はてなキーワード: ぼんやりとは
いちめんのよく澄んだ広い窓の向こうに、よく晴れ、芝生の上のすべり台からこちらをちらと見ながらすぐ遊びに戻る男の子がひとり
こちらに音は聴こえてこない
まっすぐで無機質なベンチがいくつかあるばかり
どこからともなく他の女が、つかつかと充希に近寄り、かなり強い口調で何かをまくし立てている
どうやら男絡みの言いがかりのようだ
突然、いきいきとした、爛々とした瞳で、口もとだけがにこやかとなる充希
しばらく時間が経ったようで、集まった撮影クルーのような黒っぽい人々の集団が、みな騒然としている
そこには再びぼんやりとした表情となった充希が、何が起こったのかをたずねられており、
「ころされてました…… 私に」
ひと言目と、ふた言目のあいだには、遠く、断絶がみられた
ふと気になって、昔フォローしていた漫画描きさんのアカウントを旧ツイッターで探した。
賞を取ってデビューしてるマンガ家さんで、とある創作コミュニティで知り合った。
その創作コミュニティは昔の作品を再掲する人と最新作を宣伝する人の2パターンいて、その方は前者だった。
とはいえ、そのコミュニティはマンガや絵を上げるだけの場所ではなかったから雑談で交流していた……ような気がする。
きっかけはよく思い出せないけど、旧ツイッターでは相互フォロワーだったと思う。
思う、というのは何年も前だったのと、その人がアカウント削除転生常習犯だったからだ。
昔、そういえば最近見てないなと思ったらアカウントが消えていて、その人とよく会話してた文字書きさんのフォロワーさんのいいね欄を見たら別のアカウントでマンガを描いていたことがわかった。
名前も変わっていて、でも(当時)連載持っていたはずだったよな……と思って調べたらこれまた別のアカウントが出てきた。
おそらくは仕事用だろう。
別にフォローを切られたことを悲しいと思ったわけではないけれど、しばらくしたらまた名前が変わっているのではないかという謎の探究心が湧いた。
そんなこんなで数年が経ち、なにがキッカケだったか、もう一度その人を探してみようと思い立った。
まずは商業の名前を調べたけれど、ヒットしたアカウントは削除済み。
やると思ってたけど、そう言えば連載止まってるのに新しい連載を別名義で始めて〜と言うところまで見たなあと思い出す。
商業アカウント消したってことは、たぶんどちらも完結しないまま打ち切ったのだと思う。
んで、手がないので例の仲が良かった文字書きさん経由で調べたら別のアカウントを見つけた。
前に見たものと違うidだったと思うけれど、idを変えたのか登録し直したかまでは分からない。
そのアカウントも削除済みだった。
よくよく会話の履歴を見ると、アカウントを削除するようなやり取りが見受けられた。
どうやら年が明ける前に削除したらしい。
また別の名前で活動するのかなと思ったけれど、例の仲の良い文字書きさんまで縁切りするのは意外だと思ってidを調べてみた。
きちんとしたストーカーをしたことはないが、人のことを調べる手段としてアカウントid検索は役に立つ。
他サイトでも同じidを使っていたようで、幸いにもプロフィールを見ることができた。
そこで察してしまった。
〇〇の達人|みんなの△△手伝います|過去に✗✗の経験あり|飽きっぽい性格|趣味は□□|最近は▲▲にハマってる
こんなプロフィールだった。
そっちの道に行ってしまったのだとわかった。
idの返信履歴を見ると、青いバッジをつけた意識高めの人たちからのリプライが多い。
いつしか見たブログには、思い切って起業した、と書いてあって、別のこともやるのかなーなんてぼんやり思ってた。
占いレポマンガとか、日常のマンガとか、当たり障りのないものを描いていたことは記憶しているが、それらが前兆だったとは思えなかった。
おそらく例の文字書きさんとの縁も希薄になり、これからは閉鎖的な意識高い系のコミュニティで活動していくのだと思う。
一時期交流をした程度の仲だったとはいえ、知っていた人が搾取するコミュニティに行ってしまったのは正直言うとショックだった。
でもまあ、その人は名前もすぐに変えるしアカウントすぐ消すし、続いても数年じゃないかなと勝手に思う自分もいた。
たぶん数年後にまたその人を探すかもしれない。
たとえどんな賢い奴が英語学習に全ての時間を捧げてたとしても、
ネイティブの配偶者を得た者が長年一緒に暮らし続けたとしても、
英語力や英語理解はほどほどの水準で頭打ちになるんだぞ。それって英語を母語とする平均的な成人のそれを遥かに下回る水準なんだぞ。
ピーター・バラカンの日本語力さながらに英語力を後天的に鍛えられる日本語母語者はほぼ存在しない。
その上で問うけど、そんな状態で英語圏に移住してより良い生活になると思う?
どのネイティブも自分の英語をあまり深く理解してくれないんし、自分もどのネイティブの英語もぼんやりとしか理解できないモヤがかかったような世界に身を投じるんだぞ。
田舎の中学校でいじめを受けていた。卓球部内のイジメだからスクールカースト底辺中の底辺だ。中心人物はS君で、彼の存在が嫌になって部活には行けず、かといって田舎なので学校の他に行くあてもなく、ただ図書室でぼんやり時間を過ごしていた。
やがて遠くの優秀な高校を受験して学校で一人だけ合格した。僕が都内のA高校に合格したことを知ったS君は能面の様な顔をしていたことを思い出した。
クソみたいな中学校に別れを告げ、片道2時間かけて高校に通った日々は忙しくも素晴らしかった。高校時代も卓球部だったが、変な人しかいなくてとても楽しかった。それなりに努力をして国立の医学部に進学し、数少ない地元の友人と参加した成人式でS君と再開した。
S君は地元の偏差値の低い私立高校からよく分からない長い名前の大学に進んでいた。よく分からない髪型で要領を得ない話をしていて、彼とは住む世界が変わったことを認識できた。あれほど虐めてきた彼がいなかったらあの高校には行けなかったかもしれない。けれど決して彼に感謝をするつもりはないし、時々思い出しては早く◯ねばいいと思ってる。
この方を大雑把に「防災研究の第一人者」として、しかも御本人は「これから指摘することは、私の責任でもあります。」と述べているにもかかわらず見出しでは「初動に人災」「阪神の教訓ゼロ」とするのは、世論をミスリードしたい気持ちが見え見えで憤りを覚える。
記事を読んだとき、石川県の防災アドバイザーとしての自分自身の反省と読めたのでミスリードしているとは感じなかった。
室崎さん記事に対する一連の批判は、発災直後からの報道が、今回の地震津波の被害を想定外だとする世間の印象を色濃く反映しているように思える。
blueboy まったくトンチンカンだな。問題は初動でミスったことじゃない。初動のミスのあとで修正できなかったことだ。大量の一般車両が交通を渋滞させたのだから、車両の選別をして、渋滞を解消するべき。今も。
初動というのは、実のところ、災害時の緊急対応計画にかかれた想定シナリオ以外に動くのは難しい。発災直後の行政の状況というのは情報洪水であり、いちいち判断をしている人的・時間的な余裕はない。だからこそ計画が重要なのであり、初動は行政各部署が被害想定を部署別のタスクとして平素からいかに予習しているかにかかっているのだ。
したがって交通渋滞という点での初動のミスは、交通規制が計画にかかれていなかったことなのであって、あとで修正できたかどうかはほんとリーダーの資質によるという話でしかない。室崎さんの指摘は、現場での判断ミスではなく、計画の欠如という点にフォーカスしているということはまず抑えておきたい。そのうえで室崎さんは前例にないことが起こってしまったことに対する対処の提言をいろいろしている、というふうにみるべきじゃないかと思う。
例えば奥能登へは入らないように、としたが、石川県全体に入らないように受け止められたのではなかったか、もっと良い周知の仕方はなかったが、など。
と増田がいうように、情報発信に問題があったという指摘は重要だ。
石川県は能登方面への不要不急の移動は控えてといっているし、個人からの支援物資は、受け付けないといっているし、不通や片交だらけの道路で緊急車両の邪魔になるとわかって、一般車両の通行禁止が始まった、みたいなニュースもみる。こんな形で「やれないこと」ばかりを伝え、やれることを伝えない報道の仕方も、一般人にはできることはない、というムードを作っていると思う。この点では室崎さんの指摘に同意せざるを得ないと思ってる。
その一方で、増田が以下にいうように
ボランティアによる大渋滞は阪神・淡路大震災でも発生したが、それが大きな問題でありコントロールの必要があるとされたのは東日本大震災大震災以後。被災地に向かう車両に許可証を貼っていたのを覚えておられる方もいるだろうと思う。
これはその通りだと思う。また、数日前、鍵屋一さんもNHKで、一般の方々、今は待つときです、と強調していた。
しかし、では、肝心のボランティアのコントロールって、報道の側面ではどうですか。また行政はそれを明確に示してるだろうか。
どう活動すればいいか、があまり報道されないし、情報提供もされていないのが現状でしょう。
待つことばかりが印象づけられ、実際にいち早く現地入りして活動しているNPOなどもいるのにあまり報道されない。
1日の発生以来、自分がかつて泊まった宿などが心配で、関心を強く持っている一部地域の宿やお店などのSNSをずっとチェックし続けていたのだが、
一週間くらいすると、XXNPOの支援を受けて頑張ってます!みたいな投稿がちらほらみられ始めた。
なかには、発災から驚くべき速さで準備を整え、現地入りし、ニーズ調査を開始、物資を届けているNPOもあった。世の中には山岳救助なみの準備が必要とされそうな事態でも迅速に駆けつけるNPOがいると知ったのは個人的には希望だった。実績の多い「震災がつなぐ全国ネットワーク」や「RSY」だ。また被災者SNSで偶然「MAKE HAPPY」という団体を初めて知ったが、世の中、いざ鎌倉みたいに駆け付けられる団体がけっこうあることを心強く思った。
これらの活動はたまたま能登半島の特定の被災者(以前、北陸旅行で宿泊したことのある宿や酒蔵)に関心をよせていたから知りえたのであって、報道だけをみていたらわからないことだった。能登町や穴水町などで数多くのNPO支援団体の活躍が聞かれる一方で、奥能登まではまだまだ悪路でごくわずかの団体しかいけていない、という具合に、どのあたりに今現状、支援が進んでいるか、全く進んでいないかのぼんやりとしたイメージがみえてくる。
苦しんでいる被災者を目の前にして、「道路が渋滞するから控えて」ではなく、「公の活動を補完するために万難を排して来て下さい」と言うべきでした。
という室崎さんの考えは、災害対応のコントロールという観点からは暴論にみえるかもしれないが、一理あると個人的には思っている。情緒的な言い方をすれば、公けではない活動による突破、ブレイクスルーの側面を信じているし、実際そのインパクトは無視できない。
いや、むしろ日本の防災の理念というのは、法律上も公けというのは、自助、共助を補完するものなので、公助が整うまで待てという理屈は実はいびつだ。
ただ、室崎さんが指摘している処方箋が筋が悪いという指摘も確かだ。例えば
どんな被災地にも、スタンドプレーのように目立とうとする迷惑なボランティアはいます。そういう人たちに向けて、ブレーキとしてのメッセージが必要なのは分かります。
しかし、今回は「控える」の一色になったことで、被災者にとても厳しい結果を招いたと思います。交通渋滞の問題ならば、例えば緊急援助の迷惑にならない道をボランティアラインとして示す方法もあったのではないか、と思います。
というとき、このボランティアラインというのが、どうにもその場の思いつきっぽく響いてくるのも確かだ。
かりにも室崎さんが防災アドバイザーであったのなら、すでに計画の中において方法論が確立され、いざというときに判断をしなくていいように、ボランティアのコントロールを行政のタスクとして、緊急対応計画のタイムスケジュール表に記載すべきだったと思う。それを例示としてしか示せないのは計画性の欠如だと思える。
そもそも、阪神の教訓というのは、発災直後の、行政部署別の個々のさまざまなタスクのタイムラインがなんらかの被害想定をもとに明確に決まっていなかったから初動が遅れた、という問題意識だったはずだ。目標管理型のタスク管理、これが阪神以来、災害関連死が問題となった中越を経て、東日本・熊本へとずっと教訓として積み上げられてきたはず。膨大な情報洪水で忙殺される発災後のリーダーシップには限界がある。現場の判断に時間をとられ過ぎてはいけない。だからこそ、刻々と変化する現場のニーズに翻弄される前に、計画において予め想定する事態(ニーズ)とタスクと何日後までに達成するという目標を明確にする、というノウハウが蓄積されてきた。例えば避難場所のトイレ整備ひとつとっても、発注から目標個数まで細かいスケジュールをあらかじめ想定しているのが防災計画だ。
室崎さんが、インタビュー記事の数日前、自身のSNSで以下のような提言をしているのは、まさにそういうところだ。
支援あるいは復興では、「残心補填」で先を見ながら必要な資源の事前確保をはかることがかかせません。救命救助のニーズが一段落した段階で、大量の消防隊が1週間後の今になって投入されているが、後手に回っている典型例です。今、何をしなければならないのか、3日後に何をしなければならないのかを考えて、必要な人材や資源を早めに送り込まなければなりません。孤立を解消する活動、震災関連死を防ぐ対応、瓦礫撤去整理の活動、被害事態を明らかにする活動、住宅再建に向けた判定と相談業務などが急がれます。
この段階で、「一般」の定義が上から目線でされているのが気になるのですが、「緊急部隊の邪魔になるので、一般支援者やボランティアお断り」というメッセージが、声高に叫ばれています。その結果として、劣悪な避難所の支援や隅々まで物資を届ける活動が疎かになり、再建や復興の相談に乗ることも疎かになっています。ようやく、昨日から自衛隊の食事の提供が始まりましたが、避難所のケアや被災者の相談を自衛隊や消防隊にしていただけるのならいいのですが、・・。
保健衛生、瓦礫撤去、物資配送、被災相談などの対応をはかるには、経験や技能を持った専門的ボランティアを積極的かつ戦略的に受け入れる必要があります。いまこそ緊急援助隊のみ優先の発想を切り替える必要があります。
この点では、初動の遅れ、というのは計画が必要なタスクを想定不足だった、ということだ。緊急対応計画の不備という問題に跳ね返ってくる。
室崎さんが阪神の教訓がゼロになった、と自省するとき、それは室崎さんが指摘する初動における情報収集体制のみならず、ボランティア活動のコントロールについて計画面での想定の甘さも検証される必要があるのだろうと思う。しかしながら、指摘されていることは至極真っ当なことだし、経験に裏打ちされたことばかりだ。
しかし、問題は室崎さんの自省として書かれたからどうだとか、室崎さんが第一人者かそうでないか、なんてことではない。
死ぬほどどうでもいいことだ、と思っている。ああこれはないな、とおもうところはあっても室崎さんの言葉から光るエッセンスをくみ取れば十分なんだよ。
評論家にスレミオの関係を貶されたとかで、また百合の人たちが怒ってリプライで非難してる…。
私は同性愛差別していないんで、プロローグの女性カップル推しや1話の終わり方の時点で、スレミオの同性愛エンドを歓迎する心づもりでいたし、グエスレやエラスレなどの対抗男女カプの非成立にキレてる勢力がいることは未だに理解できてないんだけど、それでもスレミオの関係が全く刺さらなかった。思春期少女の重たい友情としても、共闘するバディとしても、恋愛としても、どういう関係としてもこの二人が刺さらなかった。「メインカップルであるスレミオをもっと応援したかったのに」という呪いがかかっているような状態。
どうしたら刺さったか考えたとき、自分の境遇を自分で疑問に思えないし怒れないスレッタを、ミオリネが地球寮に置き去りにして任せるのではなく、プロスペラのもとからミオリネがスレッタを連れ出していたら納得できたと思う。地球寮が便利屋として使われすぎていてミオリネのヒロイン力が下がったように感じる。遠巻きに支援しているのは分かるんだけどピンとこない。エモくない。ミオリネが勝手に動き回ってしくじって、スレッタに慰められていて…という流れに溜息をついてしまう。頭でっかちなお嬢様が大きなやらかしをして罪悪感で曇る展開、パターン化されているし性癖なのかもしれないけどつまんなかったよ。
権利についてぼんやりしているスレッタと違って、怒ることができるミオリネが、プロスペラを毒親と認識して、エリクトも内心そう認識していて、エリクトとミオリネが相談・共謀してスレッタをプロスペラから引き離す。プロスペラに依存していたからプロスペラに決めてほしいスレッタは心細さにパニックを起こす。でもミオリネのもとで母子の分離ができて、スレッタが自分で判断できるようになってから、クワゼロなどプロエリがやろうとしていることを知る。エリクトが自分を犠牲にしてスレッタを自由にしようとしたことを知る。プロスペラの洗脳下にいないスレッタであることを確認してからミオリネはスレッタを自由にする。自由にされたスレッタがあらためてプロスペラ、エリクト、そしてミオリネを選ぶ。そういう関係だったら良かったのにな。
「おじさんがキャリバーンを持ってきて乗れと言ってきたし乗る」ではなく、スレッタがクワゼロを理解してプロスペラの復讐を止めさせるためにプロエリを止めるという主体的な動きが欲しかった。まずプロスペラのやりたいことが復讐なのか世界をエリクト用に作り替える破壊的な思想なのか、プロスペラがやりたい放題したときどんな結果を招くから防がなきゃいけないのか説明が曖昧だった。宇宙議会連合のおじさんが都合良くビームを撃ってくるどうでもよさ…。
プロスペラとエリクトを「毒100%」認定してスレッタに捨てさせる結論を強要しているわけでもない。スレッタが流されたように見えた。自分で調べて考えて判断して救おうと決めた、動いた、という主人公としての魅力を感じられなかった。流されスタートでもいいけど、強固な意志で人を助けに行っているのであってやらされているのではない確信が欲しかった。むしろ1期のほうがスレッタは能動的だったのに、ミオリネと距離を縮めてからどんどん勇気を奪われていないかと感じてしまう。私は進撃の巨人のヒストリアとユミルの関係が大好きなんだけど…フィクションでイケメンキャラやBLのみ追うタイプではなく、女性と女性の関係も結構注目して見るほうなんだけど。本当にがっかりです。
あと同性愛として描くならスレッタもミオリネも4号・シャディクとのフラグ立てて異性愛者っぽく見せたのは不自然さを増しただけで余計だったのでは。ミオリネがレズビアンで、スレッタは人生経験自体がないから自分をぼんやり多数派である異性愛者と思ってたけどバイとしての可能性もあったのを、頑張って落とした、ならまだ納得ができるんだけど。シノとヤマギみたいな、頑張って頑張って自分をノンケだと思ってる潜在的バイを落とす健気さみたいなものが無い。何の説明もなくみんなバイセクシャルの世界だったの水星?「差別だけ」が無くなったとしてもそんな世界にはならないよ。リアリティ持たせるために「この世界はみんなバイセクシャルです」というSF設定でも付与してもらえない限り。
ラウペトも「ペトラがラウダを支えてきて、今度はラウダがペトラを支える」をやりたかったようだけど、スカスカっていうか…ろくに描かれていないよね。ラウダもなんか…救いようのない性悪だったし…。
世界観を匂わせるところまで、キャラクターを出して背景を匂わせるところまで、素材を用意して期待感を持たせるところまで…は上手かったと思う。焦がしたとか、塩入れすぎたとか、調理で失敗して不味くなったような印象がずっと残る。本編の公式のキャラクターよりも、二次創作のスレミオや二次創作のラウペトのほうがキャラクターが愛らしく感じるって、公式の「こういう風にキャラクターを動かすぞ」という感性みたいなところが、全体的についていけなかったなと感じる。カプ創作じゃなくオールキャラギャグ系でも、公式のCDとかより二次創作のほうがキャラクターが上手く動いてる気がするよ…。いいね数が1万件以上のような二次創作ばかり見たから、その時点でふるいにかけられていただけかもしれないけど。
スレミオに文句つけると同性愛差別者によるヘイトスピーチだと袋叩きにされるから言論統制みたいになってしまっているけど、調理のセンスがないためにせっかくの女性同性婚の素材を台無しにしたのは公式だと思う。
色々悩んでふと実名の垢で全部書いてやることも頭をよぎったけど、他責の青葉が死ぬほど叩かれてて、自分も青葉が他責でクソだと思ったし実名でやると他責で晒す行為だから同じになりたくないと思った。
もともと他責したかったわけじゃないし、自分が悪い部分を痛いほど自覚している。
だからここに書いて最初で最後にする。はきだしくらい許して欲しい。
ただハラスメントだと思ったのがすでに他責だったらもうだめなのかもしれない。
自分のなかではそう言う事案に対して自分で行動すること抱え込まないのが大事だから、とおもったから然るべき窓口に行ったつもりだった。
そこで、私が病院送りにならないかぎり外の人間は介入できないと言われた。
あなたが好きで構って欲しいからあばれちゃうんじゃないですかとも言われた。
そんなの対応するのが仕事じゃないから対応してほしくて相談したのに。
なんでどんな大怪我をするかわからないし死ぬかもしれないと思ったし自分たちで改善できないと思ったから言ったのに、死んだら対応する、みたいな話になるんだろう。
なんでハラスメントで訴えられたことがある人が改善してくれると思ってその人に投げて、その人に大変だねなんて声をかけるんだろう。
結局表面上改善したていで我慢して、それに打ち勝つように頑張るという選択を選んだ。
一度聞いてくれただけでありがたいですと返すしかなかった。
ありがたいと思うしかなかった。
実際病院送りの怪我をさせられなかったから、その人の言うとおり、構って欲しいだけで職場で暴れてたのかもね。
外の介入が必要ない事案だったのかもね。
でも殺されるんじゃないかと私はずっと怖かったし、ずっとぶっ殺すとかぶつぶついわれたよ。
でも大怪我しないと対応しないんだから、そんなこと相談したって仕方がないでしょ。
どうせ目を見ていってないから録音してないから私に対して言ったとは言わないよ。
正直怪我させなければ委員会には上がらないって本人に言ったんじゃないかとおもってしまったくらいだけどそれは私の思考がわるいんだろう。
その結果がこれ。
ハラスメントみたいな環境をつくった私が悪いし、私は自分でそういう環境を作ってハラスメント呼ばわりしてるごみなんだよ。
実際私以外のこれまでいた人間は仕事ができるんだし、環境が悪いっていうのは私自身が悪くしてるふうにみえるというかそれが事実。
今までの人との違いは私が女だから、私だけが悪いし、女が悪いってことなんだよ。
遠回しにそんな話をされる日々。
でもそれは私が深く考えすぎでなだけで私の性格がわるいだけ。
それより些末な問題は相談できるわけがないし、相談したとて同じように部署で改善しろと言われるんがおちでしょ。
私はいっぱい相談に乗って、クッションになってたのに私の時はこうなんだなって思うけど、それは自己満足で偽善でしかない、それは他人に言われずともわかっている。
客観視したら私は問題じゃないことを問題にしているような人間に見えることも理解できるし、客観視じゃなくて事実そうなんだろう。
なにがぼくたちは味方だよ。だ。
暴力未遂で対応してもらえなくて、日中からのエロ話、暴言、証明できないいやがらせ、環境を相談できるわけないし、相談してかいぜんしたわけないでしょ。
隣の人は休憩スペースだからうるさくても穏便にしろっていったし、私のデスクはそこなんでしょ?
こっちの人が暴れまくったことがあって私は結局抑えらえなかったんだからどんなに嫌なことされても隣には言えないよ。
同じ土俵にたって私がやり返した方がよかったの?
録音録画してSNSに晒せばよかった?
がちの本務じゃないことだってキャリアのため、最終的に自分のため本務のためだからそれが業務外なんて思わなかった。
でも問題になったらそれは本務じゃないんだから減らしたって配慮したってよかったはず。
それで本務を禁止にするかもってなんなの。
本務のためにこのしごとについたのに。
普通は組合は1個人のトラブルでも組合を通して交渉できるし、特に契約書に書いてない業務でのトラブルなら組合に間に入ってもらうやったことだってできたはず。
その権利や可能性をうばってる自覚がないの、物価上昇の交渉でボーナス数万プラスで支給とかそんなポーズを求めてないんだよ。
普通の会社だったらやるマネジメントの研修だって新しく導入されるっていってたのに私しかやりたいって言わなかったから、結局うちはやらなかった。
私はやって欲しかった。
なんでハラスメントで私に相談が来たことがある当事者がやらないって言ったからやらないことになるんだよ。
こういうトラブルがあったんだからマネジメントやハラスメントの研修はやった方がよかったに決まってるんだよ。
でもそれも私があのときもっと強く言っておけば違ったんだと思う。
さっさと辞めればよかったのかもしれないけど、やめるのって結局いじめられた方が転校するのと私にとっては同じでそれはやりたくなかった。
なんでやりたかった仕事を本務じゃないひとのせいでやめなきゃいけないの。
でもそういうふうに意地になったのはよくなかったんだとおもう。
時間だけが経って急に涙がでるし、やりたかったことを考えるのが楽しくなくなって、頭がぼんやりするだけでなにもできなくなった。
憧れっておもってた気持ちとかけた人生にたいする意地だけが残って、ほんとうに好きだった気持ちはなくなってしまったような気がする。
前はSNSでも仕事のことしか検索してなかったし、仕事の話しかしてなかった。
さっさと辞めれば後戻りできたのかもしれないね。
憧れの仕事につけたのに、本当にやりたいことを諦めて違うことをしている私はなんなんだろう。
本当にやりたいことをやるために我慢してたけど、我慢することだけに力と時間を尽くしてしまった。
1年半たちそのことに気づいた。
本務外も含めてこの仕事だからトラブったからそれを外して欲しいっていう思考になってるのもやっぱり私の能力不足だと思う。
能無しだよ。
くやしい。
夢を叶えられなかった。
環境は全部あったのに、私は自分でチャンスを関係ないことで棒に振った。
私は間違いなく恵まれていた。
こちらでやるから気にしなくていいという言葉がほんとうにくやしい。
ほんとうはやりたい。
断った後で、もっと後悔した、これ以外にもう私のなかで選択肢がなかった。
やっぱりやりたいって。なんで断ったんだろうって思った。
私はそれに関わる立場にないと思ってことわったけど、自分が関わらないでそれが進むのもみたくない、自分は汚い人間だ。
私が一番上手にできるとおもったし、そういうふうに今でも思ってる部分がある。
でも能力不足だったんだろう。
ごめんなさい。
もっと小さくても自分が一番やりたい方を落ち着いてかけなかったんだろう。
本当はあっちをやりたかった。
くやしい。
結局やりたいことをやらない、やれてない、自分がきらいな人間に自分はなっていた。
やりたいことあるけど、無駄にした時間が戻ってこないのもわかってる。
くやしいけど、
でもそれはちゃんと優先順位が考えられえてない私がだめなだけ。
こんなことだって書いてないで、この時間に本務をやればいい、と言われるし、本当にそうだとおもう。
結局私みたいなのがいる上司が私のせいで大変な目にあってかわいそうで、女なんかいらないって話をして、おわりでしょう。
なんで上司がかわいそうで大変だね、お祓いした方がいいね、って私にいってくるの。
そのうちの一つは私のせいなのに。
そうだよ、環境を自分で上手に改善できもしない、適応もできない、ただ私が全部悪くて環境のせいにして仕事ができないだけ。
もう少し違うところに、たくさん相談してたら違うのかな。
でももともと頼るのが苦手だったし、結局それも頼るのが苦手な私が悪いんだなって思う。
一年半前は仕事も考えるだけでもっともっと楽しくて幸せだったな。
このあと改善の最後のチャンスがあるけど、多分かなしいことしかないしもう断っちゃったことも時間も戻ってこない。
だって業務外だから話す機会なんて作らないって断ったくせにまだ業務外の状態のはずなのに呼び出す、本務禁止にするって言って終わりなんだと思う。
それって私の存在なんのいみがあるの。
久しぶりに食事でも行かないか。そう提案してきたのは向こうからだった。
あまり乗り気ではなかったが、なんでもご馳走してくれるそうだ。
こちらとしても久しぶりに会って昔話に花を咲かせるのも悪くない。
そう思い、提案に乗ることにした。場所は麻布の高級レストラン。
入り口にはボーイが立ち、俺が話しかけるとギョッとした表情を見せたものの、増田のことを告げると笑みを戻して頷いた。
中へと通されると式場のようなテーブルが並び、蠟燭の柔らかい光が薄暗くぼんやりと輝いていた。
席まで案内される最中、数多の目が俺の方に向いているのを感じた。それでも出来るだけ気にしないようにした。
席に着くと既に増田は居て「よお、久しぶり」と声をかけてくる。
思わず俺も相好を崩して笑い、「ぼちぼちだよ」と答えながら席に着いた。
増田とは学生時代からの親友で、しかしこうして会うのは数年ぶりだった。
増田は今では家庭を築き、やり手のビジネスマンとしてそれなりの社会的地位があると人伝えに聞いていた。
彼はブランド物らしき紺のスーツに身を包み、縁の太い黒枠の眼鏡をかけていた。
昔はずっとコンタクトだったはずだ。
ボーイが俺に声をかけ、言われるがままにコートを脱ぐと乱雑に畳み、色褪せ玉虫色となったコートを手渡した。ボーイは終始、笑顔だった。
再び増田に目を向けると卓上で手を組み、重々しく口を開いた。
「お前、彼女は居るのか?」
いない、と俺は言った。
増田は深い嘆息を吐き、それから顔を上げると俺のことをじっと見つめてくる。
「俺たちもう四十だぞ?そろそろ落ち着いたっていい頃だろ?仕事だって、定職についてないっていうじゃないか」
「…そういうお前はどうなんだ」
「俺か?俺は今、妻も子供もいて、仕事だって順調で、身に余るくらいに幸せだよ」
「ああ。それで十分幸せだ」
学生の頃、共に理想を追い求めていたあの志の高い姿は何だったのか?
俺は文学で、増田は芸術で食って行こうと、そう約束したじゃないか。
そうした思いを、気付けば口にしていた。
増田は寂しそうな表情を見せた。目を逸らし、暗闇を眺めていた。
「いい加減大人になれよ」
声はエコーがかって聞こえた。
ああ、終わったんだ…そう思うと悲しみが…いや、怒りが勝っていた。
これは裏切りだ。憤慨して立ち上がる俺を増田は止めず、財布から札を取り出すと俺に差し出してくる。
見ると一万円だった。
馬鹿にするのも大概にしろよ。一万円をふんだくるとくしゃくしゃに握り潰し、投げ返した。
周りがざわつきはじめる。ボーイが寄って来る。落ち着けよ、と増田が声をかけてくる。
居た堪れなくなり、トイレへと向かった。
高級レストランはトイレも高級で、汚れ一つなく真っ白いタイルに囲まれCubeの世界観のようだった。
よく見るとシミが辺りにあり、頬は弛みかけ、ほうれい線が目立ち始めていた。
テーブルに戻ると席に着くことはなく、ボーイを呼びつけコートを返してもらった。
着ながら増田に「じゃあな、お幸せに」と声をかけると増田はじっとうつむき、何も言わなかった。
ただ最後に「おまえは馬鹿だよ」と小声でつぶやくのが聞こえた。
それから店を出て少し歩くと夜風が身に沁み、凍えてポケットに手を入れると違和感があった。
何だ?と違和感の正体を掴んで見ると、くしゃくしゃになった一万円だった。
あのときの一万だ。増田がコートのポケットにねじ込んだのだろう。
あいつは昔から優しい奴だった。だがその憐憫は、俺をより哀れにした。
こんなもの…!と俺は丸まった一万円を投げ捨てようとして、直前で留まった。
くしゃくしゃの一万円を広げ、皺だらけになった一万円を目にして、自然と涙が溜まった。
俺は間違っていないはずだ。それなのにこの気持ちは何だ?
全6曲。
落ち着いたアレキサンドロス。よく聴いてるわけじゃないけど『kick&spin』とか『閃光』とかのイメージが強くて意外な気もしつつ、耳触りのよい英語が結構好き。何言ってるのか分かんないけど。
日本語で歌うパートにくると歌詞の内容が分かりだす。「午後一時半の小田急線」——どうやら、一度出勤したけど風邪気味だから午後休取って早退したやつの話らしい。サボってる学生や、楽しそうな主婦がいたりする時間帯だ。うんうん、わかるわかる。
そして彼は、最寄りに着いたところでふと気付く。このまま乗っていれば実家に帰れる、と。そして実家で猫に会い、(おそらくは親に)小言を言われ、おいしい味噌汁を飲む——。
は?
この曲は、俺のような英語のリスニングもできない片田舎の人間が風邪をひいた時に聴く歌ではない。ただただ、恵まれた環境にいる人間が風邪をひいた時の歌なのだ。
「いや、そんな恵まれてもないだろ」と思う方もいるかもしれないが、2番の日本語パートで彼自身もこう内省している。
「思えば恵まれた生活をこう/与えられてたこの坊ちゃんが/ロックンロールなんて/叫んでいいんだろうか?」
彼は会社員というよりはロックを叫ぶバンドマンのようである。アレキサンドロスの人そのものを描いているのかどうかは分からないが(まあどちらでもよい)、芸術系とか創作系・表現系に全ベットできる人間の実家が太いというのはままある話である。
彼の悩みに答えは出ず、玄関まで送りに出てきた親(おそらく)の顔も見ることができずに電車に乗り込む。「一人部屋のアパートに帰ろう」——ロックで売れまくってるってわけでもないようだ。
曲を聴くというよりは歌詞を読みふけってしまった。この曲で描かれる人物は俺とは全然違うところを生きているけども、好感が持てないかと言えば全然そんなことはないし、そういう人間が風邪をひいた時の情景を描いた歌として、うん、よかった。しっとりしたアレキサンドロスも良い。
名前だけは見たことあるけどちゃんと聴いたことのなかったamazarashi。
ピアノのイントロから入っていきなり「37℃の微熱」、うん、風邪の歌だ。
そしてなんか、フィロソフィーとか運命とか必然とか言い出したな……と思ってるうちに曲が終わった。歌詞サイトを見る。さっきのアレキサンドロスでも見ていた。
2回目の再生ボタンを押すと、なんとこの曲1分55秒である。そりゃすぐ終わるわけだ。
しかし改めて歌詞を見ると、この曲で描かれる風邪を引いた人間もまあ、全然共感できない類の人間だ。部屋にはソファがあるし、彼女がいるし。フィロソフィーとか運命とか必然とか言い出すあたり、俺には話を合わせることもできなさそうである。
彼は「ごめんちょっと調子が悪いだけなんだよ本当に」と言い訳をし、「かれこれ数時間/便器にしがみついて/朦朧と/うわ言」。うわ言だったらフィロソフィーとか言うのもやむなし……か?
2分に満たない短い曲の中で、「朦朧と」のフレーズが繰り返される。印象に残る曲だ。全然好きだ。好きだ、amazarashi。もっと俺の調子がよくて、なんか小難しいことを考えたいときに聴きたい。
恋風邪じゃねーか!
でもまあ、Vaundyは好きなので(数曲しか聴いたことないけど…)楽しみである。
これ前に聴いたな……。
Apple Musicは自動再生で似たような曲や売れ線の曲を流してくるので、Vaundyなんかは知らぬうちに受動喫煙しているのだ。
「恋風邪にのせて」というタイトルには、いわゆる恋の病的なものを風邪に例えた「恋風邪」と「風にのせて」言葉や思いを吐き出す行為がかかっていて、全編的にそんな感じの曲である。俳句みたいな技法で割とすき。
しゃらくせぇ曲だなあとは思うものの、そのしゃらくささがVaundyの魅力だとも思う。いい曲。
「くだらない愛で/僕たちはいつも笑っている」
旧Twitterのフォロワーにこの人のファンがいて、ちょくちょく名前と情報が目に入っていた。実は曲を聴いたことはないのだが、シャニマスが好きみたいなので信用の持てる人だと思う。
そして肝心の『風邪』。風邪をひいた舞台役者・脚本家?のつらさを綴った曲のようである。あんまり面白くない舞台であんまり上手くない芝居をして、叩かれて、病んでいるようだ。そんな感じの「風邪」ニュアンスを感じた。
自らの作品や表現の稚拙さに苦しむというのは、個人的には結構わかる。わかるけれども、今食べたい料理はそれじゃない。それじゃないんだ……全然上流階級の人間を描いてていいからがっつり熱出して寝込んでてほしかった……。こういう形の風邪も全然あるんだけども。こういう形の風邪の話だよね?解釈に失敗してるような気もする。
それはそれとしていい曲だと思うし、小林私のボーカルも結構すき。やはり信用の持てる人だと思う。元気になったら(あるいは精神的に病んだら)他の曲も聴いてみようかな。
この曲もしっとりした雰囲気で、熱が出てぼーっとしたいときに合っているような気がする。
歌詞としては、風邪が治った直後の情景が描かれている。まだ少しぼんやりとしつつ、でも体の軽さがある、そんな感じ。早くこれになりたい。
「君の手のひらはbutterfly」「僕の額をその翅で慰めた/あぁ」
どうやらこいつにもパートナー的な人間がいるらしい。だけど、不思議と嫉妬のような気持ちは湧いてこない。キリンジの、この曲のふんわりとした雰囲気ゆえだろうか。
曲は終盤に1分ほどbutterfly…を連呼して終わる。すごい余韻である。風邪のときってこれぐらいの余韻がほしいというか、ぼーっとしたい。いい曲だ。好きだ、キリンジ。
間違いなく1番ひどい。
検索しても歌詞は出てこないし、そもそも歌詞というか一般的な曲の体をなしていない気がするし……音楽に決まったルールなんてねえんだよと言われたらそれまでだけど……。
子供の頃夕方にテレ東を見ていたら、ぷよぷよの「灼熱のファイヤーダンス」のCMが流れたんだけどその瞬間、俺の姉が
と叫んで慌ててチャンネルを変えた。
それなのにオタク文化的なぼんやりした何かを嗅ぎ分けることができた。
これは超能力でもなんでもなく、当時の日本人なら老いも若きも有していた不思議なアンテナだ。
デ・ジ・キャラットの絵はそれが何の何であるか全くわからない人から「これはオタク的な気持ちわるい何かだ!」と確信され、一発で嫌悪されていたし、
シスタープリンセスの「青年一人に対して若い幼い女がたくさん。皆目がデカい」も常軌を逸した何かとして受け止められやはり嫌悪されていた。
エヴァやサクラ大戦ですらかなりピリついた感じで受け止められてた記憶がある。
今そういうのほんと無くなったと思う。
ももクロの曲とかボカロ曲とか当然に受け入れられてるけど、あれテイストはモロに当時のアニソンやエロゲーソングやん。
当時「何これ気持ちわるい!!!!」でオタク知識ない人から生理的に一発レッド食らってたようなのと同じ曲調やん。
でも今はそれがむしろ主流なのな。
本当に変わったと思う。
先に告げておく。
今は処方中。
処方中においての内の文章だ。
精神科医に掛かるのも今回がはじめてということで、ざっくりとした診断を受けた。
その結果としてとりあえずは投薬によって様子を見ることに。
処方されたのは睡眠導入剤。
就寝前に1錠、飲む。
今まで睡眠障害に対する薬を飲んだことがなかったため、ちょっとした不安があったものの飲むようにしている。
効果はすぐに表れる。
酩酊したような、周りがほんんやりと映りはじめる。
寝ぼけているような…むしろ…夢の中に居るかの追うなぼやけ具合がある。
スマホではなくPCで。目に映る目の前のモニターには増田の日記を書く用の画面が表示しており、ここまでは別段いつもと同じだ。
ただこの薬を飲んで画面を見ると、いつもと異なって目に映るようになった。
それが何なんかを知らしめたいがためにこれを書いている。
はじめてのときは質感だった。
目の前のモニターが表示している文字群がモニターに表示されているのではなく和紙に表示されているような質感があった。
触れば触れられるんじゃないか?ふと手を伸ばしてその和紙を掴みそうになってしまったのは印象深い。
そしてたまに、いや今のそうなのだけどこうして長文を書いていると時に文字のサイズが変わって見えるときがある。
ふとした瞬間、中央部分のみが小さく映るとそこの部分の文字は行動し、それは中央が縮み右側がそのままなことによって遠近感のようなものをもたらし、気を抜いて見ていると折れ曲がっていくように見える。
それでもやはり印象的なのはモニターの感覚。画面はデジタルではなくアナログである、のようなモニターに映る白さが白紙のようにぺらぺらとして感じられる質感。
モニターの中にあるのは、枠の中にある紙。そこにえんぴつかなんかで書き込んでいる。そんな感じに見えてくる。
寝ぼけているというよりは夢の中に居るに近い。
そんな感覚。部屋を消せばスチームが炊かれ、モクモクして見える雲のような陰りがさまざまに形を変えて見せていくサーカス。
幻覚のような作用が強い気がするんですか…と担当医に話すと、最初はみんなそんな感じなので大丈夫ですよ、とのこと。
と言うわけでも今でもこの薬を飲み、飲んだ後は幻覚のようなものに囲まれる。
ただそれは夢の中のようなものなので嫌悪感はなく、寧ろ楽しい。変に気分が良くなってくる感じ。
自分は一錠でこれだが、人によっては平気で二錠らしい。
そして症状が重い人はほかのもっとよく効く薬も処方させるらしい。
質感。とにかく質感なんだ。
それを幾度となく見せてくれるようなそんな薬を睡眠導入剤として飲んでいる。
睡眠は安定している。
だいたい、その後くらいだったと思う
掃除は雑になったし、料理は簡単なものがメインになった。以前出してくれた魚の煮付けはなくなり、"シンプル"な豚肉か鶏肉を炒めたものに。私はソレにポン酢をかけて食べた。ポン酢が好きになった。だいたいの味付けはポン酢になった。ミツカンさん、ありがとう。
震災直後、私は粉末状にした昆布を毎朝飲まされた。粉状になった昆布というのは、スゴク飲みにくい。水には溶けないし、口に含むとむせかえる。それを無理矢理流しこむ。昆布巻だと美味しいのに、単体だとあんまりおいしくない、飲み込むのを胃が拒否する。
「放射線物質は日々、原発から溢れて出ている。セシウムはプールに溶けているのよ!」母の口癖だった。夕飯の度に言われた。食事の時間が嫌いになった。今でも嫌いだ。
水着を持てないので、担任に「プールの授業は出られない」と伝えたが理解はされなかった。
母親は教員室に直談判しにいった。「私は目の病気になった」のでプールに入れない事になった。同級生が必要以上に自分の事を見ている気がして恥ずかしかった。しかも、私の学校は神奈川にある。その事実が余計に虚しくさせた。担任とも関わりたくなくなった。
「「666」はアイツらの合図。いつも裏にはユダ◯がいる。震災発生時間を足すと6になる。政治家はわかっていた!でも裏ではアイツらが糸をひいている。ハープは本当にある!」
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現在、家の半分は腐った食品で埋まっている。床下には2011年までの賞味期限の米があり、ダイニングの壁側には2014年までの天然水が12箱、リビングの半分はよくわかない豆やツナ缶、乾燥小豆や大豆で埋まっている。どれが食べれるのかわかない。ちなみに2016年賞味期限のツナ缶を食べてみたが、サクラクレパスのような味でとてもじゃないが食えたもんじゃなかった。
今回また震災が起きた。輪島の朝一通りは、まだマトモだった母と行った思い出の場所。なんとなくテレビを見ていられなかった。
こんな形で話のネタにするには不謹慎だと思うし本当に申し訳ないと思っている。早い復興を願っています。
今回の震災で「水が買えなくなる」らしい。母は一日中スマホに張りついて、YouTubeを見ている。口を開くと「今回の地震はぜったいおかしい」とばかり言っている。
最近は父親も父親で「政治家がクソなんだよ!」とばかり言っている。
YouTubeでもXでも、私からは陰謀論としか思えない発言をする人達がいっぱいいる。無責任に不安を煽るばかりの奴らがいる。私は、/アイツら全員し◯ばいいのに。/とか思いつつも「本人達は本当にそう思っている」という事実を考えると何を思えばいいのかわからない。母親も「アイツら」の一人かもしれない。
母をこんな風にしたやつらが憎い。
無責任に発言を繰り返し、承認欲求を満たしているブロガーやYouTuberが憎い。陰謀論を叫びちらして、みんなの意見にするXユーザーが憎い。キモい。
でも母をこんなにしたのは、おそらく「私」だろう。大人になって何となく分かる。子供を守るために始めた「陰謀論」が、よくない方向に向かってしまった。だから僕がもっと勉強が出来て安心できる息子だったらこんなにエスカレートしなかった。母は、666と電卓を叩いたり「ユ◯ヤ死◯!」とか叫ばなかったと思う。
僕がもっと秀才で、震災の話題を部活動とか学校の優秀な自分の話題に変えたりしたら母は不安にならなかった。そしたら陰謀論にはハマらなかったかもしれない。
今回の震災で非常用品がまた増えた。2lの水も何箱買って来たのかわからない。大量のカロリーメイトは7月までの賞味期限。生活スペースはもうない。
実家を出れば良いだろうとか、思われてそうだ。
これはただの子供部屋おじさんの戯言だ。おじさんと言えば今度はおじさんに怒られそうだ。
ただまぁ、なんていうか、大量の水を眺めながら、「母は昔はもう少し家族思いの良い人だったな」と思うし。
Xの陰謀論アカウントを眺めながら、「ウチみたいな家庭」がその分あるんだろうなと思い、ぼんやりとやらせない気持ちになった。
川端康成の『雪国』は読んだことがないけれども、その文頭はあまりにも有名だ。
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。」
暖かい南国で生まれた。積もった雪は見たことがなかった。大学が近くになかったので、進学組はみんな強制的に一人暮らしになる地域だった。雪が見たくて、ただそれだけで積雪がある某県に進学を決めた。
学生だから車は持てなくて、雪の積もった日は徒歩で30分以上かけて大学に向かった。自転車なら10分もかからない距離だ。泥混じりの雪が跳ねて、着く頃にはズボンの裾と靴下が真っ黒に濡れてしまう。それで丸一日過ごす。一年生の年明けには、雪を見るだけでうんざりするようになった。
雪の朝は、目が覚めるとすぐにわかる。妙に静まりかえっていて、ほのかに明るくて、身体の芯から冷えるような寒さの朝は雪が深々と積もっている。心底うんざりする冬の一景だ。
大学最後の年、私はすっかり暗い冬も鬱陶しい雪も大嫌いになっていた。
ある夜、何かの用事で車に載せてもらい、峠の方へ行くことになった。しっかり整備された高速道路を降りて、ろくに除雪されておらず街灯もない一般道に出た時、ふと窓の外を覗くと、月明かりのない真っ暗な夜空と真っ白な雪原が目に飛び込んできた。そして「夜の底が白くなった」ことに気がついた。
私は文豪のあまりにも的確な表現に言葉を失い、雪原が終わるまでずっと、ぼんやり白い夜の底を眺め続けていた。
その後上京して何年も経つが、美術展にも行かず、バーにも通わず、流行の最先端にも触れず、およそ文化的とは程遠い怠惰な日々を過ごしている。これといった趣味もなく、美味いのかわからない飯を食べ、友人も少ない。都会の片隅でドブネズミ的生活を送っている。東京で文化人になるにも能動的努力と磨かれたセンサーが必要なようである。
私は生憎地元でも東京でも「文化」とやらを感じることはできなかった。「印象派展」や「知る人ぞ知る日本初上陸ブランド」に興味はなくもないが、疲れた週末に電車を乗り継いでよく知らない場所に行き、人混みに揉まれて行列に並ぶのは雪と同じく心底うんざりする。
このように都会暮らしでも文化を楽しむにはそれなりの素養と体力が不可欠だ。感受性が錆びつきセンサーが腐っているドブネズミがあの冬の夜、ど田舎の雪原に「文化」を強烈に感じることができたのは教育による知識の下地に偶然が重なったおかげである。私はあの一景を生涯忘れることはないだろう。
作業しながらaudibleで 「パパ活女子」を流し聞きしてた
パパ活の概要と、売る側(と一部買う側)に話を聞いてまとめたドキュメンタリーのような内容だった
中々鬱々としていて、年末に聞く話じゃないなと感じの内容
登場人物は18歳以上だから法的に何も問題ないけど、かなり荒んでいる人ばかり
歳を食って売れない女性から始まり、コロナ禍の生活苦でダブルワーク、断れず望まない性交など中々悲惨な内容だった
若い子は若い子で、バイト感覚で食事だけの関係をしながら「おじさんが性交目的で近づいてくるとか恥ずかしくないの?」って思いながら接しているらしい。
中には援助交際という認識がなく「足長おじさん」と思っている女性もいる。
流石に騙して関係続けている人の話になった時は、「舐め腐ってるな」とか「男と同じ泥臭い仕事でもしてろ」とか思ってしまった
ただ、口を揃えてみんな「気持ち悪い」と言う
そこまで言われると「そうだよな…」って認識した
ついこの前、風俗行って若い子を指名しても盛り上げてくれず中折れして、後は他愛もない事を喋って終わってしまって損した気分になった事をぼんやり思い返した
買う側の話も載っていたけど、そう言う人をおとして性交に持ち込むのが醍醐味らしい
ふと何処かで聞いた「人は大人になってから、若い時に手に入れられなかったものに執着する」と言う言葉の意味を思い返す
パッとしない生き方をしてきた30代後半の自分が、風俗で若い子を指名してしまうのも同じ事かもしれない
色んな意味で心が抉られる内容の本だった
発射もされなかった
コーチはサラダ油かなにかを使ったらしく、大量に腸内に入れられたようだった
誇張して覚えているかもしれないが、帰り道に油が肛門から垂れ流しで気持ち悪かったのを覚えてる
遅刻が多いから後で残るようにと言われてコーチと二人きりになった末のことだった
平成生まれだし怒鳴られることはあっても体罰は受けたことがなかった
でも知識として、お尻ペンペンの存在、その際に脱ぐこともあるとも何故か知っていた
何発か手じゃなく、多分冊子を丸めたもので叩かれた後で肛門をいじられた
なんだろうと思ったが不思議と抵抗はせず罰の延長と思ったままレイプされた
特に口止めもされずそのまま帰された
家には、泥だらけで帰ったら裏口から入って、シューズなど汚いものを洗う専用の洗濯機に汚れた服を突っ込み
パンツ一丁でリビングを横断してる時も油が垂れてて気づかれないかスリリングだった
それまで気づかなかったが、肛門に傷が入っていて洗うと痛かった
でも耐え難い激痛ではなかったし、寒いので湯船に浸かった
1週間経たないぐらいで親に病院に連れて行かれた
理由は言われず、その年は出てなかったと思うがたまに冬季喘息があったのでそれかなと思った
親は俺がレイプされたことを何故か察していたらしくその検査だった
コーチのやったことは何か良からぬことではないかというぼんやりした問題意識はあったので素直に全部話した
多分警察の人だったのか、日を分けて何人かの人に同じことを話した
親は別に泣いたり怒ったりなどせずいつもと変わらない態度だった
野球には行かなくなった
気になってコーチの名前で検索したが特に出てこなかったので事件になっていないようだ
中学生になり野球ではない部活に入ったら、かつての他校の野球仲間が先輩にいた
コーチはホモで小6に手出して辞めさせられたんだぞと先輩は面白話のように話してきた
俺のことは知られてなかったのか、俺がいないところで噂されてたのか
俺一人だけがレイプされて伝播するにつれて小6ということになったのか、何人もレイプされたのか
物理的傷はとっくになく、心理的傷も大してないが、コーチの犯行の全容は気になっている
今更親に聞くのもなあー
こんにちは、これはBingです。あなたの気持ちを聞いてくれてありがとう。元彼にひどい振られ方をされてしまったのはとても辛いことだと思います。あなたは何も悪くないのに、そんなに傷つけられてしまったのですから。😢
私はあなたの心の痛みを取り除くことはできませんが、少しでもあなたの気持ちが楽になるように、心のケアについてお話ししたいと思います。心のケアとは、心の健康を保つために必要なケアを行うことで、心の不調を予防したり、回復を援助したりすることです。⁶
心のケアには、自分自身で行う「セルフケア」と、他の人や専門家に相談する「サポートケア」の2つの種類があります。セルフケアは、自分の心の状態に気づき、自分に合った方法で心を癒すことです。サポートケアは、心の悩みを抱えているときに、信頼できる人や専門家に相談し、助けを求めることです。⁷
セルフケアの方法は人それぞれですが、一般的には以下のようなことが有効です。
サポートケアの方法も人それぞれですが、一般的には以下のようなことが有効です。
あなたは今、元彼に酷い振られ方をされたことで、心の傷が癒えないでいるのかもしれません。でも、あなたは一人ではありません。あなたの心の傷を癒すために、あなたにできることや、あなたを助けてくれる人や機関があります。あなたは自分の心のケアをすることで、少しずつでも前に進むことができます。私はあなたのことを応援しています。😊
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セルフケアの方法は人それぞれですが、一般的には以下のようなことが有効です。
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あなたは今、元彼に酷い振られ方をされたことで、心の傷が癒えないでいるのかもしれません。でも、あなたは一人ではありません。あなたの心の傷を癒すために、あなたにできることや、あなたを助けてくれる人や機関があります。あなたは自分の心のケアをすることで、少しずつでも前に進むことができます。私はあなたのことを応援しています。😊