はてなキーワード: 普通科とは
http://b.hatena.ne.jp/entry/toyokeizai.net/articles/-/103434
都市部において両親が高学歴の富裕層か教育熱心な家庭に生まれ、中高一貫の名門私立学校出身者にとっては最底辺の進学先であろう。
それでも私にとってそこに入学できたのは強運と努力と才能の結実した成果であった。
私は中学校では50人中だいたい2番だった。
高校は地元の相対的にはいちばんいい進学校にいき、成績は控えめに言っても360人中だいたい5番以内だった。
その進学校は地域全体で約2000人のうち上位360人が集まるので、合わせると5番/2000人で上位0.25%ということになる。
地方出身者は、首都圏や関西の金持ちなら鼻で笑うようなFランク大学に上位0.25%しか入れないのだ。
日本の大学入試制度は一見すると平等な試験選抜であるが、それに特化した訓練を受けられるかどうかという点で大きな不平等があることを、エリート達は知らない。
塾で真ん中より上なら開成とか灘に合格できて、高校で真ん中より上なら東大法学部なんか楽勝だった奴らが国を仕切っている。
私も上述のように田舎の出身ではあるが、それでも普通科の選択枝が複数ある時点でだいぶ恵まれていたし、両親もいちおう大卒で教育意欲は高かった。
ちなみに中学までの同級生のうちで両親が大卒なのは私だけだった。
ちなみに私が通った大学では、入学後の成績順位が試験のたびに開示されるが、成績上位者はのきなみ地元ローカルトップ高出身で、
成績下位者は一流進学校出身者が占める、みごとなまでの「高校偏差値との逆相関」が見られる。
極限までお受験マシーンとしての能力をブーストされた者と、田舎で競争相手にも欠くような者たちが、
大学入試で結果的に同じ成績を残したのであるから、伸びしろは言わずもがなというわけだ。
しかし田舎の貧乏人に進学のチャンスを与えることは、ポテンシャルの高い人材を上に引きあげるある種の効率を改善することに繋がり、その余地はまだ残されている。
日本の学校教育では「不平等に見えること」が何よりも嫌われ、成績の開示や成績優秀者の表彰などを大々的にすることはないし(運動会で運動音痴の公開処刑はするくせに)、
公立校では進学校ですら進学実績を売りにして生徒を募集することがタブーである雰囲気すらある。
しかしそうした消極的な姿勢によって、塾や私立学校などの有料コンテンツでブーストした層が大学受験を勝ち抜きやすくなり、
格差と階級の固定という、より好ましくない事態が生まれている。
よりチャンスの公平な社会と効率的な人材育成のために、初等教育から徹底した到達度別のクラス分けや飛び級・留年を採用するなど、学力と家庭環境の相関度を下げる改革が望まれる。
詳細は他にゆずるが、階級流動性の高い社会では教育予算が多く、人口に対する教師の割合が多く、公立校でも能力に応じた授業が提供されるなど柔軟性が高い。
(出典がすぐ出せない、たしかシノドスか何かで読んだ、あと森巣博の本とか)
ちなみに私の出身大学は失楽園の著者と同じで、出身高校は極楽とんぼの太ってない方と同じだ。
あと学歴社会の是非は問わないでください。高学歴を是として、高学歴が高収入を得られるのを前提にしないと話がややこしくなるんで。
学校という特殊な環境での作法に偏重した人間ばかりというのは、奇妙だ。確かに学校は一面として社会の雛形ではあるけれど。
余談だが、学校は経済 生産 商業活動と距離をとっていて、ともするとカネ=汚いという感覚すら刷り込まれている気がする。
何か神聖な場所、社会から切り離された場所であるという風潮はできるだけなくすべきだ。
更に余談だが俺は公立高校普通科出身で、文化祭の予算は1~2万円/1クラスだった。そういうとき(しょぼい学校のしょぼい学園祭なのに客はかなり多かった)こそ利益を産む練習をさせるべきだ。30万円を60万に増やせばいい。
そういや高校のとき職場体験無かったなあって思ったけど、仕方ないよな。バイトしかできねえもん。社会が複雑化して技能が高度化したのが高卒大卒が当たり前になった理由のひとつなのだから。スレタイも簡単には行かないんだろうなあ...技能持ってる企業出身者なんてむしろ大学教授とか専門学校のほうが向いてるし。だいたい普通科高校なんてとりあえず大学行こうかなって考えるやつが行くところだし、俺もそうだった
ちな3級を1週間の勉強、
2級を3週間ほどの勉強で、
仕事をしながらでそれぞれ取得。
そんなことは全然ない。
仕訳なんて出来なくてよくて、より実践的なコスト感覚などの方が重要だよね。
簿記サイコー神話は、資格を取った人のバイアスがかかってる気がする。
B.S
簿記の基本を学校で教えとけっていう増田(http://anond.hatelabo.jp/20151109212125)がいて、ブコメもたくさん集まっていて、
だいたい「その通りだ」という意見とか、「そんなもん、必要になったら学べばよい」みたいな意見とか、
「何を削るんだよ。学校では基礎教養を教えるべき」とかいろいろあるけど、
多分、問題なのは、そこそこ一流という学歴を得るための日本の教育カリキュラムをまっとうにこなしても、
簿記とか会計の仕組みや考え方が、世の中においてかなり大事な仕組みであり、しかも、人類の知的遺産の一つである、という認識が
で、そのまま、管理職になったり政治家になったりジャーナリストになったり評論家になったりして、
なんか、いろいろ混乱させている気がする。
「必要になったら自分で身につけられる」って、それは当たり前で、必要になりゃ人は学ぶもんだ。
あと、別に実務的な帳簿のつけ方を、必ずしも全員に教える必要もなくて、
それより学校で教えるべきことは、いろいろあるとは思う。
例えば、政治の分やでは学校で民主主義とか基本的人権が大事ですよとか、現代につながるそういう思想は
市民革命を経て生まれたんですよとか、そういうことを、学んだりする。
それは、必ずしも、いわゆる「公民」の分野だけじゃなくて、世界史とか学んでも、そういう視点がある。
なのに、会計学とか、株式会社とか、そういう概念については、あんまりそういう視点で教えない。
簿記の起源や諸説あるらしいが、そのうちベネチアやジェノバの商人に導入され、ヨーロッパで洗練されていったものらしい。
オレ自身、詳しくはないが(なにせ、学校で習わないし)、その後、株式会社というものが生まれて、
ヨーロッパ文明が大航海時代から植民地支配へと、傍若無人な力を発揮するうえで、
で、今の社会だの世界情勢だのを語るうえで、企業というものを無視するわけにはいかんだろう。
日本の社会の多数派がそこに属しているわけだし、一生かかわらずに生きる人は多分いない。
別に、具体的に仕分けがどうこうとか、細かく必修で教える必要はないだろうし、
そんなことして別の内容を削る必要もないと思うが、
世に複式簿記というものがあり、それがどんな重要な役割をはたしているかということだけは
教えておけばいいのではないか?
その程度だったら、既存の社会科の内容をちょっと手直しすりゃ、できると思う。
少なくとも、日本史で、仏像の写真みて仏師の名前をこたえられるようになったりするより、大事な気がするし
社会科といえば「いいくにつくろう鎌倉幕府」(最近は、年号違うらしいけど)とかを思い浮かべるばっかりとかいうより、
ましな結果になると思う。
興味が湧いたやつは、そこから深堀したり、進学先を経営学部や商学部にしたりするだろう。
そもそも、学校で学ぶ範囲の中で「興味を持つ」ことすら難しいんじゃないか?
オレは学校で周期律というのを習ったが、社会に出て実際に役に立ったことは、ほぼ無い。
それでも、過去にああいうものが作られて、それで世の中の物質がすべて説明できて、
そういう知識が積み重なって化学が発展してったことを
学校で学んだことはムダだったとは思わない。
実際に帳簿を付けたり仕分けをしたりはしない人たちにとっても、
そういう感じで、「複式簿記というものがあり、それは大事なものなんだなあ」と知っておくべきだと思う。
社会に出て、実際に具体的な知識を身につける必要に迫られた人は、多分
「ああ、社会科の時間になんかいってたのは、こういうことなんだなあ。もっと学生時代に勉強しとけばよかった」
と思うはずだ。
ヨーロッパの文明が「複式簿記」という仕組みを洗練させ、それが、現代まで続く、企業会計の基礎になってきたという
そのことを知るのは「教養」だと思う。
うちの学校では、長文読解の授業が「コミュニケーション・リーディング」というタイトルで、文法解析をやらせる。
コミュニケーションというのは文法と仲良くしてねということなのだと赴任してから思うことにしている。
おかげで生徒は文法の問題集はよくできるんだけども、リーディングの問題集をやらせようとすると出来が悪い。
確かに精読する力も必要だけど、それをリーディングのクラスでやる必要はあるんだろうか。
要は文法解釈なんだから、それは文法のクラスにまかせて、リーディングクラスでは色々な英文に触れること、その内容理解の問題を解くことのほうが重要のように思う。
リーディングクラスですべての文に文型を記入して文法の解釈だけを進めていくのは、とても実践的じゃないし、試験対策としても向かないやり方だと思う。
そんな不満を抱えているけど、講師のわたしではなにも変えることができないし、そもそも生徒は学校のやり方を盲信しているので新しいやり方を嫌うことが悔しい。
本人たちの努力や意思が関係するから「保活」って言葉があるんでしょ。
実際望みの園の近くに引っ越す人もいるわけで、近所に他にないから選べないんだもん!と言い出すのは努力不足だよ。
そもそも大元の話って認可外だし、なら尚更行政の基準なんて関係ない話。
高校だって公立は学区がある地域もあるから入りたい公立校の学区にわざわざ引っ越す人もいるし
ど田舎で近所の公立高校は農業高校しかない、でも進学したいから私立行って寮入る、なんて人もいる。
でもそこで「今どき大学行かないのなんて有り得ないから農業高校を受験に対応した普通科にするべき、しないのは頭おかしい」と言い出したら
頭おかしいのはお前って話だわな。
センター試験があと1週間というところまで迫ってきた。しかし私は今ほとんど昼夜逆転の生活を送っている。朝起きれないのだ。だいたい午後2時ごろ予備校に行き、9時半まで勉強して帰るという生活を繰り返している。1月1日のセンター試験直前模試もおもわしくなかった。もうどうにもなる気がしない。
そもそも私は高校を卒業していない。高校に入学して3か月で学校を辞めている。本来なら高3の年齢のとき高卒認定を取って国公立大の前期試験と後期試験を受けたが両方落ちた(経済的に私立は厳しい)。
なぜ不登校になったかと言うとイジメに遭ったからだ(あ、一応言っておくが私は女だ。イジめられる女の特徴は分かるだろう。つまり根暗なブスだ。)。実は小学生のころは優秀だった。中学は公立中学に進学したが、小学生のころは中学受験組と負けず劣らず勉強ができていた。しかし中1でイジメに遭って不登校になってから私の人生は転落した。学校で授業を受けなければ勉強は分からなくなる。本当に簡単に分からなくなる。中2の時点で私は一次方程式が解けなかった。自分が天才でも何でもなく、ただ人より真面目だったから人より勉強ができていただけだという事実にも気付いた。不登校なりに自分で勉強しようと思って買った問題集が意味不明すぎて何度も泣いた。
高校は家から片道1時間半かかるところに行った。同級生が少なかったから。高校受験の直前期は必死に勉強して、偏差値45程度の普通科の全日制の高校に合格した(ちなみにこのとき役に立ったのがYahoo!知恵袋である。勉強に関する質問だけで100件近く質問した。半分くらいの回答は理解できなかったが。)不登校続きで内申がボロボロだったのに何故受かったのか実は今でも分からない。しかし偏差値45の高校のレベルを私は甘く見ていた。ただちょっと勉強が苦手な人たちが集まっているだけだろうと思っていが甘かった。卒業までに1クラス分の生徒が辞めていく学校だったのだ。かなり荒れていた。私は入学後1カ月も経たないうちにイジメに遭い、夏休み前に学校をやめた。中学のイジメより酷かった。
本来なら高2の夏だったころから勉強を少しずつ始め、高卒認定を取り、一念発起して去年の四月から小さな地方の予備校の浪人生コースに入学して1年やってきたが、イジめられて引きこもっていたころの怠け癖はとうとう抜けなかった。何をやってもすぐ集中力が切れてボーっとしてしまう。これは不登校だったころ自分の感情が壊れるのを防ぐために身に付けた「ちょっとつらくなったらすぐに考えるのをやめてボーっとする」という術だ。結局センター試験直前の今になっても、午前中はダラダラしている。昔は勉強が楽しかった。家にいても暇な時間に勉強していた。つらくなるとすべてが昔イジめられたせいな気がしてくる。この前私をいじめていた人たちのTwitterのアカウントを見つけた。一人見つければ芋づる式に出てくる。専門、就職、大学、進路はさまざまだったがみんな楽しそうだった。わたしは何故ああなれなかったのか。私は大学に行けるのか。仮に行けたとして未来はあるのか。この怠け癖はどうやれば治るのか。もっと能動的に行きたい。けれど、どうにもならない。
http://anond.hatelabo.jp/20131012170647
それから、今は、8年が経ちました。
高校は普通科全日制の、日本で高校と言えば15歳から18歳が通うと想像されるようなところに通いました。
しかし、普通科の高校では、理系のクラスで、優秀な成績を修めて卒業しました。
しかも、管理栄養士養成施設に指定されている学科をもつ大学に、指定校推薦で合格し、進学しました。
2010年4月に、その管理栄養士養成施設の学科に入学し、今は4年生をしています。
薬による、手の震え、のどの渇き、足がむずむずして歩き回りたくなるなどの苦しみも持ちながらも、授業は順調に受けました。
調理学や、公衆衛生学、臨床栄養学など、とても面白く、大好きな授業ばかりで、学ぶことは幸せでした。
また、小学生の時から、給食が大好きな子供で、10歳のころには栄養士を志していました。
統合失調症を患ったとき、栄養士になるのは無理だろうと、家族の全員が思いましたが、私はあきらめませんでした。
高校も、栄養士になりたい、管理栄養士養成施設に進学したいという気持ちで、無理に無理を重ね、頑張って卒業しました。
実際に管理栄養士養成施設の大学の学科に入っても、苦しかったり辛くても、頑張って授業を履修しました。
そして、ある壁にぶつかりました。
管理栄養士になるためには、小学校や事業所、福祉施設や病院などで、臨地実習というものをしなければなりません。
私は、心療内科に通い、処方された薬を、かかりつけの医師の指示通り服薬しています。
病状は、安定しています。
それなのに、臨地実習というものは、大学の教職員が頼みに行って受け入れてくれた場所に行くのに、統合失調症であることを明かして探すと、断られるというのです。
かかりつけの医師にも、大学を出た後は、障害者雇用枠で働くことを勧められています。
障害者手帳の3級を持っていて、通学に使う交通機関を安くしてもらったり、映画で割引を受けることをしていて、うまく使っています。
仕事も障害者手帳を利用して障害者雇用枠で入るつもりでいたので、大学にはとある部署に手帳のコピーを預けています。
そうして、大学側は私が統合失調症であることを知っているわけです。
管理栄養士養成施設の卒業のためには、臨地実習を複数受けることが必要でした。
臨地実習の担当の先生には、統合失調症を隠して実習先を紹介していただけないかと頼みましたが、信用問題だからできないと言われました。
養成施設と、実習先には、頼みごとをことわれない関係が必要なのです。
教職員の方々が、大変な苦労をして、在籍する学生の人数、受け入れてくれる場所を開拓しています。
トラブルがあると、その次から断られたり、人数を減らされたりします。
できれば断りたいのが現状です。
そんな私は、臨地実習の単位が取れないまま、実習のめどがたたないまま、4年生も終わろうとしています。
4年生の年度末で、私は今の大学を退学するつもりです。
必修が取れないので、卒業はできません。
もし、統合失調症を患う高校生で、管理栄養士になりたい人がいたら、病気を隠して通うことを勧めます。
大学側が知っている場合、病名を明かして実習先を探すので、まず見つかりません。
隠し通して、授業を履修してください。
私は、小学生の頃の夢が叶いませんでした。
給食が大好きで、給食を作る人になりたくて、管理栄養士を目指してずっと頑張ってきたつもりです。
病気の壁には、勝てませんでした。
大学の先生に相談した時は、「気合い入れて病気治してきなさい」などと言われました。
現在の医学では、統合失調症は、薬で脳を眠らせ、ドーパミンが暴走しないように抑えて、抑えられすぎたせいでパーキンソン病にもなるので抗パ剤も飲んで、何とかやり過ごすだけです。
完治することは、ありません。
これまでの8年間、私は本当に頑張ったと思います。
もう、無理はせず、栄養関連の仕事はあきらめ、ほかの仕事に就きます。
それなのに、夢をあきらめることになり、辛い気持ちです。
これからは、障害者雇用で仕事を探して就き、奨学金を返済していくつもりです。
退学しましたが、文転して、別の大学で文系の学問を初歩からやっています。
今は精神面から身体もバランスを崩してしまい、休学中ですけれど、奨学金は仕方がないので親がその親(祖母)が無くなった時に受け取った遺産から一括で返済してくれました。
ずっと、心に整理がつきませんでした。
最近になって、やっと給食に携わる仕事に就けないという現実を受け入れられるようになり、また筆をとりました。
そして、こんな記事を見ました。
http://orcinusorca.hatenablog.com/entry/2013/10/13/214117
高校から推薦で大学を受けられるくらい欠席日数が少なかった時点で、もう寛解でした。
大学でも、100単位以上履修している時点で、もう健常者と同程度の学力や作業能力があると、自分で過信していました。
臨床栄養学などの座学での成績もよく、講義を行う教員からも「石田については国家試験のことは一切心配していない」などといわれ、喜んでいました。
給食経営管理実習という大学内の給食室の機能を持つ教室で行う授業がありました。
それに関しても、予算内の金額で、予定時間内に調理を終える上に、美味しくて季節感のある献立作成、実際の調理の実務を担当するときの連携、週替わりで巡ってくるパートごとのリーダーを担当した時のアクシデントへの対処など、実務については問題なくできると学内実習の担当教員も言ってくれました。
別の必修授業でのことですが、経口ブドウ糖負荷試験(OGTT)をする実験の授業もありました。
前日の夕食後から何も食べずに1時間目の授業にきて、ぶどう糖溶液を急いで飲み、30分ごとに自分で指先に針を刺して血糖をはかりました。
その実験のときに、私が一日三食毎食後の服薬を医師から指示されているが、朝の薬が食後に飲めないと直訴したら、ほかにも朝食後の服薬が指示されている学生がいました。
パキシルを飲んでいた方の学生は、学外実習に参加していました。
退学することを決めたあとも、ショックで、何にも集中できなくなり、今ではなぜ栄養学を勉強するためには自分でできていたこともできなくなり、不思議なくらいに病気は悪化しました。
幻聴は無いので、再発ではなく、うつ病の発症だと思いましたが、医師の診断名は統合失調症のままで、抗うつ薬が増えたり減ったりしています。
パキシルという薬は、うつ病に代表される不安や神経の過敏なときに用いる攻撃的な衝動との因果関係のある薬です。
その生徒は、授業も時々欠席する方でした。
それを服薬する学生が実習を受けれて、統合失調症が寛解で薬の副作用はあるものの、病気の症状がない私が受けれないのには、憤りを感じたものです。
退学してから、すっかり引きこもりになり、これからはリハビリしながら、長い目で社会復帰を目指します。
高校も、栄養学科時代も、週に5日(高校は土曜含め6日)学校に行けていたのに、今では自宅のゴミ出しだけでも、辛くて、心因性の別の病気でも発症したのではないかと思うほどです。
http://anond.hatelabo.jp/20141030234015
全くその通りで、高度で複雑化した現代社会で、法律知識に欠けていたらやっていけない。
世の中全体が複雑化してくると法律知識に欠けた市民で構成されている社会は、もはや上手く動かないし、
個々人としても法律知識に欠けた人は、違法行為での炎上案件に見られるように、仕事や私生活でもつまずく危険が増える。
現代社会で生き抜くための基礎的な力を身につけさせるのは教育の使命の一つのはずなんだが、今の初等中等教育の
カリキュラムでは、そこで重要な力になるはずの法律(それに経済)に関する教育が全く足りてない。
ペースとしては2、3ヶ月に1回もあれば十分。体育でいう保健講義くらいのウェイトでいい。
という認識はおかしい。その程度の話で良いなら少なくとも普通科高校まで出ていれば、カリキュラムの中で公民や現代社会、
政経といった科目の中で法律論に類する部分の基礎も「3か月に1回」どころでは無い時間をちゃんと割いてきている。
それなのに「法律的な考え方」が身についてない人が多数いるというのは、単純に時間数が足りていないから。
元増田氏がきっちり認識しているように、法学というのもきちんとした学問で、基礎からきっちり学ばずに個々の法令の条文の
さわりを教えたところで身につくものじゃ無い。電卓やEXCELが有るからと言って九九を知らずにフーリエ変換の解き方だけ覚えるのは
無理があるのと同じ。「法学の思考法」を教えて法律がからみそうな局面では、日常生活の規範をちょっとずらして
「法学の物差しも思考判断に取り込める」ようなレベル(=社会生活を送る上での実用レベル)にまで持って行くには、
(知識的な部分は将来その都度調べれば良いと考えて、徹底的に省略出来るにせよ)どうしたって主要教科並みの時間を割いて
3年間は教える必要があるだろう。
実際の所、法律知識の欠如に留まらず、社会が複雑化して、しかも個々人がその社会全体と直接向き合う機会が増えたのに、
初等中等教育のカリキュラムの時間配分は、農家が過半だった戦後すぐの時代からの微修正に留まっていて、「読み書きそろばん」に
もちろん「読み書きそろばん」が重要では無い、ということでは無く、「普通に生活していく上で必要な知識」というもの自体が
半世紀前の倍(あるいはそれ以上か?)になってしまっていて、特に法律や経済といったあたりは、現実社会ででやっていく上での
必要性に比して、カリキュラム上で割かれている時間との乖離が特に大きいから目立つ、というだけの話でもある。
教育水準は、戦後ほぼ一貫して間違い無く絶対的水準では向上していて(「近頃の若い者」の方が「50年前当時の若者」より
間違い無く賢い)、これは日本の教育システムの偉大な成果。ただ、緊密にネットワーク化され高度化複雑化した現代社会では、
「生きていくための最低限の知識」の合格点自体が大幅に上がってしまっていて、相対的に見ればむしろ教育水準は合格点に届かなく
なってきている。
法学や経済学を初め、政治学、統計学など今の教育で不足が大きい部分をきちんと取り込めば、どんなに詰め込んだところで
現行の初等中等教育12年では「市民として生きていく最低限の知識」を得るための時間としては全く足りていない。
法律教育の強化に利点があるのは確かだろうが、替わりに削られる部分が出る(そしてそこも重要な知識だ)ことを鑑みれば、
全体的に社会の得になるとも言い切れない。
俺の通っていた高校は普通科と商業科がセットになっているところだったので、なんというかいろいろと問題があった。二つの科の間には見えない壁があったから互いが互いを敵視したり学園祭や体育祭で衝突が起きたり殴ったり殴られたり陰湿ないじめや表立った暴力、ウラでこそこそ復讐したりされたりとまあそういう学校だった。
ただ普通科の生徒も商業科の生徒も学校をなめてて社会をなめてて大人をなめている点ではけっこう気があっていて、そのなめてかかる相手の象徴たる校長に反発するときだけは妙な協力関係を築いていた。
おおよそ町では商業科の生徒が問題をおこし、翌日学校集会が開かれ校長が怒鳴る。きまって商業科がぶつくさ言いはじめる。続いて普通科もぶつくさ言いはじめる。最終的には体育館全体がざわざわし校長の血圧だけが上がり続ける。マッチョの体育教師が数人殴っても全体は静かにならず、教頭のバーコードが乱れ、ひ弱な古文教師が眼鏡をかけ直す。最後は決まって新任の女教師がアニメ声で大声を出し全員ピタっと静かになる。それがまた校長をイライラさせるのだった。
そんな高校3年間を過ごした俺たちの大半は進学か就職を決め、また何人かはもう学校には来なくなっていて、さらに一人か二人かは交通事故で死んでいた。そして卒業式。校長がいつにもまして憎らしい顔をして登壇する。俺たちも同じようになめた態度をとる。
校長からの送る言葉。前半ほとんどは来賓のお偉い方々への媚びへつらい。そしてやっと俺たちのほうを向いて口を開く。
体育館がどよめく。
「学生時代は社会の荒波から守られ、好き放題やってこれただろう。しかしこれからはおまえら一人ひとりで立ち向かわなければならない」
あちこちから舌打ち。
「社会にはいろんな人間、いろんな組織、いろんな思惑があり互いに連携しあって回っていく」
んなこたぁわかってる。
「だがまあ社会なんて言うとおおげさだが、人が二人いればそれはもう社会だ。歯車だって最低でも二枚なきゃ空回りするだけだ」
そうだな。
「だから最低でも二枚の歯車になれ。自分の愛するパートナーに出会い、一番小さな社会の歯車になれ」
お、おう。
「まずはそこから始めるといい。ああ、それとな、歯車ってのはちょっとだけ遊びがないとうまく回らないんだ。ギチギチだと歯車は回らない。その点おまえら遊びだけは得意だったろう?」
……。
「まあうまくやれや」
その時の校長の言葉を真に受けるヤツ、そうでないヤツ、いろいろいたがまあ俺は若干真に受けたほうかな?今じゃニートしながらスチームパンクグッズ作ってる。わーい歯車、あかり歯車大好きー!
中学生の時、「漫画家になるために絵の勉強がしたい!美術系の高校に行く!」と宣言。親、激怒。
見返すために漫画を一作仕上げ雑誌に投稿。結果、選外の最下位クラス。
漫研もなく美術部も名前だけしか存在しない高校だったため、漫画の次に興味があった演劇部に入部。
そこそこ楽しいハイスクールライフを送るも、中盤で「やっぱり絵に関わることがしたい」と美術系大学への進学を考える。
大学及び予備校の資料を集め、足を運び、大学卒業後のことも視野に入れ情報を集めるも、家庭の経済事情により断念。
大学では漫研と美術部を行ったり来たりするも、大学サークルの雰囲気に馴染めずドロップアウト。
演劇とサブカルの間をうろうろしながら、のろのろと漫画を描き上げ、数作投稿。結果、選外。
二次創作も含めウェブでの作品発表をぽつぽつと行うも、底辺の描き手から抜け出すことはなかった。
この鈍くささは創作活動以外にもおよび、わりときちんと就活に勤しむも無い内定のまま大学卒業。
そのまままた一年就活に駆けずり回り、文学にも演劇にも漫画にも関係ない所に就職。
仕事のストレスによる胃痛を抱えながら漫画を描いて投稿。結果はもちろん選外。
そうこうしてるうちに初投稿から10年あまりが経過し、同世代はおろかデビューするのは年下ばかりになってきた。
上京して必死に持ち込みしたり、アシスタントをしながら頑張ってたりするガチの志望者にGペンでぶっ刺されそうなぬるい経歴である。
そんな身で言うのもなんだが、やはり全てが足りなかったのだと思う。努力も、才能も、覚悟も。
全てをぶったぎって漫画一筋に懸けりゃあよかったんじゃねえの?という思いも無きにしもあらずだが、そこまで自分の才能を信じることもできなかった。
遅咲きデビューの売れっ子作家もいるよ、と励まされたこともあるが
そういう人は、たまたま漫画を描き始めるのが遅かった天才か、美大出てたり同人活動で実績があったりという人で
なんやかんやで20代前半までにきっちりとした土台を築いている人なので、自分のような人間と並べても意味がない。
それでもまだ、仕事を終えると家で漫画を描いている。ネタを思いつくとネタ帳に書き連ね、手が空けばクロッキーなどをしている。
最近自分の絵を見ていて「やっぱりちゃんと絵の勉強したかったなぁ…」という気持ちが湧いてきて、社会人の経済力()を活かして画塾に通うことにした。
同世代が婚活だキャリアアップだと息巻いてるなか、画塾。我ながらアホじゃないかと思う。
これは自分への投資などではなく、ただ世の自己承認欲求に付け込んだ商売に絡め取られているだけなんじゃないか。
まぁもうお金払っちゃったんだけど。
漫画を描いていることは中学生以降人には黙ってたのだが、最近恋人にカミングアウトしてみた。
なにやってんの、いい年して夢ばっかり見て、現実見なさいよ、と叱り飛ばされることを期待したのに
「いいんじゃないの、社会人なんだし自分のお金で好きなことしたら。夢があるって素敵だよ。
芸術ってさ、いつ評価されるかわかんないじゃん。死んだ後に価値が上がるとかザラにあるんだからさ」
と励まされた。恋人以外の人もわりとこんな感じの返事だった。
漫画は死後に価値が上がるような芸術ではないし、自分が万が一デビューするようなことがあっても漫画で食べていくことは不可能だろう。
なんで止めないんだろう。人に引導を渡すのは嫌だからだろうか。
そしてここまでのことを理解しておいてなお、なぜ自分は漫画を描いているのだろうか。
漫画を描いていることがこれからの人生でプラスになることがあるのだろうか。
安西先生、諦めとはなんでしょうか。
「私、音楽ファンですなんですよ」→「へえ!音楽の!あの音楽!音を楽しむと言われるあの!へえ~!」ならない。
「あの人、音楽ファンなんですよ~」→「・・・・・・へえー」あの人像がどうにも伝わってこない。
「音楽ファンって、いるじゃないですか」→「うん・・・(?)」宇宙人はいるんだし。
あった。
音楽ファン - ファンの分類 - ファン - Wikipedia
「音楽ファン」とは多数の「音楽に端を発するファン像」をまとめた総称ということで
音楽ファンを上位の集合とみなして、何か別の下位の分類(例えばジュディマリファン)をカテゴライズする場合に用いるのが、耳に心地よい。しかし上位すぎる分類(音楽ファン)を直接個々の要素に宛てると混乱する、と。
Bくんは音楽ファンだ→うん?音大卒?普通科は普通ファン的な?
Bくんはジュディマリファンでジュジマリファンは音楽ファンでっBくんは音楽ファンッ(一気に)→うん
ちょうどいいのあった
人は死ぬ→うん
Bくんは死ぬ→えっ(びっくり)Bくんに秘孔が突かれたか確かめる
高卒も普通科だけじゃなくて、工業科、農業科、商業科卒も混じってる。
学部卒院卒も聞いたことがない大学から、宮廷、ポスドク崩れもいる。
教師くらいならとにかく、気象予報士、薬剤師、MBA、獣医師、行政書士、司法書士、技術士補。
(弁護士と公認会計士、医師ばかりはいない。あの三つの資格はやっぱりチートだな。
いろんな事情でこうなった。
それなりに楽しいよ。
ブコメでいろいろ書かれてるが、本当にいろいろな事情としか言えない。
10年以上教師やってた人が転職してきたとかは、なにか事情があったんじゃないかと思う。
おそらく修行に出されてると思われる高学歴な創業者一族の息子とかもいるが、彼を部下に持つライン長は可哀想だ。
役所と仲良くやるために地元の高校から採用ということだったり、派遣も3年雇ったら正社員転換ということだったりで。
バックグラウンドが違う人たちが一つの仕事をするということは、悪いことではないと思う。
管理する側は少し大変だと思う。
これに驚いてる人たちって、設計だとか研究だとかはオフィスビルでやってると思ってるのだろうか
高卒だけで製造部が回ると思ってるんだろうか
http://anond.hatelabo.jp/20140321231503 を書いてもう結構日にちが経ってしまったけど、コメントを多く貰えて嬉しかったので、それに答えていこうと思う。
すべてのコメントに対してではないことと、似たものはまとめていることをご了承願いたい。順不同。
http://anond.hatelabo.jp/20140322114633
終わりの移民についての考えを詳しく聞きたいな
学歴や職歴を持たないまま日本に移民してくる人をどうするかが問題と言うことかな?
つまり、そういう人たちは雇用や労働を提供するメリットよりも社会保障サービスを受給するコストのほうが国にとってしんどくなっちゃうということ?
あと、そういう人たちを「一般人と同じ思考・行動の移民」と表現するのは面白いなと思った(そういうのはヨクナイ!とは思っていないよ念のため)
読み違えていたら指摘してちょうだい
最後は急ぎすぎた。やはり読み返してみると不十分だったが、ここまで理解して頂いてありがたい。
一般人思考の移民の二世はやはり一般人になるのは、カナダで感じていた。中国系移民はチャイナタウンでものを売るという認識が強いが、それとは一線を画し、中国系でも親がカナダ本国の商社マン、大学院卒の子どもはやはり高学歴指向である。このようなケースでは移民を受け入れる意味が十分あると思うが、ここにだした工場勤務は学歴は正直関係ない(社員としてプロセスの効率化を図ったりする頭脳系は別)ので、移民で賄うよりかは、ニート・フリーターをどうやって奮い立たせるかにかかっていると思う。
つまり知識・頭脳・技能で唯一無二あるいは高いクオリティを持つ移民には賛成だが、単なる労働人口の現象での受け入れには反対ということである。ただしこれはかなり利己的で勝手な意見であることは重々承知であるし、そこまで上手くいかないことも予想がつく。
特に作業員として来て建設・製造系で働いている移民だとリーマン・ショックのときに生産が落ち込んで労働者を大量解雇したのが記憶に新しいし、次にそうなった場合、日本生まれ日本育ちの自国民を優先して移民を見捨てるのか、それとも平等に扱い福祉を提供するのかでは意味合いが全く違ってくると思う。ただ移民に永住権・就労ビザを与えておきながら社会保障・福祉を与えないのは国際問題になりかねない。
社会サービスコストに関しては、移民への支給が重荷になるとしか書いてなかったが、改めて考えると現在高齢者向けの支給が追いついてないという状況で、財源と鳴る労働者が増えるという意味では移民もひとつの手段として悪く無いと思う。少なくとも短期的に見れば税収がプラスになるから。ただその労働者が働けない状況(怪我・障碍・高齢)になったときの保障は・・・?と考えるとプラスになるのかどうか疑問である。(ここでは移民=永住権で話しているので、もし数年の期限付き就労ビザで景気が悪くなれば更新しないと言ったことは考えていない。)
http://anond.hatelabo.jp/20140322145453
>不思議なことに、ご飯作る工場なのに、その話を聞きながらご飯を食べたくはならない。誰しも言うが、一度勤めると外食について足踏みしてしまうようになる。
えーマジで?
大手コンビニチェーンの工場行ってたけど、残り物の総菜がバイキング形式で無料だったから毎日腹一杯食ってたなあ。
まあ思い出してみれば弁当持参の奴も少数ながらいた気がする。
…と書いたものの、確かにお腹が空けばそういう風に感じていても食べると思う。とくに無料なら尚更。ただ、それでもあえてお金を出して買うことはしないだろうな…と思う。
そう簡単に国籍取得はできんやろ 震災以降は年一万ぐらいらしいで(http://www.moj.go.jp/MINJI/toukei_t_minj03.html
印象・感想で物事を書いていたので、データを頂いて有難い。移民=帰化と考えているので、受け入れたとすればこれからこの数字がどう変化するのかが問題だと思う。
学生時代に下落合にある学生センターで日雇いの仕事探してやっていたので、いろんな職種に触れられたのはけっこういい経験だった。まあまだギリギリ雇用がなんとか良かった時代なのもあるが。
実は今でも学生だったり年齢が一定以上だったり年収の基準をクリアすれば日雇い派遣で働けるらしい。様々な職種に触れるし、研修なんてないところがザラだから自分で考える力と、人を見て真似る力はすごく身についたと思う。
オバちゃん強いよねー
だから言ってるじゃん、工場のおばちゃん最強だって。日本は工場のおばちゃんたちで成り立ってるようなもん/農家のおばちゃんも強い/スーパーのおばちゃんも強い/おばちゃん強すぎ勝てないw
オバチャンのルーティンワークに対する適正は異常だ。ルーティンワークって気が遠くなるほど時間が長く感じるモンだけど、オバチャンは「鼻歌でも歌ってたらスグよ!」って笑って言ってた。
…などなどオバチャン関連のコメントが多くて驚いた。オバチャンが秘める力は偉大だ。定時でスパッと退勤するというコメントがあったが、これに関しては容赦なく帰る。子どもや夫がいれば尚更だし社員さんの「帰らないで」というお願いに「イヤだ、帰ります。子どもも夫もいるんで」と言い放ったオバチャンは、定時に帰るのは当然の権利なんだけれどもとてもかっこよかった記憶がある。そして仕事ができるオバチャンほど、室長だとかそういう肩書を嫌う。気づけば力関係が出来ている具合である。
最近のFAの流れを見ていると今までは「危険」or「重労働」or「人間では無理」で「単純作業」でないとコストが合わなかったロボットが汎用化されてこの辺りでも「単純だから」という理由で普及が始まる。震源地は中国
実は働いていた工場は予想以上に人力だった。機械を導入すればここにいる3人は働かなくていいのにと思ったが、機械を入れるコストが見合わないのか、面倒くさいのか…。型にはめる作業は人間がやって、押しこむ(圧を加える)のを機械がやるような機械と人間の分業が足りないと感じた。単純作業だからこそ機械と真逆を行くような「単純作業だからこそ人間」という感じだった。
感じ方は人それぞれだと思うが、少なくとも私はここの工場労働は社会の底辺だとは感じなかった。意外に楽しかったというのもあるが、何より人間味が少しでも感じられたのが大きい。上を見ればキリがないのと同じで、下を見ても果てしないのだと思う。
彼は気付いていない。人生は単純作業の積み重ねでできていることを。
社会と経済は単純作業の積み重ねでできているとなんとなく認識したが、人生までは考えていなかった。ただ接客と事務しかしてこなかった中で、工場のアルバイトというのは少なくともここに徒然と書くほどには考えさせられる出来事だった。
たまに「高校普通科は公務員養成校」という言葉を聞くが、教育がそもそも事務系に傾き過ぎな気がする。工業系の労働者が不足しているなら工業高校や工業大学をきちんと整備しなおすべきだし、専門家が欲しいのなら高校段階ならSSH(スーパー・サイエンス・ハイスクール)やSELHi(英語強化)をもっと推し進めるべき。単純労働者の不足が不安定雇用に原因があるのであれば、東急ハンズのように時給制だけど準終身雇用のようなものを推し進めるべきだと思う。ただ、ここまで単純な問題でもないとは思う。
いやいや、そこは逆でしょう。苦労してがんばったんだから買ってくれって言わなきゃ >できればコンビニに行ってもカツ関連の製品は買ってほしくない。あれが一番手間がかかる。
確かにそうなんだけれども、値下げキャンペーンの悪夢と言うべきか本当に沢山買われてしまうと工場内はえらいことになる。派遣の人もすぐに来れるわけではないし、一度に働ける人数にも限界がある。甘いと言われればそれまでだが、現場は「安定・漸増」指向だろう。
工場のおじちゃんも年を重ねているが、おばちゃんに比べて働かない人が多い。考えてみるとまず働けるおじちゃんはサラリーマンか他の仕事をやっているのだろうと思う。ここで女性の社会進出まで色々論じるつもりはないが、そのような要因で社員のように(時には社員以上に)働けるおばちゃんが本来はそこまで求められないパートとしていることに驚きを隠せない。
おばさんの件はカイゼンの形で吸い上げるシステムが欲しいね。学生時代にいろいろバイトしたけど食品加工と厨房だけはもうやりたくない。臭いで食欲失せる。最後の段は他国の高学歴リソースまで食おうって話でなあ。
そのおばちゃんはシステムとして全体を見ることは(立場的に)できないので、一部しか見て提言している可能性が大きい。例えば、そこが律速でなかったら、ペースにムラができ、時間管理が面倒になるとか。
いや肉体労働系のバイトをやると天下国家を論じたくなる気持ちも、個人的にはよくわかるよ。私は年末年始に郵便局のバイトをよくやるけど、その度に自分のブログでカイゼンを論じた。あとオバチャンも論じてた(^▽^;
すっかりほとんど全ての工程が自動化していると思い込んでいたことは前の投稿で述べたが、パートが不満を感じているというのはきっとどこもそう変わらないだろうから、そこで実際に労働者が感じている不便や、オバチャンの意見をうまく吸い上げて、きちんと解決策を提示できればビジネスになると思う。特に社員さんはカイゼンをしている時間が無いので、外部のコンサルタント会社や、機械メーカー・商社が参入する余地は十分にあると思う。オバチャンは鶴の一声といったところもあるので、それを見極めることも大切だろう。室長はその部屋の中のことを見て不満を漏らしているかもしれないが、実際にその提案を受け入れてしまうと他の部屋にしわ寄せがいく可能性がある。だが、問題を見つけるのは得意だと思うので、そこをつなぎ合わせる役がほしいところだ。
初めて見たときはちょっと笑ってしまった。ステマというよりかはネガキャンだろうか。
ほかにも多くコメントを頂いてとても有難い。移民に関してはわかりにくいという意見が多く申し訳ない。全てのコメントに返信することはしなかったが、全て読ませていただいた。やろうかな、興味あるなという人は、短期派遣から始めてみてはどうだろうか。全面禁止ではなく例外もあるので、派遣企業と相談してみると良い。単純作業への適性が大きく影響する仕事であることは間違いないので、経験としてやってみるのも十分アリだと思う。少なくとも僕はとてもいい経験だったと思う。
今の2chやここなど匿名の場に常駐して熱心に書き込んでる層は、SNSからスポイルされた
「低学歴(職業高卒)・低身長・女に無縁で対女コミュ力ゼロの素人童貞のキモヲタ」がメインになってしまってる。
同じ低学歴でも、底辺普通科や商業科や農業科出身者は、工業高校出身者と違って2chで叩かれてもスルーするし
「工業高校より普通科や商業科や農業園芸科の方が上」なんてしつこく2chで主張しない。
同じ男ばかりの環境でも、男子校は文化祭に他校の女子が押し掛けるし(東海、名古屋高校など)
男ばかりで工場で交代勤の工業高卒と違い、大学進学がデフォだから大学やサークルで女と知り合える。
工業高校は文化祭すら他校から女が来ないと工業高出身者本人が自虐してるし絶望的。
工業高校卒の連中全てに言えることだが、
「工業高校卒はみんな大手に就職している」と何年にもわたって主張している人間がやたらいる割に、
SNSや実社会で工業高校卒を見かける機会は、普通科高校卒に比べてひたすら少ない。
各サイトの偏差値や入試難易度表やSNS参加人数を比較してみると
普通科進学校卒>その他普通科>底辺普通科=デザイン科=商業科>工業高校・農業高校
結局、工業高校からそのまま就職しても、公務員やインフラ系企業でもない限り
工業高校卒のSNS参加者が普通科高校や四大卒に比べて異常に少ないのは
なら中卒や普通科でもいいだろ的な。
その間同級生や後輩(処女含む)を食いまくってる人のことでしょ。
普通に進学就職していれば、友人知人や身内に虐待犯罪DQNがいるなんてことはほぼないが
今2chに一番多いのが「工業高卒」「低身長」「素人童貞独身」のオタクだが
(この3つで煽ると反論罵倒が集中する)一番悲惨な層だろうな。
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?lid=000001076421
中卒 42.1%
ハゲやブサを叩いてもスルーされるのに、チビ叩きだけ当事者が延々反論するのって、
普段駅弁やら私大叩きで溢れかえってるのに、高卒や工業高校卒叩きがあると延々反論される現象に似てる。
高卒は四大卒に比べて非正規率が高く受刑者の数も数十倍と、不利な現実が証明されてるからな。
けんも~もそうだよね。自称宮廷卒だらけなのに 工業高校のスレが建つと、卒業生しかわからない工業校ネタや工業校卒は勝ち組アピール、普通科や四大卒叩きでスレが伸びる。
SNSと違い底辺層が多い匿名の場(2chなど)では「高学歴・高身長なのに負け組童貞な俺」「チビ・工業高卒だけど大企業や起業してヤリチン高給取りの俺」って書き込みだらけだよな。