はてなキーワード: 政令指定都市とは
ただこのままじゃ、おまえは何もしないまま一生を終える。
逃げ出すのもお前次第だ。お前はもう大人だ。いいか。自分で立って歩くんだ。
まず携帯電話を持て。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000190135.html
ここを読め。
●電話をかけた所在地の都道府県・政令指定都市が実施している「こころの健康電話相談」等の公的な相談機関に接続します。
0570‐064‐556
ここに電話をしろIP電話やLINE Outしか使えないならこのHPに載ってる市町村の連絡先に連絡しろ。
他もある。
よりそいホットライン(一般社団法人社会的包摂サポートセンター)
0120-279-338(フリーダイヤル つなぐ ささえる)
岩手県・宮城県・福島県からおかけの方:0120-279-226(フリーダイヤル つなぐ つつむ)
※050で始まるIP電話やLINE Outからは、下記の番号におかけ下さい(24時間対応)。
050‐3655‐0279
各地の窓口は全国いのちの電話一覧からご覧になれます。 ※IP電話はこちらを利用して下さい。
毎月10日にフリーダイヤル(無料)の電話相談(0120-783-556)を行っています。(午前8時から翌日午前8時まで)
※IP電話(アプリケーション間の無料通話を除く)からは、下記の番号におかけ下さい。
03‐6634‐7830(通話料有料)
ナビダイヤル(0570-783-556)は、午前10時から午後10時まで、ナビダイヤル受付センターに順次おつなぎします。
※ナビダイヤルも平成30年度中にIP電話(アプリケーション間の無料通話を除く)に対応予定です。
東京自殺防止センター(特定非営利活動法人(NPO法人)国際ビフレンダーズ東京自殺防止センター)
電話相談が中心ですが、必要な場合は面接や手紙による相談にも応じます。
年中無休、夜8時から翌朝6時まで(ただし、毎週(火)は夕方5時から翌朝6時まで)
03-5286-9090
働きたくても働けない、住む所がない、など、まずは地域の相談窓口にご相談ください。
専門の支援員が相談者に寄り添いながら、他の専門機関と連携して、解決に向けた支援を行います。
警察では、犯罪等による被害の未然防止に関する相談その他国民の安全と平穏についての相談に円滑に対応することができるよう、
警視庁及び各都道府県警察本部に警察相談専用電話を開設し、全国統一番号「#9110」番に電話をかければ自動的に接続されるようになっており、
#9110(対応時間は都道府県警察によって異なります。通話料がかかります)
※IP電話は、リンク先にある警視庁及び各都道府県警察本部の電話番号におかけ下さい。
人事部長という役職名ではないが、似たような名称のポジションだった。
問題のある社員への指導教育だったり、人間関係のトラブルに決着をつけたり、罪を犯した人間を罰したりする機能だ。
それに比べれば、勤怠管理だの、給与の支払いだの、社会保険の手続きなどは子どもの遊びに思えてくる。
今でも夢に見る。
後悔がある。どうしてあの時、もっとやれなかったんだろう、やらなかったんだろう。
どうして、あの人の心に寄り添うことができなかったんだろう。どうして、自分の思う正しさを貫くために上位の役職者を説得しなかったのだろう。
そんな後悔を吐き出したくて、はてな匿名ダイアリーに投稿することにした。
事案は4つある。そこまでぼかしてはいない。私自身と向き合うためには、真実を吐き出さないと意味がないからだ。
彼女は現場の仕事をする職種だった。現場といってもそこまで肉体労働ではないけれども、専門職なのは間違いない。
ある年から、その仕事を外注に出すようになった。このままでは失業することになるが、組織として無責任だということで事務職に職種変更となった。
結果は想像のとおりだ。てんで話にならなかった。
料金計算を間違えた請求書を送るし、システム上の顧客情報を誤編集するし、よく交通事故を起こすし、難しい質問がきたら硬直して動かなくなるし、気分の浮き沈みが激しい。
職種変更してからは、1年毎に様々な部署をたらし回しになった。当時の私は人事部長でも何でもなかったけれども、1年毎に異動するパターンの人なんだな、というありきたりの感想だった。
こういうタイプの人は、適合する部署が見つかると十年単位で同じ部署に磔になる。いい部署が早く見つかってほしいな、と思ったのを覚えている。
4つ目の部署だったと思う。この部署は、基本的に事務が主体だが、肉体労働の仕事もあった。
彼女は、あろうことか肉体労働のポジションに充てられてしまったのだ。木を切ったり、ごみを運んだり、池に浮かんだ鳥や鼠を回収したり…
一度だけ、見たことがある。ごみ処理場のダストシュートに軽トラックが止まっていて、60から70くらいの老人達(シルバー人材センターの会員だと思う。派遣労働者ならもっと若いことが多い)が伐採くずをダストシュートに投げ込んでいたのだが、その現場で彼女も仕事をしていた。
泥まみれの作業服。トラックの荷台の上で、えっちらおっちらと伐採くずをダストシュートに放り込んでいた。
ひどい話だろう。でも、当時の私はそうは思わなかった。その部署には肉体労働ができる男性が足りていなかったので仕方がない。そう思っていた。真奈美さんの上司は男性だったけれども、管理監督職がそんな仕事をすべきではないと素朴に考えていた。
労働組合の女性部が人事研修課に怒鳴り込んできたのを今でも覚えている。「どうして女性社員にあのような仕事をさせているのか」、「あなたたちには法的な正しさ以外は理解できないのか」といった内容だった。
その後すぐ、真奈美さんの職場を覗きに行った。上司に怒られている最中だった。周りの社員は何も言わないでいる。むしろ失笑していた。仕事が早いわけでもなく、制度が高いわけでもないので当然の結果だったのかもしれない。
翌日、私は課長に相談に行った。「真奈美さんはあのような状況ですし、肉体労働で女性の社員がケガをしたらうちの課の立場が悪くなります。今年度末で異動させた方がいいと思います。早ければ来月にでも」といった内容だった。課長は、「急ぎの案件ではない。そのうちまた検討する」と言っていた。
それが12月の初旬だった。この3週間後に真奈美さんは死を選んだ。死因は延べない。
今でも夢に見るのは、課長に相談をした場面だ。どうして、「うちの立場が悪くなる」という理由を述べたのだろう。「真奈美さんの健康が心配です。大事になる前に手を打ちましょう。今すぐに異動させるべきです」となぜ言えなかったのだろう。
なぜ私は、正しい行いができなかったのだろう。
事案2 結衣さん(当時18才)
性格は明るめだったと思う。高い声の人で、社内で大声で笑い過ぎて注意を受けることがあった。
配属されたのは債権管理の部署だった。知能テストで理数分野の点数が高かったのと、定型的な業務が中心の部署なので、新人に相応しい配属先だと判断された。
問題が起こった。配属されて3か月が過ぎた頃、人事に連絡が入った。「あの子は服装が派手過ぎる。あれではお客様の前に出せない。試用期間中なのにあれはひどい」というものだった。
先輩や上司が注意しても直す気がなく、それどころか、注意した男性の先輩をハラスメントで人事に訴えると威嚇したという。
結衣さんのいる部署の前を不定期に通ってみると、いくつかのことが判明した。
実際、派手な装いだった。髪は金髪だったし、ピアスをしていたし、ひらひらのスカートを身に着けていた。
接客態度もお世辞にもよいとは言えなかった。お客にため口になったり、自分1人では手に負えないのに先輩に相談せずに不動産会社に怒られていた。
人によって態度が違う。若手社員に対しては強気だが、お父さん風(?)の優しい雰囲気の社員の前では借りてきた猫のようにおとなしい。
結衣さんに対して研修室で面談を行った。当時は役職がついていた私と、課長(事案①と同じ人)と、結衣さんの直属の上司がその場にいた。
本人が言うには、
・変な格好で来ているとは思わない
・仕事に来る服装は自分で選びたいし、他人が口を出すのはおかしい
・この格好が自分らしい。学校でも、アルバイト先でも文句を言われたことはない
結衣さんは、最後には「努力します」と言ったけれども、金髪が直ることはなかった。服装は大人しめになった気はしたが、私にはファッションのことはわからない。彼女と同年代の女性社員に廊下でやんわりと聞き取ったところ、「反省する意思はない」とのことだった。
私は反対したが、すでに人事のトップである総務部長まで話が通っていた。あとは役員級が承認するだけだ。
さて、当時の手帳を見ながらこれを書いているわけだが、その中には彼女に対する個人的乾燥として、こんなことを書いていた。
自分の意志があって動いているように見える。高校生で3年間アルバイトをしながらうちの入社試験に通ったのはすごいし(※当時の弊社の高卒入社倍率は30倍程度だった。おそらく今でも)、3人の年配社員に囲まれても自分の意見を貫いたというのも尊敬できる。うちの娘や息子を見ていても思うが、彼女は優れている。ぼんくらじゃない。うちの子ども達が情けなくなってくる。でも、うちの会社とは相性が悪い性格なのは否めない
結衣さんは、その後どうなったと思う? ここに記している時点で読み手は察しておられるだろう。
久保になったのだ。試用期間で切られた。
あの時、研修室で「あなたを本採用できない」と伝えた時の彼女の面持ちは今でも覚えている。一瞬、歯ぎしりをしたように見えた。眉間に皺を寄せたと思ったら、すぐに平時の顔つきに戻った。淡々とした声の調子で、「わかりました」と言っていた。涙を浮かべるのを我慢していた。
…それから、私は結衣さんを首にしないために何をしたと思う? なにもしなかった。
『まさか、総務部長やそれよりも上の人間が、高卒の子を半年で切るという意思決定はしないだろう』
手帳には記していないが、私は当時、こんなことを考えていた。情けない。今でも結衣さんの顔が脳裏に浮かぶことがある。
そのことがあってから、「別の会社でうまくやれていたらいいな」とずっと考えていたし、ずっと祈っていた。
真奈美さんと違って、結衣さんの夢は見ない。良い知らせがあったからだ。政令指定都市の職員として働いていることがわかった。
知ったのは偶然だ。回覧物に閲覧済のシャチハタを押している時、偶然に名前を見つけた。
あの時の安堵を言い表すのは難しい。心の底から安心できた。この日は早く家に帰る予定だったが、変更して居酒屋に寄ることにした。
事例3 和也さん(当時20代後半)
発達障害と呼ばれていた。私には診断能力はないが、周囲の評価はそうだった。
ある時、彼が直属の上司を怒らせてしまった。その上司は、一般市民その他の重要人物が観ている前で怒鳴り声を上げたのだ。私も見ていた。イベント会場だった。彼が指示を守らなかったのが原因のようだ。
その上司と和也さんは偉い人から大説教を受けた。後日、彼の指導教育を人事で受けることになった。
事前の報告書によると――まず、空気が読めない。他人が喜ぶとかイラつくとか、そういったことを予想できない人だった。
会話能力が低い反面、言語での表現能力は高い。文書ドキュメントの作成能力は社員の平均を超えていた。特に、プログラミング能力が秀逸であり、エクセルの帳票データを改良しては、これまで半日かかっていたものを20分で~みたいな改革を進めているとのことだった。
文章やレイアウトのこだわりが非常に強く、人が気にしない箇所でも時間をかけて修正する。かと思えば、オフィシャルな文書で使うべきではない表現(見積りあざッスヽ(^^)など)をメールにしたためることもあり、取引先からやんわりと注意を受けることがあった。
彼と面談した頃は、人事研修課長と呼ばれる立場になっていた。実際に面談してみて感じたのは、論理性が高いということだった。すべての言葉に理由を付けようとする。とりとめのない理由もあれば、よく考えているものもあった。
「職場の和が乱れるのはどうしてだと思う?」という質問に対しても、「理由は不明です。非常識なことはしていません。でも、ほかの人と自分の感じ方が違うのはわかります」と答えていた。
ほかにも多くのやり取りはあったが、どうにもおかしい点があった。
彼の発達障害についてだ。当時は発達障害という言葉が流行り始めていた。今ほどには一般的な言葉ではなかったと思う。
彼は発達障害なのか?という疑問を持った。というのも、発達障害に関する書籍を読んだところ、真の発達障害では弊社の面接を突破することは不可能だと確信したからだ。
彼との面談では、イラっとすることはあったものの、怒りの感情とまで呼べるものは湧いてこなかった。彼はその実、他人に配慮することができるのではないか?
つまり、発達障害を装っているのだ。本来的には、別の何かであって、それが原因で周りとの不和が起きている。サイコパスとか、ソシオパスとか、反社会性障害とか、当時は色々と調べたが、素人に結論を出すことはできなかった。
ひとつだけ、わかったことがある。『演技』ができる人間だということだ。
彼の採用面接の記録を見たところ、今の状況とはまるで異なる印象が記されていた。例えば、個人面接では溌剌とした雰囲気だとか、グループ討論では司会を務めており、周囲と協調しながら自分の意見を主張できる~といった内容だ。
グループ討論というのがポイントだ。個人面接では、面接官との相性次第でどうにかなることもある。それが合否の大半を占めるといっても過言ではない。しかし、集団面接の相手は同じ受験者だ。その中でリーダーシップを取って、しかも面接官3人すべてから高評価というのは、これまでの彼の社内評価と矛盾している。
この問題については、根拠を示して解決できるものではなかったので様子見とした。彼は不和こそ引き起こしているものの、能力自体に問題はなかったからだ。小さいミスは起こすようだが、大きいミスの経験はないし、頭の回転も速かった。それに、弊社にとってプログラミングができる人材は希少だった。
彼と彼の部署は結局、不和を乗り越えることはできなかった。和也さんの態度にキレた別の上司が、彼に対して暴力行為を働いたのだ。それを見ていた一般市民が警察に通報し、社屋の前にパトカーが停まった。
半年後、和也さんは転職した。退職面談の記録によると、次に行く会社ではプログラミングの専門職のようだった。IT業界には詳しくないが、はてなブログでもたまに見る名前の会社だ。
彼にとっては、よい結果になったのかもしれない。でも弊社にとっては違う。あれから、社内インフラ等の整備に関する部署が新たに誕生したし、私が退職する間際も情報関係の業務ができる人材は常に足りない状態だった。
今思えば、電算管理システムを担当している総務課にでも異動させてやればよかった。そうすれば、あんな事件によって心が傷つくこともなく、今でも働いていたのかもしれない。
【追記】
昨日の夜にはてなブックマークの人気エントリーに入っているのを見ました。
今では、この日記を消したい思いでいっぱいです。
私は結衣さんのような人に憧れていたのです。
権威や、周囲の空気に流されずに自分を保ち続けようとする姿が羨ましかったのだと、日記を書いている最中に自覚しました。
誤字や脱字が多くなりましたが、修正はしません。このままにしておきます。
ご意見をいただいた皆様への感謝を込め、はてな匿名ダイアリーのコメントの一部に個別に返信します。
※全員へのコメントを考えていたのですが、やはりどうしても途中で切れるので一部としています。ご容赦ください。
長文なので0かな、と思っていました。
今は消したい思いです。
性別に関係なく、上司や周りに空気に逆らえる人間が眩しかったんだと思います。
ただ、若い子なので、自分の感情をぶつけて周りを不幸にすることがあったのは間違いないです。
死なないで。今すぐこの増田をプリントアウトしてもしなくてもいいから病院に行って。 あなたに必要なのは医療です。 読み物としては面白かった
もう少し考えたいと思います。
面白かったのなら幸いです。
彼は発達障害を演じていたのではなくて、定型発達の一般人としての振る舞いを求められて、都度学習しては演じていたのだと思いますよ 発達は本来の自分のままに過ごすと問題を起こ...
彼は頭の回転が速いタイプだったので、面接対策の本をよく読んで勉強していたのかな、とあなたのコメント読んでいて感じました。
突然久保になる結衣さん
日曜日の朝、「お前はなにをしてるんだ?」と恥ずかしさでいっぱいになりました。
率直な印象を書くと、自分ができることを過大評価している感じがするね。本人に起こったことは、本人の選択によるところが大きく、他人がしてやれることなぞはたかが知れているも...
でも、期待が働いてしまうのです。
例えば、ビリヤードの玉が転がっている最中に、横からちょっと力を加えると別方向に・・・みたいな。
自分の力で助けてやりたい、何とかしてやりたいと思うのです。
叶わないことの方がずっと多いのですが。
大事なところで失敗を繰り返してきました。
体力がそこまでないタイプの人でした。
とある中小企業で総務平社員(だった)も罪を告白してみる 人事部長さんの後悔を見て、自分の過去(数年前)がフラッシュバックしたので、総務平社員だった自分も勝手に懺悔の意味を込...
返信させていただいております。
昔の、たとえばサザエさんの波平とかが働いている会社では こういうった和也なんかはトンチの受け答えで 「あらそれもそうねえ、あはは」で居場所を作ってもらえていた気がする ...
今はどこの会社も余裕がありません。
適合できない人が生き残りにくくなっています。
退職鬱の症状はなかったのですが、最近になって、当時のことが頭をもたげてくるのが苦しくてしかたがありません。
こんなことを試さざるを得ないほど苦しいのです。
各事例については、当然ぼかして書いています。
誤字なのです。この年になると、体調がいい日と悪い日との落差がひどいのです。
事例1~3を書いた日は頭の回転が鈍く、こんなことになってしまいました。
それ以後の内容については誤字が少ないはずです。
マスクをしてたら蒸れてかぶれたので薬を塗って、屋内や公共交通機関以外では極力つけないようにしている。
先日、家族と軽く談笑しながら散歩してたらすれ違う人が垂直になって逃げるようにすれ違ってびっくりした。1mぐらい離れてたので大丈夫だと思っていたのだが、そこまで逃げるのかと。そしてその先でもう一人すれ違った人はカバンを顔の前に出して盾のようにしてすれ違った。
なんだか自分がバイキンのように感じてとても辛かった。1m離れるぐらいじゃ足りないのだろうか。2m以上離れられる歩道はなかなか無い。
これは首都圏での話なのだけど、自分の出身地の東海地方の政令指定都市はマスクを付ける人も付けない人もいてわりとゆるい感じらしい。新型コロナ感染者数が全然違うせいもあるけど、元々その土地のゆるい雰囲気もあるなぁとふるさとを思い出して少し恋しくなっている。帰れないけど。
みんな色んなことを言う。あんなに売れてるのに、あんなに人気なのに、あんなにイケメンなのに、あんなに笑顔だったのに。
価値観を鏡のように映している。
売れているのに、という人は、社会的地位が安定して高収入なら人生安泰…と思っているのだろう。
イケメンなのに、は容姿が優れていれば、自己評価も高く異性にもモテて幸せな人生のはず…と思っていて、
先輩や仲間がたくさんいたのに、は信頼できる人に囲まれていれば辛いことがあっても乗り越えられると思っている。多分。
仕事の難易度はそれなりで、残業は少し、ちょっとならサボれたし、怖い上司もいない。
大好きな趣味もいくつかあって、友達と遊ぶ予定もあって、職場でもらったお菓子は美味しいし、今日の晩御飯なにしよっかなーと思いながら仕事終わった1830ぐらいにスーパーうろうろして、
死にたかった。
正確には死につきまとわれていた。
数年前の話。
でも原因となる出来事は何もなかった。(正確には「あった」のだが、これは後述)
将来の心配は多少あったけど、仕事があって友達がいて健康だからそこまで気にしてなかった。
職場の人は、ちょっと感じ悪い人もいるけど別に怒られたりいじめられたりしてない。みんな落ち着いてて、コミュニケーションもちゃんと取っている。
趣味の予定もたくさんあった。(オタクなので、イベントやライブなど…)
生理前にイライラすることが多かったのでたぶんPMSだろうと思って、サプリを飲んだり漢方を試したりした。
不安な気持ちをモノに例えると…、もやもやした雲のような形で、わたしのまわりを漂っていた。
(振り払う方法 好きな音楽を聴いて気分転換、美味しいものを食べる、友達とおしゃべりなど)
たまに濃くなったり重たくなったりするとなかなか動かせない。
(なんとかする方法 ひらすら寝る、長風呂、号泣、怒る、どか食い)
最初は小さくて薄い雲で、大きくなったり小さくなったり、でもうまくコントロールできてると思ってたのに、
だんだん大きくて重い雲の状態が長くなってきて、目の前をふさいだり肩にまとわりついたり、寝てるときに胸の上から押しつぶすように乗っかったりするようになった。
不安の雲に邪魔されることが多くなってきて日常生活に支障が出てきた。
ごはん食べてるときに急に目の前にやってきて、突然不安になる。食事してるだけなのに。
仕事で打ち合わせしてるときにやってきて、なんともないルーチンワークでも不安から焦りが生まれ失敗する。
そんなのが2年くらい続いてた。
だんだん疲れてきた。
ある日(確か金曜だった)仕事から帰ってきて、ごはん食べてお風呂済ませて、明日は休みだから…ってツイッターしながらダラダラしてたら、また大きくて重い不安の雲がやってきて、体を包み込んだ。
耐えかねて、もういい加減にしろよ!なんなんだよお前は!!と叫んだ…と思う。
原因なんてなにもないのに、なんでこんな目に合わなきゃならない。
(引きちぎるのは例えで、不安の正体を考えて、こんがらがった自分の感情をひもといて、自分の感情を認知しようとした。)
雲のまわりのワタを取ったら中に黒いものが入ってた。
これなんだろうと思って覗いてみたら、「死にたい」って書いてあった。
びっくりした。
こわい。死にたくないのに「死にたい」って思ってるの?こわい。
なんで。こっち来ないで。わたしやることいっぱいあるし、やりたいこともいっぱいある。明日休みなのに。なんで。
狂いそうだった。
確かツイッターで「早く人間になりたい」ってつぶやいて、すぐに消した。
不安の雲は私の「死にたい」を隠していたらしく、私はそれを自分で引きちぎって取ってしまった。
次の日からは不安の正体=「死にたい」がそのまま私のまわりをうろつくようになった。
買い物してるとき。
あ、これか、この瞬間か。と思った。
この瞬間に引っ張られちゃうんだ、そうか、みんな大変だ…
できるだけひっそり生きようと思ったけど、日常生活のなかで「死にたい」が叶う瞬間はいっぱいあって、避けて生きるのも限界だと思った。
このままだと私は「死にたい」に殺される。
ゴミ箱に捨てても、山に埋めても、海に流しても
友達とご飯行っても、ライブで感動しても、美味しいもの食べても。これでもう大丈夫!と思ってもしばらくしたら目の前に居る。
こわくてこわくて、半泣きで生活してた。
殺されないために何とかしないといけない。
自分の「死にたい」には一定の周期があって、生理周期と連動している部分があった。
月経がはじまると肉体の猛烈なだるさと痛みが勝り、死にたいが一時的に消える。
(でも肉体の辛さが精神の辛さを上回ってかき消されているだけなので快適ではない…)
この状態から、PMSの悪化版PMDDではないか?と目星をつけた。
うつ病にしては食欲がありすぎるし周期があるし、なにより月経中のだるさと痛みがすごいから、月経不調に詳しい婦人科に行くことにした。
病院選びは今後の人生を決める、慎重に選んだが合わない病院なら即やめて次に行くと考えた。
初診なので電話予約し現状を説明するのだが、絶不調メンタルのしどろもどろの説明でも診察項目に月経不調を掲げているだけあって理解してもらえた。
人気病院だから予約が詰まっていた。直近だと空きがないかも…という状態だったが、
受付の方が「でも辛いでしょう、はやく診てもらいたいよね?時間が調整できないか調べますね」と言ってくれた。
最終的に、ちょっと中途半端な時間だけど…と言って予約を入れてもらえた。
「いま辛いよね」と言ってもらえたのが衝撃的で、電話が終わってから泣いた。会社の休憩室で。(誰もいなくて良かった)この悩みは誰にも話していなかった。
病院では、PMSとPMDDと子宮内膜症について色々説明をうけた。(ただ全部ネットで調べまくった情報と同じで復習の感じだった)
どうしても漢方がいいなら出せるけど、僕はあんまり漢方詳しくないから他院を紹介するね。詳しい先生のほうがいいからね。SSRIは抗うつの薬だけど親御さんが服薬を嫌がることが多いね。あなたお一人で暮らしてるの?それならまあいいね。でもあなたは月経痛も酷いと言うことだから、まずはピルを飲んで頂くのがいいと思います。
ピルも色々種類があるんだけど、うちで取り扱うのはこれ、この表にあるやつ。このなかで一番軽いやつをまず一ヶ月試して、一ヶ月後にまた来て頂くということで。でもこの薬は副作用とか、合わない人もいらっしゃるから。あとでしっかり説明しますから。
あとこの薬はね、これを飲んですぐ健康になるとか、元気なるとか、そういうものじゃないからね。
結果はすぐ出るものじゃないし、様子見て、合わなかったら他のお薬に変えます。
月経困難症の治療薬として低用量ピルを処方され飲むことになった。
先生の説明は今思うと当然だけど、当時はすぐ元気になりたかったから、ちょっと残念だった。
ドラゴンボールの仙豆みたいな薬が欲しかったなあ、ひとくち食べたら疲れも痛みも不安も全部ふっとんで元気になって…
真面目なクリエイターがおくすりやっちゃうのってこういう状況なんだろうか、ちょっとかわいそうだと思った。
その日がちょうど生理が終わったくらいの日で、薬が飲める日までだいたい2~3週間ぐらい。
まだ飲めないのか、早く飲みたい、もう10錠ぐらい一気に飲みたい、でもこれは一日1錠、早く飲みたい…
いや、これを飲めばなんとかなるかもしれない薬をわたしは持っているんだ、前のわたしとか違うんだ…そう思い込んでなんとか乗り切った。
飲み始めて一か月はほとんど変わらなかった。
二か月~三か月くらいでちょっと安定してきた。
半年ぐらいでだいぶ良くなって、一年くらいたつと不安が生まれることがほぼなくなった。
普通に生きられるようになった。突然涙が出ることもなくなって、ライブ中に感受性が突然「無」になることもなくなって、「死にたい」もなくなって、目の前にあることを普通にとらえることができるようになった。
たぶん。
自死を選ぶ直前の人を保護して病院に連れて行ったら、いますぐ治療を開始しましょう!
ってなると思う。だいたいは。
それで治療してお薬飲んで病気が良くなったら、100%元通りまでいかなくても自死は選ばないと思う。
病気じゃなかったらそんなことは選ばない、だから本人の考えや意思じゃない。
ひとりぼっちじゃなかったし、いじめられてなかったし、楽しいこといっぱいあったし、仕事は安定してたし、ちゃんとした収入もあった。
それを伝えたくて書きました。
あなたのせいじゃないです。
家族が転勤族だったため故郷の定義は難しいけれど、2度目の滞在となる今の場所にはなんだかふる里のようなものを感じる。
東京以外の暮らしは不便だなんて話がよくあがるが、私にとっては今の暮らしのほうがよっぽど便利である。
映画、カラオケ、水族館、美術館に銭湯と、娯楽や文化施設はなんでもあるし、ヨドバシもある。
以前よりも家からの距離はどれも近くなって、自転車や徒歩ですぐいけるようになった。(コロナであまり出かけていないけれど)
以前はクレカが使えない店が多かったけれど最近はPayPayに対応した店が増えてきたし、Uber Eatsの加盟店も増えているようだ。
東京でも渋谷や池袋、銀座のような中心地に住んでいたらなんでも近くにあったのかもしれないけど、バカ高い家賃を払うか鳥小屋みたいな家に住むかの選択を迫られるのは皆さんよくご存知だろう。
中心地から少し離れたところに住むとなると、どこに行くにも電車で移動しなければならず、なかなか大変である。
以前に自分が住んでいた家の近くは食事処やカフェがあまり多くなく、すぐに飽きてしまった。
とはいえ開催されるイベントの多さと、人と仕事の多さは東京が一番なのは間違いないだろう。
東京に住むより前、毎年2,3回は東京に行っていたことを思い出す。
東京以外の友人も多いけれど、東京に住む友人も多くなってしまったので、今後はもっと頻繁に訪れるかもしれない。
給与も上がったし、今の場所での暮らしに満足しているといいつつもこうやって東京との比較をしてしまうのには、東京とそこに暮らす人々への恋しさがあるのだろうなぁ。
[B! 東京] 東京の人口 初めて1400万人超える コロナ禍でも一極集中続く | NHKニュース
こういう話題出るたびに
とか言ってる連中はさ、本気でそう思ってんの?
トップブコメもそんな感じだけどさ、首都圏以外に住んでる日本人一億人くらいいるんだよ?
そんな少数派以外の一億人がみんな「まともじゃない」「食っていけない」仕事でギリギリの生活してるわけ?
お前の地元の両親の仕事は「まともじゃない」「食っていけない」ものだったの?
そんでもって逆に東京の仕事は安定してて食えなくなる心配はないの?
「オタクは全員ロリコンの犯罪者予備軍」レベルの解像度になってねえか
裕福ではないものの少なくとも当面の衣食住や家族の生活に困るような状況ではない
派手な年収で消耗している皆さんに、ささやかな田舎者の生活を披露します。
未婚
年収900万+経費
金融資産2500万、貯蓄1400万、確定拠出年金+小規模企業共済1500万
家族が居ないからモリモリたまる。法人には数千万の現預金有り。
1200万ほどで一括購入した持ち家。
お客さんが買取業者に700万で買い叩かれそうだったから、相場より少し安い価格で譲ってもらった。
内装水回り外装リフォーム済みの為、あと8年は何もしなくてもいける。
回らない寿司、料亭、肉や魚、住んでいる地域では値段を見ずに注文できる。
外食は客先や付き合いが多いので経費でほぼ落とせる。
ただし、朝昼はサラダチキンかじったりパワーデリ食ってる事がほとんど。
晩飯も付き合いが無ければ焼いたり茹でたり低温調理して食ってる。
何でも飲み食い可能。
1食2万かかっても気にしない(しかしそれ以上の価格の店は無い)
値段を見ず欲しい物を買う。
デパートの催事で数万円分買って自分で食ったり、事務のおばちゃんにあげたり。
昔は有ったが今は無い。年に1回くらい気が向けば風俗店へ行く。
留学生の20代に家賃食費学費出すかわりにお相手してもらった事がある。4年続いて帰国して消滅。
少し前に結婚式の画像がDMで送られてきた。幸せになってほしい。
昔E200に乗っていたが前記の女の子にイカツイと引かれたのでやめた。
生活費が月15万ほどで残りは全て貯蓄。
小規模企業共済と確定拠出年金で月13.7万円払って後は放置。
最近は年400万くらい増加のペース。
筋トレ。
家ゲー。
旅行。
全属性神石、神撃を超越せし孤高の翼、超越者といえば分かる人もいるか。
チャレンジャーなお客さんはお断りして、主に中小企業の相手と相続をやる。
金があっても使い途が無い。
稼ごうと思えば今の数倍いけるが興味も無い。
もっと金を稼いで欲しいなら倍はすぐいける。
誰かおらんか?
https://anond.hatelabo.jp/20200530164357
裕福・・・なのか?
以前、さいたま市の保健所長が「病院があふれるのが嫌で(検査対象の)条件を厳しくしていた」と発言したとしてニュースになったり、今日も、4月半ばごろには入院まちが200人以上いたという記事がホッテントリ入りしてたりして、埼玉の医療が結構やばいということは、うっすらと伝わっているとおもうので、その背景みたいなことをド素人なりにつらつら考えてみた。
なお、自分は元埼玉県民、いまは都内に住んでいるが、親族や知り合いに埼玉県民はたくさんいる。
埼玉在住の自分の姉も、4月半ばごろ「これまで経験したことのない風邪」に苦しめられていたらしく(直接あってないので、どれくらい苦しかったかはよくしらない。当人の証言のみ)、何度も電話かけてやっとつながった相談窓口に「とにかく自宅で様子見てくれ」の一点張りに途方にくれていたところ、そのうち症状がなくなったらしい。
で、埼玉の医療事情だが、まず大前提として、埼玉は医師も病床数も全国屈指に足りていない。
これは、自分の子供のころ、つまり昭和のころからいわれていた。
今や全国5位の人口を誇る埼玉県だが、国公立の医大・医学部が存在していない。
いや、正確にいうと、所沢に防衛医科大学校というのがあるのだが、これはやはりちょっと特殊な学校で、卒業生は基本的に自衛隊の医官になってしまうので、地元に医師は供給されないし、防衛医科大の医局が地元の病院を牛耳ることもない。
唯一、埼玉県内で文科省の管轄する医大・医学部は私立の埼玉医科大学だけである。
ずいぶん昔、田中角栄が「1県1医大構想」を掲げたころに、埼玉大学(国立・地元では県庁職員と小中学校教員の供給源として知られる)に医学部を!という話もあったらしいのだが、うまくいかず、その代わりに開設が認可されたのが埼玉医科大学らしい。
一説には、当時の知事と医師会のあれやこれやとか、地元政界の魑魅魍魎話とかいろいろとあるようだが、詳細はしらない。
ただ、埼玉医科大学の創立者一族は、歴代埼玉県議長だったり県議だったりする、というのがあって、そのへんがまたいろんな噂を呼ぶ素地ではあるのだろう。
なお、埼玉医科大系の病院は、ホームページの入院案内をみると何よりも目立つように赤字で「前納金」について書かれていて、まあ、そんな感じらしい。
医大としては歴史が浅いので偏差値は低いのに学費は高く、よってしたがって、学生は「どうしても子供も医者にしたいという開業医の、成績が今一つの子息ばっかり」だとかなんとか。
最近は卒業生の教員もいるようだが、その昔は東大とか慶応から移ってきた教員が、それこそ神様のように扱われていて、一昔前の医学ドラマのようだったという話もよく聞く。
あと、日本で初めて正式に性転換手術をしたことでも有名になった大学でもある。
人口120万を超える政令指定都市にして県庁所在地であるさいたま市には医大はない。
自分は旧浦和市(現さいたま市)の出身なのだが、自分の子供のころ、地元で大きな病院といえば市立病院と社会保険病院しかなく、そこで対処できない「難しい病気」の人は都内の大学病院に通院したり入院したりする、という風習があったように記憶する。
そういえば、亡き父が心臓弁膜症の手術をしたのも都内の某大学病院だった。
そもそも、埼玉南部に住んでる「埼玉都民」は、なにかというと東京にでるのが当然なのである。
医療に限った話ではないが。
なんとかしなければ、とこれまで行政が動いてこなかったわけではなかろう。
平成の初め頃、大宮に自治医大の病院ができたのは、地元では大きなニュースだった。
もともとは高層ビルか埼玉タワー(スカイツリーと誘致を争っていた)の建設を計画をしていた、さいたま新都心の空き地には、県の働きかけによって規模が大きくなった赤十字病院と県立小児医療センターが鎮座することになった。
駅徒歩4分、コンサート会場としても名高い「さいたまアリーナ」の目の前に大病院が建ってるのは、なにやら異様な光景ではあるのだが、まあ、一番必要な施設を建てたということだろう。
サッカーの聖地さいたまスタジアムにほど近い開発地域に、県と市が土地を提供して順天堂大学病院を呼んでくる話も進んでいて、当初計画では今年にはできているはずなのだが、予定地はいまだ空き地。去年だったか、木下サーカスが公演をしていた。
埼玉住み、東京勤務だったりすると、会社の健康診断は都内で受けたりする。そこで異常が見つかって精密検査して治療が必要になると、紹介されるのは都内の病院だったりする。
自分も埼玉の実家から東京に通っていた時期があるのだが、その時期、再検査に引っかかって胃潰瘍がみつかって、薬でピロリ菌除去する治療を受けたりしたのだが、それら全部、都内で済ませる結果になった。
要するに、埼玉県の通勤圏の人たちの医療は、多分に都内に依存してるのであって、だから「一人当たり医師数・病床数全国最悪」であってもこれまでなんとか回っていたのであろう。
ところが、コロナウイルスの対応は、都道府県単位でしきられている。これは、埼玉県にとってはつらい。
昨年の8月に野党系の支持を受けた知事が誕生したこともあって、「知事の無能さ」をたたく人がネットに散見されるが、まあ、飛び切り有能な知事でもないかもしれないが、しかし、知事の能力ではいかんともしがたい構造的問題を抱えていることは理解しておいてよいと思う。
おそらく「テレワークに移行しましょう!」と、スムーズに移行できる一流企業にお勤めのかたはStay Homeしているのだろうが、そうでない埼玉県民はたくさんいる。
そもそも、一流の企業に勤め、一流の給料をもらっている人は、できれば埼玉ではなく都内に住みたいのであって、「そうでない人」の比率は、都民より埼玉県民のほうが多かろう。
安い給料に耐え、通勤電車に耐え、毎日東京で働いて東京の経済を支えている埼玉県民は多いはずだ。
そして、東京から埼玉にコロナウイルスをせっせと運んでくるのである。
もともと、埼玉は「観光で宿泊する人」が全国でも屈指に少ない県である。観光地少ないから。
そんな埼玉に、一番ウイルス運んでるルートは、通勤のほかには考えられない。
そして、マスコミは東京には注目しても、埼玉には注目しない。逆に「福井や石川に持ち込まれた」みたいな話とかならニュース性もあるのだろうが、東京の隣で深く静かに進行した医療崩壊にはなかなか目が向かない。
「一極集中」というと、東京と地方の話になりがちだが、じつは隣の県から見ても、東京にはいろいろ集中しすぎてるのだろう。
で、埼玉県民は仕事も医療も遊びも東京にいく(いかざるをえない)ので、毎日、人は東京に集中してはまた埼玉に帰ってくる。
そんな構造のなかで、「Stay Homeです、移動しないようにしましょう!」という事態に陥って、都や県の単位での対応に迫られたとき、切り離された埼玉が苦悩するのも当然といえば当然な気もしている。
その通りだよな、と思った。
夜行バスで12時間もかけて会いに行ってたけど、彼女がこっちにきたこと
一度もねえな。
タワーとかツリーとかはないけどさ。
一応、政令指定都市だし。
震災があった時、その中の1人は心配してボランティアにまで来てくれようと
したのに。
(もちろん強制することではないけどさ。心配のメールはあったし)
おいこら、13年来の「親友」。
なんでいつも私からメールなの?電話も私から。会いにいくのも私。
なんで私がいつもお伺い立てるの?
なんで?
もう夜行バスのる体力ない。
田舎からやってきたお上りさんの私を案内してくれるわけでなく、
私がいきたいところに連れていくだけ。
宿を提供してくれるのはいいけど、でもその都度私菓子折持っていくから
金の切れ目は縁の切れ目、って本当だな。。
東京は行き尽くした。
体ガタガタになりながらも行ってたから。
若かったからできたけど、もう無理。
友情が3万円に負けた(苦笑)
こないだ初めて誘われたと思ったら
って・・・。
3万円かけていくほどの遊園地?
どんだけ馬鹿にしてるの?
たくさん思い出あったはずなんだけど、3万円。。
片道三千円だったから、お得感あったけど、もう無理。
なんで東京にこんな執着してたのか。
さんっざん言われ続けてて、何度も就活でチャレンジしてうまく行かなくて
転職活動でもやっぱり叶わなくて、東京コンプレックスがすごかった。
引目を感じてて、都内の友人に嬉々として会いに行ってたけど。
ホストクラブだって夜の蝶だって、規模は小さくてもぎらぎらの夜景だって
ある。
全国どこも東京化してんだもん。
わざわざ本家に行かずとも、もともとその手のものに興味ないし。
むしろ人混み苦手で、うるさいのが耐えられないのに、
何で東京にこんな引目感じてたのか。
洗脳されまくってた。
在宅でやってるって言っても理解されずに未だに
古いんだよ、今はwifiあればどこでもできるんだよ。
ここで卒業しようと思ってる。
友人にはこの10数年間、本当にいろいろ相談に乗ってもらったし
何でも話してきた関係性もある。
でも、何か、対等でないというか・・・。
見に行きたい。
体がバラバラになりそうな夜行バスでなくて、ちょっといいホテルで
お金のこと以外にも、いろいろ重なって、ダメ押しに交通費があった。
私は彼女と仲が良かったもう1人のように、グイグイリーダーシップを
とるより、お互い対等に付き合いたかった。
私、もう1人でもだいじょうぶだし。
何か、疲れたよ。
その1では、Microsoft、Apple、GoogleのOS抗争についてみてきた。その2では、もっと小さい話、ネット上でのGIGAスクールをめぐる論戦について整理したい。
教育に関しては、専門外でも自分の教育を受けた経験から語りたくなってしまうもので、必要な前提知識も現状認識もなくみんなが思い込みで好き勝手なことを言って噛み合わず、泥沼の混戦になってしまっている。
そもそも、おかしな意見がネット上で飛び交い始めたのは、Newsポストセブンの書いた、ミスリード狙いの悪質な記事がきっかけだ。嫌なのでリンクも張らない。
GIGAスクールとは直接関係のない渋谷区の事例を雑に一台27万円と記事にして、あたかも全国でそんな税金の無駄が行われるかのように印象付けた。
その結果、「業者にぼったくっれている」とか、「無駄遣い」とか、GIGAスクール構想で27万円PCを導入するかのように勘違いした意見が噴出した。
内容を考えると、不当な高値ではないということは、NTTコミュニケーションズの稲田さんという人がまとめられているので、そちらを参照してほしい。
「1台27万円」はぼったくりなのか?
https://note.com/u17da/n/n1c5423754062
その上で、こんな構成だと渋谷区みたいなお金があるところ以外は導入できないため、そんな贅沢する必要ないというのが今回の標準仕様だ。
話の順番がそっくり入れ替えられているのがわかるだろうか。
政治主導の大型事業に対する批判的世論を喚起したいという意図の見える、ミスリード狙いの悪質な記事だ。
悪質なマスコミに釣られた意見は置いておくとして、その他に多いのは、標準仕様のスペックが低すぎるということ、学校にそんなものが必要なのかということ、ラズパイやIchigoJamでいいんじゃないのかということ、あたりだろうか。
こうした意見が出てくるのは、文科省が「何のために」という部分を説明しきれていないことが原因だと思う。
実際、一人一台で何をするのかというと、「Society5.0」とか「個別最適化された学び」とか「先端技術の活用」とかよく分からない言葉が多く、イメージしにくい。
ただ、ここが不透明なままでは一人一台がなぜ不可欠なのかが共有できないので、ここは明確にしておく必要がある。
参考になるのが、GIGAスクール構想にあたっての文部科学大臣メッセージだ。
https://www.mext.go.jp/content/20191225-mxt_syoto01_000003278_03.pdf
この中のキーワードは、情報活用能力だと思われる。この言葉は、新しい学習指導要領にも出てきて、言語能力と並ぶ全ての学習の基盤なる資質・能力と位置付けられている。
この情報活用能力を掘り下げるために、頑張って下のリンク先の資料を読んでみた。
情報活用能力を育成するためのカリキュラム・マネジメントの在り方と授業デザイン
その結果、これはデジタル・シチズンシップのことを指しているのだと理解した。
あくまで個人の理解なので、違うかもしれない。だが、こう理解すると低スペックパソコンでも構わない理由が説明できるので、こう理解する。
デジタル・シチズンシップという言葉はメジャーな言葉ではないので、ピンと来ない人が多いだろう。
下のリンク先が非常にわかりやすいので、とりあえずそちらを見てほしい。
https://medium.com/dqeverychild-in-japan/8-digital-life-skills-all-children-need-25e57b5365a9
スペック不足を指摘する人やラズパイを使えという人は、みんなデジタル・クリエイティビティの話をしている。
彼らは恐らく、パソコンを扱うことに慣れていて、パソコンはクリエイティブであるべきだという呪縛にがっちり縛られているのだと思う。
だから噛み合わない。
iPhone3Gが日本で発売されたのは2008年。iPadが2010年。LINEがサービス開始したのは2011年。LTEが2012年。
今の小学生は、スマートデバイスやインターネットが普通に側にある中で成長してきた、人類史上はじめての世代なのだ。
成長してから、特別なものとしてパソコンに出会った我々とは違う。
今の大人にとってパソコンの問題は常にデジタル・クリエイティビティの問題だった。
でも、子どもたちは違う。インターネットは生まれたときから普通にそこにある環境なのだ。
ドライビングテクニックを習得する前に、彼らは身を守るための交通ルールを理解しなければならないのと同じで、彼らはまずデジタル・シチズンシップを習得しないといけない。
そのためには、安全を確保した環境で、大人が見守る中で使える端末を、一人一台持たせる必要がある。
家庭でそれができるなら問題ない。できない家庭があるから、公教育でやる必要がある。
そのためには、安価な端末でなければならない。たとえデジタル・クリエイティビティを培うのには不十分な性能しかなくても。
と、これがあの程度のスペックで構わない理由、そして、どうしても一人一台が必要な理由だ。
この他の意見としては「導入しただけで終わるのではないか」、「使いこなせないんじゃないか」といったものがある。
これは、他の意見よりかなり現実を見た上での意見で、その分深刻だ。
現在のところ、情報活用能力、あるいは、デジタル・シチズンシップを習得させる教育に関する具体的な実践は、この国ではほとんど行われていない。
先進校と言われるところでも、授業技術に優れた先生が、従来型の授業にうまく使っているだけで、子供たちの情報活用能力というより先生の能力によって小道具としてICTを使っている。
このようなスタイルでは、デジタル・シチズンシップは習得できない。
研修だけで、正しいパソコンやインターネットの使い方を覚えた人がどれだけいるだろうか。
研修はきっかけになるかもしれないが、普通はそのあと使いながら学ぶものだ。
プログラミングなんかは顕著で、なんとなく教えられたとおりに書いてうまく動いた時よりも、エラーが出てその原因を特定するために四苦八苦した時のほうが学ぶものは大きかったはずだ。
先生が完全に管理し、先生の指示通りに作業をするといった、従来の一斉授業の手法では、目的を達成できない。
端末のスペックよりもはるかに重要なのは、子どもたちが自分で考えてトライ&エラーを繰り返すことだ。ここが実現えきなければ、多くの人が心配しているように、一人一台パソコンは無駄になってしまう。
教育情報化に詳しい識者が、この機会に一斉授業からの脱却を強く訴えているのには、こうした背景がある。
ただ、偉い先生はTo beを語るがAs isとのギャップを埋める方法や、妥協点としてのCan beを考えるのが得意ではない。このため、周囲はついていけない。
今の学校には、一斉学習を前提とした学習指導要領があり、現場ではそれを1年間消化するだけで手いっぱいになっている。子どもに自由を与え、トライ&エラーを繰り返させる時間的余裕がない。
文科省が早急に考えないといけないのは、足し算の発想で膨れ上がった指導内容から、ICTを活用することで省略や簡素化ができる項目や、個別学習で代替できる項目を抽出し、子どもが自由にパソコンを操作する時間を確保することだ。
これを現場に丸投げするようでは、GIGAスクールは上手くいかないだろう。
政令指定都市の市長会が、文部科学大臣に将来的な更新費用も補助するように要望を出していた。
それまでに、学校で一人一台パソコンを持つのが当たり前という状況を作り出し、ランドセルと同じように保護者に買わせることを目指していると思われる。
補助無しで更新する体力はどこの自治体にもないだろうから、保護者が納得して負担してくれる状態になっているかどうかが最も重要になる。
そのためには、一人一台パソコンが埃をかぶるようなことなく、デジタル・シチズンシップの習得に有用なものであることが広く理解されることが必要だ。
だが、学校のカリキュラムが今のままでは、そのために必要な時間がそもそもとれない。
文科省が本気であることは、色々な面から感じられるが、一方で、明らかにマンパワーが不足しているのもよくわかる。
その中で、学校で必要な時間を確保するための方法を検討できるのか、動向を注視したい。
間違っても、形だけの教員研修や支援員の派遣などという対応に全力で取り組まないようにしてもらいたい。
特に支援員は、教員の甘えと依存につながり逆効果になるリスクが高いので、慎重にお願いしたい。
ということで、現時点では、また無駄な投資になるリスクも大きく予断を許さないが、デジタル・シチズンシップを義務教育課程で習得させる必要性は高く、今回のGIGAスクールにかかっているものは大きいということを広く理解してほしい。