はてなキーワード: 義足とは
ファイアパンチ35
アグニの肉でみんな腹を満たした
でもみんなのなかでアグニ=神の肉を食べればいいことがある的なそれこそ宗教じみた考えが広がっていく
アグニはトガタに死んだらどこへいくんだと問う
トガタは映画館と答える
ファイアパンチ36
トガタはアグニに教祖らしきことをさせるために演技させて逃亡兵を許させる
逃亡兵は、命令でドマを逃がしたという
トガタ「まだ未練ある?」
アグニ「ない」
トガタ「まあもうあっても困るんだけどねえ。今はファイアマンじゃなくてアグニ様なんだから」
という会話の後、レジスタンスのリーダーの心を読めるやつが、「トガタは嘘をついてひょうきんなふりをしている、面白がっているだけの、女の体に覆われた男」ってアグニに言う
ガーン
この先、二刀流に次ぐ今までに実例のない野球選手が出てくるとしたらどんな選手なのか、考えて見ました
女子プロ野球も数年前から誕生し、少しずつ裾野は広がっているのではないでしょうか
何年か前には大学野球で女性投手同士の投げ合いというのが話題になりました
どうしても女性は体格で劣るので、変則左腕投手あたりが通用する可能性があるのではないでしょうか
もしくはソフトボールのブストス選手のような恵まれた体格の選手がクリンナップを打つのも見てみたいですね
これは実例があり、槍投げ、短距離走、相撲、ソフトボールなどの経験者がいました、
以前他のスポーツをやっていた選手の、プロ野球での成功が見てみたいです
●左右両投げ
精神の成長も、肉体的成長と同じで生まれながらに千差万別の特徴を持っていて
環境とか運とかでハンデがあったりしていろいろ変わってくるわけだから
だからたしかに同じ年齢でもやたら成熟した人もいれば未熟だなって人もいるけどさ
事故や先天的要因で肉体的にハンデキャップを負っている場合と比較して
精神とか性格とかに対してはおおっぴらに指さしてもかまわないって感じがする
ただ肉体か精神かっていうだけの違いなのに
でもだれだって好きで幼稚なわけじゃないよね
そりゃ人並みにこなれた社会性のある人格の優れた人間でありたいさ
でもどうしようもないじゃん
指をさすなってわけじゃなくって
無くした足に義足を付けるような何かが
精神的な部分にもあってほしいと思うだけなんだよ
初めてまともにパラリンピックを見て、純粋にかっこいいと思ってしまった。
彼らがそうなった背景とか考えると泣きそうになるし、そうなりたいか?とか、言われると違う。だけど、かっこいいって思った。
あのメカニックが、かっこいい。
この感情はなんなんだろう。
そんなことに疑問を抱きながら、興奮しながらパラリンピックを見ていた。
車いすテニスとか凄かった。普通にテニスするより凄い距離を移動している!走り幅跳びも、走ってる時点で凄いしめちゃくちゃ跳ぶ!
なんであんなに宣伝するのにNHKはパラリンピックを放送せずゴルフを放送しているんだろうとか、イライラしながら。
「鋼の錬金術師」
そう、めちゃくちゃはまった漫画だ。アニメ初代を小学生から見て、原作忠実になったものも見た世代だ。ハガレン世代なのだ。
うん。そうなんだ。あの世界の中のオートメイルという義手や義足、改造された武器なんかがとても格好良かった…。
主人公は過ちを犯し、手と足を失い苦労し努力をする。説明は不要だろう。
ああ、それに重ねちゃってるんだなって気づいたとき…なんだろう罪悪感が湧いた。
だけどね、凄い応援したいと思うし、凄い格好いいと思うんだ。
これは当事者の立場には立ててない感情だと思うんだよ。そんな良いもんじゃないって怒られるかもしれない。辛いことも多いだろう。大変だろう。
だけどあのパラリンピックの会場に立っていた人は、そういう感情を乗り越えて、こういう自分のような好奇な目に晒されるのも覚悟して、更にすごい努力をして、あの舞台に居るんだろう?
パラリンピックを見ていて、いろいろと思うことがある
この人はどんな障害があるのか、どうしてその障害を持っているのか、使っている義足や車イスの形や仕組みはどうなっているのか
そういうことを思うたび、これは「差別」ではないのか、障害者である前にアスリートなのだからそういう目で見ずに普通にスポーツとして見るべきではないか、と
しかし、そもそもパラリンピックは障害者スポーツの最高峰で、いろいろな障害の人が出場している
その障害にも度合いがあり、その度合いによりクラス分けされている
そういうことを考えれば、どこに障害があるのかとか、どんな障害なのか気にするのは当たり前のことなのではないかとも思う
そしてパラリンピックの話になると、よく「パラリンピックは見世物ではないか」という話を聞く
見ていてそう思うこともある
しかし、それを言うならオリンピックも見世物ではないのか、スポーツそのものが見世物ではないのか、とも思う
ここにさほど大きな差を感じない
どれも感動的なことだし、どれもとても興味深くて面白い
難民の人が出ることが美談で、障害者が出ることがタブーになる理由は自分には分からない
自分では差別意識はあまりないと思っているのだが、パラリンピックを見ていて思うことがある
選手同士で揉めていたり、少し汚いプレーをしていたり、ドーピングが発覚したりするのを見て、とても変な気持ちになる
それは、どこかで障害者スポーツは綺麗なものというイメージがあるからだ
勝負よりも参加することに意義があるというイメージがある
しかし、出場している選手はただ純粋にスポーツをしているだけだ
オリンピックと同じ程度には汚いプレーもするだろう
そんな悲しい姿を見るよりバラエティ番組を見た方が100倍マシだ!
ところで近年ではテクノロジーによる後天的身体強化の研究は結構するんでいる、
ルーシー・マクレー「生物学とテクノロジーの融合 ~テクノロジーによる身体の再定義~」
http://headlines.yahoo.co.jp/ted?a=20151118-00001413-ted
ハンディキャップレスだけでなく娯楽やプラス方面でもバイオテクノロジーと人間の体の研究は進んでいる。
今の希望は私にとってはAIではない、AIに対抗…AIに認めてもらえるだけの人類の身体強化がどこまで到達できるかどうかが私の希望だ。
要は、身体的なハンディについて、本人が努力してどうにかする(それこそメガネのような補助具から、義手義足、車いすなど)という考え方がある一方で、「バリアフリー」って考え方もあるじゃないですか。社会の方がバリアとなっている関門を積極的に下げることで、ハンディがハンディではなくなるという考え方。階段の横にはエレベーターを設置しましょう、とか。つまり社会全体でハンディの一部を背負うという考え方がある。
では、精神的なハンディについては、どうなんだろうなと。本人の自助努力(カウンセリング、投薬治療なども含め)が全てなんでしょうか。知的なハンディについては、社会福祉の一貫で社会が負担を一部肩代わりすることもされるけれども、精神的に多大な問題を引き起こしそうなハンディ…境界性人格障害だとかサイコパスとか、そこまでいかなくてもADHD、アスペルガー症候群、そういったハンディに対して社会はどれだけ負担をしているのか、するべきなのかとちょっと思ったということです。そのせいで問題が起きたとして、それは100%本人に責任を帰すべきなのでしょうか?
前者の場合、社会が「一部を負担する」という関わり方ができるのに、後者の場合は、責任能力の「有無」みたいな、0か1かという極端な判断のされ方をする。でも、ハンディってそういうものじゃないということがだいぶ分かってきた現代において、精神的なハンディに対する法の在り方は時代に即しているんだろうか、と思ったわけです。
オフェンス勢。
ソルジャー76
勝てないかなって思って当たりに行ってもだいたい勝てない。
そのおかげであんまりつっこみすぎると逃げることさえ出来ず狩られがち。
こっちからやることは、見つけたらさっと撃ってダメージ入れて解散、くらい。
リーパー
勝てないかなって思って当たりに行ってたら相手のヘルスが元から削れてた時とかに勝てる。
走り回っていいならわりと勝てる。
けど相手の体力250もあったりレイスされたりで決着が付かない。
逃げられる側。
ファラ
勝てるとか勝てないとかじゃなくてなんか別のところで戦ってる。居ない。それなのに相手はこっちを狙ってると思う。
歩いてる奴を調子に乗って狙いに行くと直撃120ダメージで溶かされたりする。
ぶっちゃけ逃げたい。
マクリー
集団戦の時とかはわりと狩れてる気がする。
ばったり会ったらソルジャーと同じように装填分だけ撃って逃げて良さそう。ソルジャーより狩りやすいと思うけど。近づいてはいけない。
やたら跳んだり風切りうまかったりするゲンジは負傷不可避。しかも逃げられる。こっちの体力少なければ見事にミリ殺される。
木の葉返しはわりとどうでもいいと思います。
トレーサー
お互い決め手に欠ける。
ディフェンス勢。
ウィドウメーカー
みつけたら殴る。
みつけられなきゃ気付いた時には殺される。
みつけて殴りに行っても、立体起動ができたりアサルトライフルが普通に強かったりでそれほど楽勝ではない。
体も細いので当てにくかったりする。やはり大事なのはエイムである。
ハンゾー
いない。
たまにいたらこぞって殴りに行く。
二階席にいるのをみつけて殴りに行くのも、反射矢があるので注意が必要。
オーバーウォッチ至上最も心拍数の上がる瞬間、それはバスティオンを正面から狩りに行く瞬間です。
こちらを狙いに揺れる弾道を縫い、背後に回って全弾発射。足を止めず、敵の旋回速度を越え、デジャヴってもんを教えてやる。
しかしこの戦いの最大の難点はよほど負けることです。(´•᎑•`)<こんなん地雷プレイに決まってんだろ
素直に裏をとりましょう。お互いそういうキャラクターです。トレーサーは裏を取るべきで、バスティオンは裏を取られるのに弱い。
メイ
トレーサー氏、またしても近付かないことが要求されます。もうソルジャーやれよ。
しかしながらこの超強キャラ(当社調べ)に対して、比較的安全に立ち回れるのもトレーサーです。
とにかく凍りかけたら距離を取れる。その一点で生存率は跳ね上がります。その末に返り討ちに出来れば儲けたものです。
足が遅かったり、半端に殴っても凍られたりとするので、パルスボムを見舞ってやりたい相手の一人だと思っています。
事 故 死 亡 率 N o . 1
もうひどいときは死因の8割5分がこいつ。本当につらい。ブリンク先に爆弾。気付けば足元に爆弾。
さらにその5割はキルカメラを見ても空に向けて遠投。ここが戦場、血の海だぜ。
怒りに震えて裏を取りに走りますが、待ち受けるトラバサミトラップ。さらにコンカッションマイン120ダメージ。
とにかくいい思い出がありません。目の前をふらふら歩き回ってる義足野郎がいたら、ここぞとばかりに蜂の巣にしてやりましょう。しかしガバエイムで2回以上くらいリロードが必要になりそうなら、返り討ちに遭う前に逃げておけ。
トールビョーン
Lv1はペラペラトレーサーでも壊せる
D.va
後ろから殴るとなかなか壊れない。正面から殴るとわりと溶かせるけどこっちもそこそこ痛い。
距離感が大事。トレーサー感覚における中距離くらい(主観)。それより近いと被ダメージがかなり増える。
どっちにしても走り回って殴ってれば緊急脱出するので追撃すればよい。
追撃に躍起になりすぎて直線的に動くとなんたらハンドガンでわりと死ぬ。あれ強いからな。
ロードホッグ
ザ・即死要素。
フックに捕まったら死を覚悟しよう。何か希望を持って後方ブリンクかリコールを連打してたらなんとかなるかもしれない。
それ以外は弾薬袋かなんかだと思って差し支えありません。なんかヘッドショットも出やすい気がします。
散弾勢なので距離をはじめ注意したほうがいいのは確かですが、まあよほどの達人でなければフック注意の感覚で細かくブリンクを続けるだけでそれに狩られることはないでしょう。
ザリア
トレーサーのDPS並びに瞬間火力は彼女のチャージを最も促進させるものではないでしょうか。
バスティオンくらいの継続火力になるとバリアごとキルまで突っ込む訳ですが、
ペラペラ耐久のトレーサーさんがバリア2秒に対して見事に1秒で全弾発射→1秒でリロードなんてやってる内に返り討ちは必至です。
武器形状も継続ビームみたいな感じで当てやすく、タンクのわりに的も小さくと、嫌な要素が山盛りです。
おまけに体力のほとんどがシールドなので、すれ違いに殴っといてプレッシャーかけようなって観点でも意味が薄れがち。本当に困ります。
ゴリラがメガネしてやってきた。略してゴリメガ。要するにカモネギ(?)
もはや負ける要素がありません。強いて言えばげきおこ状態のゴリラを狩りきることはできませんが、普段のゴリラは本当にカモです。射程でも負けず火力でも負けず。ついでにこちらは電撃の射線切りも得意。
メイン盾。チャージで駆け寄る姿は「はやい!もうきたのか!」の一言。
パルスボムを「これあげる!」したい筆頭。かつやりやすい筆頭。
テキトーにすれ違いブリンクからの背後からポイーすれば体についたり盾の内側についたり。そして相手は死ぬ。
ボムがなくても、恐らく最もハンマーのリスクを恐れず正面から回り込めるキャラクターではないでしょうか。そんなんしょっちゅうやってられませんが。まあつまり蜂の巣です。
ファイアストライクは避けましょう。可能です。アースシャターはもう無理。そのまま撲殺。ULTだししゃーない。
サポート。敵隊列の後ろに回るのが仕事なので、必然的に役割対象。
狩りにくさもそこそこ。ガバエイムトレーサーは自己回復と立体起動に苦戦することでしょう。
気付かれずサクッと倒せれば儲けもの、倒せなくても団体と離せたりしたら勝ちです。深追いしなくていいんで次行きましょう。
シンメトラ
タレットに気付かず1デスもらうこと山のごとし。だいたい気付いたときには遅いんですよね。
メイン武器の接続ビームも少し苦手です。ゴリラより弱かったはずだと思うのにこのイメージの差はなんでだ。
というわけで、久しぶりに近付きすぎてはいけないキャラです。みつけたタレットちゃんと壊すだけとかでいいかもしれない。
狩ろう。
マーシーをピックしてくれる心の優しい方には申し訳ないと思いつつも、移動性能もそれほどでなく、反撃手段もほぼ無しの相手。こんなんご飯です。狙えるタイミングがあったらまず狙うべきキャラクターです。
ラインハルトと二人しかいない時なんかには、やりすぎるくらい突っ込んだら楽しい展開必至だと思います。
油断ができない。ゼニ師匠。
間違いなく役割対象です。横から1マガジンで瞬殺してやりましょう。
しかしながら、師匠を狩る楽しさを知った頃のそこの貴女。正面から挑んではいけません。
デバフ不和のオーブと長距離直進高威力破壊のオーブ。この二つによって、トレーサーとかいう生き物はマジで溶かされます。あとなんかゼニの射撃はよく当たる。体感。
そういうわけで、相手に気付かれず横から後ろから近距離に立つことが必要です。まあ最後なんで言いますけど、逆に正面から行って得する相手なんていないですけどね。そういうことです。全キャラ「後ろから殴れりゃ勝てんじゃね?」で完結してもいいと思います。トレーサーってそういう奴です。そんでガバエイムでせっかくのチャンスを無駄にしていくスタイル。俺や。
自分は男でヘテロなんで女の子に対して妄想するだけなんだけど、別に男or女から男or女という組み合わせはなんでもいいとして、手足の欠損フェチつまり腕なり足なりがぶった切られてるっていうことに対してフェティッシュな感情をいだくってのはどんだけマイナーなんだろう。
個人的にはもう理想の女の子を想像すると欠損しているのがデフォルトで、一昔前は四肢全部欠損しているのがブームだったんだけど、最近は両腕がないという程度もそれはそれで可愛いかなーという感じで、この辺の好みは千差万別だと思う。またさらに個人的にはそもそも「ない」子を相思相愛的に愛でたいし痛めつけるつもりはないんだけど、ここは「ある」子をぶった切る過程のほうがむしろ主眼という人もいるかもしれない(私的に邪道と言いたいが余計なお世話か)。
という上で、欠損フェチなはてなユーザーとかいないんだろか。あるいは、あんまりフェティッシュな感覚はないけどこのレベルの欠損ならオッケーとか。みんな欠損に関してどう思っているのか知りたいので、トラバなりブコメで教えてほしい。
極々個人的には、将来的に髪の色がどうこうとか胸の大きさがどうこうとかと同じ感じで片腕のあるないとかが扱われるようになると嬉しかったり。ラノベとかえろいゲームとかハーレムアニメとかで普通に欠損しているヒロインが混じってる感じになる未来を希望してしまう。
時代はノーマライゼーションなんだよね。だったら、健常者がパラリンピックに全く出られないのっておかしくね?
障害者に比べて健常者のほうが体力あるからダメなの?障害者だって障害の程度によって体力著しく違うじゃん。だから車いすバスケはもってるハンデで点数つけるよね。健常者もハンデの点数決めれば対応可能だし、日本の大会ではそれやってる。ローカルな大会ではできるのに国際大会で出来ないのって何のせいよ。
障害者の生きがいを奪うからダメなの?ブラインドサッカーって、弱視の人間も完全に見えなくなるようにアイマスクするよね。普段見えてて試合や練習の時だけ目隠しする人より、元から見えない人のほうが有利じゃない?
義足ランとか対応できないものもあるのはわからないこともないけど、車いすマラソンなんか、車輪使うから普通のマラソンとは全然違うタイムでゴールするよね。そこに健常者と障害者を分ける意義、ある?
けっきょく、いたいけな障害者が頑張ってる、っていうイメージにお金を払ってもらうために障害者以外の参加ができなくなってるんじゃない?そうとしか考えられないんだけど。
だとしたらパラリンピックってかなり欺瞞の多いイベントだよね?感動を求めてとかって放送しているNHK、24時間テレビのこと笑えないよ。
卒業と入学、就職に伴い、引越しのシーズンが到来したが、中には自分でレンタカーでトラックを借りてやってしまおうという人も多いかも知れない。
そんな人に、運送業勤務歴がある増田がトラックを借りたら真っ先にすべき事をアドバイスしたい。
トラックを借りて真っ先にすべき事…
車検証のどこを見るのか?
「全高」を見るのだ。車の高さである。それを紙に大きく書いて、ダッシュボードに置いておく。
何故か?
トラックを借りる場合、恐らく箱車(メタルバン)を借りるだろう。若しくは幌付き。
言っておくが平車は難しいぞ。両アオリに壁を作ってテトリスのようにぴったり積まないといけない。
箱車の特徴は背が高い事だが、ただ背が高いのではない。
「運転席より後ろが高い」のだ。
だから目線よりはるかに高い荷台(しかも後方)の車両感覚なんて付いている筈が無い。
だから道を走っていて「高さ制限」の標識があったら見逃さず、メモの全高と突き合わせるんだ。
箱車は3.7mが多い。
これをうっかり忘れると「ドカーーーン」とやらかしてしまうわけである。
因みに車の破損は保険がおりる。しかし衝突で道路設備を壊した場合、保険はおりない。
それから、商店街には入ってはいけない。商店街は人通りもあり道もすれ違うには狭い。
そして何よりも「商店の軒先」が鬼門だ。雨の日の買い物客が濡れない為のビニールの日除けなどだ。あれには「全高」表示がない。
そして「運転席より高く、箱より低い」のだ。最悪だ。
つまり、すれ違いで気を使って路肩に寄せている内に運転席基準で軒に寄せすぎてしまう。すると数秒後に「めりめり」と後ろで聞こえると言うわけだ。
これは30万以上と思ったほうがいい。
また商店街の電灯から斜めに枝飾りなんかを出している事がある。これが幌に引っ掛かると、簡単に破れるのだ。
あと注意すべきは、川の近くの道だ。
川に近いところは管理者が河川局になっている場合がある。すると、警告や制限標識などの設置基準が他の道路と違う、特に劣る場合がある。
それに気付かずトラックで通行したら、いきなり3.6mのローカル線のガードなんかが現れたり、なんて事もある。
古くしょぼいガードだと速度が出ているとぶつかった衝撃でずれてしまう事がある。
そうなったら大変だ。エライ金取られて人生が終わること請け合いである。
ならば逃げてしまおうか?
死者が出た場合、往来危険致死に問われ、この法定刑は死刑か無期懲役だ。
そういう訳で、川の近くで道がしょぼくなったら特に注意が必要なのだ。
ついでなのでパンクした時の事も書いておく。
まず特徴的なのは、「トラックの左側のホイールナットは逆ネジ」という事だ。
これはゆるみ止めでそうなっている。左にいくら回してもナットは緩まない。
次に一番大事なのは、ジャッキで上げる前に「車止めを必ずしなければならない」。
サイドブレーキだけじゃダメという事だ。これはトラックの構造に由来する。
だから1輪をジャッキアップしても、どっちかの後輪が設置していれば車は流れない。
これに対し、トラックのサイドブレーキは「ミッションの出力軸」を締め上げる構造になっている。つまり車輪自体はクルクル回るのだ。
そして車の駆動輪には「デファレンシャルギア(デフ)」というものがある。これはカーブで左右のタイアの通る距離が変わるので、それを吸収するための機構だ。
電車では両車輪は直結になっているので、カーブでは軋み音がしてスリップする。電車は鉄車輪だからスリップしやすいが、ゴムタイアではそうは行かない。
このデフの悪作用で、片輪をジャッキアップすると持上がったタイアが回転を始め、車が動き出してしまう。
そうなると、当然ジャッキは外れて車は落ちてくる。
死ななくても、体勢的に足は挟まるだろう。その後はずっと片足義足の人生だ。
だから、タイア交換する羽目になったら「必ず上げる車輪の対角に車止め」を忘れてはいけない。
因みに、この「ミッションにサイドブレーキが掛かる」というのは、バスに乗っている時にも実感できる。
渋滞、終点等でバスがサイドブレーキを引いたときに前後に「ゆっさゆっさ」と揺れるのを感じた事があるかもしれない。
これはデフの歯車やジョイントの遊び、シャフトの捩れがあるからで、乗用車ではない挙動だ。
因みにトラックはMTでもエンジントルクが太いのでエンストしないから乗りやすいし、坂道発進支援装置(自動的にサイドが掛かって外れる)もあるから、運転は難しくないのだ。
A. 「『不倫する乙武さんに失望した』と言う人は"障害者"に対して"清廉潔白"なイメージを押し付けている差別主義者ではないか」とか言い出す人
C. 「逆に男として評価をあげたぞい」とか言って擁護するおっさん
D. AV出演
D1. 十年後、そこには第二の加藤鷹としてDMMでコラムを執筆する元気な乙武さんの姿が!
G. 絶版の嵐にもめげない乙武さん、『五体不満足なボクが教える本当に気持ちいいセックス』を出版して世界的なベストセラーに
H. 2042年、ノーベル文学賞を受賞(この年も村上春樹はおしくも受賞を逃す)
I. 2065年、最新鋭のハイテク義手義足を装備した乙武洋匡が、「われこそは新世代の人類――N.E.X.Tである」と宣言。五体満足の旧人類に対して反乱を起こす。
J. 2069年、乙武軍、人類との最終決戦に勝利。旧人類を奴隷にする。
L. 乙武軍、タイムトラベルを駆使して旧人類叛徒のリーダーを幼少時(2016年)まで遡って殺そうと計画
M. 旧人類反乱軍、乙武軍の計画を阻止しようと最強の五体不満足ロボ・オトターケネーターを2016年へ送り出す。
N. いろいろあって、オトターケネーターが溶鉱炉に沈む感動のラストで幕。
O. 五体不満足なので溶鉱炉に沈む間、オトターケネーターは親指をたてられなかった。
P. だが観客はたしか目撃したのである。ないはずの彼の親指を。そして、涙したのである。
Q. プレゼンター、レオナルド・ディカプリオ「2017年度アカデミー賞作品賞は……オーマイガッ! 『オトターケネーター2』だっ!」
R. 終。
★★☆☆☆
4巻7話。
※4巻6話は「えらばれたマスク」。
奥さんは探さなくていいと言うが、夫は奥さんに内緒でもう一度別のものを作ってほしいとBJに依頼する。
実は奥さんは、義手と義足を作ってくれてリハビリにもつきあってくれたBJに想いを寄せており、
こっそりトランクの中にBJの写真を入れていて、それが夫にバレると困ると考えていたのだった。
奥さんかわいすぎ。とても人妻とは思えない。
BJが親身になって奥さんに付き合ってリハビリとかやってあげた理由は、
自分が子どものとき苦労した経験と奥さんのしんどい状況がダブったのと、
奥さんの手足があまりにもきれいだったことだって書いてあったけど、
なんかちょっとマッドサイエンティストならぬマッドドクター的な・・・
夫が逆上して~とかもなくて基本空気なのもいまいち盛り上がりに欠けた原因だったと思う
奥さんの手と足は ちゃんと石膏の型に とってあります ウフフフ………
古和医院
ピノコ愛してる
六等星
二度死んだ少年
勘当息子
焼け焦げた人形
アリの足
えらばれたマスク
友よいずこ
めぐり会い
白いライオン
シャチの詩
二つの愛
幸運な男
上と下
U-18は知っていた
海は恋のかおり
なんという舌
その子を殺すな!
閉ざされた三人
ある教師と生徒
鬼子母神の息子
万引き犬
奇胎
からだが石に…
ダーティー・ジャック
視力が弱いのは本来身体障害なんだけど、眼鏡で矯正できて、目立つ器具なのに誰も異様に思わなくて、ましてやオシャレ眼鏡なんかもあって、眼鏡フェチもいて、そしてそういう矯正器具の扱われ方が不謹慎だと叱られもしないなどなど理想的だ、だから他の障害もそういう風に見られるようにしたい、って意見ありますよね。
眼鏡が障害と障害補助器具の扱われ方として理想に近いのはその通りだと思います。
でも、それくらい眼鏡の扱われ方が普通になったのって、眼鏡をかける人=視力がある程度弱い人がめちゃ多いっていう理由が大きいと思うんです。正確に日本の/世界の何割かは知りませんが。
他の色々な差別についても言えちゃうことですけど、世の中での扱われ方は、結局のところ数なんです。
一定数いれば「普通」「常識」になれるし、そうじゃなきゃ奇妙な目で見られるんですよ。
(余談:ただしマイノリティが、少なくとも極端なマイノリティではない程度に存在して、かつ武力なり権力なり強大な力を持って君臨すれば話は別な気もします)
義手や義足や車椅子、精神障害などについて「こういう障害も眼鏡のように~」って言う人は、そういう、冷徹な数の理屈をどう考えてるんでしょうか。
この数の問題は、理解を求める運動みたいな、気持ちに働きかける努力じゃあ残念ながらどうにもならない部分があります。
この増田は普通に暮らすこと=多数派のライフスタイルを踏襲することだと勘違いしている。しかし普通に暮らすとは多数派に追いつけ追い越せを指すのではない。マイノリティであるがゆえに当然の権利を制限されることがないように、社会が当然の協力を惜しむことがないよう配慮すべきという意味だ。
あのさぁ言葉遊びでズラしてレッテル貼りして勝手に分かってない!とか言われてもいい迷惑だわ
普通の連中の生活圏でも普通に暮らせるようにするのが理想だろっていう話だからな
身体的特徴を売りにした時点でどうぞ評価してくださいって提示にすぎないよな
たまたま欠損してる人がいたとしても特別でもなんでもない世界線をぶち壊して、欠損してる私達特別!とか言い出したらじゃあ他の身体的特徴と同じように評価の対象とするのでキモいと言われようが泣くなよと言われるのは当然だわな
そして欠損は特に外側から見えやすくて視線にシビアになりがちな状態なので、評価や欲望の伴う視線への精神ダメージを受けやすいのは容易に想定できるよな
でも「他の欠損者への視線なんて知りません私たちは楽しみを味わえればそれでいい!」とか言っちゃうんでしょ
そりゃ周りの人は感動消費の対象として、頑張ってる障害者!とみなして叩くな!とかかばい出したりするだろうけど
おれはテメーのことを普通の人間として扱ってるから間違いだと思ったら間違いだっつって全力で叩くからな
あとついでに言っとくと欠損女子とかいうワードを平気で使ったライターは言葉の影響力理解してんのかクソが
眼鏡男子がもてはやされる世界があり、童顔がもてはやされる世界がある。魅力的な義手、義足がもてはやされて何が悪いのか。これを非難するのは豊かな胸にさらしを巻いて押しつぶせとか、高身長が目立たないようにヒールを履くのをやめろというのと同じだ。ピーター・ディンクレイジに小人役をやるなというのか。健常者フェチを押し付けるなといいたい。
欠損を持つものがステージに上がることは差別だという思想こそが差別
これもレッテル貼りだわ
身体的特徴を評価対象として自分で差し出してきたんだからキモいと言われる覚悟はしとけよという話だろ
メガネとか高身長とか巨乳とかフェチになりやすい例を出してっけどデブとかハゲみたいにフェチ以上に嘲笑の対象の特徴として捉えられる可能性がそれなりにあるという方が正しいわ
あと切り分けられんのかって話だわな、ロリコンと同じく自分より劣った存在として愛でるキモさなのかどうかって毎回毎回審査できる訳でもねーし
機械のごとく、反射的にいろんなことに言いたくないのだが、結局どこまでも人間は綺麗なものに優しくしたくて、醜いものに酷いことをいうことが分かる。
手や足を失って、義足や義手をつけることになった人間 ただし容姿の良い女性が店員の期間限定のコンセプト・バーのお話である。
これまた、ブコメを見ていると呆れた。
「かわいい! 障害のある人とか、いろいろな人が理解し合える社会になったらいいね!」みたいなコメントで溢れかえっているのだ。
この記事を読んで感動する人間や、障害について理解が深まったとかいう人間は何も考えていないに等しいだろう。
カウンターの中に入るアイドル並に愛らしい女性たちが、これまた愛らしい笑顔で出迎えてくれ……と、ちょっと待ってください。思わず見入ってしまったのが、彼女たちの手と脚。
セックスに困らなそうな容姿の足やら手がない女性2人が写った写真が掲載されている。
はたして、これが容姿の悪い男性 例えば自分のような人間だったら、どうだっただろうか。
自分が四肢のどれかがなかったと仮定する。おそらく、容姿の良い四肢のどれかがない女性のほうがずっと優しくされるだろう。
もしかしたら、四肢ある容姿の悪い自分より交友関係、恋愛、性生活などで恵まれている可能性だって十分ある。
障害などないほうがいいが、手足の欠損というのは、容姿や知能、視覚、聴覚にひびく障害に比べたらずっと世の中は優しくするのだ。容姿が良い女性ならなおさら。
あまり確証はないが手足の欠損というのは、障害のある人間の中では恵まれている。
ロクでもない会社の雇用に関わっている自分の父親は少なくともまともな片手がある程度に、手足がない人間を探している。
なぜ、探しているかというとある程度の規模の会社は法律で障害者を雇わなければいけないからだ。
父は手足がない人間にこだわる。
結局、どの企業も障害者のなかで一番「まとも」な人間を雇いたいから手足の欠損程度の障害持ちの人間を奪い合う。
同じ学部の同じ学年の四肢あるドブスよりも可愛い足がない女を企業は欲しがるだろう。ドブスより足がない可愛い女の方が格上という社会ができている。
この記事のサブタイトルは 障害は「かわいい・かっこいい」 である。
そんなことをいったら、自分の容姿が醜いのもかっこいい とか かわいい と言われるはずだ。
しかし、そうではない。
結局、大抵の人間は自分の都合のいい人間 この場合は「手足の欠損がある容姿の良い女性」というのを見て「弱者」を労る気になっているだけだ。
容姿が悪い障害持ちの人間などには、酷いことを言ったり、避けたりするのだろう。
結局、手足がない店員である女の子たちがポジティブになれたとか記事中で言っているが、それは周りにとって、「綺麗な姿」で「都合が良い障害」だから優しくされて、前向きになれただけかもしれない。
彼女が仮に視覚に障害があったとしたら、こんな風に外には簡単には出歩かないし、彼女を世の中は褒めない可能性があるということを考えないといけないのだ。
普通に容姿が醜い腎臓疾患持ちの自分よりも、足のない可愛い女の子のほうがみんな好きだ。
自分は容姿が醜いが、四肢のどれかを失って容姿が良い女性になりたいかと聞かれると一瞬だけ悩むかもしれないが、今以上に快楽を享受できたり、周りに優しくされるであろう可能性があると考えると「YES」と言うかもしれない。
訂正 四肢ですね 恥ずかしいです
http://b.hatena.ne.jp/entry/wotopi.jp/archives/28686
普通の人たちと同様に扱うなら、そこをアイデンティティとすんの?っていう話だよな
課題はあるとしても目指す理想としては普通の人たちの中で普通と同じように暮らしてもらおうねーって時に(障害者雇用促進とか普通の連中の生活圏でも普通に暮らせるように)
私達は欠損してます!とか言い出したら、は?って思うのは当然だよな
欠損があるけど出来ることをやろうと欠損を売りにするのはまったく違うだろ
自ら見世物小屋と化してどーすんの 普通の喫茶店ですぅたまたま欠損してますぅふーんへーでいいだろ
そこで欠損だって!ってバカにしてくるヤツラを一緒にブチ殺そうぜって話だろ
しかも欠損してるという部分を愛してもいいという文脈は他の欠損者にそういう視線を向ける人を増やすんだが
JKはダメだけどこいつらはいいみたいな整合性のないバカってなんなの
欠損は特に外側から見えやすくて視線にシビアになりがちな状態だから欲望の伴う視線への精神ダメージはデカいだろ
そういうのに無自覚で、川端康成みてーな変態増やすのに寄与してると気付かないこの記事の書き手はすげーキモイ
あといつも思うけど乙武やらこいつらやら私は対等だと思ってる!って言うのは勝手だけど
障害者はって主語にした段階で害を被る他の障害者もいるんだが気付いてるのかな
追記
タイトル | モンスター娘のいる日常 | セントールの悩み | ヒトミ先生の保健室 | 亜人ちゃんは語りたい | ふだつきのキョーコちゃん |
---|---|---|---|---|---|
作者 | オカヤド | 村山慶 | 鮭夫 | ペトス | 山本崇一朗 |
人間は? | いる | いない | いる | いる | いる |
モンスターは | 別種族 | 別種族 | 思春期に発症 | 突然変異 | 不明 |
モンスターが対象の法律は | 他種族間交流法 | 形態差別禁止法((思想強制所あり)) | - | 亜人生活保証制度((バンパイアに血液を支給)) | - |
モンスターの存在は? | オープン | オープン((人間がいない)) | オープン | オープン | 秘密 |
登場モンスター | ラミア | 人馬 | 単眼 | バンパイア | キョンシー |
ハーピー | 翼人 | 不死身 | デュラハン | ||
ケンタウロス | 竜人 | 透明人間 | サキュバス | ||
スライム | 角人 | 雪女 | |||
人魚 | 長耳人 | ||||
ソンビ | 南極蛇人 | ||||
単眼 | |||||
オーガ | |||||
ドッペルゲンガー | |||||
アラクネ | |||||
デュラハン |
いくつか漫画を読んでいて、モンスターものっぽい漫画が溜まってきたので、それぞれの要素を比較してみた。
取り上げている漫画は、モンスター娘のいる日常、セントールの悩み、ヒトミ先生の保健室、亜人ちゃんは語りたい、ふだつきのキョーコちゃんの5作品。
あるいは、人間の中の一部にモンスター的な人間が生まれるという設定。
全て、人馬(セントール、ケンタウロス)、竜人などのモンスター的な外観を持っている。
モンスター娘のいる日常は、基本的にお色気系モンスター娘萌え漫画だから読者を投影する対象として主人公の人間が必要なのだろうなという気はするが、セントールの悩みに、何故人間が出てこないのか。
モンスター娘のいる日常と、セントールの悩みでは完全に別種族。
その他3作品は思春期に発症したり、突然変異で人間の中から生まれたりするので基本的に人間なのだと思う。その割にデュラハンとかいて、首が外れるのは突然変異でどうにかなるレベルじゃ無かろうという気もする。
モンスター娘の日常では、他種族間交流法ができて、人間とモンスターが交流するようになったところから話は始まる。
具体的な条文は出てこないが、人間からモンスターへの攻撃が禁じられていたり、モンスターが人間の家にホームステイする制度などがある。
ただ、「他」種族という名称は、人間中心主義的で差別的だという批判がありそう。多種族交流法くらいに法改正しておいたほうが良さそうだが。
セントールの悩みでは、形態差別禁止法があって、思想強制所もある。
ただ、思想強制所の存在は言外に匂わせる程度で、基本的にこの漫画はほのぼの思春期日常もの漫画なわけだが、微妙にディストピアっぽい世界感である。
亜人ちゃんは語りたいでは、亜人生活保証制度でバンパイアに血液が支給されている。
現金が支給される訳ではないので、生活保護制度よりも、義手や義足に保険が適応されるようなイメージだろう。
デュラハンは首が取れるという、外観上の大きな差異があるが、この外観の差異に対して亜人生活保証制度は適応されていない。
外観を「普通」にするための、義手・義足的な義首が開発されていてもおかしくはないのではないかと思うのだが、この世界ではデュラハンは全世界で3人しかいないようなので義首はあまり普及はしていないのだろう。
個人的に気になるのは、人間とモンスターが共存する社会におて、年金などの社会保障制度がどうなっているのかなのであるが、そのような制度に言及する作品はない。
例えば、人間よりも極端に長寿命や、人間よりも極端に多産な種族と共同の社会保障制度を構成することができるのか?という疑問があるが、それを描く作品は見たことがない。
おそらく北欧型の税金を投入して全国民を対象にした制度を構築するのは政治的に難しいので、ドイツ・フランス型の職能集団別の制度になるであろうけれど、それを漫画にして面白くなるとも思えないので別に既存の作品で社会保障制度に言及が無いことに不満が有る訳でもない。
ここでは取り上げていないけれども、まおゆう魔王勇者 「この我のものとなれ、勇者よ」「断る!」とか、ゲート 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えりみたいな専門知識+異世界ものの作品が流行ってるっぽいので、社会保障制度に詳しい人の書いた異世界ものの小説や漫画があれば読んでみたい。
ほとんどの作品でオープン。人間とモンスターの後流や軋轢を描く作品が多いのでオープンでないと作品が成立しないためと思われる。
ここで取り上げた中では、ふだつきのキョーコちゃんのみ妹がキョンシーであることが秘密にされている。その点でふだつきのキョーコちゃんはモンスターものというよりは、コメディ要素の方が強い。
登場するモンスターの種類は圧倒的にモンスター娘のいる日常が多い。
表に挙げたのは実は、主要なキャラクターのみでゲスト的に1回だけ登場したモンスターも入れればもっと増える。
亜人ちゃんは語りたいも種類は少ないが、バンパイア、デュラハン、雪女、サキュバスと既存のモンスターが登場する。
一方で、ヒトミ先生の保健室では、モンスター状態に名前がついてない。
舌が超なが~くなる、体が極端に大きく、小さくなる、体がバラバラになっても死なない、などではあっても、それには名前がついてない。
記号のついてない生の状態とでも言えばよいのか。そういう描かれ方をしている。
ふだつきのキョーコちゃん|ではキョンシーということになっているけれども、それほどキョンシーキョンシーしたキョンシーではない。札じゃなくてリボンでいいことになってるし、ぴょんぴょん飛び跳ねたりもしない。怪力で血を飲むと言った程度。正直、キョンシーじゃなくてもコメディとして成立すると思うので、モンスターものと呼ぶのはやや無理があるのだが、「チノアジガー。」のセリフがカワ(・∀・)イイ!!のでつい入れてしまった。
現在公開中の映画「ビリギャル」は、もともとstorys.jpというサイトに投稿された話だそうです。話題作で評判も高いということで、映画好きの僕も早速見に行きました。率直な感想は、全く感動することもなく、途中何度もつまらなすぎてしんどかったです。
改めて、storys.jpというサイトに投稿された元の話を読んでみました。まずタイトルを見て、合格体験記の1つと分かりました。ただ、いくつか「?」もありました。
とりあえず、読んでみました。
「いきなり志望校を決めるんだ。でも、目標を最初に設定するのは重要かな」
「1年半で67万人以上をごぼう抜き?う~ん、僕だったら、まず志望校の過去問見てみるけど。それから、単に合格に求められる一定水準の学力を身に付けるためにこつこつ受験勉強するんじゃないかな。そんな数字のこと考えるかな?慶應って67万人も受験してたっけ?」
冒頭から立て続けに疑問がわいてくる。大学受験の話なのに色々と長い。要は大変だったってだけでしょ。とりあえず、最後まで読むことにしよう。
すぐに、ひっかかった。
“普通の人間は、変な先入観というか、中途半端な小賢しさというか、まぁ一言で言えば頭悪いんですけど・・・”
彼女が素直だったということを説明する冒頭。「普通の人間って頭悪いんだ。へえー」
→「塾に来たのは高2の夏じゃなかったっけ。高3の10月、受験直前に来たの?」
→「何で、妹が小6で書いた地図が出てくるの?彼女の話じゃないじゃん」
“「一度死んだらいいよ」と、真顔で答えておきました。”
→「校長先生から人間のクズだと言われたても、キラキラと輝くダイヤモンドの原石にしか見えなかたのに、そういうこと言う?」
“彼女には、「学校の勉強はみんなのための授業。だから、君は君の勉強をしなさい」と指示しました。”“学校の授業って、「学校側の都合でプログラムが作られている」訳なので、それに合わせるのもおかしな話です。”
→「僕がおかしいんだろうか。塾の先生の発言が根本的に間違っているとしか思えなかった」
とりあえず読み終わった。なんかすごくあっさりしてるな、と思いました。要は、勉強頑張って大学受かりました、ということ。何も特別なことじゃないし、だから、特に感動とかありませんでした。今まで遊んでたから高い目標を設定した分だけ苦労したっていう自己責任の話でしょ。普通にこつこつ真面目に頑張っている受験生の方が僕には感動的に思えるけど、どうなんだろう。
サイトで他の人の話も読みました。“殿堂入り”って銘打っているのがまず面白かったです。前提知識なく読んでみました。
①5年でハイリスク妊娠、中絶、離婚、再婚、出産を経験した私が伝えたい4つの事
→う~ん、大変な妊娠だったんだな。ただ、周りでも聞く話だな。伝えたいことの初めの2つは、ハイリスク妊娠に関わることだけど、言われなくても分かることかな。3つ目は他人に伝えることじゃないでしょ。4つ目は、ニュースに対するただの個人的感想になってるんじゃ。
あと、ところどころ赤文字だったり会話形式にしているけど、深刻な話が何だか軽く見える気がしました。
②急に旦那が死ぬことになった!その時の私の心情と行動のまとめ
→急に旦那さんが死ぬことになり、実際お亡くなりになって大変だと思う。普通なら気が動転してしまいそうだけど、ここまで冷静に事細かく覚えていて書き記せるのはすごいなと思ってしまった。
ただ、死という深刻な話を扱う中で、会話形式の本人と旦那に使ってる写真と会話内容が少しふざけてるのかと思えてしまったのが残念でした。あと、言葉づかいが少し幼稚に見えました。
この話も、ところどころ太字にしていたり色文字にしていたり、読みやすく工夫しているんだろうけど、なぜか言葉使いと併せて軽く見えてしまいました。
だけど、本人曰く、暗く嫌な話で、今思い出しても涙が出てくるのに、清々しいくらいさばさばと書いているのは感心しました。(笑)の多用とか。僕だったら、悲しくてこんな風にライトなタッチで書けません。
③あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。
→タイトルにあるカタカナ3文字で、僕が決して触れることのない世界だと分からせてくれて良かったです。
ただ、根本的に僕は受け付けない話でした。
人生を教わる相手が間違っているし、教わっている内容は人生じゃない。
“充実感のある仕事”。そんなこと、言われなくても分かってる。それに、言ってる人間が間違っている。説得力が微塵もない。よく真に受けれたなと感心しました。
この人、何の仕事してるんだろ。詳しく書いてくれたらいいのに。
④電車に轢かれて脚を丸ごと一本切断したサラリーマンが、半年後義足で職場復帰した話
→今週の読んでよかったランキングというのがあり、その1位も読んでみました。
どうして電車に轢かれたのか、何で書いていないのかが良く分かりませんでした。事故などで障害になり、それを克服することは素晴らしいことだと思います。けれど、もしもこの人がお酒に酔って転落した、などというのであれば、悪いけど、自業自得でしょ。ちょっと違うんじゃないかな。なぜか24時間テレビを思い出しました。
○総じての感想
確かに1つ1つのストーリ自体は一見して“感動的”に映りました。けれど、なぜだろう、書き手と読み手、そして双方を含めたサイト全体が、結果としてその感動を軽く扱ってしまっている気がしました。タイトルや文中で使われるカラーの文字や太字などが話しを誇張気味に書いているように見せて、途中の会話形式の使用や、まるで決められた設定のように最後に教訓めいたまとめを必ず書いているところ。何よりも、話の中の重要な事実の背景が省略されていたり説明不足だったりするところが読んでいて不思議でした。冷静に読んで色々と考えてしまう僕が変なのかもしれません。もっと軽い気持ちで読むと軽い感動が味わえるのかもしれません。そう思いました。
私は二十八歳の同性愛者です。というか、同性愛ではあるのですが、大人になる前の少年が好きなのです。けれど、実際には少年との性行為を行ったことはありません。それがいけないことだというのはわかっていますから、自分で必死にその欲望を抑えています。しかし、もうそれも限界に達しているのです。なんとかできないものかと、成人したゲイの男性と関係を持とうとしたこともあるのですが、そうした相手ではまったく興奮することができず、結局、行為は成り立ちませんでした。最近では、ふと気がつくと、街で好みの少年のあとをつけていたり、もう少しで声をかけそうになっている自分にハッとします。それと同時にぞっとします。いったい私はどうしたらよいのでしょうか。なんとかならないものでしょうか。本当にもう子供に手を出してしまう寸前なのです……。
『欲望問題』の著者である伏見憲明氏は、上記のような相談のメールを受け取ったそうだ。
伏見憲明氏は、ゲイの解放運動に携わってきたゲイであり、差別やジェンダーの問題に造詣が深い。
今のぼくは三十歳前後くらいが性的な好みになりますが(中略)少年愛は自分と地続きです。たかが発情する対象の年齢幅が十五~二十歳くらいズレているにすぎません。そのことは、ゲイだけにかぎらず、ストレートの人も同じだと思います。
異性愛の人々なら、少数派は何か問題があって「正常」ではない性の傾向にねじ曲がってしまったのだ、だからそれを「治療」で本来あるべきの状態、つまり「正常」な性に戻せるはずだ、と考えるかもしれません。しかし、ぼくは、自分と性的対象の年齢が少し異なっているだけの少年愛者が、セラピー程度のことで、セクシュアリティを変更できるとは考えにくい。
異性愛の欲望だって同性愛にならなかったという意味で、ぼくに言わせれば偶然の結果です。フケ専だって、デブ専だって、ロリコンだって、萌え系だって、巨乳好きだって……みんなそういうものなのではないでしょうか。それぞれ本人の実感の中では、選択的なものではなく、自然にそうなっていた、としかいいようがない。(中略)それがちょっとやそっとのことで恣意的に変更できないことは、同性愛の例を考えても明らかでしょう。そんなものが簡単に変わるのなら、誰もマイノリティとして社会的な不利益を被ったりしません。
これには強く同意せずには居られなかった。欲望に理由付けをしている人々も居るが、後付けにしか思えない。
「思春期に同級生女子に拒絶されたので、成人後も思春期の年代の女子に執着し続けている」
「思春期に同級生女子に拒絶されたので、母性を感じる年上女性に惹かれるようになった」
どちらも理由として通じる。理由付けなど、本人が欲望を正当化したり納得したりするための自己満足的行為でしかなく、
実際はただ「思春期女子が好き」「年上女性が好き」という好みがあるだけなのだ。
どのような好み・欲望を持って生まれ育つかは、ほとんど偶然の産物である。
それが万人に理解されやすい欲望ならば仲間と馴れ合うネタになるし、無理解・嫌悪されやすい欲望ならば迫害される。
欲望が自分にとってプラスに働くかマイナスに働くかは、運でしかない。
相手に暴力を加えたり、死に至らしめたり、年少者の心に傷を残すような行為は認めない、というのはこの社会の原則でしょう。そうしなければ社会を担う次世代を育めないし、子供たちの可能性をつぶしてしまうことになる。(中略)それゆえその禁止は徹底せざるをえないでしょう。
二人の同性愛者が愛し合っている関係はWin-Winであり、社会を脅かす存在でもない。
海外ではゲイカップルが養子を育てている例が見られるが、養育リソースとして活用できるなら社会にとってプラスの存在であるとも言える。
「聖書が同性愛を否定している」「なんだか気持ち悪い」などの拒否反応を示す人もいるかもしれないが、
性同一性障害、女装癖、二次元オタク、BL好きなどの様々な少数派も、気持ち悪がる人は居るが、その欲望による社会への実害は発生しない。
しかし「暴力を加えたいという欲望」「死に至らしめたいという欲望」「年少者の心に傷を残すような行為をしたいという欲望」は、
実害を発生させる欲望であり、社会を脅かす欲望であり、社会に受け入れられることが期待できない欲望である。
「なんだか気持ち悪い」は、解放運動によって薄まっていく希望があるが、「実害を回避したいという強い恐怖感」はどうにもならない。
あなたは他人の性欲を充たすために死に至らしめられたいか?あなたの子供が幼児性愛者に性的暴行されることを受け入れられるか?
対人関係の欲望の問題は、多数派か少数派かということが焦点ではない。
Win-Winになりうるのか、Win-Loseでしか成り立たないのか、そこが一番の問題なのだ。
伏見憲明氏は少年愛者の相談に対し、同人誌などフィクションで欲望をみたすことを提案しているが、それでも完全ではないともしている。
追記:
ChieOsanai 実害がない近親結婚の解禁を唱えても怒るひとが必ず出てくる。四六時中、近親相姦に怯えるようになるって言ってるひとがいたけど、現状日本では(強姦ではない)近親相姦は法的には禁じられてないからね。
婚姻による所領の流失にも敏感であった。そのため、叔父と姪やいとこ同士(二重いとこの場合もあった)という血族結婚を数多く重ね、一族外に所領が継承される事態を防ごうとした。その結果、17世紀頃には誕生した子供の多くが障害を持っていたり、幼くして死亡するという事態が起こった[2]。カール5世以降、下顎前突症(口を閉じているときの顎の形のことではなく、歯を見せたときに上の歯より下の歯が前にある)の人物が一族に多くなっており、カール5世は不正咬合により食事は丸呑み状態であったことが伝えられている。特にスペイン・ハプスブルク家ではカルロス2世のような虚弱体質・知的障害を併せ持った王位継承者を誕生させ、スペイン王位をブルボン家に渡すこととなった。そのブルボン家も血族結婚を古くから重ねており、ブルボン家とハプスブルク家の間で頻繁に婚姻が行われるようになると、双方で夭折したり、成人に達しても身体に障害を持った人物が続出した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%82%B9%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AF%E5%AE%B6
nomitori これの究極が殺人衝動もってる人なんやろなぁ…自殺志願者を絞殺して死刑になった人いたけど、あれはあの人なりに社会と折り合おうとしたんやろうな…もちろん社会はそれを受け入れられないわけだが…
このブコメが最も投稿の意図を汲み取ってくれたと感じた。ありがとう。
saigami こういう話題が出る度に「自分は同性愛者だけど小児性愛者も差別されるべきではないし権利保護されるべきだと思ってるよ」とアピールした方がいいのだろうか
小児性愛者の権利保護とは何なのだろうか。アメリカではゲイを寄ってたかって暴行する事件が起きているが、小児性愛者もそういった暴力に晒されているということだろうか?
部落差別のように就職時の差別などを受けているのだろうか?いったい、どんな実害を被っているのだろう?
成人を対象とした異性愛者は、結婚という制度による保護を受け、社会のお墨付きを得ながら性欲も満たしていてずるいということだろうか。
小児性愛者の権利保護は「成人男女が、実在の児童を性欲解消のために使う権利」を保護することだろうか。
しかし成人を対象とした異性愛者であっても、貧乏ブサイクバカが金持ち美形優秀な異性を求めても、ディール不成立となる。
結婚しないのではなく、できない「成人を対象とした異性愛者」などいくらでもいる。
貧乏ブサイクバカ男と金持ち美形優秀女でも、貧乏ブサイクバカ女と金持ち美形優秀男でも、同じである。
性的指向も、本人の性別も、関係ない。Win-Loseならば性的関係のディールは不成立となる。
成人同士なら「自分が一方的に不利な関係を強いられていないか?」という判断を「お互いに」することが可能だが、成人と子供の場合はそうではない。
親と子の関係も、子の判断力や選択肢が限られている以上、不平等なものである。だから保護者による子供への虐待はひときわ憎まれる。
要は知力や体力で圧倒的に勝る存在が、劣る存在に対して一方的に欲求を押しつけるのは暴力なのである。
「オレのSはサービスのSだから」などとのたまうなんちゃってサディストではなく、見ず知らずの人に対する理不尽な暴行や殺害を熱望する純度の高いサディストや小児性愛者は、
欲求の根本に暴力、Win-Loseを含んでいる。これが問題なのだ。
「サディストや小児性愛者の権利保護がなされている状態」について教えてほしいものだ。
補足しようと思っていたことがブコメで補足された。ありがたい。
例えば視力ってのはかなり遺伝に影響される要素ではあるんだけれど、「近眼」程度の遺伝はそんなもん産むか産まないかの判断に含まれない程度の些細な要素となっているよね。
何故なら、世の中にはメガネというとても美しい装飾具があるおかげだね。
それと同じことで、産まれたタイミングではどうかわからないが、時間が経てば「障害? 笑わせんな」程度になってしまうようなハンディキャップってのはあるんじゃないかねえ。
http://anond.hatelabo.jp/20150129121148
生身の脚を上回る機能の義足が登場したりと、ツールの進歩がハンディキャップをハンディキャップじゃなくしていくことには希望を持っている。
たとえばVR技術が発達して、サディストや小児性愛者の欲求をかなえるVRが誰でも享受できるようになれば、彼らの欲求不満は解消されるのかもしれない。
とにかく、一方的な欲求を受け止めるのが、知識や判断力がまだ備わっていない現実の子供であっては、絶対にいけないのである。
TakamoriTarou フィクションは、確かに完全では無いにしても、擬似的に体験して衝動をコントロールする機能を担っているわけだが、最近はそれすらも許さぬと言う雰囲気が出てきており非常に厄介だと思う。
疑似体験を禁止するのは愚行であると思う。フィクションがガス抜きしてくれるから現実の治安が保たれるのだ。
あらゆるWin-Loseを疑似体験が引き受けてくれれば、欲求をぶつけられて傷つく人も、欲求がかなえられずに怒る人も、鎮まっていくだろう。
(そしてフィクションの人間と現実の人間を比べて、現実の人間を誹謗中傷するのは、最も醜く愚かな行為である)
bloominfeeling 欲望問題はいい本だったなぁ。著者のセクシャルマイノリティに関する本は数冊読んだ。
本当にいい本だった。私はどうにも人を煽るような、喧嘩を売るような書き方をしてしまいがちだが、『欲望問題』は理解を深めて広げるような書き方に仔細に配慮しており、
ここには書ききれなかったコミュニティに関する話もとても内容が濃かった。私の投稿にイラついた人にも『欲望問題』はぜひ読んでほしいと思う。