だけど、どうしてもバイトするのが怖い。
一度引きこもってから新しい事をするのが極端に怖くなった。
一年の頃はやってたのに・・・今は求人誌を見てよさそうな所を見つけるまでは良いけど、電話しようとすると何も考えられなくなって手が動かなくなる・・・
本当に金が欲しいんだけど、怖い・・・
たとえば、泣き叫ぶ処女を無理やりレイプすることで、癌が完治するのならば、エイズ患者は少女をレイプすることが容認されるだろうか?
この時点で文章が意味不明なんだけど。
癌が完治するならエイズ患者は少女をレイプ??長文系って基本馬鹿しかいねーなw
追記:
たとえば、泣き叫ぶ処女を無理やりレイプすることで、癌が完治するのならば、癌患者は少女をレイプすることが容認されるだろうか?
多くの人はNoと答えると思う。
少女を、犬に置き換えたらどうだろう?
一気にYesが増えると思う。
今度はNoが増えるかな。
じゃあ、一匹じゃなくて、数百匹を殺さなくちゃならないとしたらどうかな?
ずいぶんとNoが増えると思う。
今度はYesが増えるかな?それとも、命の価値はイヌもマウスも一緒だからといってNoのままなのかな?
じゃあ、癌が完治じゃなくて、ごくまれにかかる病気が予防できるだったら?
どのくらいの確率でかかる病気をどのくらいの予防率で予防できればそれが許される?
1万人に1人かかる病気を、そのワクチンによって打たない場合に比べてかかる確率を半分に落とせる、そんな場合も許されるのか?
誇張して書いた部分はあるけれど、多くのワクチンは動物の命を奪わないと作れないし、少し前まで不妊治療のためのホルモン剤は妊婦のオシッコから精製していた。
今だって、シャンプーの成分として、毛髪をインド人から買ったりしてる。
それらは仕方のないことで、もちろん合法的で(一番最初の少女を斡旋する売春ブローカーを除けば)、責められるところはなにもない。
屠殺する人のおかげで肉が食える。
それは事実だ。
そういう意味では、「体罰容認、とにかく厳しく育てる」で統一するべきなんじゃね?
「この世は弱肉強食、負けた奴は食われるだけだ!貴族に生まれなかった奴は勝ち続けることでしか生きる権利を得られない!」という感じで。
そう考えると気持ちが楽になりました。
いや、誰がどう見てもお前は差別主義者だよ。
自分でもそれが分かってるからネット上の匿名でしか言わないんだろ?
リアルで同じ発言してみろや。
苦しめクズが。
俺が大怪我をしたとき、どっちが病院に行くかで父と母が押し付け合って、言い争いにまけたほうがやってきて、
「まったく、いい歳して手のかかる子だね。」
と言われたことを思い出す。
ああ、それから、
と言われて、惨めで、悔しくて、もう、どうしようもない気分になった。
たぶん、一生、誰にも愛されないと思ってる。
だから、そのぶん、人に優しくしようかなって思う。
俺は体罰をすることも子供を厳しく育てることにも反対ではない。
だけどそうやって厳しくされたり体罰をされたことにより
その子供の特性によって一番よい育て方を見つけないとダメだと思うのだ。
それによって潰れたりグレたりする子供に対して理解がないんだよなあ。
まるで自分の教育法こそすべての人間にとって最高のように語るから困る。
大変でしたね。おつかれさまでした。またどこかで。
でも、心の怪我は簡単には治らないんだね。
じっくり休めばきっと良くなる。だからそのときまでゆっくり安め」
怪我ならいつかは治るかもしれない。
僕もそう信じていた。
でも怪我でもここまで治らないとさすがに心が折れる。
何をするにも気力がわかないんだ。
気力が出ても不安に押しつぶされる。
目の前の小さな不安に押しつぶされた人間はどう生きればいいんだろうか。
でも僕はこんな気持を我慢できる人間には到底なれそうもない。
とあるラッパーが「誰も信じない奴は一度は誰かをギリギリまで信じたはずだ」って言ってたけど、
今考えたら当たってる。男は寡黙で孤独くらいがちょうどいい。人付き合いなんて必要ない。
辛いことが増えるだけだ。
好きな人にも気持ち伝えられなかったな。
この前断ち切られたばかりだから次はないし、しばらく一人で過ごすよ。
わざわざ付き合うこともないよなーって感じです。
その辺は少し困ってます。
馬鹿にされたら人間関係を切るって、それはまあ当然なのかもしれないけど、
思い返せば思い出ってのはいろいろあるし、
でもまあ、今はあまり会いたくない。
膵内分泌腫瘍の発覚したジョブズは、スピリチュアルに依存した結果、手術を9ヵ月遅らせた。
その愚かな、本当に愚かな選択が、あと30年はあったであろう彼の寿命を8年に縮めてしまった。
ジョブズらしい、とこの行為を評する向きもある。そんなバカなことがあるか。
癌治療の選択という一点においては、彼はスイーツ女にも劣る判断力のなさ、思慮の浅さを露呈し、醜く死んでいった。
死屍累々の試行錯誤を、統計学の力を借りてなんとか学問らしくしているだけにも思える。
それでも高度な教育を受け論理的思考を身につけた多くの学者が、
最も有効と思われる方法を探そうと暗闇の中に日々努力した結果が今の医学なのだ。
いち人間やいち集団の唱える民間療法とは情報の質において一線を画す。
今人類が手にしているちっぽけな医学上の証拠は、名もない数百万、数千万人の命の上にできている。
それを軽んじて良い結果が出ると思うほうが、誤りなのだ。
相変わらず批判が多いのでもっと納得してもらえそうな理屈を考えてみた。
霊魂が憑くという表現がオカルト宗教じみて理解し難いと言うならば、単純に豚や牛や犬猫には感情があるから、
「よくも殺したな~、苦しかったんだぞ、痛かったんだぞ」
って豚たちの怨念が彼の手から向けられている気がして、罪悪感を刺激されて、いたたまれなくなった。
自分自身も菜食主義者じゃないからこそ、原罪の自覚を促される気がして、つらかったんだ。
あと、豚殺せる人は、人間が同じような表情と動作と鳴き声を発して命乞いしても、
必要さえあれば容赦なく殺せるんじゃないか、私のことも・・・と思えたのかもしれない。
豚や牛だけでなく鳥にも感情があるのが分かるから殺してる人がいたらぞっとするけど、
あまり表情や体のつくりが豚や牛ほどは自分と似ていないからか、苦痛や悲哀を豚ほどはリアルに想像されない。
表情や体のつくりが自分と違いすぎて、その痛み方が自分の痛み方と同じかどうか分からないし、
子供や仲間が死んで悲しいとか、一生を幸せに生きたいとかそこまで考えてるように見えない。
昆虫に至ってはじたばた暴れても苦痛というより生化学反応でそうしてるだけに見えるし感情があると思えない。
植物は脳も神経もないし、若干動く種類もあるけど、基本的に光合成するだけの物体だと思う。
あるいは「自分が触れる生き物」だから殺されることにショックを感じるのかも。