はてなキーワード: 義足とは
テセウスの船問題というのがあると思う。部品を1つずつ取り替えていって、全部取り替えてしまったらそれの同一性はどうなるかという問題だ。人間の細胞も一定の期間でほとんど入れ替わってしまうらしいので一種のテセウスの船問題を抱えていると言える。
しかし、この時取り替えられて用済みになった部品に関する言及があまりないように思う。つまり、取り外した部品「だけ」を集めれば「古い」が「より正しい」同一性が生まれるのではないかということ。
人間でいうと、Aさんが義足、義眼、次々とパーツを取り替えていく。攻殻のようにね。で、脳までコピーして取り替えてしまう。で、完全に機械の体を手にする。またこの時、取り外した生身のパーツをすべて保存してあったとする。生身のパーツを外科手術的に組み立て、元の人間にしてしまったら、機械の塊であるAさんとそもそものパーツの集合であるAさんのどっちがAさんらしいかというと後者なんじゃね?……ってなる。
自己の同一性で言えば、記憶が連続しているアンドロイドのAさんなんだろうけど、物質的には一旦バラバラにされたAさんの方が本物に近い。
えーと、だから、足のない人はイチローみたいに野球は出来ないと自分で学び、
その部分は周りの目から見ても明らかな部分だから最初は大人が教えてくれるけど。
野球が下手だったり勉強に得意不得意がある場合なんかは誰も教えてくれないこともあるけど、
どこかで自分の道を見つけていくわけで。
発達障害って、それ自体定義が曖昧で現状タダのバカと同じなわけで、
それを助けろ、なんて言われても、は?としか周りは思わない。
足が不自由な人がいたら助けるけど、それは助ける側に余裕があるときで、助ける側が自分を犠牲にしてまではしないしする必要はない。
あくまで健常者側が余裕があるからその分で助けてあげよう、と。
そうすることで自分がそういうことになった場合の保険にもなるし、
余計な負荷がかかってると感じるまでで無い範囲でなら行っても良い、と、皆がしているのでそうなってる。
一方で、ただの我侭で意味不明なやつを助けなきゃいけない、なんてのは無理。
俺はバカだから宿題やっておいて、って言われてやってあげるのか?
俺はバカだからわすれものしても仕方ない、と言われて許すのか?
教育ってなんだ?社会に適用出来ないのを「病気」として許したらすべての教育自体が意味なくなる。
そしてただただカオスになるだけなんだが?
俺の彼女はカタワまでいかないが、右足に障害があって50メートル歩くのに5分かかる。
友達とラウンドワンに行っても、俺と彼女はゲームしかできない。
中学生から付き合い始めて今年で8年目・・・辛い普通にデートしたい。けど今更別れられない。
情もあるし今俺が別れたら彼女は落ち込むと思う。一緒に居る時間が長すぎた。
冗談交じりで別れようって言ったら、今まで何があっても泣かなかった彼女が一言で泣いた。
俺の冗談で言った、たった一言で泣いた彼女を見て別れられるはずない。
最近気付いた彼女の事好きだけど今まで頑張れたの、彼女支えてるって思ってる自分自身も好きだったカッコイイと思ってた。
俺は本当に酷い奴だと思うし最低だと思うけど、限界が来たと思う。
今年で別れようと思ってる。
俺の彼女はカタワまでいかないが、右足に障害があって50メートル歩くのに5分かかる。
友達とラウンドワンに行っても、俺と彼女はゲームしかできない。
中学生から付き合い始めて今年で8年目・・・辛い普通にデートしたい。けど今更別れられない。
情もあるし今俺が別れたら彼女は落ち込むと思う。一緒に居る時間が長すぎた。
冗談交じりで別れようって言ったら、今まで何があっても泣かなかった彼女が一言で泣いた。
俺の冗談で言った、たった一言で泣いた彼女を見て別れられるはずない。
最近気付いた彼女の事好きだけど今まで頑張れたの、彼女支えてるって思ってる自分自身も好きだったカッコイイと思ってた。
俺は本当に酷い奴だと思うし最低だと思うけど、限界が来たと思う。
今年で別れようと思ってる。
http://anond.hatelabo.jp/20130912120735
なんかMOTHER3の話が増田に上がってて、ふと「なんで3のパーティキャラって俺女とか義足のオッサンとか犬とかへんに奇をてらったキャラばかりにしたんだろう、1や2と同じように、最初の3人は赤い帽子の少年と金髪の女の子と眼鏡がよかったのに」なんてMOTHER3の不満だった点を思い返していたところで、「そういえば小説版のジェフって後天的な事故が原因で義足なんだったな、3のパーティ3人目のダスターと同じじゃん」と今初めて気がついた。
思えば2のジェフの「生き別れ同然の科学者のお父さんがいて、父と微妙に確執があるちょっと育ちのいい感じの少年」という設定も、1のノベライズにおいて久美沙織が造形した「小説版のロイド」の設定がそのまんまだった。
(ゲーム版のロイドの父は息子同様にゴミ箱に入った状態で話し掛けて来る職業不明の気さくな人物である一方、小説版のロイドの父は「ギーグに捕らえられて敵のロボット兵器の開発をさせられていた気難しいマッドサイエンティスト」で、ジェフの父親であるアンドーナッツ博士に非常にキャラが近い。2のノベライズのあとがきによると、あまりにもゲームのジェフの設定が1の小説版のロイドそっくりだったので「同じ子じゃ書くのつまんない」と思ったがゆえに、久美氏はジェフにとんでもないオリジナル設定(※両足の義足とその原因となった事故のトラウマ)を追加してしまったのだという)
1の小説版からゲームの2に、2の小説版からゲームの3にリンクする「3人目の仲間の共通点」を糸井氏の意図的なものと見るのはあまりに突飛すぎるかもしれないが、意図的にせよ偶然にせよ、7年ぶりに思わぬ発見を得て少しいい気分だ。元増田に深く感謝したい。
Amazonで売られている久美沙織のMOTHERのノベライズは「作者はキャラヒイキし過ぎ、女の子(アナとポーラ)がビッチ過ぎ、オリジナル要素入れ過ぎ」とそりゃもうボロクソに言われつつも随分なプレミアがついている。
彼女はもともと凄まじく悪ノリ&長文&脇道癖のある作家であり、かつて小説版ドラクエの4〜6(特に4)を執筆した折などは想定読者年齢層を全力でブッチした筆の冴えを見せつけたことで(主に悪い意味で)その筋では有名である。ゲームでは「なんか魔族の王」程度しか設定されていなかったデスピサロの魔界での鬼畜イケメンぶりとロザリーに対するロリコンぶりを描写するために、実に第1巻の約3割を費した耽美と難解を極めるオリキャラだらけの序章を筆頭に「ドラクエの小説版」という単純な単語に惹かれた全国の無垢な少年少女を疑問の渦と睡魔の淵に叩き落としたものだ。
あれに比べたら小説版MOTHERの脱線ぶりなど屁のようなものであるが、それでも1の地底湖における妙に淫靡な13歳同士のラブシーン、著者本人も認める2のタイトル詐欺(MOTHERではなくBROTHERになってしまった)などは、精霊ルビス伝説を初めて読んだ小学生の頃から意味などろくすっぽ訳も分からず彼女の文章を刷り込まれて育った増田のような重度の奴隷信者には溜め息のひとつで済ませられても、彼女の作風を知らずまっとうなノベライズを期待して本を開いた方々には怒髪天ものであっただろう。
前述のような久美沙織のノベライズ奴隷信者たる増田が、開発中だった64版MOTHER3のサブタイトル(豚王の最期)を聞いて思ったことは想像に難くないだろう。勿論「次の小説版どうすんだろ」の一択だ。
ネタバレをすると、小説版の2のポーキーはゲームと違っていずこかへ逃亡しない。2の小説は一冊で完全に独立完結している。
ゲームよりかなり陰惨な設定を付け加えられ、死んだ方がマシじゃねえかと言う酷い目に遭わせられはしたものの、色々あって小説版の彼は救われ、オネットのはずれの家で弟達と仲良く幸せに暮らしている。
1では原作通りの「ジョージとマリアに育てられた宇宙人の子供」だったギーグを、2では設定を完全無視して「多次元宇宙からやって来た、人間に寄生して成長する凶悪宇宙怪獣」というわけのわからんものに平気で変えてしまった久美沙織の事であるから、恐らく3のノベライズも一筋縄では行かないだろう、どのような味付けをするつもりなのだろうか、とゲームも発売しないうちから想像してわくわくしたものだ。
だがいかんせんゲーム原作である3の発売まであまりにも間が開き過ぎ、残念ながらその間に久美氏の小説家としての執筆活動はほとんど行われなくなってしまった。
ゲームそのものの出来が賛否両論で関連グッズ制作に予算が割かれる可能性も少なかったろうから、どのみち彼女が現役だったとしてもノベライズの発売はなかったかもしれないが、今でも久美沙織によるMOTHER3の小説はどんなものだったのだろうと思いを巡らし、赤い背表紙の文庫本が3冊並んで棚に並ぶ事を願わないことはない。
多分ダスターは作者の好みの傾向から言って超かっこいい男になるだろう。ウェスは「ふしゃしゃしゃしゃ!」などと変な笑い声を上げるようなゲーム以上のしゃかりきジジイとして描かれ、一般プレイヤーなら名前すらウロ覚えであろうタツマイリ村の一住民の視点でまるまる一章が描かれることになるだろう。サルが主役の章なんかすごくそうなりそうだ。コーバのヨシダさんやマジプシー、ヨクバあたりのキャラはそのままでも彼女の筆にとてもよく似合うから、きっと笑ってしまうほど魅力的に描かれるに違いない。
そういうどうでもいい細部の事は想像できるのに、MOTHER3という物語を彼女がどう完結させるのか、ポーキーというラスボスにどのような結末を用意するのか、自分程度の貧弱な頭ではとても想像できない事が悔やまれる。
増田はMOTHER2の小説の中では、ハッピーハッピー村の教祖であるカーペインターについて書かれた下記の文章が一番好きだ。(ちなみにゲームに登場するカーペインター氏は、別段このような性格設定や過去があるわけではない普通の中ボスである)
少年の頃、彼は、痩せっぽっちで病弱で、ひどく不器用でした。学校ではいいところを見せるチャンスがありません。おまけに常用していた薬の副作用で顔がゾンビみたいに青かった。気味悪がられて、いつもひとりぼっちでした。こころを通わせることのできる友達が欲しくて堪らなかった。でも、どうすれば、ひとに好かれるような人間になれるのか、ちっとも分からなかったのです。
せつない気持ちをぶつけるために、教祖は絵かきになりました。さまざまな青の濃淡で描かれた彼の絵に、希望や共感を見出すひとたちが現れます。寂しいのは、彼だけじゃなかったのです。悩んでいるひと、困っているひと。ひと見知りで、ともだちを作るのが苦手なひとたちと、助け合って暮らしたい。そう思ったので、一生懸命働いて、この、人里離れた谷間の土地を買いました。誰でも、来たいと思うひとを歓迎する場所、みんなが他人を脅かさずに静かに過ごすことのできる場所として、ハッピーハッピー村を作りました。狭い画布ではなく、大地そのもの、空間そのものを、青いっぱいで埋めるのが、彼の夢でした。
平素の地の文では「今週のハッピーハッピー村信仰大賞佳作受賞者は、ご近所一帯に青大将三百匹を放したヌリ村のジョン作さんです!」などというクソみてえな悪ノリを平気で書くくせに、彼女はこうやって時折、心に突き刺さっていつまでも離れない文章を書く。忘れられない文章がいくつもある。
だから未だに彼女の書くMOTHER3の物語をずっと諦められずにいる。
久美沙織が大昔に書いたゲームノベライズのことなんて知っているマニアックな年寄りは、いかにネット広しといえどもきっとあまり沢山はいないだろう。「翠の髪のボウシャルマン/王宮付きの軽業師」なんて小説版ドラクエの作中詩の一節をググったところで出てきやしない世知辛いご時世だ。
それでもこうして長文を形にしておけば、そのうちこれを見つけた同じ気持ちの誰かと思いを分かち合えるんじゃないかと思い書き残しておく。
180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/20(日) 09:43:27.78 ID:92lrJ2eE
1、どうして義手足をつけないんですか? 周囲に気遣えるのならつけるべきです。義手足をつけら
れるのにつけないのは、障害を売りにしていると言われても仕方がないのでは?
2、障害が個性と言うのなら、医者も、介助者も、補助機具も、税金の補助も要らないんじゃないんですか?
3、どうして他の障害者と交流しないんですか? 他の障害者を差別してるんですか?
4、Z武ネタはよく言及するのに「自称スポーツライター」ネタはどうしてスルーし続けるんですか?
6、自分で言う障害ネタが笑えないんですが? 笑えないギャグを言うのは空気が読めない証拠なんじゃないんですか?
7、健常者が言ったら猛烈に叩かれる障害揶揄発言をして叩かれないのは逆差別だという意見がありますがどう思いますか?
8、周囲の人間に介助されていて、障害者として気を使われたくないというのは、矛盾してませんか?
自立してから「気を使わないでほしい」と言うべきです。
9、障害は病気です。病気を必要もなく強調したり、見せ付けたりするのは、コンプレックスを克服しているのではなく、
10、障害をネタに笑えるのが真のバリアフリーだというのなら、ぜひオナニーの方法を教えてください。
181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/20(日) 09:44:08.19 ID:92lrJ2eE
11、どうして健常者にたいして教育者面してるんですか? 先天的障害者のあなたが五体満足の人間の
気持ちがわかるんですか? せめて障害者の学校で指導すべきです。あなたは先天的障害者の気持ち
12、障害を笑いにできる社会なんかきません。重度の病気を笑いのネタにすべきではないからです。
あなたはそれを知っていて、周囲の人を困らせる悪意ある障害ネタを言っているのではないのですか?
13、あなたは障害ネタを健常者にたいしてではなく、後天的な重度障害者とその家族にたいして、
面と向かって言う勇気があるんですか?
14、障害者は生活無能者です。だからこそ、健常者以上に社会にたいする謙虚さと感謝の心を持つ
べきではないのですか? あなたの言動には謙虚さと感謝の心が明らかに欠けています。もしかして、
障害者は介助、保護されて「当たり前」だと思っているんじゃないんですか?
15、障害をネタにできる社会が真のバリアフリーではありません。ネタにしているということは、特別視
しているということだからです。健常者が手足あることをネタにしますか? 当たり前すぎてネタになら
ないのです。障害をネタにすらしない社会、特別視しない社会、それが真のバリアフリーです。特別視
16、「若くして世に出てしまった(僕)」なんていう言葉は、他人に言ってもらうことであって、自分で言う
ことじゃありません。よくそんな認識で、道徳の教師なんかやっていましたね。
17、あなたの心無い障害揶揄発言を子供が真似して他の障害者に言ったらどうするんですか?
教育者として配慮が足りなさすぎるんじゃないんですか?
18、勉強して早稲田に受かったらしいですが、どうやって答案用紙に筆記したんですか? 数学の
182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/20(日) 09:45:01.56 ID:92lrJ2eE
20、障害を持っているのにそれに負けずに、健常者以上の一流ピアニストや人気漫画家になった人を
知っています。あなたはいつも健常者に上から目線で説教していますが、そのような健常者に負けない
ような実績が何かあるんですか? 仕事が作家なら、一般公募している小説賞にでも投稿なされたら
どうですか? スポーツが好きなのなら、義手足をつけてパラリンピックでも目指したらどうですか?
21、あなたが障害揶揄発言をするから悪ノリする若者が出てくるんじゃないんですか? 自分から
誘っておいて、「越えちゃいけないライン、考えろ」はないんじゃないんですか? 二階に上げて、
階段を外すような行為です。あなたがまず越えてはいけないラインを考えるべきです。
22、あなたは失明するとか、顔に重度の火傷を負うなどの急な後天的障害をわずらっても、障害は
23、最近よく帽子をしていますが、四肢欠損は気にしてないのに、ハゲは気になるんですか?
24、フォロワーのTLを汚さない気遣いはするのに、晒しRTの影響については考慮しないんですか?
25、本当に幸せな人間はいちいち自分を幸せだと強調しないものです。そうアピールしなくては
精神のバランスを保てないほど、何か大きなコンプレックスを抱えているんですね。
26、世の中には何十年も教師をやっているベテラン教育者が大勢いるのに、それを差し置いて、3年
そこらの教師経験で、お金をもらって講演で教育論を語るなんて、人間として恥ずかしくありませんか?
27、チョークも持てない、逆上がりもできない、ピアノもひけない、倒れた生徒を医務室に運ぶことも
できないあなたが教員を勤めたために、他の優秀な教師志望者の雇用機会が損なわれました。それに
ついてどう思いますか?
183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/20(日) 09:48:20.08 ID:92lrJ2eE
28、被災地をボランティアでまわったとき、障害者施設には一切近づかなかったと言うのは本当なんで
すか? マスコミはあなたと他の障害者の交流シーンを取材したかったのでは?
29、障害者代表として見られたくないなら障害論を語るべきではないのでは? 「障害をネタに出来る
社会を作る!」じゃなくて「僕の事はネタにしていいですよ」ていどにすべきです。
30、あなたは根本的に身体的特徴いじりネタを勘違いしています。あれは言われたほうが嫌がるから、
ネタとして成立するんです。あなたの場合は、仁美「だって、あんたカタワだもんね」 乙武「カタワって
言うな!」 仁美「あら、ごめんなさい。あなた全部ないからムワ(無輪)だわね」 乙武「もっとひどいわ!」
と言う感じに、突っ込まなくてはいけない立場なんです。自分で喜々と障害揶揄ネタを言っても寒いだけ
です。
31、「人生で絶対に失敗しない方法が、ひとつだけある。それは、何の目標も持たず、何のチャレンジも
しないこと。でもさ、そんな人生、ちっとも魅力的に思えないよ。」と語っていましたが、あなたがいったい
なににチャレンジしたんですか? そしてなにに成功して、失敗したんですか? そもそも何か競争に
真剣に参加したことがあるんですか? 障害者の特権を利用してあらゆる厳正な競争を免除され続けた
あなたが、他人に対してチャレンジの重要性を説く資格があるのですか? 何でもかんでも他人にやって
もらっただけで、あなた自身何も挑戦してないのでは? そんな人生、ちっとも魅力的に思えませんよ。
32、障害者として同情されたくないと言いますが、始球式でビニールボールを投げたり、しょうもない
ダジャレを言っただけで賞賛するようなあなたの信者が一番あなたに同情しているのでは? 今いる
信者は、あなたが健常者だったら見向きもしなかったと思いますよ。
33、障害をネタにできるのが真のバリアフリーと言うのなら、癌やエイズで死にかけている人も笑って
いいのですか?
34、野球に出たら代打として自分は使えるとか言ってましたけど、野球のストライクゾーン理解して
るんですか? 胸から膝ですよ。あなたはちょっと太もも短いだけで、そこの長さは健常者と大して
変わらないのでは? プロなら普通にストライク入れてきますよ。そんなこともわからないなんて、
184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/20(日) 09:49:40.91 ID:92lrJ2eE
35、身体を病むとやはり精神も病んでしまうんですね。あなたを見ているとよくわかります。僕は
五体満足に生まれて本当によかった。あなたを見ていると心からそう思います。
36、「天使のオトくん」という虚像に苦しめられてきたと言ってましたが、それであなたがなにを苦しん
だんですか? その虚像で大金稼いでなに言ってるんですか? もし不本意だったと言うのなら、
五体不満足の印税全部返上したらいかがですか? あなたのような人格奇形児に金メッキして
商品化、プロデュースしくれた人々の努力を足蹴にしています。感謝の心が欠如していませんか?
37、本当に四肢欠損を気にしてないのなら、いちいちそれを話題にしないのでは? 話題にするという
ことは、それだけやはり気にしてるんですね。本当に哀れになってきます。
38、あなたの「障害は不便です。だけど不幸ではありません。」と言う言葉は明らかに間違っています。
障害そのものは病気であり、不幸です。不幸だからこそ、税金で補助され、医者と患者は一生懸命
リハビリして、それを克服しようとしているのです。正確には「障害をもっていることは不便で不幸なこと
です。しかし、人間は考え方や努力によって、その不幸を補えるだけの幸福を獲得することができる
はずです」と言うべきです。「障害そのものを不幸ではない」と断言しているあなたの短絡さが、理論の
ねじれる原因になるんです。
39、しかし、あなたは本当に障害「 しか 」売りがないんですね。何か他に芸を身につける努力を
なさったら?
40、教師として健常者の児童の心のケアはするのに、どうして障害者の児童の心のケアはして
くれないんですか? 「障害は不便だが、不幸ではない」と言う哲学があるのなら、それを障害者
の児童に伝えるべきでは? こんなこと健常者にアピールしても意味ないんですよ。
41、健常者が障害を揶揄しないのは、気を使っているからでもなく、壁を作っているわけでもなく、
単純に障害が笑いとして面白くないからです。笑う必要性がないからです。何でいちいち障害を
いじって、笑いにしないといけないんですか? 道に落ちている石をいじったり、笑ったりしますか?
そんなことしてたら、ただの精神異常者では?
185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/20(日) 10:05:47.61 ID:92lrJ2eE
42、「子どもの頃から、野球が大好きでした。でも、子どもの頃から、巨人が大嫌いでした。
でも、それは巨人が嫌いだったんじゃなくて、渡邉恒雄氏のやり方が嫌いだったんだ。一野球ファン
として、断固、清武代表の“反乱”を支持します。」と、おっしゃってましたが、渡邉氏がオーナーに
なったのは1996年です。あなたはすでに20歳前後だったのでは? 中身もないし、さすが自称
43、障害者は生活無能者です。障害をネタにするということは、無能者の部分までネタにされる危険性
があるのでは? あなたは「カタワ」と言われて笑っていますが、「カタワだから役立たずだよな」と言わ
れて笑っていられるのですか?
186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/20(日) 10:26:05.75 ID:92lrJ2eE
44、義手足をつけずに始球式をして、あなたはなにをしたかったんですか? 東北の人々に勇気を与
えたいと言っていましたが、あなたがビニールボール投げても、普通は勇気付けられることはありま
せんよ。義手足つけて、自然なフォームで球を投げたら、それこそ世界中が賞賛したでしょうに。
45、始球式であなたの姿を見て、トラウマになったと言う人もいます。それをどう思いますか?
病的なものや部位を見て、人間が生理的な嫌悪感や抵抗感を感じるのは本能的で、自然なもの
です。子供たちの前で、病気を見せびらかすあなたの精神性が一番病んでるのでは?
46、1日校長をやったとき、床や階段を這いずり回ったそうですが、子供から見て明らかに異様ですよ。
あなたが先天的障害者だと知らない子供たちは、事故や拷問で手足を切断されたとしか思わないで
しょう。子供からしたら、ホラーや猟奇動画そのものです。ゆっくりとでいいから義足をはめて歩くべき
だったのでは? 教師ならもう少し子供たちに配慮すべきです。
そこには障害者がいた。
彼女の足は義足であって、その歩行はぎこちなく健常者の半分ほどに遅かった。
ぎりぎり歩けている、という印象をもった
でもそういう人は多くみたことがあるしそのことだけが僕の関心をひいたのではなかった
”障害があっても、剣道はできるのだな”
”もしかしたら、筋力維持のためにやっているのかな”
そう思った。
僕はちらっとだけそう思うと夜食用のカップ麺をかってバスに乗り込んだ
バスの後ろの方の座席に座り、買ったばかりの本を読んでいた。
前の方の席の男性がいささか大きめの声で
「席をお譲りしましょうか」と言った
バスは信号待ちのためエンジンをとめており、その声はバス全体に響いた
バスの混雑のなか、義足の彼女は立っているのがやっとであるようにみえた
ただ彼女は断った。
彼は終始うつむいたままだった
彼は彼女に席を譲りましょうかというべきだったのか
結果として誰もハッピーにはならなかった
むしろ全員が不幸になったと思う
僕としては、席を譲るとき、相手に「席を譲りましょうか」と尋ねるべきではないと思うのだ
それはたしかに親切心の表明ではあるけれど、
同時に「あなたの見た目は席に座るべき見た目だ」というメッセージも暗に与えるだろう
もしかしたら
あと一駅だから頑張ろうとか、まだまだ自分は座る年齢なんかじゃないとか、健康のために立っておこうと当人は思っているかもしれない
だけどそういった気持ちは無視されて見た目が障害者だからとか老人だからとかいったことだけで席を譲りましょうかと言われる
しかもその声は周囲の知らない人にも届き、彼らもまた自分のことを「座るべき人」として認識するだろう
果たしてこれは親切だろうか
「席を譲りましょうか」というのは相手に選択権まで与える一見すばらしく親切な行為であるけれど
本当は座りたくない人にとって、この選択肢はどちらを選んでも最悪ではないか
自分の気持ちに反して座るか
相手の親切心を断って立ち続けるかのどちらかしか道はない
親切ってなんなんだろう
わかるまではとりあえず後ろの席の窓側に僕は座ることにする
"「かたわ少女」Act1V3プレイしました - ミッション! アクション! パッション!"について。
(略)障害者が通う学校なのに「高等学校」です。特別支援学校ではなく。「高等学校」を名乗るからには、高等学校設置基準に基づいて設置され、高等学校学習指導要領に基づいて教育活動が行われなければなりません。
確かに「今現在の」「日本の」学校制度ではそうなんでしょうね。しかしゲーム作成者の国ではどうなんでしょう。私は知りませんが、むこうでもそんなに名称レベルできっちり区別されているんでしょうか。それによっては評価も少し変わるように思います。
無論、設定国の忠実な再現という意味では「今現在の」「日本の」再現も重要なんですが、個人的には障害者が通う「高等学校」が物語の世界にあってもそれはそれでいいような気はします。それは世界設定の問題なので。
また、様々な障害のある子供が同じ学校で生活しているというのも不思議です。それぞれの障害特性に応じて環境づくりをしないと教育効果が上がらないので、特別支援学校は、障害種別ごとに学校が作られています。
特別支援学校でない学校の話で、特別支援学校は…と話をしてもあまり意味はないような気がします。「それぞれの障害特性に応じて環境づくり」が特別支援学校以外の方法では無理だ、というのであれば仕方ないですが、生徒が学べるぶんの環境が何がしかの方法で整えられるのであれば、別にさまざまな障害者が同じ学校で生活してもいいのでは。どうしても分別したいのであれば別ですけど。
ゲームをやっていないので具体的にどう階段を登ったのかはわからないのですが、簡単にできるかどうかは人によったりはしないんでしょうか。障害者もいろいろでしょうし。http://www.youtube.com/watch?v=LJP5xat-XNAなどを見ると、それなりには登りうるようですけれど。
全員の生徒が盲人ならそれでもいいのでしょうね。でも別段必須の設備とも思えません。携帯のメールじゃまずいのでしょうか。特に今回のような複数種の障害者が生活する状況なら、私であればいちいちのディスプレイ設置ではなしにメールを使いますが。
手塚琳がトイレに行かなければならないというシーンでは、介助を主人公に任せるわけに行かないので断り、誰かを探す、ということをしています。特別支援学校ではこのような介助は教員がやります。もし、誰も介助者を見つけられなければ、琳はどうするのでしょうか。
特別支援学校では、教員は障害者に張り付いているんでしょうか。張り付いていないのであれば、「教員を見つけられない場合」はどうするんでしょう。性別さえ問題でないなら生徒が介助可能、という世界で、介助を教員がやるかどうかはあまり重要に思えません。気にするところってそこなんでしょうか。
この作品を作った方は、特別支援教育や障害者についての取材をあまりされなかったようですね。このことのひとつの現れとして、「障害を持つ」という表現があります。作中では「持つ」と書かれています(日本語版)が、障害者は自らの意志で障害を「持っている」わけではないので、「障害がある」という言い方をするのが(特別支援教育の業界では)一般的です。
「一般的」でないとそんなにまずいのでしょうか。意思なき状況に「持つ」を使うのがそんなにまずいのでしょうか。重箱の隅つつきにしか思えません。私は腰が悪いのですが、自分を「腰痛持ち」ということになんらの抵抗もありません。もちろん、腰痛を自らの意思で「持っている」わけではないですけど。気にするところってそこなんでしょうか。
砂糖(※ママ)リリーが校内で白杖を使っていますが、通常、校内の移動で白杖は使いません。どこに何があるか覚えているからです。逆に言うと、視覚障害特別支援学校では、普段物がないところに物を置くというようなことは絶対にしません。
「通常」…。さっきの「一般的」もそうですが、なんだか普通でない状況の存在を認めないような口ぶりだなあ、と思うのは私だけでしょうか。どうなんでしょう?
というか、「普段物がないところに物を置くというようなことは」ありえない、絶対に―というのであれば別ですけど、「もしあったらとても困る」と仮に考えるのであれば白杖を持つしかないのだから、白杖を持つ生徒がいてもいいと思うんですけど。それに全員の生徒が盲人ならいざ知らず、そうでない場合他人に「自分が盲人であること」がわかり易いほうがはるかに便利であるように思います。ではどうするか? 私なら白杖を持つ、のですが。
羽加道静音は手話以外は全く理解できないようですが、実際の聴覚障害者は、ある程度の口話(口の動きを読み取ること)ができます。
これは「普通は」という括弧書きなしの話なんでしょうか。口話は相当に難しいようですし、人によっては事実上できない人もいるように思いますけど。できなかったら「実際の聴覚障害者」ではなくなってしまうのでしょうか。
この作品には、今のところ知的障害者は登場しません。この作品を作るきっかけとなった1枚のイラストに知的障害者が登場しなかったからでしょうが、どうせなら、すべての障害種別を対象にしてほしいところです。
「すべて」を要求する意味がわかりません。それこそが作品のテーマである、とかの場合を別とすれば、ある作品が全パターンを網羅することは必要でも何でもありません。「この作品にはいろいろな国の人間が出てくるのだから、どうせならあらゆる国の人間を出してくれ」といっても仕方ないのと同じです。
エントリ主さまは障害者やその環境についてとてもお詳しいようです。が、「どうせなら、」そのありあまる知識を(今更ではなく)プロジェクトが動き出した2007年、日本で話題になった2008年ごろに作成者側に語ってもらいたかったところです。彼らは閉じた存在ではなかったのですから。
いえ、過去を振り返ってもしょうがない。「どうせなら、」障害者の物語を語ってみてはどうでしょうか。障害者をよく知らない者が語るより、よく知る者が語るほうがずっとよいはずです。どうですか。
ラオスでチュービングして洞窟探検して、バックパックに水とフランスパンのサンドイッチを入れてiPodでレッチリのカリフォルニケーションかaround the worldを聞きながらバイクで疾走したいです。走り飽きてどこかの川のほとりで休んでいたら、アメリカの爆撃のせいで義足になったお爺ちゃんと、アメリカの悪口をひととおり話し合いたい。そして珍しそうに俺を見る子供達に折り紙を折ってあげた後、一緒に川で遊びたい。宿に戻ってバイクを返し、テラスがあるレストランで真っ赤な夕日を眺めながらビアラオを飲み、ラエリーとガザの壁とメルカバについて小一時間語り合い、酔いつぶれて前後不覚になったぐらいで宿に戻り、食べ忘れてぐしゃぐしゃになったフランスパンのサンドイッチを食べながら、友人に絵はがきを2通出してから、日記をつけて眠る。
確かにそうだな。
それをやれば確実に罰せられる。
客観的に見れば、負けだろう。
でも、それをしたことによって、いじめっ子が障害を負えば、今後の人生を大きく狂わすことができる。
目玉をくりぬけば、ニコニコ動画を見ることもできなくなるだろうし、杖をついてあるかなければならなくなる。
両腕を切り落とせば、フォークやナイフを使って食事をすることはまずできなくなるだろうし、キーボードを使ってここで発言することもできなくなる。
両足を切り落とせば、義足なしで生活することはできなくなる。
ズボンを下ろして、ほかの生徒たちの前で強制射精させるなりすれば、心に大きなダメージを負わせることだってできる。
仮にそれを行ったことで損害賠償請求されたとしても、いじめっ子に過失ありとみなされ、減額されるかもしれないし、
そいつがどんなにひどいことをしてきたかを周りの奴らに認識させることができる。
そこまですれば、どちらが勝ったかなんて言うことはできなくなるんじゃない?
私が出会った初めての痴漢。
彼の甘い吐息は生臭くて、電車の中でこんなに苦しそうにハァハァ喘ぐ彼は
そうゆうわけで、電車通学を始めたばかりの私が、中学一年生の時。
私は生れて初めて痴漢に遭いました。
相手は同い年くらいの男子。
痴漢と言っても、最初は制服の上から尻をなでまわされる程度だったので、「もしかしたら気のせいかもしれないし、そうだったら申し訳ない」と思い、別にさほど気にしていないようにしていたのですが、流石に彼の手がパンツの中にまで浸食してきそうになった時、流石の私も心がふるえました。
勇気をだして、「やめてください!」と叫んだところ、彼は「なんだなんだ?」と言いながら、あわてて私のスカートから手を引っこ抜きました。
立ったまま寝る癖のある私の後ろを、いつも陣取っていた彼。
彼は、電車が揺れるたびに、人差し指を突き出し、振動で私の尻にうっかり指が突き刺さってしまったふりをするという、特殊な趣味の少年でした。将来が不安です。
痴漢に遭い始めの当初、私は尻に違和感を感じていたものの、眠かったので特に気にしていませんでした。
しかしながら、毎日され続けていると流石に不愉快になり、彼が下りる北千住駅で、もう、ありえないくらいの眼力で彼を睨みつけました。
目を合わせないように去って行った彼の後姿が忘れられません。
それ以降、彼が私の後ろに立つ事はありませんでした。
次に遭った痴漢は普通のおっさんで、その後普通のおっさんの痴漢には何度ともなく遭いました。
しかしながら私は、そのたびに彼らの手をつねることにより、それらを拒んできました。
今まで数々の痴漢を経験してきた私ですが、流石にイラン人痴漢の登場にはひるみました。
私が厚手のコートを着ていたためか、彼はまさか私の股がそんなに低位置にあったとは気付かなかったようで、彼は私のへそのあたりをずっと指で突いてきました。
いや、もしかしたらへそに対する執着が強いイラン人だったのかもしれません。でも、まぁそんなことはどうでもいいのです。
しかし手をつねるという行動に出るにはイラン人は怖すぎたのです。
私は、下腹部をなでまわすイラン人の手を取って、上に投げ捨てるようにしました。
しかし、私が手を投げ捨てた先は、運悪く私の胸部付近。
イラン人は勘違いしてしまったようで、私の胸部を触ってきました。
ついに怒った私は、思わず「やめろ!」と叫びました。
怒ってしまった瞬間、彼が麻薬の売人だったら拉致されて麻薬漬けにされるのでは、という恐怖が頭をよぎりました。
しかし、イラン人は何も言わずに次の駅で降りて行きました。
それから中学、高校、大学を卒業し、社会人になった私は、めっきり痴漢にあわなくなりました。制服って怖いですね。
しかしながら先日、いつもの通り私が吊革にぶら下がって寝ていると、後ろからものすごい臭気が漂ってきました。
そして同時に感じる尻への違和感。
私が振り向くと、そこには浮浪者の方が、ひいき目に見てもお風呂に数日入れていない紳士が、私の尻をなでまわしていました。
これは一体どうしたことだろうか。やはりいつもの通りつねるべきなのでしょうか。
でも今混んでるし私吊革から手を離して彼をつねろうものなら、つり革が他の人に占拠されてしまう!
そこで私は彼の足を踏みつけようと思い、彼の足もとを見ました。
すると彼の左足は義足でした。
私は、なぜか、そこでなぜか、彼の足を踏むのを思いやめました。
そして、彼が下りるまで、私は寝たふりをし続け、そのまま彼に尻を触らせました。
そんな数ある痴漢の中で、一番気持ちが悪かった痴漢は、冬コミのゆりかもめの中の痴漢で、私は当時高校一年生でした。
ゆりかもめに乗った時、私に密着してきた薄毛の方は、私の股に右手の標準を当て、「くいっくいっ」と、激しく中指を突き上げてきました。
私は確信しました。
「ああ、こいつはエロゲのやりすぎで、こうすれば女の子が『くやしい...でも感じちゃう!ビクンビクン!』ってなるって思ってる!」
彼はおそらく陰核を刺激しているつもりだったのでしょうが、残念ながら位置はかなりずれていました。
ドアが開き、私と一緒にもつれるように国際展示場駅に降り立った時、私は「二度としないでください」と彼につぶやきました。彼は逃げるように去って行きました。
昨今はてなにてかなり活発かつ真剣に痴漢が議論されているので、かなり軽い感じで書いてみました。
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追記:
よって彼はイラン人。
ニートの妹が障害者にジョブチェンジした。歩けないらしい。 の元増田です。
実家から帰ってきました。
結論からいうと、妹はやっぱり歩けない。治る病気じゃない。
難病指定されていて、人工関節入れるか義足になるか。
この辺の手術は体力やら病気の進行具合を見て行うかもしれないので、いつになるかはわからない。
人工関節は、人工関節を入れた周囲の骨が摩耗するらしいので、
15年から20年後には再度入れ直さなきゃいけないらしいし、
義足も走る用・歩く用とあるらしく、手術したよ、はい治ったよ、というわけにはいかない。
ただ、ガンみたいに転移したり広がったりするわけじゃなく、足だけですむようだから、それは一安心。
妹がネットで検索してここ見つけてもどうよ、と思うし。
妹の許可とった上で、改めて別の場所で相談するなり、調べてみるよ。
ちなみにこの「難病」って言葉だけど、行政的に言うところの「難病(特定疾患)」ってのは、
特定疾患について我が国の難病対策では、いわゆる難病のうち、原因不明で、治療方法が確立していないなど治療が極めて困難で、病状も慢性に経過し後遺症を残して社会復帰が極度に困難もしくは不可能であり、医療費も高額で経済的な問題や介護等家庭的にも精神的にも負担の大きい疾病で、その上症例が少ないことから全国的規模での研究が必要な疾患を「特定疾患」と定義しています。
「現代医学では治せない」というドラマティックだが、どーしょーもなく絶望的なセリフを吐くしかない。
妹はすでに車椅子で、狭い家の中を移動していた。
あまりいい物ではないらしく、妹は寒いだの固いだの、あれこれ文句を言っていたw
ネットで調べたら安い奴なら2万しないでも買えるんだけど、やっぱその程度のシロモノでしかないようだ。
スウェーデンの「パンテーラ」って車椅子を教えてくれた増田がいたけど(ありがとう)、
オフィスチェアもそうだけど、ちゃんとした車椅子にしなきゃ、余計に体力消費しそうだ。
難病指定されてる病気に罹ってるのは片足だが、結局もう片方の足も具合が悪く、松葉杖でも歩けないようだ。
特に今は何をするにしても体力が激減してるので、すぐ疲れてしまう。
精神的にはしっかりしていて、別に気落ちしているわけでもなく今までと変わらず生意気だった。
義足の話題が出たときも、「ピカチュウ柄のとかあるらしいし、楽しそうだよ」とかいってはしゃいでた。
井上雄彦の「リアル」(車椅子バスケのマンガな)の話をしたら、読みたいと言っていた。
これはもう全巻買って送りつけてやるしかない。
意外と明るいのにほっとした。
もちろん、歩けなくなるかもというのがわかってから2ヶ月くらい経つわけで、その間にいろいろあったんだろう。
両親も相変わらずで、母親は妹のあれこれ世話を焼きたがってたし、父親にいたってはテレビを見てるだけで、妹の病気についてはあまり触れようとしなかった。
このオヤジは俺がガキのころ、家の中でクギ踏んで怪我したときにも、泣きわめく俺を背にナイターに夢中になっていたという過去があるので、まったく期待していない。
というか、することなすこと空回りな人間なので、何もしてくれない方が助かる。
良くも悪くも変わっていない実家に安心した。
トイレの横の廊下に車椅子とめて、トイレの中には松葉杖があって云々と、妹が過ごしやすいように変わってる。
けど別に妹が障害者になって、父親が飲んだくれになって、母親が過労で倒れて・・・みたいな、不幸の連鎖にはまってなくてよかった。
(なんか不幸ってドミノ倒しで連鎖するイメージがあるんだ。母親が過労で倒れるというのはありえなくはないので、俺も気をつけないといけない)
もちろん、俺が見ていない所でいろいろあるんだろうけど、
妹が原因で親がケンカすることもなく、「妹が車椅子に乗っている」という日常をちゃんとこなしていて、その現実に前向きに対応している。
自分で「他人の不幸との差分はただの卑しい安心感だ」などといっておきながら何だが、原因不明の病気でよかったと思う。
だって「原因不明?ならしょうがない」って諦めやすいじゃん。
これが事故だったら悲惨だ。
加害者側も大変だろうし、こっちも「恨む対象」があるというのは、実はシンドイ。
「恨む」ことには相当なエネルギーが必要だからだ。
実家には車がないのだが(オヤジが免許は持ってる)、今後妹のために車を買う可能性は高い。
くれぐれも事故だけは起こさないで欲しいと思った。
妹にうちでバイトしないかという話をしたら、以前にもその話をふったことがあるからか、
と前向きに考えてくれていた。
闘病日記(というと重いが)みたいなブログもやりたいと言っていた。
ただ今は妹の部屋からリビングのパソコンの前に行くのも一苦労だし、体力の消耗が激しいのでパソコンも長時間できない。
単純に在宅だろうが仕事自体が難しい状況だ。
ハローワークとかを教えてくれた増田もいたが、妹の体力が回復したら、考えてみるよ。
そうそう、妹はニートとばかり思ってたら、いちおう短期のバイトをちょこちょこやっていたらしい。
これは謝らないといけない。
しかし実家にはまだ車がないし、家は3階でエレベーターがないから外出るのも大変だし、
地元の駅もエレベーターがない。作る予定はあるらしいが、ウン年後だ。
まあ俺が焦ってもしょうがない。
今は実家の親に妹を支えてもらうだけだ。
(もちろん俺もなんかしらサポートすべきだけどね)
派遣切りの問題でも感じてるんだけど、セーフティーネットとしての「家族」の存在は重要だ。
なんかあっても実家に戻って体勢を立て直せるって保障があるとないとでは、全然違う。
両親のことはケンカばかりしていて好きではないが、前向きに対応している親たちを少しだけ尊敬した。
現状、直接俺ができることは少ないだろうが、今年はより仕事頑張って、少しでも実家に仕送りして楽にさせてあげないと。
そんな新年の始まりでした。