はてなキーワード: 唐十郎とは
でも大怪獣が気になって!!映画館行って帰ったら半日潰れるのに!我慢できなくて!行った!
したら!
サイコーだった!
まず主演の山田涼介!燃えよ剣の沖田も良かったけど、こっちもよかった!
土屋大鳳!ヒロイン!しらない人だったけど良かった!この二人はなんかしらんが好感度めっちゃ上がった!
なんか知らんいい声したハゲ!なんか既視感あるな~?ってエンドロールみたら濱田岳!?鎧武じゃん!すげーいい味してた!燃えよ剣でウーマンラッシュアワーの山崎丞がよくて!それに匹敵するよさ!
西田敏行!いいに決まってんだろ!
あとスナイパーの人、時効警察の人だと思ったら違う人だった!でも良かった!
ブルース!かっけー!でさぁ、オダギリジョーはジオウには出なかったのにこっちには出んのな。三木聡にライダー撮らせれば五代も客演してくれる…?
あと、閣僚にサカナクションの忘れられないのとショックのPVに出てる魔人加藤に似たおっさんが いて良かった!で、パンフ買ったら本人でたまげた
六角精児も変な貫禄があってよかった!
松重豊はパンフ見るまで松重豊なの気づかなかった!一発で分かる笹野高史とかもいいけどこういうのもいい!あとパンフでMEGUMI出てるの気づいたり、隊長も知らない俳優だったけど声もかっこよくてよかった!パラサイトの社長もいい声してて好き!関係ないけど!
内容については、まぁいつもの、という感じ。全体的に小ネタ満載で、ゆるく楽しめた。政治ネタは気にしなくていい。笑点の時事ネタみたいなもんだし。でも、政治家がアホな雑談してたらウケるやろなぁ~wみたいなノリなんだろうけど、政治家を茶化してる風刺みたいに取られてるかもな、ってのはアリ。あと、「怪獣がグェー!って死後硬直してたらウケる、って監督は考えてたみたいだが、クソつまんねーよ!」って叩かれてたが、個人的には怪獣がグェー!って死後硬直してるのが面白かった。股間が膨張、ウンコ・ゲロ・ギンナン問答、股間のキノコ、尻から放流あたりは好き。下ネタを下品になりすぎずサラッと流すのは三木聡の利点だと思うが、もっとガッツリやった方が面白かったと思う。それをやらない緩さがいいのはそうなんだけど。特撮への侮辱と評判の特撮パートは個人的に楽しめてしまった。ワイがまだシンゴジラ見てないからかもしれない。ネタバレみちゃってたからオチは知ってたけど、ちょっとアッサリすぎる。全身像映すくらいの悪ノリは欲しかった。濱田岳の義足とかキノコはもうちょい深掘りしてもよかったような。岩松了が無駄に投げ飛ばされるとこは全てが無駄で好き。でもダレるのはダレてた。細切れにして深夜ドラマにしてたら評価も違ってたかも。個人的にはスゲー癒されて元気出た。帰りに休日出勤の予定だったけどどーでもよくなってさぁ、帰りに風俗行こっかな?みたいな。週明け地獄だけど。
追記1
ワイの中で鎧武=濱田岳で間違えて覚えてたので
ゾルダも年取ったらああなったし鎧武も老けたらこうなるんだな…でも何となく面影あるな?とか思ってたんだよ
アザゼルさんで体はいいけど顔は濱田岳の女ってネタがあったとき、あの顔なら別にいけるだろ?とか考えてたんだがあれも勘違いだったんだな…
追記2
最近ははてブの象徴(アイドル)として自己顕示欲全開でファンサービス(公開オナニー)してるんだけど、やればやるほど引かれてる感じはセックスなんだよね
追えば逃げるってこういうことなんですかね
でも徳光呼ばわりされるのは流石に…グスッ(嘘泣き)
追記3
もっと分かりやすく・過激にした方がいいんじゃないか?ってのはメジャーデビューに際してやたらポップにキャッチーにプロデュースするみたいなもんで、持ち味を殺しちゃうってのでもあるんだよな。唐十郎だったかつかこうへいも、ファンサービスでギャグを増やしたらギャグ目当ての客ばかりになったみたいなことを言ってたとか言ってないとか。
しかし、これまでの三木作品だと真面目にやってるようでヘンなギャグにまみれてたり、主人公の近くをヘンな奴らがウロウロしてたりするけど、現場組がシリアス担当、閣僚組はシュール担当みたいに分かれてて独特のノリが伝わりにくかった感じもする。山田涼介に臭いがつくとか土屋大鳳がバカみたいに手を振るみたいなギャグはあるんだけど
前からなんとなく気にはなっていて、先日、浅草ロック座に行ってみたのである。
場所は浅草演芸ホールからちょっと行ったあたり。「浅草ブロードウエイ」なる名前がついていて、幅は広いが車は入らないようになっている。向かいはリッチモンドホテルの下層に「まるごとにっぽん」とかいう明らかにインバウンド狙いの商業施設がはいっていたり、案外こぎれいな場所だ。道路もふくめて近年だいぶ整備されたんだろうという雰囲気。
ビルには大きく「ROCKZA」書いてあるがこれまたこぎれい。入り口にはファンから出演者に贈られたらしい花が飾ってあったり、出演者の顔写真が飾ってあったりするが、そんなにいかがわしい雰囲気はなく、階段を上ったところで昔ながらの映画館の窓口みたいなところでチケットを買うとすぐモギリのおっさんがいて「もうすぐ最終回はじまりますよ」と言われる。
公演は毎日午後1時から同じ演目を4回やっていて、料金は5000円(シニア、女性、学生、カップル割あり)、入れ替えなし。ただし、20:10以降に入場して4公演目だけみれば3500円。とりあえずこの割引時間帯にいったのである。
客層は推定45歳以上の小市民風なおっさんがメイン。競艇場ほど「怪しそうな人」は見当たらず、妙な酔っ払いとかもいない。普段はそれなりに真面目に仕事してそうな人も多い感じ。
サブカル好きっぽい女子二人組みとか、そこそこ若いあんちゃんとかもいないわけではない。
劇場内は、やや縦長の長方形で、ざっと120~130人くらいが座れる感じか。客席の両脇と最後部には寄りかかって立ち見するのにちょうどよさそうな手すりも完備している。
ほぼ満席だが、幸い空席をみつけて着席した。
舞台は真ん中から客席中央あたりまで花道が延びていて、花道の突端は丸い舞台になっている。
あそこで女性があんなポーズやこんなポーズをとるのだな、と思っているうちに開演。
場内に朗々と、映画「サウンド・オブ・ミュージック」の主題歌(The hills are alive with sound of music~ ってやつ)が朗々と流れて、一応、ジュリー・アンドリュース演じるマリアを意識したんだろうな、という衣装(ただし、安っぽい)を着たお姉さんがバレエのようにくるくる回ったりしながら踊ってる。
曲が終わったので、いよいよ次は脱ぐのかと思ったら、子供役と思しきお姉さんも7人でてきて、「ドレミの歌」が始まった。
古い映画なので知らない人も多いと思うが、「ドレミの歌」というのは、厳格な軍人の家であるトラップ家に家庭教師にきたマリアが子供達に音楽をおしえる、というテイの歌なのである。ちゃんと振り付けも、子供達にドレミを教えるっぽいミュージカルっぽい感じになっている。一応、映画のオマージュ的なことなのだろう。
で、ドレミの歌が終わると、子供役のお姉さんの一人がネグリジェみたいなカッコに着替えていて、マリアに手を引かれて、花道突端の円形の舞台までつれてこられた。
BGMは、これも「サウンド・オブ・ミュージック」の曲なのかどうかは良くわからないが、なんか英語で「さあ、今夜もゆっくりお休み」みたいなことを子守唄風のメロディーで歌っている。
そうこうするうちに、マリアは子供を寝かしつけて舞台から引っ込んでしまった。
そして、この女の子が目覚めるテイで起き上がると、一枚一枚服を脱いでいくのである。
正直、ここまでの流れにいささか関心してしまった。いや、なんか、「ちゃんとつくってる」じゃん。
正直、踊りのレベルがどうとか、そういうことは素人なので良くわからん。
土屋太鳳がときおり「アタシ大学でダンスやってたんです」ってことでやってみせるモダンダンスよりはレベルが低そうに感じた。
脱ぎ始めたときのBGMは、なんか「ええ歌風のJ‐Popのバラード」みたいなのだった。詳しくないので、曲名わからないけど。
怪しげなトランペットやサックスの扇情的なメロディで「ちょっとだけよ、アンタも好きねえ」という雰囲気ではない。踊りもなんというか「エロじゃなくてアートです」という感じ。もちろんストリップだから、あんな格好したりこんな格好したり、足を大きく開いたりもするわけだが。
あと、以前タモリ倶楽部でやっていた、職人芸的なリボンも、本当にやっていた。
これは、ボランティアのファンが、絶妙なタイミングでリボンを投げる職人芸である。
本当に絶妙なタイミングで、観客やお姉さん方の邪魔にならない方向にリボンを投げ、するすると手元に巻き込む様は、ベテラン漁師の一本釣り漁をみているようですらある。
そんなわけで関心しきりのうちに一演目が終わると、会場内にド演歌が流れ始めて、歌舞伎の「道行」みたいな、和装の二人連れが出てきた。男性役は男装した女性。一応、なんか逃げるように駆け落ちした二人、みたいな設定、らしい。
なんだか、振り付けに「ロボットダンス」みたいな動きがはいって独特な・・・と思って気がついたのだが、そうか、これ、人形浄瑠璃のパロディなのか!?
・・・と、そんなこんなで、どの演目も結構「ちゃんと」つくっていた。
各演目とも前半はなにかしらのモチーフを基にしたダンスミュージカル風な踊りをやって、後半は脱ぐ、という展開。
「銀河鉄道の夜」のパロディの演目では、インカムつけたお姉さんが「そのよる、ボクはカンパネルラと」とか朗読はじめちゃうし、きゃりーぱみゅぱみゅの音楽にあわせて、おもちゃの兵隊が踊る、みたいなのがあったり。
尾崎の「アイラブユー」に合わせて、何だが不幸な恋愛をしてっぽい二人がじゃれあったり抱き合ったりしてる、という演出もあり。
脱ぐときのBGMはなぜかJ‐Popが多い。ゆず版の「見上げてごらん、夜の星を」とかミスチルとか、意外なほどに合ってたりする。これはJASRACと契約してるんだろうなあ。
休憩中に、幕をスクリーンにして「本日の演目紹介」が投影されていて、最初の演目はちゃんと「サウンドオブミュージック」だった。先ほど「アイラブユー」にあわせてやってたのは「ロミオとジュリエット」だったらしい。なるほど。
本日最後の演目は「チャップリンの独裁者」らしい。何をやるんだろうか・・・と思っていたら、これまたなんか真面目だった。
ステージにはミリタリーっぽい服をきたお姉さんが立った・・・と思ったら、どこからともなく演説が聞こえてきた。
これ、あれや、「独裁者」の最後で主人公が全世界に向かってやる演説。高校のときに英語の教科書に載ってた。自由の尊さを訴えた名文やで。
やがて、演説にかぶさるようにピアノが流れてきて、お姉さんが踊っている。
はじめは何かに束縛されてるような踊り方だったのが、どんどん激しくなっているのは、多分、スピーチのテーマにあわせて、支配からの自由を表現している・・・というのは、こっちの勝手な解釈だが、でも有名な振り付け師でも出てきて「そうなんですよ」といわれれば納得してしまいそうな気がする。
最後、自由への戦いに立ち上がったかのようにこぶしを突き上げたポーズで一旦とまり、そこから曲が変わって脱ぎだすわけだが、これもあれか、支配からの自由の行き着いた先は、「洋服」という束縛からも完全に自由になるということなのか。(深読みしすぎ)
なんというか、みなさん、「売れない劇団の看板女優」みたいな雰囲気。体のラインはさすがに、それなりに美しい。ただメイクばっちりで色とりどりの照明もきついので、正直年齢とかは良くわからん。
あと、これはどこまで書いて良いのかよくわからないのだが、服は全部脱ぐ。で、それなりに高々と足を上げたり、のけぞったり、いろんなポーズをとる。
ちょうどかぶりつきに結構若いお兄ちゃんがいたのが、まさにかぶりつくように見ていた。
ま、ああいうシチュエーションであんなふうに見るのって、なかなかないからなあ。
あれが現在の日本の刑法上、どういう扱いになるのかはよくわからないが、平然とやっているところをみると、「わいせつ」とは扱われてはいないのだろう。
その昔のストリップ劇場は、観客が舞台にあがって女性とあんなこんなことができちゃう「ナマ板ショー」やら、個室で二人きりになってあんなサービスを受けられる設備やらがあったり、そりゃもういろいろある風俗だったらしいが、今の浅草にそんな雰囲気はなく、観客もいたって真面目に鑑賞しているのであった。
ま、各演目の前半はとくに興味ない風な客も多そうだが。
にしてもあのネタは誰が考えているのだろう? 作家とか演出家とかいるのかな?
なんか「昔、寺山修二や唐十郎に憧れてたじいさん」とかが裏でいろいろ携わっていたりするのかもしれない。全般的にネタが古いし。
というわけで、3500円が高いとは思わなかったが、まあ、どうしてももう一度みたいというほどでもないかな。
まあ、興味の沸いた人は話の種に一度くらいみておいても損はしないと思う。
にしてもあれだ。演目とか興味深かったので思わず、軽くメモをとってしまって、だからこそこんな増田もかけているわけだが、ハタからみたら「超熱心なストリップファン」に見えてしまったかもしれないと思うと、ちと恥ずかしい。
ま、どうせ知らない人ばかりだし二度とあうこともない(多分)だろうから、いいんだけどさ。
茂木健一郎さんは、中森さんに連れられて行った文壇バーで、私の会話を完全に無視しながら中森さんと会話をして、話かけてきたと思ったら「唐十郎は知っているのか。知らないとは教養がない。君はもっと勉強したほうがいい」とか言い出した ちなみに文壇バーは女ポケモンを連れて行って自慢する場です
文壇バーみたいなの本当にきっもち悪いわ
自分が手持ちで持ってる価値があるかも?みたいな女を、自分のテリトリーに連れていき、披露する行為を女ポケモンを連れて行くと評しています 中森さんはポケモンの選択ミスをしました
もそも茂木健一郎さんは中森さんの連れている女ポケモンに対して「唐十郎を知らないなんて教養がない。君はもっと勉強したほうがいい」とか説教を垂れるとか、脳トレで脳を鍛えても心根は腐ってるんだよな その後ラジオ出演の依頼が来るとかも意味分からんかった
まず陽子の話を信じるな、ね。
これは多分陽子さんかその父親が精神的な病気に罹ってるだけ。あのメモの出どころは定かでなくてコラ画像じゃないかって話もあるから。というかその動画がないらしく事件はあっただろうけどそれ以外の尾ひれ付いてるのはデマかなと。
次に名古屋妊婦切り裂き事件。これね、以前ベトナム人女性下呂死体遺棄事件があったと思うけど、その時の犯人で後にシリアルキラーに数えられたサイコパス後藤明弘って奴が事件当時に現場付近をうろうろしてたと言った証言があって、それからそこで窃盗事件で逮捕されたらしいという話が出てるので、件の猟奇的な事件は奴によって起こされたのか?という話が挙がってた。
三番目は西成のマザーテレサね。これは他殺だと遺族や飛松五男氏、各メディアも言ってる。でこれに抗議してるのが女医殺しの黒幕じゃないかと噂されてるNPO団体さんみたいね。ちなみにこの団体は人身売買とか臓器売買に手を出してるとかよくない噂もある。西成署の中にそれのスパイか取引相手がいるとか阿修羅とかに書かれてるので詳細は各自確認をば。
四番目はペッパーランチ女性強姦事件ね。これはもしかしたら三番目の西成の女医さん変死事件と関連あるかもしれないよね。その強姦された女性以外にも多数の女性が行方不明らしいし人肉事件または臓器売買事件に関わってるとかいう話が出てるけど、西成の女医さんの事件もNPO団体が臓器売買や人身売買をやってるぞ!って事を知人の記者と一緒になって告発しようと準備してた矢先に起きた事みたいだし。ちなみにペッパーランチ事件が唐突に終わったのはどうやら社長が政府高官に口添えしてもらったからだというけど、この事件における社長は恐らくシロ。外食チェーンからしたらそんな組織ぐるみの事件は早々に風化して欲しいと思うはずだから黒幕とか言われるのも癪だけど事件を最小限に食い止めようとした経営者としての当然の判断だったろうから、この件に関していえば社長は当事者ではないのだろうと勝手に解釈。
しかし、大阪と言えば熊取町の集団自殺事件もだけど、やたらヤクザに縁のある連続不審死事件が多いな。また、住所不定の浮浪者とかを拉致ったり、自治体と組んでるかは知らんけど、福島の除染処理に連れて行ったりして今の西成、特にあいりん地区は炊き出し待ちの乞食に身を窶してでもって労働者があまりにも多すぎるんだよね。
ホント何があっても浮浪者ないしホームレスにだけはなりたくないね。こうやって貧困ビジネスにかこつけて平然と拉致ってくる奴らがいるんだから。そしてそれを記事にしようものなら平然と暗殺するし、西成警察に口止め料でも払って事件を自殺とか事故に切り替えて貰えるんだから、ホントヤバいね、あの地域は。ちなみにペッパーランチの現場は心斎橋だったそうな。どうでもいいな!
五番目はパリ人肉事件の佐川一政氏は有罪なのか無罪なのかって事。フランス警察のアホ過ぎる捜査、誤訳の末に犯行当時、神経衰弱状態だったとして無罪釈放になった佐川くん。後に唐十郎著の佐川君からの手紙や本人出演のインタビューとかから犯行当時の精神状態は安定していたことが明らかになってる、らしい。日本の警察もフランス警察に何度も働きかけてるけど、フランス警察は無能を晒す事をプライドが許さないのか頑なに捜査再開を拒否ってるんだとか。
六番目は同じ人肉事件でフィリピン人女性によるカニバリズム事件ね。日本の話じゃないけど、あれ結論から言うとデマの可能性があるらしいね。
画像が2011年当時のものらしいけど、実は2006年位からあったそうな。なるほど一つ疑惑が出てくるとポロポロと嘘が明るみになってくる。まあそういう事だろう。
七番目はジャーナリスト黒木明雄氏の不審死事件。自殺という事らしいけど、直前に中国マフィアがどうたらこうたら。警察の内情に詳しく、後にペテン師として知られるようになる元公安の北芝氏とやり合うようになり、気付けば公安にマークされるハメになった可哀想な人。岩手17歳女性殺害事件の真相に辿り着いた矢先に殺処分されたとか何とか。他にもヤマしい警察内部の闇を握ってたので公安に殺された説が有力。ちなみに岩手の事件は現在も未解決のまま。こういうまともなジャーナリストがあっさり暗殺された上に警察からは明らかに他殺なのに自殺と断定発表される時点で警察が深く関わってたんだろうなと察しちゃう。
(この匿名ポストは、口下手な俺が近しい人間に近況をまとめて報告するための書き込みなので、「ワケわからん」という人は、無視してほしい)
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別の人ってのは、そうだな……あるところで、超っ絶美形、お耽美系おまけにXジェンダーという、やたらキャラが立ってるモデル兼役者さんを見かけたと思ってほしい。
そのヒト、ビジュアルと毒のあるキャラを買われてライブや芝居の客演に引っ張りダコで、思わず本人を確認しにライブハウスに行ってみたのよ。
期待にたがわぬ超絶美形だったんだけど、本題はこの人ではなく(いや、このモデルさんも追っかけるつもりだけど)。
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「ほんとかぇ?」と最初は思った。
その劇団、サブカルとか下北沢とか、そういうのを全然わからん俺でも知ってるくらいの有名劇団で。
旗揚げ公演のときは、ギラッギラのお耽美系女優でキャストを固めていて、そこにサブカル大好きティーンが「あ~ん、お姉さまぁ~」とかいって群がってるような感じで。
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で、その女優さん。
いっつも学ラン、学帽のショタ扮装で、ほんとうに純朴な少年みたいなキャラで、セリフ回しもトツトツとしているし、どっちかというと「あ~ん、お姉さまぁ~」とかいって群がってるサイドのヒトじゃね? と思ってた。
あるときまでは。
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ところがね。
とあるライブのゲストパフォーマンスで2人がコンビで出演した時。
そのままユラっとたちあがって身体を動かし始めたら、いきなり周囲の空気が変わったのよ。
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もうね。
ダンサー。
超ダンサー。
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ボディコントロールの精度とダイナミックレンジがハンパじゃない。
スタイルとしては、最初は土方巽的な暗黒舞踏の系譜かな、と思ったんだけど、見てると洋モノのコンテンポラリーに近い感じ。
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でも、それにしてもね。
ああいう動きは、それこそモーリス・ベジャールなんとかカンパニーとかに10年くらい所属しないと出来ないんじゃないの? まだ若いのに。
そう思ってチャラっと調べたら。
母娘2代、姉妹そろっての舞踏家ファミリーで、子供のころから母君の手ほどきを受け、美大に進学して上京してからは、もう在学中から現在にいたるまで、
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個展で踊る
有名ミュージシャンのMVで踊る
ミニマルミュージックのセッションでゲストパフォーマーとして踊る
そして、誰からもお座敷がかからないときは自主活動として踊る。
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踊る踊る踊る。スキあらば所かまわず踊りだす、踊りの国の踊り姫であることが判明。
(いやマジメな話、ソロのフリーランサーってどこで仕事を取ってくるんだろう?)
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ほかにも。
その女優さん、最初は普通のチンマリした女の子だと思っていたら、ネット上に、背中出しのコスチュームでプロに撮ってもらった宣材写真があって。
もうね、肩甲骨の自由度と張り付いてる三角筋の厚みが、完全にアスリートのそれ。
いやもちろん、シルヴィ・ギエムみたいに絞りに絞った体型ではないけど、学ランの扮装に完全にダマされてた。
完全に本職のダンサー。
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というわけで、がぜん興味がわいたんで、その“伝統の小劇団”の公演を予約して、行ってきましたよ、もう。
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もうね。
シンガー。
超シンガー。
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少しかすれた、でもよく伸びるアルトで、ピッチとアインザッツをガチキープしたうえで、朴訥な少年みたいなキャラクターをいい感じにのっけてくる。
ほぼ本職のシンガー。
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ところで、ここまで劇団の女優、女優と書いておいて、演技に一言もないのは。
だから、客演の寸劇とかで短く少ないリハーサルではアドリブがきかない。
(在学中に自主制作の映画に1本出ているらしいが、内容までは知らない)
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・ただし、所属の劇団でガッチリ稽古をすれば、プロ水準の演技はできる。
実際、主役級のキャスティングを的確にこなしていた。
少なくとも、演技といえば映画とTVしかみたことのない俺にはそう見えた。
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という感じ、なのかなぁ。
(ダンスになると手持ちの材料ですごい振り付けをするのと対照的)
ともかく、その意味ではキャスティングが当て書きとハマり役に限られる感じで、「アクトレス! 超アクトレス!」とは言えない感じ。
まだ今のところは。
案外、早い時期にその域に到達するかもしれないけど。
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劇団の公演自体はおおむね満足。アートでビザールで猟奇的な感じ。
そこで今度は彼女が時おり客演しているバーレスクチームのパフォーマンスに行ってきましたよ。もう。
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で、見てきた印象を簡単に書くと、
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・ダンスを見て、
やはり動きのキレすさまじき。
チップばら撒き、飲み代払いまくりなれど、かぶりつきで見た。元は取った!
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・ダンスが終わって
話を聞こうとしたら、追っかけが周りを取り囲む(俺も含む)。
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もともと芝居好き。
劇団オーナー氏の文芸思想面に共鳴、心酔、ならば何も言うまい。キャリアとか。
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・余談、『草迷宮』以外にも女力士がいるらしい。寺山修司好みのモチーフらしき。
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というあたりで。
……興奮冷めやらぬ中、この3ヶ月の自分を振り返る。
自分は何をこんなに、このダンサー(と周辺の人たち)に入れ込んでいるのか?
あれだ。
何が楽しいかというと、若い人たちが劇団やライブで頑張ってるのを見ると、その、あれだ。
大森望とか小林よしのりがAKBにハマっているのを「自分の娘みたいな年頃のアイドルに入れあげるって、それはどうよ?」とか思ってたのがね、これが自分がハマってみると、
_人人人人人人人人人人_
> スッゲー楽しいの <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
.
そしてね。
この歳になって「和風アングラもいいな」という自分を今さら発見した。
夢野久作とか寺山修司とか麿赤児とか唐十郎とか横尾忠則とか佐伯俊雄とか『ガロ』とか古屋兎丸とか、そういう日本の猟奇的な世界とは無縁で生きていくものだと思っていたんだけど。
これがねぇ。若い人が過去の作品群や事件を掘り返しながら、自分にしてもまだガキだった'60年代の新宿的世界をガチでやろうとしているのが面白くて。
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ほかにもね。
その女優さんと美形モデル氏を起点に人脈をイモづる式に掘っていくと、面白い人たちが出てくるわ出てくるわ。
誰に頼まれたわけでもないのに、全身を蛍光色にペイントして街角にくり出してフォトセッションをやってるギャルの集団とか。
どこから出演料が出るわけでもないのに、「調香師の貴婦人と助手たち」みたいな架空のストーリーでコスプレ衣装合わせをして、参観料を取って企画として成立させてるコスプレイヤーとか。
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みんな“何か”になりたくて、
“何か”をしたくて、
でも、それが“何か”はっきりしていなくて。
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みんな若さにまかせて、アルバイトを掛け持ちしながら、もがいてる。
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おお! こりゃ、リアル日本版『レント』(と、その元ネタの『ラ・ボエーム』)の世界じゃないのよ!?
いいねぇ。じつにイイっすねぇ。
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この歳になると、知り合いで創作的なことをやってる人間は、
.
・その周辺で稼げる分野に落ち着くか(←俺のことだ)、
・完全に足を洗って別の仕事を見つけるか
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どれかになるんだけど、まだ、そのどれでもない状態でやっている、やれている人たちが、まぶしくて、まぶしくて、もう。
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この女優さんにしてもね。
.
っていう流れに乗る前に、
っていう流れに乗る前に、
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多少無理をしてでも金と時間を作って四方八方にコネのある舞踏家に師事して、それをテコに国内でも海外でもいいから名前の通ったダンスカンパニーにもぐり込むことを最優先にするだろう。
その後は、
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・一般人にも名の通ったポジションを取ることを最終目標に、有名振付師のゴーストから経験をつむか、
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・彼女の母君みたいにレッスンプロとして“ダンスを見たい人”より“ダンスを演りたい人”を客にするべく、行政とかに売り込みをかけるか、
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・あるいは、ヨーロッパみたいにハイカルチャーに一定の需要がある国にイチかバチか、飛び出してみるか。
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……10年後、20年後も踊っていたいなら、これくらいしか選択肢はないんじゃなかろうか。
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でも、おそらく、それじゃ満足できない何かがあって、それに衝き動かされているんだろう。
(と思ったら、海外留学が決まったらしい。いいぞ、行ったれ行ったれ!)
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ま、ともかく。
独立起業という名の引きこもりになって、はやЖ年。なんか世界がせまくなる一方だった自分の生活が彼女ら彼らのおかげでムチャムチャ彩り豊かになった。
この人たちには、いくら感謝してもしたりないが、直接言うとキモいので、ここでこっそり発言。
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なんかひょんなことから月蝕歌劇団の公演を観てきた。
『怪人二十面相 黒蜥蜴復活篇-ガス人間第二号とフランケンシュタイン-』
『ピーターパン 月蝕版』
自分にとっては初めての月蝕歌劇団。
忘れてしまわないうちに記憶を記録に変えるため、レビューを残しておくことにする。
(月蝕歌劇団を知らない人は目の前の箱でググってほしい)
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■全体として
これ、過去の演目を見る限り、そう間違ってはいないはず。
自分のボキャブラリでいうと、ボルヘス、池澤夏樹、イタロ・カルヴィーノ、筒井康隆、このあたり(マルケスは積ん読状態なので知らん)。
『怪人二十面相』やら『ピーターパン』やら、もとからマジカルな舞台設定の既存作品をさらに2つも3つもカットアップ、マッシュアップして、"魔法世界の中で、さらに有りえねぇ超現実が起きる"ある意味なんでもありの“ごった煮”的な世界設定を作って、舞台の制約が許すかぎり絢爛豪華なスペクタクルに仕立てる。
で、そこに昭和風俗をまぜ込んで(たとえば突然、山口百恵のワンフレーズが出てきたり、吉本新喜劇的なシークエンスが乱入してきたり)、さらに'60年代新宿のアングラシーンの楽屋オチ、「唐十郎と李麗仙が~」みたいなネタをチクリ、チクリと混ぜ込めば月蝕歌劇団になる。
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あと、これはどうかな……はずれてるかもしれないけど。
60年安保、70年安保的な新左翼の臭いと、その文化の“祭りの終わり”みたいな寂寥感が通底しているような気がする。
自分が当時のアングラシーンの空気と政治的な空気を混同しているだけかもしれないけど。
でも、“岸信介”とか、“ロシア革命”とか、そういうワードはちらほら出てくる。
2演目とも、終盤クライマックスにマシンガンの乱射をきっかけに急速に話が収束するところも、かならず流血をみるところも、まあ、ほら、いろいろと。
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ともかく自分にとっての月蝕歌劇団はそんな感じ。
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あと、演目の間に『詩劇ライブ』というのがあって、基本は歌唱ショー。短い芝居と群舞。
キャストの紹介も兼ねている、のかな?
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良かったかって? うん、良かった。
ただね。
大正末期(1910年代)の冒険小説、明智小五郎シリーズが戦後(1945年~)に伝奇ロマン化したものをアングラ時代(1960年代)の空気感で舞台化しようとして、当時の若手(高取英、1985年)が古豪となって2017年に上演した作品世界に、どの時代の気分で接すればいいのか、混乱するところはあった。
寺山修司とかが登場する楽屋オチに、どの時代の気分で笑えばいいのやら。
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良かったところは……、
舞台は超現実的なんだけどプロット自体は、なんというか、それぞれの人物群が自分たちの課題の解決を目指して動くような、破綻も不条理も無いオーソドックスな作り。
ときどき舞台袖で狐舞が始まったりとか、解釈に困るような隠喩的な演出が入るほかには、ストーリーを楽しむのに支障はない。
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くわえて、これは自分が舞台観劇の初心者だからだろうけど、衣装と舞台と演技と、つまり色々と作りこんだ箱庭を見ているような感覚。
これが新鮮。
そりゃ、どんな超現実もCGでリアルに作ってしまうハリウッド映画はすごいけど、いっぽうで、いろいろと“作りもの感”のある世界を、19世紀の見世物小屋のパノラマのぞき窓みたいに見ている感覚が良い。
(どうしても想像できない人は、映画でいうと
あたりを思い浮かべてください)
同じビジュアルスペクタクルでも、モデリングとレンダリングが古びてしまったら一気に観る価値がなくなってしまうVFXではなくて、どんなに古びても観ていたくなる、吊り操演とミニチュアと火薬の特撮みたいな。
.
で、そこに少女歌劇団(厳密には若手女性主体の歌劇団)の、なんというか、キャッキャウフフ感がのっかってくる。
実際、終演後にはチェキの時間があったりと、アイドル公演的な。
(昨年だか一昨年だかに『アリスインデッドリースクール』を観たときにはチェキと握手会があったけど、そういうのって少女演劇のスタンダードなのか?)
というわけで、全体として
.
1)呪術的なストーリーテリング
2)箱庭的な幻想感
3)若い娘さんたちが頑張ってる感
.
が、それぞれX軸、Y軸、Z軸に広がって立体的にホンワカした気分になってくる。
これで役満。いい気分。
.
.
■岬花音菜
歌、ダンス、芝居、3枚そろって超人。
もともと彼女がアンテナに引っかかったから舞台を観に行ったわけで。
行く前は「ひょっとしたら芝居が弱いかなー」と思ってたけど、そんなことはなかった。
純朴ショタ(少年探偵団の小林少年)からガラッパチ女子高生まで演じ分けていた。
いま確認したら、全体の振り付けもやってる。スゲェよこの人。
.
■白永歩美
上に書いた岬花音菜嬢がトップか一枚看板かと思ったら、すごい人がいた。
白永歩美。
OG客演なのか、現役トップなのか、よくわからん。(そもそも一般的な意味でのトップと、月蝕歌劇団の“ヒロイン”とか“トップ”の意味が違うのかもわからんが)
動いて良し、喋って良し、歌って良し。加えて舞台向きの強力な眼と唇、長い手足その他ビジュアル。
ピーターパンになって最後は飛ぶ(榊原郁恵ばりとは行かないけど)。
普段は何やってる人だ? 専属か?
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■白川沙夜
コメディ、アクション、ストーリーテリング、怪盗紅あざみのパートはほとんど彼女一人で回していた。
アンサンブルも彼女が周囲をブン回している感じ。(いや、周りが抑制しているのか? そこまでの鑑賞眼は俺にはない)
イヤそりゃ紅あさみ役なんだから当然といえば当然なんだけど、そういう長時間の高負荷に耐えられるキャストなんだから、信頼性の高い人なんだろう。
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■新大久保鷹
で、この人。
発声から演技まで、一人レベルが違った。
いや、レベルというのとは違うな。
キャラクターの性格と感情と現在の意図がわかりやすい、演劇らしい演劇をしていた。
キャリアの違いか。
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■河合瑞恵
この人というか、この人を見て思ったことを書く。
河合瑞恵さん、男役として帝国軍人とラスプーチンを好演。なんだけど、それとは別に幕間のライブで『夢は夜ひらく』(藤圭子)を歌っていて、これが実に良かった。
そこで気が付いた。
いや、大人の女性のキャラクターは出てくるのよ。でも、『二十面相』の誘拐少女の母親にしても、『ピーターパン』のアレクサンドラ皇后にしても、設定上の年齢よりは10歳か20歳は若いキャストが演じてる。黒蜥蜴も紅アザミも、おそらく。
少女とショタと男役とサポートの男優だけで構成されていて、大人の女性の存在がすっぽり抜け落ちてる、この劇団。
いつもそうなのか? そういうコンセプトなんだろうな。暗黒タカラヅカだし。
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■嘴音杏
上手い、凄い、空気も変わる。専業で本業なんだから当然か。
ただ、ほかのキャストが黒を基調にした演出で、おそらく劇団のストック音源をバックにJ・A・シーザーの幻想世界や女心とかを切々と歌ってるところに、パーソナルカラーの赤コルセットと赤ドレスで生バンドの高音質2MIXをバックにブルースをゴリゴリ歌って月蝕歌劇団を3分間だけ痴人倶楽部にしてしまった感じがする。
良いか悪いかは別として。
芝居は。んー、良しあしが言えるようなキャラクターじゃなかった。
政治的に正しくない、だけど、ある意味では由緒正しい戯画化された“インディアン”だったので。
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明智小五郎+α役。オフの顔を見たら、アラかわいいお嬢さん。ベテラン主体の劇団だったら、小林少年をやっててもおかしくない。
客演らしい。
「美丈夫ですか? やりますよー」といってこなせる彼女みたいな人が、実は隠れた高能力者なのかもしれない。
だってあれよ? 明智小五郎と黒蜥蜴といったら、つまり天地茂と丸山明宏よ? そういうダークで苦みのあるキャラを演じて象徴的にせよベッドシーンまでこなす。役者ってすごい。
そういえば高畑亜美さん。一緒に観劇した元同僚が「あの黒ボンデージの人は役者魂を感じる」と言っていた。
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■北條華生
緊縛師をエキストラで連れてきたのかと思ったら、そのままシレっと芝居を初めて、V・フランケンシュタイン博士を演じきってしまった。しかもうまい。
調べたら緊縛師ではなくて緊縛もこなす役者さんだった。みんな多芸なのね。
吊るしのとき、役者の影で見えなかったけど、1/2なり1/3なりのプルアップ・システム(滑車みたいに距離2倍、荷重1/2にするロープワーク)をやってるはずで、一瞬、芝居が停滞したように見えたけど、あれでも相当手際が良かったんだなと後から思った。
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■はるのうらこ
北條さんのロープワークもさることながら、吊るしというのは吊るされる方にも技量がいるわけで、ハーネスをガッチリつかんだまま気絶するという難しいことをやっていた。
男役。
悩める青年将校をきっちり演じきっていたけれど、華奢なのはいかんともしがたい。女性役であらためて見てみたいと思った。
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■中村ナツ子
な!に!も!の!だ!? こ!の!ひ!と!
Web/エディトリアルデザイナー、ライター、イラストレーター、Photoshopper。
チャラっと調べてみたけれど、原稿(というか体当たりルポ)もロゴデザインも依頼主のテイストに合わせて手堅くこなす。
役者で声優。前説もこなす。となりの知乃さんにも目配りしながら観客席と当意即妙のやり取り。
舞台にも立つ。しかも端役じゃなくてしっかりスポットのあたる役どころ。
これでJavescriptとSQLが書けたらホンマモンの超人や。
こういう人が一番まぶしい、そして怖い。
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足りぬ足りぬは工夫が足りぬ。いやそうなんだけど、せめて南部十四年式拳銃は用意してほしかった。ポスターにもあるんだし。
ネバーランドの崩落シーン。大道具の意地と苦労がしのばれる。というか、そのための柱だったのね。
周囲の柱といい、中央の小部屋といい、随所に設けられたピットといい、演目に合わせて必要十分な空間の設計がなされていることに、いまさら感心する。
意地と苦労といえば、ピーターパンの飛行シーンも、無くても成立するだけに、「これをいれねば!」とウィンチを仕込んだ意地と心意気がうかがえるよなぁ。
ところで、いま調べたら、中央の小部屋は常設みたい。
なるほど、上手と下手のほかに中手があると、バーン! と登場するシーンとかに便利だよね。
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『絶対運命黙示録』『私の中の古生代』(←だったっけ?)しか知らなかったんだけど、「ほかにどんな曲があるんだろ」と思ってたところ、つまりはこれこそがシーザー節だった。
主旋律の音域を広く取ってロングトーン多用おまけに変拍子の幻惑的なスタイル。
これがそのまま歌手泣かせの難易度となって跳ね返ってくるわけで。ノリで合わせていたら絶対にロストする、ブレスで死ぬ、超絶覚えゲーみたいな世界。
こりゃ役者さんが大変だろうと思った。
あと音でいえば、既成の歌謡曲のダビングもの、J・A・シーザー氏の打ち込み音源、ボーカル無しで舞台で歌うもの、ボーカルありの既成曲で舞台でも歌うもの、マイクあり、マイク無し、古いローファイ音源と新しいハイファイ音源、とバラバラのチグハグだったのが気になった。
歴史の長い劇団だから地層のように多種多様な音源が混ざってるんだろうと想像するけど、どこかで専門家がDAWで新録して整理しないと、大変なことになると思う。
あとマシンガン銃声のポン出し、キャストにトリガーを渡せるような仕組みはないものか?
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……んー、こんなところか。
機会があったら、一度は観てみても良いと思います。そこでハマるかハマらないかは、あなた次第。
自分? チャンスがあったら、もう何回か行こうと思ってる。
2.5次元の演劇作品の出来に不満を持つファンが不満の声を上げているようだけど、構図としてはニチアサ系特撮番組で古参と新規ファンとの間で起こっていた諍いと同じ構図に見える。
元々から作品を楽しんでいたファンからすれば不出来に感じたものでも、それを楽しんでいる層が一定数おり、製作サイドからすればそちらを優遇したい。
自分が観測する範囲だと、当時の新規ファンはそう主張していた。
渦中にいる演出家は、故つかこうへいの系譜にある人なんだそうだ。
「元来役者なんて河原者」なんて言い回しを好んだのは唐十郎だったが、つかも同様だった。
お客が望むパフォーマンスが第一で、役者の人権なんて豚に食わせろ、という狂った部分が見えた。
そのために阿部寛は客席の男性(仕込み俳優)とキスさせられたし、女優は頭で大根をかち割った。
それに別の理屈をつける人もおろうが、自分は「客に受けるためなら何でもやる」だと解釈している。
その意味において、客が喜ばなかったのならば、素直に失敗を認めるべきだ。
演出家が自分で言うように、俳優のことを第一に考えているのなら、彼がすべきことは俳優のためにおのれの失敗を認めて、土下座をすることだ。
客に文句を付けるなんてのは、スベった芸人の言い訳と何も変わらない。
ただこのような場合、スベったかどうかを判断するのは、いつも製作サイドだ。
演出家は、不満を持っているファンたちが主張するように、問題のある人なのかもしれない。
それは既存のファンたちの支える力だけでは不足があったからでないのだろうか。
「既存のファンを満足させていけば、このまま安泰だ」と製作サイドは思えなかったんだと考えられる。
顧客を絞って先細りしていったコンテンツは、いちいち例に挙げる必要のないほどたくさんある。
だから客層を広げる努力が行われ、そこに不満を持つ人が出てくるのも仕方のないことだと思う。
ただその考え方は諸刃の剣だ。
原作至上主義の人たちからすれば、2.5次元舞台そのものが世界観の破壊にほかならない。
ドラマ化映画化が手放しで喜ばれないのと同様に、メディアミックスは誰もが喜ぶ展開というわけではない。
それらはすべて「推しを人質に取られた」と感じるファンが出る危険性を持っている。
また演出家が「話題性のために世界観を壊してもいいと考えている」と信じるのなら、批判にはいっそう注意が必要だと自分は思う。
なぜなら、TLで不満が飛び交っているこの現状が彼が望んだものだとしても不思議はないからだ。
現在の言葉でいえば『炎上商法』と呼ぶこの状況だけれど、他の表現も出来る。
かつてそれは街頭劇と呼ばれていたが、それの変化系とも言い換えられそうだ。
つかこうへい以前だが、日本の演劇界に現実と虚構のカベを取ってしまおうと考えた人たちがいた。
例えば街角で喧嘩しているカップルがいれば、誰もがそれをちらりと見てしまう。
それを俳優が演じていれば、それは立派に演劇だと言えるんじゃないか、という具合だ。
街中で堂々と行われたショウは喝采を集め、当時のメインストリームですらあった。
エントリにも入れた人力飛行機ソロモンというのは、彼の街頭演劇の代表作の題名だ。
一般人の生活の狭間で上演された街頭演劇の周囲では、何も知らない一般客に迷惑がかかることもしばしばあった。
突然あらわれた奇天烈な隣人にギョッとさせられれば、それを不快に思うのは当然で、それが問題になるのも仕方のない話だ。
だからその芝居をそのままの形で再演することは、どの演劇祭でも不可能になっている。(今では参加者が寺山のお面をかぶる決まりになることが多い)
ただその混乱そのものに価値を見出すアングラ感、それに酔いしれる観客の気持ちもとてもよく分かる。
そして電脳世界において、今回の炎上がパフォーマンスでない保証はない。
演出家自身が言うように「少人数で炎上が起こせる」のだすれば、騒動が自演であると言い切ることも出来なくなる。
演出家はどのタイミングだって釣り宣言をして、「ショウアートでしたプギャー」というカードを切ることが出来る。
本来であれば最終的に客に受けなければ成立しない言い訳ではあるが、アンチがいう通りの身勝手な演出家ならばそう主張したっておかしくないだろうし、また「そういう役を演じたんだ」と言うことだって出来る。
演劇的な逃げ道が残されている上に、騒動によって新たに興味を持つ人も出てくるかもしれない。
おそらくそこで入ってくる人は、古参の嫌う『マナーの悪いファン』なんじゃないかと想像する。
そしてそういうご新規さんを排除しようとする既存ファンの有り様こそなんとかしたいと、製作側は願っている可能性もある。
もはや古参がどんなにお金を落としていようと、製作サイドからすると客としての旨味はないのかもしれない。製作が観客の新陳代謝を求めているんじゃないか。
逆に「どんなことをしても集客に繋げる演出家」の価値が上がったとしても不思議はない。
そういった意味で、ファンとして批判するならもう少し慎重になった方が良いと思う。少なくとも目的地を見据えて行動すべきだ。
と書いておきつつも、自分はファンでないので自由に書かせてもらう。
俳優のことを第一に考えているならなおのこと、客に責任をなすりつけるべきではない。
それは自分の自尊心という殻を破れずに消えていった俳優をこれからも増やすことに繋がりかねない、危険な思想だ。
つかの舞台で自分が面白いと思ったのは、いつだってその殻を破った俳優たちがいる作品だった。
逆に変に大物が出演してたりすると、弾けた感じにならず、面白い作品とは思えなかった。
つかこうへい自身が演出を行わない「つか作品」が面白く感じられた試しもない。それはつかこうへい劇団においてすらそうだった。
円盤などでつかこうへい演出作品を鑑賞すれば分かるように、彼の作品は俳優の個性と密着している。そのため文字通り「その俳優にしか演じられない役」なのだ。
しかも苦労してせっかく作り上げたキャラクターは、演出家の思いつきで日々全く違う形になっていく。
たぶんこの過程で俳優の自尊心という殻も破られるんだろうと、自分は勝手に想像している。
元々のキャラクターに近づこうと真摯に努力すればするほど、演じる自分自身と離れていく。
それを『かぶりもの』と表現するのは(ことば選びが適切かどうかはさておき)なるほどなぁと思う。
おそらくこの辺のバランスをもっとも巧く取ってる演出家の一人が西田シャトナーだ。
一つの舞台の中で俳優はモブなど別の人格が与えられ、ある程度自由にそれを演じさせる。
演じたキャラ以外の部分も観客に見せられるため、俳優の個性が担保されて、俳優と観客にそれが共有される。
24時間ぶりっこし続けられる女子がいないように、俳優にも自由になる時間が必要なのだ。
さて話題がそれたが、本題に戻そう。
演出家がああも自信たっぷりに「自分は役者たちの将来のことまで考えている」といっている以上、製作サイドも「観客はそうじゃないだろうな」と思っていると認識してもいいんじゃないかと思う。
自分も制作者たちがどれほど努力しても興味を失えば去る観客はゲスだと思うし、でもそれで構わないんじゃないかと思う。
たとえそうじゃないとファンが主張しても、その声を真摯に受け止めてもらえる状況ではないだろう。
騒動がその状況をふまえた上で演出家が自覚的に燃え上がっている可能性は捨てられず、問題が大きくなればなるほど、彼の求心力は高くなる可能性もある。
じゃぁいったいどうすればいいのか?
それは一人一人が「製作者たちにとって『良いお客』ってどんなだろう?」と考えて、それに近づいていくよう努力する以外にないと思う。
本来であれば、製作者たちが客の望むものを提供するのが道理だ。
だけど真のファンであれば、その力関係があべこべになることに不思議がることもないだろう。
どうしても受け入れられないなら観に行かないという選択をすべきだし、それも出来ないのなら自分たちで上演権を手に入れるほかない。
同人誌を描きはじめる動機の一つとして「自分の望むものを書いてくれる人が、誰もいなかったから」というのもある。
それもまた一つの『良いお客』の形だと思う。
それぞれのファンが持つ原作への愛情の深さを疑うつもりは全くない。そしてその愛情に応えて貰えなかった落胆の大きさも、想像するにあまりある。
しかしその不満を演出家を炎上させるかたちで表すことが、真のファンがすべきことなのかどうか。そこについてはもう少し考える余地があると思う。
などつらつら書いてきたが、もちろんこの文章が演出家本人によって書かれたものでないという保証もない。
炎上を含めた一連のやりとりの中で、プロレスが行われているだけと考える人もいるだろう。
「現代ヤミ市 山本七平・岸田秀「日本人と『日本病』について」」より
「すべからく」を「すべて」の意味で用ゐるのは間違ひである。高島氏は「すべからく」の行く末を嘆いてゐるが、呉智英は「すべからく」を「すべて」の意味で使つてゐる人間を嘲笑つてゐる。
・・・ このあたり、岸田自らが立脚する「唯幻論」そのものという感じであるがもっとズサンな所は他にもある。岸田はケンカについて、こう言う。「日本人のけんかというのは、すべからく『怨みを晴らす』という形」。意味不明の日本語だ。岸田は「すべからく」を「すべて」の高級表現だと思っているのである。「すべからく」は漢字で書けば「須らく」で、意味は「ぜひ(〜をせよ)」であり、つまり「すべからず」の反対語である。早大文学部卒、和光大数授(「教授」の誤植だろうな、単なる)の岸田センセは、本書の中で日本語の動詞の語尾変化についても論じていらっしやるが、「ク語法」(高校古文で習う)については御存知ないらしい。否、センセだけを非難してはいけない。管見の範囲では、評論家・上野昂志、同・川本三郎、演劇家・唐十郎、詩人・鈴木志郎康などが「須らく」を「全て」の高級表現と思い込んで使っている。この四人に共通することは、いわば反権威・反規範主義である。そういった人たちが文法規範に無知であること自体はかまわないとしても、「全て」と平易に言えばすむものを、高級表現だと思って誤用する心は皇室と縁組したがる成金のようで、卑しい。その卑しさがファシズムを生んだとするのが、単純化して言えば、心理学者・フロムの説である。そこまで見すえた時、初めて、個別科学である心理学が、説明原理を支える一柱となりうるのだ。