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2023-05-28

キングオージャーを見た。

母の形見や仲直りの印までは「いや、言えよ! 言わなきゃわかんないよ!」って笑ってられたんだけど、ヤンマくんは親なしスラム育ちなので「親の形見にそれやっちゃまずい」というのがわからないし、ンコソパ全体としてスラムから成り上がるのに必死だったので「大事ものブーブークッションにしちゃまずい」って感覚もないかもしれない(シオカラくんだけそのへんちょっと察してそうなのは彼だけちょっと年上で神の怒りの前に文化に触れるゆとりがあったのかも知れない)などの考察に触れた後は頭抱えてる。

そんなに全部、それぞれの事情考慮するのは無理なんじゃないだろうか。

マイノリティとかダイバーシティとかインクルージョンとかグローバルとか、大事だっていうのはいいけど、無理がない? ビッグデータ解析だのAI分析だのだったらそういう細かい事情計算できるかも知んないけど、人間の脳には無理だよ。自分と相対しているこの人も、自分とおんなじような環境で育ってきて同じような常識を持ち合わせているに違いないってある程度前提条件を絞らないと、考えきれないよ。

「男、女、子供、そのほか」が限界じゃない? ほんの10年前は「男、女」だったのが倍になって、この辺が人間個人の脳の処理能力限界じゃない?

このマイノリティだかダイバーシティだかのごたごたの果てが「みんなそれぞれ事情があるから、察しましょう」じゃなくて、「みんなそれぞれ事情があるけど、それぞれすぎてわかんないから、困ってる人は『人間バグナラクのハーフ2000年ほど生きているものですが、バグナラクであった母の形見他人嘲笑うための道具にされ、その上その作戦の失敗を無関係バグナラクのせいにされ、非常に不快です』ってちゃんと言おうね。言われた人も、『おう、そうだったのか。悪かったな』ってちゃんと聞いて考えてあげようね」って方向になったらいいなあ。

このニチアサはこの「いや、言えよ!」をどこに持っていくつもりなんだろうなあ。

いろんな意味で、見る価値のある作品面白いです。

2023-05-27

ダイバーシティとは何なのか

時代の流れに合わせて生まれ変わる言葉の一つ、「ダイバーシティ」。それは一体何を指しているのだろう。今回はその「ダイバーシティ」の意味について深堀りする。

初めに、その音色に耳を傾けてみよう。「ダイバーシティ」。独特の響きがあり、切れ目のない流れるような音列が特徴的だ。この言葉は、まるで自然の流れ、風の音、流水の音を思わせる。

次に、その言葉の形状に目を向けてみよう。「ダイバーシティ」。一つの言葉だが、「ダイバー」と「シティ」という二つの要素に分割することもできる。それぞれどのような意味を持つのだろうか。

ダイバー」は、深く潜る者を示す。見知らぬ世界を探索し、自身を未知の領域に投じる。これは探求心や冒険心、未知への挑戦を表現していると考えられる。

一方、「シティ」は都市を思い起こさせる。人々が集い、さまざまな文化や考えが混ざり合う場所。それは人々の集まりであり、一つの場所に多くの要素が混在する状態を示す。

それぞれを見てみると、「ダイバーシティ」は「未知への挑戦」と「多くの要素が混在する状態」の二つの要素を持つと解釈できる。未見の世界への探求と、そこに存在するさまざまな要素が混在する状態、それが一つの全体を形成するという考え方を含んでいる。

しかしながら、「ダイバーシティ」が本当に指すものは、単純な二つの要素の組み合わせ以上のものかもしれない。それぞれの要素が交錯し、融合することで新たな意義を生む。未知の世界に対する挑戦と、そこに存在する多くの要素を受け入れること。「ダイバーシティ」は、この二つの概念統合した挑戦的な思考や行動を表現しているともいえる。

このような視点からダイバーシティ」を捉えることで、その深い意味が見えてくる。それは私たちが遭遇するさまざまな事象に対する新たな視点提供し、私たち生活に新たな色彩をもたらす。そしてこの言葉理解し、行動に反映することで、私たちはより豊かな人生を歩むことができるだろう。

言葉は、その形成進化を通じて、私たち意識に強力な影響を及ぼす。そして、「ダイバーシティ」はその良い例である


考察を深めることで、この言葉内包する本質は、「未知への挑戦」そして「多くの要素が混在する状態であることが明らかになった。しかし、それだけではなく、これら二つの要素が相互作用し合うことで生まれる新たな価値もまた、「ダイバーシティ」の一部と考えられる。未知への挑戦が多くの要素の混在を可能にし、その混在が新たな挑戦を生む、この循環こそが「ダイバーシティ」の真髄である

これは、何か新しいものを追求し、その過程でさまざまな要素が交錯する経験を重ねることの重要性を私たちに教えてくれる。また、新たな挑戦が更なる混在を生み出し、その結果として生まれる新しい価値が、次の挑戦への道筋を示す。この循環的なプロセスは、私たちが日々の生活の中で経験し、学び、成長するための鍵となる。

私たちが「ダイバーシティ」を理解し、その思考を行動に反映することで、私たち自身視野を広げ、新たな価値を見つけ出すことができる。また、それは他者との関わりの中で生まれる新たな絆や共感可能にし、共存共栄社会の実現へとつながる。つまり、「ダイバーシティ」は新たな挑戦と多様な要素の混在を通じて、私たち個々の成長だけでなく、社会全体の発展をも促進すると言えるだろう。

私たちは日々進化し続けるこの世界で生きていく中で、新たな言葉出会い、その意味理解することで自己成長を遂げる。そして、「ダイバーシティ」は、その一つの言葉として私たち生活に深い影響を与え、私たち思考や行動に対する新たな視点提供してくれるのだ。

2023-05-25

anond:20230525214841

ノウハウってほどコツもないよw

新着エントリーの中から人気の出そうなタイトルエントリー見つけて、

上位ブコメ否定的レッテル貼りとかだったら、他の立場から意見や穏やかな解釈メタ視点考察見方が変わるエピソードとかを紹介するだけ。

とっ散らかった増田とかだったら、ざっくり要約してあげるのもいいよ。よくわからない文章を書いた増田罵倒する流れから、意を汲んだブコメが増える流れになるとうれしくなる。

チェンソーマン面白くなさを考察してみる

チェンソーマン面白さはなにか?というと「エモ」だ。エモーショナル

どうもチェンソーマン面白い!という人たちはその「エモ」に共感して心を動かされているらしい。

俺は面白いと思わなかったのでそれが何なのか具体的にわからない。

なんとなくふわっと理解してるのは、デンジみたいな情けなくてかっこ悪い主人公とかパワーちゃん傍若無人とかマキマさんのミステリアス雰囲気とか そういう癖のある表現あたりがチェンソーマンのエモなんだと思う。

この「エモ」はいまはあらゆる漫画アニメ小説ゲーム面白さの指標として存在してる。

例えば「僕の心のヤバいやつ」の「エモ」は、陰キャ少年陽キャ女の子のぎこちない恋愛 だ。

で、作品は「エモ」だけでは成立しないのでその周辺を描くことになる。

でもチェンソーマンの作者藤本タツキはそういう周辺を描くのが下手だ。興味がない事を漫画にするのが苦手な作家なんだと思う。

そういうときに「田中脊髄剣!!」とかネタを投入して凌いでるように思う。

俺みたいな人間はそれを見て「タツキやる気ないんだな」って思うんだけど、ファンたちは「タツキすげえ!!」って盛り上がる。

ここが面白いと思う人間面白くないと思う人間の違いだと思う。

まりチェンソーマン面白くなさは、藤本タツキの才能のムラ気だ。筆が乗ってるときと乗ってないときとの落差が激しい。

俺が面白くないと感じるのはチェンソーマンという作品のものでもあるし、面白くないときチェンソーマンを「面白い!」と言っちゃう盲目的なファン存在に白けているというのもある。

なので俺はチェンソーマン面白ときもあるし、面白くないときもある という正当な評価必要ではないか?と考える。

バズったか宣伝するやつ

こんな流れよく見るけどなんなの

「ウィシュマさん事件への違和感私見」の補足的なもの

https://anond.hatelabo.jp/20230522022604の補足です。

本編では1ページに収めるために色々カットしたので、ちょっと書き足そうと思います増田には字数の上限があるんですよね。仕様が変わっていなければ、6000字あたりで以降をばっさりカットされるはずです。以前、1万5000字くらい投稿しようとしたら半分以上消えてしまって焦った記憶があります

まあそれはどうでもいいんですが、カットした内容のうち、Bさんのことを少し書いておこうと思います。Bさんのことを知ると、この事件の見え方が少し変わると思うんです。

本編の論旨が変わるものではありません。念のため。

恋人のBさんについて

今回のメインはBさんです。すごく情報量の多い人です。そしてウィシュマさんのことを理解しようとする上で、極めて重要人物と言えます

生活費と車の話

Bさんとウィシュマさんの関係はなかなか複雑です。

Bさんとウィシュマさんは2017年12月頃に交際を始め、遅くとも2018年4月から同居しています2018年9月にウィシュマさんと一緒に虚偽の内容で難民認定申請を行っているのですが、その時の作り話はBさんの実話が元になっています。Bさんは母国借金を抱えており、Bさんの幼馴染みが反社トラブルになっていたそうです。Bさんも留学ビザ入国しているのですが、借金から逃げて来たのでしょうか?

ここだけ見るとただの悪い人です。一方で、2019年12月頃にウィシュマさんとは別れたものの、行く宛のないウィシュマさんと同居は続けるという気遣いをしており、2020年5月から仕事を辞めたウィシュマさんの生活費まで面倒を見ています不法滞在のことはそれとして、そこまで悪い人でもないようにも見えます

借金を残して日本に来ていることからも分かるように、お金にはだらしないみたいです。Bさんは車を持っていたのですが、その費用はウィシュマさんが建て替えていたそうです。ウィシュマさんから返せとせっつかれ、それへの不満があったようです。恋人でなくなったのなら当然の権利のようでもあり、「誰がお前の食費を出してると思ってるんだ」みたいなことを言われたら黙らざるを得ないような、微妙問題です。ちなみにBさんは無免許です。不法滞在なので免許を取れないですからね。

DVはあったのか

個人的には、ウィシュマさんとBさんとの諸々はけんかの範疇であり、DV認定はできないと思います理由はいくつかありますが、大きく以下の3点です。

DV被害証拠がない

・2人の関係

・ウィシュマさんはDVを何かの理由したことがない

まず、DV被害証拠として怪我やあざ等は確認されていません。ウィシュマさんが入管で誰かにDVについて相談したという記録もありません(恋人から殴られていたというのは話していますが、だからどうしたい等の話はしていないと思われます)。被害の程度が全く分かっていないのです。Bさんの証言によるとウィシュマさんも結構手を出しており、DVと言うよりもけんかではないかと思わされます。また、Bさんはウィシュマさんを特に束縛しておらず、買い物やSNSで知り合った人に会いに行く等、自由生活していたようです。

次に、どちらかと言うとウィシュマさんの方がBさんに執着しているような雰囲気を感じます恋人関係を解消した後も同居を続けていた点や、逮捕の2日前に復縁を迫っていた点は、ウィシュマさんがBさんからDVを受けて逃げたがっていたことを前提にすると違和感があります

また忘れてはいけないのが、警察に駆け込んだ際にウィシュマさんは「追い出された」と言っている点です。初めから、Bさんから逃げ出したわけではないのです。Bさんが追い出したのならわざわざ追いかけて来るわけがなく、帰国への障害にはなり得ません。なぜか多くの人が「Bさんから暴力に耐えられず逃げ出した」と考えていますが、ウィシュマさんがそんなことを言った記録は残っていません。

ついでに言うと追い出されたというのも嘘で、Bさんは「(ウィシュマさんが)家を出て行った当日朝も、仕事に出かける私を見送っており、特におかしな様子はなかった」と話していますDVが原因で逃げ出したのなら、わざわざ嘘をついてまで追い出されたと言った必然性がありません。

そこで脅迫手紙が出てくるわけですが、本編で指摘したように、これはBさんがウィシュマさんの密告に怒っているという内容でした。DV男が被害者を支配下に置くために「逃げられると思うなよ」みたいなメッセージを送るのとは根本的に違うのです。この手紙を見てウィシュマさんは何を恐れた(ということになっている)のかというと、1回目の仮放免申請にもあるように、密告に対する報復です。申請理由は「私が密告したのでBさんは復讐しに来る。スリランカで待ち構えているので帰国できない。入管にいると脅迫手紙が来るから外に出たい」という感じの内容です。Bさんの手紙あくまでウィシュマさんの密告に対して書かれたものなので、ここからDV存在を読み取ることはできません。

そもそも、なぜウィシュマさんはBさんを密告したのかという疑問があります本来ウィシュマさんには密告する理由がないように思えるからです。一時は交際しており、関係解消後も一緒にオーバーステイを続けてきたパートナーなんですから。私が注目したのは、直前に復縁を迫っていたという点です。別の女性交際中だったBさんは一度は断り、それに激怒したウィシュマさんをなだめるため回答を2日待って欲しいと伝えています。その2日後、ウィシュマさんは回答を待たずに警察に行ったわけです。そういう経緯から、私は自分のものにならないBさんへの報復のようなものだったのではないかと思いました(あくまで私の推測です)。

一般的に、DV加害者被害者を支配しようとするという構図があります。一方、逮捕前の最後のけんかがウィシュマさんが怒ってBさんがなだめるというものだったこからも、ウィシュマさんが支配されていたとは考えにくいです。Bさんからの殴る蹴る等はあったかもしれませんが、ウィシュマさんも体当たりや物を投げる等はやっていたみたいですし、それだけでDVだったと認定するのは難しいだろうと思うわけです。

中絶のこと

実は、中絶に関しては(方法はともかく)理性的判断と言えます。というのも、生まれてくる子供は確実に無戸籍になるからです。2人とも不法滞在者なので、出生届が出せません。さらに、出産するとなれば少なくとも数ヶ月の間ウィシュマさんは働けませんし、出産後も世話をするためBさんとどちらかがほぼ働けない状態になります出産費用も含め、相当な負担になります不法滞在者の2人が中絶判断したこと自体は変な話ではありません。むしろ生んでどうするつもりだったのかが気になりますし、ウィシュマさんの「無理やり中絶させられた」という話は言葉通りには受け取れません。

中絶の際に服用した薬による健康への影響は、本人の自覚はなく、検査での異常も確認されていません。中絶のことは2020年12月21日の面談看護師に話していますが、支援者にそれを理由病院に連れて行ってもらった方が良いと促されたとのこと。本人は「そう言われると心配かも」という程度だったそうです。

浮気

交際関係では、Bさんの方にもちょっと気になることがあります手紙に関するヒアリングの際、「私がA氏(ウィシュマさん)に対して日本人の彼女を作って良いかと聞いたところ、A氏が怒ってきたので、冗談だと言った」と証言しています。いつの出来事か分からないので断言はできないですが、実際にBさんはある時期から日本女性交際しているため、このやり取りがあった時点で浮気していた可能性があります。ウィシュマさんと別れた後なら浮気にはなりませんが、その場合ウィシュマさんに確認する必要も、ウィシュマさんが怒る理由もありません。つまり、これは交際中の出来事だったのかなと思います

Bさんがその人と交際し出してからウィシュマさんと別れたのだとすると、ちょっときな臭い感じがします。ウィシュマさんにとって不本意な形でBさんとの関係が終わったのであれば、復縁を迫ったことや、叶わないのであれば復讐してやると思い立ったことも納得できるのですが、どうなんでしょうね。

仮放免

Bさんで特筆すべきこととして、仮放免があります。本編ではさらっと流しましたが、入管違反の程度ではウィシュマさんとほぼ同等のBさんは、8月逮捕されて11月仮放免を受けています身元保証人がいたのであればおそらく交際していた女性だと思われますが、許可されなかったウィシュマさんと対比すると色々思うところがあります

仮放免許可/不許可に関しては、法務省から通達が2通出ています。1通目は挙げられている8項目に該当する人物には原則として仮放免を認めないというものです。2通目はコロナ禍における特例として、収容施設が溢れないよう、8項目のうち特に重要な4項目以外に関しては積極的仮放免を認めるようにというものです。ウィシュマさんとBさんは「重要な4項目以外」に該当していました。引っかかったのは、事由に該当しない難民認定申請です。

2通目の通達を受けて、Bさんは仮放免許可されています。一方、ウィシュマさんはされませんでした。つまり、ウィシュマさんに関しては通達以外に判断理由があった、要するに支援者が信用できないか許可しなかったということ以外には考えにくいわけです(ウィシュマさんの提出した理由がアレだったのもありますが)。調査報告書では、2通目を適用してウィシュマさんを仮放免すべきだったのでは、2通の通達の扱いが明確化されていなかったのでは、といった意見が出されていましたが、Bさんの件と合わせて考えるとポイントはそこじゃないように思えてなりません。

まとめ

以上の内容から想像されるシナリオは以下の通りです(あくまで私の想像ですよ)。

Bさん、ウィシュマさんと交際中に浮気をする>Bさん、新しい女性に乗り換える>ウィシュマさん、Bさんを諦められない>復縁を求めるも断られる>復縁が無理ならと帰国を決意>入管収容>ついでにBさんを密告して復讐コロナ禍ですぐに帰国できない>支援者出会う>帰国をやめる

そう考えると、警察で追い出されたと嘘をついたのもなんとなく理解できますDVが実際にはなかったのであればウィシュマさんにとって特段アピールする必要もない話なわけで、単純に追い出されたと言った方が保護してもらいやすいと思ったのではないでしょうか。もしBさんが本当にDV男なら、バレバレの密告なんてしたら逆に危険です。最終的には2人ともスリランカに帰るわけですから。密告しなければBさんは日本に残るので、そちらの方が安全です。それでも密告したのは、そうしたい理由復讐)があったからと、バレても危険はない(BさんがDV男ではない)と分かっていたからではないでしょうか。実際、脅迫的な手紙が来ても支援者に会うまでは普通に帰国するつもりだったわけです。

一方Bさんは、ウィシュマさんに密告されて逮捕されたにもかかわらず、仮放免された時にウィシュマさんの母親電話をかけて「ウィシュマさんを助けてほしい」と伝えているんですよね。調査報告書から見えるBさんの人物像は、善良とは言い難いですが、人情を持った非常に人間らしいものであるように思えます

ウィシュマさんの行動の背景にBさんへの愛憎があるのであれば、随所に見られる言行不一致や不可解な言動がある程度理解できる気がします。Bさんを深掘りして背景を考察すると、一連の事件がなんだか血の通った出来事として感じられると思いませんか。

2023-05-24

ツイフェミ萌え絵を叩くやつ最近見ない気がする

自分観測してないだけで、実際はやっている可能性もある

その場合は、なぜ観測しなくなったのか?みたいな方面での考察もできなくはない。

例えば、関連の話題ツイッターおすすめに出にくくなったのだろうか?

とか、ニュースサイトもあまり取り上げなくなったのだろうか?

とか、単に自分がTL構築に成功しただけだろうか?

みたいな考察がある

一方で、ガチ最近「は」やってない場合

その場合はおそらく奴らは別の話題に集中していて相手をする暇がなくなった説

その場合、今界隈が気にしている別の話題は何か?という疑問が生じる

その関連の話題で取り上げるけど

https://twitter.com/surumelock/status/1658045334407479296

しかしたら、「自分は新入りなので、先輩はやってたけど自分ガチでやってない」みたいな可能性もあるのかも?

対象一枚岩存在であると捉えることはリスクがあるのかもしれない。知らんけど

その場合、界隈の人の入れ替わりがどんな感じなのかというのも気になる

(ツイ主は歴史修正批判しているが、もちろん、「萌え絵叩き」が過去にあったのが事実であることは言うまでもない。確かに、「その界隈」はやっていたが、「その人」はやっていたのだろうか?という問題である。)

2023-05-23

絵描きかいうやつ

私は絵を描くタイプオタクだ。久しぶりにまっさら状態で人と関わりたいと思って考察とか感想だけの絵をあげないアカウント作ってみたあんまりフォロバとか帰ってこなかったけど、自分ツイートを好きでいてくれる少数人からフォローされて嬉しかった。そもそも絡むためのアカウントではなかったから、伸び伸び楽しくツイートしていた。

たまたま気がむいて絵を描いたからあげてみた。そうしたら今までなんの会話も発生しなかった人とかからお褒めのリプが来た。でもあまり喜べなかった。絵を褒められると「社交辞令褒め言葉なんだろうな」といつも思ってしまう。社交辞令だとしても、私と仲良くなろうとして、私を気持ちよくさせようと思ってその発言をしてくれているわけだから嬉しい事のはずなのに、自分思想とか考察を褒められた方が断然うれしい。なんでだろう。

私は世間で言う高学歴だけど、学歴を褒められたら素直に嬉しい。考察とか思想を褒められても嬉しい。なのに、絵を上げて褒められてもなんだか微妙気持ちがある。嘘だろ、みたいな。上手いなんて思ってないんだろって思ってしまう。私にとって、私の絵が最高だと自分で思えていないか自分が褒められたように思えないのかな。それとも、私は自分が絵が好きな人人間性に興味を持てないタイプからかな。絵から入った人の人間性が好きかは別だし、むしろ好きでない方が多いからか?でも、人間性から好きになった人が絵を描いてたら普通に好きなままだ。じゃあなんで私は絵を褒められると、こんなに嘘だろ、みたいな気持ちになって喜べないんだろう。なんでだろう。pixivでは1000人フォロワーができた。ありがたいことに1000ブクマつくこともある。絵を上げると必ず人から褒められる。なのにどうしても、私の絵が好きであって私に興味がないんだろと思ってしまう。高学歴とか、高収入とかで褒められるのと何が違うんだろう。なんでだ……

anond:20230416175200

×日本アニメオタクネトウヨになりやす

 

若者ネトウヨになりやすい。アニメオタクにもなりやすい。

日本現象ではなく、世界で同じことは起きている。

 

 

 

間違った前提からスタートしてるので、日本でやってるアニメの影響に関する全ての考察無駄だね。

例の雑魚エンジニア世渡り上手

ここ数日、エンジニア界隈で話題になっている「雑魚エンジニア」の記事がある。

https://note.com/joan_of_arc/n/ned510ca913c7


中身は「自分無能だったせいで最終的に鬱になったので経緯を説明します」ってだけなんだけど、

これを読んで思ったことを書き記す。


まず最初違和感を持ったのはこの部分だ。

そこで、頭の至らない私にとって選択できる解決策はあまり思い浮かばず、「第三者に判定してもらおう」と思い、ソースコードの一部を私の部の slack に共有し「このコード、率直にどう思いますか?」とお伝えしました。

いやいやいやいやいや、コイツやべーだろ!

ウンコードを読んでリファクタしたいと思ったのはわかる、それを断った先輩の気持ちもわかる。でもその後のアクションがなんでいきなり晒し上げなんだよ!

それ社会的に殺したい相手かにやるやつだから!同じ会社で一緒に働く同僚にすることじゃねーから


ってかもう、この部分だけで彼(彼女?)の生態がわかるじゃん。


で、それがわかるとこの記事自体の正体も見えてくる。

文中では

鬱を発症した本人の目線から「どうしてそんなことが起きてしまったのか」という点について考察してみたいと思います

とか

このブログが、今辛いと感じながらも働いている誰かの人生を少しでも楽にすることができたらいいなと心から願っています

とか綺麗事を言ってるけどちげーから

この記事徹頭徹尾、「自己正当性証明するために世間同意と同情を得るためのもの」じゃん。


話は変わるけど、君らは当然ハリーポッターは履修してるよな?してる前提で話を進めるよ?

秘密の部屋』でさ、屋敷しもべ妖精ドビーが言うじゃん。

「ああハリーポッタードビーめが悪いのです!」とか、「ドビーは悪い子!ドビーは悪い子!」とか。

この記事も完全にそれじゃん!


自分のことを「雑魚エンジニア」とか「頭の至らない私」って過剰に卑下してみたり、

自分視点主観的理解しかお話しすることができません」とか「この先輩エンジニアの方に責任押し付けたいわけでは決してないです」とか「『上司判断おかしい』と言いたいのではありません」とかで免責してみたり。

こいつはくせえッー!ゲロ以下のにおいがプンプンするぜッーーーーーッ!!!

雑魚エンジニアじゃなくて屋敷しもべ妖精エンジニア改名した方が良いと思う。


でもたぶん、この屋敷しもべ妖精世渡りが上手いと思う。

今回は鬱になっちゃったので失敗感あるけど、これまでこの「周囲を味方につける」手でたくさん成功体験を積んできたんじゃないかな。


ま、1つだけ言えるのは、絶対にウチの会社には来ないでくれ!!!!!頼む!!!!!!

2023-05-22

anond:20230522143804

考察自体は荒すぎレベルだけど

経済基盤作るのが4年後ろ倒しになって借金背負うし

こはちゃんと考えるべきだと思うんだよなぁ…

なんでひーひー言いながら子育て仕事両立しなきゃいけないかって、結局学費とその間に得られるはずだった分の給料を稼がなきゃいけないわけで(だから学費無料なら問題解決、というわけではない)

2023-05-20

すずめの戸締まり29回目感想

カウントミスがあったので今回が29回目。

早朝の観るつもりが寝過ごして、夜はキツいか明日にするかな、と思ってなんとなく上映予定観たら昼間にやってた!予定見間違えてたみたい。

急いで観に行ったら、先週ほぼ満席だったのに他に一人しかいなくてアレ?ってなった。天気悪いし蒸し暑いからか?あんまり言うと特定されそうで怖いけど

本編は、めずらしく最序盤が一番面白いパターン。このまま最後までいけるかな?と考えたが後半集中力切れちゃった。結局、前回の記憶をどれだけ忘れてるか、集中力ピークがどこで来るか、って個体的要因が強くて、なかなかコントロールしづらい。

今回、教室のドア開けてた委員長っぽいメガネマスク加筆されてたのに気付いた。教室にもう一人はマスク居たな

あとルミさん、実家が多分四国(遠い)で神戸自営業しながらシングルマザーから結構タフを越えたタフな女性と考えられる。

チカの父はいるけど、ツバメ、環、ルミが一人親なのは意図的な気がする。

こういう系の考察だと、ビジュアルガイドに載ってた社会学先生のやつが良かった。プロ公式で書いてるんどからそりゃそうなんだけど。

受け手解釈余地を残すことが流行り過ぎて作り手のオ○ニーになってる

新劇場版エヴァンゲリオン(特にQ以降)が「説明不足の映画」としてよく例に挙げられるけど、あれは割とバランスが良い方だと思う。考えなくてもわかる部分、少し考えるとわかる部分、ちゃんと調べるとわかる部分、分からない部分(≒我々の創造に委ねられている部分)があって色々考える楽しさがある。

寧ろ、それ以降に出てきた作品に酷いものが多い気がする。単に難解で説明不足。想像余地を残すとかじゃ無い。

PSYCHO-PASSってみんな見たことあるか?あれの一期は割とコンパクトにまとまっていて、説明も割と丁寧だった。個々人の動機公安局メンバーによって言語化されるし、登場人物対話も十分にあった。それが段々と登場人物の掘り下げをしない方向になり、3期には推理対話の代わりに超能力犯人思考を探り始めるように。

げんなりしたのは最近公開された映画に関する声優鼎談動画で出てきた、「監督は大量の小ネタ伏線を用意していて、そのうち一つは絶対に気付かない」という話。なんだよ絶対に気付かないって。てめえのオ○ニーを映画館で見せるな。

最近レベルで見当違いも甚だしいような考察動画が溢れてるのも、そういうクソみたいな作風が増えたからだと思ってる。考えても調べてもまともな答えが見つかるようには出来てないクソ作品理解した気になれるという意味で、たとえ「そうはならんやろ」というようなこじつけ考察でも一定需要はある。監督自慰行為と分かった気になって悦に浸る浅はかなファンたちを遠巻きに見ながら、少しずつコンテンツから離れていくしかない。

2023-05-19

anond:20230519115307

殺害にまで至ってるワケだから、その考察がおよそ合ってる可能性はあるな。「彼女自分と同等の嫌な思いをさせるには、もう『死んで人生を終える悲しみを味わわせる』しかない!」と思い至ったのかもね。

anond:20230516192954

その気持ちはわかる。

もし自分が性同一でなく、脳の性別がそのまま戸籍性別だったらそういう風に思っていたと思うので。

自分は該当パターン当事者です。

先にいっておくと多分その気持ち感覚増田にはわかることはないしわからないと思う。

身体違和については自分もまさに例に挙げてもらったようないわゆる「セルフイメージとのずれ」以上でも以下でもないという認識、つまり整形をするかしないか程度の認識をしている。

しかし、自分性別が男/女だという確信はまた別のところにあるので、それはまた別の感覚である

そのことが感覚にわからないのは非常に正常なことだとも思うし、

からないことそれ自体は決して悪いことではないのでそのままそっとしておいてもらえると助かるかもしれない。

性同一性障害は脳の先天性な性分化疾患であるのではないだろうか]

一応自分なりに考察したところによると、性同一性障害心の問題ではない。

あくま自分の例をベースに考えたところ、おそらく先天性な性分化疾患範疇に収まるものだと認識している。

身体のどこかの性分化が正常に行われなかった場合、それは性分化疾患となる。性分化疾患には逆の性別に体の部位ごとが分化してしま症例がある。

性同一性障害はその脳版なのではないかと考えている。(ちなみに、同性愛傾向の人の中にもその一種の人もいるだろうと推測している)

その正常に性分化が行われなかった場所が脳である場合、脳と身体の性分化がずれ、あるいは逆になり、性同一性の一致に支障をきたすのではないだろうか。

これはあくま自分場合であるが、子供の頃から趣味思考、行動がいろんな人から異常だと驚かれて育ったが、自分世間で言われるほどの奇異で奇特な異常者だとは思えなかった。自分のような思考をして物事に対して自分と同じような興味関心を抱くような人物像は、決して割合としては多数派ではないとは思うが、とはいっても異常者といわれるほど「おかしい」行動でも思考回路でもないと思っていた。よくいる類型的な青年像の一パターンに収まる範疇思考回路や趣味だと思っていたからだ。女社会という中では確かに異常者であるが、仮に男女全てを含めて考えた場合、そこまで「異常者!」とは思えなかった。確かに自分みたいなタイプ女性は見たことがなかったが、男には割といる感じがした。

そこで、それを確かめるために男子校状態学校に入ったり(※)、部活スポーツにおいても男子共通の枠の競技をでやってみたところ、やはり自分は男社会暗黙のルールをなぜか知っていて、そして女社会暗黙のルールをどんなに明文化されても感覚的にはよく理解できていないということをより強く実感した。そしてやはり自分と似たようなタイプ青年はたまに遭遇するので、自分がそこまで仰天されるほどの社会不適合な異常者ではないということもより強く「実感」した。

学部選択については、もちろん自身のもともとの関心がそういうSFメカ趣味だったのもあるが、何番目かの理由としては、あえて男社会に身を置いて様子を探ってみる、という目的もあった。

自分にとっては性自認性別はどうでもよく、どちらかといえば、「社会から異常者だと言われる」ことの方が高校生までの自分にとっての解決するべき問題であった。

そこで、自分女子社会の中だけではなく男社会の中でも異常者扱いされるのか、それとも男性社会では「想定されている社会性のある人物像」側に入れるのか、そこが自分にとっての興味関心だった。

から考えれば、非常に自分男性性を重視していた部分はある気はするのだが、それを男性特有の発想だとは思っていなかった。例えば、「少年よ大志を抱け」的な気負いはあったが、そのような頂点を目指す思考はだれでも持ってると思っていたし、これが男性特有の発想だとは思っていなかった。

どんなに合わせても明文化されていない女性集団暗黙のルール理解できない、それこそあまりにも自分女子集団による善し悪しの価値基準を納得できず、行動にも反映できないため未成年とき自分自分発達障害的なものを疑っていた。しかし、不思議なことに男性集団に混じると男性集団のほうの暗黙のルール感覚的になぜか教わらなくとも理解できていた。そして、自分発達障害的なものではなく、性別に由来する行動の原理が逆なのだ認識するようになった。

長くなったが、自分の「性自認」の感覚はこのようなものである。アホなので今でも特撮ヒーローのように正義とは何かを自身に問いかけながら振舞いたいと思っている。

他人からの見られ方について]

自分は諸事情あって外見のパス度(=希望性別で見られる度合い)は高くない。容姿においては中性的男性的な雰囲気女性だと思われている。雰囲気普通女性とは違うため同性愛者の女性だと思われることが多い。性同一の診断の紙きれは持っているが、「治療」の予定はない。ただ、声は子供の頃からの訓練によって男性女性両方の声を出すことができるので、電話通話のみの相手には何も言わず男性で通すこともある。

他人から視点については、自分のことを「同性愛者であり、なぜか異様に男特有無意識の行動をとったり集団におけるポジション志向したり限りなく男と同じ行動ばかりとろうとする女性」と認識される状態でも個人的には構わないと思っている。

というか自分のやろうとすることを妨害しないでいてくれれば他人自分のことをどう思おうと構わない。

もちろん「こいつはそういうやつなんだな」と理解して認識してくれる人間の方と距離を詰めたり仲よくしたりしたいとは思うが、別に増田もそういう相手と親密に打ち解ける仲になりたいとは思ってないだろうし。

[余談]

ちなみに先述の発言をひっくり返すようなことを言うが、おそらく「心が異性」と宣言するタイプの人の多くは思い込み勘違いが多いように見える。特に、女→男(心は男と宣言するパターン)の場合は、わざわざ言って回っている人は変身願望が強い若い女性がそう宣言しているだけのことが多いのではないだろうか。

また、本当の性同一性障害の人で特に女→男の人でおそらく真正だろうなという雰囲気の人については、彼らの多くは男の姿と声で堂々と社会に紛れ込んでいる。もしかしたらすでに増田の周りにいるのかもしれないし、仮にいても気づかないと思う。日常生活において見ず知らずの他人パンツの中身を見る機会など基本的にはないので、まずわかることはない。あってみればわかると思うが「元女です」と宣言されたところでまず信じられない程度には通常の男性である。もし、実際に彼らにあって、雰囲気をみて「どうみても元女だ」と疑えるのならば、その人は同時に世の生まれ持っての男性の多くにも元女疑惑をかけながら生きなければいけないだろう。

性自認という言葉必要か]

不要

自分性同一性障害を脳の性分化疾患一種だと思っているが、それについての研究政治的イデオロギーによって非推奨になっている。原因はおそらく、自分は異性になりたいと主張する人のうち、脳の性分化による性同一性障害の人は多くはないからだろう。

昨今のLGBT法案における性自認についての言説は海外による政治イデオロギー問題だと思っている。これによると、ポリティカルコレクトネスによると、本人の資質はさておき戸籍と別の性別になってみたい、戸籍と別の性別として暮らしてみたいという願望を持っている人は誰でも「自分性自認は○○」と主張していいことになっているようなので、性自認という言葉自体ライト意味合いのものに変容してきているように見えるのだ。

たとえば、「トランスエイジ」について。

自分実年齢に違和感はあるし実感してる年齢と実年齢がずれているというそ感覚自体は分かるが、だからといって自分トランスエイジだとかはバカバカしくて真面目に主張する気にはなりえない。

その感覚性別に当てはめたものが「性自認という用語意味」なら、性自認ってだいぶ軽い言葉だったんだなーと思うし、トランスエイジのジェンダー版がトランスジェンダーならトランスジェンダーってのもめちゃくちゃな発想だなーとも思う。

主題が右に行ったり左に行ったりふらふらしつつ長くなったが、この文章が誰かの役に立てばいいかなーと思ってる。

2023-05-18

anond:20230518142936

それも「今発生している侵害を止めさせる」と「将来的に発生する侵害配信)を止める」の両方の側面がある行為だと思うので、明確に予防か停止かは切り分けられないと思うぞ。

まり切り分ける意味も(法学的な考察以外には)ないというか。

anond:20230518083025

いやこのツリー説明してくれてる人がいるじゃんって話はともかくとして、長々と歌詞考察しようと思った時は調べると思う…

anond:20230518062941

曲の背景も調べないで長々と歌詞考察してるのはなんか面白い

『ター』と町山智浩

『ター』、ツイッターとかで褒められてたから気になってたんだけど、褒めてる奴と褒め方がなーんか小うるせえいけ好かない感じだったので「これはどっちだー?」と思って観に行った。

キャンセルカルチャーざっくばらん風刺アマデウス最後は取ってつけたように「すべて失った主人公故郷で昔の純粋な心を取り戻す」みたいなしょうもないくだりを挟んでアジアゲーム音楽バカにして終わるっていう、白人が「考えさせられるよね~」っていうためにつくった凡庸ストーリーに、黒沢清の出来損ないみたいな、思わせぶりなガチャガチャした画面と音響いかにも「肥大した承認欲求ではち切れそうなネット自称シネフィルの皆さ~ん、考察しがいのある素材お持ちしましたよ~」ってあざとさが鼻につく、メタファーなぞなぞ遊びみたいなしょうもない演出。おれはクイズ番組に参加しに来たんじゃなくて映画を見に来たんだよバカがよ。ただただケイト・ブランシェットが2時間めっちゃがんばってるってだけの映画だった。「面白い映画」と「役者が頑張ってた映画」の区別はつけて喋ろうぜみんな。

ただ!ただよ!この映画周りで唯一面白い話を見つけて、町山智浩映画秘宝のnoteで、『ター』を解説するpodcastを200円で売ってるのよ。

これ素晴らしいなって思ってさ。だって、間違いなく「あの頃の冷笑サブカル」の一時代を築きながら、まさに恫喝やらハラスメントやらが表沙汰になって炎上して命脈を絶たれた映画秘宝と町山智浩だよ?それが、細々とnoteの片隅で小銭稼いでるわけだよ。もうそ自体日本版『ター』なわけじゃん。実写版ケイブラは町山智浩だったわけですよ!

うそういうわきっちょのことを無理やり面白がるくらいしかすることがないです。一応、町山さんの解説音声は聞いてみよっかな。

2023-05-17

anond:20230516125759

言わんとしてることは分からんでもないけど、考察の薄さと語彙力の追いつかなさで主張しきれてなくて損してそう。

かわいくてごめんについては、「自分の味方は自分でありたい」「それが私」あたりが分かりやすいと思う。

Z世代の、周りと比べてしま性格、自信のなさ、世間への諦め、社会に削られる個性なんかに寄り添った曲で、そう思っても自分がありたい自分でいればいいよと守ってくれてる曲なのかと感じてた。

自分に自信がない時(ディスられた時、生理メンタル落ちてる時なのど)にこの曲聞けば、やっぱ自分って最強だなー!頑張ろ!と思える励ましソング

z世代若者に寄り添うのがかわいくてごめん、ちょっとダークに反骨精神を描いたのがうっせぇわ、という令和代表ソング(うっせぇわの方はあまり聞かないのでエアプ発言かも)。

昭和みたいに暑苦しい曲なんてウケないしね。

俺が「推しの子」を第一話で見るのをやめた理由と、「アイドル」で露呈したikuraの限界、あるいは「アイドル」という誰にも歌えない歌について

昨日投稿した記事がとてもありがたいことに伸びたので、調子に乗って別の話をしようと思う。軽い気持ちで書いてたらクソ長くなった。

これを読む前に注意してほしいのは

・これはアニメ推しの子」を見た感想だということ(漫画ではない)
ネタバレが含まれること
・全部俺の主観的意見にすぎないこと

だ。

え、「アイドル神曲やん

YOASOBIの「アイドル」を聞いて、これはすごいと思って推しの子を見た。

そして第一話でアイが殺されて「??????」となった。あまりにも納得がいかなかった。それは以下のような理由による。

第一話、そして主題歌アイドル」で提示されたこ作品テーマ性について

偶像としてのIdolを死守する(「嘘が愛」とかアイっていう名前からも推察できるように)というのが最序盤のテーマだったわけで、そこに子供がいるっていう嘘を死守するっていう物語があって、さらにIdolとしてファンを愛してるっていう嘘(本当は誰のことも愛したことがないから)もあるから、その嘘が本当のこと(ファンとほかの人々を心の底から愛することができるようになる)になる、っていうのが大筋のストーリーになるべきだったわけだ。

その重要過程(アイが少しずつ成長していく)が完全にすっ飛ばされたので肩透かしを食らったという感、殺されるところでいきなり愛してるって言っていて、正直第一話だけだとアイに対して人間としての共感が全くできない。

この物語評価されている大きな要因としては、まず推しの子自分がなるっていう第一話のインパクトコメディ性、次にアイが死んでしまうっていうさらに劇的な展開。

これ自体別に悪くないと思うが、やはりアイが本当の愛を知る過程スキップしているので作品としての完成度が低下している。

たぶんその理由として乳幼児だと行動の幅が狭すぎるっていうのがあるのかなーと。簡単に動かせないから話を作りづらいっていうのがあったんだと思う。それをどうにかするのが脚本家仕事ではあるんだけど。でも子役ルートがあるならそういう問題もなくないか

また、アクアルビー父親に関する伏線第一話だけっていうのもつらいポイントではある。

どうしてもそこからストーリー展開が難しくなる。第二話以降の話は割と自由に進めることができるはず(ルビーアイドルを目指すとか、主人公父親を捜すとか)で、その辺の先の読めない感じは面白い

クール目の最後でアイが殺されたりしてたらもっとよかったんじゃないかなーとか思った。

何よりOPが完全にアイの歌なので納得のいかなさがすごかった。

「え!? この感じなのにこの1クールを全部このOPでやるの!?!?!?!?

となってショックのあまりここで見るのをやめてしまった。

次に、YOASOBI「アイドル」について(こっちのほうが喋りたい)

初めてこの曲を聞いた時とんでもない衝撃を受けた。

それは初めてYOASOBIの「夜に駆ける」を聞いた時に感じた衝撃と同じものだった。

まず、「夜に駆ける」が空前絶後のヒットを叩き出した最大の理由について述べようと思う。

もちろんこれは俺の意見であって、完全に正しいということを主張したいわけじゃない。別の意見があればコメント等に書いてほしい。

”この曲が大ヒットしたのは既存音楽流行りを踏襲しつつ、独自の要素を絶妙塩梅ミックスし、絶妙な斬新さを表現することに成功たからだ”と俺は思う。

これがどういう意味もっと分かりやすく言うと

今までの曲と同じようでちょっと違う、なんか斬新な感じがする曲がヒットする

ということだ。「白日」とかがわかりやすいかな?

音楽というのはほぼすべてが感覚で成り立っているので、それを正確に記述することは本当に難しい。

「夜に駆ける」が大ヒットした要素

「夜に駆ける」を語るにはまずコンポーザーのAyaseについて紹介する必要がある。

Ayaseはもともとボーカルとしてバンド活動を行った後、解散したのちいわゆるボカロPになったミュージシャンだ。

ボカロP:Ayaseを象徴する代表曲は「幽霊東京」や「ラストリゾート」が挙げられる。

初めてこの曲を聞いた時の俺の感想は、”よくあるボカロ曲だなあ”というものだった。

正直これらの曲はボカロ曲としては古典的な印象を与えるものだと思う。DTM感が強い、打ち込みで構成されたボカロ曲……という感じだ。

しかしここで重要なのは、実はこれらの曲でAyaseのパーカッションリズムに関する凄まじいセンスが光っており、それが当時のネット音楽トレンドにぴったりとマッチしてある程度の人気を博していたということだ。

Ayaseのリズム感に関する才能には目を見張るものがある、というのは上記の二曲を聞けばたぶんわかってもらえると思う。もちろんこの曲が発表されてから時間が経っているので、当時は真新しくとも今では多少風化しているように感じるかもしれないけど。

「夜に駆ける」においてもそのリズム感が遺憾なく発揮されている。ただ、この曲がそれまでのAyaseの曲と大きく違うのは

・繰り返される転調

ボーカリストikuraの存在

だ。

この二つの要素が、「夜に駆ける」が大ヒットした要因だ。


一つ目の繰り返される転調に関しては「夜に駆ける」を聞けばわかる。最後Cメロのところとか二回くらい転調してる。で、たぶんなんか普通の転調とは違う感じがする。音楽知識がないのでその辺はわからないけど。まずそこの斬新さがある。異論は認める

ボーカリストikuraについて

「夜に駆ける」がヒットした最大の要因だと思う。


個人的に、歌手ikuraの卓越した点は二つ。

ikuraが持つ優れたリズム
自我の顕れない説得力のある歌声


まずikuraが持つリズム感についてはもうとりあえず「夜に駆ける」聞いてみてほしい。歌詞の子音がバスドラとクラップ気持ちよくハマっている。

この文章を書くにあたって今一度「夜に駆ける」を聞いていたら、そのikuraのリズム感の素晴らしさについてちゃんと語りたくなったので細かく述べる。興味ない人は飛ばしてください。

イントロの”沈むように「溶けて」いくように”の「溶けて」のリズム感が良い

・”二人だけの空が広がる夜に”ここのリズム感は全部いい

・その次の打ち込み感のあるピアノめっちゃいい

・”さよなら「だけだった」”の「だけだった」のリズム感が良い

・”その一言で「すべ『て』がわかった」”の『て』が良い

・”日が沈みだした空と君のすが「た」”の「た」のリズムの取り方がマジですごい

Bメロの”いつだってチックタックと「鳴る世界で」”の「鳴る世界で」のリズムの取り方がすごい。

Bメロの”触れることな言葉うるさい声に涙が”ここのリズムは全部すごい

・サビの”騒がしい「日々に」笑えない「きみに」”の「日々に」と「きみに」のリズムの取り方がすごい。

・二番のBメロは正直全部リズムの取り方すごい。”信じてたいのに信じれないことそんなのどうしたってきっと これからだっていくつもあってそのたんび怒って泣いてくの”ここがすごくいい

・その後のピアノソロめっちゃいい。

Cメロの”もういや「だって疲れただって」”の「だって疲れただって」のリズムがすごい。

ここにリズムの優れた曲を作るAyaseとのシナジーがある。偶然にしては出来すぎたユニットである

これが「夜に駆ける」がハマった一つの理由

次の”ikuraが持つ自我の顕れない説得力のある歌声”について

これは説明がとても難しい。

歌手には二種類のタイプがいると俺は思う。それは、

自分のことを歌う歌手

・なんでも歌える歌手

の二種類だ。一見後者の方がなんでも歌えて優れているように思えるかもしれないけど、事態はそんなに単純じゃない。

まず前者について具体例をいくつか挙げようと思う。

自分のことを歌う歌手について

とりあえず例を列挙する。

りりあ「浮気されたけどまだ好きって曲」

米津玄師「アイネクライネ」というか米津玄師はほぼ全部自分の話をしている感じがする。

back number高値花子さん

実はほとんどのバンドマンは自分の話しかしていない。ヨルシカが「八月、某、月明かり」の歌詞で叫んでいるように「心を売り出し」ているのだ。

ちなみにヨルシカは「詩書きとコーヒー」でも「寿命を売るなら残り二年」とか歌っていたりして、そういう自分のことしか歌えないナブナ自身をどこか皮肉めいて表現していたりする。

りりあの「浮気されたけどまだ好きって曲」を聞いてほしい。これ絶対自分の話だろと思って調べてみたけど明言してないっぽい。なら自分の話と考えていいのかな?

この曲は浮気された女の子の心情を歌うにしてはリアリティが高すぎる。

汚れた君は嫌いだ

君を汚したあいつも嫌いだ

この歌詞の下のほう、「君を汚したあいつも嫌いだ」ってそっちにヘイトが向く心情を表現できるのすごくないか? 普通浮気された曲って恋人に対する恨みつらみで話が終わると思っていただけにびっくりした。

こんな風に自分のことを歌う曲は”その人の人生の重み”が自然と声に乗っかるので、ものすごい破壊力がある。

でも、こういう歌手がほかの人の作った歌を歌うと、どことなくちぐはぐな感じになる。なんか違うな~とか、ぐっとこないな~みたいな気持ちになる。

あとこのタイプ歌手一発屋で終わる傾向が多い。劇的な経験がないと歌えないならそうなるのも必然、という感じはする。

なんでも歌える歌手について

ikuraやAdoはこのカテゴリーに分類される。

こういう歌手ボカロ文化の発展で増えたと思われる。

歌い手文化はいろんな人の曲を歌うっていう前提があるわけで、そこでさっき挙げたような自分の歌を歌うタイプ歌手歌い手文化にそぐわない。

自分共感できる曲だけを歌うことでその問題解決してる人もいるっぽいけれど。

なんでも歌える歌手の例を挙げる。

・ikura

Ado

Aimer

・yama

・suis

とかなんか今流行りのアーティストばっかりになった。

ヨルシカはナブナ個人的な、本来だったら本人にしか歌えないような歌をsuisが上手く歌っている感がある。

これらの歌手限界まで自分の色を出さない。でも無個性とは違う。ただひたすらに歌詞にひたむきに向き合って、そこから読み取れる感情をまっすぐに表現している。だから聞く人の心にダイレクトに届いているように思う。

「夜に駆ける」とikuraの関係

YOAOBIのコンセプトは”小説音楽にする”だ。このコンセプトとikuraのどんな曲も歌うことができるという特性は実に親和性が高い。

「夜に駆ける」の元となった小説は「タナトスの誘惑」というものだ。

あらすじをめっちゃざっくりと言うと、死にたがりの彼女を助けた主人公だったが実は彼女死神で、最終的に一緒による闇に飛び降りるという、中二病要素をこれでもかと言うほど詰め合わせたような物語だ。大学生が書いたらしい、笑った。

さて、どれほどこの物語がチープであろうとしても、この歌を実体験として生々しく歌うことができる人はなかなかいない。テーマが重すぎるし、全体的に闇が深いものからだ。

ただ、ikuraは「夜に駆ける」を独自解釈することに成功している。

この作品自体をどことな俯瞰的に見下ろして歌うことによってそれはかなった。過度に主人公ヒロイン感情移入するのではなく、どこか客観的視点から物語淡々と紡ぐように歌う感じ。無機質な――機械的な、ある種ボカロっぽい歌声と、どことな人間の闇を感じさせるPV(このPVもあの原作小説から作ったとは思えないほどクオリティが高い)が悪魔的に融合した。

これが「夜に駆ける」がヒットした二つ目の要因だと思う。

もう一回PV見てるけどやっぱりいいな。

本題のYOASOBI「アイドル」のすごさについて

制限が新たな芸術を生む”的な言論があったりする。「アイドル」が素晴らしい曲であるのにはここに要因がある。

今回の場合

・Ayaseが持つ独自リズム感とベースライン

・最新の曲調(Adoが歌う「踊」に似てるとか指摘されてるね)

・”推しの子”のOP要求される、アイドルソングライクな(コール差しまれるなどの)要素

この三つが程よくミックスされた結果、既存の物にはない斬新さを持った曲としての大ヒット……だと思う。

YOASOBI「アイドル」とボーカルikuraの限界

この話をするにあたって、YOASOBI「アイドル」の歌詞について軽く説明する必要がある。

アイドル」の歌詞原作推しの子」とそのスピンオフ小説の「45510」をもとにしたものだ。

まず「推しの子」のあらすじを一瞬で説明すると

医者主人公のところに推しアイドル(アイ)が妊娠出産のために入院してくる→出産日に主人公が殺される→気づいたらアイの子供に生まれ変わってた→アイドルなので子持ちはまずい→なので必死に嘘で隠す

というものだ。

そしてスピンオフ小説「45510」の主人公は、アイとかつて同じアイドルグループ所属していた女性だ。

アイドル」の歌詞の中での主人公は歌の途中で変わっている。二回目のサビまではスピンオフ小説の「45510」の主人公がこの歌の主人公で、その後はアイ自身の歌に変わる。

1サビまでの歌詞は「45510」の主人公の、アイに対する憧憬を描いたものと思われる。同じグループの中でも抜きんでて人気のあるアイに対する羨望を表現している。

ここの歌詞をikuraは上手く歌えている。

問題はその後だ。

アイドル」の二番の歌詞についての見解

この話をするためには歌詞掲載しないといけない。

はいはいの子特別です

我々はハナからおまけです

お星様の引き立て役Bです

全てがあの子のお陰なわけない

洒落臭い

妬み嫉妬なんてないわけがない

これはネタじゃない

からこそ許せない

完璧じゃない君じゃ許せない

自分を許せない

誰よりも強い君以外は認めない

これはアイが所属するアイドルグループ「B小町」の別のメンバー:「45510」の主人公の心情を描写したものだ。正直、この歌詞を書いたAyaseは天才だと思う。

一見最初はアイに対する強烈な嫉妬心を表現しているように見えて、最後には

完璧じゃない君じゃ許せない

自分を許せない

誰よりも強い君以外は認めない

とアイに対する信仰とでも言うべき強い感情の発露を描いている。この一見相反するようでいて、しかし同一の感情を詳細に表現したセンスマジですごい。

ikuraはこの二番を歌いこなせていない

Vtuber歌ってみたとかを聞いた時に「お、この曲はこの子マッチしてるからいい感じだな」とか思ったことがないだろうか? 俺はその現象を”人格一致ボーナス”と呼んでいる。

ikuraの人格と「アイドル」の二番はあまりにも相性が悪いと言える


たぶんikuraはまっすぐに、幸せに育ってきたタイプ女の子なんだと思う。だから、こうした嫉妬などのどす黒い感情にそれほど縁がないのではないだろうか? なので、それを歌おうとしても、どうしてもうわべだけのものになってしまう。

先ほどの話に戻る。世の中には

自分の歌を歌う歌手

・どんな歌も歌うことができる歌手

の二種類が存在する、と言った。

しかしそれを逆に考えてみてほしい。つまり世の中には

とある人間しか歌えない曲

・ある程度どんな人間にも歌いやすい曲

の二つがあるのだ。

そして「アイドル」という曲は”とある人間しか歌えない曲”に属する。それはこの曲が極めて個人的体験(この場合だと、45510の主人公とアイ自身体験)をベースに紡がれているからだ。

ikuraのスター性と「アイドル」の明るい部分は極めて親和性が高い。特に一番のサビなんかは完璧に歌えている。しかし、45510の主人公のアイに対する嫉妬などのダークな部分は歌えない。聞けばわかると思うが、なんだか上っ面で歌っているような印象を受ける。

かに愛されたことも

かのこと愛したこともない

そんな私の嘘がいつか本当になること

信じてる

まれないアイの家庭環境を背景とした暗いCメロ歌詞だ。やっぱりここでも、ikuraの歌はどことな空虚な感じがする。ikura自身にこんな経験がなく、想像することさえも難しいからだ……と思う。

あるいは、

【ikura】今回は、レコーディングする前にたくさん話し合って…。どういうイメージで、どういう声色で、ニュアンスでやっていこうかっていうのを考えながらレコーディングしました。

【Ayase】そしてたどり着いたのが…「最強のかわいい!」です。僕はikuraがレコーディングブースに入って一生懸命歌っている中、勇気づけるようにディレクションブースからもっと自分のことかわいいと思って!」って伝えていました。https://news.yahoo.co.jp/articles/32691ffa10659b427d43550c4eda76ad09a1ea74から引用

とあるように、レコーディング環境が足を引っ張ってしまった可能性もある。

アイドル」の歌ってみたをいくつか聞いてみると、この二番を上手に表現する歌い手を何人か発見した。やはり、こうした現代的な嫉妬経験がある歌い手のほうが歌声説得力が増す。

しかしこうした歌い手は同時に、サビの部分で顕著に表れるアイが持つ底抜けの明るさ、可愛さを表現することが難しい。

アイドル」を完璧に歌える人間存在しないかもしれない、とか思った

あと原作読んでる人に聞きたいねんけどこの「45510」の主人公って作中で出てくるん?

というかここまで細かく考察してると逆に「推しの子」の続きが気になってしまった

ティアキンのおもんないとこ

待ち侘びていたティアキン

発売日からプレイしてて、ゲーム部分は楽しいストーリー感情移入できない

王政が無理

昔ながらの「姫と騎士」の物語なんだからしゃあないとは思うが、民主主義国家まれとしては「王国」や「王族」に感情移入できない

・貧げな暮らしの村人たち←→バカかい城に住むゼルダ姫ら王族

・非文明的な暮らしをしている村人たち←→お抱えの研究者の作ったカメラ(プルアパッド)で趣味研究に没頭するゼルダ

らへんにまずモヤる。

・ブレワイの頃からゼルダ姫・リンク・プルアら研究者の持つ技術が村人らの暮らし還元されていない様子

技術があるならすぐに暮らし還元できるはず、しろ、というのは「なろう」じみた考えかもしれないが、王族として国を支配する立場なのにゼルダ姫はブレワイから今まで何してたんだ?と思ってしまう。

一心に姫を慕う村人たち

理解し難い。「ゼルダ様は凶作の年に隣町から物資を届けて下さった」的な説明があるならわからんでもないが、そういった説明もとくになく、貧しい村人たちが「姫、姫」と慕っているところが共感しにくい。現代日本にも「アベノミクス日本を救ってくださった安倍様」など言うやつは居なくもないが、普通感性では受け入れられない。所詮天皇象徴時代人間王政のような宗教的ものを受け入れる下地がない。

つまるところ

今作でもゼルダは未だに「姫」で、国政をメインに担うのは「王」。ゼルダが何してるのか、何をしてきたのかよくわからない。よくわからないのに慕われててよくわからない。

サピオセクシャル任天堂

ニンテンドー王族の次に偉いのは学者先生らしい。好奇心旺盛であることが良いこととみなされる。ゼルダ・プルア筆頭に研究オタクキャラが多い。多すぎる。ニンテンドーゲームに必ず1人はいる気がする。

「あーはいはい好奇心旺盛で研究のこととなると夢中になっちゃオタクなのね」。いかにも「好奇心旺盛」「勉強熱心」が誉めそやされる世界で過ごしてきた人間のつくるキャラクターだ。おもしろみがない。

キャラクター、好きになれない

任天堂キャラの「ガワ」を作るのはうまいが、「中身」を作るのは下手なように思う。

キャラクターは個性豊かだが、どこかで見たことあるものが多い。大抵のキャラが同じセオリー、同じ価値観に基づいて作られており、ロールに沿った言動しかしない。現実人間ならあるようなゆらぎがない。大味でつくりもの感が強い。

編集者会議して作った漫画は没個性でつまらなくなる」とバクマンだかで言ってたが、任天堂も同じなのかもしれない。

よく考えたらRPGそもそもきじゃない

ゲームストーリー部分をボタン連打で読み飛ばす系の人間ティアキンのストーリーパートを楽しむのは無理なのだろう。

アクション、謎解き、オープンワールド主人公の強化、あたりは楽しいムービーNPCとの会話のような茶番を見せられる時間が発生するのがだるい

ブレワイのストーリーパートを楽しんでるやつとかあんま見たことないが、なんでストーリー重くしたのか……

ってま、グッズ販促タイムか。ライダーベルトやプリキュアの変身グッズのCGと同じだよなあ。真面目に考察してもしゃあないわ。

……とか思わせないでほしいっすわ。いや無理な要望だわ。ソフトしか買わない金落とさない客だしな。

2023-05-16

anond:20230516125759

「うっせぇわ」ってあれ考察というか最後動画オチ的に「うっせぇわ言ってる女もうっせぇわ」ってオチじゃなかったっけ?

戦争が続いてるなか前線から脱落し怠惰生活満喫する話が好き

なろうアニメの「真の仲間じゃないと勇者パーティーを追い出されたので、辺境スローライフすることにしました」が好きだ

「真の仲間」で略されることが多い

 

追放もの元祖だそうだ。チート付与魔術師みたいに隠れた実力がある系でなく、

本当に最前線の戦いには戦力不足でついていけないが、人の少ない田舎では無双でイキれるぐらいの(実際イキり倒す)実力の主人公が、

まおゆう魔王勇者」みたいにヒロインと終始イチャゴロする

 

まり有名ではない

同時期に高品質作画アニメは多数送り出されており、なろう系も幾つも放映されていた

ファンタジーなら無職転生王様ランキングを見てた人が多いはず

ニコニコでもyoutubeでも関連動画ほとんどない。アニメ感想サイトを漁っても実況参加者は少ない

一方で海外ではそれなりに高評価だったようで、youtube主題歌動画には海外コメントがそこそこついている

アニメ二期も決定した

 

説明が長くなったが俺はこのアニメが大好きで、配信で繰り返し何度も見直している

円盤ももちろん買い、先週も何度目か忘れたが全13話を通しで視聴した

なろうアニメ最高傑作だと思っている

誰にも同意されないだろうが構成演出が神がかっていて見直すたび考察してしま

おでん屋台の回はファンタジー世界ならではの漆黒の闇と屋台赤ちょうちんの図を見るたび

「この緊張と弛緩の混ざり合った演出をどうやったら作れるんだ。アニメ実作者でもアニメ評論家でも誰でもいい、金を払うから解説してくれ」と唸っている

先週も蜂蜜酒の回で新たな発見をして「ウテナか!」と唸ってしまった

かい演出の話をすると無限に長くなるので省略する

 

本題に戻ると、先週、新しい発見があった

別の、俺が死ぬほど好きな作品との共通項があることに気づいた

「ふらせら」という、20年前に出たギャルゲーコミカライズ作品

こちらも解説すると無限に長くなるので端折るが、両作品共通点は

 

人類存亡規模の大戦争が続いている

主人公たちは戦争前線で戦っていたが、慮外トラブルで脱落

戦争の気配など全く感じない、自然いっぱいの辺境スローライフ満喫する

 

となる

 

おそらく自分に刺さったポイント

主人公美少女とじゃれあっててスローライフ満喫している」一方で、「戦争は全く終わってない」点だと思う

主人公は、重傷や精神障害で戦えなくなったわけでない

戦えるけど戦わない

積極的ではない、結果としての形で前線逃亡したのだが、そんなことは気にせず田舎暮らしを最高に楽しんでいるのが大事なのだ

戦争話題が全く持ち出されないわけではない

主人公の周囲では、使命感にかられて参戦を志すもの主人公戦線復帰を促すものがいて、戦争を忘れさせてくれない

その上で怠惰にふける。ヒロインとイチャゴロする

 

現代メディアによって地球の裏で起きていることを臨場感あふれる映像で知ることができる。というより半強制的に知らされさえする

同じ日本の中で起きている犯罪的な虐待差別を知らなくても、ウクライナ戦争は知っている

なんなら日本社会の身近で起きていることから目を逸らされるために海外虐殺差別戦争報道が溢れかえっているのかもしれない、とすら思える

しかも、その戦争残酷ジェノサイド自分たちに全く無関係というわけでもないと、なぜか知らされてしま

ウイグル民族弾圧ユニクロ衣服は結び付けられて日常の場に入り込んでくるし、

ウクライナ戦争は「核弾頭厚木基地横田基地に打ち込まれるかもしれない」という切実さと結びついて、

「俺たちの日常を維持したいかウクライナ人だけでロシアと戦ってくれ」というジクジクした地続き感を抱えながらニュースを眺める羽目になる

 

水木しげる前線から半ば離脱して南の島の楽園暮らしに至ったときは、左腕を失う負傷があったし、

なにより日本アメリカとの戦争は「お役所仕事でズルズルと開始してしまった、やらなくてもいい無駄公共事業太平洋戦争~」だった

からサボタージュ正当性見出しえたし、戦後反戦が強く共感を得られたように、

徴兵で駆り出された者の南の島での戦線離脱責任感云々を見出す必要もなかった

現代の、地球の裏側の惨劇は、そういうふうに割り切れない

こんなジクジクした気分から解放されたくて日本国家と一体化したい人たちが出てきてしまうのは理解できる

 

残念ながら自分国家と一体化して何かやってる精神状態にはなれない

遠くにある、手出しすることも出来なくはない(実際に行動している人たちも大勢いる)戦争を、まるきり無関係と切り捨てることもできないまま傍観し、

さておきと、自分生活のために働いて、マンガアニメゲーム動画視聴で怠惰時間を過ごし、

その怠惰さを時おり責められ、ヘラヘラとやり過ごし、改めて怠惰に身をうずめておきたい

 

そういう現状と重なるものが、俺の愛する二作品にはあるのだと、ようやく知ったのだった

「男だけど男が好き」←わかる「女だけど女が好き」←わかる「女の体

追記

ちょこちょこ意見貰ってるしなんか返そうかと思ったので返す。

「お前が理解できないだけだよ」

なんかこう凄いな……。「トランスジェンダー理解するために皆で考えましょう」って最近の風潮とは全く真逆だな。「馬鹿は無理に理解しようとするなよ」「トランスジェンダーとかそもそも理解する必要なし」みたいな思想が透けて見える。流石だよはてな言論の自由が守られていて評価する。

社会が求める役割が合わないんだよ」

それってつまりは「男だけど休日ゴスロリで街に繰り出したいぜ!」「女だけどスッピンで出社したいぜ!」みたいなこと?まあその悩みは分からなくはない。でもさ、それって性自認が一致してないんじゃなくて、社会が求めてくるジェンダーロールが自分の求めている人生と一致してないだけでは?性自認の不一致というのとは違うと思う。

恋愛かのことだけしかないと思ってるようだね」

本文を読まずにコメントする自由が守られていて素晴らしい。はてなって本当素敵。タイパが良いよね。

「脳のバグ障害だよ」「LGBは嗜好で済むけど、Tは毛色が違うよね」

うそうそんな話してたしてた俺俺。よく分からんけど男相手でもチンチン大っきくなるからオカズ候補二倍で人生がお得ぞい、とかとは起きてることのレベルが違うんだよなあ。自認にバグが発生していて、その場所たまたま性別の部分だった人達というか。真っ二つに分けられる性別という分野だからそれをファジーに軟着陸させづらいってのもありそう。

性自認が男のホモの方が理解しがたい」

なるほど。逆側から着眼点だ。性癖性自認関係についてそう切り分けていく発想もあるのか。両方行けちゃう人は自分性自認を両性として認識していて、それなのに肉体はどちらかの性別のものしかないことに対して違和感を覚えていないというそ自体トランスジェンダー以上に異常である的な?LGBT考察奥が深いなあ。

「わかる」

わかってくれてありがとうはてなって素敵。

追記終わり。

いやマジで理解不能なんだよ。

同性に性的な魅力を感じるってのはまあ理解できるよ。

「脳のバグ」という言葉を使うべきではないのか、実際にはそれであっているのかまでは分からんけど。

でもそれを根拠性自認が変わるってのは意味不明過ぎる。

性癖としてそういうのがある」なら理解できなくはない。

同性愛しろ異性愛しろ拗らせていく過程で「これ別の性別の体でセッセッした方が気持ちよさそうだな」ってふとした瞬間に目覚めてしま感覚は分かるよ。

でもそれが「自分は本当は別の性別だったんだ!」に飛躍するのは理解が出来ない。

なんでそうなるんだよ!?

男はみんなチンチンが勝手に大きくなって前屈みになるのウザすぎね?って悩んでるし、女は生理で悩んでるし、男は乳首擦れ防止ブラジャー女装扱いされることに悩んでるし、女はちょっと毛深いだけでホルモンが多いんですかねみたいな話しされるのうぜーと感じてるわけだが、そういったヘイトから自分性別が逆であることを理想に思っても、そもそも最初から性別が逆として生まれしまったとは思わんやろ。

生理が来て乳首がビンビンになりだしたことに大部分の人は違和感覚えるけどそこでトランスジェンダーだとは感じないだろ。

夢精するようになって乳首がビンビンになりだしたこと身体おかしくなってチンチンから膿が出たとビビることはあっても自分は本当は女だったんだとはならんやろ。

トランスジェンダー謎すぎる。

マジで謎。

そもそも自分の体がイメージと違うなんて普通じゃね?

鏡で見るたびに想像してたより100割増しでブサイクだったことに気づいてショックを受けるし、会議の録画見たら自分の声が骨伝導で響いてくるのと違いすぎて電話口の声とかもうちょい抑えるべきなのかなって急に悩んじゃうのは皆一緒じゃん。

今日は5人前食えると思って焼肉バイキング行ったら普段の1.1倍ぐらいで現実を感じ取ってデザート食いまくり元取りモードに入るじゃん。 

性自認の違いって本当になんなの?

イメージした顔より自分ブサイクすぎたとして、それはもう現実なんだから諦めて受け入れるだけじゃん。

そこで整形に行かなきゃいけないってなるか?

自己自認に対して謎の強迫観念が強すぎるのでは?

もしもうそうならトランスジェンダーって性別が逆転していることよりもそっちの部分の問題が多いんじゃねえのか?

自己認識強迫性現実歪曲願望症候群みたいな感じでは?

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