はてなキーワード: 侮蔑とは
(*1)が(*2)で(*3)を(*4)したとき、(*5)な(*6)が(*7)(*8)。
今から(*8)年くらいのノーベル平和賞(*9)の(*10)を(*11)る!
はてこさんの次のブログが人気です。
ナコルルが強すぎてムカつく人たちによるアイヌヘイトスピーチ - はてこはときどき外に出る
概要は、ナコルルというゲームの強キャラを侮蔑するのに、「アイヌ死ね」という言葉を使うことはヘイトスピーチにあたるという話です。私ははてこさんのブログを結構読んでいて、最初「あれっ」と思いました。彼女がアイヌに言及したことなんてなかったからです。
気になって調べてみましたが、彼女は、2009年からブログを始めて、大体500件位エントリーありますが、その中でアイヌの問題について論じたのは次の4件だけです。
すべて今月に入ってからのものです(過去のエントリーを編集して書き加えたりしないでね)。
2014年に金子快之市議がアイヌ問題で侮辱を繰り返していた時もその年に49本もエントリーを上げたのに、アイヌ問題に言及することはありませんでした。
はてこさんはなぜ今、突然アイヌの問題に首を突っ込んできて、他人を罵倒するのだろう。
はてこさんは、他人の差別や偏見に対する無知無関心を責めるが、はてこさんもブログを7年間500本も書いているが今年の9月に入るまで、一度も主題として取り上げるどころか言及すらしなかった。
はてこさんのアイヌ問題へのエントリーに対して、「「言ってることはわかるがお前のことが気に入らない」を軽視しすぎたらあかんのちゃうかな - あとのまつり」というエントリーを書いて、諌めた人がいた。
そのエントリーよりも、一番人気のブックマークコメントが一番腑に落ちた。
主張内容の正しさは態度の正しさを保証しないという話。ホントコレ。勝利条件は人権擁護に対しての理解と実現だと思うんだけど、こんな具合にその場その場の議論での勝利だけを見てると詰む感あるわよね。
はてこさんの勝利条件は、アイヌの人権擁護じゃないんじゃないか?そもそも、興味があるなら昔からアイヌ問題に対して言及しても良さそうなものですが、彼女は9月まで何も言わなかった。何か喋ったと思ったらいきなり罵倒したうえ相手のtwitterアカウントの凍結を呼びかけた。この行為って勝利条件は、「人権擁護に対しての理解と実現」にしてないよね。。単に相手を殴る武器としてアイヌ問題を使っているだけだよね。
アイヌの問題なんて、ブログを500本近く書いてきて、始めて言及するくらいの興味だから、はてこさんはすぐ興味を失いだろうし、アイヌ問題に対して何か尽力することも無いでしょう(興味が無いから言及しなかったんだし)。
でも、アイヌ問題はこれからも続く、彼女が引っ掻き回して湧き上がった憎悪は、今後、残された人達が引き受けることになる。
自分が身近に感じない問題に興味を持てないのは仕方ないことです。何年もブログをやってきて言及が無いのも当事者じゃないし、そういうもんだろうと思います。でもだったら、差別構造を他人を糾弾する武器に使わないで欲しい。
アイヌ問題は、はてこさんが他人をやり込めるために存在するんじゃない。粘り強く人権擁護の理解と実現を進めている隣で、武器として振り回すのはやめてほしいと思っています。
勘違いする人がいそうだから、まとめますね。この文章は、「アイヌ問題が無い」と訴えている文章ではないですよ。差別はあるし、改善すべきだと思っています。また、「強く言わないとやめない」ということは理解しているつもりです。長年アイヌ問題に関わっている人なら、いくら訴えても差別がなくならない現状に苛立って、声を荒げることもあるでしょう。
でも、はてこさんの場合はそうじゃないよね。9月になって突然言及した挙句、この問題を単に、他者を攻撃する武器として使っているよね(何回も書くけど今まで全然言及してなかったよ)。
そういうことはやめてほしいと思う。
自分未満のファンを不真面目だ、なってない、楽しむ資格がない、
twitterを覗かれて、良さを理解してる様子がない、と言われる。
(思ったことをすべて逐一twitterやらに書き記すわけがないのに。
そうやって他のファンのことを気にして、うざったいな)
と思うだろう。
(そんな風に驕りたかぶらずに、
「他のファンたちもきっと自分が思うより愛している部分があるし、
いろんな形の愛し方があるんだ」
くらいに好意的に、他人に敬意をもって解釈してくれたらいいのに。
俺は俺なりに愛してるんだよ、俺なりの器量の範囲で最大限。
とも思うだろう。
(だいたい他人の練度を気にしている時点で、
純粋にコンテンツを楽しむ姿勢となにかズレているんじゃないか?
と思いもするだろう。
そういう見下される側の気持ちを、
それができる程度に想像力を働かせる習慣さえあれば、
ロボットをパートナーと見る人間が多いけどロボットは動物やペット、植物や粘菌のように生命を持っていません。
生命を持っていないモノを生命を持つモノと同じように扱うのが生命に対する冒とくです。
例え神を信じていなくともあの世を信じていなくとも
これが理解できない人が多すぎるようにみえるから、ネットは醜悪だ。
「作品Bなんてクソ作品を評価する時点で味音痴」みたいなマウントをする人。
好き嫌いや美醜の感覚は、正しいとか間違いではない。絶対的な評価はない。
そこに多数派少数派という概念が加わっても、一方が正しくなったりはしない。
何かを好ましく受け取る感性は、その人がそれを好ましく思える生き方をしてきた故だ。
その生き方はあなたの人生とは違うし、想像が及ぶものではない。
だからそこで、多様性を尊重してデフォルトで敬意を払わなければならない。
それが出来ない人は、おそらくこういう話を無意識に矮小化しているのだろう。
生き方の違いは、たんなる「個性の違い」で理解される範囲にとどまらない。
年齢の違い、性別の違い、経済環境の違い、容姿など体質的素地の違い、
それから来る、特定ジャンルに対する問題意識の高さの違いなど、多岐にわたる。
それぞれが複雑に差異を抱え、感性を異にしながら人生を紡ぎ上げていく。
ぱっと見「刺さる」層――セグメントが他者から見ても分かりやすい。
けれど今の時代の映像芸術は特に、セグメントがわかりづらくなっている。
むしろ、作り手の側も、わざとセグメントを複雑怪奇に設定する。
幼稚に思われがちなアイドルや特撮ものは社会派で意識高いテーマを内包する。
そして尖った作りを受け止めてもらえる人を探るような野心作がヒットする傾向がある。
だから「自分には合わない」「思っていたのと違う」作品を鑑賞する機会も多くなっている。
「楽しむための作法」を吸収していける人ならばなにも不幸はないだろう。
一方で、そうでない人もたくさんいる。
けれども、本稿で述べてきたことに想像が及ぶなら、
そして、次のことも同時に分かるはずだ。
さもなくば、安易に作品を「取るに足らないもの」と捉えてしまう。
それは、クリエーターに対してだけでなく、すべての他人に対して「侮る」姿勢だ。
そんなサイクルに陥っている人が、周囲に当たり前にいる。
そういう状況が、あまりにもネット上で普通になりすぎているのではないか。
ネットで見られるのは「批評」という皮をかぶせた「作品侮蔑」ばかりだ。
作品を理解するには、まず表現者の思想に寄り添わないといけない。
なぜなら、作品を出すことは、とりもなおさず思想の表現であるからだ。
思想というのが堅苦しく感じるなら、美意識や価値観と思ってもいい。
そんな大層なものが込められていなさそうな、フェチの塊みたいな
娯楽作品であっても、そのフェチの詰め込み方などに表現者の思想が表れる。
そういうものにまずは理解を示してみる姿勢がなければ、よさを感じ取れるはずがない。
それだけではなく、
表現の技術的価値や制作背景、時代背景なども織り込まないといけない。
莫大なエネルギーと解読時間が必要なのが「批評」という作業であるので、
「ふつーに面白さが分からなかった、繋がりが変、あの描写は変」
自分のネガティブな受け取り方をネットに排泄したくて仕方ない人がいる。
あるいは、断固として自覚はせず、マウントにマウントを重ねて、
「作品が好きだからこそ叩く」とか理由をつけて、作品に寄り添う気すらない
「オレ好みの『正しい』展開」的なものを主張し続ける人もいる。
そういった、他人の作ったものに乗っかって文句を言うような人のために
ネットがあるのだろうか?
今のネットは、もう「便所」ではない。
それならまだログの残らないリアルで友人相手に暴論かました方がいい。
この先人気をあつめるだろうと思う。
というよりも既に、人気のYoutuberなどを見ると、彼らは例外なく
ネガティブ感情を生むような物言いは華麗に巧妙に避けている。大人である。
こういうネットをディストピアだと思う人もいるかもしれないが、
今のところは、順当な変化だと感じている。
男性が男性に告白されて恐怖を感じるのは、「突っ込まれる」ことへの恐怖だ。人生において突っ込まれる可能性の恐怖を感じたことがないのに、初めてその可能性に直面したわけだ。以前あった痴漢論議において、女性が男性から痴漢被害を受ける恐怖は、男性がより屈強な男性から痴漢被害を受ける恐怖と等しい、とあったように。
ずいぶん以前、メディアでの「オネエ」の扱いや、BLなどの創作におけるゲイ男性の扱いについて、性的少数者から「セックスモンスター扱いはやめろ」という声をネットでよく見かけた。男性はあまりご覧になっていないかもしれない。
性的少数者は、いまだに性的に逸脱した存在だと見られがちだ。逸脱した存在は容易に「普通ではないおかしな人」=「異常者」に置き換えられる。異常性愛者と見なされると、彼/彼女は「性的な存在」カテゴリに置かれてしまう。「あいつは性的におかしい。(あまたある事象の中で特に)性に関係する存在だ。きっと性のことばかり考えて、しかもそれが異常なのだ。頭がおかしい奴だ。何をするかわからない、性的妄執を抱えたモンスターだ」というわけだ。
言うまでもなく、性的少数派は、性の指向が多数派と異なるだけだ。性指向以外については、性的多数派において多様な嗜好が存在するのと変わらない。わたしたち誰もが、恋人や配偶者と過ごす時間もあれば、仕事をしたり、自転車に乗ったり、映画を見たりするのと同じ。
ついでに言えば、これも多くの人が言うことの繰り返しになるけれども、同性愛者の好みだって人それぞれだし、サラリーマン的な社会生活を営む同性愛者の場合、過剰に性的な言動をしない人が多いだろう(リサーチ数が少ないので断定はしない)。あなたは会社でも過剰に異性に対して性的な言動をするのか?(そういう男性がいることは知っている。そういう人が見ている同性愛者は自身の鏡だ)
始めに戻ると、なぜ男性は同性に告白されたときに、過剰な恐れを抱いてしまうのか。それは「突っ込まれる」のではないかという恐怖だ。性欲をはらんだ視線だ。自分を害する可能性をはらんだ、性的な視線だ。(自分はアナニー上位者なので大丈夫とかいう戯れ言には、もちろんそういう性的嗜好の人もいるだろう、多数派にも少数派にもとお答えしておく)
ところでどんなに不細工であっても、女性はそれなりに性的視線にさらされて成長する。実体験で申し上げると、不細工側の体験しか披露できなくて申し訳ないが、たとえば品定めしたうえの侮蔑とか、品定めしたうえで「お前程度なら」という軽視、顔も見えない満員電車での痴漢などなど。そこに「突っ込まれる」恐怖は、自覚するにせよしないにせよ、幼い頃から常に存在している。でも、女性が女性から告白されたときに、即座に「突っ込まれる」恐怖は感じにくいよね。
喜ぶか、驚くか、嫌悪感を抱くか、そこは人それぞれ、ケースバイケースだと思うけど、「セックスモンスターが近づいてきやがった!」という恐怖は感じにくい。だってついてないものね、あの棒が。
あなたに告白してきた相手が、性欲むき出しで「いますぐやらせろ」というセックスモンスターならば、告白されたのは欲望でしかないから、願ったり叶ったりという人以外は速やかに逃げるがいい。
あなたへの告白が、まずはお付き合いしたいという甘酸っぱい愛の告白ならば、熟慮もしくは即断でお返事すればいい。もうこれは、胸を焦がすようなフィクションから、増田の隅の日記まで、参考には事欠かないだろう。
あなたへの告白が、堪えきれない懊悩の告白ならば、あなたが抱えられる範囲で耳を傾ければいいし、無理ならプロに任せればいい。ただし悩みや問題には、天才的な助言で万事解決するものばかりではなく、誰の手にも負えない、厄介なものもあるし誰にも救えないこともある。プロがいないこともあるし、災難を招くこともある。だからもしも仮に、あなたがここから口をつぐんで逃げたとしても、それは仕方のないことかもしれない。
オタクの端くれとしては、もうだいぶオタクは市民権得てるんだからあんまり騒ぐなよみっともない、と思う。
声高に言ってる奴、けっこうな確率で民族差別や性差別については気にもしてないし。
でも、それって、民族差別や性差別に対抗する側のひとたち(あくまで一部な)が「オタク」に侮蔑的な視線を向けても気にしない、って意味じゃないんで。
民族差別や性差別はよくないことだから反対する、だからといってお前らの「運動」に加わる義理もないしお前らを反差別って理由だけで支持してやる義理もない。そもそもお前らだけが反差別じゃない。別のやり方、別の場所でそれらの差別に立ち向かえばいいだけ。
そんなお前らに、手を貸す義理はない。
ポケモンGOはモンスターボールを使ってポケモンを手に入れるゲームだ。しかし、ボールからポケモンがランダムに逃げ出すので、ボールがあってもポケモンを必ずゲットできるわけではない。
「魔法石があってもモンスターを必ずゲットできるわけではない」「聖晶石があってもサーヴァントを必ずゲットできるわけではない」というゲームと比べるとよく分かるように、石がボールに置き換わっただけにすぎない。ポケモンGOもよくあるガチャゲーの一種だ。
ネットメディアの記事やTwitter、FacebookなどのSNSではこれがあまり認知されていないように思う。その理由をいくつか考えてみたので、過不足や間違いがあればツッコんでほしい。
原作ゲーム(赤・緑・金・銀など)のモンスターボールもポケモンをゲットできるかはランダムだ。(ポケモンがボールの中に入った瞬間にスタートボタンを押し続けるとかいう類の裏技があったよね)
ポケモンGOはこのモンスターボールのランダム性をガチャとして利用している。原作ゲーム版の仕様をただ再現しているだけに見えるので、これがガチャだと気づけない。
影響力のあるネットメディアのライターの多くは、都心や駅などのポケストップが多くある場所にいる。(東京で消耗して高知に移住した例外もいるが……)
そのような場所では周りが田畑しかない田舎の住宅地と異なり、課金せずともモンスターボールが大量に手に入る。
つまり、ネットメディアのライターにとっては課金の必要性が低い。普段課金を意識することがないのでガチャを連想することができない。
ポケモンGOは過去に類を見ないほどの盛り上がりを見せている。今はポケモンGOについてテキトーな記事を書けばPVが稼げる時期なので、わざわざネガティブな意見(田舎住みの人のTwitter投稿など)を紹介してPVを下げるような真似はしない。
加えて、ネガティブな意見を堂々とネット上に書くとかなり冷ややかな目を向けられる。(「ポケモンGO利用者を心の底から侮蔑する」と発言した人のように)
http://www.sanspo.com/geino/news/20160725/geo16072517050024-n1.html
ゆるキャラを見に行くのも侮蔑されますか?もしかして、観光地全否定?
鉄道会社が主催するウォーキング・ハイキングってのがある。目的地がないとつまらないので、なにかしらポイントがあってコースが設定される。
マンホールを見るとか、おもしろ看板探すとか、町中のオブジェを見るという趣味もあるよね。
イングレスのポータルって、そういうものが設定されてることが多い。
ジム・ポケストップには「何か」がある。それを見てまわるのは侮蔑される趣味ですかね?
だって昔ながらの蒐集欲とそれによって得たもので対戦することで生まれる脳内快楽物質によだれ流してるんでしょ
ARという最新技術を用いてるから気づかないだけでソシャゲとおなじくムダな時間だよね
歩いてるから体にいいという言い訳付きで人生をドブに捨ててるバカを侮蔑するのは当然じゃない?
数年経ってるという理由で最新技術じゃないと推論してしまう脳みそも純粋にすごい。
嘲笑されるのは当然という主張に対して共通の話題だからやってる!を反論としてあげられるってすごい脳みそだな
しかも共通の話題だからやってるだけと言っておきながら楽しめないのは~などと楽しみ云々を言い出す時点で共通の話題だからやってるだけを否定しているようなもんだが
蒐集欲があるとコンプリートを目指している対戦と対人バトルは別物なのにこのバカはなに勝手に捏造してるんださすが脳みそが溶けてるとこのレベルで口を開けるんだな
ついさっき、こんなエントリーを見かけた。
私は淫夢を憎んでいる - はてな匿名ダイアリー
これは1年半ほど前に書かれた文章で、当時はまだ淫夢コンテンツが隆盛の頃である。それが今更になってTwitterで密かな話題となっていた。この文章を見た瞬間に「俺も持論を展開したい!」と子供染みた高揚感に襲われたので、一つ、書いてみる事にした。
その持論とはパンクロックと淫夢が根底では同じ現象であるというものだ。ただ、それを解説する為には、まず淫夢というコンテンツそのものについて考えなければならない。
ここで指すところの“真夏の夜の淫夢(以下、淫夢と呼称)”とは、2001年にコートコーポレーションから発売された「BABYLON STAGE34 真夏の夜の淫夢」とその他関連したゲイポルノビデオの内容を大手インターネット動画サイト「ニコニコ動画」に転載した一連のコンテンツである。そもそもは、プロ野球選手の多田野数人氏がこのビデオに出演したとされるスキャンダルが2002年の夏頃に週刊誌やインターネット等で報じられ、それを面白がった2ちゃんねるのユーザーがこれを「ネタ」とした事に始まる。要するに、このコンテンツはかなり息の長いものであり、その歴史は14年にも及ぶ事になる。
一方で、淫夢が日本に於けるインターネット文化のメインストリームに飛び出してきたのはごく最近である。例えば、ニコニコ動画で流行を発生される端緒となったMAD動画である「霊夢 so クッキー☆」が投稿されたのが2010年10月30日のことだ。流行の原因はひとえに萌え文化に食い込んだ事にある。当時流行していた東方Projectに乗っかり、馬鹿にするような形で、淫夢は知名度を上げた。そしてこの動画で淫夢要素として登場したのが通称「野獣先輩(役名:田所浩二)」である。最初にこの動画を見ると恐怖と嫌悪感を覚えることだろう。最初はアニメキャラのMADなのに、動画後半でガタイの良い野性的な男が突然喘ぎだすのだ。インパクトは大きいが、初めてこの動画で淫夢に触れた人間は到底笑う事ができないだろう。
そう、冒頭のエントリーでも言われていたように、淫夢のコンテンツは「人を遠ざけること」を以て成立していた。そして、同時に人気のコンテンツに対して「喧嘩を売る」ことも淫夢を支える原動力となっていた。ところで、冒頭のエントリーでは「理解されることを嫌う」という部分に主軸が置かれていたが、「風評被害」などの全方位爆撃と言われるような無差別の迷惑行為が行われる原因には余り言及されていない。そもそも、意味もなく「風評被害」を撒き散らしてコンテンツを占領する事は、淫夢の大きな特徴の一つである。しかしこれを単に「定型文を楽しみたいがため」であると考えるのは早計である。このような無差別の破壊行為を行う危険分子には一つ記憶がある。それは1970年代後半のロンドンパンクである。
パンクロックと言われて皆さんは何を想像するだろうか。まずもってハードコアなロックを想像する人が大多数であると思う。次にセックスピストルズを連想する人が多いだろう。ここでイギー・ポップを想像された方は私と趣味が合うので、酒でも飲み交わしたいところだ。それはさておき、パンクロックというのは至極曖昧な分類である。結論を言えばハードでメタルなロックは特にパンクではない。パンクロックとは、超絶技巧に進化しすぎたロックに対する反骨として、若者たちが楽器を取って破壊的な演奏をしたことに始まる。パンクロックは常に若者と共にあった。その中でもロンドンパンクとセックスピストルズはパンクの代名詞的に語られる事が多い。そして、今回淫夢のムーブメントと対比して語るのも、ロンドンパンクであり、セックスピストルズである。
パンクロックの特徴の一つとして、演奏が適当で、歌も酷く、歌詞は過激、という部分がある。最早そこに芸術性などなく、ただ単調な破壊行為のみが残る。そういう音楽である。そして、ロンドンパンク全盛期(のみならずパンクの曲)の歌詞を聞けば分かるが、その内容は全方位爆撃という言葉に等しい。そしてそれが流行した背景には当時の社会情勢があった。1960年代以降のイギリスと言えば「英国病(もしくは"Sick man of Europe")」と呼ばれる長い停滞の時代にあった。特に1970年代後半は労組の賃上げ交渉のために社会機能が混乱に陥り、それが更に深刻な影響をイギリス全体に与えていた。
淫夢の流行の端緒となったのは「霊夢 so クッキー☆」であるとの持論を先程展開したが、それでも淫夢がアングラの文化である事に変わりは無かった。淫夢が一般的にも受け入れられるようになったのは2013年か2014年ごろの事である。2014年の冬には女子中高生の流行語として「微レ存」(“微粒子レベルで存在している”という内容の淫夢用語)が取り上げられているなど、ある程度社会に影響を及ぼす立場に淫夢というコンテンツが進展している事が分かる。
参考:「Ameba」が2014年「JCJK流行語ランキング」発表 流行語1位は「ダメよ~ダメダメ」、「かまちょ」「KS」など新しいJCJK語も上位に 流行っていたモノ・コト1位は「壁ドン」
https://www.cyberagent.co.jp/news/press/detail/id=9551&season=2014&category=ameba
さて、2010年から2014年の間に何があったかと言えば、2010年ごろから尖閣諸島の問題が表面化し、更にGDPでは日中の順位が逆転、対中関係は政治的にも国民感情的にも急激な悪化の一途を辿った。2011年には東日本大震災とそれに伴う原発事故が起こり、それ以来日本社会に大きな影を落とした。2011年から2012年に掛けては円高が続き、日本経済は大きな不況に陥った。そもそもバブル崩壊以後の日本経済は停滞を続け、災害リスク、政治不信など、社会情勢はとても良好とは言えなかった。要するに、日本は英国病と何ら変わらない状況に陥っていた。(もしくは今も陥っている。)
当たり前だが、人間はそういう状況で不満を溜め込むものである。淫夢はそういった不満の捌け口となる「パンク的」なコンテンツとして、この頃から急激に勢力を伸ばしていった。淫夢というコンテンツが「人を遠ざける」事を絶対の掟とするのは、この攻撃的な性質と表裏一体である。そして、今度は「攻撃する事」そのものが淫夢の価値として利用されるようになった。
ニコニコ動画に於ける淫夢というコンテンツの裏にはニコニコ動画の運営に対する反骨精神が常に見え隠れしている。例えば「ニコニコ本社爆破シリーズ」や「ニコファーレ」を淫夢動画で占領するなどといった行為にそれは顕著である。ニコニコ動画では卑猥な動画は削除されるようになっている。淫夢を題材にした動画もそういった理由で削除される事が多く、「ホモコースト」と呼称されている。ここでのニコニコ動画の運営はある意味既得権益層として扱われている。そして、淫夢というコンテンツに集った人間を抑制する「大人」として常に反骨の対象となっている。この構造はロンドンパンクでも同じだった。有名なセックスピストルズも契約を中途破棄した大手レコードレーベルのEMIに対して中傷を加えるような楽曲『EMI』を制作し発売している。
かつては純粋に同性愛者に対する侮蔑の意味から成り立っていたコンテンツも、近年では方向性が変わり、日本社会全体に対する皮肉や激しい中傷が込められたものとなっている。
ロンドンパンクは一瞬にして終焉を迎えた事で知られている。例えばセックスピストルズはアメリカツアー中に解散し、それからロンドンのパンクブームは急激に終息へと向かった。結局はバンドメンバーの喧嘩別れなのだが、一般的には「セックスピストルズが時代に果たした役割は終わっていたから」と解説される事が多い。これは何を示すのか。
淫夢に目を移してみよう。2010年頃、ニコニコ動画で淫夢が流行りだしたとき、流入してきたのは所謂「はぐれ者」のような人間だった。彼らは「人に理解されない」という事を自覚している。そこでそれを逆手に取って、「絶対に理解されないコンテンツ」で活動する事にしたのだ。淫夢が隆盛すると、淫夢という荒削りだったコンテンツにも多くの優秀なクリエイターが参入してきた。彼らもまた社会のはぐれ者だったが、その技術力によって淫夢というコンテンツはニコニコ動画の中で確実に育っていった。そしてすぐにも一般的な人間にも受け入れられるコンテンツへと淫夢は成長した。
近年のアニメ文化にも同じ現象が見られる。元々深夜帯のアニメは「はぐれ者」の為のコンテンツだった。しかし、深夜アニメのコンテンツとしての成長とともに、十分一般大衆に受け入れられるようになってきた。しかし一方でそれは“古参”のオタクと新たにアニメを視聴し始めた人間の間に溝を生む事になった。近頃では、社会的に弱者というよりは立場の強い者でもアニメを見るようになったので、そういった人間の行動がオタクの内輪で問題になる事も多くなってきた。(ラブライブに関する騒動など。)
淫夢でもこれと同じ事が、より急激なスピードで起こった。淫夢は大衆化が進み過ぎて、比較的容易に理解されるコンテンツとなってしまった。動画のコメントにも「掟」を破るようなものが出てくる。また、淫夢動画自体も攻撃する側からされる側へと変化していった。そうなると、過激な作品を作る意味もなくなっていく。淫夢に関連する動画を作っていたユーザーは更に先鋭化した動画へと転向するか、もしくは全く違うコンテンツに乗り換える事を余儀なくされた。もちろん、動画を作る人間が残されたユーザーに居なかった訳ではないが、理解しがたい価値感から生まれる笑いを作り上げる事は難しくなった。現在の淫夢では、無意味な誹謗中傷を繰り返すタイプのコンテンツと、「現場監督」などの更に理解しがたいコンテンツへと興味が進展している。一方でコアな視聴者層の流出も止まらず、最盛期にはニコニコランキングのその他カテゴリ10位以内を常に占拠していたが、今では半分にも満たないことが多くなった。
セックスピストルズの解散理由であるところの「役割が終わった」とは、言い換えれば過激な事をしても面白くなくなったということである。自分自身がメインストリームに近づいてしまった事により、メインストリームに対する攻撃を加える事が最早できなくなった時点で、ロンドンパンクや現在の淫夢というコンテンツが終焉や衰退へと向かう事は規定路線であったということである。
攻撃的で人間を遠ざけるようなコンテンツは何も淫夢だけではない。2ちゃんねるの「なんでも実況板J」発のコンテンツには類似した攻撃性、特殊性を持ったコンテンツが多く存在している。一つは野球選手を題材としたカッスレなどの誹謗中傷を行うコンテンツである。もう一つは聞いた人も多いと思うが唐澤貴洋弁護士に対する一連の誹謗中傷である。どちらも淫夢より更に先鋭的であり、社会に与える影響もコンテンツの規模に比して大きい。後者は特に爆破予告やGoogleMapの書き換え騒動などで、社会に対して影響を与え始めている。
そしていずれも淫夢のコンテンツに集っていた人間とユーザー層が被っているという事が重要である。そして、これから淫夢と同様に勃興していく可能性を秘めている。それはつまり、淫夢というコンテンツはもしかするとこれから起こる日本社会全体に対する反抗的なムーブメントの始まりに過ぎないかもしれないということだ。淫夢というコンテンツは「因縁を付けて他のコンテンツを占領する」という重要な特性を発現し、それが日本のアングラなインターネット文化に与えた影響は大きい。
パンクロックが「タブーを無視した過激な表現」という点で後の様々なコンテンツに影響を与えたように、もはや淫夢というコンテンツが日本の文化に与える影響は無視できないものとなっている。冒頭の記事で「ニコニコ動画を滅亡させるもの」として記述されていた淫夢は、果ては日本を一種の意味で「壊す」コンテンツとしての役割を担う可能性がある。淫夢はニコニコ動画であり、日本でもあるのだ。つまるところ、今起きている淫夢というコンテンツの拡散はこのコンテンツに特有の事象ではなく、もっと巨大な社会的情勢の要請から来るものであるという事だ。
では、我々は次に何をすべきか。社会を食い潰しながら、次々と勃興しては衰退する攻撃的なコンテンツを前に、それをどうするべきか。淫夢の風評被害を広める人間が悪い訳ではない。唐澤貴洋に殺害予告をする人間が悪い訳でもない。そしてパンクロックを演奏した人間が悪い訳でもなかった。彼らに対して批判を加える前に、彼らに対して何ができるのかを考えてみてほしい。
私も弊社のリフォームについて紹介させていただきたいと思います。
九州の小さい会社のやり方だから、業界全てに当てはまるわけではありません。
改めて書くと非定型商材にはよくある話です。
しかしリフォームを考える人はこういう裏事情も知って損じゃないと思います。
どういう仕組みの業界か?
どういう値段の決め方をしてるのか?
乱文ではありますが、お付き合いいただければ幸いです。
atk
・訪問契約率20%のブラック企業の真っ黒な営業手法を書いてみる
http://anond.hatelabo.jp/20160526110823
・なぜ家電量販店で凄まじく値引ける(ことがある)のか教えてやる
(5/31 20:26 ブックマークありがとうございます。
罪悪感があるので明記いたします。
それを踏まえてどのようなお店で働いてるか、本文に追記しました。
ブコメに指摘ある通り、現場知識や管理手法を本当に身につけた営業は
値引以外でお客様を納得させます。職人からの信頼も厚い方がほとんどです。)
(そもそも匿名ブログですら度々追記するような営業って、不安になりませんか・・・?)
ハウスメーカーさんの子会社やデパートのリフォームコーナーではなく、
国道沿いにある「住まいのトラブル」といった看板を掲げたお店で勤務しています。
毎日お客様のお住まいを回り、無料見積や商談をさせていただいてます。
お住まいはひとつひとつ違い、お客様は様々な不満を抱えています。
同じマンションの同じ間取りであっても、家族構成が違うだけで、
そこにあるものを直すので、同じやり方は通じません。
私たち営業はプロとして、オーダーメイドの解決方法を提案しています。
ゆりかごから墓場までといった感じです。
6/1追記:弊社について
リフォームに用いられる施工知識は体系化が進んでいない分野ということもあり、
ではありません。
↓
であるといっていいでしょう。
では皆さんがリフォームを検討する場合、職人に直接声をかければ安くなるのでしょうか。
確かにその通りなのですが、職人に関する知識が無いと結構めんどくさいと思います。
建築職人は自身の職能分野且つ指示された内容の工事しかしません。
大工さんがペンキを塗ったり、電気工事屋が水栓を取り替えたりすることはまずありません。
「他人の仕事(=専門)を奪わない」という前提ルールが職人の世界にあるためです。
例えば、水道職人にトイレのリフォームを直接お願いしたとします。
皆さんは、TOTOのHPを見て既設トイレの型番を特定し、楽天でリフォームトイレを買ったとしましょう。
ショップが親切でリフォーム用の配管アダプターもついてきました。
さて工事当日、水道屋さんがやることは、あくまでトイレを外して、付けるだけです。
工事中に、新築当初から使われていた排水管に問題が判明したとしても、
職人は直しません。指示をされてない仕事を勝手にやることはルール違反です。
また、床の痛みもクロスの黒ずみに気づいても教えてくれすらしません。彼らの専門外です。
まあ人が良い水道屋さんなら施主に教えてくれて、知り合いの大工さんを呼んでくれるかもしれません。
でもそれって、リフォーム屋さんとやってることは同じですよね。
上に上げた簡単な例でも分かるように、トイレの交換一つにしても不確定要素は多いものです。
中々定型化できません。だから私たちが売るサービスは定価が存在しないものになってるわけですね。
「お住まいによって施工方法が変わるから、正式な見積書を作るまではっきりした値段は言えない」
ただし、会社としては宣伝をする以上「値段は要相談」とはいかないので、
「トイレの交換技術料3万円!」「キッチンリフォームパック20万円!」
といったチラシが出るわけです。
まあ定価は無理でも参考価格くらいなら設定できる工事もあるのですが、大抵のチラシは客寄せのおとり価格じゃないでしょうか。
商品に関しては他の業種と同じです。
気になる工事費はご想像の通り、職人の日当に利益を載せているだけです。
弊社の場合、一人親方の職人とは「技術」ではなく「日当」単位で取引しています。
もちろんお客様に出す見積はお化粧します。「技術項目」にわけて書き直します。
施工 | 価格 |
---|---|
◎水道工事 | /// |
トイレ取り外し | \15,000 |
トイレ取り付け | \25,000 |
◎内装工事 | /// |
既存内装除去 | \10,000 |
内装下地処理 | \12,000 |
クロス貼り付け | \20,000 |
外すよりつけるほうが大変そうだから、取り付けを高くしよう。」
「あのお客さんはうるさそう。下地処理にお金をかけておけば納得するはず」
こんなものです。
実際に私の頭の中にある見積は
業者 | 原価 | 売値 |
---|---|---|
水道屋1人 | \20,000 | \40,000 |
内装屋1人 | \15,000 | \42,000 |
こんな具合です。人数や日数を工程に併せて勘定して、自分が欲しい利益を載せます。
複雑な工事の場合、不測の事態に備えたリスクをマージンとして載せるときもあります。
(追記:ブコメで指摘を頂きましたが、大規模リフォームや知らない工事についてはさすがに職人と見積を詰めていきます。)
原価や売値はあくまで一例です。このトイレと内装工事は\82,000、
この値段だと、工事に詳しくないお客様でも、さすがに違和感があるでしょう。
私たちが商談する相手は、年配の専業主婦の奥様がほとんどです。
10%も20%もその場で値引きをしたらさすがに怪しまれそうなものですが、
事実なので、最初の値段が高くても疑われません。文句は言われますが。
「無料で見積!」をすれば、当然その手間をペイできる利益がたっぷり載っているんですけどね。
私はお客様の娘さんと同じくらいの年頃なので、それも有利に働きます。
結婚した娘と同じ年頃の営業が、私たちのために値引きしてくれている。そう思わせればしめたものです。
だから私たち営業は心置きなくドンブリ勘定で見積りを作成して、どんどん値引きします。
300万で売りたい工事の見積もりを400万で作り、50万値引きして契約できるときもあります。
(追記:ちなみに見積の技術を個別に発注しようとするお客様(上の例を用いればトイレの取り付けだけ頼む人)には、
職人のルール「他人の仕事を奪わない」に反する旨を説明します。
施工範囲がはっきりしない工事は、修繕というよりも破壊に近くなるためです。
それでもご理解頂けなければ危険な客と判断してこちらから手を引きます。)
皆さんがリフォームの見積をもらったときは、工期と人数について営業担当に質問するといいでしょう。
だいたいの原価がそれで把握できます。
大工、水道屋、電気工事屋、内装屋で工期は5日間。代わる代わる毎日3人の職人が出入りすれば、合計15人分。
彼らの日当を2万円として計算すれば、30万円くらいが工事の原価になりそうです。
リフォーム屋さんが利益を取るのは当たり前ですが、もうちょっと安くなる気もするものです。
チラシや競合他社を例にだして、どんどん値引きしましょう。見積書の「技術項目」の揚げ足を取るのも良いと思います。
粗利で30%ラインくらいが落としどころになるんじゃないでしょうか。
ただし、予期せぬトラブルが起きたとき、責任を取ってくれなくなるかもしれないので、
自己中心的で品の無い仮定になりますが、会社やサービスを潰してしまったら、
以上。
ポイントとしては
・工事内容の多様さと建築職人の気質を利用して適当に値段を決めている。
・値引きの幅に騙されない
って感じですかね。
(6/1 09:30 追記:
人工の例で出した日当2万円は一例です。地域や職能に大きく左右されますし、
期限までの工事完了に対して支払うこともあれば、本文の通り日当で支払うこともあります。
常用・請負、などで検索すると私より分かりやすく説明しているサイトがヒットすると思います。
地域によっては他の形式での契約や呼称があるかもしれません。)
(追記:リフォーム屋の言い値で契約=良い仕事をしてくれるとは限りません。
高すぎる利益はただリフォーム屋が喜ぶだけで、施工する職人の単価に影響するとは限らないからです。
逆に、値切すぎや急かしすぎは間違いなく悪影響を及ぼします。
日当が安い現場は早く終わらせて他の現場で巻き返す心理が働きます。
そして、痛い目を見た元請けの仕事に、職人は2度と近寄ってきません。
施主様と職人の情報の非対称性を解消することこそ、私たち営業の仕事なので、
適正価格の見積に納得いただけなければ、それは私の力不足です。
ただ、「良い仕事をする」「他人の良い仕事を褒める」といった文化も、建築職人の間に存在します。
この「良い仕事」はお金で動機付けされるわけではなく、お施主様の人柄であったり、
そのお住いを建てた当時の職人が残した「良い仕事」に影響しているようですね。
大工さんであれば、立派な木造建築の修繕には気合が入りますし、
水道屋さんであれば既設の無駄の無い配管に感銘を受けることもあるようです。
ですから、お互いが納得できる値段で契約して、出入りする職人さんときちんと接するのが、
一番「良い仕事」の恩恵を受けられると思います。お茶を出したりチップを渡す必要はありません。
彼らの仕事を尊重して、侮蔑しないだけでも十分良いお施主様です。
工事期間中、施主様と職人の関係を崩さず、職人から「良い仕事」を引き出していくことこそ、
(そのくせ、職人は愛想が悪いじゃないか!と言う方もいますが、
元請けをすっ飛ばして施主と仲良くなるのはルール違反、という考えの方も多くいます。
(注釈:本文の趣旨とは外れます。建築職人・一人親方といった、
家が建てられて維持されています。
少しの間だけでもその事実を頭に留めていただければ幸いです。)
おまけと言ってはなんですが、
A様宅は築35年の戸建住宅です。70代後半の奥様とご主人の二人暮らしです。
お約束いただいた時間に訪問し、名刺交換と簡単な自己紹介をします。
お電話で話したときの印象どおり、とてもにこやかなご夫妻です。
奥様が私を見て、東京に嫁いだ娘と同じ年頃だとおっしゃっていました。
雑談は親近感を上げるために重要ですが、この年代の奥様が結婚の話をするととてもめんどくさいです。
ほどほどに切り上げます。さっそくキッチンを見せていただきます。
キッチンの間口は2550mmサイズ、タカラスタンダード製です。キッチンに面した壁はタイルです。
部屋とキッチンの採寸をしていきます。ガスコンロや水栓の立ち上がりの位置も確認します。
ステンレストップはそのままで、スライド収納は絶対条件のようです。
奥様が饒舌な一方でご主人は寡黙です。カタログの値段を眼で追って表情がこわばっていきます。
「チラシはあくまで参考価格です。お住まいによって施工にかかる費用が全然違うんです。
A様の場合、40万じゃ厳しいです。」
チラシ商品は最低ランクのものであり、奥様のご要望に沿いません。
また、チラシのキッチンは6畳、壁はクロス仕上げで、ガスコンロの場合を想定しています。
広さはもちろん、壁の下地処理やIH用の電気工事が加われば値段は当然跳ね上がります。
奥様も顔色が曇りました。工事価格の変化は想像していなかったようです。
ご納得いただくために複数プランを提案させていただくつもりです。もちろん見積は無料です。」
人種や国籍などの差別をあおるヘイトスピーチ(憎悪表現)対策法案が今国会で成立する可能性が出てきた。
自民、民進両党の参院法務委員会筆頭理事は27日、与党提出の法案を修正することで大筋合意。共産党にも賛同を呼び掛け、合意すれば民進党が旧民主党時代に提出した
規制法案とともにいったん取り下げて委員長提案として出し直し、大型連休明けの参院通過を目指す。
与党側は当初、ヘイトスピーチを「他国の出身者であることを理由に、生命や財産に危害を加えることを告知するなど、地域社会から排除することを扇動する不当な差別的言動」と定義。
よく「デモなんかで国が動くわけ無いwやるだけ無駄w」とかって言われるけどそんなことは無かったね
在特会なんかの差別デモが原動力になって国会を動かしてこれだけの法律が作られる結果が生まれたわけなんだからね
ある日、体に電気を流すとより気持ちいいようになることに気づき、
さらに電動マッサージ器なども開発し、350もの特許を取った。
アーナルの事業が大成功をおさめたその時、アーナルの暮らしていた「吸えー臀」では戦争が勃発した。
各国の有力者たちは、我先にと美女を買いあさり、アナル観察に没頭していた。
アナルのない美女たちはすべて処刑され(つまり全員)、吸えー臀には美女はいなくなってしまった。
指を強引にねじ込み痔になるもの、湯飲みを挿入し取れなくなったものなどが続出した。
ちょうどそのとき、マッサージグッズからジョークグッズの開発に転向していたアーナルは、アナル用のジョークグッズを有力者に提供してみた。
感激した有力者は、アーナルが前立肛門学アカデミーの会員になることを認めた。
マッサージ器開発をいかし、電マを内蔵したもの、低周波刺激を加えるもの、電流を流すもの、などなど
たくさんのエネマグラを開発した。
はじめは兄の死だった。間違えて新聞社はアーナルが死んだと伝え、
「可能な限りの最短時間でかつてないほど大勢の男性をイカせる方法を発見し、富を築いた人物が昨日、死亡した」
などと書かれ、自分が死んだらこんなこと書かれるのかーっと、思い恥ずかしくなってしまった。
ノーベルはエネマグラで築いた巨額の富を、アナル財団に全額寄付し、アナルに素晴らしく貢献した人物にはアーナル賞として、
遺産を分け与えることにした。
アーナル賞には様々な分野があり、アーナル化学賞、アーナル物理学賞、アーナル生理学賞、アーナルエロ文学賞などがあった。
アナルにより世の平和に貢献した人物には、アーナル平和賞がもらえることになっている。
ちなみに現在では、日夜増田を浄化するためにアナル活動を行っている、増田アナル普及協会の会長ことアナル増田氏がアーナル平和賞の受賞者候補に挙がっている。
次回から、このアーナル賞に魅せられ、数奇な運命をたどったアナル開発者たちの生涯について語ろう。
続く
*参考文献
私自身の経験も踏まえて、「残念なメンヘラ」というのは「悪である」と断言できる。
通らないとキレて、物を壊したり、奇声を上げたり、他者を害したり、自身を(死なない程度に)害して「あの人のせいで!」と騒ぎ散らす。
これが「悪」でなくてなんなのか。
たまにほんとに死んでしまう「残念なメンヘラ」もいるが、それは彼らの「失敗」である。
断言できるが、彼らは死ぬ気などないのだ。
たまたま切り口が深すぎて発見が遅かったり、首を吊ってみたら意識が飛んで、そのまま死んでしまったというだけの話だ。
「残念なメンヘラ」と呼ばれる人々は、厳密に言えば「精神病患者」ではない。そこははっきり区別してほしい。
一般的に精神病患者と呼ばれる人々は、定期的に通院し、毎日、きちんと薬を飲んでいる。
たいていの医者は、患者に合う薬を考え様々な種類を試し、その人に一番適した処方をしてくれる。特に具合が悪かったり、気分が落ち込んだときに飲むための頓服薬も出してくれる。
病院ではカウンセリングも行い、今の状況、日ごろの体調、精神状態の聞き取りをし、定期的な血液検査なども義務づけられている。
これは血管に直接薬液(おそらく、安定剤的なもの)を入れるもので、覿面に効く。とまらなかった動悸がぴたりとおさまって落ち着くくらい効く。ただし、薬液が濃いため、血管を通る際に痛みを伴う。
そうして通院治療・薬物治療を行った上で普通に働いている人もいるし、支援施設などに通い就労を目指している人もいるし、自宅療養している人もいる。
そういう人々は性格も穏やかで落ち着いている。日常の生活にもそれほどの支障はないし、少しコミュ障だったりすることはあるけれど、他人とも普通に会話ができる。
まともな治療を受けている精神病患者は、「メンヘラ」と呼ばれる彼らのように、日常的にリストカットしたり、ODを繰り返したり、他人に対して「このままだと自殺するぞ!」と脅したりはしないのだ。
ODなんか繰り返していれば薬は足りなくなる。当然、毎日飲んで精神を安定させるはずのものがなくなるのだから、精神的には不安定になる。落ち込んだり、逆にハイになりすぎたり、他者に対して攻撃的になったりする。
そして、そんなことを繰り返している患者は、入院治療の対象になるのだ。
家族、もしくは担当医の判断で、精神病院に入院させることができる。最初は閉鎖病棟に入れられるのが普通で、そこで薬の管理を徹底的に叩き込まれ、それから開放病棟に移され、院内のデイケアに通ったりする。退院後もデイケアに通い、きちんと薬を飲んでいるかなどを管理される。
厳しい先生などは、ODを繰り返したりする患者は患者としてみなさない先生もいる。
何故なら、日本における精神病の治療は薬物治療が第一であり、それをきちんと管理できない人というのは、「治療する気がない」という意味だからだ。
「メンヘラ」と呼ばれる彼らの多くは、「治療する気がない」のだ。
陰性の統合失調症と診断されて通院を続けている。手帳だって持っている。もう20年近くになる。引きこもりも経験した。
だけどその間に、一度も自殺未遂をしたことはないし、ODをしたこともないし、リストカットをしたこともない。「これから死ぬから」と誰かを脅したこともない。
薬を飲み忘れたこともない。薬は、命綱だから。それを飲まなければ自分が辛いということがわかっている。
残念なメンヘラ、なんていう種類の馬鹿がいるから、差別され、侮蔑される。
ネット上で声が大きいのは、残念なメンヘラたちであることが悔しい。
残念なメンヘラたちが馬鹿なことを繰り返し、それをネット上でいきいきと発信するから、「メンヘラ」という差別用語が生まれた。
例えば、大事な会議に遅れてきた部下に対してや、消費税がアップしたときなどに「すっとこどっこい!」と言う。
この「すっとこどっこい」の意味を知らない人は意外に多いのだ。知らないにもかかわらず、語感が良いものだから多頻度で使用する人があとをたたない。
20代くらいの若者が、ゴミ置場に凄まじく重いゴミを置いた瞬間に「すっとこどっこい!」
部活帰りの男子高校生が、コメダの椅子に座る際に「すっとこどっこい!」
俺の部下のM君が、大量の資料を机に置いて「すっとこどっこい!」
俺はM君に「一体『すっとこどっこい』をどういう意味だと思っているんだ」と聞いてみた。
すると彼は言い放った。
「すっとこどっこいはすっとこどっこいであり、それ以上でもそれ以下でもないですね。あえて言うなら『よいしょ』が類語にあたります。その言葉は僕を奮いたたせ、やる気をみなぎらせます。ポジティブとユーモアを兼ね揃えた言葉です。」
俺はM君に「すっとこどっこい!!」と言いたかった。しかしそう言ったところで、俺の気持ちは伝わらない。
言葉の意味は変わっていく。ありがとう、そしてさようなら、すっとこどっこい。
〜追記〜
皆さんのブックマークコメントを読んだ。M君の言っていたことは当たらずといえども遠からずだったんだな。もともとの意味に近いことを言っていたんだな。
すまん、M君。
何でもかんでも一括りにする人がいる。そういう人に遭遇すると少し疲れる。
例えば、
・B型は〇〇だ
・韓国人は〇〇だ
・テレビを見る奴は〇〇だ
・アイドルは〇〇だ
・教師は〇〇だ
B型も韓国人もテレビを見る人もアイドルも教師も、知的で思慮深い人だって沢山いるじゃない?何で一括りにして酷いレッテルを貼るのだろう。Simple is the best.って感じなのか?
あるカテゴリーにおいて、たまたま悪人や嫌な人がいたからといって、そのカテゴリーに属する人全員を一括りにして「はい、お前ら全員ダメ!」と決めつけるのは良くないだろう。
シンプルに一括りにした方が分かりやすいかもしれないが、シンプルにしすぎると傷つく人が出てくる。これは、円周率をシンプルに3としてしまうよりもずっと問題だ。円周率3どころの話じゃないくらい、世の中に歪みを生む。
「良い人もいるんだ」と気づける目ざとさはとても大切だ。
有害なものは目ざとく見つけるじゃない?例えば食品に異物混入していたら目ざとく見つけるじゃない?その目ざとさを、あるカテゴリーの人間を見る際にも発揮する人が増えたらなと思う。
言われてみれば親米と言うより親英に近いのかもしれないな。盛んにBritishを強調する奴は多いからな。
俺が日本人だから反日は露骨に見た事は無いのかもしれないが確かに存在するLKYも表面上は日本との友好関係をうたっていたが彼の本を見たら相当の恨みを抱いていたのが分かる。戦争レベルのわだかまりは消えないんだろうが、政治的判断で反日をあまり煽らなかったんだろうね。
「中」についてだけど言っている通りひとまとめには出来ないが、うまい分け方として
Mainland派とOversea派の2派に分けるのが良いと思う。
Mainland派は中国共産党の影響が強く反中勢力の攻撃の対象とされる。中国大陸にいる中国人。
Oversea派は英米の影響が強く中国国外にいる移民の子孫がほとんど。Mainland派を侮蔑敵視している。国民党はその一派でOversea派は多様性が高い。
この敵視の度合いを考える基準としてOversea派は日本に対してネトウヨ・チョンみたいなカジュアルな侮蔑語がない、一方Mainland派に対してはカジュアルな侮蔑後がある。例えばPRC(People's Republic of China)は中華人民共和国のacronymだけど、これがPlease return chinaとしてカジュアルな侮蔑語になってる。