はてなキーワード: 普通科とは
正直に言うと、現在の僕の学力は高等学校普通科に換算すると1年の1学期ほどまでの学力しかない。いや、3年間ほったらかしにしていたからそれからさらに落ち、中学校程度しかないのではなかろうか。(参考程度に12月に受けた河合模試の結果を書いておくと、国英社平均して偏差値30台後半だった。)
確かに通信制の学校で、何も勉強せずに大学に通った例は、たとえば芸能人とか、ゴルフなどで優勝したとか、ケン玉で日本一になったとか「特筆すべき何か」を持ってる人ばかりだった。
いや、そんなことはありません。通信制高校の「特筆すべき何か」など持ち合わせない学生もたくさん受かっています。
いや、そんなはずはありません。もし本当にそうなら、少なくない大学が合格を出しているはずです。全滅したのなら、それはえり好みして知名度のある大学だけに絞ったのでしょう。
率直に言えば、これだけの文章を書ける人が偏差値37前後というのは信じられません。
そのランクの人たちは、そもそも活字を読み取れないのが普通で、キーボードを叩いて増田に書き込むという作業も非常に困難なことは珍しくありません。私の経験では、これだけの文章を書ける人は、国語は軽く偏差値50を超える成績を取るはずです。(偏差値50より上はよく分かりません。普段見ている人たちはほぼ全員偏差値45以下なので。)
日本橋学館大学を「ネタ」と書くほどの学歴志向があるのですから、ウチの学校にも来ないでしょうけど、できれば来てくれたらいいのになあ。一発合格ですよ!
問い合わせは、こちらに。
それから、今は、8年が経ちました。
高校は普通科全日制の、日本で高校と言えば15歳から18歳が通うと想像されるようなところに通いました。
しかし、普通科の高校では、理系のクラスで、優秀な成績を修めて卒業しました。
しかも、管理栄養士養成施設に指定されている学科をもつ大学に、指定校推薦で合格し、進学しました。
2010年4月に、その管理栄養士養成施設の学科に入学し、今は4年生をしています。
薬による、手の震え、のどの渇き、足がむずむずして歩き回りたくなるなどの苦しみも持ちながらも、授業は順調に受けました。
調理学や、公衆衛生学、臨床栄養学など、とても面白く、大好きな授業ばかりで、学ぶことは幸せでした。
また、小学生の時から、給食が大好きな子供で、10歳のころには栄養士を志していました。
統合失調症を患ったとき、栄養士になるのは無理だろうと、家族の全員が思いましたが、私はあきらめませんでした。
高校も、栄養士になりたい、管理栄養士養成施設に進学したいという気持ちで、無理に無理を重ね、頑張って卒業しました。
実際に管理栄養士養成施設の大学の学科に入っても、苦しかったり辛くても、頑張って授業を履修しました。
そして、ある壁にぶつかりました。
管理栄養士になるためには、小学校や事業所、福祉施設や病院などで、臨地実習というものをしなければなりません。
私は、心療内科に通い、処方された薬を、かかりつけの医師の指示通り服薬しています。
病状は、安定しています。
それなのに、臨地実習というものは、大学の教職員が頼みに行って受け入れてくれた場所に行くのに、統合失調症であることを明かして探すと、断られるというのです。
かかりつけの医師にも、大学を出た後は、障害者雇用枠で働くことを勧められています。
障害者手帳の3級を持っていて、通学に使う交通機関を安くしてもらったり、映画で割引を受けることをしていて、うまく使っています。
仕事も障害者手帳を利用して障害者雇用枠で入るつもりでいたので、大学にはとある部署に手帳のコピーを預けています。
そうして、大学側は私が統合失調症であることを知っているわけです。
管理栄養士養成施設の卒業のためには、臨地実習を複数受けることが必要でした。
臨地実習の担当の先生には、統合失調症を隠して実習先を紹介していただけないかと頼みましたが、信用問題だからできないと言われました。
養成施設と、実習先には、頼みごとをことわれない関係が必要なのです。
教職員の方々が、大変な苦労をして、在籍する学生の人数、受け入れてくれる場所を開拓しています。
トラブルがあると、その次から断られたり、人数を減らされたりします。
本来は、実習先には受け入れ義務はありません。
できれば断りたいのが現状です。
そんな私は、臨地実習の単位が取れないまま、実習のめどがたたないまま、4年生も終わろうとしています。
4年生の年度末で、私は今の大学を退学するつもりです。
必修が取れないので、卒業はできません。
もし、統合失調症を患う高校生で、管理栄養士になりたい人がいたら、病気を隠して通うことを勧めます。
大学側が知っている場合、病名を明かして実習先を探すので、まず見つかりません。
隠し通して、授業を履修してください。
私は、小学生の頃の夢が叶いませんでした。
給食が大好きで、給食を作る人になりたくて、管理栄養士を目指してずっと頑張ってきたつもりです。
病気の壁には、勝てませんでした。
大学の先生に相談した時は、「気合い入れて病気治してきなさい」などと言われました。
現在の医学では、統合失調症は、薬で脳を眠らせ、ドーパミンが暴走しないように抑えて、抑えられすぎたせいでパーキンソン病にもなるので抗パ剤も飲んで、何とかやり過ごすだけです。
完治することは、ありません。
これまでの8年間、私は本当に頑張ったと思います。
もう、無理はせず、栄養関連の仕事はあきらめ、ほかの仕事に就きます。
それなのに、夢をあきらめることになり、辛い気持ちです。
これからは、障害者雇用で仕事を探して就き、奨学金を返済していくつもりです。
こんばんは、前回統合失調症で夢をあきらめたと書いた石田サナです。
ブックマークコメント、ツイッターなどの、皆様の反響を、一つ一つ読ませていただきました。
ずっと栄養士を、目指して十年以上、そのことだけを心に思い描いて、生きてきました。
しかし、生きている中で、統合失調症や、躁うつ、てんかんなど、とても多くの病気が誤解されていることを知りました。
私ひとりには、何もできませんが、もしこのはてな匿名ダイアリーをみて、何か私に協力しようと思ってくれたなら、その誤解を解くお手伝いをしてください。
私は、もう、栄養士をあきらめ、就職活動し、働いて奨学金を返します。
4年間、片道2時間の通学を実家からして、卒業要件単位のほとんどを取れた私には、きっと働くこともできます。
そして、世界は、美しいです。
ほかの生き物、動物や植物を食べられ、生きていけることにも、感謝します。
生きていたら、確かに辛いことも苦しいこともあります。
しかし、生きてさえいれば、それ以上の幸せなことが、必ずあります。
どうか、自殺も、自傷もせず、自分の体を大切にして、生きて下さい。
努力が必ず報われるわけではありませんけれど、何も身につかないってことは、絶対にありません。
高校は、面倒みのいい私立で、全日制普通科に行きました。トータルで四年通って卒業しました。
@kihara_hfpdd 本人です。入試に面接はありませんでした。入学してすぐ、新入生全員で主要4科目の筆記試験をしたら、学年でトップ20人以内でした。つまりは、学力が十分あったから、入学はできました。
@kihara_hfpdd きはらさんから、なにか質問があれば、このアカウントにツイートいただければ、答えます。石田
@kihara_hfpdd 実習が、必修科目なんです。しかし、病気を隠して頼むことはできません。そして、病気を告げると、断られるそうです。
@kihara_hfpdd 留年です。来年度受けれる場所を必ず探してくるといわれました。その間在学するように。 (注意大学の対応についてどうか?という返答)
もう、ほとんど卒業要件単位取っちゃったから、留年しても、受ける授業ないんだよね。
@kihara_hfpdd しかし、私は、退学するつもりです。四年超えたら、奨学金がでなくなったり、返済を求められるでしょうから。
@kihara_hfpdd でも兄弟がいるんですよね。妹か弟かは、ここでは伏せますが、そっちの学費もかかるので、早く働いて楽させてあげたいんです。
@kihara_hfpdd 私は、高校生のとき、とても成績が良かったので、奨学金が通りましたが、下の子は、めちゃくちゃ成績悪くて、まず奨学金を断られる成績です。でも、姉としては、望むなら進学させてあげたいんです。
@kihara_hfpdd バイトで、年間100万円以上稼げるでしょうか。留年すると、結構な学費を、納入します。下の子も、進学ですし、下の子は奨学金制度使えそうにはないし。
@kihara_hfpdd とりあえずは、まだ大学に四年生として在学していて、まだ退学願いは出していません。もう少し学校と相談して、みると、いいかもしれませんね。
@kihara_hfpdd 仕事に就くこと自体は、できそうな健康状態なんです。ちゃんと通院して、服薬すれば、なんとかなりそうです。
@nohohondo 大学が悪いとは、あまり思っていないですね。私が統合失調症なのに、学力入試に受かったからと、面接してない大学入ったのが悪いんですよ。
@nohohondo でも、入試は、学力で一定以上勉強ができれば、入学させてしまうではないですか。私も、大学入ったら、学年でトップ20人以内でしたから。管理栄養士として、不適格でも、勉強できれば、合格なので。
以上、コピペです。
実話です。
学力があったため、管理栄養士養成施設の大学に合格して入学してしまいました。
統合失調症だったのに。
だれか、これをもとに、二次創作をしてください。
原案、石田サナ、とクレジットを入れれば、自由に使ってくれてかまいません。
妹か弟を主人公として、「統合失調症の姉」という話でもかまいません。
まだ、大学4年生です。
ただ、3年のときも、実習先は来年度と、先生に言われ、信じていたら、4年になっても、いけませんでした。
そのため、管理栄養士の夢をあきらめるつもりです。
ここまで、読んでいただき、ありがとうございます。
それから、今は、8年が経ちました。
高校は普通科全日制の、日本で高校と言えば15歳から18歳が通うと想像されるようなところに通いました。
しかし、普通科の高校では、理系のクラスで、優秀な成績を修めて卒業しました。
しかも、管理栄養士養成施設に指定されている学科をもつ大学に、指定校推薦で合格し、進学しました。
2010年4月に、その管理栄養士養成施設の学科に入学し、今は4年生をしています。
薬による、手の震え、のどの渇き、足がむずむずして歩き回りたくなるなどの苦しみも持ちながらも、授業は順調に受けました。
調理学や、公衆衛生学、臨床栄養学など、とても面白く、大好きな授業ばかりで、学ぶことは幸せでした。
また、小学生の時から、給食が大好きな子供で、10歳のころには栄養士を志していました。
統合失調症を患ったとき、栄養士になるのは無理だろうと、家族の全員が思いましたが、私はあきらめませんでした。
高校も、栄養士になりたい、管理栄養士養成施設に進学したいという気持ちで、無理に無理を重ね、頑張って卒業しました。
実際に管理栄養士養成施設の大学の学科に入っても、苦しかったり辛くても、頑張って授業を履修しました。
そして、ある壁にぶつかりました。
管理栄養士になるためには、小学校や事業所、福祉施設や病院などで、臨地実習というものをしなければなりません。
私は、心療内科に通い、処方された薬を、かかりつけの医師の指示通り服薬しています。
病状は、安定しています。
それなのに、臨地実習というものは、大学の教職員が頼みに行って受け入れてくれた場所に行くのに、統合失調症であることを明かして探すと、断られるというのです。
かかりつけの医師にも、大学を出た後は、障害者雇用枠で働くことを勧められています。
障害者手帳の3級を持っていて、通学に使う交通機関を安くしてもらったり、映画で割引を受けることをしていて、うまく使っています。
仕事も障害者手帳を利用して障害者雇用枠で入るつもりでいたので、大学にはとある部署に手帳のコピーを預けています。
そうして、大学側は私が統合失調症であることを知っているわけです。
管理栄養士養成施設の卒業のためには、臨地実習を複数受けることが必要でした。
臨地実習の担当の先生には、統合失調症を隠して実習先を紹介していただけないかと頼みましたが、信用問題だからできないと言われました。
養成施設と、実習先には、頼みごとをことわれない関係が必要なのです。
教職員の方々が、大変な苦労をして、在籍する学生の人数、受け入れてくれる場所を開拓しています。
トラブルがあると、その次から断られたり、人数を減らされたりします。
本来は、実習先には受け入れ義務はありません。
できれば断りたいのが現状です。
そんな私は、臨地実習の単位が取れないまま、実習のめどがたたないまま、4年生も終わろうとしています。
4年生の年度末で、私は今の大学を退学するつもりです。
必修が取れないので、卒業はできません。
もし、統合失調症を患う高校生で、管理栄養士になりたい人がいたら、病気を隠して通うことを勧めます。
大学側が知っている場合、病名を明かして実習先を探すので、まず見つかりません。
隠し通して、授業を履修してください。
私は、小学生の頃の夢が叶いませんでした。
給食が大好きで、給食を作る人になりたくて、管理栄養士を目指してずっと頑張ってきたつもりです。
病気の壁には、勝てませんでした。
大学の先生に相談した時は、「気合い入れて病気治してきなさい」などと言われました。
現在の医学では、統合失調症は、薬で脳を眠らせ、ドーパミンが暴走しないように抑えて、抑えられすぎたせいでパーキンソン病にもなるので抗パ剤も飲んで、何とかやり過ごすだけです。
完治することは、ありません。
これまでの8年間、私は本当に頑張ったと思います。
もう、無理はせず、栄養関連の仕事はあきらめ、ほかの仕事に就きます。
それなのに、夢をあきらめることになり、辛い気持ちです。
親類が秩父在住ということもあり、秩父は幼少から慣れ親しんだ第二の故郷だったりする。
そして気がついたらアニオタになっていた自分にとって、あの花のヒットは本当に凄い出来事だった。
個人的には皆野寄居バイパスによるアクセス超短縮などよりも嬉しかったというか。
地元民でもないくせに、なんだか誇らしげに感じている。
そんな秩父は、もう空気の匂いからして好きだけど、気になることもいくつかあって、そのうちの一つを書いてみる。
あの花では、ゆきあつとつるこが飯能の進学校に通っているという設定だったけど、あれは今も昔も完全にフィクションらしい。
基本的に秩父地域在住の、中学3年時点で上位10%に入るような優秀な子は、高い運賃と長い通学時間を飲んで、熊谷高校or熊谷女子高校に通うと。
そもそもあの地域は公立校からして数えるほどしか無く(普通科に限っては秩父高校のみだったと思う)、私立なんてあったっけ?という感じ。
これはもうれっきとした埼玉の秩父地方とその他という、地域内教育格差じゃないかと思ってしまう。
ちなみに他の地域の進学校をざっと調べた感じだと、県立に限っても
という具合に、県外の人間でも一度は聞いたことがあるような伝統校が必ずある。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130714/k10013031961000.html
やはり普通科以外の定時とか、通信とか、もちろんこの専修学校とやらに通ってる人間は、いろんな意味で落ちぶれた人が多いなぁと。
こーいうと絶対に「差別だ!」とか言うアホが出てくるんだろうが。
もちろん全員がとか言いませんよ。でも、普通科の高校生とそれ以上の高校生とでは、犯罪率も違うんじゃないか?
正直に考えてみ。絶対、同じように考えてるんじゃないか?
自分の子供が、普通科以外の高校に行きたいと言い出した時、絶対に止めるだろう?
もう自分に嘘をつくのは止めて、正直に生きましょや。
時の流れというのは早いもので、2013年ももう5ヶ月過ぎた。
いつもこの時期になると聞こえてくる言葉の一つに「5月病」というものがある。意味は知っている方も多いと思われるが、簡単に説明すると意気揚々と4月に飛び込んだ新しい環境に馴染めず鬱状態になったり「本当に今のままでいいのだろうか」とやけに軽く焦ってきたり(これはもしかして僕だけだったのだろうか)する精神状態のことを言うらしい。
何分僕もその頃、まだ若いというのに人生の意義や今後の進路について過剰に煩悶していた張本人であった。当時、高校1年生の頃だった。そして、なんと勝手に地方から東京に出、結果的に約3年間を無駄と化してしまったのである。
これから僕が書くのは「懺悔」の文だ。と同時に、今頃僕と同じ、正確には3年前のあの頃の僕と同じ精神状態に陥っている高校生(もしかしたら中学生も含むかもしれない)への、ちょっとした戒めの文でもある。稚拙ながら、その点ご容赦願いたい。
先に言っておくと、僕は現在とある地方の予備校生だ。まあ、タイトルからして分かるだろう。全くといっていいほど勉強していなかったから、大学なんて受かるはずもなかった。
ここまで書くと、「なんだ、予備校生なんて日本に何万人といるよ」と思われるかもしれないが、そういう類ですらない。学校でも全く勉強という勉強はしなかった、授業すらあってないようなものだったのである。
正直に言うと、現在の僕の学力は高等学校普通科に換算すると1年の1学期ほどまでの学力しかない。いや、3年間ほったらかしにしていたからそれからさらに落ち、中学校程度しかないのではなかろうか。(参考程度に12月に受けた河合模試の結果を書いておくと、国英社平均して偏差値30台後半だった。)
はい、全くもってその通り。が、気づくのが遅すぎた。
ただ単にさぼっていたというわけなのだが、学校で寝たりしていたのではない。むしろそれ以下だった。学校という学校に通ってすらいなかったのだ。あの頃の僕は本気で「勉強よりも今やるべきことがあるはずだ」と思っていたのである。「学生」なのに。
というわけで論より証拠、僕のこの3年間の動きについて、書き綴ってみようと思う。まさかこの年で自分の行いを振り返る事があるとは思わなかった。しかし、これもあの頃の僕のように著しい思い違いをしている高校生を一人でも思いとどまらせるためのものだ。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今となっては途方もなく堕ちた僕だが、小、中とまでは何処にでもいる学生だった。高校もまずまずの進学校、といっても地方なのでその高校の偏差値も50台半ばだが、とまれ当時の僕はそれぐらいの学力はあったのである。
しかし、その僕に変貌が訪れてしまうきっかけとなる出来事が3年前、高校1年生の今頃に起こってしまう。
僕は丁度、テレビを見ていた。すると、僕と同じ高校生なのに、学校とは別に団体を作ってボランティア活動に従事したり、あるいはビジネスで大人の人と渡り合い、あるいは海外で外国の経営者や政治家と直接話し合っている高校生が特集されていた。いわゆる「意識の高い学生」である。
今ではどうやらこの言葉は大学生を主として使われているらしいが、僕の場合この意識の高い高校生を見て衝撃を受けたのである。そして、「これこそ今僕がやるべきことだ」と「気づいて」しまったのであった。
その頃の僕は大多数の同世代の例に漏れず、思春期特有の将来に対する漠然とした不安というものがあった。皆さんも「このまま何となく大学を出て、何となく会社に入って・・・というつまらない人生でいいのだろうか」と、自分の進路に悩んだ方、悩んでいる方も多いのではないだろうか。こういうのは本来時間の経過とともに治まっていくものだが、僕の場合、変にこだわりが強いせいかそれはもう延々と悩み続けた。そこに前出のスーパー高校生の登場である。
もちろん、一地方の田舎でそんな活動ができるわけはない。特集されていた高校生も、みな東京の学生だ。元々上京意識が高かった事もあったが、彼等を見てついに僕も上京を決心する。
早速両親に上京を掛けあってみたのだが、勿論のごとく変えてくるのはありきたりの言葉だった。
「なんで今なんだ」「大学出てからにしろ」「そんなこと考えてる暇があるなら勉強しろ」「その高校生は特別なんだ」「そもそも具体的に何するの?」
今となっては、実にあたり前のことだった。しかし、僕は知っていた。いや、知ってしまっていた。世の中の偉人と言われる人は皆、周囲の反対を押し切った人が成功しているのだと。
繰り返しになってしまうのだが、あの頃の僕は本当に前しか見ておらず、成功者の自伝などを読みまくり、その結果としてこれはある経営者の高校生時の状況と瓜2つだということを感じ取ってしまった。SoftBankの孫正義である。彼も高校生時代に、周囲の反対を押し切りアメリカへ行ったのだ。アメリカと東京という違いはあれど、まさしく今の僕と同じ状況ではないか。
・・・その頃の僕は気づいていなかった。1人の「成功者」と呼ばれる人物の裏では、何百人という人々が涙を飲んでいるという事実に・・・
かくして僕は、とうとう貯めていた貯金の全てを使い切り、抗議の意志を示すかのごとく断りなく一人単身で東京に行ってしまったのである。安い旅館に何日も泊まり、東京行きを正式に認めてもらうまで家には帰らないと突っぱねた。その頃、季節はもう夏になっていた。
そしてついに両親は根負けし、東京行きを認めることになった。マンションの一部屋を借り、学校にも転入届を出すことになる。
ここに、間違いがあった。転入先の高校を通信制高校にしてしまったのである。池袋駅東口をでて大通りを歩くとビルの上にでかでかと緑の看板があるあそこだ。前にも書いたが、勉強なんてそっちのけでやるべきことがある(が、はっきりとはしてなかったし結局しなかった)というのが僕の持論だったのだ。根拠のない自信である。「ただ単に勉強にあくせくするだけの高校生活では後悔する。それよりもむしろ高校生という立場を利用して、社会的にコミットしていくべきではないか」と。勿論、学習塾の類にも通わなかった。
・・・いや、「学生」の意味わかってるか?と今になって突っ込んでも、もう遅いのだ。
さて、東京に来た秋から卒業してから連れ戻される今年3月までは、すべてを語るともう読むだけで日が暮れてしまうだろうから、かいつまんでだけ説明する。
まず、多くの本を読んだ。上京する前から本は読んでいた方なのだが、上京してからは大型書店がたくさんあったこともあり、大量に購入してむさぼり読んだ。内容としては社会問題(震災、ボランティア等)や政治経済、自己啓発書、著名な経営者が書いた本などが主であった。
次に、自由に使える時間を利用して、様々な講演会に出かけた。これは東京でだからこそ出来る代物であろう。政治家、各省庁の役員、NPO団体の代表、大学教授や評論家、新聞記者さんなどが開催する講演会やシンポジウムである。僕は前もって作った名刺(といっても名前と電話番号、メールアドレスしか描いてない素朴なものだった)を持って行き、終了後に社会人に混じって名刺交換に励んだ。「学生です」と言うと「こんな若いのに立派だねえ!」と返してくれる。それが嬉しかったのか、どんどんと基本的に社会人向けの講演やシンポに出席するようになった。周りがスーツだらけの中1人洋服だとしても、全くお構いなしだった。
他にも参宮橋近くにあるいわゆる意識の高い人達がいっぱい集まる某センターに何度も紛れ込み、迷惑になるので名前は明かせないが様々な団体と交流したり付属の宿泊施設に泊まったりすることもあった。
その他にも興味のある大学の授業にひっそりと出席したりと、まあ思いついたことをそのままやってみせた。
ここまで聞いて、「何だ、結構すごい事やってんじゃん」と思った方もいるかもしれない。
確かに、当時僕が交流していた学生にはテレビや雑誌で紹介された経験もあるようなすごい人もたくさんいた。が、彼等意識の高い学生と、僕とが全然違うファクターが1つだけあったのである。
それが、「学力」だ。
僕は、一般の高校生が学校に行き、その後学習塾に行き、ヘトヘトになって帰宅して更に課題に追われているその間に、好きなまましてきただけのことだった。先述した他の学生は学校に行った上で、その他の活動もしていたのだ。この時点で差は明白だったのだが、これも今だから言えることである。
とは言え、当時の僕がいかに学力で劣っているかは、当時の僕自身も知っていたことではあった。
3年生になった。そろそろ進学先を決めねばならない。しかし、学力は無い。じゃあどうするか。
学力の無い僕にとっては大学に行く手段としては自己推薦・AOしかないわけで、実は上京した当初からそれを狙っていた。そのためにこれまでたくさんの一般高校生とは違う活動をしてきたんだ。この経験は大きいだろう・・・
とまれ、そのためには小論文や自己推薦書の練習をしなければならない。偶然にもイベントで何度も同席していたとある都立高校生が、論文対策にこれまでも同試験で多数の大学に合格者を出しているW塾を教えてくれた。
が、ここに相談に行った時に、僕のこれまでの一連の楽観的考えを一気に叩き潰される出来事が起こるのである。
推薦対策のコース説明を聞き終わり、帰宅前にアンケートを書いていた時の事だった。
「あ、〇〇高校さんなんですか。」
「ええ、そうです。」
「あの、確かそこって通信制高校でしたよね。」
「はい、そうですが。」
「・・・言いにくいことですが、通信だと推薦やAOは難しいですよ。」
考えてみれば確かにおかしな話である。「今までの画一的な学力入試にとらわれない多面性を重視した新しい入試方式(うろ覚え)」なのに、どうしてそんな差別があるのか。
そこから先は、今まで何度かこの文章の中で自分自身でつっこんできたことそのままだった。手短くまとめると、背伸びをする前に学生としての本分を果たせとのことだ。反論できなかった。呆然とするしかなかった。
しかし、今まで普通科以外の高校から合格した人もたくさんいるのではないか。苦し紛れに反論した僕に、更なる追い討ちをかける。
「何か、これだけは日本一だと誇れるものはあるか?」「何かの大会で優勝したり入賞したことはあるか?」「テレビか、ニュースで報道されたことがあるか?」「まあそうじゃなくても、せめて何かの団体を率いたり、主催をしたことがあるか?」「そもそも、東京に来た目的ははっきりしたか?」
・・・今考えると、最後は「それをはっきりさせるためにここに説明を聞きに来たんでしょ!」と反論できなくも無かったかもしれないが、その他の部分ではもはや撃沈であった。
どう帰ったかは、よく覚えていない。こんなにはっきり言われたのは、初めてだったのだ。確かに通信制の学校で、何も勉強せずに大学に通った例は、たとえば芸能人とか、ゴルフなどで優勝したとか、ケン玉で日本一になったとか「特筆すべき何か」を持ってる人ばかりだった。
だが、一般高校の場合はまた違ってくるだろう。僕も今まで、さまざまなW塾出身の合格者に出会ってきた。しかし、その人もたいてい何らかの(小さいながらも)組織の代表を務め、さらに将来に対する明確な目標や問題意識を持っていた。
冷静になって考えてみると、通信云々という前にこの時点でアウトだったのかもしれない。僕は「東京に一大決心をして来る」ということを「目的」としてしまったのだ。その後にやってきたのは皆、講演会にしてもイベントにしてもシンポジウムにしても、ほかの誰かが開催したものにただ参加したというだけ(しかもお金まで払って)の、単なる「客」だったということだ。はっきり言って「受動的」。これではダメだ。
誰が、こんな人を入学させるのだろうか。
しかも僕の場合はさらにひどく、このような活動をしていないほかの高校生を見下してさえいたのである。先述したとおり、「学生」の本分を完璧に忘却していた。当時僕が「見下していた」多くの学生は、今頃大学で楽しい生活を送っているのだろう。対して僕は予備校詰めだ。これはある種の罰なのだろうか。
話がそれた。
W塾での出来事は相当こたえたが、だからといってあきらめるわけにもいかない。これで受からなければ、とても大学には進めないのだ。僕はありとあらゆる大学の資料を取り寄せ、自己推薦書や小論文を書き出願した。やみくもに書いたわけではない。このころになると都内の有名どころの大型書店の地図は全て頭の中に入っていたから、何店舗か回って関連書籍を買い漁った。文の書き方から何まで丁寧に指導してくれていた本もあり、それも参考にしながら今までやってきたことや思ってきたことを全て提出用紙に書きなぐった。何が「お前じゃ難しい」だ。今に見ていろ。何校も受かって、鼻を明かしてやるからな。
帰ってくる不合格通知の山。僕は、目の前が真っ暗になった。今までやってきたことは何だったんだ。
伊達にW塾は毎年何十人も推薦合格者を出してきたのではなかったのである。
しかも、出願前に必要事項を記入していてわかったことなのだが、大学側が求めた記入事項にも、それを裏付ける所があった。人間性のみを見るはずなのに、通っている高校が「普通・定時・通信」のどれなのかを記入しなければいけなかったのだから。
久しぶりのスクーリング日。担任の先生に言われた。「そろそろセンターの準備はできてる?」
もう、2012年も残すところ1ヶ月だった。
12月、僕は初めてセンター模試というものを受けてみた。といっても、これは今年のセンター模試の最終回だったらしいが。
結果は、始めの方に書いたとおりだ。センターまであと1ヶ月ちょっと、このままの成績で大学に受かるなど、ドラゴン桜のカリスマ先生が今一堂に会しても不可能だろう。そもそも、勉強の習慣さえついてない。
もちろん、模試の時書いた志望校の合格可能性欄は軒並みEだった。・・・いや、1つだけA判定があったな。ちょっと前に2ちゃんねるで騒がれていて、ネタのつもりで書いたBF校、日本橋学館大学。進学させてくれなかったけど。
卒業式には、行かなかった。
よく覚えていないが、このころは全ての夢が潰えたショックで、ただひたすらに家でぼーっとしていたような気がする。
―――Check mate―――
ふと、そんな言葉が頭をよぎった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
私がこれから書くことはある県の私立高校であった男子寮内での体罰の実情です。2008年の話なので一昔です。
最初に言いますが私はこの現場から逃げました。自分に矛先が向く前に逃げました(転校しました)。
凄まじい暴力にあった友人を見捨てました。本当に申し訳なかったし、クリスチャンに足を一歩踏み入れた今、あの時公に告発しなかった事にとても後悔しています。
あの時、知識があれば共産党の市議会議員団とか革新系政党の議員にでも封書を送っておけば取り上げてくれたと思います。ですがあの時の私は若く脊髄反射右翼でしたので真っ向から敵視していました。こういうひずみを正す活動に定評があることを知りませんでした。
すこし長くなりますし、文才もありません。ですが、速読でもいいので軽く読み通していただければ幸いです。すべて事実です。わかる人にはわかるようになっています。
日付は日記をつけていなかったのでありませんが単純な時系列で書いています。
私が入った高校は今時珍しく少々昭和の雰囲気の残る学校で、学校の教師も元自衛官が多く、校則も結構硬めでした。まあ人生の先輩諸氏が言う”ゆとり”を正すのには最適です。
私は2008年にその県からはるか南にある県から入学してきました。
入学の理由は頭が悪いのと、手に食をつけるような勉強がしたかったから。その学校は進学系学科もあれば専門系何でもござれの総合的な高校でした。
又、その学校の寮は新築ということもあり、私のような馬鹿の夢をふくらませるのには十分でした。
入学前のオリエンテーリングの日、すさまじい遠隔地に住んでいたので飛行機でその県へ飛び、電車などを乗り継いで学校へ向かいました。
内容は他愛もなく、入学前に学習しておく課題を渡されたのと、入学生の心得の説明を受けた程度で、その後寮で入寮希望者に対しての説明を受ける予定でしたが、日帰りということもあり、飛行機の都合で受けることができませんでした。
この時の説明を寮の友人にあとから聞いたのですが、とても威圧的だったようです。
4月。入学&入寮日。よそよそしく先輩方が寮内の説明をしてくれました。ですがなんとも言えない雰囲気がありました。よそよそしすぎたのです。
入学式の際たまたま話す機会のあった寮生の2年生の先輩に話を聞くと、「お前には言っておくけど、明日”挨拶の訓練”がある。一応気をつけろ。」とだけ言われました。
なんか妙な感じだったので少し掘り下げましたが、「今からでも先輩にはきちんと挨拶しとけば大丈夫だから。」とだけ言われただけで詳しくは話そうとしませんでした。
私は基本臆病なので言いようのない不安感につつまれつつ夜を明かしました。
翌日。授業が終わったあと寮で本を読んでいると、寮内放送で寮生の代表である3年生の寮長から「新入生は今すぐ集まるように。」と招集がかかり、新入生は急いで集会フロアに集まりました。100人は体育座りできるくらいの広い部屋です。
そこに行ってみるとびっくり。部屋が暗くなっています。
中に入ると先輩方が無言で座って威圧感があり皆戸惑いながら座りました。
長くなるので先輩方の発言は取り上げませんが、そこで行われたのは訓練が行われる前まで先輩に挨拶をしなかった奴の吊し上げでした。
吊し上げの内容を要約すると、「お前、神経図太いな。何様だ!」という感じです。先輩からの平手打ちと本気の蹴り、背中を踏みつけるなどの暴力が飛びかっていました、
寮の総責任者である、元自衛官の寮監(舎監)も黙認しじっと見ているだけでした。私は国家主義者なので国家の防人たる自衛官を貶したくはありませんが、元自衛官というのはこんな人間なんだと感じました。人間性を疑いました。
この時はこれだけでも随分とショックだったのですが後々ショッキングなことがどんどん続きます。
ただし、全てについて書くと冗長になるので私が逃げるまで複数回あった中の代表的な”ミーティング”という名の吊し上げパーティーを取り上げたいと思います。
7月。”ミーティング”が開かれました。内容は「消灯時間後にふらついた奴を罰する」という内容でした。もちろん全寮生強制参加です。
寮長が「正直に前に出てこい。俺は目星がついている。」といった具合で炙り出す方法で、全員が正座をさせられていました。
つまるところ寮長の把握している奴が出てくるまでは、全員正座のままだぞという心理的な作戦もあるわけです。
そんな状況を把握できるような人はすぐに前にでてきましたが、殴られるやもしれない場所に行かなければならない恐怖から言い出せない人もいました。Y君です。
Y君は前に出ずに、先輩にひきずり出されました。私も出歩いていたのですが正直に前に出たのでひたすらあやまって許してもらえましたが、Y君は地獄へ突き落とされます。
Y君は前科があり、何度も寮の規則に違反することがありました。おとなしいのですが、ルールを守るのが下手だったのです。具体的に言うと掃除を真面目にやらないなどです。
Y君が前にひきずり出されるまで2時間近く正座させられていました。同級生たちも同情より恨みが勝ってしまったのです。彼を皆で罰するべきだという空気が出てきました。
そして寮長が言った一言で私は凍りつきました。「おまえは本気叩かれないとわからない」。
場所を移し寮の集会フロアの隣にある講義室に集まるよう言われ、机をどかし、フラットになった部屋の床の上に正座させられました。そこで行われたのはリンチと行ってもいい凄惨なケツバットでした。
寮長が「おまえらは正座をやめていい。こいつはずっと嘘をついてお前らに苦痛を与え続けた。だれかこいつを叩きたい奴はいるか。」と言い、まずは2年や3年の先輩の一部がY君の尻を棒で思い切り叩きました。
さすがに1年生は加わらずに静観すると思っていたのですが、計算違いで、実際には「おまえのせいだ!ふざけんな!」や「おまえ気持ち悪いんだよ!」とか罵声を浴びせしまいには名乗りでて殴り始めました。少なくとも20発以上は殴られていました。
私はその時頭の中で当時読んでいた歴史として日本の共産主義運動を振り返る本(失念しました。)の内容を思い出し、その中の山岳ベース事件の”総括”を思い出しました。まさに同じような空間が目の前にできてしまったのです。
ですが私は止めませんでした、殴られる友人を目の前にして、ただ体育座りをして静観していました。自分もああ言う立場になりたくありませんでしたから。
このあとY君は保護者に寮の現状を言い、学校側にも寮内で学生同士による体罰が行われているという話が行きました。ですが結局Y君は退寮し、遠くから通学することになり、寮監は詫びの印的に解雇され、新しい寮監が招聘され着任しました。
ですが、そもそも校長が体罰をしりつつ黙認していることもあり、寮監が変わった所で”ミーティング”は続くことになります。
その中で私は寮内での発言力が強くなりました。理由は寮長や先輩と懇意になったからです。懇意になった理由は私の持っている技術的な知識を使って上級生の困りごとを解消したからです。
私は書記に任命され、寮の会議に出席することができるようになりました。それからというものミーティングの開催日時を事前に知る立場となったため、一部の寮生には議事を漏らして品行方正にするよう警告を出すようにしていました。
ですが私はその中でも恐怖でいっぱいでした。権力につくと権力の論理に取り込まれてしまうのではないかという恐怖が襲ってきたのです。
「いつかは自分が人に危害を加えないといけない立場になるかもしれない。」綺麗事を言っているのではありません。人に恨まれるのが怖い臆病な性格から出た考え方です。
私は母に電話をし、寮の現状を学校に言うように働きかけました。
寮内では「誰かがチクった」と話題になりましたが、私は知らぬ顔で生活していました。
ある日カウンセラーの教師から「話がある。」と呼ばれ、カウンセリング室で話をしました。
母から話を聞いたとのことで、寮のことについての話でした。そのカウンセリング教師が言ったことは「君は疑われるようなことをやっていないんだろ。」「それじゃあそれでいいじゃないか。」でした。
本質がまるでわかっていない発言に私は唖然としました。また、同日校長にも呼ばれましたが、「君はしっかり勉強をがんばって!」「国家資格を取れば奨学金ももらえるし、君が好きな本も買える。努力しなさい。」と全然寮の内部については触れない不毛な話し合いになりました。
私は入学して9ヶ月後の12月、寮外の友人はおろか寮内で自分と考えを分かち合った仲間とさえまともな挨拶をかわさずに、生まれた地元の進学校へ夜逃げのようにして転校しました。
転校に関しては学校同士のコンセンサスが必要なようで、出ようとした高校が私の転学に関する事務処理の段取りを無視した行動に激怒したようですが、逃げ出すために何ふり構っていられませんでした。
進学校に行けたのは、逃げ出したい思いで勉強したのと、地元の友人を通して転校先の教頭と話し合いができたおかげでした。
転校してからというもの、良い友人と理知的で議論が出来、しっかりとした社会観念を持つ教師陣に恵まれ2011年に私は普通科を卒業しました。
余談ですが、卒業した高校で友人同士の議論や教師との対話を行い、知識で武装するという考え方を手に入れることも出来ました。そして、私の持っていた思想が感情に基づくものであったことも議論や対話の中で批判され、恥ずかしながら理論武装・自己思想の体系化をするという事を恩師から学びました。これは今でも続いています。
私は2つの学校で経験した対比的な環境が今の私の生き方の礎になりました。
昨今話題になっている”教師から生徒への暴行”ですが”生徒から生徒への暴行”を組織ぐるみで学校の教師や責任者が見てみぬふりをする現状を知っていただきたくて書きました。
読んでいただいた皆様の中に何か感じるものがあれば幸いです。
徐々に問題が整理されて、一面的でない見方も増えてきている。
でも、増えて行くに従って違和感を覚える。
http://d.hatena.ne.jp/showgotch/20130122/1358872297
興味のないことを「知らんがな」と言い、理由を「3つでしかない」と限定する。
(勿論この記事を否定したいからじゃない。前段を書いてある分、誠実だ。)
全てが理由になり得るし、最も支配的な理由が、最も効果的な対策に繋がるとは限らない。
体罰とは何なのか、分類によって見ていきたい。
まず、体罰は許されるのか、だ。
効果があるかは議論の余地があり、根絶は出来ない無いが、対策は打てるだろう。
順に見ていこう。
昭和23年、法務庁(現在の法務省)は「児童懲戒権の限界について」として以下の定義を出している。
一 学校教育法第一一条にいう「体罰」とは、懲戒の内容が身体的性質のものである場合を意味する。すなわち
(1) 身体に対する侵害を内容とする懲戒-なぐる・けるの類-がこれに該当することはいうまでもないが、さらに
(2) 被罰者に肉体的苦痛を与えるような懲戒もまたこれに該当する。たとえば端坐・直立等、特定の姿勢を長時間にわたつて保持させるというような懲戒は体罰の一種と解せられなければならない。
懲戒とは職務上の懲罰なので、例えば退学や訓告(所謂お説教)、謹慎(居残りの自習など)などは懲戒処分とされうる。(※1前述の通牒には、遅刻した生徒に対して「廊下に立ってろ!」と授業を受けさせないことは、懲戒ではなく許されない等、かなり具体的な質疑形式で書いてある。(2)に関して、機械的に判定できないとするなど、現実的でもある)
これには、議論の余地がある。
文部科学省の「問題行動を起こす児童生徒に対する指導について(通知)」の別紙に、
「児童生徒に対する有形力(目に見える物理的な力)の行使により行われた懲戒は、その一切が体罰として許されないというものではなく」とあり、裁判例を引いている。
つまり、一度出された定義であっても、状況(荒れた状況下での、腕力による鎮圧など)によって解釈が変わりうる。
学校教育法第十一条に、「懲戒は良いが体罰はダメ」と書いてある。
罰則はないが、法律である。法治国家では、法を守るのは社会の前提になる。
しかしこれは、「なぜダメなのか」「どうして体罰が許されないのか」には触れていない。
これは、「特に注意しておかないと、蔓延するから」という過去の経緯を踏まえてのものだろう。
学校教育法では、1〜7条が学校を定義し、8〜10条で校長と教師を定義する。
その次が11条の体罰の禁止だ。(その次に、12条の健康診断となる)
「公務員等が情報収集等のために身体的、精神的な重い苦痛を故意に与える行為」を禁止している。
これも特に禁止している例だろう。
通常これらは、刑法208条の暴行罪、刑法204条の傷害罪でカバーされうるからだ。
これに、刑法第222条脅迫罪を加えれば、体罰の禁止も拷問の禁止も敢えて謳わなくても良い。
「次の試合で勝たなければ、お前を竹刀で殴る」と言えば脅迫罪で、
負けたので殴った場合、怪我をしなければ暴行罪で、結果怪我すれば傷害罪だ。(※2「法令による行為または正当業務行為」は、「違法性阻却事由(法律違反ではないとみなされる)」となるので、それを封じていると見ることも出来る)
だから、日本が法治国家であるとするなら、学校教育法の言う「体罰」は特に禁止されているし、犯罪でもある。
これには議論の余地がない。
体罰が効果的なのかどうかは、探した限りでは決定的なものはなかった。
家庭での躾の一環としての体罰は、効果的(収入、学歴、犯罪歴)であるという報告もあれば、逆の報告もある。
大いに議論の余地があるだろう。
(一番誤解を招きそうな項目であるためここに書いておくが、議論の余地がある事と、現実の功罪は別である。また、効果が大きいと言って許されるとは限らない。本質的な議論だからと言って対策に繋がるとは限らないし、表層的であっても結果的に問題が解決することもありうる。)
これは、(定義を変更しないのであれば)根絶できないだろう。
これは、種痘によって自然界の天然痘ウイルスが感染をほぼ確実に防げたからだ。(※3もちろんWHOの多大な努力の結果である)
暴行も傷害も未だ根絶する手段すら見つかっていない。
ただし、程度問題ではある為、議論の余地はある。
例えば傷害事件は平成12年に急増したが、平成15年を境に低下を続けている。
把握し、対策を打ち、低下させる手段は議論できる。
ただし、低下はしても無くならないという前提を置いての議論になるだろう。
これを、傷害、暴行、体罰、懲戒に分類して考えることが出来る。
個人的には、体罰と傷害だと考えているが、議論の余地はあるだろう。(※4ここでは、懲戒として暴力をふるうことを体罰と呼んでいる。体罰は当然暴行若しくは傷害である。「体罰」の定義が厳密ではないため、体罰ではない単なる懲戒若しくは「有形力(目に見える物理的な力)の行使により行われた懲戒」を、体罰と呼んでいる事がある。)
ただし、この論点が問題になるのは、「体罰は許される/体罰はやむをえない(法に不備がある)」という前提を置いたときか、実際に刑法・民法で裁判になったときぐらいであろう。
一般論ともなり得るが、具体的に大阪市立桜宮高校の場合としてみていこう。
亡くなった生徒や入学希望者に責任は無く、顧問には責任がある。
教職員や在校生、卒業生の責任は、その度合いには議論の余地があるだろう。
こうすれば良かった、こうしていれば自殺しなくても済んだ等の話は、あくまでも対処の話であって、責任論にはならない。
これには議論の余地がない。
その指導法が効果的であった、効率的であったという話は、効果の話であって、責任論にはならない。
これには議論の余地がない。
彼らは(別の生徒に対して直接の体罰を行っていない限り)直接的な責任は無いだろう。
その為、議論の余地があるだろう。
例えば「実際の体罰の現場を目撃した」「体罰をしていると聞いていた」「体罰があると、(直接は知らずとも)告発を受けていた」など、状況によって責任の度合いが異なるだろう。
これには職務上の責務(校長など)、教育者としての責務(体育科の教員、普通科の教員など)、社会人としての責務(職員など)と、それぞれにおいて違う。
個人的には、体罰について知っていたであろう体育科の教員と、生徒の傷を見たとは限らない養護教諭とでは、責任が異なると思う。
ただし、少なくともバスケットボール部の生徒は、他人が体罰を受けているのを目撃している。
その為、議論の余地があるだろう。
個人的には、成人でありかつ教育者である教員の責任とは異なり、例え知っていたとしても生徒に責任は無いと思う。
通報すべき、相談すべき等の話は、善意の行為であって、義務では無いと思う。
また、保護者はより間接的な関わりになるため、その影響力と責任は、限定的だと思う。
さらに、「体罰は効果的だった」「顧問は善意から行っていた」などの言説は、その発言に対する責任は生じたとしても、体罰などを受けた結果、その様に教育された被害者ではないかと思う。
(ただし、責任がないから一切の制限が加えられるべきではない、という事ではない)
彼らは、当然、責任は無いだろう。
これには議論の余地がない。
個人的には、体罰が発覚した後に入学を望んだとしても、体罰を受けて良いと言うことにはならないと思う。
(例えば、メジャーリーガーになるべく渡米した人が銃による犯罪に巻き込まれたとして、アメリカの銃犯罪の多さをもって、彼が愚かだとは言えないだろう)
長くなってしまった為、別日に改めたい。
例えば、学校教育法の第四条は、「市町村の設置する高等学校」の「学校の設置廃止」は、「都道府県の教育委員会」が行うものとされている。
そして、同法第十三条には、「法令の規定に故意に違反したとき」には、「それぞれ同項各号に定める者は、当該学校の閉鎖を命ずることができる。」とある。
体罰を故意に行った今回のケースは、大阪府教育委員会が学校の閉鎖を命ずることもできる。
責任がなければ制限を受けるべきではないのか、責任が無くても制限を受けることがありうるのか、
対策の結果、制限が起こることが許容されうるのか、現状に影響を与えない制限を行うべきなのか、
懲罰的な対策なのか、状況を変えるために行った結果懲罰に見えるのか、
いろいろな論点があり得るだろう。
体罰とは何かに関しては、その定義から責任まで整理できたと思う。
特別な場合を除いて、ソースに対してのリンクは敢えて張らなかった。それぞれが調べて欲しい。
どう報道されているか、誰が何を考えているかの切っ掛けにして欲しい。
例えば冒頭に引いたブログポストは、体罰に関しては踏み込まず、この事件が起こる構造について論じているのが判るだろう。
生徒が逃げられないのは、体育科の部活動の他に選択肢がないからであり、教職員が体罰に走るのは失う報酬が少なく、また体罰を報酬とするからであり、また効果的な対策がほとんど無いからである。これは、言ってみれば体罰を積極的に行おうとする教職員が部活動の顧問になる制度設計になっているという指摘でもある。
先の例でも判るとおり、体罰の対策を議論する場合には、体罰がなぜ生じているのかを整理する必要があるし、対策が結果的に罰に見える(例えば、バスケットボール部の顧問が懲戒解雇になった場合、バスケットボール部の現役部員は指導の機会を奪われる。彼らは被害者であるにもかかわらず、さらに罰を与えられている、という言い方も可能である)場合には、功罪を論じる必要がある。
このまとめでは論点整理にしか役に立たず、対策を論じるには不十分である点は、申し訳ないと思っている。
「なぜ今、議論しなければならないか」への返答として、大津市教育委員会のWebサイトを提示して、結びとしたい。
http://www.city.otsu.shiga.jp/www/genre/0000000000000/1000000000625/index.html
学生時代の昔語りをしてはいけないと言われているから、匿名で書く。
俺は小中学校通じていじめられっ子で、毎日他の生徒に引っ叩かれ、学ランには毎日スリッパの跡がつくような楽しい学校生活を送っていました。部活動は体育系に強制加入で、そこでもサンドバッグでした。首の神経がどうにかなる寸前だった時は、加害者の方が自宅にニヤニヤしながら謝罪に来てくれましたが。でも、すぐに元の状況に逆戻りでしたね。
体育会系の教師が生徒指導の役割を担って体罰を加えて統治することは、昔はけっこうザラにあったと思うんですよ。俺はエリートが集う運動部に加入していたわけじゃないけど、桜宮高校で行われていたことが「あるある感」とともに過去の記憶を蘇らせるくらいの実感があります。
◆
http://anond.hatelabo.jp/20130122033549
その支配の構造は上記の記事と、そのブクマにある「自主性=言われなくても俺の思う通りに動け」のとおりだと思うのです。剣道部出身の社会科の先生が担任だったけど、気に食わないことがあると授業を中断して職員室に帰っちゃうわけです。それが5回に1回はあるわけですよ。それをねー、いじめられっ子兼学級委員長の俺が「お願いですから帰ってきてください!」と三文芝居しなきゃいけないんですよ!俺を殴っている態度不良な生徒の不始末を抱えて、こんな幼稚な教師の筋書き通りにいい子を演じるのは耐えられないけど、そういうもんだと思ってやってました。「いい子」だったから。それが役割だもん。
大津のいじめ問題でも同様のことを感じたんだけど、「学校を治める」ことは「生徒を健全な状態に保つ」こととは全く別の問題なんですよね。あたりまえか。生徒に対してプレッシャーを掛けて正しい指導をしていると思っている人が、現実を解決してくれるわけではないのです。
◆
【体罰問題】大阪市立桜宮高校の生徒・OBの声 まとめ - Togetter
学校の中で発言力が高い生徒が何の疑いもなくこういうことを言ってしまう環境の中で、俺がいじめのターゲットにされていたら、マジでやばかったんじゃないかと。学校の教育方針とそれに同調する生徒が甘ったるい美学で包囲する世界じゃないですか。生徒同士の「指導」がひとつの機能として認められかねない環境ですから、体罰やいじめが運動部だけの問題に収まっていたとはとても思えないんですよね。
もし、俺が桜宮高校の中にいたら、あの過去よりもさらに深い絶望に陥っていただろう。もし、桜宮高校で「攻撃してもよい生徒」になったとしたら「俺をこの地獄から一刻も早く救ってくれ!」と祈ったよ。
◆
橋下の政治手法がどーだこーだと言う人がいます。学校に圧力を掛けているだの、入学まで止めなくても、過去に体罰を容認していただろとか、大人の責任を子供に押し付けているだの。そのとおりだと思います。普通科への看板の掛け替えをしただけ、とも言われます。根本原因を解決していない。全くそのとおり。仰せのとおりでございます。
だけど、俺が追い詰められて死ぬ生徒の立場なら、そーんな政治や中・長期的な視野なんて、ク・ソ・ど・う・で・も・い・い!!こんなアホだらけの学校に自浄作用や自主性を促されて、平和な環境がいつできるの?つーか、殴られ続けている最中にそんなことを周りから聞かされたら、さらに絶望してビルの屋上に足がススム君だわ。
殴られて絶望している生徒は、一般の生徒と同じ仲間じゃないんです。殴られて絶望している生徒は、一般の生徒と同じ仲間でいなければならないからこそ絶望するんです。ミソもクソも一緒にして、生徒の自主性だの、大人が子供を騙しただの、なんていうロジックで、自殺したキャプテンとTogetterに出てくるような糞餓鬼をひとつのカテゴリに入れている場合か?何よりも優先して救うべきなのは、今暴力に押しつぶされようとしている生徒だろ?
◆
この糞餓鬼共にキチンとした人権意識を持たせたり、学校に行動を改めさせるのは、乱暴に言うと今すぐじゃなくていいんです。まず、手を出せない環境を作ること、手を出したら損をするという状況を作ることです。優先順位を誤って対策をすれば、初動で効果的な対策が延び延びになるだけですよ。まず初動、そのあとで誤った教育を行わないシステムの改修をするべきです。初動対策が終わったら、視野を広げて考えればいいし、むしろそうしなければいけません。そこで初めて、生徒というカテゴリを前提とした一般論が必要になるのだと思います。
今回の一件に関して、橋下徹がやりすぎだとはぜんぜん思わないのですよ。
だってね、人が死んでるんですよ。
学校でですよ?
そりゃ、ワタミで出したってダメですけどね、学校で人を殺すのは絶対ダメです。
あそこであれを出したらもう終わりっていうやつがあると思います。
ワタミで自殺者が出たからって営業停止とかは、どうかなって思うんですけど、ワタミで集団食中毒を出したら、そりゃ店閉めないとって思います。
そういうのと同じだと思うんですよ。
他の生徒にはとばっちりだとか、政治が教育に口を出すべきじゃないとか、入試を取り仕切るのは市長じゃなくて教育委員会だとか言われたりしてるけど、学校で人が死ぬということは、そういうことだと思うんです。
どんなにバスケが好きだと言われても、
「それでもあの高校に通わせるわけにはいかない」
と答える。
自分にはバスケしかないとか、今が人生で一番輝いてるとか言われたら、
「そんなことはない。あなたの人生は、今だけじゃなくてこれからもずっと、輝かせないといけない。」
と答える。
在校生だって、後輩が入ってこないくらいでああいうのはどうかと思う。
後輩が入ってこようがこまいが、自分で選んだ高校でしょ。
部としては、層が薄くなるのは困るけど、それはそれ。
繰り返すけど、学校で自殺者、学校で体罰、それはとても重大なことだと思う。
人気取りだとか、連帯責任だとか言われてるけど、学校で自殺者というのはそういうレベルの大事件だと思う。
というより、そういうことにしないといけないと思う。
残念だとか、遺憾だとか、申し訳ないなんて言葉で済まそうってほうがおかしい。
人が亡くなった、というか殺したんでしょ?
人を殺した教育システムは、他にどんないいところがあったとしても、廃するべきだ。
伝統の重みなんか、人の命の重みに比べれば紙ペラよりも軽いよ。
その伝統とやらも、人を殺した教育システムの一部として、未来永劫糾弾されるべき。
教師は全員異勤すべきだと思うし、体育科どころか普通科の入試もやめさせるべきだと思う。
私は絶対に許さない。
私は絶対に絶対に許さない。
桜宮高校で体罰による自殺事件があった。その影響で体育科を普通科に切り替えて入試を実施するらしい。
個人的には、こうした事件による入試の中止は妥当な判断だったと考えている。
自殺事件があったとなれば、それは組織として欠陥があったということだろう。
無論「最近の軟弱な若者が云々」という声もあろうが、今回の件は明確に”教育ではなく加害”と判明しつつあるので無視する。
(そもそも、そんなに体罰教師が素晴らしいと思うなら「是非我が社で雇用しましょう!」と上司にでも掛け合えよ。)
そうした欠陥のある組織に対し、その欠陥を見直すことなく人員充填を認めるべきではないだろう。
(落盤事故のあったトンネルに、十分な調査や補強措置を行わず片付けだけして再開通するようなものだろ。中国か。)
亡くなったものは仕方がない、どんなに悼んでも戻ってこない。それより今年の受験生が大切だ、彼らには今年しかチャンスはないのだから。
いやいや言いたいことは分かるよ、でもそれを認めたら社会じゃない。一歩先の損得で判断するような話じゃないだろ。
(「この度」「たまたま体罰があり」「たまたま被害生徒が自殺しちゃった」「てへぺろ」ってお話じゃないのよ。)
別に「命は何よりも大切!」って言いたいわけじゃない。こういう事件が起こる環境があり、そうした環境が改善されることなく継続する。
一番言いたいことは、この社会は「そうした環境が改善されないほうが得」なんだよね、ってこと。
「改善しない方が得」「見て見ぬふりをしたほうが得」「状況を良くするなんて無駄」「このままでいい」っていう考え方。
これを単なる”モラルハザード”とか”日本人は西洋人に比べて云々”という社会論文化論打ちたいんじゃなくて、
本当に「何もしないほうが(経済的に)お得なシステムになってる」と思うんです。今回の高校の騒ぎなんか見てるとホントそう。
で、話は飛ぶけれどタイトルにある、”過労死は就活サイトも責任をとるべき”って話なんです。
ワタミなぞが過労死で新入社員を殺す事件がちょくちょくありますね。こういう事件があるたびに思うんです。
「この亡くなった社員を企業に仲介した人材サービス企業は、一体どう思っているのだろう?」
確証があるわけじゃあございませんが、ここ数年で就職した青年たちはたいていリクナビ・マイナビ・エンジャパンあたりの
就活サービスを利用して就職をしているのだと思う。そして過労死した方もこうしたサービスから就職したのではないか。
で、過労死事件が起こったあとに、被害者を仲介したサービスは、また同じ企業に人材を送り込むのだろうか?
なぜなら、加害企業に人材仲介するのをやめても利益にならないから。むしろサービス介して就職した人数で利益取ってるはず
だから、仲介やめたら利益が減る。今回の高校の件とちょっと似てるでしょ?「死んだものは仕方ない」「変わらないほうが得」。
異常ですよこの状況。
「過労死は就活サイトも責任をとるべきとか言っているが、就活サイトはただの情報提供サイトで、良い企業を選んだり
あるいは過労死しないような屈強な学生を選ぶことはできない。就活サイトに責任を負わせても、負担がかかるのは学生だ。」
仰るとおり、現状の就活サイトは「良い企業と良い学生を選んで登録し、マッチングする」サービスではない。
有象無象の企業と学生が、個々別々にアクセスしあうより、情報を一箇所に集めたほうが効率が良い、というあくまで機能的なものだ。
例えるならば生鮮青果でいう卸売市場、金融でいう株式とか外貨市場。
じゃあ就活サイトはこうした問題に知らぬ存ぜぬでいいのか?って言うとそうは思わない。
なぜなら上記の例えのように、就活サイトは”市場”だからだ。多数の売り手(学生)と買い手(企業)が集まるマーケットだ。
マーケットにはルールが必要だ。ルールを守らないものはマーケットに参加してはいけない。そうしないと「市場は失敗する」。
就活サイトは新卒市場のマーケット管理者であり、ルールの適正な運用に対して責任を持たなければならない。
過労死事件を起こしながら改善が行われない企業は、新卒労働市場から排除されるべきだ。
そうした”新卒採用が滞る”という明確な罰則があれば、過労死のような事件は減る。もちろん就活サイト側にも、問題を起こした
企業を市場から排除するためのインセンティブが必要だろう。こうなって初めて不正が起こりづらいシステムができるのではないか。
ルールを守る守らぬというと、何となく”道徳”とか”コンプライアンス”とか正義感の問題だと思われがちだが、ここに至っては
完全にシステム、経済の問題だ。心情の問題ではなく市場の問題。欠陥を見過ごすことが社会にとって損だ!という明白な事実を
合理的に遂行するべきだ。それを「今年の受験生が」という目先の損得で揺れ動くような社会ではイカンと思うのです。
(もちろん救済措置は要るのだろうけれど)
「先輩たちとともに、体育科・スポーツ健康科学科・普通科で桜宮高校を取り戻したいです。変わるため、変えるためのチャンスを私たち受験生にください」
色々な考え方はある。だが、自殺してしまった人間にはもはや、チャンスを与えることが出来ない。
自殺者を出すということは、そういう事だ。
これが10年前ならまだ話は違う。自殺傾向やノイローゼというものがわかっていなかった。
しかし、現在では、一定以上に追い詰めると、自殺者が出る。確率論で自殺者が出る。ということはわかっている。
自殺者が出ても、嘆願すればなんとかなるでは、イジメ(体罰等々)は止まらない。
変えるためのチャンスを与えることはできるだろうが、 桜宮高校 ではなく。
日本全土のイジメを止めるために、ではどうしたらいいか?という事を考えてほしい。
いじめが起きても、喉元過ぎれば熱さを忘れるでは、イジメが無くならないのではないか?という質問に何とか答えてほしい。
言いたいことはよく分かる。良くわかるけど。
重い処分を与えなければ、イジメが無くならないのであれば、重い処分を与えざるを得なくなる。
いじめで自殺はこれが初めてじゃない。 もう1年ももっと前から、大きな話題になっている。
それで、なぜ止まらない?
喉元過ぎれば熱さを忘れるとはいうけれど、喉元過ぎていないじゃないか。熱いさなかでまだ起きる。おかしいだろう?
だが、もう、これだけイジメが大きな話題になっているのに、 どうして、止まらず、こんな問題が起きたのか?
そこが最も 今言われていることではないだろうか?
なぜ、1年前の 数カ月前の事件で、 わが校にもイジメがと 見直されなかったのか?
イジメが見直されていれば、 先生によるイジメ=体罰だって見つかって当然だろう?
今、指摘されているのは、そこなんだ。
男性エロにはネタ要素を求めずにはいられない。みんなも、もう1冊の方は見なかったことにしたいんだろ?
わあい月見荘のあかり あかり月見荘のあかり大好き。あかりちゃんの曇り無きハッピースマイルを見るたびに湧き上がるバッドエナジーがクセになる。
ドバト先生の描くロリの健気さっていいですよね。ゴージャス宝田にいじられるドバト先生萌え。
2012年のトンデモ枠。圧倒的な触手描写と、手の込んだギャグ設定が楽しいです。
前作「ピンクトラッシュ」からシリーズ続いたねー。メンズヤングは休刊したけど、けろりん先生の人気はむしろ高まってきてるかな。
話題を巻き起こした表題作。続く裁判傍聴はちょっと露悪的過ぎたかも。
シスケ先生のエロ漫画モチベーションの高さには惚れ惚れします。
ドライブ感溢れる鬼畜展開がナイスでした。青年誌の方も段々ノってきた感じ。
紙魚丸ワールドが単行本にまとまって良かったです。しかし蕾秘(ライヒ)って誌名、格好良すぎませんか?
10.駄菓子 「純潔の終わる日々…」
光源フェチが表紙に現れてないの惜しい。乳首ガチガチなの、イイよね。
BL創作同人で注目され、2010年にはふゅーじょんぷろだくとから「ミ・ディアブロ」が刊行された梶本レイカの代表作長編が、2012年遂に単行本にまとまった。グロテスクでショッキングな展開と尖りにとがった描写は、鬼畜BLという枠組みを超えた強度と鮮烈さを持って読む人に叫びかける。サブカルコミックが鳴りを潜め、マンガ表現のホットトピックはもっぱら萌え4コマという昨今にあって、BLジャンルが表現の極北を担っているというのは決して言い過ぎでは無いだろう。ウェブ掲載分の収録は2巻で終わり、現在は新規ストーリーがふゅーじょんのオリジナルBL誌「comic Be」で掲載中。山奥の男子校で繰り広げられる暴力と退廃に満ちた肉体関係は、新たな広がりを見せている。
市川けい 「スロースターター」
高校野球部・キャッチャーの攻・エアリーヘアの受。大きく振りかぶりそうな2人の出会いは、通学の車内だった。互いの学校生活の話で盛り上がり、ふと会えない日が出来ると少し寂しくなり……。友情からのBLというのは、自分の気持ちに戸惑い、相手との距離感を測りかねながら縮めていくのが王道だ。「通学/通勤電車でいつも一緒になる」という巡り合わせは、こうしたストーリー運び非常に相性の良い舞台装置で、天丼設定とまでは言わないがそう珍しくはない。市川けいが出色なのは、それを踏まえた上でガラ空きの電車内におけるあの間延びした空気感を、コマの間合いで巧みに表現していることだ。モノローグの入れ方、固定ショット・コマでの人物の動きなどの「間」を取るセンスが独特で、意図的に停滞させられたテンポは、2人の進展のじれったさと絶妙にマッチしている。反面、肝心のプロットは2人が結ばれるまでダレることはない。各話の山場の見せ方も上手く、特にキスシーンの甘酸っぱさたるや爆発甚だしいリア充になっている。内容的にも若く爽やかな仕上がりが心地よい。とてもしかしそのキスシーンが駅構内のトイレってのがまた何とも……電車好きすぎじゃなかろか。
夏糖 「花咲き道理」
「その人の持つオーラが花や泡の形で見える」不思議な力を持つ主人公と、彼が属する劇団を舞台にした群像劇。能力設定、といっても物語中でそれが意味を持つシーンはごく数箇所で、主眼は公演に向けて活動する劇団の人間模様にある。劇団員各々の交流の中で主人公の取る立場は概して淡白なのだが、それは画面の中にこっそりと映りこむオーラの花と同じように、作品に安らいだ雰囲気を与えてくれている。ラストで主人公が心情を吐露するシーンも、劇団の居心地の良さが読み手に伝わってくるような、素朴な優しさが感じられる。抑制の効いたストーリーで、主人公の存在に癒される話。
掲載された茜新社のBL誌「OPERA」はキレの良い新人をいくつも擁するが、単行本まで結実する作家はそう多くない。群像もの、しかも演劇というメタストーリーが絡む複雑な設定で1年以上に亘って手がけた事実は、それだけの力量を物語っている。現在はリブレ出版の「Citron」でも執筆しており、今後の作品にも期待したい。
磯野フナ 「委員長のおもちゃ性教育」
真面目な文章ばっか疲れんだよ! いいよねーこういうアホ丸出しの単行本タイトルって。ジュネットのピアス・JUNEって最近は描写の濃い萌エロBLの名産地だけど、磯野せんせーはたいへんイキがよろしい。コナかけられて顔を赤らめるとこ、イジられて涙を滲ませるとこ、ブッこまれて表情を蕩かすとこ、マジでエロ可愛いぜ。目の描き方を中心に絵柄もアニメ系っつーかまあ女性同人独特なんだけど、デフォルメもメリハリ利いてるし、描き慣れた感ある一方で性交シーンも手を抜いてないのがアツいね。あと女の子が可愛い(超重要)。BL作家の女体描写って成年マンガ家(男性向け)の男体描写よりレベル高い気がするんだけど、そんなことないですかね。偏見かね。コミックJUNEは休刊してしまったが、新人の弾数は色々あるので何とか次につなげて欲しいもんです。
良くも悪くも、創作同人臭の強い作風なんだけど、いいと思います。そういうの好きなんで……。くっつかずに悲恋でおしまい、とか、何となく悩みを打ち明けて心を楽にしてEND、だとか、そういうのは、商業誌だとあまり喜ばれないと思うけど、新人らしくて贔屓したい。描線にも不安な雰囲気が出てて、作風とはよく合ってます。
ここでは基本的に新人を紹介しているが、2012年の新人を一人挙げるなら、名取いさとを選びたい。心交社の「moca」とリブレ出版の「Citron」の掛け持ち連載で、同時期に単行本を刊行。それぞれほんわか友情モノと少し鬼畜な暗い雰囲気に仕上がっていて、ストーリーの幅広さがグッド。髪の毛1本1本まで行き届いた丁寧な作画も新人離れしており、「日陰蝶」では剣道着を着けての試合・会話シーンを(第1話で)こなすなど、作画に対する気合が窺える。無理のない人体描写と細やかな表情の描き分け、作者の萌えを垣間見せるキャラクター造形も多様と、BLマンガ家としての天分アリアリ。難を付けるなら、タフな仕事量にも関わらず安定した絵柄で既に初々しさを脱却していることか。女性キャラも可愛い(超重要)し、くたびれたオヤジから涙ぐむショタまで愛のある描写が光る。今後は一般女性/青年誌まで活躍の舞台が見込めるモンスター新人だ。
“君の鍵穴は私の鍵で開かれる!!”っつー単行本帯のアオリでちょっと話題になったよねコレ。まあピアスは単行本に限らず誌面でもアオリ文が横行してて、編集がいちいちナイスフレーズ捻り出してるわけだし、ちゃんと反応するのはいいことだよね。「股間もテントもピンコ張り!!全裸で楽しむ夏休み河原キャンプ」とか、綴込みの見開きイラストもイカしてるんだわこれが。しかし東条せんせーの手がけるショタはサイコーだな。桃尻のラインが犯罪過ぎる。超絶画力だからトンデモBL変態ファンタジーも安心して楽しめるんだよなー。貞操帯&お漏らしやら目隠しオナホプレイやら猫耳コスプレの尻尾アナルin(前作)やら、マガジン・マガジンって出版社は心得てるわ。この人って美少女絵も絶品だから(超重要)、Keyのゲームのコミカライズも好評連載中なんだぜ。まさに鍵穴ってやかましいわwww
葉月つや子 「白衣にひそむ熱情」
眼光も険しいサツバツな絵柄に慣れれば、有無を言わさぬ攻の気迫はBLでも稀有なストロングスタイル。葉月つや子といえば知る人ぞ知るレディコミの女王である。近年の主な活動場所はぶんか社の「まんがグリム童話」だが、レディコミ仕込のスピーディでパワフルな作劇はBLでも健在だ。怒気漲らせる攻が駆動する物語は、受を存分に振り回し、しかし最終的には見事に鞘に収まる。各読みきりの短い尺の中で怒涛のダイナミズムを見せ、その上できっちりハッピーエンドに収めるこのカタルシスはワザマエと言うほか無い。長いキャリアを持つ作家の2年ぶりとなるBL単行本は、そのいぶし銀の魅力を堪能できる一冊だ。いつもならヤクザや貸金のダークスーツ姿が映えるところだが、本作では医者の白衣が前面に出ており、少しだけ和らいだ雰囲気になっている。
トワ 「秘密にスキャンダル」
人気タレントである幼馴染との秘密の関係を描いた、作者の初単行本。BLのお約束というか、こうした立場関係では有名人側が惚れている構図が基本であり、本作もその例に漏れない。回想の幼年時代から現在は大学生としてのキャンパスライフ、進展後はサラリーマンとなった主人公との恋仲まで、柔らかなタッチによる登場人物たちは皆親しみやすく、ほのぼのとした作品だ。タイトル通りのスキャンダル疑惑や、ライバル芸能人の横槍といった筋書きも大体鉄板だが、本作は脇役がどれもキャラが立っており、悩める主人公とのやり取りに説得力がある。そのため個々のエピソードに感情移入が出来て、自然に楽しめる、という好例になっている。スピンオフによる余りものカップル救済というお決まりの続編展開も、キャラの読者人気を裏付けるものだろう。可愛い女子も沢山出てくるが(超重要)、特に主人公の妹の鈴ちゃんがイイ。鈴ちゃんヒロインにした少女マンガが読みたい。
作画:如月マナミ,原作:渡海奈穂 「純潔ドロップ 青坂高校シリーズ」
「純潔ドロップ」は、とある高校を舞台とした原作を、2人のマンガ家が作画した双子作品の片割れである。体育科の完璧スポーツマンのモテ男と、普通科の文化部長である残念イケメンの確執から始まる学園BL。如月マナミの描くキャラクターは端正な顔立ちながら表情豊かで、特に赤面して眉を歪める描写が秀逸だ。文化部長が強気の体育会系に不意打ちする、逆転の構図もしくはギャップ萌えをメインに扱っている。その場の勢いやら体育会系特有の頑固さ(偏見)に流されて、つい一線を踏み越えてしまう運びは原作の鮮やかな手腕。双方負けず嫌いな性格がコミカルで、背伸びし過ぎな攻とオラオラ一転甘えたな受が微笑ましい。舞台である高校は共学で、2人の取り巻きには制服姿の可愛いJK(超重要)も色々出てくる。彼女達が当て馬やモブ扱いではなく、ちゃんと個性を持って物語に関わるのも好感度高い。
ちなみに、ここに挙げた他作品の掲載誌にリブレ出版の「Citron」、茜新社の「OPERA」、心交社の「moca」があるように、最近のBLジャンルは各社でオリジナルアンソロジー誌が創刊されており、新人のデビュー・活躍舞台もそちらが多数になっている。本作「純潔ドロップ」の発行元であるプランタン出版はその波に乗っている出版社だ。掲載誌「Canna」は創刊3年に満たないが2012年には500ページ超えという、BL誌全体の中でも上位のボリュームに到達した。価格や発売サイクルの違いもあるし、何より雑誌の厚さと発行の安定性は別物だから単純比較は出来ないが、見過ごせない存在感であることは間違いない。
http://anond.hatelabo.jp/20121117212027
の日記を書いた者です。
あくまで自分の勤務している自治体(県)限定のお話ということを確認しておいてほしい。
進学校でも他の都道府県だとここまで補習をしている学校はそうないんじゃなかろうか。
都立に勤めている友人は「夏期補習なんて一週間あるかないかくらいだよ?」と言っていた。
難関校への進学を目指す子は殆ど予備校とか通っているらしい。都会って金持ちじゃないと住みにくいところなんだなあ、と再確認しました。
さらに、
id:comzoo 実業系の教員は楽だなんて何寝言言ってるのだろう。生徒の学業ををちゃんとサポートしようと考える先生はどこの学校でも生徒指導に必死な状況なのは変わらない、定時・通信でもそれは一緒(むしろ大変)
とブックマークのコメントにあったけど、うちの自治体では実業系は生徒指導が大変どころか、むしろ楽なのです。
何故ならうちの自治体では「実業学校=偏差値の低い生徒、問題のある生徒が行く学校」ではないから。
それどころか工業高校、特に人気の機械科なんかは「勉強ができるやつのいくところ」という扱い。
自分の中学時代、のちに国立大学に進学し教員になった自分よりも塾で上のクラスだった友達が工業高校に進学したということもあった。
実際普通科進学校の合格者平均点よりも工業高校の合格者平均点の方が上なんてこともザラにある。
ゆえに生徒の質は高い。うちの県では「工業高校=ヤンキーが多い」なんて図式は成立しない。
研修や部活の顧問会などで実業系の学校に行くこともけっこうあるけど、みんなあいさつをしっかりしてくれる。ある学校なんて「ワンストップあいさつ」を励行していて、生徒は他校の教員だろうが業者の人だろうが
大人に出会うと立ち止まって大きな声で「こんにちは!」とあいさつをしてくれる。
で、そんなもともと生徒の質がいい実業系の学校では生徒指導上の問題なんてあまり起こらない。
さらには
id:a-lex666 進学校じゃなかったら就職指導とかで大変じゃないの?
というコメントもあったけど、実業系の学校では工業科や商業科の教員が就職指導等を主に担当していて、五教科の教員の出番はあまり無い。
そもそも生徒の質が良い上に工業科の教員はビシバシ指導をするので、資格取得の合格率100%は当たり前、合格者数で日本一になっている学校も多い、という状況なので就職先を見つけるのもそう難しく無いらしい。
前述の自分より成績が良いのに(というかむしろ、良いから)工業高校に進学した友人も大手家電メーカーに難なく就職を決め、技能五輪で優勝(厚生労働大臣賞)していたり。
だから実業系の学校に行けば、自分のような五教科の教員は仕事が楽になるのです。他の都道府県ではそうでもないかもしれませんが。
まあ実業系の高校に優秀な生徒を取られる分、ウチみたいな普通科進学校は大変な訳です(苦笑)
あ、勿論うちの県でも荒れている学校はあるけれども、その荒れ具合は教育困難校と呼ばれる学校には程遠い。東京や大阪の公立教育困難校の教員からしてみれば「どこが荒れているの?」と言われるレベル(笑)。
id:naming11 ナチュラルにサービス残業できるインセンティブの正体が知りたい
というコメントがあったけど、生徒がいいから頑張れる、という部分はあると思います。
いい生徒で希望の進路がある、しかし家庭は経済的に苦しく塾や予備校には通えない、当然浪人も無理、という生徒がいればそりゃ何とかしなければと思いますよ。
「教員なら夏休みとか暇だろ」とかつっこまれそうなのであらかじめ自分の勤務状況を書いておく。
勤務時間は8:30~17:00だが毎日7:00には出勤している。
何故なら朝補習があるから。うちの県の普通科進学高校では必ず朝補習が一年生から毎日ある。
これで毎月時間外勤務は120~160時間くらい。勤務時間が7時間半なので勤務時間8時間と考えるともう少し少なくなるけど、結構キツイ。
で、長期休業だが、うちの県の普通科進学校では春期補習、夏期補習、冬期補習がある。補習では当然体育とか音楽とかはしないので
持ちコマ数は通常より多くなるという事態に。自分みたいに3年生も担当していると毎日5~6コマ授業という羽目に。3年生の夏期補習は毎日7コマあるんですよ。
夏期補習はお盆以外はあって、お盆が明けてしばらくたつと残りの8月後半は授業設定日。
その夏期補習に並行して部活の練習、練習試合、大会は勿論のこと、担任のクラスの三者面談、一年生と三年生の学習合宿の引率・指導、夏祭りの巡視に県での研修と盛り沢山。
うちの職場では「夏休みは早く終わってほしい」という言葉がよく聞かれます。
冬期は冬期で3年生は年明けは1月4日からと言いながら実質2日から学校は開ける。センター近いしね。
そんな感じの自分の勤務状況。
なんでこんなに補習などをするのかというと、地方、しかも裕福じゃない家庭が多い地方のうちの県では予備校や塾に通わせる余裕のある家庭は少ない。
それどころか自分が勤務時ている学校の周りにはマトモな塾すらない。
そんな学校で生徒の進路希望をかなえさせるためには教員がサポートするしかないのですよ。
だからうちの学校の学習・進路指導はものすごく手厚い。希望者には毎日添削課題を与えて個別指導してる。まあそのせいで毎日ゆっくり昼飯食ってる暇もないんだけど。
で、もちろんこれはあくまで一例であって、みんながみんなこんな状況じゃない。
運動部顧問じゃなければ結構楽になるし、補習は五教科以外しないので体育や音楽の教員は長期休業中かなりまったりしてる。
それに、自分も今は普通科進学校にいるのでこんな状況だけど、実業系(工業・商業等)に行けばここまでの補習はないので長期休業中はかなりゆとりが出来る筈。
もともとコンピュータ、電気、機械系が好きで小5あたりからプログラミングを始めた。その後コンピュータにも詳しくなり、小学校卒業する頃にはHTML書いて自分のwebサイトを作って公開したりしていた。中学の頃から二足歩行ロボットに興味を持ち始めて。マイコン(PIC)や電子回路などをネットや本で独学した、周りにロボットに詳しい人が居ないので独学には苦労した。
そして中学を卒業する頃には電子回路やマイコンをある程度理解してサーボモーターを制御するプログラムぐらいなら作れるようになっていた。アセンブラやC言語のポインタもこの頃には理解していた。
しかし機械設計の知識がなかったり、工作機械も手元になかったりしたので、この時点でロボットを作ることはできなかった。そこでロボットを作るノウハウや工作機械があるであろう高専を受験した。それとロボコンにも参加してみたかった。
結果はタイトルの通り。ショックだった。
マイコンも電子回路も理解しているのに、落ちたことを受け入れられなかった。
ちなみに自分は軽いコミュ障なので小学、中学と友達は多くはなかった、高専なら話しの合う人がたくさん居るだろうと思ったのだが残念ながら行くことはできなかった。 だが浪人する勇気もなかったので、仕方なく近くの進学校に通うことにした。
今思えば浪人してでも高専に行くべきだったと思う。
高校では普通科のせいもあって話の合う人は一人も見つからず、3年間ずっと一人だった。
高専に落ちたショックや友達ができなかったことなどが影響して、成績は最悪だった。中学での成績は上位だったが、高校では最下位。中学との成績の落差も精神的に落ち込む原因となった。学校行くのがいやになり、夜にこのまま寝て目が覚めずに死ねたらいいのにと思うようになった。
その現実から逃れるように、何か電子工作をしたりLinuxについて独学したりした。電子工作の作品についてはニコニコ動画に動画をアップした。Linuxについても詳しくなりちょっとしたWebアプリも作った。今のメインPCのOSはLinuxだ。
高校3年の時に一番レベルの低い工学系の大学の入試問題の過去問をやってみたが、ほとんど解くことができず大学受験も絶望的となった。その頃から学校を休みがちになり軽い鬱状態に。
なんとか卒業することはできたが、進路は決まらなかった。決まっていたとしても半鬱状態でまともに通えなかっただろう。
今高校を卒業して引きこもり1年目。高校卒業時よりは元気になってきた。
本当は大学でロボット関係の研究もしたかったし、プログラミングやロボットの話のできる友人もほしかった。
プログラミング苦手って言ってる人が理系の大学行ってたりするのを見ると、自分はなぜ行けなかったのだろうと思いつらくなる。勉強すればいいだけのことだが、もう高校のせいで勉強がトラウマになり、まともに勉強できなくなってしまった。
高専受かっていたらこんなことにはならなかった。
俺はにわかではあるが漫画好きで、そのものは隠してはいなかったんだけど、
周りとのギャップに引け目を感じてしまい、あまり人に趣味の話はできなかった。
高校までは公立の普通科だったのだが、理系の大学に行くことになったため、
ついにネットのように趣味の話ができる友達ができるのかと内心楽しみにしていた。
一目でそれだと分かった。
だが、どうも話がなかなかうまく咬み合わない。
そもそも好みが合わなかったり、オレが知ってるような作品を相手は知らなかったり、
同じ作品は好きでも…なんか、よくわからないけどズレを感じる。
なんというか、ネットのおまえらが「にわか乙wwww」といっているやつらのような人たちが、
カラオケだとアニメの曲ばかり歌い、某人気作品のキーホルダーをカバンにぶらさげ、携帯・PCのの待ち受けは自分の嫁にして、
いつでもどこでも漫画・アニメ・ゲームの話をして、「オレオタクだからwwwデュフwww」とか言ってる。
自分勝手だとは思いつつも、なんでそんなに好きなのに、そんなこともしらないの?本当に好きなの?と言いたくなる。
逆に俺も漫画が好きだが、そんなに前面に押し出そうとは思わない。
なんでそんなことも知らないのに、オタクアピールして恥ずかしくないの?にわかアピールになってるよ?とも思う。
話がずれるが、俺はボカロはあまり知らないのだが、知人に結構売れているらしいボカロPがいる。
自称ボカロ厨さんに「その人有名らしいんだけど知ってる?」と何気なく聞いてみたら、
「…?誰それ。CD出したって言ってもインディーズじゃない?w自慢のつもりかもしれないけど、大したことない人だよw」
と言われた。
俺はボカロを知らない。
曲の好みによって層が変わるのかもしれない。
知人はただのステマで周りが持ち上げているだけで、本当は人気がないのかもしれない。
ただ、知人はメジャーデビューはしている。
なんか、オタクであることをひけらかしている人ほど、こういうことが多い気がする。
俺なんて2chの小さいスレとかでは、ただのにわか漫画オタなのに、
現実では、オタアピールすごいひとほどこんなだから、相対的に俺がすごいオタなの?って思ってしまう。