チェンソーマンの面白さはなにか?というと「エモ」だ。エモーショナル。
どうもチェンソーマンを面白い!という人たちはその「エモ」に共感して心を動かされているらしい。
俺は面白いと思わなかったのでそれが何なのか具体的にわからない。
なんとなくふわっと理解してるのは、デンジみたいな情けなくてかっこ悪い主人公とかパワーちゃんの傍若無人とかマキマさんのミステリアスな雰囲気とか そういう癖のある表現あたりがチェンソーマンのエモなんだと思う。
この「エモ」はいまはあらゆる漫画・アニメ・小説・ゲームの面白さの指標として存在してる。
例えば「僕の心のヤバいやつ」の「エモ」は、陰キャの少年と陽キャの女の子のぎこちない恋愛 だ。
で、作品は「エモ」だけでは成立しないのでその周辺を描くことになる。
でもチェンソーマンの作者藤本タツキはそういう周辺を描くのが下手だ。興味がない事を漫画にするのが苦手な作家なんだと思う。
そういうときに「田中脊髄剣!!」とかネタを投入して凌いでるように思う。
俺みたいな人間はそれを見て「タツキやる気ないんだな」って思うんだけど、ファンたちは「タツキすげえ!!」って盛り上がる。
ここが面白いと思う人間と面白くないと思う人間の違いだと思う。
つまりチェンソーマンの面白くなさは、藤本タツキの才能のムラ気だ。筆が乗ってるときと乗ってないときとの落差が激しい。
俺が面白くないと感じるのはチェンソーマンという作品そのものでもあるし、面白くないときのチェンソーマンを「面白い!」と言っちゃう盲目的なファンの存在に白けているというのもある。
全編全話全カット面白いエンタメなんかないだろ ある程度のムラがあることは承知のうえでタートルで見てどうかって話なんだよ
作家がどういう人間なのかを知ってしまうと作品が面白くなくなるタイプなのでは?
「エモ」っていって自分の心の動きを陳腐化すると語彙がどんどん失われていくからやめた方がいい。 要は感動とか感情が動かされたってことが言いたいんだろうけどどういう要因によ...