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はてなキーワード: 美術手帖とは

2023-09-04

anond:20230904022727

ジェンダー美術作品とを巡っては会田誠作品炎上というか話題になっていましたので、そうした文脈でこの作品や道近代美術館の対応を眺め、論ずる方が多い様に感じます

一方で、コメントを消してしまった様ですが、会田誠作品田中作品との非関連性を述べる増田がこのツリーにくっついていた様です。

重要なことは、ジェンダー観点から作品を見ることもできるでしょうし、そうじゃない文脈作品を見ることも可能だろうということです。

そしてそうした議論担保されているってのも重要と思っています

増田コメント消えてしまって残念なのですが、増田ですらこうやって意見を述べて反論する様な仕組みが担保されています

道近美の対応はこうした仕組みすら撤去してしまいました。これは、道近美がなぜ作品を展示で取り上げ、なぜあのようにSNSで紹介したかという議論をも撤去したに他なりません。

こうしたことが今回残念だったと思います

なお、美術ジェンダーに関しては『美術手帖】などで何度も俎上となる話題で、こうしたことからも道近美の理論武装余地とうか素地というかはあった様に感じています

2023-05-06

雑誌って「◯◯手帖」って多くない?ていうか手帖ってなに?

俺、ずっと「手帳」だと思ってた・・・

調べたら、手帖と手帳はほぼ同じ意味らしい

◯◯手帖って、

暮らしの手帖

・旅の手帖

美術手帖

婦人手帖

・あまから手帖

歌の手帖

現代史手帖

投資手帖

調べただけでもこれだけあった

昔なんか◯◯手帖って名前流行ったんだろうな、たぶん

2023-04-30

【展示】キングダム

美術手帖いつメン金沢21世紀美術館、行っちゃおッカナ…ッて行って他の展示がノットフォアミーでしょんもりしてたところに差し込んだ希望の光

原作1巻までしか読んでないけどめちゃくちゃ激アツなのが伝わったしパネル展示の流れとかも凝ってて「原画展」というより「キングダム世界観展」みたいでキングダム世界を覗かせてもらった感じがした

いや神原画は当たり前にすごい

・なぜか「小学校クラスにいたノート漫画書いてくる子がいて面白いからクラスみんなでまわし読みして次の展開を速く書いて欲しいとせがむ」みたいな無い記憶がよぎり続けた なんかそれくらいの原初的漫画の熱さを感じさせて世界観に引き込まれ幸せ体験をさせてもらった

・出口最後ネームのとこの見開きアクションシーン絵、すごすぎィ!

2021-11-13

さいきんネットに知性を感じられない

なんか結局全部広告リツイートみたいな感じになってきてつらい。

はてブもそうで、

無料ソースブクマは基本広告

ブログブクマ互助会(かなり定型コメント満載 とても参考になりました!)

朝日ハフポストの有料記事ブクマ活動家の人たち(かなりアレなコメント満載)

炎上ウォッチャーブクマはそれ誰?満載だし、どうでもいい

デイリーポータルZは悪意はあまり感じないが6割の記事はなんかノルマ消化で作った感ある。

東洋経済ダイヤモンド商売うまい記事クオリティは1:9位でお年寄りの作文みたいなのが多い。

⑧結局TwitterTogetter、らばQとナゾジーNHKくらいしか広告に直接紐づかないブクマがない。とても貧弱

業界紙ブクマしてくれるブクマカ―は貴重。「酢酸高い」(化学工業日報)とか「大英博物館葛飾北斎展開催中」(美術手帖)とか「国土交通省が断熱G2,G3相当の住宅企画策定へ」(住宅産業新聞)とか

2021-09-09

村上隆「疑似近親相姦セックスしようぜ!お前娘な!」

六本木に金ピカ親子像ドーンW

 

美術手帖「さすがっすマジ泣けたっすw」

2021-08-10

https://www.youtube.com/watch?v=pPZDBF0kei0

 

 

この動画見りゃ村上隆が気狂いミソジニーサイコパスだって分かりきってるのに

日本美術業界の人たちは「当事者同士で話をしろ」「お前が折れろ」というオーラしかさないw

どんだけ村上って大物なんだよw

普段嫌われてるって自分で言ってんじゃんw完全に日本美術界のドンだし美術手帖の大スポンサーです本当にありがとうございましたw

anond:20210810190713

ウケる〜〜〜〜〜

日本美術マジで終わってる

美術手帖は村上隆大スポンサーか何かなのかよ!?

見てみぬふり!

この動画見たらどー考えてもやばいやつなの分かるっしょ????????

 

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=pPZDBF0kei0

2021-03-31

アーツ前橋作品紛失問題

はてなでは意外と話題になっていないようだが、アーツ前橋という公立美術館作品6点が行方不明になる、という事件があった。

館長も辞任して一件落着かと思いきや、その後出た報告書で館長による隠蔽疑惑が指摘されたり、その報告書に館長自らが反論したりして、泥沼の様相を呈している。

まとまった記事としては美術手帖を参照されたい。

アーツ前橋作品紛失に関する調査報告書が公開

https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/23795

紛失問題報告書に関して、アーツ前橋館長の住友文彦が反論

https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/23803

一般の人にはあまり知られていないかもしれないが、アーツ前橋というのは近年アート業界ではかなり高い評価をうけている美術館である

たとえばこういう企画展

https://www.artsmaebashi.jp/?p=13991

堂々と掲げられた「本展のキーワード」の、「周縁性、ローカルジェンダー福祉ケア老い共同体移民」というあたりが、この館の方向性を端的に示していると思う。

ざっくりと言ってしまえば、社会問題を扱う現代アートを精力的に紹介しつつ、ワークショップによって地域との結びつきを強めていく、というスタンスである

個人的には、なんか優等生的だなという印象で、反感を抱かないでもない。

しかし、年々予算が削られ、文化政策への風当たりも強くなっている斜陽美術館業界からすれば、「SDGs」的なアピールによって先端的な雰囲気を放っているアーツ前橋は、地方美術館のあり方として、ひとつモデルともいうべき存在であった。

その方向をカリスマ的にリードしてきたのが、2013年の開館当初から館長をつとめてきた、住友文彦その人である

前橋市と館長、どちらの言い分が正しいのかは現時点でよくわからないが、すでに美術業界から擁護の声も出ている。

たとえば東大教授美術研究者加治屋健司。

アーツ前橋作品紛失の最大の原因は、予算、スペース等から美術館が借用作品の保管場所として外部施設を使わざるを得なかったことにある。その状態放置問題に適切に対処してこなかった所管部署文化スポーツ観光部及び同文化国際課に責任がある。これは専門職の館長ではなく行政職の職掌である

https://twitter.com/kenji_kajiya/status/1375731293581807616

スペース・予算の確保は行政職の仕事なのに、彼らはそれを怠っており、そのせいで悪環境作品を置かざるをえなくなったために今回の事件が起こった、という論理である

これは大局的に見れば正しいかもしれない。

ただ、美術の保管場所というのは確保するのに非常にコストがかかるので、無尽蔵に確保できるというものではない。

それに、少なくとも現状で保管場所がまともでないにもかかわらず、作品を預かることにしたのは、やはり学芸員なのではないか

まともな環境作品を置くことすらできないのであれば、そもそも作品を預かるべきではなかったはずである

そういう批判はあったようで、彼はあとから補足している。

他館の学芸員からお話を伺いました。館の作品管理問題があったと私も思います。それはすでに各所で指摘されており館長も認めているので、私はそれを前提としたうえで報告書問題を指摘しました。それを館の問題を認めない発言と受け止めた人もいたようですが、それは私の発言趣旨ではありません。

https://twitter.com/kenji_kajiya/status/1376207390836592642



とはいえ前橋市の報告書住友文彦の責任を追及したように、加治屋健司が行政職の責任を追及するという構図には、結局のところ学芸員行政職の党派性問題なのではないかという感も否めない。

一般にはさほど知られていないかもしれないが、美術館学芸員行政職の人間は、仲が悪いのがふつうである

なぜそうなるのかと言われると難しいが、技術職と営業職が不仲なのと構造的には同じであると思う。

まり理想を求める学芸員コスト重視の行政職という図式で、利害が一致していないのだから対立するのは当然なのかもしれない。

両者のいずれが力を持つかというのは、もちろんさまざまな権力関係によって決まるのだけれど、その勢力図を象徴的に表すのが、「館長が行政職か学芸員か」という問題である

現状で言えば、おそらく行政出身の館長のほうが多数派なはずで、その傾向は年々強まっているのではないかと思う。

現代アート畑の住友文彦を館長にしているアーツ前橋は、その意味でも稀有存在なのである

行政出身の館長というのもバックグラウンドはさまざまだが、教育委員会などから引退間際のおじいちゃんがやってくることが多く、そういう人の99パーセント現代アートなど興味も関心もない(のに反感だけは持っていたりする)ため、館長のくせに予算削減を推進する側に立ったりする。

今回の住友文彦退任にあたっても、後任に専門家を置けという動きが出ているのには、そういう背景がある。

後任に現代美術専門家を 「アーツ前橋」館長退任へ 芸術家署名活動

https://mainichi.jp/articles/20210330/k00/00m/040/038000c

ところで、先ほど「まともな環境がないなら作品を預かるな」と書いたけれど、現実的にはなかなかそうはいかない事情がある。

まず、あたりまえの大前提として、美術館が持っている作品を捨てるということは通常ない。

現実にはゼロではないのだが、やるとなると相当の覚悟必要である

から美術館作品は減るということはなく、ひたすら増えていくことになる。

加えて、美術品のほとんどは温度湿度を厳正に維持した収蔵庫で管理しなければならない。

「厳正に維持」というのは「24時間空調」のことを指す。

38度の真夏であっても、氷点下真冬であっても、24時間365日安定した温湿度でなければならない。

当然これには莫大なコストがかかり、倉庫が広くなればその分お金もかさむ。

まり美術作品は増えていくのに、倉庫を増やすのは容易ではないのだ。

「じゃあ預からなければいいじゃないか」と言うかもしれない。

しかしそうはいかない。

地方美術館美術作品寄付する人々というのは、たとえば地域小金持ちであるが、彼らはしばしばこういう考え方であったりする。

1. 蔵を掃除していたら、なにか絵が出てきた。

2. 貴重なものかもしれないので、美術館電話した。

3. 美術館で引き取ってくれないなら、廃品回収に出そうと思う。

「収蔵するか」「捨てられるか」という二択しか、ここにはない。

売るとか、他の美術館を紹介したらどうか、と言うかもれない。

名の知れた人気作家だったら、そういう手もありうるだろう。

でも、蔵から出てくる作品の作者というのは、典型的にはこういう経歴の人物だったりする。

〇〇県出身上京美術学校西洋絵画を学ぶ。卒業後に帰郷し、〇〇県立第一高校美術教員として教鞭をとる。戦後は〇〇県展の立ち上げに尽力し、後進を育てるなど、〇〇県画壇の重鎮として活躍した。

こういうプロフィール作家面白い絵を描くのだろうか、と疑問に思うかもしれないが、まさにご指摘のとおりで、美術史の大きな流れからすれば、なんの意義もない作品であることがほとんどだ。

しかし、地元での功績というのは地域にとって何よりも大切なものであるし、なによりそういう「つまらない」風景画には、地元民の心をこのうえなく鮮烈にうつし出したような、ローカルであるがゆえの価値がしばしばある。

日本都道府県ほとんどには県立美術館があって、そのそれぞれに多くの「凡庸地元作家」の作品が収蔵されていることの意義は、そこにあるというほかない。

そのような作品は、まさに、「収蔵するか」「捨てられるか」の二択だったところを拾われてきたのである

というわけで、いろいろ書いてしまったが、今回の事件は単なるカリスマ館長の不祥事という以上に、美術館業界の抱えるさまざまな問題関係しているように思われる。

気が重い話である

その他参照

調査報告書

https://www.city.maebashi.gunma.jp/material/files/group/10/hodo20210324_7.pdf

住友文彦の記者会見原稿

https://drive.google.com/file/d/1qQmOLCs2XI1VK9XzPgQpWyKlJZH809Yx/view

2020-08-02

[]2020年8月1日土曜日増田

時間記事文字数文字数平均文字数中央値
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1日3170401032126.544

本日の急増単語 ()内の数字単語が含まれ記事

美術手帖(5), 聾者(6), もぐもぐタイム(6), 聴者(4), 手話(35), 聾唖(4), 押しボタン(7), リタッチ(3), ろう者(5), ゴスペル(3), Slave(3), チー(60), 牛(64), 牛丼(26), 増税(46), チーズ(26), 競技(18), 陽キャ(17), 侮辱(24), 体育会系(10), 信号(11), 抑圧(15), 容姿(47), センス(16), 文化(46), コード(14), 現場(29), 当事者(13), スポーツ(18), コミュニケーション(21)

頻出トラックバック先 ()内の数字は被トラックバック件数

■チー牛だけが問題なわけじゃねえよ /20200731165427(21), ■今、「 #バンクシー展 」がアツい!!!!( 悪い意味で ) /20200801150650(19), ■頼むからセンスのないやつはプログラマにならないでくれ /20200731155404(12), ■[手話]頼むから誰か手話問題論点整理してくれ /20200801164555(11), ■もし地元ダムに沈むとしたら /20200731233907(11), ■精神科行くべきか判定してください /20200801090329(10), ■みんな青を使おうぜ /20200731185055(10), ■それで結局、聞こえる子供手話学習がどうして「文化の盗用」なの? /20200801125822(9), ■三大アニメラーメン /20200731194748(9), ■ジャパンネット銀行がpaypay銀行になるよりネットバンク系の支店名のほ /20200801013408(9), ■ホロライブ滅びろ /20200801180651(9), ■近年のインターネットにおけるマウント文化について /20200801171026(9), ■ブラウン大おるけど日本人サイヤ人レベル勉強得意だと分かった /20200801150601(9), ■コロッケには何をつけるべきなのか? /20200731150546(8), ■祖母の死に水がオロナミンCだったのが悲しい(追記しました) /20200731173343(8), ■押しボタン信号のいやらしさ /20200801112716(8), ■想像上の娘にパソコンプレゼントしたい /20200801115852(7), ■実家暮らし何が悪い /20200801014712(7), ■ほら言ったじゃん /20200801194137(7), ■小児性愛者に適切な治療を /20200801233426(7)

2020-08-01

現代作家は「ジェンダー」に応答できているか? 美術家黒瀬陽平インタビュー シリーズジェンダーフリーは可能か?(7)|美術手帖 https://bijutsutecho.com/magazine/series/s21/20101

━━教員学生ギャップが生む問題では、多摩美術大学大学院彫刻科の学生有志が大学に対してハラスメントに関する要望書を提出した件もありました。

 美術を学びたい若い女性の学生に対して、男性社会で生きてきたおじさんの教員がどれだけ対応できるのか。学生は、内面にすごくデリケート意識問題を抱えている。そこにどれだけ踏み込んでケアできるかと言えば、現状はとても難しいと思います意識的ではなく無意識レベルでも、「男性から女性から」という判断思い込みはどうしても残ってしまますし、それは知識意識だけでは乗り越えることができない。男性教員ばかりだから理解してもらえなかったということは、美大出身アーティストからもよく聞きます

(…)

━━ジェンダーだけでなく、世代差や立場の差が生むギャップもありそうですね。

 そうですね。ただ美大に関しては、少なくとも女性教員が増えることで、「女性教員が少なくて女子学生相談相手がいない」という現状は変えられる。ならばまずそこをクリアして、「女性教員はいるけれど話が通じない」という、次のレベル議論ができるようにするべきだと思います

黒瀬陽平合同会社カオスラによるハラスメントについて|ayanoanzai|note https://note.com/ayanoanzai/n/nefd11252a137

5月合同会社カオスラでも固定スタッフとしての勤務を依頼され、快く了承。それまで何度か単発での勤務経験あり。固定スタッフとしての業務内容は、週1日固定の曜日に出勤し、スタジオの整頓や在庫作品管理をするというもの。(※1)

勤務を開始してすぐから黒瀬による身体接触性的要求が発生。他スタッフよりも2時間程はやい集合時間個別連絡で指定され、黒瀬と私の2名がスタジオに集まるという状況が続く。他スタッフには相談できず、大幅に遅刻する、それとなく誤魔化す、「既婚者であるならリスクを考えた方が良いのでは」と提案する等で対応するが、断りきれなくなり7月下旬頃にはじめて性的接触に応じる。その後は黒瀬より要求があった時のみ対応

黒瀬が行っていたのは立場の不均衡を利用した性的関係要求であり、明確なセクシャルハラスメント

受け入れるべきではなかったが、新芸術校およびカオスラの業務に支障を与えたくなく、抵抗し続けるのが難しかった。また、性的要求を受け入れる前から能力ではなく黒瀬に気に入られているか仕事を与えられているのでは」「黒瀬と性関係があるのか?」と第三者に疑いを掛けられることが多くあり、女性である私は実情と関係くそういった見られ方をするのだと自信を失っていた。カオスラは役員スタッフ全員が男性で、相談できる相手がいなかった自分排除される可能性を考え何も言わないまま勤務を継続仕事自体は楽しくやりがいもあり、業務上の信頼関係を徐々に構築。



問題認識しているからこそ、逆にそれを利用して自分の思うように管理するテクにも使えるんスねえ~ハックってこういうことだね

anond:20200801191618

えー!なにこれ なにこれー!

すっごーい!

えっ……

美術手帖会社運営に入ってるの!?

anond:20200801162954

ウェブ美術手帖編集長(橋爪さん)この手の話題を掘り下げるの好きそうだけどね

anond:20200801150650

美術手帖が取り上げてないという事実だけでアート界隈とは別の界隈が企画した(企画を買った)ものだってわかるな

今、「 #バンクシー展 」がアツい!!!!( 悪い意味で )

いま、横浜でやっているバンクシー展がアツい。

バンクシー名前くらいは知ってると思うが、街中に意図のある落書きを残していく匿名アーティストで、モスクワマドリードリスボン香港などで100万人以上を動員した展覧会BANKSY展 GENIUS OR VANDAL?(バンクシー展 天才か反逆者か)』の日本版がいま横浜のアソビルで開催されている。

もちろん、これはバンクシー本人の許可などなく「勝手に」開催されているものだ。

この展覧会は、バンクシー匿名活動( 言ってしまえば犯罪的な活動もしている )をしていることをいいことに、勝手に開催されているもので、日本はまだリストインしていないがモスクワラスベガスなどで行われた「BANKSY展 GENIUS OR VANDAL?」は、バンクシー公式サイトで「FAKE」と指摘されている。

最近バンクシーの展示会が相次いで開催されていることを知っておいてください。 どれも同意の上で開催されたものではなく、これらはアーティスト知識や関与がない組織によるものです。それなりの扱いをお願いします。

https://www.banksy.co.uk/shows.asp

展示されている作品は、バンクシー作品を所有しているコレクターから借りてきて展示しているので、まあだいたいが本物らしい。真贋の確認はされていないが。

(贋作も混ざっているという情報あるので、「贋作が見られるのは本展示会だけ!!」とかいう凄い企画である可能性も高まってきた。これについては後述)

もちろん、展覧会収益バンクシーに支払われることはない。

江頭2:50被害者(?)

バンクシー勝手名前を金儲けに使われて( 作品オーナーであるコレクター権利かあるんだろうし、どこに展示されるかは勝手だろうが ) いい迷惑だなと思うが、オリコンニュースのこの記事

(※現在修正済み)

江頭2:50作品バンク尻―」に本家バンクシーからコラボオファー

https://twitter.com/oricon/status/1288212393659523072

バンクシーからオファーがきて江頭2:50の「バンク尻―」もバンクシー展に展示することになったというニュースだ。

すぐにこれは訂正が入っている

【お詫びと訂正】「本家バンクシーからオファー」と紹介いたしましたが、この展覧会バンクシー本人無許可のものであるため、表現に誤りがありました。訂正してお詫び申し上げます

https://twitter.com/oricon/status/1288312436634710023

恐らく、バンクシー展が本家から認められていないものだとは知らずに江頭側が「本家からオファー」って書いてしまったのだろう。

確認してないのが悪い……とは思えないな。バンクシー展が本家(本人)と無関係なんて思わないもんな…。


公式サイトにある「天才」「反逆者」投票のダサさもすごいし、バンクシー展に江頭の作品ならべちゃうの、商業主義を超えてこの展示会自体アートだとでも思ってるんじゃないかという悪ノリぶり。


グッズも勝手に作って売っちゃうぞ!!

バンクシーは、自らの情報を隠して活動しているため世界各地で勝手に「こいつなら訴えてこないだろう」とばかりにグッズが作られてガンガン売られている。

EU法人設立して商標管理をしたり(もちろんこれは商業主義批判のためであって自らのグッズを売るためではないと思われる)、実際には買うことはできないグッズが並んでいる(通りからショーウインドウ越しに商品風の作品を見られる)「店」を出したりして対抗している。

イタリアだかどこかでは法人を通して訴訟もしている。

バンクシー展、本人は認めてないわ、バンクシーって書いてあるだけのグッズ作って勝手に売るわ、地味にやりたい放題なの恐ろしい。※画像は拾わせていただきました

https://twitter.com/springcourtykh/status/1239527013452378114?s=19

我らが日本の「バンクシー展」では、本家ロゴを使わず普通ゴシック体フォントで作ったTシャツトートバッグを売っているのだ。アツい。アツいぜ。

この「BANKSY」って書かれたトートバッグ持って歩くの、ヤバくないすか!?!?!??

プリントグッズやってる印刷会社デザイナーが「バンクシー展のグッズのデータ作ってよ」って依頼されて、このデータ作るときに「本家ロゴデータないんですか? 本当にこれでいいんですか?」って言ったと思うんだよなー。泣けるなー。

本家データはないよ。非公認からね!!!!!

本物か怪しい作品も並んでいるぞ!!!!

バンクシーについての本も書いている美術専門家鈴木沓子さんのツイートです。

中にはバンクシー贋作も何点か展示されていたので(添付)、本物と贋作と別の人の作品がいっしょくたに展示している展覧会だということは、もう少し知られてほしい。。

https://twitter.com/gingerhoneytea/status/1288309852222058496?s=19

バンクシー作品かを確認する方法は恐らくバンクシー商標管理をしている法人認定を受けるかどうかだけっぽいので、真贋の確認は難しいのだが、専門家がこう言ってるのが本当ならバンクシー展の主催すごいな。

バンクシー活動方針に沿わないような無関係コメディアン巻き込んでの商業展開、匿名アーティストであることを逆手にとった無許可イベント開催、グッズ制作販売。そして真贋の怪しいと言われている作品の展示。もしかしてバンクシーのことを大嫌いな人が企画でもしてるんですか???


いや、バンクシーが有名になってるしちょっと儲けてやろうってくらいで、ここまで徹底的にやれなくない?

どうなってるの???

ウェブ版「美術手帖」の出番じゃないんですか!!!!!

最近BuzzFeedジャパンや、Business Insider Japanと並んでジャーナリズム魂のあるメディアとして(俺の中で)話題ウェブ版「美術手帖」さん、いまこそこれを記事にしてくださいよ。

コタツ記事じゃなくて、中の人意図を聞いてくるとか、バンクシー関連の専門家意見までまとめるくらいのやつ。

この増田はそれを読みたくて書きました。届け、この想い。

2020/08/01:20:27追記

言及増田で発覚したんだが、BANKSYEXHIBITION.JPドメイン管理者が株式会社 美術出版社…。

まり美術手帖は何らかの形でバンクシー展の運営に関わってる可能性が高いっぽい。 oh......マジか……

2018-10-19

横山由季子「ブロックバスター展は善か、悪か」を批判する

 美術手帖で連載中の「シリーズ:これから美術館を考える」の第6回、横山由季子(金沢21世紀美術館学芸員)による「シリーズ:これからの美術館を考える(6) ブロックバスター展は善か、悪か|MAGAZINE | 美術手帖」。一読して何が言いたいのか理解し難かったが、それもそのはず、書いている本人が考えがまとまらないと言っているのだった。

まとまらない考え、逡巡をそのまま書いてしまいましたが、現状を共有することで、今後の共催展、ブロックバスター展について考えるきっかけになれば幸いです。

https://twitter.com/blanche1002/status/1051094298815430659

 「考えまとめてから話せ、バカ」で済む話ではあるけど、一部好意的に受け止められている様子もあり、少しこだわってみたい。

 まず、かなり気に食わないことの一つに、ブロックバスター展について「善か、悪か」と問うている点がある。「善悪」というのは倫理道徳的価値判断であり、展覧会評価をするにあたってはなじまない言葉である。「是非」でよかったはずだ。にもかかわらず、横山は敢えて「善悪」という強い言葉を用いた。その理由は推測することも可能だが、不要から止めておく。ただ、私自身は「善か、悪か」という問いに答える気にはならないし、また応じて「ブロックバスター展は悪だ」と言っている人がいたら異様だと思う。些末な問題ではある。しかし、筆者の立ち位置や考え方が無意識に出ているように見受けられる所、注意を要する点である

 次。筆者はタイトルで「ブロックバスター展は」と議論対象提示する。そして文中で「ブロックバスター展」の定義を明確に行う。ここまではまったく素晴らしい。だが、なぜか横山は文中でブロックバスター展以外についても語り出してしまう。こんなわずか短い文章にもかかわらず、その対象を固定することすらできない。大丈夫なのか、この人?

 実際に対象になっているのはブロックバスター展と共催展である。前者も後者の一部だが、このうち60~70万人ほどを動員したものを指すと定義している。もちろんそれ以上動員した場合も含まれるのだろう。また、共催展以外でこの規模の動員は不可能と考えられる。すなわち、60万人以上の動員を記録した展覧会ブロックバスター展だと言っていい。明確だ。

共催展のなかでも、とりわけ規模が大きく大量動員が見込まれものは「ブロックバスター展」と呼ばれる。ブロックバスター展の基準について100万人以上の動員としている記述もあるが、近年ではさすがにそこまでの来場者を集めた例はないので、ここでは60〜70万人規模の展覧会ととらえることにしたい。広報会議メディア担当者と話していても、60万人あたりがひとつ分水嶺になっているような感覚がある。

 共催展一般共通するものであるならば、わざわざ分ける必要はない。だが、60万を越える規模になると、単に量の違いではなく、質の差が出るようだ。「60万人あたりがひとつ分水嶺になっているような感覚」というのはそういうことだろう。ならば、「ブロックバスター展」と呼び分けることに意味が出るわけだ。

 しかし、結局筆者が俎上に乗せるのは共催展一般であって、ブロックバスター特有問題についての指摘はわずしかない。筆者は読者にブロックバスター展のみに絞って考えて欲しいのか、それを含めた共催展一般について考えて欲しいのか不明である。というよりも、筆者自身の中で、その程度のことすら整理できていないのではないかと思われる。

 そんな筆者横山が共催展やブロックバスター展の「現状」についてどのように認識しているか批判的に捉えているか文章引用しつつ細かく見ていこう。

ブロックバスター展はその華やかな話題性によって、普段美術館に足を運ばないような人が展覧会を訪れるきっかけをつくり、美術裾野を広げているという側面もある。そのいっぽうで、やはり集客のために打ち出される広報の数々は「イベント」としての側面を強調するものであり、一過性の消費で終わってしまうのではないかという危惧がつきまとう。

 一過性の消費の何が悪いのかさっぱり分からん人生は短い割に、世界はあまりにも豊かだ。誰しもが、美術とがっぷり四つに組んでいる暇があるわけではない。すべてのことに入れ込むことはできないわけだ。学芸員成るほど美術真剣に取り組んでる横山も、例えば音楽とか、芝居とか、映画とか、ほかのジャンルに関しては一過性の消費で済ませていたりするわけでしょ? 美術に対してそういう態度をとる人たちを批判する権利なんかないわな。

そして現場学芸員は、採算性と学術性を両立させるという大きな矛盾に直面することになる。

 ブロックバスター展やそれに準ずる共催展に足を運ぶ人の多くは、作品を見に来ているのね。有名作に心踊り、傑作に胸を打たれに来てる。学術性とか、正直無くても構わないとすら思っている。

最近ではメディア側も展覧会事業にこれまでになく採算性を求める傾向にあり、10万人を動員する小規模の企画を年に何本も実施するよりも、大量動員が見込めるブロックバスター展を1本開いたほうが、労力的にも資金的にも報われるという事情もあるだろう。

 共催展の数を減らして、ブロックバスター展に集約していると読めるけど、事実なのか?

あくまでも組織としては採算性が優先されることになる

 当たり前なのでは。

ここで、そこまでの費用をかけてまで、海外作品を借りてくる必要があるのかという問いが生じるだろう。国内美術館にも豊かなコレクションがあり、それだけでも十分に展覧会は成り立つ。実際に、近年では国内の所蔵品を中心に見ごたえのある展覧会が多く企画されている。

 ブロックバスター展や美術館展など、学術性の低い展覧会批判する人って、だいたい欧米によく行っていて、そこで十分に作品を見ている人なんだよね。だから、そういった展覧会が名作や有名作を持ってきているということ自体意味を見いだせないわけだ。でも例えば、今後10年間、海外所蔵の作品を見ることを一切禁じるって言われたら、我慢できるの? できないでしょ。できないなら「国内美術館にも豊かなコレクションがあり」とか言って欲しくないよね。子供仕事で忙しい人、貧乏人、障害者、老人。誰しもが気軽に海外に行けるわけではない。そういうところにブロックバスター展の意味の一つがあると思うんだよな。弱者に優しいという点を鑑みれば、筆者の問いかけに「ブロックバスター展は善である」と答えることも可能かもしれない。

共催展の広報において差し迫った課題は、いかにして若者展覧会に足を運んでもらうかということである。とりわけブロックバスター展を支えているのは、バブル期以降の大型展に足を運んできた50代以上の世代であり、メディア側も確実な集客を見込んで、この年齢層に的を絞った広報戦略を立てることが多い。しかしながら、このような目先の集客ばかりを求める広報が続くようであれば、美術館展覧会未来はそう長くはないであろう。

 若者じゃないから分からないけど、どっちかというとやはりブロックバスター展の方が若者リーチしていて、それより規模の小さい共催展に問題がある気がするけどなあ。今なら例えばフェルメール展とルーベンス展。

近代美術の延長線上に現代美術位置づけ、両者を結びつける作業は、やはり美術館が担うべきものである。そして、村上隆草間彌生などの知名度と人気を誇るごく一部の作家を除いて、メディア現代美術展に出資することは考えにくい。美術館が主導して近代美術現代美術をつなぐ展覧会企画したり、現代美術一般へと浸透させる持続的なプログラムを行うための体制づくりや予算が求められる。

 これはブロックバスター展や共催展の問題じゃないよね。美術館学芸員が怠けていたからこういう状況になったんじゃないの? 「国内美術館にも豊かなコレクションがあり、それだけでも十分に展覧会は成り立つ」んでしょ。美術館主催粛々とやってればいいのでは。

数十万人の来場者を想定したブロックバスター展の場合、あまり大胆な切り口を提示することは難しく、個展であれば年代主題ごとに画業をたどるようなオーソドックス構成となりがちだ。先行研究調査をふまえた新たな視点を、カタログ論文作品解説のなかで示すことはできても、展覧会構成全体に反映するにはいくつものハードルがある。とりわけオルセー美術館ルーヴル美術館からまとめて作品を借りる場合は、これらの美術館学芸員が監修を務めることが多く、そのことによって企画自由度が低くなるという側面もあるだろう。

 そういう学術性は不要なんだって。単にいい作品を持ってくればいいの。学術性を発揮したいのであれば美術館主催の展示でやればいい。それでは自分能力が十分に生かされないと感じるなら本場の美術館就職してください。あと、日本学芸員よりオルセーやルーヴルの学芸員の方が信用できるから、その場合は口出さなくていいよ。

オルセー美術館には各所蔵作家の膨大な資料が集められており(ルノワールだけでざっと50箱以上はあり、フランス語だけでなく、英語イタリア語ドイツ語スペイン語、そして日本語や中国語韓国語資料網羅されている)、それを日々リアルタイム更新していくドキュメンタリストたちがいる。学芸員は彼らの協力を得て調査研究に勤しみ、その成果が展覧会に反映される。この蓄積こそが、オルセー美術館の、さらには今日における世界的なフランス近代美術の人気の礎なのである。これは一朝一夕に実現されるものではなく、長期的な視点に基づいた、たゆまぬ歴史化の作業の賜物といえよう。

 日本フランス絵画についてオルセーと張り合う必要なんかないよ。自国美術研究環境が貧弱なこと(いろいろ話を聞くに相応の事実だろう)については悲しむべきことだけど、西洋美術基本的に横のものを縦にしてればいい。もちろん立派な研究をなしとげれば敬意を表するが、俺達のブロックバスター展を研究発表の場として利用してくれるな。

 私はブロックバスター展やそれに準ずる規模の共催展を楽しんでいるのだ。それを学芸員風情の浅薄な考えや安っぽい使命感によってぶち壊さないで欲しい。日本に居ながらにして傑作や有名作を鑑賞することができる。これだけでブロックバスター展は素晴らしいものなんだ。ということを学芸員玄人気取りに理解してもらいたいのだが、なかなか難しいのかもしれない。

2017-07-19

https://anond.hatelabo.jp/20170719064948

「某ジャーナリスト芸術監督」と読んで美術手帖あたりに寄稿している人なのかなと思ってぐぐったらはてなアイドルが出てきてびっくりした。

そう言えばここははてなだった。

2015-03-05

美術評論など滅びてしま

2011-08-13

re:なぜ現代アートには糾弾が相次ぎ、美味しんぼコラは受け入れられる

http://anond.hatelabo.jp/20110813025031 に対する私見。ブログに書く程でもないんで此処に。


元増田が疑問に思っているように「おいしんぼ」を加工して遊ぶという行為カオスラウンジは似ているようにも、見える。

じゃあ何が違うのかっていうと「使った元ネタ」の出自が何かって話なんだと思うよ。


カオスラウンジコラージュと、おいしんぼのコラージュで決定的に違うのは、カオスラウンジコラージュ元ネタ二次創作であり、おいしんぼが商業作品である、という点。

これだけ。


ちょっと前に村上隆自分のやってる事を翻訳だ、って言ったのをきっかけに揉めたのを覚えている人もいると思うけど、これに当てはめて考えるとわかりやすいんじゃないかな。

村上隆翻訳事件については http://togetter.com/li/46166 http://mojix.org/2010/09/03/murakami-mukatsuku http://tsunoga.blog32.fc2.com/blog-entry-298.html らへんを読んでくれ)


「おまえら」は商業作品をコラージュしたり二次創作したり、という「翻訳」をして、それを「おまえら」の世界で楽しんでいる。

それに対して「カオスラウンジ」は二次創作コラージュするという行為を通してアートに「翻訳」した。ついでにいうなら「翻訳」をきっかけに金儲けもしたw

そういう事なんじゃないかな、と思ってる。


アートっていうのは「権威」によって「これはアートだ」と認められる事だ、と思う。

その権威が何処かの美術館に飾られる事なのか、なんたらビエンナーレ入賞することなのか、村上隆美術手帖に絶賛されることなのか、何処かのオークションで何億って価格落札される事なのかはともかくとして「これは、アートだ」と認められさえすれば、便器にサインをしただけの簡単なお仕事ですアートになるよっていうのが20世紀初頭からアートシーンを支配している「空気」だよね。

カオスラウンジは、だから「そういう空気」が支配している世界二次創作コラージュするという「翻訳」をして、その「翻訳をした内容(と行為)」がアートとして認められた。


でも「おまえら」からすれば「自分たちの愛が穢された!」って事になるんだろう。

いつも自分たちが商業作品を二次創作という形で「翻訳」して楽しんでいる事と全く同質なのにね。


カオスラウンジがやってる行為MADの違いが何処にあるのか説明出来る人はいないんじゃないかな。

元増田の疑問は、まさにそこにあると思う。

二次創作を更に二次創作するサークルもいると聞くが、それは「おまえら」の世界の中で完結する行為から許容されうる範囲の事なんだろう。(揉める事もあるって聞くけどね)


上手く表現出来る気がしない(だから増田に逃げたというのもあるんだが)のだけれど「お互い、人の財産を奪う事の罪悪感は低いんだけど、自分たちの財産が奪われる事には敏感だよね」って事に尽きるのではないかな。(財産、という言葉は適切ではないように思うけれど、他に上手い言葉が思いつかない)


個人的には、カオスラウンジの「作品」を見ても手段も内容もたいした事ないなあ、と思う。

じゃあ何がアートとして評価されたんだろうと自分なりに篩に掛けて残ったのは「二次創作コラージュする」という行為(水浸しもだけど)であって、それだけは既存アートシーンには(おそらく)存在なかったと思うからだ(思いついたけど誰もやらなかっただけなんだよ、という「批判」はあるとは思うけど)


そんなわけでカオスラウンジの皆さんの今後の活動を生暖かく見守っていきたい次第でございます

一回「やらかした」事というのは、それが何であれ、二度と繰り返せないのがアート世界であるにも拘らず、バッシング覚悟で二次創作コラージュするという「翻訳」をしなければカオスラウンジという集団のアートとしての価値は無価値であると言っても過言ではないだろうから

自分の敵は自分っていうか、針のむしろを用意したのは自分自身なんだし。10年代日本アートシーンの騎手としてがんばってくだしい。


2011-07-29

Pixiv, カオスラウンジ芸術マーケット日本芸術教育

今私は、鬱状態仕事を休んでいる。フリーランスアーティストとして10年ほど。その半分以上を海外でくらし、今もヨーロッパの片隅にいる。

2ch のまとめサイトで、件のPixiv騒動をしった。

カオスラウンジというグループ、全く知らなかったが、なるほど、人々の怒りがよく分かる経緯だった。

面白いので、コラにはコラに対抗ということで、代表藤城嘘の作品や彼の写真photoshop10分ほどやっつけでコラした絵をPixiv投稿。説明なしのアカウント削除→IPアドレス指定拒否→串刺しIPでの再UP→瞬殺アカウント死亡 などを繰り返して遊んだ

http://www.rupan.net/uploader/download/1311933348.jpg

で、私の意見

これ、日本芸術にたいするマーケットのあり方や、芸大における教育とか、そういうことが根本にある。

まずマーケット

これは日本だけでないけど、マーケットって、ようはお商売の世界。売れればいいの。芸術家も、批評家も、生活あるからお金にしなくちゃいけない。

で、やっぱり、売れたものはみんな金魚のふんみたいについていくの。それは仕方ないこと、どこでも。

そのために役にたつの権威(power)。カオスラウンジ村上隆美術手帖がそのicon。

私は両方とも死ねと思っている。(殺害予告ではありません… 念のため) 正直。

村上隆は売れた。それはいい。オメデト。尊敬。でももともとサブ・カルなのに、権威的にふるまう?どうして?

本流に対してのalternativeなありかたとして出した、その経験意味は?

美術手帖。いつも売れ線をおっかけ。責任おわない。コンテクスト脆弱(消極的な取材が透けて見える)。しょうがないけど。お商売だし。でももうちょっと、光を見せてよ、せっかく日本マーケット権威もっちゃったんだから

僕は90年代青春をすごしたから、今の日本の若い人とちょっと感覚ずれてるかもわからないけど、その時の感覚からすれば、分かる。

日本の人って、権威に弱い。テレビとか、どっかの大学先生とか、批評家とか、マーケットとか、あとは身近な友人や家族なんかの意見にも。

もちろんどこでもそうだけど、日本はちょっと過剰だなーっておもう。

自分が見てるもの、聴いているもの、食べているもの、感じているものを、どうやって、「いい」か「悪いか」判断できるだろう?

日本の人は、まず周りをみる。周りの様子にノル人、ソル人…

僕が暮らしいるところの人たちは、まず自分フィーリングを聴く。で、それから周りの人も見る。それから、どうするかと考える。

yap, subjectは結局おなじなんだけど、順番が違うんだよね。僕がくらしている人たちは、まず自分意見が先にくるんだよ。

例えば、スーパーマーケットにいって、入り口に物ごいがいる。ああ、かわいそうだなって思ったら、こっちの人はお金渡す。

日本の人は、まず、お金わたす自分の姿が周りからみてカッコワルイ、アタマヲカシイ?、ってかんがえて、無視する。

全員がそうでないけど、そういう傾向が、ある。

この順番が、カオスラウンジの人たちの行動にもよく見える。

藤城嘘ブログ6月25日の記事。

http://d.hatena.ne.jp/lie_fujishiro/20110625

端的にいうと、ダサい。カッコワルイ。

同じ芸術家として、引用とかサンプリングについての立場はちょっと分かるよ。ちょっと。

でもさ、想像力って彼らは持っているんだろうか?

例えば満員電車の中で私が突然うんこしたら、みんな嫌がるだろーなーって、なんか創造できる、だから私はうんこしない。

やべぇ、うんこもれそう、もうしぬぅーーーーってなっても、みんな嫌がるだろーなーっておもうから、我慢して、次の駅までまって、でダッシュ。

ま、動機はカッコワルくなりたいってのもあるだろうけど、まぁおんなじように。

で、カオスラウンジの人たちは「ウンコしたい」で、すぐウンコしちゃってる。ブリブリ

ネットオタク文化いけてる、売れそう、俺好きやし、カッコええやん、よっしゃ、これで俺の作品つくったろ。

一方的。想像してない。それで誰が傷付くか。

今回の件をきっかけに、私は初めてふたば掲示板をみた。

みんな同じようなネタをずーっと話してたり、コラしてたり…。純粋だなーって思うのと、あと普通だなーって思う。

世の中の多くの人たちが、文化については保守的日本をみたら、なんで演歌歌謡曲が未だに紅白重要立ち位置を持っているかということ。

これ大事だよ。普通だもん、それが。

そういう人たち(=普通の人たち)の気持ちに思いを巡らすのが、やっぱり普通の人であるところの、普通芸術家でないの?

少なくとも、私は自分自身芸術家としてそういうスタンスを譲らない。

あるいは、もし自覚的にそうした『普通』に対する反抗であるなら、最後までヤリきらないと。

炎上たから?ビジネスパートナーが予定していた商品をキャンセルたから?周りのエラい批評家にお説教されたから?

本当に反抗したいなら、まず梅沢ナントカという友達の作品を正当化して、ウルセェ、テメエラなんもわかっちゃいねぇんだよっていって、もっともっと同じ手法で作品を創らなくちゃ。で、その路線で別のパートナーをみつける、そこまでいかないと。

この謝罪、カッコワルイよ。

たぶん村上隆が翻ったのも、この日和見的なところ(態度)で、ア、コイツラ、シロウト。ってみやぶったんだと思う。

(個人的に村上嫌いだけど、プロとして何となく分かる。)

で、彼らがここまでやってこれたのが、日本芸大etc.における芸術教育の影響だろうなぁと。

私自身の、私立芸大在学のとき経験をモトに。

「売れる」ことを考えすぎ。たぶん、日本におけるfine art伝統の不在が起因なんだろうけど。

自分が、一人の人間が、今思い、考え、感じていること、そしてそれによって目の前にある作品や起きている事象にたいする疑問を素直に「どうして?なぜ?」と問いかけること。こういう当たり前の姿勢がどうして求められないんだろう?

タマタマ自分がやっていることが売れ線だと。で、エラい批評かなり、curatorなりが、ヨイヨイ、といって、金だして、仕事なりコンタクトわたしたりして、ま、同業者として分かるっちゃ分かるけど、それで、自分がやっていることは全肯定できるのだろうか?

若いアーティストから仕方ないんだろうけど…

酔いが回ってきたので、またそのうち続きを書こう。

 
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