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はてなキーワード: 生活文化とは

2018-06-13

anond:20180613111441

日本治安生活文化レベルがかなり高いので、その高さを前提にした習慣がたくさんある。

たとえば、ある商品を売ってる(牛丼でもティッシュペーパーでも良い)企業があったとして、モンスタークレーマー(たとえば、店頭で俺には500円で二杯の牛丼をよこせと暴れる人)が出た場合、下手に時間をかけて処理する(人件費という形で対策費用を消費する)よりも、素直にもういっぱい牛丼を与えたほうが、金銭的には合理的判断になる。

モンスタークレーマーに二杯の牛丼提供しても、大多数はそれに追随しないまっとうな顧客なので、そういう判断が成立するわけだ(みんなが2杯要求し始めるのならば、どこかでその悪循環を断ち切る必要があるが)。

モンスタークレーマーがたべている二杯目の牛丼コストは、では誰が負担しているかというと。最終的には価格に薄く載せる形でまっとうな顧客負担している。

良識ある市場では、以上のように「良識のない顧客のほうが結果的に大きい利益を手にして、善良な顧客が彼らの悪行の負担を背負う」状況が発生する。万引き犯の与えた損害を回復するために、書店がどれだけそれ以外の本を売らなければならないかという悲劇はよく聞くけれど、それはまだ犯罪から法的な対処可能で、犯罪ではないケースでも、上の牛丼店のような話はいくらでもある。

金銭的以外の話に目を向けると、こういう状況が長く続くと、「あれ? 邪悪顧客のほうが得をするのでは?」と多くのユーザー気づき始める。「社会良識私的損得」である場合モンスター的な要求抑制されるが、しきい値を超えて多くのユーザーが「私的損得>社会良識」と判断したとき社会雰囲気は激変する。これがいわゆるモラルハザードだ。

元増田記事で指摘した様々な兆候は、このモラルハザードの初期徴候黄色信号だと考えれば、理解やすいのではなかろうか?

2018-06-09

コモンズ問題

anond:20180609114041

それはコモンズ問題社会を維持するためには様々な物が必要で、そのひとつコモンズ社会参加者の行動規範もあたえるし、法や制度にまで落とし込まれていない福祉とか地域社会の維持とかもコモンズに寄りかかっている。「みんなが当然だと思ってるから機能している無形のインフラ」はおおよそコモンズ

もちろん町内会PTAのように徐々に時代とそぐわなくなる慣習やコモンズもあるんだけど、公園きれいなのも、人気のラーメン屋行列ができるのも、コモンズのおかげ。

これがあるからみんなが快適に暮らせているわけなんだけど、これって参加者がそれぞれに行動自制や労力を持ち寄ってるから維持されてるわけ。コモンズによって生きていられるのだから、その維持には全員参加で貢献しなければならない。

日本比較的恵まれてて豊かな先進国なのだけど、その居心地の良さはコモンズが強力であることが背景にある。悪い方面で評すれば同調圧力だけど、良い方向に評すれば謙虚几帳面生活文化があるから。金払ったんだから俺らはお客様だぞー! なんてサッカースタジアムうんこゲロ撒き散らかしたりはしない。

んでまあ、コモンズは前出したように「みんなが心地よく過ごせるという利益を得ているんだから、みんなも維持に貢献しましょうね」って理屈で動いてるんだけど、それを、子どもに言い含めるように理屈抜きで感情駆動にした表現が「日本は良い国、愛そうぜ」ってものだ。

から本質的には愛情必要ない。愛情なくただコモンズの維持に貢献すればいい。でもそれって普通人間精神には難しい。参加コミュへ「参加している意識」が必要で、必要ならば愛着心とか向上心とかあったほうがずっと楽で、多くの場合まっとうだ。愛国心はそこまで必要じゃないけれど、社会貢献は必要だ。

「法に反しない範囲であるのならば暗黙の前提や協定であるコモンズなんて破ってもOKだ」という人間がいるけれど、じゃあ、彼らはコモンズから利益を得ていないかというと、得ている。秩序ある社会利益万民にとって有益から。なので、そういうことを言う人は「社会維持観点でのフリーライダー」だとみなされる。

近年、経済的に厳しさを増す中で、ベンチャー企業オーナー発言などが合理主義に偏りすぎて、この種の「コモンズに対する搾取」方向になったりして炎上する(法的には無罪なんだから何言っても/何やっても良いだろう系)。また移民が増えれば、彼らは日本旧来のコモンズ維持の習慣なんかは学習していないわけだから、当然日本コモンズへ貢献しない(でも清潔や安全や信頼ベースの商習慣などの利益は得る)。そういう光景日常化して、世間でも、コモンズの維持に敏感になってきているように思える。日本的に言うと「これだから他所者は信用できない」だ。

愛国心を求めるような言説はその文脈に従って理解されるべきだと思う。要するに大事なのは地域社会の心地よさなんだから、そこに参加して貢献すればそれでいいだけだ。

2018/06/10 13:44 追記

なんかブコメいっぱいつけてもらったんで、補足を追記。上記生地は裏返しても成立する。つまり「国を愛する精神を声高に叫んでも、地域社会の維持に貢献しなければコモンズ的にはタダ乗り」。素人Web論壇みたいなのが花盛りで、そういう「愛国心だけをさけぶひと」が可視化されちゃったのも不幸なことだと思う。公共の場所はきれいに使う、列の割り込みはしない、軽挙妄動せず災害に備えて準備する、子どもがかけだしたら安全に注意する。別に大した話じゃないのに愛国なんとかで締め付けるのは窮屈。良い文化は捨てる必要ないよ。

2018-05-05

そろそろ「『昔のモノを知らない若者』に驚愕する奴」に名付けしろ

SNSとかで「教え子が~知らなくてビックリ!」とか「部下が~知らないらしく隔世の感」とか

いい加減ウザいんだよ

若者が昔のモノを知らなくて当たり前だろ

1020年前の生活文化義務教育じゃねーんだぞ

それをお前ら「年寄り」が若者に教えもせずに知ることが出来るとかエスパーじゃねえんだぞ

勝手にたまげてろ


なので、悪名高い「嘘松」みたいに一言でこいつらを表す単語を考えたい

意見求ム

2017-11-13

選択夫婦別姓に冷静に反対しよう

選択夫婦別姓に反対していこう。

効率的・実務的側面から反対
文化的歴史的側面から反対

①.効率・実務

 西暦2015に最高裁が「選択夫婦別姓却下」と判断を示しました。

これを受けて原告団長の塚本協子さんは「判決を聞いて涙が止まらなかった」

「『塚本協子』として生きること、死ぬことができなくなりました。」と述べました。

 しかし待ってください。それって法律解決しなくちゃいけないことでしょうか?

 真犯人名前を教えましょう。旧姓で呼んでくれない職場旧姓で呼んでくれない銀行旧姓で呼んでくれない葬式

 やつらです。

 数年をかけて裁判を何度も起こすより! 三井住友銀行毎日クレームを送りましょう。

 この投稿を見たら「ペンネームでも簡単に口座が! マイナンバーを持ってお近くの銀行へ!」のキャンペーンをしてください。

 「パスポート名前を記入させないで」とお便りを送りましょう。

 年賀状なんてやめて、外務省とか東京都生活文化局とかに絵葉書を送りましょう。

 「佐藤から始まる同姓同名なんてたくさんいるんだから本日は晴天なり』と自筆記入させてくれませんか?」と添えて。

 サイボウズ社長の青野さんは理不尽にもこう言っています

子供の姓はどうするんだ」

今回の訴訟では、子供の姓のルール改正は求めていませんので、「結婚時に決めた戸籍筆頭者の姓に統一する」だけです。もし、別のニーズ子供は新しい姓にするとか)が発生したら、また時代に合わせて改正検討すればいいと思います海外のように、両親の名字をくっつけて子供の姓にする時代が来るかもしれませんね。「ますだおかだ」とか。

 みなさんには役人友達がいませんか? みなさんの友達は泣いていませんか?

 「鈴木佐藤結婚するだけで『鈴木』『佐藤』『鈴木佐藤』『佐藤鈴木』『鈴佐』『鈴藤』『佐木』『木藤』とにかくたくさんだ!」

 ただでさえ無駄の多い役所仕事無理難題要求するのは、みなさんの反対するところではありませんか?

 そもそも戸籍本名だと神様が決めたわけではないのです。

 戸籍戸籍本名本名です。

 選択夫婦別姓は結局、戸籍にしがみついているだけですから最高裁が別姓を認めてくれたところで無意味です。

 子供名字は、親の名字は、先祖名字は、友達名字は……。戸籍に全てを任せようとしてしまます

 選択夫婦別姓の先にあるのは、子供が「父親名字になりたい。母は要らなかった。戸籍を変えたい」と訴訟を起こす未来です。

 私たちの涙は止まらなくなるでしょう。

 効率的・実務的に言って役所をただ混乱させるだけの選択夫婦別姓制度には断固反対していくべきで、

 「そういえば所ジョージさんって芳賀隆之って戸籍上なってるらしいですが、所ジョージの方が本名って感じがしません?」と不動産会社の人に言いましょう。

 選択夫婦別姓なんて結局、子供名字をどうするのか決めなくちゃいけないんですから

 社会は何も悪くありません。悪いのは会社です。

②.文化歴史

 既に主旨は述べましたが、ではどうして戸籍擁護するのか整理させてください。

 みなさんもご存じの通り、夫婦別姓というのは極めて男女差別的な側面があります

 日本は長いこと、夫婦別姓の国でありました。

 中韓現在夫婦別姓であるように、極東では女性家族の中でただ一人、男の姓を名乗ることを許されないものでした。

 子供と同じ名字を名乗ることができなかったのです。

 そこで明治維新の頃、列強ルール「妻は夫の名字を名乗る」という先進的な男女差別へと乗り換えたのが日本です。

 名字の話をするだけで昔の各国のパワーバランスの話になりました。

 名は……ちょっと土地を変えれば全く違う理論で働いている、とても価値のあるものです。年輪です。地層です。百科事典です。

 ロシアには「父親名前が、子供自動的に足される風習」があります。「父称」で検索

 プーチン大統領は「ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチン」という名ですが、ミドルネームにあたる「ウラジーミロヴィチ」は父親から来ています

 砕いて言うと「ウラジーミルウラジーミルの子の、プーチン」です。ウラジーミル・プーチンの父もウラジーミルだとミドルネームに書いてあるのです。

 父親子供名前が同じというのは日本からすると変かもしれません。

 しかし「名前無頓着名前」は世界的には多々あることで、マクドナルドは「ドナルドの息子」という意味だとされています

 マクミランは「ミランの息子」、マッカーサーは「アーサーの息子」とされています

 名は文化歴史的価値のあるもので、善とか悪とかそういう尺度で語るべきものではありません。

 日本では源義経牛若丸だし、豊臣秀吉は羽柴藤吉郎だし、鳳凰院凶真は岡部太郎だし……。

 名は大切なものではありましたが、そのせいか代わりの名前がぽんぽんと出てくるものでありました。

 大切な名、名字戸籍。これは財産ではありませんか?

 選択夫婦別姓の先にあるのは「寿限無」や「ピカソ」のように長い長い名前です。

 「親のせいで俺の名前120字以上になった! ツイートできない!」となります。 

 そういう一般的人間ユーモア役所仕事というのは相性が悪いものです。

 名乗りたい名前があるなら自由に名乗ってくれて構いません。それが国民の総意になる未来もあるでしょう。

 戸籍とは別の本名という風習が起きるかもしれません。

 しかしそれはともかくとして国がきちんと古くさく管理するのを許してあげてくれないでしょうか?

 そうしてきちんとされたものが百年先、千年先にどう解釈されるのか私たちには全く想像できないのですから


余談

 選択夫婦別姓には明確に全国民が反対すべきです。

 一方で「夫婦は夫の名字が九割以上」の現状はもうちょっとどうにかなってもいいんじゃない

 訴訟、待ってます

2017-10-12

このフィクションはあの時代なら許された。今は許されない。とは

最初に、ほもおだほもおの件については少し違う認識を持っているので、これから書くこととは合致しない。

例えば10年前の作品の男が超セクハラ野郎であり、でてくるヒロインセクハラしまくりだったとしよう。

それを「今なら許されないよね」という人が居たとしよう。

さてここで許すのは誰なのか。はてさて。誰にも許されずとも、その作品存在しており、この議論をしている時点で過去事象である

この作品で傷つけられた人が訴えたとしよう。そこにはたしかに「許す側」と「許さない側」が存在するのであり、この議論は成立する。

しかし許す人も許さない人もいない中、その問題提起。そこから話題の広がり方。結末の見えない議論。そこになんの意味があるのだろうか。

……と、書くと投げやりで、それこそ問題提起だけしてあとは放置の昨今のネット社会のままなので無理やりまとめてみよう。

「愛している」という言葉を知っているだろうか。大体の人は知っているだろう。言葉意味を知らずとも、言葉は知っているはずだ。

人は「愛」を曖昧ものと言うが、「愛」という概念キリスト教とか仏教漢字だし)から入ってきたもので、初めて愛が日本に来た時、確かにそこに形はあったはずのもので、それを日本人いまいち理解きぬまま使い続けてきたことにすぎない言葉である

日本に無い概念が未だに存在するように、日本にあって海外に無い概念もある。

それは黒と白をハッキリしない。灰色。つまりグレーの精神だ。

説明せずとも分かると思うが、YES、NOが無い日本人というのは話題になったことがあるだろう。

日本人も年々白黒の傾向が強くなるものだと思われるが、現時点においてはその色はまだ薄い。

なぜこうなってしまったのだろうか?ある考察によれば日本人生活文化が大きく影響しているそうだ。

日本家屋は、ふすまである。隣りの部屋との壁は薄いし、大きな部屋をふすまで仕切るため、廊下を使わず他人の部屋を通っていく。

人と人の距離曖昧だ。区切りが無い。これはつまり個人」という概念が薄いということになる。

仲間として生きるために見て見ぬふりが得意になる。なんでも白黒つけていたら、「個」が無い日本人はただただ一人ぼっちになり、生きられない。

ここからまれ日本人協調性と呼ぶこともできる。

グレーは、日本で生きるために必要ものなのだ。今はどうか。まぁ、やはりまだ必要なのだろう。

話を戻そう。

このように、日本人は白黒つけないのが大好きなのである。そういう文化であり、血だとも言える。

から、「問題提起」を投げかけるネット。答えを出さなネット。どれだけ怒っても正当にデモなど行動もとくになにも起きない。

白黒つけず灰色で終わる。これはとても日本人らしいものではないだろうか。

さて、まとまらずに終わるが(グレーをさらにぼかしただけの話になった。)

最初に書いた話についての意見としては「日本人なら男とか女とかはっきりさせずグレーゾーン作ろうぜ、どっちでもいいだろ」が個人的感情

ほもおだほもおというネーミング時点でアウトだとは思うが、例えば今後、おかしな女っぽい男がコントで見られなくなるんだろうか?という疑問。

「変なおっさん」「変なおばさん」「アスぺ」はコントになるのに。「変な性別不明」はダメなのか。

しかし、ここまで考えても別にとくにどうでもいい。フィクションなんてどうせその時その時で形を変えていくし、生まれた時点で過去のものだ。

どうでもいいことに、許すも許さないもなく、しか無視するでもなく、問題提起を促す。

グレーな増田であった。

2017-08-30

遺書

生きるのがつらい。

他人死ぬなというだろう。所詮死にたいほどのつらさなんて理解できないからそう言うだけ。

お金をくれるとか、手伝ってくれるとか、具体的な手助けをしてくれる人はまずいない。

感じ方は人それぞれ。朝起きる、ただそれだけがつらい人だっている。1日ごろごろしていられないのがつらい人だっている。

だって怠けるなと叱るだろう。

何でもないようなことを、死にたいほどつらいと感じている人間もいるのだ。

死にたがる人間に対して、文句も言わず養ってやれるような社会にならない限り、自殺はなくならない。

首吊り果たして本当に楽な方法なのだろうか。

ぶらさがり健康機を買って、ロープを用意し、モヤイ結びを習得しておく。

遺体処理がスムーズに終わるよう、3日前から断食と、床にシートをひくことを心がける。

可能な限りのクレジットカード銀行口座は解約し、遺書を用意しておく。

私はまだ死ねない。でも時々どうしても死にたくなる時があり、死にたいならいつでも死ねるというのを心の支えにして今を生きている。

もし本当に、首吊りが楽な死に方であるならば、生きるのがつらいような人間はみんな、首を吊って勝手に死んでしま社会いいんじゃないかと思う。

死ねばいいような私を妊娠させ、子を生ませ、まるで普通の嫁のように扱う夫が憎い。

私のような者が親になってしまい、なんとか子には幸せ人生を歩ませたいと頑張ってきたけれど、受け継いだ遺伝子生活文化というのは努力で変えられるものではない。

もちろん、子が高校卒業するまでは、親として出来る限りの努力をするつもりである

しかしその先、子が生きることに苦悩するのであれば、私にできることは、首吊りはつらくないということを身をもって証明してやることくらいなのではないかと考えている。

2017-05-12

http://anond.hatelabo.jp/20170512112108

理屈はわかったけど

貧困の形がマジで前世代的じゃね?

親は、年収200万円台の世界暮らしているので、未だに「女性が一人で働いてそれなりの年収が得られる」という現実をわかってない。

家事が下手で愛想もない娘は半人前以下のクズだと思っている。

で、素直な親孝行の良い子は、勉強より家事を優先するし親のために早く就職する

今は異なる社会階層生活像にもアクセスやすくなってるし

そこへいくためのパスも賢い(まさにあなたのいう地頭的なほうの意味)子なら自分イメージして調べられるよね?

年収200万円の世界ではどんなに頑張っても年収400万円にはならない。

年収200万円の世界では年収500万円の男とは不倫相手としてしか接点がない。

これも今は色んな接点を造ろうと思えば作れるよね?

そこで若さを換金…って言い方はアレだけど

彼女いないけど仕事はちゃんとしてるタイプの男捕まえたらそのまま結婚できそうに思えるけど甘いのかな

付き合ったり暮らしたりするとなると生活文化の断絶とかあんのかな

2017-04-28

この国で若者と中高年の常識が大きく異なるのは「社会教育」がないか

AEDで人命救助したら周囲に痴漢扱いされて事情聴取受けたっていうツイートを読んで思った。

この国には社会教育の場がほとんどない(他の国にはあるぞ中世ジャップ! という話ではなく、少なくともこの国にはないが他は知らないという意味)。

学校教育の手を離れると、会社研修くらいしか知の更新が行われない。

会社研修生活文化のものはだいたい若いころに受けることになる。

運転免許証更新ですら、AEDの講習が必須なのは二種のみである

人類最強の殺人兵器使用する免許もらってるのに、取得のときに講習を受けなかった人たちは未だにその知識がない。

基本的応急救護知識だって更新ときアップデートどころか再確認すらされない。

30歳までに得られなかった知識って、能動的にならないと得られないよね。

2017-01-14

http://anond.hatelabo.jp/20170114155348

明確な目標があるのに、もったいない

ネットだと、情報が多すぎるのかな

javascriptかな?と思ったけど、ruby

ifもforもでてこなくてスマ

eachが形を変えたforです

いろんなとこからコピペ量産して、2時間近くかかりました^^

api取得はすぐだったけど、json、hash、arrayでごにゃごにゃ)

rubyソース

# ライブラリ
require 'net/http';
require 'uri'
require 'json'

# 検索文字
$q = 'http://ci.nii.ac.jp/books/opensearch/search?q=%E7%B3%9E&format=json'

# web-apiから取得
# https://support.nii.ac.jp/ja/cib/api/b_opensearch
def search(q)
    uri = URI.parse(q)
    json = Net::HTTP.get(uri)
    result = JSON.parse(json)
end

=begin
取得データ1件サンプル
{"title":"糞土",
"link":{"@id":"http://ci.nii.ac.jp/ncid/AN00094249"},
"@id":"http://ci.nii.ac.jp/ncid/AN00094249",
"@type":"item",
"rdfs:seeAlso":{"@id":"http://ci.nii.ac.jp/ncid/AN00094249.json"},
"dc:date":"1953",
"dc:creator":"糞土会",
"dc:publisher":["糞土会"],
"prism:publicationDate":"1953",
"cinii:ownerCount":"8"},
=end

# データ整形
#
# 入力データ構造
# {"@id":"http://ci.nii.ac.jp/books/opensearch/search?q=%E7%B3%9E&format=json",
#  "@graph":[ { "items":[ ,,,
#
# 出力(ハッシュ)
# {title => dc:date ,,, }
def format(hash)
    title_date = Hash.new

    # ハッシュキー"@graph"の値の配列の先頭のハッシュキー"items"のハッシュ配列を取得
    items = hash['@graph'][0]['items']

    # タイトル出版年を取得して、戻り値ハッシュへ追加していく
    items.each do |item|
        title = item['title'].chomp
        date  = item['dc:date']
        title_date.store(title, date)
    end

    return title_date
end

# 並び替え
def sort(hash)
    hash.sort_by do |key, value|
        value
    end
end

# 出力
def print(hash)
    hash.each do |key, value|
        puts "#{value}年 #{key}"
    end
end

# メイン関数
def main
    # web-api検索して、
    result1 = search($q)
    # データを整形して、
    result2 = format(result1)
    # 出版年で並び替えて、
    result3 = sort(result2)
    # 出力する
    print(result3)
end

# 実行
main

rubyスクリプトの実行結果

C:\Users\unko\Desktop\prog>ruby webapi.rb
1848年 人欲辨 (じんよくべん)
1870年 雀糞論説
1920年 青瓷説
1933年 管内ニ於ケル鶏糞ノ利用状況
1947年 糞尿譚 : 小説1953年 糞土
1955年 黒い裾
1955年 形成
1959年 石糞
1972年 糞 : 海田真生個人文芸誌
1972年 乳幼児糞便図譜
1987年 糞尿と生活文化
1991年 皇居と糞尿と大嘗祭 : 皇居「糞尿」裁判を支える会ニュース
1995年 糞袋
2000年 糞尿史 : 遷都は糞尿汚染からの逃避だった
2005年 「糞尿」大全
2007年 糞虫たちの博物誌
2008年 うんちのはなし : う~んとげんきになる
2009年 糞神

2016-06-26

http://anond.hatelabo.jp/20160626221818

ネットでいろいろ話を聞くとしょっちゅう対人トラブルが起きるという話らしいけれど、実際どうなんだろう

そりゃあ今までの生活文化の違う者同士が一緒に住めばいろんな問題も起こるもんだと思うし

2016-01-19

http://anond.hatelabo.jp/20160119115529

それなら子供は作れないわけで結婚する意味は無いな。

は?意味わからん

・何故子供作れないのか

・何故子供作らないと結婚する意味は無いのか

底辺だってもっと底辺の女とくっつくのが一般的

底辺ていうのが何を指してるのかわからないが

まるで常識生活文化も低すぎるDQNならイケメンでも駄目だろうが

イケメンキャリア収入微妙な男なら

高収入な女とはいい組み合わせでwin-winがありうるだろ

まり高学歴女は誰からも求められていない。

なんか頭いい女にコンプレックスでもあんのか?

2015-11-13

1996年援助交際調査

996年では、都内高校生の12%が援助校愛の経験があったとの調査結果が発表されたらしいので調べてみた

ツイッター上をうろうろしていたらこんな書き込みを見つけた。

国連調査官が発表した援助交際統計は古いだけかもしれない。1996年では、都内高校生の12%が援助校愛の経験があったとの調査結果が発表された。日本政府の抗議は「統計が古すぎる」ということか?(Guardian 1996)

https://twitter.com/jakeadelstein/status/665007114234933249

話題のアレですね、という事で軽く調べてみた。

記事のものは見つかりませんでした

"schoolgirls pander to Lolita fantasy"というタイトルらしく色々と探してみました。

見つかりませんでした。

まぁ1996年12月記事ですしね。予想通りと言えば予想通り。

ただそれと思わしきもの引用して書かれた著作やブログは見つかった為、記事のものは確かにあったぽい。

女子高生文化援助交際宮台真司

で、そのブログがこちら。

The History of the Gyaru - Part Two

http://neojaponisme.com/2012/05/08/the-history-of-the-gyaru-part-two/

neojaponismeという日本の文化のあれこれについて考察している所みたいでして、件のSchoolgirls pander to the Lolita Fantasy.を引用して書かれたのがこのThe History of the Gyaru - Part Twoらしいです。

で、文明の申し子ググルさん翻訳使用してみたところ援助交際12%という数字は出てきませんでした。残念。

はいえ気になる事も書かれていて。

……宮台真司

から追ってみました宮台真司

で、見つけたのがこちら。

Teenage Japanese fashion victims

http://www.smh.com.au/daily/archive/961214/features/141296-features4.html

The Sydney Morning Heraldというオーストラリア日刊紙1996年12月14日記事。古くてそのままじゃあ見れないのでインターネットアーカイブに突っ込んでみました。

その中で気になったのが、

1996年調査と言うところで上のNYタイムズと一致しましたしこれは根元は一緒だなとピンッときましたね。

1996年東京都生活文化局が行った青少年調査

で、見つけたのがこちら。

『モノグラフ高校生』vol.52

http://a111.g.akamai.net/f/111/143111/15m/benesse1.download.akamai.com/143111/j/monographpdf/3/3-vol-52.pdf

要は高校生援助交際に対する意識調査レポートでそこに1996年調査数字判断材料して書かれていました。

曰く、

……コレ根元だ!

結論

色々調べた結果がこちら。

おまけ

どこいったの8%

2013-11-16

日本ユニセフ生協

組織が大きくなって、扱う金も大きくなるといろいろと利権が生じる。

小野寺まさる?@onoderamasaru

東日本大震災募金では、日本ユニセフ協会生活支援物資の殆どを“生協から調達を

>していた。しかも仕入価格は異常に高く、又「可能な限り被災地に近い業者から物資を

>購入する」との意図は欠片も無かった。

>因みに、日本ユニセフ協会の各地区の支部の事務所はその殆どが全国各地の“生協”内にある。

https://twitter.com/onoderamasaru/status/400778471367901184

日本ユニセフ協会協定地域組織所在地の特徴をまとめてみた

http://togetter.com/li/590632

北海道ユニセフ協会 コープさっぽろ本部2F

宮城県ユニセフ協会 みやぎ生活協同組合

茨城県ユニセフ協会 茨城県生活協同組合連合会

埼玉県ユニセフ協会 コープネット事業連合

千葉県ユニセフ協会 コープネット事業連合

岐阜県ユニセフ協会 生活協同組合コープぎふ1階

石川県ユニセフ協会 石川県生活協同組合連合会

三重県ユニセフ協会 三重県生活協同組合連合会

兵庫県ユニセフ協会 コープこうべ生活文化センター4階

香川県ユニセフ協会 コープかがわコミュニティールーム内

愛媛県ユニセフ協会 コープえひめ

2013-07-03

http://anond.hatelabo.jp/20130703153320

田舎で生まれて死んでいく人には理解出来ないだろうし理解する必要もないんだろうけど

今時「地縁」て。

まー同じ日本国内つっても生活文化別世界ってことだね。

2013-05-10

http://anond.hatelabo.jp/20130510210555

それはね。

本を読むというのは習慣や生活文化であって、その習慣がない人は論理的思考能力が落ちるからなんだよ。

本を読む習慣がない両親から生まれた子どもは、習慣のある両親から生まれた子どもよりも明らかに知能発達が遅れるという研究もある。

日本ではまだそこまで問題にはなってないけれど、格差が固定しだした欧米ではこれは社会問題になってるんだよ。

2011-09-06

仮名(pseudonym)に関する議論 by ジリアン・ヨーク

EFFのこの記事をざっくり訳した。訳の正確さはまったく保証しない。素人の雑な訳です。ちゃんと読みたいひとは原文参照すること。pseudonymはとりあえず「仮名」にした。

A Case for Pseudonyms (Commentary by Jillian York)

https://www.eff.org/deeplinks/2011/07/case-pseudonyms

pseudonym (スードニム) 名詞:著者が身元を隠すために使用する架空名前ペンネーム

個人が生来名前とは別の名前を使いたいと考える理由は無数にあるだろう。生命や生活への脅威への配慮もあるだろうし、政治的、経済報復へのリスクがあるかもしれない。人種差別の防止を望んでいることもあるだろうし、生活文化圏で発音や記述のしやすい名前を使うこともあるだろう。

オンラインではさらに理由は増える。インターネットカルチャーでは、オフラインでの人格と結びついているかもしれないし結びついていないかもしれない「ハンドル」や「ユーザ名」を使うことが長い間推奨されてきた。古くからオンライン住人のなかには20年以上使っているハンドルを持つものもいるだろう。

仮名での発言は歴史的にも重要役割果たしてきた。ジョージ・エリオットマーク・トウェイン文学的偉業、ザ・フェデラリスト論文でのパブリアス政治的主張、18世紀ロンドンでのユニウスのパブリックアドバタイザー紙への寄稿。人々は仮名の下で公の論議に大きく寄与してきたし、今日に至るまでそれは続いている。

Google+の身元確認ポリシーからオンラインプラットフォームにおける仮名性に関する新たな議論が持ち上がってきた。Google+ユーザに「友人、家族、同僚が普段呼ぶ名前」を使うことを要求する。このポリシーは、Facebookの「本名と実情報提供せよ」という要求と似ている。Googleポリシーは、Google+の開始から数週間で同コミュニティーの内外両方から大きな注目を集め、ソーシャルプラットフォームアイデンティティに制限を加えるべきかどうかという議論に火をつけている。「Skud」という名前を使っていたことによりGoogle+から追い出された元Google社員、キリリー・“Skud”・ロバートの詳細な記録によれば、すでにかなりの人数のGoogle+ユーザがこのポリシーに基づくアカウント停止を受けている。

ソーシャルプラットフォームでの「実名」支持者は多くの論点を示している。実名ユーザの行動を改善し、より文化的な環境を生み出す。実名であれば攻撃者を追求することが容易になるのでストーキング嫌がらせを防ぐ助けになる。実名ポリシーがあることで、ユーザ監視のために当局がサービス内部に「侵入する」ことを防げる。実名によってユーザは行動に責任を持つようになる。

これらの論点にまったく意味がないわけではないが、問題を間違った方向から議論している。厳格な実名ポリシーの支持者は、実名使用を主張するポリシーに良い面が一つあることを示せばいいのではない。彼らはこれらの利点が、いくつかの非常に深刻な問題より重要であることを実証する義務がある。

例えば、数千人の人々が1月蜂起に参加するきっかけになったFacebookページ「We Are All Khaled Said」を作成した著名なエジプト人、ワエル・ゴニム氏のことを考えてみよう。ページが作成されたのはハリド・サイード警官によって殺害されてからすぐの2010年夏だったが、ページが本当に勢いを得たのはその年の後半だった。しかしその後も抗議運動の中で存在感を得るのは難しかった可能性もある。2010年11月管理者(今ではゴニム氏だと知られている)が仮名を使っているとの報告によってこのFacebookページは停止された。Facebookは「身元の明らかな」人物が介入することによる解決を提供することができたが、ゴニム氏はFacebookスタッフと連絡をとって解決することができたためこの件は非常に特殊な事例となった。誰もがこのようなコネクションを持っているわけではないし、アカウント停止に抗議する方法を知らないことでどれだけ多くの人々が無視されているか知るすべもない。ゴニム氏のケースでは実名を使うことは深刻な危険を伴っていた。仮名であれば安全という保証があるわけではないが、仮名は当局による活動家の追跡を大きく困難にする。

個人が本名以外の名前の方が安全に感じられる理由は無数にある。例えばLGBTコミュニティティーンエイジャーはオンラインでいつも嫌がらせを受けるので仮名を好むかもしれない。政府のために働く配偶者パートナーを持つ人や生活を隠したい有名人は、オンラインでは別の名前で行動するほうが安心だと感じるかもしれない。家庭内暴力から逃れている人は加害者から発見されないために、部分的または全面的な別名の使用を望むかもしれない。非主流派の政治見解をもつ人は仮名を使うことによって生活を危険にさらさずに済ますことを選択するかもしれない。

マッキンタイア対オハイオ選挙委員会裁判でジョン・ポールスティーブンス最高裁判事が提案したとおり、

匿名性は多数派による暴虐からの盾である。よって匿名性は権利章典、また特に米国憲法修正第一項の本来の目的不寛容社会において個人を報復から思想を抑圧から守ること、を体現している。匿名である権利詐欺行為に悪用されるかもしれない。政治発言はその性質上、時として不愉快な結末を迎えるが、一般的に我々の社会言論の自由の悪用による危険よりもその価値に重きを認める」

「本当の」名前を使うことと同様に、「本当の」名前の使用の強制も、考えを明らかにすることによる被害を恐れる人々によって対話から排除されるという、現実的な結果を招く可能性がある。実名が対話の「文化度」を上げるかもしれないことに価値を見出す人がいる一方で、それは間違いなく多様性を損なう

ギークフェミニズムブロガーたちは、実名ポリシーの被害にあっている人々Wikiにまとめることで、個人がなぜ本名以外の名前の使用を許されるべきなのか何百もの可能性ある理由を示している。このリストに示された多くの例が安全のために仮名を使用している危険に晒された人々を説明しているものの、他にも仮名を選択できるべき重要な理由がある。

Michael Anti氏の例を見てみよう。彼の本名Jing Zhaoで、中国人ジャーナリストだ。おそらくは何者かが生来名前を使っていないと報告したことによって、2011年1月に彼はFacebookから追い出された10年近くニューヨーク・タイムズ等で「Michael Anti」のペンネームを使っていたにも関わらず、Facebook実名ポリシーの厳格な強制を主張した。

Google+でも、誤判定があるとして、アカウントの即時停止ではなく、ユーザに警告を与え名前を変更する機会を与えるように処理手順を変更すべきだと促す動きがでている。

「本当の」名前を要求するポリシーを大規模に実施するのはほぼ不可能だし、多くの例が示すように強制は著名人や敵を持つ人々に対して不当に使われることが多く、またそれはコミュニティ監視機構の結果として生み出されやすい。

GoogleであれFacebookであれ、その他の企業であれサービスに適合していると思われるポリシー作成する権利がある。しかしこれらの企業多様性表現の自由犠牲にしておきながら、「実名ポリシーがより文化的な態度を生むと主張するのは浅はかだ。「本当の」名前を要求するポリシーへの移行はオンラインでの表現の自由を萎縮させるだろう。

 
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