はてなキーワード: 焦燥感とは
もうどうしたらいいのか分からない。
人気的なものがもう頭打ちなのかもしれない。辞められるのは絶対嫌だけど、ずっとフリーターJr.も嫌だ。デビュー出来ないのかもしれないけど、それ以外の道も見えなくてしんどい。そう思ってしまう自分がいるということが何より一番悲しいのだけれど。
自担は事務所から特別推されたことも干されたこともない。ただ、メインになれない。冬のコンサートも夏の舞台も春の新喜劇も、メインとして名前があがることは殆ど無かったと思う。今日夏の報せが来たけど、今回も無かった。やっぱりなと思ってしまった。
Jr.祭りと銘打ったコンサートにもいなかった。Jr.じゃないのかもしれない。もしかして知らない間にデビューしてた?だったらよかったのに。
もちろん他にも出ていない人がいるのは知っているけれど、城ホールの公演で、今の立ち位置で、他の関西Jr.は出ているあの公演を見るのは正直キツかった。ああやっぱりかと思う自分が憎かった。いないことに慣れてんじゃねーよ。わらわらJr.としてもメインとしても出られない、そんな扱いづらいところになってしまったことが只々ショックだった。
ジャニーズWESTのツアーバックとして同じように全国回っている他の人は出られて、どうして自担は出られないの?春松竹の焼き直しなのにどうして?同じ衣装なのにどうして?見学には来ているのにどうして?話が逸れるけどよく見学に来られたよね。見てどう思った?「次はふぁんきーさんとやりたいです!」ってステージの上から言われるのってどんな気持ち?ねぇどんな気持ち?
そのFunky8が公式にならないことがどういうことか考えた方がいいよ。松竹でさえ8人だけの曲を貰えていないことがどういうことなのか。
高校生以下担からすれば目の上のたんこぶだと思う。目の上のたんこぶにだと思われているなら数倍マシだ。目の上のたんこぶにさえなれてないよ。
ジャニーズWESTのバックにつけてもらってるから仕事がある気がするけど、ジャニーズWESTはもうJr.をつけなくても充分ドームが埋まるよ。アリーナにもスタンドにも立ち位置最前には何故か規定外の団扇が並んでいる、くらいじゃないと駄目だよ。危機感や焦燥感を感じてはいないのだろうか。
今から劇的に売れる未来が想像できない。何度かあったそのチャンスはもう過ぎてしまったし、ヲタクもどんどん減っていく。いつまでバックなんだろう。メインにいてもバック臭が抜けないと言われるのはどうしてだろう。どうしたいい?どうしたら売れる?そもそもどうなりたいのか分からないけど、売れてくれないと私が見れなくなるので困ります。早急に打開案をください。
少し前までの私は、常に焦燥感と緊張の中にあった。
寂しい人間だと思われたくなくて予定を作り
家に帰ればぐったりと疲れていた。
「誰も自分のことなんて気にしてない」と、何度心の中で繰り返しても無駄だった。
少し変わった行動を取るだけで、陰口を叩かれたり、笑われたりした。
たとえば声がひっくり返っただけで
前髪を切りすぎただけで
ラケットの振り方が変なだけで。
今思えば下らない話だ。表立ったイジメとかじゃなく、ただの噂程度。でも当時は監視されてるような気分だったのだ。
自分では気づいてないけど他人から見れば変なのかもしれないと、歩き方さえ気になったこともある。ノイローゼじみていた。
友達にダメなところを指摘してもらって、自分なりに直しても笑われるから、友達のことも疑うようになった。
本当は心の中で、変だと思ってるんじゃないかとか。
一度疑ってしまえばその後に新しく出来た友達や恋人に対しても同様だった。完全に信じるということが、できなかった。
だけど今やっと、他人にどう思われてもいいやと思えるようになった。
自分の中にこびり付いていた自意識過剰が、やっと、剥がれ落ちてくれた。
知らない人ととも自然に目を合わせられるようになった。
服屋の店員に話しかけられたとしても、息が詰まる思いをすることがなくなった。
自信はまだそれほど身についてないけれど、とりあえずマイナスから0程度にはなった。
仕事でもプライベートでも、あまり細かいことを気にしなくなった。
死にたいと思うこともなくなった。
治るまで随分と時間がかかってしまったなぁ、という気がするし、
色んな面で人より遅れをとってしまった気もするけど
まあいいや、と思う。
私は私に合ったペースで、焦らずゆっくり生きていこうと思う。
たまの休日。少しでも外に出ないと気が滅入る。平日は仕事が忙しくて外の空気すら吸えない。本音を言うとぐったりと寝ていたいのだけれど、休みすら壁の内側にいると、人生がすり潰されていく焦燥感や仕事の辛さ、コミュ障ゆえの寂しさに耐えられなくなってしまう。だから外に出るのだ。
その日はとくに行きたい場所もなく、ただ食事と買い出しをするためだけの予定でショッピングモールに寄った。ふと目についたのは、閉店セールをしている中堅家具屋。移転のため在庫をゼロにしたいらしく、いつも広い売り場いっぱいに家具が置かれていたはずのスペースはがらんどうになっており数点の家具が残るのみだった。そのうちの一つが今回のソファ。通常数十万円の品だが閉店まであと数日というところで70%引きと破格の値になっていた。
ひと目見て気に入り、ぼんやりと目分量で自分の部屋に入りそうだったので契約してしまった。家の中は足の踏み場もないほぼゴミ屋敷だが、なんとかなるだろうと思った。とにかく環境を変えたかったのだ。配送は翌週末である。
翌日の月曜日。仕事はいつもと同じく、とても辛かった。ただ帰ってきてソファのことに思いを馳せたときに少し変化があった。メモしてきた寸法をもとに配置を考えて、酷い環境の家をどう変え、どういう間取りにするか考える。それが楽しかった。
その次の日、仕事中ソファのことで頭がいっぱいになった。職場のメモを使って家具のテトリスゲームをして、ハッと我に返り早く帰るために仕事を頑張った。帰宅後、テトリスの結果ここだと思った場所を空ける。ゴミを集め袋に詰め、下にたまったホコリを取る。いつもはとても平日になんかできない掃除が、ソファという目的を持ったことで楽しいものになった。
それからの日々、仕事が、いや世界の景色が一変した。ソファ、早くこないかな。そんな思いを中心に仕事も買い物も、そして家の掃除や洗濯もすべて楽しいものになった。窓や水回り、そして玄関までピカピカにした。買い物一つでここまで変わるのかと自分でも驚いた。早く逃げ出したいと思っていた仕事に身が入り、どこか遠くに引っ越したいと思っていた空間がまるで新居のようになった。そしてぽっかりと開いているソファの予定位置。今週末ここにソファが来るんだ。そんな初恋にも似たドキドキする感情が僕を突き動かした。
今日ソファをお迎えした。結局、テトリスゲームで予定していた場所では座りが悪く違う位置に移動したけど、そうしたハプニングさえ心地よいものに思えた。ソファの上で本を読み、そして増田を書く。漏らした話とかくだらない煽り合いとかを投稿していた増田に、こんな明るい話題を書く日が来るとは思わなかった。
少し高いソファを買った。そしたら人生が楽しくなった。これからしばらく節約生活をしないといけないけど、でもそれも楽しいひとときとして生きていきたいと思う。
そうだ、転職もしよう。
が、低レベルへたれ杏Pとしては「どうせ1位になれないしなぁ」という気持ちがぬぐい去れない。
このままだと、たぶんずっとそうだろう。
杏は安定した人気がある。
しかし最近の流れからして、このまま安定しかしない、むしろこれ以上になることがないとすら思える。
なぜなら、杏の抱えていた課題が、きらりとのハピハピツインで解消してしまったから。
そして、じゃあ今後ハピハピツインの盛り上がりがあるかと言ったら、「シンデレラを目指すアイドルたち」という物語の性質上難しい。万が一なにか展開があっても、ハピハピツインとしてであって、杏ひとりではない。
モバマスの続いている間に、1度でいいから担当アイドルが1位に輝く瞬間を見たい、というのは多くのPに共通の願いだと思う。
どうすれば、杏が1位になれるか考えてみた。
結果、杏には大病を患ってもらうしかないのではないか、という結論に至った。
そもそも杏はやる気がない、でもやるときはやる、という姿が世界一可愛いアイドルだった。
しかし、マンネリとハピハピツインの結果、「どうせ口ではなんと言おうと、単なるポーズであって、ちゃんとやるんでしょハイハイ」という安定ポジションに至ってしまった。
そこで、安易ではあるが一旦『口でなんと言おうと、本当は頑張りたくても、けして頑張れない状況』に置いてみる。
最初杏は、体調が悪いながらも休めることを喜ぶような発言を続ける。
半分本心で、もう半分は心配させまいという優しさを感じさせる配分で。
そして後半のエピソードで「やりたくない何もしたくないない」言っていた杏が、無理をして、動かない体に鞭打って、必死にステージに上がろうとする姿を見せる。
なんなら止めようとするきらりを振り切る場面を作ってもよい。
なんだかんだでステージをいつも通りのようにやり遂げて、幕が降りると同時に倒れ、エピローグ的なもので「頑張った分1年くらい休ませろ」ちゃんちゃん、みたいな。
大学二年生になった。
一年生のあいだはサークルに入らず大学の友達も少ない学生だった。
サークルに入らなかったのは、いわゆる"ノリ"が苦手だったから。新歓にそんなに行ってなかったしお酒を飲んでどんちゃんしたり、とりあえずただ盛り上がって楽しいと思えず大学生のノリね(笑)という冷めた目で見てしまっていた。
当時はとりあえず入らないとなと思い高校の頃やっていた軽音を続けようと入ったが、大学生のノリやはじめにとりあえず組まされたメンバーが好きになれずすぐに辞めてしまった。
一年の6月にカフェでバイトを始めた。それがまあまあ忙しくてとくに暇することもなく、バイト仲間とはたまにご飯を食べに行くくらいに仲が良かったし満足していた。
二回になって、急にバイト先の人件費削減とやらでシフトを大幅に削られることになった。自分が必要とされていないことをひしひしと感じイライラしてきたし、どこにも居場所がなくなってしまうと焦燥感もある。
また、サークルに入ってみようと改めて思ったがスポーツも好きでもないし何かしたいことがあるわけでもない。自分がしたいことがよくわからなくなってきた。
自分探しの旅に出ようかなとか、習いごととか始めようかなとか思うけどほんとうに目標が持てない。
女子校育ちで女の友達はいっぱいいたけどみんな変わっていくし自分は置いてけぼりだし、恋愛もこのまま一生しないのかなとか思ってしまう。
やりたいことを見つけて輝きたい、熱を持ちたい。家で何もしてない時が一番楽しいとかやめたい。
がんばろ、。
暖かくなると虫のように若者が夜の公園に集まって騒ぐ。飲食、タバコ、遊具破壊、ゴミ散らかしまでは目を瞑っていたけれど、今日は花火をしていて怖かった。まだ空気は乾いている。
大体は高校生くらいの男の子たちで、まだ肌寒いだろうに夜中に集う場所がないんだなと一瞬肩入れしてしまう。下手なハモりの「セロリ」が聞こえたときは、逆に切なくなってしまった。やっていいこと/いけないこと/やりたいこと/期待されていること、入り混じって焦燥感があった年頃を思い出してしまう。カッコつけたかった若さを思い出して恥ずかしくなってしまう。
しかし現実問題、彼らは迷惑だ。うまい棒、スーパーの照り焼き弁当、マルメンのクズが散らかり、すべり台はボコボコにされ、氷結ストロングの空き缶、スミノフの空き瓶が転がっている。砂場には意味不明な巨大な穴が空き、ダンボールがそこら中に散らばっている。
さて、大人としてあの子達に注意しないといけない。なんて言おうかな。どうやったらいいかな。速攻警察に連絡でいいのかな。そんなんじゃモテないよ超ダサいってフワフワしたガーリーな格好で言いに行ったら引っ込むかな…
個別具体の退職理由はいろいろあってそれらは後述しますが、退職を決めた基本的な理由は、個人的なキャリアパスの設計と会社の方針のミスマッチ、労働観のミスマッチ、技術投資の考え方のミスマッチの三点に集約できると思っています。
ソフトウェアエンジニア(を目指す人間)にとってソニーと言えば、"自由闊達な理想工場"、エンジニアが自由に活躍できる会社、日本のメーカーなのにソフトウェアもちゃんとつくれる会社、などのイメージがあるかと思います。私もそう思っていました。
実際会社は説明会などでそういった説明をしましたし、そういったイメージを前提に私はソニーを選び、「エンジニアとしてプロフェッショナルになる。品質が高く、お客の求める体験を作り出せる人間になる」というふわっとしたゴールを設定し、いわゆる"プログラマ 35 歳定年説"をガン無視した一生エンジニア型キャリアパスを描いていました。
しかし、会社の求める人材像、少なくとも自分が配属された事業部で求められる人材像、キャリアパスは、上記と全く異なるものでした。
昇進の段階としては、現場業務(エンジニア)は基本的に常にマネジメント業務(中間管理職)に対して格下に位置得付けられており、一部オーバーラップする部分があるものの、昇進する = エンジニアをやめてマネージャーになるという状態でした。退職の原因になった上司からも「君は優秀なんだから、プログラミングみたいな低俗なことは早く辞めて人を動かせるようになれ。私が引っぱりあげてやる」(意訳)といったようなことを言われ、自身の「エンジニアとして生きる」というキャリア設計との相違は明らかでした。
もちろん、組織としてスケールするために、エンジニアが経験を活かしてマネジメントに移行することは否定されることではありません。ですが端から、エンジニアリングをマネジメントになるための踏み台として"しょうがなくやるもの"として扱うことには強い違和感と嫌悪感がありました。
退職の際の送別会で、部署の中でもエンジニアとしてレベルが高いと感じていた40代の先輩が、「ソニーではエンジニアリングは評価されない。俺はその方向に進んだけれど、給料は最近下がる一方だよ。君はいい選択をした」と言っていたのが、未だに記憶に残っています。
私はいわゆるライトなオタクで、アニメやゲームが好きでコンテンツを消化する時間が無限に足りないと感じていたり、自分で何かを考えてものを作るという絶望的に時間を食う行為も好きだったりして、ともかく余暇の時間の確保が人生の重要課題です。
もうご推察されたことと思いますが、ソニーでの私の労働時間はそれなりに長かったです。企画・ビジネスユニット主導のスケジュールに開発部隊は圧殺されて、長時間労働が常態化していました。私も残業時間が 90 〜 100 時間程度の月が 3 ヶ月ほど続いたこともありました。部署の先輩には、残業時間の"平均"が100時間という方もいましたし、月の半ばで法規制が許す残業時間を"使い切ってしまう"ため月の中盤以降は"定時に帰ったことになっている"デバイス系の同期もいました。正直に告白すれば、私もチームリーダーに「打刻してから席に戻ってこい」と言われたことがあり、そのチームリーダーは次の日悔恨の表情で「昨日言ったことは忘れてくれ」と言っていましたが、数カ月後に突然辞めました。
前述の通り、趣味の時間が人生の意義になっていた私にとって、これは体力的だけでなく精神的にも非常にダメージの大きいものでした。上司からの「君のチームが他のチームに比べて残業時間が少ないので、(労使交渉で通常の上限の)60時間まで残業時間を埋めてほしい」という指示が決定打となり、退職を決意するに至りました。
昨今の、シャープ・東芝等のニュースで明らかになっているとおり、大企業だから安泰ということはもう過去の話です。そのため、自分の市場価値を高めておく必要があると私は強く感じています。
しかし、会社はエンジニアリング軽視であり、またその昇進先であるマネジメントについてもお世辞にもプロの仕事とは呼べないものであり(残業100時間を続けないといけないマネジメントとはなんでしょうか?)、ソニーで働き続けることは私の「労働市場で自分の市場価値を高める」という方針にとってリスクでしかありませんでした。
人事担当者に、現在のキャリアパスについて不安があるという相談をしたときにも「増田さんがソニーで(定年まで)働き続けることを考えると〜」のような発言をしており、会社がなくなる / 現状の待遇が維持されなくなるというリスクは全く考慮されておらず、いかにただただ嵐が過ぎるのを耐えるかという発想しかありませんでした。
エンジニアリングについても、昨今の汎用チップにスペック的に見劣りする高額のカスタムチップの開発、そのカスタムチップを使いこなすための C / アセンブラによる手動の最適化といった"職人芸"に対する信仰、大量のテスターを雇っての人力テストなど、エンジニアとしてのセンスとしてやや疑問符がつく、ともすればレガシーな開発手法がまかり通っていたりと、この技術・職場に適応したとして、その人物は一般的な問題に対応できるだろうか?その人物を市場は評価するだろうか?という疑問が拭えませんでした。
また、業務時間がまるで足りないからとコードレビューすらろくにできないので知見がたまらない、時間がないので勉強もできない(しない)、もちろん職場で最新の技術に対するディスカッションどころか雑談すら成り立たない、という状況で、私がこのような職場で業務に忙殺されている間にも、世界のエンジニアは勉強し技術力を高めているのかと思うと、相対的に自分の市場価値を毀損されていると感じ、焦燥感にはちきれんばかりの思いでした。
こういった不安・不満があり、また会社の期待にも応えることが難しいということで、先ごろ無事ソニーを退職し、新しい職場で働き始めています。新しい職場は上記の 3 要件についてよくマッチしていると感じており、心穏やかに働けています。幸い年収も多少増える結果となりました。
色々書きましたが、これらはソニーが悪い会社だと言う話ではなくミスマッチだと思っています。上記の内容はすべて私の価値観を元にした一面からの評価になっており、他方でここで挙げたような会社の考え方(マネジメント優先・仕事優先・安定優先)に同調・納得できる方もいると思います。残念ながら私とはミスマッチだったというまでです。
また、あくまでこれらはソニーという(さらに言えば自分の配属された事業部という)組織に対する評価であり、尊敬できる先輩・同期もたくさんいましたし、そういった方々と出会えた、幸いにして現在も仲良くしていただいているということは、本当にありがたいことです。
みんながしあわせになるといいな。
内定もらった時の風景は今でも覚えていて、友人と一緒に出かけていた先で内定通知の電話がかかってきて、本当に2人で喜んで、とても嬉しかったのを覚えている。どうしてこうなっちゃったんだろうなぁ。
ものつくりの現場で、エンジニアリングをバカにされたのは悲しかったなぁ。私がいる間だけでも、ものが作れなくなっていってるのが感じられたのも悲しかった。
(IIの続きです)
共感してくださる方、自分も頑張ると言ってくださる方がいらしたこともまた救いでした。ありがとうございました。
わたし自身が願望と現実の差に疲れ果てて書き込んだ身なので、大きなことは言えません。一緒に前に進もうとすることくらいしかできませんが、わたしがここで救われたように、それが少しでも励ましになれば幸いです。
自分を肯定し、人としての自信を持っていきいきと振る舞える女性になれたとき、どこかでお会いできたらいいなと思いました。
年下を好きな方に対して、そういった扱いをされる方がいらっしゃることに驚きました。自分が年上の場合、見栄を張ってしまったり、助言を素直に受け入れづらい場面が増えるのではという印象があるため、わたし個人としては器の大きい方なのだろうと感じた次第です。年下を好きな女性、素敵だと思います。
名曲としか言いようがありません。わたしも主体性というオールをしっかり握りしめていきたい。
言い訳をせずに向き合うことも、これからの自分次第ですね。自分なりに努力をしたから、と、そのときの自分を認められるように頑張ります。
人の手を汚すことでも自分の手を汚すことでもないと思うので、搾取された以上のものをこれから積み重ねていきたいです。
書き込みをしたときの心境から言えば、二度と立ち上がれなくなるくらい叩かれたいという自暴自棄も多分に含まれていました。
結局そのあたりも、自分自身で動こうとしない傲慢さの表れだったのだと感じています。
人としての在り方自体も考えていくべきだと痛感したので、人間性の充実をはかりながら向き合うくらいで丁度いいのかもしれません。
コメントを拝読して、あこがれが度を超え親友たちを神聖化していた面もあるのでは……とはっとしました。親友だと思っていたわりに、彼女たちときちんと向き合うことも放棄していたのかもしれません。
一人ではないことに気がつけたので、いずれは同じ思いを抱えた人のことも支えられるようになれたらと思います。
- これおっさんだったらおもろいな
だったらわたしも笑い飛ばしてすむ話だったんですが、いかんせん現実なのでこうなりました。
なんの救いにならないとしても、理解することで視界が開けると世界は大きく変わりました。ありがとうございます。
- 「愛されるよりも愛したい真剣で」
こちらもまた名曲ですね。人を愛することもそうですが、自分を愛することに対する能動性も身につけていきたいところです。
そんな未来を自分で掴めるように、自分も人も愛せる人間になりたいと思います。
人間には何かしら欠点があるという当たり前のことを知っていながら、自分の問題になった途端そのことをすっかり忘れていた気がします。友人たちとは長所も短所もひっくるめての付き合いですし、恋愛だからといってそれが適用されない道理はないですね。
- 乙女ゲーやろう
10代の頃に少しプレイしていたのですが、主人公に自分を重ねてキャラクターに愛してもらう、という感覚になりきれず途方に暮れた思い出があります。
心底そう思います。ありがたいことです。
自分でさえ見えていなかった本質を言語化していただき、コメントを前に何度も頷きました。自分の人間性を自分が一番信用していなかったのだと思います。
はい。いただいたコメントを糧に前を向きます。できることから一つずつ。
すべてのコメントを挙げさせていただくことが叶わなかったにも関わらず、まとめただけでもこれだけのお言葉をいただいたのだと改めて実感しました。
自分自身のことさえ見えずに(あるいは見ようともせずに)自尊心や願望を書き散らし、傲慢さを振りまくばかり。あの書き込みは見るに堪えない内容だったことと思います。
そんな書き込みでも、さまざまなコメントをいただいたこと。そこから多くの発見が得られたこと。これからの自分を考える切欠をいただいたこと。前を向く力をいただけたこと。
マイナスの部分しかない内容でしたが、不格好でも外に向けて自分を表現したことに対する成果としては身に余るほどの幸いです。
冒頭の通り、元の書き込みも、この書き込みも、今後立ち止まったときのための戒めとして残しておきたいと思います。
一朝一夕に変わっていくことは不可能でも、今のわたしを大切にした時間の先に、これからのわたしがあるのだと知りました。
次に増田へ書き込みたいという意欲が湧いたときには、人生楽しいぞ!という話ができる素敵な人でいられるよう毎日を重ねていきます。
本当に、ありがとうございました。
http://anond.hatelabo.jp/20170320222848
http://anond.hatelabo.jp/20170321121632
今更だけどこれを読んだ
面接に落ちまくるのは多分焦って手当たり次第応募してるからじゃないかな。
仕事も人も縁。だから闇雲に応募するよりも数点集中で、受かったら本当に働きたい
と思うところに誠心誠意自分の想いとやる気をぶつけた方がいいと思うよ。
私も最初は不安と焦燥感から手当たり次第応募してたけど、面接行くだけで疲れちゃって。
あまり気乗りしない仕事の面接に行っても表面上はきちんと受け答えしていても気持ちが
入っていないっていうか…そんな感じだった。それは受からないの当たり前だよね。
ここで働きたいというのが伝わらない人を雇う会社はよっぽどのスキルマスターじゃないと無いだろうし。
しかも、運良くいざ合格してもあまり嬉しくなかったりして辞退した会社も数社。
焦って大量に応募しても意味がないって気づいたら少し楽になれるよ。
多少条件が良くなくてもスキルが足りなくても、自分がしたいと思う物に応募した方がいいと思う。その方が面接の時に気持ちを込めて受け応え出来るはず。
努力して真面目に生きていれば必ず願いは叶うって言い切ったらたしかに嘘になるけど、それでも努力しない不真面目な人を雇いたい会社は無いはずだよ。
父は数年前に亡くなって、母のことは嫌いなんだけど高齢だし、ほっとくのもどうかと思ってる。
今の仕事は刺身の上にタンポポを載せるような仕事で、クソみたいな給料でこき使われてんだけど、人間関係には困ってなかったからやめるやめる詐欺でずっと働いてきた。それが最近ハロワで変な噂(だいたいあってる)が流れてて、そのせいで日本人が入ってこなくなって、ろくに日本語もできないような外人さんを、面接(笑)で採用して、わずかに入ってくる日本人も、なんかこの人ほかに行くと来ないんだろうなぁって池沼しかいないしで、クソみたいな中国人と犬猿の仲になったりで、やめたい。新卒も二人とも屑だったしさ。さっさと辞めればいいのに。
だからさっさと辞めたいんだけど、年金暮らしの母を扶養に入れてるから、なかなか一歩を踏み出せないでいる。
昔から親に稟議を出すのが苦手で、あれがしたいとかこれがしたいとか、自分の意見をさらけ出すのが苦手で、遠い夢捨てきれずに故郷を棄てたいんだって言えれば楽なんだけど、MPが足りない。
昔夢見ていた職業があって、それをずっと忘れてたっていうか、言い出すのが恥ずかしかったっていうか、ってんで、今は刺身の上にタンポポを載せる仕事に甘んじてるんだけど、それももう6年目…
学生の時はパソコンの大先生(笑)で、趣味でプログラミングがちょっとできたから、お前はそっちに進めとか周りに言われてて、でも数学がてんで駄目だったからやめたんだけど、今ちょっと触ってみようと思っても、全然筆が進まない。エディタ開いて、やっぱいいやって。能無しみたいにホッテントリとニコレポとtwitterとFBを巡回して、転職先でも探せばいいのに、ばかじゃないの。
こんなんだから、上京したって無駄に貯金食いつぶしながら故郷にも帰れず、クソみたいな30歳になるんじゃないかって、かといってこのままだらだらと今の生活を続けていても、クソみたいな30歳になることは明白だし。仮面夫婦な親を見て育ったので、結婚なんてできるわけないし。
もう少し強くならなけりゃ時の流れに負けてしまいそうだっていう焦燥感が常に襲ってきてて辛い。
私みたいなのが友達もいない東京にふらっと出てきて、生きていけるのか、だれか教えてほしい。
このままじゃ嫌なんだ。
追記
運用なので実装や開発ということもなく、何かシステムに修正があればテスト、というような感じ。
先輩はいい人で色々教えてくれるので、勉強になるからその点はうれしいのだけれど、
やっぱり運用プロジェクトというせいかモチベーションが上がらない。
最近は毎朝起きるのも遅い。
以前は出勤時間の3〜4時間前に起床して、好きなプログラミングをしたり
会社に入ったばかりでやることはどれも新鮮。
少し難しい仕事も任されるようになってきてモチベーションもあったと思う。
それが今では不思議と朝起きたくないのだ。
起きるのがつらいというか億劫。
別に疲れが溜まっているわけではない。
目覚めは悪いどころかいつも目はぱっちりしている。
でも起きれない。ぎりぎりまで布団の中。
そして時間ぎりぎりになると焦燥感を感じつつのっそり布団から起き上がる。
この状況を打破するにはたぶん運用プロジェクトをやめるしかないのだろう。
今ではどうせ朝早く起きれないなら深夜までずっと起きていようか、なんて考えている。
会社をやめていく同僚にも言われたが、運用やってるとだれてくるらしい、私生活が。
今では職場でも私生活でもいきいきしている。うらやましい限りだ。
自分はフリーランスにはなろうとは思わないけども、少なくとも今のプロジェクトは半年が限度かなーとは思ってる。
それに自分の市場価値はどんどん上げたいと思っているし、会社だけでなく会社の外でも評価される人間になりたい。
そういう意味でも今の運用プロジェクトに長く関わるのは、正しい選択ではないように思う。
運用プロジェクトの残念なところは、仕事の大半が顧客対応のコミュニケーションコストでつぶれること。
特にお硬いお客さんだと本番作業をする度に、申請書類を書いて作業日の何日か前に提出しなければならないだとか。
障害対応であれば書類に発生日時や発生事象、発生原因、顧客影響、業務影響、対応策、横展開対応、再発防止策、etc..
なんてことをつらつら書かなければいけなかったり。
なにより障害が発生したらものによっては休日にも出勤しなければならないこと。
まぁ自分はその経験はまだ一度もないけども。ただ障害が起きて帰りが遅くなった時は本当に疲れる。
体力には自身があるけども精神的にはわりときます。人によるのかな?
つらつらと運用プロジェクトについてネガティブな事を書いたけども、悪いことばかりではない。
運用プロジェクトでは顧客対応が必須だ。なので顧客との話し合いは上手くなる。
例えばフレームワークの脆弱性が発表されれば、どの程度影響があるのか、どのような対策を取れば十分か、そもそもどんな対策がとれるのか、とか。
ハードウェア、ミドルウェアに障害が起きればそれに対する知識を駆使して対応を行う必要があるし、
ドメインが変わった、IPアドレスが変わった、となればシステムの運用や保守作業で影響がないか調査する必要がある。
他にも必要な知識として、プログラミング言語とSQLはそこそこかけて、DBクライアントやLinuxの操作、その他ミドルウェアの知識も必要になる。
なので現時点では自分のスキルはそこそこ伸びてはいるのかなーとは感じている。
理想は運用プロジェクトで吸収できるものは吸収していって、早めに別プロジェクトに移っていきたいですね。
私にはADHDとPDDの2つの発達障害の診断が下っている。いわゆるASDの気があるADHDというやつだ。
しかし支援が受けられるようなレベルではなく、定期的にカウンセリングや診察を受けている程度。
一応正社員として働いて自立しているが、今のところなんとかクビにならずにやっていけているのは本当にただただ運がいいだけの綱渡り状態でしかないと感じている。
しかし主治医に言わせると私程度では投薬をするほどでもないらしく、認知行動療法だの、自分用マニュアルを作るだのをしながら、
日々塞いだ穴と違う穴から水が漏れては失敗を重ね、社会から完全に脱落してしまうことへのカウントダウンが進む焦燥感をちょっとずつ募らせている。
以下はそんな程度の人間が、自分の状況を確認するために書き殴った、こういうことがあるよね、ということの羅列。
無駄に長く読みにくいが、その辺も含めて現時点での自分をよくあらわしている気がするのでこのまま残しておく。
一般にかなり生き辛いとされるっぽい併発マンの1サンプルとして御査収ください。
個人的な感覚としては、確かに生き辛いけど不幸ではないかなー?といったところ。
落ち着きがなく早とちり、常に体のどこかが動いており、隙あらばクネクネと身を捩って踊り始める。
道を歩けば電柱に激突し、側溝に落ち、何もない場所をまっすぐ歩いているだけで躓いたり足が絡まったりしてすっ転ぶが、転び慣れていて受け身は妙に上手い。
手に力を入れる感覚というのがまだ今一つ習得できていないらしく、握力計で測るとR9㎏/L6㎏とか。
当然力仕事は戦力外で500mlのペットボトルを持って歩いているとすぐに取り落とす。
何とかしようとスポンジボールをグニグニ握ってみたりするのだが、30回もやると手の平が攣る。
余計なことや場の空気をわきまえない発言をしがちで、それを予防するために、
職場では明示的に発言を求められない限り挨拶以外では口を開かないように気を付けている。にもかかわらずこのテの余計な一言による失敗が年に数回はある。
些細な言い間違いなどの流していい引っ掛かりで思考が完全にフリーズし、人混みや刺激の多い空間に行くと簡単にパニックになる。
他者の心の機微に疎く、表情は読み取れず、冗談が冗談とわからず翻弄されて勝手に疲弊し、相手からは呆れられる。
金銭の管理ができず、いくら気を付けていても持っている分だけ使ってしまうので、財布の中に2000円以上の現金を入れておくことができない。
異常に楽観的で、20分以上かかるような作業でも、根拠なく7分あればできると思い込んで毎回失敗する。
何事にも危機感がなくヘラヘラしているように見られるが、そうは言っても来月の給料日まであと20日で所持金1300円というような状況でも、
花が風に揺れていたり、子供が楽し気に遊んでいるのを見たりすればそれはそれとして笑顔になってしまう。
普段は抑えているが、一人になってリラックスしてしまっていると、
ちょっとした苛立ちからのボルテージの高まりを制御できなくなって癇癪を起こし、
最終的にホァーホァーと奇声を発して跳ねまわりながら自身の頬や体をパチパチパンチの如く乱打したり頭をぶつける発作を起こすまでに至る。
初対面の相手と3時間ミーティングをしたら、その日の夜から38度越えの高熱を出す。弟が試験で家に泊まった後も寝込んだ。
ネクタイや襟付きの服のボタンを上まで留めて一日過ごすだけでも高確率で熱を出すので、冠婚葬祭は休みを最低2日確保できなければ参加できない。
靴下を履いているだけで集中力が3割ぐらい減る感じがするし、爪は念入りにお湯でふやかさないと痛くて切ることができない。
パニック発作はだいぶマシになったもののまだ満員電車に乗ると3駅10分に満たない移動に途中下車を必要とし、降りると脂汗でドロドロになる。
夜は安定して寝付きにくく、帰り際に見た月がとても大きかった程度のことでテンションが上がってしまって、朝まで眠れず生活リズムが容易に崩壊する。
たまに早く寝付いてたっぷり眠れた日でも関係なしに朝は朝で大変起きにくい。
起こされても起こされたことを覚えておらず、場合によっては無意識に手足を振り回し奇声を発して抵抗するらしいのだが、記憶はない。
遅刻ギリギリで支度をしていたはずなのに、ハッと気付いたらピンセットを手に2時間近く腕毛をひたすら抜いていてスマホには会社から山ほど着信がきていたりする。
そういえばよーく思い出せばなにやら目の前でスマホが鳴っていたような気がしないでもないでもない……。
慌てて会社に向かいながら、衝動的にいつもと違う道を選んで迷子になり、道を確認しようとしたらスマホは家に忘れていた。
雨が降れば酷い頭痛に襲われ、雨に濡れるとアンパンマンのように覇気を失って耐え難い眠気に襲われ眠り込み、太陽の日差しを浴びて吐き気を催す。
そうかと思えば下痢が出るまで腹が冷えていることにも自分が寒さを感じていることにも気付かずむしろ暑いと感じていたりする感覚のエラーがある。
湯たんぽやストーブで低温やけどして皮膚がグズグズになっていても気付かない。
吐くまで自分が満腹であることに気付かなかったり、ガス漏れや下水の逆流にも気付かないほど一部の感覚が鈍い。
そのくせ視認、認識している痛みには過敏で、袖口やニット帽の締め付けが痛くてつけていられないし、
テレビや映画の他人のケガを見ているだけでも同じあたりが本当に痛み出して使えなくなってしまう。
同じように、体調が悪い他人を見ると、引っ張られて自分も本当に体調を崩す。病は気からとはよく言ったものだ。
奇跡的に結婚に漕ぎつけた妻は、ボディタッチが苦手で触れられることを無意識に拒否してしまったり、言われたことを忘れたりし続けて、
「宇宙人と暮らしている」「人の形をした別種の生物」という言葉が出てくるほど典型的なカサンドラ症候群に陥ってしまった。
その後抑うつ状態と診断された妻は心身の不調を頻繁に訴えるようになり、それに引っ張られて私も体調不良が激増し数年前には休職せざるを得ないところまでいった。
妻の体調を考えて妻を実家に帰して別居した結果、事実として途端に私の体調が劇的に改善してしまったので、他人と暮らす事自体に根本的に向いていないのだろう。
お互いに相手の事は悪しからず思っているので、現時点では別居したまま、一緒に住まない夫婦という形態を継続している。
耳からの情報獲得が壊滅的で、たびたび音声による意思疎通が困難なほど聞き取れないくせに、他人の話し声が耳に入ると頭の中の思考がすぐにリセットされる。
気を付けていても言葉を額面通りに解釈してしまっていてトラブルを起こす。
自分の普通が信用できないので様子を伺って行動を起こすのが遅れる。
3桁の数字すら覚えていられないのでメモを要するのだが、咄嗟にメモに書き込もうと取り出した時点で既に頭には何も残っていないので
相手がメモするほどでもないだろうと思っているしょうもない事ほど相手に二度手間をかけさせてしまう。
何度も見直して音読して指さし確認までした項目が、後から見ると完全に間違った内容になっていたりするし、
動かして整列させられない20個ほどのものを計数するような作業が苦手で、
何度やり直しても誤差が出るので何度も何度もやり直すが数が合わず、最後には数えながら眠ってしまう。
写真を撮ってペイントで書き込みながら数えるのが私がやる分には一番早いのだが、ただ数えるだけの雑用にそんな珍妙な方法をとる事には流石に理解も許可も得られない。
全体的に、長所は短所で打ち消されてそこまで伸びず、短所の数が倍になっているような印象がある。
過集中状態に入りかけたタイミングで、タスクを前から順番に潰していかないと落ち着かない
気持ち悪いというASD的な欲求が沸き出て来てしまうと、不得意なタスクにわざわざ向かってしまって集中がすぐに解けてしまうとか。
跳び込んだはいいが入水角度が浅く、すぐに浮いて来てしまうような感覚に似ている。
長所と長所の相互作用などもあってもよさそうなものだが、ADHDとASD的な特性の長所は割と違った方を向いていて、
うまくいい方向に重なって活かせるタイミングということが滅多にない。(ゼロではないし、実際に人生で数回爆発的な成果を残してはいる。)
今後も私は、周囲には踊り狂っているように映りつつ、もがく日々を過ごしていくのだろう。
高校生の頃、トレーディングカードゲーム(TCG)に打ち込んでいた。
学校帰りや休日は、もっぱら友人と地元のカードショップに入り浸っていた。
ご存知の通り、カードショップの主要な客層は学生と無職とフリーターなので、自然と年上の知り合いができる。
毎週金曜日の夜にはショップで大会が開かれていて、終わった後はいつも皆で夕食に出かけ、23時ごろの電車で帰った。
大学生のマンションへ入り浸って、私の知らなかった漫画やアニメに触れて、趣味の幅は大きく広がった。
県外へ泊り込みの遠征に行ったり、無職の親類がショップへ殴りこみに来たりもした。
この時期は私にとっていわゆる青春というやつで、その後の人生にも少なからず影響を与えたんだと今になって思う。
その後、学生達は就職に伴って段々と顔を見せなくなり、無職やフリーターは就職したりしなかったり、私も進学にあたって地元を離れたため、その後の交流は自然となくなった。
進学した私はカードに触ることがなくなった。きっと私はTCGよりもショップの友人達の方が好きだったんだと思う。
今でもそのTCGをオンラインゲームで遊んでいるけれど、現物のカードを持って誰かと顔を合わせることは10年以上していない。
たまに大きな大会のカバレージを読むと、その頃の知り合いの名前を見かけることがある。その度に嬉しくなって、それから少し後悔にも焦燥感にも似た思いを感じる。
もしあのまま友人達とTCGを続けていたらと、きっとそういう気持ちがあるんだろう。
ところで私の学力は高校3年間を通じて真っ逆さまに落ちていった。大体アーテイからスクイーくらいの落差があると言えばおわかりいただけるだろう。
原因は明白で、持てる資源を全てTCGとそれにまつわる人間関係につぎ込んだからである。その後の人生に与えた影響は甚大であった。
つまり今の私の醜態の原因は全てwizardsにある。責任をとって欲しい。
テーロスを処分し損ねて500tixくらい損してる。返して欲しい。
今はpauperでデルバー組んでコツコツ資産を増やしている。chestが貯まるとうっかり開封してしまうので資産は増えない。
本当にしょうもない。
親に聞いても、気難しい子供だったとのことだ。
繊細と言っていいのかわからないが、スーファミのストリートファイター
位の暴力的な描写が怖かったし、人にいわれた事にいちいち傷ついたりして
自分の内に閉じこもる事が多かった。
嫌な事があるとその人に暴力を振るったり、それが
できないと親に当たり散らしていたりした。親が自分の
気持ちを察してくれないと激昂したたいたり蹴ったりしていた。
比較的楽しく過ごせていた様に思うが、いつも満たされない気持ちが
あって辛かった。
中学生は地元の公立高校に行ったのだが、ここがまあひどかった。
始めたが、ここも不良たちばかりで基本的に気に入られる様に
勉強ができればまだ良かったのだが、頭が良くなかったし、
勉強に対するインセンティブも無かった。する意味もわからなかった。
今ならわかるが。
中途半端に不良に足を突っ込んでいたが、真面目になろうと思い
中学3年の初め暗いから生活態度を改めた。勉強ができる訳じゃなかった
ので、真面目にもなれないし、居場所が無かった。このときは本当に
その後、先生からは無理だといわれていた地元の工業高校に合格する事が
できた。
工業高校は基本的に資格を取って、工場勤務者を育てるための学校。
そこでも生きる意味が見いだせず、ひたすら日々を無為に過ごしていた。
高校では硬式テニスを始めたがいっさい成績を残す事が出来なかった。
勉強なんてやれば出来て、その勉強が将来につながっているという
事もわからず、何か自分を活かせるものは無いかといつも考えていた。
太っていたし、勉強もできないし、背は高くないし、おでこは広い
勉強もできないし何にも興味が持てなかったが、
親が専門学校でもいっとけなんて言ったもんで、
な所だ。専門学校なんてのは。
とれなかった。完全に落伍者だ。
事もあった。
持てない。30歳くらいになったら自殺したいと
思っている。
頭が良い人間であれば
素直な人間であれば
し続けられる人なんてほとんどいないはずだ。
小学生の頃から他人に気を使いすぎるタイプで人に意見を言うのが酷く苦手なタイプだった。扁桃体がビクンビクンしてしまうのだ。
中学生になると容姿の事で他人から馬鹿にされる事が多くなり、意見を言えない私の精神は内へ内へと籠りはじめ、次第に人と一緒にいるだけで酷く疲れるようになってしまった。
地頭もよろしくない私は勉強ができず、成績も下から数えた方が早かった。中学卒業後は、徒歩圏内の馬鹿高校へなんとか入学できた。幸いDQN等はおらずいじめもなかったが、人と会話をしているとき人の会話が全く頭に入らなくなっていることに気が付いた。喋っていて相手の言っていることが稀に理解できることがあったが、何を返していいのかわからず、相槌を打つのが関の山だった。
卒業後、やりたいこともなかった私は予備校に二年間通い公務員を目指した。高卒区分で地元の市役所に無事入庁できたものの、仕事の説明どころか市長の挨拶すら頭に全く入らない私は焦燥感や恐怖心だけが募り、自己紹介をするだけでもパニックを抑えるでいっぱいいっぱいだった。そんな調子の私は職場で雑談すら碌にできず、一言喋るだけでも酷く緊張するようになってきた。
研修を受けるだけでも精神的にボロボロになる私が実務を通して経験値を積み業務を遂行していけるようになるはずもなく、経験を積むどころかストレスと恐怖だけが詰みあがっていった。
休みの日にせめて家で勉強をしなければと思ったが、仕事に関しての勉強をしようとすると酷い恐怖と眠気に襲われるようになり、土曜日は食事が喉に通らず寝た切りで、日曜日の昼間だけ食事をとってずっと寝ていた。
通勤中に仕事への恐怖を打ち消すために車の中で発狂の様な大声をあげている事への異常さを客観視した時にもう限界だと思い精神科にいった。
社交不安障害だといわれ、ワイパックスをラムネの様に摂取する日々が続いたが、自分の能力の低さが起因する恐怖が解消されるわけでもなく、1年足らずで仕事を辞めた。
休職を選ばなかったことは正解だったと思う。退職後は家に引きこもっていたが心が少しずつ安定していき、半年ぐらい経った頃、食事が美味しいと感じるようになるまでに回復した。というのが今までの経緯でここからが本題。
今は非正規だが一応働いている。幸い人とほとんど喋らない業務なのでどうにか仕事にはかじりついているが、やはり口語能力の低さが課題となっている。
仕事を探してお金を稼ぎたい意志は強いのだが、口語能力の低さがネックになりどうしても一歩踏み出せないのだ。
自分は人よりワーキングメモリが小さいのだと考えている。相手の言ったことが頭に残らなかったり情報として処理できなかったりする。自分で説明をする時にも、何を言いたかったか、何を言っていたのか、がすぐに頭から消えてしまう。質問をされるとその質問の意味が処理できず、そしてパニックになる。
コールセンターで働いて場数を踏もうかとも考えたが、またキャパオーバーをして振り出しに戻る気がしてできない。
某機関へとある手続き申請のために電話をしたのだが、言葉だけで情報を伝達し使いこなす職員の凄さ(できる人の方が多いのだが)に圧倒されてしまった。
トップレベルの口語能力が欲しいとも言わない。仕事で必要な口語能力が欲しいのだ。
メンタルが人生の中で最悪だったときに受けてたカウンセラーでwais-iii受けたけど130こえてたぞ
そもそも脳機能ってなんなんだろうな?
俺はwais-iiiが何かよくわからんが
漫画家の冨樫先生でもまともに漫画かけないから創作機能は低下しているし、元増田も元学年トップ取るやつが勉強してもF欄しか受からないんだから
学習能力は低下している。そもそも、精神的な障害などから起こされる不安感や焦燥感なんて脳リソース的に考えたら無駄な思考でしかないんだから機能が低下するのが当然だと思うんだが
一時的に精神的に落ち込んでただけで継続的な状態じゃなかったんじゃないか?不安感で常に頭痛がするとか、頭痛で目がさめるとかそういうんだったの?
二言目にはこういうこと言うような奴の戯言を真に受けてブックマークしたわけじゃないよな?
個人攻撃だし、精神科に行けっていうのが暴論じゃない意味がわからない。自分個人の周りをトラッキングする限り精神科に行って改善した人はあまり見たことがない。
学部卒業から修士課程中退のおおよそ2年間、その大部分を私は怠惰に過ごした。
まともな研究もせずに卒業論文に突入し、指導教員にひたすらダメ出しをされてほとんどお情けみたいな形で卒業はした。進学後、これからはちゃんとしなくてはと思ったのとは真逆に、授業や研究に出ることは減っていった。
家の中(一人暮らし)ではただただ焦燥感が募っていった。授業に出なくては。研究しなくては。なにかしなくては。しかし数日間着替えてないし風呂にも入ってない。しなければいけないことばかり積み重なって後回しにして、ずるずると時間だけが過ぎていった。自己嫌悪と自己肯定が頭の中をぐるぐる回っていた。同級生が生存確認してくるようになったので、コンビニや図書館で時間を潰すこともした。家族や親しい人には、事態が決定的になるまで話さなかった。
中退後は今の会社に拾ってもらって、故郷も大学からも離れた街で社会人ヅラして生きている。多分、根本的な問題は直ってないし、死ぬまで解決しない。ただ、絶望して死んだり生活できなくならないために、反省しないようになった。悩みすぎて苦しむこともなければ劇的に改善されることもない。安全装置の如く、ある程度まで感情が進んだらそれ以上深くならないイメージ。
家から出られなくなることがなくなった分、しわ寄せは周りに行く。責任感だけはあると思っていた自分が、責任を他人に押しつけていることに気付く。家族からはビョーキ呼ばわりだの親不孝者扱いされ、彼女からは本気で死んで欲しいと懇願される。それでもケロッとしているのは、やはりどこかおかしくなったのか。思い悩んでも寝て起きたら出勤して適度に仕事する。そんな日々。
数年前のことだ。私は当時患っていたうつ病が回復する兆しが見えなく、この先明るい未来があるとも思えなく、生きていてよかったと思える瞬間もまったくなかったので、自殺をしようと思った。
1人暮らしのアパートから、Amazonで頑丈だと評判のロープを注文した。ほどけにくいロープの結び方をネットで調べた。自殺が失敗して変に重い後遺症を持ったまま生き残ってしまうほうが怖かったので、慎重にやろうと思った。最後にツイッターに自殺予告でもしようかと考えたりもしたが、仮に誰かが警察に通報するなどしたら中途半端なところで救出されてしまう可能性があったので、何も予告まがいのことはしなかった。本当にそこまでしてくれるようなフォロワーがいたかどうかは分からないが。
あとは部屋の中で台に乗って、首を吊る準備をした。この時点でもそれなりの恐怖を感じていたが、やめなかった。事前に酒を飲んでおくと楽だという話を何度か聞いたことがあったが、酒が飲める体質でなく飲んでも頭痛を起こすだけなのでシラフのままである。ロープを結び終えたら、恐る恐る台を蹴った。
……想像もしなかった恐怖を味わった。ひどくパニックになった。酸欠とともに、意思とは無関係に手足がジタバタと動く。文字通り、死にかけの虫のような動きだった。そして、あんなに死にたかったはずなのに、死にたくないという言葉で脳内が埋め尽くされた。ほとんど本能的にロープを手で外そうとするも、自ら慎重に頑丈に縛ったロープはほどくことも外すこともできない。スマートフォンは地面に置いてしまったので手は届かず、助けも求められない。焦燥感。思考はうまくできない。ただ助かることを求めていた。そうしたら、ほんとうに偶然に、手に届く棚の上にハサミが置いてあるのを見つけた。震える手を必死に伸ばす。掴む。ロープを切る。床に倒れる。
床に倒れてからも、しばらくは手足がジタバタしていた。頭は痛かったし、気持ちが悪かった。少し落ち着いても、無気力だけが残った。
それから、自殺をしようなどという気力が湧かなくなった。それでも死にたいのは変わらず、死にたいのに死への恐怖に勝てない自分を見すぼらしく感じた。
そうして生きていると、幸運にも状況が変わって元気が出てきた。朝起きることになんの苦も感じなくなったとき、自分にも朝起きられる能力があったのだなと思った。しばらくはそのままだったけれど、おそらく忙しくなってきたことが原因で、つい最近からまた憂鬱な状態が続いている。布団の中ですることが見当たらないので、自殺しようとした日のことを思い出しながら、文章に起こしてみようと思い書いている。