことは許せないまま、黙ってなければまたぶち込むという対応をされました
退院したあとも色々ありましたが、私は世の中の無差別殺人のように短絡的に実行しませんでした
それでも今なお元担当教諭や病院は非難されず、私はただの凶悪犯予備軍として何も問題を聞き入れてもらえないんでしょうか?
ネタだと言われましたが嘘じゃないです
箱ごと差し出され、自分でマスクをひっぱり出し着用(スタッフの手からは渡さない)
自分がつけてきたマスクは、ビニール袋を渡されその中に入れて口を閉じて持っておく
帰る際に施術中つけていたマスクと自分のしていたマスクを交換し、施術中つけていたマスクはビニール袋に入れて客が密封、店が廃棄
(店がくれたマスクで帰ってもよい)
(そのため「〇日の午前中は出勤していません」とか「〇日だったら21時までいます」になる)
全員が完全無言で接客してくれるかというとそこまででもないんだけど(しゃべりたがる客もいるので)、
マスクしたままカットするのは難しいと思うんだけど常連なので顔は知られてるし担当さんの腕がいいので全然問題ない。
(むしろ「マスクしてても鬱陶しくないようここをこんな感じにしました」等、よきにはからえてくれる。)
長くなるのでごめんね
4/4
会社の受付に飾ってあった切り花
なぜか花瓶が消えて、濡れた花だけ横たわっているところを発見される
代理の花瓶がないので、女子トイレの洗面台1つに水を張って浸す応急処置
4/5
「花瓶はどこに行ったんだ?」の騒ぎの中
107: 名無しさん@おーぷん 2017/04/09(日)02:55:41 ID:0UZ
4/6
私と課長でA子を呼び出し、
「花瓶がなくなったんだけど、知らない?」と聞くと
A子「返さなきゃだめってことですか?」
課長「あたりまえです」
A子「ネットオークションで売ってて入札入ってるので困るんですけど」
A子「・・わかりました」
A子「私ゴディバ好きなんですよ」
A子「半分以上食べちゃったんですけど・・」
A子「・・・仕方ないですね」
4/7
そんな指示は出してないのに反省アピールでトイレ掃除をしてるのかと思い
・・・はぁ?
「それもビルの備品なので持ち帰ることはできません!」と叱って課長に報告
再度会議室に呼び出して叱るも、
A子「全部にウォシュレットついてるので、1つくらいなくなっても大丈夫だと思います」
とにかくだめと叱ってデスクに戻らせた
付箋・ボールペン・蛍光ペン・消しゴム・ホチキスの芯・クリップ・メモ帳
A子がいないと思ったら
私「何してるの?」
私「業務に必要な量はあなたのデスクの引き出しに入社前に揃えておいたけど?」
A子「あ、だから家用です」
私「自宅に持って帰る分を調達してるの?」
A子「そうなんです、この会社気前いいですよね」
→課長に報告
とりあえず、持って帰っちゃだめと伝えて
A子の出身大学に報告するらしい
これって手癖が悪いってレベル通り越して
また出版社の連載コンペに落ちました。
連載コンペに出すには、具体的に何をしなければいけないかというと、まずは漫画を描かないといけません。
紙やお絵かきソフトを使って、お話を描くのです。ページ数はそのコンペや漫画の内容によって様々。
例えば16Pを3本、48枚。42Pを2本、84枚。
お話が出来たら、次は絵です。
稀に、「ネームの方が良かったな」という悲劇を避けるために、編集部の人達は絵をきちんと見ます。お話がいくら面白くても、絵が手抜きはいけません。勿論、付加価値の付いてる漫画家達は別です。
ということは、信頼もありません。
編集者はきちんと「この漫画は売り物になるのか」という目線で見ます。
そんなわけで、先程の48枚・または84枚に本番さながらの絵を描きます。
連載となると、どんなキャラが出てくるか、どんな展開になるか、わからないのでキャラのプロフィールも必要です。
これで完成です。
制作期間は様々ですが、だいたい最低でも2ヶ月は欲しいところです。
さてここで、冒頭に戻ります。
48枚が紙切れになってしまいました。絵もまだまだ研究しないといけないみたいです。
研究には模写が1番。自分の絵柄に近い漫画家の本を貯金で何冊か買います。
一応経費扱いにはなると思うのですが、帰ってくるのは来年です。
仕事から帰ってきてから模写する体力があるわけもなく、休日に一気に研究に入ります。
研究してるときにふと、自分がなにをしているのかわからなくなります。自分の漫画に金銭的な価値がないことがわかってしまったせいかもしれません。
こんな時、漫画の主人公なら「売れて見返してやる!」と言うのでしょう。僕もいつも結果的にはそう思います。
そうだ。その漫画を清書してコミティアやTwitterなどに載せるのもありですね。研究をしつつ、漫画を清書して、働く。時間が足りません。
うまく時間を使えない自分もどんどん嫌になってしまいます。目標に沿って、練習するつもりで少しずつ原稿を進めます。
担当さんから催促が来ました。次の連載コンペに挑むために新しいお話を1から考えないといけません。
献本というのは、デビューしたところの雑誌が毎月届くことです。
あー。新連載が何本か始まってますね。自分よりも前にデビューした人です。
『漫画は競争じゃない』という言葉を聞いたことがあります。競争してるわけではないけど、周回遅れは実感します。
才能、運、時間の使い方。メンタルなのか、技術なのかはわかりません。 でも、どこかが劣っているのは確かです。自分に突破できないものを突破してるのは事実ですから。
もう1人の新連載の人は、コミティアからの引き抜きです。この人に関してはスカウトなので、持ち込み投稿した人間と処遇が違うのは当たり前なので特に何も思いません。
絵も技術も即戦力になる人たちを選んでいるわけなので、お話の面は悩んだりするそうですが、基本的には、星3というわけですね。実装された時に最強。
僕は星1くらいですかね。2くらい欲しいところだけど、1ヶ月も、作画で躓いて代原の直しをしてる姿を見るとそう判断を下さざるを得ません。
そういえば、デビューしたての頃や持ち込み時代は自分を星1と評価したことはありませんでした。
それは多分僕たちが見ている漫画を描いてる人達のことを星3だと思っていたから。
そしてそこの世界には、星3しかいないとも思っていたからでした。
メインテーマについては、みなさんの温かいコメント・厳しいコメントでたくさん勉強させてもらいました。ありがとう。
ほかに、off-topic なコメントについていくつかコメント返しをしたかったので、します。
カーディーラーのああーっお客様ーっ!っていう感じ苦手でさっさと話し切り上げたくなるので担当者と信頼関係を築ける増田羨ましい。
これとブコメ見て、カーディーラーって信頼できるとこもあるんだ…と目から鱗というか悲しくなった
自分は正規ディーラーに車検の時だけお世話になる形だが、毎回不要なオイル交換を勧めてくる
信頼できるディーラー探すのってどうやるんだろう
今どきの壊れにくいクルマに乗っていて、新車購入と法定点検くらいしかつきあいがないディーラーなら、正直そこまで信頼関係はなくてもいいんじゃないでしょうか。
でも、ナメられて雑な扱いになったりいらんもん買わされたりするのがいやだったら、多少はクルマのことをわかっていたほうがいいかもですね…。
「うるさくはないがごまかしはきかない、それでいて節目節目でちゃんと金を使う客」という位置づけだと大事にされると思います。ほかの業種にも言えそうですが…。
でもオイル交換はしてください…マメに…(よそでしてるのかな?)。
今どきの壊れにくいクルマに乗っているぶんにはそうでしょう。私が好きで乗ってるクルマは古いししょっちゅう壊れるので、どうしても専門スタッフと専門的な相談をすることになります。同じ故障の修理でも応急処置で済ますかお金かけて根本的に直すか、とか、そこを直すんだったらついでにここも交換するいい機会じゃないか、とか(例:タイベル換えるついでにエンジンマウントも替えたらエンジン降ろす工賃が一回で済むよ)。私の知識が足りなくて根掘り葉掘り質問するからというのもありますが。
ちなみに私の担当さんは、私が「ここは替えなくていいの?もし劣化してたら替えたいんだけど」って言っても、交換の必要がなければ「まだいいです」と却下してくれます。
「おとのうた」!…おお、「昵懇」とか書く人なのか。そして「こやつ、できる」池波正太郎好きでしょ?(おとのう=訪う:オトナウ→オトナッタのウ音便。訪問したの意)
ふざけて使った文語表現を拾ってもらえてうれしい。解説サンクス
ホンダかスバルだな。トヨタはノルマがきつい営業が黙っちゃいないし、日産はゴーンが滅茶苦茶にしたから。車種はS2000かGDB辺りと推測。
とてもいい線行っている! 惜しい! 推測の方向性は完全に正しい!
えーっ、一行目に!一行目に! 相談があって訪れたと書いてるのに! 女性スタッフとデレデレ無駄話だけして帰ったと思ったの?
ていうか会話の具体的な内容は一文字も書いてないのに、逆にどこを見て「無駄話」と判断したんだろう。
ちなみに彼女が作ってくれた部品代数万円+工賃数万円の見積もりにOK出して退店しました。
見積もりに一発OK出した時に彼女が小さく「えっ」と声を漏らしたのは私は聞き逃さなかった。どんな心境の「えっ」だったのかな。
ちょっと相談したいことがあって、連休中のある日、なじみのカーディーラーをおとのうた。
頻繁に新車を買い替えるでもなく、古いクルマをだいじに乗っている、つまりたいした儲けにならない俺のような客でも親身に世話してくれるいいディーラーである。
けれど、いつも俺のクルマの面倒を見てくれる担当サービスマンはこの日はとても忙しそうだった。
(えっ、この子が?)と内心一瞬ひるんだ。
彼とは昵懇で、メカにガチ詳しいのは当然のこととして、俺の知識レベルや、俺のふところ具合、クルマに対するスタンスをよく理解してくれていて、プロとして過不足ない助言をしてくれる。
その彼が自分の代わりに推薦したスタッフなのだから、女性だろうが若かろうが、いったん「信頼できる相談相手」として乗っかろうと決めた。
この判断を一瞬で下せてよかったと思う。(えっ、この子が?)と内心一瞬ひるんでからコンマ数秒だったと思う。
若い女性担当をあてがわれたことへの驚きや失望といったものは、表情にも声色にもいっさい出なかったはずだ。
そして実際、若いから女性だからと見くびるような態度で接していたら大恥をかくところだった。
彼女は間違いなく、大のクルマ好きメカニックだった(俺の見立てだけど)。
ただ、メカに詳しい人からメカの話を聞くのは大好きだし、基礎知識はそれなりにあるので詳しい人から興味深いメカの話をどんどん引き出す質問力には自信がある。
彼女は質問すればするだけ興味深い話が返ってくるタイプだった。
ちょっと開けて見せてくれる引き出しから、知識の広さと深さがうかがい知れた。
一問一答で会話が終わるタイプではなく、周辺知識、関連情報、似た話などをスルスル出してきて展開できるタイプ。
そしてなにより、クルマの話をするのがうきうきとうれしそうだった。
ここに書きとめたい名ゼリフが短時間でいくつも飛び出したが、メーカーや販売店が特定されかねないので控えたい。
ともかく、男のテリトリーというイメージが強い自動車整備という分野で若い女性がいきいきと働いていることがうれしかったし、幸い態度には出さずにすんだ(と思う)が一瞬でも「若い女性が?」と見くびりかけた自分が恥ずかしかった。
自分の中にはマンスプレイニングおじさんがいて、隙あらば顔を出そうとする。その自覚はあるし、常日頃こいつに顔を出させまいと心がけている。間違ったバイアスだと理解しているから。
心の中のマンスプレイニングおじさんは、当然、いないのが一番いい。
バイアス修正などかけずとも、誰に対してもニュートラルに敬えるのが一番だ。
しかし一度住みついたマンスプレイニングおじさんを追い出すことなんてできるのだろうか。
==
コメント返しなど
私はまんがの編集者やってる。
多分そこそこ有名な、作品名言えば幅広い年代の人に通じる本出してる会社。
私が担当している作品は「超有名!」って程じゃないかもしれないけど
ファンもいるし、そのジャンルが好きな人なら知ってるだろうって作品。
編集って、多分何やってんだかよくわかんない仕事の上位に入りそうな仕事だと思う。
作家の家に原稿取りに行って「できるまで帰りません!」と居座るとか
まんがの描き方は様々なので、
全部自分でネタ出してきて、描き間違いや矛盾がないか確認するだけ人もいれば
「今回はグループで遊園地に行かせたいんだけど、2人きりにするシチュエーションは何が良いかな?」とか具体的に聞いてくる人もいる。
9割ネタ出し丸投げの人もいる。
丸投げタイプも「じゃ~何しまっしょっか?」と会話をするうちにネタがまとまる人がほとんどだから、
完全な編集任せじゃないし、楽しく仕事させて頂いている(と、私は思ってる)。
メインの仕事は文字の校正とか写植の手配とか広告や記事ページを作ったりすること。
あとWEBサイトやネット公開用の漫画を整えたり、複製原画作って営業さんに渡したり販促品作ったり。
私は業務時間の8割くらい広告や記事、販促品作ってる気がする。
この仕事をしていて寂しく思う事が一つある。
本当に貰った原稿をみて興奮したり爆笑したり泣いたりしたから感想を伝えている。
わかるんだ。
私も書店さんから「今回の告知チラシ良いですね」って言われたら社交辞令半分に受け取るから。
でも私は本気で作家に「楽しみにしていました」って言ってる。
じゃなきゃ会社で貰える見本単行本とは別に自宅用に、自腹で購入しないって。
いや、わかる。他人に言われた方が嬉しいのすっごいわかる。
作家は悪くない。
でも最近悔しいから、担当作家が他社で描いてるマンガに応援のアンケートはがきを送った。
他社の単行本にAmazonでLOVEコールレビュー書いた(実際すごく面白かったから嘘じゃない)。
他社の担当さん、感想伝えてください。アンケートはがきを読むと捗るタイプの作家さんです。
今日も、表向きは真面目に数字や読者反応を考えて動ける編集者として応援して、
これ以上めんどくさいファンにならないよう、自戒と愛を込めて。
P.S すべての作家さんへ。
頼む、よく寝てよく食べて適度に運動してくれ。長生きしてくれ。
私は健康にいいむくみが取れるお茶(My担当作家の好きな物)を
それも知識があるとかそういうレベルじゃなくて、小難しい言葉を使わないで知恵をフィクションに圧縮できてる。
俺史上最高のなろうだわ…色々超えた久々にマンガ紹介に復帰しようと思って手に取ったら、神がかりに良かった。
俺がマンガ担当さんのツイッター探して速攻フォローしたことで、絵師ガチャURなマンガなのは伝わるはず
この人の書いた薄い本があるなら今すぐにでも欲しいもん
嘘だと思うなら俺の前に米を用意して欲しい。
電子書籍パラパラめくりながらプレーンなお米をかっくらってみせるわ
去年9月10月あたりに一度「あ、俺の目利き死んだかな?」って思うことがあったけど、ピッコマを雑に眺めてるだけで、人気マンガの気配に気づいて手に取れたことで「目が戻るどころかパワーアップしとる」って思った
なろう系漫画で鳥肌たったの初めてかもしれない…。マンガ家ガチャURまで来ると、絵の力で鳥肌まで立ててくるのかよ…
駄作をまとめるとか、原作に忠実に…とかそういうレベルを超えて「話自体は展開が読めても、マンガ演出がすごすぎて鳥肌が立つ」までいくのか…。なにこれ次元が違う
重ねて言うけど、ガチで良かった。「良作でもなろう×飯モノは飽和してるのでは?」と思って読んだら、飯物でもまさかの深夜食堂。
「いい加減マンガ紹介復活させなきゃ」ってスケジュール的な焦りがあったけど、正直今は「あああ!!この作品の紹介やりたい!!!!!!」ってなってる。
もうね気持ち悪いほど褒めてるけど…読めばわかるよ。紹介するよ?でも、俺は今から2巻読むわ。
原作とマンガ家の引き出しが広すぎてもはや宇宙というか四次元なんだけど…。
俺の中での「なろうの最高傑作」が塗り替わったかもしれない…。理知的でもあり、コミカルでもある…なんてのはもう言い尽くされた褒め言葉だけど、その解像度があまりにも高すぎる。どうにか言葉にしたい
ごく稀に…本当に極稀に…「バカでもわかるほどの天才」っているんだよ!!それを今目の当たりにしてる。
学問なんてものは基本、体系化と証明されていることに価値があって、知恵そのものに価値があるわけじゃない。だからこそ、体系的でない形で知恵を説明・表現できる人間たちこそ本当の天才。
私が高学歴でも頭でっかちな文系を見下してる理由は結局これなんです。あの人達は体系化や参考書通りの言葉が知恵だと勘違いしている。
でも、実際には違う。知恵は子どもでもバカでもわかるように、専門用語や数字抜きに説明できる!!難解な説明も天才が頂点でいいのは理系の世界なんだよ
ぼくだって数字やデータを検証しますよ?理由はぼくが凡人であることと、体感だけじゃ説明/実践できないことがあるから。
でも、それは知恵を他人に説明する時はまだまだ未熟なんです。まして、人に話す時にデータと数字を信じ込むなんてもう最悪。常に懐疑主義を胸に秘めてるなら話半分に話す
長いし、読む価値は無いので、読んでからガッカリしたとしても自己責任でお願いします。
子供の頃からなんとなく漠然と、自分の人生は二十歳で終わると思っていた。
高校受験、学校見学で魅力的な学校を見つけ、どうしても入りたくて、頑張った。
憧れた高校に入学して、そのあと何をしたらいいのか分からなくなった。
高校生活は何をすればいいのかわからなくて、とりあえず「それっぽい」ことをして終わった。
憧れた高校生活は、ほとんど何もせず、ただ好きな制服を着て、かっこいい校舎を彷徨くだけだった。
それで満足していたし、それ以上はなかった。
大学は行きたくなかった。
やりたい事はほぼなくて、勉強もできないし、将来の目標も無いから、行く意味が分からなかった。
小学生の頃の昼休み、友達に「絵が上手いから漫画家になればいいじゃん」と言われた。
その時からなんとなく漠然と、自分は漫画家になるんだ、と思っていたし、漫画家になるなら専門学校の方がいいと思っていた。
あとは、当時見た3D映画がかっこよくて、そういうのを作る人になりたいと漠然と思って、そういう専門学校も考えていた。
結局、絶対大学じゃなきゃダメだという両親に説得され、漫画も3Dも学べる大学に入った。
新設の学部だったし、入試説明会や案内には、漫画やアニメ…それこそ専門学校のようなラインナップが書かれていて、親が許さず専門学校ではなくこちらにきた、という人が私以外にも大勢いた。8割はそうだったと思う。
実際、入学前に散々確認した3Dのモデリングに関する知識のある講師は、入学後には存在しなかった。
かろうじて漫画の講義はあったが、ただのオタクおじさんが自分のロリ趣味を語って聞かせるだけで、そこに学べるもの(例えば、そのロリの魅力、なぜいいのか、どういうところがファンの心を掴むポイントなのか、などを話されればまだしも、ただ「かわいい」としか話されなかった)は無かった。
これは、このままここにいても意味がない。このままじゃ無駄な時間を過ごしすぎる。
二十歳まで残り2年、アルバイトを頑張って、大学在学中に夜間の漫画専門学校に通った。
それでも学校に行ったのは、私自身がそうしないと一作も描けない人間だったからだ。
つまり、この時点で気づくべきだった。
私に漫画は向いてない。
授業は週一、1年間。必死で稼いだバイト代のほとんどを注ぎ込んだ。最大限に有効活用して作品作りに役立てようと息巻いていた。
入学特典として、時間外でも個別相談で作品を見てもらえたので、入学2ヶ月後、早速初めてのネームを見てもらった。
ストーリーも何もかもボロボロで、とても酷いネームだったと思う。
それでも、丁寧に指導してもらえて、学ぶことがたくさんあって嬉しかった。
教えてもらった事を活かすために、早速新しいものを描いて、2週間後にまた持っていった。
「あなたのネームは長いし、見るのに時間がかかるからなぁ。僕、家が郊外で遠いし、嫁が家で待ってるから」
それ以来、週一の授業も休みがちになり、半年をこえた頃には専門学校は行かなくなった。
自分でなんとかしなきゃ。
とにかく、まずは一作。
そうして、専門学校卒業前に1人で作品を完成させ、初めての持ち込みに行った。
せっかく描いたし、なるべくたくさんの意見を聞いて次に活かしたい。
5個の編集部に持ち込みに行った。
うち2箇所で、二度と漫画を描くなと言われた。
そんなバカな、誇張が過ぎると思うでしょ?一箇所はあくまでやんわり、自分の担当作家と私との違いを長々と話した上で、向いてないと思うと言われた。
もう一箇所は誇張無しでハッキリと、「二度と描くな」だった。
でも、2度目を描くことも許されないとは思わなかった。
帰り道の足取りは重かった。
初めての単身上京、知らない街。
足を止めたら消えてなくなる気がしたから。
うち一つは、みんなの憧れで厳しいと言われる場所で、なんならそここそ絶対無理だと思っていた場所だ。持ち込み予約の電話時点で扱いが悪かったし、当日も約束の時間に行って、30分待たされて、待ってる間他の人が酷評されているのが聞こえて、怖くて途中で帰ろうかと思っていた。
でも、そこの編集者が1番優しくて、また見せてほしいと言われた。
でも結局、編集部の名前が凄すぎて恐れ多いし、なにより田舎者の自分はそう簡単に持ち込みに行けないので、もう1箇所の名刺をくれた人にネームを送るようになった。
結果から話すと、うまく行かなかった。
その頃には大学も卒業の年になり、最後の思い出のつもりで卒業制作を別の編集部に投稿した。
持ち込みの時にも行った編集部だが、持ち込みの反応はかなり悪かったし、きっと今回もダメだと思っていたが、卒業旅行中の魚市場で受賞の連絡を貰った。
漠然と、自分は漫画家になる、と思っていたから、就活はしていなかった。
元々していたアルバイトをフルタイムにして、漫画を描いていた。
しかしバイトがハードすぎて漫画を描く時間はなかった。休憩時間に事務所でトーン貼りしたりしてた。
鬱になった。
正確には鬱になったのは卒業制作中、同じゼミの子と比べられるプレッシャー、作品ができない焦り、バイトの繁忙期が重なってパンクした。
ある日突然、プツンと何かが切れるような感覚があって、それ以降、目の前で話しかけられても、音声として認識できても言葉として理解できなかった。
話を聞いているのに、聞き取れない。理解できない。
当時の店長に相談して、接客から裏方作業に切り替えてなんとか過ごしていたが、色々あって結局辞めた。
元々2年で辞めるつもりだったし、漫画もバイトもうまく行かなくて、就活を考えた。2年以内ならまだ第二新卒枠がある。
それでも雇ってくれるという会社があった。絵を描ける技術を買ってくれて、新しく雇用形態も増やして、漫画の夢を追いながらうちで働けるようにサポートしてくれる、と。
すごく嬉しかったが、断った。
雇ってくれるという会社は、夜の街に近かったし、それに隣接するお店も取引先になっていた。
両親はそれが心配だったらしい。
「周りの人に、そんなとこで働いてるって言えるの?」
私は働いた事がないから分からないけど、親が言うならそうなのかも、と思ってしまって、断った。
今思えば、あの時あの会社で働いていたのが、1番幸せな分岐だったのかもしれない。
面接をしては落ち、を繰り返している間にふと、どうせ働くなら漫画に近い場所の方がいいのでは?と、アシスタント先を探すことにした。
当時はまだアナログが主流で、どこも都内で通いの募集ばかり。田舎者の自分には不可能だった。
家から自転車で行ける場所、未経験者可、自分にとっては最高の条件。
早速応募して、面接。
そこで初めて、現役の漫画家さんと話した。
作家さんの仕事場はフルデジで、ワンルームに作家さんと私用のPCと液タブが、それぞれ壁を向いて設置されていた。他は何も無い。
お互いにコミュ障で、会話はあまり弾まなかった。それでも、ネームを見てもらったり、トーンの貼り方をなんとなく教わったりした(基本的には「いい感じにして」の指示だったので、ほとんどは独学だった)。
その作家さんは漫画業界の闇に触れすぎて疲れていたので、ほとんど話し相手の役割だったが(そもそも週刊と月刊の2本連載をほぼ1人で描く狂人だった)、私にとっては貴重な話がたくさん聞けた。
あと、その話を聞いてて、「漫画家なんてなるもんじゃないのかもしれないな」、とも思った。(作家さんが毎日のように辞めたいと言っていたから。そもそも異常な執筆量を1人でこなしてたし、そりゃ辞めたくもなるわな、と今は思う。)
そこで1年半すごし、作家さんの連載の終了と共に辞めた。
その頃は、何度か原稿を送って、1番小さい賞を何度か取っていた。しかし担当さんとはうまくいかないし、原稿送っても「悪くは無いけどよくもない」しか言われず、何をどうしていいか分からない状態だった。
そしてふと、自分は今まで一度も漫画を楽しく描いた事がないことに気づいた。
展開が、目線誘導が、読者の盛り上がりが…
初めて描いた時から、そんな事を気にしてばかりで、自分自身が楽しく漫画を描いたことがなかった。
アシスタントも無くなり、名実ともに無職になり、再度就活を始めた。
相変わらず履歴書を笑われて、嘘つきな採用担当に意味不明な事を言われながら、最後に自分の好きなものを描いてみようと思った。
何を描いても、誰にも何も言われない。
好きなように、楽しく。
結果的にやっぱり「読者の目が〜」とか「起承転結が〜」とかを気にしてしまい、完全には楽しくなかったけど、それでも、今までで1番気楽に描けた。
せっかく描いたし、SNSにあげてみた。
今まで私の漫画は学校の先生と、編集部の人くらいしか見たことがないし、反応をもらえた事はない。
いいねが1万件ついた。
びっくりした。
たった一晩で想像もしない人数が見てくれた。感想のコメントもいっぱいついた。
嬉しかった。
それから、就職が決まるまでの間…と、少しずつ好きな作品を描いた。
これで漫画は最後にしようと思っていたのに、やっぱり描きたくなった。
ほとんど返事はなかったが、1箇所だけ返ってきた。
そしてそこで、いきなり連載になった。
今までもらった事ない反応が続いて、ある種のハイ状態だった事もあり、その連載もうまくやれる気がしていた。
そして実際単行本も出した。
これだけ聞くと、SNSで人気出て連載、書籍化、すごく順調っぽい。
当時の自分もそう思っていた。
でも実際は違う。
話数が増えて、人気もちょっとずつ出て、物語にちょっと複雑な内容を追加した。
とはいえ、ただエロシーンが続くだけでは読者も飽きるし面白くない。何より話が続けられない。
そして元々少年漫画が描きたかった私は、エロだけを描くのは本意では無い。
今までは「いつか人気が出れば複雑な話も描けるから」と言われて頑張っていたが、その「いつか」が来ない。
担当にはっきりと、「絵がそこそこ描ければ話なんてどうでもいいから」と言われ、自分から打ち切りを申し出た。
今でも配信サイトのコメント欄には続きを望む声が書かれていて、非常に申し訳ない。
描けなかった。
今度こそ、きちんと、話で勝負できるように。
連載の経験もあるし、単行本も出てる。今までとは違う。採用にならなくても、作品を良くする話をしてもらえるはず。
「よくこれで本が出ましたね」
持っていったネームも単行本も、今までのどの持ち込みよりも酷い評価だった。
曲がりなりにも約2年、頑張って描いていたのはなんどったのか。
当たり前といえばそうかもしれない。
過去に2社で連載をしたが、その二つ共が作品の打ち合わせはほぼ無かった。
一社に関しては一応ネームチェックがあり、エロの量だけ指示された。
もう一社に関しては、企画段階で一度だけ電話があり、メールの内容の復唱だけして終わった。以降は何を送っても「いいですね!」何も良くない。こっちが頑張って、相談しても特に取りあわれず、返事は全て「いいですね!」
一応お金をもらっていたけど、やってる事はSNSの投稿漫画と同じ。
商業作品の魅せ方のノウハウはもちろん無く、作品作りの才能がない自分には、自分だけの力で読者を惹きつける漫画を描くことはできなかった。
3度目の、「もう漫画やめよう」が来た。
悔しいけど、やっぱり自分には描けない。
その漫画は、内容にアラは感じていたが、今までで1番楽しく描けた。
その作品を持って出張編集部に行って、そこでも2社声がかかった。
描けなかった。
私の中でイメージするキャラは持ち込みの時から変わっていない。けれど、いくらネームを描き直しても、担当さんからはキャラブレ、別人になってるという指摘をされた。
だんだん自分でもそのキャラがどんな子なのかわからなくなった。
しばらく練り直して、やはり変わらなくて。
諦めて別の話を描くことにした。
そこからは真っ暗闇だった。
どんな話を描いても、中身が全部同じと言われる。
下手に考えるより、自分の好きなものを好きなように描いて、それを膨らませる。
そう言う方法で描いた方がうまくいくタイプなのは自覚していたから、そのように描いていたつもりだ。
結局実力も追いついていなかったし、描きたいものも分からなくなってダメだった。
そんな事が2年近く続いた。
別の編集部の人に、考えている途中のネームを見せたこともある。
足りないのは実力じゃなくて話の一番の見せ所だ。あとちょっとでうまくいきそうだし是非頑張って。
それは、私が初めての持ち込みの時からずっと言われている事だった。
そろそろ30になる。
二十歳で死ぬと思っていたのに、10年もロスタイムを生きてしまった。
一番仲がいいと自分では思ってたし、昨日まで仲良く遊んでたのに。
突然クラスの男子からいじめに遭い、それを一番仲が良い友達に相談していた。
男子を使ったいじめの首謀者がその子だと気づいた時は目の前が真っ白になった。
はっきりと意思表示をした。思い直してくれることに期待した。
「別にいいし」
友達を作るのが怖くなった。
どんなに仲良くなっても、弱みを握られるだけだ。
ある程度損得が考えられる生徒が多かったから、いじめにはならなかった。
3年でようやくできた友達は、卒業と同時に「私たち高校の間だけの友達じゃん」と言われた。
友達って難しいな。
親には言えなかった。
友達に言うとまたいじめられるかもしれない。親なら相談に乗ってもらえるだろう。
そのまま卒業した。
そう言われ続けて卒業した。
何人か連絡先を交換して話したりした。
仲良くなった人もいる。
ちょうどアシスタントを始めた頃で、それまでバイトの都合で服装に制限があったし、オシャレはほぼした事がなかった。
ネイルと言うにはお粗末だが、100均の安いマニキュアを買ってなんとなく色をつけて喜んでいた。
100均のマニキュアを使った事がある人なら分かると思うが、乾くのが早い代わりに、木工用ボンドみたいにペロッと剥がす事ができたりする。
オシャレに無頓着な私はそれが何となく楽しくて、塗った後しばらくたって剥がれたマニキュアをめくったりもしていた。
ある日、LINEのやりとりで仲良くなった1人に食事に誘われた。
趣味の話とかゲームとか、そう言う楽しい話をしていた、異性で初めてできた友達の感覚だった。
自分の指先が、剥がし掛けのマニキュアでボロボロなのを完全に忘れて食事に行った。
向かい合った個室のテーブルで、その爪に気づいたその人に、「ネイルやってるの?見せて」と手を握られた。
そして、ボロボロの爪を見られた。
「オシャレだね」
怖くなった。
ボロボロにハゲた公園の遊具のペンキみたいな指先を綺麗と言ったのだ。
しかも、気持ち悪い笑顔を貼り付けて、視線は全く手を見ていなかった。
男女でただの友達になれるのは大学まで、そのあと仲良くなれるのは下心のある人だけらしい。
それがたまらなく怖かった。
その後も何度か友達までの付き合いの人はいたが、例えばふとした瞬間肩を触られたり、手を握られたり。
そう言うのが怖くて続かなかった。
そのままもうすぐ30だ。
家を出る能力がないので実家暮らし、毎日両親…特に母に怯えて生きている。
「家にいるんだから家事しなさい」「他の人は外に働きに出てるんだから」
少ないながらに在宅でアシスタントはしている。
両親の中で、外に通勤していない、在宅労働は「仕事」ではないらしい。
本当は拘束時間が長い職場だが、家事があるため作家さんに頼んで短くしてもらっている。
当然、その分給料は減る。
給料が少ないから、その分早く自分の原稿で稼げるために作品作りに励む。焦る。
それでもようやく希望が見えてきて、前向きに色々挑戦できそうになってきた。
真夜中に叩き起こされ、いつ結婚するのかと叱責された。
完全に寝ていたので、はじめ何を言われているのか分からなかった。
・このコロナ禍で
・高校生にも関わらず
らしい。
私ごときが彼の責任やアイドルという職業の人の恋愛の是非を問う資格なんてないし、そのつもりも毛頭ない。人間の認知や判断なんて簡単に歪む。悪気とかやる気とか、関係のないところで巻き起こる事だってあるのだから、ただ活動自粛という事実だけがそこにあると思う。担当さんは苦しいだろうな。その気持ちを考えると胸が痛くなる。でも部外者だからそこまでだ。
私はそのニュースを、止まっている車の運転席で目にした。それからおもむろに運転を開始した私の頭の中に浮かび上がったのは、なぜ私の推しは伸びないんだろう、というひどく素朴な疑問だった。
彼の所属するグループは俗に言う"推され"グループで、年末の音楽特番にまだデビュー前の身分ながら出演するらしい。オリジナル曲も、かなりの数持っていたはずだ。毎回違うキラキラした衣装を着て、歌番組ではMCを担当しているメンバーもいる。
そして私が推しているグループは、平均年齢は彼らより幾つか高く、歴も長いが、今年に入ってようやくオリジナル曲を1曲もらえた。ブログもアクスタもまだもらえていない。配信ライブの持ち時間も少ないし、衣装もペラペラの数着をベビーローテーションしている。
スキャンダルなんて明日は我が身、だ。こうしている間にも推しが撮られるかもしれない。だからうちの子は偉いのに、とか頑張っているのに、とかは思わない。第一スキャンダルを撮られた子だって頑張っていたのには間違いない。だからそれを責めたいわけじゃない。
でも、こういうことがあると、何ていうのかな、競っているフィールドの中の、今の立ち位置が見渡せるタイミングがやってくる。
そういうとき、いつも私の推しはなぜ伸びないんだろう、と思う。ここで言う伸びる、は実力がという意味ではなく、人気や数字が、である。
まず単純にファンが少ない気がする。
私達の努力が足りない、という言葉を時折推しのファンが肩を落として言うのを耳にする。確かに、推しのファンは物分りのいいおとなしい人が多いという感覚がある。だからSNSも居心地いいし、治安もいい。たまにキツイ人や変わっている人もそりゃいるけれど、みんなうまく対処していると思う。
反面他に比べて多少のんびりしているかもしれないが、それでもファンの努力が他グループに比べて極端に劣っているとも思えない。
ファンの努力として、こちらからも見てわかりやすいのが動画再生サイトでの、動画の再生回数がある。推しのグループは、毎週最下位争いに食い込んでいる。
見ていなくても空いている時間に再生して、再生回数を増やそうというキャンペーンが度々行われているのをSNSで見かける。私も可能な限り再生している。
でもふと、こんなこと他グループもしているんだろうか、と思う。
そりゃあ多少はやっているだろう。でもそれだけで再生回数が負けるだろうか。やっぱり母数が少ない気がするのだ。
どうして私の推しは伸びないのだろう。
他の推されているグループと比べても、外見とか動画の面白さが他のグループに"負け"ているということはないと思う。特別面白いとか、橋○環奈並みのルックス兵器がいるということはないかもしれないけれど。
もちろん抜きん出ていると感じる部分もある。実力的に極端に凹んでるなんてことは、他のグループも含めてないだろう。まだ、実力だけ見たらみんな横並びだ。
玄人向けすぎるんだろうか。もう少し王道に寄っていったほうがいいのかな。でも言い方はあれだが、王道が似合う人であれば今頃王道グループにいるだろう。今の道が彼らには似合っていて、王道でないことが大きな魅力であると感じる。それに今更レッドオーシャンに突っ込んでいく価値を感じない。
単純に知名度が低いのだろうか?
どうして?
どうしたら、私の推しは伸びるのだろう。
夢のリミットは、いつなんだろう。
私は今の彼らの飾らない空気感や優しい心が大好きだし、できることならのんびりと、"凛々しく果敢に"彼らが思う道を突き進んでいってもらいたいと思う。短いMCの時間のほとんど全てをファンへの感謝の言葉に使い、雑誌で控えめに夢を語る、そんな彼らをとても誇りに思う。
だからこそ考えてしまう。どうしたら、彼らが有名になれるのか。夢のリミットが伸びるのか。
彼らがこのままでいてくれるなら、どこへでもついていく覚悟はある。でもそれで彼らの夢か叶うんだろうか。
私は何ができるんだろう。
とまあ色々グチャグチャ言ったが、結局今日も特別なことは何も出来ず、口を開けて怠惰に動画の配信を待つばかりである。そんな私の背中を彼らは今日も押してくれる。
理想が高くて妥協を引き出せずにいる。二人で最初の家探しと子供ができた時に引っ越しの検討をした過去3回すべて交渉決裂。(初回は妻の出す物件で手を打つ。あとは白紙撤回)
理想形から一部条件が悪い物件と比較表をつくって妥協点を説明した。が、見学のたびに各人から同じことを言われているので私からの説明も理解できているかはわからない。
「不動産は言い値って担当さんも言ってるし待っていれば出てくる」
「担当さんが買えなくもないと言っているから大丈夫(、ヨシ!)」
それでもこれなら手を打てるかなという物件は出てくる。(それでも予算はだいぶオーバー)
しかしすぐに問い合わせしないので、数日後に問い合わせに動いた段階で段階で売れている。
私がブックマークした物件(予算内)は妥協が受け入れられないので全てブックマークが外される。
妻の理想は叶えられないので私は妻が諦めるまで問い合わせなどに参加しない。
正直なところ、もう3度目なので離婚したい。
月払い13万円以内
※現在の賃貸が月12 万円だから。2DK → 3LDK でそううまくいはいかないだろう..。
※ローンは組めるかもしれない。組めるかもしれないが、将来的な備え回すのが難しい
※妻は料理が苦手なので自炊率は低め。節約は難い。私は子供が生まれたからご無沙汰気味だけど頑張るよ..
あなたがローン組んで買うのはどうですか?と打診した
激怒していた。「私の年収じゃローン組めるわけ無いじゃん!!」
買ってもらえる旦那さんを探してはどうでしょうか?(これは半分冗談。半分マジ)と打診した。
返答は「もしそうなったら養育費払ってね」
そうなるよなー。辛いなぁ。
仕事をしてて思うんだけど、女性は女性同士助け合わないと、やっぱり既得権益層の男性よりすごく不利。だから、女性は女性同士助け合おう。ということにようやく気づいた話です。
割とでかい男性社会的会社の総合職で、もう20年目の中堅の女です。女性の少ない業界(10%ほど)なので、弊社でサバイブしている先輩方は男勝りな名誉男性タイプが多く、結婚出産で退職した先輩や同期も多いです。社会の、そして弊社の女性差別は根強い。構造的な女性差別はまずとにかく数を増やすことで改善すると私は思うので、自分の裁量の範囲で意識的に女性の後輩は男性の後輩よりよく面倒を見るようにはしていました。大したことはできてないけど。女性は在職してるだけで業界の男女比率の改善に貢献してるし、男性社会で生きているというだけでも同程度の成績の男性より頑張ってると思う。
ところで、取引先も男性ばっかなんだけど、最近たまに女性がいる。これまで付き合いのあった男性担当が今年入社した新人ですって女性を連れてきたり。でも私、何も考えず、今までの担当、つまり男性と引き続き話をしてたんですよね。それでいつのまにか元通り男性担当だけが来るようになった。
転出入とかで担当が変わる時、取引先に挨拶に行くじゃん。最近気づいたんですけど、そこに担当者の男女がいた場合、弊社の男性は男性に話をするみたいなんですよね。最近上司と同僚に人事異動があったんだけど、皆取引先の男性担当と話をしてる。それはもともとは私が「この件〇〇社さんは誰に聞いたらいいかな」って聞かれた時に「私はいつも男担当者さんとやりとりしてます」って言ったせいもあるし、ただ男女どちらでもいいのにあえて女担当者に連絡することでセクハラ関連リスクが増えると考えてるからかもしれない。わからない。とにかく、みんな男担当と話をするようになった。
これさ、〇〇社にしてみたら、女担当より男担当の方が仕事してて取引先の信頼を得てるように見えるよねということにようやく気づきました。後から採用された女担当は、同期の男担当に比べてこういうところでも不利になってるのかもしれない。いや、私の案件は主担当でないだけで、他案件ではバリバリやってるのかもしれないけど。そうであることを祈ってるけど。
今は反省してます。今年の春に取引先の新卒の女新担当さんが挨拶に来てくれたタイミングで「じゃあこの件、今後は女担当さんにご相談しても大丈夫ですか?」って言って、その後基本女担当に連絡するようにすれば、その後彼女は御社で多少やりやすかったのではないか?そういうことの積み重ねで女性が業界で生きやすくなり、弊社でも御社でも人数が増えていくのではないか?彼女最近見ないけどどうしてるんだろう。
男性は男性担当の方が話しやすいのはわかる。あいつ女好きだから女性営業あてがっとけみたいなこと言われるようになると、男性本人もあてがわれる女性営業も不幸だし、万が一にもリスクを避けようというのはまあいいよ。
でもそれなら尚更、男社会で生きてる女達は弊社御社の垣根を超えて助け合った方がいいよね。取引先の対応一つで社内での評価はかなり変わってくるんだから、そしてまず業界における女性比率を私は改善したいんだから、今後は弊社の女性の後輩だけでなく取引先の御社の女性に対しても、意識的に対応していこうと思います。具体的には、出来るだけ女性と話すようにします。
私はミサンドリストではないよ。男社会で生きてくのは大変だし、今私がちょっとでも業界の、ひいては社会の構造的女性差別を改善することで、私や後輩や取引先の女性や私の娘など、全ての女性が男性と同じ程度に仕事しやすく、生きやすいようにできればいいなと思ってるわけです。今現にすごく不利な立場に我々はいるわけだから、助け合おう。そこに女性がいるなら女性と話そう。同じ成績の男女なら、私は女性を推薦する。明日から。
シスターフッド的観点から、既にそうしてる女性は多いのかもしれない。私が気付くのが遅かったかもしれないなとも思っています。あと、出来たら男性にも意識的にそうして欲しいよね。今の、例えば政治や行政やいろんな分野での男女比率、おかしいと思いませんか?少し比率を改善するためにしばらくの間、女性の少ない業界は意識して女性を選ぶようにしてみませんか?そうすることであなたの配偶者や妹や娘や女性である世界の半分の人達が生きやすくなり、イライラしなくなり、周囲に優しくなり、その結果男性であるあなたも今より生きやすくなるのではないでしょうか?
道のりは遥か遠いかもしれないけど、私に出来ることをすることで、その先の女性差別の解消につながることはあると思う。アメリカではすでに女性が副大統領にまでなってるんだし、我が国でそれが出来ない理由はない。これは平凡ないち会社員である私に出来る草の根活動です。
アラフォー独身男なんだけど結婚相談所に登録しに行ったら趣味の事で突っ込みが入った。
プロフィールの趣味欄にはサイクリング、登山って書いたんだけど、これはよろしくないらしい。
相談所の担当さんいわく、今まで紹介してきた男性で自分のような趣味の人間は仕事が嫌いな傾向があるという。
女性会員から「紹介してもらった男が想像したより稼いでないし、自分の趣味に金を使うので困ってる」と苦情があるそうな。
確かに自分は仕事中は早く休みにならないか死んだ目をしてるし、ボーナスは道具や旅費に消える。
同僚みたく鬼のように仕事をして「休日はやることないから家にこもってる」とか言って貯金ばかりしてる男のほうが、結婚相手としては理想なのかもしれない。
テニスなんかはお金が掛からないので良いでしょう ってお薦めされたけど球技苦手なんだよな。