「現代ヤミ市 山本七平・岸田秀「日本人と『日本病』について」」より
「すべからく」を「すべて」の意味で用ゐるのは間違ひである。高島氏は「すべからく」の行く末を嘆いてゐるが、呉智英は「すべからく」を「すべて」の意味で使つてゐる人間を嘲笑つてゐる。
・・・ このあたり、岸田自らが立脚する「唯幻論」そのものという感じであるがもっとズサンな所は他にもある。岸田はケンカについて、こう言う。「日本人のけんかというのは、すべからく『怨みを晴らす』という形」。意味不明の日本語だ。岸田は「すべからく」を「すべて」の高級表現だと思っているのである。「すべからく」は漢字で書けば「須らく」で、意味は「ぜひ(〜をせよ)」であり、つまり「すべからず」の反対語である。早大文学部卒、和光大数授(「教授」の誤植だろうな、単なる)の岸田センセは、本書の中で日本語の動詞の語尾変化についても論じていらっしやるが、「ク語法」(高校古文で習う)については御存知ないらしい。否、センセだけを非難してはいけない。管見の範囲では、評論家・上野昂志、同・川本三郎、演劇家・唐十郎、詩人・鈴木志郎康などが「須らく」を「全て」の高級表現と思い込んで使っている。この四人に共通することは、いわば反権威・反規範主義である。そういった人たちが文法規範に無知であること自体はかまわないとしても、「全て」と平易に言えばすむものを、高級表現だと思って誤用する心は皇室と縁組したがる成金のようで、卑しい。その卑しさがファシズムを生んだとするのが、単純化して言えば、心理学者・フロムの説である。そこまで見すえた時、初めて、個別科学である心理学が、説明原理を支える一柱となりうるのだ。
あぁ助動詞とセットか。ありがとう。
http://anond.hatelabo.jp/20071206220824 犯罪はすべからく社会的なものでしょ? http://anond.hatelabo.jp/20071206212501