はてなキーワード: 仕舞とは
自分のことをオタクと言っていいか正直分からないが、今はもう解散してしまったとあるグループが大好きだった。
そのグループはアーティストなので、そのグループが作る音楽はもちろんのこと、パフォーマンスも、人間性やキャラクターも好きで解散してからも元メンバーの活動を追いかけている。
ただ、純粋にそのグループとメンバーを応援していたわけでもない。
ストレートに言ってしまえば、その様は百合にしか見えなかった。
そのグループを知る少し前から私は百合に目覚めてしまっていたので、最初はもちろん音楽から入ったのに、テレビやラジオ、ライブ、雑誌のインタビュー、彼女らの公式サイトの日記を見ていたら、もう百合にしか見えなくなったのだ。
もちろん、実際はそうではない。
そこの分別はついてる。
元メンバーは今や全員既婚者だし、当時からファンタジーだとかもう一つの世界線として楽しんでいた。
正直に言えば、音楽でも百合でも楽しめて、どちらも最高なのだから、このグループって奇跡か何かじゃないのか?とか、私って凄くお得な性癖持ちだ!なんて結構な具合に舞い上がっていたところもある。
それに2ch(正しくはPINK板)にも専用スレがあって、百合SSが幾つも投稿されていたし、何なら自らSSの投稿も数回した。
百合作品を通じて一時期は同い年の友人もできた(今は連絡取れないが)。
その友人らとは純粋に音楽やライブパフォーマンスの感想と、百合フィルターを通してメンバーを見ての萌えポイントなんかもよく話していた。
凄く楽しかった。
友人らもSSを書いていて、私より数段は構成やストーリーが上手くてSS職人の域だったりで、とにかくオタクとして楽しい日々があった。
でもグループもそれなりに活動期間が長くなると色々あって、グループの体制変更や諸事情あっての活動休止などが起きて、そのショックから2chの百合スレは廃れて落ちた。
私も活動休止の影響があって百合観点でのオタク活動からは離れてしまい、ただの音楽ファンになった。
それでも彼女らグループの音楽やパフォーマンスは素晴らしかったので満足だった。
ここまで来ると、なんとなく何てグループなのか分かる人には分かるかもしれないが、グループ名は伏せておいて欲しい。
時が流れて、最近になって私は「BLも好きだし、断トツでBLの方が先に触れたのに、百合の方がとびきり好きだよなぁ」と自らの性癖を顧みていたんだが
そこで「あのグループの百合が何より好きだった。」と急に思い出した。たまにグループの音楽は聴くのに何故か百合のことだけ忘れていた。
百合作品は好きなくせにあまり普段触れない(BLももちろん)けれど、友人らがオタク気質でBLネタをたまにTwitterでつぶやくのでそれを見て自らを顧みたら、奥底に仕舞い込んでいた百合萌え魂(何ソレ)に再び火が点いてしまった。
懐かしくなって、落ちた2chの百合スレを頑張って探した。それは過去ログにキチンと残っていた。
私が大好きで悶えた、職人によるSS作品も自分で書いた拙いSS作品もそこにはあった。
懐かしさと嬉しさと湧き上がる百合萌え具合から、机に頭を打ちつけてしまいそうなのを幾度と堪えて(オタク仕草が過ぎる)、過去ログを読み耽った。
いや、だった。
そのうちにグループに色々が色々あって、突然終焉を迎えたこのグループの百合に、百合としての"終わり"をちゃんと設けたいと思ってしまった。
だからファンタジーとして、でも事実を含めながら終わらせようと思った。
動機から何から私の勝手100%ではあるが、百合スレが半端な状態で終わっていたのが何故か居た堪れなくなった。
起承転結を作り、キャラクターの性格をキチンと含ませて、現実とファンタジーと幾らかの私の願望を織り交ぜて……
っで、なんか一日で出来てしまった。
あの頃はいくら考えても萌えネタをSSに落とし込めなかったのに…なんと呆気ないことか。
とは言え内容がストーリーとして辻褄が合うように出来ているかは、自分では分からない。
でもとりあえずは納得いく形にはなったので、満足している。
そして出来上がると今度は欲が出てきて、公開する場が欲しくなる。
ただ、扱っているのは実在する人物なので、大っぴらにネットに載せるわけにもいかない。
なのでブログを開設することにした。
というか、開設した。
SS公開はパスワードを設定して、安易に人の目に晒されないようにする。
ただここにURLも検索ワードもパスワードも書かないし、そもそもまだ書き上げたSSは投稿すらしていない。
まぁ近いうちに昔百合スレに投稿したSSから投稿しようと思う(過去作は3本しか無いが)。
もしこの記事を読んで、何のグループか分かった人の中に百合スレの住民がいたのなら、SSが投稿されていたスレタイをヒントに頑張ってブログに辿り着いてくれたら嬉しい。
Twitterのフォロワーには、元メンバーを純粋に応援する人や私が百合オタクだなんてこと知らない人、知らなくていい人がいて、この一連の個人的な出来事を書けないので、ここに書いてしまった。
これはインターネットやSNSに毒されると、何処かに投稿して報告したくなってしまうオタクの性だ。
気持ちが悪いと笑ってくれ。
それじゃ、気が済んだオタクは巣に帰るよ。
きっかけは覚えていないが私がそのマンガに初めて触れたのはアニメからだったと思う
思う、と言うのは学生の頃の甘かったり苦かったりする記憶と共に様々な思い出が深みに仕舞われて最早取り出せなくなっているからだ
でもその作品に出てくるとあるキャラクターが初登場してからのめり込むようにハマったのだけは覚えている
どんなキャラクターかの詳細は省くがそいつは一言で言えば破壊衝動の塊みたいなヤツで派手な見た目と物騒な言動が厨二病真っ盛りの当時の私にはものすごく刺さった
さて、このマンガと同時期に私の周囲でにわかに流行り始めたものがある
"BL"だ
古くからある概念であることは重々承知だが私の周囲では同時多発的にこのタイミングで「腐女子」なるものに変貌する人がとても多かった
当然色々なコンテンツの推しCPの話を否応なしに聞かされるようになり自然と私もそういう思考で作品を見るようになっていった
目が合ったから、やたらと突っかかるから、反応が違う気がするからーー願望めいた妄想をいくつも抱いてはコンテンツへの熱と同時にかなぐり捨てて来た
否定的になった訳じゃない
熱量と自信を持ってキャラ同士の関係を妄想する体力が無くなっただけだ
だがアレだけは違った
同時期に流行ったのだから当然このマンガにも同じように有り得ざる関係性を見ていた訳であるがまぁ他のコンテンツと同じように熱が落ち着くと同時にそういう視点も持たなくなっていった
私は当時から軽い"公式史上主義"で二次創作の類がかなり苦手だった
勝手に自分で作り上げた"公式に供給された"と思い込んでいるキャラクター像から少しでも逸脱しているとどうにも違和感として捉えてしまう
"BL"の全部が全部そういう訳ではなかったと言い切っておくがまぁ自分には向いていなかった
ところがそのマンガを読んでる時だけ足を洗ったはずの腐女子が顔を出すのだ
お互いにお互いにだけは負けたくないと思ってそうな所とか本人だけは気付いてない事に真っ先に気付きそうな所とか、まぁ語れば長くなる妄想をそれこそ山ほどしてきたが何故だかマンガで出番があるたびそのCPの解釈に自信が付いていった
その頃にはこのCPへの熱を語る相手はいなくなっていたがそれでもそのまま学生を卒業し、社会人になってもその火は消えることなく燻り続けることになる
この火がもう一度高く燃え上がったのは社会人になってしばらく経ってからだ
このマンガは喜ばしいことに原作がすべてアニメ化していて、さらに劇場版が何作か作られている
そんな劇場版の最新作が私の中の"腐女子"を呼び起こすことになる
内容としては原作の最終章を劇場版らしく素晴らしい演出とネタを盛り込んでアニメ化したものだ
私は実はこの映画の範囲、つまり最終章の原作は未読だったためどうしても見たかったので仕事のクソ忙しい時期だったが無理を言って封切り当日の最終回に滑り込んだ
ーーあの映画館での衝撃を私は生涯忘れないと思う
そう、私が長年抱き続けていた願望は、すべて正しかったのだ
私はそう解釈した
有り得ない、馬鹿げていると何処かでわかっていても捨てられなかった妄想が
こんな事あるはず無いだろうと鼻で笑われてそれでも諦めきれなかった関係性が
この感情はきっと誰にも伝わらないし伝えられない
それでもあの映画の15分を見ると思い出すのだ
あの日の衝撃を
その猫は何処にでもいるような猫で、何処にでも存在するような猫だった。
白猫と出会った日、僕は酷く忙しくて帰宅したのは22時過ぎだった。
家に入ると猫がいた。
それが白猫。
何処からか僕のアパートに入り込んだようで、しかしその猫を追い出すには僕は疲れ過ぎていた。
猫をそのままに眠り、翌朝にも白猫がいた。
最初は幻覚のようなものかと思っていたが、どうやら夢ではなかったらしい。
白猫は僕と目が合っても逃げる気配を見せず、悠々と前足をぺろぺろと舐めはじめた。
朝食はいつも外で済ませるので冷蔵庫を見ても中にあるのは干乾びたたまねぎぐらいで、あとは消費期限の切れた牛乳と半分のバター。
小皿にバターを乗せて猫の前に置くと、白猫はくんくんとバターのにおいを嗅いだ。
そのあとすぐに家を出た。
帰宅するとバターはなくなっていた。代わりに黒猫がいた。黒猫は朝に白猫がいた場所に座っており、寝室で白猫を見つけた。
ベッドの上で寝ており、頭を触ろうとしたところで目を開けた。
白猫は僕と目を合わせながらも何もいわず、ただじっと僕を見つめてきた。
僕と白猫と黒猫との奇妙な共同生活は、このようにして始まった。
「それからどうなったの?」
ベッドから彼女が起き上がるのを背中で感じ取りながら、僕は答えた。
「でも今は見当たらないじゃない」
「ああ、それはそうなんだ。だって彼らは消えてしまったのだし、本当は元々いなかったのかもしれないのだからね」
「どういう意味?」
「二匹の猫はつがいだったみたいでね。一ヶ月もすると、白根の方が妊娠したんだ」
「去勢はしなかったの?」
「ああ。というか、そんなことにまで気が回らなかったといったほうが正しい。そのころの僕はとにかく忙しすぎたんだ」
「放置しておくのは感心できないけど」
「僕も白猫の妊娠が分かったときには、それでも動揺したんだ。里親を探すにしても、そんな知り合いに心当たりはなかったしね」
僕も起き上がってタバコを吸い、冷蔵庫からビールを取って戻ると一つを彼女に渡した。
「気になったこと?」
彼女は既に着替えを済ませていて、ここに来たときの格好のまま僕のベッドに腰掛けていた。
「親猫は白猫と黒猫。じゃあ生まれる猫は何色になるんだろうってね」
「白か黒か、ぶち模様なんじゃないかしら」
彼女は僕から渡されたビールをおちょこのように軽く一口飲み、それから言った。
「僕もそう思ったんだ。けど違った」
僕は窓から未だ明け切らない外を、真っ暗な世界を見つめながら言葉を続ける。
「何が言いたいの?」
彼女は痺れを切らしたように組んだ足の方を少し揺らし、ぴんと綺麗に整えられた眉毛の隙間を僅かに狭めた。
「白猫と黒猫から生まれた子猫はいなかったんだ。でも子猫は存在していた」
僕の言葉に彼女は一瞬、呆けた顔を見せた。それから組んだ足を解き、僅かに前のめりとなってタバコの煙を僕に当てる。
「で?」
「白猫は確かに授乳していた。それは確かなんだ。白猫はずっとゴロゴロと喉を鳴らしていたし、乳房のところは上下に揺れていた。けれど子猫の姿はない。どこにも見えなかったんだ」
「気のせいだったのよ」
「そうは思えないな。いや、僕の言い方が間違っていたのかもしれない。白猫が生んだのは子猫じゃない。別のものだったんだ」
「じゃあ何だっていうの?」
僕の答えに彼女はふっと笑い、それから立ち上がると僕に手を差し出す。
「ちょっと多くない?」
「話を聞いてもらった分だよ」
「そう」と彼女は拒否することなく僕からお金を受け取ると財布に仕舞い、パチンと音の鳴るバッグにしまうと背を向けた。
「その白猫と黒猫は今どこに?」
玄関の方へ歩み出す前に彼女は一度だけ振りかって、僕にそう尋ねた。
「闇の中じゃないかな」
そういって僕はタバコで窓の外を指し、彼女は曖昧に微笑むと玄関に向けて歩き出した。
ベッドに座ったまま彼女が出ていくのを聞き、僕は枕の傍にある虚空をなでようと右手を動かした。
「にゃあ」と一度だけ猫の声が聞こえた気がした。
「私とは無縁のところで、私とは違って鬱屈とせずに生きているOLが腹立たしかった。」気づいていると思うけど、これ典型的な思い込みだし、認知が歪んでいるよね。そのOLだって何か抱えてるかも知れない。
健常と障害のいう苦しみはちゃうよ。明確に違うもの。断言できる。常習的に首に縄かけて2時間迷ったりしてないやろ。
ま、「あなたの認知は歪んでますね」と、ウエメセで偉そうなこと言えるのは、健康で鬱屈とせずに生きてるからだよ。よかったね。嫌味半分だけど普通に羨ましいよ。
それと。
こーゆー人認知の歪みとか行動認知療法とかほんま好きよね。自分が正しいと思っててさ、葛藤も苦悩もない。ずるいからほんまきらいです。
薬飲んで寝るね。おやすみ。元気でね。
・着飾ったOL
・同い年ぐらいだと思われる
・背筋が伸びていてキラキラした感じ
・憂鬱な気分で座席に座っていたところ、満員の通路から押し出されたOLのお尻が接近してきた
・ちょうど視界に尻があったので眺めていた(尻を見るのが自然な位置に尻があった。不可抗力である)
・OLが着飾っていてムカついた
→ストレスフルでまともに洋服を買えていない、化粧も適当であることに負い目があったことが原因だと思われる
・うまくいってそうなOLが嫌な目にあって欲しいと思った(妬み)
・バスがあまりに満員なので、ここでテロが起きたらどうだろうと思いを巡らせていた
・OLが急に殴られたらどう反応するか考えた
・ふとOLの尻を思いっきり揉んだら人生終わるやろなあという考えが浮かぶ
・急に尻を触りたい衝動に襲われた
・痴漢衝動に感動し、しばらくは「初めての衝動」をテーマに思いを巡らせる
・昼食のことなどを考えていたところ、バスにさらなる乗客が乗り込んできたことで、OLがわたしの鞄に尻をぐいぐいと押し付けてきた
・鞄の中の書類がくしゃりと音を立てた
・鞄と尻を見ていると、鞄を押し付ける「バレない痴漢」が可能であることに気づく
マスクで表情の見えない乗客は、満員のバスの中で押し合いへし合いしながらも身を縮め、スマホの中に没入し、誰にも迷惑をかけない置物のように並んでいた。
こちらに干渉してこない、こちらも干渉できない、バスの一部のような乗客に囲まれていることに気持ち悪さを感じた。
私の力の及ばない、ときには眺め、ときには耐えるしかない「秩序ある社会」。
私とは無縁のところで、私とは違って鬱屈とせずに生きているOLが腹立たしかった。
OLが嫌な目に遭って欲しいという妬み。出社したくない・全てを放り出したい・日常など壊れて仕舞えばいい、という逃避願望。その2つが合致して痴漢衝動になったと思われる。
幸い痴漢には至らなかったが、今の3倍程度のストレスがあればやっていたかもしれないと思う。
気ままな独り身ではなく、養うべき子供や払わねばならないローンがあれば。役職について仕事の重圧に押しつぶされていれば。
「ストレスから痴漢に至る」その身勝手さは、女の立場として重々承知だ。しかし、ストレスを溜め込み痴漢衝動におそわれた人間には、(痴漢の欲求を持つ)自己の否定も、衝動を抑え込むことも難しいのかもしれない。痴漢の気持ちがわかり、哀れに思った。
それは主に男性の手指の特徴なのだが、胎児時代に浴びた男性ホルモンの量が多いとそうなるのだという。
それが、自分の性自認と性的指向に、どう影響があるのかはわからないが。
思い返せば、2、3歳くらいの幼児期にはテレビに出てくる女性アイドルばかりに興味を示し、執着していた。
でも、幼稚園以降はわりと普通に恋愛対象としては男子を好んでいた。今のパートナーも男性だ。だが、女性を好きになった事がないわけじゃない。
幼少期は、信じられないレベルの悪ガキで、弟を巻き込んでイタズラばかりしていた。
でも、幼稚園以降は、しょっちゅう同級生女子のわがままに振り回されたり、ハブられたりして、泣くことも出来ずに一人で隅っこにうずくまり、霜柱を踏み潰すとか、石をひっくり返してダンゴムシを見てたりとかした。
可愛いアイドルが好きだったけど、いつもズボンを履いていた……のは、親の意思だったような気がする。
珍しく買って貰えたのが、細かな千鳥格子の布地で出来た、裾に共布のフリル付きの遠目に見ると灰色っぽいスカートで、死ぬほど地味なのがかなり嫌だった覚えがある。灰色って。ピンクや赤だったらきっと喜べた。
おままごとのお母さん役は死んでも嫌だった。
だが、人形遊びは大好きで、やっていたのは完全におままごとで、なのに人形で遊んでいるところを見られるのは絶対に嫌だった。
小学校の頃に、母が友達からVANのパーカーを貰ってきて、それは男ものだったんだが、私は喜んで着た。でも、私以上に母の方が喜んでいたと思う。
以後、母が誰かから貰ったまま押入に仕舞い込んでいたという、ボーイッシュを通り越してマニッシュな、いやおっさん臭い(一応女物ではある)服というのが、謎に沢山出てきた時期があって、当時は偶然見つかったお宝を貰い受けたと自分では思っていて、得したようにも思っていたが、今思えば、上手いこと母に誘導されただけのような気がする。
思春期は、自分の身体が段々女体化してくる事をグロいとしかおもえなくて苦痛だった。
一方で、好きな男子と付き合ってセックスすることを夢見てもいた。
月経困難が酷くて、元気な日が1ヶ月のうちに3日あればいい方だった。
それで同級生女子にも可哀想だと心配され、面倒見のいい女子から何かと気遣われるのが、すごく嫌だった。
女友達と人目憚らずにスキンシップ過剰な付き合いをしていて、男子からはレズは死ねとよく言われていた。
19歳の頃、それまではそこまで思い詰めていた訳でもないのに、急に自分はとても中性的な容姿なんだと思い込み(実際には瓢箪型のデブだったので、どっからどう見ても女だったし、服装がモサかったので、女というよりは産後太りから順当に中年太りに移行したおばさんのような見た目だったと思う。そんななりで男らしくw がに股で肩で風を切って歩いていた様はちっさいおっさんでしかなかったと思う)
友達に半ば無理強いさせる形で「男みたい」「中性的」だと言わせて、有頂天になっていた。
それがある時急に虚しくなり、お水風俗のバイトをやりだし、客から可愛いとお世辞を言われて有頂天になり、以前の「中性的」という名のおっさんおばさんチャンポンムーブは何だったのかというくらい、ゴテゴテの派手メイクのゴスロリと化した挙げ句、初めて付き合った男と唐突に結婚するという離れ技をきめた。
結婚はしたけれど、夫の家族から「○○家の嫁として云々」と言われるのが鬱陶しく、パート先ではダントツに若かったせいで変に「女の子」扱いをされるのが苦痛で、ある日カッとなって頭を丸坊主にしてしまった。
パート仲間のおばさん達から「小猿みたいで可愛いね」と言われて有頂天になった。ついにヒト以下の存在になった事には気づかなかった。
ミニスカートを履いていても「○○家の恥」と言われたが、頭を坊主に丸めたら「お前は俺にわざと恥をかかせようとしているのか」と夫に言われて激しい口論になり、一時的に夫婦関係がマイナス28度まで冷めて険悪になった。
子供が出来るまでに五年くらいかかったが、私の体質のせいで胎児が平均サイズをかなり下回った状態で、予定日を一週間も過ぎて生まれてきた。下の子は完全に低出生体重児だった。
それからは常識の範囲内で色々あったが、現在の私はただのおばさん以上でも以下でもない。夫婦仲も親子仲も良好で、取り立てて言う事はない。言動はもう完全におばさん。
で、今になって思うのは、若い頃の自分はセクシャルマイノリティに何をそんなに期待していたのかということだ。
私の手の薬指は人さし指よりも明らかにずっと長くて、それは母親の胎内にいた時に女児であるにも関わらず沢山の男性ホルモンを浴びたことにより形成されたものと思われる。母体に過剰なストレスがかかるとそうなると言われている。母は昔からいつもイライラしていてヒステリックで家族に当たり散らしてばかりいる人だったから、私が母のお腹にいた時も、やはりイライラムカムカしてストレスフルな毎日を過ごしていたのだろう。
私の手の薬指は人さし指よりもずっとながい。ただそれだけのことで、しかし私の性別が女であることは揺るぎない事実だ。若い頃の私は、「中性的(笑)」ということに変な期待ばかり山ほど抱えた、恥の多い人生を送っていたけれど。
どこにも吐き出せないのでここで話させてほしい。
題名の通り、5年推してたグループのSNSアカウントをブロックした。
名前を出した上でもっと詳しく言うとTwitterにあるハロプロの全ユニットのアカウント、事務所の公式アカウント、ファンクラブのアカウント、とにかくハロープロジェクトに関するTwitterアカウントを全てブロックした。
メインで推してたグループはモーニング娘。、5年前にSexyZoneとコラボした時の歌番組をちょうどリアタイしていて今のモー娘。ってこんな歌上手いんだと感動し、そこから過去のライブ映像とかを漁るようになった。
とにかくモー娘。は曲が多くて、推し始めの内はどんどんどんどん好きな曲が増えていくのが楽しくて仕方なかった。
その内メンバーのことももっと知りたくなって加入時の映像や過去のブログとかも漁りまくった。
Twitterでももちろんメンバーのことを検索した。今思うとその行動がそもそもいけなかったのかもしれない。
その頃には「推し」という存在ができていたのだが、その推しが、めちゃくちゃTwitterで叩かれていたのだ。
確かに推しはお世辞にも乃木坂にいるような可愛い系の子ではなく、どちらかというと中性的な見た目をしていた。きゃぴきゃぴした感じもなく、声も今時のアイドルにしては低かった。自分はそういう子の方がタイプだったから自然と好きになってたんだけど、Twitterに生息するオタクにはそれが気に食わなくて仕方なかったらしい。
堂々と名前を出してブスという人もいたし、歌番組で抜かれるたびに評判が下がるから映すな、しまいには今のモー娘。がテレビに出れないのはあいつがいるからだ、なんて言い出すオタクもいた。
もちろんそんなこと言ってるのは一部の声の大きいオタクだけだったし、大抵のオタクは今の時代アイドルが簡単にテレビに出れる訳ないし、そもそもその頃のモー娘。はとにかくライブに力を入れている印象で、テレビに出れないのはどちらかというと事務所のせいなのでは…という意見だったように思う。
それでも正直最初はめちゃくちゃ心が痛んだ。今まで2次元のアイドルしか推してこなかった自分としては、ネット上で人の好きな子を、というか生身の人間をここまで傷付けることができる人たちがいることに純粋に驚いた。
でもメンバーのことは好きだったからとにかく手当たり次第に叩いていたオタクたちをブロックしてTLを綺麗にした。
ブロックしたのもあるとは思うが、年月が経つにつれて推しが実力をつけていくと、次第に堂々と名前を出して批判するようなオタクは減っていき、推しがオタク全体から評価されるようになってきた。
これでやっと心置きなくオタ活ができる…と思っていたが、そう簡単には行かなかった。
主に叩かれるようになったのはグループのリーダーだった。理由は色々ありすぎて一言じゃ纏められないけど、最初の火種は歌割りについてだったと思う。
モー娘。は歌割りの偏りがあり、主に先輩メンバーで構成される曲が多かった。特にリーダーの子は歌割りがおおく、それが一部のオタクにとっては気に食わなかったらしい。
あいつが歌割りを独占してるせいで後輩が育っていかない、自分が目立ちたいからって後輩の出番を横取りしてる、というような意見が目立ち始めた。
ただ、歌割りを決めるのは事務所だ。そこに不満が出るのであればどう考えても事務所の采配ミスだが、その頃コロナもあってオタク達は純粋に鬱憤が溜まっていたのか、そんな冷静な意見を出せるオタクは少なかった。自然と歌割り問題は「自分の歌割りを譲らないメンバー個人のせい」ということになってしまった。
その内後輩たちが卒業していくと今度はいつまでいるんだと言う声が多くなってきた。仕舞いにはメンバー自身が発信した卒業理由を信じずお前がいつまでもグループにいるせいで後輩が卒業したんだとかいう妄想を事実かのように語り出す輩も出てきた。内部事情など何も知らないオタクがである。
その頃にはもうそういうやっかいなオタクが集まる界隈なんだなと半ば諦めてオタクブロックに勤しみながら現地に行ったりして楽しんでいた。
いつか卒業するものだと思ってはいたが、めちゃくちゃショックで一日何もできない日が続いた。
しばらくして気持ちが落ち着いてなんとなくTwitterを開いたら、何故かリーダーが今までの比ではないほどにめちゃくちゃ叩かれていたのだ。
どのくらいというと、インスタのコメント欄がほぼ批判で埋めつくされるレベルで荒れていた。
今までは伏せ字とかを使ってTwitterでゴキブリのようにコソコソ呟いていたオタク、というかアンチたちがインスタのコメ欄に集結してしまっていた。
まさか本人に向かって堂々とありもしない妄想を並べにくる輩がいるなんてと驚いた。
そして一番驚いたのは事務所の対応だった。これだけ本人に攻撃が集中しているにも関わらず、なんと事務所はインスタのコメント欄を封鎖しなかったのだ。
実はリーダーの子は以前にも厄介なオタクに目をつけられ、オタクに内部事情を漏らしているというリーク(デマ)をされたことがあった。
その後事務所から公式でデマだということ、そして今回の件について法的措置も検討していると発表された。
その時自分はこの事務所はいざという時はちゃんとメンバーを守ってくれるんだと思い安心したのだが、事務所を信じた結果これである。
推しの卒業公演に当たり現場で号泣し、リーダーのブログを読み感動し泣き、そして次の日またそのブログが荒れていた。
理由は全体的な文章が皮肉めいていること、推しの活動期間を短いと表現したことのようだった気がする。
正直自分が読んだ時は皮肉なんて感じなくて、すごく愛のある文章だと思ったし、活動期間については皆推しが卒業を発表した時に大抵のオタクは「(オタクの体感として)短かすぎる、まだいて欲しかった」と言っていた、それと同じ気持ちなんだと解釈していた。
(というかここに関しては他のオタクが指摘していて、叩いていたオタクは「短いって言うのは比喩だから!!」とキレていた。いや、わかってんじゃん比喩だって……)
この流れを見て、せめてリーダーの子が卒業するまでは現場で応援して様子を見よう、という気持ちから、推しの卒業と同時にオタ卒しよう、という気持ちに完全に切り替わっていた。
もう疲れてしまった。リーダーの子は推しの次に好きな子なので余計だった。好きな子のことをエゴサするたび批判のツイートが嫌でも目に入りポチポチブロックするのはもう推しの時だけで充分だと思ったし、ちょうど推しの卒業公演の2週間ほど前から精神的な理由で休職していた。
グループを推し続けられる体力も精神力も今の自分にはないなと薄々感じていた。
オタクは内部事情を知らないし知る権利もないから、もしかしたら内側の部分ではちゃんとメンバーそれぞれのメンタルケアはしてくれているかもしれないが、それをしてくれる事務所だと思えるような信用がもうなくなってしまった、だって本当に何も見せてくれないから、動いている姿勢を。
ここで事務所がメンバーのヘイト管理のために歌割りの再編成をしたり、インスタのコメ欄をすぐ封鎖したり、メンバーへの誹謗中傷について言及してくれたり、要はオタクに対して「メンバーを守る姿勢」を見せてくれれば、たぶんSNS全ブロックなんてせずのんびり在宅オタでもしていたと思う。
でも事務所はしてくれなかった、たいていの問題の火消しはメンバー自身がさせられていた、メンバーはいちゃもんを付けられただけなのに。
内側の部分ではちゃんとしてるかも知れなくても、外側から見てる自分からしたら何もしてないのと一緒だった。
本当に大好きなグループだった。というか今でもメンバーは大好きだ。YouTubeでショート動画が流れてくるたびにブロックを解除しそうになる、でもその度推しのアンチを半べそかきながらブロックしていた日々を思い出しては踏みとどまってしまう。
本当のオタクならこういう時こそ推し続けろよと思われるかもしれないし、自分もそう思ってる部分はある、でも自分はそういうオタクにはなれなかった。
流石にここで書いた内容をオタ友には打ち明ける勇気はなかった、周囲のオタ友は自分が勧めてハロプロを好きになってくれた人たちばかりだから。
そういったこともあって周囲のオタ友には休職を理由にちょっとオタクを休むだけ、とまるでまたハロオタに戻るような言い方をしているが、たぶん会社に復帰しても戻らないと思う。
1人のカメラ好きとしてスマホの利便性は物凄く良い。
何なら総合力としてはデジイチ(レンズ交換式ミラーレスデジタル一眼カメラ)や360°カメラは著しく劣ると個人的には評価している。
最近のスマホカメラの画質は非常に良くなったと痛感するし、カメラ好きだからと言って常にデジイチを構えているわけではなく、何なら日常的な利用頻度はスマホカメラが最も高い。
ただやはり、カメラ専用機にはカメラ専用機の強みがあるのもまた事実で、この強みを知ってしまうとスマホカメラで日常的な撮影から入学式などの式典、アミューズメント施設での思い出記録までカバーできるなどとは口が裂けても言えない。
スマホはやはり総合力が高いだけであって、カメラ専用機のシチュエーションに合わせ特化できる仕様はカメラ専用機の強みであると言える。
従来方式のレンズ交換式デジタル一眼レフカメラ(一眼レフ)の規模縮小がカメラ業界でも決定的となったことはカメラファン界隈では「ついにこの時が来てしまったか・・・」と様々な想いが巡っている。
後継となるデジイチやミラーレスと呼ばれるレンズ交換式ミラーレスデジタル一眼カメラは今後プロシーンであってもどんどん普及していくことだろう。
いわゆる標準画角と呼ばれるフルサイズ換算35mm前後〜50mm前後(APS-C換算23mm前後〜33mm前後)をカバーできるレンズを常にデジイチへ装着しておいてシチュエーションに合わせズームを活用して撮っていくのが良い。
可能ならばレンズ内蔵の光学式手ブレ補正機能が付いているものが望ましい。
子供が生まれてからカメラに目覚める親は少なくないが、これからカメラを購入しようと考えているならば自分の子供が保育園幼稚園の年中(4歳前後)へ至っているかどうかで実は変わる。
これ何故かと言うと行動の活発さ、というかワンパクに遊ぶようになると移動距離と速度が変わるからなのだ。
イメージしやすいところで言うと、生まれたばかりの新生児やハイハイ程度しかできない乳幼児、フラフラと歩くことしかできない離乳食前後の幼児はカメラで捉えるのは簡単、当たり前ながら物理的にそう動かないので撮りやすい。
しかし年中くらいに達すると知能と同時に運動能力もそこそこ向上しはじめてカメラで追うのがちょっとずつ大変になってくるのだ。
駆け回るし、ジャングルジムみたいなのに登ったりするし、キックバイクや自転車へ乗れるようになったりする。
つまり、自分の子供があまり動かない年齢ならばじっくり撮影できることが多いため、レンズにズーム機能は必要がなく、それならばお昼寝などの暗いシチュエーションでも明るく撮影できたり、背景が美しくボケるズーム機能の無い単焦点レンズを選択したほうが安上がりなのだ。親が近寄るのでズーム機能使わないからね!
逆に子供が活発に動くようになった年齢ならば様々なシチュエーションへ対応できるようにズーム機能があったほうが都合良く、ズーム機能が無い単焦点レンズだと困ることが増えてくる。
例えばサードパーティレンズとして定番のSIGMAで単焦点レンズとズームレンズの双方の販売価格を確認すると、その両方とも約5万円からライナップしているがF値と称されるどれだけ明るく写せ、そしてボケるか?という数値を見ると同価格帯では単焦点レンズの方が有利だ。
暗いことの多いお昼寝シーンやお誕生日会でケーキに灯るロウソクを吹き消すシーンなどでは明るく写せる単焦点レンズを使いたいだろう。暗かったらそもそも写らななかったりノイズが物凄く乗るわけだし。
カメラのボディ本体が約10万円からライナップされている現状を考慮すると、レンズ1本を追加で約15万円、子供の成長に合わせて利用シーンを考慮しレンズを選択することで安上がりにカメラを始められるというのはカメラ購入で失敗したくない入門者として知っておきたい情報だ。
スマホでも同様のことが出来るものの多くの人が経験しているだろうが暗い場所でスマホ動画を撮るとノイズが物凄く乗る。
それは最新のiPhoneだろうがPixelだろうがXperia、Galaxyとか関係がなく、ナイトショット機能が搭載され始めたとは言え今度は物凄くブレるのだ。
この原因はスマホカメラへ搭載されるレンズの明るさとイメージセンサーの面積にあり、最近のスマホカメラのイメージセンサーは1インチ面積を持つこともあるがレンズ交換式カメラの入門機へ採用されやすいAPS-Cサイズのイメージセンサーは1インチセンサーと比較して約1.7倍もの物理的な面積の差がある。
イメージセンサーの面積が大きいということはそれだけ受光できる面積を稼げるということであり、単位時間あたりの受光量も増やせるということだ。
それはどういうことか?と言えば、ソフトウェアや近年流行のAIが撮影データを補完する部分を少なく出来るという意味であり、ノイズというのは撮影データの補完へ失敗した粗が出た結果なので、APS-Cサイズセンサーなどを持つレンズ交換式カメラは暗い場所でも明るく綺麗に撮りやすいことへ繋がる。
ただ撮れていれば良いのであればスマホカメラでも良い。しかし子供の表情をハッキリと残し綺麗に撮りたいのであればデジイチの強みが発揮できるのだ。
綺麗に撮りたいという需要は子供の節目節目に起こるものだし、レジャーなど特別な日でも望まれることだろう。
デジイチは明るく撮れるし背景もボケてエモい動画が作れる。
何ならカメラ向けの外付けマイクとかも販売されているので発表会での合唱とかも高音質で撮れたりもする。
こういうの考えると沼になる。
カメラに目覚めた親ならば必死になるイベントの代表格である運動会や発表会。
筆者の経験から結論を示そう。
フルサイズ換算100mm前後〜450mm前後(APS-C換算70mm前後〜300mm前後)のズームレンズが最低限必要。
気をつけて欲しいのは"最低限"という部分だ。
このズームレンズの選択というのはかなり環境に依存するもので、子供が通っている保育園幼稚園学校の施設の広さによって変わってくる。
しかしながら経験則上、フルサイズ換算で100mm前後〜450mm前後未満のズームレンズじゃ絶対に倍率が足りないというのは断言できる。
スマホなんてもっての外だ。倍率足りないしブレるしデジタルズームで画質が粗くなる。
理想を言うならフルサイズ換算50mm前後〜300mm前後、フルサイズ換算150mm前後〜600mm前後をカバーできるズームレンズが2本あると幸せになれるだろう。
ただし予算がそこそこ必要なので多くの人はフルサイズ換算100mm前後〜450mm前後のズームレンズを選んでおけば何とかなる可能性が高い。
スマホやフルサイズ換算35mm前後〜50mm前後のズームレンズで何とかしようとすると間違いなく米粒のようにしか子供が写せないのでこういう機材での撮影は絶対に避けるべきだ。誰も幸せにならない。
これはカメラを始めた親ならば誰しもがぶつかる難問である。
しかしこれも筆者はある程度解決している。
伸縮が容易に行えるカメラショルダーストラップとキャプチャースタイルクイックリリースだ。
伸縮が容易に行えるカメラショルダーストラップとして代表格は「DIAGNL Ninja Camera Strap」、キャプチャースタイルクイックリリースの代表格として「PeakDesign Capture」が存在する。
ただしこれらは代表格なだけあって比較的高価な部類のカメラアクセサリーであり互換品やインスパイアされた製品が多数存在するので予算に不安があるならば互換品やインスパイア製品で良いだろう。
筆者のオススメは「HAKUBA スピードストラップ」と「FALCAM F38 Quick Release system for shoulder strap」だ。
伸縮が容易に行えるカメラショルダーストラップは移動するときはストラップを縮めてカメラがブラブラと振れないようにするもので、子供が急に駆け出しても対応しやしやすくなる。撮影するときはサッとストラップを伸ばして撮影へ移行できる。
キャプチャースタイルクイックリリースはカメラ本体を直ぐに三脚へ取り付けられるクイックリリースプレートを活用して身体へ身に着けられるようにしたもの。FALCAM F38 Quick Release system for shoulder strapはカメラショルダーストラップへ取り付けられるキャプチャースタイルクイックリリースで瞬時にカメラを取り出したり仕舞い込んだり出来て子供への対応が迅速に出来る。
今まで手持ちで移動したり、いちいちカメラをカバンから取り出していた親御さんが居るなら劇的に子供の対応が楽になるカメラアクセサリーなので導入を強くオススメするぞ。
カメラアクセサリーにはトップハンドルというものが存在する。形状の詳細はググってくれ。
ググった人はわかるだろうが、つまりはカメラを運び構えやすくするハンドルなのだがコレがまた子供の撮影、特に動画撮影で非常に役立つ。
スマホであっても既に子供を動画撮影した経験のある者ならばわかるだろうが、親よりも身長の低い子供を撮影する場合は中腰とならなければいけないシーンが多発する。
しかしカメラトップハンドルがあるとカメラの上部から握る形となるので腰への負担が物凄く軽減されるのだ。
たいていの人は素直に両手を下へ降ろすと手のひらは自分の膝の高さになるけれどカメラトップハンドルは手を降ろすだけで自然に膝の高さで撮影が可能となる。
いや本当にカメラトップハンドルを使ってみないと理解してもらえないのだろうけれど仰々しい見た目となる代わりに圧倒的な撮影のし易さが手に入る。
シャッターや動画撮影開始はスマホのリモートコントロールアプリかBluetoothリモコンを使うと容易に切れる。
ちなみにカメラアクセサリーとしてケージリグを導入するとカメラトップハンドルの選択肢が広がる。
まだまだ平均一般人へは普及していないと言って良い360°カメラ、事実として360°カメラの情報記録量はヤバい。
データバイト量が多いという意味ではなく、360°全周を撮影してしまうために撮影者の表情から周囲の環境まですべて画像・動画として収めるので、その場の空気感と言うか何と言うかあらゆるものが記録されるのだ。
これまでのカメラは前面の風景を撮影すると撮影者の表情なんてわからなかった。
別に360°すべてを残さなくとも良い。例えば巨大なモニュメントがあるとするだろう、巨大なモニュメントの全体像を写真として収めるにはある程度は巨大なモニュメントから離れて撮影する必要があるけれど360°カメラは全周を撮影するため通常のカメラよりも接近して撮影できてしまう。それを後からトリミングする。
例えば巨大なクリスマスツリーとか大鳥居とかシンデレラ城とか、通常のカメラを使っている他の観光客よりも近くで撮影できるのだ。近いので他の観光客が写したい風景を身体で隠してしまう可能性も低くなる。当然ながら子供と一緒に巨大なモニュメントを収められる。
動画撮影でも強い。近年の360°カメラはアクションカムとしての機能も有するため手ブレにも強く。アミューズメント施設で子供が四方へ駆け回るようなアトラクションとかでも子供を見失わず記録できてしまう。
迷路とか、四方にあるボタンを素早く押せとか、ボールがいっぱい入ってるトランポリンとか、そういうアトラクションで360°カメラによる動画撮影は本当に強い。
しかも後から欲しい範囲だけ切り出して360°じゃない動画にも出来る。子供だけを収め続けている動画とか作れるわけだ。
防水ケースへ360°カメラを納めればプールでも海でもスキー場でも活用可能で、今まで通常のカメラでは撮影しにくかった環境や固定された画角では収めにくかった環境でも思い出の記録が可能なので360°カメラの登場は本当にカメラに於いてのテクノロジカル・シンギュラリティと言って差し支えないと思われる。
それが学校の発表会なのか、友人との遊びなのか、結婚式なのかわからないが、いつかそんなことを言い始める日が来るのかもなと考えて日々撮りためている。
生後1日目から出せる、笑った顔も泣いた顔も、成功したときも失敗したときも出せる。
99.999%が親のエゴでやってることだけれど、それでもいつかもしかしたらと子供が言い出す日を今か今かと思って待っている。
一家全員、しかも時間差でコロナに感染したせいで、二週間の休みを余儀なくされて、クリスマスに療養期間が開けて復活。
ワクチンが効いたのか、コロナの症状はへヴィー級のインフルエンザくらいで済んだのだが、咳のし過ぎで喉をやられたのが後を引いている。それに、回復してもなお痰がよく出るのもしんどい。ケホンと一回咳をすると、気管支から勢いよく排出された痰の小粒が痛めた喉の部位を直撃。二重に噎せる。
日曜日と被ったせいで劇的に暇だったクリスマスからちょうど一週間後は、日曜日と被った元日。今年はなんだかいつもと違う元日で変な感じだった。日曜日と被った事は関係ない気もするが。
三ヶ日はコンビニの一年間の中でも最も死ぬほど暇な日々のはず。特に元日はめっちゃお客様が来ない。はずなのに、今年は何故か夕方めちゃ混んだ。世の中の人達、お正月に飽きるのが早すぎでは?
というのも、三ヶ日に来るお客様達は大抵タバコか飲み物か年賀はがきが目的で来店するのだが、今年は何故かガチで夕飯を買いに来たお客様が多かったのである。どうせ暇だからと米飯とサンドイッチの注文を少なく抑えた当店……ていうか、どこのコンビニでも元日はそんなもんだけど……コンビニは何時でも何でも揃っているという期待を打ち砕かれて、お弁当の棚を見て回れ右して帰るお客様がとても多かった。
ただ、麺類やグラタン・ドリア・ブリトーはいつも通りの発注数だったらしく揃っていたので、そういうものでも夕飯になるというお客様達は家族ぶんどっさり買って行かれた。
私のシフト時間に売れたもの。沢山売れたというより、なんか目立ったというやつ。まず第一に冷凍うどん。何であんなに売れたのか、謎なんだけど。ひょっとして、お雑煮に餅を入れるのは朝御飯か昼御飯だけで良いって感じで、夕飯は残った汁にうどんを入れて食べるのだろうか。
第二にカップ麺。まあそうだろうなっていう気はする。だって、コンビニのレンジで温める拉麺、高いし。
第三に、年賀はがき。これをお求めのお客様の中には、普通はがきとインクジェットはがきの区別がつかなくて、ご自身の用途にはどっちが合っているのか把握しておられない方がしばしばいらっしゃるのが、ちょっと困る。
第四に、お年玉のポチ袋。高齢者のお客様が慌てて買いに来られて、急いでいたために誤って入り数の少ない大きなお年玉袋を買ってしまい返品に来る、などということもあった。
逆にすごく売れなかったもの。お年賀用の菓子折り。おかげで、熨斗紙に名前の代筆しろって無茶ぶりをされなくてよかったけど。元旦にお年始回りをする人はあまりいないだろうから、当然といえば当然だろう。
元日からメルカリの発送をしに来るお客様もけっこうおられたのだけど、元日に発送するとポイントが貰えるとか手数料が安くなるとか何か特典でもあるのだろうか。
毎年恒例の光景だけどまだ一度も見ていないもの。お年玉のポチ袋から千円札を数枚出して、大量の食料品やお酒を買うアラフォー以上の大人。時には小中学生の子供を連れてお年玉で買い物をしているのだが、それって子供が祖父母や親戚から貰ったものなのでは? それとも、世の中には案外、小学生以上の子供を持ってもなお、自身も親や祖父母からお年玉を貰い続けている中年がいるということなのだろうか。
ちなみに私、二十年前にはスナックでホステスのバイトをしていたのだが、そのときのお客様の中には、子供からぶん取ったお年玉で呑んだり、飲み会の席で友人から貰った出産祝いをその場で開けて仲間に奢る人がよくいた。(そもそもその飲み会というのが、嫁が産院に入院中なのをいいことに夜通し遊んじゃおうぜという会で、みんなで主役に奢るはずが主役がみんなに奢ることになるのが定石なのである。23時頃まで呑んだら、次はキャバクラ、おっパブ、特殊なお風呂、〆はラーメンというコースらしい。)
よく当店にお買い物に来るパキスタン人のお客様達のうちの一名が、最近になって急にコンビニコーヒーのカフェラテにどハマりして、元日もいつものように来店。だが運悪くカフェマシンの洗浄中だったので、売れなかった。
「そうじ何分で終わる?」
と聞かれたので、
「30分くらい」
と答えたが、私のシフト中にそのお客様が再来店する事はなかった。
パキスタン人のお客様達は乳製品が大好きだ。コンビニコーヒーのカフェラテにハマるんだったら缶コーヒーの「極」の白いやつにもハマりそうな気がする。と思ったけど、私は何人だろうがお客様に余計な話をするのが好きじゃないので、勧めはしない。
パキスタン人のお客様達もそうだけど、アジアの西の向こうとかインドヨーロッパ語族的な人達には、日本人女性は皆子供に見えているのか、もしかすると子供を通り越して小動物の一種だと思われていそうだなと思うことがある。
ある時、パキスタン人のお客様達の一人とマブダチの何人か不明のお客様が私の方にスマホを向けて、「ヘーイ、こっち向いて、ピースして~」と言うから何事かと思ったら、ビデオ通話中のお友達に私を見せていた。そこら辺にいる野良猫を撮るテンションで撮ってくる……。スマホの中ではお客様のお友達だという女性が「カワイイ!」と言っていた(お客様が通訳することには)。
こっそりお客様達の財布を観察するのが好き。というのも、自分の財布を新調するときの参考にしたかったからだった。(なお、以前、お客様達の財布を観察するのが好きだと増田に書いたコンビニ店員が「下品だ」とバッシングされたことがあったけれど、あの増田と私は別人だ)
五年ほど前、コンビニでバイトを始めたばかりの頃は、しまむらの、スタッズのびっしりついた赤と黒色の長財布を使用しているお客様が男女ともに多かったけれど、最近それは見かけない。しまむらでも、今はそういうパンクロックな財布は売られていないからだろう。
女性のお客様には、今はルイヴィトンの長財布を使っている方が多い。それ以外は、近くのショッピングモールで時々バーゲンセールされている開運財布を使っている女性のお客様が少し前は多かった。それが、そのモールの婦人服売り場でCOACHの財布が売られるようになると、やはりCOACHの財布を使用している女性のお客様を見かけるようになった。
そして、つい半年前、ショッピングモールに革製品専門店がテナントに入った。そのお店では、三千円以上、二万円以下くらいの価格帯の、お手頃なブランドの財布が売られている。財布の品質の良し悪しはいまいちわからないけれど、見た目はお洒落で可愛いものが多い。
年末に、私はその店で財布を買った。在れもこれも可愛くて迷ったけれど、あまり精巧な刺繍や飾りなどがほどこされているものは、買ってすぐはいいけれどすぐにバッグの中で擦れて装飾がダメになりそうだと思い、シンプルなデザインの物を買った。
で、その時に色々見て迷いに迷ったせいで、そこに陳列されていた財布のデザインを記憶してしまったのだけれど、最近当店に来る女性のお客様達には、あの革製品専門店に陳列されていたのと同じ長財布を使っている人が多いようだ。
私はブランドに疎いから、それらのブランドがどれくらい人気でどこで手に入るものなのか、よくわからない。だから、それらを私が見たのはあの店だけれど、お客様達は通販で買ったかもしれないし、ショッピングモールよりも遠い所にあるAEONとか他の場所かもしれないけれど、でも、もしかすると大体この地域の人達、あのショッピングモールで財布を買っている、という可能性もあるよな……と、思ったりもした。
しかし……、この五年ばかりお客様達の財布を眺めて来て思ったのは、世の中の人々は私が思ったよりも多い頻度で財布を買い換えるのだろうか? ということ。私など、30年前にサンリオショップで買った財布をまだ使っているのに(新しい財布を買ったのに、古いのを捨てられなかった)。
五年前に財布の観察を始めてから、今まで、世の中の人々の持つ財布の形はほとんど変わっていない。ファスナーできっちり閉まるタイプの長財布。カードが何枚も仕舞えて、小銭を入れるポケットもファスナーつき。お札やレシートを折らずに仕舞える。ルイヴィトンから、国内ブランド、しまむら、全てが大体同じ形。
けれど、これらの財布達は、一体何年くらい持つものなんだろうなあ。しまむらの、パンクロックなお財布はまずファスナーがイカれそうだけど、他はどうなのだろう。
先日、お客様の中で合成皮革がぼろぼろになってめくれ上がった長財布を使っているお客様がいたが、素直に見ればすごく物持ちのいい人なんだなということだけど、財布のデザインが最近革製品専門店で見た財布達とあまり大きく違わないので、もしかして意外と脆いのか? と思ったり。
私の新しい財布は12000円で買ったものだが、最近急激に物価が上がっていることを考慮すると、数年前なら半額ほどで買えたくらいのクオリティかもしれない。よくわからないがブランド物と銘打たれているために値段がつり上がっていただけで、物は別にしまむらと大して変わらないとか? 30年前にサンリオショップで買った子供だましの財布の方が、耐久性が有ったりしてな……。などと、仕事が暇な時間に考えた。
走行距離4000㎞ぐらい
丸一日、もしかしたら二日や三日の預かりになったりするのだろうか、知らんけど
というわけで、買い物帰りにスタッフに尋ねてみた
何かに怯えてるような反応が返ってきた
これ知ってるぞ
パワハラに遭って病んでる社員が疑心暗鬼になって神経過敏になってるアレだわ
「今すぐではない。明日でも明後日でもいつでもいいんだけど。どれぐらいかかりますか」
「わからない」
「その日にならないと分からない」
「今すぐできない。いつ終わるか分からない」
こっちの目ぇ見ないし会話したくないって雰囲気がぷんぷんする
ワイ氏は鬱病の女の子に何もかもが怖いと廊下で泣かれたことがある
同じ匂いを感じる
一回は確実に心が潰されてんなあ、と思った
おおまかに丸一日とか半日とかの回答が欲しいんだけど、それすらも得られない
一晩預かってくれんの?迷惑にならんのか?と疑問が浮かんだがそれすらも会話を打ち切ろうとするので聞けず仕舞いであった
病んでるのならば仕方がない
最長三日もあればいけるだろ、と思って改めて今日持っていったら二時間で終わると言われた
え、はや
なんだよそれ
速すぎる
丸一日手放す覚悟でもっていったのに二時間も何すんだよお前ぇ・・・
そういうことなら買い物を預けたあとにするのにおまええええええええええええええええええええ
と一瞬頭が沸騰したが病んだ人を相手に激昂するのもなあ、と思いなした
ワイは優しい
二時間後に取りに来い、と言われた
預かり証なし
電話番号と氏名だけ
まじかよ
いい加減だなあ、と思った
と思ったクリスマスイブであった
個室トイレにスマートフォンを持ち込むことに一定の反感を持っている輩がこの世の中には蔓延っているようだが汚くない。
よく考えてみてほしい。トイレに入る前は手は汚くない。トイレで大小いずれだろうと衣類を下げるだけなので手は汚れない。用を足している間にスマホを触っていてもまだ手は汚れてないので汚くない。
用を足し終わってトイレットペーパーで陰部を拭くとき、このときから手が汚れてしまう可能性が高い。だがどうだろうか、陰部を拭いた手で再びスマホを触るのか?否、陰部を拭くタイミングでスマホはどこかに仕舞うだろう。少なくとも私はしまうかどっかに置く。そしてレバーなりボタンなりでトイレの水を流す。水を流すとトイレタンク上部の水で手を洗うのでここで再び汚くなくなる。
そして汚くなくなった手でスマホを手に取りトイレを出る。どう考えてもトイレでスマホは汚くない。トイレでスマホは汚くないのだ。トイレに入った瞬間に全身が汚染されるような勘違いは甚だ迷惑なのでやめていただきたい。
あれをツイッターとかの自己紹介欄で使ってる人見つけて同好の士かなと思ってリプしてみたらなにか話が噛み合わない、
その原因はそもそも絵文字に含めてる意味が相手と俺で違うのでした(お互い違う作品のカップリングを想起してた)ってことないのかね?
たとえば炎と氷の絵文字で表すといっても、炎も氷もありがちな象徴でそれらのイメージを持ったキャラが両方いる作品なんて一つに限らないどころか下手したら無数にあると思うんだけど。
勘違いしてると気づいた方が指摘してやり取りを切るって流れが一般的なんだろうか?(絵文字から何を想起してるかはお互い教えず仕舞い)
現実で親しい仲であってもなおさら絵文字の意味は教えないものみたいだからなあ。
参考
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11271786381
コロちてくれコロちてくれコロちてくれコロちてくれコロちてくれ
怖い
怖い
つれえ‘’
俺だけ適合できてないのか?LINEむりすぎる。
この先もこの苦しみをシフト送るたびに抱えるの嫌すぎる
ほんとに死にテェ‘
産むなよ滅びる国の最終レーーンにヨォ
圧‘圧‘圧、圧、圧、怖い・。
おしまいだ\ネ。人権先進国として優しい死に場所の提供はよお願いしたいです。
少子化は正しくて素晴らしいので今後も優しさで終わらせて綺麗に仕舞えるといいんじゃないかと・〜・
終 おやすも みんな生まれちゃってかわいそう おっれのLINEのあれは我慢すればいいだけだが
解決できない呪いと課題が多すぎる。下の世代に押し付けるなよ。やばいことしたら滅びろよ
鬱になってきた。。
どっかのやば銀河の生物たちに全て壊してほしい。ミーミチン地球で遊べ。
完
増田は映像系の仕事?大学は文学系芸術系っぽいけどやっぱ哲学系なのかな?南国出張に行った婚約者もち?
地味に自己顕示欲が強そうな増田だから多分この辺はフェイクじゃなさそう
で承認欲求も強そうだから多分Twitterでポエムとかちょっと痛いツイート垂れ流してる
出張先の海かなんかの写真とアンニュイな感じのこそばゆいツイートしてそう
「今日までしかいない、元いた店の名前しか教えてくれない、インスタブロック、返信無し」って冷静に考えなくても終わってるだろ
「こんなに人を好きになったのは初めてじゃない。人生で何度もこんなに物語のある恋ができるのを嬉しく思う。」
「帰り際、僕のどこが好きなの?と聞きました。本当に野暮です。」
最後に非モテじゃないですみたいなの匂わせたり、本当に野暮です。とか付け加えるの本当に気持ち悪い
で気持ち悪いって言われても
「そうだよな、こんな恋するなんて俺、気持ち悪いよな…ハハッ」
まあそういう奴じゃないといくらバズったからって「俺のハートに仕舞ってるフランスの田舎町であった映画みたいな恋愛」追記なんてしないもんな…
キッショ
あのさ、
お盆が明けたらお節料理商戦が始まって10月はハロウィーン一色でしょ、
11月に入ったら即クリスマスシャンシャンムードでもう広場にはイルミネーションてんこ盛りのクリスマスツリーおっ立てられてるし
12月26日から元旦まではなんか少し休憩で大人しくしていて、
もうクリスマスムード満載でお送りする年末までのまだ12月25日はまだまだ遠いわよ。
そんでもってさ、
11月のいい何々の日って語呂が良すぎて11月全部もうなんかいい記念日的になってるので、
いっそのこと11月はいい日の月って全部を言ってしまったらハッピー月間な11月になるんじゃないかしら?
そうアース・ウインド・アンド・ファイヤーさんたちも言っていたわよ。
それはディッセンバーだったわ。
あまりに語呂が良すぎて
11月だし、
食べ物がもれなく美味しくて
白菜安くって助かるわ。
もうトマトが高すぎて買えないのはもう諦めたけど、
最低限の鍋美味しく食べられるので
冬はこれに限るわ。
そんでさ、
こないだ鶏の挽肉買ってきてテクってツクネにしようと思ったけど、
でも消費期限が秒で迫ってきているから早くでもなんとかして食べ切らないと!って押切もえの顔真似をしながら思っていたの。
そこで名案!が閃いたの!
名推理級に。
鶏の挽肉をスプーンですくってそのまま鍋に投入してダイレクトツクネをテクって作ってみたの。
そしたら案外いい出来栄えで
肉のゴロッとした食感がとてもグッドで味も肉感があってジューシーで
テクってツクネにしてこねくり回して作るよりも、
そのままダイレクトにスプーンですくって鍋に投入するタイプのツクネに素直に感動したわ。
え?これもうツクネにする必要ないんじゃない?って
これはダイレクトにスプーンですくって鍋に投入するタイプの簡単何もしないツクネは直球!ってことだと思うの。
あまりに期待せずに食べたその直球ダイレクトスプーン投入ツクネが美味しくて、
またチャレンジしようと思ったぐらいよ。
よくさ
適当に作った自炊料理が奇跡的に美味しく仕上がった出来栄えの完璧な味の時ほど再現出来ないあるあるってあるじゃない。
そういうのって適当だから調味料も何をどのぐらい使ったかよく覚えていない時があるけど、
再現できるできないもないわよね。
ただ鶏のムネ肉かモモ肉かムネ・モモ合い挽き肉だったのかってところが思い出せないけど、
でもまあ最悪この3種類の試し挽肉でやってみたら
正解の直球が投げられるはずだから
多分また再現可能なはずなのよ。
たまーにあるわよね。
だから結構再現性を求めるときはちゃんとお醤油とか目盛りを量って入れたりして覚えておくようにしているけど
勘でやんのもいいけど、
安定的に再現するためにはある程度の勘を育てなくちゃいけないわよね。
よく料理研究家の人が適当でいいんですよ調味料とかの量は!って言うけど
ああいう人たちは一回凄い料理の修業を通ってきた人たちだからこそ言う言葉だと思うので、
安直にそれを信じて仕舞うのもって説も私の中で唱えている事よ。
あんなに料理のプロがプロって調味料計らずとも適当と見える感じで料理を作っていても、
凄いもの凄い料理の修業をしてきている基礎体力が全然違うので、
そう言うことだと思うわ。
でもこの適当ダイレクト鍋にスプーンですくって入れるツミレは適当すぎて、
間違いが無いところがいいわ。
間違いようがないもの。
ある程度の再現性がないとSTAP細胞はありまーす!とも言えないじゃない。
それと一緒のことだと思うわ、
きっと割烹着だけに。
そんなわけで、
いいツクネの日だって、
嘘だけど。
うふふ。
トマト高いのにトマトサンドとかにあるトマトは高くないのかしら?
トマトが高ければトマトジュースを飲めば言いじゃないってそれなんてマリーアントワネット?って言われそうだけど、
買い置き買っておかなくちゃって重い腰を上げて買いに行きたい季節。
レモン炭酸に追いレモンポッカレモン投入のレモン風味増し増しの
冬レモンもいいわね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
いつぞやロッテのガムがエヴァとコラボしてたときに買った綾波が描いてあるガムのボトルを会社でペン立て代わりに使ってたんだけど、職場の若い女から「それ気分悪いんで止めてください(セクハラ)」と言われたんだが。
確かにプラグスーツ着てて胸とか強調されとるが、かわいいのに嫉妬しとんのか?
取りあえず俺は「そうだよねごめん、無神経でした、あはは」とか謝って直ぐに仕舞ったが。
はーじゃあ俺はペンをどこに立てればいいのかと、立たないこのふにゃチンだけにしてくれと、まあ仕事終わりに買って帰ろうと文房具屋にやって来たのでござる。そしたら例の女「やっぱり増田さん来ると思った…。私昼間あんな酷いこと言っちゃったから気になって…」などと上目遣いで俺を挑発してくる。
俺「気にしてない、むしろ君の心にたゆたう、その憐憫にビンビン」
女「やっぱ好きやねん、宮城県」
俺「それでもいい。明けない夜は無いし、止まない雨もないよ。嵐のような悲しみが去って行くまでじっとしているしかないんだ。やれやれ射精した」