はてなキーワード: ブランドイメージとは
・袋にU296と書いてあったころ
数字のごろ合わせって田舎のラーメン屋の出前の番号かよと突っ込みたくなりますが、このころは、質実剛健、丈夫な品物をおいていました。生地が厚かったです。デザイン性より実用性でした。独自の品物だけでなく、「Champion」とか海外のブランド品っぽいものも一部に置いてありました。県庁所在地に買い物に行かないとなかったので、特別なお店でした。
お店の出店数が激増していました。まだ、実用品としてイメージが強かったです。品質としてもこのころが最高だったように思います。生地が一番丈夫でした。このころの服で残っているものがあります。売り上げに影響が出るくらいに丈夫です。県で2番手の街にもお店ができました。品が良かった印象があります。
デザインに舵を切りました。スリムフィットという着る人を選びすぎる服を投入。女子からもサイズがないという声が聞こえてきました。男性のLを着ている子と服がかぶりました。生地が薄くなってきたかも?とか丈夫さに疑問符が付くようになりました。毎年同じものを買っているので、違いが出ると気が付きます。
・GU出店後
明らかにGUの商品の生地が薄いことはわかりました。対GUでは品質が良い。色の品ぞろえがデザイナーの自慰行為なのか、棚のエンドに設置されたお値打ち品コーナーにコーデできねえだろ的な色がシーズン遅れで特売されるようになりました。赤シャツとか緑ポロシャツとかレベルが高杉晋作です。坊ちゃんファンとか南海ファンじゃないとつかい道が想像できません。それともイタリア国旗コーデをしろというのかと。通年売っていたビジネスバックがなくなったのが痛恨の一撃でした。気軽に壊してもいいものが買えてよかったのに残念です。ハンカチとか売っているときとそうでないときがあるのがめんどくさいです。
・ここ5年くらい
我が田舎の町にも出店されました。これによって、特別なお店ではなくなりました。買い物に行く特別感が激減したのは否めません。同じくマクドが我が町に出店したあとも特別感が大幅に喪失しました。アメリカの空気を持ってくる特別な店ではないです。日常に入り込んでくることはブランドイメージを重視するようになったユニクロとしては相反する課題です。袋にU296と書いてあったころのブランドイメージに戻ったかなとも思います。
年始早々あまり良い話ではないが、在日本の民間企業はともかくとして教育機関ですら日本の鉄道インフラ産業の構造的欠陥(欧米先進国レベル未満の水準)に対し、都市部においても自転車やオートバイやマイカーの利用を認める事態が続いているそうだ。日本国民は所得や社会階層に応じた交通インフラ分離を叫んでおり、結果として日本の公共交通のブランドイメージ低下が避けられないものになるのは必至だろう…
最近の都市部の観光ガイド情報「近頃は公共交通の定時率が低下しております。レンタカーやレンタルバイクとの併用をお勧めします」をみた外国人が「こんな恥ずかしい観光案内を出すな!なんで世界に誇る大都会のに住民のためだけに公共交通使っちゃならないのかって話ですよバカげている」とつい。公共交通の再構築が必要
あの記事のURL貼って4℃に御社のブランドイメージを損ねてる人がいますよと通報したからニヤニヤしながら見てる
たとえ一社からでも嫌われるまたは嫌われてる印象がつくとどういうことになるか、初心者ライターは知らないんだろうなぁ
追記:何言ってんだこいつみたいな感想多いけど、ライターにとってこういう地道なイメージダウンは後々まで効いてくるからな
あの文章の影響を想定できてないなら無能だし、想定できてアレを書いてるなら自分の言いたいことのためなら唐突に喧嘩売ることも厭わないヤバいやつっていう事実が残るわけで、
まぁどっちにしてもアレな人扱いされて仕方ないよ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160621-00000001-khks-soci
俺は仙台で教育関係の仕事に就いているので、その辺の事情を耳にした。
この退学されられた男子学生は、校内外の人気生徒で、次々と校内の女子生徒に手を出して結構面倒なことになっていた。
で、運悪くある地元有力者の娘(別の高校の生徒)に手を出したところ、この有力者から学校にクレームが来て、こういう対応になったらしい。
自宅でセックスしているところを相手方の母親に目撃されたとか。あくまで噂だが、もっぱらそういうことらしい。
そもそも、聖和学園高は元々女子校で、最近になって男子生徒を募集するようになった。
第1期叡王戦を勝ち抜いた山崎隆之叡王と、第3回電王トーナメント優勝ソフト「PONANZA」による2番勝負、「第1期電王戦」の第1局が一週間後の4月9日・10日に行われるので、勝敗予想を書いてみた。
2014年の第3回電王戦から、ソフトの事前貸出・改良修正不可・マシン統一などが義務化された。このルールは今回の電王戦までずっと変わらない。
ではこのハンディ有りルールでのプロ棋士と将棋ソフトとのレーティング差はどのくらいか?
プロ棋士の発言をもとに結構てきとーに計算してみた。
年月日 | ソフト推定レート | 前年との差 |
---|---|---|
2013.4.6 | 1650 | - |
2013.11.11 | 1735 | +85 |
2014.12.7 | 1800~1850 | +65~115 |
2015.12.23 | ? | ? |
年月日 | ソフト推定レート | 前年との差 |
---|---|---|
2013.11.11 | 2020以上 | - |
2014.12.7 | 2100以上 | +80 |
2015.12.23 | ? | ? |
だいたい1年につき、プロ棋士側から見てソフトがR80~100程度上昇している、と言えそう。
また、先手番と後手番では事前に研究しなければならないゲームツリーの量が大幅に違うことから、勝率がかなり変わるようである。
永瀬六段の発言を真に受けるとすると、本来勝率約52%の先手番と後手番の差が約80%(R300)もの差になっている。
昨年(2014.12.7)の時点でAperyとSeleneがプロ棋士先手でR1825くらいとして、昨年の時点でPonanzaが半年分リードしていて+40~50、この一年で+80~100と考えると、
今年のPONANZA(2015.12.23ver)は先手番でR1945~1975程度、後手番は+300としてR2245~2275ぐらいなのではないだろうか。
使用されるPCが去年より弱体化(5960x→6700k,メモリ64GB→32GB)しているが、それでもせいぜいR30くらい下がる程度だろう。
プロ棋士側の現在のレーティングは山崎叡王がR1766。(ちなみに羽生四冠はR1923)
数字の上では山崎叡王の先手番期待勝率は約23~26%、後手番は約5~6%。なので山崎叡王が後手番である第1局については、どうも勝てる確率は絶望的に低いと思われる。
一方で先手番の第2局については一発入る可能性も否定出来ない。
しかし、二日制になり局面誘導の練習がやりずらくなったこと、PONANZAはSelene等他ソフトに比べて事前研究対策が上手であること、
今回のPONANZAが相当強いという情報があることなどを考えると、すんなりと勝たせてはもらえないだろう。
もちろんソフト側にバグや、かなり有効なハメ手が存在すればもっと差は縮まると思われるが、山崎叡王の発言から推察するに、今回のPONANZAにはそれもなさそう。
以上を踏まえて
本命 山崎叡王 0-2 PONANZA
対抗 山崎叡王 1-1 PONANZA
と予想する。
個人的には、事前貸出有りで、かつ先手で勝利したとしても、それは駒落ちしてさらに下手側が先手になるようなものだと思っているので、別に感動したりはしなさそうだなぁ。
まあそれでも山崎叡王が1勝でもすれば、あまり深く考えない将棋ファンは喜ぶだろうし、興行としてはありかもね。
日本将棋連盟とドワンゴは、一般人が平等でないと気付いてしまいそうなルール(駒落ち、森下ルール、持ち時間に差をつけるetc…)を避ける傾向にあるようなので、
これ以上プロ棋士側に有利なルールを制定するとなると、使用するPCのスペックをさらに下げるしかないだろう。
しかし、例えばCPUをXeon4個から6700k1個に変えても、一般人にはスペックダウンしたことがよくわからないが、
デスクトップPCから、ノートPCやタブレットに変わるとさすがにハンディがあるという印象を拭えない。
また、スポンサーであり対局PCを提供しているガレリアは一応ハイスペックPCが売りのブランドなので、
これ以上スペックを落とすことはブランドイメージに傷がつきかねないだろう。
よって、「プロ棋士は将棋ソフトにもう勝てないのか」という問いについては
「『多くの一般人から見て公平に見えるルール』で七番勝負を行う場合、名人でさえも(バグやかなり有効なハメ手等を見つけないかぎり)勝ち越すことはかなり難しい」
と言えそう。
ちなみに、事前貸出なし(レート+400以上、角落ちくらい?)、PCのスペック制限をしない(クラスタ化でレート+400)と仮定すると、1945+800=R2745となる。
2013年の第2回電王戦ルールでは、もはや1勝も出来ないだろう。
one of the judging board membersの判定理由。
(ちなみにこの判断プロセスはマイナーではなかったことを付け加えておく)
よって、この試合においては(A)地球規模の利害と(B)日本国の利害の双方を考える必要があると考えられた。また、その上でAD/DAを比較衡量した「一般的な」判定基準プロセスを進めることは妥当と考えられた。
上記のことを受けて、
の6つを材料として本試合ではAD/DAの比較衡量は行う必要が考えられた
地球規模、というと若干ラベルが大風呂敷だが、日本の枠組みを超えた視点で考えた場合、下記の評価となる
→というわけでADに関してはグローバル(…?)で見た場合には肯定側の支持要因、日本の利害に関しては特に論じられていないためニュートラル
→この段階でDA1のimpact1(人命が大事)は大きく取れない
→impact2はある程度残る。(だが、これこそ誰のメリットか不明。観客? IOCの運営陣?)
→というわけで地球規模で見た場合、人命リスクに関してはnot unique、ただ、観客の安全を考えたらイスタンブールは観客やIOC経営陣にとっては忌避材料かもね。という、否定側の支持要因になる
→このことから、「社会の不安定化や少子化をもたらす経済問題を解決することは国家の責務」と否定側は語っていたが、そもそも現状でそれが達成できるかどうかも不明であれば、五輪の開催有無が与える影響も高くは見積もれない
→よって、もちろん五輪効果はないわけではないが(肯定側もないとは言っていない)、伸びしろの問題で、否定側が言うほどには効果は出せないであろうという判断
地球規模 AD:◎ DA1:×~△…人命的にはnot unique~観客やIOC的には少しある DA2:○…途上国なので効果大きい
日本目線 AD:- DA1:×~△…返上したほうが東京のリスクが下がる。ただ、もともと日本は結構安全 DA2:×~△…伸びしろが少ないので効果乏しい
という判断になる
否定側は冒頭から「地球市民どうこうの前に地球的視点でもイスタンブールよりも東京でやった方がメリットが大きければ否定が勝つ」と語っていたが、DA1は人命リスクという点ではどちらにもvoteできない。観客や運営側(IOC)という視点にたてば少し否定に有利という程度だが、この立場をどの程度尊重すべきなのかは議論が全く無いまま試合が終わっていてvoting issueにしづらい。
DA2に関してはこの試合の中ではイスタンブールの方が強く有利。日本に若干の不利益はあるかもしれないが、それがイスタンブールに起きる利益よりも大きいという反証は一切ない。
結局、日本という視点と世界的という視点で見た場合にはDA1/DA2だけで見てもNegに投票することはできない。(日本だけで見ればDA2の若干の不利益が投票理由にはなり得るが)
また、ADもそのまま残っている。よってAffにvote。
軽く調べたんだが携帯キャリアの歴史の1つのターニングポイントは1992年。
1つはエヌ・ティ・ティ移動通信網株式会社がNTT本社から移動通信事業を完全に引き継いだこと。
これが1994年にツーカーと共にデジタルツーカー(*1)となり、なお紆余曲折を経て今のソフトバンクになる。
ちなみに1992年以前の携帯CMは電話が持ち運びできるということと問い合わせ番号ぐらいしか伝えていない。
当時のことはあまり知らないがどこもこんなものだったのではないだろうか。
まあ当時はかなり値の張るサービスだったと思うので、
金のことなんか気にせずただただ電話ができればいいという好奇心旺盛な人を取り込めればよかったのだろう。
話は戻るが1992年に今の携帯キャリア3極体制の原型が出来、(*2)
まだまだ携帯電話事業に対して市井の人々の関心が今ほど高くは無かった90年代中期。
業界の中核をなす企業でありながら少々ごたつき気味だったドコモと新興勢力のデジタルホンは、
まずはブランドの認知が早急だと判断したのかインパクトの強いCMを打ち出した。
(当時のCMはみつからなかった)この桑田佳祐が映っている部分が1992~3年ドコモ開始時のCM。
「オギャーっと、ドコモ!」のキャッチコピーでタイアップ楽曲はサザンオールスターズの「シュラバ★ラ★バンバ SHULABA-LA-BAMBA」。
キャッチコピーの語感やシュラバ★ラ★バンバの曲調からバブルの残り香のような勢いを感じるインパクトの強さ。
宇宙人に扮したAV女優が乳丸出しでサザンのメンバーを襲うという、これまた豪勢でインパクトを残すものだった。
現在にいたるまでコンスタントにDocomoのCMに出演していることからも、このCMの重要さは見て取れることだろう。
こちらはデジタルホン系列の関西デジタルホンが1996〜97年に放送した「しゃべるならデジタルホン」シリーズの1つである。
クエンティン・タランティーノがひたすらしゃべり続け「しゃべりタランティーノ」という決め台詞をいうと
視聴者はデジタルホンという携帯キャリアの存在しか頭に入ってこない。
デジタルホン(現ソフトバンク)の初期を代表するCMで記憶に鮮明な人も少なくないはず。
思えばこの2つのCMが昨今の携帯キャリアのブランドイメージの源流なのかもしれない。
著名人が奇抜な格好したりショートコントをやってる携帯のCM、というものの原型は、
それでも1990年代はまだドコモの広末やIDOの常盤貴子や織田裕二などによる爽やか路線が主流だったが、
「IDOはどこにあるの?」というトヨテツのボヤキで幕を開け、
浅野忠信、豊川悦司、永瀬正敏らによって展開されたAu by KDDIの初期のキャンペーンによって、
携帯キャリアのCM=際物なイメージは確固たるものになってしまったのではなかろうか。
(*1):ツーカーの存在はデジタルホンと足並み揃えたかと思えばKDDI傘下に入ったりそれでもJ-phoneのサービス採用してたりとややこしいので割愛したい。
おれら(日本の国民)がいまなんだかもやもやと息苦しさを感じるのは、ある種の自意識ギャップなんじゃねーかと思ったんだよ。
思うに俺らは俺らが思うほど、経済的な価値が、無い。例えば、いま、年収700万円もらってる奴は、ホントのところの人材価値は年収500くらいで、400のやつは250とか、そんなものがせいぜいなんじゃないかな。
じゃあ、なんでいま+αで700とかもらえてるその差額は何なのかと言えば、それは、景気とか、為替をはじめとした国際的な需給の関係とかの、ブースト効果だ。要するに補助魔法であって実力じゃない。しかし、その+αが例えば国債発行を原資として政府の借金をもとに発注された公的事業にまでさかのぼるのであれば、まさにブースであって「国民の給与を上げるために上昇」でしかないんじゃないかな。
もちろん、経済のセオリーとして、人材も市場で取引される商材のひとつなので「正しい価格」なんてものがないのはわかってる。買い手と売り手の交渉によって売買価格が、売買の瞬間幻想のように発生するだけだ。しかし、その原理原則通りにやると、グローバリゼーションの中で、日本の労働市場が国際的な労働市場に連結してしまう。いやもう一部はしてるよな。電話オペとか、海外と仕事の取り合いなわけで駆逐されかけなんだし。
まあ、とにかく、「日本人の実力本位で評価した時の経済的な人材価値」と「今日本人が実際にもらってる給与」の間に、ギャップがあると思うんだよ。そのギャップの原資は、日本が世界有数の経済的大国だってあるマネーのスケールメリットであるとか、信用という形で貯金された日本のブランドイメージだとか、一族経営を続けてきた企業の内部留保であるとか、政府の海外資産や国債発行だ。
そしてさらに言及すると「今日本人が実際にもらってる給与」と「日本人がもらいたい額」にもギャップがある。
さらにさらに「日本人が、自分たちが享受出来て当然だと思う生活レベル」と「今手持ちの現金で遅れる生活レベル」にもギャップがある。
おれら(日本の国民)がいまなんだかもやもやと息苦しさを感じるのは、つまり、これらのギャップが原因じゃねえかなあ。
つまりさ、たとえばの話でしたは一例なんだけど
Aさんの場合
国際的に見た時Aさんのやっている労働の価値を円で表した場合:年収250万円相当
Aさんが「俺はこれくらいもらえるべきだ」と内心思ってる金額:500万円欲しい
Aさんが「年収400万円の生活ってこれくらいあって当然だろ」と思ってるライフスタイル:実際には600万円必要
――つまり、こういう状況があってさ、そういう色んな脳内と現実のギャップが「俺は苦しい」っていう感覚に結実してるんじゃねえかなあ。
それは例えば政府ががんばって、Aさんの年収を500万にしたとことで、解決しないし、そも現実としては、Aさんの給与は250万円に向かって落下していくだろう。この落下は、どちらかといえば正常化に近いとすら、言える。
日本人の言う「貧乏だから結婚できない」も、上のような生活感覚を基盤にしてると思うんだよ。「結婚するためにはこういう経済状況じゃないとダメだ」みたいなさ。現実には、そんなことはあり得ない。貧乏人だって結婚してる人はいるし、貧困国だって子供は膿まれてる。それに対して「子供の教育には金がかかるだろ」って反論がまさに上のギャップに根差してて、「日本の格や全体状況を考えれば、子ども全部を大学に行かせるなんてのが、自意識過剰で身の程を越えてる」んじゃないかなと思うんだよ。
この問題は、経済そのものというよりも、文化とか風潮とか、もっと露骨に言っちゃうと、マスコミの維持しようとしている「普通の日本人の生活」みたいな消費社会像にかかわる問題なんじゃないのかなあ。
ダイハツがトヨタの完全子会社になることになったけど、俺は子供の頃からダイハツのことがどうも好きになれない。
車がやたらギラギラしてるのとか、エンブレムが川に浮いてる安いボートにしか見えないとか、CMがベタ過ぎるとかいろいろ理由はあるんだけど、一番の理由は「ダイハツ」という名前にあると思っている。
まず、濁音の「ダ」からはじまっていて爽やかさがない。「ダサい」という言葉と同じ「ダ」から始まっているのが致命的な気がする。「ハツ」も肉みたいでスタイリッシュさがない。「ハツ」という字面がどうしても駅前商店街の焼肉屋とリンクしてしまい、半端無い生活臭を感じてしまう。
そして意味。他のメーカーは名前を聞けば「苗字だな」とか「星のことだな」とか意味が分かるけど、ダイハツはぱっと見意味がよくわからないし、“大阪の発動機製造株式会社の略称”という意味が分かったところで字面と意味がすんなりとリンクしなくてもやもやが残る。
挙句英語表記でもダサい。TOYOTA、NISSAN、HONDA、MAZDA、SUZUKI、SUBARU、MITSUBISHIとくらべて「DAIHATSU」はすごくもっさりして見える。とにかく、もう何一ついいところのない名前のように感じる。
国内的にも海外的にも、おそらく既存の「ダイハツ」ブランドには守るほどのブランドイメージはないんだから、完全子会社化を期に名前を変えた方がいいと思う。少なくともダイハツの名前が存在し続ける限り自分はダイハツの車は買わないだろう。
日曜日の夜。都内のとある肉バルで妻と食事。そこは以前から何度か通っていて、リーズナブルで美味しい肉料理とワインが楽しめ、お店の雰囲気も下品でなく、丁度良い華やかさ、賑やかさがあって、程よく手の届く幸せを得られるお店として気に入っているお店だった。
まずはワインをボトルを頼んで乾杯した後、メニューを見たところ二人とも大好きなラム肉の盛り合わせがあったので、テンションも上がり即注文。その他にサラダとディップも合わせて注文。日頃からどのメニューも美味しいことは分かっていたので、二人ともワインを進めつつ話が弾んだ。
サイドメニューが幾つか届き、お酒もある程度進んだところでようやくラム肉の盛り合わせを店員が運んできた。そこで事件は起こった。。程よく盛られていた肉達の一つがポロリと、地面に落ちてしまったのだ。店員、自分、妻ともにその落ちていく肉を見ていて、3人共に「あ…」となった。
おおよそサービスの行き届いたお店であれば、店員が「申し訳ありません、すぐに代わりのものをお持ちします」とか「先ほどお肉を一つ落としてしまったので、こちらお詫びのサービスの一品になります」と別の料理を持ってくるなどの対応が予想できる。こちらもその肉一切れを絶対に食べたいほど空腹なわけではないので、その申し訳ないという気持ちさえ見えれば気持ちは落ち着くし、逆に「あ、気を遣ってくれるお店なんだな、素敵だな」とブランドイメージも向上すると思う。
しかしながらそこで店員は何もなかったかのように料理の説明をしたあとその肉一切れを拾い、別の客の接客に戻ってしまった。それに加えて、その後その店員が再び我々のテーブルにやってきて「今日はあそこの席のお客様がお誕生日なので、このクラッカーでおめでとう!の協力をお願いします」と伝えられた。
私としては、自分の注文した料理を半端な形で提供されたことに加えて、店都合で別の客のお祝いに協力してほしい、という要望を出されたことに対してどうも納得がいかず、申し訳ないがそのクラッカーを鳴らすことはできなかった。未開封のクラッカーは別の店員が持ち去っていったが、そのクラッカーが鳴らされていないことに対して、どう思ったのか、何も思わなかったのか、帰宅後の今になっても非常に気になる。
その後の妻との会話はもっぱらその出来事についての話になった。というのも、その場でその店員に何と伝えるのが、そのお店のファンである客としてベストな対応なのか?ということだった。幾つかパターンがあると思う。
1)その場で感情を伝える
「あの、今肉落としましたよね。今日のおすすめメニューですよね、これ。それに対して何もないんですか?このお店はそういう対応でいいんですか?」と、感じたことをその場で瞬時に言葉にし、ある程度の怒りをぶつけて納得できないことを伝える形。肉一つが惜しくて怒るのではなく、自分が一組の客として大切に扱われていないこと、お店のおすすめメニューを完全体でない形で提供してしまうことを許すという、プライドの無さについて言及するパターン。このクレームは正論ではあるが、日曜日のせっかくの楽しいディナーの時間、妻に対しても他の客に対しても、悪い空気を出してしまうこと、言った自分も「そんな小さいことで目くじらを立ててしまう俺って…」という自己嫌悪に陥るなど、非常にデメリットが多いと思う。
「ここのお店はおすすめの肉を落としても、誠意のある謝罪も代替えのサービスもありませんでした。もう2度と行きません。」と食べログに書くパターン。これはこれで書いた側はすっきりするかもしれないけど、自分が好きなお店がたまたま犯した失敗に対して、後々非常にマイナスになる負の遺産を、相手の手のとどかない場所から投石のごとく、ズルい形で攻撃するようで、やはりあまり気乗りはしない。またここでも「自分は正々堂々と伝えもせず、ズルい奴だ…」と自己嫌悪に陥ってしまいそうだ。
3)何も言わない
「海外ではそういうことはよくあることだし、いちいち目くじら立てない方が結果的にみんなハッピーなんじゃない?」と考えるパターン。仕事に対する自分の哲学として、それをよしとするならそれでも良い。しかし自分も仕事をする身として、自分の客に知らず知らずのうちにそういう我慢を強要していると知ったり、考えたりしたら、非常に申し訳ないと思う。なのでやはり、できれば何かの形でその気持ちは伝えたいと思う。
と、ここまで色々と納得できない気持ちをモヤモヤとさせながら色々と考えていたが、ベストな対応としては下記の4番ではないかと結論づけている。
「あの、今日おすすめメニューの肉を一切れ落とされたんですけど、それについて何も無かったんですよね。私はこのお店が好きだったので、とても残念でした。私としてはまたこのお店の料理を食べたいと思っていますので、次、期待していますね」
妻や他の客がいないところで、帰り際にコソッと当事者の店員にこの形で伝える。そうすれば、自分は自分で思った気持ちを正々堂々と相手に伝えることができるし、妻はその場を見ずに楽しい週末を過ごせるし、他の客も嫌な思いをせずに済むし、店員は店員で自分のサービスに対しての行動を振り返ってくれるのではないだろうか。
日頃から人に対して正直に自分の意見を堂々と伝え慣れていないせいか、帰宅後の今になってこの答えにたどり着いたことがもどかしいが、その場でこういう形でお店に対してフェアに、自分の気持ちを伝えることができたら、とても気持ちが良いと思う。こういう判断を瞬時に、正々堂々とフェアにできる自分でありたいと思う。
最近声優ラジオに目覚め、超A&G+なんかをしょっちゅう聴い(視て)ている。
トーク上級者の声優トークは楽しい。天才か?と思えるような人を何人も見つけた。
のだが聴いていいて、度々げんなりする。
血液型トークだ。
政治的な話題を取り扱わない、災害時にも元気な顔を見せてくれる、など
最低限の配慮はしているみたいなので、楽しく「ながら聴き」できるんだけど、
血液型トークはげんなりする。
いわゆるブラハラじゃん。
げんなりする。
でも、あれだ。
そういう話題を欲している人たちがターゲットなんだな、と思い、
そっとウィンドウを閉じる。
テレビを見る。
GUのCMでカワイイモデルさんが音痴にプレイバックパート2を歌っている。
不快だ。
いまどき作為無くあそこまでヘタには作れない。
CMの作り手は、その下手さ加減やら違和感やらをスパイスと思っているのだろうか。
非常に鼻につく。
GUのブランドイメージなんてそんなもんだな、そもそも俺なんてターゲットにしていないし。
そっとテレビを消す。
スマホに目を落とす。
すると広告媒体の人が、広告を見たくない人をDISるという光景を目の当たりにする。
バカの見本だなと思った。
未央は来週次第だが、武内Pも了承の上なんだからそこまでアホな理由ではないと思いたい。
ぽっと出のキャラとちょっと歌っただけで可能性感じて乗り換える時点でどう言い訳しようと尻軽だが、それでも確かな覚悟をもって行うならまだ理解はできる。
掛け持ちなんて簡単じゃないって未央の言うことは正論だし、どうあがこうが練習時間は減るのに、まともな回答を何も持ってないのかよ。
でもその選択は相方にも影響が出るんだよ!
美波が都合の良い女海のように広い心の持ち主だったから許されただけで、人として常識的に相談なしはあり得ないだろ…。
アニマス貴音回でも報連相大事って言ってたじゃん。CPの良心だと思ってただけにビックリだよ…。
・曲も舞台も方針も何もかもを常務が決めるのでアイドル自身の意志は不要
・ファンとの温かい触れ合いなんかより大舞台とブランドイメージの方が大事
って事だよね常務の考えは何も変わってないんだし。
現実の芸能界ならそれもアリだろうが、アイドルアニメの登場人物がこういう道を選ぶのは少なくとも好感は持てない。
今回もゾロゾロと新キャラが出てきたが、ファンなんてどうでもいい自分が売れることだけが大事なゴミアイドル共なんだなという印象しかない。
まあ本娘は気弱だからこの道もやむなしなのかもしれんけど、金髪の方は何も考えてなさそうでイラッとした。
原作ファンが「課金されるアイドルを集めたからクローネは素晴らしい」とか言ってたが正気の沙汰とは思えない。ほんと廃課金ソシャゲなんて手を出すもんじゃねーな。
そしてアーニャと凛がこの常務の方針をどう考えたのか全く分からない。
常務の方針を良しとしたか、良くはないけどメリットの方が大きいと考えたならまだ分かるが、そもそも何か考えた形跡が全くない。
新しけりゃ何でもいいんかい。
前に進むのも結構だが、それはまともな方向ならの話だろ。
武内Pは相変わらず笑顔笑顔で具体的なことは何も言わねーし。2クール目始まって以降の常務との対立構造は一体何だったんだよ。
結局この2人は大した定見もなく、CPが危機だというのに適当な理由でフラフラ出ていく連中になった。
凛は別の奴に可能性感じたら今度はTPを捨てるし
前回が良かっただけに何とも残念である。
テナントの服屋で、どうもふつうの接客をしないやつがチラホラするようになってきた。服屋だけじゃなく、ほかの店でも。たぶん、店長とかが見てないところでは手を抜くんだろう。サボってやろうと。そういう店員が増えた。動機がブラック労働ブームでもなんでもいい。声がけはしてくるがカタチだけですぐ立ち去るやつとか。一度声をかけてから、一人で見たいという客だと察しているというわけでもなく、離れたところにただいるだけ。ちょっと質問すると、勉強もしてないから商品知識がないことがすぐバレてしまう。あれでクビにならないんだから、店員がダブついてあまってるようにみえる。
なんだか買いにくい時代だなあと思ってたんだけど、イオンとかのでっかい売り場で、50メートル四方とかの空間でレジの女性2人だけというようなのを見てて、これでいいのかと、ひとつの回答を見た。テナントごとの店員はいらないのだ。テナントだから独立店舗だから、レジが別々になっていて、それぞれ店長とヒラの店員がいる。ダメ店員はそんなに多くはないが。印象が悪くなるからいないほうが商品のためだ。店ごとの壁を取り払って広い空間にして、そこそこの演出にして、あとは北側・東側とかの担当店員が何人かずついればいい。大幅に人員が削減できる。下手に店ごとに専用の店員がいると、こちらに近寄ってきて接客して、黙っていても商品の良さとか言ってくれる存在だと思い込んでしまう。
20年くらい前のマルイで見たんだが、ブランド別に売り場は分かれているが、レジは中央に一個だけあり、それはマルイの店員が仕切っていた。あの形式でいい。売る気のあるブランドには専用店員がいる。でもカネの支払いは中央レジでやる。中央のレジにいる制服の店員が(制服でなくてもいいんだが)、売り場での販売・清算に権限があるようになってる。準デパート形式という感じだと思うけど。
ポスレジがあるのだから、どこの製品が売れてもちゃんと個別にデータ化できて売り上げの管理もできる。ヨドバシカメラのように、土日だけメーカーから雇われた販促の店員が来て、来る客をつかまえて商品説明をすればよい。ソニーのコーナーにソニーの店員はいないし、アップルの店員もいない。ヨドバシでは、シャープとソニーのビデオデッキを見比べるのが容易だし。服関係も、バブル時期に作った、店ごとの分割をやめたら、見やすくなるかもしれない。
WWDC2015観たがApple大丈夫か?みたいなのと、そのブコメを読んで、急にスッキリした。
Appleは、表で魅了するビジョナリストと、影で徹底するリアリストの両輪の会社だったんだな、と。
Appleは、特にジョブスが追放後に復帰してからは、「Cool」なブランドイメージの構築にシャカリキだった。
だからこそ、クールで無いモノはアッサリと捨てられた。皆が早すぎると思うタイミングで。
フロッピーディスク、Flash、CDドライブ、イヤホンジャック以外のインタフェース。
逆に言えば、それ以外の「基幹的な技術」は、大したことが無かった。
Appleはクールなブランドイメージとは裏腹に、絶対に逆鞘にしない会社だった。
どんなに高いと言われようが、利益にならない製品は売らなかった。
逆に言えば、凄まじい勢いで、見切って行った。
そして、クールな製品が安いと判断された時点で、市場を制覇できた。
ジョブスの変質的な「今まさに必要な製品を市場に出す」コダワリは、ほどよく成功した。
iPadではなくiPhoneから、MacOSではなくiPadから。
忘れがちだが、ジョブスのファナティックな執着は、それほどの熱狂を生み出さないこともあった。
歴代のiPod nano、Apple TV、いくつものOSのギミック。
また、ジョブス本人も「これ何に使うんだ」と思っているものが売れることもあった。iPod Touchが良い例だ。
そして、デザインやクールさに金を出す、空前のベータテスター達が生まれた。
繰り返しになるが、Appleの製品に逆鞘は無い。必ず売れば売っただけ儲けが出る。
どんなに性能が低くても、使い道が不明でも、不満が生まれても、売れさえすれば儲かる。
だから、事実上のベータテスター達が大量に居ることで、儲かりながらテスト出来る。
Apple Watchは、後発の時計メーカーとしては凄まじい勢いでスタートした。
Appleは、そのクールさが維持できている間は、ホトンド無敵のハードウェアメーカーだ。
AppleWatchしかり、Macbookしかり、どんなに欠陥があっても、アーリーアダプターであろうとする人達が買う。
そして、その不満点や運用上の問題点を取り込んで、高速に改良品を作り上げて販売する。
3,4世代もすると、こなれた製品になり、一般消費者もこぞって買う。
そこまでに、Appleがハードウェアを販売することで損することが無い。
とんでもないレッドオーシャンに後発組としてドヤ顔で乗り込んでいって、そして成功する。
(失敗したとしても損することだけはないので、簡単に切り捨てていける)
AppleはAmazonとは真逆の経営方針で運営されている。
MicrosoftやGoogleのように、ビジョンを全面に打ち出す必要すらない。
売れば売っただけ儲かる。売ったものからフィードバックを受けて改良する。
ハードウェアメーカーの王道であり、恐ろしいリアリストが経営している。
機械学習やIoTのような「今すぐカネにならない」ことを吹聴せずに着実に儲ける。
「これからはウェアラブルデバイスだ!」とAppleが言う時は、利益が出る製品を出す時だ。
GoogleやMicrosoftや、その他未来の技術を謳う企業は、プロシュート兄貴に怒鳴られると良い。
「ブッ殺す」と心の中で思ったならッ!その時スデに行動は終わっているんだッ!
http://www.nintendo.co.jp/corporate/release/2015/150317/index.html
興味深く読ませてもらった。
ゲハ方面では「弱者連合乙」「任天堂オワタ」という雑音しか聞こえてこないが、今回の業務・資本提携について少し書いてみたい(長文乱文お許しを)。
まずはっきりしていることはDeNAも任天堂も、これが唯一の選択肢だったということだ。
DeNAは凄まじい利益率と成長率で一気に階段を駆け上がってきた。それはもちろん、ガチャを中心としたソーシャルゲームの稼ぎが凄まじかったからだ。そしてスマホシフトの波に乗れず低迷している。野球や陸上チームを買ってきたのを含め、怪しげなIT企業から公器へと衣替えしたいという意欲が強く、ゲームの穴を埋める新事業も衣食住やDNA解析といった「なんか格好いい」ものが多かった(もちろんマンガボックスやSHOWROOM、ハッカドールなどもあったが)。結果、ソシャゲのような抜群の利益率を叩き出せるわけもなく、V字回復など夢のまた夢、という状況。
数年前ならM&Aで有望なデベロッパを囲い込むことだってできただろう。実際に海外を中心に複数の開発会社を手中に収めているしピーター・モリニューなんかとも一緒にやっている。しかしモバゲーというプラットフォームビジネスが立ち行かなくなり、ガンホーが、コロプラが、mixiが、(gumiが、)DeNAが足元にも及ばないような大ヒットアプリを生み出し、ベンチャーでも100万DLや月数億円の収益が期待できる現状、DeNAが買えるデベロッパは出涸らしぐらいしか残されていないのだった。さらにいえば、ヒットを出した会社が次もヒットを出せるとは限らない(出せてないように見える、つまり技術力や企画・開発力ではないところでヒットが生み出されている、つまり運次第?という不透明さがある)のもM&Aが進まない理由だろう。
守安社長も決算発表などで度々言及しているが、FFRKでようやく月ウン億規模のアプリを手に入れることができたのは明るい兆しと言えるのかも知れない。しかし怪盗ロワイヤル以降、オリジナルタイトルの大ヒットを出せていないことからわかるように、DeNAの企業体質的に「ゲーム単体の面白さ」で勝負できないのは明白だ。
じゃあ有力IPを排他的に使えるとしたら・・・?イコール任天堂と組む理由になる。
任天堂はネットワーク、スマホ戦略で完全に出遅れた。この差は単独では取り戻せないところまできている。いや、任天堂としては決してそうでは無い、深慮遠謀の果てがこのような状況なのかも知れないが、市場はそう受け取らない。
220億でDeNAの株10%を取得できるのは任天堂にとって大きなメリットだ。低迷してるとはいえ毎年巨額の黒字を計上し、任天堂の決算にも大きく貢献するに違いない。少なくとも数年は時間稼ぎができるはずだ。今回の提携が「結果的に」うまくいかなかったとしても。
任天堂にとって問題は、やはりブランド力、ブランドイメージだ。ゲハ的な煽りは意に介さなくても良いだろうが、ガチャ・廃課金・過激な露出表現といったダーティなイメージは任天堂としても避けたいところ。もちろんDeNAが開発する任天堂IPスマホゲームからそのような要素は排除されるに違いない。そして利益もそれなりに落ち着くに違いない。
実際どうするのだろう。合弁の開発子会社を作るのだろうか。BNDeNAという名前を出さずともわかるように、基本的にはうまくいかない形だ。秋葉原あたりに拠点を構えるのだろうか。DeNAからスター開発者が、任天堂からはそこそこの開発者が、宮本氏なんかは当然関わらず、東京制作部の著名スタッフがインタビューと評価会にだけ顔を出す。クオリティに納得せず、ブランドイメージが毀損されることに過敏に反応し、いつまでたってもリリースできない、出たゲームは全然課金が捗らない。やがて子会社は一定の役割を果たしたので発展的解消。こんな風になりはしないか。
DeNA的にはFFRKよりも厳しめのレベニュー割合を甘んじて受け入れつつ、半端ないクオリティチェックをくぐり抜け、とにかく早く任天堂IPのゲームをリリースしたいところだ。会員制サービスプラットホームという話もある。これは月額課金制だろうか。安定した収益を上げたいという意味では良い施策だろう。しかし新たなゲームプラットホームになるとすれば、Yahoo!モバゲー、mixiモバゲーの二の舞ではないか。もう従来のモバゲーはぶっ壊していいということだろうか。それぐらい収益寄与が衰えているのか(任天堂と組むことでバンダイナムコ他有力IPとの関係性が変わるのも不安要素だ)。
そして、これも大切なことだがDeNA創業メンバーにとってこれは歴史的な出来事だ。もうこれでExitして良いのではないか。巨大企業を作り上げ、球団を買い、任天堂と資本提携する。日本においてソフトバンク、楽天ぐらいしか比較例が無いレベルの「成功体験」だ。あとは死ぬまで講演会と著書出版をしていればいい。さすがである。
個人的には任天堂にうまいように使われて最終的に捨てられる(吸収される)と思うんだがどうだろう。いやしかしDeNAからゲームを除いた事業だけでベイスターズを支えられるとは思えないし、任天堂がベイスターズを支える義理はないだろうし、それだけが心配だ。今年はAクラスが狙えるんだから、あまり外野で騒ぎになってほしくないなあ、と思うのだ。憂鬱だ。
前提が全く違うよ。
そしてIGはIGのブランドイメージをコントロールするために適切な取引先を選ぶ責任があったにもかかわらず黒岩氏を選んだ。
もしIGが本気でこの種の失墜を防ぎたければ、外注先とその種の防衛的な契約書をむすび、当然のようにそれに見合った外注費用を上乗せすべきであった。今回そのような契約書があったかどうかは外野なので分からないが、アニメ業界の慣習においてそのような契約が行われるケースはまれだし、そもそもギャラは高くない。
黒岩氏に落ち度があったのであれば、それはIGとの関係においてであり、仕事を干されるなどの社会的制裁を受けることはあり得る。現にIGからそういう声明も出ている。
アニメーターは(個別契約がない限り)TwitterでもSNSでも自由に発言できる(それが表現の自由だ)べきだし仕事の手を抜いてもよい。もちろんその結果仕事を干されたりはするだろうが、それはフリーランサーの自己責任だ。
しかしアニメ参加クリエイターの一人が作品の評判に対して無限責任を負うべきだという考えは間違っているし、ファンがそういったクリエイターをリンチにしてよい道理などあるわけがない。
表題の炎上事件について→http://matome.naver.jp/odai/2141693171094339801
この件についてはいろいろなサイトでまとめられているのでここで特筆すべき点はない。
ただ、未だにTwitterなんかでこの件の発言している同業者が、作品の好き嫌いくらいある、仕事の愚痴言って何が悪いんだとか、同人くらい許してやれなど、なんとも的外れな発言をしている輩がいるのが大変趣深いと感じている次第である。
はっきり言ってそんなこと言っている阿呆はネットなんてやめてしまえと罵声を浴びせたいくらいではあるが、ではそもそも何がおかしいのかをここで吐き散らしたいと思う。
今回、黒岩氏の問題行動のとされているものが、【仕事のネガティブ発言】【きわどい同人作品の公開】である。
仕事上の愚痴や文句なんて、アニメーター関係なしに誰でもつぶやいているし、ちょっとやる気のでないことなんで誰でもあるのでさして問題ではない。
同人活動についても、アニメーター本なんて世の中にいくらでもあるし、Twitter上なんかでもよくアニメーターが書いた絵がアップされているのでこれも目くじらを立てるものではない。
(同人活動については北久保弘之氏の発言が詳しい→http://ask.fm/LawofGreen/answer/117998437839)
では、これらの行動は何が問題あったのだろうか?
結論から言うと、黒岩氏の行動によって【Production I.G及び作品のブランドイメージの低下】をもたらしたことに問題がある。
まず、この発言をした黒岩氏が、ハイキューやげんしけん二代目など、有名作品の作画監督経験がある有力アニメーターであることを特筆したい。(http://www7.atwiki.jp/anime_wiki/pages/1572.html)
作画監督とは、担当話数の絵の品質を保ついわば管理者であり、何十人という人によって描かれた絵を統一させる、重要なポジションである。
そんなポジションに居る人物が、【仕事のネガティブ発言】をするとどうなるのか。
ファンからすればやる気出せとか本気出せとか憎悪の感情がこみ上げてくるが、最も懸念されるのが、作品の品質の低下である。
こんな発言をしていれば、ちゃんとしたアニメが作られるだろうか?と誰しも不安になるだろう。
当然、黒岩氏に発注したProduction I.G側の信頼も低下するであろう。
ハイキューはスポーツアニメであり、断じて男同士が肌を密着しあう作品などではないだろう。
それを有名な黒岩氏の名前で公開すると、作中のシーンなのかと勘違いも生まれる。すると当然、作品に対するイメージも悪くなる。
(この点は、スマイルプリキュアの大塚監督がコラ画像の禁止を訴えたのと近いと思う→http://matome.naver.jp/odai/2133688607261002601)
以上のことから、影響力の高い人物にもかかわらず、会社及び作品のブランドイメージ低下のをもたらす行為をした黒岩氏に対し、厳正な処置が取られたものと考えられる。
会社側からすれば、自社のブランドイメージを傷つけた社員に対して処分をするのは当然の行為である。
なお、
(出展:http://www.production-ig.co.jp/hotnews/2014/112601)
とあるように、SNSの利用規約が存在することが明記されているため、単なる規約違反であるともいえる。
おそらく規約には、不適切な利用をしたものには作画発注の停止等相応の処置が取られるように明記されていたのだろう。
【匿名で行うこと】に尽きる。
個人が特定されなければいくらでも愚痴を吐いてもよいだろう。同人活動もこっそり(広報活動をしない、別名義で描くなど)行えば良いだろう。
Twitterの鍵付き機能など、プライベートアカウントでは無駄だ。1人でも発言を見ていたら、いくらでも転載される可能性がある。
Twitterを始め、SNSは昨今身近なツールになり、いつでもどこでも投稿や閲覧が可能になった。
だからこそ、すべての発言がネットに繋がったすべての人に閲覧される可能性があることを十分認識しよう。
影響力のある人は、自分の立場を考え、自分の発言・行動がどの様な影響をもたらすのか、どの様な解釈をされるのかを良く考え、軽率な行動を取らぬようよく考えていただきたいものである。