はてなキーワード: 狩猟とは
ボウガンでヒグマ倒すとか、ちょっと現実を見ろよ。歴史的に見ても、動物と戦うための武器っていうのは、単に威力が高ければいいってもんじゃないんだよ。たとえば、古代の狩猟者たちは、弓矢や槍を使って大型動物を狩ってたけど、簡単に倒せたわけじゃないんだ。狩猟の成功には技術、戦術、そして状況に応じた武器選びが必要だった。
ヒグマに関して言えば、まずボウガンは射程や威力の点で十分とは言えない。現代でもクマに対しては、猟銃のような高威力の火器が使われることが多い。それに、ヒグマは体重が600キロ以上になることもある猛獣だし、スピードや攻撃性もかなり高い。ボウガンの矢が深く刺さる前に、クマが反撃してくる確率の方が高い。狙撃するにもかなりの精度とタイミングが要求される。
それに、警察が銃をダメって言ってるなら、その背景には安全面や法律的な問題があるんだよ。ボウガンだって、ちゃんと使い方を間違えたら大変なことになる。特に、ボウガンを使ってヒグマを倒すって、動物虐待の問題にもつながるし、法律を破って人間を傷つけるリスクだってある。
歴史上の人物で言えば、アメリカの西部開拓時代なんかでは、野生動物との戦いに火器が使われていたが、決して簡単なものじゃなかった。多くの探検家や開拓者がクマや他の危険な動物と遭遇し、命を落としたり、厳しい状況に陥ったりしている。武器の威力だけでは生き残れないんだよ。
結局、大事なのは無理して武力を使わず、適切な方法で問題に対処すること。もし本当にクマに対処する必要があるなら、野生動物管理の専門家や、法律を遵守した方法で対応すべきだってことを忘れんなよ。
Xの規約変更だとか、ウォーターマークとか、いろいろ目に入ってくるが結局の発端は「生成AI」だろう。
なのでここから先、どれだけ読んでもらっても「生成AIを滅ぼす方法」を求めている方のご期待には添えない。
これはあくまでも、絵師界隈で生計を立てていきたいが、生成AIが存在するこれから先の未来に不安を抱いている絵師に向けたものであり。
小説家界隈に住む私が、実際にイラストを勉強する過程で感じた二つの界隈の違いを言語化し、それを元に考察した一つの提言を届けたい。そういう趣旨のものだ。
これから先、イラストで食べていくことに不安があるのなら「オリジナルキャラクターを作れ」。
ただ単にオリジナルのイラストを量産せよ、という意味ではない。
あなたの頭の中にある「キャラクター」を絵という形で出力し、世間に認知させ、あなたではない第三者がそのキャラクターのイラストを描くようになることを目指す。という意味だ。
乱暴な言い方をするなら「絵を描かされる側から、絵を描かせる側にシフトすることを意識しろ」といった感じだろうか。
Vtuberのママ(キャラクターデザイン)を想像してみてほしい。
だいたいあんな感じの立ち位置が、私の想像力の範囲で今後も生き残っていける絵師の一つの形だと思っている。
なぜ、絵師はオリジナルキャラを作るべきなのか。その理屈を語る前に確認したい。
絵師界隈の方々は「同じクリエイターなのに、どうして小説家界隈はあんなにも生成AIに対する反応が薄いんだ?」と思ったことはないだろうか?
むしろ小説生成AIの方が、イラスト生成AIより先に世に出ているはずだ。
だが、実態として小説生成AIに対し、敵意や危機感を抱いている小説家は少数派だろう。
ではなぜ、小説家界隈が生成AIに対して他人事のようなスタンスになりがちなのか。
(以後、市場や、顧客、マネタイズシステム全てを包含した『社会』という主語を用いて記述する。)
そして、私が見るに絵師も小説家も、大多数がこの両界隈の違いに気づいていない。
その違いは
『社会』は小説家には「作品」を求め、絵師に対して「技術」を求めている。
この一点に尽きる。
誤解を恐れずに言えば、『社会』は絵師に対してほとんどの場合「作品」を求めていない。
絵師界隈のトップレベルの方々は、おそらくこの違いを認識しているように見受けられるが、逆にトップクラス以外の領域では認識していない人の方が多数派。というのが私の所感だ。
(一方で小説家界隈はトップクラス層もこの違いを認識していない人の方が多数派だと思っている。というか、クリエイターは全業界で「作品」重視で活動していると認識してそうな気がする。)
この違いがどういうことか、わかりやすい事例をあげよう。
例えば、ある無名の絵師がイラストコンクールで最優秀に輝いたとしよう。
その絵師は名声と得て、イラストの依頼が殺到するかもしれないし、あるいは協賛企業から何かしらの商業イラストを描く契約を結ぶかもしれない。
だが、肝心の『最優秀賞に輝いた絵』そのものがマネタイズの中心にはならないと思う。
あってせいぜい、短期的な限定グッズのデザインになる程度のはず。
おそらく絵師側も最初から「その絵」で稼ごうとは思っていないはずだ。
だが、小説界隈は違う。
企業も、小説家本人も、基本的には「その小説」で稼ごうとする。
2003年にスニーカー大賞に選ばれた『涼宮ハルヒの憂鬱』は、2024年現在も市場に流通し続けているのが代表的な事例だ。
受賞した作品を脇に置いて、その出版社の編集が提案した全く別の小説を書かせる。というのは無いとは言わないが、そういう流れになると小説家側からはあまりいい印象は持たれないだろう。
つまり、同じ賞レースでも絵師界隈は「技術を持った人」を探し、小説界隈では「作品」を探している。というのがなんとなく伝わったはずだ。
「金を出すから自分の代わりに理想の絵を描いてくれ」が絵師と『社会』の関係の主流で
「印刷、流通を代わりにするから、その売り上げの一部をわけてくれ」が小説家と『社会』の関係の主流なのだ。)
つまり、『社会』が絵師に求めているのは代筆能力という「技術」であり、「作品」は依頼者の頭の中にある物を指すのだ。
さて、ここまでで絵は「技術」が求められ、小説は「作品」が求められている、というのは理解してもらえたと思う。
ここで一旦、生成AIの話に戻そう。
『現行の(少なくとも日本国の)著作権法は「作品」を保護してくれているから』に他ならない。
また一つ具体的な事例を挙げよう。
かつて、「ハリーポッター」シリーズを学習したAIにオリジナルの「ハリーポッター」シリーズの新作を書かせる。という試みが海外で行われたことがある。悪意ある第三者がこれと同じことをしたとしよう。
もしその第三者が「ハリーポッターシリーズの新作」と銘打ってソレを売り出せば、著作権法は容赦なくこの第三者を断罪する。
では、それを避けるためにキャラクターの名前をオリジナルに変え、タイトルもオリジナルのものに変えて販売したならどうか。
ソレは「よく似た別の作品」の一つになり下がるだけだ。
書いたのがAIであろうと、人間であろうと重要視されるのは「作品」だから、そこの模倣がされない限りは脅威になりえない。というのが小説界隈の人が意識的にしろ、無意識的にしろ生成AIに対して抱いている感情だろう。
むしろ、広く開かれて文化の発展に寄与するべき。というのが基本スタンスだ。
「技術」をお金にしている絵師界隈からすればたまったものではないだろうが、これが実情だ。
「技術」の保護に舵を切るなら、それは著作権法ではなく特許法の領分になるが、特許の理念は「知財でビジネスを支援すること」なので、おそらく企業と繋がりのないアマチュア絵師は生成AIユーザー以上に苦しむことになると思う。
これまでの話を統括すると
・現代の絵師は「技術」を求められ、肝心の「作品」は依頼者の頭の中にある。
・現行の著作権法はその「技術」を保護していないし、「技術」の保護はアマチュアに優しくない。
これから先、代筆家として誰かのために絵を描くという「技術」を売る領域は生成AIに食い荒らされるだろう。
そんな未来でも絵師として生き残りたいのなら、依頼者の頭の中にある「作品」ではなく、あなたの頭の中にある「作品」を生み出すことを考えるのが良いのではないか。
という話だ。
企業依頼でPRキャラを描くという現行の関係性から、企業が「自社製品をあなたのオリキャラに使わせてください」みたいな関係になるのが、そこそこいい感じの未来予想図だと思わないだろうか?
仮に企業がお金をケチって生成AIでそのオリキャラを勝手に使えば、容赦なく著作権法で断罪できる関係性になる。
(他に思いつくのは、大昔のゴッホだ、フェルメールだの時代のように一枚一枚の絵そのものを「作品」として『社会』に売りつけて生計を立てる道。あるいは自分自身を「作品」にしてパトロンから庇護を受けて好きに絵を描く道、あたりか。現代で言えば、前者は同人誌即売会でイラスト集を売っている人たちで、後者はお絵描き系配信者としてファンの投げ銭で生計を立てつつ、絵を描いている人達だろうか。)
逆に、このことに気づかず、「技術」を守ることに執心し続けると、どこかでとんでもないことになるのではないか。私はそう思っている。
絵師界隈で育った人達は気づいていないかもしれないが、小説家界隈で育った私から見て、あなた達が確立している「技術の体系化と共有」の文化は素晴らしいものなのだ。
YouTubeでは多くの絵師がプロアマ問わず、自らの技法を公開しているし、有償の場になれば更に本格的かつ専門的な技術を共有しあっている。
おそらく『社会』が絵師に「技術」を求めていたからこそ、惜しげもなく場と資産を提供していたことで出来あがった土壌だろう。
無数の技術が公開されているから、その中で自分好みのものを取捨選択し、組み合わせることで理想の個性を形成できる。
私のような「最初から絵のプロになる気が無い人間」にも成長の手順が提示されているのは、非情にありがたかった。
ここからは、若干小説界隈のネガティブな内容に触れるのだが、ご了承いただきたい。
(しかも生産性がない話なので、絵師界隈の方はここから先を無理に読む必要はない。
ただ、この先の話を読んでくれた絵師から、こういう界隈の中で私はどうやっていくと良いか、そういう意見を貰えたら嬉しい。)
例えば炎の熱さを表現するにあたり、絵ならば「暖色の与える印象の理論」だとか「ぼかしによる蜃気楼の技術」といったものがあり、ある程度体系化、共有された技術があるはずだ。
だが、小説家界隈ではそういった表現技術を「作家の個性」として、共有せずに個人のものへと抱え込む道に発展してきた。発展してしまった。
我々は百の作家がいれば、百人が別々の言葉で炎を描写し、実際にどれが最も読者に熱さを感じさせられる表現だったのかを検証しなかったのだ。
我々小説家は今日も、読者が本当に熱を感じてくれるのかわからずに炎を描いているし、可愛さがちゃんと伝わっているかわからずに美少女を描いている。
「技術」を体系化しなかった、というのはつまりこういうことだ。
では「技術」を語らない小説家界隈が新人達に何を語っているのか。
それは「作品の作り方」だ。
現在、小説家界隈で新人達に向けて語られているのはおおよそ上記の要素であり、それらをまとめると「作品の作り方」となると思う。
これもまた絵に例えるなら
「ラフ、下書き、清書の順番で書くと良い」とか、「線画と塗りは別レイヤーに分けたほうが良い」とか、そういうレベルの内容だと思ってくれていい。
それを十数年以上、場所を変え人を変えこんこんと語り続けている。
SNSで無数の新人作家たちに向けて情報発信をしている高名な小説家達も
「自分達が教えられるのはいわば『就活の履歴書の正しい書き方』だけだ。その内容は個々人で書くしかない」
みたいなことを常々言っている。
(で、まあ「特定の効果を与える技術」ではなく「作品を作品たらしめる作法」という名目なもんだから「not for me」の概念が適応されにくく、「正しい」「間違い」で定期的に燃えている。)
つまり、小説家界隈は「作品を完成させる」ことを教えることが主流であり、その質を技術によって高めることには非常に無頓着なのだ。
私の推測だが、これは絵とは逆方向の『社会』からの圧力と発展によるものだろう。
絵師には「技術」を求める以上、まぐれではダメだ。再現性がなければお金にはならない。
極論だが、出来が良ければまぐれでもお金にできる。そのまぐれの一つを拾い上げて市場に売り出せばいい。
だから『社会』はできるだけ多くの「作品」が出来上がる環境作りを自然と行ったのだろう。
「作家を作る」ことは頑張るが、「作家を育てる」ことはしない。
「プロになるつもりはないが、もっと上手くなりたい」という人間に対しても、絵師界隈の先達は「技術」を提供し、成長の道筋を照らしてくれる。
だが、小説家界隈では「プロになる気がないのなら、あなたの好きに書けばいい」の一言で終わる。
私のような無才な人間からすると、暗闇を手探りで歩くような感覚だった。
まあ、小説家界隈が無才に厳しいだけなら良いのだが、最近この界隈の「作品重視」の傾向が業界全体の問題として表面化してきているように思う。
その問題とは、端的に言うと「作品が増えすぎた」ということだ。
「小説家になろう」では毎年開かれているネット小説大賞という賞レースがある。
2013年に開かれた第一回では応募作は「1,135作品」だった。
これが五年後の第六回では応募作はほぼ10倍の「10,156作品」になった。
そして、今年の第十二回に応募された作品は「20,826作品」と、その数は恐るべきペースで増えている。
一般の新人賞公募と違って、小説投稿サイト主催の賞レースは過去に落選した作品も全て再応募する作者は少なくないからだ。なのでおそらく「作家」の増加数はこれほど極端ではないと思う。
だが、この仕組みと過去作を再応募し続ける風潮こそ、小説家界隈が「技術」を軽視していることの証左であり、問題の根源だ。
賞レースの選考員は一万以上の無数の石の中に隠れた玉を探すわけだが、さっきも言ったように、ネット小説の賞レースは過去に落選した作品も継続して応募されている。
つまり、玉と石の比率が一定ではない。拾い上げられた玉は減るが、石はそのまま翌年、また翌年と残り続ける。
そうなると、単純に選考員の負担が年々増えていくのは想像できるだろう。
ただでさえ、小説は受けての時間を奪う媒体だ。短編でも一作につき五分から十分。長編なら余裕で一作一時間を超える。
選考員を増やせば個人単位の負担は軽減されるだろう。だが、人を増やせば今度は運営の出資が増える。
必ずどこかしらが負担を負うことになる。
そして多分だが、小説家界隈……というかネット小説業界は、このリソースの限界をとうの昔に迎えてしまっている。
だが、玉探しに必要な労力は年々増え続けている。
ならば、別の所で手を抜いて調整するしかない。
連載継続するかどうか早めに決めよう。
といったふうに。
ざっくり言うと「プロ作家のサポートにかかる労力を削る道」も考えられる一つだ。
私の未来予測では、今後も出版社側の玉探しの労力は増加し続け、それと負の相関に基づいて出版社からプロ作家へのサポートの質は低下し続けるだろう。
作家が出版社を信頼しなくなれば、出版社は心置きなく作家を使い捨てられるようになる。
これを 『才能の狩猟社会』みたいなことを誰かが言っていた。希望の無い話だ。
「技術」を『個々人の個性』として体系化せず、共有しなかった小説家界隈。
「作品」を完成させることだけを重視し、質より量を推し進めた小説家界隈。
これはその一部で実現しつつある最悪の未来予想だ。
(森の中の風景、山奥の小道を進む様子を映しながら軽快な音楽が流れる)
「皆さんこんにちは、弱者男性観察ちゃんねるへようこそ!本日は、彼らの愛らしい生態や、狩りの様子を観察していきましょう。私たちの小さな仲間たち、弱者男性たちの魅力をたっぷりとお届けします!」
(シーンは、飼育エリアに切り替わる。弱者男性が静かに過ごしている様子)
「こちらは私たちの飼育エリア。弱者男性たちは穏やかに過ごしています。彼らの環境は、安心して暮らせるように特別に整えています。」
(カメラは、仲間同士で寄り添ったり、のんびりとエサを食べる弱者男性たちを映す)
「実は彼ら、食べ物にこだわりがあるんですよ。今日はエサとして特製のサプリをあげてみます。ほら、少しずつ味わいながら食べていますね。可愛い…ついつい甘やかしたくなりますね!」
「さて、今日は彼らの狩猟本能を引き出してみましょう。ここにゴキブリを入れてみます。さて、彼らはどう動くのでしょうか?」
(弱者男性たちは最初は少し驚きながらも、集まって観察し始める)
「おやおや、興味津々ですね。弱者男性たちは慎重に観察し、機会を見計らっているようです。」
(弱者男性の一人が恐る恐るゴキブリに手を伸ばし、追いかけ始める)
「勇敢な一匹が、ついに動きました!弱者男性にとって、この小さな勝負はとても大きな挑戦なんですよ。」
(さらに危険なオオスズメバチが巣に投入され、弱者男性たちが一瞬怯む)
「次に登場するのは、より強敵のオオスズメバチです!この巨大な敵に、彼らはどう立ち向かうのでしょうか…」
(一瞬静まり返るが、弱者男性たちが次第に集団で集まり、口から毒を吐き始める)
「おおっと、集団で協力し始めました!弱者男性たちは、口から毒を吐くことで見事な連携を見せています!」
(やがて、オオスズメバチが倒れる)
「見事にオオスズメバチを撃退しました!普段は控えめな彼らですが、こうした場面では団結力を発揮しますね。」
「しかし、ここで問題が…。倒したオオスズメバチですが、殻が固くてなかなか食べられないようです。」
(弱者男性たちがじっと眺めたり、殻を触ってみたりしている)
「彼らも苦戦しているようですね。そこで、ちょっと手助けしましょう!」
「はい、殻を割って準備してあげました!これで食べやすくなりましたね~。」
(弱者男性たちが喜びながら食べ始める)
「こうして小さなサポートをしてあげると、本当に嬉しそうにするんです。可愛くてついつい甘やかしちゃいますね!」
(場面は山奥に切り替わり、スタッフが捕獲用の網を準備している)
「そして今回は特別に、野生の弱者男性を捕獲してみます。彼らは普段から控えめで、見つけるのも一苦労なんです。」
(スタッフが茂みをかき分け、遠くに野生の弱者男性が見え始める)
「見つけました!野生の弱者男性がいます!ゆっくり近づいて、驚かせないように捕獲しましょう。」
「はい、捕獲成功!この貴重な野生の姿、しっかり観察していきましょう!」
気持ち悪い。
学生時代に尖れなかった反動で、常識ある奴は直接指摘せず距離を置く対応が普通になる社会人になってから奇抜な格好をするようになり周りから嘲笑の対象になっている事にも気付かず「他人と違う自己表現で一目置かれる私!」みたいな思い込みに陥る痛い女って居るよね。ただの中二病でしかないのに本人は「自分は変われた!自己表現ができるようになった!これが私らしさ!」みたいに勘違いしてる奴。
新社会人の頃の自分個人の事で精一杯だった状態から皆それぞれがチーム全体で仕事をしているという意識を明確に持つようになっていく中で、いい歳していつまでも自分個人を見てもらいたがる段階から抜けれていない女ってなんであんな幼稚で気持ち悪いんだろう。こういうの男性にはいないよね。
そういう社会性や協調性の終わり方してるのって大抵女なのに「狩猟メインだった男性に比べ調和や社会性が発達した生き物」的な言説とか笑わせんなって感じだわ。
先日、ファッション感度の男女差、ダサい男が目立つことに疑問を持っている女性がいたので話すことにする。
女にとって自分を着飾ることは美しく見られ、優れた男から選ばれるのに価値があるし、
同性のコミュニティにおいても、美しいことがステータスになるから、ファッションが非常に重要になる。
これは古代から不変のもので、白馬の王子様は美しい女を選ぶため、美しいことは金になり、
金になるから価値が高く、価値が高いからヒエラルキーが上になるのだ。
それが女の社会なので、モテることが偉く、不細工は底辺ということになる。
男にとって自分を着飾ることは無意味だ。価値があるのは「能力」に他ならない。
男社会は常に「で、お前何が出来んの?」という点で比較が行われ、
もし何もできないのであれば「無能かよ、邪魔だから死ねカス、消えろ」というのがごく普通だ。
それもそのはず、男の社会は狩猟から戦争からビジネスまで、常に戦うことに本質があるので、
能力がなく使えない奴はゴミだし、足引っ張るような奴は人権がなく、生きていることすら迷惑なのだ。
「無能にも優しく~」なんて言っていたら自分も巻き添えになって実際に死ぬので、ここを妥協なんてできない。
能力が金になり、価値が高く、価値が高いからヒエラルキーが上になるのだ。
そして、そのような男社会において、ファッションに力を注ぐのは無能なゴミがやる行為だ。
そもそも、自分の能力を高める時間をファッションに費やしている時点で軽蔑の対象。
能力がないから、ファッションなんかにこだわり女遊びするクズ、というのが男社会のファッションに対する評価だ。
見た目は王子様感あるホストの世界ですら「で、お前女騙して稼げんの? さっさと貢がせろ」という男社会の文化だ。
男がファッションを気にかけるのは女を騙すためが100%というのが現実なので、
ホストや某芸能事務所みたいな格好した奴は、(女目線で)容姿が良いにもかかわらず男社会でヒエラルキーは下になる。
この状態でファッションにこだわるほうが異常だということがわかると思う。
もっとも、ファッションがどうだろうと有能ならすべて許されるけれども。
議論の場ですら、「あなたモテないでしょ?」なんて頓珍漢なマウント反論をしてしまうことがある。
笑われるだけなので注意したほうがいい。
ついでに言うとファッションにこだわる男にも気を付けてください。
ファクトフルネスの正しいタイトルは「ハッピーになるために事実を選り好みせよ」である。
ハンス・ロスリングが「ファクトフルネス」を出し、主に世界の人口について書かれており、ビル・ゲイツが米国の大学卒業生にこの本を無料で配布している。
マスメディアはネガティブなニュースを報道しすぎる傾向があると、おそらく多くの人が思ったことがあるだろう。
この本の長所は、前世紀に起こった人間の状況の改善について思い出させてくれることである。
この本は世界についての13の質問と、読者が選択できる答えで始まる。
その後に、「ギャップ本能」や「ネガティブ本能」など、さまざまな「本能」を中心に構成された11の章が続く。
ロスリングチームによると、これらの本能は誤解を引き起こす。世界は先進国と発展途上国に分けられる(「ギャップ」がある)とか、「物事は悪化している」(「ネガティブ」)などである。
13の質問は各章で再び登場し、グラフは世論調査で間違った答えを選んだ人々の(高い)割合を示している。
13 の質問のうち、11 は人口問題と人々の生活状況に関するもので、2 つは環境状況に関するものである。
したがって、最初から強い人間中心主義の考え方が明らかである。
すべての人間が依存している環境 (たとえば、食料や淡水) は、ほとんど考慮されていない。
環境に関する質問のうち、1 つは「気温は 100 年以内に暖かくなる」というもの。
もう 1 つの質問、トラ、ジャイアント パンダ、クロサイに関する質問の正解は、1996 年よりも今日の方が絶滅の危機に瀕していないというもの。これは誤解を招く質問である。なぜなら、これらは数千の絶滅危惧種のうちの 3 つにすぎないからである。
この問題は後のセクションで取り上げられ「人類は地球上の自然資源を略奪してきた。自然の生息地は破壊され、多くの動物が絶滅するまで狩猟されてきた。これは明らかだ」と書いている。
これは正しいが、その後に「今日レッドリストや世界自然保護基金(WWF)を調べれば、一部の地域個体群や一部の亜種の減少にもかかわらず、トラ、ジャイアントパンダ、クロサイの野生個体群全体が過去数年で増加していることがわかる」と続く。
ここで話は終わる。ロスリングチームは良いことを強調したいが、特別な注意と保護を受けているこれらの3種の哺乳類を強調するのは非常に誤解を招く。
ネイチャー誌に最近掲載された研究では、レッドリストに掲載されている8,700種以上の情報を集めた。
この研究では、過剰採取(野生種を繁殖や再生で補えない速度で採取すること)と農業(食料、飼料、繊維、燃料作物の生産、畜産、養殖、樹木の栽培)が「大きな殺し屋」であると結論づけている。
種の絶滅は起きているが、多くの植物、菌類、昆虫については特に測定が難しい。
同様に深刻な懸念は、耐性遺伝子プールや将来の種分化の原料となる種内の個体群が絶滅することだ。
PNAS誌に掲載された研究では、1900年から2015年までの177種の哺乳類の個体群絶滅をマッピングした。
いずれも生息域の 30% 以上を失い、種の 40% 以上が深刻な個体数の減少 (生息域の 80% 以上の縮小) を経験した。
もっと総合的に見れば、野生の自然はここ数十年で大きく劣化しており、今後も同様の状況が続くと予測されていることは明らか。
野生の自然を保護することに関心のある人は、過去 1 世紀に起こったことや、これからの 1 世紀に起こりそうなことについて喜ぶべきではない。
この本には「16 の良いことが増えている」という見出しがある。ここにあるグラフの 1 つは理解不能で、「監視対象種: 絶滅危惧種としてリストされている種」というラベルが付けられており、1959 年の 34 種から 2017 年の 87,967 種に増加している (良いこと!?) と表示されている。
別のグラフでは、保護地域が 1900 年の総陸地面積の 0.03% から 2016 年の 15% に増加している。これもまた、非常に誤解を招く。
まず、保護地域は主に生産性の低い土地(山、砂漠、または高山/北極圏の土地)であり、他の生態系は十分に代表されていない。
さらに重要なのは、1900年から2016年の間に、世界中で自然および半自然生態系の広大な地域が人間の集中的な利用のために転換された。
たとえば、スウェーデン北部の半自然北方林の広大な地域は、1950年から2012年の間に、急速に拡大した林道網と皆伐により、生産林に転換された。
2012年までに、数パーセントが正式に保護されていたが、全体として、スウェーデンの半自然林は大幅に減少した。
この同じパターンは、過去1世紀にわたって世界の多くの国、そして世界全体で繰り返された。
正式に保護されている地域は拡大しているにもかかわらず、野生の自然および半自然の土地の総面積は減少している。この本の追加グラフでこれを説明するべきであっただろう。
環境の運命に対する同様の無視は、他の種と同様、将来を左右されるが、ロスリング チームの長編映画「パニックに陥るな」にも見られる。
たとえば、アフリカの川が映し出されているが、この川は灌漑にのみ使用されているはずであり、このような大河川の他の価値 (生態系サービス、他の種の生息地、釣り、レクリエーションなど) については何も触れられていない。
人類に関して言えば、医学の進歩、教育、技術によって極度の貧困が減り、多くの国で寿命が延びたことは事実。
これらの成果は大いに強調されているが、ホモサピエンスがすでにすべての生態系を支配していることを考えると(直接的または間接的に、たとえば気候変動を通じて)、現在の人口過剰と将来にも関係しているに違いない。
国連の人口予測では、2100年までに38億人増えると予測されている(中位推計、2017年予測)。
人口が増えると、温室効果ガス、気候変動、持続不可能な経済成長(本書ではほとんど扱われていない)、食料と淡水に対する需要のさらなる増加、汚染と毒素の増加、野生生物の個体数の継続的な減少などが生じる。
「ファクトフルネス」は、イランにおけるかつての成功した家族計画プログラムを描写しており、これは良いことだが、ロスリング チームは、より明るい未来のために世界の出生率を低下させる必要があることを強調していない。
このトピックに関する「肯定的な事実の質問」では、チームは次のように質問できたはずだ。
「2100 年に 2018 年と同じ世界人口にするには、女性 1 人あたり何人の赤ちゃんを減らす必要があるか」。
考えられる回答: 平均して、女性 1 人あたり a) 1.5 人、b) 1 人、または c) 0.5 人減る。正解: たった 0.5 人! これは、よく提示される国連のグラフ「低変量」予測で確認できる。
ロスリング研究チームは、出生率低下における女性と男性の教育の役割を強調している。
これは結構だが、異なる国で、異なるレベルの授業で何が教えられているのだろうか。
性や避妊に関する教育の内容について、本当に何を知っているのだろうか。
宗教は教育の1つの要因だが、研究チームは出生率の決定におけるその役割を軽視している。
彼らは「イスラム教徒の女性は平均3.1人の子供を産む。キリスト教徒の女性は2.7人。世界の主要宗教の出生率に大きな違いはない」と結論付けている。
しかし、ここでの平均差は0.4人の赤ちゃんだ。上記の0.5人の赤ちゃんの影響と比べてほしい。
小さな数字でも長期的には大きな違いを生む可能性があり、研究チームはこれを「運命本能」(「ゆっくりとした変化でも変化は起こる」)で強調している。
エリック・カウフマンが著書で述べているように、宗教は人口増加を促進できる。
追加すべき関連する質問は、「1970 年から 2010 年の間に、世界の人口のうち宗教に属する人の割合はどのように変化しましたか?」だ。
考えられる回答は、a) 88% から 81% に減少、b) 変化なし、c) 81% から 88% に増加です。正解は c) である。
ロスリング チームが、人口メディア センターの素晴らしい活動について言及していないのは驚きである。
この組織は、インターネットや強力なラジオやテレビ番組を通じて、貧しい国の人々に家族計画や避妊に関する知識を広める活動を行っている。
この本には参考文献が多数掲載されているが、その大部分はウェブページの情報源と政府機関の報告書である。
チームは事実を確認したと述べている(より適切な言葉は「データ」、科学者が使う中立的な言葉である)。
最良の知識源は多くの科学雑誌に掲載された学術論文であるが、「Factfulness」には人口に関する2つの重要な論文(Nature 2016とScience 2017に掲載)への言及がない。
そこで著者らは、1990年代半ば以降家族計画の役割が残念ながら縮小していること、これが将来の食糧不安や絶滅危惧種の運命にどのような意味を持つのか、そして何をしなければならないのかを説明している。
ロスリング チームは批判的思考が必要であると指摘しているが、人口増加と環境に関しては、依然として「状況は良くなっている」という本の主なメッセージになっている。
人口増加を抑制し、国際援助を増やすための新たな行動の必要性についての力強い適切なメッセージが欠けている。
対照的に、サイエンス誌に掲載された優れた記事では、温暖化する世界で人口増加を遅らせる方法を説明している。
「ファクトフルネス」ではなく、その記事を米国の学生に無料で配布すべきだっただろう。
紙が減れば、温室効果ガスも減る。
私は、高学歴の人のほとんどは、世界についてかなり現実的な見方をしていると想定している。
仮説は、世界についてあまりに強い肯定的 (偏った) メッセージを彼らに伝えると、状況を改善する行動を起こす人が減るということだ。
飢餓に関するメディアの否定的な報道が、何百万人もの人々を慈善団体に寄付に導いたことを思い出してほしい。
何百万人もの人々が、人口増加の悪影響と家族計画プログラムの改善効果について明確でバランスの取れた情報を得ることができれば、彼らの多くはおそらく、国際家族計画財団、人口メディアセンター、その他の進歩的な組織を経済的に支援するだろう。
室井さん、自分の庭みたいなところに死体埋められていたけど気が付かなかったん?
大人2人が頑張って掘り起こしてたけど、室井さんの安楽椅子での晩酌が終わった後に一生懸命掘ったのかしら犯人。あと、死体はすでに腐っていて頭蓋骨も見えていたのに、まだ形を保っていた洋梨ってなんなん。別に本物の洋梨使わなくてもよかったよね…。
杏、おまえ適当すぎるだろ。お前だよ杏。
あれだけ「田舎は監視の目が厳しい」ってのをアピールしておいてよく1ヶ月逃げ回ったね。というか、室井さんのところに預けられた経緯も手紙だけだし、たった2人1年だけ預かったのに「犯罪被害者の子供を育てている」有名になるもんなのかね。もろもろ適当すぎるんだよ。まぁ、この辺は後編でなのか。期待。
しかし、杏。
適当な室井さんdisはどうなんだよ。適当すぎるだろ。お前の母ちゃんもうちょっと上手くやっていたぞ。お金目当てと暴力ってそこが浅いんだよ。もうちょっとゾクっとくる感じでやってくれよ。まぁ、リクが信じちゃうのはわかる。まだ小さいし、父親に暴力振るわれてたような描画あったし。おめーだよタカ。ちょっと信じてただろ。でもその後に「あの子怖い」ってお前もう高校3年だろ。あと、彼女といい感じになったあとに杏に振り回されるのかと思ったらそうでもないんかい、進展ないのかよ。まぁ、東北大学目指して仙台行くんですかね。後半に期待。
弁護士。仕事適当すぎるだろ。容疑者にもちゃんと仕込んでおけよ。あれ面会にお前が参加したところで何も変わってないぞ。容疑者もちょっと高校生に諭されたくらいで折れるなよ。手紙の描画を一番最初に入れておいて、オチがしょぼい。全体的にしょぼい。前半だけでケリがついたのこの話だけなんだけど、しょぼいだろ。
あ、タカ繋がりで言うけどさ、キャラ弁の本を室井さんに頼まれて借りてきたのお前だろ?で、お弁当食べてるのお前だけだろ?そうしたら、俺の弁当キャラ弁にしようとしてるのかなー?とか思わない?高校3年生だよね。先に言っておけよ。やめろって。「キャラ弁を頑張って作る室井さんのシーン」っていう撮りたいものだけ先行してるんだよ。こっそり本を買うとかしろよ。せめて。
また杏の話に戻すけどさ、教室で「アンテナが立つ!」って盛り上がって、その上でスマホいらないってリクに言われせて(なぜか捜査が行われている山の中で栗を拾いながらそれを話す意味もわからんが)、スマホは都会の汚れたもの!純粋なリクとタカにスマホを渡して汚す…のかと思ったら特に何もないのかよ。何がしたかったんだよ杏。まぁ、電波届かないしな、室井さんの家。ゲームやらせてどうしたかったのか。
まぁ、ともかく。前半だから。後半に期待。
とりあえずカタルシスのために色々と種を蒔いた感じはあるよ。でも適当なんだよ。
なんだよ室井さんの狩りのシーンとか。意味あったのか?田舎の不安感を出してたのか?てか、よくキャリア組で忙しい中、狩猟免許取れたね。あと、室井さんが猟銃使ってる時になんでガンロッカー開けようとしたんだ杏。もう一丁入ってたの?あと鍋の肉を食うシーン。あれなんか関係あるの?食べ盛り?食べ盛りを表現したいの?
たかだか詐欺集団の容疑者が1人死んだだけで、そこまで大ごとになるのか?
秋田の室井さんを使いたかったけど、捜査は派手にしたいよね!みたいな感じなのか?
あと、捜査するだけでサイレン鳴らして緊急走行しないだろ、流石に牧場に嫌がらせと思われてもおかしくないぞ。監視カメラもわざわざつけないだろ、あれどこの管轄だよ。そう簡単に電柱に付けられるのか?知らんけど。
そもそも、元犯罪者がシャバに出たけど仕事がないからまた犯罪に手を染めるって、なんつーか、短絡すぎだろ。もうちょっと練れよ。いや、ここは後半に期待か。
最後の方ね。室井さんのDASH村はよかった、ずっと見ていたかった。あれで2時間でよかった。いいなーと思ったら火事かよ。あそこまで燃えるまに、声かけろよタカ。もう完全に手遅れじゃねーか。室井さんも消化器無駄なのわかってるだろ。てか、室井さんのコート、杏が掛けた後ずっとそのままだったのかよ。しまえよ。いや、刑務所に行った時に着てたか。てことは、またあそこに掛けたの?納屋に?納屋がタンスなの?結局、燃やしたかっただけだよねコートを。
まぁ、前半だし。
後半はスピード感あって一気にいきそうだよね!
てか、リクの父親でてくるのかよ!しかも加藤浩次かよ。どう考えても不安しかない。てか、1年ちょっとで父親が出所するような子供を預かったの?だったら、もともとどうするつもりか考えていたよね。揉めないよね?揉めるの?もしかして、出所した人みんなまた犯罪者になると思ってるの?
踊る大捜査線のWebサイトでネットワーク捜査員として活動して(エンドロールでmakiさんの名前があったね)コンピューターに興味を持ってシステムエンジニアになったし、何度もお台場のロケ地に行って楽しかったですよ20年以上前。今作はうーん、どうなんだろう。まぁ、まだ前半だし。
・あの人たちの今が見れた!
・あのシーンがスクリーンで見えて最高!
でもまぁ、まだ前半だし。うん。
あのころは本当に寒かったなぁ。
毎朝起きると、テントの外は一面の氷。
俺たちはみんな、厚手の毛皮を着こんで、マンモス狩りに精を出してたもんさ。
マンモスが現れたときなんて、みんながワクワクしながら狩りの準備をして、「今日は晩飯が豪華だ!」ってな感じだった。
あのごっつい牙を避けながら協力して仕留めるのが、何とも言えないスリルでさ。
それから、鉄器の発明ってのはまさに俺たちの時代の一大イベントだったんだ。
みんな、木と石だけで戦ってたのに、誰かが突然「これ鉄だぜ!」って得意気に見せてきたんだよ。
最初はみんな「何それ?」って感じだったけど、一度使ったらもう戻れない。
槍も斧も一気に性能アップだ。
狩りの効率も爆上がりで、マンモスだってあっという間に仕留められるようになった。
ただ、そうやって少しずつ技術が進化して、俺たちの生活もだんだん便利になったんだが、同時に「こんな便利で大丈夫か?」って不安もよぎってたんだよな。
徐々に暖かくなってきて、氷が解けて、大地が豊かになると、今度は稲作が到来してきたんだ。
狩猟採集の時代が終わるっていうのは、まるで氷河期そのものが終わってしまうかのようだった。
あの厳しい寒さの中で、みんなで団結して生き抜いてきたのに、温暖な気候のせいで次の世代はすっかり農耕民族になっちまった。
今思えば、あの氷河期の寒さも、なんだか懐かしいもんだよ。
なんだかゼルダが終わった後の淋しい感じが否めない中
私はただただ意味もなくハイラルの地をブラブラと歩いているのよ。
大妖精からもらった「力のかけら」のありかが分かるベルを使ってここら辺近くに力のかけらがあるんだけどどこかしら?って探したり
海を泳いでいたらイベント遭遇して船に乗ってる人を助けたり。
そんな感じで新たな発見を探しているところよ。
なんだかまだ楽しいかも!って
でもさ、
力尽きたら溺れてしまうけれど、
ゼルダ姫の方はどんだけ広い海でも泳いでいけるって言うこのタフさ!
今それに知らぬ間に泳いでいたのに気付いたわ。
リンクだったらあの海の海上の遠くに見える赤く光っている祠まで行きたいのに行きたいのに!って思ってても
パラセールではがんばりゲージまだ足りないし、
ましてや泳いでなんてとんでもない。
そもそもとして葉っぱで扇ぎ続ける作業が面倒だわ!って思ってしまって遠くを眺めている祠だったけど、
もうさ、
まだ行っていないハイラルの細かいところを探検するようにしているわ。
たぶんやってないことたくさんあるのが多すぎて
あれはもう全無視!
つーか馬みたいな人は強すぎるし
なんとかロックって人は頑張って背中に乗って弱点を叩いたら倒せたからまだ行ける!って感じだったけど
馬みたいな人はあえてそっとしておく方がいいかもしれないわ。
にしても
歩き回るハイラルは広すぎるわ。
楽しいけれどね。
あ!
でね
「知恵のかりもの」では何に使ったら良いのかよく分からないアイテムもゲットしてて
これスムージーにも使えないし、
一体何に使ったらいいのかしら?って
なんかこれのアイテムを使うイベントが私遭遇していないのかも知れないわってところで、
でもまだ私はゼルダの伝説の攻略方法をウエブサイトではみないインターネッツを実行している真っ最中なので、
駆け足で走り抜けたハイラルをじっくり歩いているところよ。
また何か見付けるかも知れない。
たぶん、
猫にも全部話せてないし、
まだそれも1つも手に入れていないがままなすがままで
クリアはしたけれど
ハイラルの細かいところを探検する作業はもしかしたら半分はしていないかも知れない勿体ないさがあって
意外とクリアしたらなんか燃え尽きちゃってしばらくは遊ばなくなるけれど
いや全体的に何個あるのかもすら分かっていないけれど、
お題に出されたスムージーのレシィピをたくさん作るってミニクエストは
「ブレスオブザワイルド」に関してはもう早々にバナナ5つのバナナ炒めで
以降南の地域に行ってバナナを集めてはバナナを炒めてバナナを集めてはバナナを炒めてって。
あ!
天空に舞う3つの龍ってそれぞれいるじゃない「ブレスオブザワイルド」のハイラルには。
あれ結局なんだったのか?よく分かってないままこれまた突き進んでクリアしちゃったから噂では強力なアイテムの素材がゲットできるみたいなことあったけど、
よく分からないわ。
謎を残したまま次のハイラルへと私は向かったのよね。
今思い出したけど、
ルピー稼ぎに北の大地の雪深いところに狩に行ってたくさん獣の肉を狩猟して町に売りに行っていたことも思い出したわ!
懐かしい!
大黒摩季さんのあの懐かしい香りがするスミレの花時計のような、
そんで狩するには矢が無いからって矢を集めたり買ったりして
涙ぐましいあの「ブレスオブザワイルド」のことを思い出したわ。
とにかく
肉!肉!肉!よ。
あのトラトラトラの暗号をもし肉肉肉って言って発信したのを傍受して解読したら
あーもうそのぐらい肉狩っていたわ。
だって「ブレスオブザワイルド」の大妖精は最終的に10000ルピーせしめてきたじゃない。
せしめるって言い方は酷いかも知れないけど、
あのリンクの貧乏さを思ったらあの10000ルピーは鬼だったじゃない。
とはいえ、
私は「ブレスオブザワイルド」でも防具を最強にまでしてなくてハイラル城にそれこそゆっきーなばりに事務所総出でってそんな勢いで
長らくハイラル城の中を探索してボスのところまで苦労して行ったのに
要領を得てか、
城外からリーバルトルネード2回でボス目前まで行けちゃう要領の良さをゲットしたときは
あまりのあっけなさに
そんなことを言っていたら
あっちのハイラル「ブレスオブザワイルド」の方にもまたなにか行ってみたくなっちゃったわ。
久しぶりなので
サブクエストのおさらいして何するか思い出さなくちゃいけないけれど、
にしても
あの時の貧乏でいろいろと肉とか摩季とかって大黒摩季さんの摩季じゃなくて薪の方ね。
あれリンクも家、
自分の家持てるじゃない。
私なにもないただの引っ越ししたての
凄い部屋に声が反響してビックリするぐらい何もない自分の家にちょっと笑っちゃうわ。
そんでなんか価値があるかも!って思って勘違いしているイナズマを発する林田健司さんじゃない方のイナズマの剣が飾ってあって、
それ一つが飾ってあるシュールな自宅。
あー思いだしたら、
そっちもなんか装飾しなくちゃ?って。
クリアした後もハイラルは何かと忙しいかもと痛感したところよ。
秋になったら模様替えしたくなるわよね。
久しぶりに「ブレスオブザワイルド」のハイラルにもまた行ってみようかしら。
もうあのガーディアンにも逃げ回る必要が無いぐらいでも盾が無いのよ。
盾不足にも陥るこっちのハイラルだわ。
リンクが強い敵から逃げ回っていたときのことも思い出しちゃったわ。
うふふ。
昨日もだっけ?
飽きるまでたぶん秋!ってところかしらね。
欲張って鮭おにぎりも買ったけれど
ホッツ白湯ウォーラーにレモン果汁をそっと折れる簡単ポッカレモンが便利な
沸かして飲み頃の温度まで置いておけばちょうどいい温度になってるところに
レモンよ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
その発想捨てない?
狩猟採集の縄文時代にその日のご飯の予定を立てるのは難しい。何が採れるか分からないからだ。最悪食事にありつけないまである。
冷蔵庫がなかった時代も難しい。生魚や肉はすぐに食べないと腐るし、野菜もそのままでは長期間持たないものが多い。専業主婦の割合が高く、毎日買い物をして毎日作るのが当たり前の常識だった。
でも今は違う。農家のように消費しきれないくらいの野菜が旬に大量に採れて計画に影響を与える人ならともかく、スーパーには1/2や1/4カットした食材が並び、冷蔵庫は冷凍庫が大きく使いやすくなってサブまで持つ人が増えている。
そんな時代に残った食材と新しい食材を組み合わせてできるものを毎日考えて毎日作るって工夫しなさすぎだと思わない?
技術屋さんはどんな分野であれ一般的に最初に作るものと量を決めて材料表を作って材料を買って調達して作る。今は料理でもそれができる環境が整っている。
働きながら家事もこなす人が多数を占める現代、買い物を毎日してその日食べるものを決めて自転車操業的に材料を回していく不合理なやり方は時代にそぐわない。冷蔵庫に食材を眠らせて置くことは釣った魚をクーラーボックスに入れておくことと同じ。その場で調理して冷凍するのと、放置した食材で作る作りたて、どっちも大差ない。
食材を生で持つから腐る。だから1週間分の計画を先に立てて買い出しは週に一回。肉や魚はその場で冷凍して冷凍できない野菜はその日に使い切る。食材を生で持たなければ腐る心配はないし、作り置きにしてしまえばあとは食べる日だけを管理すればいい。いちいち、冷蔵庫の食材でできるもの、足りないもの、飽きを毎日考えて意思決定するパズルを毎日解くのは仕事できない人よ。献立を考えるのは週に一日。特売で得する額なんか知れてるんだから最初から買うものを決めてその日に使い切る。余計なものも買わなくなるから特売狙うより結局安くつく。
料理の上手い下手は色々意見あるけれど、味を評価指標にしたら必ず最終的には好みの差に行き着く。でも食材を腐らせないという評価基準は定量的に測ることができてなおかつ良いという方向性にコンセンサスが確実に得られる客観的なもの。毎日考えるというクッソ無駄な作業にお別れして一週間の献立を全部先に決めてしまうのが令和の時代のやり方だと思うわ。
もうすぐ20世紀が始まるという時代、ニューヨークには高層ビルが建っているけどアメリカの片田舎はまだ文明化されず土人じみた連中がいる
主人公は時代遅れのカウボーイみたいな格好したギャングの一味で、昔は大きな強盗事件起こしても離れた場所に移動して数年大人しくしていればほとぼりが冷めたが、
近頃は追う側も組織化して執念深く、なにもかもうまくいかなくなってきていた
30人弱いる仲間を食わせるために狩猟したり、コツコツ個人宅に押し入って金目のものを強奪
唯一の子供はまだ4歳で、若い娼婦を哀れんでギャングで保護した結果、その女がギャングの男と結ばれて生まれた子供
ギャングのみんなでわいわい酒飲んで歌うのは楽しいが、仲間は少しずつ殺されて減っていき終焉が近いと予感させる
10代の黒人少年という、ポリコレシールドありそうな仲間ですら殺され、4歳児でも死ぬ展開がくるのかと怯える
でも最終的に主人公は死ぬも、4歳児と父母は生き残り、追っ手もこないド田舎でなんとか家を建て牧場をつくり、自給自足農家になり平和な終わり方を迎える
12歳の少年になった息子は「親父って反社だったし、優しかったあのおじさんたちも反社だったんだな」と気づき、父親とはギクシャクしがちだが、
反社生活とは無縁の読書好きで農家仕事もちゃんとこなす真面目な子に育った
主人公死んじゃったけど、この一家はハッピーエンドでよかったーとほっとした
この作品はシリーズ4作目だが、3作目は一家のハッピーエンドより3年後の未来の話だと知り、ゲーム環境からそっちはやれないのであらすじだけ見た
父親は真面目に農夫をやっていたが、結局かつてギャングを追っていた行政側の者たちに見つかってしまう
彼らは妻子を人質に取り「かつての仲間たちをお前の腕前で全員始末したら妻子を返す」と脅す
一緒にわいわい歌ったギャング仲間の数少ない生き残りを殺す旅に出るはめになる
なんとか殺し切るも、「いや、お前だけ生かすわけないじゃん」と父親は殺害される
それから数年後、母親も失意の中で弱って死に、18歳になった息子は腕を磨いて父の仇を討つために反社の道に堕ち、父殺害の命令を下した者を皆殺しにした
この作品もPC版出るらしいけど、先に結末知ってるとプレイしてても辛そうだ
過去編主人公は息子がいたけどすぐに亡くして4歳児のことを可愛がってたのに、結局あの子も反社になっちゃうのか
どうすればよかったんだよ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2416758
植物はビタミンB12を利用しないため植物性食品には、含まれない。
ビタミンB12とは自立神経を安定させる効果があり、これが欠乏すると精神不安定になる。
欠乏が進めば神経も傷つける。
ヴィーガンが過激な行動に出るのは、精神の不安からきてるのは間違いない。
狩猟時代の人間は、農耕技術が発達してないから他の動物が食い荒らした後のお肉を頂くスカベンジャーだった。
近代でもイヌイットのように肉しか食べないで生きている民族すらいる。
この映画は、ならず者のアントン・シガーが金の鞄を追う男を追いかける、壮絶な追跡劇でございます。シガーが持つ無慈悲な殺しの哲学が恐ろしいほどリアルに描かれております。「殺し」という行為が生きるために必要であると自己満足してしまう人間の姿を見事に浮き彫りにしました。
増田の言う通り、殺すことには「物語」が必要であります。農村での狩猟やエジプトの犠牲祭、どちらにも強い宗教的、文化的な裏打ちがあり、その物語が行為を正当化し、人々の心に一種の安堵をもたらす。また、物語がなくても無慈悲に殺してしまうキャラクターも映画の中で描かれることで、物語の持つ力を強く感じます。
殺しには意義があり、その意義は物語によって生み出される。ただし、薄っぺらい物語に騙されず、しっかりとした歴史や文化に根ざした物語を紡いでいくことが重要でしょう。ですから、“昔からの屁理屈”、“畜魂碑”など、そういったものを大事にするべきという意見に強く同意いたします。