はてなキーワード: 霧散とは
音楽生成サービスの「SUNO」、無料で試せるからちょっと色々とテストしてみたんだけど、感動したんだが。
自分の好きなジャンルが結構狭いところで、ダンスミュージックだけどクラブ寄りではなくリスニング寄り、ホットではなくクール、マキシマムでなくミニマルみたいな。
ミニマルテクノからエレクトロニカ、IDMみたいな、2000年代に隆盛してその後は霧散気味な辺りなんだけど、こういう狭いサウンドもけっこういい感じに生成してくれる。
最近はドンピシャな供給が少なくて色んなジャンルを聴いていたけど、そうか、供給が無いなら自分で生み出すしかないのかもな…。
20代前半の泡姫だけど、男の精液でドキドキして興奮してしちゃうところがある。
アピールポイントでも悩みでもないから、別に誰かに聞いて欲しいとか、「どうすればいいですか?」とかでもなくて。
じゃあなんで書いてるんだって話だけど、個人的にモヤるところがあるからで。
JSから性的虐待を受けてきて、血は繋がってないけど初めての相手は父。
S6の頃からお金でいろんな人の相手もさせられてきて、それ以外の相手からレイプも妊娠も数回アリ。
そんなだから、普通はセックスに対して嫌悪感とかトラウマとかあるはずだって話になりやすくて。
泡姫やってることとかセフレいるとかいう話になると「それはおかしいだろ」ってことになるからウザいし否定されるのはツラいしで、まぁ過去の事情込みでセックスに肯定的な話はしにくいワケ。
ただひとつ確かなのは、望まないセックスの記憶を望んでいるセックスの数で上書きしようとしてるんだろうなってこと。
過去の記憶っていうか「声」みたいなのが大きくなって病むときは、自分がやりたいセックスをしてドロドロしたものが霧散する感覚がある。
仕事も生活のためにやってるっていう自負みたいなのが、自己肯定感に繋がって自分は生きていていいんだとか思えたりする。
だからまぁ、厳密に言えばセックスが好きなわけではないのかも?よくわからない。
それでさ。ザーメンっていうのは男がセックスの際に気持ちよくなった証拠だし、なんかね、「合格」って感じ。
まぁ普通好きな人が気持ちくなってくれたら嬉しいっていうのはフツーの感覚だと思うからさ。
めちゃくちゃ変なわけじゃないのかも。
でも、あのの臭いとかドロとしたあの気持ち悪い感じを、思春期の頃から味わわされ過ぎて、アレが来たら合格感?開放感?安堵感?みたいなのがセットになってる。
痴漢にぶっかけられるとか、レイプとか、そういうのだったら最悪でしかないよ。
気持ち悪い話で申し訳ないけど、この感覚と過去の経験って切っても切り離せない説明になるけど、一緒に話すとたいていどれか否定されるから話しにくい。
コメントにはなんの遠慮もいらないです。
はっきりいってニコニコ動画だってさほどの機能があるわけではない
むしろ基本中の基本だと思う
でも他のサブスクではその基本中の基本さえも備わってなくてウンザリしている
私はアニメ視聴をニコ動でしていて、でもそれが6月に突如奪われた
ニコ動では視聴しているアニメをお気に入り登録すると、お気に入りリスト内に全て一元化される
ジャンルも自由に設定できるので「アニメ」で一括りしたリストを自由に作成できる
新着があると降順で一番上に表示されるからどれが新しいのかがすぐわかる
自分が視聴したかどうかはリンク踏み(今どきこういう言い方するのだろうか)後のグレーアウトされた文字で
一目瞭然なので、「自分がどこまで視聴していて、どこから見ていなくて、何が一番新着なのか」が一画面上で全て把握できる
それに対して他のサブスクはこれができない
せいぜいお気に入り登録はできるけど、新着はそれぞれのサムネに「NEW」が表記される程度
たまってくると全部が「NEW」で埋め尽くされて、先入れ先出しで消化するためには一体どれから見ていいのかが把握できない
それぞれのサムネをわざわざクリックして、いつアップされたのか見て、、、なんて最初はやってたけどそんなのいちいちやってられなくなる
それやったところで何十もある作品の全ての新着状況を把握することはできないから
ニコ動はたとえ有料会員であっても、自由に視聴できるのは基本的にアップ後一週間後まででその後は有料移行する
え?
と思うだろうけど、これがいけない
人は「いつでも見られる」と思うと勝手なものでいつまで経っても見なくなる
ところが「一週間以内に見ないとカネ払わなくちゃいけなくなる!」ってなるとまたまた勝手なもので
なんとかその制約下で事を成し遂げようとする
強制的に消化させ、膨大な積みアニの防止をしてくれる優れた設計なのだ
人間って例えば「かわいい」と思っても、それを文字か言葉で表さないと気持ちを昇華できないんだね
可愛らしいキャラがかわいい言動とって「かわいい」 「かわいい」 「かわいい」 「かわいい」って流れる文字を見て
自分の中に生じた「かわいい」って気持ちをただ感じただけではなく、さらにもう一段高めさせてきれいに霧散させてることに初めて気づいた
他のサブスクではそれを「図」として眺めるだけ
くすぶるように残った消化不良感はこれだったんだ
「復旧には少なくとも1ヶ月以上はかかる」とアナウンスされて、早1ヶ月以上が経過した
早く戻ってきてよ、ニコニコ動画。。。
女体化させて
百合らせる
理解不能!
シラフだと自分でも理解できない。だけどそこからしか得られない栄養がある。なんなんだそれは
まず女体化について考えよう。女体化は字面のごとく男性キャラを女体化させる。一時的に女体と化すのではなく、先天的に女性として生まれたとすることが多い。女性にしてしまうということは、キャラの男性としての良さは消えてしまうのか?答えはいいえで、"""良さ"""はただひたすらに盛られていく。つまり元がクールキャラなら女になってもクールキツめ美人、可愛いなら女になってもほんわか癒し系、ミステリアス、野心家、変態、いずれも女性キャラとして等価交換される。そしてそこに乳や尻も盛られていく。つまりマイナスはほとんどなく、ひたすらにプラス、プラス、プラス!!これが女体化の素晴らしさだ。
そしてプラスプラスされた盛り盛りの女体化キャラが2人、何も起きないはずはなく…そう、百合らされる。ここにおいて関係性もまた未知の味がしてくる。つまり男性同士から女性同士になることでゴツゴツ感が消えてお互いを思いやる慈しみやお肌のモチモチ感が追加される。ついでにいい匂いがしそうな感じになる。しかも女体化はどこまでいってもファンタジー、現実と混同しようもなく盛り放題、そうして元の好き✕盛りに盛った属性✕女の子同士という可愛さと柔らかさとおしとやかさの入り混じった関係性が合わさって最強になる。おお最強、最強ここにあり。
それって元のキャラじゃなくても良くね?と思った?違います。元のキャラがいてこそ夢が膨らむのです。宇宙に数多の星があり、地球よりはるかに大きい星にさえ核があることを御存知ですか?夢を膨らませるにも核がなければそれはたちまち霧散してしまうのです。そう、大きな夢には確固たる核があり、それは確かに元のキャラたちの原作での関係性にほかならないのです。
タイトルの通り。
せっかくの人生で一度きりの『一人暮らし最初の一ヶ月』なので、その感想をまとめてみた。
・生きてるって感じがする
実家にいた時は日々、約三十年間生きてきた自分や家庭の習慣に従って漫然と生きていた。とくにコロナ禍辺りからは、義務的に仕事に行って、帰ってはダラダラするだけの生活が続いていた。今はどうすれば生活や人生がより良くなるか考えてちょっとずつでも行動に起こしている。なんか生きてるって感じがする。
きっかけは生活コストを全部自分で賄わないといけなくなって「お賃金もっと欲しい!」という感情が強くなったから。ただ、最初は昇給・昇進のためでも、より良い結果を出せるようにと目標を持って働くと、以前よりもやりがいみたいなモノも感じられるようになった。
・人間関係の大切さに気付けた
一人暮らし超寂しい。でもそのお陰で人との繋がりの大切さが分かった。もともと人付き合いと悪いし、自分から人を遊びに誘うようなタイプではなかったが、そういうところを改めようとしている。最近、数年疎遠だった友人に自分から声をかけて、久しぶりに飲みに行けたのは嬉しかった。今度、社会人サークルみたいなところのイベントに参加してみる予定。
・結婚願望があることに気付けた
より正確に言えば強固な形での生活共同体を作りたい願望かも。まず何よりも家に帰った時にその日あった下らないことを互いに話して笑い合えるような人がいてほしい。生活や将来について誰かと一緒に話し合って決めていきたい。あと打算的なことを言えば、共同体を築くことで一人辺りの生活コストを減らして、もっと広い家に住みたいみたいなのもある。
自炊とかほんの少しずつ練習してるレベルなので、「できる!」と言って良いかはアレだけど、生活を自分で回していくことで、生活力のなさというコンプレックスが解消されつつある。
実家にいた時は夕飯食って寝落ちして深夜に目が覚めてウダウダして明け方に寝直すみたいなクソみたいな睡眠習慣だったが、一人暮らししてからちゃんと寝る態勢を取って通しで寝ることができるようになった。一番大きいのは寝具がベッドから布団になって「敷かなきゃ寝れない」って状況になったことなのであまり一人暮らしは関係ないかも。ただ、家事をやらずに寝ると翌日以降に響くぞという意識が寝落ちを防止してる面もあるとは感じる。
家族が全員お菓子好きだったので、自分で買わなくても家にはいつもお菓子があって、それを色々チマチマとつまんでいた。でも、一人だと一袋を全部消費しないといけないから、まずあまり買おうという気が起きない。個包装の菓子を二日に一個食べるくらい。ポテチとか一袋全部しける前に一人で消費するのキツくない?
・ギャンブルをしなくなった
元からスッても遊びで済む程度の金額しかやってなかったけど。刹那の熱のために千円二千円とか使うくらいなら、その金で外食して美味いモノ食って洗い物スキップした方が満足度が高いと思うようになった。
・発達障害傾向が気にならなくなった
過去にちゃんとして発達障害の検査を受けて明確な認定はされなかったが、傾向があると言われたことがある。それは自分にとってある種のスティグマとなっていて、色んなことに対して「できないモノはできない」という諦めに繋がっていた。ただ、一人暮らしを初めて「やらないといけないことはやるしかない」環境になって、そして「やれば以外とできるじゃん」が積み重なって、まあ事実として自分にそうした傾向はあるのだろうけど、それがなんだよくらいに思えるようになった。
・一人が辛い
もともと友人も少数だし、家族とも不仲とかでは全然ないけど、揃ってお出かけするような仲良し家族ではなかったので、孤独耐性はある方だと思ってたけど、おはようもお休みも、行ってきますもお帰りも言う相手がいないことがこんなにも寂しいとは思わなかった。自宅の無音の空間がキツい。たぶんこれが一番辛い。
・喪失感が凄い
今まで慣れ親しんだ地元の空気、自室の家具の配置、母の手料理、生活習慣……、そういったモノがもう感じられないということを思うと、胸がギュってなる。いや、実は1時間くらいで実家には帰れるので、地元の空気や母の手料理なんかはいつでも味わいに戻れるんだけど。ただ、それら全てがパッケージ化された今までと同じ"生活"がもう二度と戻らないと思うと感傷的になる。親の介護とか考える歳になったら実家に戻る可能性もあるのかもしれないけど、その時の生活はやはり過去のモノとは違うだろうし。
このままずっと独身だったら、友人と疎遠になって孤独化していったら、親がボケたり死んだりする歳になったら……、そういった不安が隙あらば顔を出してくる。もともと一人だとグチャグチャとネガティブなことを考えがちな性格だったが、一人暮らしで一人でいる時間が増えた上に"生活"や"人生"というものを意識することが増えて、そうした性質が確実に悪化してきている。
・朝が辛い
起きれないとかではなく。上記の孤独や感傷が朝になると強く襲ってくる。仕事行くとフラットになって、夜はけっこう「今の生活を楽しもう!」って気分になる。
・常に金のことを考えている
少額の生活費を納めるだけで家にあるものは好きに使えていた実家暮らしと違って、お出かけとかせず家にいて暮らすだけでも金銭的な消費に繋がるので、いつもケチケチと節約を考えることになって疲れる。都内同年齢男性平均にはギリ届かないけど中央値は確実に越えてるくらいの年収なので、爪に灯を点すような貧困生活ではないのだが、まだ暮らして一ヶ月だと標準的な月の出費を体感として把握できておらず、自分にどの程度の金銭的余裕があるのか理解できていないせいで、とにかくお金のことが気になってしょうがない。七月から家計簿をつける予定なので、収支をちゃんと把握できるようになればマシになりそう。
・食欲が減った
食事の用意がダル過ぎる。家事の内、掃除や洗濯はルーティーンでやれば良いのでわりと平気なんだが、飯は栄養やら値段やら賞味期限やら考えることが多すぎてマジで大変。俺は考えるということが苦手なので、作業の手間そのものよりそっちがキツい。そのせいで食欲が減った。自炊は練習中だが、料理のレパートリーが増えればこれもルーティーン化できるのだろうか? いやでも外食・中食でもダルいし、変わらなそうだな。
・都会に引っ越したので人が多くて疲れる
自転車で近場をフラフラするのが好きだったけど、人も車も信号も多すぎてあんまり楽しくない。喫茶店なんか入ってもやはり人が多いし、席も狭い。
長い人生というスパンで見たら、一人暮らしを初めて絶対に良かったと言える。
あのまま実家にいたら、生活を親に甘えて、真面目に人生の道を考えもせず、孤独で生活力のない社会人をやってるだけの虚無のような中年ができあがっていたんじゃないかな?
一人暮らしはそういう道筋を変えるきっかけを与えてくれたと思う。
未来のことなんて一切考える必要がないならすぐにでも実家暮らしに戻りたい。
現実的には、自力でもっと物質的に豊かな暮らしができるようになりたいし、一緒に住んで会話できる相手を見つけたい。欲は尽きない。
家事の悩みなんかは今までが親に甘え過ぎていただけで、仮に幸いにも一緒に暮らすパートナーを見つけられても「金は俺が稼ぐから、家庭のことは任せたぜ!」なんて言えるだけの収入を得られる見込みはないので、一生付いて回ることになるのだろうけど。
色々と語ったけど、所詮は初めて一ヶ月。
高まった意識は初心だけで霧散して怠惰な独身生活を送るようになるのかもしれないし、逆に今は辛く感じることもすぐに適応して些末なこととしか思わなくなるのかもしれない。
近頃夫がとにかく短気で、仕事、街ですれ違う人、ご近所の騒音、そして私…に対して、しょっちゅう怒っている。
夫の怒る気持ちもわかるんだけど、前はそんなにいろんな事や人に神経質じゃなかったんだけどな。
電車でも、マナーの悪い乗客にイラついて、見ないふりするような場面でもいちいちつっかかりに行き、しょっちゅうトラブルになってる。
最近、夫がキレる形での喧嘩が週1ペースで起きていて、いつも私の言動が原因だと言い、謝罪を求められる。
いや、まずベースとしてあなたがイライラしてるからでは…と思う。
そして私も私で完璧な人間では無く、そういうストレスフルな夫の気持ちや立場を100%理解してものを考えたり言ったりできない時もある。
なので結局、一番身近にいる私が、その爆発するに至った夫のストレスを一手に引き受ける事になる。
発端はいつも「隣の赤ちゃんの泣き声で起きちゃったよ…」とかなのに、「まあまあ、どこの家もそういう事もあるから…」などとなだめていると「なんで俺が悪いみたいに言うの?」みたいな感じで始まり、弁解する私の言葉尻を理由にヒートアップが始まって、いつの間にか矛先が私に向かっている。
私はそのたびに「ごめんね、イライラしているときにこんな風に言われたあなたの気持ちを考えられてなかった。こういう言い方をする必要はなかったね。今後は言い方に気をつけるよ」とか言って謝るんだけど、いつも「次は気をつけるって毎回言ってるけど、それでもまた同じ事をやったらどうするつもりなの?」と言ってくる。
毎回よくわかんないまま霧散してる。
ある時「相当傷付いた」と主張されたときに「今度同じ事を言ったら関係が終わってしまう覚悟で意識を変えるよう努力するね」と言ったら、これにも激昂された。
関係性の行方を人質にとるんじゃないと。じゃあ何を望んでいるの? どう言えば納得する?
こういう気持ちがわかる人教えてほしい。
もはや夫が面倒くさく感じて仕方がない。
正直一人になりたい。夫と会話したくない。
つらいよ〜!!!!
——
以前夫に、モラハラやロジハラっぽいよと言ったら、猛烈に激昂したので言わない事にしてる。
私は父がモラハラ体質で最近両親が離婚したので、父みたいな人とは絶対結婚したくない…と思ってたんだけどな…
人の目に映る自分を見なければいけない。そうでなければ、自分というのは虚無になるから。
日常の中で、僕はいつも他人の視線を意識している。仕事場での同僚の評価、友人たちの言葉の裏にある感情、そして通りすがりの見知らぬ人々の一瞬の視線。これら全てが、自分自身を形成する一部になっているのだ。鏡に映る自分の姿だけでは不十分であり、他者の目を通して初めて自分という存在が確立される。
他者の評価に頼ることで、僕は安心感を得る。承認されることで、自分の価値を確認する。だけど、その一方で他者の期待に応えようと無理をしてしまうこともある。自分が本当に望んでいることや、自分の考えがどんどん薄れていく感覚に襲われるのだ。自分自身を見失い、他人の目に映る理想像を演じ続けることに疲弊してしまう。
社会の中で生きていく以上、他者との関係は避けられない。しかし、それに溺れてしまうと、いつの間にか自分が本当に何を感じ、何を望んでいるのかが分からなくなる。自分自身を見つめ直す時間を持つことが大切だと思う。静かな場所で、他人の目を気にせずに、自分の心の声を聞く。それが、自己を取り戻すための第一歩なのだろう。
しかし、現実はそう簡単ではない。他者の目を意識しないで生きることは難しい。人間は社会的な生き物であり、孤立することはできないからだ。結局のところ、他者の目に映る自分と、本当の自分とのバランスを保つことが求められるのだろう。
それでも、そのバランスを保つことは容易ではない。他者の期待に応え続けるうちに、自己の本質が徐々に薄れ、やがて消えてしまうかもしれない。そうしていつの間にか、自分自身というもの、アイデンティティは社会に霧散して二度と帰ってこなくなる。
渋谷区で生まれて、大学の時に4年間だけ地方都市に住んでたけど、
ひい爺ちゃんの代から東京なので、まあ江戸っ子と言っても遜色ないかなと思う。
やたらと敵視してる人がいて、東京育ちの人間からするとマジで意味がわからない。
恵まれてると言われれば、そうだと思うけど、それは地方だっていい所あるんじゃないの?知らないけど。
んで、本当に東京で生まれ育った人間について、書いてある文章少ないなと思ったので、ちょっと実情を書いてみる。
・オタク仲間がたくさんできる
思春期が90年代〜2000年代くらいだったのだけど、明らかにオタク系の友達が沢山いた。
新宿の西スポのヴァンパイアハンターの大会とか出て、梅原にボコボコにされたり、
秋葉のイエサブでMtGの中古カード買い漁ったり、国府田マリ子のラジオの公開収録行ったりと、
コミケに初めて参加したのも16の時で、中学校の時の同級生の女子がレッツ&ゴーのコスプレしてたのに出会ったりしてた。
押切先生のハイスコアガールの世界観はかなりリアルで(可愛い女の子は出てこないけど)、
ゲーセンに居た夜職の兄さんに誘われて行ったのが初めてだったと思う。
ちょうどR&B全盛期の時代で、宇多田ヒカルがAutomaticをクラブに歌いにきてたり、
ダンスバトルみたいなのもよく見に行った。
当時は無茶苦茶緩くて高校生でも、なんか適当な偽造IDとか作ってもらって、それで入ってた。
高校生男子に色々と教えたい大人達がたくさんいて、とてもみんな優しくてアットホーム。
週4〜5でクラブに行ってた時もあった。行きつけのクラブは店員も友達になったりしてたので、
自分はTCG大好き格ゲー大好きのオタク少年だったが、クラブに行くときはコンタクトに変えて
ダボっとしたKANIを着込んで、武装してた。上京したての女子大生をナンパして、
初めての彼女を作ったのもこの頃だった。
・東京のコミュニティはすぐに生まれる。そして、すぐになくなる。
東京で生まれるコミュニティは、基本的に新規参加者へ寛容である。
地縁や血縁を軸としたコミュニティではないので、基本的に同じ興味対象があれば、誰でもウエルカム。
逆に来なくなっても、別にそれはそれ。誰も追いかけてはこない。
なんなら、突然コミュニティ自体が簡単に霧散するなんてこともよくある。
とにかく、こういった人の集まりが無限に生まれて、どんどん消滅する。
自分を振り返ってみても3年くらいで周りの友達関係は一掃する。
ただそれでも、その中で特に仲の良かった人とかは、コミュニティがなくなっても
普通に友達として繋がったりしてて、それで人間関係が残っていったりする。
逆に自分と繋がってない人に対しては、全く興味を持たない。
隣が誰住んでるのかも知らないし、参加しなければ近所のコミュニティなども全く知らない。
人はたくさんいるけど認識しなければ風景と同じで、お互いにそういう感じで過ごしている。
逆説的に、人を認識しないので人との繋がりが少なくて快適なのだ。
総じて、東京の良さは何かにハマった時のコンテンツの距離が近いこと。
ポケモンセンターでバイトしたりしたこともあったけど、中の人との距離感近いのも東京の特徴だと思う。
あとは、周りが放っておいてくれる。勉強しろとか言うのは、親と学校の先生くらいで、
それ以外の大人や世間は、ほとんど自分に対して興味を持っていない。
おかげで、ファッションがどうであれ、趣味がどうであれ、自由に自分のやりたいことにハマれる。
そしてハマった先には、もっとハマってる先輩方がいて、受け入れてもらえることが多いような気がする。
自分はオタク系の趣味とクラブという趣味2つの全く異なる趣味にハマったけど、
こんなことを許容してくれたのは、東京という土地だからのように思う。
多分、美術マニアでも、ラーメンマニアでも、フィギュアマニアでも、
なんでも受け入れてくれる懐の広さが、この街の良さだ。
高さは「幻想度合い」についてであって、作品のリアルさなどではない
んでな
強さをどう落とし込むかは結構面倒なんだよ
例えば敵が放った高熱の火球をナニカで防ぐとして
熱を発してるんだから、直撃しなくたって近接すれば普通に外皮が火傷するし、吸い込んだ熱気で気管や肺がやられて、まあ人は死ぬ
これを「防げる」とする場合、それは熱気を防ぎ、燃焼による酸欠を防ぎ、火球を霧散させる
ゾルトラークは普通の魔法になった、という描写は結構引用されるけれど
「貫通する」とはどういうことなのだ?
これをきっちり説明するというのは、そういう事象を世界の理として構築するって事だ
そこにケチつける輩っていないだろ?
グレートソードでドラゴンの鱗を切り裂き、フルプレートで全力疾走できる人間の筋骨は相当頑丈なはずだ
にも拘らず外皮は脆い?
脳は?
迂闊に、どんなに防御力が高くても顎を叩けば(脳がゆすられて)人は昏倒する、みたいな描写をしちゃうと
以降、内臓はまともに保護されてない前提でいろんな整合性を取らないといけない
迂闊に、防御魔法は魔力による攻撃を防ぐが、起こされた物理現象は防げない、みたいな描写をしちゃうと
以降、真空も、氷の礫も、熱や酸欠も防げない
燃焼は酸素を使用しないだとか、酸素呼吸してないを言いだしたら
手っ取り早いのは「神の加護」で体が保護されている、行動限界は加護の残量、みたいにざっくりとしちゃうことで
毒がスリップダメージなのも、石化や即死が確率で全損なのも、HPが0になるまで全力で動けるのもなんとなく理屈付けできるんだが
諸々考えても
そこを「良しなに」解釈してくれる
この「良しなに解釈する」の分かりやすい例は、謎カーボンやミノフスキー物理だ
顔真っ赤にして、「ガンダムがSFの基礎になっちまう」とか言い出したら
頭オカシイと思わんか?
仏の教えは合理的。基本的な理屈の前提となっているのは、この世界には「因果関係」があって、あらゆる物事は因果関係の連鎖で成り立っていますってことだけ。
・絶え間ない因果関係の連なりがあるから「諸行無常」。諸行無常ってのは、あらゆる物事は変化し続けているってこと。
・諸行無常な世界を普通の人間が経験すると、「一切皆苦」と感じる。あらゆる物事が変化し続けているってことは、やがては人の望まない状態になり得るし、たいていはそうなるから。人生には「四苦八苦」がつきもの。
・普通の人間は、永遠不変の私がいることを素朴に信じていて、その『私』に強く執着している。しかし実際は、「諸法無我」。つまり、永遠不変の私は存在しないということ。なぜなら、私はこの世界の一部であって、世界の一部であるからには因果関係の連鎖によって一時的に立ち現れている物事でしかないから。身体も五感も思考も欲求も一時的に立ち現れているものに過ぎない。私という存在もまた、諸行無常であり、ゆえに諸法無我。
・普通の人間が諸行無常な世界に在って一切皆苦と感じるのは、『私』に強く執着しているから。世界も私も変化し続けているものだから、『私』の思い通りになるとは限らない。それなのに、思い通りにならないとそのたびに苦しい。
・一切皆苦と感じる原因が『私』に対する強い執着であるなら、その執着を薄め、消し去ればいい。この世界は諸行無常であり諸法無我であることを、知識としてではなく、感得することができたなら、『私』への強いこだわりは霧散し、世界を一切皆苦とは感じなくなるし、副産物として利己性も消える。これが悟りの境地。
・この世界が諸行無常であり諸法無我であることを感得するには、感得するトレーニングを繰り返して感得する認知能力を高める必要がある。自転車に乗れるようになりたいなら自転車に乗るしかないのと同じ。このトレーニングが仏教の修行の中核。昨今では「ヴィパッサナー瞑想」とか「マインドフルネス」とか呼ばれている。ヴィパッサナー瞑想で得られる認知能力を「智慧」あるいは単に「慧」と呼ぶ。
・『私』に対する強い執着を薄める方法はヴィパッサナー瞑想以外にもう一つのアプローチがある。「慈悲」つまり、利他的な心を育てる瞑想や利他的な実践を繰り返すこと。
・ヴィパッサナー瞑想だけしていれば悟れるかというと、そうでもない。「戒」:瞑想に集中するための環境や習慣を整え、「定」:ヴィパッサナー瞑想に必要な集中力を高めるための瞑想も行う。これらをヴィパッサナー瞑想と合わせて「戒定慧」と呼ぶ。仏教の実践は基本的にこの三つ。もう少し詳しくは「八正道」と言う。
というのが、私の理解。もっと詳しく知りたければ「」でくくった単語を検索して一つずつ調べるか、書籍なら仏教思想のゼロポイントをおすすめ。
思想史的な観点をちょっとだけ補足。仏教は教祖である釈迦の没後、スリランカやミャンマーあたりに伝わったものが初期のノウハウを比較的色濃く伝えている。これは上座部仏教、南伝仏教、小乗仏教とか呼ばれてる。一方、中央アジア等を経由して中国に至るうちにかなりの変貌を遂げたのが、北伝仏教、大乗仏教とか呼ばれてる。日本の仏教は中国経由で伝わったもので、基本的に大乗仏教。輪廻転生は仏教のオリジナルのアイデアではなくて、インドやネパールあたりにもっと昔から根付いていたアイデア(輪廻転生だの神や悪魔だのの有無は、今生きているあなたが苦から逃れるために重要なことではないですよ、肝心なのは八正道の実践、ってのが仏教のスタンス)。天国地獄のアイデアはおそらく中央アジアあたりで仏教に混淆した。先祖の供養が大事みたいなアイデアはたぶん中国で混ざった。
好きな車というか、理想の車があったけれど、長らくそれを無視してそこそこの車だったのだが、事故を機に、いい車買ってしまおうと。買ってしまったらめちゃめちゃ楽しくて、それまでずっと人生がつらいとか、いろいろ思っていたのだが、それらも霧散してしまい、今まで何だったんだろうと思った。
ちょうど、交際相手ができたとたん治る鬱病に近かったのではないか疑惑が、立ち上がった。もともと男女交際にはあまり興味がなく、交際経験はもちろんないながらに、大きな不満もなく過ごしていたのだが、車を手にしたとたんすべてがバラ色に輝き始めて、正直、予想外すぎる興奮があって、これが、男女交際みたいな感覚なのかと、衝撃を覚えた。こんなだったら、こんなスイートな気持ちになれるのであれば恋人がほしい気持ちもわかる気がする。前のそこそこな車には悪い気もするが、車が変わってからめちゃくちゃ洗車してるし掃除機もかけてる。直感的なビジュアルやスペックがないと愛せないんだなと思った。
前はいろいろステッカーを貼っていたり、余分に飾り付けていたけれど今は素で何もかも完璧すぎると思って、ステッカーを貼りたい気持ちにならない。完璧な車が心から欲しかったんだなと思う。欲しいものは、買うべきだ!
とはいえ穴場車種でこれだけ満足できているのも結局は妥協点なのかもなと思うが、限りなく高めの妥協点を発見できたので、お得すぎる。もうあと何年かは楽しそうだ。金がかかっていてデザインも練られている車は、目に入るたびに脳みそが沸騰する。運転するたび感激する。こんなの初めてすぎる!好きなものは、買うべきだ!
今日も一日、あの社会に疲れ果てたわ。ワイのことを理解しようともしない、冷たい世界で何とか生き延びてる感じやで。低学歴で定収入、そんで気持ち悪がられるおじさんやってのがワイの立ち位置。正直、こんな生活、誰が望むんやろうな。
ある意味で、ワイとは正反対の存在がフェミちゃんや。彼女は生粋のフェミニストで、男を根底から憎んでる。女性が常に男性より優遇されるべきだという考えを持っているんや。ワイらがどんなに話し合おうと、根本的な部分で決して理解し合えないんやろうな。それが社会や世の中の全てに対するワイの憎しみをさらに深めるんや。
でも、こんな日々の中でも、ふとした瞬間に見える光がある。例えば、ワイとフェミちゃんが、たとえ一時的でも共通の敵に対して同じ立場に立つことがある。それが社会の不公平さに対する怒りや、権力の乱用に対する反感なんかや。そういう時、ほんの少しでも「ワイらも同じ人間なんやな」と感じる瞬間がある。
だけど、結局のところ、その一時的な連帯感もすぐに霧散する。ワイは再び社会や世の中への憎悪に回帰する。フェミちゃんもまた、自分の信じる正義のために戦い続けるんやろう。
今日もまた、この日記を書きながら、ワイは自分の居場所を探しているんや。誰かに理解されることを望むわけじゃない。ただ、この世界でワイがワイであるための意味を見つけたいだけや。
個人的に、芸術に意味もなく埋め込まれているロマンを取り去る作業をしている。
「美的センス」だのなんだのという言葉があるが、それは「細かい色使い」「線の置き方」「参照元の選別」だったりが、鑑賞者集団の何割に(各鑑賞者に与えられた被鑑賞物集団の中から)選考されるか、という意味合いの抽象的な、ただあるんじゃないかと仮定しただけの概念である。
そんな曖昧で、無数にいる鑑賞者が何の気無しに好き勝手に見てる被鑑賞物に左右されるようなものは「トレンド」の言い換えでしかない。「美的センス」なるものを「トレンド」の上に覆いかぶせ、気難しい芸術というジャンルをビジネスとして成立させようとしているのであれば、せせこましい姑息な努力に涙を禁じ得ないが、こっちとしてはそんな都合しったこっちゃない。
だから、それを、うすーい商売っ気を踏みつけながら成り立っている芸術ごと殺すために、制作過程をアルゴリズミックにするべきだ。しかしどうしよう。流行り物をコピーして機械的な変更を加え、配置する、それを複数回行って新しいモノを…。そんなものは、ただシンプルに行えばコラージュでしかない。少し複雑にしたらカオスだ。カオスラウンジだ。計算機を使った機械的な芸術の生産、できないことはないが、コラージュから出発してゴールまでの間にカオスラウンジという谷がある。
その谷に渡す橋が生成AIだ。私には虹色に見える。レインボーブリッジだ。
既存のものにごちゃごちゃ変更を加えたものを学習するという法や芸術の倫理をすり抜ける「機械的な変更」を備えている。機序からしてこれがゴールだといえる。
🔪
話はここで終わり。なぜこんなことをするのか?「意味」はあるのか?
お前は「言葉」に支配されている。「言葉」の指し示す先を見ず、ただその指を見つめている。「意味は何か?」は使うことのできない言葉だ。
「単語」や「慣用句」に使った場合は「私の代わりに辞書を引いてください」という21世紀なら発声が終わるまでの時間に自分でできることを他人に依頼する「無意味」な言葉になる。
「概念」や「行動」に使った場合「(多くの場合、言葉を発した者に対して)有益かどうか」ということを「世界共通のあらゆる物事にたいする公正な評価システムが存在し、それが高い指標を出してくれる、世界にとって有益な物事か」という質問であるかのように偽装して尋ねる言葉になる。これらはすべて「数億年後に太陽系ごと爆発して文明ごと霧散するが、それに意味はあるのか」という質問によって「無意味」なものにできるため結論はすべて同じになる。
そもそも質問者の利益になるかは、物事を観測して自分で判断すべきだし、被質問者の利益になるかは、かなり主観が入ってきて「北斗七星が十四星に見えるため、これは有益です」と理解しがたい主張をされて、納得するだろうか。
その「北斗七星が十四星に見える」のが何故良いかの仕組みを聞くことになり、それは終わらないエンドレスなぜなぜ分析であり、ハーグ条約に囚われない新機軸のJTCの拷問であり、衒学じみた古代の哲学であり、アトムを分解しようとして核爆発が起こり、「意味」ごと世界を壊し、つまりそれは禅の間違った横道であるからして、合法ドラッグなのであるから、言語道断なのである。
意味はない、役には立たない。私の言葉は間違っているか?もちろん間違っている。なぜなら「言葉」だから。芸術は「言葉」に頼らず原始的であるべきで、そうでないものは生成AIで破壊、代替、換骨奪胎できるのである。
つまり、私の破壊の後に残ったものこそが芸術なのである。そしてビジネスを1つ潰すだけのその行為に、意味はない。
一部の論理的な哲学には敬意を持っているが…他の哲学やってるやつらってマジで馬鹿なの?こんなガバガバの文章いくらでも論破できるだろ
普通にジャンプして着地したとき、相対速度で考えると、その人に対して、
地球の運動エネルギーが着地する瞬間のその人が落下する速度と同じだけの二乗掛ける地球の質量の半分だけ流れ込んでくることにならないんですか?
なるとすればそれは電車にひかれるより明らかにはるかに大きい運動エネルギーが人体にかかることになって木っ端みじんじゃ済まないはずなんですが、実際そうなってないということはこの運動エネルギーの考え方は間違ってるわけですよね。
どう間違ってるのか具体的に教えてくれませんか?一応高校物理は高校のころアクセスは全部解いて理解した経験があるぐらいには身についてるはずなんですが。
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地球自体がこちらにジャンプの速度で迫っているならそうなるでしょうが人間側から近づいているので地球にほとんどの力が流れまし地球は動いてないので人間側に地球の質量の半分が流れる事はなく地球内で人間の質量の半分のエネルギーが霧散して終わります
電車なら電車が人間にぶつかったとしてもそのダメージは電車にはほとんど行かず人間にエネルギーが流れる為ですね
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人間側から近づいているってことと地球側から近づいているってことは物理的には同値じゃないんですか?同値じゃないとすればどうやって区別するんですか?
人間からみればまさに地球がこちらが着地する速さで近づいてくるわけじゃないですか。
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運動エネルギーがあるかどうかですね
人間側がエネルギーを持っているのでそのエネルギーを地球にぶつける事になるので
人間にぶつかっても人間には地球に当たり反発した一部のエネルギーしか帰ってこないわけです
その為地球と人間どちらがエネルギーを持っているかの違いでダメージに大きく差があるわけです
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でも、人間の質量をm、人間が着地したり電車と衝突するときの速度をv、電車や地球の質量をMとしたら、自分の理解してる範囲で公式を適用すると、人間が持つ運動エネルギーは(mv^2)/2、電車や地球が持つ運動エネルギーは(Mv^2)/2です。
人間と電車の衝突と、人間の地球に対する着地は、数式上は等価に思えます。
そうでないとすれば、そもそも公式の適用の仕方に対する先生の教え方が不適切としか思えません。こう理解してる人は私以外のも絶対一定するいるはずです。そういういわば「理解の本質」を問う問題を出さないから点は取れるというだけでね。
歯が全部抜けて口の中モゴモゴしてたり、数本抜けたり、抜けそうなくらいぐらついてたりする。
歯が砂みたいに霧散?して口の中ザラザラになった夢は最悪だった
ゴミ袋が積み上がってる部屋のゴミ袋の隙間からガリガリになった猫がか細く鳴きながら出てくる。え!?飼ってた???飼ってた!!え!?なんで私忘れちゃってたの??ごめんねごめんね……と謝りながらご飯あげたり病院に連れていく所で夢が終わる
ペットは飼ったことがないし、部屋も綺麗な方でゴミ袋が積み上がってるなんてことは人生において無いのにリアリティがあって怖い。
また歯並びがガタガタになって歯列矯正したのに……と落ち込む
勉強してない、練習してない、暗譜してないのに本番になる。現実ではそんなことは無かったしそんな心配もしたことがなかったのに大人になってから見るようになった。焦る。
他の人のよく見る夢も知りたい