はてなキーワード: 注釈とは
・「指輪物語」(1950年代)以前にコナン(1930年代)などのヒロイック・ファンタジーがあった。
→「ソード&ソーサリー」という言葉は60年代に生まれた。
・「指輪物語」の米国での出版(1965)以後、“トールキン的なファンタジー”が広まった。
→当時「トールキンはソード&ソーサリーと呼べるか」論争があった。
→D&D(1974)など冒険者がパーティを組むゲームを通じて、人間型種族やモンスター側種族、ゴブリン、オーク、トロルやハーフリング(ホ○ット)がメジャーになった。
【Amazonプライムのドラマ版】※予想含む
・冥王サウロン(潜伏中)が関わってくる?
・映画版「LotR」冒頭の、サウロンの指が切り取られ、一つの指輪が失われるのが第二紀の終わり
・Amazonプライム版のキャラクター名がエルフっぽいので、第二紀前半のエルフの指輪鍛造のころか?
・若きガラドリエル(別キャスト)やエルロンドの青春時代、闇の森のスランドゥイル(レゴラスの父)も登場か?
森瀬「トールキンがそもそも描こうとしたのが現実の北方人種(北欧系)の世界だから……映画「ホビット」三部作になると人間側の人種バリエーションも広がっている」
【初級課題】
・「シルマリルの物語」「終わらざりし物語」も読んでおくとなお良し。
・これから「指輪物語」「ホビット」を読むならどの翻訳で読むか?
→Apple books(電子版)「指輪物語」固有名詞も良い。
【中級課題】
・The Lord of the Rings: A Reader's Companion という英語の注釈書もある。
・土地勘を養うなら「シャドウ・オブ・モルドール」や「Lord of the Rings Online」。
・The History of Middle-earth(12巻、Kindle版あり)通読ではなく索引的に使う。
・エルフ語学習 映画を見たときにエルフ語パートがわかる喜び。
→「A Gateway to Sindarin」映画の監修者によるエルフ語(シンダール語)解説書。
【おまけ(番組外)】
・“エルフ語”対応のAI翻訳サービス 「指輪物語」パロディーだけではなかった本当の目的 - ITmedia NEWS
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2109/14/news112.html
https://anond.hatelabo.jp/20210912143002
https://anond.hatelabo.jp/20210911215734
割と無理がある話なので、注釈を入れようと思うよ。
まず基本的なことを確認すると、「ベース電源」、もしくは「ベースロード電源」っていうのは、コストが安くて24時間定常に発電する電源のこと。消費の変動に追従するのは難しいけど安い火力や原子力発電を動かしっぱなしにすると良いよね。という話。
そういう話なので、再エネの値段が原発などより下がって、再エネで24時間まかなえるようになったら、わざわざ「ベース電源」という言葉を使う必要はなくなる(原発も火発も廃止される)。というのは正しい。で、「メリットオーダー」という言葉は、各電源のコストを並べているので、「メリットオーダーで再エネが勝ってるから原発も火発もいらねぇ」、というのは一見正しそうに見える。でもそこには2つ落とし穴がある。
これは、元増田も言ってるけど、限界費用(発電に必要なランニングコスト)で決めてるというのがトリック。限界費用はざっくり言い換えると燃料費。もっというと発電設備の建築費などの初期費用は含まないもの。でも冷静に考えたら、初期費用だって消費者が負担してるはずなんだよね。メリットオーダーはあくまで電力卸取引市場での指標であって、消費者が支払うコストには初期費用が減価償却的に含まれる。にもかかわらず、メリットオーダー主義で再エネを増やすとどうなるか?国民が負担する電気代がドコドコ上がるのである。逆に言うとそのつもりがないなら原発や火発はまだまだ現役になる。この手の話に興味のある人なら、「太陽光は高い」、「原発は安い」という話を聞いたことがあると思う。これとメリットオーダー云々は実は矛盾なく両立するのだけど、これはメリットオーダーには初期費用などを含まない、というカラクリがあるから成り立つ話。
ドイツなんかはこの辺無視してメリットオーダー論などでゴリ押しして脱原発と再エネ増強を推し進めてるので、電気料金は2000年代の倍にまで膨れ上がっている。これについては、ドイツのような「再エネを増やすためなら国民が苦しんでも構わぬ」スタイルは菅直人が日本でもやっている(一般消費者の電気料金に、高いのに無理やり増やした再エネ分の価格が再エネ賦課金として上乗せされている)ので他人事ではない。一般消費者や産業界から批判されて減速しているが、今でも再エネ増強至上主義と国民負担軽減派で綱引きをしている状態である。
なんであれ、メリットオーダーなどではない、本当の意味で「再エネの方が原発や火発より安い」日が来ない限り「ベース電源」という言葉は生き続ける。
要は、再エネを増やしすぎると電力網が変動に耐えられず破綻するよ。って話。再エネは出力が安定しないが、電力というのは24時間365日「消費電力=発電電力」でないとならない。雨の日で太陽光パネルが発電しなくても工場は動くし、風の強い日にガンガン風車が回っても消費者は寝てるかもしれない。これを逸脱すると、普通に停電が起きるようになる。ヨーロッパやアメリカ一部地域で停電が多いのはそれも要因になっている。
現状再エネの変動にどう対処しているかというと、まずは広めの地域で電力網を接続することで、変動をマシなものにしている(平滑化)。つまり「こっちの地域は曇って太陽光の発電が減ってるけど、あっちは晴れてるから変動がマシになってる」的なやつである。とはいえ、それは限界があるので、日本の場合だと揚水発電を含む水力発電のような変動に追従できる電源が吸収して最終的には帳尻を合わせている。そして、そこの吸収力を超える分は電力会社が拒否している。無理に吸収すると電力価格が上がるからである。
ヨーロッパはドイツの先導で「吸収できるかどうかなんて関係ねぇ、再エネ増やすぞ」をやってるので、電力会社(というか電力網)は再エネを拒否しない。ヨーロッパは日本より広いので平滑化は上なのだけど、それでは足りないので変動を全然吸収しきれてない。どうしているかというと、値段が上がる代わりに変動に追従できる火力発電を炊いたりしてなんとかしている。前述の電力価格上昇の一因にもなっているし、ドイツは気候変動対策も掲げて再エネ増やしたはずなのに、二酸化炭素排出がなかなか減らないという状態に陥っている。
現状「再エネ先進国」として元増田が想定しているであろうヨーロッパ各国は、原子力や火発をベース電源的に動かしている(のでそもそもその時点で「ベースロード電源という概念は、再エネ先進国ではもう意味がなくなった」はおかしいのだけど)ので、再エネで本当にベース電源という概念を捨てるためにはもうひと頑張り再エネを増やす必要があるのだけど、実際にはもう相当無理が来ていて、元増田が推している電力卸売市場でも「負の電力価格」がちょくちょく出てきている。つまり「金を払って再エネで発電した電力を吸収してもらう」という状態である。今の所負の価格発動はあくまで短時間ではあるが、更に再エネを増やせば当然こういう時間は増えることになる。この辺さらに無理をすると、発電屋さんから電力網への電力の売値が平均値でも下がりすぎるということなので、再エネ発電屋さんは初期費用を回収できなくなるので発電事業が成り立たなくなる。この辺は1つ目の落とし穴とも絡む話である。
ベース電源が消えるためには上記を解決しないといけないが、現状は解決していないので、ベース電源という概念はまだまだ現役である。というのが結論。まぁ、ドイツの電力価格がガンガン下がったり、火力発電の発電割合が下がって来ないうちは、そのへんは解決されてないと思って良い。
基本的にヨーロッパの政治は、日本的な「実現可能そうな目標を掲げる」ではなく、「最初に無理な目標を掲げて、何年もかけて実現可能レベルに修正する」という流れがあって、有権者もそれを許容しているところがある。ドイツの脱原発とかもそう。それは別に必ずしも悪いことじゃないのだけど、最初のぶち上げのときにもそれなりの論理が求められるので、政治家がハチャメチャ目標を掲げる時にはシンクタンクによるハチャメチャ試算がくっついてるのがヨーロッパである。日本でも少子化対策について政府が出してる試算に無理がありすぎるとかって時々話題になる(いつの試算でも2~3年後には出生率がV字回復を始める試算になっている)が、ヨーロッパでもそれはあるというか、よりひどい傾向がある。なのでヨーロッパ発信の先進的なアイデアについて、それらしい試算が出ていても眉につばを付けたほうが良いよ。って話。
そういう背景があるので「baseload outdated」とかってググるとそういう記述は出てくるかもしれないけど、今の所はそういう記述は活動家が「そういうことにしたい」から書いてるだけだと思って良い。まぁ、そもそも日本語でも「ベーシックインカムをやるしかない!」とか「英語学習には「ながら聞き」が最適解!」とか突飛な記事なんかいくらでも出てくるので、そもそもある記述がグーグル検索で引っかかるからってそれがその言語圏での常識ではないよね。というリテラシーも欲しいところである。
元NHKアナウンサーで現在はTBS「報道特集」のキャスターを務める膳場貴子アナが8日、自民党総裁選に立候補した高市早苗前総務相の出馬会見に出席。厳しい質問で迫った。
質疑応答で指名された膳場アナは「TBS報道特集の膳場です」と名乗ると、高市氏は初めてその存在に気付き「あ、膳場さんですか。こんばんは」と思わず、驚きの声を上げ、笑顔を見せた。
膳場アナは「こんばんは」と早口で応じたあと、「政権構想では、経済的な弱者や格差の解消にほとんど言及されていないので、どういうお考えなのか是非、おうかがいしたいと思います」と質問すると見せかけ、「ちなみに、高市さんは2012年の『創生』日本の研修会で、社会保障を考える文脈でこういうことをおっしゃってます」と続けた。
そこから「『さもしい顔をしてもらえるものはもらおうとか、弱者のフリをして、少しでも得をしようと、そんな国民ばかりいたら日本が滅びる』こういう風に発言してらっしゃいます。あの、困窮する国民をどういう目でみてらっしゃるのか、確認をさせてください。その上で、この発言について弱者への視点が欠けている不安、批判の声があるが、どう受け止めているか聞かせて下さい」と迫った。
人気アナの戦闘モードに、最初は笑顔だった高市氏も次第に表情はこわばった。しかし発言が民主党政権時に生活保護の不正受給が問題になっていたときの発言でだったと注釈し、困窮問題などへのさまざまな政策を並べた。しかし発言に正面からは向き合わなかった。
その上で、「私に対して非常に色がついていると見られるというご指摘だが、これが私です。私は私の信念を持って、政策を発信してまいりましたし、実行もしてきた。今のありのままの私を、みなさまがどう評価していただけるのか、あんなんじゃダメだぞと言われるのか、そのまま自然体でいていいんだよと言って下さるのか、それは分かりませんが、これまでのことも含めてこれが私でございます。わりと素直な方で、同僚議員のアドバイスにも柔軟に対応してきた方です」と情感に訴えた回答でかわした。
なにこれ?
本物語は、王政や王族といった貴族制度を肯定するものでしょうか?
王政は、民主主義を基本的価値観とする国際社会においては容認し難いものですので、
祖母の死に関連して、自分の感じた後悔と、自分の気持ちに対する懺悔を、ただでさえ持ちの悪い僕の記憶が風化する前にどこかに残しておきたくてここに記す。
祖父が死んでから10年目のあの夏、言い換えればばあさんの一人暮らしが始まってからの10年目の夏。ばあさんももう結構参ってしまっていたんだと思う。
家からばあさんの家が近かったこともあって、何かあったらばあさんの家に遊びに行くほどのおばあちゃんっ子だった僕は大学に入って一人暮らしをしてからも暇を見つけてはばあさんに電話を掛けたりしていた。
そんな僕から見ても電話をするたびにばあさんがやつれていっている気がしていたのを今でもなんとなく覚えている。
そんな夏のある日に、いきなり親父から電話がかかってきたのを覚えている。
つい数日前にばあさんと電話をして、来週帰るからその時にあいさつに行くねなんて言っていた僕はその電話を聞いて信じられない思いだった。
その直後に教授とのミーティングの予定だったのだが、それをキャンセルしてすぐに帰省の準備を始めた。……はずだ。
~~~
すごいね、人間の記憶ってのは大事なことに対してもすごく曖昧で、ここに帰省の準備を始めたって書いた瞬間に、帰省の準備を始めた記憶とその実感がわいてきてしまう。
出来る限り覚えている事実を元に書きたいけれど、あいまいな記憶をもとに手探りで書いていくからたぶん事実と違うこともたくさん書かれてしまうと思う。
なるべくあいまいな記憶をもとに書かれた文章には「はずだ」とか、注釈だったりをつけて対応していきたいと思うよ。
~~~
そして帰るまでだったか帰ってからだったかのどこかで、父親から追加で連絡があったはずだ。
いつ連絡が来たかの記憶すら定かではないし、どのような媒体で連絡をされたのかも定かでないけれど、知らされた内容だけは覚えている。
「ばあさんが死んだ。それは自然死ではなくて、自殺だった。そしてこのことは秘密にしておいてほしい。」
どうやら、ばあさんは自殺を試みて、無事死ぬことができたらしい。今の僕の価値観だと自分で死を試みるほどにこの世界から去りたくて、これを完遂できたのならそれはもう僕がとやかく言えることじゃないのかなという気もするけれど、この時の僕はまだそこまで割り切ることができていなくて純粋に悲しんでいたのだと思う。
僕の叔母(つまりは父の姉)の元にばあさんからまるで最後の挨拶かのようなメールが届いたらしい.
それを見た叔母は父に連絡を取ってばあさんの家に行ったとのことだ。
そこでばあさんが首を吊っているのを見つけたという。
ばあさんをおろした時はまだ、ばあさんの体は温かかったらしい。
~~~
あぁ、たぶんこの話を聞いたのはまだ実家に帰る飛行機に乗る前だ。飛行機の中でどうしようもなく自分に問いかけていた覚えがある。さっきと一緒でもう今の自分の中には飛行機の中で自分に問いかけていた記憶ができてしまっているけれど、たぶん飛行機に乗る前だ。
当時の人との連絡の記録を後で見返そうかなとも思うけれど、自分がそれで死んじゃわないか心配。
~~~
どうにかして実家に帰った後、ばあさんの家に遊びに行った。
ばあさんの家の机の上には遺書が置いてあって、そこには涙の跡もついていた。
この時、本当に涙の跡ってつくんだって思ったのを覚えている。
多分この涙の跡は叔母の涙の跡で祖母の涙の跡ではないのだけれど、それでも涙の跡のある遺書というのはなかなかに来るものがあった。
そのまま遺書を読み進めると、もう、一人でこの世界で生きていくのが辛かったらしい。
遺す人たちに対する謝罪のあたりで読んでいた僕まで泣いてしまった。
~~~
遺書の内容は要確認。ほかにどんなことが書いてあったかは確認しておきたい。
~~~
遺書を読み終えた後はばあさんの遺体*が安置されていた祖母宅の近くの葬儀社に向かった。どうやら叔母がばあさんの近くに付き添ってくれていたようだった。
*最初、無意識のうちに死骸と書いていた。どうやらあれだけいとしく思っていた祖母でも、死んでしまえば等しく死骸であるみたい。
丁度、父の従姉妹たち(つまりは祖母の姪)が到着したところみたいで、ばあさんを見てみんな泣いていた。僕が到着するのを見ると、みな僕がばあさんっ子だったのを知っていたみたいでせっかくだからと僕とばあさんを二人きりにしてくれていた。どうやら、泣かない僕を見て「他の人がいる状態では僕が泣くことができないだろうから」という思いやりかららしい。
せっかく最後にと僕と祖母を二人にしてくれたのに僕は全く泣けなかったのだ.
それどころか, その時の俺の心にあったのは, [首を吊った死体の首には本当に縄の跡が残るのか]という好奇心だった.
せっかくの首を吊った死体と僕しかいない状態で, 僕が部屋から出てくるまでは誰も部屋に入ってこないと約束されている状況である. そんなの今後の人生で二度と来ないであろうチャンスじゃないかと.
そこで死体の様子をうかがうと, やすらかな顔をして化粧をされている. そして肝心の首は, 状況が状況だからかしっかりと隠されていた. ここをめくるだけで僕は僕の好奇心を達成できる.
ただ, どうしてもなけなしの倫理観が邪魔をしてその覆いをとることはできなかった. やはり遺体を、それも僕が生前一番なついていたばあさんの遺体を自分がいじることはできない……と。どうしても僕の記憶に残すばあさんとの最後の二人きりの思い出をそんな穢れた好奇心で汚すことはできない……と。
せめてもの抵抗にと最後に祖母の頬を触った. ドライアイスに冷やされてとても冷たかった.
ただ, どうしても俺は, 祖母の首に縄の跡が残っているかいないのかを確かめたいという好奇心を消すことはできなかった. あれだけ僕を愛して, かわいがってくれていた祖母に対して孫が抱く最後の望みが, その死にざまが残す跡を見せてくれという穢れた好奇心で本当にすまないとは思っている. ただ, 本当に僕はただ好奇心のケモノとしてここまでの時を過ごして来てしまったからか, どうしてもその欲望を消すことができないんだ.
ばあさんの眠る部屋を出て叔母にあいさつをして実家への帰路に就いた。このとき、泣くことができた?という質問に対して僕は苦笑を返すことしかできなかった。きっと叔母は僕が照れていたと思っているのだろうけれど、僕としては泣けてないんだよなぁという思いしかなかったわけだから。
実家に帰った後は通夜と葬式に関する準備をすすめ、親族として葬儀の受付などを行い、最後に棺に花を添えてばあさんを見送った。この時、火葬場に送り出されるばあさんをみて泣けて少しだけほっとした。
そして火葬場で焼かれた祖母が出てきたときに俺が思ったのは, やはり[もう, 祖母の首に縄の跡が残っているかどうかを確かめることはできない]というおもいだった.
父と叔母に[祖母の首に縄の跡が残っていたか]ということを聞くこともできない俺にはもう, これ以上事実を確かめるすべはない.
この後悔は一生ついて回るだろうし, 祖母の死骸を前にそんな穢れた好奇心が湧き出してきたということに対する懺悔も一生続くことだろう.
https://automaton-media.com/articles/newsjp/20210817-172525/
めっちゃ簡単に説明すると、ショートカットヘアー好きのstrawderryst氏が
FF7リメイクのティファをショートカットにアレンジしたCGを投稿して
と参戦するも、発案者のstrawderryst氏に
と注釈までつけられる羽目になった。
「本日未明、3丁目の住谷ギョルゲ氏27歳が1丁目1ブロックの鈴木ミチザネ氏宅に窃盗目的での侵入を判断しました」
「これを受けてペディア評議会は住谷氏の認識の自動ダウンライトを即座に実行」
「住谷ギョルゲ氏は今後意識が落ち着くまで、『窃盗』という言葉・行動の代わりとして『草むしり』を認識するようになりました」
「ペディア評議会は住谷氏窃盗の判断理由を生活困窮のためと発表しております」
「皆様におかれましては住谷氏への支援策として草むしりの代行依頼を募集しております」
「詳しい料金や時間設定におきましてはペディア評議会HPをご覧ください」
「住谷氏の今後についてはクラウドファンディングでのワークプラン創出を予定しております」
テレビでは今日も地方のさえない男性アナウンサーがご近所ニュースを読み上げている。
私はソーメンをすするのを止めて、「うちの草むしりも住谷さんに頼めばよくない?」と母に呼びかけた。
「嫌よ。空き巣しているつもりでうちに来るんだから、草むしりするの夜中とかでしょう。気持ち悪くて眠れないわ」
母はちらりと窓の外の庭を見ながら答えた。
やはり雑草の伸び具合は気になるらしい。
「たぶん留守中指定もできると思うよ。お母さんが手続きが面倒ならおこづかいくれるなら私がしてもいいよ」
「あたしはダウンライトゥンを利用するのが嫌いなの。悪事を判断したからって利用するのは社会的制裁みたいで前時代的だわ」
今日も母は手ごわい。しかし夏休み明けまでにどうしてもあと2000円だけほしいからあきらめるわけにはいかない。
「そういうダウンライトゥン差別の方が古いよ。報酬は払うんだからただの社会的支援よ」
「社会支援なら、彼がオーバーライトされてクラファン開始されてから依頼するわ。どうせ悪趣味なペディア協議会のことだから草むしり会社の立ち上げでもさせるでしょ。この話はおしまいおしまい」
そう言って、母はごちそうさまをして、自分の食器を片付け始めた。
「それで今回は何が欲しかったの?」
ソーメンを食べ終わった私に、麦茶を注いで私に手渡しながら母は言った。
もう少し、座ってなさい、話をしましょうということらしい。
「ほしいって何のこと?」
「さっきの草むしりの依頼でお小遣いが欲しいって言ってたでしょ。欲しいものがあるなら直接言ってくれればその分の代金は渡すのに」
「だってさー」
「だっても何もないわよ。言ってごらんなさいよ、化粧品?服?それともどこかデートでも行くの?」
「そんなんじゃないよ。言っても買ってくれないでしょ。ペディアの20thアニバーサリーバージョン」
母は露骨に嫌な顔になる。
「あんた、脳内メモリどんだけ拡張するつもりなの?もう入っていない言語の方が少ないんじゃない?」
「そんなんじゃなくてさー、今度のペディアには動画の20倍速再生理解モードが入ってんの。10年分くらいアニメ知識足りなくて、友達との話についていけなくてさー」
母と私は同時にため息をつく。こいつ話が通じないわとお互いに思っているのだろう。
「ペディア19じゃダメなの?今度のペディア20はメモリ拡張の他に15年ぶりの語彙アップデートもあるでしょ?少し様子を見た方がいいんじゃないかしら」
また母はどこかで陰謀論をかじってきたらしい。
「語彙だけじゃなくて知識と技術のアップデートもね。相対性理論の理解から大型クレーンの運転技術まで。ペディア前は習得困難とされていたものだって引用と実行に1秒もかからない。そんな世界の転換からもう20年も経っているんだから少しはペディア開発会を信用したら?」
今どき、ペディア4を使ってるのはお母さんくらいよとも言ってしまいたくなる。
「あたしだって信用したくないわけじゃないの。さっき気持ち悪いって言っちゃったけど、ペディアの犯罪抑止目的での思考監視と認知変換でたしかに犯罪は世界からなくなった。でもそれと同時に無くなった言葉もあるじゃない」
まあた、この話だ。母と同世代かそれより年上のインテリ(死語)たちはこの手の話題が好きすぎる。
「はいはい禁語ね。差別的な言葉やそこまでいかなくても過度に区別する意味のない言葉、体に害ある行動や文化の言葉が語彙としてペディア内から削除され、認知すらできなくなる」
私はかぶりを振った。
「それの何が悪いの?歴史理解に必要な言葉については多くの注釈付きで別の妥当な言葉に置き換えられるだけだし、ペディアが禁語にしたとしても、新しく発見され別の言葉が充てられるだけのケースもあるじゃん。あの何だっけ、日本版のワンピースのサンジが吸ってるの」
「『タバコ』ね」
母はペディア4使いの古い語彙を言ったのだろうが私には『ね』しか聞こえなかった。
「たしかに私はその言葉を聞くことすらできないけど、『ケミリル』って同義の言葉は知ってる。そんなワンピースを読んだオタクが作った語彙が生まれて私たちの世代には広がってる。消された言葉でも必要な言葉なら再生産されて拡散される」
「でも何度再発見されて再生産されてもペディア評議会に弾圧されて消される言葉もあるわ」
そうつぶやく母は悲しそうな眼をしていた。
「それって本当に差別的な蔑称とか区別することが社会的害を及ぼす存在に対する言葉だけでしょ?不必要じゃん」
「あんたにはわからないでしょうけど、侮蔑的な言葉を言ったり、書き込んだりすることに自由を感じた世代もいるのよ」
「ただの懐古趣味でしょ、そんな非生産的なことこそアップデートしなきゃ」
母は少しためらいながら「それがあたしたち世代には人間らしいことだったの」と言った。
「さあ午後は『人間』らしいことしましょ」と母は立ち上がって言った。
「何言ってるかわからないんだから意地悪しないでよ、何するの?」
トヨタカレンダーなるものがツイッターでTLに上がってきたから書かしてくれ
地元に燕三条産業カレンダー(通称:産カレ)という文化があって
(トヨタカレンダーは休日数121日だから俺からすれば十分だと感じてしまう)
※この休みを守っていれば1年単位の変形労働時間制には抵触しません
てな事を書くから地場の企業や個人事業主はかなりの数が採用してやがる。
https://tsubame-cci.or.jp/1561/
https://www.sanjo-cci.or.jp/calendar/
それでもまともな会社はそんな物を採用せずに通常カレンダーに近しい形で休む会社も勿論ある、例えば
上記みたいな業界によっては名の通っている所は一般的なカレンダーに近しいと思う。実際のところは勤めてる人しかわからんが
けど先に言った通りかなりの数が年間休日数を107日に設定してるんだ
どれくらいかって言うとハローワーク開いて地域を新潟>燕市・三条市・加茂市あたりにしてみてくれ
107に加えて差別化(笑)の為に1日2日増やしたり減らしていたりする会社があるから休日数100日以上と110日以上で調べてみようか
(農作物製造求人・畜産系求人とそれらに伴う食品製造業の場合は107どころか90日切っているパターンもあるけど産業カレンダーとは別問題)
8/6(金)現在だと
年間休日100日以上の求人の中に110日以上の求人も含まれているからそれを除外すると
年間休日100~109日(産業カレンダーに準拠されていると考えられる求人件数)は848件になる
ちなみに年間休日数120日以上は検索すると185件しかないし、121日以上にすると99件だ
トヨタカレンダーの年間休日数121日未満の求人数が1,360-185で1,175件あるって事
産業カレンダーじゃなくて通常のカレンダーと同じ量休もうとしただけで求人数が10分の1になるってどうなのよ
って思うかしれないけど自社が休みでも取引先が動いてると否応なく出社しなきゃいけないパターンがあるんだわ
てか商工会議所とか地場の会社の偉い人が集まってんだから名前乗ってる会社と団体は"参考"とか言ってないでこのカレンダー通りに休めよな
https://tsubame-cci.or.jp/about/organization/
https://www.sanjo-cci.or.jp/abouts/
https://news.tv-asahi.co.jp/news_economy/articles/000224300.html
この記事に対して概ね1割という数字の低さに安堵するブコメが多かったが、
やはり若年層に対してもワクチンを積極的に接種する意向がない層に対する批判があったのでデータを元にその批判の正当性を検証してみた。
7月27日時点のデータを元に年代別の累計感染者数、死亡数を元に死亡率を算出。
本当は重症化率も出したかったがデータ元のサイトから年代別で累計の重傷者数(または入院者数)が取得できず、
また他のソースでの情報収集も可能そうではあるが、ソース元が異なることでデータの整合性が担保できないため死亡率のみ算出。
〜9歳 | 10代 | 20代 | 30代 | 40代 | 50代 | 60代 | 70代 | 80代 | 90歳〜 | |
陽性者数 | 30429 | 68031 | 200693 | 133347 | 129247 | 114054 | 70318 | 59820 | 42247 | 16276 |
死亡者数 | 0 | 0 | 9 | 28 | 116 | 313 | 980 | 3047 | 5249 | 3005 |
死亡率 | 0.0000% | 0.0000% | 0.0045% | 0.0210% | 0.0898% | 0.2744% | 1.3937% | 5.0936% | 12.4246% | 18.4628% |
データ元 厚生労働省 データからわかる-新型コロナウイルス感染症情報-
ワクチンによる副反応については副反応の有無、重症化、死亡いずれのケースに関しても、
現時点でそれがワクチンの副反応によるものなのかの断定ができず、あくまで「副反応疑い(副反応の可能性がある)」報告ケースとしての実数を参照。
※重ねて注釈を入れるが、この死亡件数を見て全てがワクチンを要因とする死亡では無いことに留意。
日本ファイザー | 日本モデルナ | 米国ファイザー | 米国モデルナ | 英国ファイザー | 英国モデルナ | |
摂取回数 | 39,218,786 | 959,165 | 28,374,410 | 26,738,383 | 29,000,000 | 880,000 |
死亡報告件数 | 453 | - | 510 | 456 | 439 | 5 |
死亡報告/100万回 | 11.6(※17.3) | - | 18.0 | 17.0 | 15.1 | 5.7 |
死亡報告率 | 0.0012% | - | 0.0018% | 0.0017% | 0.0015% | 0.0006% |
※100万人当たり死亡報告数。2回摂取している人がいるため100万回当たりと、100万人当たりで数値が異なる。
データ元 厚生科学審議会予防接種・ワクチン分科会副反応検討部会資料
https://www.mhlw.go.jp/content/10601000/000802395.pdf
などなど不確定要素ばかりの中で自分も断定的に是非を述べるつもりはさらさらない。
しかし表面的なデータでは20代以下に関してはワクチン接種のリスクがコロナ罹患リスクを上回る「可能性」がある。
集団の安全性のみを考慮するのであれば当然若年層も含め全員がワクチンを摂取し感染抑制を図るのが望ましいが、
それがもし強制・半強制的な空気が醸成されてしまえば若年層にとっては「年寄りのためにお前の命をかけろ」と言われてるのと同義となることに留意しなければならない。
また、ある程度運の要素も絡んでしまうコロナ感染に対して、ワクチン接種は自らの意思(または他者からの推奨・強制)で行うことになる。
そこに心理的なハードルがあることも当然留意した上で若年層のコロナワクチン接種意向についてはある程度の配慮をして欲しい。
はじめに自分の政治スタンスを説明しておくと、非自民党支持者で、また地方住まいかつノーテレビのためオリンピックは可能ならば中止それがダメならばワクチンが行き渡る2022年まで延期というもの。なので、ワニウエイブ氏の記事が仮に彼の note で発表されていたのならば「語調はキツイがこれもまた東京五輪開会式のレビューであるな」と受け取ったと思う。ただそれが政治的中立に見えるゲーム専門メディアに発表されたのがショックだった。
目次
「東京オリンピック開会式への怒りと絶望…ゲームへのリスペクトがない演出とそれをありがたがる人々が許しがたい」 https://www.gamespark.jp/article/2021/07/25/110634.html
というものだ。自分が最も疑問に思うのがこれは誰に向けて書かれた記事であるのかと言う点だ。はたして Game*Spark の読者に向いて書かれた記事なのか?
自分は、開会式でゲーム音楽使われて喜んだ大衆の大半は、非日常でよく知った音楽が流れてきたから単にアガっただけだと感じている。そこに国家威信の誉もなければ愛国も何もない。そんな気持ちが大半の読者に対して、実際に開会式を見ていない人が「自らの政治スタンスを自覚しろ。楽しむのは現政権を支持するのと同じだぞ」と攻撃的に主張するのはいちゲーム専門メディアとして良いやり方なのか?自分はそうは思わない。
また仮に読者を攻撃するような内容ではなく、あくまでワニウエイブ氏がそう感じているだけであるという内容であったとしても、最終段落の
秋には衆院選がある。もちろん選択は自由だが、老人たちに「ゲームファンは大増税しても何しても、ゲーム音楽を流してれば文句言わずに従うチョロい連中」などと思われないことこそが本当にゲーム文化を守ることや、リスペクトすることにもつながるはずだ
というのはライターの政治性が強すぎて、中立的なゲームメディアを標榜するならば絶対に排除しなければならなかった。この文から始まる段落は「政治家の老人達を落とすために選挙へ行け」という主張になっていると思うが、これまでの前提と合わせると 政治家の老人達=オリンピックに関与する与党政治家 となり、この段落は自民党の政治家を落とすために選挙へ行けという主張になる。重ねて言うが、特定の政党を擁護/批判するようなものを中立的なゲームメディアが載せることは絶対にあってはならないものだ。なぜ政治批判に繋げる?なぜオリンピック組織(IOC、JOC、東京都)批判を超え衆院選という国会の話を持ち出すのか?
めちゃくちゃ些末だけど「『ファイナルファンタジー』や『サガ』シリーズは、“かみ”を殺したり、環境テロリストが主人公だったり、その世界の仕組みそのものを恨むような反権威的なシリーズのはずだ」これ前者のゲーム(FF7)が環境テロリストで後者(サガ1)が神殺しなので、前段と後段がチグハグな説明になっていると思う。
「7月25日掲載のオリンピックに関するコラムにつきまして」 https://www.gamespark.jp/article/2021/07/27/110661.html
二日後に出された編集長の声明は、記事の賛否を受けたものとして完璧な内容に思う。記事を削除したり、チェック不足と言い訳したり、ライターの責任としたりするようなことはしていない。ライターに記事の依頼をしたこと、批判を覚悟して掲載に至ったこと、そしてすべて編集(部|長)の責任であることをはっきりと宣言し、ライターおよびその記事の内容を守ることを表明している。だからこそ自分は「読者を攻撃する文調かつ政治的中立とはとても言えない」コラム記事の掲載を問題ない判断した編集部と編集長に失望を覚えた。なぜならば、このレベルの内容ならば今後も編集部として注釈なく掲載するつもりであることが本声明によって肯定されるからだ。少なくとも自分はそう受け取った。今後、自分は Game*Spark は攻撃的な主張も政治的中立ではない内容も載せるメディアとして見るようになるだろう。
政治的中立性について補足すると、声明では「常に特定の政治思想を背景にしながらコンテンツを制作しているということもありません」とある。自分も直ちに Game*Spark が左や右に偏ったメディアとなるとは考えていない。しかし自分が危惧しているのは、これから Game*Spark に対して「左だから」「右だから」という要らぬ対立軸を立てレッテルを貼る輩が出てくること。ゲーム業界は娯楽をターゲットにしているため政治性から逃れている部分があるのに、なんでこっちから飛び込むのよ…
強調しておきたいのはこれが一概に悪い変化というように考えている訳ではないということ。もしかしたら政治色の強い記事を好む人が多いかもしれないし、政治性を明らかにした記事の方が読み応えがあるものができるかもしれない。ただ自分にとってはそれは not for me だ。
スペースが余ったので自分のゲムスパに対する感想でも。自分にとって Game*Spark/INSIDE は他のメディアがやらないような泥臭い企画をやったりしているけどイマイチ一流になれないゲームメディアというものだった。ただ大手メディアにしては珍しくコメント欄を開放しており、読者との距離が近く独自のコミュニティが形成されているように見えた(某通はコメント欄をすぐに封印したからね…)。今でも続いている「来週はどんなゲームを買うか」等のユーザーアンケートも豊富なところもそれを後押ししていたところがある。あと変な企画もいっぱいあった。「インサイドちゃんのゲーマー相談」とか誰得なものもあった。それから脇が甘くてたびたび炎上・謝罪していたイメージもある(栗本チャレンジとか)。
しかしここ2-3年はライターの独自性を生かした企画が次々にヒットしており、個人的には最大手(F, D, 4)とはまた異なる面白い立ち位置のメディアになっている印象だった。例えばFE風花雪月の「なんでそんなことするんですか?」とか現役パイロットによる Microsoft Flight Simulator の紹介、あつまれどうぶつの森の生物を DPZ でおなじみ平坂さんが紹介する企画など目の付け所が良い企画がいくつも発表されていた。なので編集長が交代し、ライターが生き生きする良い方向に変化しいるなあと感じていたところに今回のこれがあった。
気持ちとしては「たまに通りかかるグラウンドで見かける近所の草野球チームが最近いい感じになってきたけど、急にダーティーなプレイをするようになって驚いたし、今後もそのレベルのプレーをすると聞いて驚いた」に近い。
「意思疎通できない殺人鬼」はどこにいるのか?|斎藤環(精神科医)|note
underd なんで受け手の解釈を作者サイドに詰めるのかな。配慮とか言って。解釈次第で誤解されうる表現もNG、が通るならPCに1ミリも抵触しないゴルカムも今後どうなるか分からないでしょ。表現をどうこうじゃなく啓蒙しようよ
「なんで受け手の解釈を作者サイドに詰めるのかな。配慮とか言って。」と疑問を投げかけている。
「作者サイドに詰める」というのは「紙媒体での出版に際しては、アンチスティグマのための配慮を強く求めたい」という記載のことを指していると私は理解した。
斎藤環氏は出版社に配慮を求めたい理由は「アンチスティグマのため」と書いているので、underd氏は記事によって解釈を表現することについては特段いうことはないが、出版社に配慮を求める理由がわからないということだろうか。
その点、斎藤氏が出版社に配慮を求めたのは、Noteを読まない読者の方が大多数なのだから、斎藤氏の「アンチスティグマ」という目的を達成するには出版時に「配慮」をしてもらったほうがより目的が達成されるからだと思う。
「解釈次第で誤解されうる表現もNG、が通るならPCに1ミリも抵触しないゴルカムも今後どうなるか分からないでしょ。」
斎藤氏は「解釈次第で誤解されうる表現」については「配慮」をしてほしい、と主張しているのは間違いないだろう。
ブコメの「NG」が何を意味しているかによるが、斎藤氏のNoteでは描き直しを直接的には要求していないものの、「配慮」という言葉でなんらかの変更(削除、修正、注釈の追記等)を求めていると考えられ、このままでは「スティグマ」を強化するという主張ではあると思う。それは「NG」には含まれているものと解釈できる。ただ、NGにも濃淡があり、より強いのは公開停止や表現の修正の要求かと思う。Noteだけでは内心どこまで求めているのかはわからない。
「PCに1ミリも抵触しないゴルカム」は斎藤氏の記事内の「徹底した取材とゆきとどいた配慮によって、PCには1ミリも抵触することなしに、手に汗握る変態暴力宝探しを展開し続けている。」を指して言っており、PCに1ミリも抵触していないと述べているが、ここはブコメでもそんなことはないといっている人もいるようだ。
ただ、その前提が覆るようなら斎藤氏も配慮を求めるべきと考えるのではないだろうか。なので、「今後どうなるか分からない」についてはその通りかなと思う。
「表現をどうこう」というのは前述の出版社への配慮を求めるという点だと思うが、そのような配慮を求める以外の方法で「アンチスティグマ」を達成するべきだという主張と理解した。
これについては問題のある手段を用いず目的を達成すべきだという観点からのコメントだと思うが、出版社に配慮を求めるという手段に問題があるかという点が焦点になってくると思う。
懸念点としては表現の自由が棄損される可能性が挙げられると思う。
では配慮を求めることは表現の自由を狭めているだろうか。個人的には配慮を求めることも表現の自由だし、それを受け入れたり拒んだりするのも表現の自由だろうと考える。
今回はNote上で配慮を求めると書いてあるだけだが、実際に出版社に「要望」として伝えるのだって自由だろう。当然、「表現を変えないでくれ」と要望するのだって自由だと思う。
それらの意見や批判を受けて出版社が作者が何かを感じて表現を変えるのも変えないのも自由だろう。
何らかの意味があっての描写であれば変える必要はないし、もし意図が十分に伝わっていないと感じたのなら表現を変えるのはより作品をよくする可能性もある(説明するのが作品の魅力に必ずしもつながるわけではないが)。
表現の自由を守るということは「表現をどうこう」言うのも自由であるということだし、それに対しての批判も当然自由。
だから出版社やクリエイターを委縮させるような批判は表現の自由を棄損する可能性があるのだから配慮してほしいというのは自由だと思うが、それをするのであれば出版社に「アンチスティグマ」のために配慮してほしいというのもまた自由なのではないか。
荻上です。ラジオのOPで、2、3分ほどのフリートークの時間があります。僕はそこで、『ルックバック』現象について簡単に触れました。
https://shonenjumpplus.com/episode/3269754496401369355
内容は、「『ルックバック』というすごく良い漫画が話題になっていた。漫画家クラスターなどを含めてさまざまな反響があった。「過去を振り返る」「前を向く」ことについて読み手に考えさせる作品であるが、打ちのめされたようなツイートをしている人も。詳細は、社会的な出来事に関わる漫画でもあり、触れるとネタバレになりそうなため、ひとまず読んでいない方は是非」というものです。
受け止め難い理不尽な出来事を前に自分を責め、「あり得たかもしれない別の世界」あるいは「イマジナリーな救済」に一時避難するが、それでもなお「自分の席」に座り直すというストーリー。主人公たちが過ごした時間をサイレント手法でリズミカルに描くことで、読者を、他者の感情の解釈や理解へと誘う力強い漫画だと思い、紹介しました。
ここで割愛した評の一つが、加害者のキャラクター描写についてでした。サイレントでも感情が豊かに表現される主人公描写に対し、加害者は悪魔化・患者化された記号として登場し、その背景は描かれません。もちろん、加害者の実相が主人公に理解可能かどうか、あるいは物語時間の中で必要な情報が取得できるかなど、物語の制約上の限界がそこにはあります。それでも、悪魔化・患者化された記号としての加害者描写は、本作がモデル漫画であるか否かに関わらず、幻聴に関連する特定の疾病群に対する偏見を助長する可能性は気になりました。同様の指摘は、複数の精神福祉関係者が行っています。
作中では犯人像について詳しく語られておらず、あくまでメディア上に提供された定型的な警察発表のみが紹介されています。主人公の浸る仮想or空想世界での犯行シーンは、実際におきた風景の再現にあたるものなのか、あくまで警察発表などの断片情報から作られた主人公の想像上のものなのかは、解釈に委ねられています。個人的には後者であるという理解です。そのため、作品そのものが「特定の病名について断定的な描写を行なっている」というより、「定型的なメディアの事件報道を描き、またそれを元にイマジナリーな加害者像を作り上げる主人公を描いた」という構図だと捉えています。
このような描写が、特定の精神疾患群に対して、「対話不能な凶悪犯罪者」であるというステレオタイプ的な読解を生み、補強しうるというのは、その通りだと思います。作中の描写が、「従来の事件報道が各種疾患へのステレオタイプを拡散してきたことの再現」であり、主人公もそのイメージをトレースしているからこそです。
そのことについての批評的注釈を割愛し、「ひとまず読む」ことを推奨するだけでよしとした判断の背景に、疾患に対する無理解や鈍感さ、語り手としての怠慢があるのではないかと言われれば、そうなのだと思います。僕のラジオ経由で漫画を知り、漫画を読んだということは、僕の発言に一定の信頼をおいてくださっていたのでしょう。それが不意打ち的に、当事者性ゆえの脅威を強く味わうことになったのは、僕の言論の責任だと思います。
なお一部のブクマやツリーでは、元増田氏の投稿に対して、疾病名に絡めて嘲笑するものも多くありました。そのような非難には賛同できません。また、面白い作品、読むことが強く勧められる作品であると感じたからといって(実際、「ルックバック」は優れた作品であると思います)、その作品への懸念や批判を一括して否定する必要はないでしょう。優れた作品も、推敲可能性が常に検討できますし、読者との応答を通じて描写が変化することもあります。「このようなレスポンスが確かにある」ということが読み手間で交わされることもまた、作品に対する同時代的な注釈にもなります。
*
ところで、同趣旨で荻上(および杉田俊介氏)を名指しする投稿は、ツイッター上の @YANA1952 ( https://twitter.com/YANA1952 )氏のアカウントでも行われていました。追記部分では、元増田氏とツイート主は同一人物であるように読めます。実際に @YANA1952 氏は、最初の増田投稿の17分後に、追記とされる増田については、投稿1分後に、ツイッターでそのURLをリンクしています。
@YANA1952 というアカウント名には見覚えがあります。以前は「矢那やな夫」( @YANA1945 )と名乗っておられたのですが、その後「障害者雇用の働き方」という名前に変わっていました。昨夜までも同アカウント名だったのですが、今日になって、IDを @CHL1952 ( https://twitter.com/CHL1952 )に、名前を「障害者雇用で働く人」に変えられました。
IDの推移
リネームが続いておられるので、 @YANA1952 宛、あるいは @CHL1952 宛にリプライした場合、再度リンク切れになってしまう可能性があると思い、増田にてレスポンスすることにいたしました。ウェブ上のテキストのみのコミュニケーションであるため、元増田氏、ツイート主含めて、どこまでその内容が事実であるのか、その当事者性がどういうものなのか、僕にはわかりません。ただ、特定の投稿の真偽や有無にかかわらず、補足・応答の必要は感じていたため、こちらに投稿したいと思います。
https://twitter.com/torakare/status/1417636459775811591?s=20
かつて
とある作品について、ごく一部の層が“存在しない虚構シーン”の観劇レポのツイートを何度も繰り返すという出来事があった。
・『私の妄想かもしれません』等の注釈は一切なく『間違いなく見た』と確信を込めたツイート
・反証(※1)を示しても虚構ツイートをやめない
・円盤リリースで虚構が発覚し、虚構ツイート収束(※2)
※1…複数のアカウントが短期間で同じ作品を50回以上観続けて最前列で凝視しても“争点のシーン”は見当たらなかった
※2…一部は円盤リリース後も“虚構シーン”をツイートし続けた
作品主人公および別メディア展開時の追加キャラ、双方のアンチの対立が著しい作品でもあった。
自分個人としては「あれは“ジャンル荒らし”だったのだろう」と結論付けていた。
銀幕と舞台の違いはあるが、最近また以下のような類似の出来事があったようだ。
A、とある作品の1場面(複数の登場人物、以下CPと表記)について言及
・ツイートは場面描写についてフォロワーに対して確認を求めているだけの、お仲間ならややA自身のときめきを感じる程度の内容。所謂“腐った表現”は用いていない
・場面は上演回ごとに内容が変わる
↓
上記CP地雷のカリスマB(わざわざ地雷を検索してるのか?謎)が上記ツイートを発見
逆上したBが儲を伴い『そんな場面はなかった』と上演回の確認もせずAを集中砲火
↓
A、作品に関するツイートを削除
・Bと儲の放火は、Aのツイート削除まで執拗に続いた
↓
円盤リリース(A観劇回収録)により、Aのツイートが事実であることが判明
↓
B、放火ツイートを削除
・Aに対する謝罪の類は一切なし
↓
A、その後ノイローゼに。Twitter外部のワンクッション用コンテンツの削除を検討
謝ることのできない“謝ったら死ぬ人”は、感情を抑える訓練でもしてみたらどうか。
人類並みの知恵が少しでもあるならば、吠えるにしてもせめて空中リプに留める等の工夫をしてみたらどうか。
長々としたお気持ちは三行まとめのあとにあるので結論だけ見たい人は三行まとめだけ見てくれ。
三行まとめ
腐(マイナスなイメージの一文字)=BL=マイナスなイメージになってしまう。
BL以外の二次創作にはマイナスなイメージ一文字で表すものはない。
自称も他称も含めひとつの嗜好カテゴリをマイナスで呼称はよくない。
下記はSNS上で見かけたものや一次二次含めて長く活動してきた中での所感を含め短くまとめていない方。というかなにもかもまとまっていない方。
(※あくまで二次創作の嗜好というカテゴリの話であり現実の同性愛者やLGTBやジェンダー論とは一切無関係として読んでほしい)
今回の発端は例の漫画(作品自体を貶す意図はないので出典の明記は避けますが)。
まず最初に感じたのはこれがこの出版社から発表されていいのか・という点。
幾人かがSNSで言及していたように同出版社はBL嗜好の女性に対して辛辣なコメントを出した過去がある。また女性は読者ではない・本誌の対象者は少年であると明言した過去もある。
増田がまだ物心つく前には本誌アンケートの意見は性別欄で女性を選択すると反映されないとの噂もあった。これは噂の域をでないが記憶にある限りで公式から真向な否定等はない。どの年代でもそういった操作がなかったかしっかりと調べて声明を出してくれなければ当時男性と偽ってアンケートを出した必死な応援は成仏できないとの発言も見かけた。(これは噂のでどころや真偽のほどは本当にいつか確認されたらと願う)
つまり同出版社には女性読者(とくにBLを嗜好とする)に対する姿勢へ信頼がない。
にもかかわらずBLを嗜好とする女性をネタにする漫画を是とした。話題になるようにCPのアンケをとるなどもしていた。
バズらせ・面白がっている部分が作品ではなく完全に『二次BLを嗜好し争う女子』だった。
こうなってくると作品の出来がいい悪い・面白いかそうでないは問題でなくなってしまう。
(作品自体が面白かった・上手いという意見もかなり多くみられたがそれでもその部分単体でべたぼめしている人はほとんど存在していない。)
二次創作BLをしている女性の多くはプロフィールに「腐」というマイナスなイメージの言葉を明記しており・自己紹介の意味で使っている。本人たちが自称しているのだから腐女子と呼んでバカにしていいのだという土壌を作ってしまったのは責任の一端がある。
かつて腐女子という単語が出始めた頃・自虐の意味が込められているとされていた。確かに原作にない関係や性的嗜好を捏造し形にする行動は正しくはない。しかしそこにBL・GL・HL・の差をつける意味はあるのか?と増田はここ数年で疑問が大きくなっている。
エロ妄想をするので・・と卑下になる方もいるかもしれない。しかしその卑下はエロのみのHL・GLがマイナスな単語で表現されない理由にはならない。
二次創作内で登場人物を傷つけたり辱め・節度をもたずに垂れ流し見たくない層まで届く形で発表しているならばそれはある意味腐っていると称して間違っていないがそこにBL・HL・GLの区別すべきではない。
上記注釈の昨今風潮の波に乗るのは格好悪いと思いマイナス呼称を名乗り続ける人も存在しているがこれは本件に限らず意識高い系wwと笑う層なので別問題とする。
二次創作は確かに原作をねじまげていて人の威を借りて作品を作っているからどんなに時間をかけて作品を作っても堂々とすべきではないとの意見も勿論間違っていない。(二次創作を悪用したりさも自身の実力であると勘違いするのは別問題)
腐とつけている一定数の方の多くは原作への敬意をはらうべきとして自省・自虐を込めている。
原作への敬意をはらう・同性愛及び登場人物の性的嗜好を変えた創作物を見たくない層への配慮と・二次創作を楽しみ同士の創作物を尊ぶ行為は両立できる。
問題は自虐や軽蔑が二次創作によりつくられた他者の世界へも向いていて・尊いとほめているうらで所詮二次創作だと嘲笑っているのと同じではないかとも感じる。
自虐・自省の言葉を入れずとも原作を尊重し配慮を忘れない創作は可能だし・逆に尊重も配慮もしない人間が堂々としている場合もある。
自虐的な単語を自称する事で先に版権もとに悪い事をしていますが勘弁してください・と謝っているのだろうかと疑問を持った折・過去に二次創作BLを嗜好する女性がそれ以外の二次創作者からひどく迫害された記憶が蘇った。当時増田はまだ叩かれるほど自分で創作を行ってはいなかったが二次創作BL創作者が匿名掲示板に晒された事実は見ていて・自分もBLを創作するのであれば隠れなければいけないと強く刻まれた。(これはBL好きだけではなく夢等も悲しい歴史があり今なお根深い問題があるけれどそれはまた別なので割愛)
自虐を名乗り先んじて謝っている対象は原作だけではなく大きくカテゴライズすれば同じ『オタク』である人種でもあった。彼ら彼女らがBL以外の二次創作で活動していても・だ。気持ち悪くてごめんなさい。と。
気持ちの悪さでいえばオタクそのものが気持ち悪いでしょう。と言ったら怒られるかもしれないがこれは何かに夢中になっていると気持ち悪さは生まれるので仕方ない。TPOをわきまえずに騒ぐのがよくないとの意見もあったがどんなジャンルや嗜好であってもマナー違反なので二次創作BL者に限った話ではない。TPOはわきまえようね。18歳以下が見れてしまう状態でR作品を掲示するのはやめようね。
話が逸れた。
同類の中で嗜好のカテゴリが違うだけで謝らなければいけない・マイナス呼称を使うべきなのはおかしいというだけの話だ。
二次創作BLが原作をねじまげているという理由でマイナス的な単語を自称する弊害として大きく同人女子やオタク女子・ひいてはアイドル好きの女子まで何故か『腐』と呼ばれている問題がある。詳しくない人間からすれば同じなのも想像に難くない。好きなものを好きなだけで蔑まれる・しかも他人が勝手に自虐でつけている呼称を利用してというのは理不尽ではないか。
そもそも二次創作BLを好きだとしてもマイナス的な単語を名乗らなければいけない謂れはないのはつらつらと書いた文で理解してほしいが。
『オタク』がマイナス呼称とされる時代もあった。今もマイナスとする場面はあるが『オタク』という文字列自体にはマイナスはない。隠れるべき特殊性癖とされるグロ・リョナ・NTR・ロリショタ等もその作風を指す単語であり厳密にマイナスな言葉を使ってはない。オタクが最も嫌う転売ヤーですら転売という行為を表す言葉であって単語自体のマイナスではない。
特定の何かを好きというだけでマイナスな呼称を名乗る・名乗らせる風潮・そろそろやめませんか。
ついでに
話が戻り例の漫画への疑問なのだが掲載媒体を長く愛読しているオタクであれば絵を見ればすぐわかるのにナゼ作家の名前を過去作と変えたのか。二次創作BLを扱うデリケートさを危惧してならばそもそもなぜ今変えていこうとしている層が存在する『腐』を使ったのか。起こるかもしれない炎上から作家さんを守りたかったのか・『腐』を扱う上で名前を変えなければ恥ずかしいと感じたのか。どちらにせよやはり『腐女子』という単語は新たに広めてしまう可能性があるって意味でも大手出版社が今使うべきではなかったよね。
おわり