はてなキーワード: 運動家とは
正直私は学生自治など成績優良者の中でも教職員に従属することを決めた奴らのごっこ遊びか、アカの手先になることを決めた性格に難しかないエリートの工作活動だと思う。
実際学生自治が学生運動へ発展し左翼労組と共に世の中を混迷のどん底に突き落としたのは明白。
1割の人の都合は無視する必要があればせざるを得ないが、4割の人の都合を無視するような「自治」は果たして自治か?私は全くそうは思わない。
例え自治会長の決め方を学生の直接投票にしてカンバンを被せたところで、結局やるのはカリキュラム達成のための手助けでしかない。自分のやりたいことなど何一つない。ただ内申を上げたいだけ。
だとしたら学生の直接投票は自治への参画からただの無駄な手間へ変貌するだろう。ペラペラの政策を見せられ、仕方なく投票する。こんなはっきり言ってゴミのような制度はいっそない方が良い。やるのであればスケジュールに対して強い権力を持って日程変更なども自治会が発すればやらせられるレベルの権力を持たせるべき。「ここまでやらせては学校の秩序が崩壊する」と言っている教職員どもは今すぐ人生やり直せ。もっと大きい集団を学生自治よりさらに自治性の高い3集団がまとめている国に何年いる。
政治家の質や新規性の低下もあるんだろうが、まずこんな地獄を超えてもはや空気と化している学生自治の見直しこそが投票率の上昇にもつながり民主主義を回転させると思うのだが、残念なことにいまだに特に公立高校ではそのような動きを聞かない。
最後に自称自治会ども。教職員ファンクラブは別枠でやって自治会では自治会の意思を発揮しろ。じゃなきゃ学生自治の邪魔だから自治会を辞めるなり最悪学校を辞めるなりしろ。
なんだねあいつらは。野党の面汚しだと思う。あのような非建設的な週刊誌主義的野党が第1党に上り詰めたのは多分運動家のジジババとイメージだけで物事を考えその先や物事の中身も考えないウェイどものおかげだと思う。「なんか政権がキモいし反抗期してれば票がもらえるね」と誤解した集まり。是非とも建設的野党には日本を正しい方向に成長させてほしいし、侵略国家に対して態度装備ともに毅然とした防護を見せつけてほしい。
最近またミソジニストが暴れだしているようだが、表現の自由が保証されている法律に書いてある5字の言葉すら知らないのかも知れない。
《この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。》
営業妨害や嫌がらせに及んでいるのなら公共の福祉のために利用していないのではないか?此処最近思うのだが、公共の福祉というものを理解せずに様々な行動に走る人間が多すぎる。警察も消極的すぎるからこそあいつらは自称正義を加速させていく。警察含め治安維持機関は過激左翼への監視もいいが、もっとこういう社会全体にリスクを及ぼすような存在を監視することもまた業務にあるべきではないか?
国家がやるべきことを国家がやらないからこそ、ヤクザや自警団ができるのだ。国家が責任を持ってやればそのような無秩序な集まりは出てこない。そして、それを理由や根拠理論もなしに妨害するような人間は捕まえてもらって構わない。治安維持とはそういうもの。
https://togetter.com/li/1761728 東大フェミニスト名誉教授上野千鶴子氏、さもフェミニストが緊急避妊薬の認可に貢献したかのように語る←実際の運動家から歴史修正と批判殺到 -
どんなトンデモふかしてるのかと思ったら歴史的事実しか言ってないんだが…少なくともタイトルのような発言どころかフェミニストという言葉すらスクショ内に無いのでデマ
「日本 新薬認可って非常に慎重で時間がかかるんですが」←数年かかる
「バイアグラはね 申請から 許可までが 半年なんです」←事実
「もう一つ じゃあ女性の方はね ピルの解禁 ず〜っと要求してたんですが」←全員ではないがそういう人や団体はいた。事実
上野千鶴子は"フェミニストが"認可に貢献したなんて一言も言っていない。
「女性たちは(フェミニストに妨害されながらも)ピルを求めて頑張ったんだ」とか言ってるブクマカは上野千鶴子の援護射撃しかしてないことに気づいてないのか。
一つは、「ピルの解禁を要求してる女性がそこそこいた」はただの歴史的事実なので上野千鶴子自身が賛成派か反対派かにかかわらず本当であること。
(とはいえ解禁賛成派女性が少なかったり男性が多かったりしたら「女性の方はね」は誇大発言になるが…)上野が反対派ならこんな発言は白々しいが嘘ではない。どうあがいても事実。
もう一つは、「"フェミニストが"認可に貢献した」と言ってたらフェミニストの主流派が認可賛成派でないと白々しい嘘になるがそんなことは言ってない。上野一人がピル賛成派だったらそれだけで白々しくすらない。
さて肝心の上野がピルについてどういう立場かは調べられなかった。上野の著書とかは持っていないのでいま上野がピルについてどんな発言をしているか検索してみたが特に賛成発言も反対発言も出てこない。
ブクマカも上野の発言出してる人いないし何も言ってないのかもね。
frothmouth その理屈だとピル認可は「男性の功績」とも言えてしまうんだよ/最初から上野やトゲの話をしていないんブクマが多かったでしょ、反対していたフェミニストをなかったことにしちゃダメってこと https://togetter.com/li/1615882
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・ギリ落とせそうな自民現職
→前回立憲の道下大樹に破れ比例復活。麻生の元秘書。IR関連で中国企業から賄賂受取疑いで捜査。麻生派。
・道下大樹 立民
野党一本化
→前回約2万票差で本多平直に勝利。IR関連で中国企業から賄賂受取疑いで捜査。麻生派。本多のロリコン発言で優勢か。
・本多平直 立民
野党一本化
・山岡達丸 立民
→階猛に連敗中。父が元共産党の地方議員。祖父母は無産運動家(反資本主義運動)。祖母の横田チエは初の女性岩手県議。
・階猛 立民
→細田派。丸川珠代と一緒に選択的夫婦別姓に反対する文書を送ったメンバー。
・岡本あき子 立民
野党一本化
公約に「宮崎駿(ジブリ)ワールドの実現」を掲げる。2017年には『ジブリワールド構想』を出版。
・鎌田さゆり 立民
野党一本化
・寺田学 立民
野党一本化
・緑川貴士 立民
野党一本化
→前回、立民の金子恵美に敗れ比例復活。過去に暴○団との交流も。
・金子恵美 立民
野党一本化
→前回、小熊慎司に約1000票差で勝利。対抗馬の小熊慎司は自民〜みんな〜維新〜民進〜希望〜国民〜立民の政界渡り鳥。
・小熊慎司 立民
野党一本化
→国士館大で神道学の修士〜自民党職員13年。前回浅野哲に僅差で勝利。
野党一本化
→麻生派。中村喜四郎に5連敗中。年々票差を縮めている。衆議院議員だった夫は郵政国会で賛成票を投じた後に自殺。後を継いだ。
文科族。原発ゼロの会。
・中村喜四郎 立民
野党一本化
→菅グループの3回生。夫婦別姓反対。対抗馬は立民の山川百合子(比例復活)
野党一本化
→前回大島敦に破れて比例復活。2006年に女性への暴行で起訴猶予処分。2015年、公設秘書が「逮捕監禁致死罪」で懲役6年の実刑判決を受けた人物であることが報じられた。(辞職済み)
・大島敦 立民
野党一本化
・森田俊和 立民
野党一本化
・田嶋要 立民
野党一本化
→安倍政権で復興大臣。竹下派。法務族。更生保護活動の環境整備や再犯防止などに取り組む。
・生方幸夫 立民
野党一本化
・本庄さとし 立民
→脱原発派。「自民党発!『原発のない国へ』」を出版。出版記念講演を水戸市で開催して、原発推進派の自民茨城県連が激怒。県連から二階に除名要請される。
・奥野総一郎 立民
→前回は海江田万里に僅差で敗れる。
・海江田万里 立民
→石原派。伸晃と良純の弟。前回は松原仁に僅差で勝利。松原は比例復活し、現在立民。
・松原仁 立民
→竹下派。防衛副大臣や安全保障委員長を務める。前回は手塚仁雄に僅差で勝利。
・手塚仁雄 立民
・たぶち正文 維新
→前回は立民の落合貴之に敗れ比例復活。叔父は福田康夫。衆議院財務金融委員長。
・落合貴之 立民
・山岸一生 立民
・南純 維新
→IR汚職事件の収賄罪で逮捕起訴。無罪を主張。離党したが二階派には所属のまま。
・柿沢未途 立民?
・小堤東 共産
→元経産副大臣。
・末松義規 立民
野党一本化
→小泉内閣で若くして金融担当大臣を務めるも、その後は石破派で干される。最近石破派を退会。
・山花郁夫 立民
→緊急事態宣言下に後輩2人連れてクラブへ。離党。麻生の側近。おそらく無所属で出馬し、自民は公認候補を出さず。
・篠原豪 立民
前回は浅尾慶一郎との保守分裂選挙になり、立民の早稲田夕季に敗れ比例復活。保守分裂予定。
・早稲田夕季 立民
→元財務官僚。財務副大臣、外務副大臣。選択的夫婦別姓や同性婚を党内で主張。
野党一本化
→元みんなの党。前回は江田憲司に敗れ比例復活。離婚後共同親権論者。
・江田憲司 立民
野党一本化
・阿部知子 立民
→ヤンキー先生。反日教組、表現規制推進、体罰肯定派、ジェンダーフリー教育反対。前回は後藤祐一に勝利。
・後藤祐一 立民
野党一本化
→前回は立民・西村智奈美に敗れる。秘書への暴行で略式起訴され離党。自民党は塚田一郎を公認。石崎は無所属で出馬予定。
・西村智奈美 立民
■新潟2区 細田健一(比例・細田派・当選3回)、鷲尾英一郎(二階派・当選5回)
→前回は鷲尾英一郎に敗れ、比例復活。二階派に入党した鷲尾英一郎も出馬予定。保守分裂選挙へ。
・たいらあやこ 共産
→前回は黒岩宇洋に50票差で敗れ比例復活。夫婦別姓反対、原発推進派。
・黒岩宇洋 立民
野党一本化
→世襲。夫婦別姓反対、安倍に靖国参拝を要請、東京裁判は不当だと主張。
・梅谷守 立民
政務官時代に被災地視察で長靴を忘れ、職員におんぶされる。おんぶ政務官として一躍有名に。
・下条みつ 立民
→前回希望の党で当選し、自民党に入党。立民は羽田元首相の甥を擁立予定。
・神津健 立民
野党一本化
→前回は中島克仁に敗れる。
元幹部自衛官。はんこ議連。押印を廃止した河野太郎をFacebookで批判。
・中島克仁 立民
野党一本化
→世襲3世。前回は今井雅人に僅差で勝利。今井は比例復活し、立民に所属。
・今井雅人 立民
・伯てつや 維新
・近藤和也 立民
野党一本化
・小山展弘 立民
野党一本化
→世襲。前回は細野豪志に敗れ、比例で繰り上げ当選。細野が二階派に入党したため、保守分裂選挙へ。
・小野のりかず 立民
→渡辺周に3連敗中。前回は数百票差僅差まで追い詰める。
・渡辺周 立民
野党一本化
→元文科大臣。緊急事態宣言中に浜松まつりに参加、100人規模のセミナーを開催、20人の会食に参加。
対抗馬は前回比例復活の源馬
・源馬謙太郎 立民
・ひらが高成 共産
→学生時代に女性教師を閉じ込め、爆竹を投下したことをサイトで自慢して炎上。
・吉田統彦 立民
→安倍に対して「辞めろ」とコールした聴衆を「共謀罪で逮捕すべし!」と求めるフェイスブック(FB)の投稿に対し、「いいね!」ボタンを押していた。
・牧義夫 立民
→税理士で、かつ総務省の政治資金適正化委員会に監査人登録しているにかかわらず、2019年まで4年連続で政治資金収支報告書を法定の期限までに提出していなかった。
前回はベテランの赤松に敗れたが、赤松は引退を表明。立民から赤松の元秘書が出馬予定。
・西川厚志 立民
野党一本化
・森本和義 立民
・すやま初美 共産
・伴野豊 立民
野党一本化
→菅内閣で経済産業副大臣兼内閣府副大臣。前回は岡本充功に勝利。岡本は比例復活。
・岡本充功 立民
引退する意向を示していたが、後継候補が決まらず、引退を撤回。
・古本伸一郎 立民
https://cover-corp.com/news/detail/20210609a/
日本アニメや日本のVTuberを見てる中国オタクと言っても大きく3つの勢力があって
もちろんアニメとかも好きなんだが、中国の洗脳がすごくよくきいているのでちょっとでも中国を否定するような発言はNG。
日本のネトウヨと違ってデジタルネイティヴゆえに炎上した時の歯止めが利かない。
ぶっちゃけると、ホロライブはここがメイン顧客である以上、桐生ココが燃やされて消えたのは自業自得としか言いようがない。
この連中相手に対して運営がきちんと指導・リスク管理ができないのであれば中国進出はあきらめた方が良い。
特にSAOとまどマギと、あとなぜか「原神」を死ぬほど愛しており、これらを否定するような発言をすると燃やされる。
今ウマ娘がヒットしたことでかなり切れまくっており、ウマ娘アンチ活動が猛烈に盛り上がってる。
VTuberはヒット作であるウマ娘に乗っかろうとするのは良いが、ガチャ動画くらいまでにしておいた方が良い。
間違ってもウマ娘に絡めてテンセントのゲームや原神の話をしてはいけない。核地雷である。
この中でも特に最近目立っているのが「女拳」と呼ばれるフェミニストや腐女子系オタク。日本で言うと宇崎ちゃんの時に燃え上がってたようなやつ。
「女権拡張運動家」をもじって「女拳」といわれるほどに武闘派が多い。
また、日本と違って中国では「通報制度」が非常に充実しており、女拳たちはちょっとでもおっぱいが大きいものは通報する。
その結果「アズールレーン」や「ドルフロ」といったコンテンツのかなりの部分が販売停止になり、既存のコンテンツもアップデートによっておっぱいがナーフされるという事件が起きた。
最近は「巨乳キャラは女をモノ扱いしている!貧乳は女性の社会進出の象徴」ということで初音ミクを応援するなど頓珍漢ぶりが極まっているが勢いが強すぎて止められなくなっている。
きっとウマ娘が中国に進出したければメジロマックイーンとサイレンススズカを猛プッシュするしかなく、ヒシアケボノを除きメイショウドトウやタイキシャトルなどの巨乳キャラはナーフされることになるだろう……。
これによって、bilibili系オタクと「女拳」の関係は険悪なものになっておりうかつに手を出すと瞬殺される。
仮にも中国に進出しようって話だったのになんでホロライブ運営は中国に対して何の対策もせずに突っ込ませちゃったわけ?こわ・・・
ある程度、理路は理解できる。
ただ、反論が集まっている通り、「オタクに差別主義者が多い」という現象自体には疑いがある。
「『差別主義者が多い』と反差別運動家から認識されやすい」ではどうだろうか。
イラストや漫画の表現が記号的、ステレオタイプ的性質を伴うがゆえに、どのように人間を描いても、運動家から批判される差別表現と共通の特徴を幾分かは含んでしまう。
ある人物を他の人と区別できる身体的特徴を強調して描くため、人種や性別、障害などのステレオタイプ化につながりやすい。
なお反差別運動家自身もステレオタイプからは逃れられる訳ではない。
より正確には、マイノリティのネガティブな特徴はなるべく表現するな!派と、個性として隠さず強調しろ!派に分かれる。
人種問題の場合、肌の色や容貌など黒人の特徴を持つキャラクターは前者からステレオタイプとして批判されるが、そのような黒人の特徴を持つキャラクターが不在の作品は後者から人種の多様性を無視していると批判される。
山谷えり子議員の発言、Tに関することだけは賛同できる。海外ではトランス女性による刑務所でのレイプ、スポーツ奨学金の獲得やトイレで全裸になっての自撮り等、権利の衝突が起きてるよ。セルフIDに関する問題を解決する力は日本にはない。女性の安全を優先して欲しい。
ゆゆゆ
@yuyuyu_0130
成人済/夢腐◎/mhyk/pkmn/刀/gnsn/イエベ春骨スト/うるさいです📛
山谷議員は最初から最後までトランスの話しかしていない。これを「LGBT差別反対に反対している」とするのはおかしい。LGBについては言及していないのだから
魚龍3
@tolerant_Ketzer
RT多めです
リプ欄でフェミが…とキレてる方がいますが、フェミニストは女性の安全を求めているので、山谷氏と同様の主張をしている人が多いです!
逆に、これに関して差別だ!と騒ぐのはTRA(TransRightsActivists=トランス権利運動家)という人たちで、女性の生存権よりもトランス女性の自由権を優先しています。
はなこ
@2DuxTUavQAai7Cv
今年の1月に初めての子どもが産まれたので、出産に併せて育児休暇を取ることにした。
育児休暇を、取ることを決めたのは、共働きだし、家事も分担制なので、育児だけ妻にさせるのはフェアではないし
三か月なのは、最短で保育所に預けれるのがそれくらいだということだったからだ。
長期間育児休暇を取ることを、伝えると、多くの人に「奥さんが働くの?」と聞かれた。なるほどいっしょに休暇を取るという発想は、まだまだ浸透していないのだなと感じた。
育児が大変なのは、いろんな媒体で見たり聞いたりしていたが、正直子ども一人に対して、休んでいる大人が二人いれば、余裕だろうと思っていたが、初めての育児はそんなに甘くなかった。
最初の1、2か月は二人いてぎりぎりだった。
というのも産後の体力の低下により、妻が病気を発症し、入院することになったからだ。両方の両親は高齢かつ遠方なので頼れなかった。
二人で行うはずの育児がいきなり、ワンオペ育児になってしまった。
子どもが産まれた瞬間から、常に子どもの存在が傍にある。子の傍から離れることはできない。自分が世話をしないと子は死ぬ。このプレッシャーが毎日ずっと続く。
仕事は定時に始まって定時に終わるから切り替えができるが、育児にそれがない。
肉体的に辛いのは、寝れないことに尽きる。
新生児は2、3時間に一回授乳を求めて、泣き叫ぶ。おっぱいやミルクをあげれば、またすぐに寝るわけでもない。
そこから抱っこして、あやして、寝たと思って、ベッドに置いたら、また泣き叫ぶ。そんなことを繰り返してようやく寝てくれる。
それが1時間2時間続くこともある、気づいたときには次の授乳が迫っている。
仕事をしているだけのほうが育児の何倍も楽だが、あえて仕事に当てはめるなら、早朝勤務があって、そのまま日中の勤務もありつつ、夜間深夜勤務もあり、翌日もそのまま早朝勤務というルーティンが毎日続く。
休日などない。
寝ても覚めても、仕事が続く。気持ちの切り替えなどできない、肉体的にも辛い。どんなブラック企業だ。
自分のご飯など二の次、三の次だったがそれ以外にも、毎日出る洗濯物と、洗い物、ゴミ捨て、日用品の補充、買い出し。
新生児を抱えている以上、おいそれと出かけることは、心理的肉体的にもハードが高すぎる。
ここまでくると、いったい何の罰ゲームをさせられているのだと、混乱し、毎日がいっぱいいっぱいで、どうしようもなくなってくる。
食欲もなくなり、体重は減少した。
子どもはまったく可愛くなくなってくる。
何をしても、泣き止まない子供を、抱っこしていると逆に憎しみすら湧いてくるようになる。
新生児は泣いているとき以外は、天井を見つめて、バタバタと動くのみで、自宅にいると孤立感と孤独感が襲ってくる。
この世界で自分と子どもと、ふたりぼっちなんだと、何かあっても、どうすることもできないと恐怖すら感じ涙が出てくる。
今余裕が出て、こうして振り返ると、そんなことはない、多少離れても問題ないと思う。
当時は余裕がなさ過ぎて、産後うつに入りかけていたと思う。
育児をしてみるとわかる。新生児期は特にワンオペ育児をするべきではない。
女性は特に産後一か月は体力が戻らない、実際うちの妻は産前ばりばりの運動家で健康だった。結婚してから2年たつが、一度も体調を崩したことはなかった。
自分も休んでいたので、家事全般は全部自分がして、妻には授乳だけをしてもらうような体制を作っていた。
そんな妻でさえ、産後は精神的に落ち込み、体力も低下したことにより病気になってしまった。
これから出産を控えている人に言いたいのは、ワンオペ育児をさせない方が良い。
少しでも休んでもらって、育児してもらうのはもちろんだが、気持ちの切り替えと、睡眠不足解消のため、協力してもらった方が良い。
夫は休めないのなら、産後一か月は体力の回復のため里帰りをしてもらうか、どちからの親を読んでサポートをしてもらう。
それも無理なら、産後ケア施設というものがある。母子で1か月ほど入所できる施設だ。費用はかかるが、補助をしている自治体もある。
うちは二人休んでれば余裕だと思って、どちらかが倒れた時の心の準備が足りていなかった。これはパートナーが休んでいようといないと起きうることだから。
なんかネガティブなことをばかり書いたが、2か月が過ぎたくらいで、子どもに笑顔が出るようになったり、夜寝るようになってから余裕ができて、子どもは可愛いし、育児は楽しいし、成長に感動する。
これからも大変だとは思うけど、頑張れる気がする。
女性差別ってさ、女性を弱い物とみなしてるのでナメて支配したり、保護とセットで抑圧したり、そういうのが多かったわけじゃないっすか。大雑把な話をすればさ。
そんでフェミニズムというのは、「私らは本当は強いんだぜナメんなよ、使いこなせるから私らにも権利と自由をよこせ」と戦ってきた運動である。
社会運動を盛り上げてくには戦闘意欲やら実際の能力やらが必要だ。
このエントリの書き出しを見て「差別問題は戦闘じゃない、対立と断絶を煽るな」みたいな事を言いたくなる奴もいるだろうが、それは虚しい奇麗事だ。
さておき、フェミニズムは女も一人前に強いんだぞという思想なわけだから、それに共感するメンバーも自然と精力のある女が多く、活動も精力的にできる。
ところが男性運動――マスキュリズムかメンズリブか弱者男性論かすらよくわからんが――は、いわば男の弱さを訴える活動である。
「世の中から男は戦え強くあれビッグになれって言われるけど、無理ですぅ~降りますぅ~…」という思想である。
その旗の下に集まってくる男というのは当然、戦う能力や性格を持たない奴らが多くなる。戦いたがりもゼロとは言わんが少ない。
それで社会運動としてガンバレって言われたって、無理に決まってんのよ。
よく「弱者男性層は、どうして助けて助けてと言うばかりで自分で自分たち男の待遇をよくする活動をしないのか」って言われてるけど、そんな元気と能力のあるやつは既存の男性ジェンダーの中で楽しくやってけてるからだよな。
つまり、フェミニズムは自分の面倒を見られる人々がその強さを主張する活動だが、男性運動は自分の面倒を見られない人々がその弱さを主張する活動であり、ある意味で正反対だと言える。
なので、男性運動というのは、パパやママのつもりで助けて面倒見て保護してくれる人たちが出てくれないと希望が見えないのよ。
そこが男にも女にもいまいち周知されてないから、真逆のフェミニズム的な戦士スタイルを求められた男性運動が、歯切れの悪い返事をして、うやむやになる、みたいな状況が多くなる。
ちょっと大胆な事を言ってしまえば、フェミニズムにおいては撤廃すべきとされる慈悲的差別だけど、男性運動に対しては(応急処置的にせよ)周囲が慈悲的差別をしてあげるようでなくてはならない、ってことですね。
一瞬確かになって思ったけど、すももとか白まんとか反フェミは一定の権力を持つに至ってるし戦ってるが公共に採用される事はない
あいつらは貴重な戦闘意欲のある男性運動家なのだが、あいつらばかりがオピニオンリーダーめいたものになってしまうのもまた、男性運動に戦士候補が少ないからだと考える。
彼らの主張に頷く部分はあるが穴もあるし、主張の要旨以外のSNSのポジション取り戦法などでエグみが強い。
戦士候補が他にも多ければ、相互に穴を補完しあったり、エグみの少ない戦法を取る奴も現れて違う層の支持者を集められるのだろうが、人材の層が薄くてそれができないので、白饅頭の話やあれ系の戦法さえ非難できれば男性運動は潰せると思われてしまう。
上野千鶴子の影響力デカすぎと言われるフェミニスト界隈以上に、兵隊が少ない。
男として自省することでジェンダー規範から逃れて男も楽になる、みたいな話をしてる層もいるにはいて、白まん等とは一線を画しているが、あれはフェミニズム活動家男性と呼んだ方が適切であろう。
トランスジェンダーの話になってくると、中間層みたいなのが出てくる
TERFのみなさんは被害者的な側面ももってるので、一概にカスとは切り捨てづらい
リベラルのみなさんの中でもバトルが生じたりする
ポリティカル-コレクトネス-リベラリズムの運動家にも、本音ではトランスジェンダー問題に言及したくない人は多い。
弱者男性とかならそんなの弱者じゃねーと一蹴できるけど、本当の弱者が関わってくる問題でも運動家が苦手な分野がある。
確かに大きな被害を受けている弱者だが、その人達の被害を強調すればするほど、従来の運動で絶対的犠牲者として定義してきた別の弱者に飛び火する危険が出てくる。
そのような複雑すぎる問題に深入りしてパンドラの箱を開けたくない・・・。
絶対的犠牲者が実は常に犠牲者となるばかりではありませんでした。加害者になることもありました。それを公認してしまえばいろいろな前提が崩れ、つけ入られる。
アジア系アメリカ人のことをどうすればよいかも本当に苦慮してる。
従来は黒人を白人至上主義に攻撃される絶対的犠牲者として定義してきたのに、アジア系に注目したら黒人が加害者側になる暴行事件まで扱わなきゃいけなくなる。
白人から差別されているのに白人よりも地位が高い有色人種というのも意味が分からない。
パレスチナ人についても苦慮してる。
EUはユダヤ人を絶対的な犠牲者と扱ってきたし、反ユダヤ主義者を絶対悪として排除したい。
だのにユダヤ人が建国したイスラエルがパレスチナを空爆するせいで、パレスチナ人やそれに共感するイスラム系の人が反ユダヤ運動に加わってしまうことがある。
確かに空爆の被害者ではあるけど反ユダヤは止めさせなきゃいけない。
板挟みだよ。
長く続く家族介護でヤングケアラーの子供時代や進路が犠牲になることはあるけど、あまりにもその介護を苦痛の根源として強調しすぎると、要介護者の介護が悪いもののように認識されてしまう。
優生思想を否定しなければならないのに、ヤングケアラーに肩入れするあまり要介護者のことを厄介者のように扱って、逆に優生思想が助長されたら困る。
呉座勇一「炎上」事件で考える、歴史家が歴史修正主義者になってしまうということ | ハーバー・ビジネス・オンライン
https://hbol.jp/241894 @hboljpより
ブコメ→
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/hbol.jp/241894
そもそもの発端が網野善彦先生であったというのに、網野氏が最も嫌悪した「党派性」でしか発想できない貧相なコメントが多いのは、憂うべき事態だわ。
網野氏がまず嫌悪したのはスターリンの「民族」観の転向により始まった1950年代の「国民的歴史学運動」で、運動内では、民族を近代の発明としていた歴史家たちは「近代主義者」として「査問」され「自己批判」を迫られた。
(まあ、査問された中には、元々のスターリンの公式に沿っていただけの人もいたかも知れないが)
国民的歴史学運動は、信じられないことに、1955年の権力闘争による日本共産党の方針転換、俗に言う六全協で終わりを告げる。
内部に葛藤を抱えない人間は、今でもこうした運動に乗せられてしまう。
北守氏の記事が深まらないのは、「歴史は誰のためのものか」という、網野氏もまた生涯をかけて葛藤し向き合った歴史学の問いに、「歴史修正主義者」というレッテルや、「つくる会と親和的かどうか」という軸だけで答えてしまう点だ。
「国民の物語」は別に、悪しきナショナリズムのためだけに求められるわけではない。
最低限のナショナリズムがなければ、「日本の歴史」を我が事として捉えることも不可能になってしまう。
なぜ戦後間もない時期に、それが盛り上がったのか考えてみたことはあるのだろうか。
その意味で求められる「国民の物語」に接近するだけで、「歴史修正主義者」のレッテルを貼るのは、およそアカデミシャンのする事ではない。
網野氏だけでない、呉座氏も亀田氏も、そして今回は被害者である北村氏も、その「国民の物語」に対する葛藤を理解して発言していた。
北村氏は網野氏について「ロマンティックがとまらない」としていたが、このロマンこそ国民の物語に対する距離感だ。
網野氏はそれこそ「実証的でない」という評価を受けることの多い歴史家ではあるが、北村氏をしてなお「その愛と情熱、ロマンティックが分からないのも問題だ」としている。
全くその通りだ。
北守氏の限界は、つくる会やラムザイヤーを「悪」の運動とし、その運動を無力化するためだけに論を張ってしまう所にある。
【追記】
分かっていての揚げ足取りだろうし、こんな説明をするだけ野暮だけど、
いわゆる「歴史修正主義者」は大問題ですよ。実証性に欠けることが多いからね。
北守氏は、
⑴
・いわゆる典型的な歴史修正主義者と「国民の物語」という問題意識を共有した、あるいは関わりを持った
だけの歴史家について、「歴史修正主義者だ!」と一段跳びに断定してる。
以上のお話によって、郷田三郎と、明智小五郎との交渉、又は三郎の犯罪嗜好癖などについて、読者に呑み込んで頂いた上、さて、本題に戻って、東栄館という新築の下宿屋で、郷田三郎がどんな楽しみを発見したかという点に、お話を進めることに致しましょう。
三郎が東栄館の建築が出来上るのを待ち兼ねて、いの一番にそこへ引移ったのは、彼が明智と交際を結んだ時分から、一年以上もたっていました。随したがってあの「犯罪」の真似事にも、もう一向興味がなくなり、といって、外ほかにそれに代る様な事柄もなく、彼は毎日毎日の退屈な長々しい時間を、過し兼ねていました。東栄館に移った当座は、それでも、新しい友達が出来たりして、いくらか気がまぎれていましたけれど、人間というものは何と退屈極きわまる生物なのでしょう。どこへ行って見ても、同じ様な思想を同じ様な表情で、同じ様な言葉で、繰り返し繰り返し、発表し合っているに過ぎないのです。折角せっかく下宿屋を替えて、新しい人達に接して見ても、一週間たつかたたない内に、彼は又しても底知れぬ倦怠けんたいの中に沈み込んで了うのでした。
そうして、東栄館に移って十日ばかりたったある日のことです。退屈の余り、彼はふと妙な事を考えつきました。
彼の部屋には、――それは二階にあったのですが――安っぽい床とこの間まの傍に、一間の押入がついていて、その内部は、鴨居かもいと敷居との丁度中程に、押入れ一杯の巌丈がんじょうな棚があって、上下二段に分れているのです。彼はその下段の方に数個の行李こうりを納め、上段には蒲団をのせることにしていましたが、一々そこから蒲団を取出して、部屋の真中へ敷く代りに、始終棚の上に寝台ベッドの様に蒲団を重ねて置いて、眠くなったらそこへ上って寝ることにしたらどうだろう。彼はそんなことを考えたのです。これが今迄いままでの下宿屋であったら、仮令たとえ押入れの中に同じような棚があっても、壁がひどく汚れていたり、天井に蜘蛛くもの巣が張っていたりして、一寸その中へ寝る気にはならなかったのでしょうが、ここの押入れは、新築早々のことですから、非常に綺麗きれいで、天井も真白なれば、黄色く塗った滑かな壁にも、しみ一つ出来てはいませんし、そして全体の感じが、棚の作り方にもよるのでしょうが、何となく船の中の寝台に似ていて、妙に、一度そこへ寝て見たい様な誘惑を感じさえするのです。
そこで、彼は早速さっそくその晩から押入れの中へ寝ることを始めました。この下宿は、部屋毎に内部から戸締りの出来る様になっていて、女中などが無断で這入はいって来る様なこともなく、彼は安心してこの奇行を続けることが出来るのでした。さてそこへ寝て見ますと、予期以上に感じがいいのです。四枚の蒲団を積み重ね、その上にフワリと寝転んで、目の上二尺ばかりの所に迫っている天井を眺める心持は、一寸異様な味あじわいのあるものです。襖ふすまをピッシャリ締め切って、その隙間から洩れて来る糸の様な電気の光を見ていますと、何だかこう自分が探偵小説の中の人物にでもなった様な気がして、愉快ですし、又それを細目に開けて、そこから、自分自身の部屋を、泥棒が他人の部屋をでも覗く様な気持で、色々の激情的な場面を想像しながら、眺めるのも、興味がありました。時によると、彼は昼間から押入に這入り込んで、一間と三尺の長方形の箱の様な中で、大好物の煙草をプカリプカリとふかしながら、取りとめもない妄想に耽ることもありました。そんな時には、締切った襖の隙間から、押入れの中で火事でも始ったのではないかと思われる程、夥しい白煙が洩れているのでした。
ところが、この奇行を二三日続ける間に、彼は又しても、妙なことに気がついたのです。飽きっぽい彼は、三日目あたりになると、もう押入れの寝台ベッドには興味がなくなって、所在なさに、そこの壁や、寝ながら手の届く天井板に、落書きなどしていましたが、ふと気がつくと、丁度頭の上の一枚の天井板が、釘を打ち忘れたのか、なんだかフカフカと動く様なのです。どうしたのだろうと思って、手で突っぱって持上げて見ますと、なんなく上の方へ外はずれることは外れるのですが、妙なことには、その手を離すと、釘づけにした箇所は一つもないのに、まるでバネ仕掛けの様に、元々通りになって了います。どうやら、何者かが上から圧おさえつけている様な手ごたえなのです。
はてな、ひょっとしたら、丁度この天井板の上に、何か生物が、例えば大きな青大将あおだいしょうか何かがいるのではあるまいかと、三郎は俄にわかに気味が悪くなって来ましたが、そのまま逃げ出すのも残念なものですから、なおも手で押し試みて見ますと、ズッシリと、重い手ごたえを感じるばかりでなく、天井板を動かす度に、その上で何だかゴロゴロと鈍い音がするではありませんか。愈々いよいよ変です。そこで彼は思切って、力まかせにその天井板をはね除のけて見ますと、すると、その途端、ガラガラという音がして、上から何かが落ちて来ました。彼は咄嗟とっさの場合ハッと片傍かたわきへ飛びのいたからよかったものの、若もしそうでなかったら、その物体に打たれて大怪我おおけがをしている所でした。
「ナアンダ、つまらない」
ところが、その落ちて来た品物を見ますと、何か変ったものでもあればよいがと、少からず期待していた彼は、余りのことに呆あきれて了いました。それは、漬物石つけものいしを小さくした様な、ただの石塊いしころに過ぎないのでした。よく考えて見れば、別に不思議でも何でもありません。電燈工夫が天井裏へもぐる通路にと、天井板を一枚丈け態わざと外して、そこから鼠ねずみなどが押入れに這入はいらぬ様に石塊で重しがしてあったのです。
それは如何いかにも飛んだ喜劇でした。でも、その喜劇が機縁となって、郷田三郎は、あるすばらしい楽みを発見することになったのです。
彼は暫しばらくの間、自分の頭の上に開いている、洞穴ほらあなの入口とでも云った感じのする、その天井の穴を眺めていましたが、ふと、持前もちまえの好奇心から、一体天井裏というものはどんな風になっているのだろうと、恐る恐る、その穴に首を入れて、四方あたりを見廻しました。それは丁度朝の事で、屋根の上にはもう陽が照りつけていると見え、方々の隙間から沢山の細い光線が、まるで大小無数の探照燈を照してでもいる様に、屋根裏の空洞へさし込んでいて、そこは存外明るいのです。
先まず目につくのは、縦に、長々と横よこたえられた、太い、曲りくねった、大蛇の様な棟木むなぎです。明るいといっても屋根裏のことで、そう遠くまでは見通しが利かないのと、それに、細長い下宿屋の建物ですから、実際長い棟木でもあったのですが、それが向うの方は霞んで見える程、遠く遠く連つらなっている様に思われます。そして、その棟木と直角に、これは大蛇の肋骨あばらに当る沢山の梁はりが両側へ、屋根の傾斜に沿ってニョキニョキと突き出ています。それ丈けでも随分雄大な景色ですが、その上、天井を支える為に、梁から無数の細い棒が下っていて、それが、まるで鐘乳洞しょうにゅうどうの内部を見る様な感じを起させます。
「これは素敵だ」
一応屋根裏を見廻してから、三郎は思わずそう呟つぶやくのでした。病的な彼は、世間普通の興味にはひきつけられないで、常人には下らなく見える様な、こうした事物に、却かえって、云い知れぬ魅力を覚えるのです。
その日から、彼の「屋根裏の散歩」が始まりました。夜となく昼となく、暇さえあれば、彼は泥坊猫の様に跫音あしおとを盗んで、棟木や梁の上を伝い歩くのです。幸さいわいなことには、建てたばかりの家ですから、屋根裏につき物の蜘蛛の巣もなければ、煤すすや埃ほこりもまだ少しも溜っていず、鼠の汚したあとさえありません。それ故ゆえ着物や手足の汚くなる心配はないのです。彼はシャツ一枚になって、思うがままに屋根裏を跳梁ちょうりょうしました。時候も丁度春のことで、屋根裏だからといって、さして暑くも寒くもないのです。
三
東栄館の建物は、下宿屋などにはよくある、中央まんなかに庭を囲んで、そのまわりに、桝型ますがたに、部屋が並んでいる様な作り方でしたから、随って屋根裏も、ずっとその形に続いていて、行止ゆきどまりというものがありません。彼の部屋の天井裏から出発して、グルッと一廻りしますと、又元の彼の部屋の上まで帰って来る様になっています。
下の部屋部屋には、さも厳重に壁で仕切りが出来ていて、その出入口には締りをする為の金具まで取りつけているのに、一度天井裏に上って見ますと、これは又何という開放的な有様でしょう。誰の部屋の上を歩き廻ろうと、自由自在なのです。若し、その気があれば、三郎の部屋のと同じ様な、石塊の重しのしてある箇所が所々にあるのですから、そこから他人の部屋へ忍込んで、窃盗を働くことも出来ます。廊下を通って、それをするのは、今も云う様に、桝型の建物の各方面に人目があるばかりでなく、いつ何時なんどき他の止宿人ししゅくにんや女中などが通り合わさないとも限りませんから、非常に危険ですけれど、天井裏の通路からでは、絶対にその危険がありません。
それから又、ここでは、他人の秘密を隙見することも、勝手次第なのです。新築と云っても、下宿屋の安普請やすぶしんのことですから、天井には到る所に隙間があります。――部屋の中にいては気が附きませんけれど、暗い屋根裏から見ますと、その隙間が意外に大きいのに一驚いっきょうを喫きっします――稀には、節穴さえもあるのです。
この、屋根裏という屈指の舞台を発見しますと、郷田三郎の頭には、いつのまにか忘れて了っていた、あの犯罪嗜好癖が又ムラムラと湧き上って来るのでした。この舞台でならば、あの当時試みたそれよりも、もっともっと刺戟の強い、「犯罪の真似事」が出来るに相違ない。そう思うと、彼はもう嬉しくて耐たまらないのです。どうしてまあ、こんな手近な所に、こんな面白い興味があるのを、今日まで気附かないでいたのでしょう。魔物の様に暗闇の世界を歩き廻って、二十人に近い東栄館の二階中の止宿人の秘密を、次から次へと隙見して行く、そのこと丈けでも、三郎はもう十分愉快なのです。そして、久方振りで、生き甲斐を感じさえするのです。
彼は又、この「屋根裏の散歩」を、いやが上にも興深くするために、先ず、身支度からして、さも本物の犯罪人らしく装うことを忘れませんでした。ピッタリ身についた、濃い茶色の毛織のシャツ、同じズボン下――なろうことなら、昔活動写真で見た、女賊プロテアの様に、真黒なシャツを着たかったのですけれど、生憎あいにくそんなものは持合せていないので、まあ我慢することにして――足袋たびを穿はき、手袋をはめ――天井裏は、皆荒削あらけずりの木材ばかりで、指紋の残る心配などは殆どないのですが――そして手にはピストルが……欲しくても、それもないので、懐中電燈を持つことにしました。
夜更けなど、昼とは違って、洩れて来る光線の量が極く僅かなので、一寸先も見分けられぬ闇の中を、少しも物音を立てない様に注意しながら、その姿で、ソロリソロリと、棟木の上を伝っていますと、何かこう、自分が蛇にでもなって、太い木の幹を這い廻っている様な気持がして、我ながら妙に凄くなって来ます。でも、その凄さが、何の因果か、彼にはゾクゾクする程嬉しいのです。
こうして、数日、彼は有頂天になって、「屋根裏の散歩」を続けました。その間には、予期にたがわず、色々と彼を喜ばせる様な出来事があって、それを記しるす丈けでも、十分一篇の小説が出来上る程ですが、この物語の本題には直接関係のない事柄ですから、残念ながら、端折はしょって、ごく簡単に二三の例をお話するに止とどめましょう。
天井からの隙見というものが、どれ程異様な興味のあるものだかは、実際やって見た人でなければ、恐らく想像も出来ますまい。仮令、その下に別段事件が起っていなくても、誰も見ているものがないと信じて、その本性をさらけ出した人間というものを観察すること丈けで、十分面白いのです。よく注意して見ますと、ある人々は、その側に他人のいるときと、ひとりきりの時とでは、立居ふるまいは勿論もちろん、その顔の相好そうごうまでが、まるで変るものだということを発見して、彼は少なからず驚きました。それに、平常ふだん、横から同じ水平線で見るのと違って、真上から見下すのですから、この、目の角度の相違によって、あたり前の座敷が、随分異様な景色に感じられます。人間は頭のてっぺんや両肩が、本箱、机、箪笥たんす、火鉢などは、その上方の面丈けが、主として目に映ります。そして、壁というものは、殆ど見えないで、その代りに、凡ての品物のバックには、畳が一杯に拡っているのです。
何事がなくても、こうした興味がある上に、そこには、往々おうおうにして、滑稽こっけいな、悲惨な、或は物凄い光景が、展開されています。平常過激な反資本主義の議論を吐いている会社員が、誰も見ていない所では、貰もらったばかりの昇給の辞令を、折鞄おりかばんから出したり、しまったり、幾度も幾度も、飽かず打眺うちながめて喜んでいる光景、ゾロリとしたお召めしの着物を不断着ふだんぎにして、果敢はかない豪奢振ごうしゃぶりを示している、ある相場師が、いざ床とこにつく時には、その、昼間はさも無雑作むぞうさに着こなしていた着物を、女の様に、丁寧に畳んで、床の下へ敷くばかりか、しみでもついたのと見えて、それを丹念に口で嘗なめて――お召などの小さな汚れは、口で嘗めとるのが一番いいのだといいます――一種のクリーニングをやっている光景、何々大学の野球の選手だというニキビ面の青年が、運動家にも似合わない臆病さを以て、女中への附文つけぶみを、食べて了った夕飯のお膳の上へ、のせて見たり、思い返して、引込めて見たり、又のせて見たり、モジモジと同じことを繰返している光景、中には、大胆にも、淫売婦(?)を引入れて、茲ここに書くことを憚はばかる様な、すさまじい狂態を演じている光景さえも、誰憚らず、見たい丈け見ることが出来るのです。
三郎は又、止宿人と止宿人との、感情の葛藤かっとうを研究することに、興味を持ちました。同じ人間が、相手によって、様々に態度を換えて行く有様、今の先まで、笑顔で話し合っていた相手を、隣の部屋へ来ては、まるで不倶戴天ふぐたいてんの仇あだででもある様に罵ののしっている者もあれば、蝙蝠こうもりの様に、どちらへ行っても、都合のいいお座なりを云って、蔭でペロリと舌を出している者もあります。そして、それが女の止宿人――東栄館の二階には一人の女画学生がいたのです――になると一層興味があります。「恋の三角関係」どころではありません。五角六角と、複雑した関係が、手に取る様に見えるばかりか、競争者達の誰れも知らない、本人の真意が、局外者の「屋根裏の散歩者」に丈け、ハッキリと分るではありませんか。お伽噺とぎばなしに隠かくれ蓑みのというものがありますが、天井裏の三郎は、云わばその隠れ蓑を着ているも同然なのです。
若しその上、他人の部屋の天井板をはがして、そこへ忍び込み、色々ないたずらをやることが出来たら、一層面白かったでしょうが、三郎には、その勇気がありませんでした。そこには、三間に一箇所位の割合で、三郎の部屋のと同様に、石塊いしころで重しをした抜け道があるのですから、忍び込むのは造作もありませんけれど、いつ部屋の主が帰って来るか知れませんし、そうでなくとも、窓は皆、透明なガラス障子しょうじになっていますから、外から見つけられる危険もあり、それに、天井板をめくって押入れの中へ下り、襖をあけて部屋に這入り、又押入れの棚へよじ上って、元の屋根裏へ帰る、その間には、どうかして物音を立てないとは限りません。それを廊下や隣室から気附かれたら、もうおしまいなのです。
さて、ある夜更けのことでした。三郎は、一巡ひとまわり「散歩」を済ませて、自分の部屋へ帰る為に、梁から梁を伝っていましたが、彼の部屋とは、庭を隔てて、丁度向い側になっている棟の、一方の隅の天井に、ふと、これまで気のつかなかった、幽かすかな隙間を発見しました。径二寸ばかりの雲形をして、糸よりも細い光線が洩れているのです。なんだろうと思って、彼はソッと懐中電燈を点ともして、検しらべて見ますと、それは可也かなり大きな木の節で、半分以上まわりの板から離れているのですが、あとの半分で、やっとつながり、危く節穴になるのを免れたものでした。一寸爪の先でこじさえすれば、何なく離れて了い相なのです。そこで、三郎は外ほかの隙間から下を見て、部屋の主が已すでに寝ていることを確めた上、音のしない様に注意しながら、長い間かかって、とうとうそれをはがして了いました。都合のいいことには、はがした後の節穴が、杯さかずき形に下側が狭くなっていますので、その木の節を元々通りつめてさえ置けば、下へ落ちる様なことはなく、そこにこんな大きな覗き穴があるのを、誰にも気附かれずに済むのです。
これはうまい工合ぐあいだと思いながら、その節穴から下を覗いて見ますと、外の隙間の様に、縦には長くても、幅はせいぜい一分ぶ内外の不自由なのと違って、下側の狭い方でも直径一寸以上はあるのですから、部屋の全景が、楽々と見渡せます。そこで三郎は思わず道草を食って、その部屋を眺めたことですが、それは偶然にも、東栄館の止宿人の内で、三郎の一番虫の好かぬ、遠藤えんどうという歯科医学校卒業生で、目下はどっかの歯医者の助手を勤めている男の部屋でした。その遠藤が、いやにのっぺりした虫唾むしずの走る様な顔を、一層のっぺりさせて、すぐ目の下に寝ているのでした。馬鹿に几帳面きちょうめんな男と見えて、部屋の中は、他のどの止宿人のそれにもまして、キチンと整頓せいとんしています。机の上の文房具の位置、本箱の中の書物の並べ方、蒲団の敷き方、枕許まくらもとに置き並べた、舶来物でもあるのか、見なれぬ形の目醒めざまし時計、漆器しっきの巻煙草まきたばこ入れ、色硝子いろがらすの灰皿、何いずれを見ても、それらの品物の主人公が、世にも綺麗きれい好きな、重箱の隅を楊子ようじでほじくる様な神経家であることを証拠立てています。又遠藤自身の寝姿も、実に行儀がいいのです。ただ、それらの光景にそぐわぬのは、彼が大きな口を開あいて、雷の様に鼾いびきをかいていることでした。
三郎は、何か汚いものでも見る様に、眉をしかめて、遠藤の寝顔を眺めました。彼の顔は、綺麗といえば綺麗です。成程彼自身で吹聴ふいちょうする通り、女などには好かれる顔かも知れません。併し、何という間延びな、長々とした顔の造作でしょう。濃い頭髪、顔全体が長い割には、変に狭い富士額ふじびたい、短い眉、細い目、始終笑っている様な目尻の皺しわ、長い鼻、そして異様に大ぶりな口。三郎はこの口がどうにも気に入らないのでした。鼻の下の所から段を為なして、上顎うわあごと下顎とが、オンモリと前方へせり出し、その部分一杯に、青白い顔と妙な対照を示して、大きな紫色の唇が開いています。そして、肥厚性鼻炎ひこうせいびえんででもあるのか、始終鼻を詰つまらせ、その大きな口をポカンと開けて呼吸をしているのです。寝ていて、鼾をかくのも、やっぱり鼻の病気のせいなのでしょう。
三郎は、いつでもこの遠藤の顔を見さえすれば、何だかこう背中がムズムズして来て、彼ののっぺりした頬っぺたを、いきなり殴なぐりつけてやり度たい様な気持になるのでした。
四
そうして、遠藤の寝顔を見ている内に、三郎はふと妙なことを考えました。それは、その節穴から唾つばをはけば、丁度遠藤の大きく開いた口の中へ、うまく這入りはしないかということでした。なぜなら、彼の口は、まるで誂あつらえでもした様に、節穴の真下の所にあったからです。三郎は物好きにも、股引ももひきの下に穿いていた、猿股さるまたの紐を抜出して、それを節穴の上に垂直に垂らし、片目を紐にくっつけて、丁度銃の照準でも定める様に、試して見ますと、不思議な偶然です。紐と節穴と、遠藤の口とが、全く一点に見えるのです。つまり節穴から唾を吐けば、必ず彼の口へ落ちるに相違ないことが分ったのです。
併し、まさかほんとうに唾を吐きかける訳にも行きませんので、三郎は、節穴を元の通りに埋うずめて置いて、立去ろうとしましたが、其時そのとき、不意に、チラリとある恐しい考えが、彼の頭に閃きました。彼は思わず、屋根裏の暗闇の中で、真青になって、ブルブルと震えました。それは実に、何の恨うらみもない遠藤を殺害するという考えだったのです。
彼は遠藤に対して何の恨みもないばかりか、まだ知り合いになってから、半月もたってはいないのでした。それも、偶然二人の引越しが同じ日だったものですから、それを縁に、二三度部屋を訪ね合ったばかりで別に深い交渉がある訳ではないのです。では、何故なにゆえその遠藤を、殺そうなどと考えたかといいますと、今も云う様に、彼の容貌や言動が、殴りつけたい程虫が好かぬということも、多少は手伝っていましたけれど、三郎のこの考かんがえの主たる動機は、相手の人物にあるのではなくて、ただ殺人行為そのものの興味にあったのです。先からお話して来た通り、三郎の精神状態は非常に変態的で、犯罪嗜好癖ともいうべき病気を持ってい、その犯罪の中でも彼が最も魅力を感じたのは殺人罪なのですから、こうした考えの起るのも決して偶然ではないのです。ただ今までは、仮令屡々しばしば殺意を生ずることがあっても、罪の発覚を恐れて、一度も実行しようなどと思ったことがないばかりなのです。
ところが、今遠藤の場合は、全然疑うたがいを受けないで、発覚の憂うれいなしに、殺人が行われ相そうに思われます。我身に危険さえなければ、仮令相手が見ず知らずの人間であろうと、三郎はそんなことを顧慮こりょするのではありません。寧むしろ、その殺人行為が、残虐であればある程、彼の異常な慾望は、一層満足させられるのでした。それでは、何故遠藤に限って、殺人罪が発覚しない――少くとも三郎がそう信じていたか――といいますと、それには、次の様な事情があったのです。
東栄館へ引越して四五日たった時分でした。三郎は懇意こんいになったばかりの、ある同宿者と、近所のカフェへ出掛けたことがあります。その時同じカフェに遠藤も来ていて、三人が一つテーブルへ寄って酒を――尤もっとも酒の嫌いな三郎はコーヒーでしたけれど――飲んだりして、三人とも大分いい心持になって、連立つれだって下宿へ帰ったのですが、少しの酒に酔っぱらった遠藤は、「まあ僕の部屋へ来て下さい」と無理に二人を、彼の部屋へ引ぱり込みました。遠藤は独ひとりではしゃいで、夜が更けているのも構わず、女中を呼んでお茶を入れさせたりして、カフェから持越しの惚気話のろけばなしを繰返すのでした。――三郎が彼を嫌い出したのは、その晩からです――その時、遠藤は、真赤に充血した脣くちびるをペロペロと嘗め廻しながら