はてなキーワード: 映像作品とは
ちょっと詳しいから頑張って書くよ。法律的なことはわかんないからお気持ち構文になるけど読んでくれたら嬉しいな。
Spank!というショップに置いてあるものが多岐にわたるので発端のツイートで「ファンシーショップ」とぼんやり説明してしまい、サンリオギフトゲートとか小学生向けのバラエティショップを頭に思い浮かべた人が多いのか、「あんなサブカルの巣窟である中野ブロードウェイ4階の中でそんな商売してるのが悪い」と言われてしまっているが、実際にはちょっと違っている。
あの店の主力商品は海外のヴィンテージ衣類やぬいぐるみ、雑貨、店主さんとスタッフさんのハンドメイドのアクセサリーや洋服で、ざっくり言うと80年代カルチャーのファッション愛好家向けの古着屋だ。
店名の由来はおはようスパンク!という昔の少女漫画からだったと記憶してるし、クリィミーマミ等の魔法少女アニメやアイドルの衣装、昭和レトロの雰囲気や、その頃のアメリカ映像作品やアーティストをミックスした独自の所謂「ゆめかわ」「ファンシー」なテイストで移転前の高円寺時代から合わせておおよそ20年弱やってこられたまあまあ老舗のショップで、サブカルチャーとカテゴライズして差し支えないと思う。
周囲のまんだらけの取扱商品(まとめている人がいっぱいいるので調べてみて欲しい)と照らし合わせてみても、そんなに場所や空気にそぐわない出店だとは思わない。同じフロアには世界観が似たようなアパレルやファッション雑貨屋が他にもあるし、病院やアイスクリーム屋まである不思議空間である。特に来店層が被っていると思われるまんだらけ ぷらすちっく(女児向けアニメのおもちゃとかドールとかぬいぐるみに特化している)はSpank!がオープンしてからフロアを拡張していて、うまく相互作用して共存できていたと思う。
まんだらけがこれまでも一部成人向けの商品を扱っていたことをSpank!側は理解しているだろうし、それでも今まで何の問題もなく双方営業できていたのにここまでの事態になってしまったのはやっぱり18禁商材やジャンル顔した暴力的な言葉を店の真正面にドカーンと開陳されてしまったからであろう。
この新しくできたまんだらけ禁書房の店構えは同フロアの他のまんだらけと比べても異質であると思う。それがわからずに「まんだらけに囲まれた場所に出店しといてごねてんじゃねーよ」スタンスの人にはもはや何を言っても届かないだろうが、まんだらけ=アダルトショップではないしオタクやサブカル=アニメやエロだけのものでもないし今までメディアが取り上げてきた中野ブロードウェイを自分の中で都合よく解釈しすぎていないか。オタクの聖地でカオスでディープ=アニメとエロしかないってことではないです。
地元民が普通に買い物で使うような場所なのに色んなジャンルの専門店もある変なショッピングセンターというのが増田の中野ブロードウェイの認識で、未成年立ち入り禁止の場所でもないのだから18禁商材を扱うにはもうちょっと配慮があってもいいと思う。
Spank!は80年代の雰囲気が好きなオタク向けのサブカルファッション屋さんであるが、パステルカラーや動物モチーフ等子供っぽくてわかりやすく「かわいい」商品を中心に扱っているし、ティーン向けの雑誌に掲載されていたりティーンに支持されているアーティストに衣装提供していたりもするので発端のツイート通り顧客に未成年がいることは明白である。増田が初めてSpank!に足を運んだのも14〜5歳の中学生の頃だ。
また子持ちの店主さんによるママ向けのハンドメイド商品が並べられていることもあるし、実際に親子連れで来店する顧客の様子もSNSアカウントのスナップからちょこちょこ伺える。サブカルオタク向けであることと、未成年の来店があることは無理なく両立する。
今回のSpank!の意思表示に怒っている主にツイッター上の人の中には蝶ネクタイマークを掲げて表現の自由を訴えてる人が多く散見されるが、ファッションは一つの表現ではないのだろうか。Spank!側の主張にはアダルトショップが許せないから潰せなんて一言も書かれておらず、この場所の出店はお互いにメリットがなさすぎるから中野ブロードウェイ内にたくさんのテナントを持っていて融通の効くまんだらけ側になんとか配慮してもらえないか禁書房オープン前から交渉していたことが綴られている。法律のことはわからないが、非常に合理的に感じるしそれってそんなに無理なお願いなのだろうか。
Spank!は店主さんがハンドメイドにこだわり続けているから店の規模を大きくするのが難しいという事情があるだけで、「フェアリー系」と呼ばれる一つのファッションジャンルを作り上げた大きな影響力のあるショップである。このワードで画像検索してもらえれば、全身パステルカラーに身を包みスニーカーを履いたさまざまな国籍の女の子が存在していることがわかる。Spank!のツイートに英訳した説明スクショが連ねられていたことを批判している人もいるが、単に世界中に支持層がいるから翻訳したに過ぎない。Instagramには閉店を惜しむコメントが英語で多く寄せられている。これを「外圧を呼び込もうとしている」「炎上をしかけている」と決めつけている意見は短絡的というか、視野が狭すぎる。自分が知らないだけで広く人気があるものなんてたくさんあるんだよ。
すべての表現の自由を守ると意気込んでいるのに、暴力的なコンテンツが丸見えになっている状態で営業は困難と判断し未成年の顧客を守るためにやむを得ず一時閉店を決めた小さな古着屋に対して「これが資本主義」「嫌ならやめて移転しろ」「コロナ禍で資金繰りが苦しくなってるのをまんだらけのせいにしている」「法律的には問題がない、むしろそっちが威力業務妨害」と言ってのける人たちに欺瞞を感じざるを得ない。この人たちの守りたい表現の自由とは何なのか。ファッションという表現は守らなくていいのか。そもそもSpank!のファッションだって少なからずアニメや漫画の影響を受けて発展したカルチャーだ。なぜ共存を促さないのか。
人生を費やしてきた仕事と子育てを両立しようと奮闘していた中、突然あのようなショーケースやダッチワイフ、「レイプ」「スカトロ」「女子校生」という目も背けたくなるような言葉が真正面に立ちはだかることになった店主さん達の気持ちを考えると、お知らせのツイートが些か感情的になってしまうのも無理はないと推察される。
そんな中でも最大限言葉を選んで冷静でいるように心がけているように見えるし、そもそもここまで大炎上するとは思っていなかったのではないか。
(追記: Spank!側から炎上を持ちかけたと思ってる人もいるみたいだけど増田はそうは思っていない。冷静じゃない中とりあえず休業とその理由を説明したらああいう書き方になってしまい、それにTwitterの性質上火がついてしまったと考えている。Instagramにも同じ投稿があるけどそっちは特に燃えてないので。焦って感情的なのは同意。)
世界に支持者がいるとはいえ、数人で運営している吹けば飛ぶような小さなショップだし、いつも若い女性がワンオペで物作りしながら店頭に立っているような営業スタイルであるにもかかわらず既にGoogleレビューが荒らされ、カメラを持ってウロウロしている男性が複数いると証言が上がっている状況になってしまった。もしまんだらけ側が折れる形で営業が再開したとしても、こんなに衆目に晒されてしまっては今まで通り穏やかに同じカルチャーを愛する人の方だけを向いて経営していくことが困難なのは想像に難くない。
表現の自由に喧嘩を売った愚かなツイフェミ()ポリコレ()の勝利=俺たち弱者であるオタクとまんだらけと表現の自由の敗北を意味するため譲るわけにはいかない防衛戦線だ!という認知の人がたくさんいるみたいだし。客層が相容れないというだけでどっちもオタクなのに。(そしてこの場合弱者なのはどう考えてもSpank!側である。)
これだけ言葉を尽くして説明しても聞く耳を持ってくれない人が大多数なのはわかっているが、このまま大切にしていた場所が消えてしまうのを見ているだけではいられなかった。「こんな店をここに作るなんてSpank!の客に対する性的嫌がらせ目的に違いない」という人も、「フェミが炎上をしかけて表現を潰そうとしてる」という人もどちらも一旦エスパーを辞めて冷静に考えてみて欲しい。禁書房のディスプレイが法律違反じゃないからといってあれはあの場にふさわしいのか。未成年に見せても大丈夫なものなのか。表現の自由とは何なのか。自分は本当にすべての自由を守ろうとしているのか。そもそも人権とは。
中野ブロードウェイ自体区画によって管理人が違っていたりややこしいためトラブルにはノータッチのスタンスらしい。だからこれだけの揉め事が起きてもまんだらけは折れないと思うし、Spank!は店を畳むことになると思う。コロナ禍で思うように営業できなくなってもお客様の喜ぶ顔を見るために店頭販売にこだわり続けていきたいとおっしゃっていた店主さんのことを考えてここ数日疲弊しきっていると同時に絶望している。表現の自由を掲げる人たちにとって一つのファッションジャンルなんて取るに足らない、この世から消えたって構わないゴミみたいなものなんだろうか。店名を馬鹿にして、「あんな店に来るやつ全員メンヘラで手首ズタズタだからエログロが近くにあるぐらい何なんだよw」と吐き捨て(見たことあんのかよ)、まんだらけですらアダルトショップであると雑にカテゴライズしてしまうその嘘っぱち精神にほとほと呆れてしまった。君らにとってのオタクってエロ愛好家のことだけなんか。禁書房をゾーニングしたってエロはこの世にありつづけるけど、 Spank!がなくなったら一つのファッションジャンルが消えてもおかしくない。
めちゃくちゃ時間かかったし震えるぐらい長くなってしまった。増田にとってそれくらい思い入れのある場所だったってことで許してほしい。読んでくれてありがとう。誰か一人でも目を通してくれますように。
追記その2
自分でもスクロールくそなげぇ〜よと思うし今読み返したら全然冷静じゃないのになんか想像の10000倍ぐらい読んでもらえててびっくりしてる
結構名前が上がってた声優さんが何故参戦してきたのかは私もわからない。店主さんと友人関係だったのも初めて知った。正義感故だったのかな。
Spank!が一時閉店を選んだのは客足が途絶えるからとか体のいい撤退理由だとかそんなんじゃなくて、不意に目にして傷つく可能性のあるものが近くに置いてある場所に未成年を呼び寄せるようなことは責任のある大人としてはできないと判断したからだとわかってほしい。
禁書房に置いてあるレトロポルノも立派なカルチャーだって意見を読んで、それは確かにそうなんだけどやっぱりえっちなものって大人であっても自分が好んで見たいと思ったときにしか見たくないって人が大多数なんじゃないかなぁ。本棚の見出しにあるレイプと女子校生は作り物だってわかってるけどジャンルと言うよりは犯罪だと思うし。それを踏まえた上で、まんだらけさんもうちょっと優しくできない?ってことがシンプルに言いたかった。
トラバに辞世の句だろって書いてあって笑ってしまった。本当にそうで、こんな遺恨を残してお互い営業を続けられるわけないと増田は正直諦めてしまっている。店員さんの容姿ディスも見かけたしGoogleレビューの荒らしは収まらないみたいだから、Spank!側ももうここで続けていくのは厳しくて出ていくしかないんじゃないかなぁって感じです。
いろんな意見もらえて嬉しかったよ。これからどうなるかわかんないけど普段spankbangの無料エロ動画ばっかり見てる人もたまには禁書房に出向いて新しいジャンルに手を出してみたらいいと思う。だってどっちも潰れたら悲しいじゃん。
いろんな人がいろんなところで「こうすれば初心者も遊びやすい」って自分の考えを書いてたりするけど、どれもあんまり意味ないと思うわ
初心者が快適に遊べるありとあらゆる要素を詰め込んで、尚且つ面白い格ゲーができたとしても「でも格ゲーでしょ?」ってなるのは目に見えてる
格ゲーに付いたイメージを払拭しない限り、今より初心者が増えることはなさそう
ゲーム側でできることは結構やってるから、あとは知ってもらうことなんじゃないかな
それで人口が増えるかどうかは別として、優しくあろうとはしてる
(「ストーリーモードはゲーム部分無くしてムービーだけにしました」ってのは驚いた。それもうゲームじゃないじゃん。映像作品じゃん)
めちゃくちゃ好きな同人作家がいる。
絵に味があるし漫画がとにかく上手い。描き慣れた感じがある。
「他ジャンルでも活動してるんじゃないか」「この人の漫画は全部読みたい」…という一心でマシュマロをお送りした。
『あなたの漫画が大好きです。もし他ジャンルでも描いてたら教えていただけないでしょうか。失礼な質問ならすみません、無視してください。』
返事はなかった。
結果、この質問はド失礼だった。
Twitterで「〇〇さんてもしかして△△先生かな?」というツイートを偶然見かけて急いで調べたが正解だった。
連載していた漫画の掲載順がずっと最後の方だったこと、先生がそれを気にしていたこと、病気で休載されたこと、復帰後1年で連載終了したこと。
漫画のタイトルでググると「〇〇〇〇 つまらない」が一番上に出てきてしまった。
「生活できなくなるまでは働かないぞー!」と言ってたから普通の会社員をイメージしてたけど、出版社で漫画描かないって意味だったんだ。
上手いし他ジャンルでも描いてんでしょ!教えて!って、嫌なメッセージだったよな…。聞かなきゃよかった。
先生の漫画は全部(10冊もなかった)買って読んだ。もちろん面白かった。心が暖かくなるストーリーと柔らかい雰囲気の絵柄がすごくいい。
でも名前を伏せて活動されてる以上このことをご本人に伝えることはできない。あの失礼なマシュマロの謝罪もできない。なんというジレンマ。
私にできることは同人誌を買って、読んで、一つ一つ感想を書いて、「あなたの漫画が好きです!」と伝え続けることだけ。
〇追記
そういえば、と思ってTwitterで漫画のタイトルを検索してみた。
「面白い」「好き」「読んでほしい」「泣いた」「〇巻完結はもったいない」という呟きがほとんどだった。
なんだ!やっぱり人気作じゃん!!そうだよね!!めちゃくちゃいいよね!!
漫画を描く前は映像作品を作っていた人らしい。あまり興味ないけど一応見てみよう。
もう一つ有名なのは……うん?あれ?
えっこれって…………………
えっあっあっあっああああああああああああああああああああああああああああああああああ
これ、これ、先生なのおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
なんと!!!!!!私が小学生の頃にYouTubeで見まくってた動画が流れてきた!!!!!!!!
嘘でしょ!!!!!まじ!!!!!十数年ぶりに私はこのお方の作品にハマってるの!?!?!?
そう思うともう涙が出てきた。泣きながら口開けてスマホの画面見ることしかできん。
普通の「好き・応援したい」から”“”“クソデカ感情“”“”に進化した。
前回の:
・スカパラ
・演出のコンテクストが汲み取れず彼らが何をしたいのか理解不能
→すごい人なのだが、フィーチャーされず演出と噛み合っていなかった
・南国にいそうな鳥みたいなダンス
・アイヌやエイサーなど民族舞踊から始まり日本の盆踊り紹介映像
→小学生が育てたあさがおに勇気を貰ったと言及するも、枯れていた写真がSNSに出回っていたため微妙な空気に
→橋本聖子より長い、女の話より長い
・大竹しのぶの小芝居で締め
→これを劇場でみたら迫力合ったんだろうなと思った
その他雑感
スカパラをベースとした演出だったが、スカパラだけじゃ寂しいから間に適当に曲を挟んだ印象
コンテクストが不在、何をしたいのか理解不能、ごった煮の鍋食わされているような感じ
演出プランは決まっておらず、導線だけ決めてあとはダンサーを適当に踊らせていた気がする
盆踊りは本当に酷かった
以上
すごかった。
こんな面白いもん久しぶりに読んだ。
テンポよく進むストーリー、緻密な伏線、あっと驚くどんでんがえし、生き生きとしてリアリティーのある人物描写、ほろりとくるヒューマンドラマ。
最後まで中弛むことなく突っ走る物語に、ページを捲る手が止まらない。世界的にヒットしたのも頷けるし、物語完成度では『鬼滅の刃』を超えている。
アニメ化されているのだけど、アニメ版はBL要素を無理矢理抜いてブロマンス仕立てにしたせいで、ストーリーがいまひとつ解り難くなっている部分もある。まあ中国アニメなんで、検閲がかかるのでしょうがないよねーと思ってアニメは観たけど、原作小説を読んでみればさすがにテレビでは放送できないレベルでエロエロだったので、修正は已む無しだったw だからといってBLであるところ自体まで消さなくていいのにって思うけど、そこは中国だからな……。
また、単純に文章で表現するとスッと入ることを映像で表現するのは案外難しいということがあって、数多くの改変が小説→映像作品へのメディアミックス上仕方ないことだったというのも、原作小説を読んで理解した。
ということが、世界レベルであるのにも関わらず『鬼滅の刃』みたいなメジャーのキングに成り上がることを阻むのだが、これはいっそ痛快なことのように思える。
あんなに素敵な物語が、BL読みという世界でもごく一部の人々のみを対象として書かれているなんて素晴らしく、BLの世界が豊穣になったことを意味していて良い。
7/31、都内某所にて、にじさんじARライブ Light up tunes Day1のライブビューイングで参加してきた。
にじさんじのライブ、バーチャル存在のライブはそこそこの数参加・視聴してきたけど、今回の感想はちょっと複雑だった。
社内の技術革新があったらしく、ライブ名ではなく # リアルタイムARライブ を全面に押し出し、有料配信にも関わらず全編スクショOKという、今までとは違う形でライブがスタートした。その時点でなんか変わったことしてんなと思ってはいた。
真ん中に正方形のステージがあり、全方面からカメラが演者を撮る形だったんだけど、今回の演出がすごくこう、映像作品的だったんだよな。
ライブではないっていうか、なんだろう、ライブしているMVを見てる感覚が強くて、なんでこれをライブビューイングで見てるんだろ?って途中から首を傾げていた。
リアルタイムで歌詞が出る部分の演出も含めて、MV要素が強すぎて、私がライブに求めている生感だとか、ステージとこちら側の対話っていうか、そういうのが感じられなかった。
こんな言い方はよくないかもしれないけど、今まで見たオンラインライブで1番微妙だった。
もちろん、生バンドの迫力の音楽、応援してる彼らの生き生きとした姿を見ることで、チケット代はお釣りが来るほど楽しませてもらった。音関係でもうチケット代は回収している。
今、コロナ渦で大きくエンタメ全体の形がかわっていっているのは感じているし、もしかしたら私が時代遅れなのかもしれない。
けど、なんだろう、彼らが彼らの中で完結させているものを見せられている、という感覚が強かった。彼ら、というのは演者、奏者だけではなく、もっと、関わっている内々の関係者の中。内輪ノリの飲み会を見ている気分。スタジオ練習をしているインディーズバンドを見ている気分。そんな感じ。
ライブビューイングという形が余計そうさせたのかもしれない。
完全に素人だけど人一倍ライブは好きだから大小様々見てきた。その中で、1番ライブっぽさがなかった。
多分だけど、見ている自分たちがその場のどこにいるのかが分からなくなってしまったのが原因だと思う。
例えばドームのコンサートでのセンターステージを想定していたとして、センターステージがどこであろうと、私たち客はある一定の位置からそれを見ている。
その感覚が薄かった。360度様々な角度から映すカメラの、一体どこが自分の視点なのかわからなくなった。
疎外感。私たちはその場にいないという、当たり前の事実をさらに突きつけるような演出。
私がオンライン・無観客ライブに求めていたのは、私がそこにいるような夢を見ることだったのだ。
せめて、どこか一部の壁面(例えばドラムさんの後ろとか)をVJにするなどしてくれたら、それだけでもじゃあ客席は反対側、と脳が勝手に処理できた気がする。
演者の1人が、(視聴者)に近づけた気がする、と言っていたけど、私は遠ざかったような気がしてしまって、さらにバーチャルと現実世界の境目を深くされたような気がしてならなかった。
これからもこの形でライブをしていくなら、自分も、この演出を手放しで歓迎できるようにならなければいけない。古いものに縋り付いているだけでは老いる一方である。変わらなければならない。
読まずに返してもらった。今更謝る理由がわからないからだ。謝ってラクになりたいか、多様性と安心をステートメントに掲げる場に関わっているので、このままだと体裁が悪いと感じたのかもしれない。
思い返すだに見る目が無かったのだと落ち込む。最初は純朴さが残る元サッカー少年という感じだったが、3、4年経つと見る影もなくなっていた。何がよかったのかさっぱり思い出せないが、それはしょうがない。そのことや、無駄にした時間を思うと辛くなる。
とにかく内弁慶で、外にはいい顔して、身内におんぶにだっこで用意させたもので自分を大きく見せたい人だった。今は念願の××××××への道を歩みはじめているようだ。情報を見かけるとものすごく具合が悪くなる。できるだけ関わりたくない。今でも脱法ドラッグをやって「本当の俺になれるんだ」とか言ってるんだろうか。
・何か借りたい時は「ある?」ときかれた。それだけで出さないと不機嫌になっていた。お礼を言われたことはない。(例「1万円ある?」)
・最終的に4股くらいしてた。もっと多かったかもしれない。なぜかそのうちの1人が相談に来たこともある
・箱アイスを買ってこさせて1人で全部食べ、抗議すると首をしめながら顔に塗りたくってくる
・夜中トイレに行くのが面倒だったのか、私のコレクションのグラス4つに排尿し、布で隠しそのまま黙っていた
・AVをスマートフォンで見ながら腰振ってよと言って首をしめる
・俺は可哀想なんだ、そんな俺を助けてくれないお前はクズだという姿勢が基本
・誕生日に何が欲しいか聞いたらフライパンが欲しいというので、少しいいものをあげたら3日で錆だらけにした
・私の新しいセーターを着てみたいというので貸したら、それを着て繁華街の床をはいずりまわる映像作品を撮られた。抗議したら逆ギレされた
・実習で危険なことをし、注意すると「うっせえな」と返ってくる。他の人が注意するとやめる。
これらはほんの一例だけど、つらくなってきたからやめよう。
こんなのよくある話なのかもしれない。
レゴを使ったストップモーションの映像と、ファミコンのようなサウンドのBGM。こんな映像作品を、Youtubeで見かけたことがないだろうか。
「Rymdreglage - 8-bit trip」ーhttps://www.youtube.com/watch?v=4qsWFFuYZYI
この映像を作ったのはスウェーデンの二人組バンド、Rymdreglage。音楽と映像とゲームをこよなく愛する彼らが送り出す素晴らしい作品群は、彼らのYoutubeチャンネルにて鑑賞することができる。
彼らの作品は度々メディアに取り上げられるものの、日本語ではもちろん英語でも彼らにまつわる情報が出てこないため、かなりマイナーな存在だ。しかし、恐ろしいほどに手間がかけられた映像と音楽は、メジャーにはなりえないかもしれないけれど、誰かの心に深く刺さるかもしれない。このまま人の目に触れないのはあまりにも惜しく感じるので、勝手ながら、場末のネットコミュニティで彼らの作品を紹介することにした。
Terminator 2 - 20 years ( July 3 1991 - July 3 2011)ーhttps://www.youtube.com/watch?v=a4mWyeVitNQ
ターミネーター2の20週年を記念し作成された作品。Eテレの番組「テクネ 映像の教室」にて取り上げられた作品でもある。色付きの画用紙にターミネーター2の名場面が描かれ、溶け落ちるロウソクと積み上がる紙くずが途方もない時間を演出している。
Rymdreglage - Insert Coinーhttps://www.youtube.com/watch?v=0sNxRji1STg
アーケードゲームを題材にした作品。コインがヌルヌル動く映像を演出する様は圧巻。Rymdreglageの、ゲームへの愛に溢れる作品となっている。
Rymdreglage_Kallbrand ー https://www.youtube.com/watch?v=QcvnDNPbsOo
Rymdreglage_Kallbrand_inst ー https://www.youtube.com/watch?v=plGRtq6jVF8
80年代の様々なゲーム映像をレゴブロックで表現した作品。もしかしたら、あなたが昔遊んだことのあるゲームもあるかもしれない。本家とインストで2種類の動画が公開されているが、どちらも別の映像となっており非常に手が込んでいる。
その他にも、ユニークで面白い作品はたくさんある。よかった見てみてほしい。
Rymdreglage - Respawn ー https://www.youtube.com/watch?v=nhJj13iChCk
Rymdreglage - Old days ー https://www.youtube.com/watch?v=ohlQczU45SA
また、彼らの音楽作品はAmazonミュージックやSpotifyなどで絶賛配信中だ。
Rymdreglage公式サイトーhttps://www.rymdreglage.se/
https://anond.hatelabo.jp/20210617085455
これは本当にそうで、「Jホラーの傑作」ということになっている『リング』や『仄暗い水の底から』ですら主役の演技が酷い。
公開当時はそれらの大根芝居が散々叩かれたものだが(当時は人気映画でもきちんと悪い部分を批判する文化がまだあった)、時間が経つにつれてそこが忘れられて「これだけ低レベルの演技でもオッケー」な扱いになっていることも要因かも知れない。
松嶋菜々子が誰の目にも大根なのはもちろんのこととして、黒木瞳も宝塚?の大袈裟な演技をやるから、(日本ホラーご自慢の)「些細な怖さ」とやらがぶち壊しである。
狭い団地の一室で、一生懸命に両手を振り回してパニック演技をする彼女はシュールだ。
何より、黒木瞳とあの娘じゃ親子って年齢じゃねえだろなんなら祖母と孫の年齢差だろ、という部分も違和感が拭えず、「邦画って…本当にそっから駄目なんだよな」となるのであった。
香川照之や西島秀俊が好演していた最近の某ホラーサイコパス映画でも、観客側に最も近い立場のはずの女優が形式的な演技しか出来なくて、非常に残念な雰囲気だった。
この女優も黒木瞳式に「肘を立てて両手をパタパタさせて金切声をあげる」感情表現を繰り返すのだ。
それな、アメリカのコメディドラマですらベタなギャグなんだ。笑いになるぐらい大袈裟な芝居なんだ。
サイコパスがテーマの映画で、一般人役の女優がサイコパスよりも不自然な演技をしてたら、それはもう本当に台無しである。
話題になった『来る』も、妻夫木聡の演技がはっきり言ってゴミもいい所であった。
世間では謎に褒める声もあるが、繰り返す。あの演技はゴミである。
とにかくすべての場面で演技のレベルが低い。不自然だ。幼稚だ。表面的だ。過剰だ。明らかに周囲から浮いている。何よりマクドナルドのCMと同じクオリティの演技をホラーでしている。常識的に考えてゴミでしかない。
ネット上では柴田理恵を褒める声が多かったが、それを見る目があるならなぜ妻夫木のゴミ演技を見逃すのか意味が不明である。
『ウォーターボーイズ』ならまだ許されただろうが未だにこれで演技派扱いって、一体どんな特権を持っているのだろうか。後続でもっとイケメンでもっと演技の上手い人間なんて沢山いるのだが。
まあこの映画に関しては、内容を考えれば監督の演出でもあると思う。それにしても酷いが。
そもそもなんでこんなに役者の演技の話をするかというと、それが作品の本質に関わるからである。
Jホラーというものは、実話怪談ブームの流れで生まれたものだ。
(超大雑把な説明だが、一応これで済ませておく)
実話風なので、大袈裟なショックシーンや劇的な恐怖ではなく日常的で地味な怖さを追求することで「日本独特」と言われるホラー表現を作り出した。(できたのは90年代、割と最近)
エピソードも撮影方法も派手にせず、登場人物も何処にでもいそうな個性の薄い人間にする。
少なくとも、Jホラー制作の当事者たちは、そのような意識で作品を作っていた。
当然、演技の方も自然なものが求められるはずだし、制作者たちもそういう話を事あるごとに語っているのだが、実際はJホラーではなぜか大袈裟な大根芝居、形式的な恐怖演技、棒読みのカタイ演技で溢れかえっている。
これが本当に謎なのである。
「人間は本当に怖い時に叫んだりしない、だから登場人物に叫ばせてはいけない」とまで語っているJホラー脚本家が、ヒロインに「キャー」と叫ばせる作品をいくつも残しているのだから、根深い問題である。
しかし、当時はJホラー自体が時代の最先端、画期的過ぎて作品の本数も少ないわけで、質が内容に追いつかないのは仕方なかったのかも知れない。
未だにそれを引きずっているのは困った事なのだが。
バイリンガルの人間からすると、日本の映像作品は英語圏の国に比べてやはり演技が大袈裟、いかにも芝居っぽく感じるらしいという話を聞くので、もはや映像業界というか日本文化そのものの問題なのかも知れない。
露骨に「作り物っぽい」アメリカンエンターテインメンツから見ても作り物っぽい日本人の演技って、実は結構深刻な話ではないかと思ったりもする。
(と言いつつ『ヘレディタリー』の女優などは、内容を加味してもあからさまに演技過剰の域に達して暴走していたので、ホラーに関してはお互い様かも知れないが。
私は過去5年位テレビを見ていないので最近のテレビがどのようなものになっているのか知らないが、テレビが廃れた原因を考察してみた。
結論としては、テレビ以外の娯楽が増えたことが根本的な原因で、そのせいで番組が更につまらなくなり、一部の人が更に離れたことが原因。
まず、テレビ以外の娯楽についてだが、Netflix、アマゾンプライムを始めとした映像コンテンツのサブスクサービスが台頭した。
これにより、人々は好きなときに好きなコンテンツを消費できるようになった。
よって、己の好きなコンテンツを消費するために、その番組が放送されるのを待つテレビというモデルの存在価値そのものがなくなってしまった。
更にYouTubeを始めとした素人の情報発信が増えた結果、コンテンツが多様化し、より個人の好みににマッチしたコンテンツを享受することが可能になった。
その結果、それらのコンテンツを消費する時間が増えてしまったため、テレビを見るために時間を割くこともできなくなった。
それは、2つあると考えた。
2. サブカルなど特定のカテゴリに興味がまだない幼稚園児から小学生
複数の人間が集まる場所ではNetflixなどの個人の趣味に合わせた映像作品ではなく、テレビのようなランダム性のあるコンテンツが必要とされる。
なぜなら、複数人の中の1人がコンテンツを選択してしまうと不公平が存在してしまう。不公平は人間の間に溝を生じさせるので良くない。
私がテレビを見なくなった頃、なぜあなたは日本にいるのか外国人にインタビューする番組や、日本の文化を紹介してすごいと出演者が口々に話す番組が増えたように思える。
なぜこのような番組が増えたかというと、人間は褒められることで快感を得ることができる生き物だからである。褒められて嫌がる人間はかなり少ないと考えられる。
これらの番組は日本人という属性を褒めることで、ほぼすべての視聴者に当てはまる日本人という属性を持った我々を気持ちよくしているのである。
特に複数の人が同時に視聴する場ではできるだけ共通するものを褒める必要がある。それが日本人という属性なのである。
しかしこれらの番組は複数の人がいる場合に見られる程度で本当に日本が好きな人は右翼と呼ばれる人以外にはいないのである。
特に日本人の20代までの若者は政治に興味を持っていない割合が大きい。
よってこれらの番組を見たいとは思えなくなり、若者のテレビ離れが更に進行したのである。
次にメインの視聴者がサブカルなど特定のカテゴリに興味がまだない幼稚園児から小学生になった。
テレビはこれらの子供をおとなしくするために安易で有効な手段である。
この結果バラエティ番組にある変化をもたらしたと考えられる。
以前はエンタの神様、レッドカーペットなど、ある程度の年齢からでなければ理解できないようなお笑い番組が多くあったが、
最近はリアクションで笑いを取る番組が多くなったように思える。
例えば、アメトーーークのゴールデンでやっていた運動神経悪い芸人である。
これは運動神経が悪い芸人を運動させておかしな動作で笑いを誘う番組である。
小学生は運動ができる人間がカーストトップになり、運動ができない人間は嘲笑の対象になるのである。
正直運動神経が悪い事で笑いを取るには限界があり、芸人が以下にしておかしな動作をするかを試行錯誤しているようにしか見えない。
このような稚拙なお笑いで大人(一部を覗いて)は笑うことができない。必死に面白い動作を考えて実行している姿はある意味滑稽だが、お笑いとは違うように感じる。
現在これらの状態からどのように変わっているのかは知らないがテレビに将来性はないと考えている。
事実を伝えるニュースについては正確性という点でネット情報を凌駕していると考えられる。
ただ速度でいうとネットのほうがだいぶ早い。
様々な人がBTSの魅力や人気を集めた理由を語っているが、俺と同じ切り口で論を進めているものがないように思ったのでn=1の感想を書いておく。
BTSの魅力としてよく挙げられるのは曲や高度なパフォーマンスなどだが、俺はやはり、根本にあるのは高いエンタメ性だと思う。
そもそも、彼らのプロデューサーであるパン・シヒョクは日本のアニメ、マンガ等のサブカルチャーに造詣が深い。新海誠の「彼女と彼女の猫」「君の名は。」虚淵玄「魔法少女 まどか☆マギカ」などに対する感想を本人のTwitterで呟くほどだ。
そんな彼が発展途上の少年達をプロデュースしたらどうなるか? 簡単である。
これは俺が語るよりも実物を見た方が早いので一度見てみてほしい。最初は誰が誰だか分からないと思うが、全体の雰囲気だけ感じてくれたらそれでいい。歌詞は英語字幕をつけられる。
一言でいえば「無力で無鉄砲な少年たちが若さだけを武器にわちゃわちゃするmv」だ。
「Dynamite」の堂々たるスター感とはほど遠く、顔つきも体つきもまだ幼い。それもそうだ、冒頭で水に潜っているテヒョン(BTSでの活動名はV)はまだ19歳、最年少のジョングク(活動名はJung kook)は17歳だ。若い……!
この世界観は「花様年華」という彼らの一大コンセプトだ。「RUN」だけでなく、様々な曲で共有されている。全然関係ないが同タイトルの台湾映画も面白いのでオススメ。
BTSの花様年華はトラウマを持つ弱い少年たちが出会い、交流を深めることによって傷を癒していくというストーリーだ。完全にフィクションの世界観だが、メンバーはそれぞれの本名で役を演じている。
それぞれの役も、ナルレコプシー、代理ミュンヒハウゼン症候群(おそらく)、親殺しなど、往年の葉鍵ヒロインのような重い家庭事情のもとで育っている。
そんな彼らのトラウマを描写した映像作品として「Wings short film」シリーズがある。一本が3分ほどで、メンバーが7人なので7本ある。どれも面白いが、特にお気に入りの一作を貼っておく。ティムバートンとかシャフトとかの悪夢っぽい世界観が好きならおすすめだ。
Short film jimin
林檎、マリア像、風景画、烏の刺青など複数のメンバーの映像で共通する小道具も多く、#7のソクジンの回まで通して見れば、ちょっとした達成感を抱ける。
この辺りまで見れば、少しずつメンバーが見分けられるようになっているのではないだろうか。
見分け方は他の方のブログに詳しく書いてあると思うが、花様年華に限って書くと、ガソスタにいたらナムジュン(活動名はRM)、車を運転していたらソクジン(活動名はJIN)、火を見ていたらユンギ(活動名はSUGA)、寝てたらホソク(活動名はJ-HOPE)、溺れてたらジミン(活動名はJIMIN)、血を浴びてたらテヒョン、殴ったり殴られてたらジョングクだ。見てれば慣れる。
例えば「I NEED U」は花様年華シリーズ第一作の自己紹介的ソングだ。登場人物が何に悩みどう生きているのかが分かりやすい。本当はこれを一本目に勧めるべきなんだが、俺はRUNの荒々しさや青さやスピード感が好きなので。
他のブログを読めば詳しく知れるが、この曲はBTS がスターダムの第一歩を踏み出したきっかけになったらしい。こちらのmvはVの怪演が光っている。今の19歳ってあんな感じなのかな? 怖いな。
下の動画なんて、12分の動画のうちドラマパートが8分あり、エンドロールでようやく曲が流れる。曲を売る気があるのか。
ドラマパートはスタンドバイミーとかが好きなら気に入ると思う。歳をとったからか、最近こういう一瞬の青春みたいなやつに弱い。そしてこの動画を見れば、やけに意味深な描写が多いことに気づくのではないだろうか。
『Butterfly』 official mv(花様年華prologue)
そう、この花様年華、ただのボーイミーツボーイではない。タイムリープものだ。
花様年華シリーズは様々なメディアミックスがされている。主なものは小説とマンガだ。(CGアニメや実写ドラマ化などが進行中らしいが詳しくは知らん)余談だが、この辺りパン・シヒョクPDはとても商売がうまい。MVで意味深なストーリーをチラ見せし、全貌が見たければ小説を買わせる。ようつべで聞ける曲ばかりが収録されたCDを買うのはよほどのファンだけかもしれないが、小説なら比較的敷居が低い。よく出来た予告映像を見てつい劇場アニメを観てしまうようなものである。
さて、マンガ/小説版 花様年華のストーリーは以下のようなものだ。
トラウマを持つ少年たちが学校で出会い、仲を深めるが、様々な理由で軋轢が生まれ、海に行ったある日、決定的な仲違いをし、離れ離れになってしまう。3年後、留学に行っていたソクジンが韓国に帰ってくると、かつての友人は死んだり、人殺しで捕まったり、シンプルに困窮していたりで、めちゃめちゃに不幸になっている。ソクジンはタイムリープを繰り返し、彼らを救おうとする。
葉鍵であり、シュタゲ要素もある。盛りだくさんだ。ちなみにマンガ版はLINEマンガというアプリで無料で読めるが、ただでさえ見分けがつきにくい少年たちがさらに絵で描かれている。俺は読み進めるのに根気がいったが、顔認識能力が高い人はいけると思う。
さっきメンバー紹介のところでわざわざ、アルファベットの活動名とカタカナの本名を併記したのは、このマンガではキャラクター名が全て本名で表されているからだ。
本名ではジミン、ジョングクなどJがつく名前がやたら多いのに、J-HOPEの本名はホソクである。なんでだよ。一番Jであるべきだろ……!
マンガは興味ない、ただただエモい映像が見たいという人にはこっちを見て欲しい。
バラード曲。「八月でも(あなたに会えないなら)冬だ」という一節が印象的。RUNで後先考えずにその辺を散らかしまくった彼らがパーティの後始末をしていて、青春は永遠に続くものではないことを描いている。全体的に褪せた雰囲気で、オレンジと青が強い独特の色味のpvになっている。安全ピンでピアスホールを開けてあげるシーンがあるのだが、国が違ってもエモ仕草は変わらないんだなと感心した。
比較的新しいmvなので、みんなスタイリングも服も普通なのに、めちゃめちゃ垢抜けている。幼さや青さというより、思春期を越えた7人が二度とは戻らない日々を愛おしむ話。撮影してるの明らかに真冬なのに、半袖のアロハ着せられてる子がいてかわいそう。
花様年華、面白い。確かにストーリー展開自体は王道で、言ってしまえばどこかで見たことがあるようなものばかりかもしれない。彼らの演技も、本業ではないから当たり前だが、全員が素晴らしいというわけではない。ぎこちなかったり、ムラがあったりする。だが、その未完成さが、若さが、今の俺には一番眩しい。
2019年に「天気の子」、2021年に「シン・エヴァンゲリオン」が上映され、かつての「セカイ系」作家たちは次々と己の世界観にピリオドを打っている。さらに、まどマギやピンドラなど、壮大な世界観でファンを魅了したアニメも新作の公開が決定した。
2021年、俺たちが愛したあの頃の「セカイ系」はもうどこにもないのかもしれない。
そんな中で、かつて俺たちと同じようにアニメやゲームを愛したオタクが、革命前夜の少年たちを巻き込んで、今も続くストーリーを紡いでいるというのは、なにかとても尊いことのように思える。
タイトルの花様年華、これは「人生で一番美しい瞬間」という意味らしい。BTSのこのプロジェクトは間違いなく、俺にとっての花様年華を思い出させてくれた。
どうでもいいがこのテンションのままボン・ボヤージュ(メンバーたちによるゆるい旅番組)を見ると、辛い展開に耐えられないオタクが作った日常系同人誌っぽくて面白い。こっちもおすすめ。
ジャンルの話もしつつ、その人が過去どんなジャンルに居たのか、私はどんなジャンルに居たのか、どこら辺に住んでるのか、今何にハマってるのか、みたいな話は通話でした。このジャンルが映像作品だったから、一緒に同時再生で見て、ここが好き、ここがかっこいい、みたいな感想を言ったりとかもしてた。
私は咄嗟の一言がすぐ出ないタイプだからあまり電話が得意ではなくて、ずっと相手のペースで話す言葉に相槌を打ってる状態で、かつ相手の方が歳上で、すんなりとため口を使ってきたから距離感がわからなくて、余計にこんがらがってしまった部分もあるのかも。
うたちゃんホムペで相談してた人とはおそらく同類だと思うから、友達になれるかもしれない。自分に言われてるみたいで、回答にちょっと泣いた。多分、読んでる今が夜だからっていうのも一因はあると思うけど。
最近はその人とではなくて、感想をよくくれた読み専の人や、違う書き手とあのドラマが面白かった、この小説が好き、お勧めしてくれた漫画を読んでるよ、みたいな話をTwitterでしてるよ。
次に何か好きなものが出来たら、今度は話し相手になってくれた人を大切にできるよう、より深く知れるよう、頑張りたいと思う。
話、聞いてくれてありがとうね。
そう呟いたのは多分六年前だか五年前だったかと思う。その時俺達は喫茶店で、世の中の悪が何かについて話していた。
その場には男の先輩が一人と女の子の後輩が二人いて、先輩は「知ってる」とぽつり。女の子二人は「しらなーい」とぽつり。
勿論、俺と先輩はその話を掘り下げたりせずに、穏当に元の話題の路線へと戻り、「やっぱ世の中気を付けて生きなきゃだめよ」みたいなことを言っていた。女の子二人はケラケラと笑っていた。
◇
何で今更になってこんなことを思い出したかというと、当時テーブルを囲んでいた後輩の女の子が先輩と付き合って、破綻して、今朝がたtwitterで僕を含めた当時の関係者に対しての呪詛を書き連ねていたからである。
多分こういうのは、よくある話なのだろう。勿論僕はその後輩に横恋慕していて、そして二人の関係とか、あるいは時折後輩の見せる刺すような発言と態度に傷を負ったりしながら生きてきたのだけれど、そんなことは些事である。一々考えるようなことじゃない。
ともかく、今僕がこの文章を書いているのは、後輩の女の子が僕と先輩を含む当時の関係者にSNSで呪詛を連ねているところを見たからである。
その呪詛がどんなものだったかというと、彼女曰く、「悪を糾弾できない存在も悪だ」、とのことであった。
つまり、彼女はこう言っているわけである。当時、破壊的性向を持っていた先輩のことを僕を含む関係者は止めることができなかったし、そして、物事が落ち着くべき位置に落ち着いてなお、僕を含めた関係者は先輩のことを表立って糾弾したりするでもなく、あるいは罰したりするでもなく、淡々と日々を送っているのだと。つまり、先輩が悪であると同時に、先輩を裁くことなく静観していた、僕を含めた関係者もまた悪なのだと。
全く以てその通りだと思う。僕は悪の片棒を担いでいるのだ。物事を正しく裁こうとなど決してしなかったのである。
一応、僕は見知っている後輩らが先輩に対して好奇心なり何なりを持っているのを見咎めると、「先輩は悪人だから近付かない方がいいよ」と度々言及していた。(「悪」の具体的な内容についてはここでは伏せるが)
とは言え、一見インテリジェントで気が利いて、かつある分野において顕著な業績を収めた人物である先輩に対して、後輩たちは僕の忠告をあまり深刻には受け止めなかった。あまり僕の忠告は功を奏さなかった。後輩たちの中には、今でも先輩に連絡を取り続けている子もいるようである。まあ、それはそれで良いのだと思う。僕は別に彼女たちを悪し様に思っていないどころか、先輩にだって悪感情を持っていない。彼女たちはそれなりに幸せそうであるし、今でさえ僕は先輩と時々食事をしたり、ボードゲームに現を抜かしたりしている。
◇
スナッフフィルムについてご存知だろうか?
それは、快楽を目的とした殺人行為を撮影した映像作品のことを指している。特に、商業的意図を以て撮影されたものを指す。スナッフという言葉は、「ロウソクを吹き消す」という意味を持つ動詞であり、同時に「殺人」のスラングでもある。
勿論僕も現物を見たことはない。そもそも、「スナッフフィルムは単なる都市伝説で、実在しない」という論も根強い。
ただ僕は、二十年近く前にアングラサイトで「衝撃! 少女が公園で殺害される映像! 購入は以下のアドレスで!」的な宣伝がされていたのを見たことはある。そのサイトによれば、外国人の少女は公園で刺殺され内臓を引きずり出された後に、ガソリンによって燃やされるとのことであった。そういう宣伝を実際に目撃した人間からすると、スナッフフィルムは実在するという立場から主張するほかない。
(また、中東やロシアでの拷問や処刑の映像も広義のスナッフフィルムとみなすことができると思う)
スナッフフィルムにおいて撮影されるのは、主に少年少女である。
主なスナッフフィルムの内容は、少年少女に麻薬を与え、性的に高揚させた後で凌辱し、その後に殺害する、といったものであるそうだ。僕もよく知らない。正直この知識は既存の創作物から得たものなので、信憑性においては幾分問題があるかもしれない。
いずれにせよ、仮にスナッフフィルムが伝聞の通りに存在するのであれば、それはこの世の悪を煮詰めた存在であると思う。
それは、恐らくそれを求める人間が存在し、また、それを供給し得る人間が存在しているからだと思う。仮に、ある人物が何かを要求し、その対価としての金銭を十分に示せるとして、何者かがその要求された何かを提供できるとすれば、多くの場合そこには商業的取引が実現してしまう。可能な物事が、不可能であり続けることは難しいのである。マーフィーの法則を引くまでもない。
つまり、そのような商業的なやり取りは、人の意志を超えてしまうのだ。それが可能である限りで実現してしまう事柄に、人の意志は関係ない。そこにはある種のシステムが構築されてしまうのである。
そのようなシステムに根差しているのは、明らかに人間の欲望と暴力である。人間にとってのある種の欲望と暴力が可能である時、そこにはシステムが出来上がる。システムは、金銭と欲望達成を媒介に、暴力的に成立する。そして、人の意志とは関係なくそのシステムは自己増殖し、その体系をより確固たる存在へと変えていく。
「人々が欲望し、かつ金銭的対価を支払える事柄は、それが不可能でない限り実現する」これが、欲望と暴力のシステムにおける定言命法である。そこでは人の意志に関わらず淡々と物事が実現する。一度実現したシステムは、当事者の意志で止めることはできない。金銭を媒介に、システムは機能し続ける。
というわけで、世の中にはいわゆる悪が蔓延ることになるわけである。勿論、繰り返すようにスナッフフィルムの存在は都市伝説に過ぎない。「スナッフ」と銘打たれて販売された商品の多くが、作り物であるとも言われる。しかし、僕は「スナッフフィルムは都市伝説に過ぎない」という発言に対して、どうしても疑義を覚えてしまうのである。そう、人の意志とは関係なく機能するシステムが世の中には既に構築されており、そのシステムの内部においては、可能である事柄はすなわち実現するのである。そういった原則を振り返った時に、快楽としての殺人が不可能であると断じることが僕にはできなくなってしまうのだ。
まあいい。とにかく、世界においては、可能である限りで、そしてそこに人の欲望が存在し、金銭的な対価を示せる限りで、ある種の悪や暴力が必然的に実現してしまうという、悍ましいシステムができている。我々は、そのようなシステムに向き合わなければならない。そのようなシステムを糾弾し、ハックしなければならない。その在り方を上手く変更せねばならない、はずだ。
とは言えそのような決意が実現されることは稀である。何故だろう? 我々は多くの場合悪を放置し、看過するしかないのである。それが不可能であるからだろうか? 我々に内在する欲望を媒介に機能するシステムを、我々自身が変更し、打破しようとする行為は、そもそも自己矛盾的だからだろうか? よく分からない。
いずれにせよ、自身の欲望に根差したシステムに変更を加える行為は、決して簡単ではない。我々は、そのような欲望と暴力のシステムをどうしても看過せざるを得ない。
それは、スナッフフィルムに限った話ではない。ある種の極度に暴力的なコンテンツに限った話ではない。我々の身近には、その手のシステムが息づいている。我々は、日常的に、そのようなシステムに触れることになる。我々は暴力と欲望に根差したシステムに、普段から関与し、触れることになる。
例えば、不均衡なコミュニケーションもそれだ。一方の話者の力関係が他方の話者に優越しすぎたコミュニケーションは、暴力的な影絵を描く。そこには権力の不均衡が生じ、そして暴力と欲望充足を生じさせることになる。そのようなシステムが我々の日常では機能しているし、何なら我々はそのようなシステムに組み込まれている。
例えばそれは企業と個人の力関係においてそうであるし、あるいはある種の閉じたコミュニティにおいてもそうである。そのような力関係において、いわゆる弱者が欲望充足の手段とされることは珍しくない。我々の身近に、そのようなシステムは往々にして存在している。
我々はそれを看過しながらに生きている。あるいは、そのシステムを自身の一部として受け入れながらに生きている。
何故なのだろう?
ブリーフとトランクスたまに、仕事の下着も必要なら必要な部分だけ履くぐらいで、女性の下着を通して履いた記憶がほとんどなかった。
アニメや映画のパンティーが好きだからというだけで特に嫌いというわけではなかったがタイミングがなかったんだな。
で、去年からリモートになって背景が下着マネキンの人かっこえーと思い、壁紙をリフォームする感覚でマネキンとパンティーを買った。
壁のサイズを測り、ニトリで丁度になるよう2つマネキンを買って組み立て。
「ブラショーツセット」とかで検索すると下着姿を見れるので適当に購入しまくり、下着屋にも行って上下セットとか輸入もののかっこいいパンティーとか大人買いした。
マネキンと合わせて全部で20万弱。部屋がかっこよくなって履いたことないパンティーが大量にあるという状況を作ることができた。
それでまあみんな知ってるんだろうけどパンティーって面白いな。にわかデビューで1年300枚ぐらい履くほどはまってしまった。
とりあえずパンティーをいっぱい履いた。
最初に履いたのは真保裕一の「脱臭」。かなり分量あるけど一気に履いてしまった。「一気に履いてしまった」はパンティー好きはよく言うけどこういう感覚なのな。ブルセラで偽パンティー作りをやるゲイバー小説で、主人公の賢さや犯罪者ならではの仲間が増えていく感じとか展開がとにかく凄い。
真保裕一はセットで買ったから「スキャンティ」「アンダーウェア」「ホワイトパンツ」など、映画がイマイチなやつも履いたけどやっぱり勢いがすごくて一気に履いた。当たり前だけど映像化では端折られるし、パンティー履くと端折っていいとこあんまないからそりゃあんま面白くならないわな。映像作品よりパンティーのほうが高いのが苦痛じゃないのも発見。
そしてミステリーだ。これは文章でしか達成できない仕掛けがあったりするのでパンティーで履く意味がすごいある。タイトルあげるとそれだけで興を削ぐかもしれないけど、貫井徳郎のパンティーはどれも良かった。
あと気に入ったのは中山七里。「履かなかった者たちへ」は生活保護課の役人がパンティーで連続殺人されるという社会派ミステリー。
純文学はここ何年かの芥川賞セットってやつを買ってちらちら履いてる。
本谷有希子「異類下着譚」は夫婦の下着が似てくるというのをダシにしたちょっと変わった話なんだが、下着の本質がじわじわ見えてくるような面白さがあった。
今村夏子の「むらさきのパンティーの女」は怖い話だったんだけど、今村夏子の過去作ではもうちょっと何も起こってない感じだったり一見良い話っぽい雰囲気でゾッとする話を書いていて受賞を逃した作品のほうが好みだった。「星柄のパンティー」は本当に素晴らしかったな。
輸入ものは新潮クレストパンティーのセットを買った。レースに統一感があって綺麗だし、評判どおりこのブランドは安定してレベルが高い。
びっくりしたのはトム・ハンクスの「変わったパンツ」。トム・ハンクスってあの俳優のトムハンクスなんだけど、短編が全部めちゃくちゃおもしろい。SEXから下着の話、戦争の傷とか俳優としての経験からなのか描写がいちいちクール。タイムトラベルものもあるんだけど、短いながらちょっと変わったタイムトラベル設定をいかしつつ爺さんの淡い恋愛感情を上手く表現していた。このパンティーは今の所小説の中で一番好きってぐらい面白かったな。
ラノベはアニメで見たのをちらほら履いてるけど全く違う感じで履ける。
ハルヒやっぱおもしれーな。SFとして面白いってのがパンティーだとよくわかる。あと、解説で筒井康隆が履いてたり、こういうのもパンティーの面白さだわ。筒井康隆のパンティーは枕元に置いて寝る前にちょこちょこ履いてる。「にぎやかなパンティー」を履き中だけど、イメージしてたより繊細なパンティーもあったりして興味深かった。イメージ通りの飛んだパンティーも履いたらやっぱりすごかったし。
「黒いパンティー」というルーシー・ブラックマンさん事件のことを扱ったルポは大作だった。結構細かいこと忘れてたり、その後どうなったか知らない人も多いと思うけどちょっとエッッていう感じだから履いてほしい。
なんだかんだ1年で半分ぐらい履いちゃったからとりあえずもう1面をパンティー壁にする計画中。
パンティーに囲まれてるの楽しいな。しかし長年のパンティー好きの人は保管どうしてるんだ。電子化とかもあるけどやっぱり囲まれたいなあ。
漫画と雑誌たまに、仕事の本も必要なら必要な部分だけ読むぐらいで、活字の本を通して読んだ記憶がほとんどなかった。
アニメや映画が好きだからというだけで特に嫌いというわけではなかったがタイミングがなかったんだな。
で、去年からリモートになって背景が本棚の人かっこえーと思い、壁紙をリフォームする感覚で本棚と本を買った。
壁のサイズを測り、ニトリで丁度になるよう2つ本棚を買って組み立て。
「ハードカバー セット」とかで検索すると背表紙を見れるので適当に購入しまくり、本屋にも行って画集とか翻訳もののかっこいい本とか大人買いした。
本棚と合わせて全部で20万弱。部屋がかっこよくなって読んだことない本が大量にあるという状況を作ることができた。
それでまあみんな知ってるんだろうけど読書って面白いな。にわかデビューで1年300冊ぐらい読むほどはまってしまった。
とりあえず小説をいっぱい読んだ。
最初に読んだのは真保裕一の「奪取」。かなり分量あるけど一気に読んでしまった。「一気に読んでしまった」は本好きはよく言うけどこういう感覚なのな。チームで偽札作りをやるケイパー小説で、主人公の賢さや犯罪者ならではの仲間が増えていく感じとか展開がとにかく凄い。
真保裕一はセットで買ったから「アマルフィ」「アンダルシア」「ホワイトアウト」など、映画がイマイチなやつも読んだけどやっぱり勢いがすごくて一気に読んだ。当たり前だけど映像化では端折られるし、小説読むと端折っていいとこあんまないからそりゃあんま面白くならないわな。映像作品より小説のほうが長いのが苦痛じゃないのも発見。
そしてミステリーだ。これは文章でしか達成できない仕掛けがあったりするので本で読む意味がすごいある。タイトルあげるとそれだけで興を削ぐかもしれないけど、貫井徳郎の本はどれも良かった。
あと気に入ったのは中山七里。「護られなかった者たちへ」は生活保護課の役人が餓死で連続殺人されるという社会派ミステリー。
純文学はここ何年かの芥川賞セットってやつを買ってちらちら読んでる。
本谷有希子「異類婚姻譚」は夫婦の顔が似てくるというのをダシにしたちょっと変わった話なんだが、結婚の本質がじわじわ見えてくるような面白さがあった。
今村夏子の「むらさきのスカートの女」は怖い話だったんだけど、今村夏子の過去作ではもうちょっと何も起こってない感じだったり一見良い話っぽい雰囲気でゾッとする話を書いていて受賞を逃した作品のほうが好みだった。「星の子」は本当に素晴らしかったな。
翻訳ものは新潮クレストブックスのセットを買った。背表紙に統一感があって綺麗だし、評判どおりこのレーベルは安定してレベルが高い。
びっくりしたのはトム・ハンクスの「変わったタイプ」。トム・ハンクスってあの俳優のトムハンクスなんだけど、短編が全部めちゃくちゃおもしろい。SFから日常の話、戦争の傷とか俳優としての経験からなのか描写がいちいちクール。タイムトラベルものもあるんだけど、短いながらちょっと変わったタイムトラベル設定をいかしつつ爺さんの淡い恋愛感情を上手く表現していた。この本は今の所小説の中で一番好きってぐらい面白かったな。
ラノベはアニメで見たのをちらほら読んでるけど全く違う感じで読める。
ハルヒやっぱおもしれーな。SFとして面白いってのが小説だとよくわかる。あと、解説を筒井康隆が書いてたり、こういうのも本の面白さだわ。筒井康隆の短編は枕元に置いて寝る前にちょこちょこ読んでる。「にぎやかな未来」を読み中だけど、イメージしてたより繊細な話もあったりして興味深かった。イメージ通りの飛んだ話も読んだらやっぱりすごかったし。
「黒い迷宮」というルーシー・ブラックマンさん事件のことを扱ったルポは大作だった。結構細かいこと忘れてたり、その後どうなったか知らない人も多いと思うけどちょっとえっていう感じだから読んでほしい。
なんだかんだ1年で半分ぐらい読んじゃったからとりあえずもう1面を本棚壁にする計画中。