はてなキーワード: ゲストとは
放送時間が夜遅い時間なのでリアルタイムで聞いたことはないんだけど、興味がある内容ならちょこちょこポッドキャストで聞かせてもらってた真面目系ラジオ番組でオレのメールが採用された。その日の番組トピックがたまたまうちの実家が長年悩んでいた内容だったので、ダメ元と勢いでメールしたら翌日ポッドキャストでオレのハンドルネームが読み上げられて仕事中なのに「おお!」と叫んで周りに見られちまったぜキャッハー。
メール採用されるなんて初めての経験だったんだけど、やっぱ放送内ではけっこうメールの内容って省略されるんだな。ちょっと考えてみてもあんな長いメール普通に読んでたらメインの放送内容が飛んじゃうし、あと良かれと思ってその問題に至った経緯とか、周りの人の反応とか影響とかを書いたんだけど、まぁその番組本編のトピックとは直接関係のない話だし、あんま詰め込み過ぎるとそりゃ番組進行も何に絞ったらいいかわからなくなるから当然といえば当然か。
ただ放送後にその番組のツイッターのハッシュタグ眺めてオレのメールの反応とか見てたんだけど、みんな善意でアドバイスしてくれてるんだろうけど、前提条件をかなり端折って紹介された内容なのでどのアドバイスもピントがずれちゃってるんだよなぁ。。。みんなけっこう気軽に「精神病んでるから精神病院いけよ」っていうけど、あれって当事者が自分の意思で通院することに同意してくれないと周りはどーしようもうない。第3者やら家族やらが強引に病院に送り込むわけにはいかねーんだよなー。
初めてラジオでメール採用されて嬉しかった反面、これまで見てきたネットでの議論も大体こんな感じだったのかなってけっこう冷めてきた。メディアとかで採用される一般視聴者の声とか取材内容の大半はおそらく番組の時間枠とか記事数の関係とかで大抵はけっこう省略されてる。でもそれ見たり読んだりして意見言いたくなる人たちってその省略された前提内容を勝手に脳内補完してあーだこーだいっているから、大抵の内容は「ごめん、それうちの前提じゃ無理なんだわ」って意見をドヤ顔でいってくる。なんつーか誰が悪いって話じゃないんだけど、大量の人たちの時間や思考が無駄なことに費やされている感がして虚しい。まぁ他人の不幸話をネタに話して盛り上がるというエンタメ要素も否定しないけど、それに加わっている連中はそういった自覚ないだろうからな。オレだってそうだったし。
ちなみにラジオで紹介されてからゲストで出てた専門家からもアドバイスっぽいコメントあったけど、「うーん、正論だろうけどそれできたら苦労してないですわ」的な内容でもにょりました。
これはある。もう消されてしまったが事件直後まで生存していた以下の記事(アウトランダーPHEVのタイアップ記事)でも、「コメンテーターとして気をつけていること」を聞かれ、「一般人の代表者としてなるべく中立的な立場からためになるコメントすること」を心がけており、そのために「具体的な数字を出すこと」は大事だと言っている。
時間を我が物にする/東洋経済オンライン(削除済み)
コメンテーターを担当するにあたって彼はそれなりにその分野の知識を調べようとしてきたのだろう。入門書やネット記事を探して読むくらいのことはやってたはずだ。
といっても「概説」以上の域を出ていたとは言いがたい。
具体的な数字(だいたいはパーセンテージ)や専門的な単語(だいたいは横文字)だけを拾い、一般論的な文章の単語と矢継ぎ早に置き換えていくことで、「それっぽい」雰囲気を出していたにすぎない。
一部のラジオリスナーからは「話が明晰」「わかりやすい」などといった擁護意見が出ていたが、元となる文章が平易なのだからあたりまえだ。
それをあの低音ボイスで述べるものだから、なんとなく説得的でプロっぽく聞こえていただけだ。
気位の高いラジオリスナー、特に政治経済チャンネルを聞いている奴らほどチョロい人種はいない。俺もセッション22で紹介された本はだいたい買ってる。
反面、彼の「聞く技術」はラジオパーソナリティとしては基本に忠実かつ理想的だ。
彼は担当している番組上、学者などの専門家的な人々とトークする機会が多い。
MCとゲストの専門家なら、MCは「生徒役」として聞き手に回る。あたりまえの話なように思えるかもしれないがショーンKはこれが徹底できている。徹底せざるを得ない、と言ってもいいかもしれない。
ラジオパーソナリティというのはその人物がインテリであればあるほど、大なり小なり「自分を」喋りたがる。
ゲストが筋道だててきっちり話しているのに、余計な単語を拾ってそこから脇道へそれてしまうテレビのバラエティショー的な愚を犯すMCも多い。
そうでなくても、たとえば荻上チキりんなどは普段はそういう欲求をおさえて話に耳を傾けるタイプなのだが、ゲストはポリティカル・コレクトネスやファクトに反した発言したさいは絶対に看過しない。
彼はゲストだけでなく、オーディエンスに対してより誠実であろうとしているのだろう。
MCは難しい。相槌ひとつうつのでも、頭が良すぎたら「ああ、言いたいことを我慢してるんだな」と、ちゃらんぽらんすぎたら「ああ、話に興味ない/理解してないんだな」ということをゲストにも視聴者にも悟られてしまう。
ショーンKは見事にその間を取る。
相槌を打つべきときはそれに徹し、何かリアクションを求められたり話が途切れたりしたときは即席で憶えた単語をパッチワークし、「それっぽい」コメントでつなげることはできる。
ゲストというのは自分の言いたいことを言うことにしか興味ない素人だ。なので、「それっぽい」コメントの内容が多少薄かったりおかしかったりしても、あまりに気にしない。かといって、相手にあんまりにポケーッとされるのも不快に感じる。適度に理解しつつ、俺の話の邪魔はしないでほしい。わがままな人種なのだ。大学教授なんかに多いタイプだ。
ショーンKはその手の人らの話を聞く技術に長けている。男向けホストの技術と呼んでもいいかもしれない。
相槌をうつタイミングと聞く態度と低音ヴォイスと理解度三十パーセントくらいのリアクション。
ベテランのラジオパーソナリティにしか身につかない呼吸を、ベテランのラジオパーソナリティゆえに修得している。
しかし、「気持よく他人に話をしてあげさせる」プロとしては超一流だ。
これは日本社会において、なかなかに有用な専門技術であるように思われる。
願わくば、彼に復帰の機会があたえられんことを。
人に話したら完全に俺が悪いと言われた。 それは認める。まぁでも鬱屈した気持ちをアウトプットさせてほしい。
その人とはもう10年くらいの知人。 最初に出会ったきっかけも忘れた。 インディーズの芸人さんをやっている。 芸風は何でもあり。 漫才もやるし漫談もやるし色々やる人。
今日突然メッセージが来た。「○月○日 25周年記念ライブを○○でやります。 来て!」
この人からはいつもこんな感じでメッセージが来る。 告知・・それはわかる。だけど何でダイレクトにメッセージが来るのかずっとわからずにいた。 で、返信しないことも度々あった。
その日は仕事があり、次の日も朝が早い。 どうしようか迷った。 25周年だし、付き合いもある。でも、何をやるか全く内容がわからない。
で、「何か特別なことするんですか」と返した。 そしたら「言えないけどビッグゲストが来る」と返信がきた。 また何をやるかは書かれていない。
「失礼ですが、あなたの舞台に行く度に知らない人が舞台上にいて(よくつるんでいてその時々で面白いと思ってる人を舞台にあげるらしい)よく知らない過去の話をして正直ポカーンとしてしまいます。 しばらく舞台を見に来ていない人でも楽しめると太鼓判を押していただけるなら参加させていただきます」と。
そしたら「もう来なくていい。25年やってる人間に言う言葉じゃない 二度と誘わない」 と返信が来た。
終わったな と思った。 自分は25年やってきた人のプライドを傷つけた。 その人とはよく行く飲み屋が一緒だ。共通の知人も多い。 顔を合わせたら相当気まずいだろう。最悪殴られるかもしれない。
だけど、自分の気持ちにウソをついてまで耐えられなかった。 たった一言「面白いにきまってるやん」と返してくれればよかった。 悲しい。
追記:ブコメで売れる売れないの話がでたけど、その人は売れる/売れないという価値観からは外れたところをベースにして活動されている。 売れなくてもいいやとは思ってないが、自分のスタイルを曲げてまで売れたい 売れるための行動をしたいとは思わないと思ってやってきたタイプの人 です。
恋人がセックスに際して主張していたことが二つあって、ひとつが釘宮理恵の少年声で罵って欲しい、もうひとつが「がんばれ♥がんばれ♥」と言って欲しい、というものだった。先日、まぁなんとなく私が上になった流れで、やっぱりやってくれないかという話になって、試しに言うだけ言ってみたわけである。
「がんばれ♥がんばれ♥」
言うて、そんな突然雷ちゃんにはなれないわけで、曰く、「冷たい目をした渋谷凛に罵られている気分」だそうな。ごめん。
その後、ダラダラと腰を動かしていたところ(いちおう書くけれど私は三週間くらい前まで処女だったし、このときで五回目のセックスだった。この順応力は称賛されていいと思う)、おもむろに彼ががんばれ♥がんばれ♥コールを始めた。セルフで。しかもけっこうよさそうに見える。というかすげー気持ちよさそう。天才か。
けっこうな衝撃だった。いや、伊東ライフのエロ漫画っつーと「女の子が男に慈愛に満ちた激励を送り、甘えさせる体で搾り取り、男性としての自信を回復させる」フォーマット。そこをひっくり返された瞬間というのはやはり衝撃だ。コペルニクス的転回。繰り返すけれど、こいつ天才かと思った。しかし、それはそれとして、こういうのをクソオタと呼ぶのだなとも心の底から思った。
先日、渡辺宙明のコンサートを見てきたのだが、ヒドイ内容だった。
プレトークで関係している役者が昔を語ったり、演奏する曲にまつわることを話すまでは良い。
しかし、ファン代表みたいなかたちでアニメ監督(だれ?感が半端ない)が登壇してたけど、
せっかくのキカイダーやイナズマンの主役を務めた伴大介からうまく話を引き出している感もなく。
なんで登壇したの?という感が否めない。
正直、もうちょっとインタビュアー経験者を用意してくれと思った。
あと本編では以外と思われそうだが、演奏もこれまたヒドイものだった。
後にCD化するようなので興味があれば聴いてみるといいと思うが、
肝心のブラス隊(主にトランペット)がけっこうポカをやっている。
キメどころを外すのはさすがにいただけなかったな。
また、コンサートでは情報公開されたいた歌手で成田賢以外でもシークレットゲストとして
そうそうたるメンバー(水木一郎、MoJo、串田アキラ)が歌うことになったのだが、
そのうちMoJoは「とつぜん歌うことになったから私服だよ!」みたいなことを言っていたが、
それ以外の歌手は衣装を着ていたところを見ると仕込みなのは丸見え。サプライズ感ゼロ。
しっかり事前に渡されたパンフレットに歌う曲の歌詞カードをしっかり挟んであるし。
せっかくのオーケストラ編成なんだから、オリジナルの歌手に歌わせて
アレンジバージョンとして聴かせることに徹すればいいのにと思ったのは私だけだろうか。
特にCD化するんだったら、大合唱パートなんていらないと余計に思うんだけど。
あと参加していないが、聞いた話によるとコンサート後のパーティーもひどかったらしい。
一般観客として来ていたプロの演奏家が、登壇者の関係者としてあいさつしようとして断られたり(ツイッター情報)、
会費も5000円らしいが、受付態度もひどくどういう段取りかも説明しないヘボスタッフだったようだ。
また出てきた料理もたいしたレベルでもなく飲み重視で店員もいたがセルフと注文取りの間の対応だったようだ。
行く人はその辺の事情を飲んだうえで行くといいだろう。
こちらの元増田なんですが。
3月1日のBSフジ「プライムニュース」内で、「育児をキャリアとして扱ってほしい」という発言があったみたいですね。
ハイライトムービー(http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/day/d160301_0.html)見てみました。前半の13:45あたりから。
ゲストの男子学生がものすごく緊張しながら、本人が言いたいことうまく言えてない雰囲気もありつつなので確証はないですが、言いたいことは私と一緒なんじゃないかと感じました。
私以外の人が同じようなことを考えていたと知って、とても嬉しく思います。
http://anond.hatelabo.jp/20160306222019
この増田に寄せて。
コンテンツとして見たときに、確かにいい引き際ではあると思う。
でもすごく勿体ないな、と思うところがあって、それはμ'sとAqoursの合同ライブがないこと。
声優が歌って踊るという特異な(最近はそうでもないけど)コンテンツにおいて、
中の人のノウハウが伝わらずに次の作品に移行してしまうのは本当に勿体ないと思う。
勿論スタッフには蓄積されているだろうけど、いわば「輝きの向こう側」の彼女達演者の感覚はまた違うものじゃないだろうか。
そして今のままではμ'sがこれまでやってきたことは引き継がれないままになってしまう。
Aqoursはまた、相談出来る演者としての先輩がいないまま放り出されてしまう。
それはお互いのチームにとってかなり不幸なことだと考えてしまうのだ。
基本的にプロデューサーの自分は、シンデレラガールズ及びミリオンライブが出てきて段階を踏んでライブに参戦していった流れを体感している。
8thツアーでゲスト出演→SSA合同ライブ→それぞれのソロライブ、の流れだった。
その過程で彼女達は色んなことを765の先輩から学んだだろうし、そしてまた先輩達の新たな刺激になったとも思う。
SSAがあったからこそ、シンデレラ1st舞浜とミリオン1st中野は素晴らしいライブだったと感じる。
自分の結論としてはこれからラブライブ!がどうなっていくかは分からないけれど、μ'sのノウハウは誰かに引き継がれて欲しいと思った。
それだけ。
普段全くテレビ見ないけど、ある日珍しく家で昼食をとりながらぼんやりと見ていた。メレンゲのなんちゃらっていう、バラエティー番組を放送していた。そして、演出一つ一つが本当に気持ち悪いと思った。何て表現したらいいかわからないけど、小学生の稚拙な価値観ををそのままテレビに持ち込んだ感じといえばわかりやすいかな。こういう発言は気持ち悪い、こういう奴は偉い、この行為は女らしい、トイレに行ったら不潔、などなど・・突き詰めたら理屈もへったくれもないようなルールがまかり通っているのが子供達の世界だ。スクールカーストや、キャラ分け、イジメなど、あらゆる闇がスクリーンの中にあるような気がした。男が女目線で発言をする→気持ち悪い、付き合ってすぐに親に紹介する→偉い。え?なんで気持ち悪いの?それって偉いの?と疑問を投げかける暇もなく、謎ルールの中でゲスト達が久本にひたすらいじられるだけの番組だった。家族が自宅で昼食を取る確率が比較的高い土曜日の正午に、こんな低俗で排他的で、稚拙で議論の余地も与えられない価値観を押し付けるような番組をやってていいのだろうか。まぁポルノグラフィーやバイオレンス満載の番組をやっているんじゃないんだからいいではないか、と言われそうだが、個人的に前者の方がよっぽど有害だ感じる。
じゃ見なきゃいいじゃんって?そうします。そして多くの人にそうしてほしいと願う。いつかそれが日本のテレビ業界の変化に繋がってほしい。最近NHK以外でまともな番組って本当に少ないよね???
私はラジオが好きです。
最初はニッポン放送のナイナイや西川貴教、文化放送の声優、ネット配信のラジオなどなどと聞いてきました。
そして、ここ数年はTBSラジオの「JUNK」(水木金)を聞いている。
特に先週のスペシャルウィーク(以降SW)がびっくりするほどつまらない!!
まず、オープニングトークでキスをする仕事をしたという話、次にゲストの千鳥を呼んでリスナーから募集した漫才。
コーナーを抜いたらこんな感じだ。
オープニングは冒頭からオチが読めるし長すぎる。自分はこんな感じで挑んだ・こんな事が起こったという話で約20分。
苦痛以外の何物でもない。しかも、事実起こった話なのにオチに自分の妄想トークを混ぜて引き延ばす。
更に千鳥・・・、これが酷い。仲の良い先輩後輩らしいのだが、山里はただの接待トーク。
千鳥はリスナーの漫才を改変したり、間違えたり、しかも、2時時報で有名人のモノマネするところで大悟が知らずに話そうとする。
。自分の出るラジオぐらい聞け!こんなんだから東京で売れないんだ、とっとと大阪に帰れ。
唯一面白かったのは子供達を責めないでなのだが、それも期待値内の面白さ。
返しが普通なんだ。
100点中20点
けんちゃんバーガーという矢作オリジナルハンバーガーを作ろうという企画。+ジブリ
その調理の合間にTBSラジオの有名人が番宣CMと共にけんちゃんバーガーと流れる。
ハンバーガーを食べる前に小芝居でジブリ作品の一部をやったり、バルスと叫んだりするのだが、ただ単純に寒い。
後半から素人のいらっしゃいませなどけんちゃんバーガーでの音声を募集したのも流したのだが、それもただ単純につまらない。
メガネびいきで基本的に面白いのは批評のコーナーだけだが、SWだからそれもない。
100点中35点
T-STYLEというコントから派生したものの企画会議+有名人に広めてもらうという企画。
まず、T-STYLEを有名人にツイッターなどで言ってもらうという企画なのだが、番組に有名人が出るってメガネびいきと被ってるだろ!
更に、T-STYLEが追加で曲を作るというのが途中で明かされるのだが、なら本気で作ったのをまず流して欲しい。
サンプルみたいなを流してグダグタ打ち合わせするより、しっかり作った上で本気の打ち合わせ見たな方が面白い。
こっちはショーを聞いてるんだよ。
番組終わりに三山ひろしが出てくるんだが、Podcastにも出てきそうで怖い。
100点中35点
多数のレギュラーを抱えて、他にも特番なんかもやってたりする。
だから、ネタが無くなって年々面白さが低下するんだ。忙しすぎるのだ。
山里はどんどん綺麗な山里になろうとする、お前からクズさを取ったらただの三流芸人だろ!
おぎやはぎはクダクダさに甘んじている、ちゃんとやろうとした上でのグダグダだから面白いんだろ腰巾着芸人が!
バナナマンは駄目なさまぁ~ずになろうとしている、だから年々コントの質も低下してるんだ、日村は設楽に逆らえ、サブカル気取り芸人が!
もう読み飽きたネタなのかも知れないけど書く。
色々調べて考えているんですが、書いちゃいます。
式場施設や料理で、「ここじゃなきゃやだ! いくらでも払うから!!」とは
どの式場でも共通して算出できる来客単価だ。
来客単価を踏まえて、何に予算を割くかは後で決めれば良い。
で、結局なにが言いたいかというと、
有名ドコロの結婚式場(都内)は、来客単価が平均ご祝儀価格の3万円を余裕でオーバーする。
倍の6万円なんてもザラだ。
できるだけ還元したい。
自分としては「これで家具の足しにでも!」なんて思っていたが、
おそらくこれまで本人たちに届いたことはなかったのだ。
(今まで参加した結婚式は、豪華な会場で贅沢な料理ばかりだったので)
赤字が嫌なら、色々とランクダウンすればいいじゃないか!って話なんだが
それはおもてなしではないよね。
1流どころのレストランと同等の1万5千円のコース料理、3千円ほどの引き出物。
2万楽しんでもらって、1万いただく。これが理想だが、もちろん施設代は色々かかるよね。
じゃぁ、レストランウェディングでもやれよ!って思う人もいるだろうけど、
あれも意外なことに高いんだ。
書いてて、なんか分かってきた。
俺は結婚式にお金を掛けるのがアホらしいと思っているだけなんだろうな。
それだけの話なんだけど、なんかやるせない。
50人でご祝儀150万円、総予算250万円でもいいと思っている。
それでも全然足りなかったりもする。
色々調べたけど、なんだかんだで総予算300万円が多い。
ホアーッ!
ほっちゃんもすげー気を遣ってた
素が多少は出るかなと思ったけどそんなことなかった
まあでも面白かったのはほっちゃんがいなかったボックスタイムだったけど
たまにはこういうのもいいかもね
ゲストがこないこない言ってるけど、ぶっちゃけゲストいなくて二人で好き勝手やってる回のほうが見てて楽しいんだよなー
無理にゲストなんか呼ばなくていいよー
呼ぶとしても小清水みたいなきをつかわなくていいような関係がいい
後輩すぎてもダメだし年上すぎてもダメだし、もう常に二人でいいよ
たまにゲストきても仲良すぎる二人の間に割って入るとかハードル高すぎるし
つーか杉田か中村の家に隠しカメラ仕掛けて、二人で遊んでる動画をストリーミングでずっと見てたいよー
番組とかじゃなくてさー
俺腐男子とかゲイとかそういうの全然興味ないけど、この二人だけは男同士なのになんかすごく好きなんだよなー
こいつらの関係マジうらやましいわー
○朝食:なし
○昼食:おにぎり三つ
○調子
とりあえず今週はそんなに残業せずにすむ予定です。
アナザーモードやミッションクリアみたいな要素もあるので長く遊べそうだ。
こ、これは地味だなあ。
地味な議論ものが好きって昨日書いたのに、手のひら返しする感じだけど、
さすがにこれは地味すぎる。
いやうん、誠実な文章だし、ちゃんとしてて素晴らしいとは思うけど、これはエンタメの範疇では無いんじゃないかなあ。
ハンドクラフト風のキャラが歌で世界を救う。愛らしさ全開のミュージカルアドベンチャー『Wandersong』開発中
http://jp.automaton.am/articles/iotw/indie-pick-221-wandersong-is-now-in-develop/
なにこれすんごい楽しそう。
ローカライズやコンシュマー移植は無理そうだし、やるならPCを買わないとなあ。
お給料ためないとなあ。
3DS『メダロット ガールズミッション』女の子の衣服を吹き飛ばす新システムが判明
http://dengekionline.com/elem/000/001/209/1209853/
う、うーん。
こういうのなのかあ。
勝手に期待して勝手に失望して申し訳ないんだけど、ちょっと期待してたのとは違う感じ。
「Killer Instinct」シーズン3の“Kim Wu”参戦が正式アナウンス、アービターの登場を示唆する映像も
http://doope.jp/2016/0250816.html
ふおおおおおお!
まじで!?
Halo4に出られなかった彼も、Halo5で重要な役目だし、ゲスト出演とかなり波に乗ってるね!
まあDOA4のスパルタンがマスターチーフじゃなかったみたいな感じで、
Halo2から登場してるアービターじゃなくて、別の時代のアービターかも知れないけどね。
なんにしても楽しみだ。
PS4のアイマスPV見てて思ったんだが、顔や表情にはそれぞれ個性があってもダンスがほとんど同じだから不気味の谷があるんだよな。
ってことはそれだけ踊り手も必要になるし、表現力があれば一人で全パート踊ってもいいから、やっぱりそこにも個性っていうものをこだわって欲しい。
声優業界だって一過性のブームじゃなくて、ゲームやアニメのキャラクターがこれだけ多様化することで、当然それに応じた規模まで成長したわけだ。
今まではスプライトにアニメ絵が動いていた程度だったのが、今じゃ3Dキャラでアングルもフリーだもんな。
CVの次に差別化要因になるのって、モーションの中の人なんじゃないかと思うけどどうだろう。
そうそう。だから、そういうのを総合的にできる人が売れていくというかなんというか。
それこそ本人のデフォルメキャラクターをモデリングして、主役で登場させたり、色々なゲームにゲストとして参加したりなんてことが当たり前になっていくんじゃないかなと。
ゴーストライターならぬゴーストダンサーとか、容易に想像できる。
追記ついでに盛り上がってしまうけど、世の中がデジタル化するにつれて3次アイドルってどんどん2次に近づいていってる気がするんだよね。
境界が曖昧になっているというか本当に2.5次元化してきてるというか。
写真はレタッチが容易だし、もともとイメージなんてつくられたものなわけだし、もう実物がどうかなんてことの問題は些細でしかなくなってきている。
いまでもコラボだとかっていうことでアイドルのイメージを間借りすることはあるけど、そもそもそこが主戦場になってくるアイドルも出てくるはず。
そうなると芸能プロダクションとゲームメーカーの境界もかなり曖昧になってくるのかな。
っていうか初音ミクがすでにそういう未知を切り開いているのか。実在ベースではないけど。
まとまりなくなってきたのでまた。
http://anond.hatelabo.jp/20160119105229
の増田がジャニーズとファンの横暴さが露わになってしまっているが、
そういえばこんな気持ちを昔したなあ、というのを思い出した
それは約10年前、ジャニー喜多川が週刊文春の「元ジャニ」の告白記事を訴え、裁判沙汰になった時のこと
そこで元ジャニは、ジャニー喜多川による同性愛行為などを暴露し、それが争点の一つになったのだが、
裁判の過程で、ジャニー側は同性愛行為があった事実を認定した。これはwikipediaにも載っている
つまり、裁判によって事務所の上下関係を利用した同性によるセクハラ行為が発生しているということが白日の元に晒されたのだ。
これは戦時中の従軍慰安婦の話ではなくて、現代の日本で起きたことですよ。
しかし、前者の件では発言一つ一つを仔細に報道するマスコミが、この件をほとんど全く報道しなかった。
その時に何が起こっていたのか。
ここで少し、話を脱線する。
DA PUMPというグループがいますね。彼等がデビューした時にも真っ先に恐れたのはジャニーズ側からの圧力による「つぶし」だった
そこで、彼等の所属事務所ライジングの平は徹底的な「棲み分け」を提案し、共演は絶対にしないことを条件にした。
それによって彼等や後続の男性グループはジャニーズが出演する番組、例えば毎週ジャニーズ枠があるMステには出演できないが、
例えば、ダウンタウン司会のHEY!HEY!HEY!などは、ジャニーズがダウンタウンと接触することに拒否感があったのか
また安室奈美恵などを通してライジングとの関係が良好だったためか
その裁判が起こるまでは
この判決後、突然HEY!HEY!HEY!は路線を変更
今週はV6、次はキンキキッズ、次はKAT-TUNと堰を切ったように相次いでゲスト出演し
しかもやけに自分たちとジャニー喜多川氏との親しいエピソードを語り、
いかにジャニー喜多川が優れた指導者で、自分たちが強力な信頼関係を作っているかというトークをしていた。
明らかにこの時、この大量のバーター出演と引き換えに、何らかの「戒厳令」が敷かれたと勘ぐっても不自然ではないと思う
これはフジだけではなく、他の音楽番組でもこの時期に散見された光景だった。
(ちなみに、この時割を食ったのがライジングのDA PUMPの弟分として売り出していたw-indsで、
この時期を境にほとんど出演する地上波の音楽番組が消滅してしまい、彼等は結果、海外市場へ向けたシフトチェンジを余儀なくされた。)
これだけなら、昨日の会見でも見た「事務所の力関係によるパワハラ」という、
まあ決して気分の良いものではないが、業界という特殊な環境のルールで行われた一つの事例として済んだだろう
そんなジャニーズたちが、上司にパワハラ(というか枕営業ですね)されているのを知った彼女たちがどうしたのかというと
なにもしなかった。
当時も2ちゃんなどでこれらの話題が挙がることは多々あったのだが、そのときのジャニファンの回答に度肝を抜いた
「あんまり騒がないで。そんな事を言って、問題が大きくなって、ジャニーズの彼等がテレビに出れなくなったらあなた達責任とれるの」
彼女たちは「自分たちがジャニーズを見れなくなる」という理由から、彼等のセクハラ、パワハラを黙認したのだ。
あれだけ女性スキャンダル一つにはキーキー叫び、結婚も許さないジャニーズファンが、上司との枕営業を黙認
結局彼女たちは、ジャニーズの「応援者」ではなかった。「消費者」だったのだ。
今回のSMAP騒動も、おそらく彼女たちは「SMAPが解散しなくてよかった」という方向で意見をまとめてくるだろう
というかこの増田がそうだよね
ヲタクというのが、一昔前ほど恥ずかしいことでなくなった。
例えば、女性アイドルグループが好きとか、アニメが好きとかをごく一般的な成人男性が公言しても、まあ珍しい話ではないと認識されるのが、今の時代。
あえて名前は出さないが、名前を出せば知ってる人は多いであろう男の子と言っておこう。
元々、特別子供が好きだったわけでもないが、普通にテレビに出てるのを見てるうちに、気がつくと番組やら雑誌やらネット記事やらを追いかけ、ファンレターも出し、イベントのゲストに呼ばれると聞いて旅行気分で出掛ける程にハマッていた。
この組み合わせで仕事として本をまるごと一冊書いている人間としての感想。
iPad mini 4 16GB + Magic Keyboardの組み合わせでMacbook Air最安モデルの約半額で、macの快適なキーボードを使って高速で仕事ができ、電源がない場所でも一日中問題ない。
iPadは消費電力がPCより少ないので、スマホ用のモバイルバッテリを持ち歩けば、24時間電源なしでいける。
実感として、iOSが仕事に使えないというのは、すでに過去の話になっている。(追記:ものを書くという仕事に関して使える/使えないを議論している旨をタイトルで表明している。他の業種については論じていない)
勤務先の事情によりつねにフルWindowsを使わなければならないという制限が外せる人は、重いノートpcとACアダプタをバタバタ持ち歩いたり、最近たくさん出始めている格安windows10タブレットにキーボードカバーやらをつけて、安っぽいキーボードの打ちにくさを我慢しながら使う必要はもはやないと思う。
現在の組み合わせにたどり着く前に、Macbook Air、Windowsノート、Windowsタブレット、Androidタブレット、Chromebook、Pomera DM100を買って使ってみたが、常に以下のいずれかの点で問題があった。
・携帯性と重さ
・キーボードの快適さ
・オフライン環境での使用(Chromebookは速くて快適だが、オフライン環境で起動するとログインすらできない)
・原稿へのスタイル適用(章タイトル・見出しのフォント変更、ルビ振り、レイアウト指定等)
特にキーボードの選択は、一日8時間以上タイピングを続ける人間にとっては致命的であった。現在出回っているMicrosoftのモバイルキーボードはAmazon等での評価が高かったので全種類試してみたが、打鍵の快適さはMagic Keyboardに比べると、どれも3万円前後の格安Windowsタブレットについてくるキーボードと変わりない。
携帯性と重さという点では、最初のうちはMacbook Airに満足していたが、やはりこの機械の独特のゴツゴツ感と肌触りの冷たさには最後まで抵抗があった。また、あのアダプタをつねに持ち歩くと、けっこうかさばるのである(あのアダプタの華奢な感じが携帯時に与える不安は、Macbook Airをずっと持ち歩いている人ならわかってくれるだろう)。
iPad miniの分解できるアダプタ&ケーブルは、カバンに入れるときに大きな安心感を与える。また、旅行中以外はそれすら持ち歩く必要がないことにあとで気づいた。
iPad mini 4 16GB + Magic Keyboardで約530g、好みのケースを付けて600 - 650g 、
テキスト入力メインでの動作時間が体感で約8〜9時間といったところだ。
一方、最近話題になったキングジムの小さなpcポータブック XMC10は、本体重量が約830g、
動作時間は約5時間。本日付での価格.comの最安値は約9万円。
Surfaceをはじめとして、携帯性を重視したWindows機を最近各社がこぞって出しているが、サクサク動くスペックにして15 - 20万の価格帯を考えるとどれもライトユーザーにとっては高嶺の花だという感じがする。フルwindowsで1kg以下というのは、現時点でそんなに高い付加価値なのだろうか。
追記:
そういう評判をネットで読んでChromebookを購入して使ってましたが、オフライン環境で電源OFFから立ち上げるとゲストユーザーとしてしか使えず、いろいろ制限が多すぎて面倒なので結局売ってしまいました。(再追記:映像ありがとうございます。去年秋頃までAsus C200MAを使っていて、何回やってもオフライン環境では自分のアカウントでログインできなかったんですが、その後アップデートで改善されたという理解でよいのでしょうか。ちなみに、このエントリの著者です→http://anond.hatelabo.jp/20150927211800)
Google日本語入力はとてもよいと思いますが、問題は別の言語(欧文)との入力を組み合わせる場合です。Android端末と共通の問題ですが、特定言語(欧文)に特有でしかも頻繁に使う引用記号などがChromebookでは瞬時に打てません。OS全体の言語設定を変えても無理でした。多言語処理が一番まともにできるのがmacとiOSという消極的な理由で現在の選択肢に落ち着いています。
iPad miniのバッテリ残量:38%
自分の場合は、特定の仕事に必要な条件を列挙していって、あとのことには目をつぶったら消去法でこの組み合わせになった。最初はiPad miniなんて割高な情弱向けの端末だと思って、見向きもしなかったが、いろいろ試してみて結局現時点でこれが残った感じか。
出先であれもこれもやる必要がありそうだと考えて、「全部入り」を選択するとフルwindowsのノートになるんじゃないか。
その場合でも、価格/重量/バッテリー持続時間/キーボードやタッチバッドの使いやすさ等で、トレードオフがある。
あらゆるシーンでフルwindowsが必要だという考え方は、仕事に必要なものの明確化ができていないか、心配事が多くて、バッグにいろいろ詰め込みすぎて重くなってしまう事態に似ていると思う。
文章を書く時は横置き。iPad miniだと、縦置きでPagesを使うと字が小さすぎる。Wordのドラフト表示みたいなのができて、プレーンテキストだけじゃなくて、傍線を引いたりスタイル設定できるアプリがあったらそっちに乗り換えて縦置きで書くかも。
Thinkpadのキーボードの使い心地、自分も大好きだけど、やっぱり重量が問題。
歩き回って考える→カフェや図書館で座って書く→歩き回って考える
の繰り返しで書いていくので、バックパックに重いノートpc一式を入れて1日それをやると、背負い紐が肩に食い込んで痛くなってくる。
テーブルが高すぎる施設もけっこうあるので、キーボードだけを膝に置いて打てるのは便利。
タブレットホルダーやらをいちいち立ててセッティングするのが面倒ではある。
帰宅してから古くて大きい方のiPad + Microsoft Universal Mobile Keyboardでこれを書いてみたが、やっぱりこのキーボードは長時間執筆には向いていないと感じる。ちなみにこれは、最近話題だったASUS Transbook T90 CHI のキーボードによく似ていると思うのは自分だけ? まったく使えないほどひどくはないが、どこかおもちゃっぽい。
iPadの日本語入力が完全ではないというのはまったく同意します。ただ、使い続けているとなんとかなってきます。いまのところATOKは買わずに、もともとの日本語入力だけで毎日原稿用紙10枚分書いています。他の人が言われてるほどこの日本語入力は苦痛ではないです。
なぜキーボードにそんなにこだわるのかというと、腱鞘炎が再発しないように気をつけているから。
エディタは無料のPages。UIの好き嫌いで選んでますが、結果的にアイディア出しをやりながら草稿を貯めていく作業にけっこう向いているようです。起動すると文書がカード形式で並び、それまで自分が考えてきたことがおよそ俯瞰できます。Command + Spaceキーでスポットライト機能を出して検索するとpagesファイルは全文検索がかかるので、ipadに入れてある他の資料、複数の草稿の間を行き来しながら納品原稿を仕上げていくイメージです。縦書き状態のチェック等は最後にdocx形式にエクスポートしてノートpcでやります。pagesファイルとdocxファイルの互換性、見た目の再現性等については、校正が入るので基本的には問題になりません。
なぜ電源のない環境にこだわるかというと、自分の場合、歩いて体を動かしているといちばん考えがまとまるので、ある程度まとまって座ったところに電源があるかないかを気にして行動を制限したくないからです。
「多言語処理」で意味するところは、複数の言語に特有な記号や文字組みを同一の文書内で適切に混在させるという程度のことです。
日本語入力を切って半角入力にしただけでは入力しにくい欧文の記号はたくさんあります(アクセント記号、"と違うかたちの引用符、改行できないスペース記号等)。日本語と英語だけを混在させる分にはこれは問題になりませんが、他の欧文を表示させる段階になると問題になってきて、Androidはこういった処理がひどく弱いので実用に耐えませんでした。Windows + Wordで文書を書いている分にはこの問題はクリアされていますが、日本語版のwindowsにたとえばフランスで作られた辞書アプリをインストールすると、文字化けします。OS全体の言語設定をフランス語に変更しても解消されません。一方、同じアプリのmac版は、OSの言語設定に関係なく適切に表示されます。こうした処理をユーザーの側がいちいち気にしないレベルで解決されているのがmacとiOSという消極的な理由で、少々高くてもしょうがなく使うわけです。Androidのキーボード周りがもう少し洗練されてきたら乗り換える可能性もあります。
放送されたばかりの「おそ松さん」14話で、兄弟間ディープキスがあったことが「腐向け」と言われているみたい。
確かにそのシーンはあったけど、長男が風邪をひいた弟たちの財布を持って「お兄ちゃんが看病してやるよ!買出し行ってくるね!」と言って家を出て、パチンコでスッて帰ってきたから、風邪をうつしてやるため弟がディープキスしたっていう、悪意に満ちたものだったんだけど。
他の回でも、次男が逆ナンに付いていってバーで86万円ぼったくられたり、三男が「橋本にゃー」という地下アイドルにハマったり、自殺しようとしてたゲストキャラの女の子を五男が励まして告白するのを兄弟が応援したり、末弟が慶応の学生と身分を偽ってスタバでバイトしてキラキラ女子と合コンしようとしてたのを兄弟が妨害したり、すごくノンケさを押してると思うんだけどな。
幼馴染のトト子ちゃんがアイドルデビューするために六つ子全員タダ働きさせられていたり、六つ子全員「レンタル彼女」にハマってマグロ漁船乗組員や傭兵やってまで貢いだり、全員AV持ってたり、屋根裏や床下にエロ本を隠し持っていたり…で、そこに描かれているのは女体だし。毎度毎度、くどいほどにノンケ六つ子を推してきてるよ。
これのどこが「腐女子に媚びたホモアニメ」なのか全然分からない。公式が六つ子を繰り返しノンケとして描くのを、腐女子が独自に超解釈して近親相姦ゲイアニメとして視聴しているだけであって、公式がホモアニメやっているわけじゃないと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20160107125638
○朝食:なし
○昼食:おにぎり三つ
○調子
むきゅー!
何やら偉い人たちは昨日から出社してスケジュールを作っていたらしい。
むきゅー、おつかれさまですー。
「処理能力」みたいな感じの項目があるんですよ。(正式名称は忘れたから今適当につけました)
ABCの三ランクで定義されてて、そのAが一番強くてCが一番弱いのね。
それで、その処理能力ランクと設計書のページ数とかもろもろから、工数が自動計算されるっていうシステムなんですよ。
(もちろん、例外もあるので自動計算せずに手入力で工数を振ることもある)
で、今まで僕はCランクだった上に、簡単な機能ばっかり振られてて、凄く楽だったんですね。
それが!
今年になった途端、まず処理能力がBに何故か向上してるんですよ。
一緒に配属になった深堀さん似の人はまだCなのに!
その上、ページ数は少ないわりに難易度が高い所謂、割にあわない機能ばっかり振られたんですよ!
なんじゃそら!
思わず「あのお、間違えてません?」って上の人に聞いちゃったよ。
もちろんそんなこともなく、僕が本当にやるんだけどさあ。
あーもう、マックスむきゅー! ですわ。
うう、年明け早々不安だなあ。
頑張るぞいやだけど、頑張りきれるかなあ。
Win 10版「Killer Instinct」とXbox One版シーズン3は2016年3月ローンチ、新キャラクターに関する情報も
http://doope.jp/2016/0150067.html
むむむ、何やらラッシュさん以外にもゲストキャラクターが登場するかも的な情報が!
レア社縛りだと誰だろうなあ、ジョアンナさん? でも銃キャラは難しそうだしなあ。
あっ、カメオさんとか良いかも、ちょい頭身高くすれば世界観合いそうだし、いろんなエレメンツを使い分けるのも楽しそう。
レア社縛りがないなら、MS繋がりでDOAにも出たし、スパルタンの誰かとか?
鉄拳にゴウキが出たみたいなゲストもありなら、モータルコンバットから誰かとかも面白いかも。
某子供向けロボットゲームの新作(ダンボールでも奇乳でもない方)
これはたぎりますね!
これはたぎる!
しかもしかも、先進的な渋谷区に感謝するタイプの声優さんがラジオやるとか!
たぎる!
てんしょんまーーーーっくす!
「飲み会での遅刻」、米国では最大のマナー違反 http://toyokeizai.net/articles/-/98156
しまった。米国である。私は英国在住のおっさん。米国には詳しくない。短期間いたことはあるが語れるほど詳しくない。英国の職場にも米国人はいるが彼らも英国では英国の郷に従っているであろう。既にコメント欄等でツッコミが入っており記事の違和感は明らかゆえ、私は英国の話をしようと思う。
ところでこの記事、連載の3回目のようである。回が進むほど内容に違和感が増す。ネタが苦しくなって来ていると推察申し上げる。住んでいたという知見だけで文化差を語って生業にしようとすると、外国をディフォルメし日本をパターナリズムで語り、差を大袈裟に書きがちである。なんとかケンミンショーとかグルメ漫画美味しん◯で大々的に持ち上げられる郷土料理が、そんな不味いもの普通の県民は食べないよね、というのと似た構造である。ブコメで指摘されているが、タイトルは飲み会だが本文は食事会、会食である。言うまでもなく会食での遅刻は日本でもかなりのマナー違反である。何の中でか明らかにせず「最大」と使うのは品の無い書きかただが、タイトルは筆者の方ではなく編集部が付けているようにも思う。
英国人も確かに仕事の終わり時間はキッチリである。しかし仕事の管理はキッチリではない。時間が来たから帰る。仕事が途中でも帰る。それだけのことである。これは時間管理がしっかりしているなどと殊更言うような話ではない。エリートの話はしていない。中間層の話である。
上を目指しているエリートは時間もキッチリ、仕事もキッチリである。時間管理のプライオリティがかなり高い。会議は厳選、会議前のメールのやり取りで大体決まってしまえば下からでも会議の中止を言い出す。このあたりは是非日本も見習いたい。一緒に出張に行くと分かるのだが、実は必要があれば夜も早朝も仕事をしている(出張で暇だからではなく)。ただそのことは見せない。日本だと見栄の張り合いは「いやー今週殆ど寝てないわー」だが、彼ら彼女らの見栄の張り合いはいかに家族やプライベートも充実させて同時に成果も上げたかである。試験前の「全然勉強してないわー」合戦みたいなものである。違うか。いや本質は違わない。
約束の時間を守るかに関してはエリートも含め日本人より遥かにルーズである。前の会議が長引いた、道が混んだ、電車が遅れた。何か問題が?それは言い過ぎで待たせた非礼は詫びるが、自分が悪いのではなく運が悪かったので、日本人のように遅れの保険に15分前に着いておくなんてことはお客さん相手でもない。だから結構な頻度で遅刻する。5分の遅れに詫びの連絡を入れておくなんてことは思いつきもしないだろう。走っているのはひったくりくらい、というのは外国で日本人がよく言う冗談で、冗談以上としていいのかはどうかな。確かに走っている人は少ないけど、それは記事のように前もっているからではなく、単に遅れたら遅刻するだけというのが自分の感覚値に近い。ここは英国でも米国でも変わらないんじゃないかな。
ソーシャルな場でホストは15分前から応接するのは英国人もそうだが、日本だってそうじゃない?日本人ゲストは15分前をターゲットに来る人も多いから25分前から応接してよとホストにリクエストしたら日本人はそんなに早く来るのか、クレイジーだと言われたな。
ここまで書いてきて思ったのだが、少なくとも英国の場合、オフィシャルで人数が少人数以外の場合は30分前にスタンディングドリンクの談笑から始めるバッファー時間を作るから、着席スタートに遅刻ってそもそも稀だよねと思った次第である。裏を返せば時間厳守の文化ではないということだよね。
森見登美彦氏のブログを読んでいる方なら御存知だろうが、彼は「よつばと!」の熱心な読者である。
■[日々] 登美彦氏、更新にそなえる。
■[日々] 登美彦氏、『よつばと!』を読む
はじめは意外にも思えたが、しばらく考えてみると、登美彦氏がよつばと!愛読者であることになんとなく合点がいった。
彼の書く小説の世界観とよつばと!には通ずるものがあるのではないか?と感じるのだ。
もちろん、好きなのだから影響を受けた部分も大いにあるのだろうと考えることはできる。
実際のところ、「ペンギン・ハイウェイ」執筆の際にはよつばと!が手元にあったようである。
■[読書] 『ペンギン・ハイウェイ』が助けられた本たち
「ペンギン・ハイウェイ」では、主人公のアオヤマ君が「理論は知っている」と発言する箇所があるのだが、それがよつばの「りろんはしってる」を踏まえたものなのかどうかはわからない。
だが、「子供の視点」という点で、よつばと!は大変に参考になったのだろうと推察できる。
登美彦氏がどれだけよつばと!が好きかということは、あるインタビューを読むと非常によくわかる。
――今誰かに何かコミックをおすすめするとしたら何にしますか?
森見 相手にもよりますが、現在連載中の作品でいちばん自分がおすすめするのは、やはり『よつばと!』ですね。新刊が出たときにいちばん胸が躍るんです。『よつばと!』は本当にいい作品だと思います。ああいうのが書けたらいいなとも思うんですよ。なんでおもしろいのか、なんであんなに読後がいいと思えるのか、はっきりとはわからなくて説明できないのですが、すごく好きです。毎回何事もない日常を描いているかのようで、何かはちゃんとあるんですよ。ストーリーがはっきりしてるとか構成が凝ってるとかじゃなくて、登場人物たちが作品世界の中で生きてる感じがすごくする。『よつばと!』に限らず、どんな作品も上手に作品世界の中で登場人物たちが生きている感じに描ければ、実はそれだけで充分おもしろいんだと思うんですけど、そうすることはとても難しいことでもあると思います。だからストーリーで凝ってみたりいろいろな仕掛けをしたりする。でも『よつばと!』は本当に上手に作ってあって、日常の小さな波をきちんと捉えて描いているんですね。そこに感動するんだと思います。すごいなあと思いますよ。…ああ、でもやっぱり『よつばと!』の魅力はうまく説明できないですね(笑)。僕よつばがホットケーキをひっくり返したところで泣きましたからね。あとクマのぬいぐるみをあさぎお姉ちゃんが直してくれたときも。なんていうんだろう、すごく美しかったんですよ。悲しいとかじゃなくて、すごく美しいものを見て感動するみたいに、『よつばと!』を読むとなってしまう。どうやったらあんないい感じのものが書けるのかよくわからないので、本当にすごいと思います。
これが重要な点なのではないかと私は思う。登美彦氏の理想とする作品像がここに表れているのではないか。
たとえば「夜は短し歩けよ乙女」。
この作品が語られる時は、腐れ大学生である「私」の捻くれた語りと、天然な「黒髪の乙女」のかわいらしさについて言及されることが多い。
特に「黒髪の乙女」は作者の理想の女の子像を詰めたものではないか、と言う者もおり、人によっては願望詰め込みすぎでキモチワルイ!と言うそうである。
しかし、個人的には「乙女」はそういうものではないのだと主張したいところである。
実はこの作品、ものすごくよつばと!に似ているのではないかと思うのだ。
……女の子の目から見ても主人公の乙女はかわいいですが、これは森見さんの理想の女性像も含まれていますか?
森見……確かに理想ではありますけど、僕が書いているので僕の部分も入っています(笑)。こういう女の子が単体でいてもしょうがないんです。この女の子がいて、その周りにこういう賑やかな世界があって全部ひっくるめてひとつなんですよね。こういう女の子が無事に生き延びていける世界だったらいいなという思いもあります。
この言葉、実はよつばと!にもぴったり当てはまるのではないかと思うのだ。
「よつばが単体でいてもしょうがないんです。この女の子がいて、その周りにこういう賑やかな世界があって全部ひっくるめてひとつなんですよね。こういう女の子が無事に生き延びていける世界だったらいいなという思いもあります。」
「乙女」と「よつば」の役割は実は近いところにあるのではないか。それをなんとなく私は感じているのである。
優しい世界を描いていると言うこともできる。優しい世界といっても、登場人物がみんな善人であるという意味ではなくて、個性的なキャラクターがすべてその世界でちゃんと生きていられる世界ということである。「寛容な世界」と言っても良いだろう。
それは「有頂天家族」にもよく表れている。この作品には狸・天狗・人間の、本当に様々なキャラクターが出てくる。
そして、善人であったり、悪人であったり、阿呆であったり、よくわからないものだったり、とにかく個性的というほかないほど個性的なキャラクターばかりである。
そして、そういった人物たちが、(たとえ悪人であっても)その世界に受け入れられている。どこまでも魅力的で、排除されない。
「太陽の塔」「四畳半神話大系」は、所謂「リア充」憎しで書かれている作品のように思われているが、別にそれは本当に憎んでいて排除したがっているというわけではないというのは最後まで読んだ方ならお分かりであろう。リア充であってもそうでなくても、作品世界の中で生きているのだ。
お話の構造で見たら森見登美彦氏の小説とよつばと!は全く違うように思えるのだが、読んで感じるのはなんとなく似た感覚であるように思う。
それがどういった感覚なのかといったことは、登美彦氏ですら上手く説明できないのだから、私が言い表すことなどなおさらである。