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はてなキーワード: オーストリアとは

2019-11-06

anond:20191106114623

欧州はそれ公認するのが普通なのかなって

オーストリア政治なんて疎いから例出せないけど

禁止するのはそれこそ独裁的だけど、公認はするの?

2019-11-05

anond:20191105025423

これもうフェミニズムとか関係なく単なるお国柄じゃね…?

オーストリア

【ウィーン】真っ裸のサウナに衝撃/テルメウィーンでオーストリアの温泉体験。 : サボリーマンOL、ほぼ1人で海外ふらふらした記

ロッカーは細長いロッカーを借り、共用の着替え場所(試着ルーム的な作り)を使って着替える…が、男女関係なく通路で着替えてる人も多く、入って早々若い男の子たちのまっぱに遭遇して、ああ海外きたな〜と感じた。

ドイツ

【日本と海外の違い】日本の男女別グループはヘン!? 全然違う世界の「男女間」友情事情 | マイナビ 学生の窓口

その点、ヨーロッパ友達同士の男女を見ていると、本当に女性同士と同じ感覚で、男性のお友達と一緒にキャンプに出かけたリ、泊りがけで同じテントに寝たりとしているのですよね。もちろん念のためにお断りしておくとお友達なのでロマンチックなことは何一つありません。

スウェーデン

スウェーデンで受けたカルチャーショック&驚いた話*第2弾* - スウェーデン新聞

スウェーデン男女平等からというわけではないですが、職場やなんかで着替えが男女一緒でもなんの躊躇もなく、お喋りしながら着替え始めます



アメリカ

小学4年で男女同室着替えはアリ? - 海外赴任ガイド

アメリカでは体操服というものがないので体育の時間でもそのままの服装で移動する。だから着替えはない。従って男女が同じ部屋で着替えることもない。夏休みサマースクールプールに入るときは4,5歳児の幼稚部でも男女別々の更衣室に行って着替えていた。プールで泳ぐときも男女別々の場所で泳いでいたぐらいだ。

http://tadekumushimo-texas.blog.jp/archives/79690736.html

男子も全員! トイレの個室で一人ずつ着替えるんだよ! たとえTシャツ一枚でも

2019-10-26

児童ポルノ方面は順調に禁酒法コースを歩んでいるな

ネットに激増している「幼児性的虐待」の実態

https://toyokeizai.net/articles/-/309872

2019-09-15

ヨーロッパ旅の記録とオススメ

イギリス

ロンドン:ベタだが名所多数。ビッグベン、バッキンガム、セントポールウエストミンスターロンドン塔、タワーブリッジ、大英、ナショナルハロッズ等々。

マンチェスター:何もねえ

リバプール:何もねえ

カーディフ:何もねえ

エディンバラ:何もねえ

グラスゴー:何もねえ

飯:ロンドンイギリス料理以外はまとも。ロンドン以外は不毛

フランス

パリ:治安最悪、汚ねえ。でもルーブル、オルセー最高。エッフェル塔凱旋門ノートルダムは焼けたけど、ヴェルサイユ、モンマルトル、シャンゼリゼ、く、悔しいけど好き。

モンサン:遠い

マルセイユ:汚ねえ

ボルドー:最高

トゥールーズ:汚ねえ

カルカッソンヌ:広い城だけ

ニース:最高

カンヌ:まあまあ

パリツーリストトラップ以外、大抵の料理うまい

ドイツ

ベルリン:壁壁壁

フランク:何もねえ

ミュンヘン:オクトーバーフェストクリスマス、季節だけかよ。ノイッシュ。

デュッセル:駅前寂れすぎ

ケルン:大聖堂見たら途方にくれる

ハンブルグ:何もねえ

飯は肉しかないのかよ!

日本人アレ行き過ぎ。やっぱり肉しかないのかよ!

イタリア

ミラノ:最高

ローマ:汚ねえ

フィレンツェ:最高

ヴェネツィア:最高

ナポリ:汚ねえ

シチリア:最高

ジェノバ:何もねえ

トリノ:何もねえ

ボローニャ:何もねえけど、飯はたしかうまい気がした

ピサ:塔

アマルフィ:最高

チンクエテッレ:最高

飯:ローマツーリストトラップ以外はウマーーー!

スペイン

バルセロナ:サクラダと飯と海があれば最高

マドリー:バルセロナの後だと今ひとつレベルは高い。プラドピカソ

セビーリャ:最高

マラガ:最高

ハス:白い村ショッピングモールみたいだなと思った

グラナダ:最高

コルドバ:最高

ビルバオ:何もねえ

サンセバスティアン:飯最高

飯:ウマーーー!

ポルトガル

リスボン:スペイン田舎

ポルト:綺麗なスペイン田舎

飯:ウマーーー!

スイス

ジュネーブ:湖、国連

チューリヒ:何もねえ

ベルン:何もねえ

山:最高最高!!!!!

スイス欧州最高に挙げる人多し

ノルウェー

フィヨルド:単なる山。日本人には珍しくないリアス

オスロ:何もねえ

スウェーデン

ストックホルム:何もねえ

美人:笑うくらい綺麗。なぜに瞳が水色???

飯:ミートボールは大して名物じゃなかった。黄色にはめられた?

フィンランド

ヘルシンキ:何もねえ

デンマーク

コペンハーゲン:何もねえ。ガッカリ

北欧はまとめて飯ダメ

オランダ

アムステルダム:チューリップ意外に最高。ゴッホ。アンネ。

ロッテルダム:何もねえ

ハーグ:フェルメール

イマイチ

ベルギー

ブリュッセル:EU以外何もねえ、ガッカリ、汚ねえ

ブルージュ:綺麗だけど何もねえ

ワッフルうまくない、チョコ日本で食える

モナコ:綺麗だけど何もねえ

オーストリア

ウィーン:王宮美術館、もう飽きた。オペラは知らん。綺麗。

チェコ:

プラハ:中世の街並み、綺麗。タクシー酷い。

ポーランド

ワルシャワ:何もねえ

クラクフ:塩の洞窟と、ドイツ人が大嫌いになる見学

ハンガリー

ブタペスト:綺麗だけど何もねえ

ギリシャ

アテネ:最高

ミコノス:最高

サントリーニ:最高

飯は素材を生かせればまあ、という感じ。

クロアチア

ドブロブニク:最高

アイルランド

ダブリン:ギネス飲んだら、The 何もねえ

2019-09-13

[]野外で合法的全裸になりたかったので、オーストリア混浴してきた

【初めに】

 コピーミスで一節が抜けていた。申し訳ない。【】で囲まれた部分が追記である

【本文】

 服を着るのが苦手だ。できることなら裸で生活したい。

 ビジネスホテルに泊まるときは大抵全裸だし、男女関係なく素っ裸で過ごしたら、さぞ気持ちがいいだろう。

 そんなことを呟こうものなら、不審者扱いされるのは目に見えている。挙句の果てに、公共の場で脱ぎだして陰部を露出する不審者予備軍と誤解され、警察のお世話になるかもしれない。

 だが、よく考えてほしい。ああした人たちは、自分全裸特に陰部を見てほしいのであって、裸になりたいのとは少し違う。それに、皆様も思うことはないだろうか。たとえば大浴場に浸かったときの安らぎ。もしもそれが露天風呂だったらなおのこと心が緩み、湯の中に嫌なことが溶けていく思いがしないだろうか。

 目の前にどこまでも緑が、あるいは紅葉が広がっていたら。あるいは、絶えることのないとどろきを繰り返す海洋が広がっていたのなら。これほどまでに自由を感じつつ、大いなる存在に受け止められている安心感を覚える場所はないはずだ。何も身にまとうことなく立っていると、海風が全身をそっと撫でていき、普段どれほど重いものを身にまとってきたかを、嫌でも意識させられる。

 とはいえ、男女混浴可能場所国内でも限られている。ましてや、近年は混浴マナーの低下が甚だしく、混浴を取りやめてしま地域も多いと聞く。ある意味では仕方がないのかもしれない。混浴誕生した時代とは、私たち羞恥心感覚も変わってしまった。

 そういうわけで、私は混浴文化がまだ息づいている、ウィーンにまで足を運んだのである。概して、ドイツオーストリアを含む中東欧の人々は裸体に対するタブーが弱く、混浴についても寛容なである。緯度が高いので、全身で太陽を浴びたいのだろうか。冬になると日照量不足で気分が落ち込む私としては、その気持ちはよくわかる気がした。

 もっとも、私は全裸になるためだけにオーストリアに飛ぶような酔狂人間ではない。

 私は建築美術にも関心があり、この旅行の主目的は、クリムトシーレ、ココシュカといった人々の作品を鑑賞することであった。なので、脱衣はどちらかといえば、時間が空いたときのおまけである

 日本と同じで、月曜日には休業の美術館が多い。なので、月曜日にそうした巨大温泉施設に向かった。ウィーン中心街からおおよそ三十分ほどのオーバラー駅前の、テルメ・ウィーンと呼ばれるところである

 駅を出ると目の前に巨大な建物があり、そこからは既に硫黄香りがしている。そうしたところは我が国温泉とよく似ており、妙な安心感がある。片言のドイツ語で入場料を払い、タオルレンタルを済ませ、ロッカーに向かった。

 ロッカーのカギは電子式で、かざすと自動的に開閉されるというものだ。慣れるまでに時間がかかったが、すぐに便利だとわかった。荷物を持ったままガチャガチャと回すのは大変だからだ。ちなみに、このロッカールームの時点ですでに混浴で、男性女性関係なく着替えている。もちろん、慎み深い人のために個室の更衣室もあるのだが、別料金だ。

 ちなみに、温泉施設ではあるがすべて全裸で過ごすわけではなく、全裸なのは奥のサウナコーナーのみである。そのために私は一応水着を持参しており、ついでに防水のバッグも持ってきた。

 まずは、せっかくなので水着エリア温泉を楽しむ。とはいえ水着エリア温水プール同然であり、浸かっているとあたたかいが出て風に当たるとすぐに水着が冷えてしまうといった代物である。せいぜい人肌程度であり、温まるには不足である

 これはときどき指摘されることだけれど、日本人の湯加減の好みは、ヨーロッパの人々のそれよりもかなり高いらしい。ハンガリー温泉大国で知られているが、やはりそこも湯加減はぬるい。ただ、その程度の温度でなければ、ガイドブックで見かけるように、湯につかりながらのんびりとチェスの対局をやるわけにもいかないだろう。

 他にも、子供立ち入り禁止エリアというのがあり、ムーディーな照明と共に、カップル夫婦がぷかぷかと浮かびながら語らっているコーナーがあった。ここも温水プールほとんど温まらない。日本温水プールみたいに、塩素臭くないのはありがたいのだが、やはり汗をかかないと物足りなく感じてしまう。

 そうしたわけで、水着エリアを堪能した後に移動しようとしたのだが、サウナエリアがどこかわからない。あちこちうろつきまわり、子供に泳ぎを教えているらしい人やスタッフと思しき人物に、「ヴォー・イストサウナ?」(サウナはどこですか?)などとつたないドイツ語で尋ね歩くうちに、やっとのことでたどり着いた。

 なお、このゲートの先は別料金であり、鍵をタッチして入る。清算は帰りだ。そして、注意書きにはドイツ語と英語で「この先水着の着用を禁じる」と書かれている。なんとも徹底していることだ。私は軽快な電子音と共にその奥へと進んだ。

 サウナコーナーは、それほど変わった印象はなかった。ただ、見かける男性が皆素っ裸なので、私も水着を脱いだ。それほどの羞恥を感じなかったのは、一つには周囲には男性しかいなかったからだろう。それに、ここでは全裸が正装なのだ。だったら、むしろ何か着ている方が恥ずかしいのではないか。そんなことを思ったのである

 サウナ入り口には温度が書かれており、四十五度、五十度、六十度、それから九十度に分かれている。ひとまず五十度のところに入ると、既に老夫婦がくつろいでいた。ここで初めて裸の女性と遭遇した。

 二人は、私の存在を気にかける様子もなく、くつろいだ様子だった。私も、確かに目の前に女性がいるのだなあ、ということは考えたのだが、気にしてもしょうがなかったので、ぼんやり天井を眺めることにした。男性で前を隠している人はほとんどいなかったので、自分もそれに倣ったのだけれど、個人的には気持ちが良かった。世間体を気にせずにリラックスした姿でいるのは、何とも言えず心地よい。

 ちなみにその老夫婦のいたサウナでは、腰かけるところがチェアベッドのようになっており、仰向けにくつろげるような形になっていた。うとうとしているといつの間にか隣に座った男性が、ペーパーバックで何やら読んでいる。お風呂ではなくてサウナ読書、贅沢この上ない時間だ(もっとも、後で注意書きを見たら、サウナの中の読書禁止、と書かれていたのだが)。

 しばらくして、サウナを出てシャワーを浴び、他の温度のところを回ったり、冷水プールに体を浸したりした。日本温泉露天風呂がメインで、サウナ複数あるところは珍しい気がするが、ここでは様々なタイプサウナがあり、存分に楽しめた。

 たとえば、スチームサウナというのがあり、ここでは猛烈な蒸気で包まれる。汗が蒸発しないのでなかなかにつらいし、持っていたタオルもすぐにびしょ濡れになってしまうのだが、熱風がきつくないので、肌には優しい気がした。眼鏡をかけていると、何が何だかからなくなってしまうのだが。

 ちなみにこの眼鏡裸眼で転ばないように、日本サウナ用の眼鏡をわざわざ購入したものである

【ところで、このサウナコーナーには、外がある。サウナなので当然素っ裸で歩くのだが、これが気持ちがいいことこの上ない。芝生の上を歩けば、まるで熱帯民族になったようで愉快だ。そして、歩いた先には小屋があるのだが、そこもまたサウナである

 そこでは、おおよそ温度は九十度で、定期的にスイッチオンオフになる。オンになると、そこにはタオル一枚のおじさんがやってきて、香りのする水を炉に撒く。そして、巨大なタオルサウナの人々に熱風を浴びせるのである

 それがまた非常に心地よい。異様な高温のはずで、現に乳首が痛いほどなのだが、それでも不思議と生きている実感が与えられるというか、幸福感と高揚感が感じられる。それは他の人々も同じなのだろう。おじさんのパフォーマンスが終わると、一斉に歓声と拍手がする。ロウリュウ、と呼ばれるものに近いのだろう。

 そのあとも、おじさんは一人一人に熱風を送る。そのたびにあおがれた人々は嬉しそうだ。私も、「ゼア・グート。アバー・ゼア・ハイス」(とても気持ちがいいですが、とても暑いです)と、定冠詞活用無茶苦茶ドイツ語で応じた。すると隣のおじさんがあおがれたときに「カルトカルト」(寒い寒い)などというものから、思わずその場は笑いに包まれた。

 私に向かって風を送るときに、両手を合わせてお辞儀をしてくれた。たぶんタイかどこかと間違えているのだろうが、悪意よりも親しみを感じたので、こちらも会釈した。腰かけるところが熱すぎて胡坐をかいていたので、仏像か何かと勘違いしたのかもしれない。

 その後、全身をほてらせながら野外にある二十五メートルほどのプールで体を冷やした。何往復か泳いでから、仰向けになって曇り空を眺めているうちに、これほどの幸せなはないだろうな、と感じられた。何のしがらみもなく、何の規制もなく、ただ存在するだけ。過度な欲望もなく、競うこともなく、誰から干渉されない時間だけそこにあった。

 それに、水着を身につけずに泳ぐと体を締め付けるものが何もなくて、全身を区別せずに流れていく水が本当に心を自由にしてくれる。それに、誰もお互いの裸をじろじろ見たり気にしたりしないのも、気持ちが良かった。あたたかな無関心というか、あるがままの姿を受け入れてもらっている感覚になるのだ。

 人間身体のどこに猥褻なところがあるのだろう、表現規制は何のためにあるのか、などと大げさな議論が頭の中に形を取ろうとしたが、そうしたもの普段日の当たらない陰部に太陽が差す気持ちよさに溶けてしまった。

 そうしたわけで、私は結局三時間以上もそこで過ごすことになった。】

 さて、三時間過ごしたので、そこではいろんな人を見ることができた。もちろん、凝視したわけではないけれど、それでも混浴に来るオーストリア人にはいくつかのパターンが認められた。

 その一、スポーツマンタイプものすごい筋肉量で、アスリートか何かのようだ。これだけ鍛えていれば、自分身体に恥ずかしいところなど、どこにもないと言わんばかりだ。ギリシアローマ彫刻そっくりであるスポーツマン同士で何やら楽しげに話していることが多い。

 その二、力士タイプ。非常にでっぷりとした肥満体系のおじさん。人からどう見られているかそんなに気にしていない印象。こちらも堂々と歩いており、楽しそうにしている。

 その三、老夫婦。なんというか日本混浴にもいそうな、のんびりした雰囲気ときどき湯船の中で抱き合ったり、ほっぺたにキスしたりしている。ちなみに、注意書きには「キス以上のことはしちゃダメ!」「十六歳未満の入場禁止!」と書かれている。

 その四、比較若いカップル、あるいは若い男女。よくわからないのだけれど、「みんなで渡れば怖くない」的な感じで一緒に来たのかもしれない。

 ちなみに日本人は私だけだった。それから一人だけアフリカ系の人がいた。それ以外はみんなヨーロッパ系。

 で、こうして振り返ってみると、比較若い人が多い。それでも、私はあまり気にならなかった。というのも、前も言った通りここは全裸が正装なのであり、それについてとやかく言うほうが変だ。確かに、きれいで魅力的な人もいたし、中には私の好みの人もいたのだが、雑踏ですれ違う以上の感慨はなかったし、わざわざ振り返ることもなかった。

 混浴について、猥褻だとか下品だとかい意見があるが、私はまったくそう思ない。そもそも、ここは風呂サウナであり、いい湯だな、以外の感想はない。たぶん、混浴について批判的な人は、マナーの悪い人と一緒になってしまったのか、そもそも風呂がそこまで好きではないか、なのではないか。人様のことだから勝手判断差し控えるが。

 というか、見えそうで見えない極小ビキニなんかよりも、素っ裸の方がよっぽど上品な気はする。潔いし。隠すから下品だとか猥褻だとか言われるんじゃなかろうか。みんな最初からすっぽんぽんだったら、誰も気にしないだろうし。隠せば隠すほど、そこに注意が向くし、逆説的にそこに注目してくれと言っているようなものな気がする。

 それと、全然関係ないけど、女性でも腋毛もじゃもじゃの人は多いのは面白い。話には聞いていたが、実際に目にするとやはり興味深い。陰部がどうなっているかはじろじろ見なかったからわからないけれど、向こうの人は剃っているとはよく聞く。ただ、そんなことも温泉気持ちいいのでどうでもよい。

 そういうわけで、私はオーストリア混浴を十分に楽しんできた。予想していた通り、とても気持ちが良かった。日本にも類似したサービスがあればいいのに、と思ったが、マナー一定の水準に保つことは難しいだろう。きっと、ナンパしたりじろじろ見たりする行為が横行するに違いない。一度絶えてしまった、混浴文化を再びメジャーにするのは、難しいだろう。

 プールサイドで裸のまま横になり、夢うつつのまま時間が過ぎていく経験は非常に贅沢だった。しかし、これは今の温泉文化とは、少し違うかもしれない。

 個人的には、自分がやりたいことをやったので、満足している部分はある。今後どうするかはわからない。恋人がいないときだったので、とりあえず全裸になってはみたのだが、もしも今後も恋人が見つからず、行きたい場所が思いつかなかったら、どこか別の国でヌーディストビーチに行くかもしれない。それか、趣向を変えて、全裸ハイキングか全裸マラソンかに挑戦するかもしれない。

 もっとも、この混浴体験ですっかり気が済んでしまい、数年後には興味すら持たなくなっている可能性もある。それはわからない。

 ただ、やりたいことをやってみて、それなりに面白かった。それで十分なのかもしれない。

 皆様の快適な全裸ライフの参考になれば幸いである。

 最後に、脱いではいけないところで脱ぐのは絶対にやめましょう。これだけは強調しておく。

最後に】

 本記事カクヨムにも掲載されている。私が投稿者本人であることは、カクヨムでは連載中であり、現時点でも未公開になっている部分が含まれていることが証拠になる。

【付記】

 ヌードバイクみたいな、ヌーディスト活動経験者の増田は、ほかにもいらっしゃるのだろうか。あるいは、ヌーディズムに関心がある、だけでも潜在的にはどれほどいるのだろう?

アクセス

 地下鉄U1の終点、Oberlaa駅

2019-09-01

anond:20190901023855

オーストリアドイツでも、朝鮮日本みたいなことが起こってるよ。オーストリアドイツ同盟国だけど、敗戦後はドイツ支配された国としてドイツとは異なるアイデンティティを持ってる

2019-08-23

anond:20190822233353

あえてマジレス的に考察比較してみる(★印は主観だが、世界観点のつもり)

1899年1909年 激変度★★★

 世界帝国主義絶頂期。飛行機実用化、ドレッドノート軍艦が登場。

 国内日露戦争に勝って一流国の仲間入りした気分になる。

1909年1919年 激変度★★★★★

 世界:清・独・露・オーストリアトルコ革命帝政やめる。第一次世界大戦で陸海空の技術レベルが激変。男が兵隊に取られた分を埋めるため女性社会進出が拡大。

 国内第一次世界大戦成金が続出。余禄で商工業が発達。

1919年1929年 激変度★★

 世界基本的に2つの大戦間の平穏な時期。アメリカ大戦後の好景気で急成長。自動車産業が発達。あと各国でラジオ映画が普及して大衆文化が拡大。

 日本大正デモクラシーの時期。藩閥政治家が高齢化して影響力を失う。

1929年1939年 激変度★★★

 世界恐慌で各国経済がガタガタになる。ファシズムが台頭。

 日本満州開拓戦争景気の時代右翼テロ流行

1939年1949年 激変度★★★★★

 世界第二次世界大戦の勃発と終結冷戦体制の到来。核兵器ロケット兵器実用化。戦勝国の多くも植民地を手放す。

 日本敗戦大日本帝国は一度滅亡。新憲法が制定。社会制度は激変したが、日本人の大部分は引き続き貧乏農民で、生活風景昭和初期とそれほど変わってないはず。

1949年1959年 激変度★★

 世界戦後復興でみな忙しい。あと冷戦期。

 日本:まだみんな貧乏。でも高度経済成長が始まる。

1959年1969年 激変度★★★★

 世界冷戦体制から緊張緩和。東南アジアとかアフリカ諸国とか次々と独立カウンターカルチャーとか出てくる。新左翼運動が激化。汎用コンピュータと月ロケットが登場。

 日本高度経済成長が本格化。農家個人商店からサラリーマン世帯が激増し、家電製品自家用車が一気に普及テレビが普及してエンタメも変化

1969年1979年 激変度★★

 世界ベトナム戦争は失敗。米中が国交樹立。米ソ両陣営とも停滞。

 日本オイルショック高度経済成長が終了。新左翼運動が失速。

1979年1989年 激変度★★★

 世界:前半は停滞の冷戦体制。後半急に米ソ冷戦は雪解け、ソ連より中国のほうが危険視されるようになる。イランイラク戦争を契機にイスラム原理主義が台頭。

 日本:一億中流とかポストモダンとか言ってたおめでたい時代。後半はバブル突入

1989年1999年 激変度★★★

 世界冷戦体制終結世界アメリカ一人勝ち……と思ってたんだよこの頃は。インターネットの普及、といってもまだダイヤルアップ時代

 日本バブル崩壊。だんだんみんな貧乏になる。ネットはまだどちらかといえばオタクアイテム宮崎勤という男のせいでオタは日陰者だった黒歴史時代

1999年2009年 激変度★★★

 世界テロ戦争時代中国経済が急成長。最後のほうはリーマンショックネットの高速・常時接続化とともに電子商取引が普及。後半にスマホが登場。

 日本失われた10年だか20年だか。新自由主義構造改革活性化するつもりで失敗。宮崎駿だの押井守だの庵野秀明だのの商業成功のせいか、いつの間にか「ジャパニメーション日本が誇る文化」になった。

2009年2019年 激変度★★

 日本:引き続き、総じて先進国は少しずつ落ちてアジア新興国が伸びる。

 日本:失われた20年だか30年だか。

2019-08-01

[]あの児童ポルノガイドラインサイレント採択とかやばいだろ

児童ポルノ選択議定書運用ガイドライン児童権利委員会で採択されたそうです。まだ公開されておらず、9月会期での正式公開に向けて編集中の模様。

非実在児童描写や、非視覚表現方法への定義拡大がどうなったかは、引き続き確認中。

https://twitter.com/ogi_fuji_npo/status/1154944997583548416

関連:マンガアニメ表現への不当な外圧とそれを跳ね避けようとする山田太郎氏と日本政府努力

https://togetter.com/li/1377408

アニメ漫画児童ポルノ認定する国連に対して、アメリカオーストリアが反発していたことが判明!追い風きたあああああ

http://yurukuyaru.com/archives/80041227.html

OPSC Draft Guidelinesに対する各国コメント

https://beni-uo.hatenablog.com/entry/2019/04/20/101159

どうやらうぐいすリボン中の人によるとこっそりいつの間にかサイレントに採択されてた模様。

しかも今見たけども国連HPには書いていない。

本当、この手の規制推進派は反発や反対があれば、いつも密室で身内のみで話し合い、決まった事として、強行しようとする習性があるから性質が悪いね

これは児童ポルノ問題に限らず、著作権問題知財会議の連中にも見られる行動だよ。

彼等も反対があってから、反対委員の締め出しやチャタムハウスルール適用とかやらかしたからな。

規制を推進しようとする奴はいつもこんな卑怯陰湿な行動ばかりするのは彼らの方が余程疚しい事をしているからだろうよ。

これ言っちゃ悪いけど、漫画以外の創作物規制関係するもの以外でも割と突っ込み所多い代物だったから、日本米国のみならず、米国EU、そしてエクパット等のキリスト団体に関しては総本山であるバチカンからすらも条約解釈権等に対しての問題点の指摘をされまくっているから、もしこれで委員会暴走して強行でもすれば、世間のみならず、各国から本気で反発食らうんじゃないか

言わば子供の権利条約以外の所での問題が発生してしまう事になるのよね。

これもし認められてしまった場合には条約を締結した後、国家を通さずに国連自身思想や思惑を好きに押し付けられると言う内容になってしまうのよ。

まり国連と言う一機関に過ぎない組織が国家命令できる様になってしまうって事。

それは国家としては認められる事では到底ないし、認めてしまっては国の根幹自体危うくなるわけ。

もう児童権利とかそういう問題じゃないのよね。

そしてこんな前例ができてしまったら、他の条約に関しても同じ事をやられかねない問題にまで発展しているからこそ、国は丁寧な言葉を使って今回パブコメで警告しているのよ、委員会に対してね。

普通に国家条約から離脱所か場合によっては委員会、いや国連と言う組織自体再編とかの問題もあり得る問題になってきているんじゃないかな。

から私は見た当初はこのガイドラインを見た時、もう裏の国家間の話し合いはすんでいて、どっかの国が談合して出したのかなと思ったけども国々のパブコメを見ていたら恐らくそうではないらしい。

本当子供等の弱者権利を盾に使えば何でも許されると思っているのだろうか?

ポリコレ関係で逆に女性団体児童保護団体世間ヘイトがたまってきているのにこんな横暴したら余計印象悪化するのにな。

弱者権利世間から反論しにくいけど、いざ反論が出始めて彼等悪用していた組織が叩かれ出すと徹底的に世間は彼等を攻めだすよ。

何せ弱者権利悪用をする偽善者こそ世間は一番嫌うからな。

マジでこいつらが規制をする為だけに好き勝手暴れたせいで無駄リソースが奪われて、まともに児童保護施設の予算すら組まれていないのは現状なんだぜ?

普通にこいつら規制推進している連中の悪影響が余りにも酷すぎるんだよ。

普通に条約解釈権の問題に発展したのは不味いんだけどな。

児童権利云々ではなく、国家間の取り決めに関する事柄であり、それの根幹の問題に今回発展してしまってるんだわ。

から多数の国家も割と強い口調で書いているわけ。

この辺委員会人間判っているのだろうか?

判っていないかあんなふざけたもの出したのだろうが。

まあ、国連代表世界大統領らしいしね(皮肉

マジでこいつら排除されないかなあ?

本気でこいつらのせいで国連自体の糞化が著しいんだけど。

>チープな道徳派のチープな批判を先取りしておく

https://www.targma.jp/vivanonlife/2019/07/post68127/

奴等にこそこの部分読んでほしいと思うわ。

2019-07-19

テロ」の意味が変わった

周知のように、第一次世界大戦セルビア青年オーストリア皇太子を射殺したのが発端だった。

これがかつてのテロリズムだった。

少数民族反政府分子が、窮鼠猫を噛むの喩え通りに、支配層の要人を斃すことで、敵の民衆に自らの存在を恐怖と共に訴えること。

要人暗殺、それがテロル伝統的な手口だった。

例は枚挙にいとまがないが、例えばジョン・F・ケネディを撃ったオズワルドは、護送中に射殺されたことで暗殺目的は誰にもわからなくなってしまった。

からないものに、人は最も怯える。

その意味では、不幸にも自らの口を封じられたことで、テロリストとしてのオズワルドの目論見は歴史上最も成功した事例と言えるかもしれない。

だがケネディ暗殺は、おそらく、世界中国家要人警護の強化へと舵を切らせるきっかけになったのだろう。

その帰結は早くも1970年代IRAPLOそれぞれが独立採用したソフトターゲット戦術となって現れる。

襲撃困難な政府要人より、警備の薄い無辜市民を狙っても宣伝効果は同じ。しか無防備相手なら襲う方の訓練もそれほどいらない。

要人警備の強化が、テロリストに「コスパ」のいい方法を見つけさせてしまったとも言える。

そこから先はソフトターゲットいかに大量に、派手に殺すかで諸勢力シノギを削っているような状況だ。

派手にやれば、テレビYouTubeもその映像を繰り返し流すからだ。

アルカイダイスラム国もその効果を熟知していた。

そしていつの間にか、大量殺人報道がされるたびに我々は「テロだ」と反応するようになってしまった。

実行犯が何を訴えようとしているのかわからない。だけどこれは間違いなくテロだ。なぜなら人がいっぱい殺されているから。

ここに至って、テロル意味は大きな転換を迎えた。

21世紀、我々は、いつどこにいようとも「標的」なのである

なぜ狙われるのかって? そんなことは狙う奴らに聞いとくれ。

もう一度言う。わからないものに、人は最も怯える。

2019-07-16

https://www.nichinoken.co.jp/shikakumaru/201907_sh/

私たちは「日本選挙投票に行かなかった人に罰金を設けるべきである」ことに賛成です。

オーストラリアでは投票義務づけていて、罰金制度があるので投票率があがったそうです。だから日本でもやるべきです。

ブクマカ
出羽守[これはひどい][あとで読まない]
増田
オーストリア首都ってどこだっけ?シ……シ……

2019-06-25

少数派が権力を握ると独裁を始める

習近平独裁なのは、彼自身少数民族であるモンゴル系(北方系)だからではないか

顔つきが、大相撲逸ノ城そっくりなので、いつ見ても笑ってしまう。

少数派の権力者は、少数派であるが故に権力の源泉となる地盤が弱い。

から独裁志向になりやすい。

習近平だけではなく、これは世界的・歴史的な傾向がある。

グルジアというロシアから収奪対象しかなかった田舎出身スターリン

オーストリア辺境からドイツ指導者上り詰めたヒトラー

戊辰戦争賊軍岩手)の出身東条英機など。

2019-06-05

anond:20190604204511

オーストリア旅行に行ったとき郵便局切手買って舐めてハガキに貼ってたら

窓口のおばはんが置いてある水浸したスポンジ指さしてそれで湿らせたら貼れるから舐めるなって窘められた。

親切心も少しは含まれていたかもしれないが、東洋から来た非文明人だと思われたんだろうなあって恥ずかしくなっちゃた。

2019-05-11

[]国連パブコメに関連した米国の話

国連児童ポルノガイドラインパブコメが締め切りが3月31日であったにも関わらず、5月6日付で突然アメリカパブコメが表示された事に関連した話。

https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/CRC/Pages/DraftGuidelinesOPs.aspx

参考:OPSC Draft Guidelinesに対する各国コメント

https://beni-uo.hatenablog.com/entry/2019/04/20/101159

一応メールをしてとあるから返答が来た。

そこで

小説ロリータアメリカでは一度も規制された事はない。

アメリカでも漫画自体児童ポルノではない。

・ただ猥褻定義自体児童ポルノよりも曖昧である

・州や裁判によって受け取り方が様々であり、それで漫画ラフであっても逮捕される事例が起こっている。

・実際に2018年囚人が書いたラフによって逮捕された事やただ漫画を所持していただけ逮捕された様な事例もある。

・ただ過去には違憲判決が出た例もある。

大体こんな感じの事を返答してくれた。

またやはりその方も国連パブコメの締め切りが終わった後に米国パブコメを受け入れた事は興味深いらしい。

アメリカでは児童ポルノ禁止法が個人法益ではなく、社会法益化してしまっていると言う認識で良いのかな?これだと。

絵を描くだけで逮捕とかマジ狂気だわ。

しかしこんな事すれば更に実在児童保護から観点が離れて、逆に児童権利すら後退させる事態を招くと思うのだけどね。

漫画等の表現の自由問題関係するけども逆に創作物とわざと混ぜて規制なんかしたら児童権利にも悪影響を与えるよ。

この法律自体実在児童保護を主目的をしているのにこれをわざと潰そうとしているのだから、後々その反動で逆に子供権利自体衰退する様な事態を招きかねないと思うけどね。

今回のアメリカパブコメと言い、悪意しか感じないよ本当に。

真面目に児童保護を考えている人からすれば本気で迷惑なんじゃないか?これ。

でも彼等(宗教的な力が強すぎて)文句も言えない状況に追い込まれてそうなのも想像できるしなあ。

本当規制を推進している人達はわざと子供権利漫画等の表現規制を混合して考えているとしか思えないしね。

日本でも児童保護施設に予算ついていない事をずっと前から指摘され続けているにも関わらず、無視し続けているしね。

本当、300件中200件以上が61-63項(漫画等の創作物に関連する事)についての指摘だったみたいだし、日本だけならず、オーストリア漫画ドローイング児童ポルノではないと言うコメントをしていたし、バチカンですら、条約自体国際的に決められたものから委員会勝手拡大解釈してはならない的な意見をだしていたので、余程国連のこの委員会に都合が悪い意見ばかりだったから、委員会アメリカに出向いて自分達に都合の良い意見を取りに行ったのではないのかと邪推してしまうよ。

正直国連委員会はこのアメリカパブコメを使って圧力をかけそうで怖い。

本当、こっちの問題も本当に危険なのだけども漫画家やオタク界隈の人達は今はDL規制やらブロッキングやらの著作権問題ばかり熱を上げて、こっちには誰も興味もないみたいだしなあ。

見ている限り、土壇場になっていつも焦りだすのが彼らの習性なのかも知れないけども。

その時は大概手遅れなのにね。

これも本当に危険問題なのだけども誰も関心がなさ過ぎて怖い。

正直胃が痛くなる事ばかりだよね。

嫌になるよ。

文系学問における注と参考文献の話、補遺

文系学問において資料実在証明するものとは何か」(anond:20190510230425)についたブコメに応答&補足説明します。

参考文献と注は違うよ!

Wikipediaですら参考文献を求められるので、参考文献(ここで言っている注)のない本はある意味Wikipedia以下の信頼性と考えられても仕方がないことを多くの人に知らせるべきだと思う。

参考文献と注は違います! ぜんぜん別です! 参考にした本を並べてあるのが参考文献(厳密にはこの場合「参考文献一覧」)で、本文中の記述の出典を直接明らかにするのが注です!

参考文献と注については、以下の4つの組み合わせが考えられます

  • a)参考文献も注も揃っている
  • b)参考文献はあるが、注はない
  • c)参考文献はないが、注はある
  • d)参考文献も注もない

このうち、研究書として許されるのはaとcだけです。ここで問題にしているのはbとdで、多くの学術的な新書はbであり(中公新書とかでよくあるやつ)、ごくまれにdみたいな本があります最近だと、岩波新書の『ロシア革命』)。

えっ、cも許されるの? はい、許されます。なぜなら、個々の注でしっかりと典拠を示してある場合は、参考文献リスト存在せずとも出典の表示に不自由はないからです。

これだとわかりづらいかもしれないので、架空の例で説明してみます(わかりづらいかと思ったので書き直しました)。

a)増田うんこを漏らした(注1)。一方、同人作家おしっこを描いた(注2)。

(注1)はてな太郎増田研究Hatelabo2019年、819頁。

(注2)Y. Arim, Oshikko Collection (Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019), p.8107.

参考文献リスト

Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.

はてな太郎増田研究Hatelabo2019年

b)増田うんこを漏らした。一方、同人作家おしっこを描いた。

参考文献リスト

Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.

はてな太郎増田研究Hatelabo2019年

c)増田うんこを漏らした(注1)。一方、同人作家おしっこを描いた(注2)。

(注1)はてな太郎増田研究Hatelabo2019年、819頁。

(注2)Y. Arim, Oshikko Collection (Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019), p.8107.

d)増田うんこを漏らした。一方、同人作家おしっこを描いた。

cでも十分に出典表示として問題のないことはご理解いただけるでしょうか? 実際、英語圏でもcのような本はたまにあります。そして、著書ではなく論文レベルだと、cのようなやり方を採用している雑誌はとても多いのです(日本語圏でも英語圏でも)。いや、もちろん理想を言えばaみたいな本であるべきなんです。でも、紙幅の都合というものがあり、印刷費が嵩むからどこかを削りたい、となった場合には、真っ先に参考文献が削られてしまうのは致し方ないと思います

日本出版問題は、そこで「参考文献ではなく、注を削ろう!」という話になってしまうことです。違います注か参考文献、ページ数の関係上どちらかを削らないといけないのなら参考文献を削るべきなんです。

もし注がしっかりとつけられていれば、参考文献の欠如は「どんな文献があるかひと目でわかりづらい」程度の問題しかなりません。しかいくら参考文献があったところで、注がなければ「ではこの記述典拠はいったい何なのか」という根本的な問題惹起します(bの例から正しい出典を復元できるでしょうか?)。参考文献は省いても構いません。しかし注を省いてはダメなのです!(学術的な新規性のある本ではなく、学界の定説初心者向けにわかやす纏める本でなら、読みやすさを優先して逆の判断になっても構わないのですが)

もちろん、これはauthor-date方式やMLA styleの注をつける場合には適用できません。どういう方式かというと、次のような方式です。

author-date方式

増田うんこを漏らした(はてな 2019: 819)。一方、同人作家おしっこを描いた(Arim 2019: 8107)。

参考文献リスト

Arim, Y. 2019. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies.

はてな太郎.2019.『増田研究Hatelabo

MLA style:

増田うんこを漏らした(はてな 819)。一方、同人作家おしっこを描いた(Arim 8107)。

参考文献リスト

Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.

はてな太郎増田研究Hatelabo2019年

こういう方式の注をつける場合には参考文献が絶対必要です。当たり前ですね(author-date方式についてはanond:20190511230117も参照)。

2種類の「参考文献」

自分実験室の試験管”イメージ偏ってるなー(´・_・`)理系論文での引用たことないんかな。普通に出典書いてるし、それを叩き台に積み上げたり、否定したりするんだが。博士論文なんか引用文献沢山乗るしね

理系学問についてのイメージが偏っている点についてはごめんなさい。でも引用については、申し訳ないけれどそちらが勘違いされていると思います(もちろん私は理系論文ちょっとしか読んだことないので、私に事実誤認があれば教えてほしいのですが)。

文系学問において、参考文献には2種類あります

このうち、理系論文で文献として挙げられるのは「先行研究」だけですよね? でも、文系では「一次文献」も参考文献に含まれ、そこへの参照が論文重要な核を占めているのです。

たとえば上皇陛下が書かれた論文(※1)を見てみると、確かに末尾にずらずらっと先行研究が並んでいますが、論文の核となる部分はあくまハゼ遺伝子を解析した部分にあって、それは当然ながら実験室で採られたデータであり、何らかの文献によって引証される類のものではないわけです。

しかし、皇族つながりで天皇陛下が書かれた論文(※2)を例に出すと、この論文において著者の主張の裏付けとなっているのは古文書における記述であって、その原本研究施設が所蔵していたり史料集として公刊されていたりするわけです(史料集って何ぞや、という点については後述)。

私が最初増田で言ったのは、この「一次文献」の問題です。多くの場合理系ではこういう資料引用しないですよね(最近だと古天文学歴史的史料引用するとかあるのかな?)。しかし今回の研究不正がなされたような分野においては、そのような資料こそが研究の核心にあるという話です。

もちろん、慌てて言いますが「なにをデータにするか」は研究対象によって異なります文化人類学のような分野では、ヨソの土地まで出かけていって住人たちとの会話を書き取ったもの資料です(この分野だと「インタビュー」とかいう生易しいものじゃなくて、ヨソの土地に住み込んでその土地言語習得して日常生活を過ごす中で遭遇した会話や出来事を持ち歩いてるノートに書き付ける、という調査方法が採られます。これを参与観察というわけですが、私にゃ無理ですわ)。記述言語学だと研究対象の言語話者にその言語を口に出してもらって記録する(「これを○○語でなんといいますか?」と聞くこともあれば、話者どうしで会話してもらってそれを横で聞くパターンもあり)、というやり方になるんだろうと思います。なので私が言っているのは、あくまでも近現代史やその隣接領域での話だと思ってください。

一次史料からといって信憑性が高いとは限らない

文系生データは出典となる書籍だったり、原典資料がある場所と。原典原典って、どんどん辿っていけるブロックチェーンみたいな形式理想ってわけか。一時情報当事者証言なら信憑性高いって判断にはなるし

違います! 当事者証言からといって必ずしも信憑性が高いわけではありません! たとえば戦争犯罪裁判にかけられた人の証言のことを考えてみてください。彼もしくは彼女証言をそのまま「信憑性が高い」として扱ってしまってよいか? そんなわけはない。

歴史学において一次史料が重視されるのは、それが「生データ」だからです。それはひょっとしたら当事者の保身によって捻じ曲げられているかもしれないし、当事者が間違えているかもしれないし、当事者が見ても聞いてもいないことは書かれていないかもしれない(たとえば「沖縄返還をめぐる日米交渉」を研究しようと思ったとき日本側の史料は「日本側の政策決定過程」を教えてはくれますが、アメリカ外交官たちがどういう考えを持って交渉に臨んでいたかを教えてはくれないのです。それを知りたければアメリカ側の史料を見るしかありません)。けれども新しい研究は必ず一次史料から出発する必要があるのです。何故ならそれは昔の人によって直接書き記されたものから

なので歴史学では「史料批判」というものを重視します。これは説明すると長くなるので詳しくは歴史学入門書とかを読んでほしいんですが、要するに史料に書かれていることはどのくらい信用できるのか、みたいなことを分析するわけですね。あれれ~? おっかしいぞ~? この人、自分は後方にいたか虐殺行為に関わってなかったって言ってるけど、部隊の記録では後方にいたなんてどこにも書いてないよ~?

(「なにが一次史料か」というのも研究対象によって変わります特に科学史史学史といった分野では「他の研究において先行研究とされている文献が一次史料である」という状況がしばしば発生するのですが、この理屈はわかっていただけますよね)

デジタルアーカイブ史料

図書館ScanSnap SV600を完備し研究する皆の熱意でデジタルライブラリが出来るといいな… P2Pで共有されればノード消滅にも耐えられる。しか日本ではプリウスミサイル上級国民は不逮捕で、P2Pプログラマ逮捕なので

出来るといいな、じゃなくて、既にあります

たとえば国立国会図書館デジタルライブラリーには幕末以降の古書が多く登録されていて、PDFで落とすことができます。archive.orgや、フランス国立図書館デジタルライブラリー「Gallica」も有名ですね。こういうところに所蔵されている文献については、わざわざ現地の図書館まで行かなくともPDFダウンロードすればそれでよいわけです。デジタル化によって歴史学者の仕事は格段にやりやすくなりました。18世紀ドイツ語の本をコタツに入ったままで入手できるんだもんなぁ。

しかし、当たり前ですが全ての史料電子化されているわけではありません。国によってデジタルライブラリーの整備状況に違いがありますし、そもそも現代以降に出版された印刷物の数を考えたら全部をデジタル化するなんて人手も時間も足りない、という場合もあるでしょうし、身も蓋もない話をすれば著作権問題もあるでしょう(とある国では、その国の図書館に直接行かないとデジタル化された史料アクセスできなかったりします。てっきりPDFはないと思っていたのですが、著作権上の問題で館内からしかアクセスできないようになっているだけだそうです)。

また、多くの国では、公文書館史料まではデジタル化は及んでいません。元増田でも書きましたが、お役所ちょっとした書き付けなんかも史料になるわけで、それ全部デジタル化しようとしたらとんでもない数になります(これについて、日本戦前外交文書のかなりの数をウェブで読めるので恵まれていますね……アジア歴史資料センター様には足を向けて寝られません)。なので未だに、現地に行って史料を直接見てくる、というのが重要になるわけです。

さらに言うと、史料が必ずしも公的機関によって保存されているとは限らず、貴族武士の子孫のおうちに保管されていて、読みたい人はご当主様の許可を得て読ませてもらう、という場合もあり、当然デジタル化の波は及んでいません。イギリスだと由緒ある大貴族屋敷には私設の文書館付属している場合もあり、日本歴史学者でもソールズベリ侯爵のお屋敷であるハットフィールドハウスに赴いて史料収集している人もいます。謝辞で「史料を閲覧させてくれた当代のソールズベリ侯に感謝する」みたいなこと書いてあって「すごい……」って思いました)

ただ、「みんなが読みたがる重要史料」については、史料をまとめた本を出すとか、史料を集めたマイクロフィルムを作るとか、そういう形で広く公開されている場合があります(たとえば第一次世界大戦の勃発に関しては、イギリスオーストリアなどの当事国が何十巻にも及ぶ史料集を出版していて、東京大学などの国内研究機関にも所蔵されています)。けれどそういうのを購入するのはお金がかかるし、何より発行から何十年も経ってしまうと入手自体が難しくなってしまう(でも著作権は残っているためデジタル化も遅々として進まない)ので、あんまりお金がなかったり新設されたばかりだったりする大学研究者は結局それらを所蔵している大学図書館に行く必要が……

「注があると読者に嫌われる」は本当か?

しろ最後の注を見て次の本を決めたりするので、注があると読まなくなる人というのがいるのにびっくり…

注なんて読みたくなければ飛ばせばいいのに注があると売れない……? やべえな世の中。/ みんな本当に自己防衛意識が弱いよね。優しい世界生きてるんだろうな

注があると読まない人が居るという話、ただ気持ちよくなるために情報摂取してる層には、正確性の担保なんてむしろ邪魔なんだろね。ワイドショー視聴者と同質。

これ、実際に「注があるから読まない」読者が本当にいるのか、と疑ってみるべき案件だと思うんですよね……。「編集から言われて注を外した」という話は学者あいから漏れ聞こえてきますが、「注があるから読んでいて苦痛だった」という話ってなかなか聞かなくないです? いやもちろん編集者のところにはそういう苦情のお便りが届いているのかもしれませんが……。「注があると売れない」という都市伝説が生き長らえているだけのような……(一般読者からしてみれば、注の存在に気づいてなかった、とか、なんか数字が振ってあるけど気にしてなかった、という場合も多いでしょうし)

注は別に読まなくてもいいです

ちゃんと注まで読んでるのね。今まで気にしたことも無かった…我ながら知的レベル低い…

注がついている本を読んでいる段階で十分かと思いますので安心してください。注は、もし興味がないならさらっと読み飛ばしても別に大丈夫ですよ。というか、注で典拠が示されていても、アラビア語とかギリシャ語とか朝鮮語とかロシア語とかで書かれている場合も多々あるわけで、そんなの普通の読者さんにチェックできるわけないですし。ただ、注を見てみると、おっ、ここはちゃんと原史料を読んで書いてるのか、なーんだ、ここは英語二次文献に頼って書いてるんだ、みたいなことがわかっちゃったりするので、学者仕事の裏側を垣間見ることができて面白いですし、どんな情報源を使って書かれているのか? をチェックしてみることは学術書だけでなく普通ニュースとかを読むときにも重要なことだと思いますよ。

ブコメ

物理分野では「参考文献」の意味増田とは異なる。参考文献は本文記述の直接の引用を表す。あとあまり明確に決まってないけど、注は捕捉説明を指す。「参考にした文献一覧」は存在しない。読書案内なら見かける。

誰がReferences(Bibliography)を参考文献と訳したのか。"refer"した文献のリストであって、本文の著述に紐づけられるものだけリストアップすればよく、逆に、何でもかんでも列挙して博識をひけらかすところではない。

や、まあ、文系でもたいていの場合は「引用文献」ってことですよ。それを「参考文献」と呼んでるだけ。参考にはなったけど言及してない文献は、私なら入れない(でも入れる人もいるかも)。

いま史学科にいる人間全員読んでリアルブクマしとけ。懇切丁寧な論文の"文法書"だぞ。

あなたがこの増田に感心してくれたことは嬉しいけれど、史学科の学生上から目線アドバイスしないでください。こんなの初歩の初歩で、史学科の学生さんならとっくに理解してます史学出身じゃない人たちが「そうだったのか~!」って言ってるだけ。別に史学科の常識を知らないのは悪いことじゃないけれど(私も他学科常識とかわかんないし)、自分が知らなかったある分野の初歩の初歩を解説されて、そこで聞きかじった内容をその分野を学んでいる人の前で「お前らこういうのよく読んどけよ~」って言えちゃうの、ちょっと傲慢すぎません?

2019-04-13

[][][]児童ポルノ国連ガイドラインのアレ

DRAFT Guidelines on the implementation of the Optional Protocol to the Convention on the Rights of the Child on the sale of children, child prostitution and child pornography

https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/CRC/Pages/DraftGuidelinesOPs.aspx

パブコメ総数300程度だったらしい。

どうやらツイッターで騒いでいる人間の大半はやはり本当にただ騒いでいただけの様だ。

ある意味では予想通りとは言え、本当に呆れ果てる。

流石に国連数字ごまかすとかはないだろうしな。

本当にこいつら人にはあれするなとかこれをしろとか偉そうに言う癖に実際には動かないのが大半なんだと言う事を今回も再認識させられた。

普通に英語できなくても短い単語程度ならgoogleなりの翻訳使えばいけるものなのにな。

こいつらはいつもそうだ。

土壇場になったり、手遅れになってから急に焦り出し動き始めたりするのが大半。

この構図にも本当うんざりしている。

昨今では著作権の時もそうだったしな。

本当、例のあいつらなんて選挙の得票目的の為でしかオタクを利用していないしな。

からあいつらはこんなのは出すわけがないのだろうよ。

いつもは綺麗事ばかり言っててこれだからな。

本気で呆れ果てる。

ただ流石に今回は日本だと日本マンガ学会はちゃんと提出をしていてまともな団体だなと個人的には思ったりしたけどね。

https://www.jsscc.net/info/130534

それだけにあの手のツイッターの連中は本当に騒いでいるだけの奴らだったんだなと余計に再認識させられるよ。

後、Prostasiaの署名の方は17620集まったらしい。

つーか、こっちの署名の方だけで満足した人も多そうな気もする。

本当署名もだが、パブコメの方を提出してほしかったものだ。

そして国としてはやはり日本は相変わらず弱腰な態度が見え、オーストリアは明確に第61段落問題視して、ドローイング漫画児童ポルノとして扱うべきではないと言う反対意見を出してる。

オーストリア担当がまともすぎる。

団体も今回はやはり61段落から63段落漫画児童ポルノに含めようとする段落ね)を問題視している所も多く、賛同している所よりも問題視している所の方が多い。

後、そもそもその他の団体はこの段落自体を触れている所が少ない。

(つーか、あのエクパットスウェーデンがOPSC、2cを予約とかで創作物規制であるこの段落コメントしないとわざわざ公言しているのは表向きに名指しされたのも関係ありそうだなと個人的に思ったりもした。)

個人についても200以上が61段落から63及び64段落に触れている人が大半なんだと。

普通に創作物規制おかしいと考える人間も多いのだろうよ。

そもそも一般人所か団体ですら創作物まで含んだら実在児童保護と言う観点から各国の児童ポルノ禁止法の定義自体おかしくなる点は今回も普通に突っ込まれていたからな。

後は43段落ブロッキング)や68段落単純所持規制)辺りが突っ込みを受けたようだ。

また50程度のパブコメ文章自体一緒だったから一つに纏めたんだと。

しかし以下に他の条文が良い代物だとしてもこのような逆に自らの思想の為だけにある種児童権利悪用した創作物規制と言う文章を入れるだけで、他の国連会議メンバーも同罪だと言う事を判っているのかねえ?と思う。

これメンバー自身問題点を判っていながら反対せずに盛り込んだならより悪質だよ。

つーか、場合によってはこんな事ばかりしていたらそれこそ国連と言う団体自身の元々所属している団体自体品位や信頼自体を失う事になると思うんだがな。

以下に児童と言う弱者権利を盾にして、一般人反論しにくい話題であったとしても余りに理不尽かつ、現在では冤罪等が起き、裁判否定されたり、法律児童ポルノではないと明確に定義されているにも関わらず、国連と言う権力を使い、児童ポルノ創作物を含めようとする行為自体、逆に実在児童保護観点から定義の混乱を招き、その児童と言う弱者権利貶める事にもなるんだし、その権利自体侵害するような事ばかりしていたら、今度はその規制自身の思惑の為だけに推進する奴等の立場自体が、逆に不味い事にもなりかねないと思うんだがな。

ある意味では今回国連側が児童権利悪用して規制強要しようとしているとも言えるのだから

今回の件に関しては、過去海外冤罪が発生した上で、尚且つ各国で実在児童法律として運用されている時に国連はこんな逆に法律定義自体を混乱させかねない事を言い出したんだから普通に創作物規制抜きにしても児童保護観点からみても今回の国連ガイドライン自体問題しか言いようがないんだわ。

普通に私も児童権利国連寄生して、こんな創作物規制をするよりも普通に児童保護施設に予算を組む等の方にリソースを回せってコメント普通にしたよ。

多分これは私だけじゃなく、まともな人間や団体ならば普通に思うはずの事だぜ?

つーか、保護団体パブコメでも予算回せって書いていたぞ、普通にな。

本当国連と言うある意味では一国より重い、システムを構築してしまう代物をその人選自体、ローテーション形式でたった18人の人間に決めさせると言う方式自体まず間違いだと思うわ。

こんなシステムからこそあのふざけた団体国連で大暴れするようになってしまうんだろうさ。

つーか、これ初めから英語スペイン語フランス語であり、余り表向きに宣伝せずにパブコメ募集しだした時点であからさまな日本潰しだと言われていたもんな。

しかし本当いつもながら手口が汚いと思う。

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