はてなキーワード: 侮蔑とは
東京人の「私鉄野郎怖い」「満員電車フェチ怖い」の何が悪いんだ。列車に乗れば糞ガキみたいな野次馬オタクが満員電車に乗り込み、普通の利用者は怒らないどころか何も驚かない。
息をするように田舎者ぶり、政治に必死な人を侮蔑して、鉄道混雑をなくそうといいながら、私鉄だからいつまでも満員電車を解消できない。
それどころか、私鉄野郎は自公政権の背中を無意識に押して、東京人にいらないものを落として、いるものを持って帰る。政治を抜きにしても、交通の邪魔にならない程度のサイズの車やバイク持っていてかつ富裕層みたいな人間にも鉄道を使わせる。いらないお店があちこちに出来る。いらない観光列車があちこちで走る。そのくせホームドアだの鉄道のセキュリティ強化だの一向に進まない。
本業にカネ払わず、副業ばかりにこだわる鉄道など、嫌われて仕方ないな。
挙句の果てに都会人が都会の宝たる鉄道を嫌ってバスだの車だのバイクだのに流れる。「公共交通を返せ」もいいところで、もはや「死んだ公共交通などどうにでもなれ」なんだよ。
こんな東京は。めちゃくちゃだろ。
何度でも言って聞かせてやる。都会の人間が「満員電車崩壊しろ」と何度言おうが、何百万人が叫ぼうが、大都会人の大人は、満員電車をぶっ壊せない。しかし私鉄野郎は都会人をぶっ壊すことが出来る。
何なんだよ「右翼支持の鉄道会社を愛する鉄道オタクが許せない」というこの理由は!!!!!!?
左翼の敵だと言う理由で無関係な第三者に手を出すなや!!!!!!!
こんな糞ガキまがいのレベルで不愉快なことをするな!!!!!!!!!
苛めたやつは世の中が今はどんな状況が主に報じられてんのか分かってんのかよ!!!?
最近では田舎での大地震やテロ事件、社会の分裂、若者の倫理の低下、神奈川での悲惨な事件、
それだけじゃなく今年はアメリカですさまじく醜い大統領が誕生したんだぞ!!!
これ以上人々を醜い気分にさせて本当に何考えてんだよ!!!!!!!!
こんな糞ガキ野郎をさっさとネット原住民やネトウヨは警戒しろ!!!!!!
こんな糞ガキに限らず日本人は超ガキらしい奴とかDQNみてえに陰険で残忍くせぇもんばかりになったのかよ?
韓国やアフリカや欧米とかからの移民や留学生見てみろよ!!!!!!!!!!
日本人が忘れたスマートさとインテリに優れたものがたくさんいるわ。
だが日本はどうだ?不良くさい連中やらずぼらな人間とかもう飽きたんだよ!!!!!!!
いいや、問題はこれだけじゃないわ。
Youtubeとかで検索してみろよ。欧米やアフリカ、韓国だったらふざけた理由でこの政治家やめていないよ。
あと大学生時代にバイク好きの私に対するDQNからのハラスメントにも苦しめられたよ……
天皇制だの娯楽の世界だのにネオリベ根性ねじ込まれやがった!!!!!!
韓国でよ大規模なデモ行進があって大統領が退陣寸前にまでに追い込まれているのに、
いいや、デモを祭りとしか思えない人間に大人を気取ってほしくないね!!!!!!
このことを踏まえ、今までブラフでしかなかった、「パヨク野郎くたばれ」声明の発表をここに宣言するぞ!!!!!
心の奥底から侮蔑することをここに宣言いたします!!!!!!!!!!!!!!!!
その後も鉄道勢力と自公政府との友好関係を出汁にしたバッシングが続出し、
その最大の恩恵を受けるべき都会人が鉄道なるものを見限って、なおかつ
インターネットで「(90年代のオタクネイティブは秘していたような、女性に対して暴力的な言語表現が一般化してしまった」理由として、
00年代以前のインターネット社会では「女性がマイノリティだった」というのが大きいのだと思う。
女性嫌悪的な記事や、『ま~ん()』『腹パン』『糞女』などの『女性に対する明確な差別的言論』やセクシズムに溢れた表現が、
住み分けされることなく偏在し、男女双方の性嫌悪を再生産し続けている、という現状を重く捉えるためである。
後半、ポルノメディアのゾーニングについても触れるが、弊害が大きいのはむしろ、差別言論のほうであるように感じる。
かつてアングラサイトだった2ちゃんねるは、まとめサイトの存在によって「公」空間に引きずり出されてしまった。
ソース元となる「ニュース速報系」は、かつては「極端な思想同士が延々とプロレスをしている」一元さんお断り空間だったが、
雑談系板の分離、アフィリエイト排除のための板新設などを繰り返した結果、かつての「喪板(=モテない男性文化)」的な、
非モテ・ミソジニー文化が幅を利かせる空間として先鋭化した。客層をターゲットした広告が配置され、結果として女性差別と、男性向けの性表現で溢れかえる。
新たな住民が流入し、育ち、巣立っていくサイクルの中で、一般的な女性が見たら嫌悪感を持つ空間が醸成されてしまったのはほぼ必然といえる。
たまに誤解している女性がいるが、これを「日本社会の差別性の象徴」と捉えるのは正確ではない。
「もともと限られた男性たちが醸成した空間が、外部者である女性の目に触れるほどに一般化してしまった」が正しい。
なお、ここまでの推察は、既にあるまとめサイトをどうこうすべきという話ではなく、「結果としてやむを得ず現状がある」という過程の話である。
多くのインターネットサービスが提供しているのは、異文化衝突に対する、技術的アプローチによる解決だ。
Google的な広告モデルは、個人需要に対して徹底的にパーソナライズされる仕様になっている。受け付けない広告は、右上などに表示された×ボタンを押せば表示を止められる。
例えばtwitterは本来TLがデザインできる空間なので、攻撃的なタイプの「弱者男性(女性車両反対)」層、ツイッターレディースなどの、
IS○S的な用途は、本来、サービスのデザインに反する。「嫌いなものはブロックして見ない」が正しい使い方となる。
また、facebookは年々ポリティカルコネクトネス的な締め付けを強めているので、猥雑なインターネット空間が受け付けない層はそちらへ行くのが妥当、という側面はある。
とはいえ、情報リテラシーが高い、あるいは自制可能な人間ばかりでない。
そして、往々にして人間は、自分の空間をデザインすることではなく、差別者を批判することではなく、
『嫌いな』表現を攻撃する行為に労力を割いてしまう。現状、技術的手段が有効に活用されているとは言いがたい。
性差別を受ける体験から性嫌悪を強め、あらゆるセクシズム的な表現に対するアレルギーを発症する人は多い。
社会における表現の自由は「人権の総量」と同義であるといって過言でない。
表現規制が基本的人権の侵害に及んだ場合、社会的人権の確立が十分でない子供、そして次に女性が権利を奪われる。
この例は、事実上の男性向けポルノ規制法である青少年育成条例周辺の改正案が、全て、「子供の権利を奪う」方向に進んでいることに顕著だ。
焚書を及んだナチス・ドイツや、青少年健全育成法との内容的類似が指摘される、戦前の国家総動員法が物語る通りである。
一部東南アジア国家では強硬な規制政策が取られているが、独裁政権が横行し、「エロ本を買うより女を買うほうが安い」といった状況だ。
タイでは軍事政権に対するクーデターが起きたものの、短い平穏のあと、名君の死による大変な混乱が起きているのは周知の通り。
さて、「表現の自由」論について多くの行数を割くことは、ここではせず、過去や他国の先例に触れるに留める。
論じたいのは、見た目のイージーさに対して重要なリスクを持つ「社会法による規制」に訴えず、
女性が差別表現に傷つかないネット空間を用意するにはどうしたら良いのか、という部分だ。
まとめサイト女性の目に触れる、ということは、扱われるトピックに、女性にも共通する需要があり、
一般メディアのセクシズムに不満が出る、というのは、逆に捉えれば「セクシズムが除外された空間に需要がある」ということだ。
「クリーンな」と書いたが、女性向けキュレーションメディアの多くは
女性の趣味嗜好は細分化しやすいので、隙間需要はおそらく多い。
女性向けで、かつ、現行のまとめサイトに近いものとして「ガールズちゃんねる」「GIRL'S TALK」などがある。
まだ十分に一般化していない印象があるが、これらは、需要を上手く捉えたサービスだと思う。
ところで、女性向けキュレーションメディアの大半が「セックス」「恋愛」を全面に出している。
セクシズムこそが人を惹きつけ、湯水のように金を出させることは否定のしようがない。セクシズムは男性のみならず、女性にも深く根付いている。
社会的な建前が排除された女性向けメディア、「ガールズちゃんねる」「大手小町」あたりを見ても、女性の女性による女叩きは溢れかえっている。
それらを除外したサービスを作ったところで、収益を上げづらい(作るメリットが薄い)であろう、という推論は成り立つ。
視界内からセクシズムを排除したいならば、自らをゾーニングし、徹底的に安全な場所に引きこもる他はないだろう。
ここまで敢えて触れなかったが、女性向けのネット文化は、存在しなかったわけではない。
日本は性文化においても、女性への「slat shaming(ふしだら侮蔑)」的感覚が強く、また、女性のほうが趣味が細分化しやすい事情もあり、
女性向けの性表現は自ら「隠れている」のが実情だ。学級会文化、と揶揄されるように、同調圧力が非常に強い。
一般化する前の、かつてのオタク文化に近い傾向を持っているとも言える。
ただし、女性が男性向けの性表現に嫌悪感を抱くのと同様、本邦の男性も女性向けの性表現に嫌悪を抱く。
あらゆるネットサービスで問題となる、「腐叩き」に顕著だが、「腐叩き」が問題になっても、「女叩き」が問題になることは少ない。
「マイノリティ」の弱みだが、女性のインターネット利用は既に一般化しており、そもそも男女の大きな人口差はないので、人数的にはマイノリティではない。
「最近の腐女子がやりすぎている」のではない。男性向けの性暴力表現の一般性を考えれば、表に出てくるのは至極自然な現象だろう。迫害するほうが不当だ。
男性性への嫌悪から、女性差別表現と共に氾濫している男性向けポルノの規制を求めれば、女性向けの性表現も規制を受ける。
「ミラーリング」に必要なのは、個別のキンタマ潰しでもなく、ポルノバッシングでもなく、女性向けのポルノを、公空間に氾濫させることだと思う。
なお、筆者は少女の表象を好み、男性向け文化を主に嗜好してきた性別女性だが、
BL愛好女性の語りが好きだし、女性向けのゴアな表現の行き着く先がどのようなものなのか、強い興味がある。
同性が表象によって「性的消費」されることに抵抗はないし、異性に対しても特にない。
個人をイリーガルに侵害しない範囲に限るが(実在者の加害行為を扇動する気はない)、文化としては、更なる先鋭化に期待する。
攻撃的に、あるいは非攻撃的に、「自粛を求める」というものだ。何故書かなかったか。そもそも無理だと考えるからだ。
殴ったところで、他者加害傾向の強い人間は「反応があった」事実に溜飲を下げるだろうし、
攻撃的でない人は傷つき、嫌悪ないし憎悪を増幅させる。前向きな進展が起こるとは考えづらい。
空間のパーソナライズという形での技術的解決は更に模索されるべきだが、人間はそも身勝手で、経験外の事象への想像力を欠いた生き物だ。配慮を求めるのは非常に難しい。
一般社会では許されないような表現が溢れかえるインターネットの「公空間」だが、「すでにそのように形成されてしまった空間」において、性差別の欲望に抗うのは難しい。
現在の本邦において、男性も女性も、「男性嫌悪」「女性嫌悪」を内在させている。
「女性向け」のインターネット空間では、女性は性表現への渇望を隠さないし、お行儀よく振舞っているわけでもないし、男性を「消費」しもする。
最初から女性がインターネット空間でマジョリティだったとして、「自粛」などできる筈がない。これはそういう問題だ。
想像不可能な事象に人間は「配慮」なぞしないし、想像力の欠如は、体験することによってしか補われない。
男性にも、目に見える範囲で同性の表象が理想化され、客視され、消費される体験が必要なのだと思う。それこそが戦うこと、ミラーリングになる。
裏返しに言えば、ときに男性のオタクが憧れるように、「憧憬され」「求められる」のは、「女性」の特権ではないはずだ。
相互に消費し、消費され尽くす経験を経て、住み分けやお互いの線引きを探るか。社会法による規制という形で表現の自由、幸福に生きる権利が奪われることを望み、
共に滅ぶことを選ぶか。
「女性の生きづらさ」を改善するためには、空気を、構造を変えなければならない。
それは、「黙らせる」のではなく、自らが声を挙げ、表現することによってしか実現されない。
追記:本稿で取り扱いたかったのは、主として「女性に対する差別言論」が全く住み分けされない(されづらい)現状だったのですが、
表現上、ポルノメディアとの区別が曖昧になっていたので、一部をリライトしました。
ポルノメディアはかなりの割合でsexismを含むと認識していますが、それが単純な女性差別であるとは捉えていません(17:38)
今朝、寝起きでリビングに向かうと妹がニヤニヤしながらテーブルに座っていた。
ぼーっとした頭で考えてみるも答えはわからない。
妹は侮蔑の表情を浮かべた笑みでこちらを見ている。
「知るかそんなもん。」
私が興味がなさそうに答えると、それにかぶせるようにして最近話題のリズム動画を真似しながらノリノリに答える。
「ウゥン!アッポー ペイ!」
自分がiPhone 7を使っているのをいいことに未だに私が5sを使っていることを蔑んでいるのだろう。
うずくまる妹。
すかさずiPhone 7を奪い取るとそこにあったパイナッポーペンにぶっ刺して再び妹めがけて全力で投げつける。
鈍い音を立てながら妹の頭で弾んだPPAP(Pen Pineapple Apple-pay)は、きれいな放物線を描いて窓の外へと飛び出していった。
齊藤さん(id:netcraft3)のTwitterとブログ追ってます。
でも、1か月前の齊藤さんと友達とのやりとりで、これってどうよ? と思ったことが。
かんどーさんという人と最近までもめてたじゃないですか。
それを慰めるお友達とのTwitter上でのやりとりが残念だったんです。
確かショップ店員の派遣とか講習をしてるBBA社長との色恋沙汰でしょ。よほど統括したり関係してる部署の人間じゃないと興味引くかという問題があるが…。記事のキャシュでも参照しつつ酒のツマミにしてみるよ^^;— びやん (@manabien) 2016年9月17日
女性に対して、容姿や年齢をからかう男ってジェンダー的にどうなんでしょ。
バカはバカだから、この@manabienという普段から差別的な発言の多い人が、女性をババア呼ばわりしようと、どうでもいいんです。
でも、ジェンダーに関していつも意識の高い指摘をしている齊藤さんだから、もちろん、
と一言、注意すると思ってたんです。
ほら、沖縄の人を土人呼ばわりしたり、小池百合子を厚化粧だと批判するようなものじゃないですか。
嫌いな相手であっても、差別的な発言、相手を傷つける発言はしてはいけないですよ。
公開の場所で知人が発言したら周囲がすぐに注意しなくちゃいけないはず。
そのあとも@manabien はなんどもTwitterでかんどーさんをBBA呼ばわり。でも齊藤さん、注意しない。
なぜですか?
もしも齊藤さんがこの記事を読んでいたら、以下の選択肢から番号で選んで理由を教えてください。
遠くの出来事に人は美しく怒るが、近くの出来事に人は黙り込む。児童虐待がメディアで取り上げられると人々は怒りと同情の声を上げるが、自分の家庭や隣近所で現在進行形で起きている虐待には声を上げない場合が多い / “児童虐待問題について…” https://t.co/RceVMqkeuL— 齊藤貴義 (@miraihack) 2016年10月19日
を読んだり、大阪府警の土人発言を怒っているようなツイートを見て、もやっとしたからです。
仲間のヘイトを注意すらできない人間がいくら偉そうなことを言ったところで、社会を変えられる訳がない。もしかして、ポーズだけの人?
「プー」と「ニート」でどれも侮蔑の程度が変わったりはしないよ
あのな、差別する側が悪いだろ?
様々な言葉に侮蔑の意味を込めて、差別語を拡大するやつが悪いだろ?
なぜ被差別側の抗議が悪いことになるんだ?
「ナスビ」を差別用語とし続けることで、「ナスビ」ひいてはそれが指し示す「茄子ヶ原一族」自体を永遠に侮蔑の文脈と結び続けているから、そういう日は来ないだろうね。
さらに言うと、茄子ヶ原一族自体に、「ナスビ」を自称する人が少なくなくて、「いや俺ナスビだけどミカンじゃねえよ」「ミカンって言われる方がイヤ、普通にナスビって言え」なんて層がいるんだよ。
そりゃあそうだ。単なる名字の省略の方が本人たちもわかりやすいし、そのシンプルな省略形じゃなくて全く関係ない「ミカン」という用語を使わされること自体が、
だから、この部分に一切意味がないどころかむしろ有害であると言っているんだよ。
「ナスビは茄子ヶ原一族に対する侮蔑語だから使ってはいけない」という決まりにしたら、この決まりは未来永劫に亘って周知し続けなきゃいけないね?
だって、周知し続けなきゃ「茄子ヶ原」なんてのは長いから、誰かが不意に「ナスビさん」って言っちゃうもんね。
そうして、「茄子ヶ原一族は『ナスビ』という呼称で差別されうる存在である」と子孫代々伝承し続けることになるの。
そういうふうに伝承され続けている以上、個人的な怨恨や喧嘩などをきっかけにわざと侮辱的に「ナスビ」を使う人間も出続けるだろうね。
文脈としてそれに侮蔑がくっついているんだから切り離すしかないだろう。
別に「文脈から切り離せば侮蔑が消え失せる」という話じゃないんだぜ。
それはそれとして侮蔑の文脈とつながった呼称を使うのはやめろ、ということだよ。
誰もがまず「差別をやめろ」と言ってるだろ?
周りのブラック上司がどうかは知らないけど、自分の場合は100%正義感が原因でブラック上司になってしまっていた。
特定を避けるためにかなりぼやかして書く。
自分が入社した頃の会社は業界としては発展途上、企業としては過去の悪しき習慣を引きずったままの成長頭打ち企業だった。
目の前に集客のチャンスがごろごろとしているのに、新しいことに挑戦して評価を落としたくないくせに残業代をカットされたくないからと無駄なルーチンばかりが業務を圧迫していた。
当然ぺーぺーの自分には山のような無意味なルーチンが回ってくる。ルーチンをこなさなければ古参社員達に批判をスキを与えてしまう。
だから新しいことや自分のやりたいことにチャレンジするには、全てのルーチンを終わらせた後か、休みの日にするしかなかった。
別に会社に特別な恩があるとかよりも、自分の能力に対する好奇心であったり、単純に業績が上がっていくことに対して楽しいと感じていた。
だから、目の前にやるべきことがあるのに、努力しようともせず無駄に時間と給料を食いつぶそうとするその時の社員達がむしろブラック社員に見えていた。
文字通り休みを返上して、毎日の勤務時間は平均15時間はくだらなかった。
30日x15時間-平均定時勤務時間150h(実働7時間。月8休)=残業300hの世界だ。
でもそれは誰かに言われたからではない。
誰にも文句を言わせないために全てのルーチンをこなした上で、やらなくてはならないことややったほうが絶対に成長につながることをやりつづけたらこうなっていたのだ。
そんな目先の賃金より、自分が成し遂げた仕事に対する評価が欲しかった。
古参の社員達を見返したいという気持ちがなかったと言えば嘘になる。でも、それ以上にやりがいを感じていたのも事実だ。
当然会社内での評価はうなぎのぼりで、最短最年少昇格記録を毎年のように塗り替えた。
そんな姿を見てか、古参役職者は次々に理由を付けては会社を後にし、それも手伝ってか更に加速度的に役職を駆け上がることになった。
視点が変わってもやるべきことややりかたが変わっただけで、相変わらず使えるだけの時間をすべて使って仕事をし続けていた。
いつしか誰よりも早く出社しないと気がすまなかったし、社員達が全員帰るのを見送らないと気がすまなくなってしまっていたのだ。
ただ、自分がやりたい仕事や新しいことへの挑戦は、日常業務以外の時間帯にするのが当然だと思っていたし、自らがそうした見本であり続けようと思っていたのは事実だ。
無言のままに、僕の下で出世したければ僕と同じ働き方をするのが当然だと考えていたのだ。
だから自然と社員たちの間で早出残業は当然(自分ほどではないにせよ)だったし、規定の残業代以上を請求してくる人間もいなかった。
しかし、そんな生活は当然長くは持たず、入社から8年ほどで大きく心身のバランスを崩してしまうことになった。
ある日、ストレスの大きな案件を幾つか同時にこなしている最中に、突然呼吸が乱れたかと思うと、涙が溢れ出し止まらなくなってしまった。
その日に限ってたまたま社に顔を出していた本部の上司に別室に連れていて行かれたが、呼吸の乱れや嗚咽が止まらず、全く喋ることができなかった。
その後はひとまず早退することになったが、翌朝から仕事のことを考えるだけで精神と肉体が働くことを断固拒否するようになってしまった。
何と伝えればいいのかわからない状態で受話器を持ったまま時間ばかりが過ぎ、結局上司からの着信を何の準備もできないままに受けることになってしまった。
昨日同様、まともに会話のできない自分に、上司から一週間の自宅療養(勤務禁止)を命じられた。
その間は、常に自らの評価ばかりが気になっていた。
部下から陰口を叩かれているのではないか。仕事に穴を開けたことで会社から大きなマイナス評価をうけてしまうのではないか。取引先との信用問題になってしまっているのではないか。
今すぐに会社に行きたい気持ちに反して、身体はまったくもって動こうとはしなかった。
いっそのこと死んでしまいたい。その時は本当にそんなことばかり考えていた。
自宅療養の間はほとんど外出はせず、所有している漫画やDVDばかりを見ていた。
そのままでは何も進まないと、予定通り1週間後に出社を決意した。
そうして出社してみて驚いたことは、誰もが心配してくれていて、誰もが笑顔で迎え入れてくれたことだった。
誰一人というのは大げさだが、無関心な人間はもとより無関心であったり、不満げな人間はもとより不満げな態度ばかり見せる人間だということもわかった。
しかし、何よりも驚いたことは、自分が一週間休み続けたことで、何一つ営業に支障が出ていないということだった。
あとで聞けばそれなりの苦労はあったそうだが、むしろ使命感があって仕事が楽しかったという意見がほとんどだった。
さらに、今まで無能だと思っていた数名の部下が率先して活躍していたと言う話を聞いて耳を疑ってしまった。
じつにこの一週間で、今までさんざんに手を焼いてきた組織が、今まで見たこともないような成長を遂げていたのだ。
そうした状況に嬉しさと安堵が入り交じる一方、一つの大きな疑問が湧き上がっていた。
自分は一体何と戦っていたのだろうという疑問だ。
腐っていた頃の社員はほとんど追い出して、残っている人間は自分に対する理解者だ。
それでも尚自らが第一線に立ち、誰よりも長い時間働き続けることにどんな意味があったのだろうか。
他者を認めずに自らのやり方で第一線に立ち、自らと同じ美学の人間だけを認めることを誰が喜んでいたのだろうか。
その時、他でもない自分自身がこの会社を世に言われるブラック企業へと推し進めていた事実に気がついてしまった。
それからと言うもの、早目の出勤は変わらないものの、帰りはできるだけ早く帰るように心がけた。
そのことについて誰かから反対や侮蔑がないか気になったが、そんなものは全くもって杞憂だった。
振り返ってみると、自分が帰った後に社員たちが真面目に働いているのかが気になっていたのかもしれない。
部下がしっかりと働くことを監視すること。それも一つ、自らの大きな使命だと勘違いしていたのだ。
果たして社内の生産性は、下がるどころか今まで一番の成長を見せることとなった。
それまで無能と思っていた人間が意外なタレント性を発揮し、自分しか務まらないと思っていた業務も、やらせてみれば自分以上の創意工夫を見せる社員が多く現れた。
ある意味では、自らの評価を失うことを恐れるあまり、働き方を変えるきっかけを見失っていたのかもしれない。
しかし、その生活になって評価を失ったかと言えばそれはノーだ。
現実に、自らが取り仕切る組織は業績を上げ、その評価はダイレクトに自分へと返ってきている。
誓って言いたいことは、自らが進んで会社をブラック化させたかったわけではないということだ。
むしろ自らの面倒を見る組織に属する人間たちの評価を落としたくない、自分と携わった以上成長させたいと望んでいたのだ。
しかし、そのために自らが犠牲になるという手本になろうとすることこそが、組織そのものをブラック化させる原因になっていた。
しかも、その場にいる大半が、それが不健全であるということに気がついていなかったのだ。
考えてみれば、新規に採用する人間の中で仕事が耐えられないと言ってやめていく人間の数は年々増加傾向にあった。
それを見て「最近の若いものは」と考えずにいられない自分がいたことも事実だ。
しかし、それこそが自らの過ちを知るための警鐘だったのかもしれない。
時代は動いているものなのだから、変わっていくべきは組織なのだ。
今でこそそうした働き方を強要していればすぐにブラック企業のレッテルを貼られ、社会から糾弾されてしまうことだろう。
未だに発作のように心身のバランスを崩すことがあるが、あの時、無理にでも立ち止まれたことは人生の中で一番の幸運だったと思っている。
ブラック企業問題は、その時の業界や企業の成長具合によって原因が異なるものだ。
見込めない生産性を埋めるために強いれば問題は露呈し易いが、働けば働くほど稼げる状況であれば、それが悪だとはなかなか気づけるものではないのだ。
もしあの時、信用できる上司に「働きすぎだ」と言われたら自らは止まることができただろうか。
サンプル数:自分自身+友人3人+田舎の兄ちゃん+小中学校といじめられ自殺した同級生1人
イジメられると精神が死ぬ。(大人だと鬱病などと呼ばれる、大学でアメフトやってた闊達な田舎の兄ちゃんが今ではひきこもりだ)
それが思春期の頃であれば、結果大抵がキモイ(ネクラな)奴になる。
自分に向けられるのが侮蔑か好奇の視線だけであれば、そいつの社会性は失われて当然だ。
自分を嗤わない相手を見つけ、自分が必要とされ、その相手を受け入れにゃならん。
硝子ちゃんも、どうやら昔からいろいろとあったようだ。
あの作品世界では、硝子ちゃんの菩薩のような態度は、障碍者としての抑圧から来るものらしいが、
それは将也たちと再会するまで、解消されていない。
聲の形では、すばらしき同級生たちの支えもあり、皆が前へ進む。(当然だ、そういうテーマの創作だからね)
「イイヒト」に恵まれている。
イジメ加害者が被害者になり自責に囚われるが、そこから脱するための相手ときちんと邂逅し、前に進める関係修復が行える。
なんて感動的で素晴らしい世界だろう。
この作品世界では、補聴器が何個も壊されるような事態が起こっても、それは本質的にイジメではない。
「不幸なディスコミュニケーション」なのだ。
だから、「許す/許さない」の土俵ではなく、「やり直せるんだ」という土俵の上で話が進む。
そして、「やり直せること」に感動して涙する。
人によっては、やり直しが硝子から与えられると認識し、硝子に素晴らしい人間性を見出し涙する。
作品内の行為を、「到底許される行為じゃないだろう、そんなレベルじゃない、ひでぇイジメだぞ」と見る人にとっては、「加害者用の感動ポルノ」だ。
http://www.asahi.com/articles/ASJ9V5K7MJ9VUTFK012.html
この件だけどさ、案の定ブコメやTwitterで自民信者どもが「民主党政権で鳩山総理がやってるじゃねーか」って言ってんだけどな、
キモい行為だと自覚していて、「民主もやってるwww キモいwww」と言ってるんなら、安倍自民はお前らが普段侮蔑の目で見てる民進共産と同レベルのクソということになるんだが。
「そうじゃない、民主だってやってたんだから何の問題も無いだろ」と言いたいのなら、そこでなぜ民主政権の話を出すんだ?
問題ないと思ってるんだったら堂々と胸を張ったらいいだろ?
そうできなくて民主政権の例を持ち出したということは、何か後ろめたさを感じてるってことだろ?