はてなキーワード: ペンネームとは
マイノリティがこつこつ積み上げてきた主張が、過去の自称同胞のウェブ炎上によって「どっちもどっち以下に」発言力を引き下げられてしまう光景は
賽の河原で石を積む子どもの側から鬼が石の塔を崩すがごとく悲しい情景だ
「なりすまし」にしても上記の通り
義憤を憶えてつぶやく人達の中にも、守るどころか足を引っ張って迷惑かけてるのにウェブ炎上の原因なのに悪評の原因なのにのうのうと
クラスタにべったりで離れようとしない人もいる そこだけが居場所なのかもしれない
自作自演の可能性を訴えても何も考えずにRTする大衆が信じればそれが事実として広まる
つぶやき地獄では横の繋がりが鮮明になるから繋がっていると、誰かが誰かを敵に廻すと横のつながりにも粘着したがる人がやってくる やっぱ増田がいーよ
ネットの悪口とか一見大量に見えるけど、2chやTwitterで同じパターン書き込まれてるから一人~数人のクラスタで同じこと大量にあちこちで書き込まれてるだけだなと思う
悪口のスパムコピペ化やつぶやきで復垢大量に使ってdisるアレのことね
何歳だろうが落ち度があったとみなされれば、敵だと見なされれば「正しさ」の旗の下に晒され、拡散され、排除され、disられ、嫌がらせされ、家族の悪口まで
言われ、職場には嫌がらせや脅しの電話をかけられ、挙句の果てにはIDか職を失う人もいる
レベルの高い人が経験値の低レベル~初心者を狩る初心者狩りの世界だ ゲームバランスの悪いサバンナ
SNSで言われてることやプロフィールは何一つ信じない位で丁度良い
女子大生がおっさんかも知れないし、マジョリティがマイノリティに、マイノリティがマジョリティに、別のサイトでは同名ペンネーム似た文体が真逆の態度取っていたりカオス
ネット暦長いかネット廃人高レベルな人はもう既に既知なことだと思うけど、低レベル~初心者が初心者狩りに遭うと心が打ちのめされ、大量のTLの流れにバターナイフで魂を
少しずつ抉り取られてオンライン/オフラインともに大ダメージ負うのでそれではゲームバランス悪いと思ったから軽くアドバイス 仕組みを予め分かるだけでも防御力UP
「正しさ」とか「悪い」とか「議論」所詮建前で SNSでいつも言葉汚い人はその攻撃性のはけ口を他人に求めて獲物を求めてさまよってるどっちもどっちで
http://anond.hatelabo.jp/20130205153620
鷲巣麻雀も決勝二人麻雀も導入目的は明らか。「普通の麻雀より、相手の思惑を推理できる要素を増やす」よ。
福本は「相手の策を読み、裏をかきあっての心理戦」が描きたい(読者もそれが読みたい)が、
麻雀というゲームそのままでやるのは無理があるので特殊ルールにしてるのだ。
そもそも、麻雀漫画で闘牌がメインになっているもの(ギャグとか実録物とか「麻雀をめぐる人間模様」がメインな話とかはとりあえずここでは置いておく)は、
「麻雀というゲーム」か「麻雀を打つ人間」のどっちかで嘘をついてる。麻雀が運ゲー過ぎる(少なくとも短期戦では)からだ。
前者はどういうことかというと、「麻雀はこうこうすれば捨て牌から相手の思惑を読みきることができるゲームだ」とか
「麻雀はこうこうすれば運気の流れを自分のものにすることができるゲームだ」とかいう嘘(麻雀は運ゲーじゃないよ、という嘘)。
一般的に麻雀漫画というのはこういうのを想像されがちだと思うが、現実にはこれは無理。
手配読みとか、100%嘘ではないが、あんなピンズドで読むのは条件が相当限られないと無理。
「嘘じゃねえ!流れはあるんだ!」と言いたい人もいるとは思うが、一応、現代の麻雀戦術では、流れというものはないし、
相手の手牌を読むのは条件が相当限られないと無理ということになってるのだ。納得できなくてもそういうことにしておいてくれ。
バトルマンガで例えて言うなら「拳銃持った相手と素手で戦う時、銃口の向きを確認して高速で動けば全部避けられる」みたいなもんで、
「一見理屈は通ってるけど、現実にはそれ無理やろ」という話やね。
もちろん「嘘だからつまらない」なんてことはなくて、嘘の付き方がそれっぽければ面白いわけだ。
麻雀漫画でこの手のだと、土井(旧ペンネームは山根)泰明原作(『勝負師の条件』『幻に賭けろ』など)が特に素晴らしいね。
福本の特殊麻雀はこの変形で、「相手の待ち牌を読まなきゃ勝てない」とか「相手の手牌が部分的に見える」みたいなルールをプラスすることで、
「それっぽい理屈が成立しそう度」を上げてるわけだ
(まあ鷲巣麻雀とか二人麻雀は実際にやったことないので、もしかしたら「成立しそう」ではなくマジで理屈が成立してるのかもしれないが)。
こんな七面倒臭いことせず、限定ジャンケンみたいに新しいものを作ったほうが無理ないけど、近麻でそれできなかったろうし。
ちなみに後者は、「雀士には人智を超えたすごい奴が居る」という嘘(人間は運をねじふせられるよ、という嘘)。
この代表例は来賀友志原作(『あぶれもん』『ザ・ライブ』『てっぺん』『天牌』など)。
『ザ・ライブ』で、神業的な打ち筋を見せた主人公がなぜそう打ったのかと問われて
「明確な説明は僕にもできません」とはっきり答えたり、
『てっぺん』で「何を切るかではない何を引くかだ それが超一流の条件!」ってアオリがあったのが典型的だが、
「すごい奴ってのは理屈ではなく当たり牌を切らない」「すごい奴ってのは理屈ではなくツモる」って具合なんね。
さっきの例えで言えば、「すごい奴ってのは堂々としてるだけで拳銃の弾が当たらない」みたいな感じ。
理屈にはなってないが、ある意味リアリティはあるとも言える(そういう「持ってる」って言いたくなる人間って居るじゃん)。
『哭きの竜』なんかも土井作品(クレジット無いけどあれ土井)にしては珍しくこっちだし、
『むこうぶち』も、理屈は出てくるけど本質的にはこっち(傀が負けるところ想像つかねー)だと思う。
で、上の二つが分かりやすいけど、「強い! 絶対に強い!」という黄金バット的サムシングを読者に納得させることが出来るキャラクター造形であれば面白くなるわけだ。
なお、咲とか兎、片山まさゆきの『ミリオンシャンテンさだめだ!!』とか『まんちょくスナイパーとどめ』(どっちも片山作品の中では知名度低いが超名作)とかはこの変形で、
人間力的な漠然としたものではなく限定的な異能にしてるわけやね。
ちなみに、「咲は麻雀漫画としてはダメ」とか言うのを見ると「それはどうか」と思うのは、
「麻雀が分かってる人間なら、咲が『牌にドラえもんが描いてあったって成立する』ようなもんじゃなく、
ちゃんと牌譜作ってあって、ネト麻とかとつげき東北以降の戦術をベースにしてることは見て分かるだろ」って気持ちが半分と、
「能力麻雀だってdisるの、片山の名作群をdisるってことだから承服しかねる」ってのが半分。
イカサマものはまあまた別論にしといてくれ。哲也とかのヒット作があるので勘違いされやすいけど、80年代以降の麻雀漫画シーンでは一貫して傍流(『(旧)バード』『凌ぎの哲』『ショーイチ』だけ読んどけばいいよ)だし。
WEBサービスやSNSなどの発展により、パスワードを要求されることが増えてきました。
でも、パスワード覚えるの面倒くさいですよね?
かといって自分の生年月日や出身地などに関するものでは、簡単にばれてしまいます。
そこで提案したいのが、平文で保存できるパスワードの生成方法です。
複雑なアルゴリズムはいりません。必要なのはあなたの頭と思い出だけ。
それではさっそく作ってみましょう。
中学生くらいの頃の。
現在進行形でも可。
念のためアナログで。
妄想や黒歴史に登場する設定やキャラクター、ストーリーを書き出します。
ネタ帳を見てはいけません。ぱっと思いつくものだけにしましょう。
妄想から一つ、黒歴史から一つモノをピックアップして組み合わせます。
これがパスワードになります。念のため脳内で組み合わせるだけにしましょう。
パスワードが「cheesedorami」なら
”パスワードは「パン工場の飼い犬」+「青い猫型ロボットの妹」”とします。
これで、テキストが保存できる場所なら、どこでも保存できるようになりました。
ポストイットに書いてモニターに貼っておいてもいいし、EVERNOTEに保存しておいても良いです。
ブログやツイッターなら、プロフ欄に書いておくとおもしろいかもしれません。
ここで指摘されている
たとえば制限文字数8文字なら(前と同じアンパンドラでパスワードを生成します)
「主人公の妹的存在の姉(英語前3)」「嫌味な少年の弟(ヘボン後5)」
と書けば
「roltsugu」と8文字に圧縮できます。
「悪役2人の角の数合計」「主人公の姓と同じ文字の組み合わせは、主人公の家族全員の名前の中にいくつ入っているか」
覚える必要がないので、パスの一部を共有することなく、全く異なるパスワードを設定できます。
「はてなid=Anony1、パス=聖剣士ギルモアの秘剣の数+俺がはなざーさんと初めてデートした場所(日本頭2、後3)」
と書かれたポストイットが貼ってあったら大変なことになりそうですね!
いかがでしたでしょうか。
効果の実証として、以上の方法で生成した私のはてなIDとパスワードを晒して終わりにします。
はてなid=「立ち上げたイラストサイト名(ヘボン母音前3)」「漫画原作時のペンネーム(語呂2)」
パスワード=「ヘンリエッタの義兄がダンスパーティーで王女に見初められた年齢(数字)」「漫画原作時のペンネーム(独語ヘボン全)」
「ビジネスジャーナル」「サイゾー」運営者に求められる、明確なライター選考基準とは?
混迷の時代を生き抜く社会的弱者から文章を提供してもらって安い原稿料を払って利ざやで稼ぐ情報問屋である今一生が、昨今話題の「クラウドファンディング」をめぐる、ある人物に一方的に難癖つけて一儲けできないかと目をつけている。これは、ネットが生み出した新しい時代の妖怪なのか、飲み屋の酔っぱらいオヤジの個性的演説なのかーー。
最近、「クラウドファンディング」というwebサービスが人気を博している。個人・団体がプロジェクト内容を公開し、それに共感したネット市民がプロジェクトを実現する必要経費として、資金を提供する仕組みだ。
クラウドファンディングは、不特定多数の人から資金を集める行為である。群衆(crowd)と資金調達(funding)を組み合わせた造語で、製品開発やイベントの開催、チャリティなどの用途で利用されることが多い。
日本では、東日本大震災の被災者支援のためにこのサービスが重宝され、多くの善意が集められてきた経緯がある。しかしそもそもクラウドファンディングは「少額のお金を多くの人から集める」というだけの仕組みで、社会公益のためにしか使えないものではない。
資金を提供したい人は何らかの商品(リターン)を購入する形になるのが原則で、このサービスの草分けである米国のKickstarterでも、チャリティーなどのプロジェクトに充てる利用は禁じられている。
そんな中、日本のクラウドファンディングのひとつ「CAMPFIRE」(運営:株式会社ハイパーインターネッツ)で、「ニートについての本を書いてるんですが制作費が欲しいです。」というプロジェクトがアップされた。起案者は「pha(ファ)」と名乗る33歳の男性。本人の書いたプロフィールには、こうある。
「日本一のニートを目指す。無職でネットで遊びまくり。インターネットが好きな人が集まって住むという『ギークハウスプロジェクト』提唱者。独学でプログラミングを学び『EasyBotter』『圧縮新聞』『ホッテントリメーカー』などのウェブサービスを多数開発。京都大学総合人間学部卒。できるだけ働かずに生きていきたいです」
本制作費用として、約63万8000円の資金を集めたphaさんのプロジェクト。
そんなphaさんが求めていた目標額面は10万円。すでにこの額面をクリアしており、最終的に249人のパトロンを集め、支援金63万8614円を調達した(このうち20%はCAMPFIREの運営者が手数料として受け取る)。
多くの人に支持されたphaさんのプロジェクト。だた、今一生という人物が上記の募集について重箱の角をつつくような質問メールをpha氏に送った。
ふつうなら無視してもおかしくない、一方的に悪者扱いするようなアホっぽいメールにもブログで多数の読者に公開しつつ真摯に答えたphaさんに対する今一生の反応は、『phaさんはブログで僕の質問に対してネタ的に回答してるのだけど、そのはぐらかしに乗せられて彼に共感してる人は、自分が罪深いことに加担してることに気づいてない。phaさん自身、僕の質問の意図を十分に理解してるとはいえないけど、やがてアップされるサイゾー記事の前パブとしてはアリ。』というものだった。
その質問メールとTwitterでの反応を見て唖然とするネット市民を尻目に、日本のサブカル系Webメディア「サイゾー」(運営:株式会社サイゾー)で、「自称ニートがネットで"生活費集め"はOKか!? (前編)」という記事がアップされた。
ライターは「今一生(いまいちなま)」と名乗る47歳の男性。本人の書いたプロフィールには、こうある。
「フリーライター、編集者。著書に『社会起業家に学べ!』他多数。編著に『日本一醜い親への手紙』等。『オルタナ』『環境ビジネス』等で連載中。講演、マンガ原作、連載、作詞の依頼は大歓迎。取材されるための技術を教える広報コンサルも。福岡の一般社団法人ストリート・プロジェクト理事。」
そんな今一生が慰めとしたのはFacebookだ。すでに自分の周りを同調してくれる人物で固めており、最終的にやっぱり実名じゃないと適当な事を書くからダメだなと、なんとか自尊心を維持した(しかし今一生自身は実名ではなくペンネームでFacebookを使っている)。
ここで、今一生の質問メールや記事の、内容の信憑性や妥当性について、主に2つの大きな疑問が生じる。
ひとつは、phaさんが「ニート」と自称しているのはおかしいのではないかと問題視している点。
約2年前の「日刊サイゾー」の取材で、phaさんは月収を聞かれ、こう答えている。
「だいたい10万円ちょっとくらいです。ブログのアフィリエイトやちょっとしたネットサービスを公開していたり、ネットで本を売ったり。それから時々原稿を書いたりしているのでパラパラと細かい収入があります」
phaさんは可能な限り人に雇われたくない自営業者であり、親のスネや生活保護に頼らず日々の生活費を得るためにアフィリエイトなどで多少の労働をしているという、限りなくニートに近い存在であることは明らかだ。
働けない理由、働きたくない理由は人それぞれであるにもかかわらず、ニートの原理的定義に単純にあてはめて弱者を排除しようとする思考は、労働にまつわる諸問題を矮小化することにも繋がる。
2つ目の疑問は、phaさんが求めたのは「制作費」なのかということを問題視している点だ。今一生は、集めた資金の使い道をこう記事にしている。
『書籍を書き下ろす場合、資料代は税申告の際に経費として計上できるし、phaさんのような低所得者の場合は赤字申告で還付金が入り、資料代程度の額面は相殺される可能性が高い。』
書籍を書き下ろす場合、ふつう印税が受け取れるのは発売から何ヶ月も経った後。さらに所得税の還付は翌年度以降となるため、phaさんのような低所得者の場合はまとまったお金が得られる前に危険な状態になる可能性が高い。
さらに今一生は、『通常、書籍の制作費といえば、遠方の取材に必要不可欠な交通費や宿泊費などを意味する。在宅でニートの本を執筆する際には、まず関係がない。他のほとんどの経費は生活費だ。「家賃や光熱費や通信費」「ファミレスやカフェ」「酒を飲んだり焼き鳥を食べたり」を「本の制作費」と言いきるには、語弊があるだろう。』と書いている。
しかし、CAMPFIRE上のphaさんのプロジェクトは、1500円以上の支援に対しては完成した書籍を一冊送ることになっているため、「他のほとんどの経費は生活費だ」というような記述は、悪意の篭ったミスリードである。
phaさんのプロジェクトを正確に表現するなら、「ギリギリの収入で生活している自営業者ですが、本を書きたいので仕事のかわりの収入源が必要になりました。とりあえず1カ月分の生活費が欲しいです。支援してくれたら本が完成次第お送りします」になる。
今一生はクラウドファンディングの正当性に上から目線で疑惑を投げかけられるような立場なのか?
今一生は『「制作費」を無制限に拡大解釈するプロジェクトが承認された今、食えないクリエイターが制作費として生活費を求める案件を拒む理屈が立たない。』などと勝手な思い込みを書いている。
このような記事の掲載が承認された今、食えないライターが生活費のために適当に書いた飛ばし記事を拒む理屈が成り立たない。
すると、ライターがTwitter上で取材対象に対して暴言ともとれる発言をしていたり、マトモに検証もしないで記事を掲載することを承認した審査基準の正当性を説明する社会的責任が、サイゾーには生じるのではないか?
その責任を放置すれば、「記事を書いてお金はほしいけど、結論ありきで適当に質問メールを送って返答は悪意のある解釈をする」という反・良識的な記事のライターを矢面に立たせて面白がるだけだ。Webメディア業界が築き上げてきたサービスの社会的価値を貶めているのは今一生その人なのだ。
では、株式会社サイゾーは、どんな基準でライターの記事を審査・承認しているのか?
このような、個人を事実無根の思い込みで貶める記事を複数の媒体で掲載しているサイゾーのライター選考基準には大いに問題がある。
そこで、サイゾーの運営元である株式会社サイゾー(東京都渋谷区道玄坂)に、「どのような形で新規に投稿されてくる記事の裏付けを把握・確認していますか?」「今後、取材の見返りもないのに最初から結論ありきの一方的な質問メールを送りつけて、一般市民を追い詰めるような記事が投稿されてきても受け入れていく方針ですか?」など、複数の質問をメールで送ってみるのもいいのではないだろうか......。
(文=今一増田)
http://d.hatena.ne.jp/NOV1975/20120627/p1
http://d.hatena.ne.jp/kyoumoe/20120627/1340792476
http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/conisshow/status/215341845142704131
http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/conisshow/status/217818952804483072
とあるブログの読者だった。OLが自虐的に日々を綴っている、エッセイ系のブログだった。
20代後半から30代前半という女性が揺れに揺れる時期を、精一杯の第三者視点で描いていた。何度も何度も泣かされた。
ある日、彼女のブログが書籍化を果たす。ブログに掲載されていなかったエピソードもあると聞き、超微力ながら売上に貢献した。3冊買った。1冊は借りパクされたままだ。
しかし、それで終わりだった。
彼女の名前がハンドルネームからペンネームに変わった後に時々検索をするも、書籍化されたブログ本の特設サイトが最上位に表示、という結果しか反映されない。
久しぶりに特設サイトへと飛んだ。トップページのバナーがところどころリンク切れを起こしている。直リンクされていた画像が表示されていない。
読者プレゼントも絶賛募集中のままだ。絶賛応募できてしまう。しかし応募先のメールアドレスすら、今はもう稼働していないのだろう。
どのように辿ったかは忘れたが、彼女が今ブログを書いていることを知った。
喜び勇んで私は内容も確認しないままRSSを登録する。また彼女の読者になれるんだ。こんなに嬉しいことはない。
しかしそこには彼女自身の話題が書かれていない。芸能人の離婚の話ばかりが丁寧な筆致で書かれている。
彼女なりの視点ではあったが、某巨体のオネエタレントがテレビの中で怒りながら喋っていたような、そんな気もする内容だった。
ブログ本の後日談でもなく、さらに波乱万丈な出来事の実況でもなく、何事もない毎日を読んでみたかった。
ハッピーエンドの後に訪れるはずの、起伏のない日々を追いかけてみたかった。
芸能人の離婚を語ることが、今の彼女に取ってなにかしらの必然があるのだろう。
読み続けているうちに若干話題に詳しくなってしまった。別れ話は誰のものであれ寂しいものだ。
それでもいつか、見知らぬあなたの今を知りたいと願う。
「ちきりん」で匿名ダイアリーを検索したらこんなのでてきた⇒http://anond.hatelabo.jp/20111126194612
ふむふむ。。。あたしもちきりんの正体を勝手に予想したくなったよ!
こんなところかしら。
あくまで、ちきりんさんの過去記事とツイートにトラップがないことを前提としてますけど…。
それで、正体を明かさない理由ですが(あたしとしてはこっちのが興味あります)、個人情報も出しまくりだし、お面付とはいえ講演も行っているから声や体型はわかっているし、現在セブ島でお面なしで生活してらっしゃるそうなので、顔を知ってる人もたくさんいそうです。
FBのリアルの友人から「今、ちきりんという人の本を読んでいるんだけど、あなたの考えにスゴク似ててびっくりしました。もしかして・・・?」っていうメッセージがきた。。。このパターンは初めて。やっぱり、あたしの思想って一環してるんだな。。。
をみても、ちきりんさんが昔から周囲の人に言っていることをブログに書いているので、ネット人格とリアル人格が乖離していることもなさそう。
となると、純粋に、本名を隠したいのだろうと思います。顔を隠すのも本名がばれないようにするためかと(merecoさんのように、顔出しOK名前NGの例もあり、それが継続できているのも人徳と周囲のネットリテラシーの高さゆえだと思います)。そりゃもちろん顔を出すことによるいらぬ誹謗中傷を避けるためだとも考えられますが(ネット上ではほぼすべての女性は容姿へのディスを免れません)
では、なぜ本名を隠したいのか。
学生時代、水商売にどっぷり浸かっていた時期があるようで、危ないこともあったのかなーアウトロー系作家がペンネームつけるのと一緒かな、とずっと思ってました(バブルへGOの時代だし、戦前生まれのフィクサー()も健在だったでしょう)。
でも、一方で、ペンネームで、ネット上に限らずリアルでもすいすい活動できるなら、むしろ実名を出す意味の方が減少しているよねーと思うのです。フリーライターならともかく、別に文章書いて生活している方でもないのに。
むしろ、このご時世で実名だす意味とはなんなのか?すっかりわからなくなっただよ。
ってなわけで、ちきりんさんに限らずブロガーさんの本名とか顔とか素性とか、いわゆる正体的なものを知らなくてもいいなーと思う今日この頃。そりゃ推測するのは楽しいですけど。
そんじゃーね!
私も悪いところがあるので、決して相手だけ悪かったとはいいません。
…が、一方的に悪者扱いされて、でも周囲に「反論したりしたら泥沼だよ」と言われて我慢した分のうっぷんをここで晴らさせてください。
あまり面白いものではないのかもしれないので、気分悪くなりたくない方、あと時間のない方(長いっす)は回れ右、でw
私は、恥ずかしながら小説を書いたりするのですが、ある小説コンテンツ上で公開した小説に「すごい面白かったです。漫画化していいですか?」と書き込みしてきたのがその相手でした。
ほかにも面白かった、というコメントはあったのですが、実際に絵がうまい人に、漫画化までしてもらえる、というので、私は舞い上がりました。
彼は、自分の境遇とその主人公が似ていると言っていて、かなりのスピードで、実際に漫画を描いてくれました(でも、完璧主義らしくて気に入らないところがあったとか言って消されて結局見てませんが。。。)
なので、私も資料探しなんかに協力していたのですが、そのうちにいろいろ話がもりあがり、ほぼ毎日メールをするようになりました。
ところがあるとき、突然彼が登録していたSNSのアバターを女性のようなものに変えたので、その意図を問うたら、謎を解いたうえで自分に会いに来い、と言ってきたのですが、いろいろ問い詰めているうちに結局性同一障害で、体は女なのだ、と告白してきました。
そして今まで話をしていた内容のほとんども嘘だ、と。
それでも私は仲良くなった相手だし、その時はまだ常識のある人物のように感じられたので、いろいろと嘘をつかれていたことを全部水に流して、そのあとも付き合いを続けていくことにしまた。
けれどおかしくなってきたのはそのあとです。
ちょうど去年の今頃くらいからでしょうか。
彼の作っていたSNS上のサークルに参加したのですが、メールでやり取りしていた時とは違い、気に入らないことがあると雑談版に書き込み、その後とにかく攻撃的なメールを携帯にしてきて、ぼこぼこにされたのです。
そのあまりの内容に、私が泣きながら電話をして謝って仲直りをして、を繰り返していました。
はっきり言って今思えばその内容も、矛盾だらけだったし、「それ私悪くないじゃん」的な内容や、彼が勝手に事実を捻じ曲げて発言していたり、自分が言ったことを責任転嫁していた部分も多かったのですが、人格否定するような言葉の羅列に打ちのめされてしまって反論もできずにいたんです。
そのため、もう縁を切ろう、と毎回思いました。ですが、相手は自分を信じていろいろさらけ出してくれたのだし、それを突き放すのはいけない、と我慢して電話をしてつなぎをつけていました。
そうして、ほぼ月一で、ほとんど喧嘩、というより人格否定のオンパレードのメールが来きて、それに私が電話して謝って、の儀式が続いていたある日、突然『忙しいから』と彼がサークルを脱退しました。
その直前にサークルメンバーへのバッシングを書き連ねていた彼は、新たにサークルを立ち上げる宣言をしていましたが、それらのコメントも全部消したうえで突然の脱退……
管理人は直前に私に委譲されていましたが、実質上の管理者の脱退でサークルは混乱しました。
けれどつながってすぐぶち、と切られる始末。
メールも送ったら「アドレスが不明です」といったエラーメールが返ってきて、ほんの一昨日送った時には通じたメールがアドレス変更されて通じなくなっていたのです。
加え、SNSでは私はブラックリストに入れられて彼のプロフも見れない状態となり、完全に連絡が取れなくなってしまいました。
しかも彼は別のサークルを立ち上げ、そこで楽しく新しいメンバーと活動を始めただけでなく、ブラリしてない旧サークルの一部のメンバーだけそこに誘ったり、していて、私もブラリされたほかの子も「ああ、切り捨てられたんだな、と実感していました」
そんな扱いをされてはもうしかたない、と、私を含めたサークルメンバーは、見切りをつけて自分たちで新しいサークルを立ち上げよう、と動き始めたのです――が、その矢先です。
大体1か月くらいたったころですかね。
それも、恐ろしく普通の感じで。
「ちょっと忙しかったから全部シャットアウトしてたんだ、うん。携帯壊れたからここに連絡くれ」
と番号付のメールが来ました。
ガチャ切り、アドレス変更、理由のわからぬブラックリスト入り、突然のサークル脱退。
それで、かなり頭に来ていた私は、完全に無視していたのですが、そうしたら私の小説を上げていたHPブログ、ヤフブロ、どころかアメーバピグのメッセージも送ってきたうえ、私のピグライフの庭にまで出没し、私の名前のわかるところすべてにコメントをしてきました。
バッシングもあれば、すがるようなコメントもあり、日と時間でコロコロと内容の変わるメッセージやコメントがずらずらとならんだのです。
私はペンネームをそのままハンドルネームにしていたので、簡単に追跡できる状態だったとはいえ、ほとんどストーカー状態で付きまとわれ、しかも彼自身の開設したブログで「あいつの書いている小説は俺の盗作だ」とか「サークルの世界観も似たようなの知ってるしな。パクリと言われないといいけど」といったバッシングには、精神的に参ってきてしまいました。
そこで、サークルで関係したメンバー全員で文面を考え、彼がよくメンバーにやっていたように「返信不要」とつけた一方的なメールを送り、絶縁状を叩きつけたのですが、そうしたら今度はトーンの変わったメールが全員に送られてきたのです。
「このたびは迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。一言電話で直接お詫びをさせてください。それができなければ自分は存在する価値がないため、今日中に自殺します」
いや、こけおどしと分かっていたんです。仲間には放っておけ、という人もいました。
でも、自分のせいで死なれるなんていやだ、と思い仕方なく電話しました。
ですが、そこでまた、さらに恐ろしいことを言われたんです。
「いや、実は一回会った時(一回リアで会ってたんです)からマジで好きで、どうしてもつなぎ取りたくて、でもやり方がわからなかったからあんなやり方したんだ」
――正直、馬鹿じゃないの、と思いましたよ。
たとえどんな理由だとしても、一生懸命書いた小説を盗作扱いされ、世界観を馬鹿にされ、それで好きと言われて「本当に???」と喜ぶ女がどこにいよう。
その時はとりあえず、すでにリスカしたとかいう相手を刺激しないように、と温和な感じで話をしましたが、もう話をする気ないことは伝えていました。
でも、私の中にはぐるぐると「盗作」「パクリ」という言葉が渦巻いていました。
何時間もかけ、創意工夫を凝らして書いたものをそういわれるのがショックで、それに正直、相手のことはもうどうでもいいと思っていたし『ネット絶ちする』と言っていた言葉を試す意味で、ブログにこの落ち込みを書いていました。
「お前、ブログに書くな言うたやろ。それに、今思えば俺だけが悪いわけじゃないし、手打ちするなら今まで、俺が更けてるとか、描いてる絵は老け顔が多いとか言ってきた件についてそっちが謝ってこい」
とのこと。
古い喧嘩の内容を蒸し返して…というなら、まあブログに書いた私も私なので納得がいく。
でも、自分が老け顔だ、とか絵が老け顔が多い、と最初に言ったのは自分なのに、それをその場のノリでいじっただけの私が悪いことになっていて、それを謝ってこいという。(逆に何かで私がいじられたことも多々あった)
しかも、前の件って一方的に縁を切ってたのは自分なのに、古い昔の件があるから私が悪いっておかしいでしょ。
あと、
「謝ったら許してやっていい」
あの時は私が「許してやる」はずの立場なのに、なぜ下から私が「許してもら」いに行かねばならないのか。
「俺は精神的に普通じゃないんだから、変な行動をするかもしれないって言ってあっただろ」
それらがあまりにばかばかしかったし、周りみんなから無視するようにアドバイスされていたので、数分おきに入っていた着歴もブログコメントも全部無視していたら、
「もうお互いのことは忘れよう」
とか
みたいな内容のメールが来て、それを最後に連絡は途絶えました。
ようやく連絡が途切れてほっとしているものの、おかげで2作ほど盗作扱いされた小説はあげられなくなりましたし、もやもやしたものが私の中に残りました。
そうしてしばらくもやもやしていたのですが、ふとした拍子に「ボーダー」という存在を知り、ああ、全くあてはまるな、と思ったのです。
来歴の嘘をつき、相手の同情を誘う。
きつい言葉を叩きつけ、激怒するくせに、少しするところりと機嫌が変わって普通に接してくる。
逆にきつい言葉を言われたり、無視されたりすると、自分の存在自体を否定するような言葉を言って消えようとする。
何かあると自殺をほのめかす。
自分が悪かったことを捻じ曲げ、相手のせいにする。
などなど。
でも、今境界性人格障害について知ったのちは縁をきれて本当に良かったな、と思っています。
なんていう考えの人間のそばにいられはしないし、そんな人が支配するサークルではやっていけませんからね。
彼曰く、私は悲劇のヒロインらしいですが、別に同情なんてほしいと思ってません。
ただ腹が立つので吐き出す場がほしいだけです(笑)
そして私の場合、吐き出すのに一番いい方法が文章を書く、というだけです。
これ見つかってまたメール面倒ですが、その時はその時です。
なぜ、これは、こんなにブクマが付くのでしょう?
逃げた話も出てきてるかな? わかりにくいかな http://sky.geocities.jp/nanami061106/
そこの中で見た事は本当にショックで、あの有名なA日新聞のルポよりひどくて・・・
しかし、それを言っても言えば言うほど、こっちも危ない目にあう可能性もあり(正気を疑われるので)何とも言えない気持ちになりながら、ずっと暮らしてきてます。
体の調子も、そこにいたストレスで、その病院で採血した時に血糖値が糖尿病の境界域になってると言われ、それ以来体に痛みやだるさがありますが、病院に行くのも怖かったし行っても、医療生協の病院の医療相談も芳しくなく、違う病院に何も言わずに行っても保険証がなかったから、怪しまれたのか、きちんと調べず帰されたりして怖くなったりしてました。
そこの中には、親の虐待や家庭に問題があったと思われる人たちもいましたが、普通に話ができる人が、閉鎖病棟に入れられていました。家庭に問題があったせいか、内向的な性格になり、外に友人知人が一人もいないので、助けを求める事ができないので、いいようにされていると思いました。
逃げたのは、そのようなひどい状況を外に知らせないといけないと思ったからですが、逃げて精神科の病院に相談に行っても、来ないでくれと断られたり、他にもいろいろ困った目に遭わされた事もあります。
症状がひどい人暴れる人より、おかしくない人が来てくれた方が病院も助かります。家庭に問題あったと思われる人たちはだいたい公費で入ってました。家族は自分の懐が痛まないし虐待の事実も隠せるのでちょうどよいのだと思います。
自分ではありませんが、消えた掲示板でこういう書き込みもありました
http://backupurl.com/2qfwkm (これがなかなか探せなかった。ここにはないけどこの人の今は閉鎖されてる掲示板の過去ログのような目に自分は遭わされてはいません。裸で連れてかれたり。投薬もされてなかったので違う部分もあるのだと思います)
自分のはてなダイアリーでやっと見つけた。それがこれ、ここにも書き込みが反映されなかった事を書いていた。繰り返しにあるけど、これです。 http://d.hatena.ne.jp/oooquree/20111009/1318121258?sid=23
精神科というのはNHKでもこういうふうに特集されてます http://video.google.com/videoplay?docid=1357970654167682728
youtubeでは読売新聞大阪本社の記者がこう言ってます。 http://www.youtube.com/watch?v=ihkqaeDP7ys
全部が全部こうだと言うのではありませんが、こういう可能性もあるし、普通の世界とはかけ離れた世界です。A日新聞ルポにも書いてありましたが、怪しい私立の病院でも医師は大学病院からの派遣だそうで、自分が関わった病院でもそうでした。
精神医療に関する違法な強制入院の週刊spaの記事の中身が引用されてるブログ http://blog.goo.ne.jp/publicult/m/200809
http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?hanreiid=33874&hanreiKbn=04
事件名 損害賠償請求事件
判示事項の要旨
精神保健及び精神障害者福祉に関する法律(平成11年改正前)33条1項に規定する医療保護入院の前提となる指定医の診察を受けさせる目的で,原告の家族の依頼を受けた医師が問診を十分にしないまま,町職員らが原告を押さえ付けた状態で,医師が精神安定剤を注射して,病院に搬送した行為につき,医師及び町職員の行為が違法とされた事例
あるライターのところに書き込みが反映されなくて、その中身を紹介したら、ここには入ったというブログ http://donjinan.blog101.fc2.com/blog-entry-173.html#cm
そこにも載せているけど、自分の書きこみを保存したページ http://sky.geocities.jp/oooquree/kako1006.html
ブクマしようとしたら何回やっても取れないページがあるのに気づいた。はてなとアメーバの仕様のせいかもしれない
http://ameblo.jp/momo-kako/entry-11030085406.html このページをブクマし、コメントを下のように入れようとしていた。
9月28日以来私のコメントは反映されてない。他の精神病院被害者のブログには入ったので、かこ氏への中身も載せた。http://donjinan.blog101.fc2.com/blog-entry-173.html#cmライターは煽るだけで本気で何とかしようなんて思ってない
ライターは煽るだけで冷静に物事を捉えようとしていない。地震、東電関係で言えばT田教授のような精神科医を良いもののように紹介している。その人全部がおかしいわけじゃなくても ( T田氏も当たってる面もあるがデータの示し方など杜撰さも指摘されているし、ケレンミたっぷりな人だと思うが、)そのあたりも指摘しないといけないと思う
この人はあんまり調べてないと思う。精神病院や精神科については、本当にいろいろあって、一面的に捉えるのは危険だと思う。薬についてもうつ病の薬は依存性もあり、危険性もあるが、正しい医学的知識を持った医者の指導の元に服用し続けている人も居る。一概には言えない事だと思う。
この人のブクマできるかどうか、誰か試してみて
他にブクマできたところもあるので、仕様の問題かもしれない http://b.hatena.ne.jp/entry/profile.ameba.jp/momo-kako/ ブクマできたところのブクマ
精神医療被害者について聞き取りしているライターのかこさんに書いて載らなかったもの
タイトルを表示させる形にしたら、前ツリーに繋がらなかった事があったので、やってみたんだけど、繋がってるな。どうしてだろう?別にいいんだけど多いし読みにくくなるし、今は関係ない邪魔な情報というか煽りもあるツリーだから。。。
最近のものでは、病院関係じゃなくアパート半壊について(鍵施錠の事で)トゥゲッタが、PVは意外に伸びた。 http://togetter.com/li/202013 家賃滞納して追い出し屋被害に遭ったネットニュース記事へ家賃滞納なしで同じ事をされた話を書き込んだが
ツリーに出てくる林医師に関しては
http://d.hatena.ne.jp/oooquree/searchdiary?word=%CE%D3
林公一はペンネームでは?という意見もある。自分のはてなダイアリーには、断定的に書いてあるが、
http://anond.hatelabo.jp/20111010132657 で補足したように、質問サイトでそういう回答があって、厚生労働省がやってる医師検索では1名しか出ないのがわかっただけなので、ピンネームではないかという意見もあるという言い方に留めておいた方がいいと思っている。
http://anond.hatelabo.jp/20111010132000
ここじゃない増田に林については山ほど書いた
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http://okwave.jp/qa/q4497482.html 教えてgooと同じ内容、他に楽天にもあった。まだ他にもある。
ここには、林公一という同姓同名の医師は居たけど、他の科で働いていると書かれてますが、自分はそこまで確認してませんでした。
http://licenseif.mhlw.go.jp/search/top.jsp 検索画面
ここに、林 公一 と入れると一名出ます。
わかったのは、ここまでです。
精神科の医師でない林 公一氏が働いている病院を確認はしてません。質問サイトでそのような回答があったのを見ただけです。
ちょっと先走りすぎました。
http://anond.hatelabo.jp/20110922173823
今見てるんだろうか?
実名でやると、変に有名になって、最初純粋な気持ちでやってても、色々な人が寄って来て利用されたり色々大丈夫なのだろうか?
この方は大丈夫かもしれないけど、自分自身も何だか変な風になったらどうしようかと思ったりしてしまう
あの人みたいなのがいいよ
少年マガジンとかの
じっちゃんの名にかけて、とか、シバトラとか 色々
知らなかったけど検索したらwikipediaが出てわかった。あれもそうだった。 マガジンミステリー調査班 AAは誰でも見てるはず
これ
.ト│|、 | . {、l 、ト! \ / ,ヘ | i. ゙、 iヽ / / / ヽ │ . lヽミ ゝ`‐、_ __,. ‐´ / ,.イ \ ヽ | `‐、ヽ.ゝ、_ _,,.. ‐'´ //l , ‐'´, ‐'`‐、\ | ヽ、.三 ミニ、_ ___ _,. ‐'´//-─=====-、ヾ /ヽ ,.‐'´ `''‐- 、._ヽ /.i ∠,. -─;==:- 、ゝ‐;----// ヾ.、 [ |、! /' ̄r'bゝ}二. {`´ '´__ (_Y_),. |.r-'‐┬‐l l⌒ | } ゙l |`} ..:ヽ--゙‐´リ ̄ヽd、 ''''  ̄ ̄ |l !ニ! !⌒ // . i.! l .::::: ソ;;:.. ヽ、._ _,ノ' ゞ)ノ./ ` ー==--‐'´(__,. ..、  ̄ ̄ ̄ i/‐'/ i .:::ト、  ̄ ´ l、_/::| ! |: | ヽ ー‐==:ニニニ⊃ !:: ト、 ヽ 、__,,.. /:;;: .!; \ ヽ ::::::::::: /:::;;:: / l
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EFFのこの記事をざっくり訳した。訳の正確さはまったく保証しない。素人の雑な訳です。ちゃんと読みたいひとは原文参照すること。pseudonymはとりあえず「仮名」にした。
A Case for Pseudonyms (Commentary by Jillian York)
https://www.eff.org/deeplinks/2011/07/case-pseudonyms
pseudonym (スードニム) 名詞:著者が身元を隠すために使用する架空の名前。ペンネーム
個人が生来の名前とは別の名前を使いたいと考える理由は無数にあるだろう。生命や生活への脅威への配慮もあるだろうし、政治的、経済的報復へのリスクがあるかもしれない。人種差別の防止を望んでいることもあるだろうし、生活文化圏で発音や記述のしやすい名前を使うこともあるだろう。
オンラインではさらに理由は増える。インターネットカルチャーでは、オフラインでの人格と結びついているかもしれないし結びついていないかもしれない「ハンドル」や「ユーザ名」を使うことが長い間推奨されてきた。古くからのオンライン住人のなかには20年以上使っているハンドルを持つものもいるだろう。
仮名での発言は歴史的にも重要な役割を果たしてきた。ジョージ・エリオットやマーク・トウェインの文学的偉業、ザ・フェデラリスト論文でのパブリアスの政治的主張、18世紀ロンドンでのユニウスのパブリックアドバタイザー紙への寄稿。人々は仮名の下で公の論議に大きく寄与してきたし、今日に至るまでそれは続いている。
Google+の身元確認ポリシーから、オンラインプラットフォームにおける仮名性に関する新たな議論が持ち上がってきた。Google+はユーザに「友人、家族、同僚が普段呼ぶ名前」を使うことを要求する。このポリシーは、Facebookの「本名と実情報を提供せよ」という要求と似ている。Googleのポリシーは、Google+の開始から数週間で同コミュニティーの内外両方から大きな注目を集め、ソーシャルプラットフォームがアイデンティティに制限を加えるべきかどうかという議論に火をつけている。「Skud」という名前を使っていたことによりGoogle+から追い出された元Google社員、キリリー・“Skud”・ロバートの詳細な記録によれば、すでにかなりの人数のGoogle+ユーザがこのポリシーに基づくアカウント停止を受けている。
ソーシャルプラットフォームでの「実名」支持者は多くの論点を示している。実名はユーザの行動を改善し、より文化的な環境を生み出す。実名であれば攻撃者を追求することが容易になるのでストーキングや嫌がらせを防ぐ助けになる。実名ポリシーがあることで、ユーザ監視のために当局がサービス内部に「侵入する」ことを防げる。実名によってユーザは行動に責任を持つようになる。
これらの論点にまったく意味がないわけではないが、問題を間違った方向から議論している。厳格な実名ポリシーの支持者は、実名使用を主張するポリシーに良い面が一つあることを示せばいいのではない。彼らはこれらの利点が、いくつかの非常に深刻な問題より重要であることを実証する義務がある。
例えば、数千人の人々が1月蜂起に参加するきっかけになったFacebookページ「We Are All Khaled Said」を作成した著名なエジプト人、ワエル・ゴニム氏のことを考えてみよう。ページが作成されたのはハリド・サイードが警官によって殺害されてからすぐの2010年夏だったが、ページが本当に勢いを得たのはその年の後半だった。しかしその後も抗議運動の中で存在感を得るのは難しかった可能性もある。2010年11月に管理者(今ではゴニム氏だと知られている)が仮名を使っているとの報告によってこのFacebookページは停止された。Facebookは「身元の明らかな」人物が介入することによる解決を提供することができたが、ゴニム氏はFacebookのスタッフと連絡をとって解決することができたためこの件は非常に特殊な事例となった。誰もがこのようなコネクションを持っているわけではないし、アカウント停止に抗議する方法を知らないことでどれだけ多くの人々が無視されているか知るすべもない。ゴニム氏のケースでは実名を使うことは深刻な危険を伴っていた。仮名であれば安全という保証があるわけではないが、仮名は当局による活動家の追跡を大きく困難にする。
個人が本名以外の名前の方が安全に感じられる理由は無数にある。例えばLGBTコミュニティのティーンエイジャーはオンラインでいつも嫌がらせを受けるので仮名を好むかもしれない。政府のために働く配偶者やパートナーを持つ人や生活を隠したい有名人は、オンラインでは別の名前で行動するほうが安心だと感じるかもしれない。家庭内暴力から逃れている人は加害者から発見されないために、部分的または全面的な別名の使用を望むかもしれない。非主流派の政治的見解をもつ人は仮名を使うことによって生活を危険にさらさずに済ますことを選択するかもしれない。
マッキンタイア対オハイオ選挙委員会の裁判でジョン・ポール・スティーブンス最高裁判事が提案したとおり、
「匿名性は多数派による暴虐からの盾である。よって匿名性は権利章典、また特に米国憲法修正第一項の本来の目的、不寛容な社会において個人を報復から思想を抑圧から守ること、を体現している。匿名である権利は詐欺的行為に悪用されるかもしれない。政治発言はその性質上、時として不愉快な結末を迎えるが、一般的に我々の社会は言論の自由の悪用による危険よりもその価値に重きを認める」
「本当の」名前を使うことと同様に、「本当の」名前の使用の強制も、考えを明らかにすることによる被害を恐れる人々によって対話から排除されるという、現実的な結果を招く可能性がある。実名が対話の「文化度」を上げるかもしれないことに価値を見出す人がいる一方で、それは間違いなく多様性を損なう。
ギークフェミニズムのブロガーたちは、実名ポリシーの被害にあっている人々をWikiにまとめることで、個人がなぜ本名以外の名前の使用を許されるべきなのか何百もの可能性ある理由を示している。このリストに示された多くの例が安全のために仮名を使用している危険に晒された人々を説明しているものの、他にも仮名を選択できるべき重要な理由がある。
Michael Anti氏の例を見てみよう。彼の本名はJing Zhaoで、中国人ジャーナリストだ。おそらくは何者かが生来の名前を使っていないと報告したことによって、2011年1月に彼はFacebookから追い出された。10年近くニューヨーク・タイムズ等で「Michael Anti」のペンネームを使っていたにも関わらず、Facebookは実名ポリシーの厳格な強制を主張した。
Google+でも、誤判定があるとして、アカウントの即時停止ではなく、ユーザに警告を与え名前を変更する機会を与えるように処理手順を変更すべきだと促す動きがでている。
「本当の」名前を要求するポリシーを大規模に実施するのはほぼ不可能だし、多くの例が示すように強制は著名人や敵を持つ人々に対して不当に使われることが多く、またそれはコミュニティ監視機構の結果として生み出されやすい。
GoogleであれFacebookであれ、その他の企業であれサービスに適合していると思われるポリシーを作成する権利がある。しかしこれらの企業が多様性や表現の自由を犠牲にしておきながら、「実名」ポリシーがより文化的な態度を生むと主張するのは浅はかだ。「本当の」名前を要求するポリシーへの移行はオンラインでの表現の自由を萎縮させるだろう。
覚えている限りの時間の流れの中から、世の中に存在するコンテンツを分けてみるテストです。
パソコンが外につながっていることが珍しかった時代。新大陸が見つかった状態。新し物好きかつパソコン好きが移民していった。パソコン通信くらいしか商売になっていなかった。作る人と使う人がイコールだった。何かをするにはコマンドを打つ必要があった。
最初は、学者さんの論文の発表やストックするのに使われていた。
イギリスのホストにつないでmozaicでなんて時代には、論文の延長のノリで研究室のメンバーの自己紹介ってのがあった。実は、実名うんぬんってのは、一番最初にやっていた。
ここで、実名を名乗るのかペンネームを名乗るのかの分かれ道。すでに実社会でしっかりと活動している人は、実名でやっていただろうし、ひとりで楽しむような趣味の人や背徳感がある人はペンネームやハンドルネームになったんだろう。
全国の日帰り温泉のまとめのような個人が足で調べた価値の高い情報が高い確率で存在した。
まめな人は自己紹介のついでに日記を書いていた。当時はコンテンツマネージメントシステムは一般に普及していなかったので、htmlを手打ちして、ftpコマンドで送信。量が増えると大変だった。メールをみるときはなんちゃらtermというソフトでコマンドを打ちながら見ていた。
デジカメが普及するまでは、写真を取り込んだりイラストを取り込んだりするのは、お金がかかることだった。まして、高価なグラフィックソフトなど夢のまた夢。デジカメが普及したあとは当たり前になった。
取り込むためには専用の拡張ボードが必要だった。カメラも高価だったし。2GBの壁があって、長い動画は編集できなかった。高画質な動画に仕上げるためには職人芸が必須だった。大容量の動画をあげるサーバーはほとんどなかった。
音楽を作る人は、midiの配布していた。有名な曲のコピーが多かったので、大人の事情でほとんど閉鎖。
無料のホームページとセットのような感じ普及。ホームページ自体散発的なもので、同じ趣味趣向の人たちで同盟とか組んでいたよね。
大量に生成されるコンテンツは個人の手を離れていった。新大陸はいくつかの勢力に分かれて群雄割拠の状態。広告枠として大きなお金が動くようになった。作る人と使う人が区別されるようになった。グラフィカルユーザーインターフェイス(GUI)が、あたりまえになり、コマンドを打つ必要はなくなった。
地図が見れるようになった。パソコンにインストールしていた時刻表やルート検索がwebになった。
コンテンツマネージメントシステムが無料開放された。htmlの作成もftpも必要なくなり、気持ちや感情の発露のみを文章や写真にすればよくなった。改行を大量に挿入してスクロールバーを有効にして、文章を読むためにマウスのホイールをまわして文章を読むときに指の動きを加えて、読んだ感を高める手法が流行る。
会員制の閉じたサービスが登場する。内容は日記、掲示板と基本は同じだが、個人が設定する必要はない。テクニカルな要素がなくなったので、気持ちや感情の発露のみを文章や写真にすればよくなった。携帯電話からコンテンツを作る文化の先駆者ともいえる。携帯しか使わないユーザー層があらわれる。
写真のアップロードも無制限になった。デジカメの画質が上がってもリサイズする必要もなくなった。
動画を受け止めてくれるサーバーも増えた。ブログやSNSのおまけ的存在だったが、Youtubeの登場で無差別級のサービスになった。カメラで撮影した時点で、パソコン用のファイルになっているのも参入障壁を下げた。
たとえば、全国の飲食店をすべて載せるとかそこに感想や評価を付けるようなサイト。個人が手弁当でまとめていた情報を商売にする会社があらわれた。
感情の発露がリアルタイムになる。「つぶやき」という概念が生まれた。新大陸を制覇しようとする勢力の攻勢が高まる。作る人と使う人に加えて踊らされる人が登場した。「更新されたよ」ボタンをクリックするだけで、ダラ見ができるコンテンツが優勢となる気配。
ゲームとかやることが多くなりすぎた。
発展期に登場した便利サービスの中で脱落するサービスがあらわれ始めた。
大きな掲示板のスレッドには、約1000個の書き込みがある。その中から文章を選んでコンテンツを作る手法。新聞の読者投書欄のように投書されたご意見の中から好きな意見を載せることができる。文章ロンダリングやソースロンダリングという言葉が生まれた。
コンテンツの提供形式として、素人作成風味の味付けをする企業・組織があらわれた。個人が大きくなったのかもしれないし、何者かに組織されたのかもしれない。この手の人たちは頼んでもいないのにどんどんコンテンツを作る。
midiサイトに対する警告に比べると2次元コンテンツはゆるい。コンテンツホルダーの手が回らないくらいにあふれいるのか、あえてあふれさせているのかはわからない。黎明期ならばまつりになっているような内容のものがあふれいる。包括的に権利処理されているのかもしれない。
趣味じゃなくて仕事の人が増えたのだろうか。仕事でwebに出るといっても会社の看板を背負うと個人ではなかなか発言できないはずなんだけど。よくわからない。
注:加筆修正しました
最近商業BL作品ばっかり読んでるから、たまにはネットで同人作品も読もうかなと思い立って、某ジャンルのサーチから二次創作サイト巡りをしていたときのこと。リンクを辿っていった先に、管理人が韓国人であることを明記しているBL小説サイトがあった。日本語ネイティブじゃないとこれはムリだろと思わせる豊かな語彙の小説や日記・掲示板の内容から判断するに留学生やニューカマーなどではなくて、日本で生まれ育った在日韓国人の方であるようだった。
なんかね、これちょっとびっくりしたんですよ。在日の人もBL書くんだなぁって。
いや、こんなにもアニメや漫画の氾濫する日本社会で生きている以上、日本人だろうが外国人だろうがオタク趣味に染まる人は染まるのが当然だろうし、中にはヤオイや二次創作に興味を持って腐女子や腐男子になる在日コリアンがいるってのも理性では理解しているんだけど。実際目にしてみると、なんかこう、感慨深いものがありましてね。
そうかー、在日のBL好きってのもやっぱりいるもんなんだなー、っていうか他にもいるけど明かしてないんだろうなー、としみじみしてたんですが、途中でふと思い出した。あれ、ちょっと待てよ?よく考えてみれば、数少ないながら今までにも在日韓国人が登場するBLがあったりするし、在日朝鮮人のBL作家というのもいたりするんじゃないの?そういえば私、そういうの読んだことあったような……、と。
というわけで、今回はBLと在日と私というテーマで今まで読んだ作品を振り返ってみようと思う。長いよー。私が以下で言及している作品には18禁のものもありますのでお気をつけください。
倉科るりというペンネームで、商業誌からBLを出版している小説家がいる。正確にはいた、と言うべきかもしれない。著作の中には絶版になっているものも多く、また1996年の『王様の夏休み』を最後に10年以上発刊はしていないようだから。公式サイトにも「倉科るりの商業活動は諸々の事情から不可能だと思います。時間がないのです。」と書いてあるので、今後も商業誌でBL作品を発表する可能性は限りなく低いと思う。
けれど、在日とBLというテーマを語るなら、彼女を外すことはできない。
実はこの作家さんは、コバルト文庫で金蓮花という名義で少女小説も書いている。むしろ金蓮花(きんれんか)というペンネームの方が世間的には通りがいいだろう。私も残念ながら倉科るり名義の本は読んだことがないけれど、金蓮花名義の本は小中学生の頃にわりと読んでいる。『銀葉亭茶話』、『水の都の物語』、『月の系譜』は何度も読み返すくらい好きだった。私が金蓮花=倉科るりというのを知ったのは大学生になってからだったけれど、BL読者やコバルト読者には結構有名な情報だったようで、ネットで検索するとペンネームを使い分けるようになった経緯や、その他もろもろの噂が出てくる。それらの噂がどこまで本当かわからないのでここでは紹介しない。
さて、金蓮花は1962年生まれの在日朝鮮人3世である。東京に生まれ育ち、大学も都内の小平市にある朝鮮大学師範教育学部美術科を卒業した。作家デビューは1994年、『銀葉亭茶話-金剛山綺譚-』で集英社の第23回コバルト・ノベル大賞を受賞したのがきっかけだった。この『銀葉亭茶話』シリーズは、朝鮮半島を舞台に仙人や精霊、竜や虎、人間たちが織り成す恋愛を描いた朝鮮風ファンタジー小説で、仙境にある一軒の茶屋銀葉亭にさまざまな客が訪れ、店主の李月流(り・うぉるりゅ)に身の上話を打ち明ける、という趣向になっている。
『金剛山綺譚』の金剛山は、もちろん朝鮮半島に実在する景勝地金剛山をさす。韓国人や外国人が北朝鮮国内の金剛山観光地区に観光をしに行くニュースを見たことのある人は多いはずだ。『銀葉亭茶話』シリーズの物語に登場する実在の固有名詞は地名だけではない。例えば『蕾姫綺譚』では重要なキャラクターとして李氏朝鮮建国の王李成桂が登場するし、『舞姫打鈴』のヒーローは新羅の英雄金庚信である。
ところで、学校で歴史を習う前に本シリーズを読んだ影響で、私は現在でも「新羅」という単語を見ると反射的に「しらぎ」ではなく「しるら」と読んでしまうし、「李成桂」を見ると「りせいけい」ではなく「りそんげ」と読んでしまう。私にとって、このシリーズこそが生まれて初めて触れた‘朝鮮文化’なのだった。馬鹿な子供だったので現役読者だった小学生の頃は朝鮮半島というのがどこにあるのか知らなかったし(私は当時本気で外国=アメリカであり、世界には日本とアメリカの二国しかないのだと思っていた)、儒教文化だとか在日朝鮮人だとかさっぱり理解できない上に興味もなかったので読み飛ばしていたけれど、雪華(そら)や明蘭(みょんらん)という美しい漢字と不思議な響きの名前、美味しそうなチヂミ、ふわりとチョゴリを広げて鞦韆をこぐ明朗な少女、霊山の天辺に位置する天池(ちょんじ)の聖水……どこか好奇心を刺激する異国のイメージの数々を私は大いに楽しんだのだった。特に金剛山の壮大な瀑布や峰々が鮮やかに染まる絢爛豪華な秋の描写などは、幼心にうっとりするような綺麗な文章だなぁとドキドキしながら読んでいた。金蓮花という作家のおかげで、私は隣国と幸福な出会い方をしたのではないかと思っている。そういう意味で、『銀葉亭茶話』は私にとって印象深いお話なのだった。
金蓮花自身にとっても、作家として第一歩を踏み出したシリーズであると同時に、祖国を舞台にしたロマンスであることを考えれば、『銀葉亭茶話』はやはり特別思い入れの深い作品なんじゃないだろうか。
彼女の著作のあとがきでは、自らのルーツを意識した話題が多い。北朝鮮に観光に行って金剛山の絶景に感動した話、伯母が北朝鮮に帰国した話、親戚が日本と北朝鮮と中国に住んでいるという話、子どもたちの通う朝鮮学校のお祭りのためPTAとして準備に奔走する話など。
そんな彼女がBL小説を書くときは、金蓮花ではなく倉科るりというペンネームを用いた。倉科るり名義の本では特に朝鮮半島と関連のある物語を書いたりはしていないようだ。少女小説のコバルト作家としての自分とをきっちり分けたかったのかもしれないし、儒教を尊ぶ在日コミュニティの価値観からするとさすがにBLを在日朝鮮人と明かしている金蓮花名義で出すのは難しかったのかもしれない。少女小説家としてデビューする際も家族からかなり強硬に反対されたと聞く。少女小説を書いているのがバレて家族会議で土下座までしたそうな。ましてやBLをや。
まぁ、BLを書くときと少女小説やラノベや一般漫画を書くときでペンネームを変えるのはbassoや秋月こお、榎田尤利もやっていることで、金蓮花に限った話ではないけれど、少女小説では在日ネタをふんだんに出していた人がBLではそれを一切出さないというのも興味深い話ではある。
ちなみに金蓮花名義の本に一切男性同士の恋愛や性愛が出てこないか、というとそういうわけでもない。
ここでちょっと萌え語りをさせてもらうと、『銀葉亭茶話』シリーズで私が一番好きなキャラクターは長白君(ちゃんべつくん)だった。彼は、朝鮮半島の付け根、北朝鮮と中国の国境にまたがる山(朝鮮語では白頭山、中国語では長白山)の守護仙人(精霊だったかもしれない)で、シリーズ通してのキーパーソンである李氏(注:男性)に想いを寄せている男性である。李氏に冷たく拒絶されたり、周囲の神仙たちに揶揄されたりしつつも、変わらず李氏に暖かい真心を捧げ続けている好漢なのだ。李氏には他に想い人がいるのでまず間違いなく長白君の恋が成就することはないのだろうが、私は彼の男らしい包容力にときめいたのでぜひ幸せになってもらいたいと思っている。別に相手は李氏じゃなくてもいいから。というか長白君には楓英とか緋鯉の精みたいな豪胆で誠実な男性とか似合うと思うんだよね。
studio may-beを結成して仕事をしている高城響と鷹匠早紀は、BLゲームや乙女ゲームのシナリオライターとして活動している他に、連名でBL小説を書いて出版したり、漫画の原作をしたりしている。音楽業界を舞台にしたBL小説『たぶん、きみが好き』『いつか、翼を広げて』『きっと、空も飛べる』という3冊がマイクロマガジン社から発行されたのは2004年のことだった。この3作は天才指揮者と男性アイドルのカップルを描いたお話なのだが、実は高城響と鷹匠早紀がやっているサイトに長年連載していた大長編小説『KT』を手直しして発表したものだという。
そのサイトの大長編(まだ完結していないらしい)には、脇役として若手の指揮者同士のカップルが登場する。彼らを主人公にした話もサイトには掲載されており、出会いと恋人になるまでを描く『'O sole mio』、体の関係を持つまでに至る続編『hard day's night』、いちゃいちゃらぶらぶしてる『jealous guy』などがある。珍しいことにこのカップルの攻めは在日コリアンである。
『'O sole mio』と『jealous guy』では、攻めが在日であることはストーリーの主軸にはほとんど絡んでこない。民族が違うということよりも同じ夢を抱く音楽家同士であることの方が、この物語の中では圧倒的に比重が大きいのだ。
しかし、『hard day's night』の中ではそれらしいエピソードが挿入されている。演奏会の予定が突如キャンセルされてしまった攻め。晴れがましい仕事を一つ失った原因を、受けに問われた攻めはしぶしぶこう語るのだった。「オレ、在日やん」。BLで、差別に直面する在日の姿が描かれているのは大変珍しい。そもそも在日としてのアイデンティティを持ったキャラクターが登場するBL自体ほとんど見かけないんだけどね。
ところで、この物語の攻めは、大阪出身で関西弁を喋る陽気な男性だ。大らかで人懐っこい。阪神タイガースファン。長身、ガタイが良くて、美男子ではないけれど、受けから見れば十分に魅力的な容貌をしている。そして新進気鋭の指揮者である。実際、読んでいて、彼は魅力的な人物として描かれているように思った。なんとなく関東生まれ関東育ちな自分からすると良い意味で典型的な関西人という印象を受けた。
神経質で繊細、あまり感情表現が得意ではない日本人の受けは、自分と正反対の気質の攻めに惹かれていく。自分にないものを持っている相手を反発心を抱きながらも愛してしまうパターンというのはわりと恋愛物の王道だが、受けが攻めの才能に嫉妬をして苦悩したり、振り切ってもついてくる攻めに苛立ったり、励まされたりと感情をぶつけ合ううちに自分の恋心を認めざるを得ない展開になるというのは微笑ましくて良かった。
BL小説家、檜原まり子の作品の一つに『マリンブルーは密やかに』という小説がある。2008年、講談社X文庫ホワイトハートから発行された。舞台はアジア・オセアニアクルーズ中の豪華客船。そこに乗り込んだ保険会社から委託を受けた調査員の受けと、元自衛官の攻めのラブストーリーだ。
正直なところ、この物語の一番興味深いところは、ストーリーなどよりも受けの両親だと思う。
受けの母親は日本人の医師だった。そして父親は在日韓国人の寿司職人。両親が渡米して、一家がカリフォルニアにいたとき受けは生まれた。医師免許が認められなかった母親は畑違いの仕事をして受けを育ててくれたらしい。後に離婚したようだが、受けの両親の話こそ読んでみたいと思った。寿司職人と女医さん夫婦米国滞在記なんていろいろ波乱万丈なドラマがあって面白そうじゃん。
というわけで、本作の受けは間違いなく在日韓国人の血をひいているのだが、特に在日とか韓国に関するエピソードは出てこない。受けが韓国語を喋ったりキムチを食べるシーンがあるわけでもない。彼が民族的なコミュニティや朝鮮半島に思いを巡らすシーンがあるわけでもない。冒頭、地の文でさらりと受けの生い立ちが説明されているだけで、その後はとくに彼が韓国系であることには触れないまま物語は終わるのだ。
なら別に受けが在日の血を引くキャラクターである意味ってないのでは?と思わないでもないけれど、まぁ深い意味がなきゃ在日がBLに出てはいけないってこともないし、これはこれでいいのかもしれない。なんと言ってもこの作品の舞台はいろいろな国籍のクルーが働く豪華客船なのだから。南太平洋を悠々と航海する船上のキャラクターにちょっとしたマージナルな要素を付与したいと作者が思うのもわかる気がする。船長の喜屋武も、受けと同様にマージナルな人物である。米軍勤務の軍人を父に持つ沖縄出身の男性で、金髪碧眼という日本人離れした容姿だが自らを日本人だと主張する。とても珍しい韓国系の受けや、沖縄と米軍というデリケートなバックグラウンドを持つキャラクターが登場するという点において、このお話はなかなか印象深かった。
『うつしみの花』は、幻冬舎リンクスロマンスから2008年に出版された全2巻のBL漫画である。作者はタカヒサ亨。舞台は飛鳥時代の日本で、有名どころでは葛城皇子(中大兄皇子)、皇極天皇、間人皇女などが登場する歴史ロマンBLである。ちなみに中大兄皇子と受けがキスする場面もあったりする。
主人公(受け)は、百済からの渡来人で金工職人である実父を持つ美少年。攻めは、受けの父親の弟弟子で、乃楽山(ならやま)の麓に住む百済系渡来人であり以前は都随一と呼ばれた腕を持つ金工職人だった。受けが攻めの弟子となるので職人師弟ものBLであると同時に、渡来人と渡来人の子孫が出会って恋に落ちる物語なのである。
職人の村で修行をする受けは、師匠であり恋人である攻め以外の渡来系の職人たちとも交流を持つようになり、技術を磨いていく。いつか攻めの故郷である百済に帰還することを夢見るようになるし、自分たちの存在は発展させ続けていく技術に拠って立つのだという強い自負心を持つに至る。彼らのアイデンティティは明確に百済系渡来人であることにあり、ヤマトにはないんだなーと読んでいて思った。
日本が舞台なのにあえて渡来人のカップルを描くなんて随分通好み(?)だなと思う。こういうのは珍しくて面白い試みだ。同時に、ちょっと私の中の日本人としての感覚が一抹の寂しさというか疎外感を感じなくもなかったような……。この記事のテーマである在日と古代日本の渡来人はちょっと違う存在なのでこの作品には簡単に触れるだけにとどめるけれど、思いがけずヤオイを読んでいて自らのナショナリズムが浮上したという点で本作は印象深い作品だった。私が気にしすぎなだけだけなんだろうけれどさ。
もちろん、健気で頑張り屋な受けとクールで格好良い攻めは萌えたし楽しめた。
ところで、作者のタカヒサ亨は、角髪(みずら)に萌えてこのお話を描いたらしい。わかるわー私もみずら萌えです。特に青年の下げみずら姿は可愛くて良い。不評でなかなか描かせてもらえなかったとのことだが、残念だ。もっと見たかったよー。
ハテブやツイッター、増田2ちゃんねるでコメント下さった方ありがとう。せっかくだし嬉しかったので、いくつかのコメントにお返事します。
恐縮です。ありがとう。
自分のブログではこういう記事を出したことがないのでうまく書けるかわからなかったし、書いたとしてもこの記事だけ場違い感がぷんぷんして浮き上がってしまうだろうと考え増田にしました。悲しいことですが、BLも在日も荒れやすい話題ですから。
私は金蓮花の初期の作品が好きでここ7~8年の著作は読んでないのですが、作品だけじゃなくて作家自身も本当に興味深いなと思ってその動向は注目しています。ラノベ界でも稀な在日外国人であることを明かしている作家さんですよね。まして日本と関係が良好でない国を祖国に持つ人ですから、日本社会で生きる彼女自身、悲しみや自負心を含め複雑な感情はあったんじゃないかなと想像しています。日朝首脳会談が開かれ拉致問題が発覚した2002年、この年に発売された『伽椰琴打鈴』を最後に、彼女の著作の中で一番‘朝鮮’を押し出している銀葉亭茶話シリーズが発行されていないというのは、偶然かもしれないけれどなんとなく象徴的に見えたり……。
確かに文化が違う、価値観や倫理観が異なっている、と強く感じる点はいくつかありましたね。面白いなと好ましく思う相違もあれば、モヤモヤする思いを抱える相違もありました。私の場合、女性の描かれ方や女性の置かれた立場というのが結構気になりました。『蝶々姫綺譚』で、女性が子を成さずに死ぬのは罪である、罰として死後の世界で償わなければならないという設定には、儒教をベースにしたファンタジーだとこうなっちゃうのか、とびっくりしたなぁ。日本や日本よりフェミニズムの強い欧米発のファンタジーじゃそういう設定ってないでしょう。まぁ、当時の価値観を反映させた設定であることが良いという考えもあるとは思いますが、現代女性としてはファンタジーとはいえその世界の女性は生き辛そうだなという感じたのも事実でした。
ネットで読める作品もるし書店や図書館に置いてある作品もあります。個人的に、興味や関心の度合いが在日>BLという人よりは、BL>在日の人の方が楽しめるとは思いますが。
全然関係ないけど、最近アメリカのスラッシュが翻訳されて日本の書店の店頭に並び始めましたよね。日本語で海外スラッシュが読める日が来ようとは思わなかった。嬉しい。
皆さんがどなたをイメージしているのか興味あるなー。私は弱小ブログを書いてますが、Twitterはやっていないんですよ。
韓国人は日本人よりも情熱的、確かにそういうイメージありますよね。こんな記事書いといて言うのもなんですが、家族友人知人に韓国人や在日の人っていないんで実際そうなのかはよく知らないけれど。
確かに作品が面白ければ作家は関係ないというのは仰る通り。私も普段は書き手には興味がないんですが、今回は冒頭で書いた某サイトにはなんだか妙に感慨深くなってしまいまして。
創作の中のマイノリティ、本当に興味深いですよね。読み専なので創作の苦しみは知らないのですが、創作物にマイノリティを登場させる際書き手さんはやっぱり慎重になるんだろうなぁ。セクシュアル・マイノリティが登場するBLは殊にそういう姿勢を求められているジャンルですし。常に政治的に正しいお行儀のよいBLである必要はないと思うけれど、読者が引くような差別的な描写が垂れ流しにされてるBLは読みたくないと思います。私はまだガチでがっつり民族問題を盛り込んだBLというのは読んだことがありません。今後もそんな作品は出ないんじゃないかなと思うし、たとえ出版されたとしても読みたいとは思わないかも、と考えています。娯楽作品には悲惨な差別とか貧困とかの要素は求めていない性質で、どちらかというとイチャイチャ、ドキドキ、ワクワク、エロエロ、アマアマ、ラブラブって感じのノリの方が好きなんですよ。なのでフレーバー的な登場のさせ方や特筆されるような描写がなくても私はOKなんですが、作家がまったくその問題の背景に無知ではキャラクターの魅力的な属性にはできないわけですしね。作家は10調べたことのうち1を書く(100調べたことのうち1を書く、だったかもしれない)と聞いたことがあります。BLを愛する者の一人として、そういうBL作家さんが今まで以上にたくさん出てくれるといいなぁと願っています。
昔から学級委員長になれなかった
志望校は全て落ちた
社員にもなれなかった
でも俺には漫画がある
某SNSに登録したのがきっかけで
委託依頼もガンガンきてる
エロから足を洗ってまともな作品を書いてるから
親にも彼女にも見せてもOK
(昔のペンネームでググられると困るが)
イベントではファンから貢物貰ったりするようにもなった
なにより嬉しかったのは
昔からライバルだったやつが
どんどん脱落していってる
もちろん、少し人気だったけど
落ち目になったり劣化したりと
俺の実力が上がってきているのも理由
口下手なやつがいたら面白い話題で悟られないように
場を奪って自分の話に持っていって媒体持ってるお偉いさんさんと
仲良くなって仕事貰う
こんな当たり前のことできないやつ大杉
5年目にしてやっと日の目を見てる
このまま成功して商業に行くつもり
ライバルを蹴落して、人気を集めながら
日のあたる場所を突き進むのは快感だ
猪瀬氏@inosenaokiは語る。ネットは匿名という意識はもう改めたほうがいいのではないのか?
「実名だと,へんなトラブルに巻き込まれるから」という人がいる.
だが,そんなことが本当にあるだろうか?
職業上,絶対に実名でネットに登場せざるを得ない人々が日本にいる.
かれらは実名でサイトを作り,実名と出身大学の書かれたPDFを,世界中に流通させている.
だが,彼らがトラブルに巻き込まれているだろうか?
彼らが実名をネットに流通させることでトラブルに巻き込まれやすくなっているなら,
ペンネームをつかうなど、対策がされるのではと思うが、現実はそうではない。
この例を考えると,「実名だと,へんなトラブルに巻き込まれるから」というのは間違っているように思える。
もちろん,反論はあるだろう.
「研究者が公表している情報は,その人の専門分野に限られている.公表のスタイルも極めて限られている.見る人も極めて限られていて,ある程度予測可能だ.
わたし達の公表する情報は,さまざまなものがあるし,さまざまな公表スタイルがある.さらにどのような人がみるかわからない.研究者とは違う」というようなものだ.
こんな反論も考えられる.
「研究者も実はトラブルに巻き込まれているのだ.だから,ネットで実名を公表するのはやはり危険であり,われわれの匿名意識は正しい.」
こんな反論もありえる.
つづきはあとで
>やばいww早速テク犯対策室を作るべきだネ!
NPOありますよ。http://www.geocities.jp/techhanzainetinfo/
しかしテク犯なんて略語、よくご存じですね。
>林先生・探偵の方(http://www.geocities.jp/techhanzainetinfo/)について
ただ、実際のお名前出されている方ではないので、
(「林」はペンネーム、ですよね?)
火、消えてないところがより悪質です。
ガスライティングという手法があり、
そもそも所謂「嫌がらせ」についても
受けている嫌がらせすべてを病気にすることは不可能かと思います。
(集団ストーカー(ガスライティング)は、それらの嫌がらせが組み合わされたものをいいます)
でも、「集団ストーカー」という言葉を使うと精神病になります。
>箇条書きになってない箇条書き
■つけてややこしかったですが、段落というものです、すみません。
>自分という人間がいようがいまいが、世の趨勢になんの影響もないことが理解できれば
理解しても、死にたくはないし、嫌な思いもしたくないです。
地位がなく目立たなくて、おとなしくて抵抗しなさそうな、群れない一匹狼タイプが
何かとやりやすそうですよね。
家宅侵入については、
朝起きたらパジャマの長ズボンの右足だけ膝下まできれいに三回ほど折り返されてたり、
(コピペできねぇ)
財布からいつの間にか1000円減ってたりします。
それぞれ写真など証拠には残していますが、
一つ一つではなかなか警察に取り合ってもらえないですね。
相談はしてますが。
あと、面白がって読んでくださった方、肯定的なコメント下さった方、ありがとうございました。
興味持っていただけるのが一番嬉しいことです。
勘付いた方もいらっしゃるかもしれませんが、
集団ストーカーについて記事を取り上げたツカサネット新聞は潰れてしまいました。
(全文読むのが面倒であればctrl+Fで「集団ストーカー」)
http://megalodon.jp/2009-0403-2216-30/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090319-00000026-tsuka-soci
関係あるのかないのか、は、ご判断にお任せします。
一部の人間の都合のいいふうに情報を捻じ曲げる動きがある確信にちかい可能性を、
この被害にあって、ひしひし感じるようになりました。
某ヲタ御用達ショップで働いていると、アグレッシブなお客が来る。
話しかけてきて一方的に喋る。
「仕事中なので」という言葉で気付いてくれる人はいい人の部類。
少し手がすいたと見ると、再度話しかけてくる引き際を弁えてない馬鹿とか最悪。
その中でも、ヲタ自慢し始める奴。
イベントでどれだけ刷って何時間で完売するとか、壁だとかどうでもいいから。
誘拐犯とか変質者の「お菓子あげるからおじさんと一緒に遊ばない?」と同じで気持ち悪いんだよ。
でもって、それでついていくような人間と思われてるのかと思うとムカつく。
前にスタッフに注意されたら「俺を誰だと思ってる」とか絡みだし、「俺は○○(サークルの名前?)の○○(ペンネームだかハンドルネーム)だぞ」とか叫びながら店の外に引きずり出されたのがいた。
今ではそういう客はブラックリスト化されて、出入り禁止にされてたり、入店が確認されたらずっと監視されるようになったから、かなりマシになった。
「ヲタショップで働いてて自分の趣味に理解があるだろうから、彼女に出来るかもしれないと思った」って何。
自分もヲタだから、理解できる部分はヲタじゃない人よりは多いと思うから前半は間違ってない。
でもそれが後半に繋がると思ってるのが信じられない。
勝手に期待して勝手に失望して喚き散らすくらいなら、おとなしく二次元だけ見つめてればいいのに。
三次元には三次元に適合する為の容姿とスキルが必要で、足切りされるのは人ではなく自分のせいだから。
俺に言われてもなぁ。
http://anond.hatelabo.jp/20100205133048
↑増田に投稿された怪しい怪文書。この文書は昔、2chに匿名で大量に投稿されたものだそうです。
驚くことに怪文書の中身は次々に山本氏の自称らしきものと、いくつも一致しました。
(検索の範囲でひっかかったもので確かかは知りません。文句はリンク先にどうぞ。)
まずralph
山本一郎のtwitterアカウントは、つい最近までRalphYumのハンドルを名乗っていました。
http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/kirik
http://kirik.tea-nifty.com/diary/2009/05/post-cc27.html
ジャーナリスト・神保哲生氏のネット番組で社会学者・宮台真司氏に
「シカゴ大学大学院に行った」と紹介されたとき、肯定も否定もしなかった。
http://fusoshatokiri.seesaa.net/article/3714514.html
http://cmiyc.hp.infoseek.co.jp/src/up0004.jpg
大学では自治会とかを。 僕が文連の委員長もやっていて。 3年の時委員長になって4年の時に後継者いなくてもう一年やって、 そのあと一回留年して、さらにもう一回、合計3年間委員長やってですね。
http://www.keio-j.com/old/interview/43kirikomi1.html
http://www.fusosha.co.jp/senden/2004/048188.php
で、そっちが売れてシリーズ化したんで、なんかオーダーが来たと。
http://d.hatena.ne.jp/tonbo/20051024
「確か、デルは1株2ドル40セントで買いましたが、その後、グングン株価を上げ、結果的に当初の投資金額の1000倍くらいまで跳ね上がりました。」
http://www.geocities.jp/kirikomi1973/Dell/index.html
本人が自称する経歴と一致がいくつかありますが、怪文書が正しいとも正しくないとも断言できません。ただひとついえるのは、
「匿名で悪口をかかれることが多いインターネットの世界で匿名で美談を広げてもらえるなんて運がいい人だ」ってことでしょうか。
http://f.hatena.ne.jp/tsubomi_ugetsu/20090930103606
に関しては、本年7月付けで辞任しています。理由は、少なくとも
この2年ほどは実態がなかったから。
http://column.chbox.jp/home/inoemon/archives/blog/main/2006/09/01_110014.html
http://f.hatena.ne.jp/tsubomi_ugetsu/20090930104514
http://anond.hatelabo.jp/20100121011555
元増田です。
結論を見ると、元増田と異なっている。
ご紹介頂いた論文の最初の文章をご覧下さい。
"Since the 1980s, a widespread view has arisen in the literature that the post-1950 economic successes of Taiwan and the Republic of Korea have been due, in part at least, to the legacy of Japanese colonialism."
とありますよね。現在進行形で記述されている以上、「1950年以降の台湾と韓国の経済的成功は、少なくとも部分的には、日本の植民地政策の遺産に依っている」という説は、30年間にわたって、そして現在も、「広く知られた見解」なのです。もしこの見解が実際にはマイナーなものに過ぎず、私の恣意的な選択によってあたかも広く受け入れられているかのように錯覚させているだけだと思われるのであれば、是非その根拠をお聞かせ頂きたいと思います。私は紹介した論文以外にもいくつかの論文のliterature reviewを参照していますが(議論の大枠をつかむにはこれが一番手っ取り早い)、この見解が学界で広く受け入れられているものであることを疑わせるような記述はただの一つも見つかりませんでした。A Boothの論文も、「歴史修正主義者」の見解がどのようにして学界で広まり、議論が深められていったかを丁寧に説明していますよね。この最初の数段落はサーベイとして良くまとまっていると思いますので、是非ご一読ください。
もちろん、この見解には反論も提出されています。私の最初のエントリーで紹介したHaggard, Kang and Moon (1997)がそれです。ですが、Haggard, Kang and Moonの論文が世に出て10年以上、依然として彼らが異を唱えた見解は広く受け入れられていることはBooth自身が指摘しているわけで、彼らの反論が受け入れられなかったことは明らかです。Boothの論文はまだ発表されて3年ですので、この論文の影響を測るのは難しいですが、比較的似たKimura (2005, JEH)の論文(前のエントリーで紹介済み)と比べて、発表されたジャーナルの格が全く違います(主観的な感想をお許し願えれば、論文自体の説得力もKimura, 2005が遥かに上であると思います)。現時点で、門外漢がどちらを信じるべきかと考えた場合には、やはり学界の多数派であり、多くの一流ジャーナルにアクセプトされている「歴史修正主義者」側の見解を採るほうが客観的でフェアな選択であると思います。少なくとも、「自分の政治的な意見にとって都合のいい方だけを信じる」という、安易な選択よりは遥かに望ましいでしょう。
私自身もブログは持っていますが、この手の話を書くと、議論の内容ではなく、「自分の意見の味方であるか敵であるか」だけに注目して妙な感情論を投げてくる人が多いので、政治宗教プロ野球の話は原則として益田を使うことにしています。妙に興奮した感情論にいちいち答えるのは疲れますから。
また、この件で匿名で書くか実名か、またはペンネーム(id)を使うかが何か重要な違いをもたらす理由が良く分かりません。重要なのはプリンストンのKohliやイェールのReymonds、またはご紹介いただいたSOASのBoothが口をそろえて指摘する、「1950年以降の台湾と韓国の経済的成功は、少なくとも部分的には、日本の植民地政策の遺産に依っている」という見解が広く受け入れられている、ということを信じるかどうかであって、私の個人的見解は披瀝してもいませんし、信じてほしいとも思っていません。
若干突き放した書き方をしますと、あそこまで書いても、中身も読まずに「検討に値しない」とか言ってしまう人は、私が想定する読み手ではないのです。(こういう放言が出来るのも増田のメリットと言えるかもしれませんね。)