はてなキーワード: キュートとは
ようやくネットで藤井風の文字を見るようになったので、私のおすすめのカバーソング集を披露する。
キュートな風(かぜ)をみてほしい(笑
⑩Sunday Morning - Maroon 5 (cover)
冒頭ハンドクラップしながらのピアノがすごい。最後に毛布をかぶって大いびき(笑
⑨君は1000%/1986オメガトライブ&カルロストシキ
あの変な「オエッ!」を新解釈。腿打ちだ! まあ歌は上手い!(笑
7年前の映像。15歳? すげー指さばき! 詩情豊かなUFO!(笑
⑥Jamiroquai - Virtual Insanity ( Piano cover )
冒頭に、白ハットの上の黒ハットを落とした時のカメラ目線がエロい(笑
「丸の内サディスティック(轢き逃げ)」は2バージョンあるが、こちらは歌入りバージョン。演奏後にタバコを吸うのかと思ったらガリガリ?!(笑
に
④接吻 (ORIGINAL LOVE)
おいおい、ピアノも凄いが、その甘く太い声! 本物の田島貴男かと思った! 最後に嘆キッス!!(笑
③Plastic Love - Mariya Takeuchi 竹内まりや cover
男性ボーカルバージョンでは最高! 完全に自分のものにしとてるよね?! 2月の録音でネックウォーマー姿もいい(笑
ボーカルなしの演奏のみ。歌ってほしかった。赤タンクトップ?! 最後のカメラ目線&ニヤリもGoo!(笑
アナリストではありません。
女の嫉妬は醜い。
パーソナルデザインがロマンスタイプの女性は同性に嫌われ、妬まれる。
女性らしい曲線的な体つき、甘ったるい声と顔立ち。
でも身近にいる女性らしい、色気がある女性は嫌いなのだ。実害があると思われる。
特にさなぎの時を知られてしまっていると、非常にまずいことが起きる。
さなぎの時には自分よりも不美人で鈍臭かったロマンスタイプが、蝶になってからはキラキラと他の追随を許さぬほどの輝きを放つ。
その輝きが女性そのものという性質を持つため、賛辞は得られない。
女性が同性の友達が綺麗になったり、痩せたりすると離れるというのは有名な話で、これは私自身本当のお話だと確信している。
女性は女性の友達を敵か、敵ではない見下しても良い対象のどちらかでしか見ていない。
一緒にランチをしたり、インスタ映えのレストランに行ったとしても、自分を可愛く撮ってもらうためにわざわざ高いご飯やスイーツを食べている。
自分の写真を撮ってほしいから体良く食事やお茶に誘うという友情は上澄みだけならメリットは多少ある。
しかし大抵の女性がする話は恋愛の話ばかりで、私がしたい生産性のある理性的な会話は望めない。
数時間生産性のない、不美人同士の恋愛話に時間を費やした見返りとして自分を可愛く撮ってもらうのは人によってアリかナシか、分かれるところである。
可憐な少女のような成人女性は、大帝の女性の敵としては見られない。
そもそもがこの前提であるので、恋愛話はしたくないというのも本音である。
フェミニン系の装いをする女性は、内面のみ女らしい女、嫌なところもたくさん兼ね備えた女らしいなので、立ち入ってはいけない。
見た目は大人の女性なのに、中身は天真爛漫で子供っぽい私たちロマンスタイプは彼女たちの目の敵にならないはずがないのだ。
その点、ギャルが好むタイプのお店にいるあっけんからんな華やかな女性の接客は、心地よいことが多いはずだ。
フェミニンタイプの、華やかさを抑えた内面の主張の激しい女性よりも、アッサリとした、私生活も充実したピュアな華やかさをもつ女性の方が相性が良い。
繰り返しになるが、女性は女性美容師にカット、カラーを任せてはいけない。
ネイルもできれば男性が良いですが、地方にはいないことも多いので、できれば大きめで席数の多い店がオススメ。流れ作業なので、目の敵にされない。
とにかく、同じロマンスタイプの女性と、グレースタイプ以外の女性はできるだけ避けて生きていこう。
特にキュートタイプと、フェミニンタイプの女性は本当に避けたほうが無難。
友好的な関係はまず築けないし、勝手に敵だと認定され辛い思いをして裏切られるだけ。
アナリストではありません。
女の嫉妬は醜い。
パーソナルデザインがロマンスタイプの女性は同性に嫌われ、妬まれる。
女性らしい曲線的な体つき、甘ったるい声と顔立ち。
でも身近にいる女性らしい、色気がある女性は嫌いなのだ。実害があると思われる。
特にさなぎの時を知られてしまっていると、非常にまずいことが起きる。
さなぎの時には自分よりも不美人で鈍臭かったロマンスタイプが、蝶になってからはキラキラと他の追随を許さぬほどの輝きを放つ。
その輝きが女性そのものという性質を持つため、賛辞は得られない。
女性が同性の友達が綺麗になったり、痩せたりすると離れるというのは有名な話で、これは私自身本当のお話だと確信している。
女性は女性の友達を敵か、敵ではない見下しても良い対象のどちらかでしか見ていない。
一緒にランチをしたり、インスタ映えのレストランに行ったとしても、自分を可愛く撮ってもらうためにわざわざ高いご飯やスイーツを食べている。
自分の写真を撮ってほしいから体良く食事やお茶に誘うという友情は上澄みだけならメリットは多少ある。
しかし大抵の女性がする話は恋愛の話ばかりで、私がしたい生産性のある理性的な会話は望めない。
数時間生産性のない、不美人同士の恋愛話に時間を費やした見返りとして自分を可愛く撮ってもらうのは人によってアリかナシか、分かれるところである。
可憐な少女のような成人女性は、大帝の女性の敵としては見られない。
そもそもがこの前提であるので、恋愛話はしたくないというのも本音である。
フェミニン系の装いをする女性は、内面のみ女らしい女、嫌なところもたくさん兼ね備えた女らしいなので、立ち入ってはいけない。
見た目は大人の女性なのに、中身は天真爛漫で子供っぽい私たちロマンスタイプは彼女たちの目の敵にならないはずがないのだ。
その点、ギャルが好むタイプのお店にいるあっけんからんな華やかな女性の接客は、心地よいことが多いはずだ。
フェミニンタイプの、華やかさを抑えた内面の主張の激しい女性よりも、アッサリとした、私生活も充実したピュアな華やかさをもつ女性の方が相性が良い。
繰り返しになるが、女性は女性美容師にカット、カラーを任せてはいけない。
ネイルもできれば男性が良いですが、地方にはいないことも多いので、できれば大きめで席数の多い店がオススメ。流れ作業なので、目の敵にされない。
とにかく、同じロマンスタイプの女性と、グレースタイプ以外の女性はできるだけ避けて生きていこう。
特にキュートタイプと、フェミニンタイプの女性は本当に避けたほうが無難。
友好的な関係はまず築けないし、勝手に敵だと認定され辛い思いをして裏切られるだけ。
子供時代は子供服が似合わず可愛くない。学生時代は似合わない制服を着てメイクも巻き髪もできないので美しくない。
化粧をして華やかな装いをすると、周りの扱いの違いに驚く。
別段美人ではないのに女性、女という要素が強いため、気取っているとか反感を買われやすい。
世の中キュートタイプやナチュラルタイプの女性が人気だから、生きづらい。
パーソナルデザインがロマンス以外の女性が、ロマンスが女性に嫌われるなんて無い。性格や内面の問題だ。とよく仰いますが、それは間違い。
ロマンスタイプとして生きていれば、明らかに女性に嫌われていると感じる瞬間は、他タイプの女性に比べれば多い。
直線的な顔立ちの面接官の女性から見れば、ぴしっと固めた似合わない体の曲線を抑え込むスーツを着たロマンスタイプの私は鈍臭く垢抜けなく明らかに仕事ができない、女そのものだ。そのため嫉妬を覚えるのである。
ただでさえ女性美容師は男性美容師と比較すると安易に短く切りすぎ、似合わせよりも細かめに巻いた脱力した髪型を好む。
ロマンスタイプが女性の美容師に切ってもらうとどうなるかは想像に難くない。
ロマンスタイプの女性芸能人の人気が年々高まっているが、彼女たちは芸能人だからこそ崇められているのだ。
口ではロマンスタイプが憧れという他タイプの女性も、身近にいたら話が別なのである。
職場の同僚に垢抜けないロマンスタイプがいれば嘲笑の対象。ロマンスな装いをすれば、気取っているなどと陰口を言われる。
ロマンスタイプである時点で、女友達というものは人生において期待しないほうがいいのかもしれない。
パーソナルデザイン診断以前にとても仲のいい女性の友人がいた。頻繁に会うわけではなかったため、数ヶ月ぶりに診断後にロマンスの装いをしてお茶をした時、何も容姿に触れられず写真も一枚も撮らなかった。
鈍臭く不美人で、太って見える私を見下していたのに、突然驚くほど垢抜けた私に嫉妬をしていた。
そして彼女は私の長く豊かで綺麗に巻かれた髪に対抗するかのように突然髪を切り、マニッシュな服装に変えた。
ロングヘアは誤魔化しているなどという人もいるが、ロングヘアはそこまで誤魔化しがきかない髪型である。
彼女は顎ほどの長さのまっすぐな髪で私に静かな対抗心を燃やしていた。
私は彼女の華奢な体と、顔立ちはよくはないものの全体像で可愛いと言われる雰囲気にとても憧れていた。(事実、口元が飛び出ていて重度のガミースマイル、歯並びも悪かったのに可愛いと言わせていた。)
だが自分は華奢ではなくロマンスタイプ特有の肌のもったり感があり、彼女に劣等感を抱えていた。
ハリのある上品な大人の成熟した女性そのもので絵画のような私の体は、彼女とは全く別の方向性であることに気がついた。
彼女の嫉妬を受け止め表面的に友好的な関係を続けていたが、それは終わった。
ロマンスタイプは女友達が欲しければ、わざと垢抜けず、わざと早口で話し、わざと汚い言葉を使うしかないのだ。
それは女性的な魅力に溢れるロマンスタイプの宿命であるのかもしれない。
女を武器にしてと陰口を言われ嫉妬される人生。だがそれはロマンスタイプの特権である。
私はこの甘い声と甘い顔立ちと、頼りないすっぴんと、大きな口を開けた上品な笑顔を武器にして生きていく。
オタクのみんなー!わかってるなー!?一緒にぶち上がっちゃおう!!せーの!」
…夢見りあむは地下アイドルのオタクなので、オタクの好きなものが分かる。
よっしゃシンデレラ!
キュート!クール!パッション!ピンク!ブルー!オレンジ!ジャージャー!」
…私は地下アイドル知識はあまりないがMIXというやつなのだろうか。地下アイドル現場でこのコールをされているのはありふれた光景なのだろう。
「全力ダンシン 喉枯れシンギン
…りあむの思う尊いアイドル像。全力で踊って喉が枯れるくらい歌って、そしてファンとチェキ会などの交流。
「無茶振り上等 繋がり退場」
繋がり退場→りあむはオタクとの繋がり(恋愛)をする地下アイドルも見てきたということだろうか。尊くないと憤るのが目に浮かぶ。
…地下アイドルはバイトもしなきゃ生きていけない。そこも含めて頑張っている推しが尊いという意味だろうか。
…自分のファンに対して言葉。尊くないアイドル(りあむ自身のこと)を応援しているファンなんて推し変するしDD(誰でも大好き)だしどうせこんなもんと思っているのが透けて見える。
「どうせ僕に No No人権
…尊くない自分にはアイドルにおける人権はない。人権欲しいな。という言葉。
人権=尊いアイドルであるということなのだろうか?それとも人権=本物のファン?
「BURN BURN みんなが燃やせば
…炎上で注目を集めて、今の地位まで上り詰めたりあむ。りあむは尊くなれはしないが、注目を集めてチヤホヤされたいのも事実なのだ。ワンチャンをもう掴んでいるのでは?
「大体ここにいるみんな本気で愛してるぞー!」
…愛してるぞー!とは言うものの尊くないアイドルを推しているファンをりあむは本気で愛しているのだろうか。それとも何もせずともチヤホヤしてくれるからやっぱり愛してるのか。
「お願い死んでくれ!夢は夢で終わってくれ!」
…お願いシンデレラパロディ。死んで欲しいのは夢見りあむ自身。尊くない自分は死んで欲しい。
お願いシンデレラで言う"夢"とはトップアイドルのことだろうが、ここで言う"夢"とはなんだろうか。
「誰もが死んでくれ 夢から今目覚めたくない」
…夢から目覚めたら新たなストーリーが始まってしまうので目覚めたくないのだろう。りあむはなんの夢を見ているのだろうか。尊くないのにファンがたくさんいるこの現実=夢?
「なりたい なれない あの子も あの子も あの子も うん CALLーーーーー!!!」
それとも"あの子"は自分の立場になりたいだろうけどなれないということか。後者だとしたら悪趣味過ぎるな。あの子は尊いアイドル。自分は尊くない。でもファンが多いのは…?
手首をかけて ゆびきり(げんまん!)」
浮気、されるんだろうなぁという諦めも感じる。
責任とってくれるんだろうなー!」
…ファンのおもちゃとしての振る舞い。尊くないアイドルである自分はファンに媚びて繋ぎ止めるしかない。
「ガチ恋をすればいいじゃん 最前管理すればいいじゃん どうせぼくを全然見てない」
…ガチ恋ですら自分を全然見てないと言い切れる、りあむの自己否定感。りあむにとって自分にガチ恋している時点でオタクとしてアウトなのだろう。理想の夢見りあむ像を押し付けられたくもないように聞こえる。本当のりあむを見つけられる人間はいるのだろうか。
…アイドルじゃなくともぼくを愛して欲しい!というりあむの傲慢さが垣間見える。アイドルとかアイドルじゃないとかじゃなくて本当のぼくを愛して欲しい!チヤホヤしてくれ!
「会いたい」って願ってくれて
…ワンチャン=何もせずとも尊いアイドルになるということなのか。あんまり努力はしたくないけど尊いアイドルにはなりたい!
なれないよなぁ。
「もし思うことができたなら…そう、できたなら…
ー自己嫌悪」
…そんなことはりあむが1番分かっている。尊いアイドルにはなれない。そういう考えがよぎる自分に自己嫌悪する。
「お願い!死んでくれ 夢は夢で終わってくれ
…こんな自分はもうアイドルじゃない…というりあむ特有のやみモード。尊くない…尊くない…死んでくれ。
「誰もが死んでくれ 夢から今目覚めたくない
なりたい なれない ぼくだけ ぼくだけ ぼくだけ うん CALLーーーー!!!」
…尊いアイドルにぼくだけなれない。シンデレラガールズは夢見りあむ以外全員尊い。
(ガチ恋口上略)」
…ガチ恋しているファンでも、ぼくを見ていないと言い切った後でのガチ恋口上は悲しさすら感じてしまう。
期待なんてしないけど ハニー(ハニー)
甘やかして」
…尊くないアイドルの自分を否定し続けるとりあむ自身が壊れてしまう。尊くない自分を受け入れることにした。成長。
「チヤホヤ チヤホヤヤ チヤチヤホヤヤ チヤホヤヤ なでなで×5
チョローーーーイ!!!」
…だからオタク!ぼくをチヤホヤしてくれ!清々しいまでの尊くなさ。最高で最低の尊くないアイドル夢見りあむの完成。
「お願い!死にたくない 夢は夢で終わらせない
みんながぼくのアイドルだ!
…死にたくない=好きなことをしている自分を否定したくない。尊くないことを受け入れたりあむはこれから何を夢見るのだろうか。
尊くない自分を推してくれるファン。自分のことは見ていなくても、ぼくを肯定してくれるオタク達がぼくのアイドルだよ。というメッセージ。
「(お願い!死にたくない!)
(夢は夢で終わらせない!)
(だいすこ!クッソすこ!)
うんCALLーーー!!!」
…オタク歌唱、りあむコール逆転部分。尊くないアイドルとそれを応援するオタクの集大成。
よっしゃみんなでー!
最初から最後まで愚痴なので、シャニマスを好きな人にとって読むことはおすすめしない。
そして長いので読んでくれるなら、心や時間に余裕があるときに読んでほしい。
自分はアイマス歴はそんなに長くない。シンデレラから参入したPだ。
でも自分はサービス開始当初からプレイしていたPではないから、
そんな時にシャニマスがリリースされた。意気揚々とプレイを開始した。
絵もきれいだし、続けられるかもしれないと思った。
ストレイライトが実装されたとき、また戻ったが同じ理由で離れた。
シャニマスは「キャラクターの解像度が高い」とよく言われているように見える。
その理由の一端に、おそらく「キャラを知っていく中で傷や闇になるような部分を持っている」という
現実の人間にも重なるような「欠け」の要素があると思っている。
こういうキャラクターの特徴(性格や行動)はお前らは共感するだろう、というような感じがした。
全員最初から何かが大きく欠けている…ことを意図的にこちらに運営が見せている感覚。
でも繊細な自分とキャラクターを重ねた(共感した)ファンはそれを持ち上げて、
というより祀り上げて、信仰しているようにも見える。
それがまず怖いと感じた。
キャラクターが苦手というと、自分を重ねたファンが自分の人格を攻撃されたかのように錯覚し
苦手の理由の1つ。
次。最初、絵がきれいだと言った。その気持ちに今も偽りはない。
だけど、キャラクターの絵が小さくてほとんど背景のような絵がある。
1枚や2枚じゃない。
これをファンが「今までのソシャゲになかった」と持ち上げ続ける。
コンテンツ側もそれに応えるようにしてそのような構図の絵を出し続ける。
今までになかったのは確かにそうだし革新的かもしれないが、何度もやられるともういい、ってなる。
これも苦手の理由の1つ。
仲のいいツイッターのフォロワーは大概シャニマスをプレイしているから、
それに合わせてプレイしていたけど、離れたほうがいいんだろう。
トラバもブコメも「頭良くて可愛いキャラはこれだけいる、増田は何を見てきたんだ」とか言ってる人多いけど、可愛いは劣った部分への好意というニュアンスがあるってのは「可愛い」を巡る話の基礎だろ。
子供、小動物、老人、ドジ、天然ボケetc、そういう弱者への慈しみと憐れみと愛玩と庇護欲と支配欲と受容と、諸々のニュアンスが強いのが可愛いなわけ。
男女差別論に踏み込みそうでアレだけど、少なくとも伝統的には可愛いが女性に多く使われる評価だったのも、女性が弱いとされてたから。
格好いい、スタイリッシュ、美しい、イケてる、憧れる、偉い……これらはおおむね強さへの好意。
かわいい、かわいそう、いたいけ、キュートなどは弱さへの好意。
だから、頭が良いとか賢いというのは強さに属する要素なせいで、可愛さとは基本相性が悪いんだよ。
この辺は個別キャラとか個人の好みどうこうのレベルじゃなく、物語論とかキャラクター論の原則でしょ。
つーかフィクションに限らず実在の人間に対しても言えるけどね。
可愛げがないって悪口が、ざっくり言って欠点がなくてムカつくって意味なことは明らかだ。
それを踏まえた上で、頭が良いけど可愛いキャラとか強いけど可愛いキャラが実際に色々いるのは、例外、変化球、ギャップ萌えと捉えるのが順当。
頭が良い「から」じゃなくて、頭が良い「けど」なんだよね。
ある面では物凄く優秀だけど、別の面では抜けてるっていうギャップ萌えの類型としては、頭が良いけど可愛いキャラは力を発揮する。
逆に、抜けてるけどここぞの場面で賢さを見せると、それは格好よさとして効果を発揮する。
あのバトルヒロインは細っこくて可憐な美少女なのにクソ強くて格好いい! あんなに強いのにハラペコで可愛い!
ブコメやトラバで挙げられてる頭が良くて可愛いキャラたちも、得意分野では頭が良いけど他の分野や日常生活や恋愛では途端に崩れるみたいのがほとんどだろ。専門馬鹿、ウブ、コミュ障、不器用、めちゃくちゃロリなど。
または設定や、学力テストの順位が出る回とかで賢いという情報が見せられてはいるが、言動でその賢さがちゃんと発揮されることはなくてボケボケ、とかな。
割と男キャラがあげられているのも、伝統的には男は強く格好良い、そして賢さも格好いい、という相性◎な属性は組み合わせやすくて、そこにギャップ萌え要素として抜けてる要素を入れると「かわいい~♥」となるから。現在あがってない名前だとデスノのLとかもこれ。(ちなみにLは、見た目が美形とキモいの中間というのも可愛げである。キモさは弱さだから可愛い)
男は強く格好いい、女は弱く可愛い、というのは前時代的だと不快になる人も多かろうが、類型として現役だし、人々の価値観にも割と残ってんだからしゃあない。
あと、可愛さじゃなく格好良さ面が強くて好かれてるキャラなのに、可愛いだろって言ってる人もいるな。そこは感情とか世間の人々の視線を整理してくれ。
こういうのがある上で、「可愛いに憧れる」という心理が人々にあるのはなぜか、みたいな話も興味深い。
上の方で「憧れは強さへの好意で、可愛いは弱さへの好意」って書いたけど、アイドルとかに対して可愛くて憧れるって感情を持つ人も多い。
それはなぜか。
私の勉強が足りなくてよくわかってないので、皆さんで色々考えたり調べたりしてください。
個人的には、弱さこそが強さという逆説のためかなと思っているが。
ネトゲの姫プなんか典型だけど、あれは弱いふり、無知なふり、可愛いふりをして囲いの庇護欲とマウント欲をそそった上でそいつらを転がして色々搾取してる実質強者。
さすがにネトゲの姫に憧れる人は少ないが、アイドルや美少女のあどけない可愛さは、まるで格闘漫画の合気道のような受身の強さであり、憧れるに値する気がする。
この辺の可愛いを巡る話は色んな物についてそれっぽい話ができるだろうから、ゼロ年代エロゲ論壇みたいにみんな長文でなんか書いてくれ。
フェミニズム系の人が、可愛さを称揚するのは弱者をいたぶる差別欲求だみたいに怒ってることもあったな。そこも咎めだしたら逆に弱者が受容されず生きづらくなるから止めなよと私は思ったけど。
話を戻す。
ブコメトラバ諸氏におきましてはですね、自分の好きなキャラが頭いいキャラだからと秒で元増田に反論したくなっても、ちょっと考えてほしい。
言うべきは、「頭が良くて可愛いだろ!」ではない。
「頭が良いキャラは基本的に可愛くないが、でも格好いい方向でなら魅力的だからいいだろ」とか「頭の良さと、他の弱点を上手く組みあわせると可愛さのマリアージュが出るだろ!」とかそういう感じで反論した方がいい。それをやってる人もいて、頭が良い!と思った。
もちろん、頭が良さと可愛さがちゃんと順接してるキャラを知ってるならその解説をしてもいいけど。私が不見識でぱっと浮かばないだけでいるかもしれんし。
「可愛さ以外にも魅力軸はある」「賢いという可愛くなさと、他の可愛い弱さを組み合わせて全体で超可愛くなる作りもある」「可愛いという感情には優越感が混じってるのを認めると罪悪感が湧くかもしれんが、そこは受け入れて開き直れ」、この三点をよろしくお願いします。
一通り最終回も終わり今年度の感想は今年度のうちにということで、面白かった順で感想メモ。
白黒はっきりとしないことが嫌いなの!
上下の組み合わせの話しじゃないの!
それこそ竹をスパッと半分に割って、
わざわざまたダクトテープで割った竹をつなぎ合わせて完璧に何でも直してしまいそうな性格で、
あのアメリカの人ってなんでもダクトテープで直せると思ってる人多くない?みたいな!
そんで私は白黒はっきり決まらないからなかなか作業が進められない、
例の白と青!
白か青かはっきりさせなさい!って。
白下げて白上げないで青上げて目を逸らさないで私だけを見て優しくそっとキスをして!イエス!フォーリンラブ!ってやかましーわい。
もうそのぐらいよ。
そんでたまたま
本ん当に私ったら運がいいわ!
なかなか滅滅多多にお目に掛けない税理士の先生と事務所の玄関の表でバッタリ会ったから聞いちゃったの
私白なの?青なの?白黒つけてって
白か青か白黒つけてってややこしい話しだけど。
やっぱりさすが餅は餅屋ね。
正解は越後製菓!って言うことが違うわ!ってそんな話しじゃなくてー
もうズバッと白よ!って
正に黒寄りの喪黒さんがどーんって人差し指で刺されて言われる感じで言ってくれるじゃない!
あのモヤモヤする奥歯に物が挟まったような言い方しかしない占いの先生よりスッキリするわー。
白か青かって白黒つけるために占ってもらうんじゃなかった!
もうその横縞な気持がスッキリしたわ!ってこれもやかましーわいって誰も聞きたかない感じでゴメンなさいあそばせって思うけど、
これでズババババーっと、
問屋がソッコウで卸してくれそうなほど作業が進められるってわけよ。
もう後はアフターフェスティバルで話が早いわ。
って想像してるんだけど、
実際はどうなのかやってみないと当たり前だのクラッカーよ。
やってみないと分からないのよね!
マジ結構経費いっちゃってるからまあ何とかなると思うんだけど、
はてなポイントを30000点買ったのは通信費でOKらしいから、
日商簿記検定八段をとってる私が、
それいつどこでその技の威力を発揮して使えて役に立つんだよ!って、
指が折れるまで!指が折れるまで!って
やっとやっとここでかよ!って遙かなる時空を越えて、
花*花さんのサヨナラ大好きな人!を今夜こそはメゾフォルテッシモに熱唱するし!
いや!今のはメゾフォルテッシモではない!メゾだ!と
もはや原型が分からないぐらい
レッツスターティング!あーよかったー!って大友康平さんばりに歌うわ。
と言うかそのぐらいの段位を持っているのなら
仕分け大臣に頼らずとも貸方か借方か分かれよ!って話でもあるわね!
ほんとグローバリゼーションよね。
また動きがあり次第お伝えするわ!
うふふ。
後ろ側の中身にはぜんぜんレタス入ってないパターンとかもあるし、
今日もだっけかな、
緑茶ホッツウォーラーがいろいろ菌に対しても何かが期待できると言うことで、
飲むだけでも効果があるらしいわよ。
きっといいことに違いないと思って飲むまた緑茶ウォーラーの味も変わるってもんよ!
だから今日ほど緑茶ホッツウォーラーが恋しかったことはないは、
とか言ってみたりする今日この頃です。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
良い女と良いセックスをしたい。
飯を食うとか、仕事するとか、俺のありとあらゆる行為の理由はコイツだ。
良い女、とはどんな女だろうか。肩ぐらいまでのショートカットであるとか、屈むと2リットルペットボトルがぶら下がってるみたいになるタイプの巨乳であるとか、下着には自分なりのこだわりがありますだとか、色々あるけれど、とにかく一緒にいて楽しい女、のことを言う。
良いセックス、というのはどんなセックスだろうか。良いセックスには良いストーリーが必要だ。大阪の道頓堀だとか京都の河原町だとかにあるひっそりしたバーで偶然隣りに座った女と好きな小説の話で意気投合。そのうちお互いの悩みだとかを話し合い、今までの恋人の良かった所、悪かった所、両親の変な癖だとかをざっくばらんに話していくうち、向こうはどんどん機嫌がよくなって最後に「なんだか、すごい楽しいわあ。明日も休みだし幸せー!」なんてすごい嬉しそうに満月のようににっこり笑った後、突然雲が掛かるみたいに妖しさを含み始め、そっと低いトーンで「この後どうする?」なんて囁かれ、そのままさっさと会計済ましてラブホにホテルに行き、ぐっちょんぐっちょんになった後、始発に乗るために誰も居なくなった早朝の繁華街を二人で歩く、みたいなのが理想のストーリーである。
俺はそんな良い女との良いセックスを求め、マッチングアプリに登録した。何人かの女性と会い、実際にセックスまでした事もあったが、良い女との良いセックスなんてのは一切無かった。
マッチングアプリで出会い、簡単にセックスできる女とは、つまらないセックスしかできなかった。こういう女には面白い共通点があって、会う前に「私ブスだけど良い?」とか「私太ってるけど大丈夫?」とかそんなことをご丁寧に確認してくる。当時俺はよくわからなかったからとりあえず会ってみたけど、本当につまらないセックスしかできない。これを読んだ男はよく覚えておくと良い。
まず勘違いしないで欲しいけど、ブスでもデブでも良いセックスをする女は居る。つまらないセックスというのは、その最中に俺の身体が突然バイブか何かに変わったとしても、相手はそのまま喘ぎ続けているんじゃないだろうかと白けるようなセックスのことだ。ま、仮につまらないのが目に見えていてもセックス出来るならするけどさ。
マッチングアプリに見切りをつけた俺は、次なる戦場として読書会を選んだ。細々と活動している小さな読書会だった。課題図書も面白そうだし、なにより場所が道頓堀の近くだったため、俺は良い女との文学的で良いセックスに想いを馳せながら読書会へと向かった。
読書会に参加した俺は、皆思い思いに感想を述べる女達の良さにグッときつつ、反省していた。読書会は非常に、本当に、心の底から楽しかった。それは純粋に読書会を楽しんでいる参加者や、楽しい会にしようと努めている運営の方々のお陰であり、そんな中セックスどうこうなんて考えていたのが、本当に失礼だと思ったからだ。俺はクソだ。
読書会が終わり、一人夜の道頓堀を歩く。俺も結局、セックス以外に自己確認の手段がないつまらない男だ。 良い女は俺なんかとは遊ぼうだなんて思わないだろう。マッチングアプリをやっている良い女は俺のつまらなさを易々と察知したことだろう。良い女は良いセンスも兼ね備えているので敵わない。
良い女と良いセックスをするには、当然だがなによりも自分が良い男でなくてはならない。どうしたら良い男になれるのだろう。だが、良い男になろうと思って何かする時点でクソみたいな男にしかなれないということだけはハッキリとわかる。結局は才能と運だと俺は思う。本当は運も才能に含まれるのだけど、才能だけっていうのはあんまりな気がしたからそこは分けた。
俺も、マッチングアプリに蔓延るクソみたいな女も、才能と運が足りなかった。悲しいな。一杯飲もうぜ。なぁ、セックスしよう。いやいや、君は自分が思っている以上に可愛いって。特に目元とかキュートだ。こんなしょーもないメンタルのままじゃお互いダメだろうけど、最近なんか寂しいし、今日くらいはええやん?
道頓堀の街は賑やだ。なんばへ向かう通りはラブホテルが何件も並んでいる。カップルが目の前でラブホテルへと入っていくのを何度も見た。彼らの何組かは今晩、良いセックスをするだろう。俺はせめて良いオナニーをしてやろうと心に決めた。
いちゲーオタ中年男性のハートのど真ん中の最奥部に抜けないほど深く突き刺さった「テン年代ゲーム」10本をランキング形式で挙げていきます。お付き合いください。
のっけから「特別賞」から始めることをお許しあれ。ランキング発表後だと、1位よりもスペッシャルな空気を醸し出してしまいそうで。それを避けたかった。
でも、本作がとくべつな1本であるには違いない。だから悩んだ挙句の……「特別賞」。まんまでごめん。
個人的には『ノベルゲー」って昔からあんまやらないんです。ノベルゲーやる時間あったら小説を読むほうが(たいてい)有益だろう、という長年の思いこみ集積のせい。でも、『Doki Doki Liteature Club』は例外。ゲームらしいインタラクティブな要素があるわけじゃないのだけど、小説でもマンガでもアニメでもこの表現は絶対不可能。
本作の凄さについてはもはや語り尽くされている感があるし、強く深い思い入れを持っている方が世界中にいらっしゃることも存じておりますし、まだプレイしていない方のためにも、内容については何も言いたくない。
でも、これだけは言わせてほしい。
本作は「神は存在を愛している」ってことをギャルゲー/ノベルゲーのガワで見事に顕してみせた一大叙事詩である。ここには生があって、性があって、詩があって、死があって……愛がある。さらには現象学的「彼方」をも開示してみせる。
その(一見)破天荒、かつ強烈な内容に憤怒するかもしれない。ショックのあまりマウスを壁に叩きつけるかもしれない。号泣するかもしれない。戦慄するかもしれない。でも最後にはきっと宇宙大の愛に包まれる……絶対。
ああ、すっきり。
では、こっから心置きなく2010年代・心のベスト10を発表させて頂きます。
「……なんか妙に懐かしいな。子供の頃、お前と行った鵠沼海岸をまざまざと思い出したわ」
ゲームと本の山でとっ散らかった僕の部屋にやってきて、このゲームをしばらく遊んだ君は、いかにも重たいPSVRヘッドギアをつけたまま、そう呟いた。
僕はかなり潔癖症だから、君が顔じゅうに汗をたっぷりかいてることがひどく気になって、除菌ティッシュ片手にそれどころじゃなかった。
けどさ、あの頃君と一緒に見つめた空と海の青さに、まさかVRの新規アクションゲームの中で出会えるとは夢にも思わなかったよ。
ハタチん時、『スーパーマリオ64』を初めてプレイした時の驚きと、海辺で自分の子と君の子が一緒に遊んでいるのをぼんやり眺めてるような、そのうちに自分たちも同じくらい小さな子供に戻って、一緒に無邪気に冒険してるような……切なくて温くて微笑ましい気持ちがじわじわこみあげてきた。そのことに、僕は本当に心底驚いたんだよ。またいつでもやりに来てくれ。
「あー、なんかシャベル持ったナイトのやつでしょ。古き良きアクションゲームへのオマージュに溢れる良質なインディーゲーって感じだよね、え、あれってまだアップデートとかやってんの? なんかsteamセールん時に買って積んでんだけど、ま、そんな面白いならそのうちやるわー」
あなたが『ショベルナイト』をその程度のゲームだと思っているのなら、それは大きな大きな間違いだ。
プレイ済みの方はとっくにご承知と思うが、本作はレトロゲーもオマージュゲーもとっくに越えた、誰も登れない山頂に到達した類い稀な作品である。アイロニーと切り張りだけで作られた、この10年で数えきれないほど溢れ返った凡百のレトロ風ゲームとは、かけ離れた聖域に屹立してゐる。
そして3つの追加アプデ(大胆なアイデアに溢れた全く新規追加シナリオ。今月でようやく完結)によって、本作は10年代下半期にリリースされた『Celeste』や『ホロウナイト』の先駆けとなる、傑作2Dアクションとしてここに完成したのだった。さあ、ショベルを手に彼の地へ赴け。
このゲームの印象を喩えて言うなら、
久し振りに会って酒でも飲もうものなら、いちいち熱くてしつっこい口論になってしまう、共感と嫉妬と軽蔑と相いれなさのような感情を腑分けするのが難しいくらい綯い交ぜになっている面倒きわまりない幼なじみ、みたいな。
正直、ランキングにはあまり入れたくなかった。が、初プレイ時の衝撃をまざまざと思い出してみると、やっぱり入れないわけにはいかぬと悟った。
もし未プレイだったら、このゲームはできればPC(steam)でやってみてほしいとせつに願う。当方バリバリのコンシューマー勢なので、ゲームでPC版を薦めることは滅多にない。だが、コンシューマー機ではこのゲームの持つ「鋭利なナイフ」のような「最後の一撃」が半減してしまうだろう。
作者トビー・フォックス氏は、かつての堀井雄二や糸井重里の系譜に連なる倭人的王道シナリオ(コピー)ライターと感じる。
確認のために本作の或るルートを進めていた時、初期ドラクエと『MOTHER』と『moon』が携えていた「あの空気」が30年ぶりに匂い立ってくるのを感じて眩暈がした。会えば会うほど凄みを増す狂人のような作品だ。
2020年内に出る(であろう)2作め『DELTARUNE』において、トビー氏は堀井/糸井が書け(書か)なかった領域に確信犯的に踏み込んでくるにちがいない。それが半分楽しみで、半分怖くて仕方がない。
その山の森の奥には古い洋館があった。
庭は川と繋がっていて、澄んだ水が静かに流れていた。
君は川沿いにしゃがみこんで1輪の花を流していた。
俺は黙って君を見つめていた。
君は俺に気づかない。
俺は木に上ったり、柱の影から君を見守ったり、触れられない手で君の髪を撫でたりしているうちに……君の可愛がってたシェパード犬がこちらにひょこひょこやってきて、ワン、と小さく吠えた。
ああ、なんだかこのゲームやってると批評的目線がどんどんぼやけていくのを感じる。まるで透明な死者になってしまったような、奇妙で懐かしい感覚に否応なしに包みこまれるような……。
本作は「VRで描かれた古典的AVG(アドベンチャーゲーム)」であると言われている。個人的には、そんな持って回ったような言い回しはしたくない。
VRでしか描けない世界と情緒に対して、あまりに意識的な本作。その手腕はあざといくらいなんだけど、実際に本作をやってみるとあざといどころじゃない。泣くわ。胸の内に熱いものがこみあげてくるわ。
『Deracine』はプレイヤーの原風景をまざまざと蘇らせる。かつて失ってしまった友人を、失ってしまった動物を、失ってしまった思い出を、「ほら」とばかりに目の前に差し出してくる。そのやり口はほとんど暴力的でさえある。
もしVR対応しなかったら、知る人ぞ知る良作(怪作)止まりだったであろう本作。
かくいう俺もPS Storeで見つけて何となく買った時は、まさか2010年代ベストに入れることになるとは思わなかった。怪しい仮面被ったバレリナ少女がサイケ空間を飛び回ってんなあ……製作者はドラッグでもやってんのか?くらいの。
しかしPSVR対応した本作を再度プレイして驚愕した。怪作がまごうことなき傑作に生まれ変わっていたのだ。あるいはコンテンポラリーアート作品としての本質を露にしたとも言える。ああ、VRというハードではこんな事態が起こり得るのか……。
画を作っているサンタモニカ・スタジオ(ゴッド・オブ・ウォー、風ノ旅ビト他)の仕事はいつだって凄まじいクオリティでため息が漏れるのだが、VRとの相性は抜群だ。とりわけ今作での仕事は白眉と言える。
とにかく、思わず自分と少女の頬をつねりたくなるほど美しい。少女が、景色が、色彩が、確実に「もうひとつの世界」(夢、とは言いたくない)を現出させている。
そして本作は本質的な意味で——究極の恋愛ゲーでもある。誰も認めなくても、俺はそう強く感じる。あの少女と過ごした時間を、あの少女が内に秘めていた闇の部屋を、あの少女が戦っていた怪物を、そしてこの狂気と色彩にみちみちた世界を日常生活の中で思い出す時、この胸に去来するのは——それは「恋」としか言い様のない儚い感情だ。
書き始めるまで、本作がここまで自分内上位に食い込むとは思わなかった。
が、確認のために軽くプレイしてみたら、やっぱりとんでもなかった。
実験施設内部に、そして自分の内側(Inside)に展開するめくるめく不穏な景色。ディストピアの先にある、吐き気をもよおさせると同時に、穏やかな安寧に包まれるような、唯一無二のビジョン——を完璧に描ききった本作。
終盤の怒濤の展開と比類なき生命体描写のインパクトに心奪われるが、本作の真骨頂は木々や空や雲や雨、海などの自然情景(それが何者かによって造型されたものであれ)の美しさだと思う。荒んだ世界の中、思わず立ち止まって、天に祈りを捧げたくなるような敬虔な心持ちを強く喚起させる。
俺にとって『INSIDE』とは、自己の内面に深く潜るための潜水艦、あるいは哲学書のページを繰っても繰っても掴めない、自分と世界との乖離を自覚するための尖った注射針であり、神なき世界の宗教である。
灰色にけぶった空の下、雨降るトウモロコシ畑で無心で佇んでいた時のあの安寧と絶望感に、これから先もずっとつきまとわれるだろう。
人の生には「もっとも幸福な時期」というものがたしかに存在するようだ。そして、それは必ずしも幼少期だったり青年期だったりする必要はない。
俺にとっては、傍らに愛猫がいてくれて、WiiUと3DSが現役ハードで、仕事から帰ってくると毎日のように今作にあけくれていたこの頃が——生涯でもっとも幸福な時期だったと言いきってしまいたい。なぜなら、幼少期や青年期と違って、その記憶ははっきりと想起できるから。
そして後から振り返ってみて、その時期がどれほどありがたいものだったかを確認し、やるせない気持ちに包まれるのだ。「ああ、やっぱり」と。
総プレイ時間は生涯最長となったし、この作品を通じて(自分にしては珍しく)老若男女多くの「オンラインフレンズ」ができた。
が、続編『スプラトゥーン2』は発売日に購入したものの、ろくすっぽプレイしなかった(できなかった)。
その理由は(おおざっぱに書くと)3つ。
ひとつは『2』発売時、先に述べた、俺にとってもっとも幸福だった時代が過ぎ去っていたこと(ごく個人的な理由だ)。
ふたつめは、初代スプラトゥーンが持っていた、俺を夢中にさせるサムシングが『2』には欠けているように感じられたこと(批評記事ではないので、それについてここでは掘り下げない)。
3つめは、次に挙げる同じく任天堂開発の対戦ゲームの登場である。
それは35年前に夢見た未来の『パンチアウト!!』だった。そして20年前に夢みた『バーチャロン』と『カスタムロボ』の奇跡的融合であり、同時にそれらとは全く別次元に昇華された「理想的格ゲー」であった。
『スプラトゥーン』で「共闘」の愉しさを味わった俺に、本作は「見知らぬ相手とサシで戦う」ことの妙味と厳しさをばっちり思い出させてくれた。
そして画面内のキャラをこの手で操る——そんなあまりにも原初的な「ゲーム」の喜びが本作には隅々までみちていた。こればかりは「Just do it」(やるっきゃない)。
やがて俺は日々のオンライン対戦では飽き足らず、リアルの大会にまで足を運んだ(あっさり敗退してしまったが……)。そんなゲームは、おそらく生涯最初で最後だろう。
余談だが、Joy-con特性を生かした「いいね!持ち」による操作こそが本作の革新性であると信じているのだが、革新性よりも「合理性」と「勝率」を求める猛者たちには殆ど浸透しなかった。
「いいね!持ち」メリットをうまく調整できてさえいれば、本作は『e-sports』ゲーム初の従来型コントローラーから離れた(両腕全体を用いた)操作形態を実現していたはずで、それについては至極残念だが、現在開発中であろう『ARMS2』に期待したい。
2010年代下半期は、俺にとっては「VRに初めて触れた年代」としていつまでも記憶されることになるだろう。
2017年冬、とにかく『Rez infinite』をプレイしなければならない——そんな義務感でPSVRを勇んで購入した。配線がややこしい機器をPS4に繋げ、想像していたよりもさらに重たいヘッドセットを被り、本作をプレイすると——すぐに「ここには未来がある」と思った。いや、正確じゃないな。「未来に至る——今の時間と自分」をばっちり感じたと言うべきか。現在は可視化され、360度方位に顕在し、俺をユニバーサルに包みこんだ。
AreaXを初めてプレイした時の、重たい身体感覚から自由になり、魂だけが全宇宙に放りこまれたような未曾有の感覚は、ゲームなるものと関わってから過去30数年を振り返ってみても、5歳の時に生まれて初めて電子ゲームに触れた時の体験と並ぶ、あるいはそれを越えかねない、空前絶後の体験だった。
これだけ長いこと「ゲーム」なるものを続けてきて、ゲームからそのような感覚を初めて得られたことに深く感動し、ラストではほとんど泣いていたことがつい昨日のように思い出せる。
そして『Rez infinite』の「次の体験」を今か今かと待っている。
『Rez infinite』からのまさかの……自分に驚き、何度も自身に問うた。
あれだけ昔から『どうぶつの森』嫌いだったお前が。とび森を。テン年代1位に。据えるつもりか?
お前はそんなにぶつ森好きだったのか? ありがちな中年男性みたいに「しずえ萌え」になったのか? それとも親子くらい歳の離れたフレンドと時々会えるからか? おいおい、かあいこぶってんじゃねーぞ、と。
だが本作を1位にした決定的な理由——それは、テン年代初頭に放たれた今作から「仮想世界」における、人間存在の理想的な在り方の萌芽をひしと感じたからだ。
一発で脳内に凄まじいヴィジョンを注入した『Rez infinite』と比べると、まるでアリが餌塚に砂糖を運ぶようなゆったりとした足取りだが、本作は確実に世界中のゲームファンに「もうひとつの世界」をキュートな顔つきと口調(しずえ嬢のような……)でじわじわと浸透させ、人々の無意識をしれっと変容させ、もうひとつの生活を愉しませ、ネット接続により文字通り「飛び出させた」。
『どうぶつの森』は今年3月に発売する次作『あつまれ どうぶつの森』においてさらなる大きな広がりと変化を見せてくれるだろう。
が、俺は本作をとくべつに、個人的に、偏執的に、限定的に愛しているのだ。
それは故岩田社長が生み出した『3DS』というハードへの偏愛と、ゲーム機では3DSだけが備えた「裸眼立体視」——ARとVRを折り合いし、先取りした——唯一無二の機能によって『どうぶつの森』というクローズドな世界をまるで飛び出す絵本のごとく彩り、「夢の中で他者の森を訪ねる」という奇妙かつ魅惑的な通信世界を生み出し——
要は、全シリーズを振り返っても今作『とびだせ どうぶつの森』だけが持ち得た、この奇妙で牧歌的で神秘的なアトモスフィアに由るものだ。
カフカ『城』や村上春樹『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』主人公のように、俺はある時、この森の中に、夢の中に、村の中に、これからも留まり続けることを選んでいた。
そういうわけで、本作を迷わずにテン年代1位に据えたいと思う。
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長々とお付き合いくださって本当にありがとうございました。
余談ですが、最初は「順不同」にしようと考えていたのです。これほど自分にとって大切なゲームたちに順位なんてつけるのは相当失礼な気がして。
でも、敢えてつけてみた。並べてみたら、なんとなく自分内重要度みたいなものがぼんやり浮かび上がってきたので。
異論提言はもちろん、よかったらあなたのテン年代ベスト(5本でも20本でも1本でも)教えて頂けると、いちゲームファンとしてめっぽう嬉しいです。
何の役にも立たないけど、食い尽くし系の感覚が突然舞い降りた瞬間があった
食い尽くし系旦那の話を見かける度に、こんな人が本当にいるのか?と正直信じられなかった
今まで生きてきてそんな人間に会った事がないし、その事を指摘しても話が通じないなんて宇宙人か?本当に大人なのか?と意味がわからなかった
見合だけど旦那が物凄く私のことを気に入ってくれて猛アプローチしてくれた
一年間普通の恋人同士のように付き合いながら結婚準備をして入籍
今まで付き合ったどの人よりも大事にしてくれるし、家事が得意だし、女友達より女心がわかり気遣いが半端ない人だったので
もうこの人を逃して幸せな結婚はできない、この人なら夫婦生活も子育てもなんの心配もないと思ってプロポーズも快諾した
旦那が大事にしてくれる分、私もいまだかつてないほど気を遣って居心地のいい家にしようと努力してる
そんな旦那でも私側からすると所謂恋愛結婚ではなかったから、恋してるとかそんなトキメキはなかった
トキメキやらドキドキやらそんな物より大事な人が見つかったんだと思ってたし今でも思ってる
結婚してからに限った事ではないけど、私はこれまでの元彼の夢をちょくちょく見る
でも旦那の夢はこれまで全く見た事がない
見てるのかもしれないけど覚えておらず、旦那の横で寝ながら前々彼氏とデートした当時の夢なんかを見て目覚めるとなんとも言えない罪悪感に陥った
元々異性交遊に関してはかなりの潔癖症だし浮気したりすることはあり得ないけど、旦那には恋してない事が自覚されて勝手ながら悲しくなったりしてた
旦那が気を遣ってくれて家の目の前のファミレスに行ったんだけど、とにかく旦那が頼むもの片っ端から食い尽くしたい衝動に駆られた
これまでそんな欲求家族にすら湧いた事がないし、そもそもそこまで食に拘る人間でもない
その時はそこそこの空腹にも関わらず、旦那の皿が来るたびに一口ちょうだいと言わずにはいられなくて
3口目くらいでもうこれは異常だと自分でも焦りを感じて、化粧室に逃げ込んだ
職場の人から電話がきたから先食べてて!と言い訳のメッセージを送って旦那がそれなりに食べ進み私の料理がきたころに化粧室から戻った
長々書いてしまったけど、結論から言えばその瞬間旦那の事がファミレスのウェイトレスより空気のような存在に思えていた
目の前に“自分が自由にしていい範疇の”食べ物があるのにその権利を空気のような相手に明け渡す意味がわからなかった
私が食べれるものなのになぜ我慢しなきゃいけないのか、先に相手の物を食べなきゃ私の取り分が減る、取らなきゃ
食い尽くす瞬間の人間って、そこにいる相手の事を本当に環境映像とかBGMとか、そこまで背景的にしか考えてないのかもしれない
その行為をする事でその瞬間相手が顔を蹙めようと、相手が“自分のもの”である事に変わりはなくて、嫌われるとかなんだとか自分が自分の所有物に対して思う事ではないし、みたいな感覚なんだと思う
食い尽くし系は相手を自分の所有物やどうでもいい存在と思ってるか発達傾向の現れかその両方かなんだろうな
そうじゃない、例えば成育環境に由来するものとか別パターンの食い尽くしもあるかもしれないけど
幸い旦那には気付かれずに済んだし、その後同じ発作も起こってない
旦那とはずっと仲良く暮らしていきたいし誰より尊敬してるし一生夫婦でいたいので
自分があの時と同じような状況にならないようストレスマネジメントを徹底しようと思う
私も自分が食い尽くし“系”とは思いたくないですし、あの時限りと信じたいです
でもずっと不思議でならなくて、大事な家族に対して意味がわからないと思っていた食い尽くし系の感覚に自分自身がなった事で、ああこういう感覚なのか!すごい、ここまで相手の人権を無視してるからできる所業なんだ!
と、そのメカニズム?というか心境ががわかった瞬間だったんです
これに更にマウンティングとか相手への悪意まで乗ってきたら本当に心底最低な食い尽くし系の出来上がりなんでしょうね
以前と違って意味がわからんとはならず、ああ、あういう感覚なのね、理屈だけはわかるわ、といった気持ちです
そんな気持ちを理解してしまう自分がしぬほど嫌ですし、再発からの常習になってしまったら舌噛んでしにたいです
潜在的には、こんな気持ちが湧くような感覚で旦那の事を考えてるかと思うと本当に最低だなと思います
どんなに夫婦関係が長くなっても、あの時のような感覚で旦那に接することだけは一生ないように自分を律していきたい
まず私たちのテーブルに運ばれる料理=全て私が食べていいものという認識になって
旦那相手にその自由にしていいはずの料理を「一口もらっていい?」と断り入れることすら理不尽に感じました
なぜ私のものなのに私が好き勝手自由にできないんだ?というイラつき
それを抑えるためにも化粧室に逃げ込みました
2人分が私のものなのに、こちらが旦那の分を確保しなければ旦那に侵食されてしまう!阻止しなきゃ!みたいな
(なお私のオーダーが旦那に取られるという頭は当然なく、これは私が安心して食べれる私だけの分)
そう言えば先日、会社の忘年会のビンゴゲームで同僚のAさん(美人で可愛くてアラフォーだけど社内のアイドル、可愛い物好き)にキュートなぬいぐるみが当たりました
Aさんは喜んでぬいぐるみを持ち帰ったのですが、それを自宅で発見したAさんの次女(15歳)がすかさず「かわいい!これ私のだよね!」と言ったそうです
Aさんの家には自分の手でそれをゲットしたAさんも、同じくぬいぐるみが好きな長女(18歳)もいるのに
呼ぶ気なんかさらさらなかったけれども彼はあまりにしつこい男だったため渋々家に呼ぶことにした。
家に呼んでみてわかったけど、まずコイツは全然デリカシーって言う概念がない。
人の家の引き出し勝手に開けて物を漁ったりとか、食い物食べ散らかしたりとか、食い方も汚いし、それにポテチを触ったその手でリモコン触るのマジでやめろ。
本当に彼を家に呼んだことを後悔した。
フローリングの床とトイレの壁におびただしい数の黄色い水滴がこびりついている。
彼は人の家のトイレを汚していることに気づいているのだろうか。
思わず私のキュートで小さな唇から鬼のようにしゃがれた言葉が漏れ出した。
その瞬間今まで溜まりに溜まっていた自分の中の怒りという怒りが沸々と湧き出し私の中で爆発した。
彼は36歳。高学歴ってほどでもないけどそこそこの大学を出ている。仕事も安定した職種だし、イケメンではないけれどまあ整っている方かと思う。好きでも何でもなかったがこれが最後のチャンスだと思っていた。
周りの友達がどんどんと幸せになっていく中で自分も早くみんなみたいに幸せにならなきゃ、そういった強迫観念が自分の心の奥底に眠っていた違和感を押さえつけていたに違いない。
「もう別れよう」
私は彼にそう言い放ち彼を外に追い出すとマンションのドアの鍵をガチャリと閉めた。
自然と溢れ出る涙が私の頬をつたう。
どうして私は泣いているのだろう。
思い通りにうまくいかない現実を忘れたい。そんな思いからか私はトイレを無心に掃除し始めた。
何十回も何百回も私はトイレを掃除した。この家に彼の痕跡を残したくなかった。だが壁に染み込んだ黄色い雫は何度掃除しても落ちることがない。
私はおもむろにクローゼットを開け、オレンジのポリタンクにアルコール注ぎその重いタンクを背中に背負った。
農家の長男だった私は小さい頃からやりたくもない仕事を手伝わされた。
あの辺鄙な村から上京するときどうしても手放せず持ってきてしまった噴霧器。
え、長男?
そうです私は男です。
騙されましたか?
おしまい。
夜見、いいよね…
夜見れなは先輩にしろ後輩にしろ同期にしろ絡んでいける上に持ち前の技術もあってか面倒見が良すぎるし、
あの特徴的なビジュアルとあの優しげで眠たげな眼でいろんなゲームに挑戦する姿が最高にキュート
ファンアート巡回とかあの子のレベルになると膨大な数になってそうなんだけど、そのタイトルに『お返事できてない』とか入れちゃう時点で言語化出来ないレベルの有難さを感じちゃう
というか夜見れなは基本的に可愛さのツボみたいなのを抑えてて、それをわかってるにしてもわかってないにしてもそういうのを上回って本人の生真面目さが夜見れなって子の根の優しさを感じさせて良い
夜見の配信が始まる時と終わる時のドット絵もかわいくて、あのドット絵の動く様子がどんな配信が始まるのか分かりやすくて良い
あの子が伝えたいものはもしかしたら関わってくれる人への感謝やみんなで作る楽しい配信なのかもしれないけど、何よりそれを好意的な誤解にしても伝えられることが凄いと思う
ライバー達にとって登録者十万人の指標である銀盾はある種の箔付けだけど、デビューしてから四ヶ月足らずで銀盾に手が届いたのは時流もあったが間違いなく夜見れなの実力だと思う
俺が思う夜見れなの最高にキュートなシーンはEnderbentコラボで迫りくる壁に押しつぶされそうな時に怯えながら言った「悪あがき、するんだ…」ってところに最高に夜見れならしさを感じた