はてなキーワード: 山本七平とは
藤島泰輔なんて作家の名前、知ってるのはかなりのジジイ・ババアだろうなあ。
今のジャニーズ事務所の社長はシャニー喜多川こと喜多川擴の姪である藤島ジュリー景子(日本人なのになんでミドルネームあるんだろ?アメリカうまれだから?戸籍上はどうなってるんだろ?)という女性だが、この人の父親である。
詳細はwikipediaを見ればわかるが、1933年うまれで小学校から大学まで学習院出身。現上皇のいわゆる御学友の一人。新聞記者時代に当時の御学友たちをモデルにした小説『孤獨の人』がベストセラーになり、その後、作家として独立。世の中まだまだ“進歩的文化人”が幅を利かせてきた時代に“保守派の文化人”として活躍した人である。
かつて、韓国の朴正煕独裁政権下で反体制作家として活躍し死刑判決を受けた金芝河という韓国人詩人がいたのだが、日本ペンクラブの要職にあった藤島泰輔は韓国政府を擁護する立場の発言を繰り返し、日本ペンクラブが紛糾、ペンクラブから有吉佐和子・司馬遼太郎らが脱会するという騒動も起きている。
当時、“進歩的ジャーナリスト”として大人気だった本田勝一からは“御学友であるということだけで地位を確立した三流作家”などと言われていた。
なお、藤島泰輔の名前は記憶になくても、『不思議の国ニッポン』の著者ポール・ボネといえば覚えている人もいるかもしれない。1970年代から80年代にかけて“日本に在住するフランス人ビジネスマン”という触れ込みで、歯に衣着せぬ率直な文章と透徹した思考、練達の日本語で日本社会の批評を書連ねてきた…という触れ込みの人である。
今では考えられないが、昭和の日本では言論出版の世界でこういう詐術がまかり通っていたのである。
いちばん有名なのは、神戸在住のユダヤ人“イザヤ・ベンダサン”こと山本七平だろうか?
この二人に共通してるのは、なぜか最終的には日本の保守を称揚し、当時の左派や進歩的知識人を嫌うところ。“そんなのは海外から見れば非常識、絵空事”とやるわけである。
今も昔も日本人は、“海外から日本はどう見られているか”ということを知りたがり、日本人から言われると反発することでも外国人に言われると素直に聞いたりするので、こういう出版興業が成り立ったのであろう。
さすがに今の世の中では、ここまでの嘘はバレるので、“国際機関で活躍”だの“海外の大学で評価されてる”とか言う日本人を逆輸入してくる例が多いわけだが。
で、藤島泰輔とジャニーズ事務所とのかかわりだが、もともと歌人高浜虚子の孫娘と結婚していたものが、当時、バーを経営していた喜多川擴の姉(通称メリー喜多川。SMAPを解散に追い込んだ人)と知り合って内縁関係となったらしい。
一説によれば、創設当時のまだカネもなければ力もないジャニーズ事務所をなにかと援助してきたのは藤島泰輔とその人脈であったとも聞く。
その援助とはいかほどのもので、どのくらいの効果があったのだろう?
昭和の時代、“御学友”といえば今以上の権威があったような気もするが。
一部で噂されている“有力政治家にジャニーズ事務所の少年がお稚児さんのごとくに提供されていたらしい”という真偽不明な話も、おそらくこのあたりに端を発するのだろうが。
昨今、ジャニーズ事務所に関していろいろ報道されているけれども、このあたりまで掘り下げているのはみた記憶がない。
統一教会を語るには岸信介と文鮮明の関わりにまで遡らなければならないがごとく、本当はこのへんまで深掘りしないと“なんであんなジャニーズには力があるのか”は分からないかも知れない。
誰かやってくれないかな?
さすがに難しいか。
なお藤島泰輔の小説『孤獨の人』は、一時期は岩波現代文庫にも入っていたようだが、現在は絶版。電子版はないようだが、古書ならamazonでも手に入る。岩波現代文庫だと、岩波文庫程ではないだろうが、揃えている図書館もそこそこあろう。
そして、この作品なんと映画化もされている。検索してみたらなんと現在Amazonプライムで配信されており、プライム会員なら追加料金ナシ!いい世の中だ。
後で見てみることにする。
インド首相ネルーが「日本が300万人という尊い命を犠牲にして戦ってくれたお陰で、我々は独立できた」との発言はあり得ない
https://nou-yunyun.hatenablog.com/entry/2022/11/19/150000
このエントリに登場する「イザヤペンダサン」「イシマエル」「イサク」の3アカウントなんだけど、「イザヤペンダサン」が山本七平の筆名であるイザヤ・ベンダサンのパロディであることは元記事でも軽く触れられている通りだろうと思われるが、イザヤという名はイザヤ書などで知られる旧約聖書の預言者である。イシマエルは旧約聖書に登場するアブラハムの長男イシュマエル、イサクもまたアブラハムの次男だ。いずれも旧約聖書を由来とするユダヤ人名風の名であることが共通している。
また、いずれのアカウントもスクリーンネームはTwitter登録時にランダムに割り当てられた文字列から変更していないという点も共通している。
イザヤペンダサン: 2018年6月に登録、最終RTが2019年4月22日のツイート
イシマエル:2019年5月に登録、最終RTが2021年12月22日のツイート
となっていて、イザヤペンダサン→イシマエル→イサクとアカウントを乗り換えているように見える。
アカウント乗り換え自体は別に責められることではないし、特にこのデマを拡散するために作った複垢と言うわけでもなく、気分で転生したか、何らかの事情でログインできなくなってアカウントを作り直したなどで説明できる。
元記事ではこの3者を別人として扱っている(同一人物であるとする決定的な証拠はないため怪しいと思っていても言わなかったかもしれない)が、イザヤペンダサンのあまり拡散しなかった与太話にイサクが肉付けをして語ったというよりは、同じ人物が同じデマを言い続けているだけ、と見た方が自然に思える。当人にとってはもはや持ちネタと化していてデマを創作したという認識すらなく真実だと思い込んでいる可能性もありそうだ。
@nabeteru1Q78
昭和天皇は、自分の命と地位が惜しくて、沖縄戦、原爆投下、ソ連参戦を招いた戦争犯罪人だし、本当に国民に申し訳ないと思ってたら、最高の戦争指導者として責任を取る手もあった。マッカーサーに対して命をかけて国民を守ったなどというのは虚偽であり、とんでもない。
まず生まれついて自分の地位を選べなかった立場の人に「命と地位を投げ出して国民を守れ」と臆面なく言えるのは差別主義者以外の何物でもないし、
あそこで聖断が出来たのだからもっと早く出来たはずだとか、近衛上奏文一つで沖縄戦/ 原爆投下/ソ連参戦の責任を問うとか、そんな薄っぺらい歴史観に囚われてしまうのは、nabeteru氏もまた大貫俊夫氏の言う「一つの出来事によって歴史の大きな流れを一括りにとらえたいという欲求」の奴隷だからだ。(中世のペストに関する3つの誤解 https://bit.ly/3d77mff)
昭和天皇実録、および山田朗氏による実録批判、宮中祭祀から昭和天皇の実態に迫った原武史氏の著作など、多面的に昭和天皇の生涯を追えば、そんな言葉は出て来ようがない。
昭和天皇が単なるお飾りに過ぎないとか過度な平和主義者であるとのイメージが誤りであることと、昭和天皇が戦争犯罪人に値することがイコールであるかに述べることは欺瞞的だ。
実際は、nabeteru氏は山田朗氏の著作すら読んでいないのではないか。読めば分かるが、山田氏は天皇が戦争犯罪人だなどという主張は1ミリもしていない。
山田氏はむしろ、当時の日本においては複雑な戦争を遂行するだけのシステムが存在しなかった、権限も責任も縦割り分散型で、全てを統括しているかに見える天皇の存在も建前で、むしろシステムの阻害要因ですらあったと述べている。山田氏の実録批判とは、そのようなものだ(山本七平の「日本にはミリタリズムが存在しなかった」にも通ずるものがある)。
原武史氏の著作は、戦争への不安と皇太后への恐れから、それまで宮中改革に熱心ですらあった昭和天皇が宮中祭祀すなわちカルト的な神がかりに没頭してゆき、虚実の区別すら怪しくなりリアルポリティクスからの逃避をはかり、またそこから立ち直る様を描いている。天皇の存在や言行に大きく宮中祭祀が影響することを描いている点で、現在の天皇制をも批判の射程に含むユニークな観点だが、天皇が守ろうとしたのが「自分の命や地位」などではなかったことは明らかだ。
いずれにせよ、何がnabeteru氏のような人を誤らせていくかというと、歴史に対する問いが「昭和天皇は戦争犯罪人であるか否か」に終始するからで、歴史はそのような問いに答えを出すための道具ではない。
人材の流動性がなく、社員が力を合わせないでもつぶれない、事なかれ主義な職場ってどこもそんなものでしょ。
漏れは日本の大企業にいたけれど、上司によるパワハラ、同僚によるモラハラは当たり前だったな。
のちに山本七平の著書を読んで、この経験は"衣食足りて礼節を知らずんば、すなわち猛禽に近し"ってことだったんだなと思った。
経営陣もそういうのを放置しても人が辞めないとなったら、それを処罰する面倒さやそれなりに仕事ができる上司や先輩社員を処罰することでの影響を考えて、みて見ぬふりを決め込むだろうね。俺の目の黒いうちに問題が表面化しなければそれでよいと。
長期的に見れば緩やかに組織として死んでいってるんだけれど、順繰りにやる雇われ社長に長期で物事を見る心構えなんてないからな。
SSクラス 江藤淳、柄谷行人、廣松歩、栗本慎一郎、谷沢永一、村上泰亮、中村元
Sクラス 小室直樹、浅田彰、福田和也、渡部昇一、呉英智、蓮實重彦、永井陽之助、中村雄二郎、すが秀実、佐伯啓思、高澤秀次、筒井康隆、小谷野敦、菅野覚明、養老孟司 見田宗介、佐藤誠三郎、大森荘蔵、西部邁
Aクラス 丸山眞男、吉本隆明、長谷川三千子、丸山圭三郎、橋本治、村上陽一郎、佐藤優、松岡正剛、伊藤貫、猪木武徳、坂部恵、坂本多加雄、大澤真幸、中川八洋、永井均、野矢茂樹、小浜逸郎、飯田隆、河合隼雄、片岡鉄哉、鎌田東二、梅棹忠夫、竹内洋、山本夏彦、山口昌哉、入江隆則、
Bクラス 猪瀬直樹、坪内祐三、中沢新一、御厨貴、橋爪大三郎、鷲田清一、北岡伸一、池田清彦、中西輝政、立花隆、山本七平、宮台真司、桶谷秀昭、宮崎哲弥、司馬遼太郎、古田博司、市川浩、東谷暁、苅谷剛彦、秋山駿、関岡英之、加藤尚武、浅羽通明、松原隆一郎、東浩紀
Cクラス 中島岳志、鎌田哲哉、兵頭二十八、内田樹、森本敏、村上龍、西尾幹二、仲正昌樹、大江健三郎、齋藤孝、森岡正博、富岡幸一郎、小泉義之、井沢元彦、桝添要一、中西寛、中島義道、鄭大均、山内昌之、村田晃嗣、山形浩生、林道義、松本健一
Dクラス 斎藤環、福岡伸一、副島隆彦、榊原英資、梅原猛、寺島実郎、佐藤健志、大塚英志、五木寛之、笠井潔、潮匡人、高橋源一郎、岸田秀、山田昌弘、竹中平蔵、池田信夫、萱野稔人、大川隆寛、大森望、櫻田淳、上田紀行、手嶋龍一、和田秀樹、藤原正彦、中野剛志
Eクラス 佐々木中、村上春樹、三橋貴明、田原総一郎、木村太郎、池上彰、竹田恒泰、切通理作、島田雅彦、酒井信、夏野剛、苫米地英人、上野千鶴子、姜尚中、鷲田小爾太、竹田青嗣、小阪修平、佐藤亜紀、
Fクラス 糸井重里、加藤典洋、中上健次、勢古浩爾、北田暁大、藤原和博、小熊英二、佐々木俊尚、西條剛央、玄田有史、城繁幸、茂木健一郎、岩田温、千葉雅也、岡田斗司夫
Gクラス 小林よしのり、宇野常寛、勝谷誠彦、荻上チキ、鈴木謙介、勝間和代、伊坂幸太郎、濱野智史、赤木智弘、坂本龍一、いとうせいこう、上杉隆、酒井順子
Hクラス みのもんた、久米宏、古舘伊知郎、ハマコー、太田光、水道橋博士、テリー伊藤、リリー・フランキー、コシミズ、香山リカ、森永卓郎、ホリエモン、津田大介、ひろゆき、中村うさぎ、雨宮処凛、桜井誠
なるほど。
正しい。俺はそのことを「宗教とは文化である」と一言で表現できると考えている。
文化が継承されるなかで、必然的にその一部もしくは大部分としてついてくるものが宗教。
これはちょっと違うと思う。
日本人は金を払っているのは、宗教儀式にではなく、神社仏閣にだ。
坊さんがお経を唱えてくれるからではなく、坊さんがわざわざ来てくれるから"気持ち"と称して金を払う。
なぜそうするのか。神社仏閣はコミュニティの基礎だからだ。山本七平は、日本教は神への信仰ではなく「和」を基礎とすると言った。お金を重要視しているのではなく、お金を払うことでコミュニティが保たれ、払わなければコミュニティから弾かれることを重視する。参拝は、神をたたえる儀式ではなく、皆で行ってよかったねという気持ちになるためのイベントである。
山本七平 著 「日本はなぜ敗れるのか 敗因21ヵ条」 より引用
なぜこのように全く成果のあがらない事をするのか。言うまでもなくそれは、成果があがらないとなると、その方向へただ量だけふやして、同じ事を繰り返す事が、それを克服する方法としか考えられなくなるからである。
ひるがえって自らの意図を再確認し、新しい方法論を探究し、それに基づく組織を新たに作りなおそうとはしない。 むしろ逆になり、そういう弱気は許されず、そういうことを言う者は敗北主義者という形になる。
この傾向は日露戦争における旅順の無駄な突撃の繰り返しから…毎年毎年繰り返される「春闘」まで一貫し、戦後の典型的同一例をあげれば「60年安保」で、これは、同一方法・同一方向へとただデモの数を増すという繰り返し的拡大にのみ終始し、その極限で一挙に崩壊している。
私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。同じ型の突撃を馬鹿の一つおぼえのように機械的に何回も繰り返して自滅したり、同じ方向に無防備に等しいボロ船船団を同じように繰り返し送り出して自ら大量「死のベルトコンベア」を作るようなことはしなかった。
あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。
これらの言葉の中には「あらゆる方法を探究し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。
ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるため払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。
米首都、高校生の呼び掛けで数十万人が銃規制要求デモ 過去数十年で最大 https://t.co/g9va8K9mdH— AFPBB News (@afpbbcom) 2018年3月24日
http://anond.hatelabo.jp/20170125191935
これに乗っかるんだけど、山本七平と司馬遼太郎の対談にこのあたりが一番はっきりでていると思うのだが、二人は以下のようなプロフィールである
司馬については軍歴はいまいちぱっとしないとはいえ基本的には学歴エリートだといえるし、山本にいたっては死地を潜り抜けた歴戦の勇士であり、また教育によって得られた英語力と数学力を存分に活かして軍隊の下級幹部として活躍していたといえるだろう。ようするに彼らはエリートであり、そして現代においては彼らは知的エリートであったと理解されている人物だと思う。
が、しかし彼ら二人が対談したときに、しきりに繰り広げられていたのが自分たちは下っ端であったとか最末端であったとか典型的な庶民であったとかいう主張であり、特に山本はその認識が強い。いや、もちろんしかし彼らは下っ端であった。しかしそれは庶民の中での下っ端であったのではない。エリート社会におけるその階層の中での下っ端であったということだ。
このことは何を示すか。司馬遼太郎や山本七平ほどの観察力をもってしても、自分たちがエリート社会の最末端であるという事実を、日本社会の最末端であると誤認してしまうということだ。
これは別にこの二人とか日本人とかに限らない現象なのではないかと思っている。どんなエリートであれ、かならず自分よりも上が存在している。
たとえばビル・ゲイツやマーク・ザッカーバーグにしたところで経済力がどれだけ大きいといっても、政治的社会においては最末端の存在であろう。彼らはその資金力をロビー活動に用いるノウハウという点では古豪に及ばないだろうし、また資金力という点では必ずしも有力ではないドナルド・トランプやバーニー・サンダースと比べれば直接的な政治力はゼロも同然だ。
これは極端な例なのであまり適切ではないかもしれないが、たぶん大抵のエリートは自分のことをエリートだと正しく認識できていない。ある一面における能力と運においてのみ秀でている存在であるということを認識しても、自身がエリート階層に属しているという自意識を持つことは、あまりない。
故に彼らは大衆主義/ポピュリズムと愚民政治を混同してしまう。それは、自身が大衆ではないと認識していないから。自分「以外」の人間集団を見たとき、自動的に彼らを愚民として認識してしまう。自分は大衆であるが故に、自分と違うものは異常者か愚民に違いにない、と。
この話にオチはない。
SSクラス 江藤淳、柄谷行人、廣松歩、栗本慎一郎、谷沢永一、村上泰亮、中村元
Sクラス 小室直樹、浅田彰、福田和也、渡部昇一、呉英智、蓮實重彦、永井陽之助、中村雄二郎、すが秀実、佐伯啓思、高澤秀次、筒井康隆、小谷野敦、菅野覚明、養老孟司 見田宗介、佐藤誠三郎、大森荘蔵、西部邁
Aクラス 丸山眞男、吉本隆明、長谷川三千子、丸山圭三郎、橋本治、村上陽一郎、佐藤優、松岡正剛、伊藤貫、猪木武徳、坂部恵、坂本多加雄、大澤真幸、中川八洋、永井均、野矢茂樹、小浜逸郎、飯田隆、河合隼雄、片岡鉄哉、鎌田東二、梅棹忠夫、竹内洋、山本夏彦、山口昌哉、入江隆則、
Bクラス 猪瀬直樹、坪内祐三、中沢新一、御厨貴、橋爪大三郎、鷲田清一、北岡伸一、池田清彦、中西輝政、立花隆、山本七平、宮台真司、桶谷秀昭、宮崎哲弥、司馬遼太郎、古田博司、市川浩、東谷暁、苅谷剛彦、秋山駿、関岡英之、加藤尚武、浅羽通明、松原隆一郎、東浩紀
Cクラス 中島岳志、鎌田哲哉、兵頭二十八、内田樹、森本敏、村上龍、西尾幹二、仲正昌樹、大江健三郎、齋藤孝、森岡正博、富岡幸一郎、小泉義之、井沢元彦、桝添要一、中西寛、中島義道、鄭大均、山内昌之、村田晃嗣、山形浩生、林道義、松本健一
Dクラス 斎藤環、福岡伸一、副島隆彦、榊原英資、梅原猛、寺島実郎、佐藤健志、大塚英志、五木寛之、笠井潔、潮匡人、高橋源一郎、岸田秀、山田昌弘、竹中平蔵、池田信夫、萱野稔人、大川隆寛、大森望、櫻田淳、上田紀行、手嶋龍一、和田秀樹、藤原正彦、中野剛志
Eクラス 佐々木中、村上春樹、三橋貴明、田原総一郎、木村太郎、池上彰、竹田恒泰、切通理作、島田雅彦、酒井信、夏野剛、苫米地英人、上野千鶴子、姜尚中、鷲田小爾太、竹田青嗣、小阪修平、佐藤亜紀、
Fクラス 糸井重里、加藤典洋、中上健次、勢古浩爾、北田暁大、藤原和博、小熊英二、佐々木俊尚、西條剛央、玄田有史、城繁幸、茂木健一郎、岩田温、千葉雅也、岡田斗司夫
Gクラス 小林よしのり、宇野常寛、勝谷誠彦、荻上チキ、鈴木謙介、勝間和代、伊坂幸太郎、濱野智史、赤木智弘、坂本龍一、いとうせいこう、上杉隆、酒井順子
Hクラス みのもんた、久米宏、古舘伊知郎、ハマコー、太田光、水道橋博士、テリー伊藤、リリー・フランキー、コシミズ、香山リカ、森永卓郎、ホリエモン、津田大介、ひろゆき、中村うさぎ、雨宮処凛、桜井誠
久方ぶりに読んで思いついたことを3つ
「おまえも空気の奴隷になれ」って?「空気読め」の扱い方次第で人生台無し
http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20060412/1144833374
当時と違い現在のはてぶにはスターが存在し、ブクマされた記事に対してどんな空気を持たせるかを競っているように見える。
また、一度醸成された空気に追随して、より面白い発言をしてもいる。
まとめサイトを読む際、文章自体以上に文章から作られる空気を楽しんでいるフシがある。
「空気」が希薄であろう日本以外において、ログがこれほどのPVを集めるのか気になる。
もちろん利用している人間がいるにせよ、彼らは祟り神を山へ戻そうとしているように見える。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E4%BA%BA%E6%96%AC%E3%82%8A%E7%AB%B6%E4%BA%89
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/otaku/12973/1373676357/
世の中には「2種類」の百人斬りがある。
野田少尉・向井少尉が自ら知り合いやマスコミに自慢した百人斬り。
敵兵と日本刀で対決して斬った、それを百人達成した、というもの。
ただし、常識で考えれば行うことは非常に難しい。
野田少尉・向井少尉がその罪で処刑され、本多勝一らが主張する百人斬り。
捕まえた中国人捕虜・民衆をゲーム感覚で日本刀で斬っていく、というもの。
残虐で、マイナス印象のできごと。
無抵抗の相手を数ヶ月かけて日本刀をメンテナンスしながら行えば
達成不可能なことではない。
だがそんなことは実現不可能だ!
と主張しているが、実際に本多らがあったと主張しているのは
2つ目の百人斬り。
1日だけそれっぽい気分になるだけでは不十分だと思って読むといいかもしれない本。
兵隊の目から見たいろいろの記録。落語家の話なのでいろいろ笑えて読みやすい。
戦争中に民間から出かけて山をさまよって終戦後は捕虜になって無事に戻れた人の現地記録。これを解説したのが山本七平の日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条でこちらから読んでもよい。
この時点で入手できた情報を全部集めて真面目に検討すれば勝ち目がなかったことはわかっていたという話。
戦争するには情報の集め方と扱い方を知らないとどうにもならないことを知るための本。