はてなキーワード: あいりん地区とは
結局さ、税金使ってまで貧乏人共にガキをこさえさせるのって「将来の労働力確保」が目的っしょ?
でもAIとロボットが発展していって低レベルな労働力は代替できるようになっていってるんだろ?
ファミレスのネコロボット、工場のロボットアーム、エクセルマクロで事務員リストラ、ちょっとずつだけど最低ランクの労働者は社会から追放されていってるよね。
まあ今は運送業界っていう受け皿があるんだけど、ここも自動運転やドローンであと20年って所だよね。
つまりさ、底辺人材の受け皿の「底が抜け続ける」のに終わりはないってこと。
20年後なんてまだまだ先の話だけどさ、今作らせている子供が労働力になるのがちょうどそれぐらいだよね。
そのタイミングになって「あっ、いらなくなったわメンゴメンゴ。社会の邪魔だからあいりん地区にでも引きこもって野垂れ死んでね~~~」なんてさ、政府は平気で言うんじゃないかな?
「年金も払ってきてない純正ニート共なんぞを支援する金があったら年金をあげろー!」みたいにさ。
とんでもない無能でも今の時代ならまだ金持ってる老人の話相手になるぐらいには使えるけど、それでさえも20年後のチャットAIを相手にしたら分かったもんじゃないよ。
人口の維持が目的にしたって日本の大きさ考えたら7000万人ぐらいでよくね?
日本という国を支えているのは単民族性だって言うけど、どっちかというと地域の空気感だと思うんだよな。
DNAが人格に与える影響力より空間が人間に与える影響力のほうがやっぱデカイと思うわけ。
貧乏人に無理に子供産ませるよりもさ、そこそこの移民が流れ込んでくる機会を増やしたほうがええんとちゃうかね。
マジでさ、無理して子供増やすことのみを目的にする社会じゃ20年後に上手くいかなくなるって。
20年後に考えても既に生まれてしまった子供の人生に誰が責任持つ気なんだろうな。
凄い勝手だよな。
射精に責任があるなら子供を産むことの責任はどれだけあるのかって話だろうに。
「俺達の将来の年金になるために頑張って働けよ」って言い続ける社会でも、本当にソレが必要としてるならまだいいよ。
でもさ、「AIが発達したからもう要らないわwwwバカは迷惑掛ける前に死んでねwwww」を何千万人単位でやるつもりかも分からん社会は流石にヤバイだろ
たぶん、彼らが許される世であって欲しいと思っているんだと思う。その願いと、そっちの世の中のほうがなんだか楽しそうだという希望を見出してんのかな。錦鯉が好きな理由を考える時、西成あいりん地区の三角公園を思い出す。どんなに治安が悪くて、どんな人相の人がいるんだろうとか思って行ったけど、公園で過ごしている人たちは朝っぱらから発泡酒を飲み、チューニングのあってないギターを弾き、踊り、その脇でボールもないのに全力でピッチング素振り(バッティングじゃない)をし、事情はあるにせよ彼らはかなり幸せそうにみえた。私にとって錦鯉は、三角公園でみたあの光景に近く、彼らが注目されている現状は三角公園に沢山の観光客が集まっている様子を想像する。あの空間はあのまま保たれていて欲しい。西成あいりん地区でおっさんが昼間っからピッチング素振りをしていることが許される世の中であって欲しい。
先日、空気階段もぐら、ニューヨーク嶋佐、トマホーク坂井が「ボクらの時代」に出演していて、坂井が「結局、何かで抑圧された人が自己解放のために芸人やってる人がほとんど。俺はおやじコンプレックスだと思う。おやじの人生みたいになりたくない」と言っていたんだけど、芸人に限らず人は自己実現とか自己解放とかなんやかんやできっかけや理由、目的を求めるもんだと思う。元々あるのではなく能動的に探す、見つかる。でも彼らはずっと受け身。野心や頑固さ、見栄、敵意などの突き動かすような大きな意思を感じない。そりゃM1の優勝を狙っているくらいだから無いわけではないと思うけど、熱すぎることもなくかといって冷めすぎてもいない。2人が出演したしくじり先生で、優勝を逃した2020年M-1を「僕たち2人に、人生で初めて悔しいという気持ちが芽生えた。しかもその悔しさはどんどん増した」と(主に渡辺が)振り返っていて徹底的に情けないと思いつつ、その情けなさを恥を忍んで言えるおじさんたちにちょっと胸を打たれた。
「誰も傷つけない笑いなんてものは本当に存在するのか」というテーマを一人遊びのおもちゃにしていた時期があったんだけど、表現をする人は常に誰かを傷つけるリスクがあり、たとえどんなに気をつけていても知らないところで見知らぬ誰かが傷つき不快な思いをしている可能性は捨てきれない。実際にミルクボーイのM1決勝ネタをみていた友人が「モナカってチョコモナカジャンボのこと?」と彼氏に聞いたところ「最中も知らねえのか」と随分バカにされ傷ついたみたいなことを言っていたし、さっきの三角公園の話も、きれいなところだけを観てわかったような態度でいるよなと自分自身で思う。
私は2020年M-1の錦鯉のネタ「パチンコ」でソファから落ちるほど笑ったんだけど、何が痛快だったかっていうと、パチンコに行ったことない人にとって、まさのりのあの顔が初めて見る「パチンコ台」になったこと。パチンコを知らなくても笑えるネタは、本当の意味で誰も傷つけてないし、置いてけぼりにもしてない。ネタを見ている人が例えパチンコを知らなかったとしても、誰からもバカにされないように、まさのり自身がパチンコ台になってくれる。錦鯉は、バカ担当まさのりさんがこの世の全ての"傷つき"を一身に背負ってくれてるんだと思う。「どうせみんなこうなるんだよ」「からっぽだよ」と冒頭から徹底的に自分を下げ、コンプレックスを持つ人たちに対して「俺のほうがもっと下だから安心しなよ」みたいな態度を取り続けてくれる。だから私は錦鯉のどんなネタも安心して観ることが出来る。一番好きなネタは「数え唄」です。
大阪から東京に出ていった人は気にしてただろうが、他の地域から東京に出てきた人、東京周辺で育った人は、
全国ニュースで大阪のことが報道されるなんて、殺人が起こったとか、派手な事故が起こったとか、そういう他の地方の扱いと変わらなかった。
大阪周辺が暴風雨で屋根が飛んだ時、起こったすぐあとは話題にしていたが、2週間もすれば過去の話となった。
そこまで言って委員会がウケてたのは、政治の話をしないところで、政治の話をしてたからだろう。
新聞を読んでいる世代からすると、目が悪くなって新聞を読むのが辛くなってきたところに、大きなテレビで字幕を入れてくれるのだからありがたい存在だ。
それがいつの間にか、東京の人まで大阪の政治の話をするようになった。
自分とは関係ない、失敗しようが自分達には関係ない、成功すると東京から大阪へ人や金が動くと困るので叩くのに都合が良かったのだろう。
都合よく、あいりん地区なんてのもある。
日本でもあいりん地区が途上国並みの罹患率で、あそこの住人は医者に行かないとか、逃げ出しちゃうとか、薬を売っちゃうとか、入院させようとしても住所もデタラメで追えないとかいう日本とは思えないことが起きるそうで。
同じことはスラムがある国では起きるだろうし、一回ある程度の数が侵入したらかなり排除は難しいと思う。
そう考えると、結核は薬があるからって問題より、常時警戒して侵入しても早いうちに摘発出来る検査体制があるからなんだと思う。
そう考えると、どんな感染症も共存(ゼロには出来ないが交通事故以下に)出来るんじゃないですかね?
今は隔離のベッドも検査のcapacityも追いつかないから、まずはロックダウンでもなんでもして制御出来る数まで減らせば、なんとかなりそうな気がする。
っていう真綿に首を絞められる恐怖から集団免疫作戦を支持する人がいるけど、一度ある程度以下まで抑え込めば、この病気ともなんとかうまくやっていけるような気がする。