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はてなキーワード: 優等生とは

2021-04-15

anond:20210415165420

情報部署予算使い放題

郡内の優等生が集まってやりたい放題できる部署

2021-04-10

ポカリCMもそうだけど倫理まで広告に持ちこんじゃうのかあ

昔みたいに水着のお姉さんが出てきてサブリミナル的に需要喚起させられるのもいやだし

こんな細かいことまでこだわってます、みたいな「通は違いが分かる」的な情報を喰わせる系の宣伝もいやだけど

ポリコレ支援優等生的です!みたいな、倫理を売り物にするのもなんだかなあ、と思うんだよね。

倫理に値段をつけてるように見えるし、倫理本質的にもってる強制力てきなものを感じてしまって息苦しくなっちゃ

「この企業ポリコレから買ってあげよう」とかい消費者の行動も、倫理取引した非道徳的な行動にみえちゃう

広告なんて大衆操作の知見のかたまりで、人間工学的に効果的だからやってるんだろうけどさ、何か禁忌匂いをかんじるよ

2021-04-06

anond:20210405162222

できない子の面倒を押し付けられる優等生と似たようなもんだな。担任クズ

anond:20210406001147

外国でやればいいじゃん

外国にも大学はあるから優等生だったらそれこそ日本語英語中国語韓国語可能だろ

日本出身者の何者かが人類全体に貢献すれば日本にもおこぼれが来る可能性はある

2021-04-05

女子アナ日本女性差別象徴

ジェンダーネタが盛んだが、そろそろ女子アナ存在槍玉にあげていいと思う。断っておくと、個々の女子アナ批判しているのではなく、民放テレビ局における女性アナウンサーの扱いを批判しているのである

女子アナほどジェンダーバイアスが露骨に出ている職業はない。最近ニュースキャスター女性は確かに増えているが、番組編成の現場は圧倒的に男性であり、そこで求められているのは明らかに広告塔としての役割である。かつての国谷裕子のように番組のものを仕切っている女性は皆無に近い。

バラエティでは相変わらずひどい。多数の男子芸人女子アナ一人という配置で、芸人セクハラまがいの発言女子アナに投げて笑いをとるという手法が、依然として多く見られる。クラス優等生女子下ネタからかうという中学生男子の悪ふざけを、テレビ番組として公然とやっている。爆笑問題は好きだけど、太田女子アナセクハラでいじることを、いつまでも彼のキャラということで許容すべきではないと思う。

これも昔からだが、男子アナは年齢に比例して任される番組が大きくなるのに対して、女子アナ場合入社2年目ぐらいの女子アナが、その局の看板番組に抜擢されるということが多い。結果、現場では中堅男子アナと入社2年目頃の女子アナという組み合わせが多くなり、必然的女子アナミス男子アナが突っ込むという場面が定番になる。テレビ局もそれを狙ってやっているわけだが、これが「男子普通に実力主義なのに、女子は見た目だけで評価されている」という偏見をまき散らしている。

番組で着ている服も、圧倒的にコンサバファッションゆるふわスカート姿が多い。実際にそういうファッションをしている女性は、職場でも街中でも明らかに少数派であるが、女子アナにはそういう服しか許されていないかのようだ。過剰な笑顔や、元気印のポーズ、甲高い声なども、これを誰が喜んでいるのかを考えるとうんざりしてくる。

女子アナ高学歴就活勝ち組トップ女性である就職先はそれこそいくらでも選べたはずである社会最先端活躍すべき優秀な女性たちが、中高年男性を喜ばせるためだけに存在しているとしか思えない、旧来のジェンダー規範を全身に身にまとった職業積極的選択する(せざるを得ない)というのが、日本ジェンダー差別解決の困難さを象徴している。


本当の意味女性主導で、女性が仕切っている番組は、ラジオで恐縮だがジェーン・スーぐらいしか思いつかない。普通番組では男性に対して受動的な役回りに徹している女子アナたちが、彼女番組に出ると活き活きと発言しているのが象徴的だ。とくに「オーバーサン」は、男性性的視線興味本位を一切排して女性美容生理問題などを正面から扱っていて、掛け値なしにすごい番組だと思う。知名度が知る人ぞ知るレベルなのが残念だけど、こういう番組普通に増えれば女性差別も減っていくのだろうと思う。

追記

たまむすび」はどうなんだという意見コメント。赤江さんは確かに女子アナ」の枠からは外れた人だし、小さなことに悩まない安心感・安定感のあるキャラは決して嫌いじゃないけど、やはり男性芸人たちに天然ボケを突っ込まれる側の役割で、「意見」や「分析」という「男性的」なことには決して手を出さない(他方で優等生コメントは器用にできる)という意味では、ジェンダー平等という観点からはそこまで高い評価はできないかな。

2021-04-04

痩せ型女としての24年間 - 子ども時代から続く葛藤から今、思うこと

敢えてハッキリ言うと、私は痩せている。

容姿風貌に関しては客観的指標を出すことが難しいと思われるが、体型はある程度数値で示すことができる。

24女性現在の体型は

身長157.5cm

体重37.1kg

BMI数値14.96

参考までに

身長157.5cmの標準体重(日本肥満学会では、BMIが22を適正体重(標準体重)とし、統計的に最も病気になりにくい体重とされている)は54.57kg

日本肥満学会での判定基準においては、BMI18.5未満を低体重(痩せ型)としている。

以上を踏まえると、私の体型が標準体重からも、低体重とみなされるBMI18.5からも逸脱していることがわかる。

私は摂食障害を患っていないし、ダイエット特にしていない。

しかし、あまり認めたくはないが他の人よりも食べる量が少ないのは事実だ。

酷い時は36キロ台まで体重が減る時もあり、そうなると正直、普通に生活してても息が上がり苦しくなる。

幸い、月経は毎月きちんと続いている。


私は元々から痩せ型だった。生まれた直後は3000g近くある、健康的な赤ちゃんだったが、

幼稚園時代から今日に至るまで、ずっと細い細いと言われ続けてきた。

幼少の頃はとにかく偏食で、少食だった。

給食で出されたものほとんど食べられず、当時は食事を残すことや人に譲ることは禁じられていたため、幼稚園時代小学生時代の私に昼休みなどなかった。

皆が昼休みを終え、教室掃除を始めても、隅っこでずっと給食と向き合っていた。無理なものは無理だ。そこで、見かねた教師給食室の残飯入れまで私を連れて行く…というのが日常だった。

辛かった。

どうしても無理なのに、ワガママでやってるわけじゃないのに、悪いことをしているとみなされ、同級生から怪訝な目で見られ、無理やり食べられないもの、食べきれない量のものを食べさせられることが、苦しかった。

中学校弁当制だったため、強制的に食べ切るまで残されることはなかったし、母親が私が食べられるもの、量を毎朝作ってお弁当に入れてくれたため、昼休みをようやく手にすることができた。

食べられないものを無理に食べさせられるプレッシャーから解放、他の人と同じように食事をとり、昼休み満喫できたことがとても嬉しかったのを憶えている。

ところで、私は元・優等生だった。敢えて元とつけたのは、中学校2年生の終わり頃から優等生を辞めてしまたからだ。

小学生時代、私は教師の言うことに歯向かったことはないし、何か悪さをして立たされたことなどないし、他の人がやりたがらない学級委員長などの仕事も率先してやっていたし、行事にもきちんと取り組み、宿題をきちんと提出するのは当たり前、テストは毎回100点を取らないと気が済まなかった。

真面目でいなければならない、ルールは守らないといけないと、今の私とは比べ物にならないくらい、厳しく自分自分を律していた。

それなのに。

これだけ優等生として振る舞い、教師や周りからも真面目な子だと評判だったのに、こと給食に関しては学校の誰も、私の叫びを聞いてくれなかった。

私はワガママを言うような子じゃなかったのに。

日々の生活でこうあるべきだ、こうしなきゃと考え、模範的であろうと努めていた私であっても、どうやら食事に関しては全く別の話のように扱われた。

今思うと…たとえ誠実であろうと、真摯であろうと振る舞っていても、それで周りからもてはやされていても、結局学校の誰も私の苦しみに耳を傾けてくれなかったじゃないか

「あの真面目な子があんだけ給食に関しては難儀しているということは、何か問題があるんだろうな」という発想は浮かばなかったのだろうか?

もっと言うと、いい子ちゃんでいても誰も私のこと信じてくれないんじゃ意味ないじゃないか

…と憤る気持ちでいっぱいである。

小学生の頃はそこまで考えが至らず、

自分が悪いんだ。と自身を責めるだけだったが、

今の私は…無理なものは無理なんだよ!仕方がないだろう!と開き直るし、当時の私にもそう言ってあげたい。

ここでひとつ私の大好きなTHE HIGH-LOWSの曲を紹介する。

ゲロ」(アルバムロブスター」収録)

苛立つ私の気持ちを爽やかに代弁してくれている曲だ。中学生時代に初めて聴いた時、「ホントになぁ…」と深く共感したものだ。

さて。

幼稚園小学生時代までの恨みつらみが長くなってしまったが…

中学校に入ってからは、私の偏食は少しずつ解消され、食べられる量も増えてきた。

朝ごはんは食べられてもご飯一杯だけだったが、その分昼と夜に(自分としては)たくさん食べていた。

昼は母が作るお弁当、夜は母の手料理を食べていた。

間食もしていたし、高校時代に至っては放課後、街へ遊びに行きマクドナルドサイゼリヤ、時には一蘭替え玉までしてガッツリと食べ、その後遅めに帰宅し母の作った夕食を食べる…

今の私だと確実に翌日までダメージを喰らいそうな食べっぷりだったが、胃を壊すこともなく元気に過ごしていた。

それでも痩せ型なのは変わらなかった。

身長は今と同じ、体重はおよそ42キロ弱だった。

現在よりはまだマシな気がするが、それでも低体重なことには変わりない。

周りからは「細いから何してても面白い」とからかわれ、

当時好きだった人からは「細すぎ、もう少し肉をつけた方が魅力的だよ」と言われてしまった。

その言葉がズーンと響き、ダイエットならぬデブエットを始めたこともある。

当時は「糖質制限ダイエット」なるもの流行る前、ろくな知識もない私は「タンパク質体重を増やしてくれるだろう」と何故かそう思い至り、いつもの食事とともに ご飯納豆と溶き卵をかけ、それを二杯食べる…という行動をとった。

結局それは長く続かず、体型も変わらなかった。

当時何より悲しかったのが、内科かかりつけ医が私の体型、体重を見かねて

「親御さんはきちんとご飯を食べさせてくれていますか?」と訊いてきたこと、

時々周りの人たちが母に向かって「○○ちゃん(私)にもっとちゃんご飯食べさせてやらんといかんよ」と言ってきたことだった。

冗談混じりで「○○が痩せているから私が文句言われる〜」と度々母から言われたことがあったが、正直本当に申し訳なく思った。

母はちゃんガッツリご飯を作ってくれるし、私の体のことも理解してくれているのに。

これは私の問題なのに、私が未成年ということもあってどうしても親に矛先がいってしまう。

今はもう、私もいい大人なので「自己責任」としてみなされるため、ある意味気楽なもんである

大人になっても、社会人になっても痩せ型なのは変わらないどころか余計に酷くなっていた。

冒頭で述べた通り今の私は体重が37キロしかない。最後に40キロを超えてたのはいつだっただろうか?

家族からは「そんなに体重が落ちるのはいくらなんでもおかしい、病院に行きなさい」と心配されてしまっているので、近々健康診断も控えているし…一度病院にかかり、相談してみようかと思う。

しかし、痩せ型の人に対しては医師も冷淡なものだ。

前の健康診断では体重を見た医師から「元々そういう体型ですか?」と問われ、「そうですね」と答えると、「それなら問題ないでしょう。我々は太り過ぎによる生活習慣病を問題視してますから」と言われ、それで終了である

しか生活習慣病のリスクはそんなにないかもしれないが、低体重による他の病気リスクはあるのに。

現に今、あまり体調が万全ではなく、冒頭でも触れたように息が上がり、変な動悸があり、仕事終わりには疲れ切って何もできないほど体力が落ちている。

この文章は今朝、起き抜けに勢いで書いたものだ。

私は何故いきなり4000字以上に及ぶこんな長文を書いたのか。

はっきりとした動機はないし、誰かに何かを強く伝えたいわけでもない。

ただのぼやきというか、私の個人的な振り返りに過ぎないところはある。自分語り的な側面が強い。

しかし、太っている人には

「太ってますね」「デブ」と面と向かって言ってはいけないという世間一般道徳観念があるにもかかわらず、

痩せている人に対してはその観念が欠如している人があまりにも多いことへの疑問・不満、

好きでこの体型になったわけではないのに「過度なダイエットはよくないよ」「多少肉あったほうが男ウケいいよ」というクソバイスを浴びせられたことに対しての憤り、

そして…世の中には「痩せ型」であることに悩み、体重を増やしたいと本気で思い、あれこれ考え行動している人がいるということ、その証言

このような感情で書き連ねたといったところかと思う。

世の中にはダイエット情報商品摂食障害にまつわるあらゆる研究考察が流布されているが、

元々低体重の人への言及はあまりにも少ないと感じている。

もちろんTwitter検索したら私と同じように体重を増やしたいと悩んでいる人は何名も見受けられたが、あくま当事者だけだ。

そうでない、外野の人からの真面目な考察は見当たらない。

正直なところ、「大した問題じゃない」とみなされていることを嫌でも実感させられる。

私は昔に比べて自分の体型が嫌だと思うことはなくなり、周りから色々と言われても「自分自分」と、割り切ることができるようになった。

自分のことを認めてあげられるようになった。

上記で書き連ねた言葉以外にも、実はもっと心を抉られるような発言をされたことがあるが、敢えてここには書かないしそれで自分自身が揺らぐことはない。

ただ、その人のことを一生赦さないというだけだ。

しかし、やはり体重が体温並みになってくるとさすがに日常生活に支障がでてくる。

現在、平日フルタイム仕事をしているが、こんな状態ちゃんとやっていけるのか?と不安気持ちは拭えない。

健康になりたい、と願う気持ちは強い。

自分の体質だとMAXでも42キロが精一杯といったところだが、それでも今よりはずっとマシである

とりあえず日々の生活習慣改善から進めていこう!と改めて決意し、この雑文を終えることにする。

2021-04-02

anond:20210402222330

せやね、元増田にいってあげようね

資格の有無にもなににも関係ないよ

一生「生徒会長」とか「優等生」でいたいっていうくらいの形骸化したのぞみだろ

いつまでも学校じゃあるまいし会社でもあるまいよ

ひんやり冷たくてほよほよでたゆんたゆんのおっぱいの話

成人式で、乳を揉ませてくれた同級生地元に戻ってくるらしい。

トイレで書いてたら興奮のあまり長くなりすぎた。全部読んでも大したことは書いてない、すまない。

彼女同級生の中でも結構金持ちの家の子で、長い髪をお嬢様むすび?(アイマス橘ありすみたいな髪型)にして、授業中はメガネをかけていた。学区は近かったけど俺は野球をやってた上に、彼女はたいていデカ外車に乗ったお母さんが送り迎えをしていたからあまり学校帰りに一緒になることはなかった。

彼女とはただの同級生しかなかったから、思い出が特にたくさんあるわけではない。俺が外で遊んでいる時、彼女教室で本を読んでいた。あんまり、関わりはなかったように思う。

4,5年生の時だ。宿題が終わらないで居残りさせられていたら、見かねた彼女が手伝ってくれたことがあった。それから漢字の書き取りが多すぎると愚痴っている俺に「送り仮名が長い言葉を選べば少し楽じゃない?」と言って、例に挙げられていた「原因」ではなく「因みに」と書けばよいと教えてくれた。「ちなみに」という読み方を、この時知ったのを覚えている。

彼女はいから年賀状をくれるようになった。母ちゃんに「あんたにくれるなんて律儀な子だね〜」とからかわれるのが嫌だったけど、流行ってた丸文字じゃなくて大人っぽい字で、俺の名前と何らかのひとことを添えてくれていた年賀状は未だに捨てられない。

中学生になると、男女の溝がくっきりするようになった。彼女優等生の真面目な女子に、俺は野球部のイジラレ役になって、接点はまた少なくなった。たまに話す機会もあったけど、そのうち俺は彼女敬語を使うようになった。彼女は授業中も眼鏡をかけるようになって、髪型ポニーテールになっていた。彼女は県外の進学校に進み、俺は地元工業高校に行った。大学は知らないけど、多分有名なところだと思う。俺は、地元会社就職した。

成人式の日、着物彼女は遠目にしか見られなかった。黒っぽい高そうな着物を着ていたことだけはわかる。乳を揉ませてくれたのはその日の夜だ。俺の地元では、成人式の日の夜に中学校ごとの二次会が開かれる。

彼女ピンク色のドレスみたいなひらひらの服を着てやってきた。小さなブランドバッグを持っていて、やっぱり金持ちは違うな〜といじられていた。俺は誕生日3月から先生がいる2次会で酒は飲ませてもらえない。もう眼鏡をかけてはいない彼女ビールを美味しそうに流し込んでいて、大人になったんだなあと妙な感想を抱いたりした。

先生達が帰って、三次会居酒屋に移動したあと、彼女と話す機会が訪れた。「久しぶり、変わらないね」という彼女いかにも育ちが良さそうな喋り方は変わっていなかったし、俺は相変わらず「うっす」くらいしか言えなかった。隣に座った彼女は顔色1つ変えずお酒を飲んでは笑い、俺にお代わりをねだってコップを差し出してくる。こき使われているような状況もちょっと心地よかったのだが、彼女高校から付き合っているという恋人の話もしていて、ああ、彼女はもう俺の知っている眼鏡女の子ではないんだなと悲しくなったりした。

そうしているうち、不意に彼女がこう言った。「小学校の時、熱出した私にジャンバー貸してくれたでしょ。あれはときめいた」口ではそう言えばそっすね、なんて言ったけど、彼女が俺との思い出を残していることに驚いた。そう言えばどころではない。俺は、早退する彼女が返してくれた上着を着ずに持ち帰って、抜いた。首にあたっていたあたりからほんのり甘いような、新品の教科書のような匂いがしてしばらく置いておきたかったが、母ちゃんに洗われた。

「なあなあ、おっぱい超でかくなってね?」俺が甘酸っぱい思い出に浸っていたら、野球部のツレに耳打ちされた。

かに、昔から彼女巨乳だった。合唱部だった彼女は外で走ったりしないし、学年いちの巨乳だった陸上部女子ランニングする時ゆさゆさ揺れていたのでゆさパイと呼ばれていた)に隠れていたけど、多分学年で2,3番目にでかかったと思う。

ドレス姿の彼女の胸はだいぶ破壊的で、谷間は見えない清楚な感じのデザインにもかかわらず、その大きさは十分わかった。

「ひと揉みさせてやってよ!こいつ、こんなでっかいおっぱい触る機会なんてないと思うからさ」ツレが彼女にそんなことを言ったから、顔がボッと熱くなった。真面目な彼女から無視するか、不潔!とか言われるだろうと思った。なのに、彼女は笑って「こんなのでよかったらどうぞ?」と言って、胸を差し出してぴったりしたドレスの胸元をぺろんと開けた。

俺は取り敢えずいいっすと断ったけど、耐えきれず触ってしまった。酒に酔ってるはずなのに、彼女の胸はひんやり冷たくて、この世で一番柔らかかったと思う。三次会からは酒を飲んでたし、おっぱいの衝撃でその後の記憶ほとんどないけど、ツレの話だと他の男には揉ませていなかったという。女子は数人もんでいたらしい。

彼女は「明日普通に大学なの、辛い」なんていって、明け方まで飲んでそのまま電車に乗って帰って行った。それっきり、もう10年近く会っていない。そんな彼女が、地元に帰ってくるらしい。在宅勤務が増えたから、骨折してリハビリ中のおばあさんのために月の半分はこっちで暮らすのだとおばあさん本人が言っていた、と母ちゃんづてに聞いた。

俺は、ふうん、そうなん、と言ったけど、ほんの少し浮き足立った。別に、好きとか嫌いとかではない。連絡先も知らないんだし、どうということもない。でも、あのひんやりしてほよんと柔らかいあの乳が、俺の地元にあるということが嬉しくなってしまっただけで。反芻しすぎて食傷気味だったあの柔らかさが、また息を吹き返したみたいだ。今夜は思い出して抜こうと思う。

2021-03-31

anond:20210331183738

「同じクラスの○○くんは本当に礼儀正しくていい子ね…それに比べてあんたは…」みたいなやつやん。

優等生を引き合いに出して発破をかけとるだけで本当に愛しとるのは自分の子なんやで。

anond:20210331163853

こういう一休さんみたいなのええわ

出来がいい奴は一人で勝手に進んでいくし出来ないやつは誰が指導してもダメ

指導から指導されたおかげで伸びたんですありがとうと媚びる優等生コネ出世しているか質問魔に意味があるように錯覚してるだけ

アーツ前橋作品紛失問題

はてなでは意外と話題になっていないようだが、アーツ前橋という公立美術館作品6点が行方不明になる、という事件があった。

館長も辞任して一件落着かと思いきや、その後出た報告書で館長による隠蔽疑惑が指摘されたり、その報告書に館長自らが反論したりして、泥沼の様相を呈している。

まとまった記事としては美術手帖を参照されたい。

アーツ前橋作品紛失に関する調査報告書が公開

https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/23795

紛失問題報告書に関して、アーツ前橋館長の住友文彦が反論

https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/23803

一般の人にはあまり知られていないかもしれないが、アーツ前橋というのは近年アート業界ではかなり高い評価をうけている美術館である

たとえばこういう企画展

https://www.artsmaebashi.jp/?p=13991

堂々と掲げられた「本展のキーワード」の、「周縁性、ローカルジェンダー福祉ケア老い共同体移民」というあたりが、この館の方向性を端的に示していると思う。

ざっくりと言ってしまえば、社会問題を扱う現代アートを精力的に紹介しつつ、ワークショップによって地域との結びつきを強めていく、というスタンスである

個人的には、なんか優等生的だなという印象で、反感を抱かないでもない。

しかし、年々予算が削られ、文化政策への風当たりも強くなっている斜陽美術館業界からすれば、「SDGs」的なアピールによって先端的な雰囲気を放っているアーツ前橋は、地方美術館のあり方として、ひとつモデルともいうべき存在であった。

その方向をカリスマ的にリードしてきたのが、2013年の開館当初から館長をつとめてきた、住友文彦その人である

前橋市と館長、どちらの言い分が正しいのかは現時点でよくわからないが、すでに美術業界から擁護の声も出ている。

たとえば東大教授美術研究者加治屋健司。

アーツ前橋作品紛失の最大の原因は、予算、スペース等から美術館が借用作品の保管場所として外部施設を使わざるを得なかったことにある。その状態放置問題に適切に対処してこなかった所管部署文化スポーツ観光部及び同文化国際課に責任がある。これは専門職の館長ではなく行政職の職掌である

https://twitter.com/kenji_kajiya/status/1375731293581807616

スペース・予算の確保は行政職の仕事なのに、彼らはそれを怠っており、そのせいで悪環境作品を置かざるをえなくなったために今回の事件が起こった、という論理である

これは大局的に見れば正しいかもしれない。

ただ、美術の保管場所というのは確保するのに非常にコストがかかるので、無尽蔵に確保できるというものではない。

それに、少なくとも現状で保管場所がまともでないにもかかわらず、作品を預かることにしたのは、やはり学芸員なのではないか

まともな環境作品を置くことすらできないのであれば、そもそも作品を預かるべきではなかったはずである

そういう批判はあったようで、彼はあとから補足している。

他館の学芸員からお話を伺いました。館の作品管理問題があったと私も思います。それはすでに各所で指摘されており館長も認めているので、私はそれを前提としたうえで報告書問題を指摘しました。それを館の問題を認めない発言と受け止めた人もいたようですが、それは私の発言趣旨ではありません。

https://twitter.com/kenji_kajiya/status/1376207390836592642



とはいえ前橋市の報告書住友文彦の責任を追及したように、加治屋健司が行政職の責任を追及するという構図には、結局のところ学芸員行政職の党派性問題なのではないかという感も否めない。

一般にはさほど知られていないかもしれないが、美術館学芸員行政職の人間は、仲が悪いのがふつうである

なぜそうなるのかと言われると難しいが、技術職と営業職が不仲なのと構造的には同じであると思う。

まり理想を求める学芸員コスト重視の行政職という図式で、利害が一致していないのだから対立するのは当然なのかもしれない。

両者のいずれが力を持つかというのは、もちろんさまざまな権力関係によって決まるのだけれど、その勢力図を象徴的に表すのが、「館長が行政職か学芸員か」という問題である

現状で言えば、おそらく行政出身の館長のほうが多数派なはずで、その傾向は年々強まっているのではないかと思う。

現代アート畑の住友文彦を館長にしているアーツ前橋は、その意味でも稀有存在なのである

行政出身の館長というのもバックグラウンドはさまざまだが、教育委員会などから引退間際のおじいちゃんがやってくることが多く、そういう人の99パーセント現代アートなど興味も関心もない(のに反感だけは持っていたりする)ため、館長のくせに予算削減を推進する側に立ったりする。

今回の住友文彦退任にあたっても、後任に専門家を置けという動きが出ているのには、そういう背景がある。

後任に現代美術専門家を 「アーツ前橋」館長退任へ 芸術家署名活動

https://mainichi.jp/articles/20210330/k00/00m/040/038000c

ところで、先ほど「まともな環境がないなら作品を預かるな」と書いたけれど、現実的にはなかなかそうはいかない事情がある。

まず、あたりまえの大前提として、美術館が持っている作品を捨てるということは通常ない。

現実にはゼロではないのだが、やるとなると相当の覚悟必要である

から美術館作品は減るということはなく、ひたすら増えていくことになる。

加えて、美術品のほとんどは温度湿度を厳正に維持した収蔵庫で管理しなければならない。

「厳正に維持」というのは「24時間空調」のことを指す。

38度の真夏であっても、氷点下真冬であっても、24時間365日安定した温湿度でなければならない。

当然これには莫大なコストがかかり、倉庫が広くなればその分お金もかさむ。

まり美術作品は増えていくのに、倉庫を増やすのは容易ではないのだ。

「じゃあ預からなければいいじゃないか」と言うかもしれない。

しかしそうはいかない。

地方美術館美術作品寄付する人々というのは、たとえば地域小金持ちであるが、彼らはしばしばこういう考え方であったりする。

1. 蔵を掃除していたら、なにか絵が出てきた。

2. 貴重なものかもしれないので、美術館電話した。

3. 美術館で引き取ってくれないなら、廃品回収に出そうと思う。

「収蔵するか」「捨てられるか」という二択しか、ここにはない。

売るとか、他の美術館を紹介したらどうか、と言うかもれない。

名の知れた人気作家だったら、そういう手もありうるだろう。

でも、蔵から出てくる作品の作者というのは、典型的にはこういう経歴の人物だったりする。

〇〇県出身上京美術学校西洋絵画を学ぶ。卒業後に帰郷し、〇〇県立第一高校美術教員として教鞭をとる。戦後は〇〇県展の立ち上げに尽力し、後進を育てるなど、〇〇県画壇の重鎮として活躍した。

こういうプロフィール作家面白い絵を描くのだろうか、と疑問に思うかもしれないが、まさにご指摘のとおりで、美術史の大きな流れからすれば、なんの意義もない作品であることがほとんどだ。

しかし、地元での功績というのは地域にとって何よりも大切なものであるし、なによりそういう「つまらない」風景画には、地元民の心をこのうえなく鮮烈にうつし出したような、ローカルであるがゆえの価値がしばしばある。

日本都道府県ほとんどには県立美術館があって、そのそれぞれに多くの「凡庸地元作家」の作品が収蔵されていることの意義は、そこにあるというほかない。

そのような作品は、まさに、「収蔵するか」「捨てられるか」の二択だったところを拾われてきたのである

というわけで、いろいろ書いてしまったが、今回の事件は単なるカリスマ館長の不祥事という以上に、美術館業界の抱えるさまざまな問題関係しているように思われる。

気が重い話である

その他参照

調査報告書

https://www.city.maebashi.gunma.jp/material/files/group/10/hodo20210324_7.pdf

住友文彦の記者会見原稿

https://drive.google.com/file/d/1qQmOLCs2XI1VK9XzPgQpWyKlJZH809Yx/view

2021-03-30

約ネバはジョジョである

 鬼滅の刃主人公ジョナサンジョースター的な超絶優等生ジョジョシリーズは日頃から優等生ジョナサン喧嘩慣れがすごい城太郎修行せず、杉田智和ボイスが似合い過ぎるちゃらんぽらん男ジョセフだけが修行描写があるのがグッとくるのだが、鬼滅の刃一般庶民としての優等生が戦う優等生のための努力をするという内容。

 呪術廻戦は脚本的に編集者こそが「劣化ドラゴンボール劣化ワンピース」と嘆きたくなるけと人としてはい意味ジャンプ主人公

 僕のヒーローアカデミア女性キャラを極力減らしたラブコメ主人公PTAフェミニストの評判が悪い。修行シーンの説得力鬼滅の刃と比べて説得力が無い。

 

 何が言いたいかと言えば、正に作者より頭のいいやつがいない創作典型っていうか脳筋脚本。ヒロアカだけ脳みそ贅肉と言えば満足するの? 結局バカである事に変わりはない。

 ちなみにジョジョ枠というのはまともな知性があるのがデスノートと約ネバだけという意味であり、デスノート人気は基本的テコ入れで出来ている。

 

 ちゃんとした証拠は無いよ。精々……

 樹林伸という高学歴マンガ原作者週刊少年マガジンサイコメトラーEIJI金田一少年の事件簿といった変わり種とはいえ普通にサスペンスが成り立っているマンガを乱発。

 週刊少年サンデー名探偵コナンという看板サスペンスを成立させる。当時のジャンプジョジョデスノート以外バカ

 

 今はジョジョの遅すぎるアニメ化もさる事ながら「サンデーマガジンも言うほど知的じゃない、所詮少年マンガ」というイメージが定着したせいか、当時ほど必死にならなくていいものの、「流石に尻切れトンボアニメにするのはアレだから」強引に最終回まで1クールに収めようとしたのでしょうね。

シンエヴァ

明日シン・エヴァンゲリオンを観賞するのだが期待していいものだろうか。

「序」はTV版と変わらず、「破」は絵も綺麗で展開も早く楽しめたがその分優等生感がでてしまエヴァの良さが半減していた。「Q」は新しいことをしたいのはわかるが視聴者が置いてけぼりで、正直シンジ君並に話についていけない。

「シン」はどうなることやら。

2021-03-23

ダイソーの道具で自分好みのコーヒーを淹れる

最近コーヒー増田が熱い。

特に最高だったのはこの増田だ。

コーヒー沼にハマりつつある話

https://anond.hatelabo.jp/20210305201800

ドンキで道具を買うという低いハードルをちょろんと超えた先の沼にズブズブと沈んでいく様が素晴らしすぎる。

最近では焙煎増田も現れた。

コーヒー焙煎をはじめて1年

https://anond.hatelabo.jp/20210320113656

タメになってモチベーション上げてくれる文章だ。

触発されたので俺もちょっと書く。

良い豆を買えばダイソーの道具であろうと美味しいコーヒーは淹れることができる。

もちろんもっと良い道具はあるが、新鮮(焙煎から時間が経ってない)な豆を挽いて淹れるだけでインスタントドリップパックの何段も上の香りと深い味わいを楽しめる。

美味しく淹れるだけで満足度や達成感は得られるが、どうせ家でやるなら自分好みのコーヒーに仕上げていきたい。

このコーヒーの酸味をもう少し抑えられたら、もう少し苦いのが好き、自分が一番と思うコーヒーを淹れようって話をしたいと思う。

味の決まり

焙煎度合い、挽き目、抽出方で変わる。

ざっくり一般的に言われてることをまとめると

酸味 ← → 苦味、コク

浅煎り --- 深煎り

粗挽き --- 細惹き

低温 --- 高温 (抽出時のお湯の温度)

なんとなくイメージできると思う。

あとは豆や分量によっても変わるが、道具と淹れ方である程度コントロールできる。

まずは基本となる中深煎り、中細挽き、お湯の温度は90℃でやってみることをおすすめする。基準を作ってそこから自分もっとこういうのが好きだからこうしてみようと試していく。

焙煎度は毎日いじれないから、挽き目と淹れ方を変えてみる。

それでも結構幅はあるが、まだ納得できなければ次に焙煎度を変える。

そして豆を変えてまた色々試す。

美味しいのができたらひたすら飲もう。

記録をつける

スマホメモでもノートでもいいから淹れるごとにセッティングメモしておくのをおすすめしたい。

日付け、豆の種類、豆の焙煎度、豆の量、挽き目、抽出法、お湯の温度と量、抽出時間、あらゆる変数を記録して感想とどういう改善策があるかを残しておく。

俺がやってる方法焙煎ごとにチャプターにして、あとは淹れるごとに抽出データ感想追記していく方法

まあ毎日試すなら変更するのはちょっとずつだから面倒ならしなくてもいいところではあるが、今ではノートにちまちま書くのが楽しみの一つになっている。

増田に書いてくれても良い。俺が読む。

ダイソーで買うもの

キャニスター(豆の保存) 100〜200円

片手鍋(焙煎) 500円

ミル (挽く) 500円

ビーカーか軽量カップ(抽出) 100〜200円

リッパー(抽出) 100円

ペーパーフィルター(抽出) 100円

キャニスターは瓶のところに色々ある。

触ってみてできるだけパッキンが強いものを選んで好きなデザインのを買おう。

ここは入り口、良い道具は後で軽く紹介する。

焙煎はまあ家の環境にもよって出来ないこともあるだろうから焙煎された豆を買っても大丈夫

ただし、焙煎日がわかる店で新鮮な豆を買うことをおすすめする。自家焙煎コーヒー屋ならその日にやったのを売ってたりもするだろうし、通販でも煎りたてを売りにしてる店はある。

安くても大量に買って合わなきゃ辛いし、試飲できるコーヒー屋で納得いくまで選ぶのがおすすめ

通販で大量に買う場合は一週間で使い切らない分は冷凍しよう。完全とは言わないが、ガスの放出はかなり食い止めることができる。

一般的に酸味が強いのはコナやグアテマラ、コク重視なのはトラジャやキリマンジャロマンデリン、バランスが良いのはブラジルコロンビアあたり。

これは産地を示してるだけで大体の目安でしかないが参考にはなる。産地以外につく名前やグレードの決め方は国ごとに違っていてややこしいのだが、気になる豆があったらネットで調べてみるとこういう基準を満たしてるという情報が出てくるはず。

何買えばいいかからない人におすすめなのはコロンビアスプレモ。スプレモは豆がでかくて品質が良い。

これも色々あるから値段も決まってないが

だいたい100g300〜400円ぐらい。高品質の中でも安く、本当に優等生的なバランス型なので焙煎度や挽き目で味を調節しても極端なエグみが出にくい。試行錯誤中も美味しく飲みたいからな。

また、コロンビアブレンドによく使われるのでコーヒー屋でもコロンビア基準にもうちょっとこういうのを飲みたいというのを話せば次に買う豆をおすすめしてもらいやすいと思う。コーヒー屋と仲良くなるのが理想の味への近道。

あと、コーヒーの酸味が苦手という人は多いと思うけど、焙煎から時間が経ってたり粉にされてるもの酸化による嫌な酸味が出てることも多いから、グアテマラとかも良い状態のを試飲してみるといいと思う。

焙煎

焙煎増田も紹介していたが、近年凄い焙煎法がYouTubeで公開された。

https://youtu.be/dzZju_u6Xx8

蓋付きの片手鍋さえあればできてしまう。

この動画のハマ氏は業務焙煎機も作ってる人で、彼はこの鍋焙煎でも焙煎機と同じような仕上がりに出来ると断言している。

実際俺も衝撃を受けた。こんな簡単で本格的に出来るものなのかと。何台も数万する家庭用ロースターを所有してる知人も今はこの鍋焙煎をやっている。

是非動画を見てチャレンジしてほしい。

焙煎も出来れば記録しておきたい。

動画で紹介されてる焙煎指数というのを出す。焙煎前の重さを焙煎後の重さで割ったのが焙煎指数

これは焙煎によって豆の水分が抜け、焙煎度合いによって抜け方が変わるからなかなか参考になる指数だ。

中深煎りだと1.20とかそのあたり。

抽出

リッパーとペーパーを使うが、ここでは浸漬式で行う。

これはお湯に挽いた豆を漬けて、最後にペーパーで濾す方法で、漬け時間によって味のコントロールをしやすいのがメリットスケールさえすれば同じ味に出来るので試行錯誤段階にもちょうど良い。1杯分でも美味しく淹れやすく、先の細いやかん不要なのも良いところ。ドリップより時間かかるのと洗い物が増えるのは欠点だが、つきっきりじゃなくて良い。

まず、お湯を沸かしてる間に、ミルで豆を挽く。

基準は中細挽き。ダイソーミルなら真ん中の目盛り。パワーは弱いがこの惹き目なら楽に挽けると思う。

150ccを一杯分として、豆は10g

お湯の温度は90度。正確にやりたい場合は測る。測らない場合は沸騰してから蓋開けて2分待つ。冷ましてる間にビーカーにお湯入れて温めよう。

温めたビーカーをデジタルスケールに載せて、粉を投入。ボタン押して0にしてから150gになるまでお湯を入れる。お湯を入れはじめたらタイマースタート。(スケールがない場合は先にビーカーの目盛りで150入れてから粉入れる。味に大差はないはずだが、なんとなくお湯を粉にかけないと気分が上がらない)

浮いてるのをスプーンで沈めるように軽く混ぜる。漬け時間3分。混ぜた後は皿かなんかで蓋をしておこう。

この間にドリッパーにペーパーをセットしてお湯を通して紙の匂い抜きと温めをする。この抽出温度が下がりやすいのでコップも温めておこう。

3分経ったらコップに乗せたドリッパーに注いで濾していく。ビーカーに粉が残っても良い。

最後まで落ち切るまで待つ。完成。

たぶんこのやり方なら普通にドリップするよりガツンとコーヒーの味を感じられるはずだ。

後は次に淹れる時にお湯の温度、豆の量、惹き目、漬け時間を変えて自分好みに近付けていく。

まず一種類ずつ変えていくのがおすすめ

例えば酸味がもう少しと思えば挽き目を一段粗くしてみる。

まだ足りなければその挽き目でお湯の温度を下げてみる。

単純に薄い濃いという感想が出たらまず豆の量を調節。次に漬け時間。少なければ酸味が立ちやすいし短く漬けても酸味が強く感じられるということもある。

ここで色んなパターンを試してもまだ納得できなければ焙煎度を変える。

焙煎度を変えた豆でまた淹れ方を変えていくの繰り返し。

もっとコクを求める人はフレンチプレスも試してみてもいいかもしれない。ダイソーに500円で売ってる。出来もまあまあ。

フレンチプレスは紙のフィルターを通さないので油分が出て濃厚になる。

濃いのはいいけど油はもうちょっと減らしたい、ということなら、フレンチプレスで出したコーヒーを半分だけペーパーで濾してみたりする方法もある。

ブレンド

俺はそこまで深いブレンド沼にはいないが、ちょっとずつ冷凍したのを残していてたまに遊びでやる。

3種類以上だと何がなんやわからんくなるので2種類の比率をいじるぐらいの遊び方。

混ぜるのは焙煎後の方法だが、出来るだけ焙煎度は合わせておきたい。

クセのないコロンビアブラジルベースにすれば大惨事にはならない。

俺がハマったのはトラジャとコロンビアの半々。

トラジャの濃厚さは好きなんだが、もうちょっとすっきり酸味を出さずに飲みたいと思ってて適当に混ぜたらめちゃくちゃ理想の味になった。

ブレンドする時には特にメモ感想が役に立つ。

ネット一般的に言われてることより自分の舌が一番参考になる。

良い道具

ダイソーの道具で色々試してるうちにこれは道具が良ければもっと美味しくなるのではと考えると思う。答えはYES

特にミル重要ポイントは均一に挽くことができるかどうかと雑味が出やすい微粉の少なさ。

からナイスカットミルを買う。これは正解なんだ。均一さが凄いしはっきり味のまとまりを感じられる。だが高い。いつの間にか35000円だ。そしてエスプレッソができない。でも良いんだ。

手挽きだとポーレックスになるのかな。微粉はちょっと出るけど回しやすいしナイスカットに辿り着くまでに一番感動したミルバリスタでも推してる人は多い。

浸漬式のドリッパークレバーリッパーという便利なものがある。これは2000円ぐらい。

平なとこに置いてるとお湯が流れずコップやサーバーにセットすると落ちる仕組み。だから紙をセットして粉とお湯をそこに入れて待ち、時間が来たらコップかサーバーに置くという簡単工程で出来る。

普通にペーパードリッパーとしても使えるし超便利。

フレンチプレスに興味があればボダムかな。これも2000円である。これに関してはダイソーから遠回ししなくていいかもしれない。やはりフィルターの出来が違う。プレスした時に粉が混じりにくいから濁らない。

キャニスターはやっぱりハリオ製が良い。密閉がしっかりとれる。安いのだと600円。

あとはお気に入りのコップを買おう。

俺はハンドメイドアプリで探しまくった。

そして俺はコーヒーを飲みたくて美味しいパンを食べたくなった。

パンも今や意外と簡単に作れたりするんだが、その話はまた。

2021-03-21

anond:20210320233647

たとえば生徒の中から何人かピックアップしてコンクール参加を打診することになったとき、成績優秀な優等生と手のつけられない不良とどっちに話を持っていくか、みたいなことは大いにあるだろ。

そりゃあ不良にも公平に接する聖人君子のような教師は素晴らしいけど、そうでなくたって人間なんだから仕方ねえよ。

ましてや編集作家は、教師と生徒のような非対称的関係ではなく対等なビジネスパートナーなんだから、仮に作家がめちゃくちゃロクでもない性格だったらさっさと縁を切るだろうよ。

これはまあ出版に限らずどの業種でも通じる話だわな。

2021-03-20

著作権表現の自由関係ないのか?(ウマ娘おまけつき)

anond:20210317235416

これに著作権者の言うことだから聞くべきだと言っているブコメがあって驚いた。

著作権というのは憲法上の権利ではなくて、国が著作権法という法律で認めた権利だ。歴史的にも、憲法表現の自由規定されるようになった18~19世紀前半には著作権保護はろくすっぽされていなかった。そして、著作権国家保護するということは、ある著作物を利用して二次創作をつくる人を国家が抑圧する、という側面をどうしても持たざるを得ない。それが表現の自由に照らして問題ないと思うのはちょっと信じられない。それに著作者二次創作ダメだと言ったらそれでおとなしく諦める、という淡泊姿勢も納得がいかない。私は、(性的表現を含めて)二次創作者は、どうしても二次創作を書きたいから書くんだと思っていた。こんな淡泊姿勢をとる人が多いということは、実は単なる商売ネタに過ぎないのかな。訴訟になると面倒だから、ということならまだ分かるが。

私は著作権著作者人格権が必要ないとはまったく思わない。でも、パロディ事件しかり、ときめきメモリアルメモリカード事件しかり、日本著作権法や判例法理国際的に見ても原著作者保護が極めて強いわけで、それは表現の自由に照らして非常に問題があると思っている。著作権には表現の自由が及ばない、みたいなことを言っている人がいるのは驚きではある。原著作者が権利主張を始めたらいわゆる二次創作物を壊滅させることができる(コミケは単に目こぼしされているだけ)、それを国が著作権法によって認めている、それが問題だと思わないのか。そういう問題意識を持たない人には二度と表現の自由などと口にしてもらいたくない、とすら思う。

~おまけ~

ウマ娘 プリティーダービー』の「お願い」は、

キャラクターならびにモチーフとなる競走馬イメージを著しく損なう表現は行わないようご配慮いただけますと幸いです。

作品には実在する競走馬モチーフとしたキャラクターが登場しており、許諾をいただいて馬名をお借りしている馬主のみなさまを含め、たくさんの方の協力により実現している作品です。

モチーフとなる競走馬ファンの皆さまや、馬主さまおよび関係者の方々が不快に思われる表現、ならびに競走馬またはキャラクターイメージを著しく損なう表現は行わないようご配慮くださいますようお願いいたします。

というものだった。

https://umamusume.jp/news/detail.php?id=news-0106

これは、そもそも著作権著作者人格から来る要求とは考えられない。競走馬著作物ではないから、著作権著作者人格権の客体ではあり得ない。馬主不快に思われる表現をやめよと要求する権利があるとすれば、おそらくは馬主名誉権などの人格利益保護となるだろうか。競走馬ないしキャラクターイメージを著しく損なう表現をやめよ、と要求する権利があるとすれば、知的財産権というよりは、商品化権ないしパブリシティ権キャラクターイメージ毀損については著作者人格権の問題になり得るが)といったビジネス上の権利問題になるだろう。これを概括して「著作権」による要求と解するのは粗雑に過ぎる。

キャラクターイメージ毀損については、一般的性的表現がすべてそれにあたると簡単に言うことはできないのではないか。たとえばどぎまぎイマジネーション事件※(ときめきメモリアルのもう一つのアレ)の東京地裁は、詩織ちゃんが「優等生的で、清純な、さわやかな印象を与える性格けが、本件ゲームソフト及び関連商品の売上げ及び人気の向上に大きく寄与している」という一方で、被告が「清純な女子高校生性格付けられていた登場人物藤崎詩織と分かる女子高校生男子生徒との性行為を繰り返し行うという、露骨な性描写を内容とする、成人向けのアニメーションビデオに改変、制作した」ということを問題にしているのであって、一般性的表現は許されない、と言っているわけではない。ある改変行為性的表現に限った話ではない!)によってイメージ毀損がなされているかどうかは、そのキャラクターがどんなキャラクターなのかということを考察してみないと始まらない。

モチーフとなる競走馬ファンの皆さまや、馬主さまおよび関係者の方々が不快に思われる表現、ならびに競走馬またはキャラクターイメージを著しく損なう表現」として、性的表現一般がそれにあたるのではないかと考えた人がそれなりにいたことは確かに興味深い。

もっとも、これに関するツイートを見ると、性的表現に限らず何が「不快に思われる表現」なのかはよく考えてみないといけないはずだというものもあって、結構冷静に考えている人がいるのが分かる。

例:https://togetter.com/li/1239211https://togetter.com/li/1673486

ただ、私自身は、これは「「何にエロを感じるのは人それぞれだし、どこからエロくてどこからエロくないか線引きなど出来ない」と噛み付いていた人々が「ウマ娘エロ絵は禁止」の一声で「何がエロだと受け取られ、馬主不愉快にするか」をきちんと自分達で考え始めたの笑う」(https://twitter.com/rtoiuyuiotyuijj/status/1371455240143212545)というのとは正反対事態ではないかと思う。先ほども言った通り、何がキャラクターイメージ毀損するかというのは、そのキャラクターがどんなキャラクターで、どんな描写をしたらイメージ毀損するのかを具体的に考えなければ分からないはずである(そして、そうするべきだ、という人も確かにいた)。むしろ性的表現一般を諦めるという態度をとった人が少なからずいたということは、「何がエロだと受け取られ、馬主不愉快にするか」を考えられないから、一般的性的表現はやめました、ということになったのではないだろうか? まあ、自分の描くものはあまたある性的表現の中でも確実に人を不愉快にさせる類のものからやめました、ということなのかもしれないが。

※どぎまぎイマジネーション事件では、東京地裁詩織ちゃんイメージ毀損によってどのくらいの損害が発生したのかという問題をあまり扱っていない。イメージ毀損という無形損害の賠償はどうしても裁判官裁量、つまりブラックボックスになりがちだとはいえゲームソフトの売り上げの損失(をコナミ証明することは困難だろうが)や、詩織ちゃんを使った事業にどのくらいの問題が生じたのかというような部分で争う余地があったのではないだろうか。それこそ表現の自由観点に照らせば、「被告行為によって受けた原告信用毀損は少なくないと解される」という短い言葉検討を終わらせて良いとは思えない。判決文の短さから察するに、被告法定代理人無能だっただけかもしれないが。

追記

ブックマークより)

解釈論と立法法政策)論は別物だからな。増田の言うことは「日本フェアユースを認めるべき」と前から議論されている。一方現行法サイゲの「お願い」は正当性がありそれは尊重されるべき。

そんなに厳然と区別できるものではないと思う。ある法解釈の結果、いかなる帰結が発生するかという帰結主義的な考慮を法解釈に持ち込むことは裁判所普通にやっているだろう※。著作者人格権については、著作権20条は、著作物の改変について、客観的名誉侵害から保護というよりも、主観的思い入れを強力に保護しているようにも読める規定になっているわけだけれども、著作権現実行使するのが、著作権管理している出版社レコード会社といった大資本であることに鑑みれば、その解釈は非常に大企業に有利な体制を作ることになる。立法によってテクストを変更する前に、解釈可能性が開かれているとき、まず解釈で争うことを諦めるべきではないと思う。

※もちろん、あまり政策的な考慮を重視するべきではないという立場はあり得る。特に刑法場合罪刑法定主義との関係上、処罰をする方向へと政策的な考慮を強力に効かせることには問題がある(古典的な例では、電気財物にあたるかという問題が良く採り上げられる)。ただ、政策的な考慮を一切しないというのは、それはそれで異様な考え方ではないか

なお、一見してみて、Cygamesの「お願い」が一理もないとは思わない。仮におうまさんのことは度外視しても、ファンコミュニティの維持は大事なことだろうし。単に、著作権には表現の自由は譲るという単純素朴な理解をしている人がいることが意外だっただけである

メタボ教授競走馬種牡馬)は法律上『金融商品』なので単純に損害賠償請求される恐れがある」https://youtu.be/o3glYqYwsHs

金融商品とは何のことだろうか。カッコつきで書いてあるということは、金商法上の金融商品有価証券預金債権等、通貨)ではないということかな? キャラクターないし商品イメージブランドイメージ毀損について不法行為による損害賠償請求がされうるというのはその通り。パブリシティ権との関係では馬名の使用について許諾はいらないということになるとしても、後からゲーム中の描写イメージ毀損になっているとケチをつけられると訴訟を抱えて面倒になるから、馬名の使用拒否する場合はその馬名を使わない、というゲーム会社経営判断理解できる。ただ、この金融商品という言葉遣いは唐突に感じる。

憲法上の権利である財産権幸福追求権を著作権著作者人格権という形で具体化しているので著作者権利基本的人権範疇では。おまけは113条11項的なアプローチと思うので著作者人格権の問題なんじゃないかと。

かに、あらゆる法律上の権利は煎じ詰めれば何らかの憲法上の権利に行き着く可能性が高い。ただ、憲法上の権利である表現の自由と、憲法上明示されていない著作権とをフラットに扱って、何も重み付けをせずに天秤に乗せるべきものなのだろうか? あと、おまけでは「お願い」が著作者人格権の問題ではない、ということではなくて、法的な権利性質主体・客体がバラバラな諸要求が一枚のお皿に盛られているので、著作権とひとくくりにするのはまずいということを言っている。

著作権表現の自由問題は多分学問的にもまだそれほど論じられてないので表現の自由戦士の中でもガッツリ法学系の人じゃないと考えるのも難しかろうとは。現状の著作権システム是認するのが不当とは言い切れんが

これは、知らなくてもしょうがいかなという気はする。ただ、こういう論点も考えられるようにしておかないで何が表現の自由かとも思う。実際には、超有名論点にすら関心は持たれていない(性的表現制限する刑法175条がまるで問題にされていないようだし)のでそんなのは無理、ということになるかもしれないが。

そもそも表現の自由戦士」はただのレッテルであって、何でもかんでも表現の自由ゴリ押す人たちのことじゃありません。法律に守られた権利を「お気持ち」でゴリ押そうとする人たちに抵抗しているだけです。

私は「表現の自由戦士」というレッテルは使っていないと思うのだが・・・。「法律に守られた権利」というけれども、ある表現に対する「お気持ち」表明(これもまた表現だ)を差し止め権利表現の自由に含まれているとは解されない(名誉毀損のような場合は別だが)。それとも、「お気持ち」に基づいて出版物差止訴訟を濫発した、みたいな事件があるのかな? せいぜいツイッターでボロクソに言われた程度の話しかないような気がするけれども、それが元増田言葉を借りれば「自由制限」とはまこと大仰な話だ。

※以下はこの方に対する直接のリプライではないが、関連する内容ではある。

性的表現(正確には、わいせつobscenityにあたるもの)というのは、日本アメリカ判例法理上、保護されない言論位置づけられている。なぜかというと、表現の自由について司法審査基準を厳しく設定する理由として、民主的過程の維持や人格の発展といった目的が持ち出されるわけだけれども、ということは、逆にいえばそういった価値との関わり合いが薄い表現は、別に手厚く保護しなくて良いということになる。となると、性的表現は「法律に守られた権利」とすら言えないのではないか。私は、それで良いとはまったく考えないけれども、それならそれで現在判例法理を覆す理由付けを考える必要がある。悲しいかな、私は専門家でもないトーシローだし、中々良い案が浮かばない。表現の自由について考えている人は、是非この問題について詳しく調べてみて、知恵を貸して欲しい。なお、定義的衡量(何が「わいせつ」にあたるかという論点で戦う)をいくら頑張っても、いわゆるハード・コア・ポルノにとっては役に立たないということは申し添えておく。

二次創作者やその支持者の大半は「表現の自由」を信奉してるわけでは無いと思ってる。その観点から表現の自由」という言葉を軽々に使うなというのは分かる / エロ即ち不快表現との理解はびっくりするよね

そう、私も性的表現ただちに不快表現にあたると解した人が少なからいたことが驚きだった。こういう短絡を起こしたということは、将来、あらゆる出版社ゲーム会社がこの手の「お願い」を出したら、性的二次創作表現は全部ピタリと止むということになるんじゃないかな・・・。

2021-03-17

anond:20210317105753

トルコ優等生みたいに持ち上げていたと思ったらエルドアンがあの始末だから

世俗化したような面をしていても、いつでもどこでも揺り戻しが起こり得ると思った方がいい

2021-03-16

anond:20210311013624

毛が生えてる描写であるボーボー

と近い五感鼻毛神拳とか出てくるから意外にタイトルに沿った話やろ

ボーさんは破天荒気取りで意外に優等生なんだよ

2021-03-15

anond:20210315144157

男子いじめ競争に敗れてばかりの弱い個体いじめられていた」は一般化できない。優等生へのいじめもあるからな。

2021-03-13

anond:20210311135635

これの元増田といい、増田たちといいが、安原氏のnoteネガティブに捉えて、自分たちの下心を確認し合うことで共感を得て肯定し、安原なんて、小学校学級委員みたく優等生面して下心を隠して俺らにマウントを取るチンポ騎士だ!と言ってるのって、増田たちが普段嫌いな、KKOKKOだってみんなで共有して叩いていいって思って好き放題言ってる女どもがやってることと何ら変わりがないよ。

自分だったらたとえ男から見て「待てそいつヤバい」と言われても、それで実際泣きを見て「サーセンでした」って増田に謝る可能性もコミで、安原氏的な男性を選ぶ。

人間を選ぶのに容姿経済関係するが、最終的には人柄とか人間性で、これを見る限りなら安原氏を選びたいよね、個人的には。

2021-03-11

うっせぇわを聴いて思ったこ

 うっせぇわ、という歌を聴いて、思ったことを書く。

 最初に、9000万回も再生されるような動画を作れてすごいなーという思いを、私が作者に持っているということを明記しておく。これから書くことは、「うっせぇわ」で描かれている内容についてであって、作者に対してではないことを明らかにしておきたい。

 まずこの曲を聴いて感じたことは、反抗期の歌だなーということだ。

 「うっせぇ」と思うような規範内面化させられた不本意気持ちを、規範自分強制していると思っている大人に対して、「一切合切凡庸」「くせぇ口」と、けっこう理不尽罵倒することで発散しようとしているように、私は感じた。

 なんと的外れな怒りだろう。

 優等生であることや、模範人間であることなんて、今すぐやめてしまえ。

 「うっせぇ」と思う規範なんか、一つも守らなければいい。

 でもそれは、しない。あるいはできない。発想すら、していないように見える。

 なぜなら、馬鹿にしている大人が作っている世界に、圧倒的に庇護され、利益を得ているから。養ってくれ、頼らせてくれる相手一方的な怒りを抱いて反発すること、これぞ反抗期だ。

 優等生であること、模範人間であることは、自ら選んだことだ。選ばされたと思っているなら、それは間違っている。そこから外れることを恐れ、適合することで安全を、利益を得ようとしている利己的な行為だ。別にそれ自体は、戦略であり、何ら批判されるようなことじゃない。

 その世界が不満なら、変えるか、去ればいい。変えるというのは、不満のある大統領暗殺するのではなく、自らが議員になって政治勢力を作ることだ。夫に不満なら妻は離婚すればいいし、会社に不満なら転職すればいい。それが出来ないとき、まともな大人は、自分力不足認識し、力を増やす努力をしたり、自分に出来る範囲のことがないかを考える。

 あるいは、契約を取るためには、飲み会で「酒が空いたグラスにすぐに注」いだり、「串外」したりすることくらい、なんとも思わない大人もたくさんいる。そういう大人は、自分会社なのか、養うべき家族なのか、人によって違うだろうが、守らなければならない具体的なものがあったりする。守るべきものが何にもない若者には、自分がそれを気に入らないという感性が一番大切になって、不満が出る。

 不満を持つなとか、従順たれとは全く思わないし、不満を表明することで、物事が変わることもあるので、黙っているよりはマシだとは思うけど、この怒りは建設的ではない。自分の怒りの的外れさに気づけば、そこまで鬱屈させることもないし、むしろ自分人生を動かす原動力たり得る。

 あと自分にろくでもない規範押し付けているのは、周囲にいる無理解大人だと思っていそうだけど、それは違う。周囲の大人は、そういうろくでもなく見えている世界拒否することのできない、ある意味、弱き民だ。そうやって適応することで、生き延びて来ているので、同じようにしないと生きていけないよ、と思っているだけだったりする。

 「頭の出来が違う」のであれば、見下している相手に模範人間をやっているなんて、単なる時間無駄なので、さっさと望ましいと思う世界を創りましょう。本当の敵に出会うのも、きっとそれからだ。

2021-03-10

エヴァンゲリオンしかったですか?

高校生の頃、初めての恋人ができた。

同じ学校優等生。彼は私の知らない世界をたくさん知っていて、それはもう楽しかった。

が、彼はマイルドオタク。当時win3.1のPCを所持し、エロゲームに精を出す程度の。

そして当時のオタクのご多分に漏れず、エヴァンゲリオンに猛烈にハマった。

それからというもの学校オタク仲間がいようがいまいが、口を開けば「エヴァである

用語について長々と解釈を垂れ流し、ことあるごとに「ミサトすわぁ~ん」と猫なで声を発し、

そしてストーリーについての考察や次回放送の予想など。

日中エヴァ話題に費やした。

私はというと、視聴を勧められはしたが、家庭環境問題で見ることができず、

そうこうしているうちに、彼と仲間たちの姿があまりにもみっともないと感じられるようになり、

やがてエヴァに関わるもの全てに対して、冷たい視線のみを送るようになった。

あと、キャラクター人格に反して、グッズなどで脱がせていることも、女性として嫌悪感を持った。

大人になった今、別に作品自体がどうのと批判するつもりはまったくない。

ただ庵野秀明という人が手掛けたものが、長文でお気持ち解釈を垂れる男のオタクを量産することに、

多少なりともゲンナリはしている。

おかげでシン・ゴジラとかも全く触れたいと思えない。

彼とは高校卒業後別れ今はメールもしていないが、おそらくは妻に隠れて仲間と解釈を長文でやりとりしているのだろう。

そう思うと妻さんに勝手に同情してしまうし、こう言いたくもなる。

気持ち悪いな!」

2021-03-09

エンパワメントとしての女性による男性性的消費

ディズニージェンダー平等を捨てたのか 人気ゲーム『ツイステ』の“男性の扱い”がはら矛盾とは

https://bunshun.jp/articles/-/43801

さて、『ツイステ』はどのように楽しまれているのだろうか。上記の通り、ゲームとしてはアドベンチャーストーリー、バトル、リズムゲームキャラクターカード)の収集と育成という要素がある。このうち、軸になるのは最後の「キャラクターである。誤解を恐れずに言えば、ストーリーやバトルやリズムゲームは付け足しでしかない。『ツイステ』の楽しみ方は、自分の「推しキャラ」を選び、そのカードを手に入れ(R/SRSSRランクに分かれており、さら服装も数種類用意されている)、レベルなどを上げて育成していくことを中心とするのだ。

ふむふむ?

まり、『ツイステ』は、少女漫画BLに接近する耽美的なキャラクターたち(陽キャ陰キャ優等生に不良、男臭いキャラにノンバイナリー(無性別)まで、幅広く用意されている)を消費することを中心とするゲームなのだ。その極北二次創作であり、それもBL方面二次創作だろう。「ツイ腐テ」のキーワードで色々と見ることができる。

おぉ…♡

もうひとつ問題は、基本的に性やジェンダー平等に向かう変化を続けてきたディズニー作品の流れの上のどこに、このゲーム位置づけられるのか、という問題だ。

お。

東が対象にするオタク文化主体は、基本的異性愛男性を前提にしていたように思える。つまり、そこでは女性の性を記号化して消費するということが行われていた。だが現在、(かなり広い意味での)オタク的消費の主体男性だけだと想定はできない。

9割以上のプレーヤー女性である『ツイステ』はまさに、そのような消費の場になっているのではないか、という疑問は、検討せずには済ませられないだろう。

お!

例えば「バディ」というシステムでは、特定の二人の「バディレベル」を上げればその二人の組みあわせで戦闘では有利になる。このシステム上記のような「二次創作」を暗黙に前提にしているというのは言い過ぎだろうか。『ツイステ』は男性記号化し、消費しているという意味で、性の平等を目指していたはずの近年のディズニー作品に逆行するものではないか

え…。

そのような疑問に対して私は、とりあえずは「否」と答えたい。『ツイステ』のキャラ消費は「性的消費」であり「男性差別的」であるという議論は、この社会に確実に存在する男性女性の不公正を無視した議論からだ。つまり男性記号化された女性を消費することと、女性記号化された男性を消費することは、すくなくとも現在のこの社会においては、同じではない。

おほっ…♡!

現在のこの社会」とは、ジェンダーギャップ指数2020年)において153か国中121位であるような社会のことだ。そのような社会で、記号化の暴力意味や、「消費」の意味は男女で対称的ではありえない。

日本ジェンダーギャップ指数で121位!

からずも響き合うこの二編の小説の「偉い/えらい」とは、とにかく死なずに生きていくこと、二人が直面する理不尽や苦境におしつぶされずになんとか生きていくことを表現している。とりわけ『持続可能』の敬子にとっては、彼女をおしつぶしてくるのは「おじさん」に支配された日本社会である彼女が「推し」(この場合男性ではなく女性だが)を欲望し、消費することは、そのようなぎりぎりの、「おじさん」の社会に対する抵抗なのだ

まさに。

おじさん支配に対する抵抗

この二編を読んでいただければ、「推し文化」が男性(や女性)の記号化といって批判されるべきものではないことは分かっていただけるのではないかと思う。それは「生きてて偉い/えらい」と語りかけつつ自分に言い聞かせるような、ぎりぎりのエンパワメントのための文化なのだから

エンパワメント

推し文化」やそれを背景とした『ツイステ』が、そうはいっても消費文化であり、男性記号化しているという批判は、以上のような議論を通過した上で行われるべきことだと私は考える。いまだに残るジェンダー不公正に鑑みれば、「女性男性を(または女性を)消費する」文化と、「男性女性を消費する」文化は、同じ基準では判断できない。

腑に落ちる!

男性女性の間で未だにジェンダーギャップが解消されず121位で、おじさん社会に対する抵抗

男女の消費は同じ基準判断できず、むしろエンパワメントとしての女性による男性性的消費!

かしこぶりながらレスバに堕ちていく奴

増田とかnoteみたいな、ちょっとかしこぶった文章を書くのがトレンドになってる界隈ね。

そこに5chとかツイッターみたいな最後に口開いた奴が勝者の世界人間が殴り込んできたとき

レスバの土俵勝負するやつの多いこと多いこと。

相手論点ずらしに逐一乗っかって、まんまと論破されたみたいな空気になってる奴。

頭は足りないけど地味な見た目と生真面目な性格で何とか優等生キャラ保ってる子みたいでちょっと可愛いよね。

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