はてなキーワード: 草野とは
平易な文だが、わけがわからない。「バスの揺れ方で」「人生の意味がわかった」「日曜日」。それぞれの繋がりに全く論理性がない。
「運命の人」の冒頭部がわけがわからない?とは僕にとって驚愕である。各々解釈の揺れ(それが良い詩の証明だろう)こそあれど全くそのドラマを想定できないなんてことが日本語話者にあって良いものなのだろうか。こうやって個人の妄想でしかないものをもっともらしく解説者ぶって書き連ねるのは、作詞者である草野さんに対する不遜なのは重々承知している。僕自身あまり好きでない類だ。しかし全くわからないという人間を目にしてこの3日心のもやもやは晴れないままだった。心待ちにしたスターウォーズ鑑賞中も頭の中はスピッツだ。夜眠ろうにもはーしーるーはーるかーと頭の中でループする。
もういてもたってもいられない。ここに駄文を書き連ねる。
「バスの揺れ方」というのは不規則でとても強力なものだ。電車のような規則性はなく、タクシーのような微々たるものではない。乗客は常に見当もつかない方向から強い力で揺さぶられときにはその力でよろめく。
続く「人生の意味がわかった日曜日」は、逆説的に言って、日曜日でなければ気がつかなかったということを表している。多くの人にとって日曜日は休日である。つまり平日では行われないことがその日起こり、平日では気にとめなかっただろう些細なことがこの気づきをもたらしたのだ。
そして日曜日は週末である。日々の営みが7日で循環するよう設計された人間社会において、日曜日は一つの区切りになっている。労働や勉学に励む小市民ならば、7日間のうちに起こった悲喜交々はこの日を最後に一旦清算され、人々は次の1週間もまたひたむきに日々を過ごしていく。日曜日を意識するこの歌詞の主人公もまたそんな人間の一人だと言うことが読み取れる。
改めて一文を読むと「バスの揺れ方」が連用修飾語として「解った」に係り、「解った」は続く「日曜日」の連体修飾語になっているため、主人公がバスに揺られていたのは「人生の意味がわかった」のと同じ日であるといえる。それぞれが別の日であるなら、バスに揺られた日を示すためにさらに「バスの揺れ方」を修飾する必要がある。なお、バスの揺れかたはバス内部でなければ感じ取れないので、主人公が日曜日にバスに乗車しその日のうちに「人生の意味」に気がついたと断定できる。
ここで一旦まとめると「バスの揺れ方で人生の意味が 解かった日曜日」というのは、
「毎日つつがなく規則正しい生活を過ごしている主人公が、休日が故に起きた特別な出来事をきっかけに思慮にふける。彼はこの日乗車したバスの不規則な振動と、不意な出来事に翻弄されることもある社会の悲哀を重ね合わせた。そして『人生の意味』を悟る。」という内容であると推定される。
不可解な点がまだ残るが歌詞の次行に進みたい。
歌詞を読むに彼は「君」の手を握れるほどそばにいることがわかる。注目するのは「でもさ」という否定形の接続詞で、これにより主人公が「君」の手を強く握るという方法で「人生の意味」に抗う姿勢が示された。
話が戻るが日曜日という日は週末であり曜日の中でも特異な地点である。あくまで僕の考えであるが、歌詞の主人公からすれば日曜に思い巡らせたことは月曜にはリサイクルされてしまうので、「日曜日」に発見した「人生の意味」がこの主人公の行動に影響を与えるのはその「日曜日」に限定されるはずなのだ。そういう意味でもなければわざわざ日曜を指定する必然がない。月曜でも水曜でも歌詞は成立する。よって「強く手を握る」ことで「人生の意味」に抗うことが可能なのは「人生の意味がわかった」日と同日であると考えるのが自然ではないだろうか。
とすると彼はバスに揺られた日曜日に「君」と会って過ごしたということになる。おそらく彼と「君」は同じバスで揺られている。
そして「君」がバスの中でよろめいてその手を彼が支えるという場面があったのだろう。彼は「君」が人生に翻弄されてもずっと支え続けていこうと心に決めるのだ。
つまり「バスの揺れ方で〜」のまとめで述べた"特別な出来事"は、「君」と休日の行動を共にしていることなのではないだろうか。普段ならバスの揺れに不快な思いをしているはずなのに、君がいるときはなんだかそれを感じない、そのことが彼の日曜日を特別にしたんじゃなかろうか。
出だしの2行を僕なりにまとめると
「週末に『君』とのデートをとりつけ心が弾む主人公。普段なら不快なバスの揺れも『君』が側にいれば全然苦でない。そのことに気がついた彼は、小市民として淡々と日々を過ごしているはずの自分にも時々ハプニングが降りかかるその人生の理不尽さと不規則で激しいバスの振動を重ね合わせた。『生きていて辛いことがあっても傍らのこの人がいればそんなことは全然気にならない。』彼はそれを確信する。その時またバスは揺れて『君』が大きくよろめいた。すかさず『君』の手をキャッチした彼。彼自身はその揺さぶりに動じないとしても、この相手は『運命の人だから』挫けることがないように支えていかなければならないと決心する彼であった…」
なお直後3行目の「優しいだけじゃなく偉大な獣」は、この優しく相手を守り支える姿と、揺さぶりに翻弄されず過酷な環境であっても生きていける野獣のようなタフネスという二面性を集約した言葉だと考えて僕は納得した。
確かにこれらには何の確証も論理性もない。しかし聞き手の中にファンタジーを想像させられれば詩はそれでいいんだと思う。
まだまだ書き続けたいが時間がないので書き控える。
ちなみに僕が好きな歌い出しはBLANKEY JET CITYの「ガソリンの香りがしてる」だ。何もわからない。
余談だがスピッツの2ndアルバム「名前をつけてやる」にはその名も「日曜日」という曲が収録されている。「運命の人」が可愛く思えるほどに奇々怪々な歌詞で「晴れた空だ日曜日戦車は二人をのせて」と言葉で歌は始まり、サビで「蜂になろうよ」と相手を誘う。それから6年が経ちデートはちゃんとバスを使うようになり、蜂への変身願望から偉大な獣になる誓いをたてるまでに成長したんだと思うと、なんと立派になって…と親戚のおばさんのような気分にならないこともない。
主なゲイ映画作品
(ゲイが主題、ゲイが準主役の映画。重要なキャストにゲイが登場する作品を含む)
眠らない街〜新宿鮫〜(1993年、滝田洋二郎監督、キャストの一部にゲイが登場)
GONIN(1995年、石井隆監督、キャストの一部にゲイが登場)
ブルース・ハープ(1998年、三池崇史監督、田辺誠一、池内博之主演)
ハッシュ!(2001年、橋口亮輔監督、田辺誠一、高橋和也主演)
タクミくんシリーズ2 虹色の硝子(2009年、横井健司監督)
タクミくんシリーズ3 美貌のディテイル(2010年、横井健司監督)
タクミくんシリーズ4 pure~ピュア~(2010年、横井健司監督)
タクミくんシリーズ5 あの、晴れた青空(2011年、横井健司監督)
悪の教典(2012年、三池崇史監督、キャストの一部にゲイが登場)
EDEN(2012年、武正晴監督、原作:船戸与一「夏の渦」、主演:高橋和也ら)
セブンデイズ MONDAY→THURSDAY(2015年、横井健司監督)
主なゲイドラマ作品
同窓会(1993年、日本テレビ系。主役がゲイで脇役がバイセクシャル。全編に渡り同性愛がテーマ)
告白(1997年、日本テレビ系。エンディング主題歌も同性愛をテーマにしたユーミンの『告白』)
「翼のカケラ」(2007年、テレビ東京「恋愛診断」第1章より)
橙田(とうた) 橙木(とうぼく) 橙山(とおやま)
浅黄(あさぎ) 黄木(おうき) 黄地(おうち)
白川(しらかわ) 白木(しらき) 白崎(しらさき)
茶園(ちゃえん) 茶木(ちゃき) 茶谷(ちゃたに)
大空(おおぞら) 空閑(くが) 空田(そらた)
茜部(あかなべ) 茜ケ久保(あかねがくぼ) 茜谷(あかねや)
紅林(くればやし) 紅露(こうろ) 紅谷(べにや)
紫垣(しがき) 紫藤(しどう) 筑紫(ちくし)
緋田(あけた) 緋本(ひもと) 緋山(ひやま)
飴田(あめだ) 飴谷(あめたに) 飴本(あめもと)
鴬地(うぐいすち) 鴬生(おうしょう) 白鴬(はくおう)
このくらいでしょうか・・・赤色・桃色・青色・水色・緑色・草色(黄緑)・橙色・黄色・黒色・白色・灰色・茶色、桜色・空色・朱色・藍色・鼠色・茜色・紅色・紫色・緋色・飴色・銀色・金色・蓬色・鴬色・紺色・土色・藤色で苗字を計153程挙げてみました。
お役に立てれば幸いです(^_^)♪
ニコ百の犠牲者リストと映画パンフレットのスタッフリストを照合して作成しました.一部にペンネームや旧姓があったので苦労しました.
映画のエンドロールで,これらの方々に思いを馳せていただきたい───否,わたし自身がそれをするために作成しました.
• 明見裕子さん(29)、丸子達就さん(31)、池田(本名:寺脇)晶子さん(44)、
• 高橋博行さん(48)、岩崎菜美さん(31)、鈴木沙奈さん(30)、佐藤宏太さん(28)、森崎志保さん(27)、栗木亜美さん(30)、草野すみれさん(32)、渡邊紗也加さん(27)武地美穂さん(25)、西川(旧姓:壬生)麻衣子さん(29)、川口聖矢さん(27)、
• 佐藤綾さん(43)、宇田淳一さん(34)、石田敦志さん(31)、宮地篤史さん(32)、大野萌さん(21)、大村勇貴さん(23)、松浦香奈さん(24)、笠間結花さん(22)、時盛友樺さん(22)、
• 石田奈央美さん(49)、
仕上
• 津田幸恵さん(41)、大當乃里衣さん(26)、
• 渡邊美希子さん(35)
美術設定
• 渡邊美希子さん(35)
• 藤田貴久さん(27)、
• 横田圭佑さん(34)、兼尾結実さん(22)、松本康二朗さん(25)、
• 三好一郎(本名:木上益治)さん(61)、武本康弘さん(47)、西屋太志さん(37)、
本作とは無関係
• 村山ちとせさん(49):「響け!ユーフォニアム」で原画担当
気骨のある人に「乗り換え」を敢行してほしいと思って調べたため,徒歩連絡可能な駅のみを対象とし,距離はGoogleマップのルート検索で徒歩を選択した際のものとした。
そのため,交通機関の利用が必須となる「北海道」「本州&九州」「四国(註)」「沖縄県」の相互にまたがるペアは対象外とした。
また同一駅名の基準は漢字表記と読みがともに同じであることとした。
(註) 本四連絡橋のうち,しまなみ海道には橋の部分に自転車歩行者道が併設されている。しかし最も本州よりの尾道大橋は歩道が狭く,渡船(有料)の利用が呼びかけられている。というのもあるが,何よりGoogleマップがこのルートを徒歩ルートとして認識してくれなかったため対象外とした。
駅名 | よみ | 距離(km) | 県1 | 県2 | |
---|---|---|---|---|---|
白沢 | しらさわ | 1766 | 秋田県 | 鹿児島県 | |
黒石 | くろいし | 1591 | 青森県 | 熊本県 | |
藤崎 | ふじさき | 1515 | 青森県 | 福岡県 | |
松山町 | まつやままち | 1486 | 宮城県 | 長崎県 | |
旭ヶ丘 | あさひがおか | 1464 | 宮城県 | 宮崎県 | |
白石 | しろいし | 1441 | 宮城県 | 熊本県 | |
河原町 | かわらまち | 1409 | 宮城県 | 熊本県 | |
大山 | おおやま | 1383 | 東京都 | 鹿児島県 | |
久保田 | くぼた | 1376 | 秋田県 | 佐賀県 | |
市役所前 | しやくしょまえ | 1366 | 千葉県 | 鹿児島県 | |
小林 | こばやし | 1339 | 千葉県 | 宮崎県 | |
運動公園 | うんどうこうえん | 1291 | 群馬県 | 宮崎県 | |
川東 | かわひがし | 1291 | 福島県 | 佐賀県 | |
石橋 | いしばし | 1247 | 栃木県 | 長崎県 | |
市役所前 | しやくしょまえ | 1238 | 長野県 | 鹿児島県 | |
住吉 | すみよし | 1204 | 東京都 | 長崎県 | |
住吉 | すみよし | 1178 | 東京都 | 熊本県 | |
小川 | おがわ | 1170 | 東京都 | 熊本県 | |
松原 | まつばら | 1160 | 東京都 | 長崎県 | |
大町 | おおまち | 1154 | 千葉県 | 佐賀県 | |
祇園 | ぎおん | 1137 | 千葉県 | 福岡県 | |
新町 | しんまち | 1129 | 群馬県 | 熊本県 | |
吉井 | よしい | 1124 | 群馬県 | 長崎県 | |
春日 | かすが | 1074 | 東京都 | 福岡県 | |
高岩 | たかいわ | 1073 | 長野県 | 長崎県 | |
桜台 | さくらだい | 1073 | 東京都 | 福岡県 | |
黒松 | くろまつ | 1068 | 宮城県 | 島根県 | 本州内で最長 |
赤坂 | あかさか | 1068 | 東京都 | 福岡県 | |
北野 | きたの | 1060 | 東京都 | 福岡県 | |
高田 | たかた | 1057 | 神奈川県 | 福岡県 | |
市役所前 | しやくしょまえ | 1053 | 愛知県 | 鹿児島県 | |
白沢 | しらさわ | 1049 | 愛知県 | 鹿児島県 | |
橋本 | はしもと | 1049 | 神奈川県 | 福岡県 | |
一本松 | いっぽんまつ | 1046 | 埼玉県 | 福岡県 | |
赤坂 | あかさか | 1040 | 群馬県 | 福岡県 | |
森下 | もりした | 1026 | 東京都 | 福岡県 | |
玉川 | たまがわ | 1010 | 岩手県 | 大阪府 | |
旭ヶ丘 | あさひがおか | 1008 | 富山県 | 宮崎県 | |
市役所前 | しやくしょまえ | 1006 | 福井県 | 鹿児島県 | |
西山 | にしやま | 1002 | 新潟県 | 福岡県 |
駅名 | よみ | 距離(km) | 県1 | 県2 |
---|---|---|---|---|
赤坂 | あかさか | 1000 | 山梨県 | 福岡県 |
市民病院前 | しみんびょういんまえ | 996 | 富山県 | 長崎県 |
本郷 | ほんごう | 991 | 長野県 | 福岡県 |
桜町 | さくらまち | 990 | 長野県 | 長崎県 |
宮内 | みやうち | 988 | 山形県 | 広島県 |
筒井 | つつい | 979 | 青森県 | 奈良県 |
市役所前 | しやくしょまえ | 970 | 和歌山県 | 鹿児島県 |
愛野 | あいの | 964 | 静岡県 | 長崎県 |
加納 | かのう | 953 | 岐阜県 | 宮崎県 |
大町 | おおまち | 940 | 富山県 | 佐賀県 |
川村 | かわむら | 924 | 愛知県 | 熊本県 |
大久保 | おおくぼ | 876 | 秋田県 | 兵庫県 |
高浜 | たかはま | 872 | 茨城県 | 島根県 |
県庁前 | けんちょうまえ | 853 | 千葉県 | 広島県 |
市役所前 | しやくしょまえ | 851 | 千葉県 | 広島県 |
運動公園前 | うんどうこうえんまえ | 837 | 青森県 | 愛知県 |
本山 | もとやま | 836 | 愛知県 | 長崎県 |
大町 | おおまち | 836 | 千葉県 | 広島県 |
荒井 | あらい | 826 | 宮城県 | 兵庫県 |
宮内 | みやうち | 826 | 新潟県 | 広島県 |
八丁堀 | はっちょうぼり | 815 | 東京都 | 広島県 |
競艇場前 | きょうていじょうまえ | 814 | 東京都 | 広島県 |
南方 | みなみかた | 810 | 大阪府 | 宮崎県 |
吉浜 | よしはま | 799 | 岩手県 | 愛知県 |
白沢 | しらさわ | 798 | 秋田県 | 愛知県 |
大久保 | おおくぼ | 792 | 秋田県 | 京都府 |
新栄町 | しんさかえまち | 790 | 愛知県 | 福岡県 |
青山 | あおやま | 790 | 岩手県 | 愛知県 |
追分 | おいわけ | 769 | 秋田県 | 滋賀県 |
荒尾 | あらお | 768 | 岐阜県 | 熊本県 |
坂本 | さかもと | 765 | 滋賀県 | 熊本県 |
山下 | やました | 763 | 宮城県 | 兵庫県 |
醍醐 | だいご | 762 | 秋田県 | 京都府 |
本郷 | ほんごう | 756 | 愛知県 | 福岡県 |
鎌倉時代の僧侶・一向俊聖(暦仁2年(1239年)? - 弘安10年(1287年)?、以下「一向」と表記)を祖とする宗派。
一向は筑後国草野家の出身で、はじめは浄土宗鎮西派(西山派という異説もある)の僧侶であった。後に各地を遊行回国し、踊り念仏、天道念佛を修し、道場を設けた。近江国番場蓮華寺にて立ち往生して最期を迎えたという。
以後、同寺を本山として東北、関東、尾張、近江に一向の法流と伝える寺院が分布し、教団を形成するようになった。鎌倉時代末期に書かれた『野守鏡』にはこの教団を一向宗と呼んで、後世の浄土真宗とは全く無関係の宗派として存在している事が記録されている。
一向と一遍房智真は同時期の人物であり、ともに遊行や踊り念仏を行儀とする念仏勧進聖であることから、一向の「一向宗」は一遍の「時衆」と混同されるようになっていく。『天狗草子』に記された「一向宗」は、一遍の衆を指したものである(一向俊聖の項を参考)。たしかに一向も一遍と同様に浄土宗の影響を受けて自己の教義を確立させたものであるが、全く別箇に教団を開いたものである。また、一遍と違い一向の教えは踊り念仏を行うとはいえ、念仏そのものに特別な宗教的意義を見出す事は少なかったとされている。ところが時代が降るにつれ、一向の教えが同じ踊り念仏の一遍の教えと混同され、更に親鸞の興した浄土真宗とも混ざり合うという現象が見られるようになる。特に一向の教義が早い段階で流入していた北陸地方ではその傾向が顕著であった。
浄土真宗本願寺八世の蓮如が北陸地方に活動の場を求めた時に、布教の対象としたのはこうした一向や一遍の影響を受けて同じ浄土教の土壌を有した僧侶や信者であり、蓮如はこれを「一向衆」(「一向宗」ではない)と呼んだ。蓮如布教時に、一向宗や時宗が支配層との結びつきを強め、民衆から離れ、一向宗の民衆が蓮如教団になびいた結果、一向宗と呼ばれるにふさわしかったともいわれる[1]。本願寺及び蓮如の北陸における成功の背景にはこうした近似した宗教的価値観を持った「一向衆」の存在が大きいわけであるが、同時に蓮如はこれによって親鸞の教えが歪められてしまう事を恐れた。さらに別の事由から他宗派より「一向宗」と呼称されていたこと(後述)も彼の憂慮を深めた。文明5年(1473年)に蓮如によって書かれた『帖外御文』において「夫一向宗と云、時衆方之名なり、一遍・一向是也。其源とは江州ばんばの道場是則一向宗なり」とし、一向宗が一向の教団でもあることを明記して本願寺の門徒で一向宗の名前を使ったものは破門するとまで書かれているものの、ここでも一遍と一向の宗派が混同されている。
江戸時代に入ると、江戸幕府は本末制度の徹底を図り、系譜を異にするさまざまな念仏勧進聖が、清浄光寺を総本山とする単一宗派「時宗」の管轄下に編成された。この際、一向の流派は独立した宗派とは認められず、「一向宗」の呼称を用いる事も禁じられた。『時宗要略譜』によると、時宗十二派のうち、一向派と天童派が一向の法脈を受け継ぐものとされている。一向派(かつての一向の一向宗)は再三にわたり時宗からの独立を求めたが実らなかった。
明治時代になって、中期に一向派から独立転宗を唱える者が出現し、一向派は浄土宗宗務院に「所轄帰入願」を、時宗教務院に「時宗一向派独立認可願」を提出した。しかし一向派の独立・転宗を認めてしまうと、明治以降衰退著しく、時宗寺院が少ない上に、さらに減少することになるので、時宗当局は、これを認めようとしなかった[2]
大半の寺院が時宗を離れ、一向の母体であった浄土宗に帰属するようになったのは、昭和時代に入った1943年の事であった。
浄土真宗、ことに本願寺教団を指す呼称。教団自身はこの名を自称しなかったので注意が必要である。
「一向」とは「ひたすら」「一筋」という意味であり、「一つに専念すること」を意味している。『仏説無量寿経』に「一向専念無量寿仏」と記されていることから、とくに阿弥陀仏の名号を称えることと解釈され、親鸞を宗祖とする教団(本項では「真宗教団」とする)を他の宗派から指す呼称となった。とくに浄土宗は、親鸞の教団が「浄土真宗」と自称することを嫌い、「一向宗」の称を用いた。
したがって「一向宗」は真宗教団の門徒から見て正しい呼称ではなく、また一向俊聖の「一向宗」と混同される事から望ましい呼び方でもなかった。だが、中世において同じ念仏を唱える浄土教系宗派であった両派が混同され、更に時衆などとも漠然と同一のものとして捉えられるようになっていった。蓮如は前述のように「他宗派の者が(勘違いして)一向宗と呼ぶのは仕方ないが、我々浄土真宗の門徒が一向宗を自称してはいけない」という主旨の発言をして違反者を破門するとまで述べているが、逆に言えばこれは、真宗教団の門徒ですら「一向宗」を自称する者がいた事を意味する。
こうした指導により教団内部では「一向宗」の語は正式に使われることはなくなり、「浄土真宗」または「真宗」と称するようになった。しかし、門徒たちを中心とする一揆が「一向一揆」と呼ばれるなど、真宗教団のことを教団外から「一向宗」と呼ぶ風潮は収まる事はなかった。
江戸幕府は、真宗教団を指す名称として「一向宗」を公式に用い続けた。この経緯としては、徳川家康が三河一向一揆により家中統制で苦しめられたこと、徳川将軍家が(真宗教団が「浄土真宗」を称することを望まない)浄土宗を信仰していることが挙げられる。これに対して、真宗教団側は本願寺の分裂などの影響があり、長らく具体的な対応が取られることがなかった。
元増田の記事消えてしまったが、結局あれはそういう出来なのか。
pixivで元となる二次創作の序文だけ読めるので、それは読んだんだが文章を読ませる力はあるように思えたし、グロテスクな描写がある割に読みやすくも感じた。
元ネタの小説のオマージュ、借用のおかげの部分もあるのかもしれないが。
一方で、その二次創作題材となるアニメとキャラクター自体が矛盾の塊、魅力の無さの権化みたいなキャラクターばかりが出てくるアニメ作品だから、SFと絡めてあの作品の二次創作を行うとしたら、その設定の矛盾点やキャラの魅力のなさへの皮肉と絡めて書くことができたら唸る作品が生まれたかもしれないと思った。
オマージュ、というよりパクリを用いているといえばその二次創作題材となるアニメも盗作問題で炎上した。未だに誰も反省の弁を口にしていない近年でも最悪のシリーズ作品だった。
だからその点も含め、皮肉を込めた作品にできていたら、二次創作の名作になったかもしれない。
まあざっと読んでも、エログロSFをおもしろおかしく混ぜてみても結局は単純にその出来の悪いアニメ作品とキャラクターへの盲目マンセー系百合パロディみたいなノリで終始しそうな気配がぷんぷんしたからどうにかして読んで見たいなんて気は起きなかった。
元がファンアンソロジー本への寄稿小説だからそんなもの載せられるわけがないのだろう。
その序文だけ読んでも察する所はあったが作者のTwitterや読者の感想を眺めてみるとやはりアニメのラブライブの影響を受けての礼賛的なテーマが込められているものなのだろう。だから残念ながら面白そうとは思えない。
それと、それらを見ていたら、やはり「君の名は。」「紫色のクオリア」に似ている的な言及が見られた。
最後にして最初のアイドル読了。もともとはラブライブの2次創作。紫色のクオリアとかみずは無間とか好きな人には絶対におすすめできるやつだ!— せにょ (@senyoltw) 2016年11月21日
「最後にして最初のアイドル」は「君の名は。」のように時空を超えた恋愛が描かれます。本当です、信じて下さい。この目が嘘を言っているように見えるか?— SF作家・草野原々 (@The_Gen_Gen) 2016年11月22日
『君の名は。』の百合バージョンを求めている方は「最後にして最初のアイドル」を読みましょう!— SF作家・草野原々 (@The_Gen_Gen) 2016年11月22日
自分は「紫色のクオリア」は超絶名作だと思っているが、それを先に知っているだけに「君の名は。」がストーリーや設定的に陳腐に感じられ、かといってもちろん萌えアニメ・キャラアニメ的な軽薄な派手なキャラ付けも弱いし、TSネタも使い古された薄味のものばかり、恋愛的エンタメ性すら弱いため、なかなかにつまらなく感じた。
まあ駄作ではないのだろうが、名作とはどう頑張っても呼べない。欠点が多く長所がそこらへんの深夜アニメと比べても少ないレベルであるが、不快になる作品ではなかったから人の好みや気分によっては良作と呼べるのかもしれない、という程度の感想だ。
ラブライブ!が好きな連中には「君の名は。」も絶賛できる輩が多い印象がある。どちらも辻褄がスカスカで、かといって爆発力的なエンタメ性や萌えなどがあるともいえない。強いて言うとラブライブの場合はライブシーンや楽曲、君の名はの場合は美麗作画で誤魔化しにかかっているがまともに見ていたら満足感に到底結びつかない。変な薬か宗教に浸かるでもしない限りは。
実際自分は君の名は。を見た時に自分はラブライブのことを思い出した。この辻褄の矛盾が気になる構成、辻褄云々を吹っ飛ばしてくれるエンタメ的なシーンを用意できない構成、それで誤魔化した気になってるのかと突っ込みたくなるふざけてキチガイダンスしだしたような寒い演出。そんなことに目をつぶりながら見続けても結局陳腐な話でサービスもなく終わり何もカタルシスが残らない作品。まあ君の名はそこまでは酷くないが、方向性としてはそういう面で似ていたし、あれが世間で人気だという点も含めて、こういうものこそが広くいいものだと思われる認識が広まるのは日本や世界の文化にとって危機的状況だと感じた。
人間の科学技術や知能の発展というのは人間の歴史が続く限りは永遠に続いていくと思われがちだがある時をピークに衰退に転じるという予測もある。手塚治虫の「火の鳥」でもそんな話があったように記憶するが、もしかしたら映像芸術、文化芸術の表現力や認識力において人間は既に衰退に転じてきたのではないか…なんて思えてきている。
恐らく序盤のシーンを超えていくと、上記の作品に似たエッセンスを用いた流れがやってくるのだろう。そうなると二番三番煎じかつ、元ネタがアイドル、しかもあのクソアイドルアニメということで説得力には期待ができない。
結局あの作品の大半を占める百合なら何でも喜ぶタイプのオタク、ラなら何でも喜ぶタイプのオタクが読まないと賛美するという方向に思考が結びつかない、ラブライブの二次創作に相応しい作品なのだろう…。
アイドルになりたい人は「最後にして最初のアイドル」を読みましょう。キラキラできます!— SF作家・草野原々 (@The_Gen_Gen) 2016年11月22日
『最後にして最初のアイドル』読んだ。なかなか感想が難しい。初めはアイドルでSFってどういうこと?って思ったが、今なら分かる、完全にSF小説だった。"アイドル"の概念に迫るアイドル創世記。締め括りも良く、これは周りにお薦めしたいhttps://t.co/3SKBmNU1BK— うきくさ先輩 (@Sphingobiumm) 2016年11月22日
アイドルになれるとかアイドルの概念がどうとか言っているが…三次元アイドルとは違って、理想を実現させられるはずの二次元アイドルという概念を三次元的現実やその事情と絡め貶めた設定を用いた、アンチ二次元アイドルの権化であるラブライブ!、そしてアンチ二次元アイドルの権化であるアニメ版矢澤にこが元ネタになっている点で作者や読者のアイドルという概念の捉え方や理想(のアイドル)の捉え方にも期待が出来ないどころか絶望的な不安しか感じられない。
百合は素晴らしいということを否定はしないが、結局のところ百合マンセーラブライブマンセーナントカSFマンセーを行う道具として片手間で作られたラブライブらしくラブライバーらしい小説が元なんだろうなあ…と想像を働かせてしまうのだった。
これに限らず、なんかの受賞作品といってもその賞自体の価値、審査自体の価値が危ういなんてのは珍しい話でない。
必ずまともな審査員しかいないコンテストなんて殆どどこにもない。ノーベル賞やアカデミー賞ですら賛否両論は珍しくない。
だからまともじゃなくていいなんてことではないが、どうしようもない人がどうしようもない作品を作っても何かが間違うと高く評価されるなんてこともあるかもしれないのだ。
今はピコ太郎の「PPAP」が流行している。しょうもないとまでは言わないが、素晴らしい含蓄がある歌詞と画期的で流麗な音楽に感動した…なんて到底言えないものだ。
しかし、どんな歌詞を込めてどんな演奏力ある楽器隊や歌唱力あるボーカルを擁して作られた他の殆どの日本の音楽よりも今は世界的に流行し評価されてしまっているのが現状だ。
だから、その最後で最初のなんとかみたいな駄作小説が賞をとれてしまうこと、ラブライブとかいう駄作アニメが売れたり賞をとれてしまうことなども含め、そういうのを見てると、ワンチャンどころでないチャンスが実は世の中誰の目の前にも転がってるのではないかと思う。
一足お先にフルで全部きいてきた
PVの紙人形、似てないし草野さんあんなに歌いながら跳ねないし、普通に本人たちの映像だけでいいのに・・・ともやもやしてしまう
割愛。
それ以外は子グマ要素あんまない気がしたけど歌詞わかんないからなー
一昔前のバンプチックというか
アウトロのピアノがポロンポロン鳴るところが隕石が落ちてきてる様子を髣髴とさせた
「これを恋というのなら 情けない獣さ」って歌詞があった
電話のジリリリって音とか、レジのカシャカシャちーんみたいなおもちゃみたいな音がところどころに入ってて可愛かった
「君が望むのなら すべてを壊せる」
ちょっと物悲しい感じというか、80年代っぽい感じの曲調・コード進行
でもラストは明るいコード進行で長調で終わったから安定感があった
激しいロック
ベースが印象的
「ハチの針だけ持ってイキがれ」
ここまでほぼ全部ロック
「モニャモニャが一番の友達」「モニャモニャは撫でるとあったかい」
ジャケットのネバーエンディングストーリーのファルコンみたいな生き物のこと言ってんのかな?って思った
サビが印象的で覚えやすい
「もう恋なんてしないなんて言ってたのに ゴミ箱キラキラ ちょい新しいな」
タイトルの意味不明 「SUBARU フォレスター」CMソングらしい
静かなピアノから始まってバラードかなと思いきやだんだんロックになっていく
「大丈夫だもう恐れるな」
もしくはただの愛猫家?
「お上品じゃなくても 真面目じゃなくても」
「奇跡は起こらない それでもいい そばにいてほしいだけ」
「君はブチこそ魅力」
明るく軽妙なポップス
短い
全体的にロックが激し目で、ロックバンドなんだぜってのを全面に押し出してるアルバムって感じがした
何度か聞いたらまた変わるのかもだけど、今のところ何度もききたい!また聞きたい!と思えるような曲はなかった
2003年 NEWSがデビュー。山下智久を中心とした人数変動制という仕組みをとってたため少し実験的でもあったが、とりあえずデビューした。ちなみにプロデューサーはメリー。(サブ・ジュリー)。12月にONE OK ROCKのボーカルが素行不良すっぱ抜かれて脱退。
2004年 関ジャニ∞がデビュー。既存Jr.ユニットからのデビューだった。関西限定デビューなど、これも実験的。初期はお試しグループ(駄目だったらこっそり解散)として存在していたはず。ちなみに当時のプロデューサーはジャニー(基本ジャニーはジュニア担当である)。NEWS選抜で錦戸、内が先に行ってしまったため、遅れをとらないようにという配慮だったかもしれない。
2006年に KAT-TUNがデビュー。既存Jr.ユニットからのデビュー。既に人気があったが2005年に内のフジのアナウンサーとの事件があり、全員二十歳になるまでデビューできなくなったものだと思われる。ちなみに当時のプロデューサーはジュリー(ジャニーが作ったと記憶。結構関わってんのかなって感じ。確か辞めちゃった飯島じゃ無い敏腕マネ居たよね)
2006年3月にKAT-TUNのデビューを控えていたところ、1月にNEWSの草野に未成年飲酒、暴行疑惑がかかって脱退。
内の処分が正式に決まってないのでNEWSと関ジャニ∞が宙ぶらりん状態。ただ今はノってるKAT-TUN売りたい。売るためにはFCとかも作らないといけないけど、先に2つデビューしてるグループにFCを作らないと変。錦戸のNEWSと関ジャニ∞の掛け持ち問題もある。
って感じで出来たのが06年4月発足の「YOU&J」という3グループ合同ファンクラブ。これが通称YJ。
このファンクラブは会報がまとめて1冊。1グループ分の会費で3つのライブに応募できる仕組み(コンサートは会員にならないとそうそうチケット当たりません)。
だから錦戸亮のファンになればNEWSと関ジャニ∞どっちにもいけばよかったし、KAT-TUNのライブに関ジャニ∞ファンが居たりした。
(ただまぁ2006年いっぱいNEWSは活動休止処分を受けていたので、実際初期は2グループ合同FCって感じ)
交流があったので当時のファンたちは、お互いの曲とか構成やキャラについて詳しかったりする。
このグループ同士にライバル意識が芽生えるのは当然のことで(錦戸は板挟みであるし、仕事は通常の2倍だった)比べられることで、結構良い効果を生んでいた気がする。3グループのメンバーが同じ舞台に立っていたこともあった。
ただそれがファンを困らせることになる。
成長していく3つのグループが売れて、Jr.から他のグループも見ていたファンたちばかりではなく、「このグループだけが大好き!」って人が増え始めた。(なんか赤西もデビューすぐ留学した)。
じゃあ何が起こるかというと、チケットがとれなくなってくる。(赤西も帰ってきた。)
グループごとに人気の格差も出てくる。ファン同士もギスギスする。
いつまでたっても会報が年に数回、他のデビューした先輩と同じ厚さで(もしくはそれより薄い)1冊しかこない。
会報の間、大きなライブが重なって、1つのグループがなにもしてなかったとしたら、2グループしか載ってない会報がくる。
もういい加減に全くチケットがとれない公演が連発しだした2010年、赤西仁がついに脱退。つまり彼がYJにおけるイギリスのようなものである。
ただ直ぐにYJから抜けたわけではなく、赤西のソロ活動が始まる。ちなみに内も含めて、それらは全てYOU&Jとして処理された。この時点で<NEWS・関ジャニ∞・KAT-TUN・赤西・内>の合同FCとなっている。辞めて行ったものの情報がリアルタイムでそれらのファンに届くし、ライブにも行ける状況である。
便利でもあり、複雑な想いだ。(ちなみに赤西は大体海外に居た。)
で、グループ格差がどんどん広がる。(当時頭一つ抜けたグループは察して。)チケットがとれない。ファンの不満も広がる。もうすでにYJにメリットなど無い。
それぞれ個人での人気も高まっていた。連ドラに出るもの、ソロで歌を出すもの。その筆頭の(といっても、彼はJr.時代から超人気である)山下智久がグループ脱退の意思を表明したのが2011年10月。そこで錦戸も両立の限界を感じNEWSから脱退の流れになる。(彼の掛け持ちとはなんだったのか、という議論もある。)
いよいよYJの意味が無い。そこで同年12月やっとのこと解散の報告がきて、3つのグループはやっとのことで2012年6月ごろから自分たちのファンクラブを作ることができたのだ。(赤西は個人メールサービスとなり、内はJr.扱いとなった)
今でも時々思うのだ、このYOU&Jとはなんだったのだろうと。
お互いを高め合うためには必要だったのかもしれない。
しかし、それは初期のほんの一部の話だ。同時期にデビューということでピリピリムードはあったし、十分にお互いをライバル視するという状況は整っていた。YJが無くても、彼らは努力していたと思うのだ。何故かってそれは数百人の候補ジュニア中から選ばれし者だからだ。FC会員はお金さえ払えば他のグループとの掛け持ちは可能だし、コラボさえしてれば、お互いのファン交流は可能だったはずだ。
もし当初からYJが無ければ、会報でファンに自分たちの気持ちを率直に伝えられたのではないだろうか。
オフショット満載とかで、素をさらけだせたのではないだろうか。
もっとはやく自分たちのファンしか居ない場所で、自分たちの本当の気持ちを吐露できたのではないだろうか。
そんなことを何故かEUの情勢を見ながら思っている。
YJも、EUも、いずれ、崩壊しなければならないものだったのだろう…。
YJ遺族と呼ばないで…!
宇奈月温泉亊件スルコトハ明カニ所有權侵害ノ不法行爲ニシテ反社會性ノ行爲ナルコト論ヲ俟タス法律的秩序ヲ紊亂シ須臾モ存在セシムヘキモノニ非ス宜シク之レヲ排撃シ不法行爲ナカラシメ所有權ヲ圓滿ナル状態ニ囘復セシムヘキコトハ正義ノ命スル処ナリ之レカ不法行爲ニ忍從シ其ノ不法ヲ恣ニセシムヘキ義務アルコトナシ而シテ原判決ハ引湯管ノ敷設ニヨリ多大ノ便益ヲ得ツツアル各種ノ亊情ヲ斟酌シ換言セハ引湯管敷設ハ不法行爲ナルモ既ニ多大ノ便益ヲ得ツツ在ルヲ以テ之レカ排除ヲ求ムル上告人ノ請求ハ權利ノ濫用ニシテ不法行爲ナリト爲セリ以テ被上告人ノ不法行爲ヲ保護シ之ヲ維持セシメントス斯ノ如キハ國家社會ノ秩序ヲ紊スモノニシテ許スヘカラサル不法アリト云ヒ』同第四點ハ一、凡ソ私人ノ所有ノ土地ニ國家若クハ公共団體カ正當ノ權限ナクシテ公ノ行政行爲ヲ爲シ地上ニ公ノ營造物(例小學校舎)ヲ所有スルニ至ルモ土地所有者ハ民法其ノ他ノ法規ノ範圍内ニ於テ依然トシテ物上請求權ヲ行使シ得ヘク所有權本來ノ效用ヲ受クルコトヲ得ヘシ權利侵害ノ救濟ハ侵害行爲自體ヨリ可否ヲ定ムヘク被告ノ輕重大小ニヨリ之ヲ決スヘキニ非サルコトハ判例ノ示ス所ナリ(昭和六年 ( オ ) 第千二百四十八號亊件同年十二月九日大審院第三民亊部判決法律新聞第三三七七號所載)被上告人カ無權利ニシテ係爭土地ニ引湯管ヲ敷設スル以上ハ上告人ニ於テ其ノ侵害亊實ノ排除ヲ求ムルハ所有權本來ノ效用ヲ全フスル所以ニ外ナラス係爭土地カ利用價値ノ少ナキコト引湯管撤去ノ及ホス影響ノ大ナルコトハ權利侵害行爲ノ救濟ヲ求ムルニハ何等ノ關係アルコトナシ之レカ爲メニ救濟ヲ求ムル物上請求權ノ行使カ權利濫用トナルヘキ理ナシ原判決ハ破毀スヘキモノナリト云ヒ』同第五點ハ一、上告人ハ原審ニ於テ「所有權ハ他ヨリ侵害セラルルコトナシ凡ソ公益ノ爲メ必要ナル処分ハ法律ノ定ムル所ニ從フヘキノミ現在ノ個人主義的體系ニ基ク財産制度ニ於テハ所有權ハ絶對的ニ且排他的ニ總括支配力ヲ有シ使用收益処分ノ作用ヲ有スルコト論ヲ俟タス唯タ一般公益警察ノ必要特種産業上ノ利益交通ノ安全國防ノ必要國土ノ美觀相隣者ノ共存等各種ノ理由ニヨリ法令ヲ以テ所有權ノ制限セラルル場合アルニ過キス而シテ社會機能體系ノ觀念ヲ信スル者ト雖モ所有權ヲ社會機能化セント努力シナカラ尚ホ個人財産ハ一切ノ浸害殊ニ公權力ヨリ生スル侵害ニ對シテモ保護セラルルコトヲ承認セリ係爭土地ハ畑地ニシテ控訴人ハ本來ノ畑トシテ生産機能ヲ全フスヘク利用シ居ルモノニシテ被控訴人ノ便益ノ爲メ侵害ヲ受クヘキ亊由アルコトナク其ノ排除ヲ求ムルコトハ正當ナル權利ノ行使ニ外ナラス又土地所有者カ起業者ニ對シテ土地ノ返還ヲ請求シ原状囘復ノ目的ヲ達スルニハ亊實上法律上共ニ返還ノ可能ナルコトヲ必要トスルハ勿論ナリ而シテ本件ノ場合ニ於テ亊實上返還可能ナルコトハ雙方爭ナキ所ニシテ法律上返還不能ナリト看做スヘキヤ如何ニ之ヲ判例ニ徴スルニ大審院ハ大正四年 ( オ ) 第七七六號土地引渡等請求亊件ニ於テ大正五年二月十六日判決シテ(第二十二輯一三四頁以下)起業者カ土地收用法ニ從ヒ土地ヲ收用シ引渡シタル場合ト雖モ後ニ協議又ハ裁決ノ無效ナルコトヲ發見シタルトキハ起業者ヲシテ土地ヲ返還セシメ得ヘシ而シテ叙上ノ場合ニ起業者ノ占有ニ歸シタル土地カ鐵道道路公園其ノ他公ノ營造物ニ變シタル場合ハ法律上返還不能ト爲リタルモノト説示シ又昭和七年 ( オ ) 第二二五六號所有權妨害排除請求亊件ニ於テ同年十二月二十日判決シ(法律評論二十二巻民法二六六六頁以下)被上告會社ノ發電亊業ハ土地收用法第二條ニ所謂電氣装置ニ關スル亊業ニシテ同法所定ノ手續ヲ践マハ該土地ノ使用權ヲ收用シ得ヘキ關係ニアリテ右亊實ハ公亊業ノ性質ヲ帶ヒ巨額ノ費用ヲ投シ施設シタル係爭墜道ヲ撤去シタル上電氣亊業ヲ繼續スル爲メ新ニ水路ヲ設クルニハ發電作業ヲ中止スルヲ要シ公益亊業ニハ多大ノ損害ナルヲ以テ法律上返還不能ト看做スヘキモノナリト云フニ在リ(被控訴人援用新潟地方裁判所判決ノ上告審判決ナリ竝被控訴人援用ノ大阪地方裁判所ノ判決モ發電亊業ニ關スルモノナリ)之ヲ本件ノ場合ニ對比スルニ被控訴人主張ニ從ヘハ訴外草野武平カ自己經營ノ二見温泉營業ヲ會社組織トシ下新川郡内山村ニ引湯ノ上温泉營業ヲ爲サントシ二見温泉株式會社ヲ設立シ其ノ後愛本温泉株式會社ニ右亊業ヲ移轉シ本件ノ引湯管ヲ設ケシ処更ニ被控訴會社ヘ承繼シタルモノナリト云フ然レハ該亊業ノ公共性ヲ有スルモノニ非サルコト明カニシテ土地收用法ヲ適用シ土地使用ヲ爲シ得ヘキモノニアラサレハ前掲判決ニ表示スルカ如キ公共性アル亊業ト全然趣ヲ異ニスル斯ル非公共亊業ニ對シ單ニ經費ノ多寡設備ノ難易ノ觀點ヨリシテ法律上返還不能ナリト云ヒ得ヘクンハ僅少ノ土地ヲ所有スル貧弱者ハ遂ニ大企業ノ犠牲トナリ其ノ蹂躪ニ任カスノ外ナキニ至ルヘシ何等公共性ナキ私企業ニ於テ廣大ナル工作物例ヘハ大製造工場ヲ造リ高價ナル機械ヲ据付ケ盛ンニ生 ? シツツアリト假定シ其ノ周圍ノ住民カ間接ニ多大ノ利益ヲ享有シ爲メニ町村ノ繁盛ヲ來タシタル場合ニ於テ機械据付ケ箇所ニ該當スル土地ヲ所有スル者アリ其ノ使用ヲ許容セシ亊實ナク所有權ヲ主張シ妨害排除ヲ求ムルニ拘ハラス法律上返還不能ニ歸シタリトノ理由ニヨリ棄却スヘキモノトセハ是レ正ニ憲法ノ條章ヲ否定スルモノニシテ不經ノ論タルヲ免レス而シテ鐵道ヲ經營スル會社カ承繼取得シタルノ一亊ニ因リ公共性ナキ温泉經營カ鐵道ト同一ニ看做スヘキニ非サルコト言ヲ俟タス又控訴人カ所有權ヲ侵害スル者ニ對シ救濟ヲ求ムルモ公序良俗ニ反スルコトナク假令相手方ニ於テ之ヲ除去スル爲メ多少ノ損害ヲ生スルコトアリトスルモ使用權ヲ有セスシテ侵害シタル者ノ當然ノ責任ナリ所有者ノ目的ハ單ニ救濟ヲ求ムルニ在ルノミ特段ノ設備ヲ施シ他人ノ迷惑ヲ釀サントスルニ非ス又權利保護ヲ求ムルニ當リ他人ノ損害ノ少カランコトヲ欲スルハ固ヨリナレト妨害ノ排除ヲ求ムルカ然ラサレハ所有權本來ノ作用ヲ廃止スルヨリ外ナキ場合ハ所有者トシテ所有權ニ基キ救濟ヲ求ムルハ決シテ正義ノ觀念ニ違背スルコトナシ否寧ロ權利ナクシテ他人ノ所有地ヲ使用スルコトハ法的秩序ヲ紊シ正義ニ背キタルコト極メト大ナルモノト謂フヘシ」ト主張シタルニ對シ原判決ハ第一點ニ摘示シタルカ如ク亊實關係ヲ認メ上告人ニ於テ被上告人ノ不法行爲ノ排除ヲ求ムル本件請求ヲ以テ權利濫用ノ不法行爲ト爲シタリ上告人ハ原審ニ於ケル右主張ヲ援用シ貴院ノ明鑑ニ愬フモノナリ凡ソ所有權カ社會的利益ト衝突スル場合ニハ所有者ハ社會的利益ニ讓歩セサルヘカラス所有者ニシテ任意ニ其ノ讓歩ヲ肯セサルトキハ強制ニ依ラサルヘカラス之レ收用法ノ規定アル所以ナリ然ルニ收用法ノ適用ナキ亊案ニ對シ ? 被上告人ニ於テ引湯管ノ撤去ノ困難ナルコト尠ナカラサル費用ト日時ヲ要スルコト宇奈月地方ノ盛衰消長ニ關スルコトト ? 上告人カ殊更自己ニ不要ノ土地ヲ取得シ不當ノ利益ヲ得ント欲シタリト獨斷シ所有權ノ行使ハ被上告人ヲ困惑ニ陷ルルニ過キサルモノトシ上告人ハ權利ノ濫用ナリ不法行爲ナリトナセリ然レトモ被上告人ニ於ケル亊情ハ他人ノ土地ヲ不法ニ侵害シタル者ニ於テ相手方カ所有權ヲ圓滿ナル状態ニ囘復セントシ救濟ヲ求ムル爲メ生スル當然ノ結果ニシテ正ニ其ノ不便不 - 2 -大判昭10・10・5 民集14 巻1965頁 宇奈月温泉亊件利ハ甘受スヘキ所ニ過キス上告人カ土地所有權ヲ取得スルニ當リ其ノ要不要ハ他人ノ關與セラルヘキ亊柄ニ非スサレハ不法侵害者ニ對シ救濟ヲ求ムルモ斷シテ權利濫用ニ非ス原判決ハ不法ナリト云ヒ』同第六點ハ一、上告人カ係爭地ヲ所有スルコトハ原判決ノ認ムル所ナリサレハ所有權ノ作用ヲ發揮シ得ルコトハ論ヲ俟タス而シテ所有者ニ於テ不法侵害者ニ對シ救濟ヲ求メ得サル理アル亊ナシ其ノ救濟ヲ求ムルカ爲メ不法行爲者カ不利不便ヲ生シ困惑スルコトアルヘキ亊情ヲ知ルカ爲メ所有權ノ行使ヲ制限セラルヘキ道理ナキハ當然ニシテ是ノ行使カ權利濫用ノ不法行爲トナルト謂フカ如キ原判決ハ到低破毀ヲ免レスト云ヒ』同第七點ハ一、物上權利者モ登記ヲ爲スニ非サレハ第三者ノ善意悪意ヲ問ハス對抗シ得サルコトハ民法上ノ鐵則ナリ土地ヲ買受ケタル者カ該土地ニ物上權利者アリテ其ノ登記ヲ爲シ居ラサルコトヲ知リテ所有權ヲ取得セシ場合ニ於テ物上ノ權利ヲ否認シ所有權ヲ行使スルヲ妨ケサルヘク之レヲ以テ權利濫用ナリト云フヲ得サルコト明白ナリ況ンヤ本件ノ如キ被上告人ニ於テ何等ノ權利ナクシテ不法ニ他人ノ土地ニ引湯管ヲ敷設スル場合ニ假令右敷設アルコトヲ知リテ土地ヲ買受ケ所有權ヲ行使シタリトスルモ我カ民法ニ於ケル前記通則ニ照ラシ權利濫用ナルコトナシ原判決ハ不法ナリト云フニ在リ按スルニ所有權ニ對スル侵害又ハ其ノ危險ノ存スル以上所有者ハ斯ル状態ヲ除去又ハ禁止セシムル爲メ裁判上ノ保護ヲ請求シ得ヘキヤ勿論ナレトモ該侵害ニ因ル損失云フニ足ラス而モ侵害ノ除去著シク困難ニシテ縱令之ヲ爲シ得トスルモ莫大ナル費用ヲ要スヘキ場合ニ於テ第三者ニシテ斯ル亊實アルヲ奇貨トシ不當ナル利益ヲ圖リ殊更侵害ニ關係アル物件ヲ買收セル上一面ニ於テ侵害者ニ對シ侵害状態ノ除去ヲ迫リ他面ニ於テハ該物件其ノ他ノ自己所有物件ヲ不相當ニ巨額ナル代金ヲ以テ買取ラレタキ旨ノ要求ヲ提示シ他ノ一切ノ協調ニ應セスト主張スルカ如キニ於テハ該除去ノ請求ハ單ニ所有權ノ行使タル外形ヲ構フルニ止マリ眞ニ權利ヲ救濟セムトスルニアラス即チ如上ノ行爲ハ全體ニ於テ專ラ不當ナル利益ノ ? 得ヲ目的トシ所有權ヲ以テ其ノ具ニ供スルニ歸スルモノナレハ社會觀念上所有權ノ目的ニ違背シ其ノ機能トシテ許サルヘキ範圍ヲ超脱スルモノニシテ權利ノ濫用ニ外ナラス從テ斯ル不當ナル目的ヲ追行スルノ手段トシテ裁判上侵害者ニ對シ當該侵害状態ノ除去竝將來ニ於ケル侵害ノ禁止ヲ訴求スルニ於テハ該訴訟上ノ請求ハ外觀ノ如何ニ拘ラス其ノ實體ニ於テハ保護ヲ與フヘキ正當ナル利益ヲ闕如スルヲ以テ此ノ理由ニ依リ直ニ之ヲ棄却スヘキモノト解スルヲ至當トス本件ニ付之ヲ見ルニ原審ハ ? 原判示ノ宇奈月温泉場ハ全長約四千百七十間ノ樋管ニ依リ他ヨリ温泉ヲ引キテ使用シ居リ該樋管ハ訴外愛本温泉株式會社ニ於テ多大ノ費用ト努力トヲ以テ大正六年頃之ヲ敷設セルモノナルカ今若該樋管中本件地上ヲ通過スル係爭部分ヲ撤去ストセムカ右引湯設備ハ茲ニ中斷セラレテ無效ニ歸シ從テ宇奈月温泉場ノ經營ハ全ク破壞セラルルニ至ルヘク又右設備ニ變更ヲ加ヘ係爭樋管ヲ本件土地外ニ迂囘セシムルコトハ技術上之ヲ可能トスルモ該工費ニ約一萬二千圓工亊ノ完成ニ約二百七十日間ヲ要スヘク而モ被上告人(被控訴人)ニ於テ新ニ本件土地ニ代ルヘキ引湯管ノ敷地ヲ求メムトセハ實際上諸種ノ問題簇出シ解決容易ナラス即チ係爭樋管ノ撤去問題ハ原判示ノ如キ被上告人ノ亊業經營ニ對シ甚大ナル打撃タルノミナラス或ハ宇奈月地方ノ盛衰ニ關スヘキ亊項ナルコト ? 本件土地ハ原判示ノ如キ荒蕪地ニシテ就中係爭樋管ノ敷地約二坪ヲ含ム急傾斜部分ハ殖林農作ハ勿論其ノ他何等ノ利用ニ適セス從テ本件土地全部ノ價格ハ僅ニ三十餘圓ニ過キサルコト ? 上告人(控訴人)ハ本件地上ニ係爭樋管ノ通過セルヲ知リ而モ該土地ヲ利用スヘキ目的ヲ有セスシテ昭和三年一月中之ヲ買受ケタル上被告人ニ對シ樋管ノ撤去ヲ迫リ被上告人ニ於テ本件土地ヲ原判示ノ他ノ土地ト共ニ總額二萬餘圓ニテ買取ルニアラスムハ協調ニ應セサル旨主張セルコトノ各亊實ヲ認定シ之ヲ綜合シテ上告人ノ行爲ハ敢テ不當ナル利益ヲ企圖シ不要ノ本地ヲ買收シ所有權ノ行使ニ藉口シテ被上告人ヲ困惑セシムルモノニシテ本訴請求モ亦斯ル目的ニ基キ提起セラレタルニ外ナラサル旨推斷セルモノナルコト判文上自ラ明ニシテ原審ノ採用セル證據ニ照セハ斯ル判斷ヲ爲シ得ラレサルニ非ス果シテ然ラハ原審カ本訴請求ニ付爾餘ノ爭點ノ判斷ヲ俟タス全部之ヲ棄却スヘキモノト做セルハ冒頭ニ説明セル理由ニヨリ相當ナリト云フヘク所論ハ畢竟本訴ヲ以テ誠實ナル權利保護ノ請求ナリトシ以テ原判決ヲ非難スルニ歸シ如上ノ認定亊實ニ副ハス該亊實ニ依レハ原判決ニハ何等所論ノ如キ違法アリト云フヲ得サルヲ以テ論旨ハ總テ採容シ難シ仍テ民亊訴訟法第三百九十六條第三百八十四條第八十九條ニ則リ主文ノ如ク判決ス
はがない批判しながらもはがないの小鷹もまっさおの「え、なんだって?」ぶりをリアルで発揮するのが青二才の笑いどころダヨ。
自分が反論できると思ったものにだけは反論し、自分と同じ意見と思ったものはきっちりRTし、自分が反論できないものは見て見ぬふり。こういうところだけ見ると、はてな民相手のハーレムを維持するコツは「どうでもいいものはマメに反応し、かつ都合がわるいものはえ、なんだって?といってごまかす」ところにあるような気がする。 。これだけ観測範囲をつまびらかにしておいて、「俺それ見てないし」が通じると本気で思ってるならまじでアホだが、さすがにそれほどアホではないだろう。 わかった上でとぼけてるのは、はてな民ハーレムを維持するための彼なりの努力なのだろう。 だから、批判されても頓珍漢な受け答えで話をつうじなかったりするのも、あれは本当はわかっているけどとぼけているだけなのだ。そうにちがいない。
ただ、青二才は小鷹と違って国語力が低いのか、自分を皮肉っているものと、自分の味方をしてくれているのの区別が微妙につけられていないようだ。RTしてるもののなかで、青二才、これ皮肉だってわかってる?って感じるものがある。あと時々調子に乗ってリプした結果、それが通じなかった時に泥沼になる様子なので、あまり相手を見定める目がないようだ。 今回のも、twitterでは変なやつに絡まれたから最後まで書けなかったとか意味わからないことを言っているが、無視して書き続けることがなぜできなかったのか。いちいち言っていることが意味不明である。
もしかしたらただのアホなのかもしれない。
https://twitter.com/search/realtime?q=http%3A%2F%2Ftogetter.com%2Fli%2F486943
のうち青二才の反応で分類してみた。
https://twitter.com/David19881988/status/322717611513221120
https://twitter.com/_nickname/status/323168599307071489
https://twitter.com/ten_mon/status/323050648511860737
https://twitter.com/wsplus/status/322862755247951872
dokai3
多分懐かれている。飼い主として責任持ってほしい。
https://twitter.com/tm2501/status/322844362566406144
https://twitter.com/tm2501/status/322844283390541827
https://twitter.com/shiwazanin/status/322809291272773632
https://twitter.com/srpglove/status/322725663402516480
https://twitter.com/tm2501/status/322746157694590976
その他 tomorox、cornpt、hakuhai、non0nun、giteki
https://twitter.com/kinoko2002_/status/322759979411070978
https://twitter.com/valerico/status/322729546908585984
多分意味を理解していない
twit_shirokuma、REV、FTTH、str017、TM2502、amamako (今回はkanoseには言及なし)
青二才にはケンカしたくないやつと出会った時に、違うやつを叩き始めて強引に話をそらすなぞの芸が多数観測されている。
今回はstr017を叩くためになぜかREVとかTM2502叩きを始め、ウォッチャー論にはなしがずれていく。この話のずらしぶりはまさに小鷹。
そこでお前が来るのかよ…すとらいさんよ~。なんで、やる気なくしたあとに来ちゃうのかなぁ?この人は…(ついでに言えば、ちょくせつてきに対決してないが、この人の俺へのウォッチ量はかのTM2502に匹敵するんじゃないのかねぇ…と最近思うわけです。)言わないようにしてきたけど、俺の見立て(ブクマなどの痕跡)から言えば、青二才ウォッチャーのトップ3はあままこ・すとらい・REVであって02さんは五本指にも入るかどうかぐらいだと思う。あとマイナーだけけどはてブに3人ほどやたらと俺へのマークがきつい「ウォッチャー」がいます(T▽T)「ストイックなウォッチャー」という意味では、TM2502は間違いなくトップクラスだと思うよ?ただね、最近あままこさんから聞いたけど「影響力が強すぎるウォッチャーは純粋な意味での観測者ではないため、ウォッチャーとして評価すべきではない」とも聞いた。ウォッチャー論を色んな人に聞きたい
https://twitter.com/crowserpent/status/322754920925241344
批判する側は批判対象に匹敵する価値を持ってないと批判者たる資格はない、って青二才の人が言うので、その「価値」の基準って何よ?と突っ込まれてるって構図だよね。それに対して「野球はどう見たって価値があるに決まってるだろ!」って返すのはちょっとお粗末すぎる。「カーストを受容しつつも甘んじない」のは立派で、カーストを逸脱するやつはダメ、ってのはカーストの価値基準に首までどっぷり浸かった考え方だと思うけれど、当の@tm2501 氏があんまりそう思ってないっぽいのが気になる。多数派の価値基準によって抑圧されている人達にとって、「価値基準をずらす」というのは凄く大事な防衛手段の一つなのよね。それを卑怯だって言うことが何を意味するかってことだ。
https://twitter.com/srpglove/status/323029412960407552
スクールカーストの点から「ハルヒ」という作品を見るならば、ハルヒ暴走の被害がしばしば比較的下位カーストに属するコンピ研に降りかかり、現状のカースト構造を追認する形になってしまっていることこそを指摘するべきではないのか。それは確かに荒ぶる神たるハルヒにふさわしくない振る舞いだ。正直、ベン・トーの石岡君ネタも似たようなところがあると感じる。ああいうナチュラルなスクールカースト感覚見ると、やはりアサウラって現代っ子だよなと思う。作品は面白いけど絶対に友達にはなれないだろう。>現状のカースト構造を追認する形になってしまっている
https://twitter.com/str017/status/322696734360875011
ハルヒ批判ってあまり新鮮味が無いって印象があるから、その題材でここまで人を怒らせるってある意味才能だよなー由衣は分からんけど、八幡も雪乃もあの部活によって言うほど幸福を得られてるという感じはしない。まぁ氏はよく読み込まずに見てくれだけで批判するから、真面目に反応するだけ損しそうな感じはするんだよなーもうちょい精神的に元気だったら真面目に反応してたかも知れないけど、どうも精神的倦怠期入った臭いので、ちょろっと牽制するしか気力が湧かないんだわ。言っちゃあれだけど、どう真面目に批判しても氏の批判の根底ってだいたいルサンチマンが元だから、氏が思うなら氏の中ではそうなんだろって結論しか出ず、問題意識の共有とか無理ゲーすぎる。どうでも良いが、体育系の部活だからと言って、体育会系の体質だとは限らなかったりする。ソースは私が高校んころ入ってたラグビー部。あー、見えてきた、八幡の高僧スタンスは作品のテーゼでは無いよ。
https://twitter.com/str017/status/322978056291614720
まさに「ヤンが卿ならそう思う」。あ、この場合は「八幡が卿ならそう思う」かw卿は「俺ガイルなんか読み続けると堕落する」とは言うが、これには「だが人間は永久に堕ちぬくことはできぬだろう」という言葉を返したい。しかしスクールカーストの存在も割と怪しい部分がある、ソースは私。理由はスクールカーストでいえば最下位のはずなんだが風紀委員長もやったことがあるからスクールカーストという存在自体もっと恣意的に受け取らなくてはならん。というか俺ガイルも3巻まではそういうことを言おうとしてる感が。一応現段階ではこの程度の牽制をするぐらいしかできんというか、真面目に反応しても卿は「釣りに何マジになってるの?」とか言い出しかねないしなー、どうせ俺ガイルdisも釣りなんだろー? 釣りなんだろー?釣り宣言するとすべて釣りネタとしてしか扱われんようになるので諸刃の剣だということを卿は気づいていない。卿は一体誰と戦いたいのか?言っちゃあれだがスクールカーストって存在的には呪いと一緒で、当人や周囲が存在すると思えば思うほど当人や周囲に影響をもたらすもので、無いと思えば垣根なんて無くなるんだが、俺ガイルはそういうことを作品で言い表したいのではないのかと思うのだが。そのスクールカーストという存在がプラシーボ効果なるものだとすれば、その人がスクールカーストをどう捉えるかでその人の自分史観を浮かび上がらせるという言わば鏡像の存在になるともいえる。つまり卿の自分史観とは……では何故に「スクールカーストはその人の自分史観」なのかと問われると、言わば実際に存在する階級は「生徒会長」「委員長」「委員会員」「部長」「先輩」「後輩」という役割的な階級しか存在せず、スクールカーストはそれ以外の「恣意的な階級」を扱っていて、しかも確固たるものではないから。スクールカーストがトップのやつでもうんこ漏らせばうんこまんになるんですよ!!!だから「ヤンが卿ならそう思う」なのですよ。いくらスクールカーストを定義したところで、学校や校内のコミュニティにおいてスクールカーストの性質はすごく変わって来ますので、厳密に定義することは不可能な訳で。結局は自分史観に落とし込むしかない。最後に何故に夕方ごろに「俺ガイルなんか読み続けると堕落する」に対して「だが人間は永久に堕ちぬくことはできぬだろう」という言葉を言ったのかというと、そんなに意識が強い奴なんか居ないんですよ。ここで「スクールカーストに批判的だが何もしない」読み手がいたとします。その人は俺ガイルを読んで溜飲を下げたとします。(実際はかなり違うのですが、ここではあえてそうします)しかし現実のスクールカーストは変わらないし、その人も社会にコミットメントしないと生きていけない訳で。そこで妥協せずに「カーストよくない!」とか思い続けていてかつ何もせずにいたらそれはそれで対したもの……というかある意味「意思が強い人」だし、もし変えて行くなら実際に行動すればよろし。まあ大体は妥協するしか無くなるんですけどね。結局はどこかでコミットメントせねばならないですよね。理想が高くない人がムキムキってあんま考え辛いんだが、や、草野さんの話。自称真面目系クズの人って大体理想が高すぎる結果だと思ってる
人のこと言えないが、このstr017って人青二才のこと好きすぎ。
今新幹線乗っています。
今、京都を過ぎました。
ほんの15分ほど前、新大阪でおもしろいことがありました。
ちなみに、彼はぼくと同じ新幹線で8号車だか9号のグリーンに乗りこんでいました。
新大阪にいた
彼の女もかわいかった。
M1王者芸人=おもしろいという、巷でいう芸人補正が入った目で見ると、
彼はほんとうにおもしろそうに見えた。
ちなみに、ぼくには彼のオーラは見えませんでした。
キングコングを見たことなど、少ないながらも何度か芸能人を見たことがありますが、
肩が当たるぐらい近くで見たことはなかった。まして偶発的に。
こんなに近いならということで、
においも嗅いでみましたが、
男のにおいっていうのかな。
30歳前後の人の車に乗った時ににおう匂いっていうの?
あんな感じがした。
身長は175cmの俺よりちょい高くて、
喫煙席では、ほんとにしょぼーんとした感じでした。
あまりに突発的であり、みんな忙しいそうだし、
成人式に会うからいいかwということで
今回はひとりでいいっかと誰にも絡みませんでした。
ある日には、ひとりドライブと称し、
星を見に青梅まで!とか行ったり、
ある時は一人で大久保のレンタカー屋で半日車借りて、ぶらぶらとかしてたけど、
今日は、堺までドライブして、そのあと船場に行って、買い物とかしたりしましたが、
今日は五十日だったので、都心あたりは混んでいて、あんまりよろしくなかった。
そして、俺はもしかしたらパワプロ強いのかもしれんw
なんやかんや、気分転換が必要だと感じていたので、とてもよろしかった。
東京の生活は、
語学の授業とか、オープンの授業とか、誰かと出かけたりとかを中心に、とても楽しい。
その反面、生活リズム整えるがしんどかったりw
一人でいるときを楽しめたり、楽しめなかったりする。
そういう意味では、親兄弟と会ったり、愛犬の散歩に行くのはとても楽しかった。
そういう変化も楽しめたと思う。
自分の車を早く買えるようになりたいなあと思う。
うん。
いつまでも親の車乗ってちゃだめだ、とか。
今、名古屋です。
徳井は今も俺と同じ、この「のぞみ58号」東京行きに乗っています。
ひとつ言っておこう。
(芸能人って大変ですね。)
http://anond.hatelabo.jp/20090918220903
自分のブログに書こうかと思ったんだけど、あまりにも球団の内面に触れることで、恥ずかしいのでこちらに書きます。全体的に「投手力必要ないじゃん」とか「投手力はファンを集めるためのものorセリーグ同士のランク付け」という論調が多くて「投手力の高いチーム」、いわゆる投手王国(笑)的なものの存在が軽視されてる気がしたので。
うちは敬遠もするし、炎上もするし、夏の甲子園や東京六大学野球や「週刊ベースボール」のチェックもそれなりにします。番長もいるし、常勝ではないけれど、おそらく外見上はそれほど弱小球団に見えないでしょう。
だけど、内面は立派に投手力の低いチームで、十分Bクラスです。
どうして投手を補強することを決めたかというと、自チームの戦力にものすごいコンプレックスがあったから。とくに、開幕当初は巨人を見るのも嫌だった。周りのチームは強くてたくましくて人気なのに、うちは開幕6連敗したから、よくシーレックスに間違えられた。「勝てない」ということは、あたりまえだけど「監督が悪い」とか「暗黒時代」と同レベルの単純なルサンチマンを生みます。そして、単純だからこそ根深い。わたしは勝てないチームが嫌いでしかたなかった。四国・九州アイランドリーグならAクラス入りもできるし、「勝てなくてもいさせてもらえる」ことを知ることもあるかもしれない。だけど、セリーグという狭い世界のなかでは、勝てないチームをどうしたって認めてもらうことができなかった。
だから、「勝てるように」なろうとした。単純な理屈です。
FAと外国人とトレードで、どんなチームもそれなりに戦えるようになるのはご存知の通り。たしかに「やっと3連勝した」と言われたこともあったし、パリーグのチームにやさしくされたりもした。
だけど、どんなに取り繕ったところで、もとから「勝てる」チームには勝てるはずもないんです。だって、彼らはもう育成がうまい。強くなるという事象を当たり前のようにして育ってきているから、それを疑うことも、悩むこともない。投手力はファンに認められるため? 相手チームに認められるため? なんて議論が無駄に思えるくらい、手足のようにピッチングスタッフを扱える、そこに不自然を感じないチームはあるのです。つまり、うちはどこまでいっても「強く」なれなかった。
そして、「順調な左肩上がり」と言われるようになった代わりに、ファンの人から逆の意味の呪詛を吐かれることもありました。
「ハマのファンヒーター」とか「レフトが神隠しにあった」「ベイス★ボール」ということが全部ネット受けを狙ってる、とか、ネタだと受け取る人。もしかしたら番長の運が悪かったのかもしれないけど。でも、そういうファンの人が少なからずいました(それなりに高レベルの試合だったからかも)。どうせ琢朗を放出するんでしょ、みたいな。要するに若返り(笑)なんでしょ、とか、改革なんでしょ、みたいな。
もちろん、ある程度仲良くなってチーム事情を知ってもらえれば、そういうことを言う人はいなくなる。だけど、今季初対戦でそう決めつけられることは、やっぱり苦痛でした。村田が好き(村田修一とか)って言っても、え、村田真一?みたいな。そういう些細なことでも、何度か積み重なると嫌気がさすものです。わたしは普通に、対等に、試合がしたかった。でも、そういうタイプのチームの人が対戦相手と認めるのは「隙のないチーム」で、うちではない。たとえそこからオバQ采配によって修正されても、第一印象で不利になることは変わらない。
じゃあ、どうすればよかったんだろう、って思います。投手力をつけることなんて目指さなきゃよかったのか? スタメンだけでサードジョンソン(笑)って馬鹿にされるくらいなら、と。
わたしは、投手力が低い=試合を壊さないことだとは思いません。もちろんそういうチームもあるんだろうけど、うちのようなチームから見れば、壊さないチームはそれだけクオリティスタートに自信がある、強いチームにみえてしまう(こういう常勝軍団の心理が本当にわからないので、よければAクラスの人教えてください)。うちは弱いから休養させてるだけなのに、監督を代えただけで「投手力の高い、強いチーム」だと思われる。どういうことなんだろう、って。
今はもう、そんなふうにリーグ戦の勝敗だけでチーム状況を判断するフロントは相手にしないことに決めたのでいいんですが、しこりとしては心に残っています。
でも、やっぱりフロントには言いたい。
「成績だけで監督を判断しないでください」
あなたたちが「名将に限る」とかいう言葉で、暗に育成目的で選手を使うやる大矢を批判するように、わたしもそういうフロントを批判します。そして、成績で監督を判断しているのはいわゆるナベツネだとか、TBSだけじゃない。万年Bクラスや草野系男子を自認・自称する人も、逆の意味でたくさんベイスを傷つけているんだということを、わかってほしい。「補強に成功しているチームを支持する」ことを、「補強に失敗しているチームを批判する」ことに結びつけないでほしいと、思います。スターティングメンバーが派手でも、内面はあなたたちと同じように繊細で内向的なチームって、思ってるよりたくさんいると思うんだ。
そして「左投手を補強しないフロントのお偉方」たち。「そんな投手なんて恥ずかしくて出せない」、「スカウトはめんどうだからしない」なんて言葉で、あなたたちも人を傷つけていることがあるんです。だって、世の中には本気で、先発しないと打力を発揮できない(吉見的な意味で)人がいるのだから。補強をしなくても、トレードしなくてもそのままでいられるのなら、それだけで恵まれていることもあるんだよ、とわたしは思います。
「先発投手を間違えた時の気持ちも考えろ」って言ってるわけじゃありません。でも、こういうチームもある、しかもそう少ない数ではないということを、せめて知ってほしかった。このホームランがどれだけの人に届くかわからないけど、なるべくたくさんの人に捕球してもらえたら、とてもうれしいです。
昨日新宿のマックでモンハンやってたら、仕切りを挟んで正面の席に女の人が座っていた。服装は派手だったんだけれど、顔はまあパッとしない感じ。残念な子だなーとか思って特に気にせず、えいやーと狩猟に興じていたわけですよ。
黒龍を狩り終わって、一仕事終えた後のコーヒーが美味いのは「ごうけつ」の証だね、だなんて言ってたら、正面の女の人の顔が激変してた。アレですよ、劇的ビフォーアフター。メイクをし始めていたのには気づいていたんだけれど、いやまさかそんなに変わるのか。ビフォーは本当にビフォーアフターに出てそうな感じだったのに。
そりゃ化粧品売れるわとかも思ったんだけれども、そもそもマックに来てメイクするって何事だ?電車の中とかならまだ「朝時間がなかったとか」で許される、いや許さんが、と思うんだけど、なぜにファストフードで。時間があるんなら家でやってくりゃいいんじゃね?アレか、家だと親が厳しくて派手なメイクができないとか?
こりゃモンスターハンターからミステリーハンターにジョブチェンジして、草野さんと競演するしかないね。あ、ミステリーハンターって基本スタジオ出演ないや。
俺はそんな日曜だったけど、お前ら何してた?
「モテる」とはどういう状態なのか。
先々週、私の友達が結婚した。
新婦のMさん(イニシャル同じじゃん!)は、優しい雰囲気だがしっかり芯がある、悪く言うと「意外と気が強い」性格だ。
東京の大学を卒業した後、彼は地元(広島)の企業に就職をし、彼女は営団地下鉄(現東京メトロ)に就職をしてそれからずっと遠距離恋愛をしてた形になる。
バリバリのキャリアウーマンという訳ではなかったのだが東京で働くという事には拘っていたようで、結果営団地下鉄に就職が決まった訳で、彼女は「定年まで働く」と思ってたらしい。
その二人が東京⇔広島の距離差と7年という長い期間を越えて結婚をした。
7年は、遠距離恋愛の部分なので延べ期間で云うと10年近い計算になる。彼女は今後地縁の無い広島で人生を過ごす事になる。
正直、うまくいくとは思ってなかった私は彼女に何故結婚をしたのか聞いた。
「残りの人生を、彼と歩みたかったの」
恐らく持ってたであろう東京への未練はその時は微塵も感じられなかった。
仕事と天秤にかけられたかも知れないMさん。
カッコイイとも悪いとも言えない微妙なルックスと、柔和な雰囲気の余り女の子に騒がれるタイプではない彼を見て私は「あ、この人モテる」と思った。
とっかえひっかえパートナーを代え、常に沢山の異性が周りに居て、いざダメになっても幾らでもスペアが居る人は世間一般では所謂「モテる」人になるのだろうが、私はこういうのは薄っぺらに見えてそんな付き合い方から何か生まれるのだろうか?と思う。
ナオヤ博士が開発した、完全無害な夢のコミュニティ、ハテナドライブの恩恵で、未曾有の繁栄を迎えた人類。しかし、争いの種は尽きなかった。ウンコ投げを企む秘密結社BM族と、それに対抗するため組織された国際警察機構がブログの裏面で激しい闘いを続けていたのだ。
国際警察機構側の九大天王を筆頭としたエキスパート達、BM族側の十傑集を筆頭にしたエージェント達が争う中、エキスパートの一人である草野犬伯(くさのわんぱく)は、父の形見である巨大ロボット、シナモントロボを操り、人類の未来と平和のためにBM族と戦っていた。
話にするならこんな感じ?
国際警察機構の改変が思い付かないわ。