うっせぇわ、という歌を聴いて、思ったことを書く。
最初に、9000万回も再生されるような動画を作れてすごいなーという思いを、私が作者に持っているということを明記しておく。これから書くことは、「うっせぇわ」で描かれている内容についてであって、作者に対してではないことを明らかにしておきたい。
まずこの曲を聴いて感じたことは、反抗期の歌だなーということだ。
「うっせぇ」と思うような規範を内面化させられた不本意な気持ちを、規範を自分に強制していると思っている大人に対して、「一切合切凡庸」「くせぇ口」と、けっこう理不尽に罵倒することで発散しようとしているように、私は感じた。
なんと的外れな怒りだろう。
優等生であることや、模範人間であることなんて、今すぐやめてしまえ。
「うっせぇ」と思う規範なんか、一つも守らなければいい。
でもそれは、しない。あるいはできない。発想すら、していないように見える。
なぜなら、馬鹿にしている大人が作っている世界に、圧倒的に庇護され、利益を得ているから。養ってくれ、頼らせてくれる相手に一方的な怒りを抱いて反発すること、これぞ反抗期だ。
優等生であること、模範人間であることは、自ら選んだことだ。選ばされたと思っているなら、それは間違っている。そこから外れることを恐れ、適合することで安全を、利益を得ようとしている利己的な行為だ。別にそれ自体は、戦略であり、何ら批判されるようなことじゃない。
その世界が不満なら、変えるか、去ればいい。変えるというのは、不満のある大統領を暗殺するのではなく、自らが議員になって政治勢力を作ることだ。夫に不満なら妻は離婚すればいいし、会社に不満なら転職すればいい。それが出来ないとき、まともな大人は、自分の力不足を認識し、力を増やす努力をしたり、自分に出来る範囲のことがないかを考える。
あるいは、契約を取るためには、飲み会で「酒が空いたグラスにすぐに注」いだり、「串外」したりすることくらい、なんとも思わない大人もたくさんいる。そういう大人は、自分の会社なのか、養うべき家族なのか、人によって違うだろうが、守らなければならない具体的なものがあったりする。守るべきものが何にもない若者には、自分がそれを気に入らないという感性が一番大切になって、不満が出る。
不満を持つなとか、従順たれとは全く思わないし、不満を表明することで、物事が変わることもあるので、黙っているよりはマシだとは思うけど、この怒りは建設的ではない。自分の怒りの的外れさに気づけば、そこまで鬱屈させることもないし、むしろ自分の人生を動かす原動力たり得る。
あと自分にろくでもない規範を押し付けているのは、周囲にいる無理解な大人だと思っていそうだけど、それは違う。周囲の大人は、そういうろくでもなく見えている世界を拒否することのできない、ある意味、弱き民だ。そうやって適応することで、生き延びて来ているので、同じようにしないと生きていけないよ、と思っているだけだったりする。
「頭の出来が違う」のであれば、見下している相手に模範人間をやっているなんて、単なる時間の無駄なので、さっさと望ましいと思う世界を創りましょう。本当の敵に出会うのも、きっとそれからだ。