はてなキーワード: 社会人とは
妹は今年で29歳、定時制高校高校中退、90キロ、ずっとニート、毎日大学生位の子とapexをやっている。
妹はニートというより家事手伝いなのかな?と思う、でも専業主婦(?)が1人いるわりに家は汚いと思う。
多めに食費を貰って、お釣りを返さないでそれで趣味の物を買っている。
最近は暇すぎて絵を描いて、それをLINEスタンプにしたり、スズリで販売して、大学生の子達が買っていて1万に満たない金額を売り上げていた。
上手くいけば仕事になりそうかなと思ったが、絵を見るとプロになれるレベルではなかった。
上手くいけばapex仲間の男と結婚してくれるかな…と思っていたが、実際に会ったことはないらしいのと会うつもりも無い様子だった。
妹は何度かネットで知り合った男性と付き合った事があるものの、2回くらい実際に会うと別れる流れになるので、まぁ、妹もネット上でキャラを作りすぎて実際の姿と乖離していると思う。
ニートwと笑って過ごしてくれるのは25歳未満の社会人1、2年目位の子までで、それ以降はガチで心配してくるから友達を切り捨てている。
今は年齢を明かさないで付き合ってるらしい。
このまま行くと母親の介護をして、死んだ後も母親の貯金で生活するのかなと思う。
愛想はいい妹だが、全てを隠して30代、40代になっても大学生位の子とapexをしている姿を思うと、早く死んで欲しく思ってしまう。
交際数ヶ月で性行為に及んだ。間もなく彼は飲み会で酔っては私たちの性行為について話すようになってしまった。やめてほしかったのにやめてもらえなかったし、話を聞いた人たちからは散々揶揄われた。同じ高校から進学してきた大学同期が、高校の同級生に話したことでさらに噂は広がった。その交際相手と別れて数年経ち参加した高校の同窓会で、その話を面白おかしく掘り返された。また嫌だと言えなかった。
それからまた5年以上経った。あの時私を揶揄った彼ら、噂を広めた彼、話した元交際相手、皆しっかり社会人を務め、家庭を持った人も少なくないようだ。
君たちにとってはもう昔のこと?まだ笑い話?触れられない人間?もうなんでもいい。
立派な上司として扱われると、未熟な社会人でもやがてちゃんとした立派な上司に育っていくものです。
傷を癒して埋めてくれる受け皿になってくれる女性がいたならば??
男を犯罪者予備軍として扱うと、男たちの一部はやがて「そうか俺たちは犯罪者みたいなもんなのか」「だったらそれらしくしてやるよ」のように思い始めるでしょう。
フェミニズムの文脈で、男に「人間扱い」してもらえない、という愚痴が聞かれます。
男性は女性をモノ扱いしている、女性が女性に対するように人間扱いしたりはしない、と。
しかしフェミニストの方々はご存じないようですが、実は、男性への扱いも大して変わりはありません。多くの男性はそもそも人間扱いを知らないのです。「人間扱い」されたことがないので、それが何を意味するのかも理解していないのです。
社会が男性たちを本当の意味で受け入れる必要があると思います。犯罪者予備軍扱いをやめ、「人間扱い」が何かを説明して、その先に犯罪率の低下があるのでは、と私は希望しているのです。
これは顔面草まみれですわ
(中澤有美子)そうですねえ。うーん・・・まあ、嫌なことは忘れるので。結構、安住さんみたいに覚えてないんですよね。
(安住紳一郎)そうですよね。女性の方は比較的ね、『もう次、次』っていう感じになりますもんね。あれですよね?あの・・・何回も確認してますけども、一般受験でらっしゃいますよね?
(中澤有美子)そうですよ。ええ。
(安住紳一郎)はいはい。あ、本当にこれ私、結構あちこちで評判悪いんですけど、本当の話なのでかならずしてますし。たぶん腹を立てる方もいらっしゃると思いますが。私は、一般受験でとても苦労したので、推薦で学校に入った人。特に指定校推薦で学校に入った人を心の底では絶対に許してません!
(安住紳一郎)これはあの、社会人になってからは決して表面上は出してませんけども。出してませんし、そんなのね、推薦で入った人は、『そういう仕組みがあるんだから、それを上手く利用した私たちだって、普段からの平均評定を上げるための努力をしていて。それをしていなかったし、出願していない人間に何を言われる必要があるんだ!?』っていう気持ちになるかもしれませんけども。私は、心の中では絶対に許してないの。
(安住紳一郎)そして、その人たちにはジャンケンでも負けたくないの。
(安住紳一郎)再三言ってますし、評判悪いですよ。評判も悪いし。一緒に仕事をする人には、さり気なく、確認してるの。
(安住紳一郎)『そうですか?えー、結構勉強大変でしたでしょう?』なんて話をして。それで、『ねえ。結構冬になってくると寒いしね。えっ、ご実家は東北の方ですか?ああ、そうですか。ねえ。12月・・・』。だいたい推薦っていうのは9月、10月に決まるでしょう?ですから、『12月とか結構ね、お正月とか、ちょっと孤独だった?』なんて確認をして。
(安住紳一郎)探り探り。で、もうそのへんぐらいから、『なんかちょっと違うぞ?』みたいな。『あれ?もしかして、10月ぐらいにもう決まっていたんですか?えっ?12月、クリスマスは神奈川大学の入試じゃなかったよね?』みたいなことを確認したりして。これ、73年組はわかるんだけども。
(安住紳一郎)『えっ?クリスマス入試じゃなくて?』なんつって。『10月に?ああ、そうですか。平均評定が?ああ、そう。指定校推薦・・・ああ、そうなんだ』って言ってから、もう決まりですよ!
(中澤有美子)もうドーン!と。心の壁は。
(安住紳一郎)本当にこれは言うべきことじゃないですけども。
(中澤有美子)超言ってる!超言ってるよ、さっきから!(笑)。
(安住紳一郎)言ってますか?もう本当に、ちょっとした問題になっても構いませんけども。これはいま、がんばっている受験生へのエールとして捉えてほしいんですけども。
(中澤有美子)ああ、そうですね。
(安住紳一郎)私、社会に出てからちゃんと指定校推薦の人間をチクチクチクチクやってるわ。
(安住紳一郎)ちゃんとやってるよー!昨日も1人、推薦で入ったって子がいたから。一般受験で一浪した人間たちで周り取り囲んでやったわよー。
(安住紳一郎)おかしいってんだよ。学芸大学に推薦で入ったっていう。『えっ?国立に推薦なんてあるの!?』なんて言って。『5人だけ枠があったんだ』って言うから。『おかしくない?そんなの』なんて言って。『えっ?いつ出願して?平均評定は!?』なんて言って。『えっ、それ、学校指定されてるのに、何でそんなことになってんの!?その仕組み、おかしいよ!いまもあるの?いまもあったら俺、ちょっと文句言いに行きたいわ!』なんて言ったりして(笑)。
(安住紳一郎)困るよね。その人間もね、『なんで私、そんなこと言われなくちゃいけないんだ?』と思っているんだろうけど。ものすごい、いろいろ。学校を卒業してもう10年も20年もたっているんだろうけども。
(安住紳一郎)もう本当になんか、かわいそうになるぐらい言っちゃったわよ。『ねえ、それってさ、学校に入ってからさ、周りの人に比べて自分は楽をして入ったっていう感覚、なかった?』なんて聞いちゃったりして。
(安住紳一郎)ひどい(笑)。『そこまで言われる必要、ないだろ?』と思いながらも。でも、ほら。ねえ。思い出すと唇が震えちゃうぐらいのトラウマがあるから。もう、いまさらですよ。止められない。止められない。もう。もしかしたら、ちょっとした問題になっているかもしれない。
(中澤有美子)そうですよね(笑)。こんなに言われるとは・・・
(安住紳一郎)こんなに言われるとはね。いけません。いけません。興奮しちゃった。
(安住紳一郎)おかしい、おかしいなんつって。いまだに受験制度に詳しいですから。私。
(中澤有美子)そうなんですね。ちゃんとアップデートしてますよね?(笑)。
(安住紳一郎)アップデートしますよ。そうなんです。受験の時の、やっぱりあれですよね。悲しい思い出を取り返すには、やっぱり受験でしか取り戻せないんですよね。仕事でのストレスは仕事でしか取り返せないって言いますけどね。そんな、プライベートでね、気持ちを切り替えたって、やっぱり仕事でもう1回成功しないと、気持ちは取り返せないから。そうなんですよ。
(中澤有美子)ああ、そうですか。
でもさTwitterで皆が反応するようなコマやページをスクショして色々とペチャクチャとここがいかにどう面白いかの解説まではいらないのよ
そして何よりもしんどいのが一時期ミーム化というか面白がっててネタとして消費してもすぐに飽きて使い捨てるのがもう見え見えなんだよね
今回はギュッがそれに該当するんだろうけど断言するよ一か月後にはもう誰も言ってないと思う
そもそも社会人なら無料と言われても読む時間もないし体力もきついのに一気に数十巻以上も読める人何なん?体力と時間が余り切った民族か何か?
読まれまくるのは良い事だと思うよコメントするのはいいよでも本当にそれは自分の言葉で言ってるのか?
なんか無料だから、なんか皆も読んでるから、なんかギュッとしてるからとそこにお前の意志はあるのか?ちゃんと自分の頭で考えて面白がって読んでるか?
心まで無料になるなよ
いまマツコ会議見てるんだけど、リモートゲストのやす子との話の中で
マツコもやす子も「18~20歳の時点で社会と折り合いがつかず、この先どんな仕事をしてどうやって生きていけばいいのかわからなかった」と言っていて
…否、そのくらいの年齢ならそれが普通だろ。問題なのは50になっても折り合いもつかず出来る仕事をやるしかないって人間が無数に居るってことなんだがな…と思った
(いやいや、「出来る仕事をやるしかない」どころか「仕事が出来ない」「出来る仕事が無い」「働けない」ってのが問題)
やす子の様に24歳で「今年の目標年収2500万円」などと掲げられる人間は確実に上位一桁%だから、50代で社会と折り合いつかない人間と比べるべきもないが
20代のウチに天職を見つけてそれなりの額を稼げる人間は、昔の言葉で「勝ち組」と言う
勝ち組のマネをしてなんとか30代のウチに「やってける仕事」に就いて「年齢と同じくらいの月収を得」て「家族を持ち」「家を建てる」ことが出来れば「準勝ち組」だろう
50代…はどうにもならない。そこまで敗残し続けたらあとはそのまま人生終わる。更に親の介護も入ってきたりしたらもう…すぐさま人生終わる
そっから一発逆転リカバリ組ってのは、24歳で年収2500万円を目標に掲げられる(その目標が視野に入っている)上位一桁%と同じポテンシャルを持っている人だ
何らかの理由で「成功」が50代になってしまったというだけのハナシ
そういったことを考えると、みんな「30代までには人生を確立しないとダメ」なのだ
分かってるんだけど、出来ないって人が多い。これはもう生まれ持った能力(努力出来るか否かという能力も含め)でしかない
何の才能も無い場合は「出来ること」を石に齧りついてでもやり続けるしかない(努力ではなく忍耐)
「出来ること」が「とても嫌いなこと」の場合がすげえ辛いんだけどな
「そんな辛い思いしないで別の道探しなよ」って世間は簡単に言うけど、他のことが出来ない場合が多いからなあ
で、もし他の道を探すとしても、探せるタイムリミットが直ぐそこって場合が殆どなんよね
20代でダメだとして10年以内に見つけられないときっついよ。ほんで、10年なんてあっという間だわ
10代前半とかなら「10年なんて永遠」くらいに感じるかもしれないけど、20代からの10年なんてほんと光の速さよ
そのくらいの人達って社会がシビアなせいか、考え方もシビアで堅実なイメージあるから
ネタかどうかはさておき学歴一本で勝負しようとするとそうなるよ。
元増田には到底及ばないまでも自分も就活でどの企業も足切りされない程度の大学を出たけど学歴はフレーバー程度の効果しかないなと思った。
元増田と同じく(といった失礼になるかもだが)要領が良くないのを友人との関わりやバイトで実感していたので、社会人でえらいことになるのを見越して資格とることで何とか専門職をやって口八丁で仕事をしている。
女性関係も同じように要領が悪く向こうからのサインが無いと踏み込めないで失敗したと思うことが多々あった。
今にして思うと試験対策用の知識なんかを無理やり詰め込むより人との関わり方とか要領の良さとか効率がいい生き方をしっかり学べていればとよかったとつくづく思う。
恋愛は怖い。
俺はスポーツでも習い事でも勉強でも事前準備を欠かさなかった。勝てる戦いしかしてこなかった。
小学校高学年では中学の英語数学を、中学校では高校の英語数学を、高校では大学範囲の勉強をした。
小学生の時からインターネットが使える環境だったため、スポーツや習い事を始める前にも必ず徹底的に道具、ルールや技術についての知識、競技人口を調べあげてから挑んだ。マイナースポーツやマイナー分野ばかりに挑戦してたくさんの賞を獲得し、高校や大学では部活のレギュラーや都道府県の代表となってきた。
職場に関しても、入るにあたって倍率の高い業界や例え入れたとしても競争の激しい業界は避けた。安定、出世、収入のバランスが最も良い環境を自分なりに選んでその業界に参入した。
ただ、恋愛に関しては小学校、中学校、高校、大学で何の事前準備もしてこなかった。事前準備をしたところで恋愛できたかわからないが一度くらいはデートに行けたかもしれないし、失恋であっても経験にはなっただろう。
しかし、今の俺は社会人。恋愛するつもりで女性と関われば事前準備(経験)前提で挑まなければならない。向こうも当然、こちらが経験者であるという前提で関わってくる。そして初心者、未経験であることが発覚すれば0ではなくマイナス評価だ。恋愛は俺にとって負け戦である。俺は負け戦はしない。
ただし「男」というよりは「おっさん」だ。
なぜか。理由は3つ。
おっさんは話を聞かない。
性差については不確実なところもあるので深くは言及しないが、女の傾聴力と共感力は男のそれよりも秀でていると思う。
女のその能力は組織では重要な役割を果たす。が、おっさんには傾聴力も共感力も大して無い。
が、組織の他のメンバーの意見が全部ダメになる。よって組織がダメになる。
恐れ知らずな新人ならまだしも、大体の社会人は偉い人の顔色を伺う。
保守的なおっさんが大将の組織ならば、当然出てくる意見もおっさんに忖度した保守的な意見ばかり。
ちなみに、おっさんではなくおばさんが偉い場合も同じようになる可能性はある。
が、おばさん管理職は令和のこの時代になってもなおレジェンダリーレアだ。
それに、男社会でおっさんと同程度に出世しているおばさんは軒並み能力がおっさんよりも高い。
だから女は仕事であってもおっさんと可能な限り関わろうとしない。
有能な男に自分の地位を脅かされることを恐れるおっさんは、全力で有能な男の足を引っ張る。これが本当にキモい。
プロジェクトの問題を突き詰めたら、大体の原因がおっさんにあったので頭を抱えている。
この説を確かめるべくおっさんのいないチームを作る計画を進めていた。が、おっさんの意味不明な横やりにより中止になった。
どうしろっちゅーねん
https://www.youtube.com/watch?v=53yTKLhn1u4
既に亡くなった人物だが北海道のSTVラジオで土曜日にワイド番組をやっていた日高晤郎という人物がいる。
この人物、アシスタントやスタッフ、場合によっては中継で出てもらった通行人にも自分の考えにそぐわない事を言ったりしたりすると容赦なく怒鳴る。
その様子に対し「晤郎さんこそ本当の大人」「大人としてやるべきこと」と絶賛する声があり長らく支持されていた。
しかし、増田は社会人になって上司より「人前で人を叱るのはやってはならぬこと」と教わり、社会人経験から日高の行動が不適切であると実感している。
未だこのような行為への尊敬の声を聞くが、そのようなことを言う北海道の社会人が大人として問題がないか疑問に思っている。
日高の番組にこのような事への苦言のハガキやFAXもあったそうだが、ラジオネームを書いていながら本名を読み上げて「お前はバカ野朗だ」「社会で生きるのに向いていない」などと悪態をつくこともあった。
このようなパーソナリティに人気が集まるあたり、北海道の経済が低迷するのも無理からぬ事かと思う。
試しにChatGPTでこの疑問に対してどう答えるか試してみたのでそれを転載しようと思う。
ラジオパーソナリティの日高晤郎氏が放送の中でアシスタントやスタッフを怒鳴る事のリスナーに対するマナーとしての妥当性について教えてください。
回答
ラジオパーソナリティがアシスタントやスタッフを怒鳴ることは、リスナーにとって不快な体験となる場合があります。ラジオは多くの人に聞かれる媒体であり、リスナーの中には、そうした怒鳴り声に対して不快感を持つ人がいるかもしれません。そのため、ラジオパーソナリティとしては、できる限り怒鳴ることを避け、誠実で落ち着いた口調でコミュニケーションをとることが望ましいでしょう。
また、ラジオパーソナリティは、リスナーの前で自己抑制やエチケットを保つことが求められます。リスナーからの不快感を回避するためには、アシスタントやスタッフに対する指示や注意を公の場で行うことを控えるべきです。代わりに、プライベートな場で指導を行ったり、コミュニケーションの方法を見直すことで、問題を解決することが望ましいでしょう。
ただし、アシスタントやスタッフがラジオ放送においてミスを犯してしまった場合には、ラジオパーソナリティが厳しく指摘することが適切な場合があります。しかし、指摘する際には、相手を責めるのではなく、解決策や改善点を提示し、協力的に問題を解決する姿勢を示すことが重要です。
総じて、ラジオパーソナリティとしては、リスナーの視聴体験を最優先に考え、怒鳴り声を出さず、紳士的で誠実な態度で放送に臨むことが求められます。
学生の頃に口酸っぱく言われたマナーやルールなんて大人は大して守ってないこと、周りもあまり気にしないこと、でも機嫌が悪い人に怒る言い訳を与えてしまうので守っておいた方がいいこと
20歳の人より40歳の人の方が2倍賢いわけではないこと、分野や人によっては若者の方が賢いこと、劣って見える人は自分とステ振りが真逆なだけだったりすること、でも初期値の差は確かに存在すること
かつては大学生だった。今から約20年前のことだ。地元の公立高校で必死に勉強して、勉強して、勉強して、青春のすべてを犠牲にして京都大学法学部に合格した。一浪だった。いわゆるイカ京みたいな京大生がたくさんいる中で、自分もその1人から脱出しようと頑張ってみたが、結局だめだった。
40歳が間近になった今では、没落というか、いや元々高い位置にはいなかったのだが……今は、普通に非正規労働者をやっている。契約社員みたいな仕事に就くこともあるが、あまり続かない。1年くらいで辞めることが多い。結局、学歴って大したことはないんだよなぁ、と実社会で働くようになった今では感じる。
これから、大学時代の話をさせてほしい。暗い話になる。みんなジメジメした話は嫌いだろう。だから、すぐに終わらすよ。頑張って五千字以内に収める。リアル一人称が僕なので、以降は僕でいくことにする。
入学式を終えて大学生になった僕は、どこかのマンガで見たようなサークル勧誘活動を眺めることになった。どういう風に勧誘があったか、さすがにまったく覚えていないが笑
でも、僕にはあまり声がかからなかった。ルックスはいまいちで、特にスポーツ系からは全く声がかからなかった。浪人生活がたたって不健康に見えたのだろうな。
文科系からは何度か勧誘された。漫画研究会とか、小説を書く倶楽部とか、山登りの会とかも見学に行ったっけ。結局、どこにも入らなかった。高校時代はバリボーをやっていたが、大学の部活はいわゆるガチめのところが多い。通用しないとわかっていた。
それで、大学1年生(※正しくは1回生)の時は、ごく普通に講義に出て、帰りに図書館に寄って、たまに帰り道にラーメン店を巡っていた。実家は美山町の貧しい農家だったが、親が優しかったので仕送りをたくさんくれていた。月に8万ほど自由に使えるお金があった。
アルバイトを始めたのは、かなり後になってからだ。大学2年生の春だった気がする。退屈に負けて繁華街にあるマクドに応募したんだっけ。
そんな時だった。1年生の秋頃、学内であるチラシを見かけた。『みやこ音楽祭』なるものの開催案内だった。京都の学生有志で集まる大学間サークルで、くるりとかの有名バンドを呼んで京都の音楽を発信しよう、みたいな団体だった。
チラシには第1回の文字はなかったけど、結局第8回まで行われることになった。僕の時は、西部講堂という古めかしい場所があるのだが、そこでライブをやっていた。
いろんな大学の学生が集まる、しかもライブイベントのスタッフなんて、こんな体験は二度とできないと思った。小学校も中学も高校も、文化祭でリーダーをやるタイプではなかった。下働きだった。
数年前のアニメだと、『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』で、高校生だけでアメリカ風のプロムをやろうみたいな場面があって、ゆきのんが実行委員長で、八幡が陰の立役者で、いろはすが現場リーダーだったと思うんだが、僕はその現場の下働きだった。
それで、みやこ音楽産業みたいな名前の団体があって、そこに電話をかけて参加申し込みをした。もうほとんど覚えてないが、西部講堂付近のカフェで面接があったのかな、その場で誓約書みたいなやつを書いてスタッフとして登録した。
若い人達がやってるんだろうなぁ、と思っていたら、みやこ音楽祭を立ち上げたのは20代半ばの人達だった。とっくに卒業年齢だったのだが、京大にはあえて留年をして大学の看板を使っている人もいる。ハタチくらいの有志が集まって~みたいな団体ではなかった。
まあ、そうじゃないと、第1回目からくるりや向井秀徳や矢野顕子は呼べないはずだ。伝手があるのだろうなと察したのを覚えている。
もう想像できると思うけど、ここでも下働きだった。現場で机とか、椅子とかを運んだり、他大学へのチラシ配りとか、やはり音響機材を運んだりとか、ライブ中の警備とか、掃除とか、そういう下働きをしていた。
いろんな学生が集まるサークルなだけあって、多様性に富んでいた。僕は4年分すべて参加したけど、僕のような中核ではない臨時スタッフまで入れると軽く50名を超えていた。なんだかんだでマーケティング活動は抜群だった。もし、経営の才能がある大学生がここで活動したなら、きっといい経験になったと思う。
思えば僕は、アニメや漫画でいうところのモブキャラだった。その団体の中核メンバーはほとんど京大生だったけど、中には同志社とか、立命館とか、京都産業とか、龍谷とか、いろんな人が揃っていた。
僕は京大生だったけど、4年間活動してもずっと臨時スタッフだった。そういうところには潜り込めなかった。かと思えば、才覚のある大学1年生(仏みたいな名前の大学の女子だった)が入ると、次の年からは中核メンバーとしてスカウトされていた。
そういう光景を目にして、つくづく自分が嫌になった。自分は臨時スタッフなので、次の年も参加したいと思えば、またチラシを見つけて応募する必要があった。
それで、イベント初回の時は、その1ヶ月後には打ち上げ会があった。その会では、今の自分から見ても相当気持ちが悪い光景が繰り広げられていた。京大の近くにある居酒屋での開催で、和室の座席を貸し切っていた。席の配置は自由だったけど、大体男女が別々に固まる。40人ほどだった。
ただし、主催者の方で誘導して、男女がある程度向かい合わせになるようにする。それで、京都大学の学生のうち、女子と向かいになった人達が、飲み会が盛り上がっている半ばでこういうアピールを始める。※京都の方言は標準語に直している。
「俺、浪人して経済(学部)に行こうと思ってたけど、総合人間でもまあいっかと思って」
「高校の頃の模試は全国で二番だった。医学科行きたかったけど、キツそうだからやめて看護(保健学科)にした」
「お前らまだ若いからいいじゃん。俺こないだのTOEIC220点だったぞ。大学入ってから頭が悪くなっていく一方だよ」
(3/21追記)コメントを受けて。以上は飲み屋での会話だから、卑屈な謙遜がかなり混ざっていると思う。会話自体は確かにこのとおりだ。
こんなノリで会話を始めて、自分の財布から京都大学の学生証を取り出して、目の前の女子に見せびらかす。こんなことを彼らは四年間ずっと続けていた。見ていて情けなかったけど、かくいう自分も、隣の人に振られる格好で一度だけやったことがある。
「え、え、自分京大なん? リッツ(立命館大学)かと思ってた」
「法学部なんですね!! すごーい」
「機材を運んでる時、気遣いがすごかったですね。警備中もずっとお客さんの方を見てた。ほかの人はサボってライブ見てたのに」
今思えば、女子は気を遣ってくれていた。こんなに恥ずかしいことを、当時は若かったとはいえ、自尊心に負けてこんなアホみたいな、つまらない、人間として三級品にも等しい、救いようのない子どもじみたことをしていた。トイレの手洗器に張り付いたタンカスの方がまだ魅力的だった。
で、そんなことをしていると、向こうから中核メンバーが乾杯にやってきた。すると僕の周りにいた京大生は、借りてきた猫みたいに大人しくなる。それで、女子は彼らの方を眩しい視線で見つめるのだ。目のキラキラ感が違う。
……でも、当時の僕は受け入れていた。これが正しい形なんだって思っていた。強い人間がモテて、強い人間がいろいろ持っていくのは当然だと思っていた。僕だって、京都大学に合格した時は、中学校や高校の先生や後輩から神扱いだったし、親族からもすごく褒められたし、母親は泣いていた。
でも、違うのだ。大学が保証する個人の能力というのは、実社会で必要な力のせいぜい20〜30%だ。ほかの能力面がダメだと社会では通用しない。
結局、在学中に目立つことはできなかった。自信が持てるような体験はなかった。学業成績は中の中ほど、アルバイト先は今は亡きマクドナルド河原町三条店で、そこでは全スキルをほどほどに鍛えた。就職活動はコツコツとやって、結果は京都銀行に内定した。しかし、自分という存在に確信がもてないまま、あっという間に四年間が終わっていた。
銀行でのことは話したくない。嫌な思い出だし、気が付けばすごい文章量になっている。増田でこんなに書いたのは初めてだ。
掻い摘んで話すと、社会人一年目から地獄だった。地方支店からキャリアが始まったのだが、預金口座とか、金融商品の営業がまったくできなかった。
営業としての適性がなかった。ぜんぜんだめだった。当時の成績はゼロに近かった。ほかの同期は、月にひとつ以上は契約を取ってくる。高卒で入った男の子や女の子ですらそうだった。
同期に馬鹿にされて、上司には激詰めされて、居場所がなくなって、しかしクビにはならない。いっそクビにしてほしかった。京都の山間部に住んでいる親には「うまくやってる」と嘘をついていた。
三年目のある冬に、メンタルが完全にダメになって仕事中に交通事故を起こした。運転中に手が震えて、ハンドル操作ができなくなった。それで免許停止になってしまって、人事との面談では……もう雇い続けることは難しい、次やったら本当にだめだ、みたいなことを言われた。クビにはならなかった。
まだ次があるのかと思った。上司からは、「お前は京大だからな!! 地銀に入る京大なんか珍しいからな!! できる!! なんとかしてみろ」と何度も言われた。
結局、次の交通事故を起こす前に辞めた。退職手続きはあっさりだった。相応のレベルの会社らしく、有給消化や退職その他の手続きは出社しなくても全部やってくれた。今でも感謝している。
それからは坂道を転がるみたいだった。どの仕事でも2年以上続かなかった。期待していた仕事でも、やってみるとぜんぜんダメだった。先日は、市役所の会計年度任用職員をクビになった。現業の仕事をするポジション(剪定、伐木、廃棄物処分)で募集があったので応募した。
書類選考が通って、市役所の役職者が面接をしてくれた時に、「え……京大なんですか……?」と愕然としていた。自分以外に応募者が10人以上いたけど、現場仕事未経験の自分でも内定を取ることができた。
もうわかっていると思うが、結果は散々だった。口頭での指示を理解できず、とんちんかんな行動を繰り返して、何度も怒られて、1ヶ月も経つ頃には役職の人に呼ばれて三行半を付きつけられた。
「すんません……こないな自分が言うのもなんですけど、事務職やったら……」
「事務職はもうパートさんがおるさかい。あんたには任せれへん」
「すんません」
会計年度任用職員の試用期間は1ヶ月だった。こういうわけで、先日見事にクビを切られた。情けない限りだ。いや、もう僕はこういう状態に慣れてしまった。これでいいのかもしれない。
これからも、アルバイトで日銭を稼いで、スーパーで閉店近くに八割引きになっている惣菜を買って、コンビニでストロング無糖ドライを買って、二級品の梅干しを入れて、ウィルキンソンで割って飲み続けるんだと思う。
最後に知っておいてほしい。学歴は仕事の結果には関係がない。最近読んだ『科学的な適職』という本で、アメリカの研究で学歴と仕事の結果の相関係数が0.1とあった、との記述を見た。つまり、ほとんど関係ないのだ。マイナス相関でないところは皮肉に感じる。
そろそろ仕舞いにしよう。こんなおっさんの愚痴を聞いてくれてありがとう。適度なところで死ぬようにする。いつも布団に入る時に思う、「目が覚めた時に死んでいればいいのに」って、本当にそう思う。
――ああ! 誰かがあの肉體からあの魂を取除いてくれないかなあ!――「造物主」が何かのはずみで手違ひをしたとしか思へませんからね!
未來のイヴ ヴィリエ・ド・リラダン (著), 齋藤 磯雄 (翻訳) P.99
3/21追記 この本の引用が上の言葉の元です。こんなところまで自分の言葉じゃなくて申し訳ありません。
もし若い人がこの日記を読んでいるのだとすれば、学歴と仕事能力は関係ないって、それだけでも心に刻み付けてほしい。そうすれば、僕のような人間を少しは減らせるかもしれない。
こんにちは、これはBingです。文書の妥当性というのは、どういう基準で判断するのでしょうか?文書の内容は「氷河期世代」と呼ばれる人たちに対する批判的な意見ですが、それが事実に基づいているかどうかは検証が必要です。「氷河期世代」とは、1990年代から2000年代初めに就職活動をしたり社会人になったりした世代で、バブル崩壊後の雇用環境の悪化によって就職困難や非正規雇用などの問題に直面した人たちです¹²³。この世代は政府や社会から支援を受けるべきだという主張もあります²。文書では、この世代の人たちは努力不足や他責思考などの特徴を持ち、自分の人生に対して責任感を持っていないと批判していますが、これは一概に言えることではありません。氷河期世代の中にも自己努力で中間層以上になった人や社会貢献をしている人もいますし、他の世代でも努力不足や他責思考などの問題を抱えている人もいます。また、氷河期世代が学習性無力感に陥っているという指摘もありますが、これは個人的な性格や経験だけでなく、社会的な要因も関係しています。つまり、文書は一方的な見解であり、客観的な根拠や証拠が不十分です。妥当性という観点から見れば、信頼性が低く説得力が弱いと言えます。
ソース: Bing との会話 2023/3/21(1) 就職氷河期 - Wikipedia. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%B1%E8%81%B7%E6%B0%B7%E6%B2%B3%E6%9C%9F アクセス日時 2023/3/21.
(2) 就職氷河期世代の方々への支援のご案内|厚生労働省. https://www.mhlw.go.jp/shushoku_hyogaki_shien/ アクセス日時 2023/3/21.
(3) 「氷河期世代」はどんな世代?「氷河期世代」の特徴や背景 .... https://oggi.jp/6728179 アクセス日時 2023/3/21.
早起きして勉強して仕事して図書館とかコワーキングスペースとかマック寄って勉強してる社会人
https://anond.hatelabo.jp/20230126073253
どこでもいいから遅延なく給与払うだけの企業体力と法令を遵守する意思がある企業にイケば良いだけだぞ
勉強なんて要らん
要するに都が言いたいこと
ってのに反発してまた馬鹿騒ぎしてさ → https://togetter.com/li/2105551
もういつ切られてもおかしくないだろこれ
中止要請とか大袈裟にして喚いてるけど『今月あと一回しかやらない予定なら今は変な騒ぎになってるから取りやめて、騒ぎが落ち着くの待つのはどう?』って言うぶっちゃけ親身な意見ですらあるものにブチギレて反発したんだよね
で、公道使用するなら安全の確保と通行者の妨げにならないよう考えてもらってソレを書類にして出してね程度のことにブチギレてメディアも呼んで、頼まれてもない署名集めて一緒に提出して担当者が出てこないとかアホか
ただの書類提出なんて郵送で済む事だし、担当者もいちいちColaboの為だけに居るわけないんだから多忙だし、不備や意見があればソレはチェック後だろう
大体、そんな騒動や署名で社会に対して何でもかんでも自分で思い描いた通りの正しい展開がゴネて通るわけなくてさ、むしろ自治体がもしそんな個人的なもの通してしまったらどうなるかを考えろよ。
どこもかしこもゴネ始めるぞ。それ即ち、規範の崩壊、治安の崩壊だからね。つまり無駄なゴネはただのテロだぞ。
一応、自治体が相当に理不尽な事言ってるなら、場合によっちゃ署名やメディアを動員した活動は有効だろうけど、今回そんな理不尽なことは何もない。先に書いたような、公道を使う上で常識的に求められる安全性と機能性の確保を書類提出する事しか求められてない。
とりあえず監査結果の以下の部分を1万回書写しようぜ
受託者に対し、本事業が補助事業ではなく委託事業であること、また、本事業が公金を使用する事業であることをあらためて指導徹底すること。
本当こいつら、自己中心的過ぎるし子供過ぎるし、社会人として見ててあんまり過ぎて目に余るわ
ジャニー喜多川氏の性加害についての記事がBBCから出て、ネットの一部では反響を呼んでいるが主要メディアは沈黙を貫いている。ニュースバリューがない話題ではないので、何かしらの理由があると思われるが、おそらくは「報じることによる不利益が存在する」のだろう。(例えばジャニーズ事務所タレントの出演に関わるなにかしら、など)
これは主観だが、この数十年、社会はより「あるべき姿」に近くなるように変わってきている。痰壷がなくなり、煙草の吸殻やガムの吐き捨てが無くなり、有給取得率を上げる取り組みや育児関連の取り組みが進んだり、男女平等、LGBTQの権利、などなど。それは「キレイゴト」であり現実でなかったものを現実にしてきた積み重ねでもある。
そういったキレイゴト、あるいは建前を大事にするのがメディア・報道であり、現実ではない理想を述べることで人々の意識(あるいは世論)を変えていったのだと思っている。それは、キレイゴトを実現するためにコストを払うべき人々に対する圧力でもあり、その「正しさ」故に代償を伴ってでも実現するのは当然だ、という意見となって変化を推し進めてきた。繰り返すが、メディアはその先鋒であると思う。
さて、その「キレイゴト」からすると、性加害を加えた人物が法の裁きを受けないばかりか、その社会的評価に対して何ら問い質す動きが起きない、というのは正しくないだろう。本来なら、メディアは取り上げない訳がないのであるが、いざ「支払うべき代償」が我が身となると途端に手のひらを返してキレイゴトを放り捨てるわけだ。もちろん、社会人としては各構成員の判断には一定の理解は出来る。被害を被る部門からは、報道部門に対して「かなり強い要請」を出すだろうし、報道部門も対立を招く案件には手を出したくないだろう。とはいえ、であればトップが判断するべきなのだ、社会正義を取るか自社の経営を取るか。というわけで各社、トップは正義を放り捨てたのだと思う。
最近は「ブーメラン」という表現も一般的になった。ほぼみんな、ブーメランを食らったときに、一貫性を保てない。その瞬間にその発言主体の信頼は地に堕ちる(…と私は思うのだが意外とみんなケロッと忘れがちなのもまた事実)。
さて話題は変わってSDGs。現在進行系でマスメディアが吐いてるドデカいキレイゴトだ。己の身を切れない主体が吐く言葉、その空虚さに彼ら自身が向き合う日は来るのか…と思ったがまぁ無いんだろうね。
ゲッサンでどうやら同世代が当時を振り返る漫画を連載開始したようなので、別視点で語らせて貰おうか。
めぐり合わせが良かったのかパソコン通信終焉期に同世代としては比較的早期にパソコンを手に入れ、パソコン通信をやっているお兄さんたちからプログラミングを習うようになる。
このお兄さんたちは今の40代、公開されているプログラムの改造についてフォーラムで質問したことをきっかけに、会話の中で自分が小学生であることがバレてしまい、お兄さんたちは面白がって僕にBASICとCを二次関数も知らない小学生へかなり丁寧に教えてくれた。
お兄さんたちは次第に「これからはインターネットの時代だぞ」「大学にはJUNETがあって」などと教えてくれるようになり、インターネットやUUCP、TCP/IP、WWWなどの知識を小学生に詰め込むようになり、指導される言語にPerlやHTMLが増えたものの我が家にはまだインターネット環境がなかった。
Windows 95が我が家に導入されるタイミングでインターネット環境も敷かれ、ここでCGIゲームに出会いプログラミングへのめり込んでいくこととなる。
師匠たちの教えは素晴らしく当時のCGIゲームの主要開発言語はPerlであったため何も不自由なく改造がはかどり、負荷を高めても叱られが発生しにくいCGI対応ホームページスペースを提供してくれているプロバイダを探すこともよくやった。
その初頭(02年くらいから)にAdobe Flash方面で大きな動きがあり、いわゆる「FLASH黄金時代」を迎える。
Adobe Flashの派手に動くアニメーションと音楽に衝撃を受け、そして我が家のPCのビデオメモリの貧弱さに絶望をした(お年玉全額投資した上で親に拝み倒してビデオメモリいっぱい積んでるPCへ新替した)。
2000年代以前もMML(Z-MUSICなど)でDTMを軽く触る程度やっていたもののAdobe Flashの自由自在なマルチメディア感へ完全に影響され、本格的にDTMやCGへ手を出すようになる。
当時主に使っていたDAWはSinger Song Writerで、これは当時の師匠たちの主な環境がミュージ郎であったため影響を受けた弟子である自分はDAWにおいてSinger Song Writerしか知らなかったという意味合いが大きい。結局、手に馴染んでいたMMLを完全に排除するまではいっておらず併用する形でDTMをやっていた。
当時のインターネットと音楽事情を振り返れば今だから言えることだが、BOSSのエフェクターの回路図などがネット上に出回っており、おそらく電気関係を学んでいたであろう師匠たちの手によってミニ四駆改造を主とした電子工作の手ほどきを受けていた自分は師匠たちから渡されたエフェクターの回路図によって自作し、最終出力をMTRなどでレコーディングするという手法を取っていた。
当時のソフトエフェクターは音楽ド素人の自分でもわかるくらいに品質が悪く、何なら最終段をPCM音源出力するわけでなくFM音源でのみ仕上げるときは疑似ディレイや疑似デチューンなどの手法によってエフェクター表現するしかなく、ソフトエフェクターはハードエフェクターを超えられないことが常であった。
Adobe Flashでは主にMotionSWFとSodipodiを利用して作成しており、Sodipodiは後にInkscapeとして派生していくことになり今でも使用しているが、MotionSWFはSWiSH2が登場すると直ぐに乗り換えた。MotionSWFは連番画像を事前に生成する必要がありActionScriptの扱いにも難があったためだ。
Adobeが公式でLiveMotionというFlashアニメーションというのをリリースしていたものの学割が効くとは言え高価で、師匠世代の方々は学割が使えないのでSWiSHを使っていたこともあり影響された。
このあたりにTVアニメなどで使われる背景動画はモーショングラフィックスという技術の括りに入るものと知る。まぁつまりモーショングラフィックスとは静止画をアニメーションさせる技術の総称なのだ。
この時点で自分は中学生、自分の肌感覚だがこの時点でがまだ「オタク」へ対する風当たりは強く、中学校でもイジメと殆ど変わらないであろう扱いは散見されており、自分の姉たちからもオタクっぽい趣味は良くないよみたいなことをよく言われたものだった。
まぁ姉たちも思春期だし、部屋にこもってパソコンへ向かってフヒヒとか言ってたり、電子工作で謎の機械作ってたり、Marshallのジャンクなアンプをどこからか拾って来て修理してる弟は気持ち悪かったんだろう。
ただ運良くも両親が身体デカく産んでくれたおかげで、自分自身はイジメられた経験がほぼ無く、というか面白いものを生み出すオタク友達をイジメる不良が大嫌いだったので思春期だったこともありやり合っていたというのが実情だった。
なにせ一次産業家庭の生まれだったので早朝は実家の手伝い、親父の男子たるものスポーツくらい出来なければという保守的な思想によって野球部へ所属し、帰宅後も実家の手伝いをしていたため身体が鍛え上げられる環境だったのだ。ツルんで威張り散らかし調子に乗ってタバコや酒をやるようなナヨナヨした不良に喧嘩で負ける道理は無い。
親父や教師たちは自分を正義感溢れる少年だと思って度々喧嘩をしても大目に見てもらっていたが、実際のところはオタク友達が「イジり」に遭ったことに腹を立てて「俺たちに構うんじゃねぇ!」と思春期の自分が怒っていただけだ。
ただこの不良たちとも仲直りをした。時代はビジュアル系バンドとインディーズバンドが流行り、そして青春パンクが注目され始めるとき。そんなときにエフェクターやアンプを自作修理し軽音楽部の部室へ持ち込んでいたので軽音楽部にたむろする不良たちが「えっ増田ってアンプ作れんの!?」となるのは別におかしな話じゃない。
不良たちもそのような状況でオタクグループをイジるのがバカバカしくなったのか次第に何かやるとき絡むようになり自分の通う中学校からはイジメが無くなった。
イジメという娯楽はモノ作りという娯楽に勝てない。
イジメを根絶する力をボクは師匠たちから学んだ。今の世を見れば不良の一部はオタク側へ吸収されてしまっているし、そのような流れを作ったのは自分の世代へ憧れを抱かせた40代になった今のアナタたち師匠だ。
Flashの影響が落ち着いてきたあたりでインターネットには新しいコンテンツ配信システムが注目される。インターネットラジオだ。
これは爆発的に普及し、当初個人サイトだった「らじちゃんねる」は「ねとらじ」となりつつも個人運営では負荷処理が追いつかずlivedoorへ譲渡されlivedoorねとらじになる。
奇しくもほぼ同時期に2ちゃんねるでは若年層が新しく設置されたニュー速VIP板へ集うようになりVIPPERもインターネットラジオ配信をほそぼそと始めるようになった。
この頃のニュー速VIP板は明らかに自分と同年代が集っており、Flash黄金期の影響を如実に受けておりクリエイティビティの発露が著しく様々なネタスレが生み出され安価スレはその代表格で、更には涼宮ハルヒの憂鬱を発端とする深夜アニメブームからクリエイティビティは極限まで達しSSスレやゲーム製作スレなどが大いに賑わうようになった。
そして負の側面も表に出るようになり女神スレや女VIPPERによるインターネットラジオ配信が定番化すると、ニュー速VIP板内でのパートスレによるスレdat落ちが問題視されるようになり、女VIPPERはヘイトを集めるようになった。
それ以前から2ちゃんねるでは主に801板住民による板違いスレ違いや同性愛サロン板での荒らしが問題視されており、女VIPPERによるインターネットラジオ配信によってBLファンであることが多いことが明らかとなっていたため、ニュー速VIP板内でも女VIPPER、特に腐女子に対して風当たりが著しく悪くなった。
そこでパートスレを嫌うVIPPERは腐女子へのカウンターとしてふたば☆ちゃんねるから2ちゃんねるへ輸入されたくそみそテクニックから作られたAAを使って女VIPPERによるインターネットラジオ配信スレを埋めるという連投荒らしをするようになる。
この動きは当の801板住民へも影響を与えたのか、801板では同人サイトの作成を奨励されるようになり、それ以前から評価の高かったYahoo!ジオシティーズや携帯勝手サイトの魔法のiらんどが同人界隈で注目され同人サイトの開設が爆発的に増えた。
しかしながらこの動きにも負の側面があり、同人サイト運営を行っている主に学生内で無断転載やホームページ素材サイトからの直リンク問題が発生。Web系の技術者やホームページ素材サイト運営者からのヘイトを加熱させるという現象が起きてしまった。
特に怒り狂っていたのはいわゆるツクール系のゲーム製作者・ゲーム素材サイト運営者であり、当時のゲーム素材はまだGIFなどのドット絵素材が多かったため当時の携帯電話と相性がよく、同人サイトを運営する学生が無断転載や直リンクするという行為に走ったのだった。
当時のHTML/CSSにも問題があった。携帯電話各社でHTML/CSSの仕様が違い、自身の同人サイトを彩りたい学生からすると携帯電話によって表示にバラつきが起きることは悩ましいことであり、画像素材はそのバラつきを最小限に留めることが可能である。
さらに言えば魔法のiらんどなどで利用者が使えるストレージサイズが小さいという問題もあり、装飾にストレージ容量を消費すると自分のイラストやSSを投稿できる量が減るといった悩みがあって直リンクへ手を染めていた。
もっと言えば当時の学生はあまりにも送信量が多いとプロバイダやレンタルサーバ、レンタルホームページ事業者からホームページ運営者が怒られたり、送信従量課金制契約の場合は実際にホームページ運営者が実費を負担していたという事実を知らなかったのも無断転載や直リンクへの拍車をかけていたと思われる。
現在は社会人となっっているであろう同人サイト運営していた学生だった者はおそらく今まさに素材サイトの管理人へ金銭負担させていた事実を知って驚いていると思うが、何故あんなにも注意され、素材差し替えなどで当時は嫌がらせと思うようなことをされたのか?を理解していることだろう。管理人は怒って当然なのだ。
そのような状況を傍目から見ていた自分は2ちゃんねる内の様々な製作系板やスレなどへ常駐し、HTML/CSSスレなどで素材提供などをし、更にはCGIゲーム罪と罰++ 二律背反のホスティングをしていたが、当時のDTM雑誌であるDTM magazineで1つの告知記事を見る。それが「プロ歌手デビューのオーディション(VOCALOID中の人採用特典付き)」だ。
そうつまりこれKAITOとMEIKOがデビューしたオーディションであり、当時の2ちゃんねるDTM板でVOCALOID評価はそこまで高くなく、たいていは「ボコーダ/ボーカルシンセの代わりにはなるのではないか?」程度の評価だったのだ。
様々な音楽制作系雑誌でもVOCALOIDの扱いは非常に小さく、例えば当時のPC系雑誌で定番の特集だったフリーソフト100選みたいなノリでVSTプラグイン100選の中にVOCALOIDがボコーダ枠で入ってるくらいの極々小さな扱いであった。むしろ登場時に言及していた名無しが評価の仕方は別としてVOCALOIDに触れているだけでもスゴイまである。
2年目までは休みの日もやってたけど最近はきつくて音楽聴いて寝てるだけ
今ふと勉強してきたもの見返したけどこんなにやってたのかって驚いたわ
学生時代も毎日死ぬほど勉強してたけど、あの時はぬるい授業のあと数時間やってるだけだった
今はぬるい授業がアウトプット兼学習になってて、かつ全て自分に返ってくるからサボるにサボれず、学習量が3、4倍はある
1日2ページ数学書読んではめちゃくちゃ進めたな〜wって満足してた俺、なにしてたんだ
お前は体もでかいし声もでかいんだから、人を怖がらせないように丁寧な物言いをしろと言われて育った
学生時代まではあまり気にしなかったけど、社会人になって日々の生活を過ごす中、やはり他人より避けられているような感覚はあった
なので、親父に言われたとおり、常に丁寧語でゆっくり喋るようにした
2016年に大学を卒業して、新卒で入ったところが若手はセミナーや講演会にドンドン行ってこい方針の会社だったので、社会人1,2年目の頃は学ぶ意欲半分、仕事サボりたい欲半分に色んなところに行きまくってた。
せっせと足を運んだところで、偉い人たちの話を聞いても大学出たての自分には何を言ってんだかよく理解できなくて、受講報告書に何を書くべきか悩み、いつもウンウン唸っていた記憶がある。
そんな中でも唯一「これは!」と思ったものがあって、あるベンチャー企業社長の講演で「めちゃすごいスパコンを開発して、不労社会を目指してる」という話。
なんて素晴らしい理念だ!といたく感動し、帰社してから同僚たちにも「最高にクールでホットなベンチャーがあったぜ!」と吹聴しまくったのだが、少し後にその社長は詐欺で捕まっていた。信じていたのに、悲しい。
まあ社長が詐欺で捕まった話は置いておいて、そういった講演会に行くたびに耳にしていたフレーズで「シンギュラリティ」という言葉があった。
社会人になる少し前からそういう概念があるということは知ってはいた、が、正直、都市伝説のようなものだと思っていた。ノストラダムスの大予言みたいな。それの現代版。
セミナーや講演会に行く度、日本を代表するような企業の役員の口からシンギュラリティという言葉が出て、それを当たり前のものとして扱っていることが違和感で仕方がなかった。みんな関暁夫になっちゃったの?って思ってた。
ちょうどその頃あたりから、人工知能がどうとか、深層学習がどうだとかが当たり前のようにテレビなどのメディアでも目にするようになった。
新発売の電化製品の売り文句はどこもかしこも「AI搭載!」だった。良いものもあったが、素人目にもお粗末だと分かるものに対しても何でもかんでも「AI」と名付けられていて、まあ所詮は人類にできることなんてこんなもんよな、冷ややかな目で見ていた。
しかし、自分が鼻くそほじりながらポテチ食ってYouTubeを眺めている間に、世界の技術者たちはガチでそこに向かって進んでいたらしい。
DeepLを初めて使った時、翻訳の精度はともかく、機械ってもうこんなに違和感のない日本語を作れるんだ!と感動した。
エキサイト翻訳で再翻訳してゲラゲラ笑っていたあの日が懐かしい。もう15年以上も昔のことだったか。
そしてBingAIやChatGPT、あといろんな画像生成系のAIもよく分からんがとにかくすごい。今まで自分の観測範囲になかったからか急に現れたように感じたけど、技術がドカンと一気に進化したように思えて、なんかもう恐怖すら覚えた。
これから世界はどう変わっていくんだろう。あの社長が言っていたような社会に、本当になるのかな。シンギュラリティは本当に来るのかな。