はてなキーワード: 内面とは
マンガやアニメ見てて、「あれ、このキャラ日本人じゃなくね?」って思ったことない?
金髪碧眼、鼻高くて彫り深い顔。おいおい、俺ら日本人が作ったはずの作品だよな?でも見た目はどう見ても欧米系。これ、どの作品でも結構ありがちなんだよな。
たとえばさ、ナルトとか進撃の巨人、BLEACH、ジョジョ、超人気作品だよね。でも、登場人物の見た目を冷静に見ると、これ日本人?ってなること多いよな。ナルトなんて忍者の話なのに金髪で青い目だぞ。進撃の巨人のミカサも「アジア系」設定なのに顔立ち欧米風すぎて笑えるわ。リアル日本人なら黒髪にアジアっぽい顔立ちでも十分カッコいいと思うんだけどさ。
で、気づいたんだけど、これ日本人だけじゃなく、海外の人も同じこと言ってんだよな。「なんで日本のアニメキャラは白人みたいなんだ?」って。それってもう、日本人自身が「白人らしい見た目=美しい」って無意識に思い込んでるんじゃね?
ここで一つ考えてみようぜ。なんで俺ら日本人、こんなに「白人っぽさ」に憧れるんだ?
戦後からずっとアメリカ文化に触れてきたってのがでかいと思う。映画、音楽、ファッション、全部が西洋風だったし、それが「オシャレ」とか「カッコいい」って刷り込まれてきたんだよな。
さらに、マンガやアニメも「欧米でウケること」を狙ってる節がある。結局、欧米市場で売れるためには、「彼らに親しみのある見た目」に寄せた方がウケがいい。だから、キャラデザインも必然的に白人っぽくなっちゃうんだろうな。
でもさ、これって日本人らしさを削ってまでやることか?俺らの文化を発信するはずのマンガやアニメが、結局は欧米の影響を受けた「白人っぽい作品」になっちゃったら、それもう日本の作品って言えるのかな。
俺らが求めてるのって、本当に「白人っぽいキャラ」だけなのかな?
たとえば黒髪で切れ長の目、ちょっと控えめな見た目でも、内面がめっちゃ熱いキャラとか出てきたら、それってすごく共感できると思うんだよな。だって、日本人としてのリアルな感覚に近いからさ。
それに、海外の人も意外とそういうキャラ好きだったりするんだよ。「日本らしいキャラ」に憧れる海外ファンも多いし、むしろそういうキャラを見たいと思ってる人もいるんじゃない?だから、もっと日本独自の美意識を取り入れたデザインが増えてもいいと思うんだよな。
最近は多様性が注目される時代だから、マンガやアニメのキャラクターももっといろんな見た目があっていいと思う。もちろん、白人っぽいキャラがいてもいいけど、そこに日本人らしいキャラや他の文化を反映したキャラが加わると、もっと魅力的になるんじゃないか?
結局のところ、日本のマンガやアニメって、日本人が作ってるからこその「特別さ」があるはずだよな。その特別さを活かして、日本人らしいキャラクターやストーリーをもっと大事にしていけば、世界中のファンも「これが日本の作品だ!」って感動してくれると思うんだよ。
どうだ、俺らもそういう未来を期待しようぜ!
君が感じていること、かなり複雑で切実だね。まず言わせてくれ。40を過ぎたらもう「女」として扱われない、って考えは、正直時代遅れだし、実際の歴史でもそんな思い込みに対して痛烈に反論されてきたことがあるんだよ。
例えば、古代ギリシャの哲学者アリストテレスは「人間の価値は年齢に関係なく、その知恵と行動にある」と言っている。年齢を重ねることが「無価値」に直結するなんて、論外だってことだ。年齢を重ねた女性が持つ美しさや魅力は、内面から滲み出るもの。だって、年齢を重ねることで得られる経験や知識、成長がその人自身を一層魅力的にするからだよ。
それに、女性だけが「努力しろ」というのも不公平だよね。歴史を見ても、男性の「魅力」は基本的に若さや体力にだけ依存しているわけじゃない。例えば、アメリカの作家マーク・トウェインは「若さはただの外見であり、真の美しさは内面に宿るものだ」とも言ってる。若いだけが魅力的なわけじゃないし、成長していく女性が持つ深みや知性、それこそが本当の魅力だよ。
それでも、結婚生活においてはお互いの期待やニーズが変わることは確かだし、関係がマンネリ化してくることもある。でも、その中でお互いを再度理解し合おうとする努力が必要だろうね。「女として求められたい」と感じること自体は全然悪くないけど、その気持ちをどう表現していくかが重要だよ。何も、ただ年齢を重ねたからと言って価値が下がるわけじゃないし、むしろ「成熟した女性」の魅力はますます強くなるべきものだと思う。
そして、夫が風俗に行っているのかもって気配を感じるのは辛いことだろうけど、その状況をどう変えるかも大事な部分だ。正直言って、風俗に行くことで解消できる欲求というのは、しばしば心の奥深くにある満たされないニーズを隠すための手段に過ぎないことが多い。そこに無理に答えようとするよりも、心の中でのコミュニケーションや理解を深めることが最優先だと思う。もし何もしていないようなら、お互いに素直な気持ちをぶつけ合うことで状況は変わるはずだよ。
君が感じている不公平さ、苦しみ、努力への疑問、これらはすごく理解できる。でも、それは君が持つ力を無視しているわけじゃない。その力をどう使うかがカギだと思うよ。
最後に、君が求める「女として求められたい」という気持ち、誰にでもあるし、それをどう表現していくかを考えることが大切だよ。努力を惜しむな、でもその努力は自分を大切にする形でね。
お前が今感じてること、わかる。正直、その気持ち、すげぇ理解できるよ。けど、歴史的にもこういう試練を乗り越えてきた人は少なくない。お前もその一員になるべきだ。
まず、古代ローマの将軍、スカウィウスなんて言ったんだ。「人間にとって最大の敵は、自分の内面の恐れだ」と。お前も今、自分の「苦手」「不安」ってのに対して恐れすぎてる。それは、あたかもローマ軍の戦士が「敵が強いから戦いたくない」って言うようなものだ。戦わないと、勝つことはできないんだよ。
「私はワガママで怠惰だ」って自分を責めてるけど、そうじゃない。どんな仕事でも、向き不向きはあるし、最初は苦手でも、続けているうちにその道が見えてくるもんだよ。例えば、アメリカ独立戦争の英雄ジョージ・ワシントンだって最初は全くの素人で、戦場で多くの失敗を重ねた。けれども、彼はそれを乗り越えて初めて真のリーダーとして成長した。お前も今、その過程にいるんだ。
運転中の無言の空間、確かに辛いかもしれん。でも、これはある意味で「禅」の教えにも通じてる。禅では、無言の時でも心を澄まして自分と向き合わせることを大事にする。今、お前が感じてるその「無言の時間」こそが、お前自身と向き合うチャンスだよ。空間を盛り上げようと焦る必要なんてない。むしろ、静かにしている時にこそ、その人の本質が見えてくるものだから。
そもそも、コミュニケーションは言葉だけで成り立ってるわけじゃない。古代ギリシャの哲学者ソクラテスが言ったように、「言葉は時に空虚だ。真の理解は、言葉を超えたところにある」。生徒が言葉を発しなくても、あなたの態度や視線、運転の指導が、彼らにとっての「学びのサイン」になることも多いんだよ。お前が感じている苦しみや不安、それを乗り越えた先に、ちゃんと成長が待っている。
少し休むことも必要かもしれないけど、「やめたほうがいい」と簡単に言う前に、もう一度考えてみてほしい。無理してでも続けることで、自分の限界を超えられる瞬間が必ず来る。どんなに大きな困難に見えても、それを乗り越える力は、すでにお前の中にあるんだよ。
「俺がハマった名盤」って邦楽で言うなら、真っ先に挙げたいのは、やっぱりMr.Childrenの『深海』。このアルバムはマジで衝撃的だった。一曲一曲が深海のように底知れない魅力を持ってて、特に「シーラカンス」から「名もなき詩」への流れは、まるで一本の映画を観ているような濃密さだった。歌詞の奥行きもすごくて、聴き返すたびに新しい発見があるんだよ。何度聴いても尽きることがない、まさに名盤。
それに比べて、椎名林檎の『無罪モラトリアム』は全然違うベクトルの名盤だ。あの尖り方、そして独特すぎる歌詞の世界観に、初めて聴いたとき完全にノックアウトされた。「丸の内サディスティック」とか「ここでキスして。」なんて、どれも色あせるどころか、今聴いても当時以上の刺激をくれる。時代を超えて愛される理由がわかるよな。
それからサカナクションの『DocumentaLy』。これは別格で、めっちゃ聴き込んだ一枚だな。エレクトロとバンドサウンドの絶妙な融合で、聴くたびに全然違う景色が浮かんでくるんだ。「アイデンティティ」や「ルーキー」は、リズムに乗って自然と体が動くし、心に新鮮な風を吹き込んでくれる。
一方で、BUMP OF CHICKENの『ユグドラシル』は、もっと内面的な名盤。これを聴いていると、自分の中にしまいこんでいた感情をすべて引っ張り出されるような感覚になるんだ。「オンリーロンリーグローリー」と「車輪の唄」、どちらもいつ聴いても心に深く刺さる曲で、アルバム全体が一つの旅のようにまとまっている。
それとはまた違った味わいなのが、スピッツの『ハチミツ』。牧歌的でありながらどこか切なくて、どの曲も胸にしみるんだ。「ロビンソン」と「涙がキラリ☆」なんて、何度聴いたかわからないけど、それでも飽きるどころか、むしろ聴くたびに新鮮な気持ちになれる。普遍的な名曲ってこういうのを言うんだろうな。
さらにback numberの『ラブストーリー』も外せない。恋愛の切なさや甘酸っぱさをこれでもかと詰め込んだ一枚で、「クリスマスソング」と「ヒロイン」は、その感情をどストレートに突き刺してくる。聴くたびに青春時代がフラッシュバックしてきて、なんだか胸がキュッと締め付けられるんだよ。
そして最後にONE OK ROCKの『35xxxv』。このアルバムはとにかくエネルギーがすごい。ロックなのにどこかポップな要素もあって、でもめちゃくちゃエモーショナル。「Mighty Long Fall」や「Cry out」を聴くと自然とテンションが上がって、何かに挑みたくなるような気持ちにさせてくれる。これもまた唯一無二の名盤だよな。
こうして振り返ると、邦楽って本当に奥深い。いろんな個性が詰まった名盤があって、それぞれのアルバムが自分の人生の一部みたいに思えるんだよな。
みんなも好きな名盤があったら教えてくれよな!
【追記】「十二国記ってアンチ女性向けファンタジーなんだな」ってタイトルが良くないって言われて、その通りだって思ったから消す。
どう言えばいいんだろうな? 甘やかされる系ファンタジーに厳しいっていうか、自分が書いていることに自覚的って言うか。
男女問わず、思春期に空想しがちな「ここからどこか素敵なところに連れていってくれ」という願望やそれに基づいた創作に厳しいってことなんかなあ?
ブクマカの「登場人物すべてに潔癖で厳しい」って趣旨の指摘を見て、私が一番言いたかったのってこれだったんだって気づいた。
フェミニズム小説ではって指摘についてはその通りで、前のエントリではそれについて触れたんだけど、やっぱりリンク張るだけじゃ分かりづらいよね。
十代のころに背伸びしてラノベとか少年少女小説から遠ざかってたから偏見です、これについてもごめんなさい。
ファンタジー小説と自分に都合がいいファンタジー・空想って言葉もいい加減に使ってた。
ー以下追記前ー
ここでいうアンチってのは否定的とか叩いているとかそういう意味じゃなくて、対案とか批評的なとかそんなニュアンスね。
なんでそんなこと思ったのかっていうと、異世界に行って素敵な男性と出会ってお姫様として幸せに暮らすっていう女性向けファンタジーのシチュエーション(正確にはいかにもありそうだなーって偏見なんだけど)を話をひねった設定が多いって気づいたんだ。
例えばシリーズ最初の「月の影 影の海」ってのは、内気な女子高生である陽子が景麒ってイケメン男性に異世界に連れて行かれる場面から話が始まるんだけど、よくある異世界ものと違って、向こうの世界については何の説明もされずにほぼ身一つで放り出されるんだよね。で、最終的には彼女が新しい王だってわかるんだけれども、彼女が武器を持って立ちあがり、囚われのお姫様みたいに鎖につながれた景麒を救い出すところでお話が終わってる。
で、この世界の王様ってのは忙しくて、反乱が起きたら自ら戦場に立つし、妖魔と剣で切ったはったやるし、官僚のトップと口でやりあわなきゃいけないし、美しいだけの世界じゃないんだ。
なんというか、「覚悟」を決める話なんだよ。
異世界で他人に裏切られ続けて荒み切った果てに、「他人を信じるな」と嘲笑する謎の存在蒼猿(実は彼女自身の内なる声)と決別し、裏切られてもいいから他者を信じる道を選ぶシーンは超かっこいい。それに、陽子の元の世界の父親は「女は女らしくしろ」という何かのカリカチュアみたいなキャラクターで、フェミニンなものがこの話ではそこまで肯定的に扱われていないんだよね。女性として扱われたのは、売春宿に売られそうになったときくらいか。これ以降のストーリーでも彼女は女王としての服装を窮屈だと感じ、街に出るときは男装を好むし、この世界の女性は妊娠・出産をしない。
他に批評的だなって感じたのは「風の万里 黎明の空」のふたりの副主人公、祥瓊と鈴だ。祥瓊は反乱軍に父王が処刑され、命こそ救われるのだが村では無能な下働きとして虐待され、しかも正体が露見して危うくリンチされかける。安全のため隣国の女王の下働きになるも、そこの女王にも冷遇される。
一方、日本出身の鈴は言葉の通じない異世界で仙人の奴隷同然の暮らしをさせられ、ついに意を決して出奔する。二人とも、女王となった陽子に憧れたり憎悪を抱いたりして、陽子の治める国に向かって旅をする。
これだけ見ると、いじめられたかわいそうなヒロインが返り咲く話の序盤のように見える。読者はこう予想するだろう。いずれも二人とも陽子によって救われるだろうと。だが、中盤で二人はそれぞれ別の人物によって己の落ち度を諭される。祥瓊は長い華やかな王宮暮らしの中で、四十年も父の暴政を止めようともせず、自分の国のありようを知ろうともしなかったことを淡々と告げられる。外国人のほうが自分の国の歴史に詳しいのがどれだけ恥ずかしいことかわかるかと。
鈴は、自分だけが不幸を我慢すればやり過ごせると思い込み、百年間何もしなかっただけであり、彼女の不遇の嘆きはただの不幸自慢であるのだと責められる(この世界では特定の条件を満たすと寿命がなくなる)。
このあたり、小野不由美が読者層の中高生に説教をかましている側面も感じる。
そして祥瓊と鈴が救われるのは陽子によってでもないし、イケメンによってでもない。自分の落ち度に気づき、目覚め、やはり剣を持って立ち上がる。
(ところで、祥瓊を冷遇した女王は気が強く悪役令嬢っぽさを持ちながら筋が一本通った倫理観の持ち主で「図南の翼」では主役を張っている。というか悪役令嬢ものの起源の一つなんじゃないか?)
つまるところ、十二国記のシリーズ前半は幻想に逃げる少女に対して戦うよう促しているのだ。そしてサポートキャラの最高の内面イケメン楽俊とは恋愛関係になっているわけではなく、対等な友人だ。「男性に過度に頼るな、対等たれ」と言っているように見える(あと、シリーズ後半になると時代小説や政治小説っぽくなって、中高年の男性にウケる要素がどんどん増えていく感じだ。きらびやかな幻想とたもとを分かったせいか、少女向けレーベルからははみ出てしまっている。最新作「白銀の墟 玄の月」は講談社X文庫ホワイトハートから出てないよね?)。
似ているなって思ったのがミヒャエル・エンデの「はてしない物語」だ。これは物語後半で主人公バスチアンが崩壊したファンタジー世界の救い主となって本の中に入り込み、高性能イケメンのチート野郎になるんだけれど、チートを使うたびに元の世界のダメな自分のことをどんどん忘れていき、記憶喪失のまま永遠に物語世界に閉じ込められる危機に陥るんだよね。同じ末路を迎えた人間の描写はぞっとする。児童文学の中でここまでいわゆる恐ろしい末路を描いたのも珍しい。
これってまさにやっていることが同じで、小野不由美が少女小説のフォーマットを使って女性向けフィクションに対して批評的な作品を書いたように、エンデはファンタジーの形式を使いながら現実逃避するポルノ的ファンタジーを批判しているのがすごい。アンチファンタジーだ。しかも、それがめっぽう面白いんだ。
私はポルノ的ファンタジーがダメだとは思わない。エッチなものも含めてポルノってのは、なんでも願いが叶う世界の中で遊ぶことで、願いが叶わないことが多い現実と戦うためのパワーを充電する遊び場だ。ここが虚構だってわかって遊んでいる限り、心の健康を保つのにはプラスだ。
でも、ときどき自分に「これは嘘だぞ」って言い聞かせないと危ない。幸せイチャイチャラブラブなアブノーマルプレイなしのポルノでも、これも本当のセックスと間違えたらいけない。相手の気持ちいいところが全部わかって、自分の気持ちいいところ全部責めてもらえるセックスなんてこの世にはなくて、「あれやってみたい」 「こうしてほしい」 「今のは良かった」 「ありがとう」ってちゃんと言わなきゃ伝わらない。
ああいうイチャラブエロ漫画はインスタグラムみたいにいいところだけ繋いで作った虚像なんだよ。小野不由美も十二国記外伝「魔性の子」で「異世界に逃げるな、お前の生きる世界はここだ」という話をしている(「帰山」の中の難民支援でも「自立する気概を失うレベルまで支援してはならない」って趣旨のことを言ってる)。
つまるところ、自分で欲しいものを能動的につかまなきゃダメなんだよな。
なんてことを日曜日にファミレスで友人にぶちまけてしまった。あー楽しかった。
ハイスペックイケメンを素朴女子が救う話の起源について話題になったから書いたわけじゃないんだけど、「ジェイン・エア」は一つのオリジンよね。この話を裏面から見たジーン・リース「サルガッソーの広い海」や批評「ジェイン・エアは幸せになれるか? 名作小説のさらなる謎」も面白いよ。
陽子が異世界に入るときに剣を授けられるので、これって男性原理の象徴じゃないかと冗談半分で書こうとしたんだけれども、実際に剣とは別に回復アイテムの玉(二つではないけれど)も授けられるし、鞘は失くしてしまう。鞘を女性原理と見るか包皮と見るかはともかく、フロイト的な解釈が全くのデタラメではない気がしてしまった。
鞘を女性原理と見るならば、作中でそれを無くす(機能を失う)ことは女性原理が弱まることを意味するし、包皮と見るならば、その喪失は男子割礼・成人の儀礼を意味していると読めなくもない。
ほら、作中でも過酷な旅でげっそり痩せて、身体から丸みが失われたともあるし。
こんなことを書いて申し訳ない気持ちもあるのだが、剣と同時に球も授けられるなんて話として出来過ぎているし、そうした作品を他に私は知らない。あったら教えてください。
以上だ! いつか男性向けハーレムものと女子向けの後宮ものの差異について書きたいぜ!
→ 追記! 昔書いたやつ
https://anond.hatelabo.jp/20200609075504
生理妊娠出産がないとか逆に女性向けっぽいと感じた要素はここです
読み返して思ったけど、アンチ「一昔前の」とかアンチ「世間的に女性受けしそうと思われがちな」ファンタジー、アンチ「童話から想像される」ファンタジーって気がしてきた。
0001 名無しなのに合格 2023/12/03(日) 01:22:27.19
学歴コンプレックスで長らく悩み続け、いよいよ自殺をすることになった。
日本に安楽死制度が整備されているのであれば、今すぐにでも申請し、「一件落着」だが、残念なことに今の日本にそのような制度はないので仕方がない。
もちろん死ぬのは怖い。本当に怖い。
ただ、もはや自分の知能の低さを規定しているこのDNAが、それ故に生まれながらに高学歴を得られないことを決定づけているこの劣ったDNAが、それにより構成されているバカで劣等な自分自身の存在そのものが、生理的に気持ち悪くて仕方がない。
知的社会たる現代日本では高学歴を有さない者は、基本的に「人」そのものとして劣っているとみなされる。
卒業大学の名前がそのまま当人の知的能力の全てを、ともすると人間としての価値やランクをまるごと規定してしまう。
学歴は能力の指標にとどまらず、内面の繊細さや思慮の深遠さ、人としての毛並みや美しさまでもを規定する。
そのような地獄の知能カースト社会において、低学歴が人としての尊厳や誇りを持って生きられるはずもなく、したがって幸福に生きられるはずもない。
もし低学歴者が高学歴の連中の目に「幸福に生きている」ように映ったとすれば、「動物園ではしゃいでいる猿」に対する眼差しと同様のそれを向けられる。
現代日本において低知能に生まれた(私のような)低学歴者は、言わば戦前アメリカに生まれた黒人と同じなのだ。
そこに救いはない。
早く楽になりたい。苦しい、苦しい。
私は極めて難しいペーパーテストにより先天的に知能の高い者以外を(事実上)排除する、この国の上位大学の入試形態によって殺されたようなもの。
社会やメディア、ことにインターネットにおいて無秩序に猛威を振るう、アパルトヘイト級の学歴至上主義・学歴差別によって殺されたようなもの。
学歴コンプレックスで長らく悩み続け、いよいよ自殺をすることになった。
日本に安楽死制度が整備されているのであれば、今すぐにでも申請し、「一件落着」だが、残念なことに今の日本にそのような制度はないので仕方がない。
もちろん死ぬのは怖い。本当に怖い。
ただ、もはや自分の知能の低さを規定しているこのDNAが、それ故に生まれながらに高学歴を得られないことを決定づけているこの劣ったDNAが、それにより構成されているバカで劣等な自分自身の存在そのものが、生理的に気持ち悪くて仕方がない。
知的社会たる現代日本では高学歴を有さない者は、基本的に「人」そのものとして劣っているとみなされる。
卒業大学の名前がそのまま当人の知的能力の全てを、ともすると人間としての価値やランクをまるごと規定してしまう。
学歴は能力の指標にとどまらず、内面の繊細さや思慮の深遠さ、人としての毛並みや美しさまでもを規定する。
そのような地獄の知能カースト社会において、低学歴が人としての尊厳や誇りを持って生きられるはずもなく、したがって幸福に生きられるはずもない。
もし低学歴者が高学歴の連中の目に「幸福に生きている」ように映ったとすれば、「動物園ではしゃいでいる猿」に対する眼差しと同様のそれを向けられる。
現代日本において低知能に生まれた(私のような)低学歴者は、言わば戦前アメリカに生まれた黒人と同じなのだ。
そこに救いはない。
早く楽になりたい。苦しい、苦しい。
私は極めて難しいペーパーテストにより先天的に知能の高い者以外を(事実上)排除する、この国の上位大学の入試形態によって殺されたようなもの。
社会やメディア、ことにインターネットにおいて無秩序に猛威を振るう、アパルトヘイト級の学歴至上主義・学歴差別に殺されたようなもの。
この文章では「非モテ」や「弱者男性」という言葉が一括りにされ、特定の悪い行動や態度が当てはめられています。しかし、恋愛がうまくいかない理由や人それぞれの生き方には個別の背景があります。経済的に苦しい立場にいる男性もいれば、単に恋愛が苦手だったり、社会的スキルが発展途上の人もいます。「非モテ」だから「風俗に行く」「暴力を振るう」「女性を物のように扱う」といった主張は、実際には多くの人に当てはまらず、一部の例を一般化しているに過ぎません。
現代の恋愛は、経済的安定や社会的地位が関わる場面が多く、経済的弱者や非モテ男性がその影響を受けることがあります。恋愛における平等な関係を築こうとしても、現実には経済や外見、社会的地位が要因となってうまくいかないこともあります。そうした状況から生じるフラストレーションを「女を憎む」という一言で片付けるのは、不公平で理解不足だといえます。
文章の中では、「モテる男は女性に対してスマートでリスペクトがある」とされていますが、モテるか非モテかはその人の性格や価値観だけで決まるものではありません。見た目、社会的なステータス、他者からの評価、過去の経験といった要因も関係します。「モテる男を見て学べ」という意見は、根本的な原因を理解せず、表面的な対応を押し付けるようなものです。恋愛において、全ての人が同じ方法でうまくいくとは限らず、それぞれに合ったアプローチが必要です。
4. 「女を憎む」という決めつけの危険性
「女を憎む」という表現は、実際には多くの男性の気持ちを正確に反映していない可能性があります。非モテや弱者男性が抱く感情の多くは、むしろ自己嫌悪や孤独感、社会的な疎外感に近いかもしれません。恋愛や社会的なつながりがうまくいかないことから生じる不安や不満が、他者への敵意として捉えられる場合もありますが、これは複雑な問題です。表面的な行動だけで内面を決めつけることは、状況を悪化させかねません。
解決策として重要なのは、偏見やレッテルを張ることではなく、孤独や不安を抱える人に対して理解やサポートを提供することです。非モテや弱者男性が恋愛において尊重されるためには、社会的な支援や教育、心理的なサポートが求められます。
ほんまこれ
https://x.com/cell_cyst/status/1854462495458832390?s=46
https://x.com/5_3de2/status/1854373127415083099?s=46
女性のファッションや身だしなみって選択肢ありすぎて見た目だけである程度気が合うか合わないか分かってしまうし、お金や好みの価値観までわかってしまうから仕方ないと思う。
https://x.com/rjn_mmm/status/1854468709949321499?s=46
まじでそもそもがこれなんだよなー。芋でも良いし別に会社に化粧してこなくてもいいけど、シンプルに話が合わなくなるし価値観合わないから仲良く出来ないってだけなのでそこの空気だけ読んでもらって近づいてこられなければOK
https://x.com/mmpr130/status/1854470449138409972?s=46
服の系統とか美意識の高さで価値観とか面白い楽しいって思うもの大体似るもんなww
だから仲良い子とはめちゃめちゃ服被ってて意図せずお揃いのものが多すぎるww
女同士の合う合わないなんて見た目で90%判別できる‼️
https://x.com/23olsurume_jtc/status/1854473925784432760?s=46
美意識の高低やセンスの良し悪しとは微妙にニュアンスが違うのだけど、
https://x.com/s35477777/status/1854478187746742550?s=46
仲良く出来てもその後が続かない。
https://x.com/0ufxv0umg6nswnh/status/1854491639877980601?s=46
ttps://x.com/251_u/status/1854143252972319166?s=46
ttps://x.com/jehxhz/status/1854488639452991827?s=46
分かる。容姿の整ってる整ってないじゃなくて、ファッショニストが好き。遊びに行く時に相手がかんわいい格好してるとテンション上がる。てかそれを楽しみにしてるまである。といいつつ俺自身は精神異常者みたいなファッションしてるんで周りには別の意味で引かれてそう。ごめん隣を歩かせてもらって💦
x.com/pokopiyonam625/status/1854338037439971632?s=46
多分これルッキズムじゃないな
ルッキズムは文字通りに捉えれば確かに外見の話とはいえ、その本質としては生まれつきの顔や身体の造形の価値を重視する立場な気がする
x.com/bey31099734/status/1854458021533077660?s=46
ほんまこれ
遊ぶ時もポニテとか、ジーパンとかだとインスタ載せられないから冷める。自分がHERMES持ってるのに友達がコーチ持って現れたときは30分で帰った。
女性のファッションや身だしなみって選択肢ありすぎて見た目だけである程度気が合うか合わないか分かってしまうし、お金や好みの価値観までわかってしまうから仕方ないと思う。
芋でも良いし別に会社に化粧してこなくてもいいけど、シンプルに話が合わなくなるし価値観合わないから仲良く出来ないってだけなのでそこの空気だけ読んでもらって近づいてこられなければOK
服の系統とか美意識の高さで価値観とか面白い楽しいって思うもの大体似るもんな
だから仲良い子とはめちゃめちゃ服被ってて意図せずお揃いのものが多すぎる
女同士の合う合わないなんて見た目で90%判別できる
経験則として 服の趣味や美意識のテンション?が合う人とは仲良くなりやすい気がして、
新しいコミュニティに入る際 一つの指標にしているのはある。 実際そういうのから共通してないと結局気が合わなくて長続きしなさそうだもんね〜 。仲良く出来てもその後が続かない。自分より可愛すぎるのもダメだし自分より美意識がないのもむり。
実際そういうのから共通してないと結局気が合わなくて長続きしなさそうだもんね〜
容姿の整ってる整ってないじゃなくて、ファッショニストが好き。遊びに行く時に相手がかんわいい格好してるとテンション上がる。てかそれを楽しみにしてるまである。
学歴コンプレックスで長らく悩み続け、いよいよ自殺をすることになった。
日本に安楽死制度が整備されているのであれば、今すぐにでも申請し、「一件落着」だが、残念なことに今の日本にそのような制度はないので仕方がない。
もちろん死ぬのは怖い。本当に怖い。
ただ、もはや自分の知能の低さを規定しているこのDNAが、それ故に生まれながらに高学歴を得られないことを決定づけているこの劣ったDNAが、それにより構成されているバカで劣等な自分自身の存在そのものが、生理的に気持ち悪くて仕方がない。
知的社会たる現代日本では高学歴を有さない者は、基本的に「人」そのものとして劣っているとみなされる。
卒業大学の名前がそのまま当人の知的能力の全てを、ともすると人間としての価値やランクをまるごと規定してしまう。
学歴は能力の指標にとどまらず、内面の繊細さや思慮の深遠さ、人としての毛並みや美しさまでもを規定する。
そのような地獄の知能カースト社会において、低学歴が人としての尊厳や誇りを持って生きられるはずもなく、したがって幸福に生きられるはずもない。
もし低学歴者が高学歴の連中の目に「幸福に生きている」ように映ったとすれば、「動物園ではしゃいでいる猿」に対する眼差しと同様のそれを向けられる。
現代日本において低知能に生まれた(私のような)低学歴者は、言わば戦前アメリカに生まれた黒人と同じなのだ。
そこに救いはない。
早く楽になりたい。苦しい、苦しい。
私は極めて難しいペーパーテストにより先天的に知能の高い者以外を(事実上)排除する、この国の上位大学の入試形態によって殺されたようなもの。
社会やメディア、ことにインターネットにおいて無秩序に猛威を振るう、アパルトヘイト級の学歴至上主義・学歴差別に殺されたようなもの。
続・理解のある彼くんに振られた
https://anond.hatelabo.jp/20230213021705 からもう1年以上経つらしい。つまり最初の「理解のある彼くん」に振られてからはもう3年以上経つわけだ。当時はまだ大学1回生だったが、今はもう3回生になってしまった。(躁鬱なので普通に休学という名の留年をしたよ)
おさらいすると私は発達障害(アスペルガー・ADHD)持ち躁鬱芸大生で、16歳から付き合った「理解のある彼くん」に(私からの精神的DVに耐えかねて)19歳の時に振られてしまうが、新しい彼くんを見つけてまたヨシヨシしてもらう生活を続けて、22歳の現在に至るよ。
16歳で異性と恋愛し始めてそれから振られたり付き合ったり色々して、考えたこととか気付いたことをまとめてみることにした。今回はかなり個人的な話が多い上に大した不幸話みたいなのもないから、すごくつまらないと感じる、何ならちょっとムカついちゃうかもしれない。読んでくれる人だけでも読んでくれると嬉しいな。
まず「続」に綴っている理系国公立大学生についてだが、なんとまだ付き合っている。最初の彼くんよりも長い、まさかの2年10ヶ月(24年11月現在)。彼くんは歳上なので、もう先に就職して現在はハウスメーカーで設計の仕事をしている社会人になった。正直面白みには少し欠けるくらい真面目な人だが、私の障害や病気に付き合ってくれる優しい?人だ。私の弱ヒスや鬱と向き合えるくらい精神力が強いが、私の病気に対して良くも悪くもあんまり何も思ってないんだろうなとは思う。「俺はお医者さんじゃないから増田の病気や症状については何も言えないし、先生の言うことをよく聞いて自分で実行してね。」というのが彼なりのアドバイスらしい。以前書いた通り差別意識のない彼くんは一度も「発達障害」や「躁鬱」といったフィルターを通して私を見たことがない。なんていうか、私という人物を最初に通して見てくれている気がする。それが良いのか悪いのかは分からないが、両親は「増田という人をちゃんと見ていてくれているね」と言ってくれるし、実際私もそう思っている。正直付き合ってしばらくの間は初めの彼くんのことをチラチラ考えてしまっていたが、今となってはこんな風に私と一生懸命向き合ってくれる現在の彼くんのことが大好きだ。
しかしどうしても腑に落ちないことがある。彼くんのスペックや内面的にも私みたいな病気女と付き合う意味や理由なんてどこにもないということだ。彼くんは国公立大卒で大手に就職するくらいしっかりした人で、いわゆるチー牛みたいなタイプでもないし、友人からも「普通にかっこいいよね」とよく言われる。実際話を聞く感じかなりモテたらしいし、学生時代の元カノを特定してみたら普通に可愛かった。しかしそういう話を一度も自分からはしないあたり余裕を感じる。多分彼女なんて選ぼうと思えば普通に選べるくらいの立場だし、私みたいな障害女と付き合わないといけないような人ではないっぽいのである。裏があってもおかしくないと本気で悩み、以前素直に「私みたいな障害のある女と付き合い続けるのはどうしてか」と聞いてみたころがある。すると「障害云々はちょっと分からないけど、明るくて素直で嘘がつけなくて、夢中でお喋りする姿が可愛くて好きだから」と言われてびっくりしてしまった。それって、発達障害者の特徴では?と思ったのだ。明るくて、とは楽観的で発達が遅れているってことだし、素直で嘘がつけないのは顔に出やすい上に本当に嘘が下手すぎるからだし、夢中でお喋りに関してはアスペオタク早口ってことじゃないか。発達障害に生まれて22年間、ずっと自分が嫌だと苦しんでいたのはチャームポイントになるのかとかなり衝撃的だった。少し話は変わるが、日本人男性がいわゆる「幼児的な可愛さ」を女性の可愛さに直結させてて気持ち悪い!みたいな言説を良く見る。自分が発達障害でありながらもここまで溺愛してくる彼氏がいること、そもそも彼氏が途切れないのは自分の幼稚な部分、つまり発達障害がアドバンテージになっていた可能性が低くはないということに最近気が付いた。そういえばうちの母親も確実にADHDで、空気の読めない発言やそもそもの頭の悪さでしょっちゅう怒られている気がするし父親以外まともな友人は一人もいないが、そもそも美人な上に「発達障害っぽい可愛さ(母親の場合は本当によく笑う)」で父親(母親の旦那)に超溺愛されている。発達障害とは(少なくとも日本の)恋愛市場においてはかなりアドバンテージなのかもしれない・・・と薄々感じ始めた。
この手の話をすると必ず「発達障害の女なんてまともな男性は選ばない!ハイスペ男性は自立した健常者の美人を選ぶ!何とかの何とかさんが良い例だ!」みたいなことを言う人が男女問わず現れるけど、正直周りや自分自身のパターンを見てても結局「男性は相当大きな問題が無い限り、明るくて素直で可愛い人を選ぶ」気がする。ハイスペとかも正直あんまり関係ないと思うし、実際先述した父親も会社を一代で築き上げたやり手だ。私の地元はそういうエリート?な父親が多かったが、大体のお母さんは別にバリキャリみたいなタイプではなくて、ただ美人な人は多かった。私が今の彼くんと結婚するかどうかとかは分からないし、ここまでベラベラ良い気になって話してても浮気されるかもしれないし、それは分からない。確かに昨今の「女だから恋愛が出来る!男だったら今頃〜」的なのは賛同するが、それでも発達障害女性って顔とかが可愛い場合につきまあまあモテるのではと最近考え始めた。モテる層がどんな人とかはわからないし、それも年齢とかで変わってくるんだろうけど。
また以前は「女はセックス以外価値がないから、セックスさえさせてくれて多少可愛ければ男性と付き合える」「中身より外見が好みじゃないと付き合ってもらえない」と思っていたが、やっぱり周りを見ていると結局中身は死ぬほど重要だということが分かった。どれだけ可愛くても、エロくても、最終的には中身だ。これだけは断言できる。主に夜職系のアカウントで「外見は大事だし外見さえ良ければ何でも許してくれるし何でも買ってもらえる」みたいなことを自慢げに書いてらっしゃる方々を散見するが、成人してまでそんなことを本気で思っているのならば早急に考えを改めて、これまで自分がしてきた恋愛についてもっと反省するべきだと思う。結局恋愛なんて人間関係に性を含めて延長させたものなんだから、中身が伴ってないと駄目に決まっているのだ。
まあ偉そうにいっぱい書いたけど、どれだけ自分を正当化させるように思想を固めたところで結局は「まあ女だからね」になってしまう。実際そうなのだとも思う。大昔、友人に言われた「お前本当に女に生まれて良かったな」という一言が忘れなくて今もずっと心にこべりついたままだ。自分の魅力は結局性別なのかもしれない。分からないのだ。
文章なんて久々に書いたせいでまとめ方が分からないな。大した大学に通ってないから、書き方が合っているのかも分からないし。なんか、不幸な結末を期待して読んだ人がいたらごめんね。まあ安心して、いつか不幸になるかもしれないから。その時はまた「理解のある彼くんに振られた」って、匿名はてな書くから。
片想いしている同級生のこと友達に相談しつつ振り返ってみたら、ただの同級生としてしか思われてないように感じて勝手にメンタルだだ下がりだよ~
イキ告して失敗したわけでもないのにすごくショックを受けている。書いててアホらしって思うけどすごくショックを受けている。
反動で食欲も失せてきているし......
同級生として接してもらえてるのはそれはそれでうれしいけど、こっちは異性としても見て欲しいんだよ......悔しい......
やっぱり友達の言うとおり、日頃から好き好きってカジュアルに言いまくるべきやったんか???
どうすれば良かったのかと考えてしまって余計メンタルに来てる。
友達に彼女出来やんの多分メンタルが弱いからって言われたけど、じゃあどうすれば強くなるねん!!!!!!!!!
多くの人が勢いというけれど、世の中がいうスピード感と自分の中のスピード感が不一致で、自分の中ではかなりスピーディーにしているようでも月日をみればかなりゆったりとしている。
じゃあ速くしなきゃってガツガツすると次は盲目的になって自分を一方的に相手へ押しつけてしまう。
どうすればええねん。
勇気を出してご飯に誘うことが出来ても次に繋がらない、誘えてもみんなで一緒に行こうねって言われて2人でいけない。
2人で行くことが出来ても、2回目のデートへと誘えない。
とにかく何度挑戦しても。いろんな人にアプローチを掛けても。ある程度いい感じのところまでしかいかない。
もっと聞き上手になるべきなのか?内面を見つめ直すべきなのか?それとももっと世の中に興味を持つべきなのか?
どうすればええねん。
友達からのアドバイスを時間を掛けつつも受け入れて、眉毛整えたり、髪型変えたりして、久々にあった別の友人からおしゃれになったねとかスタイリッシュだねとか清潔感あっていいねって言われて身だしなみもかなり清潔感あるものになってきたのに上手くいかない。話してて楽しいとか面白いねって言われるけど上手くいかない。
やっぱり内面を磨くべきか???それとも所作・仕草を直すべきか???
いい人止まりなのを脱したい。
どうすればええねん。
顔を見れば内面がわかるだけですぅー
この投稿が創作である可能性が高い理由は、いくつかの点に基づいています:
物語性と感情の強調:投稿内容は、過去のエピソードから家族や友人との衝突、親からの批判、そして自身の人生への後悔に至るまで、非常にドラマチックに展開しています。実際の日記や愚痴でここまで詳細かつ論理的に話をまとめることは一般的ではなく、物語のように整理されていることが創作らしさを感じさせます。
読者を意識した内容:投稿の後半では「愚痴日記に反応があった」と読者のコメントについて言及しており、読者が共感したり反発したりすることを意識した表現が見られます。これは、自分の内面的な悩みを述べるにしては、読者を強く意識しすぎている印象を受けます。
専門用語と曖昧な理解:子供の内定先について「ネット?」「なんたらサイド?」「PO(ピーオー)?」など、具体的な理解が不足しているふりをしながらも、わざわざ専門用語に触れています。これは、自分が無知であることを過度に強調しすぎているように見え、自然な家庭内の会話や愚痴とはやや異なります。
構成が物語的:投稿の構成が「過去の衝突」「他者からの批判」「自己分析」「後悔」といった物語の起承転結に沿っているため、フィクションとして書かれたような印象があります。
以上の理由から、この投稿は創作の可能性が高いと考えられます。
=======================================================
以下に、実際にあった話のように読み手に伝わるよう、少し現実的な表現や視点に修正しました:
先日、子供の就職先についてちょっと意見したところ、思いのほか言い合いになってしまいました。私もつい感情的になってしまって、子供に「偉そうに語るな」って言われたときは、さすがに腹が立ちました。
その後、夫にもこのことを愚痴ったんですが、夫は「子供に言ったことが少し理解しづらい部分もあったのかもね」と言っていて、なんだか微妙な気持ちになりました。最初は私の味方をしてくれていたんですが、どうも途中から「あまり深く知らない話で意見しないほうがいい」と遠回しに言われた気がして、夫とも少し言い合いになりました。
正直、親しい友人に話しても「あまり気にしなくてもいいと思うよ」と慰められる程度で、結局なんだかモヤモヤだけが残ってしまいました。特に母からは、「あなたも社会を少し知ったほうがいいよ」とか言われてしまって…やっぱり専業主婦だからでしょうか、ちょっと社会から離れていることが気になりました。
考えてみれば、私は一貫校で進学し、就職も親の紹介で決まっていたので、就活の大変さとか今の仕事事情とか、よくわかっていないかもしれません。仕事も結婚までの数年で辞めてしまったので、子供から見れば「ただのオバサン」に見えるのも無理ないかなと、少し反省しました。