はてなキーワード: まやかしとは
パンとサーカスって言うけど、人生で大事なものにパンとサーカス以外は無いだろって思う。なんか愚民の目を政治から逸らすための餌的なニュアンスらしいけど。
人はパンのみにて生きる訳ではないけど、あとはサーカスさえあれば十分でしょっていう。食って寝るだけの人生を良しとする、しなければやってらんないようなブッディストめいた人間もいるにせよ。
というかおれはむしろパンすらもサーカスを楽しむための従属的な存在と思ってる。まあ飯食うの寝るのも、単に生存の手段を超えて結構重要視されがちな楽しみだったりするけど。
サーカスっていうとなんかアレだけど娯楽という意味で言えば、愛とか存在意義への問いとか自己実現の欲求とか、果ては何らかの根源的な信仰さえも、言ってしまえばその範疇だと思う。サーカスで言ったら演じる側と観る側くらいの差はあれど。
満足に生きようとしなきゃ別にそんなもんいらないんで。でもどうしようもなく満足に生きたいから娯楽は欲しい。
それがその場しのぎの供給だとしたら話も違うけど、パンとサーカスが安定的に得られるんだったらもうそれ以上政治に関わる道理もないだろって思う。まあその政治を保全する不断の努力というやつはあるのかもしれんけど。
生活と娯楽が保障されるのなら、それは政治から意識を遠ざけるためのまやかしの餌どころか、むしろ人の営みの本質に対する支えだろとすら思う。
政治までもが娯楽の射程内かと言えば、それは流石に微妙な感じがするけど。政治の問題も社会問題も、更に還元していけばパンとサーカスが脅かされる状況こそが問題なのだろうし。
政治なんて他人に邪魔されないように、それか協力を得ながら、パンとサーカスに興じていられる環境を得るための手段でしかないでしょって思う。
誰かの意思に踊らされてるとかそういう事よりも、今自分が満足出来ているという実感の方が遥かに大事な気がする。
まあそれもラディカルな話になれば、じゃあブラック企業の社畜も今の環境を幸せだと感じるように価値観を矯正すれば幸せなのか?って事になるけど。
でもDVされてる人間が相手の暴力に対する考えを改めるのは「正しい」事だったりするし。
満足をもたらす価値観の変化について、結構都合良く解釈を使い分けてはいる。それは社会規範であったり共感なんかの辺りに基準のヒントがあるのかもしれない。
おれはあんまそういうの気にしてない。カルト集団にハマって金毟られたとしても、自分で心底満足だと思ってるのなら別にそれもいいと思う。
でも趣味人間が会社なりで忙殺されてる内に仕事最高!勤労・家庭愛・社会貢献こそが人間のあるべき姿!となっていく姿には、適応というよりもグロさを感じる。
これはまあ身近さ次第で共感出来る度合いに差があるのかもしれない。
まあどうせ自然法則からは逃れようもなく支配されてんだし。そこまで行くと自由意志なんてありませ〜んって話になってきそうだし、それもなんか味気ないから蓋をしておきたい所ではあるけど。
試合の内容の是非というよりは、後世に残した影響の強さを重視して選出しました。
『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』でもお馴染みだが「プロレスとは何か」を深淵の底に落とした試合である。この試合の真実に関しては諸説あるが、ともかく力道山が木村をシュートで潰したことは単純に眼前の事実である。「プロレスとは八百長ではなかったのか?」日本プロレス史における「プロレスとは何か」という問いへの解答がこの一戦で全て分からなくなってしまい、今もその謎が解けたとは言い難い。また、当時のプロレス界は柔道出身が多かったものの、木村がこのような形で潰されたため、もし木村が勝っていたら今のプロレス界は柔道の系譜がもっと強くなってまるで違う別物に変わっていた可能性が高い。当時の日本の強さの象徴といえば柔道であり、その柔道をプロレスが上回ったのだから当時の衝撃たるや、である。少なくとも逆水平チョップという技がこれほどスタンダードな技として使われる(アメリカなどはナックルが主流)のは間違いなく力道山の影響だろう。
言わずとしれた世紀の凡戦であるが「猪木・アリ状態」が発生しただけでこの試合は人類史に残す価値のある試合である。この辺はあらかた語り尽くされているので多くは書かない。また、試合を実現させる猪木マジックとも呼ぶべき「巻き込み力」はエネルギッシュだった昭和の世相を反映していると言えよう。
初代のタイガーマスクがデビューした試合で、今見ても全く色褪せない。漫画のキャラクターが実現するメディアミックスという手法も新しかったが、マスクを被った佐山の才能は20年ほど時代を先取りしていた。四次元殺法とも評されたその戦いぶりは軽量級レスラーに偉大な影響を残した。
選手としてはピークを過ぎて会社内での立場も危うくなってきた馬場が、自身のレスラー生命の生き残りを懸けて行われた一戦。ハンセンはこの当時、選手として全盛期であったため馬場は殺されてしまうのではとさえ言われていたが、試合開始直後に放った16文キックがクリーンヒットし、会場の空気が一気に馬場一色となった。この試合は引き分けという不透明決着に終わるも、馬場はその人気再沸騰で会社内でのイニシアチブを取り戻すこととなる。レスラーはリング上でこそ輝きを取り戻すという、レスラーの原点を示した一戦。個人的には倒れているハンセンの左腕をガッツリ踏み潰すキラー馬場が滲み出た瞬間が一番アツい。
公私ともに何もかも上手くいかず、自暴自棄になっていた時期の猪木が行った一戦(元々の発案者は藤波であったとも言われているが、なぜか猪木がやることに)。猪木と巌流島に立てられたリング上で時間無制限、ノールール、レフェリー無し、無観客試合という前代未聞の試合に付き合えるのはマサ斎藤くらいしかいなかった。後年、この試合を振り返るマサ斎藤のインタビューがあるのでこちらも読んで欲しい(https://number.bunshun.jp/articles/-/842688)。試合は2時間を過ぎたところでマサ斎藤が裸絞めで失神し、猪木が勝利した。観客を排して一切のしがらみを捨て、レスラーが純粋に二人のためだけに試合をしたらどうなるのか、という後年でも見られない極めて前衛的な試合になったと言える。
プロレスを守るためにプロレスをした武藤と、プロレスを強くするためにシューティングをした高田の一騎打ち。新日本とUWFインターの対抗戦として行われたこの興行のメインイベントは、新日本4勝、UWFインター3勝で迎えられた。高田としてはこの試合に勝てば4勝4敗で終われるが、この試合に武藤の保持するIWGP王座がかかっていたため、4勝4敗でもベルトが動いた分UWFの方が上を取れるという状況であった。お互いのスタイルをお互いが貫き合い、武藤の持つドラゴンスクリューという極めてプロレス的な技が、高田の多用するキックへのカウンターとして機能することが勝敗を分けた。最後も足4の字固めというプロレスを代表する固め技で武藤がギブアップを奪った。戦いのスタイルが全く違っても、そのスタイルを両者がいかに主張できるかで試合は面白くなる、ということを示した貴重な一戦。
橋本の1勝3敗で背水の陣を敷くべく「負けたら即引退」を掲げて小川へのリベンジを臨んだ一戦。この二人のシングルマッチで一番面白いのはやはりこの5戦目である。橋本はジャンピングエルボーを炸裂させて小川の肩を脱臼させるも、その後の三角絞めで腕を取った際に外れた肩を偶然嵌めてしまうという珍事も小川に味方し、最終的には小川がSTOの連発で橋本をKOした。完敗した橋本は本当に引退するも、折り鶴兄弟(詳細は省略)の助力もあり復帰。最終的には小川とタッグチームを組み、親友となった。戦いの末に友情が生まれるというジャンプ漫画でありそうな展開は現実でも起こるという、プロレスにフェイク無しを魅せつけた一戦。
既に引退していた長州をなぜか大仁田がストーキングとも言える言動を繰り返すことで呼び戻すことに結果的に成功し、大仁田のお家芸である電流爆破デスマッチが実現した。プロレスは「ネバー・セイ・ネバー」(絶対に無いということは絶対に無い)という矛盾を孕んだ言葉のまやかしを大仁田の執念が証明してみせた一戦。試合は長州の勝利。なお、この大仁田が長州へしつこく対戦を要求する様子は当時のプロレス番組で放映されており、それをレポートする真鍋アナウンサーとのやり取りも「大仁田劇場」として注目された。最初は大仁田からの理不尽な扱いに「サラリーマンって大変だなぁ」とファンに同情されていたほどだったが、最終的に真鍋は大仁田へ「電流爆破、見たいです!」と直言するまで成長し、この試合の実況も大仁田に傾倒する内容で行った。
2000年はプロレス界激動の年だった。6月に全日本プロレスから選手がクーデター同然に大量離脱し、残った選手は川田利明と渕正信の2名だけとなった。全日本はなんとかして起死回生を図らなければならず、鎖国状態にあった同じ老舗団体である新日本プロレスとの交流に活路を見出した。8月11日、渕がスーツ姿で新日本のリングへ上がり「(鎖国状態にあった)壁をぶち破りに来ました」と話し、新日本の現場監督である長州力と固い握手を交わしたところへ抗議しに現れたのが蝶野だった。乱闘をしかけようと興奮する蝶野だったが、渕は冷静に受け流し、蝶野が落とした帽子を「蝶野、忘れ物だ!」と帰ろうとする蝶野へ投げつけるシーンが完全にプロレスファンの心を掴んだ。これを受けて行われたのが全日本のリングでの二人のシングルマッチである。結果は蝶野の勝利であったが、全盛期をとうに過ぎた渕が堂々とした態度とマイクで第一線を張ったおかげで全日本は辛うじて生き残ることができた。いつ誰がどんな形で主役を張らなければならないかは分からない、運命の数奇というものがプロレスにはあり、渕は突如訪れたその大役を果たすことができたから今も全日本という団体は存続している。
一方、全日本プロレスを大量離脱した選手たちによって旗揚げされたプロレスリング・ノアは、旗揚げして1年足らずで日本テレビの中継がつき、ほどなくして日本武道館興行が行われるなど、ハッキリ言って順風満帆だった。試合のクオリティも高く、当時の2ch・プロレス板で「ノアだけはガチ」というフレーズも生まれた。この試合で三沢は小橋を花道から場外マットへタイガースープレックスで投げ飛ばすという荒業を敢行。実況していたアナウンサーが「死んでしまう!」と絶叫した。しかし最後は小橋がバーニングハンマーを繰り出して逆転勝利。ベルトの価値、そして団体の価値というものをどうやって高めるのか、を方舟に乗ったレスラーが探し求めて辿り着いたのがこの試合である。純プロ路線でありながらその究極系を突き詰めた結果という意味において、選出すべき試合であることは間違いない。
以下、選外
この当時、最も権威のあったNWAヘビー級ベルトを日本人で初めて戴冠した試合。
全日本プロレスで開催されたこの年の最強タッグリーグ戦の優勝決定戦で、ブロディの親友であるハンセンがセコンドに帯同。場外戦にもつれ込んだ際、ハンセンが試合にラリアートで介入し、ブロディ、スヌーカー組の優勝をアシストした。この暴挙に馬場が怒り狂い、試合終了後にハンセンと乱闘を繰り広げ、前述のシングルマッチへ発展する。
故意か事故か、川田が三沢に対して垂直落下式パワーボム(通称:三冠ボム)を敢行した試合。勝利した川田だったが、試合中に実は腕を骨折しており全治3ヶ月となった。
ハヤブサ(FMW)、新崎人生(みちのくプロレス)というインディー団体のレスラーでもメジャー団体のベルトを巻けることを証明した試合。この当時のインディー団体の立ち位置は非常に弱いもので、これを覆すのは至難の業だった。この両名はインディー団体の中でも頭2つ抜き出た存在で、全日本プロレスの至宝を獲得することに成功した。なお、このコンビは米マット界でも活躍しており、日本を代表するタッグチームと呼んで良い。
犬猿の仲となり、顔を合わせるのもNGであった二人のシングルマッチが、みちのくプロレス創立10周年という大舞台で実現。ホーム戦であったサスケが敗れ、試合後のマイクで弱音を吐いたところ、客席より「みちのくプロレス50年化計画はどうなるんだ!」という野次に勇気づけられ、顔を上げたサスケは「みちのくプロレスは永久に不滅です!」と改めて宣言した。客もまたプロレスを作り上げる1人であることを明示した試合である。
デスマッチの「やれるところまでやる」をやり切った試合。頭の中に引退がチラついていた葛西が後楽園ホールのバルコニー席からテーブルダイブ攻撃を浴びせるなど、デスマッチの限界を攻めた試合となった。30分1本勝負のところを29分45秒で葛西が勝利し、この年の週刊プロレス大賞ベストバウトを受賞した(デスマッチが受賞するのは極めて珍しい)。試合後のインタビューで葛西は現役続行を宣言したことから、デスマッチというジャンルにおいて次の時代への扉を開けたワンマッチであったと言えよう。
今もなお語り継がれる衝撃映像のアレだが、そもそも試合ではないことと、別に重要ではないため選外。
10選じゃなくて10戦にすればよかったなぁ。でも検索に引っかかりにくくなるからいいか。
・全日本プロレス軽視では?
⇒そういうつもりもなかったが、全日本は良くも悪くもプロレスというものを護ろうとして頑張っていた保守団体なので、地道な積み重ねをしていて変革が起きる瞬間というのが限られていたので仕方ない。逆に全日本があったから新日本はハチャメチャでも許されたのだと思ってるし、ハチャメチャし過ぎた結果、何度も会社ごとハチャメチャになりかけていた点をプロレスファンは忘れていない。選外には全日本が多いのでご容赦を。
⇒自分が最近の試合を追いきれていないのもあるが、どちらかといえば後年振り返ってみて「アレがあったからだよなぁ……」と思わされる要素があるかどうかで選出した。タイガーマスクがいなければ今のジュニア戦線はヘビーの焼き直しかルチャのマネごとレベルになっていた可能性もあるし、渕があそこで全日本を崖っぷちで踏みとどまらせたから後々の団体交流戦の活性化が生まれたのだと思う。歴史を紐解いた時に外せないかどうか、って感じ。例えば「猪木vsホーガン」みたいな試合は事件としてはとてつもなく大きなものだけど、じゃあアレが後年に何か影響を与えたかって言ったら、そういう種類の話ではないので。
・総合格闘技戦について
⇒自分も桜庭和志には胸熱した世代ではあるものの、さすがにPRIDEリングでの試合を選出するのは違うだろうと思った。そもそもアレは総合格闘技という競技をたまたまプロレスラーと柔術家がやっていただけである。桜庭が勝ったのはもちろん嬉しかったが「プロレスラーは強いんです」と言われたのは複雑で正直、気持ちとしては受け入れ難かった。それは桜庭個人が総合格闘技という競技に向かい合って努力した結果であって、プロレスラーというものに一般化してしまうのは危険なのでは……と思っていたら翌年、普通に永田がミルコに負けていた。
・女子プロレスは?
⇒女子は女子で深いジャンルなので、もうそこまで踏み込んじゃうと10選じゃ足りなくなるので恐くなって考えるのを止めました。そもそも女子はそこまで詳しくないので。というわけで、これを見ている増田! 書かないのか!? 今しかないぞ、俺達がやるのは!
・信彦じゃなくて延彦な
正直すまんかった、正直ポカした。
「公金チューチュー再開して貰えそうにないので、パトロンに恩を仇で返すフェミニスト」最低だな。連帯してる日本共産党も同罪。コラボの仁藤夢乃は、騙して公金チューチューしてた金を都に返金しろ!
場に集まる人を減らす団体があってもいいし色んな団体が色んな手段やアプローチで集まる人を減せれば未成年で向かう人も減り被害者も減るだろうに。なにが不満なのだろう。
相手の不備だと思う所を公開でひたすら晒し上げる形でしか行動できないのは悲しいことだなと思いました。たぶん目的が問題の解決ではなく別のところにあるからこうなるんだろうけど、問題はどこまでも解決しない。
「きみまも」は暇アノン!まで読んだ。ところでcolabo事業は領収証を提出できなくて年間数千万の利益に対して無税は可能なのだろうか?もし無税が可能であれば、凄く事業チャンスだ。次回「マルサは暇アノン」
自分達のシマを取られた様な気分なのだろうか。行き場の無い未成年が救われるのであれば誰が救っても問題無い筈では?行政を敵視する割に行政のバックアップや補助金には執着する不思議。
なかなかおもろいギャグ言うやん“性搾取の問題に取り組む気がないどころか、まやかしの対策で「やっている感」を演出し、問題をないものにする” “そこにお金を取りに来る団体や、善意の相談員を政治的にも利用”
colaboは同業他社を締め出してるなんて話もあったけど、あれって本当だったのかな。
どちらの内情もよくわからないが、少なくとも1000人単位の窓口機能は果たしてるわけで、ないよりあった方がいいし、連携すればいいのではと素朴に思うのだけど、違うのだろうか。まるで商売敵への物言いに見える
妬み僻みばかりで支援に関して何もプラスにならない言及だな。個人情報保護の関係から実態がわからないのは同業として理解できるだろうに。聞き齧った話や憶測で支援事業を叩く側に回ってるのは愚かでしかない。
取り敢えずの認識として救われている人は居るが不足があるんだとするなら改善する方向で考え、公的資金を受けてない民間団体がタダでわざわざ助言してくれてるんだから上手く活用しようじゃない。良い人も居たもんだ
どんな取組にも問題点は必ずある。その問題点を批判するのはよい。だがその批判が問題点改善という前向きの方向性を持つか取組そのものの否定という後向きの方向性を持つかが大事。その観点で仁藤氏のツィを批判する
仁藤氏の指摘(女子と男性を一緒にすると性犯罪が生じる危険性がある)には一定の理があるものの、本人がそう主張しているだけで事実ベースの証言が一切ないので、信者以外は誰も相手にしないって話なのよね。
6日後・・・
「トー横」東京都の子ども支援施設(きみまも)でわいせつ行為か 2人逮捕
「きみまも」が開いている時間、トー横に来る少女たちに売春させることで生活している男性たちがこの室内で過ごして、その間に少女たちに性売買をさせた疑い
未経験とかは知らんが新卒や既にプログラマやSEの人がどうやって年収アップするかを簡単に書く。
たまに超大当たりある以外は全部ハズレの糞くじ。金に余裕あるか、フリーランスで食える腕と人脈ある人以外は入る価値なし。
それでも入りたいなら総務と経理がちゃんとあるとこにしろ。無いと大体そこで自分への負担とか増えて効率出ない。
あと市価の1.5倍以上の提示じゃなきゃ行く価値ない。市価で働くならSESやSIerの方が100倍増し。将来の可能性より目先の金。ベンチャーで学べることは一般企業でも学べる。入社エントリとかQiitaとあZennの記事は半分嘘。もう半分は生存者バイアス。
正直昇給より転職での年収アップの方が早い業界だし、どうせどこも似通った評価制度なので年収の次に資格補助を重視しよう。
資格で給与増えるもだが、資格試験の受験代の補助も重要。ベンダーは高いので会社の金で取ろう。ぶっちゃけIPAよりベンダーのほうが簡単だ。IPAの高度はネスペ、セキスペ、デスペ以外は流石に時代遅れすぎる。非効率な勉強を強制させる勉強云々以前の合格率だ
あと合格時のみとかケチなこと言う会社では無く落ちても金くれる会社にしよう。一時金とか祝い金とか要らない。取るもん取って給与上がらんかったら転職すればいい
資格や仕事への工夫とかより、どんなプロジェクトでどんな成果を出したかを重視して評価する会社は辞めよう。
そんな配属されたプロジェクトで決まる評価なんて個人の努力でどうにもならない。できる人はどんなプロジェクトでも結果出すとか言うが、大半のプロジェクトが糞なのは発注元が糞なので個人でどうにもならないし、自社開発案件なら大体売れてないか出来が悪くてやっぱりどうしようもない。楽なプロジェクトにいる方が高評価を平気でやる会社に未来はない
新卒でも転職でも1年目はまぁ受け身に徹するしか無い。2年目で努力を見せよう。それが3年目で評価されなければもう先はない。年功序列で上が詰まっているか努力を評価出来ない会社だ。即転職で100万は勝手に上がる。もちろん評価面談ではアピールしまくれ。成果物作ってアピールもいいけど資料で優劣つけるのもおかしい。それやるなら100万単位の年収アップしないと無理。
もちろん業界で転職するならエンジニアには有名な会社でも良いが、ぶっちゃけ転職するなら名のしれた会社の方が次も決まりやすい。従業員多いほうが会社受けもいい。ベンチャーで頑張っていました!言ったところで大企業の担当は「そんな小規模だと弊社のシステム任せられません」とか言う。増田も化粧品メーカーで言われた。最近むっちゃ赤字出ててざまみろと思った。
履歴書と職務経歴書が面倒になるだけで気にするな。カスみたいな給与で我慢するより転職だ。何かを成し遂げたのに評価されないのは正当な理由だ。それをマイナス評価する会社は給与も悪い。
増田もベンチャー経験あるが、とにかく給与以外のメリットを言ってくる。でも給与がすべて。次が時間。残業込みで高収入とか意味ない。残業なくて低収入もカス。
いろんな工程とかシステム全体とか色々言うけどそれより金。アットホーム感も大企業の方がアットホーム感ある。
といっても中身空っぽの転職でうまくいくのは20代までで30代以降は中身伴わないと難しい。そういう意味でも資格は大いに越したことはない。たまに資格見て一貫性がないプランが見えないとか言うカス人事いるけど、その時興味持ったり仕事に関連して取ったからこのあと仕事に活きるんだよ。将来を見越して計画的に資格とるとか無いわ。というか全部金のためだ。資格意味ないとかこの業界だと言われるけど、日に10分でも勉強して取った資格はだいたいの人は評価してくれる。
なんかエージェントみたいになってきたけど、社内で評価されようと努力するより職務経歴書と所持資格と履歴書を転職市場に投げ込むほうが100倍早い。それがわかってる会社は新卒初任給アップと既存社員をとにかく金で繋ぐ。わかってない会社は新卒だけあげる。既存はやめても新卒が勉強すれば良いと思ってる。当たり前だが新卒は3年で辞めるし転職で優秀な人材取れないので結果衰退する。日経新聞がどう書こうがエンジニアは足りない。ベトナムやインドもマシになるのは10年以上先だし、彼らは欧州やアメリカや中国の方が好きである。もちろん金がいい。
年収アップと関係ないけど、自社のシステムとか受注した案件を下に投げているいわゆる馬鹿ユーザー企業も流石にやり方変えないとマジで即切られる時代です。特に知識ないのにマウント取ろうとしてると即切られて別のベンダー探すにもみんな今までの倍くらいの値段になります。それくらい高くなってます。あとAIあるから安く済むとかも論外です。ノーコードツールとかもまやかし。kintoneとSalesforceの営業の言う事鵜呑みにすると大体失敗します。
いや、あり得る話だと思うよ。
私は空調機器の企画・開発をやってまして、エアコンクリーニング業界は近いフィールドなので、ゆるふわっとアンテナ立ててる。
先に背景を説明させて頂く。
エアコンクリーニング業界って、ここ10年で凄まじく伸びてて、新規業者の数もバンバン増えてる。なんなら脱サラガテン系の中では儲かる起業筆頭と言っても差し支えないレベル。
ここ毎年酷暑がひどいのに加えて、エアコンを清掃して使うという習慣が認知されてきたせいもあって、初心者でも参入しやすくすぐ稼げる市場がある。
で、ここからが本題なんだが。
レッドオーシャンでライバルが増えると、多くの業者が手を出すのが独自配合の洗剤なんですよ。
エアコンクリーニング業界の謎の慣習として「使用する洗剤は企業秘密」って文化がある。
なんなら、市販のエアコン用洗剤(有名なものだと、エアコン洗浄プロ505や404など。Amazonでも購入できる)ですら、「企業秘密」として公に書かなかったりする。
実はエアコンクリーニングで一番差が出るのは洗剤とは言いがたい。研修を受けたプロなら、ぶっちゃけどの洗剤を使っても仕上がりに大差はない。(少なくとも消費者目線では違いが分からないレベル)
流せる範囲の汚れは流せて、洗浄機が届かない範囲は汚れは取れない。全部の汚れを取るには完全分解するしかないのだが、まぁ要するに洗剤ひとつでたいした差は出ないのだが、そこをエアコンクリーニング業者はどういうわけかボカしたがる。
エアコンを100%完全に新品レベルで綺麗に清掃するという事が事実上不可能なので、その事実に対して距離感がつかめずにスゴい洗剤というまやかしに走るんだろう。……と推測している。彼らの認識は、本当に謎としか言いようがない。
なので、被害者増田が語ってる業者も、おそらくは「独自配合の洗剤」ないしは「高付加価値の仕上げ薬剤塗布」とか、そういう事をやってるんじゃないだろうか。
なおその洗剤や薬剤が本当に独自開発なのかは私は知らないし、そもそもエアコンクリーニングが原因で被害者増田が健康被害を被ったかどうかは、もちろん私には判別がつかない。
だが独自配合の洗剤は最近よくある話というか、ある種のブームなので注意してほしい
余談だが、プロのエアコンクリーニングについて簡単にアクセスできるのは、YouTubeの暮らしのマーケットのチャンネルと言える。
ここのYouTubeチャンネルでは、くらしのマーケットというポータルサイトで入賞したレベルの高い清掃業者が「XX社のエアコンの洗浄方法」と題し、分解が難しいエアコン洗浄テクニックを披露している。
養生や洗浄技術やコミュニケーションはなるほど一流だと思うが、科学的知識が欠けてる発言もそこそこ目にする。たとえば「私が使ってる洗剤は自然由来の成分だから安全です」とか言っちゃってる業者もいるが、自然由来だから安全なんてことはない。トマトだって4t食べれば死ぬし、ふぐ毒だって自然由来だからね。自然由来で安心安全なら、茶のしずくの薬害事件なんて起きてませんよね。
……まぁちょっと揚げ足取りっぽく書いてしまったが、元来ガテン系の方々が科学知識がなく盲目的に洗剤を取り扱ってる空気感はそこかしこに感じ取れる。どうせSDSすらまともに読んでない業者が多数派だろう。
エアコンクリーニングのトッププロですらこのレベルなので、何か根本的に間違えた業者が出てきてもおかしくないと思います。
逆説的だけど、恵まれた環境に置かれた人間のしんどさってあるなって思う。社会制度がどうのとかじゃなく個々人の姿勢の話ね。内的にも対外的にも逃げられる言い訳の無さと言うか。
恵まれなかった人間なら多少弱音を吐いても「かわいそう、仕方なかった」で、頑張れば「あんな境遇からとても偉い」になる。
恵まれた人間が同じ事を言えば「贅沢な悩み」とでも言われて矮小化されがち。例え本人の感じている苦痛が本物だったとしても、まやかしや甘えの扱いを受ける。
全ては自分の意志次第、の自己責任マンは知らん。自分の思想を客観視した上で環境に不平を垂れる人間を見なくてもいいようにしていない、そういう人間を排除する社会へと変えられないお前の自己責任。まあ自分も構造主義より実存主義の方が好きだしあまり強くは言えない。
基準がなければ不満は際限なく増大するから目安として他人の水準を考える、というのも分からんでもないけど。にしても上はいるし。
もっと辛い境遇の人がいるから相対的に幸福、が通るならもっと恵まれた人もいるから相対的に不幸も通るのにね。そもそも自分の話になんでお前がしゃしゃり出てくる訳?下手すりゃ自分ですらなくどこかの恵まれない誰かを引き合いに出して。
いやまあ客観的というか一般的な基準で恵まれてると言えるような環境への文句に苦言を呈するのは分からんでもないけど。ガキの頃月3万の小遣い貰ってたけど足りなくて不満だった。もっと楽しいティーンエイジを送れたはずなのに損した、とか。
でもそういう外との関係がある問題とは違った内的な悩みについてまで、環境を持ち出して矮小化するのは違うんじゃないんですか。下手に恵まれてるからいらん事ばっかり考える、だとか。
もっと言えば世間の基準や外野の感想がどうだろうが、小遣いが足りないと思ったのならその人にとっての不満は本物なんだろうし。
でも何かこう、「客観的には恵まれてるけどそんなの関係なく自分は辛いからこうしてくれ」と、「妥当」であれそうでないんであれ不満が不満で終わらずに待遇改善を求めて、求められた側が「甘えるな、そんな悩みは贅沢だ」と突っぱねるなら全然分かるんだけど。
そんな要求が罷り通るほど世の中は云々、とかそういう事じゃなくてね。共感出来もしない悩みに対して助ける道理なんかないだろうし。そもそも共感出来ようが出来まいが助ける義務なんかないと思ってるけど。助けたれば助ければいいし、強いられる道理もない。協力ゲームの理屈は置いといて、道徳の話としては。
そういう場面でなく、別に助けを求める訳じゃないけどポロッとこぼした言葉を責め立てられるのは鬱陶しいよねって思う。
こぼすな鬱陶しいって話なのかもしれんけど。生き辛ない?そういう「意味のある」会話しか求めないの。
あとなんかジョジョでも幸福は絶対的なものじゃなく、スタート地点をゼロとする相対的なものだ、的な話があった。
環境の幸福度なんか逓減していくもんだろうから、このスタンスで言えばただでさえ恵まれる環境に生まれればそこから更に上に行くのはしんどくなる。
わざわざ自分が不利に置かれる価値観に与するのもマヌケっぽいけど、この考え方が特段変わったものだとも思えない。
そりゃ全くの一人で生きてる訳じゃないから、多少は他人の人生と比べて家庭の経済状況や親との相性とかを客観的に相対化するものだとは思うけど。
でも基本的には環境なんて所与のものであって、自分にとっては少なからず当たり前だと思ってる部分がある。
マジで辛い環境にいる人は、こんなんが当たり前でたまるか!って思ってんのかもしれんけど。
幸せになれない価値観なんか捨てて思考を矯正すればいいんだけど、それをやるならもう何でもアリじゃんって気もする。
新興宗教にハマり新しい価値観を得て、本人は幸せだと言っている。これは哀れ。
いつまでも仕事か辛いとばかり言って、価値観を変えて少しでも楽しもうという姿勢を持たない。これはワガママで子供じみてる。
これってダブルスタンダードだよね。どちらも幸せを求めた適応の話なのに。結局自分が信じてる価値規範を共有したいだけじゃんっていう。
おれは客観的に恵まれた環境にあって不満だらけの人間なので、態度次第では世間からの当たりが強くなる。
内面化された「環境に感謝」の規範をこそぎ落とし、「いやおれが辛いと思ってんならおれにとって間違いなく辛い事だし、他人の感想や、他の境遇を持ち出した相対化なんて関係ない」と開き直る事でせめて自分の中では居心地の良さを確保する。
その上で、「だからといって別に他人がおれを助ける道理はない。生まれ育った普通か恵まれてるくらいの環境を恨むこともない」とも思うことで社会との関係を維持する。そもそもおれの抱える悩みの大半が他人の助けでどうこうなるもんじゃないし。
自分なりに整合性を取った態度のつもりなんだけど、おれの言葉から言ってもいないスタンスを勝手に一義的に導き出す人もいるし、歪なのかもしれない。
まあこんなのも恵まれた人間の思考回路が前提になってるもので、そうでない実際の人間はまるで別の世界観を持ってるのかも分からんけど。分かった所で悩みが消える訳でもないし、どうでもいいや。
一回寝て早朝出勤前にさわやかな森通ってリスも見て最高って一瞬なっても昼過ぎてもまだ怒り収まらなかったので名前は伏せるけど
登場人物の口から二言目に生活保護バッシングとか発達障害に関するネットスラングとかが出てきてもまったく驚かないドラマだと思った
弱いものが夕暮れさらに弱いものを叩くって言葉や状況がぴったり
ネットでよくみるスカッと系漫画の広告あるじゃん?あれの具現化と言うか安易な実写化というか令和の金品も人品も卑しく貧しいインターネット時代を象徴するようなドラマ
巨悪の陰謀でも公権力の腐敗でも知性の狡猾でもやむにやまれぬ状況や人間同士の関係の縺れで起こってしまう闇・あわい・曖昧なもの・悲喜こもごもその他…でもなく自分よりちょっと頭が弱くて愚かな人間を袋叩きにしてスッキリするドラマ
まあ上に書いたような犯人像こそ古いしやりつくされたよと言われればそれもそうだしあえてそれらを徹底的に排除してるのか?とも思うけどそれにしてもあまりにも「気持ちよく誰かを論破したい!」という欲に応えた健常者向けスカッっとドラマ
いかにも特性もちでその特性によってそう振舞ってしまった結果起こってしまった事件について故意犯でもない人間を設定しておいて「愚か者!」って集団で説教してみせるシーンヤバすぎた
心理分析のプロという設定の人が取って付けたような学術用語を犯人につきつけて解説してみせてだからあなたの感情はまやかしで無駄なものなのよ?キリッって本当に言い放つところはいやネット民かってなった
いやいやいやそれ以前に分析できるところあるだろそいつにはよ、一言も言及なしなのすごすぎるよネット民か
1話もだったけど犯人側にはそういった属性はあっても人格がなくてただただ愚かさを背負わされてるだけ
しかもその断罪をやっぱりいかにも特性もちに行わせてるの(お前と同じでもがんばっている人間もいるんだから甘えるな!とばかりに描くが一方ではその不器用社会不適合ぶりも同時に描きまくってそれでも唐突に熱烈にイケメンに惚れられる主人公/この唐突さになにか過去の因縁とか含みがあるのかも?とか期待する方がおかしいのだろうかあってくれよ)さらにヤバくてまともな健常者は結局高みの見物って感じが本当に気持ち悪いわ
いかにも現在のインターネット社会を象徴してるよこれで爽快です!って言ってる奴正気かな?ヤフコメ民かさもなくばはてブ民かな
こっちも苦しいことあるけど頑張って生きてんだよ!っていうたくさんの人が、インターネットで確実に叩ける自分より下で自分より愚かな人間を叩けるだけ叩いた後あーすっきりしたって言ってなんの罪悪感もなく楽しくメシ食ってるみたいなドラマ(実際そのように描かれている)そういう人間は気持ちよくみられるだろうなっていうドラマ
そういう辛辣で痛烈なスカッとをやらせる側の主要登場人物に理不尽な家族に振り回される設定やシングルマザーの苦労を付与してひとりの人間・小市民感出して末端とはいえ公権力側の強さや嫌味さをそいではいても旭川の件でまさにその末端のあれこれが露呈した後でのこの描写はもはや皮肉でしかない地元最高!の方が10000倍リアルに感じてしまうバグが起きる
そういう人間を皮肉ってあれをやってるならまだいいけどそうじゃないなら邪悪と露悪の地獄のミックスジュース
被害者側もちょっと…みたいなちょっとざらっとしてひっかかりのある描写もあったり犯人のおぼつかなさ周囲の見えなさ等々についてあれだけはっきり描いておいて、これで以降なにがしっぺ返しやどんでん返しがおこって実はこれはインターネットで正義のツラして実際には謗りの限りを気楽に尽くすあなた方の姿なんだよ…と主人公側の方が痛い目や苦い目を見る顛末をやらないとはさすがにとても思えないけど本当に広告スカッとマンガドラマをやりたいだけなのかもしれない
そうだったらびっくりしちゃうね
以降見続けるのは苦痛だからもうやめるけど結末まで本当にこれでつっぱしったらすごいわ
犯人側が起こったことを飲み込めなくて混乱して慟哭するとも単に愚かでザマアwされてひたすら悔しがるともとれるシーンをあれだけねっとり描いてるとやっぱりそうなのかな…と思ってちょっと絶望するような気分
本当にこのドラマ見た人胸糞悪くなってないのか?
似たような意見の人は3人くらいは見たけどタグ検索まではしたくないな、嫌すぎて
「自分と違う人・属性・愚かでまともでない普通がわからないクソども」の描き方距離の取り方が無理すぎた
まともでまじめな人間の生活は常にバカで愚かで無駄なクソどもに脅かされているんだ、連帯して排除しようみたいな気分を強めるよねああいうのって 自分はあいつとは違うって
タイトルのように表現しておいてその実とてもせまい「まとも」側からの視点で描かれていてこの矛盾わざとなの?素なの?ってかんじ
そこまで深く考えてないように見えるカジュアルでライトな仕上がりがほんまに怖い
いやほんま素なの?わざとなの?
本当にところどころ被害者の描き方や主人公側の物事の受け取り方等の描写がざらつくとこがあるので上記の感覚全部どこかでひっくり返してくれるようなポイント今後出してくるのかもしれんけどもうワシは知らん
…って感じのドラマ!!
家の周りに畑があった。生計の足しになってんだか、税金対策や趣味のレベルなのか、微妙に分からんレベルの規模のやつが。
繁華街にほど近い都心部で生まれ育った連中からは田舎と言われそうな、トーキョーといえば全部大都会だと思ってるような田舎者からは全然文明のある方だろと言われそうな東京西部の郊外だ。
道路を挟んでウチのマンションの目の前にその畑の直売所があった。ガキの頃よくお遣いで行かされて、毎度オマケを持たされた。おれが通い始めた時はウコンとかよう分からんものを貰ってきて、姉におまけの豪華さでマウントを取られ大変不快な思いをした。曰く、自分が行けばトマトとかもらえるのにお前はウコンなんぞもろてきてどう食うねんと。
それでも通っていくうちにインゲンとか枝豆とか、トマトさえも貰えるようになってきた。ある日目当てのものがなくて手ぶらで帰ろうとしたところ、タダで数種の野菜を袋に詰めて持たされたのを割とよく覚えている。
そんな光景も中学になれば無くなってきた。直売所が閉じたからか、おれが自我を持ち反抗期を迎えたからかは忘れた。
今やその手の地域のヌクモリティ的なものも煩わしいなと思う。事あるごとに「昔は素直で優しかったのにねえ」と言う母にイラッとして、人間は変わるもんなんです〜〜〜変化を否定すれば成長をも拒んでしまうんです〜〜〜いつまでも自我がなくて可愛かった子供の記憶に縋りついててウザいです〜〜〜と反抗期のおれは心の中でそう思っていた。今でも全然思う。それでもやっぱり他人の親切に素直にあやかっていた時期もあったんだよなとも思う。
お遣いには行かなくなっても畑は以前在る訳で、家の周りの光景として、原風景の一つとして心に刻まれてる。好きから嫌いかはともかく。
中学高校の頃、さっさと家を出たいという気持ちが常に頭の半分以上を支配していた時によく夢を見た。家の庭のフェンスによじ登って、夢特有のフワフワとした跳躍で畑を超えて行く夢だ。
逃げた先に何があったかは覚えてない。何もなかったかもしれない。少なくとも天国ではなかった。でも逃げる事に意味があった。
夢なんて大体理不尽で不条理で謎の存在に謎に追っかけ回されるばっかりだし、脳のウンコでしかない。示唆的なものがあるとかユングの類は全部まやかしだと思ってる。それでも家の裏の畑ばっかりは固有のモチーフとして何度も何度も出てきた。ウンコでも健康状態を知るのには役に立つのかもしれない。予知夢とかは全部嘘か偶然か思い込みだと思う。
夢に限らず、100mほどの畑沿いの道を歩くのは好きだった。夜中にひっそりと家を抜け出して、音楽聴きながら畑越しに見える団地や電波塔、送電塔みたいなデカ建造物をボーッと見てるとナイトホークスでも鑑賞してるような気持ちになれた。都会のダイナーには行けないけれど、郊外には郊外なりのものがある。
住宅街には住宅街の良さがあるとか言う人いるけど、おれは人の生活の息づきとかには何の魅力も感じない。人様の生活に勝手に思いを馳せて勝手に感動するステーションバーめいた行為をおれは下品とすら思う。だから住宅街の静かな畑の特に静まり返った夜中が好きだった。公園も悪くないけど、浮浪者とかおれの同類みたいな陰気ティーンや騒いでる学生風の集団がいたりしておちおち黄昏ぶってられない。
そんな畑もおれが高校卒業する手前辺りで、なんぼかを残しつつ潰されて家の建設が始まった。噂じゃ畑の持ち主はマンションを持ってて不動産収入があるらしい。やっぱり畑は本格的な仕事ではなかったんだろうか。
大学入って暫く経ってから一人暮らしを始めて、都心へよく行くようになった。今までは交通費も覚束なくて両手で数えられる程度しか行けなかった都心に。バイト先もわざわざ遠くの都心を選んだ。人の金で行けるのだから美味しい話だ。駅から駅の間を歩いても途切れる事なく繁華街が続く光景には心踊るものがある。夜中でなくとも歩いてて楽しい。夜中だと尚更楽しい。
それでも人のいない静かな場所で過ごすのは変わらず好きだった。聖蹟のゆうひの丘までよく1時間かけて歩いて行った。カップルが多かったりしてちょっと落ち着かないけれど、高台から見下ろす夜景は畑越しに見える景色と通ずるものがあった。終電で行く冬の鵠沼海岸も夏の芋洗い状態が嘘みたいに人がいなくて趣深かった。多摩川もいい。場所さえ選べば人がいなくて、トランペット担いで行って一応ミュートつけて練習してみたりたした。「河原でトランペットを吹く青年」を自分がやっている状況に興奮を覚えた。夜釣りと称して魚がいるかも分からん場所で竿を振り回したりもした。ボウズのまま迎えた朝陽はマジで綺麗だったし、なんか何かを急かされてるような気もした。この頃にはもう家の裏の畑を飛ぶ夢は見なくなっていた。
大学で色々あって最近また実家に戻ってきた。近所の景色もマイナーチェンジはありつつ、まあたかだか数年の事なのですぐ目に馴染んだ。
畑の跡地の住宅地は、おれが出ていく前はほとんど更地だったのが割と家の形になっていた。家の骨格越しに電波塔が点滅する景色はなんだかディストピアめいた味があって、これはこれでちょっと好きだった。
施工は日々進んでいって、人気のない家の殻が出来上がって来る頃にはもう遠くの景色は遮られて見えなくなってくる。新しい住宅地の中には公園と称した小さなスペースも出来ていた。空き家に囲まれたそこで夜にタバコ吸いに行くのがなんとなくルーティンになっていた。
カーテンも張られていないガラス戸からは工事用?の照明が付けっぱなしなのか、ほんのりと照らされるもぬけの空の部屋が見える。それを見ているとガラスをブチ割って土足で座り込んでタバコでも吸ってトレインスポッティングを気取ってみたい気分になってくる。廃墟どころか新居だし、そもそもそんな度胸はないので妄想止まりだけれど。
つい最近からその住宅街にも一挙に人が棲み着き始めて、夜中に歩いていても家々から放たれる息づきからなんだか圧迫感のようなものを感じる。
件の公園も日中はすっかりガキの遊び場になっているのを目にする内、なんとなく足が遠のいた。自分だけの場所が地域の(幼い子供を持つ家庭の)共有物となってしまったような気分だ。元々おれの場所などではないのだけど。
それでも時々ベンチにストロング系のロング缶が置いてあったりして、なんとなく捨て主にエンパシーを感じたりする。
平成狸合戦ぽんぽこで描かれたような再開発へのメッセージとはまるで別種だろうし、開発といってもごくごく小規模なものだけど、おれはおれなりのイヤさを感じているのかもしれない。
おれは地域のヌクモリティがさァ!文化資本がさァ!とかそういう話がマジで嫌いだ。ネットでその手の話題が露悪的に語られがちなのもあるけれど、土地がどうあろうが各々の生き方次第だろって思うから。おれは構造主義より実存主義が好きだ。
言ってることちらほら正しいこともあるけど、そもそもフェミの印象が悪すぎるからツイッターとかで意見主張しても伝わんないし。萌え絵がーエロがーって言っても絵だし。現実とは関係ないじゃん。AVとかグラビアだって本人がお金や売れたいがために自分の意思で出てることだし。フェミの実際の年齢と容姿とかは知らんけど、ブスババアと罵られて嫌じゃないのかな?まずは腰低くして主張を分かってもらえるように努力すればいいのに。
と、思ってたんだよね。マジで。特に16歳〜19歳頃はミソジニーがめっちゃ強かった。たぶんこういう考えの10代女子めっちゃいると思う。ババアという暴言もそうだし、特にブスって言葉って思春期10代女子にめっちゃ響くんだよね。自分の顔がブスかかわいいのか気になって、絶対ブス側に入りたくないし。だから、ミソジニーと10代女子って相性いいと思う。自分の体の変化とか嫌だし。ミソ側につけば姫のような状態になるし。特に私はオタクで、腐女子から男性向けジャンルに移行したタイミングが10代後半だったから、ミソジニーとの相性良すぎてミソジニーにズブズブだった。そもそもBLってオメガバーズとか結構女性のミソ的心と関係してるシチュ多いんだよね。レ⚪︎プ、無理やりみたいなのも普通にめっちゃ多い。男性向けのそれと違うところは事前にワンクッション入ることくらい。だから腐女子はミソを内包してる人も多いと思う。それに私は現実で家族仲も良くなくて、情緒不安定な母の姿も馬鹿みたいって思ったし。オタクあるあるなんだけど、絵が描けたり創作できるやつが1番すごい、1番えらいって思ってて、恋愛の話とかしてる女子たちのこと下に見てたし。自分がそういう、「情緒不安定で恋愛の話とか中身の無い話ばっかしてる女たち」の仲間にされる本当に嫌だったんだよね。男になりたい訳でもなかったけど、女っていう性別の自分が本当に嫌だった。だから心はおっさんとか言って、女友達にセクハラするなどして「私はそっち側じゃなくてこっち側」みたいな保ち方をしていた(本当に最悪)。そしてそれと同時に私は男のことが嫌い、苦手だった。不思議だよね。女子を馬鹿にしてるのに、女子といる方が居心地よく、男子は嫌いで関わりたくなかった。それは、私も彼らからすると「女」の1人でしかなくて、女としてジャッジされることを恐れていたし、そうされたくなかったから。容姿が良いか悪いか、エロいかどうかで見られたくなかったから近づきたくなかった。だって私はエロくて女らしい、そういう「女」じゃないんだもん。男みたいに、エロい女キャラのこと妄想しちゃうし、ロリエロだって見てるよ?私はジャッジされる側じゃなくて、そっち側なんだよ?って。心の中で一生懸命主張してた。男はミソジニーになってもそれがデフォルトみたいなとこあるから別に大した問題はないだろうけど、女がミソジニー極まると常に自傷行為してるのと一緒なんだよね。私はそっち側じゃないから、と自分の中では線引きしてても、体は女だし、心も女だし、社会的にも女だから。なんかつらかったね。でもやっぱりフェミニストっていつも馬鹿にされてるし、私はそうやって馬鹿にされたら嫌だから、フェミニズムも響かなかった。ミソジニーの中で私はそっち側じゃないんだよーと自分を守り続けることしかできなかった。若いって本当に視野が狭いね。でもその時は本当に顔も知らないあなたたちに、馬鹿にされたくなくて、ブスって思われたくなくて、「女」って思われたくなくて、必死だった。で、そんな私に人生絶望案件がひとつあった。10代後半当時、恋愛経験はゼロで彼氏欲しいという気持ちも大してなかったけど(男苦手だったから)、将来的な結婚願望は強かったのね。それは私が人間関係の構築が苦手で、バイトしてたんだけど普通に無能で、自分に労働能力がない、人と関わりたくない、だから働きたくなくて、専業主婦になるしか人生やっていけないよと思ってたわけ。専業主婦 or DIE 。10代後半でバイト経験もそこまで無いくせに諦めるの早すぎる。でもミソの皆さん、これ何が絶望なの?って思うじゃん?ま⚪︎こついてんだから、理解のある彼くんをゲットし、専業主婦になるなんて簡単だろ?むしろそういう選択をとれる女のお前が羨ましいよ、と。でも冷静に考えて。私は美人かブスかでいったらブス寄りかもだし、色気など女としての魅力はゼロに近い。つまり、絶対にいい男とは付き合えないということ。てか私のレベルで、養われ前提だったら、そもそもいい男じゃなかったとしても、同年代と付き合うのは無理なんじゃない?若さという唯一の武器を活かして、ひとまわり、いやふたまわり近く歳の離れたおっさんと何とか番うのが関の山なんじゃない?と思って軽く絶望してた。でもでもでも、西島秀俊とか全然かっこいいし、何なら草刈正雄もかっこいいし、おじさんでも大丈夫だよね…?などと自分を励ましていた。そしてミソに毒されてた19歳の私はネットの言説を間に受けて「女は25歳までって言われてるし、高校卒業したらババアみたいなことも言われてる…。若さという武器を活かせばって思ってたけど、もう私もババアなの?じゃあ急がないと専業主婦になれなくなる!」と焦り出した。当時学生だった私は未だに男嫌いで、たまに男と話すことはあったけど、なるべく避けていた。ま、同年代はそもそも相手にされるとは思ってないし。そんなわけでリアルでの男絡みは皆無に等しかった。でも若さを活かして専業主婦志望の私はそんな悠長にはしてられない。そんで、まずはとりあえずネットで知り合った30代前半のおじさんと食事に行く約束をしたのだった。それなりにおしゃれしておじさんを待つ。30代前半ってまだまだ若いよね?嵐とかもそんなくらいだし♪大丈夫大丈夫♪と、緊張しながらも気楽に考えていた。ちなみに異性と2人で食事はこれが初めてである。そこに「〇〇さんですか?」と颯爽と現れたおっさん。…もうね、全然嵐とかじゃなかった。もちろん西島秀俊でも草刈正雄でもなかった。もう普通におっさん。肌感とかおっさんすぎ。てかファッションダサすぎ(ズボンにチェーンとかつけて、パンク系だった)。おっさん大丈夫な子はここでおっさん依存に走れるのかもしれないが、私におっさんは無理だった。同年代や年下も無理なのに、おっさんはハードルが高すぎた。「生」のおじさんの質感に打ちのめされていた。とりあえず、お店まで来たが、もう帰りたい。チェーンのパスタ屋だった。もうなんでもいいから早く帰りたい。カルボナーラ頼んだ。おっさんが話しかけてくるが、おっさん感が強すぎておっさんの方を向けない。下を向いて「はぁ」とか「まぁ」とか答えるので精一杯だった。カルボナーラが来る。必死にそれを食べる。全然味がしない。でも急いで食べる。秒で食べ終わる。会計をする(もちろんおっさんが奢ったがなんでもよかった)。帰宅帰宅帰宅帰宅。駅までの帰り道、おっさんが「食事友達ってわけではないでしょ?そういうこと期待してたんでしょ?」とか言ってくる。「いえ」と即答。早く帰りたい。「手、繋いでいい?」とおっさん。「嫌です」と即答。さっさと帰る。駅についておっさんと別れる。おっさんと食事した事実が気持ち悪すぎて泣けてきた。ごめん、私にはおっさんを許容できる器がないみたい。ブスのくせにごめん。なんか、日常生活で見るおっさん(学校の先生とか)をあまりおっさんとして意識したことがなかったから気付かなかったけど、異性として対峙するとおっさんって本当におっさんすぎ。スタバ買って飲んで、まやかしでも浄化しようとした。こうして、「若さを活かしておっさんと結婚し、専業主婦になる」という私の夢は散ったのだった。でもだからと言って、私がちゃんと働くなんていう想像はできない。本当に働きたくない。どうするよ、これから…。と途方に暮れた、19歳の夏だった。