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2019-02-23

なぜ十二星座のなかで牛と羊にだけ「牡」が付いているのか

まず、江戸時代までは中国の「星宿」が使われており、西洋星座が広く知られるようになったのは明治になってからであった。

現在星座名に統一されるようになったのは、以下のPDFによると1910年ごろであるらしい。

https://tenkyo.net/kaiho/pdf/2013_05/03rensai-03kabumoto.pdf

また、『日月地球渾轉儀用法』で興味深い内容として、十二宮解説において、

然ルニ今日実際ノ天文ヲ按スレ三月ヲ以テ大陽白羊宮ニ立タスシテ却テ隣宮ノ雙魚ニ立ツヲ見ル因テ其然ル所以ノ原因ヲ考察スレハ蓋シ是レ三千年ヲ流過スルノ間毎三月廿一日ヲ以テ大陽位置スル赤道上ノ春分点下ニ出スハ甞テ白羊宮ニ在リシト雖モ年々徐々ニ遷移シテ終ニ雙魚宮マテ来リ

というように星座と宮を同義的に用いていることがあげられる。また、Geminiの訳語として「雙児宮」ではなく、「雙女宮」という名称が用いられているが、この名称は『星学図説』や『星学捷径』、『百科全書天文学』など、今回紹介した天文書においても同様に用いられている。

1910年発行の『天文月報』第2巻第11号所収の「星座名」において、91星座(88星座ではなく)の日本語訳名が与えられているが、そこでは「雙子」と記されており、当時の『天文月報』編集主任であった一戸直蔵は自らの著『星』において、

獣帯の十二星座とは次ぎの通りである。括弧内の名称は従来多くの書籍散見したものであるが、近頃我国の天文学者一同の評議で、訳語一定した

と述べて「雙子(雙女)」と記していることから日本においてGeminiは1910年女性から男性になった、と結論していいだろう。

ここで「黄道十二宮黄道十二星座が同一視されている」とあるが、「白羊宮」「金牛宮」といった黄道十二宮名称は、西洋占星術インドを経て中国に伝えられたとき漢訳されたもので、日本には平安時代に入ってきて宿曜道として広まっている(異同はあったようだが)。

西洋天文学体系が入ってきたのは明治であるが、占星術においてはそれ以前から名称存在していたということである

実際、中国では十二星座も「白羊座」「金牛座」で定着しているので、日本でもそうなっておかしくはなかったと思われる。

ちなみに、中国では「双女座」というと「乙女座」の異称らしいのだが、上記によると日本では「双子座」の異称認識されていたようである。このあたりは謎。

さて、「一戸直蔵の『星』」は以下で読める。

https://books.google.co.jp/books?id=2soa36rEEWMC&dq=%E7%89%A1%E7%89%9B%20%E9%87%91%E7%89%9B&hl=ja&pg=PP48

かに「近頃我国の天文学者一同の評議で、訳語一定たから、其方を主として、従来のは併せて記すこととした。」とあり、その後に「牡羊(白羊)」「牡牛(金牛)」と記されている。

これまでは白羊・金牛と書かれることが多かったもの牡羊牡牛統一した、というわけである

天文月報』第2巻第11号は日本天文学会のサイトで読める。

http://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1909/pdf/191002.pdf

天文学術語を和訳せしもの区々にして一定せず。これ天文学普及上著しき故障なるを以て、本学を専修する人々相謀り、数年前より最も適当なるものを得んと考究中なり。

「数年前より」とあるように、確かにそれ以前から天文月報上では「牡羊座」「牡牛座」で表記統一されている。

実は1908年10月天文月報第1巻第7号にもこのような質問がある。

http://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1908/pdf/190810.pdf

数年前迄は小生等星座を呼ぶに、何某の星宿とも呼び申候。又黄道上の星座は何々宮と申来り候処、茲に記載されたるものは皆何々座と申候は天文学会にて新に術語として択ばれたるものと被存候。

「数年前までは星座を呼ぶのに『何某の星宿』とか黄道上の星座は『何々宮』とか呼んでいたが、天文月報ではすべて「何々座」と記載されている。これは天文学会にて新たに術語として選ばれたものだと思うが、何と読めばいいのか」という質問で、さらに、

茲に記されたる星座黄道のものは白羊、金牛、双女、巨蟹等の名を捨てられたるは一に羅甸語を翻訳せられ候と被察候。

黄道上の星座について『白羊』『金牛』『双女』『巨蟹』などの名前が捨てられたのは改めてラテン語から翻訳したためだろう」とも書かれている。

それに対する回答では、黄道十二星座については触れられていないが、あえて否定されているわけでもない。

残念ながら、これ以上に命名の詳細な経緯は分からないが、ひとつには「黄道十二宮」と「黄道十二星座」の違いがあるかもしれない。

最初引用した文書にも書かれていたが、当初はこの二つは概ね一致していたものの、年を経るにつれてズレていったので、現在ではたとえば「白羊宮」は「牡羊座」と一致しない。

実際の黄道十二星座は大小さまざまであるが、サインは実際の星座とは別に黄道12等分したものである。初期には実際の星座サインは、大雑把に一致していたが、歳差によってずれていった。

天文学者たちがこれを考慮し、占星術との使い分けを企図して名前を変えたのであれば説明はつく。

以上より、「牡羊」「牡牛」という命名のものは既に指摘されているとおり「ラテン語のAries・Taurusを直訳したから」ということになるだろうが、それは明治期の天文学者たちが名前を付け直したからであって、決して必然的ものではなかった。

何かが違えば「牛座」や「金牛座」が使われていたかもしれず、「原語や神話から考えれば牡羊牡牛に決まっている」などと居丈高に言うのは後知恵もいいところだと思う。

余談。

星座名はこの天文月報のもので決定というわけではなく、その後も議論が交わされ、最終的に1944年学術研究会議が発表したものが決定版とされているようだ。

以下のPDFからはそうした議論雰囲気がうかがえるかもしれない。

https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/167055/1/tnk000171_322.pdf

2018-03-28

anond:20180328152929

なんで山羊じゃなくて怪魚なんだろうと思って調べたら

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A3%A8%E7%BE%AF%E5%AE%AE

磨羯とはインド神話に登場する怪魚マカラのことであり、この磨羯宮という名称は既に平安時代日本宿曜道用語として用いられていた。

インドでは、ギリシアから西洋占星術が伝えられた際、その象徴である上半身山羊下半身が魚」というイメージを二つに分けて、この宮をヤギで表す流派マカラで表す流派の二つが生じた。

ってことらしくて勉強になった。

 
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