はてなキーワード: 岩下志麻とは
最近、昭和のドラマや映画を観るようになった。解像度の高い映像で当時の作品をじっくり楽しめる環境が整ったこともあり、作品の細部にある仕掛けや意図が見えるようになり、改めて面白さを感じている。そんな中で観た「はなれ瞽女おりん」(1977年)は、篠田正浩監督の名作といわれる一本だ。
正直、この年齢になるまで篠田監督の作品を観たことがなかったが、この映画は素晴らしかった。明治から大正にかけての日本の「原風景」を映し出すという監督の意図は、見事に画面に現れていた。しかし、単に美しい風景を描くにとどまらず、登場人物の人間性や時代の矛盾を深く掘り下げた内容に感銘を受けた。おそらく20代の若いころにみていたら、おりんカワイソス以外の感想が残らず、忘れさられてしまっていただろう。年齢を重ねて初めてわかる名作というのがある。
映画の中心となるのは、瞽女であるおりん(岩下志麻)と脱走兵の鶴川(原田芳雄)の物語だ。二人とも社会から周縁化された存在だが、その中でもおりんの「はなれ瞽女」という立場は二重の周縁性を持っている。彼女が共同体から追放された理由は、禁制の「男との関係」があったためだが、それは彼女自身の選択ではなく、レイプによるものだった。
そんなおりんに寄り添い、導き手となる鶴川は、物語が進むにつれてその人物像の不整合が明らかになっていく。「天涯孤独」と語りながらも、家族の存在がほのめかされ、ついには母親の存在を告白するシーンは映画のクライマックスとなる。この告白が、おりんにさらなる絶望をもたらす。
この物語が描かれる背景には、明治維新に始まる天皇を頂点としたイエ制度による国民統合の矛盾がある。家父長制のもと、人々は家や国家という枠組みに縛られていた。
天皇を頂点としたイエ制度は、乱暴にいってしまえばそもそも江戸時代の「家中=藩」にならって編み出された。江戸時代においては「家中」が人を従わせ、結束させる機構だった。幕末の志士たちが思いつくことのできた次の時代の国民統合の在り方は、やはりイエだったということだ。この点が王を承認する倫理的な神を持つヨーロッパの統治と異なっている点だ。国の危機を前にしても藩同士がいがみ合うならば、ということで、もっと大きな家中=イエにしてしまえばよい、という発想が明治維新だ。天皇を頂点として、家父長制に結合させ、国、地域共同体、世帯すべてのレベルで上から下まで論理的に整合する入れ子構造にするために、廃仏毀釈という荒業まで行った。この「家」の概念は、主君への忠誠のもと、等しく苦労するフィクションを生み出し、社会の不平等を覆い隠すことになった。
脱走兵であることが官憲についにバレて拷問されたときの鶴川の叫び「何が、国民皆兵だ。金持ちの徴兵逃れで、俺が引き受けただけだ」というセリフは、その矛盾を端的に表している。明治維新で構築された家制度の矛盾を背景に、映画は鶴川の叫びやおりんの境遇を通じてその時代の不条理を描いている。
また、瞽女たちが社会の中で次第に居場所を失っていく様子は、急速な近代化による価値観や生活の変化を象徴している。鉄道の普及が、農村部を含め人々の娯楽へのニーズの変化をもたらし、ひいては彼女たちの文化を衰退させたことや、彼女たちが生き残りをかけて変化を迫られた様子も映画の中で巧みに描かれている。
旅の途中で長岡のはなれ瞽女(樹木希林が演じた)と出会うシーンでは、斜陽化する瞽女文化のなかで自立を模索する様子がうかがえた。
この映画で特に印象的だったのは、男女の「帰る場所」の非対称性だ。
鶴川が官憲に連行される直前、おりんは鶴川から思わぬ告白を受ける。
鶴川の、ごめん実は家族がいるんだ、という告白に、留置所の小窓にかけた手が崩れ落ちるような衝撃を受ける。このときの岩下志麻の演技すごい。
このシーンに二重写しで思い出した映画がある。それは「駅station」降旗康男監督(1981年)。大晦日に一人飲み屋のおかみさんと熱燗を飲むシーンでおかみさん役の倍賞千恵子がいうセリフだ。
水商売やってる子には暮れから正月にかけて自殺する子が多いの。なぜだかわかる? 男が家庭に帰るからよ。どんな遊び人もこの時期は家庭に帰っちゃうからね。
好きな男には帰る場所が別にある、迎え入れてくれるホームグラウンドがある、という、この同じ寂しさがおりんを襲う。
おりんは、そのさみしさを押し殺して、よかったじゃないか、あんたにお母さんがいても不思議はないと思っていた、自分もいるんだ、と幼少期に記憶の残る唄を口ずさむ。エンタメ的には、涙腺崩壊間違いなしのシーンだ。
鶴川がなぜうそをついていたのか。おりんを深く愛しながらもなぜ夫婦になるのを鶴川は拒んでいたのか。これは推測だが、おそらく母親が瞽女を娶ることを認めないことを鶴川はよくわかっていたからだろう。差別意識が残る社会において、瞽女であるだけでなく、はなれ瞽女であることはおりんにとって絶望だっただろう。
鶴川には母親という寄る辺があり、天皇を頂点としたイエ制度の中で一定の救いが残されている。しかし、おりんにはそのような場所がない。かつての瞽女共同体も失われ、彼女はどこにも属することができない存在だ。この非対称は、映画終盤の「親不知の岬」で息絶えるという結末に象徴されている。
女はひたすらアウエイを強いられ帰る場所はなく、男は失敗してもいざとなったらふるさとに抱かれる、という、この男女の人生の非対称は、先日来観ていたドラマ「おしん」でも同様に感じた。
おしんの物語では、農民運動に熱を入れていた浩太は官憲に拷問され転向を余儀なくされる。夢破れ傷ついた浩太は傷をいやしに実家の世話になる。浩太の実家は父親が貴族院で太かったのだ。一方、おしんには故郷を振り返るという選択肢は存在しない。ただただ前を向いて歩く以外に救いはなかった。おしんと浩太は初恋同士でありながら、終生結ばれることはなく、微妙な距離感で生きていく。
(蛇足だが、当てにするふるさとを失った男は今度は会社組織や国家というもっと大きなイエに夢を託す。女は地道に居場所としての家族を築くことを夢見る。このような男女の不均衡、不公平さをジェンダー論のフレームだけで論じるのは、おそらく十分ではないとも思った。)
「はなれ瞽女おりん」の映像表現は見事で、セリフに頼らず映像で感情や状況を語る部分が多い。例えば、鶴川が告白した後のおりんの行動や、瞽女屋敷を訪れるシーンの演出は、彼女の焦燥や絶望を鮮烈に伝えている。
男の告白ですべてを悟ったおりんは、まず瞽女屋敷に向かい、自分の育った場所を確かめに行く。しかし、すでに時がたち、瞽女の時代は終わりを告げていた。屋敷がもぬけの殻だとわかると、男を待つことも探すこともせず、心身ボロボロになってはなれ瞽女として宿場町を回る。おりんの着物がボロキレ状態になっていることから、はなれ瞽女としての暮らしが何年も経過していることがうかがえる。この映画終盤のテンポが絶妙だ。
また、ラストシーンの親不知隧道での描写は、観る者の解釈に委ねる余韻があり、深い感動を呼び起こした。私の解釈になるが、瞽女文化の衰退と密接な関係のある鉄道の普及がズームアップされるトンネルの測量機器としてあらわされ、遠くの岬に見えるおりんの着物の切れ端と遠近感を演出しており、さすがだわ、この演出家と感嘆ぜざるを得なかった。
おりんの物語は、単なる一人の女性の悲劇ではない。社会の中で周縁化される女性たちの象徴であり、家制度という枠組みの中で矛盾を抱える日本近代そのものを映し出している。家父長制のもと、妻には銀行口座を持つ権利すらない時代、周縁化された存在であるはなれ瞽女の自立と恋、その挫折を通じて、その背景に潜む不平等や抑圧を丹念に描いた篠田監督の手腕に心から感服した。
篠田正浩監督が描きたかった「日本の原風景」とは、単なる美しい日本の風景ではなく、矛盾や悲哀に満ちた人々の生き様そのものだったのではないか。この映画を観て、初めて彼の作品に触れたが、もっと多くの作品を観てみたいと思った。そして、昭和のドラマや映画が描く時代背景の奥深さに、改めて心を動かされた。
90年台は小室哲哉と華原朋美、keiko、松浦とあゆ等、プロデューサーとの師弟愛カップルが多かった。
歌謡曲の成長期にも似たようなことがあって、ジャンルが成熟してくると、商品や作品を作る“マニュアル”ができて来るのに対して、成長期は一個人の力が非常に大きいから、個人と個人の結びつきでものを作っていくことが多かった。
バラエティだとイモトアヤコとディレクター、ギャル曽根とディレクター、キンタローとディレクター、鈴木おさむと井森美幸
演劇だと
13歳年下の大澄賢也と結婚した小柳ルミ子も忘れてはいけない師弟カップルで、ほぼ無名のダンサーだった大澄に光を当て、ダンサーとしてだけではなく、芸能界で活躍できるタレントにまで押し上げた小柳の功績は、まさしく名伯楽と呼ぶにふさわしい。
13歳という年の差以上に、10代から活躍している小柳ルミコは結婚時、すでに芸歴約20年のベテラン。対して、大澄とは芸歴0年に等しい。キャリアの差で考えると、親子ぐらいの差がある
キャリアに開きがあるからこそ師弟として成立しやすく、関係性も安定する。しかし、弟子が成長してしまうと、その関係は崩れてしまう。
結婚直後は、夫婦ともにテレビ出演やステージを行うなど、年の差おしどり夫婦として立ち振る舞っていたが、'00年に離婚。11年の結婚生活だった。
大澄自身が告白しているが、小柳から「離婚の条件として高額の慰謝料を支払うか、それができないなら結婚以前の無名のバックダンサーに戻るか」の二者択一を迫られたそうだ。結局、大澄は1億円ともいわれる慰謝料を支払う。
小柳ルミ子からすれば“誰のおかげでここまで稼げるようになったと思っているんだ”という思いがあったんだろう。そうじゃなければこんな二択を迫らない。彼女にとっては、破門に近い要求だったんだろう。
90年台は小室哲哉と華原朋美、keiko、松浦とあゆ等、プロデューサーとの師弟愛カップルが多かった。
歌謡曲の成長期にも似たようなことがあって、ジャンルが成熟してくると、商品や作品を作る“マニュアル”ができて来るのに対して、成長期は一個人の力が非常に大きいから、個人と個人の結びつきでものを作っていくことが多かった。
バラエティだとイモトアヤコとディレクター、ギャル曽根とディレクター、キンタローとディレクター、鈴木おさむと井森美幸
演劇だと
13歳年下の大澄賢也と結婚した小柳ルミ子も忘れてはいけない師弟カップルで、ほぼ無名のダンサーだった大澄に光を当て、ダンサーとしてだけではなく、芸能界で活躍できるタレントにまで押し上げた小柳の功績は、まさしく名伯楽と呼ぶにふさわしい。
13歳という年の差以上に、10代から活躍している小柳ルミコは結婚時、すでに芸歴約20年のベテラン。対して、大澄とは芸歴0年に等しい。キャリアの差で考えると、親子ぐらいの差がある
キャリアに開きがあるからこそ師弟として成立しやすく、関係性も安定する。しかし、弟子が成長してしまうと、その関係は崩れてしまう。
結婚直後は、夫婦ともにテレビ出演やステージを行うなど、年の差おしどり夫婦として立ち振る舞っていたが、'00年に離婚。11年の結婚生活だった。
大澄自身が告白しているが、小柳から「離婚の条件として高額の慰謝料を支払うか、それができないなら結婚以前の無名のバックダンサーに戻るか」の二者択一を迫られたそうだ。結局、大澄は1億円ともいわれる慰謝料を支払う。
小柳ルミ子からすれば“誰のおかげでここまで稼げるようになったと思っているんだ”という思いがあったんだろう。そうじゃなければこんな二択を迫らない。彼女にとっては、破門に近い要求だったんだろう。
岩下志麻の極妻が流行ってるころを振り返って今の女優を見ると、もう女優って誰でもなれんじゃねって思う有様。顔じゃないってだけの理屈なんだろうが感覚としてはね。
そこらへんの顔レベルか下手したらそれよりちょいブスが女優になれるっていうのがどうも。
よくいえばAKBの商法みたいな感じで親しみのある顔で距離感を近く思わせる狙いなんだろうか?いやあ女優ぐらい、そんじょそこらの顔じゃ太刀打ちできない高嶺の花でよくねと思うが。
エロ漫画とかだと数百万で買える高級娼婦ってのが出て、あああいうの実在するのか知らんけど(クラブキャバクラのような多少なりとも頭を使う接待ならともかく、吉原とかあった江戸時代というわけでもなく、今の世に性行為で数百万もらえるってあるのかってこと)
いたとしたら高級娼婦のほうがルックスよくて、酸いも甘いも裏社会も知ってる人ほど高級娼婦のほうが女優より稀少性の高いルックスと評価してそう。
架空OL日記ってあるじゃないですか、バカリズムさんの。銀行勤めのOLの日常を赤裸々に綴ったすべて嘘の日記っていうわりとヤバめの発想の。
映画を見たんだよね、主演、バカリズムさんだった。やばいよね発想が。企画立案からプラン実行まで隅から隅まですべてやばいんだけどこれが面白いんだな。いるいる!てなる。OLの日常知らんけど。
いーなーわたしも、そういうの、そういうのやりたい!て思って。やっぱ人生現実一本だと正直キツいんだわ。まじで。長すぎない?人生。そんでもってしんど過ぎない?ていうか、労働時間長くない?給料、少なくない?なんかもう楽しくパロディみたく生きていたい。
で、ハッと気が付いたんだわ。
自慢じゃないんだけど、というかまじどこをどういう角度で切り取っても自慢になり得ないんだけど、高校〜大学時代のあだ名が「人妻」だった。
さすがに社会に出てからはそんなトンチキなことを言ってくる非常識人には巡り合わず、なんなら24歳バリバリ職場でいっちゃん歳下なのでみんなにでへでへ可愛がりしてもらってた。のだけど。
こないだ数ヶ月振りに再開した会社の同期から言われました。開口一番。
「未亡人感が増したね」と。
待て、夫よ。いつ死んだ。
わたしの知らぬ間にわたしは結婚し団地に暮らし夫の帰りを待ちながら昼下がりに宅配業者を誘惑したり義父と密会したりしていつのまにか夫が死んでた。
なんでなのかな。
なんでなんだろ。
そんなに幸、薄そうかな。
成人式に振袖着た写真を見せたら色んな人に「喪主か極妻」って言われたんだよね。岩下志麻に弟子入り志願だわ。あんたら覚悟しいや!
よしわかった、今からお前らの欲望を全部受け止めてやる。人妻団地妻未亡人枠として腹を括った悲しき24歳独身バリバリ労働者。扶養はしてもされてもいないし、なんなら夫どころか彼女も彼氏もおりません。
人妻ってでも、言ったらわたしの母上も人妻な訳で。でも、人妻ってそういうことじゃないんよね。ファンタジーなんよ。人妻は。
リアルガチ人妻は仕事に家庭に忙しいスーパー現代女性なわけですが、ファンタジー人妻はファンタジーだから。夢を見させてくれる存在だから。
所帯持ち感とかゼロ。エプロンは白。髪は黒。夫という連れ合いはいるけれどもいつもどこか頼りなげ。何処の馬の骨とも知らない野郎に連れてかれそう。押しに弱い。流し目が得意。儚さの中に漂うエロス。判子を押したあとの上目遣いでノックアウト。そのまま家主のいない部屋へと雪崩れ込み…………
今は極道の妻たちが出来るような美貌の女優がいないと母が言っていた。
北川景子はぎりぎりいけるかもしれないが鼻の造形が気になるって。俺もそこちょっと同意でなぜか高橋真麻を思い出すんだよね。
岩下志麻や夏目雅子みたいな顔の人が今の芸能界にはいないんだそうだ。
女性の社会進出が関係してるのだろうか?美人も芸能界じゃなくてキャリアウーマンとして活躍できるようになったから?
岩下志麻(とかたせ梨乃)は医者を目指してたんだけど断念してお芝居一本でいくようになってという経緯があって、その断念に対して社会進出に対する壁という影響を感じたんだよな。だからそういう壁がなくなったら逆に芸能界は美人も留められなくなっていくって考え。
でも芸能界志望の人間は昭和より増えてるはずなんだよな。それは逆に正の効果をもたらすはずで、アイドル顔のブスが増えてるのは言うまでもないが、同じく一定の割合で絶世の美人の流入もなきゃおかしいはずなんだよな。
個人的には黒木メイサ(最近見ないな)や栗山千明はいけそうな気がするんだけど、ありゃ西洋顔だからまた違うって家族に言われた。
10-15
住田萌乃(11),川島夕空(11),本田望結(15),鈴木梨央(14)
15-19
浜辺美波(19),芦田愛菜(15),上白石萌歌(19),清原果耶(17)
小芝風花(22),広瀬すず(21)、橋本環奈(20)、中条あやみ(22)、池田エライザ(23)、松岡茉優(24),福原遥(21),杉咲花(22),上白石萌音(21),土屋太鳳(24),永野芽郁(20),広瀬アリス(24),橋本愛(23),優希美青(20),黒川結菜(22)
25-29
波留(28),高畑充希(27),黒木華(29),吉岡里帆(26),二階堂ふみ(25),有村架純(26),夏帆(28),門脇麦(27),桐谷美玲(29),山本美月(28),谷村美月(29),真野恵里菜(28),清野菜名(25),能年玲奈(26),大政絢(28),福田沙紀(29)
30-34
石原さとみ(32),戸田恵梨香(31) ,長澤まさみ(32),蒼井優(34),綾瀬はるか(34),仲里依紗(30),沢尻エリカ(33),宮崎あおい(33),満島ひかり,新垣結衣(31),安藤サクラ(33),上戸彩(34),木南晴香(34),多部未華子(30),堀北真希(31),榮倉奈々(31),井上真央(32),吉高由里子(31),杏(33),上野樹里(33),木村文乃(32),松下奈緒(34),三倉茉奈(33),三倉佳奈(33),貫地谷しほり(33),比嘉愛未(33),本仮屋ユイカ(32)
35-39
深田恭子(37),柴咲コウ(38),安達祐実(38),真木よう子(37),広末涼子(39),小西真奈美(41),小池栄子(38)尾野真千子(38),栗山千明(35),田畑智子(38)
40-44
米倉涼子(44),仲間由紀恵(40),中谷美紀(43),麻生久美子(41),菅野美穂(42),井川遥(43),市川実日子(41),松たか子(42),ともさかりえ(40),木村佳乃(43),内田有紀(43),小雪(42),佐藤仁美(40),吉瀬美智子(44)
45-49
吉田羊(45),稲森いずみ(47),深津絵里(46),松雪泰子(46),篠原涼子(46),宮沢りえ(46)、,永作博美(49),牧瀬里穂(47),宮沢りえ(46),中山美穂(49),堀内敬子(48),常盤貴子(47)寺島しのぶ(46),西田尚美(49),和久井映見(48)
50-54
鈴木京香(51),天海祐希(52),沢口靖子(54),若村麻由美(52),石田ゆり子(50),南野陽子(52),原田知世(51),財前直美(53),小泉今日子(53),富田靖子(50),斉藤由貴(53),有森也美(51),羽田美智子(51),鈴木保奈美(53)
55-59
黒木瞳(59) ,室井滋(59),浅野温子(58),浅野ゆう子(59),薬師丸ひろ子(55),高橋ひとみ(58),キムラ緑子(58),山口智子(55),真矢みき(55)
60-64
大地真央(63),大竹しのぶ(62),余貴美子(63),戸田恵子(62),片平なぎさ(60),古手川祐子(60)
65-69
70-74
吉永小百合(74),宮本信子(74),泉ピン子(72),倍賞美津子(72),富司純子(73)
75-79
80-84
吉行和子(84)
85-89
もうすぐ80歳の誕生日!
なんと、もう三四半世紀以上生きてる事になる。
風俗デビューが27歳だったから、もう人生七割弱は風俗やってんだなぁ…。
ちなみに今は店舗所属はしてなくて、フリーです。ネット社会様様。
80歳の風俗嬢というと、すごいババ専と思われるかもしれないけど、全然そういう感じじゃないよ。
まあ、もちろんフレッシュ!でも無いですが。
体型は27の時からほぼ変わらなくて身長165で体重47。無理なダイエットはしてないけど、夜中にラーメン食べたりはしないかな?太らないのは元々の体質で、おかあさんおとうさん、資源をありがとう!と感謝の気持ちは常に抱いている!見た目は岩下志麻に似てる。あ、年齢も確か同じ位。ほら、岩下志麻とならヤレる!って思ったでしょ?(笑)
客層は「熟女好き」な人と「美脚好き」な人の主に二層かな。熟女好き、結構居るんよ。しかも「デブっていかにもオバサン、っていうのは嫌で、綺麗な熟女がいい」って人。常連はそーゆーのが好きで私と出会い、何となく気があってズルズルと指名続けてるって感じの人が多いんじゃないかな?
そういう人はおしなべて「初めて会う女性と話すのは緊張する」ってタイプで、気楽に話せる私がいいんだろうな。もちろん、あと1〜2人はそういう嬢がいるんだろうけど。
53年間風俗やってきて思うのは、おとこの人っていくつになってもかわいいなーーーって事。年齢や見た目の美醜は関係ない。よく男はマザコンって言うじゃない?マザコンかどうかは分からないけど私に「癒し」を求めてるんだなーって思う事が多々あるよ。
ひたすらエッチだけで雑談もせずに帰る人もいるけど、それだって「女性とエッチすること」が、その人にとっての癒しなんだと思う。
会社で嫌な事があった時、家庭で上手くいってない時、なんか落ち込んでる時、そういう時に「癒して〜!」って来る感じ。
私はそれが嫌いじゃないから、53年間もこの商売続けてるんだろうなぁ。終わりはいつかあると思うよ。特に40代入った時はいつ引退しようか…とか、よく考えたけど。
なんだかんだで、常連さんから毎月お誘いがあって、ひと月暮らせるだけの稼ぎが出来てしまうから何となくズルズル……そして、もう開き直ってしまった。リクエストがある限り私は出動するし、リクエストが無くなったり病気になったら、その時はフェードアウトするんだろうな。
元々「何かをキッパリ止める」って事が苦手なんです。
この話に特に含蓄や着地点はありません。何となくに傘寿向けて、思ったことを書いてみました。
やっぱり、誰にでも言える仕事じゃないから、たまには話してみたくなる(笑)
また、気が向いたら続き書きます。
誰も読まないかもだけど。
Chakuwiki に岩下志麻が「大河ドラマで2回も次男贔屓の鬼母を演じていた」と書いてあった。
けど、よくよく考えてみたら、大河ドラマで岩下志麻が演じた主要な役3つ、北条政子(草燃える)、保春院(独眼竜政宗)、崇源院(葵・徳川三代)はいずれも、次男びいきの鬼母ではあるまいか。
北条政子は実家・北条家と結託して自らの長男・頼家とその妻子を抹殺し、次男・実朝を擁立した。
最上義光の妹で伊達輝宗の正室である保春院は、長男である伊達政宗を毒殺しようと試み、次男の小次郎に家督を継がせようとした。
江(ごう)とも呼ばれる、徳川秀忠の御台所・崇源院は自身にとっては長男である竹千代(家光)を邪険に扱い、次男の徳川忠長を将軍に据えようと画策した。
言わば三人が三人とも、日本史上「総領息子に厳しく次男坊に甘い鬼母」の代表格であり、これが大河ドラマの中でひとりの女優によって演じられたというのは、これはもう偶然ではあるまい。