はてなキーワード: プレッシャーとは
満員電車でドア脇に立っていたんだけど、
押された拍子に私の手提げから折りたたみ傘が落ちた。
端っこに座ってる女性と、手すり(?)の間ら辺にすぽっと入った。
しかし、私は傘が落ちた事に気付いていなかった。
で終わるところなのに、この女性は私の方を見てるだけだった。
『傘落としてるんだよ』『とっとと気づけよ』『早く拾え』
という無言のプレッシャーで気付いた私は謝りながら素早く拾ったが、
最近こういう面倒な人が多いよなぁと思う。
それこそ面倒事や面倒な人に絡まれないためには
無言でプレッシャーをかけるより、傘を差し出して相手に伝える方が得策だと思うんだけど。
なんか理由があるのかな?思いつかない。
ちなみに「察しろコミュ障」は、「察しろ」と念じてるコミュ障の意。
追記
太ももと長座席の端っこの隙間というか、ぶっちゃけ言えばほぼ女性の太ももの上だ。
こちらが気付くまで太ももの上に傘をのせ続ける意味もわからん。
…わからんのだよ。
http://tm2501.hatenablog.com/entry/freegame_review-aprilfool
あとね、実際に放送する前に、スマホとかの録音機能を使って自分がしゃべる速度が客観的にみてゆっくりじゃないかどうかとかも確認しておくといいけどこれは何回かやってみて聞き返してみるとわかってくるから、操作慣れ含めて2~3回は誰も聞いてない状態で喋ってみるといいよ。
ちゃんとやろうとおもうんであれば、5回くらいまでは喋る内容をある程度箇条書き程度で用意しておくといいよね。
話す内容としては後に残らないその場の話かな。フリーゲームのネタバレ感想とかやったりアニメの感想とかがお手軽でいいんじゃないかな。
ツイキャスのテストをしようと思ったら、こんな時間なのに10人も来て、テンパッてボタンの押し間違えなどもあって消してしまった…。近々マジで内容を考えたうえで配信するけど、今日は内容を考えてないからこんぐらいでご勘弁を
しかし、ツイキャスって本当に自分が喋ってる時に人が入ってくる・出て行くのが見えるからたった数分やっただけでも人と目があった状態でしゃべってるようでコミュ症が発病して怖いな…。なんか面白いこと喋らなきゃ的なプレッシャーが出てきて、変な汗かいた
とりあえず、ツイキャスができる環境はあるし、時間さえ選べばフォロワーがけっこう流れ込んでくることもわかったから、ちゃんと配信内容決めてリベンジします。さっき、せっかく来てくれたのに、テンパった野太い声だけを聞かされて「チッなんだよ」と思った皆さん、すいませんでしたm(_ _)m
あと言いたくないけど、メンヘラの女の子が顔出して生放送とかしてるらしいけど、あいつらってなんでそんな病みそうなことできるのかが謎。人と目があってるかのように人が去ったり来たり、自分が目があってるうちに焦ったりする状態になる生放送って精神衛生的にかなりタフさが必要だと思うが?
引きこもりが長くなると、喋ってる時に複数名と目があって自分の話を聞いている女雨帯になると「早く一息つきたい」と早口になってしまうコミュ症が発症し、それはツイキャスでも変わらないことがわかったので、生放送がこなせる人の中でも特に男の場合はある程度コミュ強・社会性ありなのだろうね
あと、僕はテンパると誤字の割合が上がる上がり症であることにも今気づいた。ツイキャスのテスト配信(と書かずに配信したら、10人ぐらいわさっときちゃって、焦って消すという大立ち回り)をやらかしたあとの書き込みが3ツイートに1つは誤字ってる…メンタル弱い
あー本当に失敗した。10人しか失敗したところを見てないやらかしだったとはいえ、なんか自分の負けず嫌いというかプライドというか、そういうものの傷つき具合がすごくて荒む。あーぐったり
青二才さんは文章だと強気鬼畜攻めだけど、しゃべるとヘタレ誘い受けっぽい感じで、そのギャップがたまらないのでぜひ今後も併用していくとファンが増えると思います。
ツイキャスと関係ないけど↓のツイート超笑った。ありがとう。文章だとこういう面白いこと言えるだからツイキャスも訓練したらきっとだいじょうぶ。今がひどすぎるとかそんなことで怯むなんてらしくないぞ♪
週刊フリーゲームって月曜日に連載を続けたことで、休み明けでがんばって帰ってきた社畜や学生に土日気分のニートである私が「こんな面白いゲームあるからやろうぜ」と、頑張ってやる気を出そうとする社畜達の後ろ髪を引くような立ち位置になってるよなぁ…。ロックにして反体制といえなくないか?
片思いして告白したら、気持ちは嬉しいけど考えさせてって言われて、でも、メールしてくれるの嬉しいとか、また一緒に出かけたりしよう、って言われて、会ったら会ったでおごってくれるし、楽しかったとかまた行こうとか、今度どっか行きたいところないの?とか、言われて。
片道一時間かかるけど美味しい蕎麦屋さんがあるらしいから食べに行ってみたいんだー、っていう会話でなんで平気で、来週行こうか、とかいうの?!なんなの?!誘ってない!!!一人で行くつもりだった!!!そんなことしてるから誤解すんだぞこら!!!
ディズニーとか好きじゃないって言っときながら、この前ディズニー行きたいって言ってたけどそのあとどうしたの?行ったの?とかどういうつもりなの!!!!行ったよ!!!誰と?じゃないっつーの!!一人で行きましたよ!!!!暇だったから言ってくれればよかったのに、じゃねーよ!!!!自分で興味ない楽しそうじゃないって言ってただろうがよーーーー!!!
もうなんなんだよおおおおおお!!!!
一体どうしたいんだよおおおおお!!!!
好意の欠片くらいはあるの?!ねぇ?!なんなの?!対象外すぎてなんとも思わないからそういうこと平気でしてくるの?!10歳も違ったら妹にしか見えないってことなの?!ねぇ?!世間では妹みたいな相手と、ランチしてショッピングモールぐるぐるまわってお茶して映画見て夕飯食べて夜景の綺麗な公園散歩してとかすんの?!そもそも血縁でもないのに妹みたいな相手とかなんなの?!お前はナブコフか?!?!ないわ!!どっからどう見ても私はアラサーのデブスだよ!!!おごってもらったこともないし、デートみたいな遠出に誘われたこともないし、付き合ったこともないしキスどころか男の人と手つないだこともないわい!!!そもそも男の人と二人で会ったりもしたことないんじゃぼけえええええええ!!!おかげでこの半年で何回清水の舞台から飛び降りてると思ってるんですか!!!
わぁぁぁぁぁこんなこと考えても馬鹿馬鹿しいだけだって思うのに眠れない!!!!週末に二人で遠出して蕎麦食べに行くだけ!!!なのに今からなんかすごいプレッシャーで死にそう!!!おかしなことしないかとかね!!!蕎麦食べる作法もわかんなくて必死にググってる!!!蕎麦湯なんか飲んだことないーーーー!!!そもそも待ち合わせて遠出なんかしたことないーーーーーー!!!一体いつ待ち合わせの時間とか連絡するの!!!!
Twitterを始めて5年くらい。
当時はちょうど波が来ていた時で、オフ会が多くて、
社会人になってから初めて会社や大学とまったく関係ない人たちと飲むという経験をした。
そのうち仲間内でTwitterで知りあった同士で結婚する人が出てきたり、
数人と付き合ったけど、結局うまくいかず、30代半ば。
とか、ちょっと僕には無理だったかな、と思う相手にもアタックしておけば、
いろんな可能性を考えると、この5年間という月日が残酷に思える。
当時30歳だった女性も35。男もそうだが、子供作りにはそれなりに覚悟がいる年齢になってきている。
結婚して順調に進んでたら、幼稚園に入るか入らないかくらいの子供がいると考えると、
三十代中盤のプレッシャーがキツい。
けどさあ
変なプライド
これを男に押し付けてプレッシャーかけてきたのは女じゃないの?元々。
そういうのできない男にかけるコストが無駄だから、底辺のいきものっぽい何かに付きまとわれたくないためにハードル上げてんだよ?
memorabilia 「男は女をエスコートしなければならない」って固定観念から自由になってくれないかな。
女性の方が男性よりずっと美味しいものを知ってるし、いい雰囲気になれる店も知ってる。
変なプライド捨てて女に任せてよ。
リンク2015/09/01 Add Starqwertonquick_pasthisamura75migrant777flyinggardenharisenbon_fukurahagitsuki-rsgambolgambolyamamototakehisayamamototakehisaOKU_s62marumusu10
これ単体なら反対する理由はないし
「女性の方が男性よりずっと美味しいものを知ってるし、いい雰囲気になれる店も知ってる。」
ってのもきっとその通りだと思うよ。
けどさあ
変なプライド
これを男に押し付けてプレッシャーかけてきたのは女じゃないの?元々。
バブル期以降もずっとそういう雰囲気やプレッシャー漂わせてたじゃん。
女さんサイドからもメディアからも「もうそういうのやめます」っていう終結宣言を見た記憶ない。
なのに
変なプライド
って言われるとすごく不条理感がある。
なんかこういうのいっぱい無い?
男に押し付けられてた対女性場面での役割とか規範や高めの要求が
「そういうのやめましょう」という終結宣言もなく
勝手にやめにしてて散発的に「そんなの求めてないのに」とかさあ。
それどころか「男が自発的に始めた変な拘り」みたいに歴史修正までされてんの。
俺はギリ30代前半なんだけど
女さんサイドは不合理なほど(そこまでされてエスコートされる方の便益はコストに見合うの?っていう)高値の札を出してたよ。
それを見て結構な数の男が怯えて自信を失って付き合ったりするの諦めたのに。
後から「そんな高度なエスコートは求めてない」「高い値札はつけてない」みたいに言われてもすごくイライラする。
今更そんなこと言われてももう手遅れだよ。
「適正価格~お買い得のラインナップなのに買おうとしない草食系」みたいないじりもあったけど
それで俺達より下の世代の男女はナチュラルに不況世代でもとよりバブル残滓の呪いも受けてなくて
選挙カーで名前を連呼した方が、票が多く入るようになるらしい。
民衆はまだまだ愚かだから、有効な手段として使おう、というのはまだ判る。
安全保障関連法案に関して、国会前のデモを観たけど、煽り方が低レベルだった。
もはや、有効な手段にすらなっていない、内向きで、残念な煽り方だった。
別にお題目なんだから、判りやすくキャッチーな造語で良いと思う。
(内閣も「平和安全法制」って呼んでるし、まあ五十歩百歩だろう)
ただ、次がない。
スローガンとしてはアリだろう。つかみはオッケーだ。
最初は理解できていなくて当たり前だ。不安とか不満とか、漠然としたことでも行動するのは立派だ。
そこから、隣の国とどう揉めてて、誰と揉めてて、この法案は誰が後ろにいて、どういう法案なのか。
その理解を促すヒトが居ない。
公正中立とは言わなくても、ゴリゴリに偏向した洗脳するような教育ですら出来ていない。
次がない。単発。2chの大規模オフと同じ。せっかく集めて何もしない。夏休みの思い出レベル。
人が集まることには意味がある。
数が揃って不満の声を上げることはプレッシャーになるし、過去、デモは世界を変えてきた。
キング牧師のかの有名な演説、「I Have a Dream」は、人種差別撤廃を求めるデモでの出来事だ(ワシントン大行進)
失業率に抗議するデモから、政権への批判のデモ、数百人のデモが数千人となり、結果政権が転覆したことすらある(ジャスミン革命)
ただし、運動が盛り上がった結果人数が増えることに意味があるのであって、逆ではない。
成績が良い家庭に本がたくさんあるからといって、自宅の本の数を水増ししても賢くはならない。
ジャスミン革命と呼ばれる事になったチュニジアで起こったデモは、最初はごく少数の規模で始まった。
インターネットでゆるく連携しながら、着実に考え方を広げ、数百名のデモに警官隊が出る騒ぎになっている。
ワシントン記念塔広場を完全に埋め尽くしたワシントン大行進の記録映像は衝撃的だ。
そのテレビの放映は、公民権運動が、一部の黒人だけのものではないアメリカの問題だと雄弁に物語った。
アメリカ国民誰もが当事者であると突きつけたあの映像に残るデモには「20万人」以上が集まったと言われている。
3万人が集まった運動は、チュニジアの政府転覆に繋がるデモの、数十倍の規模だ。
だが、主催者発表の累計35万人という数字は、ワシントン大行進の映像を観た後では、ひどく滑稽だ。
60年安保の参加者だって居ただろう。岸打倒のデモで30万人(警察発表で13万人)だぞ。バカにされたとは思わんのか。
なぜ、わざわざ自らを貶めるような発表をするのか。誰も止めないのか。
最初に言っとくと、俺は安倍さんは嫌いだ。昔っから嫌いだった。
個人としての安倍さんはまだ嫌いだ。だが、安倍晋三内閣総理大臣は、失敗も多いが無難に外交をこなしてる。
安倍内閣も国民をバカ扱いしてるのかもしれんが、テレビや新聞のコントロールは現政権のほうが上だ。
海外の報道までコントロールできているかは判らんが、概ね好意的な声が大きい。
結果を出すのに嘘も方便でやるのであれば、現政権には勝てない。
だから、テレビや新聞に勝てるような煽り方をしないといけない。
所詮は意向に基づいたデータの取捨選択だ。陣営が違うだけで科学者ですらタマにはやってる。
情緒で煽った後に、データを並べて、理路を広げて、説得していくフェーズに移らないといけない。
いつまでもシュプレヒコールを上げるだけじゃ、バカ扱いされてるんじゃなくて単なる馬鹿だ。
憲法学者が反対しているのはなぜか。自衛隊にも反対しているのはなぜか。
軍隊を持たないことを理想とするのか、折衷案として自衛軍は許容するのか。
警察なら良いのか、災害派遣ならどうなのか、海上保安庁はどう扱うのか。
海外からどう言われてもどんな理由でも軍隊は国の外に出さないのか。
全てに答えを出せなくても良いが、せめて想定問答を議論する会合くらいは持てないのか。
キッカケや、最初の入口としては、良いと思う。
そのキッカケから、何を学ぶのか。どう動くのか。それが全く見えない。
情理を尽くせば外交でもうまくいくという主張も、一つの主張だとは思う。
安倍首相を説得するのの数百倍は、朴槿恵大統領を説得するの大変だぞ。
たぶん、オバマ大統領を説得するのは数千倍、アメリカ合衆国を説得するのは数億倍大変だ。
それに比べたら、日弁連と学者の会とSEALDsとミュージシャンに声かけて回って、Youtubeに講義を載せてCSに冠番組作って、次のニコニコ超会議を乗っ取るくらい大したことないだろう。
それが出来そうもないと感じるなら、たぶんもっとスタートラインを下げて、地道に始めるべきだと思う。
モンストのイベントですら、炎天下の中5万人以上集まったんだぞ。資金力でも動員数でも必死さでも負けている。
意義が違うというならその意義をスローガンから掘り下げて広げてくれ。
はてなブックマークでは、親を非難するコメントが100%で、親を支持するコメントは、パーフェクトなまでにゼロだった。
これ、はてな民は『この比率は当然』と思い込んでいるだろうが、世間平均から見れば、
『なんとなく、予防接種はヤダなあと思ってるが、医者や行政がシツコイから、仕方なく受けている、ライトなアンチ予防接種論者が10%』程度はいると思われる。
つまり、『はてな民のオピニオンは、世間一般よりも、予防接種支持側に、相当程度偏っている』ことは、はてな民は『自覚』する必要がある。
★『ライトなアンチ予防接種論者』は、法定接種なら接種するが、
『任意接種なら、なるだけ接種しないでおこう』『自然と軽く感染して免疫が付くなら、その方がいい』という考えの人
以前増田に「はしか感染パーティーは、はてな民が想像するよりも世間で普及している」とを投稿したら
http://anond.hatelabo.jp/20100715105846
はしかパーティーを肯定する母親は、観測範囲内だと10%程度存在する。
乳幼児の予防接種を、「法定接種」じゃなく「任意接種」にした場合、どれだけ接種率が低下するのか興味ある。
先述の「周りのプレッシャーに負けて、仕方なく接種」な母親が非接種に回るから、接種率は99%から90%程度に低下するのでは?
★はてな民は、予防接種忌避論者を「情弱!」とディスる前に、サイエンス・コミュニケーションの失敗を反省して、対策した方がいい。
ホメオパシー陣営の「情に訴えるコミュニケーション」には、学ぶ点が多数。
「俺達の方が科学的に正しい」と訴えても、リーチするどころか『逆効果』であることを、頭でっかちなはてな民は理解していない
★予防接種忌避論者を「改宗」させるには、科学的理屈を100並べるより、
「天然痘撲滅の感動秘話!全米が泣いた!」な超大作映画を作った方が、遥かに効果あるだろ?
気になるパン屋さんがある。そこでバイトしたい。お手伝いでもいい。
パンはすごく美味しいし、値段も手頃。なのにいろいろと突っ込みどころ満載で本当にもったいない。
突っ込みどころについては後述するけど、たぶん人手不足(&資金不足)のせいだと思う。
自分は完全に素人だけど、あとちょっと手間かければ倍の収益は見込めると根拠なく思ってる。
でも自分は既に学部3年生だし長く勤められるわけではない。すぐ就活で行けなくなるのは目に見えている。
短期でお世話になるのも、自分という新しい道具の導入コストが先方にかかるのは申し訳ない。
あれこれ理由をつけて当該のパン屋さんに連絡しない言い訳をし続けること、はや6ヶ月くらい。
現在夏休みなので心と時間に余裕があり、お風呂や移動時間中にパン屋さんのことを考えてしまう。
もし先方にアポを取ったら……
もし2週間だけでも使ってもらえるなら……
就活の勉強もしたい、学部の勉強もしたい、新しく人と関わりを持つのが怖い。
実行する気がないから考えるだけ時間の無駄だけど、せっかく考えたので案として書き出したい。
店主はゆるゆるやっている人なんだろうと思う。
やりたいことはあるけど、人手も少ないし(去年は社員が一人いたが辞めてしまったらしい)、無理のない範囲でやるスタンス。
店主とちゃんと話したことがないから分からないけど、自分のように「もっともっとお客さんが増えれば」とは強く思ってない気がする。
だから上記のものを伝えたところで全部が全部実行されるわけではない。
それに、仮に自分が短期バイトやお手伝いなどで入ったところで出来ることは本当に限られてるはず。
ただどんなに短くったってやれることはある。
少しでもこのパン屋さんのことを知ってもらいたい、ひとりでも多くの人に食べてもらいたい。
100円ちょっとのパンが、感動するほどじゃないけど普通に美味しいお店は、探してもなかなかない。
心を込めて丁寧につくられた個人経営のパンは、それだけで十分な価値がある。
そんな気持ちが少しでも実ってくれるのなら、やってみてもいいんだけど……(冒頭で述べたように色々言い訳をして足踏みをしている)
スポーツを観戦する人間は多いしゲームの実況を見てる人も結構いる。
たまーにウメハラが勝ったよーって話で盛り上がることはあるけど皆決勝戦の動画だけ見て終わりだ。
たとえば今LoLだと世界中のあちこちで大会が起こってる最中でとても盛り上がってる。
日本代表チームが世界に再挑戦(前回はプレッシャーに負けたのか予選大会で1勝4敗)する.日も迫ってる。
ここのDETONATION FOCUS ME(通称DFM)が日本のチームだ。
それなのに全然盛り上がってない。
世界代表の場に立ってTSM(意味分からんぐらい強い)と戦って2-3にでも持ち込まないと注目されないのか?
錦織が騒がれる直前のテニス界隈もこんな雰囲気だったのだろうか。
日本人は野球・将棋・サッカー以外の競技に対してどこか冷たいよなぁ。
追記
TSMとSKT間違えました。ごめんなさい。
そこそこ面白かった。
全体通しての軽妙なやりとりが魅力かな。あーいえばこーいう的な。
でもそこそこだったのはやっぱりちょっと納得いかない部分があったから。
阿部寛があまりにもわがままで駄々こねてばっかりのオコチャマっぽく描かれすぎててフィクションにしてもやり過ぎだろって感じとか。
最後女医とくっつくところも、阿部寛の心境の変化がよくわからなかったから素直に祝福できない感じとか。
心境の変化を描くのにまるまる一話使ってもいいくらいだったと思うから、なんとなく消化不良感は否めない。
まあ基本的にモノローグがないドラマで、コンビニ店員のバイト女とかレンタル屋のヤンキー男までが結婚してるってことを初めて意識した、とかいう描写で表現するしかなかったんだろうけど。
まあそこメインにしちゃうとドロドロになるけど。
親からも結婚のプレッシャーかけられてるとかいう一般的なところを表現したかっただけかな。
結局最後女医とくっつくにあたって母親がどうなったかとかもまったく語られないし。
国仲涼子は可愛かったけど、苦手なタイプの女だったから好きにはなれなかった。
高島礼子はなんとなくもっとすっごいおばさんのイメージあった(50超え?)から、なんかイメージとのギャップがあった。
んーアットホームダッドも興味あるけどさすがに続けてみるのはなあ~
追記
あーそんな描写は確かにしつこくあったね。
あの年になるまでかたくなに結婚しなかった男があれほどまでしつこくアプローチ?(好きな子にいじわるしたくなる男の子的な)をするってのがまずなんか・・・
それくらい惚れっぽければその年までにはすでに結婚してそう
みたいな
google検索で「東大 湘南」と入力して検索結果に気になるもの(http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n335731)があったので、はてなに私の考えを残そうと思います。
ー>同意。
「トップ校」として湘南高校に入学を検討している保護者及び受験生は、偏差値だけでなく、最大の行事の体育祭を見に行きましたか?
もしNOならば、見に行ってください。考えてもらいたいのは、
・一年掛けて自分の子供が、自身が高2の夏から高3の夏まで期間この体育祭の準備に専心するということ。本当に自分事として見ていますか?
・あなたの考えている高校生活とこの事実は擦り合っていますか?
湘南高校の場合、体育祭の規模は日本一の体育祭と吹聴するほど大きいです。
このため、この体育祭の準備に時間的コストが"日本一"割かれるという形で湘南生に降りかかります。
是非、体育祭を見に行ってその事実にリアリティを感じ取ってください。良くも悪くもそのリスクとリターンの程度を受容してから志願しましょう。
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よくみると数があっていないと思います。
早稲田6個慶應6個うけて、全部合格とかあってそれが足されているのです。
オタクとかインキャラとか呼ばれる、スクールカーストの下の人だけです。
明るく元気でクラスの人気者タイプの生徒はかなり高い確率で三流大学になります。
ー>だいたいこんな感じ。
体育祭の準備を組織的に行うために役割分担します。確かパート決めとかいう。
こうして、クラス内ではスクールカーストに相当する上下関係が明確な名称で与えられることになります。
また、パートの選択によって体育祭の準備に捧げる時間が変わるという特徴があります。
例えば、東大に行くような生徒さんは競技パートという時間的コストがかからないパート(役職)についていることが通例となっています。
クラス内でもそうした通例は3年間の高校生活の間晒され続けているので、あのパートは陰キャラ、あのパートは脳筋、あのパートは...のように、本人の個性に先立って、パート自体の先入観が与えられています。こんな学校です。
「亜細亜大学いくよ」などと二年生が話すのをみていて
「ここ県内トップの進学校じゃないの?」と不思議に思いました。
ー>初耳。私はこうした体験はしませんでした。
湘南高校で生活してわかりました。ここはどんどんバカになる高校なのです。
なぜかというと、進学校であるにもかかわらず「勉強より部活動と行事」という
ー>4年制高校と自虐する語録が残ってるので上の考えは多数派と私も思います。
先生方のモットーが「俺たちは人間教育をやっている。だから勉強したければ
ー>そんなことなかったです。教員によって方針が異なります。熱心に取り組んでいると思います。出来る範囲で。
ただ、上記のようなフツウでない特徴がある高校であり、入学者の意識とのギャップがあまりに大きくなっています。
こうした不満をフツウな水準に押し下げることはできていないと感じています。
なんで勉強より部活動と行事か、というとこれはそういう学校だから、
としかいいようがありません。
おそらく戦前広島の海軍学校に湘南中学からかなりの生徒が進学したため、
ー>文武両道が教育目標だったと思います。負担の多すぎる行事を正当化する理由として機能してますね、確かに。
生徒全員が部活動強制のような形なのですが、体育会系と音楽系は
ー>これは人によります。湘南高校に限ったことではないと思います。
忙しいところは忙しいし、緩いところは緩い。忙しいところでも、休めばいいし、緩いところでも自主練すればいいでしょう。
部活動に関しては自由に活動できるので、引いていえば自己裁量、自己責任かと。
これはなぜかというと、湘南高校は留年がいじめで登校拒否とかに
ー>同意。
大学受験で必ず大東亜帝国には入れます。湘南高校の生徒はみんな
ということは、高校時代一回も教科書開いたことなくても全部0点でも
大東亜帝国はいけるのです。だから、先生方も、成績の悪い生徒になにもいわず、
そのまま進級させます。
ー>ほぼ同意。必ず入れるとか...
とれないというのは、かっこ悪いですから、レギュラーをとることに
ー>こういう人って中学校の頃にどういう姿勢で部活に取り組んでたんでしょうかね?
高校二年生の夏休み明けには、理数系の授業はクラスの半分がついていけなく
なっています。
ー>ついていけてないというのは思い込み。ただ、3年の文理分けの比率は1:1でクラスの半分近くは理数系の授業を必要としていない。
だから、二年の夏休み明けに生徒は文系理系の選択をしているから文系と決めた人は理数系の授業に”ついていかなくなる”のかもしれません。
このことから、湘南高校は生徒の文理選択の意識と受験科目の決定の胸算用がいかほどかを調べてみてもらいたいですね。
ガリ勉タイプや容姿に恵まれない女は後ろで絵を描いたり、小道具を作ったりです。
結局組織だから、体育祭でクラス内で上下関係ができちゃうんです。
ー>上述の通り
あとの35人は人気者の手下となって一年生二年生三年生の夏休みを
ー>同意。合わない人にとってはとことん合わない。ムラ社会っぽい要素が他校より強いと思う。
体育祭に参加しないとかなり高い確率で集団シカトされるので、参加しないわけには
いかないのです。教室のグループで昼休みは一人で弁当で、休み時間は誰も
口利いてくれません。
つまり、湘南ではない進学校にいけば現役で一橋大学商学部にいけた生徒が
ー>他の進学校行ってもそういう人は同じ結果になるよね
以下は略。湘南高校に限ったことではない。
とはいえ、
体育祭に関わりの薄い生徒ほど進学実績に貢献している一方で、彼らはスクールカースト劣位を与えられる。
私は、こうした相関を他校以上に生徒が理解して行動しないと、他校以上に不満が大きくなるだろうから、より状況を説明しておいたほうが良いと思う。
そのため、生徒会なり、実行委員会なり、なんでもいいから、冊子を配布するとかで理解を深めてもらうような啓蒙活動をすることを期待している。
すこしでも前に進めようと常に努力する姿勢は個別問題にかぎらず、学校へ好循環を与えるんじゃないかな。
悲しみを断ち切れ!湘南生!
22歳が出産適齢期とかアホな冊子にはハァ?と思うけれど
少子化の理由が「子供を産むと女は自由を制限されてメリットがないから!」みたいな主張には全く同意できない。
現実では子供がいた方があれこれ優遇されるし明らかに得なのに。
同性愛者とか強固な独身主義者は別として、大抵の女は「結婚や出産がしたいが相手がいない、もしくは選ばれない」であって
「仕事と育児の両立を困難にして、かつ色々宣伝して『専業主婦が幸せ』って事にしておけば産むだろう」
「えっ仕事がそんなに大事だったの!?じゃあ仕事と育児の両立を支援しよう」
→「仕事あるから結婚しなくても食えるし、結婚しなくていいや」
→「女だけ『両立』を求められるのはまっぴらごめんだし、出産しなくていいや」
→「若いうちに出産なんて絶対に嫌だし、じゃあ子供なんて産まなくていいや」
→「もう一人欲しいと思ってたけど、もう高齢だしじゃあ諦めるしかないや」
ってか。
「女は人生における最優先事項を結婚と出産だと思っている」って前提で考えるからこうなるんだろうなあ。
実際はそういう女は少数派で、かつそういう女は今でもさっさと出産しているわけで、
少子化改善したいならそうではない、「人生の最優先事項は結婚と出産ではない」女の出産を促進しなければならないのに、むしろ阻害するような事してるんだよなあ。
もっとも少子化対策としては、一人も産んでいない女に産ませるより、既に産んでいる女にもう一人産ませる方が効果があると言われていて
つまり「人生における最優先事項が出産だと思っている少数派女性に多数の子を産んでもらう」ってのがもう一つの道なんだけど
「平等じゃない」とか言ってろくにやる気がないようで。
どうも「一人も産んでいない女=最優先事項たる出産が出来ない哀れな超負け組」「産んでいる女=勝ち組」と言う前提があるようで、
後者を更に優遇するような政策を取ったら女の不満が爆発するとか思ってるらしいけど、
実際は「一人も産んでいない女=出産にさほど興味が無い女」なわけで、
そういう女にとっちゃどうでもいい&自分が出産プレッシャーかけられるより遥かにマシ、って感じだと思うんだけど。
実際三人目以降は児童手当大幅増額&大学学費が無料とかにしたら、三人目産む人かなり増えるだろうになあ。
あと「結婚しなくても出産できるようにする」ってのもあるけど、これは男の存在意義無くなるからどうあってもやりたくないようだし。
詰んでるよなあ。
いや、岡田斗司夫あたりも言ってたけど、「男は譲歩してるから女の子が妥協すれば恋愛(関係)は成立する」というのは正しいには正しいんよ?ただ、問題は女子の場合「恋愛すること自体よりも特に知りたくない奴と一緒にいて掘り下げていく価値がねー」というのが向こうさんの合理性だからなぁ…
ちょっと興味があるのは少子化なり晩婚化といった社会問題を女の人がどう認識してるかだね。女性的なモテ論から考えていくと「出会いがあれば…で合コン・街コン開いても、そういう場所に参加する以前の男とそういう場所に参加できない男がそもそもモテない…つまり、意味がないというところか?
オタク用語でいう「※ただしイケメンに限る」のイケメンは顔面の良し悪しではなく、態度が紳士的だったり、かっこよかったりするところを指してるなら正しい。女子から見たイケメン(顔ではなく、足切りラインは突破できる人)だけを呼ばないと出会いの場は事実上機能しないんだよなぁ…。うーん。
「女子と同じ土俵に乗れない(乗ろうともしない)男は恋愛候補にもカウントしない」のが女性。逆に言うと女性の候補に入れた人にモテは集中する。モテる男にではなく女の子を理解しようとする人にモテたいが正解
つまり、少子化や晩婚化対策じゃなくて商業的・地場産業的にに「出会いがあるで」と恋愛足切り組の男にお金を出させて、どうせ付き合えない女にとりあえず男を選ばせてあげる程度には街コン・合コンは意味があるんだと思うのよね…。「出会いがない」を言い訳にしてる人の何割が出会いで解決できる?と
その土俵に乗るための手段がわかんねーよ!って男性が世の非モテにして「クラッシャられ」なんですかねぇ
そしてそれを教えてくれる異性はいない、ので少なくとも乗ってるように見える恋愛工学が生まれ、話題になった、ってところでしょうか
そう考えると、女性的なアプローチでの少子化問題やそれ以前の晩婚化の問題は3つ。1つは「お金・時間・労働の問題」で、多少なり女性経験があっても貧乏になって口説く資金も出会いのある場所にも来られない人の問題。もう一つは「(男側の)モテの問題」。もう一つは家族制と一致しすぎ問題かと…
仕事や育った環境次第では「自分の非モテや土俵に乗る方法を知る訓練をしてくれる女の子に会う」だけでお金かかっちゃいますからね…。恋愛工学や元にしてるナンパ理論はそれらに比べると低コストにしてわかりやすいんですよね…。向こうさんは理論化してくれないし
正確に言うと、同性とは多くの人と付き合わないと学校や職場でやっていけないから、男子については「余計なコミュニケーションコストを負担したくない」になるんじゃないですか?ただ、女性がクリーンなのではなく、低負担なら割とでも遊ぶので関係が複雑化するというね…
結局「出会いがない」のはあったところでそれだけじゃ意味がないんですよ。
その関係が終わったあとの次、が何処からスタートかというと、前の人と同じ地点で、前進がないんですよね。
さっきの「女性のアプローチで少子化とか晩婚の問題を考える」に話を戻すが、長くなるから結論をきっぱり。女性から足切りされない「モテうる男性」が増えることと、結婚制度・家族制度に過度に依存しすぎないこと(これが男には変なプレッシャーを生むし、女も女で逃げ腰になるから)良くないのよね…
ただ、不思議なのは僕の経験や聞き及ぶ範囲では「他人に承認されてないからモテたい」と変な力が入った男はそのコンプレックス自体を足切りされがちなのに、その足切りされるゆえんを毒親のお母さんやキモいと露骨に罵る女性が根源であることがしばしばあることね。
そう考えると出会いを作ろうとか女性の人の待遇を優先的に上げて収入を底上げしようというのはやればやるほど少子化問題・結婚しない若者問題をこじらせていくよね…。出会いがあっても解決できない非モテ男子も、お金がなくて出会いの場に参加できない貧乏男子増やしてドツボにはまるだけ。
結婚制度うんぬんの問題は…縁談を整える口実として機能すればいいんだけど、縁談という時代でもなくなっちゃったら「ありもしない社会正義・家族像を押し付けられるだけ」になるのよね…。まぁ、ここらへんの問題は田舎と都会、世代間、イデオロギーで揉めるからモテだけを基準に話していいかが疑問
追加侮辱ね。しかも原因と結果が逆であったりする、見当違いの指摘。
逆に男が露骨に罵れば「私こんなに頑張ってるのに…」と押し黙って恨んだり、「そんなこと言うから嫌われるのよ」なんて言い返すケースが散見される。さらに友人などに言いふらして敵を増やす。芯まで腐ってる。
待遇よくし過ぎても、女王様ばりに振る舞う傾向があるし、権力に近づければ御局化するし、高齢になっても「このように私は慎ましく頑張ってきました」などと語り草が増えたりして、ろくなことは無いかなと思う。
「かつて自分は鬱病でした…」なんてことをブログなどで書く奴は信用ならない。
なんというか、「昔はヤンチャしてたもんだけど、今はちゃんとカタギでいっぱしの社会人やってますわw」みたいな武勇伝を語る自称元ヤンキーを見たような気分になる。
そのような精神疾患と関わりのなかった人間にそんなことを話したら普通は引かれるだろう。
実際引かれたし、友達もいなくなった。
過去にうつ状態だったことを明かしながら面接に望んだ会社はことごとく落ちたし、面接前の会社説明会と同時に行われる適性検査で鬱病歴やその傾向があるかどうかを問いたいであろう質問にYesと答えたら、もうその時点で落とされた。
十数社受けて三社から内定をもらったときのことだ。(その三社には精神疾患のことは一切伝えてないし、適性検査でも嘘をついて鬱の傾向がないようにも繕った)(まぁ結局その時受かって働いた会社も一ヶ月で辞めて、それからずっと引きこもってるが…)
採用方針なんて会社ごとに違うから何とも言えないかもしれないが、自分の精神疾患歴と採用については何かしら関係はあるはずだ。
というか、わざわざ聞いてくる時点で、それが採用に影響を与えるのは明白である。
鬱病だった、または現在進行形でそうであることを親しい人以外に公開するメリットはあまりない。
それをそうでもない人間に公開してしまった自分はただのバカだっただけなのか。
「鬱病だったけど今は元気になった。同じ痛みがわかる人間として手を差し伸べたり力になってあげたい」と考えて公開している人もいるだろうが、それは果たしてそんなに多いのだろうか。
ブログなどでそのことを公開する場合、それはその人の自己顕示欲を満たしたいがための自分語りの一部で、自分語りをストーリーとしてメリハリを出すための悲劇性を増すための道具として、そしてその壁を乗り越えることが出来ました!という少年漫画的なオチへ持ってこさせるための布石でしかないような書き方が多いように見える。鬱病だったという経歴はセルフブランディングの道具でしかない。今はこんなにブログ書いて精力的に活動して意識高い感じだけど、ちゃんと弱者の痛みも分かってますよ、というポーズをとるためのものでしかない。
鬱病歴を公開した場所(ブログやツイッター)が現実を繋がっていない、垢バレというやつをしていないのであれば、自分語りなんてどうとでも書けるし、書いたところでほぼノーリスクなので、武勇伝なり何なりは多いほうが人目につくだろうからメリットはあるのかもしれない。そんな武勇伝を披露する人も、それに惹きつけられる人間にも正直関わりたくはないけど。
鬱病でずっと引きこもり続けてる人たちはそもそもそんな自分語りを書くほどのエネルギーがないため、鬱病から回復した人の経験談の方が多く出てくるのは必然的だ。
現在進行形で鬱病ですとか言ってる人も見かけるが、何故それを公開するのか分からない。そうすると同情した人たちがこぞって慰めてくれるのか。ブログのPVがあがったり、ツイッターのフォロワーが増えてツイートがよりふぁぼられたりするのだろうか。
自分が生きてる意味はあるのか、誰かと繋がることでそれを自分自身に証明したいという気持ちはまぁ分からなくはないが、自分は症状がひどかった時はネットなんて一切やらなかった。やる気力もなかったし、誰とも繋がりたくなかった。
それを公開したところで誰かが声をかけてくれるとも思わなかったし、声をかけてくれても「うるせえ」ぐらいにしか思わなかったろう。誰に何を言われようと、それが普通の人からは優しい言葉であったとしても、自分にとってはプレッシャーをかけるような、場合によっては悪意のこもったような言葉にしか聞こえないから。自分宛てであろうとなかろうと、全ての言葉が切っ先が自分に向けられているナイフのようにしか見えなかった。
何にしても鬱病がセルフブランディングのための、ブログのPVを上げるための書かれ方をされる方が多い気がしてならない。
自分からしたら、そんなことを大っぴらにひけらかしても何も良いことないように思えて仕方ない。どうなんだ。実際ブログのPV上がったりフォロワー増えたりするのか?
何にしても、とりあえず、そういうことを公開してる人たちは鬱病で苦しんでいる人たちにエールを送っているのだと思うことにしよう。
そしてその上でその人達に聞きたい。
鬱病から回復して再び就職した時、鬱病だったことを公開しているのか?しているならどういう場で(面接の場でなのか、何も言わず就職してある程度仕事にも慣れてきたところで世間話の一つとしてなのかetc)、どうやって伝えたのか?
生きている以上はお金が必要になるので、働かなければならない。回復しても鬱病歴がある(とバレている)人間が働けないなら、それは大きな不安要素だ。
起業やフリーランスとして生きるという方法もあるだろうが、それはそれでリスキーだし、それで食っていけるのかということが新たな不安要素となる。
何にしても、治ったところで働けません、では結局お先真っ暗だ。余計辛くなる。
あなたが鬱病から回復して社会の中に溶け込めていているのなら、それは凄いことだ。褒め称えよう。ブログの読者登録とかフォローとか喜んでしよう。
まずサッカーに関してはほとんど無知だった。ウイイレでやってたくらい。7とか8とか。
なので、久しぶりに2008とかを友人宅でやったとき、クリロナとか知らなかったくらい。ユナイテッドも知らなかった。ロナウジーニョとかロナウドは知ってた。
本田も知らなかった。7とか8でユニフォームカッコいいなとインテルとミランよく使ってた。マルティンスだっけ、速いやつが好きだった。
そんで、2010の南アフリカワールドカップを何故か興味がわいて、大半の試合を見てみたらサッカー面白いんじゃね?と思った。
それから海外サッカーを見るようになった。そのとき香川がドルトムントやら内田がシャルケやら行ってたし、見たり。
あと、バルサレアル、ミランとかインテルとか、シティとかアーセナルとかのビッグマッチだけは見る感じ。ケーブルテレビに加入してな。まあ、見れないのはネットとか色々して見てた。
で、2013年くらいまでそんな感じ。だから、インテルが弱くなっていく過程とかユーベが強くなっていく過程とか、バルサが四年目から綻びが出てくるとことか。
モウリーニョのバルサ対策をネットの記事で見たりね。スペインでサッカーの監督やってる人が個人ブログしてたりするから、雑誌より詳しかったりするし。
試合見て、ネット見て、雑誌みて、代表戦みて、、みたいな。FIFAサッカーゲーム買っていろんなチームでやって、選手の名前は覚えた。
で、柿谷フィーバーあったやん。その辺りから2013?4? そのときからJリーグもちょくちょく見るようになった。セレッソ、広島、柏、とか。ガンバが落ちた年かな。
東京に住んでいるんだが、FC東京つまらんし、東京にそこまで郷土愛ないし、見てない。味スタ行ってみようかなとは思ったことはある。行ったら変わるか?
で、最近Jリーグ見なくなった。なんというかセリエ、リーガ、プレミア、ブンデスの強いチームの試合しか見てないからか、Jリーグの弱点が気になるというか、飽きるというか。
そもそも海外の試合でもハイライトでいいかなーって時があるしな。まあ、こないだの広島対柏は良かった。マジで良かった。
弱いから見なくなったという訳ではない、Jリーグが、日本が、強くなるビジョンが見えなくなったからというか。。
播戸さんがブログで日本のサッカーにJリーグに足りないことを書いていたけど、レフリーとか芝とかサポーターとか、カメラアングルとか。なんというか弱点に向き合わないというか。直視しないというか。現実のサッカーを理解していないというか、トップのサッカーがどんどん変わっているのを眺めてもいないというか。
フィジカルじゃ勝てないからパス回しで勝とうとか、スピードで勝とうとか、ああいう話。バスケでもラグビーでもそういう流れだったらしいが、結局フィジカルもそうだけど、基本のパス回しから負けてるんだよね。バスケはアメリカ、スペインと比べてボールを止める、離すという基本技術が足りないって話だし、ラグビーは日本代表の監督が変わって、フィジカルでもある程度対抗できるようにしようってなってるらしいけどな。NUMBERで読んだだけやけど。バスケに関しては本を何冊か読んだ。
で、日本サッカーは現実を直視していない。身体をぶつけることを、Jリーグから、もっと言えばユースの頃から逃げているから、海外いくと歯が立たない。アジアでさえフィジカルコンタクトで負ける。この前の東アジア大会は別にどうでもいいけど、日本サッカーの方向性が間違っていることは認識しないと駄目だと思うわ。
審判が簡単に笛を吹く→フィジカルコンタクトをDFがしない→フィジカルコンタクトに対応できるFWなりMFが育たない→海外いくと話にならない
この流れな。
クロスが日本サッカーって下手じゃん?ユース世代から短いパス回しばっかりやってるから、狙ったところにパス出せないんだよ。
クロスをピンポイントで上げる技術がない→ピンポイントでボールがこないので、CBはFWに対して距離をつめる必要がない→FWはプレッシャーを受けない→FWは駆け引きを学ばない
この流れな。セットプレーに日本は弱いとか曖昧なことをサッカー記者が言っているが、まずクロスをきちんと上げられるやつを育てないと駄目だよ。記者もボンクラ。
川崎対ドルトムントで簡単に香川がクロスをヘッドで決めただろ?川崎が守備のこと考えていないクソみたいなチームだったとしても、CBがマークもしない、身体もあてないってのはあれ酷いわ。現実を見ろ。セットプレーで得点の三割を占めるんだぞ。アンチェロッティもハリルホジッチも言ってるだろうが。
言いたいことたくさんあるけど、箇条書きにするわ、何かあればブコメでもtwitterでも書いてくれ
1、フィジカルの話。ハリルがもっとボールホルダーに近づけって言ってるけど、FWが手を使ってプレスをいなすこととかもな。アグエロとかテベスとか手本がたくさんいるだろ。まあ、テベスがJリーグに来たらカードの嵐でしょうが。
2、守備(FC東京のイタリア監督がゾーンしっかりやるだけで上位にいるけど、日本サッカーってゾーンディフェンスの基礎も出来てないってFC東京の監督にもトルシエにも言われてるからな、サッカー雑誌でイタリア人のユースの監督とかがかなり駄目出ししてる)の話。アルゼンチンとかオランダとかスペインとかからコーチ取ってきて、ユースから教えないと駄目だと思うわ
3、パススピード遅い 速いパスをトラップできない→パスを遅くしろと要求→パスがちんたら遅くなる(日本代表でさえ)。あのなロッベンがパスを受けるとしてパス速いってだけで、早くトラップできるから前を向く時間ができるんだよ。パスが遅いとディフェンダーにつめられるんだよ。だから、ブラジルとかと試合するとパスサッカー通用しないの。Jリーグが当然のように距離をつめない、なんちゃってディフェンスやってるから問題にならないけどな。川崎がドルトムントにパス回し通用しなかっただろ?川崎はパスのスピードはまだしもトラップが下手。あと、トラップする前に周りをみてディフェンス来てるか、距離はどれくらいか見ろ。
4、判断が遅い あのーずっと話が繋がっているんだけど、ディフェンスが距離つめないから、前向けるって話をしたけど、それプラス考える時間があるんだよね。ディフェンスが距離つめると早く判断しないと間に合わないんだ。つまり、パスもらうまえから何をするか考えないといけない。Jリーグだとなんちゃって守備だから、トラップして、パスの出す先を考えて、パスをだしても間に合う。プレスに来ないから。だから、パスもらってから考える奴が多いんだよね。
あのねーペップバルサが凄いのは凄いんだけど、薄っぺらい表面だけ見過ぎ。パススピードも判断の速度も、守備もちゃんと直視しろよ。スペインドイツアルゼンチンオランダブラジル辺りのサッカーと比べて圧倒的に知識不足だってことを理解しろよ。勉強し続けろよ。人生学ぼうと思わなかったら成長なんて簡単に止まるんだぞ。
5、審判
なんというか審判に限らず日本全体だと思うんだけど、ルールを守るために審判やってるよね。なんというか何のためにルール守ってるの?プレミアだったら試合をスムーズにスペクタクルにするためにルールを守っている。日本はルールでこうなっているから駄目。西村さんのインタビュー読んで絶望したわ。選手が倒れるから笛を吹かざるをえないって。なんというか、日本サッカーを強くするために笛を吹けないんですか?プレミア基準と言わず、ブンデスセリエリーガの基準で吹いて、そうすれば日本でやっていても、海外でやっていても違いに悩まされないだろ?日本サッカーはフィジカル弱いから、ある程度フィジカルコンタクトを許容する。それが日本サッカーが強くなるためだと思うんですがね。
まあ、色々書いてきたけど、不満があって、その不満はネット上やらサッカー選手のブログやら、雑誌(にいくらでも書かれていて、サッカー批評かフットボール批評か忘れたがコンフェデとかワールドカップでの日本代表の守備のどうしようもない下手さ、を書いている。イタリアでは15までに全部習うとか)にあるのに、それが改善される気配すらない。なので、Jリーグに魅力を感じづらくなった。
ああ、あと!柴崎!まあ、すごい選手ではあるとは思うんだけど、例えば海外に行きました。運良くリーガセリエブンデスの下位チームに移籍できました。となったとする。間違いなくボランチでは使われないんだよね。まず身長が求められる、守備が求められる。恐らくトップ下になる。
小さいボランチだとPSGのベラッティ。ただ、PSGは3ボランチだし、守備に走るし、ボールを狩る力もある。メッシからボール取ったり。
守備のできないボランチと言えばピルロ。ただ、ピルロは遠藤ヤットや柴崎と比べて、中盤やCBがボールを持った際にFWへのパスが通らないようにパスコースをふさぐことができる。守備力は無くても守備に対する理解度があり、それを行う実行力がある。イタリアで守備戦術はガッチリ教わっているだろうし。
そういったボランチとしての守備力は足りなくても最低限はできて、尚且つボランチとして非常に優秀であるからベラッティやピルロは使われている。遠藤も海外からオファーがあったというから、移籍先で守備に関する理解度を深めていたかもしれない。
で、柴崎はパスも上手いし、たまに前線に顔をだして攻撃面では素晴らしいが。守備はバイタルエリアをあけるし、パスコースを切ることもできないし、身体を当てることもしない。何よりボランチに必要とされる守備を理解していない。そのような選手をサッカーライターが絶賛し、ネットでは柴崎を手放しで褒めている。どうしようもない。柴崎がいつかネイマールやエルシャーラウィなど凄い人と比べて凄くないだの、ブラジルは凄かっただの言っていたが、見るべきはモドリッチ、シャビアロンソ、ブスケツ、ピルロだったな。
現代サッカーに求められていることが分からない、チームに求められていることが分からない、監督に求められていることが分からない。それではどうしようもない。海外に移籍したら、言語の問題がでてくるのは、そこ。宇佐見は理解できていないし、理解しようとしなかった。最近守備もするようになったが、プレスにいくべきときに行っていないし、追わなくてもいい場面で無駄に体力を使っている。まあ、ガンバユースが現代サッカーに求められていることを理解できていなかったのだろう。
恐らく、宇佐見は2トップのチームでないと海外では活躍できない。守備に貢献できないからだ。宇佐見があれ程の能力があって、サッカー人生で失敗となれば、日本サッカーもさすがに気づくだろう。宇佐見はホッフェンハイムの前にリバプールにいっておけば良かったかもね。オファーあったんでしょ?スターリングだって、守備下手くそでやる気なくても使われていたしね。
なんというか、海外のサッカーは見ていませんってアホなこと言ってるサッカー選手が多いけど、プロのサッカー選手として生きていくのに、レアルバルサユーベシティチェルシーバイヤンドル辺りのサッカーを見ていないってのは、センター試験の過去問見ないで模試も受けないで、テストに臨むようなもん。
とりあえず、Jリーグはお金がないからしょうがないだろとか、弱いんだからしょうがないだろってのは分かるんだけど、強くなるよう努力はしてるんですか?強いサッカーの中身を直視しないんですか?ってこと。
まあ、私みたいのは珍しいだろう、テレビで放送して、ネットで色々twitterだのfacebookだの露出を増やして、アジアのスター選手を取ってくれば人もみるようになるし、お金も集まるようになるだろう。ただ、日本サッカーがよくなる希望を見たい。アメリカのサッカーが盛り上がっているのは露出が多いのもある、ネット戦略が上手いのもある。だけど、アメリカのサッカーが上昇していくって感じられるから魅力があるんじゃないかな。なので、お金ないならないで、セリエとかリーガの安い給料で中堅クラブのエースとかやっている選手を取ってきてほしいけどね。30超えていてもな。
いい話だけど、
量と質は、もう限界に来ている。
次の日本アニメの旗手は細田氏だっていう世間的な期待とプレッシャーは
あるんだろうけど、
びっくりするほど興ざめだった。
心の中にどういう化学反応を起こすのかというところが
エンターテインメントとして一番の肝でしょ。
それをさ、全部わざわざセリフでご丁寧に説明したら、なんの余韻も想像の余地もないじゃない。
どんなお客さん想定して作ってんのよ。
あと、ビジュアルにこだわっているのにほとんど演出上意味のないシーンが多かったのも
正直まったく共感できなかった。
なんだこれっていう。
これね、たぶん細田氏が悪いんじゃないよ。
NHK番組見てて思ったけど、誰も細田氏に対して何も言えてない感じっていうか、
完全に細田氏の「おれのかんがえるさいきょうのシナリオ」になってて
それが全肯定されてると見えるんだが。
どんな能力あるクリエイターでも、映画みたいに巨大なプロジェクトになったら、
ひとりの考えだけで進んだら歪んでいって、お客さんを置き去りにした
それを組織文化として、徹底的にこの20年間やり続けてきたのが、ピクサー。
チームで人を育て、チームで面白い映画を作り続けることをミッションに、
一方でスタジオジブリの宮崎氏も、細田氏の手法も、完全に1人の監督依存スタイル。
あるいは監督に親しい有力者が介入して作品をスポイルしていく危険だとかが野放しになっているし
実際最後のほうの宮崎作品とか、今回の細田作品とかも、その危険が実際の作品の質の
低下につながっていると思える。
あと、この方法だとまったく人が育たないよね。
宮崎氏の引退で、日本アニメの終わりみたいな現象が起きてる時点で、詰んでる。
俺、一時期、アカデミー賞のアニメーション映画でピクサーばっかりが受賞してたとき
日本アニメは正しく評価されてないんじゃないかと思ってたんだけど、
今ならそれは間違った思い込みだったとよく分かる。
持続的に、クオリティの高いエンターテインメントを出し続ける方法。
オスカー受賞し続けるのは当たり前。
2001年の千と千尋の神隠しが受賞したのは、天才宮崎の属人手法の日本アニメ選手がたまたま傑作を生んだだけ。
かつバケモノの子くらいの映画が本当に面白いと思ってしまう人が沢山いる時点で、
これから日本のアニメーション映画の質が持続的に高くなる可能性は極めて低いと言わざるをえない。
残念だ。
残念なガラパゴス。
俺はピクサーを見るよ。