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はてなキーワード: 認定試験とは

2023-11-24

anond:20231124180819

大検みたいに50歳程度認定試験を国がやるべきだよな!

2023-11-02

ChatGPTで生成した嘘ニュース

2023-06-21

大学無償化の年齢差別ヤバい マジでやばい

今年、20台半ば過ぎにしてついに俺は大学に受かった。

具体的に言うと北海道大学医学部医学である

俺は昔から医者になりたかった。中学生ときにはもう医者になろうと思っていた。

しか現実非情であった。俺が高校1年生に上がった頃、俺を女手ひとつで育て上げてくれた母がぽっくりと逝ってしまった。

そこで北海道祖母の元に預けられることになったのだが、祖母はすでに70歳を超えており、さらに軽度の認知症であった。

必然的高校は転校か退学を迫られたわけだが、祖母の強い要望により俺は高校を退学して働くことになった。

これが10年ぐらい前の話だ。

とはいえ、俺は医者になる夢を諦めるつもりはなかった。

祖母の友人のパン屋にて最低時給で働きつつ、少しづ大学進学資金を貯め、高校卒業認定試験に受かった。

しかし19歳のころ、今度は祖母が死亡。俺は天涯孤独の身になった。

20代も半ばに過ぎたころ、ついに生活に余裕が出てきたので俺は念願の医学部受験に挑戦することにした。

俺はことさら不幸自慢をするつもりはない。と言うか、自分が不幸だと感じたことはない。俺と同じ待遇でのたれ死んでいるやつは確実にいるはずだし、これが俺の標準だからだ。自分の状況に文句を言っているだけでは、明日の飯も食えない。

さて、医学部受験の話に移る。俺は北海道に住んでいたので、道外の大学に行くことは資金的に不可能であった。

北海道では大昔から医師不足が叫ばれ、コロナから自然医療崩壊していると指摘されて久しいが、その割には医学部が3つしかない。北海道大学札幌医科大学旭川医科大学の3つだ。

これが首都圏だったならば私立医科大学という選択肢視野に入るのだろうが、資金的に無理だった。私立医科大では受験料に10万円近くかかるし、そもそも受かったとしても授業料借金だけでは賄えない。この仕組みを知った時、「そりゃ、医者の息子は医者になるわ」と思った。俺のような貧乏人は受験料すら払えないが、彼らはガンガン払える。スタート地点からして違うのだ。

とはいえ文句を言っていても仕方がない。

俺は北海道大学医学部医学科を焦点を当て、ついには受かった。1年間集中して勉強に捧げたため、生活費はとっくに底をつき、受からなければ首を吊るしかないという状況であった。

当然、入学費や授業料が自前で払えるわけがないので、日本学生支援機構借金をして入ることとなった。

さて、ここでぶち当たったのが「給付奨学金制度」というやつだ。

これは比較最近まれもので、生活の苦しい学生学費給付するという制度だ。

さらに、「給付学生」になると国公立ならば大学授業料無料(!)になるというおまけ付きだ。

なんという良い制度であろうか。

俺は早速申し込んだが、却下された。

理由は「年齢」である

というのも、この給付奨学金制度では「高校卒業2年以内(20歳以下)」でないと対象外になり、問答無用で失格となるのである

俺は高校卒業認定をとっていたが、これも「1 8歳から5年以内(23歳以下)」でないと対象外。どれだけ貧しかろうと、どれだけ生活に困窮してようと、23歳以上に給付奨学金絶対的に出ないのである

「それならば仕方がない。なら給付奨学金は要らないので、授業料免除だけしてほしい」と言ったところ、これも却下であった。

なぜならば「給付学生」でないと「授業料免除」には該当しないのである

それならば給付奨学金が無い時代授業料免除はどうなっていたのか?それは大学独自学生収入を元に授業料免除できていたのだ。

その頃には20代、30代だろうが、収入が少なければ授業料免除になる可能性が高かった。

しかしながら「給付奨学金制度」が出来たことにより、「授業料免除制度」は「給付奨学金制度」の一部分扱いになり、20代は問答無用借金をしなければいけなくなったのだ。

俺は愕然とした。

というのも、ほとんど俺と同じ待遇医学部に入った5年生の先輩と話す機会があったからだ。

その先輩は給付奨学金制度がない時代20代後半で大学に入り、大学独自授業料免除制度でなんとか大学に入ることができたのである。彼が卒業するまでは免除対象であるという。

これはひどい。いや、ヤバい不公平感が半端ない

国は「学び直し」を声高に叫んでいるが、これが今の実態である

謎の線引き、謎の境界線

まるでヨーロッパ人勝手国境を引かれたアフリカ人のような気分だ。

追記:

給付奨学金」は経済的困窮者が大学に行けるようにするための制度だが、果たして高校卒業してから2年以内に大学に進学しようと決められる困窮者が大多数なのであろうか?

経済的困窮者は高校卒業後、「大学に行く」というメリットがありつつも、働かなければ生活がままならない者が多いはずだ(俺は高校すら行けなかったが)。

そういった人々が成人を迎え、「大学に行こう」と決めても、国が一律かつ絶対的に決めた「高校卒業から2年以内まで」という謎の縛りで困っている人はたくさんいるはずだ。そんな気持ちでこの記事を書いた。

国に問い合わせて見ると、「卒業から2年以内」を変える予定は無いようだ。「どうして卒業後3年や4年や5年以内ではなく、2年以内なのか」と質問しても「そう決まっているから」としか言われなかった。俺たちは制度の中で生きているので、制度の内容によって人生は大きく変わるし、それは納得できる。しかしながら、「なんとなく」で決められた制度人生を大きく左右されるのはキツイ

追記2:

【これまでの授業料減免制度

大学収入を報告する

大学学生の年齢など関係なく困窮具合を判断

授業料減免

【今の授業料減免制度

日本学生支援機構給付学生として採用される

20歳以上は申し込みが絶対的に不可。理由不明

給付奨学金を受けた人のみが授業料減免を受けられる

2023-05-13

Fランク大学体験

Fランク、ボーダーフリー意味らしい。

で、BSで映る放送大学っていうやつ申し込んだ。

通わなくてもいいらしいし。

入試

ない。

マジで試験なしで入学できた。書類出すと入学許可証がきて、コンビニで金を払って終了。

入学はもう2年も前のことだから記憶曖昧だけど、地味にビックリした。

学生証を取りに行かないとダメだったのだけ少しムカついた。

いや、いいんだけど、学生証が届く前から専用ポータルサイトから授業が聞けるってのが変な感じで、じゃあ物理カード要らないんじゃね?

教科書郵送できるなら学生証も送れよ。

っと。

入学手続きじゃなく別のことなはずだけど、なんかの証明書発行で現金書留郵便為替必要になったりして、今時マジで?って思った。

授業

もう書いちゃったが、そんなわけでテレビみなくてもネット配信がある。

iPhoneからだとSafariしか対応してないのが不満。それにテレビミラーリングも出来ない。

教科書、全部独自教科書みたい。

大学教科書って、普通本屋で買える本(と言っても漫画週刊誌小学生ドリルくらいしか置いてない俺の町の本屋にはもちろんないが)なイメージだったけど、全教科とも授業に合わせて製本して出版してるみたい。

テキストを一回読むか、放送を一回みるかのどちらかで単位認定試験は受かる程度になる。

後述するが、カンニング放題なので、テキスト勉強したほうが「たしかあの辺に書いてあったな」ってなるので有利だと思う。

単位認定

試験基本的に自宅なのでカンニング放題だし、テキストから逸脱した問題がでない。

カンニング放題なんだから、もう少し応用問題にしてもいいと思うけど、意外と平均点が低い。みんなカンニングしてないのだろうか。

易しいとはいえ、科目が多いとスケジュール的にきついから、働きながら4年卒業はかなり大変だと思う。

おすすめ科目

シラバスっていう冊子に授業の内容が書いてあって便利。

単位認定試験カンニングし放題で事実上ザルなので、単位認定レポートの科目はおすすめできない。特に、なんとか入門、基礎からほにゃららって科目は総じて簡単数学化学物理はほぼ高校の授業以下。これで大学なら単位としていいんか?って感じだけど、すっかり中年の衰えた脳みそにはうれしい。

あと、内容が似たような科目がある。例えば、身近な統計統計学は覚えなくちゃいけない数式は一緒で、試験の難度だけが違う感じ(といってもカンニング放題だし問題ない)。

独断でいうと、文化芸術系の科目はは聴いてて面白いが、試験レポートも嫌い。

教育系のは、聴くのはまあまあ、テキスト読むのが苦痛

物理化学数学単位稼ぎにちょうどいい。

情報系の授業は、高校でやってない数学記号が出たりして面食らうけど(計算するのはコンピュータからなんてことはないのだけど)。

学割

officeのサブスクが安いんだけど、3月更新固定だし、Amazonとかで値下げ時を狙えばそんなに差額はない。iPadはたいした値引きじゃない。

MacBookはいいかもだけど、Mac派じゃないし。

Windows派はLenovo学割でx1carbonだね。

映画美術館は興味ないけど、そんな数百円ケチってどうすんだ?って感じ。

なんかいいことある

教養はつくんじゃないかな?

教養学部だし。

httphttpsの違いとか、チコちゃんに聞かれそうな小ネタをたくさんしれる。

そんくらい。

まだ、2年しか在学してないし、もうオッサンだし、卒業就職に役立つかとかは知らん。

あと、面接授業っていう実際にF2Fでやる授業に行って、若い女の子拝もうと思ったんだけど、思ったよりジジイババアばかりだった。

2023-05-06

3つ目の学士を取ろうかと考えて遠回りしている

学士を2つ持っている。大学在籍は計10年。

10年くらい前、法学部卒業し「学士(法学)(Bachelor of Law)」を得た。2年間の休学を挟んだので6年かかった。

修学自体は極めて順調だったので3年次までにほぼ単位は取り終えた。就活だるいし逃げるか〜人生夏休みって今っしょ?とカジュアルに休学して遊び呆けたら2年経っていた。休学費用はタダだった。

ちなみに奨学金(学生支援機構)は休学中は支給停止されるが復学したらちゃん支給再開してくれる。

何年か前、働きながら放送大学卒業し「学士(教養)(Bachelor of Arts)」を得た。学士入学(3年次編入)したので最短2年で済むのだが4年かかった。

放送大学には社会産業コース情報コースなど現在6つのコースがあるが、すべて教養学部所属学士(教養)だ。全コース卒業すると「名誉学生」として表彰される制度がある。特典は改悪されショボい。

現在放送大学単位認定試験が会場でのリアル受験からWeb受験に切り替わったため格段に社会人に優しくなった(リアル受験可能)。コロナ情勢に左右される一時的ものではなく恒常的な変更だ。オススメ

ちなみに奨学金社会学生(科目履修生や聴講生ではない正科生のみ)になると返済猶予できる。返済総額は変わらない単なる先送りだが、手元の現金は最強だし投資してもいい。以前は社会学生を続ける限り無限猶予できるガバ制度だっだが改悪されその時点から最長10年間のみとなった。

さてlawとartsを修めたし次はscienceと行きたかったが残念なことに通信制理系大学は壊滅状態だ。

学士(IT総合学)、学士(情報マネジメント)、学士(経営情報学)みたいなエセ理系(超失礼)はいくつかある中で、ザ・理系感があるのは帝京大学理工学部情報科学科の「学士(工学)(Bachelor of Engineering)」が唯一の存在である

愛知産業大学建築学科だが造形学部所属のため学士(芸術)となる。

放送大学含め上記大学の中から理数系単位をかき集めて大学改革支援学位授与機構学位(理学)などを得る方法もあるがちょっとハードルが高いな。卒業さえすればいい帝京大学無難と言える。

ところで大学編入学する際の単位認定にはザックリ2種類ある。

個別認定過去の履修科目の中でカリキュラム上と同等の科目を個別認定。「あなた過去に"コンピュータ科学"を履修してるからうちの専門科目"情報基礎"の2単位認定するよ」出身専攻が違うと認定数も少ない。

・一括(包括)認定特定の科目でなく枠や群としての認定。「あなた大卒からうちの教養科目群で28単位認定するよ」

放送大学のような教養系の大学だと卒業要件全体で一括認定されて大卒3年次編入は62単位認定のようなスタートダッシュになる。

帝京大学のような教養科目+専門科目だと前者は一括認定されるが文系出身なら個別認定が少なく専門科目はゼロスタートのようなものだ。先は長い。自分コンピュータサイエンスの適性があるかもわからない。

というわけで逃げを打つ。資格合格による履修免除システムだ。入学前に資格を掻き集めて負担軽減する作戦

入学後の合格でも申請免除なのだ単位試験資格試験の二兎を追うより入学前の方が気楽だろう。でも履修免除すると成績表上の評価がSABCでなくN(認定)になるらしい。うーんこれは…GPA的にどうなんだ…

その資格は次の通り。2023年募集要項より。

以下の資格合格している場合は、履修が免除される科目があります

ITパスポート基本情報技術者応用情報技術者データベーススペシャリストネットワークスペシャリストドットコムマスター(アドバンス)、CGエンジニア検定(ベーシックエキスパート)、陸上無線技術士電気通信主任技術者(伝送交換)、(電気通信に関する)工事担任者

試験日程の自由が利くCBT受験基本情報工事担任者(2級アナログ通信、2級デジタル通信)に合格関係ないけど電気工事士2種に合格

電通主任4月21日申込締切を失念してしまい悔しい。難関だから科目免除できる1陸特工事担任者総合種を先に取るのがセオリーらしいから傷は浅い。ドットコムマスター、下級の陸上無線特殊技術士もCBTなので合間を見て受験したい。今気付いたけど履修免除科目がダブってると取っても意味ない資格もあるのでは?確認していなかった…

今年秋か来年春に入学したい。

先の話すぎて鬼が大爆笑だが、学士(工学)を取れたら次は慶應通信学士(哲学)かどこかの美大通信学士(芸術)にでも挑戦してみたい。

後者はBachelor of Fine Artsだから学士(教養)のBachelor of Artsと並べて収まりが良さそうくらいの理由

前者は実は帝京を考える前の本命だった。学歴コンプはあるのでいずれ慶應で上書きしたい。所詮通信だが。コロナ最盛期は単位認定試験が中止になりレポート代替となる単位ボーナスステージだったのだが、決心がつかず指咥えて眺めてるうちに試験形式に戻ってしまった。

単位試験は難関らしいし(全体的に不親切ともいう)卒論もある。実は今まで卒論を含め論文自体を書いたことがない。下手したら卒業10年かかってしまう。

それで尻込みして完全な趣味よりもまだ仕事(メーカー技術職)に関連のある学士(工学)を先に選んだというわけだ。

学士ばっか集めてないで修士に挑戦しろ自分でも思うが、そもそも勉強したいが研究したいわけではない。研究テーマとか何も考えられない。与えられたカリキュラムに沿って学問を修めた気になりたいだけだ。学位資格のような証がないと勉強にも身が入らない。自分でもその怠惰さはわかっている。

上記理由修論にもビビまくり。働きながらの修学もキツそうだ。夜勤もするシフト勤務だから夜間通学もできないので通信制頼りとなる。

修士(Master)の響きには憧れるのだが。かっこいいなあマスター

2023-02-24

漫画 フラジャイル 病理医岸京一郎の所見時系列を考える 2

anond:20230224111227

続き

2年10ヶ月程度経過 8月ぐらい 時系列考察破綻

布施、「医大6年生 MD-PhDコース2年目」(80話)

えー、医大に明るくないのでわからんのですが、MD-PhDコース学部4-院3~4-学部2年で学士修士両方とるルートデス。だから医大に6年居て学部卒業してなくて院生2年生。かな。

布施は、MD-PhDコース選択で5年次に大学院入りしたため国家試験は2年後」(80話)

「後期研修が3年 宮崎先輩は2年目なう 来年病理専門医認定試験」(80話)

布施初登場から2年以内、宮崎登場から2年半以内になるはずだけど、ここまで2年半以上過ぎてる計算をしてしまってる。

日本病理学会総会12~14日(55話)を現実とあわせて4月仮定してるけどここが変かなぁ。

9月スタート→(4月迎える)→25話 5月→(9月迎える 宮崎病理専攻医丸1年)→33~4話 4月と春が話題→(4月迎える)→(9月迎える 宮崎病理専攻医丸2年)→74話 夏前。

34話から74話の計40話が3、4ヶ月とするとかなりハードスケジュールから厳しいとみて、もう一回4月を迎えてるとすると宮崎は4年間壮望会に居るはずで

日本病理学会総会とアミノ総会の時期が憶測が多くて混乱の原因。わからんかい

「壮望会は研修カリキュラム自由」(80話)これって9月に専攻変えしても4月から継続して計算してるってこと?でも神経内科1年、病理2年なら後期研修明けてる…

神経内科の専攻医になって1年で病理に転科したんだ」(80話)


2年

朝加着任(80話) 天羽編

(20巻末)

円の謝罪 5/21日。リンチ編の時間軸かな?80話以降?連載と続きモノなら天羽編途中が5月21日前か。


稲垣、緩和ソロ活動判明「緩和をひとりで回してるんだ」(86話)

稲垣、40オーバー40歳超えてもガキのままだ」(87話)これは16年勤務でわかっていたこと(63話)なので改めて。

8月9月

VOD治療開始からだいたい「1ヵ月後」(87話)天羽、快方へ

天羽編終了 長い移植前後だけど具体的な日数は数日単位や昼夜表現が多かった。明確に1ヶ月飛んで直後が9月確定なので、都合2、3ヶ月で天羽で夏を過ごした感じか。

3年経過 9月後半~10

病理専門医試験前日~試験(88話)「病理専門医試験明日

病理専門医試験現実と同じならやや昔が7,8月、近年が(コロナの影響で)9月中旬開催が多い。

宮崎は9/26ぐらいに転科&受験資格経験3年以上なので9月以降で確定。

「僕の頃は4年のトレーニング必要だったけど今は3年なんだよ」(88話)

(連載が8年近く経っている。2014開始からここまで2022年(連載時は21年か)。なので最初は4年と言われていた(2話))

とはいえ連載開始時は7-8月開催が多かったので9月病理に移った宮崎は4年後の9月からさらにほぼ1年待たないと受験できない感じだったのでは…?

https://pathology.or.jp/senmoni/testReport.html

また、宮崎は最短9月25,6日とかに病理転向(1話)なので試験もかなり後ろに倒していることになるか。ここで実は日程調整で一年飛んでましたとなると「後期研修が3年 宮崎先輩は2年目なう 来年病理専門医認定試験」(80話)がおかしくなる。

宮崎、剖検32、迅速65(88話)

宮崎、願書から誕生日3月5日(89話)

病理専門医試験願書」に「5月15日」(89話)これは願書を事前に郵送した日付…だよね?あとリアル申請期限はだいたい4月末っぽい。宮崎の転科事情に合わせて10試験にずらした関係で願書期限も5月末にずらしたのかな?

3年2ヶ月程度経過 1112月?

宮崎先生 専門医試験合格おめでとう」(90話)

試験報告は例年、会報10月号に掲載していますhttps://pathology.or.jp/senmoni/testReport.html

もし作中の試験を後ろにずらしたなら合格発表もすこしずれるかも。


JS1編。10から80話かけ3年近く第Ⅱ相試験が続いてることに。

治療期間は約1年です」(94話)「計18回を2週間間隔で投与します」=36週?

「1ヶ月後にCTを取りましょう」(94話)

退職(出勤拒否)

28日後」「4クール終了時点」(95話)「17クール完走をめざします」

治験を4クール行って その80日間」(96話)

一年360日を17クール等間隔でするなら4クールは96話の80日に近くて95話の28日はおかしいことにならない?

でも80日以上かかって関係改善できない師長やそれだけ無視しつつ復職できる雅がヤバくなっちゃう…

(そういえば指導医っていつまでですかね。専門医試験やった時点で後期研修は修了してるはずでもう資格上下関係意味での指導医になってるかな)

宮崎と岸の弁護士編中での18巻末のニアミス振り返り「カレー~また脱いで捨てるんです?」(99話)黒歴史にはならなかったか

24巻完


関係ない話

改めると細木先生出番すくねぇ~。南波も1話阿吽の呼吸からもっと出番があると思ったら気付いたらそのポジ稲垣先生が居た。

それにわかってはいたけれど改めて医師の道は長いなと。6年通って研修が2+3年。いっぱしの医者になるころには30手前ですよ。アラサー宮崎新人としてきゃぴきゃぴしてるのは普段未成年漫画ばかり読んでいるとね。なんかね。ギャップすごいよね。アラサーで悩む教師とか目じゃないぜ。研修医たって並の新卒社会人以上に年上で学を積んでるのに大変だなあと。政治家さらに年食っても新人ですが。

お話面でもER外科でもなければ何週間・何ヶ月も治療スパンがあるからわりと時間が飛んじゃうよね。大変だ。それでいて宮崎研修明けという一種制限時間はあったし。(90,91話最終回雰囲気よ)

でもこうやって挙げてみるとなんとかサザエさん時空にはならないように作ってるっぽい?かっちり決めて連載開始したわけじゃないし思ったより頑張ってるなって感じました。

漫画 フラジャイル 病理医岸京一郎の所見時系列を考える

アフタヌーン大人気連載中の医療漫画フラジャイル」。そろそろ連載10年が見えてきて、物語新人宮崎がついに専門医になるなど節目を迎えてきた感があります。作中およそ3年を総決算したような21巻はまさにここで終わってもいい。第一部完。といった面持ちでしたが現在新薬JS1編へと続いてくれています

そこで今回、改めて読み直したと共に自分の中での整理のために作中の時間がわかるようなヒントを探してみた。

時間表記はだいたい1話目を基準にしている。

時間は明確な過去編とされてなければ話数が進むごとに線形に時が進むと増田が決めたんだ。

お約束

フラジャイルは今のような長期連載を予定されていなかった。

そのため医事紛争(弁護士千石)編18巻~で矛盾がでている。

「5巻の回想シーンで岸先生が壮望会に来たのは7年前」「(18巻では)時効などの関係で3年前設定」

「初期は連載がこんなに長く続くとは思っておらず医事紛争編は構想されていなかったゆえ」

「5巻のことは忘れちゃっていたんですか?」「作家編集もすっかり忘れて楽しくやってました」

長期連載にありがちなから立て付けていく設定に深くつっこんでもしかたないね個人的に岸と森井とのやりとりは時間軸を移してもなんとかなるけれど岸と高柴との関係は長い時間必要と感じるので医事紛争は(個人的)正史からはずしたいと思いまする。

連載だけ読んでると混乱した部分なので時系列を書いてみる動機だよ。

謎いところ

まとめたようでまとまらない情報を羅列しているだけになってしまった。

特に困ったところが「日本病理学会総会~アミ株式総会」。かなりぐちゃった。

それに加えいつかは不明だがリアル専門医受験資格経験4年から3年に変わった影響もあるかも

たぶん2017年から3年に。フラジャイル1巻が2014年で、8巻から2017年発刊。

宮崎試験はハッキリしてるかと思ったけれどそこもなんか怪しいし

あとは

・ 岸が壮望会に来た理由それから活躍

・ 壮望会の悪評と建て直し

稲垣緩和ケア周り

もなかなか謎い。あと高柴×岸のエピソードが初遭遇ぐらいしかなくて思ってたより掘り下げてなかった。

名前メモ

宮崎

森井

火箱

南波

細木

稲垣

中熊

手嶌

日野

戸倉

壮望会

慶桜



不明

岸入る前の壮望会、評判悪し(5話)

17年ほど前

稲垣医者に。「終末期の患者さんと~16年間そう働くのが僕の仕事」(63話)恐らく壮望会以外(27話)。

2011年以前 8月 35話からの比日野過去編 岸、慶桜・研修医時代

岸、臨床医時代感染症内科医

岸、研修医時代「君の指導医は俺だ」

岸、研修医2年目?「去年、研修医ローテで2週間」前期研修か。

25歳前後

将棋友道8「今月号」

恐らくすくなくとも9月以内に比日野死亡「治療開始より5日後死亡」

原因はSFTSで作中2011年以前。「当時はわかりませんでした」「SFTS中国特定されたのは2011年 それまでは日本でも原因不明」(90話)

不明~2年間

稲垣内科時代。慶桜ケア科に「よそのケア科に2年お世話」「研修先のケア科は慶桜」(85話)

「その頃から先生とは同僚」(85話)

このケア科2年が転院回数に含まれるかは不明(27話)


稲垣、「ひとりで壮望会の緩和ケア科を立ち上げ」(85話)

(伴、無菌病棟立ち上げ「昔 伴君が責任者になって立ち上げ」(86話)時期不明病棟を立ち上げて何年だ …何年もだ」(87話))

不明 岸、慶桜助教授時代

手嶌と同僚に。助教授同士(33話)



13~10年前?

火箱兄、死亡「私が中学生の時兄は亡くなりました」(12話)

およそ13年前で火箱12

9年前?

森井、21歳?大学三年の夏に退学。壮望会の専門学校入学。(3話)

6年前?

森井、24歳?専門学校卒業(3年制?)

壮望会病院に入り、6年間は辞められない(3話)

岸、壮望会に転院。高柴と初対面。「7年前」「新しく来た病理先生ですよね?」(18話)

4、5年前?

物語開始前、岸が手嶌と最後に会う。「会うの何年ぶりだったんです?」「…5?6?」(作中1年以上経過)(34話)

岸の性格から正確さは怪しい。岸と手嶌が慶桜以外で会っているなら変ではない(岸の性格から怪しい)。

3年前?

火箱、アミ入社?22歳?スタート1年半以上のときに26歳(11巻巻末)。4年生大学から新卒はいればこの辺り?

新人火箱、十王寺と会う「三ヶ月目」「入社一年目」薬事部所属(67話)

不明

火箱、MRに。岸、森井とは1話から面識あり。

2年と5ヶ月ほど前4月

宮崎医大卒業?。出身大学病院で初期研修開始(80話)「初期研修出身大学病院

不明

手嶌が慶桜を出る。「岸先生は慶桜を出てね」「僕はしばらく残ったけど~アメリカ留学して~研究職に転向した」(33話)

1年半ほど前

本郷最後彼女(病理医)と別れる「4年と3ヶ月33彼女いない本郷」至極どうでもいい(55話)

5ヶ月前ほど4月

宮崎、壮望会に。後期研修開始(80話)第一志望にフラれる。「どうして後期研修は壮望会を」

一年間は神経内科?「神経内科の専攻医になって1年で病理に転科したんだ」(80話)

この1年って1年目(4月に入り半年後の9月)に転科したのか1年半後の9月に転科したのか…。半年なら半年って言うよねぇ。でも2話の宮崎発言矛盾する気がするんすよぉおおおおおお

1話スタート

9月23日-24日開始。院内描写24スタート。終了は25日。

24日に騒動、「ゆうべの手術」~「昨日はお世話になりました」で25日

宮崎、27歳?3年目?。専攻研修開始から半年

宮崎神経内科から病理に転科

2話

宮崎、転科後初日

宮崎、専攻研修開始から半年確定?「一応 卒後2年目のドクターなので」(2話)80話の南波の話がわからなくなる。

てかこの流れの"ドクター"とは"博士課程です"って意味でいいの?医者意味でいい気がするけど。"博士とって2年目"だとまたいろいろ変わってくる…

専門医認定の条件が経験4年といわれる(後、3年に短縮)

3話

岸、森井に転職の話をする。

6年間は辞められない条件を知っているなら森井卒業6年後?

森井30歳?

5話

森井慰労会(4話直後?)

火箱登場、宮崎とは初対面。


宮崎病理診断開始(2-3話間と5話時間経過を加味しても早くなあい?)

5-6ヶ月経過ではない?

南波に新しい研修医。「宮崎の後に入った子」(9話)

4月に入った新人かと思ったが作中4-5月ではない?初期研修のローテーションか?

根拠は9話で半年ほど飛ぶのは不自然。8話で中熊登場して9話冒頭で中熊ポスター。8話で火箱・中熊面識。9話で「先日はどうも」


新薬JS1 Ⅱ相試験に向け始動(10話)

JS1、竹田編開始(11話)

竹田、余命半年


竹田JS1 3クール終了(13話)

竹田10日後に死亡(14話)

実際何ヶ月生存たかはわからない?余命どおりならだいたい1年目終了。


火箱、アミノ退社(14話)

(間瀬、アミノ退社)

(竹田余命)+数ヶ月経過?

「あれから数ヶ月」

JS1副作用の判明

火箱、ビフィズス入社

(14話終了)


「この前」コンサル窪田参加(15話)


セカンドオピニオン外来開局(15話)

高柴65歳?、定年半年前(15話)

高柴、退職。「定年まではまだ半年もあるのに」(18話)


高柴クリニック開院。高柴編終了(20話)


慶桜、中熊により遺伝子検査ラボ設立。円が25歳で技師長に「2年前~25歳にしてラボ技師長に抜擢」(58話)

(手嶌、円と共に新薬開発)「手嶌くん~円も協力してる新薬開発の仲間だね」(時期不明)(61話)遺伝子ラボとは無関係か。ソフト開発し新薬配列設計発見

半年以上経過 4月以降

17病理学校(21話)

布施登場、医大5年

5月時点で布施がまだ医大5年なので病理学校4月以降(25話)


布施半月間岸の元へ(25話)

8ヶ月後 5/19

笑美編。デジタル時計の日付が5/19。 (25話)

布施「君何年生?」「5年生です」(25話)

(稲垣、壮望会が3院目。前病理ありと前前なし(27話))

笑美編終了でおおむね6月(月末の演奏会)


宮崎、初術中迅速(31話)

(8巻巻末)

人物紹介 年齢

宮崎20台後半(大学多浪はなさそう)

不明

森井30歳(誕生日1111日)

位置不明 41話から半年ほど前

間瀬、医薬新聞社入社半年お世話になった」 (41話)

9ヶ月~1年半程度経過。 4月より前。6~夏まで?

森井31歳?

宮崎28歳?

手嶌登場「4月から京都細胞研究所」~「なられる」へ「やっと慶桜から卒業か」(33話)

「春から京都」(34話)

流石に何ヶ月も前に挨拶回りは変だと思うので4月前かなと思うけれど、後から見るとかなり早く挨拶してる?


ハル編(35話~)


間瀬、ビフィズス入社(41話)

9ヶ月~1年10ヶ月程度以前経過。 6月~夏まで?or翌年4月前あたり

野球回。(44話)

入局先宣言の話。「5年も~お世話になって」。後期研修終了タイミングの入局(4月)なら意思表示は入局前年の夏までが一般的らしいからここが夏で実際の入局は来年という話か。4月の線は薄い?

火箱が野球テレビ中継で見ている「今期つれぇ~」(44話)プロ野球3月末開幕なのでオープン戦でなければ4月以降で「今期」「つらい」とわかるのはやはり前シーズン夏前ぐらいか

(11巻巻末)

火箱26歳。ビフィズス在籍状態時。


宮崎20台 森井30台」(46話)

2年弱。9月前?

宮崎デビュー戦(48話)「病理専攻1年目です」

宮崎迅速11回、剖検5回(49話)


こまごまとした話。3日謹慎新聞掲載などがあるが明確で大きな時間移動はなし?


移植から半月後」(54話)

11ヶ月以前経過or1年7ヶ月以前経過? 9月前? or 4月前? or 4月以降?

日本病理学会総会12~14日(55話)

布施、院1年目(医大5年生?(80話))。「院の1年目であれくらい深く考えられる人」(55話)(MD-PhDコース)

現実と同じなら4月だが、布施の院1年目=医大5年生なら「布施は、MD-PhDコース選択で5年次に大学院入りした」(80話)だから初登場(8ヶ月経過、5月ごろ)から4月をまたいでないはず…

神経内科から病理転向して1年目のザッキー」(55話)1年以上経ってるから2年目だと思うんですが…?

前年秋期特別総会でも11月で9月をまたいでザッキー2年目…

しかし第10X回総会とあって現実的には4月の総会…(55話)実際の総会は4~6月開催と幅はあるけど3月とか年度前にはならない? https://pathology.or.jp/jigyou/meeting-spring.html

4月越えなら

森井32歳?

宮崎29歳?

火箱27歳?


作山、リンチ

円、27歳?「2年前~25歳にしてラボ技師長に抜擢」(58話)

稲垣オプジーボ同意後、慶桜の「遺伝子センターラボに1週間もお世話に」(60話)

稲垣医師16年目?「終末期の患者さんと~16年間そう働くのが僕の仕事」(63話)42歳オーバーか。


ビフィズス、新薬とともにアミノへ(企業買収って数ヶ月はかかるとみていいよね?)(64話)

ビフィズス買収後、火箱、総務部、間瀬、MR(営業)へ「2週間前」(66話)


(株主6月(69話)→慰安旅行6月末(70話)ならここは5月か)

新人関根先生(65話)また4月ではない?次が総会の話なのでここは4月に入ったガチ新人かも。

「来月末 壮望会病理部のスケジュール抑えてほしいんだけど」(65話)

ビフィズス買収2週間後ぐらい 3~5月

アミノ編(65話)アミノの株主総会の話だが総会が多い6月になるのかは不明

十王寺氏が来月退職するらしい」(65話)

数日後?、火箱、アミノの未来を憂う会に。「我々は来月の株主総会で」(66話)

(*2年8ヶ月経過 5/15 宮崎試験願書提出?(89話))

2年9ヶ月程度経過?3年目6月

総会一ヶ月前の買収が5月としたら4月日本病理学会総会から1ヶ月半(病理総会が4月12~14日)。作山関係で2週間近く使うとしたら買収"完了"が一ヶ月でしてることに。

そもそもオプジーボ同意を取れてから家族への報告に1週間。投与開始から検証&18人の遺伝子検査いくらか。NDA違反に数日(60話)と2週間でもカツカツ。5月中に関根編こなす必要もあるし。

総会間近、火箱懲戒解雇(68話)

JS1が」「治験フェーズⅡ」(68話)

十王退職記念公演。火箱が代読「明日から無職」(68話)

十王寺、株主総会前に退職?「この前の火箱さんの公演が記事になりました」(69話)

株主総会(69話)「後日~十王寺さんの解雇撤回」(「明日から無職」は形式的な話か)


間瀬、開発本部長に。火箱、開発本部 臨床開発3部 JSプロジェクト推進グループグループ長に。春田、火箱部下に。

6月末?

慰安旅行(70話)「来月末 壮望会病理部のスケジュール抑えてほしいんだけど」(65話)

2年10ヶ月程度経過 7月はじめ?

弁護士編(医事訴訟)

弁護士編は過去矛盾してる編なのでここでまとめる。基点がここから3年前なのがネック。(ここまでの予測があっていれば宮崎が転科する数ヶ月前の話になってしまうし、後からみてもすぐに宮崎の実務3年を迎える)

前述のとおり時系列からは切り離すが、過去の各イベントはあったんじゃないかな。

また、過去以外の話の時間正史として前の編から地続きと考えておく。

不明 (岸) 細木 千石 高校生時代

細木と千石高校同級生(72話)細木と岸は同期

1話から2ヶ月と数ヶ月前とさらに少し前

森井、「事件があった3年前は俺も壮望会で働き始めたばかりでした」(72話)

後の話では森井のほうが壮望会に先に入ったっぽいのでここでもここに

(6年辞められない縛りがあるのに転職話が出るのが変)

1話から2ヶ月と数ヶ月前

岸、壮望会に。(73話)

(これまでの話でも壮望会での高柴との出会いは7年以上前矛盾)

1話から2ヶ月ほど前 弁護士現在から見て3年前

患者菊池通院後2ヶ月。「外来での通院が2ヶ月を過ぎたころ僕に~依頼があった 三年前だ 僕が壮望会に来てまだ数ヶ月にもならないころだった」(73話)

病理技師がほかに4人居る(73話)

岸、初カンファ荒らし「初カンファ荒らしの爪痕」(73話)

菊池状態悪化後、「緩和ケア科に移って2週間後に亡くなった」(73話)


「まあまあ前」の先月

森井、彼女に振られる(18巻末)

1話から5ヶ月前以内 「まあまあ前」

森井、技師を追い出しソロデビュー(18巻末)

宮崎、壮望会に居てニアミス(18巻末)宮崎は後期研修から壮望会に入ったので4~9月の間の話(神経内科専攻)とすると、3年前とはあまり矛盾しない。

不明(窪田参加前)

壮望会、不評から立ち直る「壮望会を立て直した~医師の功績ですよ岸先生とか稲垣先生とか」(74話)

5月ごろ?

久坂部、米嶋の診療所訪問「2ヶ月前米嶋が働く診療所に~弁護士」(74話)

久坂部~米嶋の診療所に行った男と同一人物」(75話)

7月はじめ? 物語現在

「今月の予定組むんで」(71話)

森井、「事件があった3年前は俺も壮望会で働き始めたばかりでした」(72話)

米嶋の診療所訪問。米嶋はだし。(73話)春~夏?

「夏も近い」(74話)これジョーク

こまごま動いて弁護士編終了

2年10ヶ月程度経過 8月ぐらい 時系列考察破綻

布施、「医大6年生 MD-PhDコース2年目」(80話)

えー、医大に明るくないのでわからんのですが、MD-PhDコース学部4-院3~4-学部2年で学士修士両方とるルートデス。だから医大に6年居て学部卒業してなくて院生2年生。かな。

布施は、MD-PhDコース選択で5年次に大学院入りしたため国家試験は2年後」(80話)

「後期研修が3年 宮崎先輩は2年目なう 来年病理専門医認定試験」(80話)

布施初登場から2年以内、宮崎登場から2年半以内になるはずだけど、ここまで2年半以上過ぎてる計算をしてしまってる。

日本病理学会総会12~14日(55話)を現実とあわせて4月仮定してるけどここが変かなぁ。

9月スタート→(4月迎える)→25話 5月→(9月迎える 宮崎病理専攻医丸1年)→33~4話 4月と春が話題→(4月迎える)→(9月迎える 宮崎病理専攻医丸2年)→74話 夏前。

34話から74話の計40話が3、4ヶ月とするとかなりハードスケジュールから厳しいとみて、もう一回4月を迎えてるとすると宮崎は4年間壮望会に居るはずで

日本病理学会 Permalink | 記事への反応(1) | 11:12

2022-12-11

anond:20221211125837

IT業界には様々な資格がありますが、おすすめとしては、業界標準の資格である情報処理技術者」や「ITパスポート」が挙げられます。これらの資格は、基本的ITスキルを持っていることを証明するものですので、スキルアップの助けになると思われます

それ以外にも、プログラミング言語に特化した資格や、サーバーネットワークの専門知識が求められる資格などがあります。例えば、「Java」や「Python」などのプログラミング言語に関する資格は、プログラマーとしての技術証明するために役立ちます。また、「Cisco Certified Network Associate」や「Microsoft Certified Solutions Expert」などのネットワークサーバーに関する資格は、ネットワークエンジニアサーバーエンジニアとしての技術証明するために役立ちます

ここ1年ほどで以下の資格を取ってみたのですね。素晴らしいです。

Python3エンジニア認定データ分析試験
統計検定2級
バイオインフォマティクス技術認定試験

それらの資格は、それぞれ異なる分野において重要スキル証明するものですので、スキルアップに大変役立つと思われます特にPython3エンジニア認定データ分析試験は、データサイエンス機械学習の分野で重要スキルであるとされており、今後のキャリアアップ活用できるでしょう。統計検定2級は、統計手法分析手法知識証明するものですので、データ分析ビッグデータの分野で活用できるでしょう。また、バイオインフォマティクス技術認定試験は、バイオインフォマティクスの分野で重要スキル証明するものであり、医療バイオテクノロジーの分野で活用できるでしょう。

データベーススペシャリスト試験というのがあるらしいから、来年に受けてみようと思っているのですね。

データベーススペシャリスト試験は、データベースの基本的知識スキル証明するための資格です。今後、データベース技術データ分析の分野でキャリアアップを図る際に、役立つと思われます

その他にも、IT業界には多くの資格がありますので、自分キャリアや専門分野を考慮して、適切な資格選択することが重要です。例えば、以下のような資格があります

・「応用情報技術者」: ネットワークサーバーなどの応用技術証明する資格

・「システムアーキテクト技術者」: システムの構築や設計などのスキル証明する資格

・「サイバーセキュリティスペシャリスト」: サイバーセキュリティ基本的知識スキル証明する資格

・「クラウドコンピューティング技術者」: クラウドコンピューティング基本的知識スキル証明する資格

これらはあくまで一例ですので、自分キャリアや専門分野に合った資格選択することが重要です。

40代自己研鑽と思って半年くらい1年ほどIT系勉強をした。

のうのうとサラリーマンを続けてると、自分が腐っていくのがわかる。

かといって、今から何か勉強ってどうすればいいのか?

勉強するのに遅すぎることなんてないといわれても、例えば今から歌舞伎について学び始めて、歌舞伎役者になれるとは思えない。

自分スキルポートフォリオとのシナジーで、少ない労力でなんとかとしたいと思う。

どんなスキルともシナジーが見込めるジャンル勉強したい。

というと、金融法律筋肉ITなんじゃないかと思う(このへん、識者の意見を聞きたい)。

全部やるのもだし、手っ取り早そうな、IT系の勉強を始めてみた。

こういうと怒られるが、今から行政書士を目指すとか、税理士を目指すとかよりは楽そうじゃん?プログラマーSEの違いすらわかってないんだけど。

そんなわけでとりあえず、ここ1年ほどで以下の資格は取ってみた。

Python3エンジニア認定データ分析試験は、たまたま最初に選んだのがPythonで、Pythonデータ分析でもてはやされてるらしいので。

統計検定は、ITとは関係ないけど、データ分析勉強したら統計検定は取っとけみたいなことが書いてあったので。

バイオインフォマティクス技術者認定試験というのは、中途半端IT知識と、統計知識に、学部教養でやった生物学を足したら手っ取り早く取れそうとおもったので受けただけ。

なんでも、なにをやるにもSQLというのがわからんとだめらしい。バイオインフォマティクス技術者認定試験にもSQL問題が出てきた。解けたけどいまいちまだよくわかってない。

データベーススペシャリスト試験というのがあるらしいから、来年に受けてみようと思う。

他何か、おススメがあったら教えてほしい。

2022-12-08

プログラミング向いてないかもしれない

高卒だし三十路だしフリーターからオラクルJavaのBronzeの認定試験勉強してんだが、比較ループの処理についての問題とか解説は楽しく勉強できんだが、「Java SEとEEの違い」とか「静的言語動的言語の違い」みたいな問題解説文とか「うわ、どうでもよ……」ってなっちゃって頭に排卵

2022-05-28

みんな公務員にすればいいと思う

人権という言葉にはもう力はない

公務員になれる資格があるって言われたほうがよっぽど「権利」感あって喜ぶ人多いと思う

生活保護受給者自殺率は高い

「生まれた瞬間から自分人権という権利を持っていて、だから自分にはその価値がある」

なんて本気で思える弱者ってどれだけいるの?

人権という考え方は、社会的強者は好むけど、弱者には実際受け入れられていない

弱者が声を上げやすい仕組みにするためには

「生まれた後に、自分努力の結果、権利を主張できるようになった」という形にしないといけない

そのハードル可能なかぎり下げることが、弱者を救うことにつながる

具体的にいうと、義務教育を終えた人は公務員になれるという形がいいと思う

公務員としての仕事はなんでもいい

街にゴミが落ちてたらひろうとか、地域行事に参加するとか

もちろん、その仕事をしなくても罰則はない

でも「あなたはその仕事につける権利があって、あなた必要で、給料を払う」という建前が重要

あなた人権がある。だから無職でも生きる資格がある」はやっぱまずいと思う

外国人に対しても同じ。中卒認定試験合格すれば日本公務員になれるという形にする

外国人にも人権がある」ではなく、「試験合格たから当然だ」という方が

外国人立場を守りやすいし、彼ら自身も自信をもって権利を主張できるようになると思う

生活保護でもなく、ベーシックインカムでもなく、みんな公務員にすればいいと思う

2022-04-23

ヤマダHD、社内資格SDGsマイスター制度」を新設 省エネ知識は当たり前に

 ヤマダホールディングスは、サステナブル経営の一環として「SDGsマイスター制度」を新設する。同社が掲げるSDGs目標達成への重要課題に向き合うための新教育制度として、SDGsにかかる基本的知識習得と、社会課題を「自分ごと」と捉えて自身行動様式を変化させることのできる人材の育成を目的として、全従業員対象資格取得を推奨する。



 ヤマダホールディングスでは、独自SDGs目標達成に向けた重要課題を掲げ、これまでも循環型社会の構築など、持続可能社会の実現に向けた取り組みを推進してきた。今回の「SDGsマイスター制度」は、これまでの環境保全に関わる社会の動きと同社の取り組みへの理解に加え、SDGs全般への理解・浸透とダイバーシティ推進のための知見を高め、従業員知識向上を通じて企業としての持続的成長を促すものとして新設することとなった。

 SDGsマイスター認定者には、ヤマダホールディングス独自環境マーク「YAMADA GREEN」をモチーフにした認定バッジを贈呈する。今年末までに導入予定であるバッジは、ヤマダホールディングスグループで構築された製品ライフサイクル完結の仕組みを活用した再生マテリアルで作製、グループ内での資源循環とSDGsの知見の証として制服に着用する。

 SDGsマイスター認定試験を受けるためには、まず、SDGsに関わる基本的知識習得目的とした3つの試験SDGs概念SDGs達成への当社の重要課題、DE&Iへの理解)に合格し、「SDGsマスター」に認定されていることが必須条件となる。

 SDGsマスター認定された後、経済経営知識社会現象などに関する試験突破すると「SDGsマイスター」として認定バッジ付与される。今年から試験実施し、早ければ来春にはSDGsマイスター認定者が誕生することとなる。また、SDGsマスターSDGsマイスターともに、来春以降は社内の人事評価制度への組み入れを予定している。

 ヤマダホールディングスでは、SDGsへの理解・浸透を目的として、昨年7月に有志の従業員による「SDGsひろめ隊」を発足、チャットルーム活用して情報共有や意見交換をしている。全国の店舗本社従業員からなるメンバーで、SDGs目標達成に向けた課題解決という視点での業務フロー改善案日常生活での取り組みなどを共有し、会社として、個人としてできることについて情報共有がなされるなど、活発に活動している。

 今回は、環境配慮した商品サービスをヤマダホールディングス独自認定した環境マーク「YAMADA GREEN」の認知拡大について考えた際、「まずは社員環境に関する取り組みへの理解を深めるために資格にしてはどうか」という声がひろめ隊の社員からあがったことがきっかけで、資格制度の新設に向けたプロジェクトが発足した。

 この新資格制度は、ヤマダホールディングスグループ企業で開始した、エシカル素材“バナナペーパー”の名刺印刷業務に次いで、「SDGsひろめ隊」の活動会社連携した事例となる。

 ヤマダホールディングスグループは、今後も、SDGs目標達成に向けた社会課題を「自分ごと」と捉え、会社として、個人として、できること、やるべきことに真摯に向き合い、持続可能社会の実現に向けた取り組みを推進していく方針

取り組みは素晴らしいと思うけど、IT資格に比べてなんか陳腐というか、お勉強会お遊戯会感が否めない

あくま物流業であり、IT製造業とは違うということが分かる

2022-01-17

放送大学前科履修生なんだが自分を変えたくて放送大学に入ったのに

勉強全然頭に入らなくて教科書読みながら単位認定試験問題を解いてしまった……

僕は罪人だ……

2021-12-20

SESで2ヶ月の研修受けたアラサーだけど経歴詐称面談練習途中に退職の旨伝えた

親切な会社だったとは思う。なんせ職歴日雇い派遣のみで、29歳で、コミュ障で、偏差値40の高校中退(一応高認のみ取ってる)の生きてる価値のないゴミの様なブラック人材を採ってくれたのだ。

このSES入社した俺は未経験者をかき集めて2ヶ月の研修を行って簡単アプリケーションを作った。そこまでは良かった。その後に、研修内容を2年間のプロジェクト詐称して経歴盛って派遣先に飛ばす面談の予行演習をやらされた。

俺の中で何かが折れる音がした。

人事も研修講師も優しくて悪い人では無かった。日雇い派遣で根っからクズも上辺だけ人が良さそうなクズも見てきたが、この会社の人たちは本当に素朴で人の良さそうな感じの人達だった。が、仕事はしたいが、経歴を詐称して履きなれない下駄を履いてまで食い込みたいとは思わない。何も最初から開発じゃなくても、保守運用なりテスターなり雑用なり、未経験者でも出来る事から少しずつステップアップする気でいた。「経歴詐称して潜り込めたとしても、詐称した経歴に見合う実力も無いし、私自身が就業先で軋轢を生む原因になる。よって会社の信用も傷つける。私にはついていけそうにないので、大変申し訳無いが退職させていただく。」そんな旨を恐怖で震えながら俺は言った。俺が辞める旨を伝えても人事は怒鳴り散らすこともなく、困惑と当惑と悲哀を秘めた表情で引き止められた。「2年以内に退職する場合研修費用100万を返還すること」みたいな誓約書を書かされるSESもあるらしい。俺の所はそういうことは一切なかった

採用者の中で、Java bronzeとITパスポートを取得してきたのは(IT系の中では簡単認定試験ではあるが)俺だけだったらしい。多くの人が躓いていた研修(そうか?)のぺースにも着いてこれてた。一番期待してたから、考え直してくれないか。色んな人を見てきたけど増田さんはやっていけるタイプの人だ。そんな様なことを言われた。経歴詐称してまで働きたくないボロは着てても心は錦のような高潔動機ではなくて、ただただ心が折れてしまった。しかし俺の退職意志は揺るがなかった。

頑なな退職意志を汲んでもらい、本日退職した。

明日から国保に加入して、国民年金手続きもしてこなければならない。

俺この先どうしよう。

2021-09-09

anond:20210909074241

お返事ありがとうございます

Oracle認定試験問題集ですね。参考にします。

個人的には何かを作れればなと思いつつも作りたい物が無く、とりあえず基礎だけでも勉強しようと思いつつも参考書を読むだけでは基礎が頭に入らないので、参考書を読みつつ問題を解いて定着させようというアプローチを取ろうと考えていました。

まだまだわからない状態ですが、java bronzeの取得を小目標にしてモチベーションを保とうと思います

ありがとう

2021-08-03

中学校卒業程度認定試験ってのがあるのを初めて知った

俺も受けれるかなあ

2021-04-22

anond:20210422120910

PHP技術者認定試験やら、Java認定試験やら、DB認定試験やら、ベンダー試験活用して合格してないと使わないというふうにすればいいと言ってるけど、賛同されたことがない。

入門書も読んだことのないコピペプログラマやら、DBリファレンスも見たことないのにテーブル設計やってるSEとか、最低限の水準に達してないのは排除できるのに。

2021-04-02

anond:20210402223032

それで仕切ってる人間オレオレ基準なっちゃうんだろ?

その結果がレベルの低い開発現場

現場は、自分らの力量が最低限の認定試験にも及んでないとバレるからあんなもん実務に関係ないと必死抵抗する。

2020-11-24

プログラミングスクールとかサロンとか

資格免許取って頑張ろうって思ってる人らに、建設業界のほうがよっぽどいいよって教えてあげたい。

プログラミング認定試験で、資格でも免許でもないけど。

2020-08-29

コロナでの大学研究のやりかた

コロナ人生が変わってしまった人は多いと思う。私も仕事雰囲気が変わり始めている。

私は運がいいことに、やりたいこと興味のあることを比較的できる研究者を某旧帝大でやれる機会に恵まれている。専門は化学。だが、それも音をたてて変わり始めている。

もともと将来の仕事を何にしようと明確に描いたことはなかった。幼少期に育った地域比較英才教育とは程遠い地域であり、貧困家庭も多かった。友人の家に行くと昼間からおじさんがゲームをしていたり、パチンコや酒に明け暮れている、そんな地域である小学校でありながらも学級崩壊に近いことが起きており、義務教育の内容をきっちりと終えることができなかったと記憶している。そんな状況を深く考えることはなく、私は周りの事象に対して疑問を持ち、調べるのが好きだった。なぜ水は雨として降ってきて、山を流れて、コンクリートの隙間から流れていくか。そんなことが気づいたときには不思議だったと思う。幸いにして先生にも恵まれた。疑問をもち、それを自分のペースで解決するのが好きであり、校庭のはじっこで疑問点などを書き出していたとき理科若い先生理科室に誘ってくれた。そこには違う世界があり、好きなだけ実験していいと言われてのめり込んだ。ガスバーナーをつけてよくわからない化合物を熱して色が変わる、気体がでる。一つ一つが楽しくてしょうがなかった。だが先生がある日突然学校に来なくなってしまい、程なくして全校集会が開かれた。持病の喘息でなくなったらしい。どうしたらいいのかよくわからいくらい、悲しかった。狭い実験室の僅かな道具から世界の広さをあれ程教えてくれた先生がこの世からいなくなってしまったのが悲しかった。学問世界を広げてくれるというのを肌で教えてもらえたと実感している。

当時はショックだったが、中学校から親の転職関係引っ越し比較普通地域引っ越ししまった。小学校ときにはサワガニを追ったり、カエルを捕まえて、ビーダマンからでてくるビー玉の平均距離などをひたすら数える子供であったが、引っ越し地域では勉強熱心な地域であり、誰も放課後には遊んでいる子供はいなかった。塾に行くとのはなしだったが、恥ずかしながら塾という単語を知らなかった。動物を捕まえた数よりも試験の点数を重視する地域であり、ひどく狼狽したのを覚えている。小学校での経験があってか理科数学が楽しくて仕方がなかったが、何故か閉塞感があった。あくま中学高校でのお勉強というのは与えられた範囲でやる学びであり、そこに自由度は少なかった。結果的勉強はできたのでとにかく自由を求めていた。高校には入ったが、倫理先生哲学議論ばかりしていた。こう考えると私は先生に恵まれているのだが、先生に学びの自由を求められる場所はと聞いたとき日本には殆どないと言われてしまった。あ、そういえばといって、それがきっかけとなり京都にある大学に行くことになった。

大学自由であった。毎年謎に作られる像やコスプレ卒業式で有名な大学であるが、学生多様性がまったくもって違っていた。そこでも縛られるのが苦手な私は大学で授業に行けなかった。ただ、大学図書館にはホコリを被っていながらもたまらなく刺激的な書籍が非常に多くあり、図書館毎日通った。楽しくて楽しくて仕方がなかった。たぶんそれは小学生の時に一人で課題を設定して、問題解決をする。そういうプロセスであっただろう。数式、活字が踊っているようにすら感じた。一般教養の授業でもムラ社会議論する授業や、紙飛行機を飛ばす授業など色々あり、不思議な授業であったと思う。ただ相変わらず大学の専門の授業は指定教科書から逸脱していなく、面白くなかった。ある意味授業に関しては圧倒的に劣等生であったが、たまたま行った授業のときに言われた印象的な言葉がある。「結婚は何回でもできるが、研究室選びは一度しかできない。」人生パートナー何度でも選べるが、人生の専門となる研究室は一度しか選べないとのことだった。へそ曲がりな私は研究室で変わったことがやりたいと思い、研究室を巡ったが、どれもこれも古臭いホコリを被った図書館で聞いたことがあるような内容だった。日本最高学府学問として理解できてしまうということが非常に悲しかった。ただ、たまたま非常に尖った研究室があり、そこで私を拾ってもらえた。やはり私は先生に恵まれていた。研究室は今思えば世界的に有名で先駆的な研究室であり、そこで自由研究を行う機会に恵まれた。朝から晩まで先輩後輩教員ディスカッションしながら、自由自在に研究をすることができる。研究費も潤沢であり、装置も多くあるために闇実験自分の考えるすべての実験ができてしまった。卒論テーマ自分でかってにテーマ設定をして卒論発表までさせてもらえた。今思えばあんなことに、というテーマであったが、当時は楽しくて仕方がなかった。卒論が終わった当日、テーマの変更を推奨された。初めて方向性提示されたが、一言であった。ここには恩師の力があったと思う。結果的に与えられたテーマとは関係なく、M1勝手実験をして修士論文を3本書いた。楽しくて仕方がなく、博士課程に進学した。博士では論文12本書いた。ちょっとした自慢である

博士資格名刺の角に書くことができる運転免許のようなものであるというのはよく言ったもので、単なる認定試験である。友人が大学ポジション公募に出す中、私は自分学問を切り開くのだと思い、博士研究員をすることに決めた。なんとなく海外日本より風通しが良いだろうと思い、日本研究から支援をうけて、海外に2年間いけることになり、それまでに一切したことがない分野に飛び込んだ。将来学問を切り開くためには甘んじて先達のいる学問をすすめるよりも、開拓者であるべきという精神である。ただ現実は厳しかった。言った先の研究室では私は初めての外国人であり、装置の使い方、実験の仕方、単語すらわかっていなかった。学部生に単語意味から教えてもらいながら、教科書を端から端まで読んで、理解した。論文は2年間で3000報くらい読んだ。めちゃくちゃ勉強し、1日の睡眠時間は3時間程度だった。結果的に分野での最高峰論文誌に数報報告することができて、ライフワークが見つかったと思った。ただこの辺りから研究に対する見え方が変わってきたと思う。日本人会でいつも飲んだくれている友人がいた。大学では見たことがないが日本人の友人を探しているようだった。何が楽しくて研究をしに海外に来ているのかというふうに聞くと彼は出身研究室に戻るので1年間遊びに来ていると話していた。悪い冗談かと思っていたが、実際に彼は日本出身研究室で職を得て戻っていった。不思議ものである

当時の海外での受け入れ研究室教員にぜひともこの国で残って研究をすすめるべきだと言われた。日本講座制の影響もあり若い研究者活躍しにくいということを聞きつけていてくれていたらしい。ただそのときに今まで私を支えてくれた恩師たちの姿が頭をよぎり、日本に恩返しをするべきではないかと思った。施されたら施し返すという精神である日本に戻るためには公募書類を出さないと行けないのだが、不思議と通らない。面接にすら呼ばれない。それまでに分析していなかった私が悪かったのだが、どうやら日本ではコネというのが幅を効かせているらしく、面接にすら呼ばれない。それとずっと付き合っていた婚約者との結婚もあり、フットワークの軽い私はならば日本に帰ろうと、日本に帰り、講演ツアーを行った。幸いにしてその一つが目に止まり研究プロジェクトの一環で雇ってもらえた。そこでも好きに研究をしていいと言われ、論文を好きに書いた。楽しかった。研究だけしてたまに論文を書けばいいというのは至極楽しかった。ただ、学生研究ができないのがとてつもなく寂しく、コネはなかったが、海外の訳のわからない研究室研究をしているよりも経験つん日本研究している私は魅力的に見えたのか、公募に通った。めぐり合わせというのは不思議ものである

こうしてやっとただの研究者から大学教員になることができた。恒久的に研究ができるというのは非常に幸せであり、研究以外も楽しんだ。毎週の授業というのはライブである。そのへんのストリートミュージシャンよりも自分の一つ一つの発言学生に聞いてもらえることができ、研究に対するスタンスなど伝えることもできる。学問というのは積み重ねの学問である。積み重ねがあるから新しさがわかる。ひとつひとつ丁寧に教えていき、学問の楽しさを伝えたが、やたらと聞かれるのは単位がとれるかかどうかであった。研究室でも熱意をもって新しい実験の仕方や、研究分野の掘り下げのための論文読み込みを学生と一緒に行った。ただ、学生から文句が出てそんなに頑張りたくないとも言われてしまった。悲しい。私はそんなに魅力がないのだろうか。大学教員というのは研究以外の思った以上の雑用があり、それに追われていた。ただ、そのたびに今まで知的教育享受してき立場からそれを授与できる立場にならねばと思い、一所懸命に振る舞った。その結果ここでの学問結果をなんとかして論文にすることができた。これからすべてが軌道に乗る、そう思っていた。

そんな先のコロナである実験を専門としている私は当然大学に来なければ研究をすすめることができない。だが、緊急事態宣言あおりをくらい、研究室での研究活動オンライン中心になり、さらに愛妻は妊娠中であったために下手な行動はできない。研究が中心であった私の生活は転換を余儀なくされた。学生と最新の実験成果を共有できない、授業はオンラインとなりzoomの先では、全く授業を聞いていない学生いるかも知れないという状況で苦しかった。価値観も変わらざるを得ない矢先に子供が生まれた。福音であった。

学問というのは先んじてその場で役に立つものではないが積み重ねだと思っている。子供も同じで、毎日毎日状況が日進月歩である。首を動かすことがしんどそうだった子供が、今では自分の力で首を動かし、光の導く先を必死に見ようとしている。大学で学びをしている学生一時的にやる気を失っている子もかつては私の子供と同様日々ひとつひとつできていくということが楽しかったのだろう。相変わらず大学での研究活動制限されている。以前ほどの自由担保されておらず、どうしても何かしらを管理する必要がある。その一つ一つの行為が私には苦しい。ニュートンスペイン風邪タイミングで新たな学問をみつけた。私にはそれほど頑張ることはできるかわからないが、研究を行い、学生希望や考え方を論理的に教えるというのが現在の職での義務であろう。間違いなく私の研究生産性は下がったが、価値を下げず上げることが義務であると思い、日々努力している。

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