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2019-01-14

anond:20190114205920

わかってないな、医学部のある慶応世界ランク700位くらい、早稲田で800位位なんだよ。高知大や熊本大とかと早稲田世界ランキングでは同じ程度。

旧7帝+筑波で50~500位位。首都圏私大とか格上とか完全に錯覚日本村特有の狭い序列なんだよ。

anond:20190114184303

関東私大なんざ国立からしたらどれもザコだし、そんなことでマウンティングする程度のやつらだろ。キニスンナ

2019-01-10

なくなれ、厄年

うちの研究室では毎年近所の神社祈祷を行っている。

扱っている内容がめちゃくちゃ科学なのに祈祷を行っているかはまあさておいて。


大抵そこそこ大きい神社に行くと、大きい看板がある。

厄年とか暗剣殺だとか災難が起こりやすい年についてリストアップされているやつだ。

これを見て「修士学生とかみんな厄年じゃんwww」みたいに思ってたんだけどさ。

いや、そうなんだよ。男は数えで25が本厄だし、女は数えで19が本厄だ。

24といえば大学院生なら必死こいて修論を書いているわけだし、女性に至っては18歳、ほとんどがセンターなり私大入試に苦しむ時期だ。

そういった課題を災難としてみなすなら分らんでもないし、過去に制定されたものから時代の流れで変質していったのも否定できない。

だが、彼らにとっちゃ一世一代、将来のかかった年なのだ。そんな節目の年を厄年扱いするのはあまり気持ちの良いものではない。


そして改めて調べてみたら、はじまり曖昧というか、根拠特にない民間伝承らしい。

経験則とする意見もあるらしいが、「受験」「就活」が二大イベントして根付いた今の社会システム的では経験へったくれもあったものではない。

伝承/信仰のすべてを蔑ろにするわけではないが、この風習だけは無くなるか改定されるべきだと思う。

2019-01-09

労働に伴う不自由や心身の負荷などのコストに対する賃金が一番良い仕事ってなんだろ

要するに割の良い仕事

超有名私大左遷部署とか?

やっぱり特殊法人とか?

2019-01-04

大学 3年次編入試験の思い出

anond:20190102063518

anond:20190102174908

anond:20190103131014

高校時代

同じく地方出身者はなんとなくわかると思うんだが、高校は「地元では自慢できる」レベルのとこに通っていた。

県下一、というわけでもないけど、地元で一目置かれるようなそんなところ。東大学者を毎年1名出したり出さなかったりするような。

自分はというと文化系運動系狭間みたいな部活にがっつりのめり込みつつ、子供の頃から親の影響で続けていたとある楽器寺社仏閣が好きな、自他ともに認める「変わった子」であった。学力でいえば中学までは特に勉強しなくてもまあまあいい成績が取れる、中途半端に器用な子だった。

親は勉強については大してうるさくなかったが(むしろ楽器練習をしない方が厳しく怒られたし、数学10/100点をマークしようが音楽の成績が満点じゃない方が嫌な顔をされた)、お金には厳しく、「大学は国公立しかさない」と宣言されており、真に受けた私は私立すべり止めも一切受けなかった。だが高校3年間を部活に捧げた、数学テストで毎回赤点叩き出すような人間にそのルートは厳しかった。見事に滑りおち、進学先を失った。進学校に通っておきながらこの体たらく

これから1年浪人するしかない、と思ってふさぎ込んでいたが、そこで偶然にも某専門学校の「大学編入コース」なるものを知る。専門に2年通った後、大学へ3年次編入するというコースだ。ははぁ、よくできてるなあ、と思いながらも学校担任と両親に相談し、その専門学校へ進むこととなった。

専門に入る

正直入試はあってないようなものなので割愛する。学力レベルからペーパーテスト免除され、英語面接だけだった。まあまあ緊張したが絶対かると半ば解っていたので強気でいった。ちなみに高校時代苦手にしていた教科は数学英語だ。瞬間的な暗記力となんとなくで世界史及び国語高得点を叩き出す完全なる文系である。妙にコアな知識を植え付けてくれたラノベ推理小説たちとヘタリアには今も感謝してる。日本史文化史だけ異様にできた。

学校生活

身バレが怖いので色々伏せるが、駅チカでこぎれいなビルキャンパスだった。キャンパスと言っていいのか?

専門学校内での大きな学科のくくりとしては「英語学科」に属することになり、その中で「英語を使った仕事に就きたい人のコース翻訳通訳など)」と「海外大学に行きたい人のコース」、あと「大学編入したい人のコース」に分かれる。

なんで大学編入英語学科に属するかというと、ほとんどの大学編入試験の科目が「英語」「小論文」「面接」のみだからである。(学科によっては専門科目の試験がある場合もある)

授業は9割は英語の授業だった。ネイティブ講師日本人講師もいたが、とにかく英語リーディングリスニングライティングスピーキングの授業がそれぞれあり、それ以外に大学編入のための英語試験対策授業がある。少人数にこだわってて、基本の4つの授業はそれぞれTOEIC学内試験の結果から5段階にレベル分けされていた。私は入学時のペーパーテスト免除しか学費も一部免除特待生扱いで入学したので、「は~やっぱこの程度か専門」とか思っていたが、最初TOEICテストで300点台叩き出して5レベルあるクラスの下から2番目に入れられる。「出身校」の学力が高かっただけで「私」の学力はクソだった。ただ真面目に授業を受けていればクラスはすぐに上にあがり、最後は一番上のクラス所属していた。この基本の4つの授業は大学編入以外のコースの人もいた。

残りの1割は資格の授業(英検、ワー検、秘書検、漢検など好きなもの選択できる)の他、第二外国語小論文対策PC(というかOffice)など……まあ大学1年生の一般教養と似たような感じだろうか。選択教養の授業もあったが種類は2,3種類しかない。しかも大して面白くない。

大学1年生と違うのは、自分で授業を選ぶ幅がとても狭いところ。というのも学年によってどの授業を受けるか、カリキュラムが既に綿密に組まれており、「朝ゆっくりしたいから1コマくそ~」というのは全くできない。選択授業も「とってもとらなくてもいいよ」ではなく「この中からどれか選べ」という選択。なので学期はじめにコース人間全員集められてHRみたいなことをして、時間割を配られたりしていた。

学生

上記の通り様々なコース人間が入り混じって授業を受けていたので、通っている人は本当にいろんな人がいた。アンタこんなしょぼい専門いていいの!?っていうような頭のいい人から、クソほど簡単テストを「難しくてヤバかった~」という人まで、本当に様々。Lv.2→Lv.5まで駆け上がるといろんな人と話した。超絶パリピ野郎もいたし、内気で根暗で今にも引きこもりになりそうな人もいた。

同じ大学編入を目指すコースの中だと、まあまあ頭いいけど大学入試では一歩及ばなかった、みたいな人がほとんど。大体がプライド高くてそれを一度へし折られてしまった人、という印象。(私もだけどさ)すべり止め私大に受かってたけど行きたくなくてこっちを選んだ、という人もいるにはいた。あとは行ってた大学が嫌になってやめて再チャレンジしたいとか……。比較的頭のいい人は多かったけど、それでもやっぱ学力でいうと「まあまあできる」か「いまいちできない」のどちらかだった気がする。コース内で一緒に行動していた友達は国公立に受かっていった人から最後最後どうにか推薦で滑り込めた人までいた。

コース人間の数は結構多かった。高校の一クラスくらい……?もっと少ないと思って入学したので意外だった。やっぱり学力レベルでつるむグループが分かれる。男女比は男子の方が圧倒的に多かった。3分の2くらい。でも学年全体で見ると女子の方が多かった気がする。

あと意外といろんな地方から集まってた。やっぱり学校周辺の人が多いのだけど、隣県や新幹線帰省するくらい離れている土地から来る人もいた。私はかろうじて同じ県ではあるが学校までは通学に2時間かけていて、隣県出身学校近くに一人暮らししている友達がうらやましかった。

学費

高い。私大に2年行くとのかわらん。でも高校時代まあまあ成績取れてたら学費免除簡単に取れる。(模試の点数とかセンターの点数を基準学費免除とかしてくれる学校もあると聞く)

本来公立しか行かせてくれなかったはずの両親があっさり行かせてくれたので、絶対学費無駄にすまいと2年間は真面目に必死に授業や資格取得に打ち込んだ。その後まあまあ就活に有利そうな資格とかちょいちょい取れたので、短大とか他の私大行って仮面浪人するよかよかったなあ、と思った。けどその辺って結局当人努力次第なので、学校の授業の時間を使って資格取得や受験対策に打ち込める環境お金払ったと思っている。払ってくれたのは親だが。でも無利子の奨学金も2年次から勝ち取って少し貢献できた。と思いたい。今返済しんどいけど。

編入試験を受ける

編入試験

1年間みっちり英語を叩き込まれたあと、2年生からいよいよ編入試験が始まる。

3年次編入試験は多くの大学がやっているが、大学によって受けられる条件は様々。私が行きたかった大学は他の4大からの受入のみで、専門卒は受け付けていなかったので諦めた。(でもそういう学校の方が少ない印象)

編入試験の日程は学校によってかなりばらつきがある。早いところだと6月くらいで、遅いところだと2月くらい?私は全部で3つ受けたが、ひとつ8月で、残りのふたつは12月だった。やっぱ秋~冬にかけてが多い。

面接練習なども授業でしながら、それぞれの試験日に向けて準備を重ねていく。8月試験を受けたところが第一志望にして最難関の大学だったが、ものの見事に落ちてしまい、泣きながらそのあと友人らとカラオケに行った思い出がある。編入試験受験科目が少ない分やりやすいと言われるが、その門はかなり狭く、私が受けたところも倍率は5~10倍くらい(だったと思う、もう記憶あいまい)最終的に編入浪人の道を選ぶ人もいる。専門→大学編入のいいところは浪人などの1年のロスを出さずに大学卒業できる所だが、結局編入試験の壁が高くて編入浪人したりレベルを落としてD~Fラン大学に入ったりと、メリットが活きないことも多い。でも努力してそれが実ればいい大学に入れるのも事実なので、そこは編入チャレンジする人次第なのかな……とも思う。専門入って遊んでしまった人たちは上位クラスの人でも結局ランクの低い私大に行った人が多く、しっかり努力し続けていた人は国公立偏差値高い私大に進んでいった。英検1級取得したり、TOEICマックススコア出した人もいる。

あとTOEICスコア試験免除がある学校とかあって、TOEICマジもっと気合入れてやればよかったな、と思った。試験免除にならなくても入学後の単位に換算してもらえたりした。

試験対策

英語はもうとにかく授業をガンガンうけてガンガン問題解くだけ。喋る・聞くは捨てて、ひたすら読むにステータスを振り続けていた。(書くは申し訳程度にやった)9時半から15時まで授業を受けた後、18時まで学校に残り友達と多少ぐだりながらも勉強(というか課題)、家に帰ってから英語の長文読解とひたすら向かい合う日々。

小論文は書き方の作法を徹底的に叩き込まれ、あとは個人文章センス知識量がモノをいう感じだった。国語世界史、そしてラノベから影響を受けた文化史系に強かった私には最高の科目だった。

編入試験過去問も一応あって、見せてもらうためにその大学に足を運んだこともある。(コピーはさせてもらえないので、目で見て出題傾向を把握するのが精一杯だが)あと学校過去問を回収して過去問集みたいなのを作っていたので、行きたい学校が人気校ならそんなことしなくてもコピーできたりした。英語試験はどの学校も長文読解系が多く、TOEICをそこそこにして英検受けまくっていた自分にはありがたかった。

面接指導就活とほぼ一緒、だと思う。なんでこの大学に行きたいのかをはっきりさせろ!と言われ続け、「御校に在籍の〇〇先生研究室で●●について研究したいです!!理由としては!!」みたいな答えをガチガチに固めていった。これはのちの就活に活きたと思う。

試験

どの大学小論文は楽勝だった。8月に受けたところは英語で予想外の作文が出て動揺し、読解問題では時間が足らず、涙を呑んで不合格覚悟した。翌日即結果発表だったが、当然私の受験番号はなかった。

第二志望の大学の前に第三志望の国公立を受けにいったが、家から遠く深夜バスでの移動となった。しかバスからまた電車で移動するが乗換をミス試験遅刻。席に着くために荷物通路に置いたら試験管に怒られ、萎縮しながら受験したが英語は予想できたレベルでむしろしかった。1週間後には結果が開示され、無事合格

そして満を持しての第二志望。同じ学校から他にも2名受けることになっており、一緒に移動。英語試験はやや苦戦した覚えがあるが、それよりも面接がしんどかった。大学に、特にその学校に入りたい理由を述べ(行きたい研究室があるでゴリ押しした)、なぜそれに興味を抱くに至ったかなどを話したが、とにかく緊張して噛みまくり面接官に不審な顔をされ落ちたと悟った。しかしその試験当日、夜から私の受験期を中学から支えてくれた某バンドライブがあり、普通に間に合わなさそうだったので走って会場を後にした。ライブギリギリ間に合った。そして入試も無事にパスできていた。

大学編入

進学先が二つ用意されたわけだが、もちろん第二志望を選択。一応国立大なのと、高校時代から学びたいと思っていた専攻があったのが決め手だった。思う存分研究に打ち込めたと思う。嘘。2年では足りない。もっとやりたかった。でも取りたかった単位や聞きたかった講義はほぼコンプできた。

上記でも少し触れたが、入学時に専門学校の授業の単位大学単位へ変換してもらえるため、本来4年で取る卒業単位を2年間で全部とれ、ということにはならなかった。特に私は人文学系だったので、変換がスムーズにいったというのがある。法律経済系の学科は専門科目の変換が難しく、卒業単位を取れなくて留年した人が多かった。(と後に聞いた)

1年大学ライフ満喫したのちすぐ就活なのはきつかったが、興味のあったサークルにも在籍し2年間最初から最後まで活動できた。でもいくら単位変換してもらったとはいえ他の3年生に比べると圧倒的に単位は足りてない(その上私は卒業単位にならない資格系の講義も取っていた)ので、ほぼ毎日1~4コマ、そのあとサークルバイト!みたいな生活をしていたし、就活の時期は本当にしんどかった。英語資格TOEICスコア700前後英検準1級)と進級のために取らざるを得なかった数々の英語以外の資格、そしてあの日面接対策小論文対策が活きたのだろう……と思うと私はこのルートをたどってきてよかった。他の短大や4大出身編入生は就活で軒並み苦労していた。でも専門より大学の方が圧倒的に楽しかったです。普通に1年生から大学入りたかった。

大学編入後で一番しんどかったのは、3年生でありながら1年生に交じって体育やらされたことかなあ。


色々書いたけどあくま文系の話です。理系編入もっと大変と聞くし、そもそも専門→理系学部編入というルートが恐らくない。

東大京大に比べたら底辺もいいとこだけど、こういう抜け道もあるよっていう話をしたくて。でも根っから文系だった私だからこそうまくいった裏ルートみたいな感じではあるんだけどさ……。うまくいかなくってせっかく編入した大学やめて引きこもりになってしまった知り合いもいるし、正直この専門→大学編入というルートを誰にでもお勧めできるかというとそうでもないけれど。

あと社会人なってから編入大学入って、教員免許だけ取って中退した編入生の知り合いもいる。社会人なってから大学で学びたいという人で4年は長いという人にもいいんじゃないかな。あと大学とりあえず入ったけどつまんなくて他の学科行きたいとか他の環境行きたいって人。

私は本当は大学院に進みたかったのだけど、やっぱり学費関係で諦めて就職した。研究してた分野とも全然違う仕事をしているけれど、趣味としてまだその分野についての情報収集勉強は続けている。なお英語をかなり使う仕事だし専門時代に取った資格もそれなりに活かせてはいるので業務内容には満足している。

いよいよセンターが近づいてきて、不安受験生たくさんいると思うけど、どうかここだけが人生の決め手とは思わずに気楽に頑張ってほしい。案外人生どうにかなることの方が多い。

2019-01-03

anond:20190103234930

それもそうなんだけど

あそこは母数という暴力を振るえる、というかすでに奮ってるし、

昨今の不祥事があっても受験志願者は3割減にもいかなかった点においてやはりそこらへんの私大よりは驚異的(その程度の頭の出来の人間にとっては入る価値のある大学)だわ

2019-01-02

仕事勉強に対するモチベーションについて

ここのところ、東大とか京大受験して合格した人々の投稿が続いているけど、それが何年前の話なのかはおいといて、細かく模試の成績とかを覚えていることに感心する。私は大学を出て就職してから25年以上も経っているので、あまりかいことは覚えていなくても仕方ないと思っているけど、勉強が出来る人、努力家の人というのはそのへんからして違うのかも知れない。

私はそこそこ進学校で有名な公立高校に通っていたわりには、受験勉強にあまり熱意がなく、浪人覚悟東大一本とか早稲田一本とかやってるクラスメートを横目に何とかMARCHとある学部滑り込み自分より成績のいい友人に「合格おめでとう」と言わせた記憶けが残っている。確か彼女は私が入った大学の中で一番偏差値の高いところを滑り止め(!)にしており、第一希望の国立大学に落ちたという理由一年浪人した後、東大合格した。

そういう人たちを見ていてすごいなと思うのは、とにかく努力であること。そして努力を続ける根性があること。私はあまり受験勉強に熱心でなかったので、私大文系にすれば数学理科受験しなくていいからと理系勉強ほとんどスルーし、保険のために第一希望と同レベル大学学部を何校も受けるようなことはせず、確実に受かりそうな大学しか受験しなかった。今思えば早慶ぐらい受験しておけば良かったかも知れないけど、うっかり合格してしまって大学生活で勉強について行くのに苦労したり希望の専攻に行けなかったりするとイヤなので受験料をムダにするようなことはしなかった。

だいたいよほどのエリートコースを目指さない限りMARCHぐらいの大学を出ていれば困らないと思っていたし、実際バブル崩壊直前に就職活動をした我々はそこそこ名の通った企業入社する連中が多かった。飛び抜けて成績優秀な先輩や後輩はキャリア組官僚になったり司法試験に受かったりしたが、さすがにそれは一握りのエリート限定でまぁそれが妥当な結果だろうと思える状況だった。

で、無事就職するところまで行ったはいいが、自分欠点として反省しているのは「(勉強でも仕事でも)ほどほどに足切りされない程度にやればいい」「完璧を目指して自滅するのはバカ」という認識がしみついてしまたこと。だいたい職場で優秀だと見なされる人間は、「結果を出すためにベストを尽くす」ことを旨とし、仕事のために自分時間犠牲にすることを厭わなかった。でも、優秀だと思われると激務ポストでいいようにこき使われ、嵐のような残業に耐えるわりにはさほど見返りがないので、全然そういう人々を羨ましいと思えなかった。

さらに私のやる気を失わせたのは、2~3年ごとに人事異動があり、異動のたびに前の職場で覚えた仕事がムダになることだった。結構専門的な仕事であってもきちんと研修が行われることは少なく、一所懸命勉強しても異動すればそれがパーになると思うと、自分必要最低限の仕事だけこなして極力定時で帰れる職場こそ最高だとしか思えなくなった。当然そんなヤツが上司にいい評価をもらえるはずはなかったけど、まっとうに出勤して最小限の仕事をしている限り、上司も私の給料を減らすようなことはできないのだった。逆に優秀だと評価されている人間でも、多少給料に色が付く程度で、むしろ収入の差は自分時間犠牲にすることによって得られる残業手当によるところが多かった。

一番つぶしが効くのは、新人女の子がよくやらされる「庶務担」というやつで、旅費や残業手当の計算をし、年末調整の時期が来れば書類を皆に配って書き方や必要書類指導をする仕事だった。一緒に福利厚生社会保険関係手続きもする。あとは経理系の仕事で、予算執行状況を見ながら消耗品を買ったり業者に支払いをしたりする仕事だ。私は今、勤続25年を超えてそんな仕事をしている。我ながら給料ドロボーな気がしなくもないが、どうしても仕事生活費を得るための手段しか思えないのでどうにもならない。仕事自体モチベーションを見いだせる人、「ベストを尽くそう」と頑張れる人がちょっとだけ羨ましい。

自分でも何が言いたいのか分からなくなってしまったけど、「仕事でも勉強でもモチベーションを持って努力し続けられる人は偉い」「家庭の事情などが許す限り、勉強(スポーツなどでも可)はやれるところまで努力した方がいい」というのがまぁ結論なのかな。ただ、仕事に関しては「優秀な人に仕事は集中する」「頑張り屋だと思われるとどんどん重荷を背負わされる」というのが鉄則なので、自分会社過労自殺とかが出るようなところに勤務している人は無理しすぎない方がいいと思う。長文なのに大した結論じゃなくてごめんなさい。

2018-12-27

何者にも成れない増田

大学には浪人して、関西から東京私大へ行った。

父が失敗した司法試験合格できるようなギリギリライン大学だ。

父もそこの大学を出たというのも理由の一つだし、

宗教はまっている、両親から離れたかった理由としてはもっともらしい

理由にできたということもある。

法曹関係出身大としてはそこそこ有名)

大学には真面目に通って、司法試験受験サークルに行き、

ダブルスクール勉強もしたが、司法試験には4年受けて1次通過がやっとだった。

そのうち、司法試験制度が変わることになり、父と同じく弁護士の道は諦めた。

特にスキルが無いのけど、法律知識だけはそこそこあった為、

士業の予備校非常勤講師をやり、そのうち介護関係法務部に就職した。

特に不満はなかったが、会社のお局さんと打ち解けることができないという

致命的なコミュ力のなさから会社も1年そこそこで退職することになった。

もう、何もやることがないと思い、失礼ながら楽そう、頭つかわなさそうという理由だけで、

警備員求人に応募した。面接に行った時にはすでにシフトが決まっていた。

警備員世界ヒエラルキーで満ちている。

一番トップが、施設警備といい、みなさんが働いている大きなビル警備員室でモニタを眺める仕事だ。

続きが雑踏警備でこれはイベントなどの警備を行う。まぁ立って声が出ればよしの仕事だ。

最下層が工事警備だ。これは雨天であろうがなかろうが、早朝・深夜の道路の片側通行を速やかに行う

為に不可欠な仕事で僕はこれをやらされている。

入ってすぐの相方は、ベトナムだったかアジア系の人で日本語ほとんど通じなかったが笑顔が素敵だった。

ある時、クルマベトナム人の方からわたしの方に侵入してきているのに、

トオシテイイヨーというので、こちらのクルマを通したところ、正面衝突になりかけたことがある。

これでもクビにならないような仕事だ。

年末、年度末にかけて、寒くなると僕たち私たちの出番が増える。

昨日も一昨日も工事をやっているおっさん達に邪険にされつつ、立ち続けている。

クリスマスの夜も工事の警備に入っていた。

子どもが「あ、おまわりさんだ!!」とはしゃいでいたら、

おかあさんが「あれは、ただの警備員さんよー」って答えていた。

気がついたら、クリスマスの日に46歳になっていた。

2018-12-16

anond:20181216113200

文系場合、専攻分野と就職はあまり関係がないし、国文学科と経営学科の人数とかどうでも良いような気がするんだよなあ……

文系大学で学ぶことなんて、かなりの割合の人が要するに「学び方」という形式を一つ会得するだけで

内容そのもの習得が役に立ったから直接に金になるって感じは経済系ですらどこでもあるってわけでもないし

大学院いけば違うんだろうけど、それは大学院定員の問題であって、大学院に行かない傾向にある文系学部生に大学院での事情にどこまで巻き込むべきかと。

博士必要と言うなら博士課程を拡充したり、大学院だけの過程を作ったりできるわけで、学部までいじることが絶対必要なわけでもないし。

そもそも大学研究機関なのであって、役に立たない学問もある程度は保護する必要があるしそれはむしろ私大ではなく国立の役目なのではないかと思う。

2018-12-13

数学が出来ない高校生理系に行って良いですか?

質問です

自分は今、関東の某私大付属高校の二年生なのですが、内部進学で理工学部に行くことを考えています

しかし、数学はそれなりに勉強して学年全体の平均点を少し下回るほどと、理系志望にしては低い成績です。

幸いにして、理工学部の枠は余っているので、指定された数学などの授業を取れば、成績に関係なく推薦を受けることが出来ます

ですが、情報系を志望しているので、数学大学に入ってからバリバリ使うと思いますし、入ってから不安です。

こんな高校生でも理系、それも情報系の学科に行っていいですか?

2018-12-12

anond:20181212205106

いや、バブルの頃は医学部は倍率今ほど高くなかったよ、偏差値も調べてみればすぐわかる

もちろん、旧帝の医学部は今と変わらず偏差値高いけど、いわゆる地方私大医学部なんかぬるいもんだった

今じゃ地方私学医学部でもだいたい早稲田くらいの偏差値とらんと入れないからな

2018-12-10

anond:20181210155347

試験あるし大学の進級もあるから馬鹿だと通らんぞ

実際、親が医者とか金持ちバカ息子、バカ娘で、私大薬学ねじまれたやつが、実験テストなどの生活についていけずドロップアウトするやつが毎年、どの大学にも一定数いるんや

2018-12-01

50歳 300人程度規模企業での収入晒す

私事だが、この夏で50歳になった。

新卒時に「嫌だな〜、これから40年も働くのか」と思ったサラリーマン人生も残すところあと10年となった。

仕事のものは、予想に反して楽しく過ごさせてもらったが、収入はなんともだった。インターネットが普及してからは「平均」というものをググったりもしたけど、ピンと来なかった。

同じ思いの人も多かろうと思い、匿名をいいことに赤裸々にしていこうと思う。

生立

財閥総合商社勤務の父の元、比較的裕福に育つ。幼いころはアトピー喘息と親には心配をかけたであろう。4人兄弟の長兄。

喘息を治す為に習った水泳はその後、特技となり、大学生の時はイントラなどのバイトをした。公立小学校公立中学私立付属高校→F欄私大文系

社歴

全国展開している学習塾系の広告代理店営業新卒営業として入社。なぜか社長に気に入られ、直轄のプロジェクトなどを担当。2年目のボーナスの少なさに腹を建てるのと、担当したプロジェクト出会ったデザイナー側になるべく、転職。なぜなら営業よりもデザイナーのがかっこよく楽しそうだったから。ちなみに新卒時に入った会社は今は整理され、もう無い。

吸収した会社は今では一部上場

その後、ベンチャー就職し、マッキントッシュ出会う。個人的には人生が変わったと思っている。Photoshopillustrator、afterEffect、directorMAYA、3Dmaxなどのソフトなどを習得する。ここでの報酬はそう悪くなかったが、デザインする内容に飽きてしまい、転職。ちなみに今、この会社は一部上場

その後、転職した会社現在に至る。組合のあるのんびりとした雰囲気過去に大きな成功体験がありそこから抜け出せていない会社。外部から来た人間という事で割と新しい事業を任されがち。たまたまそこで結果を残し、特許を取得するなどをし一定地位を得る。会社リソースは有限で発言積極的にする人間や声の大きい人間がそれを使えるんだなあと理解

収入

現在役職技術系の部署部長。得に資格手当などはなし。現在の月収は456,590円。組合が今、闘ってくれているまもなく振り込まれるであろう賞与の額は956,907円。夏は908,100円だった。去年は103万くらいだったのになあ。あ、3月給与には調整金の名目で8万円程度加算される。いわゆる期末賞与的な。

なんとなく年齢*万円を目指してきたけども、うちの会社規定ではこの年令になると難しい。新卒で入った会社最初ボーナス(夏ではなくちゃん計算になる冬)が16万円程度だったのに腹を建てて辞めたもんだが、この年令ではそのような動機で辞めてしまうと再就職が難しいので、行動に移せない。

前述の通り、これが人と比べて多いのか少ないのかはわからない。誰もはっきりと教えてくれないし、平均では実態がよくつかめないし。俺は近所の同世代くらいの野郎いくら貰ってんのかを参考にしたいのよ。

子ども手当が今年度から120,000円になったのも痛い。

ちなみに妻はパートタイマーで今年は103万をちょっと超えたくらいの収入だそうです。

家族

パートタイマーで働いてくれている嫁が1人と子供が3人いて家計が火の車なのは確かです。ってか借金地獄子供は上から私立文系大学1年生で自宅からの通学。真ん中が公立中高一貫校、下が公立中学大学は別として下2人は公立なので、世間的にはかかっていない方かと思いますが、塾!これが痛い。

また、大学生の子には奨学金を借りてもらっています。不甲斐ない父親申し訳ない。俺自身は借りなくても住んだし、一人暮らしもさせてもらったってのにごめんな。

支出

塾は月額それぞれ、25,000円くらいかかってる。子供小学生のころはスイミングなども習っていましたが、+6,000円くらいかかってしまうので、断念せざるを得ませんでした。

2人とも部活運動はやっています

ちなみに私自身も20代の頃から続けていたジム通いを断念。今は自宅での筋トレと近所を走ることにしていますジムのいいところはジャグジーとかプールとかだったのですが、モチベーションや侘しさは別として年齢なりの運動強度は得られているかと考えていますジム、行きたいけどね。時々電車の中から見えるジム光景が眩しくて泣ける。

あと、筋肉体操はかなり効く。

家は持ち家です。ローンはまだ19,259,788円残っており、月々96,404円返しています。これは金利0.857%で借り入れています

車は1台所有。来年車検頭痛の種。あと来年大学学費どうしよ。

電気代は1万4,000円/月程度、水道が1万円/月、通信費は2万円/月程度発生していますNHKは払っていない。

保険は車が65,000円/年、生保やら傷害保険やらで30万/年って感じ。

2018-11-30

キャバクラ大学学費を稼ぐ友人

タイトル通り、私の友人はキャバクラで働き大学学費を稼いでいる。

友人の名前ミカとしよう。ミカは今年の3月にバイトで知り合った友人で、大学2年生だ。誰もが振り返る、超絶ウルトラパーフェクトビューティーキュート女の子

最初ミカは心の壁が分厚かった。同い年なのに敬語を使ってくるし、やたら自分卑下してこちらを持ち上げるしで、「絶対こいつ家がやばいな」と察した。

色々と力技を駆使して私はミカの心の壁を破って打ち解けることに成功した。ある日、ミカは私に複雑な家庭事情を打ち明けた。

ミカの家は所謂機能不全家族」だ。カルト宗教信者の親の下で育ち、彼女は今も、恐らくそ洗脳が抜けていない。

ミカの母は高校3年生の頃、癌で亡くなった。亡くなる前から治療費が高額だから離婚したいだとか家族内で分裂が起こったり多くの問題があって、ミカ治療費を稼ぐために受験生ながらバイトに追われ、その上周りの大人母親の死後処理なども全て彼女押し付けた。

そんな中で勉強に集中できるはずもなく、成績は落ち、彼女は望んでいなかった大学へ進学した。

1年目は無利子の奨学金を月5万借り、祖母から残りの学費を援助してもらっていた。しかし家の家賃自分と弟の生活費、そして母の治療費へ充てた借金を返す為に稼がなければならなかった。父親単身赴任をしているが稼ぎが良くない。

彼女キャバクラバイトをし始めた。大学まで片道2時間かかるから、早朝に家を出て学校へ行き、夜は遅くまでキャバクラで勤務。そして帰宅・・・

2年生になる前、借金完済の目途が立ったので、キャバクラを辞めた。そしてこのバイトを始めたということだった。

しかし今年の夏、ミカが通っている大学祖母が進学を反対していた所だったこともあり、祖母ミカへの学費支援を打ち切った。ミカは、自分学費を稼がねばならなくなり、キャバクラへ戻った。

私とミカが知り合ったバイトは、1年続けることを条件に採用される。だからミカはこのバイトを辞めず週2で入れ、キャバクラでも働き、学校も通い・・・睡眠時間も休む暇もない日々を送った。

結果、ミカは倒れ、やむを得ない為こちらのバイトは辞め、稼ぎの良いキャバクラを続けることにした。

ミカバイトをやめた後、私は電話で「キャバクラで夜まで働いて、睡眠時間もままならないまま早朝家を出て・・・って体に負担かけてまで、ストレート大学卒業することにこだわる必要ある?」と尋ねた。

ミカは「母ちゃん遺言に、4年制の大学卒業して欲しいって書いてあったんだ~、今生きる意味、それがすべてって感じだから・・・」と言った。

「家の問題とか、自分大事にすることを覚えなきゃいけないこととか、痛感したよ。精神科受診した。大学も4年生になれば楽になるから、あと1年頑張れば大丈夫!」とミカは言う。

お母さんの遺言を守りたいのはわかる。遺言は故人から最後の贈り物だから大事にしたい。私も大切な人を亡くしたことがあるからわかる。

それでも、大学卒業するのは、今じゃなくていいと思うし、私はミカに体を壊すような生活を送って欲しくない。ミカ家族は今までミカ大事にしてこなかったし、それが変わることは正直望めないと思う。

私のエゴだっていうことも、他の家の事情に口は挟めないことも、彼女意思尊重するべきであるのは分かる。

でも、長年家族や周囲に洗脳されて、真面目な気質に付け込まれ本来大人が負うべき責任押し付けられ、間違った自己責任論を信じ込む彼女意思通りにすることが良い結果につながるだろうか。

弟はまだ中学生だし、ミカ精神病正式な診断が下っているし、二人とも公的機関によって保護を受ける権利がある。一度休んだって良い、というか休むべき。

それにミカは今までの苦労を鑑みると、どこでだって働いていける。大変だけれど、一旦働いて学費を確保してから通うとか、通信制を利用するとか、方法は他にもあると思う。学費の高い、今の私大に拘る必要もない。

勉強だって、私も自分勉強毎日追われているから一緒にするし、家から逃げたければ手段を一緒に考えるし実行を助ける。ご飯ならいくらでも奢る。

私が全て何とかすることができるわけではないし、自分意見押し付けるべきではないし、人の人生に介入する権利も、止める権利もない。ミカ人生からミカ自身で考えて選択することだ。

だけど、どうしてもモヤモヤしてしまう。

2018-11-29

anond:20181128231115

中学受験したのにまた勉強かよ」と思って全く勉強せずにいたらドンドン落ちこぼれて中3くらいになると全くついていけなくなり、「もはやこれまで」と追いつくことも諦めて高2で留年(事実上の退学)の危機になったりしたけど結局卒業までいた俺からすると、中高一貫勉強できないことは結構辛いので不登校の原因である可能性は高い。小テストできないと昼休みに追試とかやらされたり居残りで補修授業とか追試とかさせられたりして劣等感植えつけられたし、自信がなくなると体育が不得意になってつまらなくなるし、友達との交流もうまくできなくなる。俺の場合部活には友達いたけどクラスにはあんまり馴染めなかった。自信がないから。親が一時期「期待はずれだったわ」みたいな態度とってきたのもキツかった。

と言うわけで気がすむまで休めばいいんじゃないかな。それか退学とか。俺の友達2人辞めたけど1人は美大行ってるし、もう1人は理系の中堅私大行ってるから辞めても絶望ではない。みんなで卒業なんてありえないのが私立中高一貫

2018-11-28

中学3年まで特別支援学級だった自閉症児の息子が大学合格した

 参考になるか知らないが、適当に綴ることにする。

 語尾がバラバラなのは許せ。(気が向いたら編集するが)

まずは生い立ちから

 3歳になっても言語を全く話せず、クレーン動作を始めとした典型的自閉症状を示していたため、児童センターを介して専門機関受診したところ、聴力も問題なく知的障害自閉症)との確定診断。

 そのまま知的障害者の扱い(療育手帳交付)。

 応募した私立保育園には全て断られたものの、自宅から少し離れた市立保育園へ無事入園

 「知的障害児」ということで、ほぼ専任のような保育士さんを増員していただき、時々奇声を上げて脱出を企むながらも、最後まで追い出されることなく何とか卒園

 保育園の間は、ずっと会話は不成立。

まずテレビを捨てました。

 3歳でビデオデッキ操作(VHSカセットの交換・スロー再生・逆再生等々)をマスターしていたものの、毎日テレビの前でビデオ操作しながら、全く同じシーンを延々繰り返しながら奇声を上げて踊ってる有様。

 確か「お母さんと一緒」のビデオだったと思いますが、キメのポーズのところで一緒にキメて、そりゃ見てて可愛いわけですが、親からの会話は理解できていない。

 テレビに映った、いわゆる芸人さんの笑いを(意味も分かってないくせに)オウム返しし始めたあたりで、これはヤバいと感じ、(当人は知らない)裏のコンセントをコッソリ抜いて「テレビさん壊れちゃったみたい」ってやってやりました。

 しばらくは寂しそうにしていたのですが、何ヶ月かしたら、直ったか試すこともしなくなったので、未練がなくなったのだろうとテレビごと廃棄。

 たしか4歳か5歳の頃だったと思いますが、この時から自宅からテレビがなくなりラジオだけの生活になりました。寝る時に子守歌かわりの童謡CDを流す習慣にしていたのですが、高校1年くらいまでは寝る時に自分操作して鳴らしてましたね。(ずっと川の字です)

 テレビがなくなると空いた時間を埋めるべく、絵本をめくったり、オモチャを手にしたり、パソコンに興味を示したりするようになりました。テレビは捨てて正解だったと今でも確信しています。(モニターDVDは視聴可)

小学校先生に恵まれました

 発語はあるが会話は成立しないのですから小学校は当然にしてストレート特別支援学級です。

 集団登校には親の同伴を求められたので、6年間ずっと同伴通学でした。(とは言え、後半は列の後方から見守る程度ですが)

 「環境の変化」と「予想しない事態」に極度のストレスを感じるのが自閉症児の特徴なのですが、特別支援学級の1年生~5年生まで、担当教諭の異動がなかったことが幸運安心すると精神状態が落ち着くんですね。

 特別支援学級教諭って、ナニかワケありで左遷ポストみたいな雰囲気があると思うんですが、1年生~5年生まで担当して下さった教諭は全く違ってました。

 言葉で書き尽くせないのですが、自閉症児では健常児以上に苦手なところが多いのですが、無理矢理に克服させようと正面突破させるのでなく、苦手なところを避けて歩く方法みたいなことを息子に伝授してくれたように感じます

 予期しないことが起きるとパニックに陥って奇行が始まるのですが、先に予定が分かっていて、その予定どおりに進行すればパニックは起きにくく、そういう特性最初から見抜いて下さって、本当に上手に導いて下さいました。

 伊藤先生、今でも感謝しきりです。(年賀状は欠かさず(息子に)出させてます

ほぼ毎週のように外出しました

 息子にはとにかく外界からの刺激が必要だと思って、ほぼ毎週、公園だの何だの、とにかく外へ連れ出しました。200キロ距離にある実家へは毎月通ったり、とにかく土日2日とも家に籠もっていたことは年に数えるほどだろ、という位に連れ出しました。

 電車が好きだったので、環状線一周(全ての駅で降りて看板写真を撮る)みたいな、そんなオタッキーなこと喜ぶ児童がいるのか?みたいなことやってました。時効から打ち明けますが、1区分切符でずいぶんと遠回りさせて頂いたこともあります

 地名や駅名とかはすぐに覚えましたね。

 実家へは(下道で行くと)幾つものトンネルをくぐるのですが「このトンネル最後」みたいなこと言ったり、いついつにこういうことがあった、みたいな何年も前のことを年月日まで揃えて呟いたり、とにかく記憶力だけは半端ない

 ちなみに息子と年子の妹(健常児)がいるのですが、彼女存在も大きかったように思います。友だちのいない息子にとって、唯一の同年代の子どもが妹だったのですから

 特に小さい頃の妹は兄の障害のことが分からないので、時々は手を繋いだり引っ張ったり(兄のほうは照れて逃げ回ったり)、それはそれは友だちのように接してくれたのですから

JRウォーキング企画に連れ出しました

 家族での外出のほか、JR沿線企画するウォーキングに猛烈に参加しました。

 参加するとスタンプが貰えるのですが、有効期限内にフルコンプリートして最上位の景品を貰えるくらい、1級障害者じゃないので運賃は安くならず、相当お金はかかりましたが。

 他の子達と同様、かならず電車最前列に張り付いて、運転手さんの呟き(点呼)をオウム返し。運転席に手が届くような、どこぞのローカル線に乗った時は、運転手さんが息子の点呼(出発シンコー)に合わせてマスコン操作してくれたりで、電車が大好きになったようです。

 あと英語ナレーションも覚えたみたいで、英語が流れないローカル線でも自分英語で This train ・・・ Bound for ××× Thank you! って大きな声で「通訳」すると、周囲の大人が褒めるもんだから、より調子に乗って・・・みたいな。

 10キロとかの健脚向けコースに参加しているときなんかは、おばちゃん達が「小さいのに偉いねぇ~」って飴ちゃんくれたりするものの、会話が成立しない(がんばって1往復)うえに当人は飴なるものを口に入れたがらず。

 食へのこだわりが強烈で、少しでも怪しいものは決して口に運びません。妥協なんてありえないのです。

パソコンに息子用のアカウントユーザー権限)を作って使わせました

 ヤフーキッズブラウザデフォルトにしたのと、使用時間制限(夜の9時だかを超えると使えなくなる)したくらいで、基本的にノンフィルターで使いたいように使わせました。

 パスワードはかけてなかった(息子も自分でかけようとしなかった)ので、時々何をしてるか監査してましたが、Youtube で馬鹿映像を見てるほかは名探偵コナンを追いかけてる風。あとドラえもんプリキュア(笑)

 年頃の男の子が興味を示すサイトへは立ち寄った形跡もなし。アニメ芸能関係Wikipedia更新もやってたみたい。

 基本的には「泳がせながら監査」という状態を続けましたが、ずっとパソコンで遊べるわけじゃありません。

 時々妹がやってきて「私もパソコンを使いたい」って言う話になれば、兄に勝ち目はないので、みすみすパソコンを奪われることに。

 まぁずっとパソコン漬けはよくないし、時々はパソコンを奪われたほうがいい(占有じゃなくて分け合う)と思うので、パソコンを追加することな喧嘩させる選択(妹相手喧嘩練習をしておけ、と)

5年生くらいか運動会で息子が見つけれなくなりました

 3年生か4年生くらいになると、少しずつ会話が成立し始めました。

 その奇行ゆえ、運動会では常に、どんな遠くからであっても、あれが自分の息子だ、って識別できていたのですが、5年生の運動会くらいからでしょうか、一生懸命に探さないと見つけれなくなりました。

修学旅行に息子だけで行けました

 小学校入学当初は「修学旅行へは親さんも同行してもらうことになりますから(同行できないなら修学旅行は無理です)」って言われていたのですが、伊藤先生の後任の女性教諭も「大丈夫でしょう」と。

 無事に一人で(同級生と)行ってきました。

 プラスチックの刀を土産に買って帰ってきましたが、どこが気に入ったのか今でも理解不能。

卒業式

 養護教諭フォローなしに壇上で卒業証書を受け取る息子を見て涙が出ました。

中学特別支援学級

 奇行も減って落ち着いてきたので、普通学級でも辛うじて何とかなるかも?って言われつつも、他の生徒さんに迷惑がかかるといけないと思い特別支援学級希望

 2人の学級で、これまでは異学年の混合授業だったのが、初めての同級生が出来ました。

 しか女の子! だけど家庭の事情引っ越し)で1年で転校して行ってしまいましたが、別れの日は私物を整理して親と一緒に帰る時間見送りに行ったようです。買って持たせた花束の中に、コッソリ前年の年賀状の余り(自宅の住所が印刷されている)を忍ばせておいたのは私なのですが、お礼状と共に今でも年賀状の往復だけ続いています

 その子もワケありなんだけど、息子とは特性が違う(不得意分野が違う)ので、嫁さんになってくれるといいんだけどなぁ~とは心の中の声。

同学年の女の子を好きになる

 気に入った女の子が出来たみたいなのですが、息子の挙動があまりキモかったらしく、当人から拒絶されたうえに親にも厳重注意

性的なことをやったわけじゃありません)

 当人は加減を知らないし、女の子のほうも自閉症児につきまとわれるのは嫌でしょう、分かります

混合授業を希望する

 中学校の特別支援学級担任は、父兄の間で評判の良くなかったらしい教諭が着任して翌年に異動とか、産休予定の教諭が数ヶ月だけ担当して交代とかアレな風でしたが、本人には良い意味で刺激になったよう。

 3年生になり進路が気になるころ、どこへ進学するかはともかく、特別支援学級という超少人数学級じゃなくて普通学級にも慣れておかないと選択肢がないと思い先生相談

 数学理科は進度が全く違うという理由NG が出たものの、それ以外は何とかなるだろうと(授業の妨げになるなら追い出す条件で) OK

 7割は同じ小学校から上がってきた生徒で一応は幼なじみ。1学年50人ちょっとギリギリ2クラス)という少人数な学校だったこともあり、先生の目が行き届きやすいという判断もあってのことだろう。

 JRウォーキング企画を始めとして外にばっか連れ出したおかげか、地名都市位置関係)に関しては健常児を超えていたと思う。

 理科小学校から全く履修していなかった(見込みなしと見捨てて他の教科に割り振られた)のだけど、履修してない教科があったのに卒業できてしまうとは。

偏差値40弱の普通高校合格する

 その下は定時制しかないというランクのところではあるものの、「荒れてない」という理由だけで選択した公立高校に無事に合格

 たまたま定員割れしていた年で、落ちた生徒はいなかったと思うのですが、翌年は定員超えしていたので1年ずれてたらヤバかったかも。

義務教育期間・無遅刻無欠席を達成

 9年間、無遅刻・無欠席ということで学校と市から表彰されました。

 ちなみに一つ下の妹のほうも同じく9年間無遅刻無欠席。

 4歳だか5歳の頃に妹のほうがキャンプに行きたいというので「キャンプ場は遠いよ」って言って大正池から徳沢まで歩かせたり、お山に行きたいと言われれば「山小屋売店であって泊まるとこじゃない」と諭してテント背負ってガチ登山に連れて行ったり、ロープウェイに乗ってみよう!って誘っておいて「入り口は上にあって登らないと乗せてくれない」って登らせて下りだけロープウェイとか、とにかく欺しまくりました。

 温泉に行きたいって言われて湯俣温泉に連れて行った(吊り橋の先の河原で掘って「これが温泉だ」って)のが最凶だったと自覚してます(小2+小1)

 よって、うちの子たちは本当に頑丈です。

高校普通学級で頑張る

 中学までの26~27人学級と違って、40人近い教室で、一人も知り合いのいない学校。つまり他の生徒も息子の特性を知らない。

 小学中学は通しの生徒が多いせいもあって、息子がワケありってのは全校生徒のみならず、その親にまで知れ渡っていて、わざわざ寄りついてくる奇特子どもはいなかったのだけど、高校では最初のうちは先入観なく普通に接してくれたみたい。

 同級生から寄りついて来られたことのあまりなかった息子は話しかけられただけで「友だちができたかも」って思い込んで家に帰ってニコニコ自慢してましたが、それが「ぼく友だちいない」に変わるのはそう遅くはありませんでしたけど。

 とはいえ、友だちが出来ないまま15歳まで過ごしてきてるので、全く気にならないようではあります

 年に数回、学校開放みたいな行事があって親も観に行っていい日には出かけたのだけど、偏差値が低い=ガラの悪い生徒が多い という先入観を見事に打ち破ってくれました。いやほんと、殺伐感の全くないノンビリした校風の良い高校で良かった。

 迷惑をかけるのだからせめてもの恩返しということで、学校保護者委員?(PTAに近いと思うが、もっとイージー)は進んでお受けし、時々校門にたって挨拶運動かに参加したわけだけど、先生命令に従って渋々挨拶してるような感じはなく、どの子自分言葉挨拶してくれて、挨拶運動に参加するのはとても楽しかった。

JRウォーキング企画に一人で参加するようになった

 高校になってから自我が芽生えたか、親と出かけるのを嫌がるようになり(本気で拒絶するほどでもないが)、親としても自立する方向に誘導しないといけないため、JRウォーキング企画に一人で参加することを許可

 前日までに行程(電車の乗り継ぎを含む)と予算を紙で提出すれば金は出すという条件で。

 コンビニの外ベンチにDSを置きっぱなしのまま買い物に行って、案の定その間に置引きされたときがあるんですが、ちゃん自分交番に行って遺失物届を出してきたり、普通じゃないながらも何とかなる次元には成長

大学見学会大学進学に目覚める

 学校行事か何かで、家から最も近い私大偏差値40~50クラスか?)の見学に行って、学食としてマクドナルドみたいなバーガー屋を含む何軒もあったりで感動したのか、コンビニなんてもの学内にあることに恐れ入ったのか、コナンに出てくる大学生のイメージと重なったのか、どういう訳でか知らないが大学なるものに興味を持った模様。ただし、最初に見に行ったそこだけが気に入ったみたいで、他の大学へは見学すら行かない。

最後文化祭の劇で一躍ヒーロー

 高校になると授業参観なるものが滅多にないのですが、高校3年の最後文化祭(平日)へは仕事を休んで観覧。

 劇で何の役をやるのか教えてくれなかったので、観に行くことも言わずに黙ってビデオ回しながら見てたのですが、ステージの袖からナレーター(司会だったらしく)として登場したところで目を疑う。

 名探偵コナンナレーション意識しているとハッキリと分かるのですが、恐らくは普段の息子と全く違うキャラだったこともあってか、会場の体育館は大爆笑の渦に。適度なアドリブ(意外性に沸く観客生徒に向かって「ありがとう!」って言ってみせたり)を交えたり、完全に自分世界に没入していたのだろう、とにかく凄かった。

 審査表彰式まではいなかったのだけど、息子のクラス最優秀賞を、息子は最優秀個人賞を、それぞれゲットした。

指定校推薦という優遇枠でありながらも大学合格しました

 進路指導先生からの「なりたい職業に応じて学科を絞って学校を選ぶべきだ」という助言を無視する形で、第一希望~第三希望まで全て前述の大学にある学科で、文系理系おかまいなく・・・という風に進路希望を出していたので三者懇談では「本当にいいのか?」って迫られたけど、「息子が大学に行きたいと思ったキッカケは、そこの大学出会たからです」なのだから仕方ない。

 いわゆる進学校ではないため、一般入試での合格絶望的だろう、と先生から言われ、最初最後のチャンスということで指定校推薦に応募

 そもそも、その下には定時制しかないような、こう言うと悪いんだけど学力的には良くない生徒の集まる学校だったのだけど、挨拶運動で感じたようにガラの悪い生徒はおらず、確かに当たりは少ないけど外れはいない、そんな学校ゆえにか「指定校推薦」という枠が設けられていたのは凄い幸運だった。(誰しも外れを引くことを恐れるわけで)

 第一希望学科(息子はパソコンが好きだったのでそういう系)は成績が足りないと言われ、第三希望くらいのパソコンとは無関係なところだったら・・・みたいなこと提案に乗って応募。ちょまどさんだって文系大学なのにプログラマやっててマイクロソフト行かれたんだから、その気があればどこの学科であってもパソコン仕事はできるのよ。

 劇のナレーターで最優秀個人賞をゲットした余韻もあってか、上手に面接をこなしてきたのと指定校推薦で落ちるのは難しいという条件が重なって、無事に合格の通知。

 

社会で自立できるか知らないが

 高校3年でやっと中学生?ってくらいの状態なので、大学卒業できるか知らないが、ちょうど卒業時点で高校生くらいの状態になるかもしれない。

 完治は無理、喋らなければバレない、くらいが限界なんだけど、健常児を遙かに超える得意な分野があるので、そこだけ見て、ダメなところは諦め。

 ただ普通の子に近づいたせいか、幼少期に感じた「ありえない記憶力」とかの特殊能力は徐々に衰え、ヒゲも生えだして、すぐに忘れる平凡なオッサンに近づいてることに寂しさも。

 仕事に就けるかどうかは分からないが、とにかく社会に出るまで大学生の身分に甘んじて時間稼ぎしてろよ、と

12歳の女の子うるうキュンキュンする37歳男性からのお便り

みなさんこんばんは。

東京都在住。まだ学校にも通っていない2人の娘の父をやっている37歳の増田です。

どうしよう。

もうここ2日ぐらいずっとうるうキュンキュンしてるんですよ。

とりあえずこれ見ていただけませんか?

https://www.youtube.com/watch?v=T2OjuwnrD-Q

いかがでしょう?

すごくないですか?いや肌の質感がおかしいみさきちゃんはどうでも良くて!右の女の子ですよ。

彼女ロワ梨里愛(りりあん)ちゃんというなんだか完璧名前している子なんですけど、

現世に存在するキュートさは全て彼女から発せられているのではと思うほどにキューテストではないですか?

もううるうキュンキュンしっぱなしじゃないですか?しない?え?しないんです?

・・・

やするでしょ!?

うるうキュンキュンするでしょ?しろバカ!その汚いポッコチーンをしまってうるキュンしろよ!

頼むよ!私だけですかねこんなに彼女に心を奪われてしまっているのは。

別に私は所謂ジュニアアイドルとかを追ってるような者ではないんですよ。西田尚美最高だなって普段は思ってるぐらいに、

自分の年齢より上ぐらいにグッとくることが多い私がですよ、日曜にですね、娘とyoutubeを見てたら偶然この動画にぶつかりまして。

娘はたいして興味持たなかったんですがもう父は壊れてしまいました。

もう一回見る?もう一回見る?と聞かれてもいないのにリピートして「もういい。」と言われてしまいました。

日曜空けて月曜。もう朝から頭の中はうるうキュンキュンリピートしっぱなしです。

うるキュン口ずさみながら出社し、業務中にも我慢できず集中して仕事をする体で空いている会議室に入りyoutubeを開いてしまいました。

はぁー、きゃわゆいきゃわたん。苦しい。おや。苦しいぞ。何カナ?これは何カナ?何カナーって思いながら帰りまして、

家族が寝静まった後に、自分の部屋でうるうキュンキュンエンドレスリピートしてたんですけど私大丈夫でしょうか?

結構ですね。私はピンチの時に増田を使いがちでして、数年に1回、人生の岐路に立ち、迷い彷徨っている時に心の整理のために文章を書いて、

そして幸運にもコメントをもらえたならばそれを受け止めつつ乗り越えてきたみたいなところがあるんですね。

トピックとしては結婚であったり仕事であったり子供であったりしたんですけど、数年ぶりの増田がこれですよ、なんかもう苦しくて。

いやもう書いちゃいますけどね。恋してません私?やばくないですかね?

性的な興奮は全くないですよ全く。でもあたし苦しいの!何これ。

というかみんなそうなるよね?これ見たら!恋しちゃうよね?しない?しないの?すげーかわいくないですか?

あれかな、青春に置き忘れた何かが呼び起こされてしまったのかな?なんなの?助けて!

この増田趣旨は助けてです。

なんかやべーぞっていうのを体が感じてこの増田を書かせているような気がします。

でもなんかこの文章全く読まれなそうだし。もうダメかな。毎晩うるキュンしてればいいのかな。

やだ!そんなのはやだ!だからですね。みなさんもうるキュンしましょう?それがいいと思うんです。

よし、みなさんに呪いをかけます

明日からしばらく。こんなクソ増田最後までよんでくれたあなたの頭には、

アクアカールさきちゃんの曲が流れつづけます。おめでとう!

         ∧_∧   ┌────────────
       ◯( ´∀` )◯ < 僕は、ロワ梨里愛ちゃん!
        \    /  └────────────
       _/ __ \_
      (_/   \_)
           lll

2018-11-21

anond:20181121185747

今日丁度営業大学に行ってきた。私大

大学1年生の顔見てたら、も、若い若いっていうか、幼い。

18歳ってこんなに幼かったかしら…と思った次第。

こんな子供みたいな連中が高等教育受けるなんて、さては神童か!

もちろん中には神童もいないことはないんだろうけど、毎年40万人も生まれているわけはない。

大概のやつは大学に入るのが早すぎると思うわ。

もう少しどっかで成長してから大学入った方がいいかもなーと思った次第。

すいすいうぇんずだい。

2018-11-19

anond:20181119172922

39歳無職が低レベル私大合格したってだけで金貸してくれる人なんかいんの?

医学部入っても医者になれる保証もないのに。

anond:20181119164545

家族親戚友人はともかく、39歳低レベル私大で応募できる奨学金あんの?

銀行担保さえあれば貸してくれるかもしれないが

anond:20181119171141

体力的にも厳しそうだし物覚えも悪くなってるしな

つーかそれ以前に45の脳みそで国試突破出来るのか?

偏差値私大って入学は出来ても国試受からない国試浪人ってのも多いらしいけど

2018-11-18

anond:20130818041439

広島県民だけど東京私大受験しに行った時、初日制服で行って、自分学校制服の地味さに衝撃を受けて以来、その後は私服で行った思い出。

受験専用のホテルもそうじゃないホテルも泊まったけど、今思えば母とか祖母が付いてきてくれたのが一番心強かったきがするな

2018-11-06

しあわせってなんだろう

しあわせってなんだろう。

幸せなんて主観的ものしかいから、先程の問の答えや定義は人によりけりっていうところなのだろうけど。

最近自分果たして幸せなのか?と考えることが増えた。

24歳。

周りには家庭を持っている人もいれば、学生として研究に勤しむ人もいる。働いている人も多くいるし、働き方だって様々。職種も様々。

わたしが生まれ育ったのは、とある地方都市ベッドタウン。小さなショッピングセンターはあるものの、特にそれ以外は何も無い。家がある住宅街を抜けると、田んぼと山に囲まれ田舎景色が広がっている。

子育てをするにはとても良い環境だったと思うし、実際、たくさんの子育て世代がこの住宅街に夢のマイホームを建てて移り住んでいた。

突然だが、人生とは選択連続である、という言葉がある。(byシェイクスピア)

当たり前のことではあるが、成長とともに選択肢は増える。

特にわたしたちのようや田舎で育った者にとっては、なおさらそうだろう。私立小学校中学校だなんて周りになかったし、車がないと駅にもたどり着けないような地域なので、ほとんど全員が地元幼稚園小学校中学校、と、同じルートを辿る(もちろん受験をしてみたり、別のルートを歩む人は少なからずいたが)。

わたしにとっての初めての大きな分岐点高校受験であったと思う。

田舎にちょっぴりコンプレックスを抱いていたわたしは、都市部位置するという理由だけで、この辺で1番の進学校に進んだ。

わたしは決して頭の回転がいい訳では無いが、昔から記憶力がとてもよかった。

おかげで普段は全く勉強をしない不真面目な学生だったわたしだが、テスト前の詰め込みだけでそこそこ学年でも上の方の成績を維持しており、高校受験もなんなくクリア出来た。

高校勉強漬けの日々だった。

地方進学校特有の、地元国立大学(A大学とする)を神聖視し、それはそれは宗教のように、「目指せ!A大学!」と朝から晩まで勉強に励む生徒達。

わたし多数派から外れることがとても怖かった。いつも一緒に行動していた友人達はみなA大学を志望しており、わたしも当たり前のように、なんの疑問も感じずにA大学を志望し、死ぬほど勉強した。

特に将来やりたいこともなく、母親から、「今の時代は女でも資格を持っていないと」と言われたので、特に何も考えず資格が取れる専門的な学部受験した。

死ぬほど勉強した甲斐あって、ストレート合格し、進学をすることができた。

周りの大人たち、親戚たちからは、優秀ね、親孝行ね、などといつも褒められたし、親もとてもわたしの進学を喜んでくれていた。

大学では、それなりにキャンパスライフを楽しむことができたので、専門的な学部だったため、他の学部のように授業をサボってみたり、全休作ってみたり、そんなことは一切出来なかったし、なにより実習が死ぬほどきつかった。

大学生にもなると、仲の良かった同級生たちは皆SNSをやっていた。

この頃から自分選択が正しかったのか、自分に問いかけることが増えてきた気がする。

関東私大に進学した友人はいつもオシャレなカフェインスタグラムにあげていたし、同じ大学に通いながらも全休をたくさん作って遊び呆けてる友人、地元高校勉強はあまりせずに恋愛満喫して専門学校に進学し彼氏ラブラブな友人、夜の仕事をしながら華やかな世界で生きる友人、

所詮全てSNSしか知ることは出来なかったので、切り取られたほんの1部だったのだろうが、やっぱり隣の芝生って青い。

みんなそれぞれ、たくさんの選択肢を選んできた結果として、様々な人生を歩んでいた。

大学卒業した後、わたしは今、地元公務員として働いている。

安定した職もあるし、高給取りではないけれど、実家暮らしのため、そこそこ自由に使えるお金もあり、趣味満喫している。友人もいる。誰もが注目するほどの美人ではないけれど、絶望するほどのブスでもない。

過去自分に会うことが出来て、未来から何かを伝えるという漫画みたいな経験ができるのであれば、もっといろんな選択肢があるってことに気づかせてあげたい。

子どもが欲しい。わたしも早く家庭を築きたい。もっとクワクするような仕事がしたい。素敵な彼氏ラブラブしたい。

華やかな世界に生きたい。都会に出たい。

どれも全然から選べる道だとは思う。

しかし、わたしにはこの安定したレールから脱線する勇気がない。

もっと勉強しなくて良い学校に通って毎日遊んでバイトして過ごした方が楽しかたかな?自分探しの旅に出てみてもよかったかな?たくさん男の人と遊んでたら、いい人見つけてもう結婚できてたかな?

わたしは今幸せなのかな?

もっと幸せ人生ってあったのかな?

この選択肢を選んできた自分人生以外の人生を歩むことは出来ないので、どの選択肢を選ぶのが正解だったかなんて今更わからないけれど。

今日わたしはいつも通り、実家リビングゴロゴロしながら、ツムツムのハート回復するのを待ちながら、この記事を書いた。

何が言いたいかさっぱりわからなくなったが、自分の言いたいことをつらつらと書いてみた。共感してくれる人も、贅沢なやつだと反論的な考えを持つ人もいるだろうが、暇を持て余した1人の24歳女の戯言としてさらっと流してくれたらうれしい。

ここまで読んでくださってありがとうございました。

2018-11-02

苦手なのに理系に進んだ愚か者です

あーあ、文系に進んどけば良かった

本当は文系科目の方が得意だったんだけど

文系ってバカとか遊ぶ目的のやつが進むもんだと偏見持ってたのと、

それになんか苦手な科目って悔しくてほっとけなくて理系に進んじゃって

浪人失敗、Fラン私大非正規社員13年、雇い止め無職なうの34歳は僕ですよ

あーあ、得意な文系に進んでいれば

今頃、東大京大旧帝大は無理でも、早慶上智卒で、高収入モテモテだっただろうな、、、

2018-10-31

anond:20181031225030

理系院卒いうても、どうせ中堅私大とか地方駅弁とかでしょ。そんな能無し採った人事も悪いし、増田も災難よねえ…

3年経って治ってなかったらさっさとクビにしてほしいよね、そういうノータリン

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