2021-03-11

うっせぇわを聴いて思ったこ

 うっせぇわ、という歌を聴いて、思ったことを書く。

 最初に、9000万回も再生されるような動画を作れてすごいなーという思いを、私が作者に持っているということを明記しておく。これから書くことは、「うっせぇわ」で描かれている内容についてであって、作者に対してではないことを明らかにしておきたい。

 まずこの曲を聴いて感じたことは、反抗期の歌だなーということだ。

 「うっせぇ」と思うような規範内面化させられた不本意気持ちを、規範自分強制していると思っている大人に対して、「一切合切凡庸」「くせぇ口」と、けっこう理不尽罵倒することで発散しようとしているように、私は感じた。

 なんと的外れな怒りだろう。

 優等生であることや、模範人間であることなんて、今すぐやめてしまえ。

 「うっせぇ」と思う規範なんか、一つも守らなければいい。

 でもそれは、しない。あるいはできない。発想すら、していないように見える。

 なぜなら、馬鹿にしている大人が作っている世界に、圧倒的に庇護され、利益を得ているから。養ってくれ、頼らせてくれる相手一方的な怒りを抱いて反発すること、これぞ反抗期だ。

 優等生であること、模範人間であることは、自ら選んだことだ。選ばされたと思っているなら、それは間違っている。そこから外れることを恐れ、適合することで安全を、利益を得ようとしている利己的な行為だ。別にそれ自体は、戦略であり、何ら批判されるようなことじゃない。

 その世界が不満なら、変えるか、去ればいい。変えるというのは、不満のある大統領暗殺するのではなく、自らが議員になって政治勢力を作ることだ。夫に不満なら妻は離婚すればいいし、会社に不満なら転職すればいい。それが出来ないとき、まともな大人は、自分力不足認識し、力を増やす努力をしたり、自分に出来る範囲のことがないかを考える。

 あるいは、契約を取るためには、飲み会で「酒が空いたグラスにすぐに注」いだり、「串外」したりすることくらい、なんとも思わない大人もたくさんいる。そういう大人は、自分会社なのか、養うべき家族なのか、人によって違うだろうが、守らなければならない具体的なものがあったりする。守るべきものが何にもない若者には、自分がそれを気に入らないという感性が一番大切になって、不満が出る。

 不満を持つなとか、従順たれとは全く思わないし、不満を表明することで、物事が変わることもあるので、黙っているよりはマシだとは思うけど、この怒りは建設的ではない。自分の怒りの的外れさに気づけば、そこまで鬱屈させることもないし、むしろ自分人生を動かす原動力たり得る。

 あと自分にろくでもない規範押し付けているのは、周囲にいる無理解大人だと思っていそうだけど、それは違う。周囲の大人は、そういうろくでもなく見えている世界拒否することのできない、ある意味、弱き民だ。そうやって適応することで、生き延びて来ているので、同じようにしないと生きていけないよ、と思っているだけだったりする。

 「頭の出来が違う」のであれば、見下している相手に模範人間をやっているなんて、単なる時間無駄なので、さっさと望ましいと思う世界を創りましょう。本当の敵に出会うのも、きっとそれからだ。

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