はてなキーワード: 天文学とは
一通り最終回も終わり今年度の感想は今年度のうちにということで、面白かった順で感想メモ。
木ノ幡みら
星咲高校→東京大学教養学部理科一類→東京大学理学部天文学科→東京大学大学院理学系研究科天文学専攻→ 自然科学研究機構国立天文台(NAOJ)
真中あお
星咲高校→東京大学教養学部理科一類→東京大学理学部天文学科→東京大学大学院理学系研究科天文学専攻→ 自然科学研究機構国立天文台(NAOJ)
猪瀬舞
星咲高校→東京大学教養学部理科一類(推薦)→東京大学教養学部学際科学科地理・空間コース→国家公務員試験・総合職技術系区分<大卒程度>合格→国土交通省国土地理院
桜井美景
星咲高校→東京大学教養学部理科一類→東京大学理学部地球惑星環境学科→東京大学大気海洋研究所→国立研究開発法人海洋研究開発機構(JAMSTEC)
森野真理
星咲高校→東京大学教養学部理科一類→東京大学工学部航空宇宙工学科→東京大学大学院工学系研究科航空宇宙工学専攻→国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構(JAXA)
鈴矢萌
札幌駅にある安田侃の作品と東京ミッドタウンにある安田侃の作品とは色違いで、やっぱりワープ穴を造りやすい。
この能力者の中で最も頻繁に用いられている径路だし、初めて能力が花開いた奴を教導するときもここを使うこと多い。
自分ワープと他者ワープがあるんだけど、自分ワープは自分のエネルギーを掴みやすいから先ずは自分でやるのが良い。
お腹の減りには注意だが。
他者ワープは逆に人選の方が大事で、同質量か同思念量か、その公約数接続でいけるから、コツさえつかめば結構楽。
スマホで連絡取りながらやればいい時代になった。昔は大変だったらしいぞ。
固定のクライアントを持ってるやつがいる。特定の二人と契約結んで位置を入れ替える商売している訳だ。
そのクライアントの二人ってのは厳密な契約結んでて、相手に要望があればなるべく答えなくてはならないらしい。
展示ディスプレイの業者のやつと、文具の卸のやつ。まぁ、こういう仕事だと東京~札幌とか需要があるんだろうな。
俺はそんな連中探すの面倒だからしないけど。急に連絡くるみたいだし。
俺もちょっとこの問題は気になっていて、安田侃の作品の中でも天秘だけは手を出さないでいた。
これやれば、東京~札幌駅~創成川を経由して香川とかイタリアとか新潟に行けるんだよね。だから結構事故起こる。
上級者によれば(といっても俺の知っているのはSNSで技術論語ってるいつもの3人だが)、天秘ワープに入る時に通常以上に吸い込まれる感覚がある場合即座にやめた方がいいらしい。
通常以上の吸い込み、なんてものはなってみないと解らないし、帰ってきたやつ一人もいないから、やっぱり怖い。
それくらいの警戒の情報しかなかったんだけど、能力者の中に天文学をやってる院生がいて、どうも小惑星帯に天秘そっくりの石があるみたい。
それで、その小惑星帯の石が天球にある状態でワープすると事故が起こる可能性あるから、それぞれの天秘に二次元コードつけて、スマホでアクセスして可能かどうかチェックできるアプリを開発した。
その院生はさっき言ってた商売してる能力者からしこたまバイト代をもらえたらしい。
「文系の学問において資料の実在を証明するものとは何か」(anond:20190510230425)についたブコメに応答&補足説明します。
Wikipediaですら参考文献を求められるので、参考文献(ここで言っている注)のない本はある意味でWikipedia以下の信頼性と考えられても仕方がないことを多くの人に知らせるべきだと思う。
参考文献と注は違います! ぜんぜん別です! 参考にした本を並べてあるのが参考文献(厳密にはこの場合「参考文献一覧」)で、本文中の記述の出典を直接明らかにするのが注です!
参考文献と注については、以下の4つの組み合わせが考えられます。
このうち、研究書として許されるのはaとcだけです。ここで問題にしているのはbとdで、多くの学術的な新書はbであり(中公新書とかでよくあるやつ)、ごくまれにdみたいな本があります(最近だと、岩波新書の『ロシア革命』)。
えっ、cも許されるの? はい、許されます。なぜなら、個々の注でしっかりと典拠を示してある場合は、参考文献リストが存在せずとも出典の表示に不自由はないからです。
これだとわかりづらいかもしれないので、架空の例で説明してみます(わかりづらいかと思ったので書き直しました)。
a)増田はうんこを漏らした(注1)。一方、同人作家はおしっこを描いた(注2)。
注
(注1)はてな太郎『増田の研究』Hatelabo、2019年、819頁。
(注2)Y. Arim, Oshikko Collection (Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019), p.8107.
参考文献リスト
Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.
b)増田はうんこを漏らした。一方、同人作家はおしっこを描いた。
参考文献リスト
Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.
c)増田はうんこを漏らした(注1)。一方、同人作家はおしっこを描いた(注2)。
注
(注1)はてな太郎『増田の研究』Hatelabo、2019年、819頁。
(注2)Y. Arim, Oshikko Collection (Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019), p.8107.
cでも十分に出典表示として問題のないことはご理解いただけるでしょうか? 実際、英語圏でもcのような本はたまにあります。そして、著書ではなく論文レベルだと、cのようなやり方を採用している雑誌はとても多いのです(日本語圏でも英語圏でも)。いや、もちろん理想を言えばaみたいな本であるべきなんです。でも、紙幅の都合というものがあり、印刷費が嵩むからどこかを削りたい、となった場合には、真っ先に参考文献が削られてしまうのは致し方ないと思います。
日本の出版の問題は、そこで「参考文献ではなく、注を削ろう!」という話になってしまうことです。違います。注か参考文献、ページ数の関係上どちらかを削らないといけないのなら参考文献を削るべきなんです。
もし注がしっかりとつけられていれば、参考文献の欠如は「どんな文献があるかひと目でわかりづらい」程度の問題にしかなりません。しかしいくら参考文献があったところで、注がなければ「ではこの記述の典拠はいったい何なのか」という根本的な問題を惹起します(bの例から正しい出典を復元できるでしょうか?)。参考文献は省いても構いません。しかし注を省いてはダメなのです!(学術的な新規性のある本ではなく、学界の定説を初心者向けにわかりやすく纏める本でなら、読みやすさを優先して逆の判断になっても構わないのですが)
もちろん、これはauthor-date方式やMLA styleの注をつける場合には適用できません。どういう方式かというと、次のような方式です。
増田はうんこを漏らした(はてな 2019: 819)。一方、同人作家はおしっこを描いた(Arim 2019: 8107)。
参考文献リスト
Arim, Y. 2019. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies.
MLA style:
増田はうんこを漏らした(はてな 819)。一方、同人作家はおしっこを描いた(Arim 8107)。
参考文献リスト
Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.
こういう方式の注をつける場合には参考文献が絶対に必要です。当たり前ですね(author-date方式についてはanond:20190511230117も参照)。
“自分の実験室の試験管”イメージ偏ってるなー(´・_・`)理系の論文での引用見たことないんかな。普通に出典書いてるし、それを叩き台に積み上げたり、否定したりするんだが。博士論文なんか引用文献沢山乗るしね
理系の学問についてのイメージが偏っている点についてはごめんなさい。でも引用については、申し訳ないけれどそちらが勘違いされていると思います(もちろん私は理系の論文はちょっとしか読んだことないので、私に事実誤認があれば教えてほしいのですが)。
このうち、理系の論文で文献として挙げられるのは「先行研究」だけですよね? でも、文系では「一次文献」も参考文献に含まれ、そこへの参照が論文の重要な核を占めているのです。
たとえば上皇陛下が書かれた論文(※1)を見てみると、確かに末尾にずらずらっと先行研究が並んでいますが、論文の核となる部分はあくまでハゼの遺伝子を解析した部分にあって、それは当然ながら実験室で採られたデータであり、何らかの文献によって引証される類のものではないわけです。
しかし、皇族つながりで天皇陛下が書かれた論文(※2)を例に出すと、この論文において著者の主張の裏付けとなっているのは古文書における記述であって、その原本は研究施設が所蔵していたり史料集として公刊されていたりするわけです(史料集って何ぞや、という点については後述)。
私が最初の増田で言ったのは、この「一次文献」の問題です。多くの場合、理系ではこういう資料は引用しないですよね(最近だと古天文学で歴史的史料を引用するとかあるのかな?)。しかし今回の研究不正がなされたような分野においては、そのような資料こそが研究の核心にあるという話です。
もちろん、慌てて言いますが「なにをデータにするか」は研究対象によって異なります。文化人類学のような分野では、ヨソの土地まで出かけていって住人たちとの会話を書き取ったものが資料です(この分野だと「インタビュー」とかいう生易しいものじゃなくて、ヨソの土地に住み込んでその土地の言語を習得して日常生活を過ごす中で遭遇した会話や出来事を持ち歩いてるノートに書き付ける、という調査方法が採られます。これを参与観察というわけですが、私にゃ無理ですわ)。記述言語学だと研究対象の言語の話者にその言語を口に出してもらって記録する(「これを○○語でなんといいますか?」と聞くこともあれば、話者どうしで会話してもらってそれを横で聞くパターンもあり)、というやり方になるんだろうと思います。なので私が言っているのは、あくまでも近現代史やその隣接領域での話だと思ってください。
文系の生データは出典となる書籍だったり、原典の資料がある場所と。原典の原典って、どんどん辿っていけるブロックチェーンみたいな形式が理想ってわけか。一時情報が当事者の証言なら信憑性高いって判断にはなるし
違います! 当事者の証言だからといって必ずしも信憑性が高いわけではありません! たとえば戦争犯罪で裁判にかけられた人の証言のことを考えてみてください。彼もしくは彼女の証言をそのまま「信憑性が高い」として扱ってしまってよいか? そんなわけはない。
歴史学において一次史料が重視されるのは、それが「生データ」だからです。それはひょっとしたら当事者の保身によって捻じ曲げられているかもしれないし、当事者が間違えているかもしれないし、当事者が見ても聞いてもいないことは書かれていないかもしれない(たとえば「沖縄返還をめぐる日米交渉」を研究しようと思ったとき、日本側の史料は「日本側の政策決定過程」を教えてはくれますが、アメリカの外交官たちがどういう考えを持って交渉に臨んでいたかを教えてはくれないのです。それを知りたければアメリカ側の史料を見るしかありません)。けれども新しい研究は必ず一次史料から出発する必要があるのです。何故ならそれは昔の人によって直接書き記されたものだから。
なので歴史学では「史料批判」というものを重視します。これは説明すると長くなるので詳しくは歴史学の入門書とかを読んでほしいんですが、要するに史料に書かれていることはどのくらい信用できるのか、みたいなことを分析するわけですね。あれれ~? おっかしいぞ~? この人、自分は後方にいたから虐殺行為に関わってなかったって言ってるけど、部隊の記録では後方にいたなんてどこにも書いてないよ~?
(「なにが一次史料か」というのも研究対象によって変わります。特に科学史や史学史といった分野では「他の研究において先行研究とされている文献が一次史料である」という状況がしばしば発生するのですが、この理屈はわかっていただけますよね)
図書館にScanSnap SV600を完備し研究する皆の熱意でデジタルライブラリが出来るといいな… P2Pで共有されればノードの消滅にも耐えられる。しかし日本ではプリウスミサイル上級国民は不逮捕で、P2Pプログラマは逮捕なので
出来るといいな、じゃなくて、既にあります。
たとえば国立国会図書館のデジタルライブラリーには幕末以降の古書が多く登録されていて、PDFで落とすことができます。archive.orgや、フランス国立図書館のデジタルライブラリー「Gallica」も有名ですね。こういうところに所蔵されている文献については、わざわざ現地の図書館まで行かなくともPDFでダウンロードすればそれでよいわけです。デジタル化によって歴史学者の仕事は格段にやりやすくなりました。18世紀のドイツ語の本をコタツに入ったままで入手できるんだもんなぁ。
しかし、当たり前ですが全ての史料が電子化されているわけではありません。国によってデジタルライブラリーの整備状況に違いがありますし、そもそも近現代以降に出版された印刷物の数を考えたら全部をデジタル化するなんて人手も時間も足りない、という場合もあるでしょうし、身も蓋もない話をすれば著作権の問題もあるでしょう(とある国では、その国の図書館に直接行かないとデジタル化された史料にアクセスできなかったりします。てっきりPDFはないと思っていたのですが、著作権上の問題で館内からしかアクセスできないようになっているだけだそうです)。
また、多くの国では、公文書館の史料まではデジタル化は及んでいません。元増田でも書きましたが、お役所のちょっとした書き付けなんかも史料になるわけで、それ全部デジタル化しようとしたらとんでもない数になります(これについて、日本は戦前の外交文書のかなりの数をウェブで読めるので恵まれていますね……アジア歴史資料センター様には足を向けて寝られません)。なので未だに、現地に行って史料を直接見てくる、というのが重要になるわけです。
(さらに言うと、史料が必ずしも公的な機関によって保存されているとは限らず、貴族や武士の子孫のおうちに保管されていて、読みたい人はご当主様の許可を得て読ませてもらう、という場合もあり、当然デジタル化の波は及んでいません。イギリスだと由緒ある大貴族の屋敷には私設の文書館が付属している場合もあり、日本の歴史学者でもソールズベリ侯爵のお屋敷であるハットフィールド・ハウスに赴いて史料を収集している人もいます。謝辞で「史料を閲覧させてくれた当代のソールズベリ侯に感謝する」みたいなこと書いてあって「すごい……」って思いました)
ただ、「みんなが読みたがる重要な史料」については、史料をまとめた本を出すとか、史料を集めたマイクロフィルムを作るとか、そういう形で広く公開されている場合があります(たとえば第一次世界大戦の勃発に関しては、イギリスやオーストリアなどの当事国が何十巻にも及ぶ史料集を出版していて、東京大学などの国内の研究機関にも所蔵されています)。けれどそういうのを購入するのはお金がかかるし、何より発行から何十年も経ってしまうと入手自体が難しくなってしまう(でも著作権は残っているためデジタル化も遅々として進まない)ので、あんまりお金がなかったり新設されたばかりだったりする大学の研究者は結局それらを所蔵している大学の図書館に行く必要が……
注なんて読みたくなければ飛ばせばいいのに注があると売れない……? やべえな世の中。/ みんな本当に自己防衛の意識が弱いよね。優しい世界生きてるんだろうな
注があると読まない人が居るという話、ただ気持ちよくなるために情報を摂取してる層には、正確性の担保なんてむしろ邪魔なんだろね。ワイドショー視聴者と同質。
これ、実際に「注があるから読まない」読者が本当にいるのか、と疑ってみるべき案件だと思うんですよね……。「編集から言われて注を外した」という話は学者のあいだから漏れ聞こえてきますが、「注があるから読んでいて苦痛だった」という話ってなかなか聞かなくないです? いやもちろん編集者のところにはそういう苦情のお便りが届いているのかもしれませんが……。「注があると売れない」という都市伝説が生き長らえているだけのような……(一般読者からしてみれば、注の存在に気づいてなかった、とか、なんか数字が振ってあるけど気にしてなかった、という場合も多いでしょうし)
注がついている本を読んでいる段階で十分かと思いますので安心してください。注は、もし興味がないならさらっと読み飛ばしても別に大丈夫ですよ。というか、注で典拠が示されていても、アラビア語とかギリシャ語とか朝鮮語とかロシア語とかで書かれている場合も多々あるわけで、そんなの普通の読者さんにチェックできるわけないですし。ただ、注を見てみると、おっ、ここはちゃんと原史料を読んで書いてるのか、なーんだ、ここは英語の二次文献に頼って書いてるんだ、みたいなことがわかっちゃったりするので、学者の仕事の裏側を垣間見ることができて面白いですし、どんな情報源を使って書かれているのか? をチェックしてみることは学術書だけでなく普通のニュースとかを読むときにも重要なことだと思いますよ。
物理分野では「参考文献」の意味が増田とは異なる。参考文献は本文記述の直接の引用を表す。あとあまり明確に決まってないけど、注は捕捉説明を指す。「参考にした文献一覧」は存在しない。読書案内なら見かける。
誰がReferences(Bibliography)を参考文献と訳したのか。"refer"した文献のリストであって、本文の著述に紐づけられるものだけリストアップすればよく、逆に、何でもかんでも列挙して博識をひけらかすところではない。
や、まあ、文系でもたいていの場合は「引用文献」ってことですよ。それを「参考文献」と呼んでるだけ。参考にはなったけど言及してない文献は、私なら入れない(でも入れる人もいるかも)。
あなたがこの増田に感心してくれたことは嬉しいけれど、史学科の学生に上から目線でアドバイスしないでください。こんなの初歩の初歩で、史学科の学生さんならとっくに理解してます。史学科出身じゃない人たちが「そうだったのか~!」って言ってるだけ。別に史学科の常識を知らないのは悪いことじゃないけれど(私も他学科の常識とかわかんないし)、自分が知らなかったある分野の初歩の初歩を解説されて、そこで聞きかじった内容をその分野を学んでいる人の前で「お前らこういうのよく読んどけよ~」って言えちゃうの、ちょっと傲慢すぎません?
まず、江戸時代までは中国の「星宿」が使われており、西洋の星座が広く知られるようになったのは明治になってからであった。
現在の星座名に統一されるようになったのは、以下のPDFによると1910年ごろであるらしい。
https://tenkyo.net/kaiho/pdf/2013_05/03rensai-03kabumoto.pdf
また、『日月地球渾轉儀用法』で興味深い内容として、十二宮の解説において、
然ルニ今日実際ノ天文ヲ按スレハ三月ヲ以テ大陽ハ白羊宮ニ立タスシテ却テ隣宮ノ雙魚ニ立ツヲ見ル因テ其然ル所以ノ原因ヲ考察スレハ蓋シ是レ三千年ヲ流過スルノ間毎三月廿一日ヲ以テ大陽ノ位置スル赤道上ノ春分点下ニ出スハ甞テ白羊宮ニ在リシト雖モ年々徐々ニ遷移シテ終ニ雙魚宮マテ来リ
というように星座と宮を同義的に用いていることがあげられる。また、Geminiの訳語として「雙児宮」ではなく、「雙女宮」という名称が用いられているが、この名称は『星学図説』や『星学捷径』、『百科全書天文学』など、今回紹介した天文書においても同様に用いられている。
1910年発行の『天文月報』第2巻第11号所収の「星座名」において、91星座(88星座ではなく)の日本語訳名が与えられているが、そこでは「雙子」と記されており、当時の『天文月報』編集主任であった一戸直蔵は自らの著『星』において、
獣帯の十二星座とは次ぎの通りである。括弧内の名称は従来多くの書籍に散見したものであるが、近頃我国の天文学者一同の評議で、訳語を一定した
と述べて「雙子(雙女)」と記していることから、日本においてGeminiは1910年に女性から男性になった、と結論していいだろう。
ここで「黄道十二宮と黄道十二星座が同一視されている」とあるが、「白羊宮」「金牛宮」といった黄道十二宮の名称は、西洋占星術がインドを経て中国に伝えられたときに漢訳されたもので、日本には平安時代に入ってきて宿曜道として広まっている(異同はあったようだが)。
西洋の天文学体系が入ってきたのは明治であるが、占星術においてはそれ以前から名称が存在していたということである。
実際、中国では十二星座も「白羊座」「金牛座」で定着しているので、日本でもそうなっておかしくはなかったと思われる。
ちなみに、中国では「双女座」というと「乙女座」の異称らしいのだが、上記によると日本では「双子座」の異称と認識されていたようである。このあたりは謎。
さて、「一戸直蔵の『星』」は以下で読める。
確かに「近頃我国の天文学者一同の評議で、訳語を一定したから、其方を主として、従来のは併せて記すこととした。」とあり、その後に「牡羊(白羊)」「牡牛(金牛)」と記されている。
これまでは白羊・金牛と書かれることが多かったものを牡羊・牡牛に統一した、というわけである。
http://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1909/pdf/191002.pdf
天文学術語を和訳せしもの区々にして一定せず。これ天文学普及上著しき故障なるを以て、本学を専修する人々相謀り、数年前より最も適当なるものを得んと考究中なり。
「数年前より」とあるように、確かにそれ以前から天文月報上では「牡羊座」「牡牛座」で表記が統一されている。
実は1908年10月の天文月報第1巻第7号にもこのような質問がある。
http://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1908/pdf/190810.pdf
数年前迄は小生等星座を呼ぶに、何某の星宿とも呼び申候。又黄道上の星座は何々宮と申来り候処、茲に記載されたるものは皆何々座と申候は天文学会にて新に術語として択ばれたるものと被存候。
「数年前までは星座を呼ぶのに『何某の星宿』とか黄道上の星座は『何々宮』とか呼んでいたが、天文月報ではすべて「何々座」と記載されている。これは天文学会にて新たに術語として選ばれたものだと思うが、何と読めばいいのか」という質問で、さらに、
「黄道上の星座について『白羊』『金牛』『双女』『巨蟹』などの名前が捨てられたのは改めてラテン語から翻訳したためだろう」とも書かれている。
それに対する回答では、黄道十二星座については触れられていないが、あえて否定されているわけでもない。
残念ながら、これ以上に命名の詳細な経緯は分からないが、ひとつには「黄道十二宮」と「黄道十二星座」の違いがあるかもしれない。
最初に引用した文書にも書かれていたが、当初はこの二つは概ね一致していたものの、年を経るにつれてズレていったので、現在ではたとえば「白羊宮」は「牡羊座」と一致しない。
実際の黄道十二星座は大小さまざまであるが、サインは実際の星座とは別に黄道を12等分したものである。初期には実際の星座とサインは、大雑把に一致していたが、歳差によってずれていった。
天文学者たちがこれを考慮し、占星術との使い分けを企図して名前を変えたのであれば説明はつく。
以上より、「牡羊」「牡牛」という命名そのものは既に指摘されているとおり「ラテン語のAries・Taurusを直訳したから」ということになるだろうが、それは明治期の天文学者たちが名前を付け直したからであって、決して必然的なものではなかった。
何かが違えば「牛座」や「金牛座」が使われていたかもしれず、「原語や神話から考えれば牡羊・牡牛に決まっている」などと居丈高に言うのは後知恵もいいところだと思う。
余談。
星座名はこの天文月報のもので決定というわけではなく、その後も議論が交わされ、最終的に1944年に学術研究会議が発表したものが決定版とされているようだ。
以下のPDFからはそうした議論の雰囲気がうかがえるかもしれない。
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/167055/1/tnk000171_322.pdf
私の通ってる大学は理系で、文系の学部は1つもない。大学図書館も理系の本や論文に偏っていて小説や詩の本はほとんどない。そういう図書館なのにジャンル分けがふざけてて生物学と農業工学の本が混ざっていたり、天文学コーナーにオカルト本が置いてある。
大学図書館の件に気づいてから市立図書館に行ってみたら実はここもジャンル分けがしっかり出来ていなかった。宇宙人の本が天文学コーナーにあって、EM菌の本が農業コーナーにあった。
どっちの図書館にも意見箱で具体的に指摘したが、2、3ヶ月経った今でもどっちも変わっていない。疑似科学をどう分けるかは難しいが一般的にオカルトや嘘だと云われるようなものはゾーニングするべきだと思う。
秋2018
・College Writing
話をしたり作品の分析をしたりは嫌いじゃないんだけどレポートを書くのが死ぬほどしんどい
好きな映画について書き始めたけど見直しすぎてこの映画嫌いになりそう
教授がユーゴスラビア出身の人なのでアクセントが聞いてて気持ちいい
・Intro to Philosophy
哲学(入門)
ソクラテスをベースにデカルトとかミルとか読んだり論法を練習したり
曖昧なことについて考えるのは好きだけど2-3年かけてみっちり勉強したいほどではないと思ったので専攻候補から除外
洞窟壁画とかから始まってピラミッドとかギリシャ彫刻とか仏像とかについて学んでる
美術は好きだけど興味があるのは絵画だから建築と彫刻ばっかりのこのクラスはあんまり面白く感じなかった
でも「アートって何だろうな」みたいなのがちょっと分かってきた気がする
・Multilingualism
この国で使われてる言語、他の言語から受けた影響、方言、文化グループ等について学んでる
正直クソ面白くて入学前には視野にも入ってなかった言語学に興味が湧いてきてる
・Applied Calculus to the Social Sciences
微積分?のクラス 応用問題としてリアルなシチュエーションの文章題とか出てくる
死ぬほどつまらないし教授何言ってっか分かんないしリタイヤしてしまった
冬2019(予定)
・Drawing 1
副専攻として美術やりたいし最近絵書いてなさすぎて画力心配だから基本的なとこから始める
春2019(予定)
・Intro to Cultural Anthropology(民俗学)
・Writing about Performance(レポートの書き方、演劇やダンスが題材)
・Color Theory(色彩理論)かPainting 1(油絵)のどっちか
他に取ろうと思ってる必修(一般教養?)
・理科応用:Data and Society (データと社会)
・数学(再挑戦):Excelかコンピューターサイエンスの入門
そろそろ一般教養を取り尽くしてしまうので専攻を決めないとまずいところだが分からん
法学とか医学とか暗記だらけのエリートルートは無理だしエンジニアリングとかコンピューターサイエンスとかのそこそこ高給安定ルートも興味が持てない
お前はもうずっと増田で、「査読がないことは論文の質を決定する要素ではない」と言っているだけ。それに対して、高いレベルの査読が行われていなければ再検証の対象としての優先度は下がるし、再検証されない論文は被参照数が増えず、論文としての価値が低いと言っているわけだ。査読は優れた研究であることを同業者に認められるための条件の一つになるが、査読されていなければ再検証も行われず優れた研究と認められることは稀である。ゆえに査読されない事は、論文の価値を実質決定する。
被引用数にやたらこだわる人が多いと思ったらそういう理由があるのね。当たり前だけど、マイナー事象を扱っていればメジャー事象を扱ったものより被引用数は少なくなるから、それは直接価値を測る尺度にはならんよねって話をしてるわけ(この問題はとうぜん査読誌にも存在するよ。英語圏でも日本語圏でも、ナチスについての歴史研究とそのへんの小国の歴史研究、読まれる頻度が高いのは研究者人口からいって前者なわけで。まあ当の小国で出た論文に限れば頻度は逆転するわけだけど)。あと、論文の中でダメダメな研究を引用した上で批判する、なんてのもよくやるよな(まさかやらんのか?)。このような研究分野において、被引用数は文字通りどれだけ多くの人に引用されたかという尺度に過ぎず、引用の多寡は直接的には論文の価値とリンクしない……というのは流石に理性があればわかってくれるよね? まあ実質的にリンクしている分野があるのは理解したけれど、他分野においてもリンクしている、あるいはリンクさせるべきだという主張はまったくもって理解に苦しむ。
そして、社会学においては、偉い先生が書いた査読もされない招待論文が価値があるとみなされる構造に問題があると言っている。当初から査読の有無は問題視されていない、論文のクオリティを担保する仕組みについて社会学での在り方が、社会学者内でも文科省でも疑問視されている事を指摘されている。
偉い先生が書いた良い査読なし論文には、そのへんの若手が書いた微妙な出来の査読論文よりも価値がある、という話なので。そしてもちろん近年は査読重視にシフトしている、という話もさんざんなされているわな。同じ社会学でも世代とか環境によって「格」の考え方には差があるわけで、1人の学者の放言に基づいて構造を云々してしまうのは到底科学的な態度とはいえない。まして、社会学に限定するのではなく、「文系」というより広いくくりでの議論をしようとするならば。要するにきちんとリサーチしろと言っている。ろくに対象について調べずに的外れなこと言ってんじゃねーよバーカ、って言えばわかりやすい?
お気持ち表明学問とは違って、理工学は先行研究との間の比較実験をして、実験結果について先行研究との比較を解析的に行う。先行研究との比較には、同様の実験を再度行う場合や、同じシステムを構築しなおす手間を含む。時には、予算も時間も考えられない程かかる。
先行研究との比較ねえ。まず文系といっても色々あるので一概に言えないわけだが、たとえば歴史学なら先行研究で引用されている史料はチェックするよな。文学なら、まあ文学といっても多種多彩だけど、刊本が容易に手に入る小説の内容についての分析なら手元か図書館に同じ本があるはずなんだから再検証は容易にできる。のでみんなやってるはず。逆に文化人類学なんかはフィールドワークのデータに依拠する以上原理的に完全な再現が不可能だけれど、そこは天文現象についての研究と同じだと思ってもらえれば。一回性の振る舞いを膨大に集めて理論を構築していくという意味で。社会学も、フィールドワークに基づいたやつなら文化人類学と同様だし、統計に基づいているなら統計に基づいた議論ができるよな。法学は、まあ、条文が目の前にあって、それをどう解釈すべきか、あるいは個別の事件がまずあって、そこに条文をどう当てはめるべきか、という議論だから、再現性とかあんまり関係ないと思う。とまあこんなふうに、分野によって「再検証」のあり方というのは実に多種多様なのね。理系とひとくくりにされてはいても、工学と天文学と生物学と理論物理学と数学じゃあ「再検証」のあり方は違うっしょ? 理工系がスタンダードな研究のあり方、ということではまるでないわけで、そうなんですか理工系ではそうなんですね勉強になります、以上のことは言えない。
逆を言えば、文系の場合は、査読の有無にかかわらずただ読むだけでいいという事だろう。論文の良しあしに関わらず、ゴミの山に埋もれるのは空しいな。そして競争もない。
ただ読むだけでいいというのが何のことなのかはわからないけれど、普通に競争はある。考古学なら新しい遺物が発見されたとか、歴史学なら新史料を見つけたとか、そういうマテリアルな新規性もあるし、独創的な理論や解釈を提唱したという意味での新規性もあるわな。そして同じ事象を研究するにしても出来のいい研究と悪い研究とでは当然与えられる評価も異なってくるし、違う事象について研究していても同じディシプリンの中にいる以上出来の良し悪しというのはわかってしまうわけで(だから被引用数を重視する文化が存在しない。たとえどれだけナチス研究の方がそのへんの小国研究より注目されていようと、出来の悪いナチス研究と良く出来た小国研究なら後者の方に価値があるから)。
これはただの甘ったれな人間の、心の整理がてらに書いたここ数年のお話です。自己嫌悪の文章です。
もともと、好きで行った大学ではありませんでした。天文学をやりたいと思っていました。しかし、受験の出願をするとき、親に猛反対されました。「天文学なんか食ってないからやめなさい」、と。私と両親は大げんかしましたが、天文学では物理が必要になります。でも私は物理が大の苦手でした。だから泣く泣く諦め、両親が勧める医療系に進みました。一応、両親は最後の方は私のすきにすれば良いと言っていましたが、医療系に行くと言ったら喜んでいました。
だけどやっぱり、心の底から笑えません。同じ学部の友達を作りたいと思えません。勉強も全く面白くないです。毎日後悔ばかりです。一年生なのに留年してしまいました。
今は入学してから三年目、二年生です。この大学に入らなければよかったと思わない日は一度もないです。
退学することを考えます。でも、できません。退学したら働くことになりますが、働きたいと思えません。働いて幸せになる未来が見えません。
私はひどい人間です。今の状況から変わりたいと思いつつ、働きたくない、他の分野に興味が持てないと言い訳ばかりをして現状を変えようとしません。なんだかんだで優しく色々援助してくれる両親に甘えっぱなしです。しかもそのくせ、内心は両親のせいでこんな大学に入る羽目になったと逆恨みしています。
http://world-childrens-summit.com/
小木曽健登「映画「かみさまのやくそく」を見たことで、前世の記憶を思い出す」
羽生すみれ「胎内記憶を持ち、生まれた時から「かみさま」「天使さん」「お腹の中の赤ちゃん」「見えないけれど暖かく見守ってくれる存在」と会話する」
→ググったけど特に変な記事は見つからず。改革者として報道 https://gunosy.com/articles/RhSB7
参議院議員 二之湯武史
→日本会議国会議員懇談会 あっ(察し
『無意識と対話する方法: あなたと世界の難問を解決に導く「ダイアローグ」のすごい力』
『仏教と科学が発見した「幸せの法則」: 「心」と「私」のメカニズムを解き明かす』
龍馬プロジェクト→日本会議的な復古主義+「ロックフェラーやロスチャイルドの~」みたいなセミナーの受講をしているという記事もあり。
http://ch.nicovideo.jp/amanomotoyasu/blomaga/ar1138157
池川クリニック 池川明
コミュニティ館湊 菅沼奏香
→「講演会 出口王仁三郎の経済学 世界大破局後の経済への処方箋方箋」
https://ja.eventbu.com/city/event/9311500
著者出口恒は王仁三郎思想により言霊学や医学天文学経済学などを統合したホントの真実の学門の確立を仲間とともに目指している。
ひょえ~~~
司会
→ お察し
NHK Eテレの『サイエンスZERO』は以前、公式サイトを確認すると第何回かわかるナンバリングが振られていた(再放送はカウントされない番号)のだが、
No. 576「最新報告 チェルノブイリと福島~環境編~」_20170319
を最後に、No. 577以降はなぜかナンバリング表記が消えたらしいことに気がついた。録画ファイルの整理で必要だったので、これ以降の回にもナンバーを振ったのを以下に並べておく。
577「“折り紙”大進化! 宇宙から医療まで」_20170326
578「ゲームの最新技術 異世界が現実に!?」_20170409
579「防災から医療まで活用!8Kスーパーハイビジョン」_20170416
580「幸せを呼ぶ!?ウェアラブルセンサー新時代」_20170423
581「シリーズ・ゲノム編集(1)生命を作り変える魔法の新技術」_20170507
582「シリーズ・ゲノム編集(2)がんを根治!?医療で始まる大革命」_20170514
583「7つの地球を大発見!?“トラピスト1”惑星系」_20170528
584「若きエンジニアが集結!NHK学生ロボコン直前スペシャル」_2017064
585「最新報告!探査機ジュノーが明かす木星の謎」_20170611
586「CO2削減の切り札!アンモニア研究最前線」_20170625
591「リスクをあぶり出せ! インフラ点検最前線」_20170730
592「ライブ配信、ますますパワーアップ!ABUロボコン直前SP」_20170820
593「軽い!強い!燃えにくい!夢の新素材 新マグネシウム合金」_20170827
595「アスリート大進化!データ×テクノロジー最前線」_20170917
596「ミクロの限界を超えろ!解き明かされる生命の神秘」_20170930
597「“宇宙開発革命”民間ロケットの挑戦!」_20171001
598「異常気象に立ち向かえ 異分野からの挑戦!」_20171008
599「自動車までできる すごいぞ!タフポリマー」_20171015
600「奇想天外!笑って考える科学 イグ・ノーベル賞2017」_20171022
601「“人類の夢の技術”(1)タイムマシンは実現するのか!?」_20171105
602「“人類の夢の技術”(2)病の克服!iPS細胞 ゲノム編集」_20171112
603「超リアル!? テクノロジー×アート最前線」_20171119
604「30年目の高専ロボコンを300倍楽しむSP」_20171202
605「家電が狙われる!?新たなサイバー犯罪の脅威」_20171203
606「ノーベル賞2017 重力波が切り開く新天文学」_20171210
607「ノーベル賞2017 クライオ電子顕微鏡で新薬誕生!?」_20171217
608「“点と線”で世界をとらえる アイデア勝負 3次元認識」_20180114
610「見えないモノを見る! ひもとかれる歴史の謎」_20180128
611「シリーズ原発事故(17)“デブリ”は取り出せるのか?」_2018024
612「あなたの知らない土星の真実 偉大な写真家 探査機カッシーニ」_20180211
613「おいしい!のカギ 食感のひ・み・つ」_20180225
614「ロボットが物流を変える! 完全自動化への挑戦」_20180304
615「おいしい日本酒で乾杯! 味の司令塔 こうじ菌」_20180401
ここで番組改変。
617「カガクの“カ”#1 旬!な現場に潜入」_20180415
618「カガクの“カ”#2 北極海Saya謎生物」_20180422
619「巨大空間発見!解き明かされる秋芳洞のヒミツ」_20180429
621「カガクの“カ”#3 基礎科学のミライ」_20180513
622「カガクの“カ”#4 AI映像技術・常識破りのシルク」_20180520
623「驚異の進化!最新プロジェクションマッピング」_20180527
624「カガクの“カ”#5 仮想通貨&ロボコン直前」_20180603
625「量子コンピューターでも解読不可能!?新しい暗号誕生なるか」_20180610
659「こじるり緊急報告!沖縄のサンゴ礁」_20180708
660「生命維持の要 エクソソーム」_20180722
661「1分で充電完了!?誕生!夢の全固体電池」_20180729
662「カガクの“カ”#6 超臨界地熱発電・内視鏡AI」_20180805
664「キノコが雨を降らす!?空の微生物学者 気象のナゾに挑む」_20180902
665「シリーズ原発事故(18)新技術で挑め!見えざる廃炉のリスク」_20180916
667「さきどり最新科学SP Sayaが手話 AI編集 農業救う菌」_20181014
669「シリーズ原発事故(19)“被ばく量”解明への挑戦」_20181028
670「鳥インフルエンザ 新たな脅威」_20181104
671「高専ロボコン直前SP 今年はロボット同士の華やかな空中戦!」_20181118
672「生命維持の要 エクソソーム」_20181202
673「音楽が脳にもたらすうれしい効果が科学的にわかってきた!」_20181209
674「日本人成立の謎。弥生人のDNA分析から意外な事実が判明」_20181223
675「公開収録!ふしぎだらけのアンモナイトをマニアックに解説!」_20190113
676「バード川上が熱く語る!小笠原で鳥と進化の深い関係目撃せよ」_20190120
677「さきどり!最新科学スペシャル #2」_20190203
678「不老不死!?のほ乳類 ハダカデバネズミ」_20190217
679「超ミクロな磁場が測れる ダイヤモンドセンサー」_20190224
680「巨大地震予測の新たなカギ スロースリップ」_20190310
681「才能&金&時間の壮大な無駄遣い!?伝説のアイデアコンテスト」_20190331
682「宇宙夜話#1 とことん味わう はやぶさ2」_20190413
683「宇宙夜話#2 はやぶさ2に裏ミッションが存在した!?」_20190414
684「進化する超絶技巧!スーパーロボットアーム大集結」_20190421
685「糖尿病研究で大注目!生命をコントロールする体内時計」_20190505
自然科学者は最初は人への興味は薄いもの。自然より人間大好きだったら誰も自然科学やらなくなっちゃうだろ。人のため人のためって考えながら一見全然関係ないこと勉強するのはしんどい。
まあまず「人の役に立たない」ですよね。でもそれこそ古代文明の時代からヒトは星が好きで、世の中には天文学やる人はそれなりに必要だと思ってる人が多い。
そもそも人の役に立つっていうのがとても難しいことで、企業に入ったって他社より悪い製品を客に売りつけてるかもしれないし、場合によっては途上国や下請けから搾取してるし、政治や世界のことに関心を向けた人が行き着く先は、成果のないデモやネット上での発言だけ威勢のいい人・場合によっては過激な右翼か左翼になるのがオチなわけですよ。本当に世の中のためになることをしてると断言できる仕事に就いている人はごく少数。そういうことはもう少し年取ってからでもいつからでも始めればよいので、若い内は自分の関心を一番に一つの道を追求していったほうがよいと思います。
なんとなくわかってきた。お互い大分遠い分野にいるな。
そっちが挙げてきた理系分野の例は動物学とかなんだが、増田は数学物理天文学地学化学分子生物あたりの理系の印象で語ってた。こっちではBook Review欄はあっても純粋に教科書の評判であって専門的な議論としてはほとんど読まれてない。文系の書籍事情に無知だったのはすまない。
追記で書いたけどシビリアンの戦争が博論の書籍化だっていうのは一応評価してて、ただよくも悪くも売れてしまって一般人から評価されてしまっているのでもっと専門家からの論争がちゃんと前に出てこないと駄目なんじゃないのっていうのはある。
指摘の通り、理系では実際に関わっている人が多くてオーサーが多人数になってしまう論文や、関わってる関わってないの境界線上でギフトオーサーシップの問題が除けていない(オーサーの定義は理系内でも分野によって慣行が違う複雑な問題)ということもあって、人の実績を眺める時どうしても割り引いていく思考になってしまう。コネ採用を当てにするんでなければ、これは確実にこの人の成果だねっていう目に見える業績が欲しいところ。査読なしや日本語発表はあったとしてもこれ評価されないよなって諦めながら実績欄に書く。ショボいって煽ったのはよくなかったかもしれんが、元増田もそこで三浦はダメだって決めつけてはいなくて(上の教授には大事にされてるんだし)、最後の行で実際の学会の評判どうなのよ?って知ってる人に疑問を投げかけたつもり。ブコメでちょっと拡大解釈して三浦をディスってる人もいるけどそこら辺は元増田は責任を持たないし、自分がテレビで解説する学者としての能力があると示すのは三浦の説明責任。
文系に関しては外国研究とかはあまり視野になかった。自分が日本の文系で二流分野って評判を聞いてたのも、主に経済学とかであとは社会学系(あまり各国の文化に根ざさないやつ)の知り合いからだし。
文学や外国研究に関しては各国の大学で自国語で教える意義も大きいし、各国が独自のコミュニティで多様性のある研究をする意味もあるのだろう。哲学は理系元増田もよくわからん。活発に議論したいなら翻訳頑張れってところだろうか。最近文学系は国から予算削減や学部再編の風当たりが強いようなので当たってなくても流れ弾に敏感になるのもわかる気がする。
「国際政治学」に関してはどうだろうか?ここまで議論してわかったが英語で論文を書くべきかを決めるのは理系か文系かじゃなくて、グローバルな一つの学会を形成すべき分野か否かってことだと思う。グローバル化は効率化に繋がるが一方でローカルの軽視につながる。自然科学の世界は一つでなければならない。日本とアメリカで物理法則が違ったら困る。日本語研究の重要性を説く文系増田だって、理系でもっと日本語論文を出すことに意味があるとは思っていないだろう。
テーマにもよるが経済学や国際関係は世界的な一般性を持つ話題だし、国民からもそういった研究が望まれていると思う。日本語で高みを目指してはいけない理由はないと言えば聞こえはいいが、高みに至る勝算がないなら結果は世界から無視されるだけだ。そういった分野は日本語に固執してはいけないと思う。
あと単純な利便性。これは日本の学会が世界で有力になるのとは別の問題。喩えるなら日本が常任理事国を目指すことには世界にメリットもあるだろうが、日本語が国連公用語を目指すと言ったら他の国に迷惑だから止めろというべきだろう。
職業訓練大学の話を聞いていて、ふと工学部が明治時代の日本発祥という話を思い出した。
もともとヨーロッパでは工学は学問の枠外、自然科学の実践的実用分野とみなされていたので、
純粋学問を修める場である大学でやることとは見なされなかったらしい。
しかし科学技術が高度に発達した社会では、機械だけ、電気だけ、農業だけ、といった狭い領域でも、
派生、細分化、高度化、歴史の蓄積が進んだ知識の一部を修めるだけで、明治時代の知識レベルを考えれば、相当に学問的な専門家を育成していたのだろう。
工学部が生まれた時にも、神の被造物である天文学を修めないで金を儲ける人工機械に関心を持つ技術者に自然科学系の学位を認定していいのか、という反対はあったのかもしれない。
でも今は化学科の人にも生物学科の人にも天文学は分からないし、自分も古典語とか音楽とか良いものを何一つ学べなかった。
本当にそれで大学を修めたと言えるのか、と前近代の人に問われたら、かつてと同じ大学ではないと言うしかないと思う。
専門知識の水準が大きく上がったのだから、大学レベルの知識の価値は相対的に下がる。
かつての大学の総合的な目的を維持する場所が今の大学である必要は全くないと思う。
大学の毀損だとか怒ってる人は、大学がもう発達した学問を受け入れる場として限界が来てることについて考えて、次の場所を見つけたほうがいいのでは。
観光だって歴史とか文化保全とか人文学系の知識が要るんじゃないの、僕は人文系の領域に何一つ想像が働かないから適当言うしかないけど。