2021-03-09

エンパワメントとしての女性による男性性的消費

ディズニージェンダー平等を捨てたのか 人気ゲーム『ツイステ』の“男性の扱い”がはら矛盾とは

https://bunshun.jp/articles/-/43801

さて、『ツイステ』はどのように楽しまれているのだろうか。上記の通り、ゲームとしてはアドベンチャーストーリー、バトル、リズムゲームキャラクターカード)の収集と育成という要素がある。このうち、軸になるのは最後の「キャラクターである。誤解を恐れずに言えば、ストーリーやバトルやリズムゲームは付け足しでしかない。『ツイステ』の楽しみ方は、自分の「推しキャラ」を選び、そのカードを手に入れ(R/SRSSRランクに分かれており、さら服装も数種類用意されている)、レベルなどを上げて育成していくことを中心とするのだ。

ふむふむ?

まり、『ツイステ』は、少女漫画BLに接近する耽美的なキャラクターたち(陽キャ陰キャ優等生に不良、男臭いキャラにノンバイナリー(無性別)まで、幅広く用意されている)を消費することを中心とするゲームなのだ。その極北二次創作であり、それもBL方面二次創作だろう。「ツイ腐テ」のキーワードで色々と見ることができる。

おぉ…♡

もうひとつ問題は、基本的に性やジェンダー平等に向かう変化を続けてきたディズニー作品の流れの上のどこに、このゲーム位置づけられるのか、という問題だ。

お。

東が対象にするオタク文化主体は、基本的異性愛男性を前提にしていたように思える。つまり、そこでは女性の性を記号化して消費するということが行われていた。だが現在、(かなり広い意味での)オタク的消費の主体男性だけだと想定はできない。

9割以上のプレーヤー女性である『ツイステ』はまさに、そのような消費の場になっているのではないか、という疑問は、検討せずには済ませられないだろう。

お!

例えば「バディ」というシステムでは、特定の二人の「バディレベル」を上げればその二人の組みあわせで戦闘では有利になる。このシステム上記のような「二次創作」を暗黙に前提にしているというのは言い過ぎだろうか。『ツイステ』は男性記号化し、消費しているという意味で、性の平等を目指していたはずの近年のディズニー作品に逆行するものではないか

え…。

そのような疑問に対して私は、とりあえずは「否」と答えたい。『ツイステ』のキャラ消費は「性的消費」であり「男性差別的」であるという議論は、この社会に確実に存在する男性女性の不公正を無視した議論からだ。つまり男性記号化された女性を消費することと、女性記号化された男性を消費することは、すくなくとも現在のこの社会においては、同じではない。

おほっ…♡!

現在のこの社会」とは、ジェンダーギャップ指数2020年)において153か国中121位であるような社会のことだ。そのような社会で、記号化の暴力意味や、「消費」の意味は男女で対称的ではありえない。

日本ジェンダーギャップ指数で121位!

からずも響き合うこの二編の小説の「偉い/えらい」とは、とにかく死なずに生きていくこと、二人が直面する理不尽や苦境におしつぶされずになんとか生きていくことを表現している。とりわけ『持続可能』の敬子にとっては、彼女をおしつぶしてくるのは「おじさん」に支配された日本社会である彼女が「推し」(この場合男性ではなく女性だが)を欲望し、消費することは、そのようなぎりぎりの、「おじさん」の社会に対する抵抗なのだ

まさに。

おじさん支配に対する抵抗

この二編を読んでいただければ、「推し文化」が男性(や女性)の記号化といって批判されるべきものではないことは分かっていただけるのではないかと思う。それは「生きてて偉い/えらい」と語りかけつつ自分に言い聞かせるような、ぎりぎりのエンパワメントのための文化なのだから

エンパワメント

推し文化」やそれを背景とした『ツイステ』が、そうはいっても消費文化であり、男性記号化しているという批判は、以上のような議論を通過した上で行われるべきことだと私は考える。いまだに残るジェンダー不公正に鑑みれば、「女性男性を(または女性を)消費する」文化と、「男性女性を消費する」文化は、同じ基準では判断できない。

腑に落ちる!

男性女性の間で未だにジェンダーギャップが解消されず121位で、おじさん社会に対する抵抗

男女の消費は同じ基準判断できず、むしろエンパワメントとしての女性による男性性的消費!

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